梅原伸太郎編・監修
 『世界心霊宝典』ⅲ スピリチュアリズムの真髄  ジョン・レナード著 近藤千雄訳
            THE HIGHER SPIRITUALISM           John C. leonard   

 
第一部  歴史的考察

第一章 序論 スピリチュアリズムとは何か
第二章 A・J・デービスの調和哲学
第三章 米国における初期のスピリチュアリズム

第四章 英国におけるスピリチュアリズム
第五章 その後のスピリチュアリズム
第六章 物理的心霊現象の種々相(一)

第七章 物理的心霊現象の種々相(二)





   
  
    第一部 歴史的考察

 第一章 序論 スピリチュアリズムとは何か

 現代の哲学思想に見られる大きな特徴の一つは、多かれ少なかれ、超自然的性格を帯びていることである。すなわち、常識的な原理・原則を超えて神秘的なものを求め、そこに宇宙創造の謎をとくカギを見出そうとしていることである。

 むろんこうした傾向は人間が自然界の威力を意識しはじめた当初から存在していたのであろうが、現代に至って特に顕著となってきている。言い換えれば、遠い過去から抱き続けてきた神秘的なものへの憧れを成就し、わがものとしようとする努力が、この二十世紀に至ってようやく本格的段階に達したと言える。

 見かけの自然界は虚相であり、実相は見かけとはだいぶ違うらしいこと、つまり見かけの裏側に本物の姿が隠されているらしいということは、人間は早くから気づいていた。

その隠された姿を探らんとする哲学的ないし宗教的思想体系は今日いくつか存在するが、
具体的な教義・内容においてこそ大きな差異はあっても、自然界にはウラがあることを認め、その裏側にある超自然的法則を何とかしてうまく定義付け、説明せんとしている点においては、いずれも選ぶところがないのである。

 そういった思想をいくつか挙げてみると、スピリチュアリズムを筆頭に、セオソフィー、オカルティズム、新思想、スエーデンボルグ学説、クリスチャン・サイエンス等々、枚挙にいとまがないが、これだけ多くの思想がありながら、その具体的な内容、教義において全く同じことを説いているものは二つと見当たらない。

にも関わらず、今述べたように、事物そのものを実在と認めず、そのウラに存在する目に見えない原理こそ実在であり、現象はその物的表現にすぎない、としている点はみな同じなのである。

 さらに注目すべきことはその実在を意識的なもの、ないしは知的存在としていることで、これを言い換えれば、現象のウラにある実在は〝心〟あるいは〝霊〟であるということである。

 さて右の思想の中でもスピリチュアリズムが、次章で紹介するA・J・デービスの調和哲学と共に人間哲学として最も信ずるに値するように思われる。少なくとも両者には他の思想に見られない重要かつ必然的な教説、つまりそうあって然るべきだと思わせる筋の通った主張が幾つか見られる。すなわち───

 第一に、死後における個性の存続を厳然たる事実として認めていること。
 第二に、実在としての霊界の存在を認めていること。
 第三に、地上生活を出発点とした永遠の霊的向上進化を説いていることである。

 東インド哲学を摂り入れたセオフィー(神智学または霊智学)は人間の霊的構成に関する知識では大きな貢献をし、その構成要素を他の哲学にほとんど見られない方法で見事に分析している。

またその知識をスピリットとか霊媒等の外的存在からでなく、人間の精神に宿る霊的知覚能力によって入手せんとする態度はセオソフィーの秀れた点の一つであり、そこが多くの信奉者の惹かれる点でもある。

そうした信奉者たちは、スピリチュアリズムがその点、つまり自己の知的ないし霊的能力の活用を説き、霊媒を通じての交信や霊界通信を理性以上に絶対的なものと見る傾向に反発を感じているのである。

 しかし、そのセオソフィーも、東インド哲学の非論理的極まる、子供騙しとも言うべき輪廻転生説を摂り入れたことによって、教義としてはほとんど無価値なものとなり、同時に危険性さえ孕むに至った。

この転生説は哲学的に見て、あらゆる点で欠陥があり、この説に共鳴する者は、死後の世界における魂の向上進化の可能性が信じられないか、あるいは、すでに体験して必要な教訓を摂取し尽くしたはずの地上生活を繰り返し何度でも体験したいという願望を抱いているものにかぎられている。

 この輪廻転生の概念は、冷静に考えればすぐにその欠陥に気づく。まず第一にこの説は、魂は死後地上に戻って人体に再生しないと無辺の霊の海の中に呑み込まれて個性を失ってしまう。という東洋の誤った根拠のない思想から発している。

つまり繰り返し再生している間は霊の海に呑み込まれることから免れる。が、インド哲学とセオソフィーでは、絶対界への寂滅(ジャクメツ)の時はいつか訪れることになっている。

その信奉者たちは理論的にはそれを忌わしい個的存在の罪から逃れる道として望ましいことであるとしながらも、いざ現実となるとしりごみし、意識を失ってしまうよりは地上に戻ってきて何度でも地上生活を体験できると信じたいのである。

それ故この両思想の信奉者たちは、その寂滅の時すなわちニルバーナを事実上無限の遠い先のことだとし、それまでに十二分に生を楽しめると決めてかかっているのが一般的である。

 しかし転生の繰り返しによって個的存在を維持するという考えが誤った論拠に基づいていることを、セオソフィースト達は深く考えようとしない。彼等は地上に戻ってきて別の身体に宿ることによって前回の地上生活、つまり肉体の死と共に打ち切りとなった前世の続きを生きるのだと、漫然と信じ込んでいる。

 しかし、戻ってきて別の身体に宿れば前世とは別人になるのであり、前生の記憶もないのであるから、それは前生の続きでもなく前生と同じ個性の連続でもないのである。同一人物であることは記憶によって決まることであり、記憶が無ければ同一性は証明できない。

したがって、もしも地上に戻ってきて別の身体に宿ったのがそのセオソフィストではなく、まったく別の新しい魂が新しい身体に宿った場合でも、そのセオソフィストにとっては、個的存在という点では結果的には全く同じということができる。

どちらの場合にせよ、出現するのは前生の記憶をひとかけらも持ち合わせない全く新しい個的存在だからである。

 そこでセオソフィーでは、地上生活の全記憶が究極的にはニルバーナにおいて回想されると説くのであるが、単に前生の続きを生きたいために再生しようとしている者にとっては、それはで意味がない。輪廻転生説の背後にある真の目的はその辺にあるはずだからである。


 セオソフィーの転生説のもう一つの弱点は、地上生活における生活体験の公正さの問題に見られる。乞食は来世では王様と成って乞食だった前世の埋め合わせをし、王様は反対に乞食に生まれ変わる。

貧乏人は金持ちとしての生活体験をする為に戻り、召使は主人の身分に生まれ変わる、かくして全ての人生が公平に取り扱われるという。これがセオソフィストにとっての転生説の基本的論拠である。

 が、この論拠からは、この世の人生の真の目的が出て来ない。まさか物的資産や財宝を平等にすることが人生の目的ではあるまい。真の目的は人間個性の本源、言い換えれば霊的自我意識の発達であり、それはいかなる形態の感覚的ないし、意識的体験によっても等しく成就できる。

王様であろうが乞食であろうが、地上生活における体験は基本的にはみな同じである。感じ方、味わい方もほぼ同じである。また人それぞれの愉しみと悲しみがあり、喜びと苦痛があり、目的成就の為の苦労と努力がある。

 こうした観点からすれば、王様の生活も乞食の生活も価値は同じなのである。人それぞれに自分が他と異なる独立した存在である事を認識するために、そして又、喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、勝利と敗北の違いを認識するために、それ相当の体験を積む。

その認識こそが、来るべき死後の世界における、より大きな喜びと美しさを味わう上で必要だからである。要するに人生の意義と目的は全ての人間にとって等しく普遍性を持つ体験を積むことであって、その人にとってしか意味のない特殊な体験ではないのである。
p13
 この輪廻転生に関して意味深長な事実がある。それは、前世を〝思い出す〟人々のその前生というのが、たいてい王様か女王か皇帝か皇后であって、召使のような低い身分だったとう者が一人もいないことである。

中でも一番人気のある前生は、女性の場合クレオパトラで、男性の場合がたいてい古代エジプトの王という形を取る、「私は王様だった」とか、「私は女王だった」というのが、前生を思い出す人の決まり文句なのである。

 この問題に関して、大霊媒で著述家でもあったホーム D.D. Home がこんなことを述べている。

「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄なことに私はこれまで少なくても十二人のマリー・アントワネット、六人ないし七人のメリー・スコットランド女王、ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、二十人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人には、ついぞ、お目にかかったことがない。

もしもそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物として檻にでも入れておいてほしいものである。」(The spiritualist

 スピリチュアリズムでは、権威ある著作のどれを見ても輪廻転生説は説いていない。事実上すぐれた指導者の全てが口を揃えてこの説に反対している。

大予言者デービスの思想的啓示はその大部分がスピリチュアリズム思想と同一視されているが、やはり転生説には反対していた。自伝的著作の中で彼は「私は輪廻転生説は信じない」と断言し、それを唱導する人物や教説をスピリチュアリズムの範疇に入れることに反対した。

 スピリチュアリズムでは、魂は肉体から解放された時点から永遠の進化の道程を歩むと説く。たった一回の地上体験で、魂の進化に必要な体験と知識は十分に得られると信じるのである。

その体験と知識とを基礎として、霊界において限りなき進化の階段を登り続けながら、さらに新たな体験と知識を獲得し、同時に新たな神性を開発していくわけである。

スピリチュアリズムでは、地上生活と言うのは魂の教育課程における幼稚園の様なもので、その基礎体験を終えると一段高い小学校へ進むのであって、再び地上に戻ってもう一度幼稚園の勉強をする必要はないと説く。(この説は断定的すぎる嫌いがある。訳者あとがき参照)


 ではスピリチュアリズムを今少し詳しく紹介してみよう。スピリチュアリズムには大きく分けて二つの面がある。


 一つはいわゆる心霊現象を扱う部門で、俗に心霊学とか心霊研究と言われているのがこれである。元来心霊学は心霊現象の科学的研究が目的であるから、神とか人生の意義といった宗教的ないし哲学的問題とは直接の関係はない。

しかし科学性を重んじる余り、その哲学的ないし宗教的意義を軽視又は無視し、またそうすることが純粋の学者的態度であるかの如く思い込んでいる心霊学者が少なくない。

筆者に言わせれば、こうした態度は木を見て森を見ずの態度に似て、単にスピリチュアリズムに対する無知又は無理解を意味するに過ぎない。

もう一つの面は、心霊研究から帰納された結果を細かく検討して得た哲学的ないし宗教的意義に重点を置くもので、その中にはいわゆる霊媒を通じての霊界との交信によって得た霊界の消息や教訓も含まれている。

心霊研究を軽視するのではなく、むしろそれを基礎としているわけで、スピリチュアリズムにおいて科学と宗教とが手をつないだといわれるゆえんはそこにある。

 たとえば、死後の世界の問題は以前はあくまで信仰の分野に属していたが、スピリチュアリズムでは科学的研究によって、それが何ら疑う余地のない確固たる一つの〝事実〟であることを発見し、そこからさらに一歩進んで、その世界の生活者すなわち霊魂(スピリット)との交信に力を注ぎ、

そこから得た資料を元に神とは、宇宙とは、生命とは、実在とは、といった問題についての回答を探りだしたのである。

 以上二つの面を対照させてみるに、心霊研究はあくまで真理探究の手段であって目的ではない。
スピリチュアリズム本来の価値はその心霊研究から得た事実を土台として築きあげた人間哲学にある。ところが実際にはその手段に過ぎない心霊研究が世間で派手にもてはやされ、哲学的意義はそのカゲに隠れた状態にある。

 人は物質化現象とかテーブル浮揚現象のような肉眼に見えるハデな現象についての本なら喜んで読むが、その現象のウラにひそむ重大な意義については考えようとしない。かくしてスピリチュアリズムといえば心霊現象のことだと思われるようになり、思想的な面がおろそかにされる結果となっている。

 オリバー・ロッジ、ウィリアム・クルックス、フレデリック・マイヤース、コナン・ドイルといった世界的な著名人の書いたスピリチュアリズムの本でも、現象に関する物はよく読まれているが、哲学に関するものはほとんど読まれていないのが実情である。
 
 が、実情はどうであれ、スピリチュアリズムの真髄が人間哲学ないし人生哲学にあるという事実には変わりはない。実際スピリチュアリズム運動というものが始まったそもそもの動機も、やはりその哲学の普及にあった。

それが一八八二年に Society for Psychical Research (心霊研究教会。以下 S・P・R、と略す)が設立されるに至って、前に述べた二つの面に分けて考えられるようになったのである。

 一般にスピリチュアリズムの発端は一八四八年の米国ハイズビル村における心霊現象であるとされているが、その現象がきっかけとなってスピリチュアリズムが世間的にクローズアップされたということであって、スピリチュアリズム思想そのものは米国の天才的霊能者 A・J デービスによってそれ以前から説かれ、ハイズビル事件の前の年に当たる一八四七年に 『大自然の啓示』 と題して出版されていた。


 これは純然たる哲学思想であって、人間の死後存続などという問題は科学的立証を超越した当たり前の事実として取り扱われていたのである。

 ハイズビル事件以後間もなく心霊現象の科学的研究が盛んになり始めたが、当時はまだスピリチュアリズムにおける興味の中心は思想面に注がれていた。

ハイズビル事件から三十年余りの間、すなわち一八四八年から一八八三年まではスピリチュアリズムの最も実り多き時代で、実質的にはその哲学思想に重点が置かれていた。

 この時期に出版された書物はいずれも主として死後の存続の事実と死後の生活に関するものであって、心霊現象の科学性を神経質に検討したものではない。

言い換えれば、人間が死後も存続するということは自明の理として扱われていたわけで、研究者達はその科学性をめぐる論議にあたら時間とエネルギーを浪費することなく、一歩進んでその哲学的な意義を検討して死後の世界と現実の物質界との関連性を探り、

その関連において現実界の意義・目的といったことに思索の手をのばしていたのである。彼らとしては、むしろ霊界の真理、及び霊界と現実界との関係を正しく理解することが、必然的に死後の生命の存在の証明になることを自明の理と心得ていたのである。


 スピリチュアリズムの現象面に重点が置かれるようになったのは、それから一時期のちの一八七〇年頃のことで、SPRは一八八三年までは設立されていないが、心霊研究と呼ぶに値する科学的研究がおこなわれるようになったことが端緒となっていた。

しかし、一八六五年頃にはすでにスピリチュアリズムが英国に流入していて、ウィリアム・クルックスや自然科学者のアルフレッド・ウォーレス等を含む英国が誇る世界的科学者の心を捉えていた。

彼らは、この人心に大きな影響を及ぼす要素を持ちながら定説と言えるものが得られずにいるスピリチュアリズムの問題も、科学の力で、客観的な証拠性と確実さを持って結論が出せるはずだと考えた。

ウォーレスとクルックスは七年前に米国の科学者ヘア教授が行ったように一気に結論を出すべく精力的に心霊現象の解明に取り組んだ。

そしてヘア教授と同じく間もなく二人は、彼らなりに納得のいく結論を出した。二人は心霊現象の実在を確信し、また二人ともそれを霊魂の仕業とする霊魂説を公式に表明した。

が、間もなく二人は、自分自身を納得させることと、保守主義と伝統的宗教に囚われた科学者を得心させることとは、おのずから別問題である事を悟らされる結果となった。

二人の結論はほんの一部の学者の支持を得ただけで、大多数の学者は頭から拒絶し、現象そのものをまともに扱おうとしなかったのである。

 ハクスレ―教授はこれは科学の領域にあらずと頭から関心を示さず、チンダル教授やファラデー教授も、霊媒ホームの心霊実験会の様子を新聞紙上にたびたび載せながら、それを科学的に研究してみるところまでは至らなかった。

もっとも、その後エドマンド・ガーニー、フレデリック・マイヤース、オリバー・ロッジといったそうそうたる人物によってSPRが設立された陰には、この二人の努力が大きく与って力があった。

 しかしながら、スピリチュアリズムの現象研究の歴史を見れば分かるように、個性の死後存続とか霊界の存在といったスピリチュアリズムの真理は心霊現象をいじくるだけでは決して証明できる性質のものではない。

単なる心霊的体験や現象なら過去数十年にわたってSPRによって繰り返し繰り返し実証されてきたことであって、実証と言う点に関する限り、他のいかなる学問分野にも負けないだけのものを持っている。なのに、SPRは今持って霊魂説すなわち死後の個性の存続を公式に認めようとしない。

SPRに関する限り四十年前のマイヤース、ガーニー、ホジソン等の時代よりもスピリチュアリズムから遠ざかっている。このことは、スピリチュアリズムの真理を現象面だけで証明しようとする人に対して、そうしたやり方が間違っていること、つまり単なる心霊現象だけでは永遠に証明は不可能であることを示していると言えないだろうか。

事実というのは洞察力による深い考察が為されなくてはならない。それがないかぎり科学者が現象面だけの研究に見切りをつける日は永久に来ないだろうし、スピリチュアリストが証明して欲しいと望んでいること、すなわち心霊現象が人間の死後存続の証拠であることを認めることはあり得ないであろう。

   
 筆者は決してスピリチュアリズムの現象面は重要でないと言っているのではない。心霊現象は実に重要であり、これなくしてはスピリチュアリズムの拠って立つ基盤が極めて脆弱なものとなる。直接談話現象や各種の物理現象はスピリチュアリズムの哲理を支える特殊な証拠となるものであり、万一これを欠けば、

スピリチュアリズムはこの現実界とは五感的に何の係わりもない、抽象的哲学の寄せ集めとなってしまうが、実際はそうした事実が、哲学の裏付けとなって心に対する身体のような役割を果たしている以上、スピリチュアリズムの教義は、一方には筋の通った思想的体系を持ち、

他方にはその証拠的基盤となる証明可能な事実を有する、十全で包括的な一大体系を為しているのである。真摯なる態度でスピリチュアリズムを研究すれば、それが十全な体系を備えていること、すなわち人間的知性が要求する二つの要素───現象を合理的につなぎ合わせる根本原理と、

その抽象的原理に実質的基盤を提供する現象体系とを兼ね備えていることを知るはずである。この二つのいずれか一方を欠いても、スピリチュアリズムは教義として不完全なものとなる。


 ではなぜ現象面だけの研究だけでは懐疑派を納得せしめることができないのだろうか。懐疑派に言わせれば、そうした現象は霊魂説以外の説でも説明が付くのだという。

心霊的事象や実験会での現象、さらにそれらに心霊的な交信が付随して起きると言う事実そのものに関してはその真実性を認め、決して霊媒による詐術でも不正行為でもないことを認めるであるが、スピリチュアリストの主張する霊魂説すなわち他界した人間の霊魂の仕業であることは認めようとしないのである。彼らが提唱する説には二つある。

 一つはテレパシー説で、心霊実験で聞かれる声は、その実験会の出席者から出る意念を霊媒がキャッチして伝えているのだとする。

 もう一つの説は潜在意識説で、人間の潜在意識には何でも見え、何でも分かり、何でもやれるというのである。霊魂説を認めない彼等は、ありとあらゆる心霊現象、そして霊媒を通じて得られるすべての通信までも、人間の潜在意識の仕業にしてしまう。

 これは一見途方もない説のようであるが、スピリチュアリズムの歴史まで書いた著名な心霊研究家のフランク・ボドモアでさえ三十年以上にわたる研究期間中ずっとその説を主張し、それ以上に一歩も出なかったほどである。

またフランスの生化学者シャルル・リシェも著名な心霊研究家の一人であり、現象の存在と真実性を認める点では人後に落ちなかったが、やはり三十年余にわたる研究中ずっと霊魂説を認めようとしなかった。そして〝霊媒の精神に宿る超常能力〟の仕業にしていたのである。

 現象だけに終始したその他の無数の心霊家や心霊研究者たちの辿った道も似たり寄ったりである。リシェの心霊現象に関する主著を見ても、彼がスピリチュアリズムの思想面については、まるで認識が無く、興味も示さず、全てを無理なく解いてくれるはずの深い真理や原理については一切考察したことがないことがわかる。

リシェは言ってみれば〝間抜けな盗っ人〟のようなもので、肝心な哲学的原理や真相を持たずに、ただ眼に見える現象だけを携えて神の国へ盗みに入ろうとしたのである。その彼が結局入りたいところに入れずに終わったのも不思議ではない。

 要するに心霊研究及び研究家について言えることは、現象面だけの研究だけでは天国へのカギは見つからないということである。

(原著者脚注ーコナン・ドイルは『スピリチュアリズムの歴史』History of Spiritualismの中でリシェ教授のスピリチュアリズムに対する態度についてこう述べている。「リシェの優れた頭脳と細かい観察力はこれまでのところその大部分が物理現象にばかり注がれ、個人的体験、精神的体験、および霊的体験といった、恐らくリシェの変えたであろうと思われる体験にはあまり触れていないようである。が彼の考えもスピリチュアリズム的な考えの方向へ絶えず傾いていることを付記しておくべきであろう」)


 
 そのスピリチュアリズムの真理を単なる事実や現象からだけでは信じる気になれない理由は至って明瞭である。霊媒を通じて得た断片的なメッセージとか、観察された心霊現象のような事象そのものには、死後の世界の本質とか生活状態について語るものは何もない。

何の手がかりもないので研究者は死後の世界での生活についてはっきりしたものを想像することができず、したがって、そういうものは存在しないのと同じこのになってしまう。

 人間が心に信じるものを持つには、その拠り所とする何かが無くてはならない。無から勝手に信念を形成するわけにもいかないし、真相についてまるで知らずに、その実在を信じるわけにもいかない。

したがって現象面ばかりをいじくって他界の生活についての哲学的な説明を何一つ知らないようでは、断片的な説すら打ち出すべき材料がないのであるから、その判断を差し控えるか、それとも大半の心霊学者がやるように、霊魂説を認めずにそれ以外の説を片っ端から試みることになる。

 人間の心は、一つの視点を与えられると、それなりに作用し始めるものである。が、困ったことには、彼ら心霊学者たちの捉える視点が根本的に間違っているのである。それは心霊現象の真相についての知識がないことからきている。あえて探求しようとしないのである。

それでは、当然の結果として、いつまでたっても一歩も進歩しないことになる。目にみえる現象だけでは、その数をいくら増やしても、懐疑的な心を霊界まで導くことは絶対に出来ないのである。

潜在意識説だの、テレパシー説だのと、その現象を説明せんとする仮説が次から次へと出てきて、霊魂説まで辿り着く気遣いはまずない。


ハンネン・スワッハーの『ノースクリッフ来』Northcliffe,s Return by Hannen Swaffer  に出てくるダニエルと言う支配霊からの通信の中に、現象のみをいじくっても霊界についての知識も理解も得られない事を明確に述べている箇所がある。

その通信の中でダニエルは、自分が演出している交霊会に出席した心霊学者が現象による絶対的な証拠ばかりを求め、それをあまりに誇張しすぎることを批判してこう語っている。

 「宇宙には地上の勝手な都合ではいかんともし難い法則があります。実際に生きてみないと分からない法則、証拠を見せろと言われても困るものがあります。形ではなく生のまま体得する以外にないものがあるのです。(中略)

 仮にノースクリッフがあなた方に話かけているとした場合、その通信はノースクリッフ自身以外の影響が無数と言ってよいほど作用しているのですが、それはあなた方には分かりますまい。

(中略)
死によって人間は肉体を棄てますが、再び地上に戻って霊媒を通じて通信を送ろうとすると、地上特有の条件の為に自分の能力が思うようにならない事に気づき、直接あるいは間接に他の力を頼らざるを得なくなります。例えば指導霊と言うのがそれで、思念の力と知力によって何とか援助してくれます。(中略)
  
 またそれとは別に、ノースクリッフ自身の身元確認の問題があります。つまり地上にいた時と同じ自分を見せなくてはなりません。こんな自分だったと思う個性をお見せする必要があるわけですが、これとて頼りにならない話です。

実験に携わる人や列席者、それに、こちらで手助けをする霊達の個性が大なり小なり影響しているからです。これでは証拠を見せろ、と言われても、土台無理な注文であることがおわかりでしょう。

 証拠というものをあまり立派なもの、真実なものと見るのは実は本末を転倒しています。証拠に絶対性というものがあれば別ですが、たとえ絶対的なものがあっても、それを地上の言語で表現することはできないでしょう。生命の実相を人間の言語で表すことは不可能なのです。

なぜなら、生命の本質は霊的なものだからです。霊的であるからには物質を超越しています。完全な物的証拠など得られるわけがありません。


 このことは心霊現象のすべてに共通して言えることです。もしも証拠を手にしなければ気が済まないとおっしゃるのなら、あなた自身、清純無垢の聖人におなりなさい。

魂を清め、洞察力を磨き、人格を高めることです。その境地での真理との接触こそあなたの納得せしめる何よりの証拠となりましょう。きっと、もうこれで十分だというお気持ちになられることでしょう」


 もう一つ、同じく心霊学一辺倒の愚を諭したものに、霊媒パイパー夫人を通じてステイントン・モーゼスが送って来たメッセージがある。他界したばかりの有名な心霊研究家ホジソン博士の態度を例にあげて警告している。

「こちの者が是非とも地上の人に伝えたいと思うことは、地上で心の修養につとめた人と、科学的知識の探求にばかり精を出した人とでは、こちらに来てからの境遇がずいぶん違うということです。

ホジソン博士も、このたび私に、地上にいた時分に物的生活や物的なことばかりにこだわったのは大きな間違いだったと伝えてほしいと、私に言っておられました。

 おわかりと思いますが、博士は物質を超えた高等なこと、つまり霊的な意味を考えようとなさらなかった事を後悔されているわけです。

私が地上にいた時分にやったような哲学的・宗教的観点からの研究を怠ったわけです。何もかも物質観点からのみ検討し、霊的な解釈を求めなかったということです。

 博士のような方は生まれたての赤ん坊のような状態でこちらへまいります。地上で抱いていた考えに相変わらず取り囲まれています。いろいろと指導霊が訪れて質問のようなことをするのですが、一向に効果がありません。それに答えるだけのものを持ち合わせていないわけです。

このたびも私に繰り返し頼んでおられました。自分が人間とはという大きな課題にただ一面から、それも下らぬ面からのみ取り組んでいたことの愚かさがようやく分かったことを、ぜひ地上の人々に伝えて下さい、と。」(The Psychic Riddle by I.K. Funk)

  こうしたことから言えることは、霊界についての知識や死後存続の証拠を求める者は、研究の対象を目に見える事象や現象だけに限らないで、その事実のウラに暗示されている霊的な意味や霊界からの通信に見られる哲学的教訓を学び取らねばならないということである。

スピリチュアリズムの文献や哲学を吟味することによって得られる霊界についての正しい知識をもってすれば、顕幽両界の通信の諸事例も、死後の存続と言う事実も、容易に得心がいく。

人間が死んで霊界に目覚める様子や過程についての実際の知識を得れば、それが死後存続の物的証拠の代わりになるし、同時にその中にすでに証拠が入っている。かくして知識が懐疑心を打ち消してしまう。

 心霊学者のスピリチュアリズム観を聞いていると、何だか霊界通信の中には霊界のことも霊的実在についての高度な真理のことも何一つ述べていないかの錯覚を抱きそうである。

実際はスピリチュアリズムには莫大な量の素晴らしい資料が揃っており、霊界の本質や生活形態に関する霊界からの通信を編集した書物が沢山ある。

またスピリチュアリズムにはそうした霊界の優れたスピリットによるものだけでなく、この世の霊能者や著述家が自らの霊能を駆使して霊界を訪れて実在を直接的に感識し綴った、貴重な思想的文献もある。

 後者の代表がA・J・デービスである。彼は霊的知覚能力を霊界のレベルまで高めて、直接霊界を探訪し、地上に戻ってからそれを綴るという芸当までやってのけた人である。

その方法で著わした書物は三三冊にものぼり、これは掛値なしに、人類に残された最高のシリーズと言えよう。この偉大な人物の生涯と作品については次章でとり挙げることにする。


 スピリチュアリズムの優れた文献、とくに深い哲学を扱ったものは、皮相的な関心しか持たない人にはほとんど知られていない。

平均的な読者はもっと現象的ないしセンセーショナルな面、たとえば霊界の身内の者からのメッセージとか、存続確認のためのテストとか、物理現象や物質化現象に関するものしか読もうとしない。もっと大きな霊的宇宙哲学や、霊的原理に関するものは、ほとんど彼らの目にはとまらない。

 理由はと言えば、それは至って簡単である。まず第一に、もともとスピリチュアリズムの書物は一般の実用書ほど売れるものではなく、一般書店での出回り方がたいてい限られている。

どんなに立派な本でもたいてい初版だけで、すぐ絶版となる。従って深く知りたい人は図書館へ行って探すしかない。そんな状態であるから、一般の人にとっては事実上存在しないのと同じことになる。

 次に考えられる理由は、スピリチュアリズムは現在までのところ科学的にも哲学的にも、他の学問の様な組織的にまとまったものとなっておらず、したがって学校のような大きな教育施設で学課として教えたり勉強を勧めたりすることが出来ないということである。

これはやむを得ないことかも知れない。と言うのは、教育機関は基礎知識を教えるところであり、もっと生活の実用性につながったものを教えるのが本来の使命だからである。スピリチュアリズムとか各種の宗教が説くような奥の深い、人生の根幹にかかわるような命題は、大学卒業後にでも考察すれば良い問題かもしれない。

 スピリチュアリズム関係の書物は学校の書棚には見当たらないし、公立図書館は無論のこと、私設の図書館でさえ目立った存在ではない。当然の結果として、一般の学生はその種の本とは殆ど出会うことが無い。

せいぜい学生や一般読者が手にする知識と言えば、心霊関係の雑誌や新聞からかき集めた断片的な知識であり、そうした記事は現象的な面に関するものばかりであるから、

そう言うものにしか触れていない読者は、スピリチュアリズムというのは心霊現象のことであって、人生にとって深刻な意味を持つ哲学的な要素はまるで無いという印象を抱いてしまう。


 一九六五年現在、ワシントンの国会図書館にはスピリチュアリズムの思想を扱った書物がかなり置いてある。スピリチュアリズムという項目のところだけで八五〇冊は下らない。

心霊研究の項目はまた別にあり、これまた、数多く置いてある。J・A・ヒルの『スピリチュアリズムの歴史』によると、ロンドン・スピリチュアリスト連盟の図書館には三〇〇〇冊のスピリチュアリズム関係の著書が置いてあるという。

大英博物館に置いてあるのは、その多くがワシントンの国会図書館のものと同じである。それらは合衆国内の大きな公立図書館ならたいてい置いてあり、最近のものなら。小さな図書館や書店でも手に入る。

 もっともこれらの多くは図書館の片隅に眠っていたり、絶版となっているものもあるが、その中にはスピリチュアリズムの思想を扱った貴重なものが含まれている。

それらを繙けば、長年人類の頭脳を悩ませてきた重大な哲学的課題についての素晴らしい知識や見事な解答を見出すであろう。同時に、余り価値のない、保存しておく必要の無いものも確かにある。が、やはりそう言うものも保存しておく必要はあろう。

というのは、図書館というところは記録の貯蔵所であって、価値判断を下すところではないからである。

一人の人間にとって無価値なものでも、別の人間にとっては大変な意味を持つことだってあり得る。さらには、良いものと一緒につまらぬものを置いてあるということは、理性的な研究と鑑識眼を養う場を提供することでもあり、自分の能力を駆使したという自信を生むことにもつながる。

 スピリチュアリズムにとって今もっとも望まれていることは、そうしたスピリチュアリズムの宝の山を渉猟し、良いものを選り抜いて、それをしっかりとした哲学体系にまとめることである。このまま放置されて埋もれてしまってはもったいないものが少なくないのである。

最近、過去に活躍した人物やその著作が、歴史的観点からまとめたものが出ているようであるが、そうしたスピリチュアリズムの歴史や伝記───その数は知れているが───は、現象面や人物本位のものがほとんどで、残念ながら思想的産物や業績を扱ったものではない。

必要なのは、過去のスピリチュアリズムの哲学的産物に世間の注目を向けさせることであって、人物を称揚することではない。

 本書は徹底的にその視点から書かれたものである。スピリチュアリズムの現象面と人物にも十分の配慮をしたうえで、それ以上に、思想的産物とその意味するところを指摘するよう努めた。そのために、可能な限り原典からの抜粋と引用を使用した。

読者にとっては、私自身が駄文を弄するよりは、霊的チャンネルを通じて得られた霊界通信や著作の原典に接する方が当然その楽しみも違うだろうと考えたからである。



   

 第二章 A・J デービスの調和哲学

 A・Jデービスは調和哲学 Harmonial Philosophy を唱道したアメリカの霊能者であるが、実質的な意味ではスピリチュアリズムの先駆者といえる人である。

つまり一八四八年のフォックス家事件を発端として起こったスピリチュアリズム思想とまったく同じことを、彼はそれ以前から〝調和哲学〟の名で説き、その後一九一〇年に他界するまで、スピリチュアリズムの普及活動に著作、講演、実験等を通じて寄与した。

したがって当時のスピリチュアリズムにはデービスの人間性と仕事の上での影響が色濃く残っており、今日にも及んでいる。その間の著作数は三十三冊にも及び、中でも 『大自然の啓示』 はフォックス家事件の二年前すなわち、一八四六年に出版されて以来、実に四〇版を重ねている。

 ところで、書き出しのところで、デービスはアメリカの霊能者だと述べたが、厳密な意味では今日いうところの霊能者とは少し毛色が違っていたことに注意しなくてはならない。

 どういうことかと言うと、普通霊能者とか霊媒とかいうのは霊魂の指導によって霊能を使用し、霊界と人間界との中継をする人、言ってみればラジオの受信装置のような役目をする人を意味し、立場からいえば極めて消極的な立場におかれているわけである。

 デービスの場合はそれとは異なり、自分で霊能を発揮して、いわば霊界人とまったく同じ立場になりきって霊界を見物し真理を摂取したのであった。つまりスピリットからの手助けは一切受けなかったということである。

霊能開眼の初期の段階では催眠術者に入神状態へ導いてもらったが、やがてそれも自分で出来るようになり、以後全て自分でやるようになった。


 前に述べた三三冊の著作というのは全部デービス自身の作品であって、いわゆる霊界通信ではない。

 デービスの霊能はその後経験を積むに従ってますます顕著なものとなり、次第に通常能力つまり目で見たり耳で聞いたりする能力とまったく同じ状態まで達し、わざわざ入神しなくても通常意識のままで霊能を使用することができるようになった。霊視能力などはほとんど即座に発揮できたという。

 そう言った状態をデービス自身は〝超越状態〟Superior Condition と呼び、人類が進化しきった時に到達する、ごく自然な状態と説いている。その著 『偉大なる調和』 The Great Harmonia の中ではこう説明している。


 「超越状態とは、あらゆる霊能を開発しあらゆる動物的本能から解脱した真の自我が、霊界の生活者と実在の根源と摂理との直接の接触にあずかる状態をいう。

その状態に入るには人体の磁力を利用して誘導してもらう場合もあるし、自力で入る場合もあるが、いずれにしても体験を積まないと培われない。

つまり自我というのは肉体に宿っていても肉体から離れていても、地上にいても霊界にいても、体験というものを通じて学び、そして発達していくものなのである。

 こうした超越状態にまで達した人は歴史に名を留めている人だけでも決して少なくない。イエス・キリスト、などはその最たる例であろう。その素朴さ、その清純さ、その優しさ、その叡智、その予言能力、その融通無碍な説法、無理のないその成長ぶりがイエスの霊格の高さを如実に物語っている。スエーデンの霊能者スエーデンボルグもまた然りである。


 私の二〇歳の時の著作 『大自然の摂理とその啓示』 と 『人類に告ぐ』 はともにこの超越状態で書いたものである。あれだけのものをこの若さで著わすことができたのは、言うまでもなく優れた助力者がいてくれたからである。


私自身の生来の霊的素質もさることながら、もしもその開発のために良き刺激と指導とを与えてくれた助力者と恵まれた環境とがなかったならば、いくら若くても二〇という年齢までに、あれほどの仕事を残すことはおそらく不可能であったろう。

 そうした好条件と、食生活及び習慣についての細かい注意のお陰で、私の霊能は日に日に、いや時々刻々と開発、成長していったのである」

 これで分かる様に、デービスの著作は俗にいう霊的産物、つまり霊魂が書いたという意味での霊的産物ではない。したがって自動書記の産物などとはまったく異なった観点から読まれるべき性質のものであるが、それが今日もなおスピリチュアリズムと同じ範疇に入れられているのは、その扱うところのテーマがスピリチュアリズムのテーマと一致し、その説くところが、スピリチュアリズムの哲学と死後存続の証明の土台となったからである。

そういうわけでデービスの著作はその後のスピリチュアリズム運動の基礎となり、今日でもなおそう見なされている。

 では、これからデービスの生涯をその生い立ちから辿りながら、デービス独特の霊的産物をじかに検討してみることにする。


 デービスは一八二六年ニューヨークのオレンジ郡にあるブルーミングローブという小さな町に生まれた。家が貧しかったために子供の頃はほとんど教育らしい教育は受けていない。自叙伝によると正味二、三週間にも満たないだろうという。

 デービスの幼少時代は例のメスメリズムの創始者であるアントン・メスメル Anton Mesmer が人体磁気の研究を発表してヨーロッパ中に大きな反響を呼んだ時代で、その余波が海を渡ってデービスの住む小さな田舎町まで及んできた。

そして一八四三年すなわちデービスが十七歳の時、パキプシーという近くの小さな市で生体磁気(動物磁気)の講演会が開かれ、合わせて催眠術の実験も行われた。デービスはこの会に出席して興味を覚え、その後やって来た別の催眠術師には実際に催眠術を施してもらった。

すると他の連中と違って、催眠状態のデービスは素晴らしい透視能力を見せ、両眼に包帯をしても新聞が読めるばかりではなく、周りで見物している人の胸の中にある悩みごとまでぴたりと言い当てることもできた。 

 施術者の興味も手伝って、そんな実験を半月ばかり続けているうちに、デービスの能力はますます鋭くかつ広くなり、人間や動物といった生き物の心だけでなく、自然界のあらゆる物体の心が絵画となって映じるようになってきた。その時の様子を 『魔法の杖』 The Magic Staff と題する自叙伝の中で次のように述べている。

 「私の目には何だか地球全体が、そこに生活している人もろともに、一度に天界の楽園に早変わりしてしまったように映った、さらに二、三分もすると、今度はその部屋にいる人たちの姿がことごとく光に包まれて見えるようになり、続いてその磁気光を発している内部の様子まで見えてきた。

肝臓、脾臓、心臓、肺、はては脳までが手にとるように見えるのである。その時の私にとって人体はまるで透明なガラスで出来ているのと同じであった。各臓器の形や大きさはその発する光の強度によって容易に判断が付いた。

 その光景を見て譬えようのない感歎の念を禁じ得なかったことを今でもはっきりと覚えているが、その時の私は深い催眠状態にあり、物を言う機能がマヒしていたので、そのよろこびを口にすることも出来ず、光景を物語ることもしなかった。が、

ともかくも、このようにして私は人体の構造を直接見たばかりではなく、内在する生命力の根源まで目のあたりにしたのであった。

 それだけではない。私の視野はさらに広がり、今度は椅子とかテーブルの原子までが見え始めたのである。こうした視力を何と呼ぶべきか知らないが、かりに心眼と呼ぶとすれば、その心眼によって私は大自然の実在を見透かしたのである。


むろん生まれて初めて、しかも簡単に接したのである。実在にじかに接すること、これこそ高尚にして不変の霊的つながりの根本原理である。

 植物の成分や本性もはっきりと見透すことが出来た。野生の花の一本一本の繊維、原子の一つ一つがそれ独自の光を発していた。その組織の間をぬって生き生きとした生命が流れながら活動している様子が見えた。

森や丘や野原の木々も生命と活力に満ち、各々の進化の程度に相当した色と輝きを見せていた。私には地球上のあらゆる植物の生育場所、成分、性質、用途までが判るように思えた」


 こうして急速に透視能力が発達してくるとデービスは、催眠術師と相談の上で、その能力をただの見世物や実験の材料にするのをやめて、病気の治療と診察に使うことにした。

そしてやがてそのための治療所が設立され、予期した通りの成績を収めた。一年もするとデービスの名はパキプシー市一帯に広がり、人々から〝パキプシーの予言者〟と呼ばれて崇められるようになった。

 が、その仕事を一年ほども続けるうちに、デービスは自分の能力が又新たな変化を見せ始めたことに気づいてきた。変化というのは、催眠状態で一場の説教をすることが二度三度と重なってきたことであった。

 やがて自分の将来の仕事が講演と哲学書の出版であることを霊感ではっきり認識し、さらにその哲学書の出版というのは自分が入神講演したものを書物にまとめることであることを知らされ、引き続いてその仕事の方法や段取りについての細かい連絡を受けたのであった。


 病気の治療や診察と違って、講演にはそれなりの霊的状態が必要で、したがってまずその状態に誘ってくれる術者を新たに求めなくてはならない。さらにまたその状態での自分の講演を筆記してくれる人が要る。

 こうした人選はスムーズに運んだ。新しい術者の役はライアン Dr、Lyon と言う斯道の専門家が引き受けてくれた。本業がようやく繁盛し始めた所であったが、それを敢えて休業にする程の熱の入れようであった。

また筆記者はフィッシュバウ Rev. William Fishbaugh と言う牧師が引き受けてくれた。

 この二人に加えて三人の常任の〝証人〟を用意した。すなわちパーカー Rev. J. N. Parker, ラパムT・A. Lapham 、スミス、Dr.T.L.Smith の三氏である。そして更に非常任の証人として二、三人の人を用意した。 

 こうした入念の準備のもとにようやく入神講演が行われたのであるが、入神したデービスは講演を始めるに先立ち、この仕事による報酬は自分は一切いらないと公言した。


 さて、そうして出来上がった書物は次の三部から成っていた。すなわち 『大自然の摂理』 『大自然の啓示』 『人類に告ぐ』 である。内容はその題が示すように哲学的要素の強いもので、かつてない規模と深さとを持って、顕幽両界にまたがる自然の原理と法則とを説いたものであった。

 第一部の 『大自然の摂理』 は実在界を支配する一般法則を立証し、続いて心と物質を説き、更には物質界における両者の関係と法則にまで及んでいる。


 第二部の 『大自然の啓示』 は物的宇宙とその巨大な動きを司っている原理と法則を説き明かしている。大宇宙がいかにして誕生し、太陽系がいかにして構成されたか。また、物質がいかなる過程を辿って万物の霊長たる人間にまで進化したか、こうした点に焦点が置かれている。


 ことに地球が誕生して数々の地質学的変化を辿りつつ生命を育み、人類という最高の段階まで進化していく、その過程の説明は実に巧みである。

 つまり第二部は、のちにダーウィンやスペンサーなどが発表して注目をあびた進化論をいち早く、それも比較にならない規模のもとに説いていたわけである。太陽系の構成に関するところでも、当時まだ発見されていなかった海王星の存在を指摘している。

 キリスト教についてもかなりのページを割き、その教義を批判し、またバイブルと言うものがいかなる過程を経て編纂されるに至ったかを説明している。

 この第二部の最後の章では死後の世界の存在とその本質を取り扱い、死とは何か、死後の生活と地上の生活にはどの様な因果関係があるのか、また死後の生活形態はどうなっているのか、といった点を説明している。

 第三部の 『人類に告ぐ』 は一種の経済学的ないしは社会学的理論を展開したもので、要するに安定した経済的および社会的基盤のもとに平和な社会を築くには如何にすべきかを教えている。


 さて以上三部からなる啓示録が発刊されるや否や、俄然、大きな反響を呼んだ。当時の知名人、たとえば詩人のロングフェロー、哲学者のエスマン、天文学者のローエル、その他数多くの学者がこぞって本書をはじめとしてその後のデービスの著作を繙き、明らかにその影響を受けている。

 かくして初版はたちまちのうちに売りつくし、あわてて出した重版もアッという間に売れてしまい。かくして重版に次ぐ重版で実に四四版という記録的な版を重ねた。そして今日もなお売れているのである。(訳者注──最近では絶版となり古本しか手に入らない。それも途方もない値が付いている)


 この三部作を読むに際して前もって理解しておくべきことが一つある。それはつまりデービスがいかなる方法でこの啓示を受けたかという、その方法ないし過程の問題である。

 これは当然のことながら当時でも問題とされたらしく、デービス自身もその説明に相当苦心している。一般の人にとってその正しい理解が困難であることはデービス自身も良く承知していたのである。

 デービスの説明によれば啓示を受けていた時の入神状態は生体磁気と生体電気とによって誘導されたもので、施術者であるライアン博士から発した電気と磁気がデービスの身体に流れ込むと、デービスの身体は完全に博士の支配下に置かれ、博士の思い通りに動くようになる。それはちょうど自分の手足が自分の意思どおりに動くのと同じである。

 かくてデービスの身体は事実上ライアン博士の意念によってその機能を営むようになる。その間にデービス自身は肉体から抜け出て次元の一段高い世界、つまり死後の世界へと入って行く。その時の様子を第一部 「大自然の摂理」 から抜粋してみよう。


 『大自然の摂理』
 「肉体から離れると私の精神は肉体機能の働きを受けなくなり、ただ一本の細かい磁気性の紐によって繋がっているだけである。(この紐があるからこそ肉体に戻れるのである)その状態に入った私は外部の事情を宇宙に瀰漫する一種のエーテルを媒介として感識するようになる。

そのエーテルは思想と思想、心と心、時間と永遠とをつなぐ懸橋のようなもので、私が思想をキャッチし事物を感識する時は必ずこれを媒介としている。

なお断っておくが、私が霊界人の存在を感知する時もこのエーテルを媒介としたのであるが、その時、思想的にも感性的にも霊界人の方から直接の影響は受けなかった。

私が思想や真理を入手する時は、言ってみれば霊界へチャンネルを切り替えるようなことをするのであって、地上のように距離とか空間といった〝間隔〟の要素はまるで無かった。」
 この点を更に次のように説明している。



 「私が独自の霊視状態に入った時、別に私に助言者とか指導霊が付くわけでなく、自分が求めるものの実体を直接入手する。が、その状態下で見る事物の本体は普通に想像されているものとはいささか異なっている。よく観察するとその界全域にわたって独自の連結機構のようなものが行きわたっていることがわかる。

 さて肉体から抜け出ると、私の目の前に一枚のベールが降ろされたように、地上のあらゆる存在物が見えなくなる。と同時に、代わって今度は明るい光に輝く第二界が眼前に広がる。

この光こそ霊界での感識と連結の媒介物であり、これが全域に広がって、地球がしっかり球形を保っているように、第二界全体を一つにまとめ上げているのである。

 〝汝らすべて真理を得ん〟───この言葉はこの第二界のことをいったのであろう。なんとなれば、この世界に来て初めて存在の実相が分かるからである。われわれ人間が地上で〝目に見えぬもの〟と呼んでいる実存の姿、あらゆる〝結果〟の〝原因〟ないしは〝根源〟が手に取るように知れるのである。そうして、その知識こそがわれわれを自由にしてくれるのである。

 が、この世界で私が真理を入手する要領を〝言語〟によって説明することはとても不可能である。言語には限度がある。とは言え、可能な限りの言葉を使用してみる以外にない。

さきに述べたように、この界での私は霊界人から知識を入手するのではない。宇宙の大精神すなわち〝神〟が生みたまい、あらゆる実在界に行き渡っている〝真理の法則〟のおかげである。これによって真理が精神に引きよせられ吸収されるのである。


 こうして言語では無理と述べながらも、啓示の入手方法について精一杯の説明をしたのち、デービスは第一部〝大自然の摂理〟で独自の思想を説いていく。その表題通り、第一部の目的は大自然の背後に潜む第一原理つまり物と心とを操る根本法則を確立することにあった。


 デービスは得意の霊視能力を駆使して有機物、無機物の別なくあらゆる物質を観察し、その結果まず第一にその二重性を指摘した。即ち全ての物質は有機無機の別を問わず、みな内と外との二つの部分からなりたっている。〝外〟とは日頃われわれが目にする物質のことであり、〝内〟とは〝外〟を支えている生きた実態、霊的な本体をさす。

 この二つの部分はスピノザ哲学で説くような、一方が他方の付属物のような関係にあるのではなく、それぞれ独自の存在を有しながら、物質界にある間は絶対不可分の関係にある。

言い換えれば、理論的に分析すると二つに分かれるが、事実上は分離できない関係にあるというのである。したがって、積極性を持つ内部の〝心〟は外部の物質と同じく〝実質〟を有するものであり、物質というカラの中で徐々に成長を遂げつつあるのである。

 要するに全て物体は本質的には二重性を持ち、厳とした組織を有する内部生命と、それを包む物質とから成っていると説くのである。

 さらにデービスはこの二つの部分の関係について、内部の実体は常に外部の物質に優先し、行動も成長も能力も全てその根源は内部の〝心〟に発していて、物質はそれに対して反応を示すに過ぎないと強調する。

 だが実はデービスのいう二重性は現象界における存在形態について述べた原理であって、実在の本質について述べたものでないことに留意しなくてはならない。

 デービスは実在の本質は〝霊〟であると説く。その点では一元論なのである。

 しかしこの〝霊〟という言葉はとかく実体のない抽象的な印象を与えるので、デービスはその実在性あるいは客観性を強調するために敢えて〝霊も物質である〟と表現するのである。が、これを物質すなわち霊であると受け取ってはならない。デービスの主張によれば、物質の根源は霊である。言い換えれば物質は霊の一現象である。その意味で霊も物質であるというのである。

 実をいうと、こうした説明はのちになって出されたのであって、前述の三部作の中では明確に説明されていない。というのも、実はこの書はいわゆる破邪と顕正の立場から、まず当時広く行われていた神学的ないしは抽象的な実在論を打ち砕くことに第一の目的があったのである。

デービスが語気を強めて実在の実質性を説き、あえて〝物質〟という用語を使用したのも、そうした目的があったからに外ならない。


 繰り返して言うが、デービスは実在論に関する限り、あくまで一元論者であり、物質はその一元たる〝霊〟の一現象に過ぎないと主張する。この点をその後の著作の中で次にように述べている。

 「従って霊こそ有形物の根源的素材である。言い換えれば〝形体〟を有するものを根源において支えているのはこの〝霊〟なのである。物質はその霊の表現の中でも最も表面的で、しかも最も鈍重なる現象である。真の意味での存在が認識できるのは純粋なる霊においてのみである。つまり純粋なる霊は自己を意識した存在なのである。」 (Views of our Heavenly Home

  こうして見るとデービスは実在の究極的本質に関する限りは一元論者であり唯心論者であるが、その一元が顕現した現実の存在形態に関しては二元論者であり現象論者であるということになる。

 しかし正直に言って、その心と物質との関係を取り扱った第一部は三部作の中でも一番未熟で、説き足らぬ面が非常に多い。これは多分デービス自身がそういった問題に関しては全くの素人であることと、入神講演そのものにおいても未熟であったことにもよるであろう。

 注意して読むと、デービス自身は自分の言いたいことを明確に認識していながら、それをどう表現すべきかに苦心している様子が窺えるのである。が、そうした不明瞭さ、ぎこちなさも、講演が進行するにつれて急速に消えて行き、他の二部及び三部では文体も主題もしっかりとしている。

 中でも第二部の 『大自然の啓示』 は三部作の中でも主要部を占めるもので、内容的にも破天荒と言ってよい要素を数多く含んでいる。大自然の機構を哲学的に解明せんとしたもので、物的宇宙の誕生から説き起こしてその形成過程を述べ、さらに物的宇宙創造のそもそもの目的と意識まで説き及んでいる。

 その中で太陽系の誕生にも触れ、特に太陽をはじめとする個々の惑星の形成過程を詳しく述べ、さらに太陽系全体を支配している原理と法則を説明している。続いて主題はわれわれの住む地球に移る。

 まず無生物が生物へと進化していく過程を説明し、続いてその生物の第一歩として海中に発生した単細胞の原生動物が徐々に進化して最後に人間となって行く様子を説明する。


 すでに述べた通り、このデービスの進化説はダーウィンやウォーレス、あるいはスペンサーなどより数年も早く説かれたものであり、しかもどの進化論よりも明確である。三人のうち心霊学者でもあったウォーレスの説は当然デービスの説と符節を合し、ダーウィンやスペンサーのそれとは根本的に異なっている。

 この第二部を読んで特に感心することは、学歴も学識もないはずのデービスが、この書の中では科学と哲学とに精通しているかの如く思えることである。

地球の生成の各段階を説明するに際しても地学の専門用語を正確に、しかも自信を持って使用し、他の分野に関することでも、まるで専門家のような印象を与えるのである。

生物学しかり。天文学しかり。同様に化学も物理学も完全にマスターしている。そのデービスが普段はほとんど無学に等しく、専門的知識に至ってはゼロに等しかったのである。

     
 ではその第二部の劈頭(へきとう)に述べられているデービスの雄大な宇宙創成説を紹介してみよう。
  
 「天地いまだ分かれざる時、宇宙は人智も言語も絶した液状の火の海であった。その広さ、その高さ、その深さは、いかに想像の翼を広げたとて人間の理解力の届かぬことである。存在するのはただ果てしなく広がる液状の火の海、果てのないものは人智の範囲を超える。

が事実、果てが無いのだ。その内容、本質も人智の理解を絶する。それは物質の原始形態なのである。

 それには個別的形態がない。全体が一つだからだ。個別の動きがない。永遠の動きの中に没入しているからだ。部分的存在が無い。全体が一つとなっているからだ。分子も存在しない。全体が一つの分子なのだ。太陽も存在しない。全体が永遠の太陽的存在だからだ。

 初めというものがない、従って終わりも無い。長さも無い、無限のうずを形成しているからだ。相対的な力というものが存在しない。それ自体があらゆる力のエッセンスだからだ。計り知れぬ底力を秘めた全能の力というべき存在なのである。

 その全能の力こそ大宇宙の根源力すなわち〝神〟なのである。そして、それが永遠の〝動き〟となって発展したのがこの宇宙なのだ。まさに“〝物〟と〝動き〟こそ宇宙の根源的条件なのである。(Nature,s Divine Revelations)

 その液状の火の固まりが熱と光と電気とを次々に発しながら物的宇宙空間に広がり、やがて凝結して数知れぬ天体組織となったと言うのである。デービスは続けて言う。

 この宇宙の大中心すなわち大太陽は、その斥力によって引きも切らず物質の発展現象である熱と光とを発散し、更にその熱と光とが反応し合い化合しあって天体の構成に恰好な原料を供給していった。そしてその原料が最後には星雲となり、無限の宇宙空間に広がっていったのである。

つまり斥力と引力と凝結の原理に従った絶え間ない〝動き〟と〝発展力〟とが数知れぬ天体を構成して行ったのである。

 暫くして出来上った天体は大中心から分かれたばかりの火焔的存在で、いまだ凝結の段階に至っていない太陽の如き存在であった」(同前)


 こうして無形の原始宇宙はみずからの発展と凝縮の作用によって六大星雲を構成していった、とデービスは述べる。そしてその一つ一つが更に無数の天体を抱えつつ、大中心の周りを回転し始めた。

 デービスによれば、吾々の太陽は大中心に近い順に数えて五番目の星雲に属していると言う。すると第六番目の星雲が物的宇宙の一番外側を回転している事になるが、その星雲はまだ十分凝結しきっておらず、一種の彗星のような状態にあると言う。

 さて続いてデービスは地球の属している小規模の太陽系の誕生について述べている。宇宙的規模の大型太陽系の誕生は今述べた通りであるが、実はわれわれの太陽系も似たような経緯を辿って出来ていったのである。

すなわち、まず太陽が誕生した。が当時の太陽は現在一番遠くにある惑星が位置する範囲まで火焔の枝を伸ばしていた。それが時の経過と共に凝縮し冷却して今日の惑星となったと言う。


 惑星の数については「八個の存在についてはほぼ疑問の余地はない。しかし、まだ八番目と九番目は太陽系に属する〝天体〟とは認められない」と述べているが、これは八番目の天体すなわち海王星の存在が認められる前のことである。同書の脚注のところに次のような記述がある。

 「自分の啓示では一八四六年三月の記録の中にすでに八番目と九番目の惑星の存在について述べた箇所がある。ル・ベリエ Le Verrierが数学的理論によってその存在を予言する数ヶ月前のことである。八番目の海王星が実際に観測されたのは一八四八年の九月のことである」

 九番目の冥王星はデービスによれば彗星上の存在で、まだ本格的な惑星と言える段階に至っていないと言う。

 さて次に問題となるのは、そうした惑星上における生命の存在であるが、デービスによれば天・海・冥の三つを除く残りの惑星には、みな人類に似た生命が存在し、その進化の程度は太陽から遠いものほど発達しているという。そのわけは、重力の関係で分子の細かいものほど遠く離れ、鈍重なものが近くに残る。従って太陽から遠く離れた天体ほどその構成要素が純化されている。したがってそこの生命もそれだけ進化していることになる。

同じ理屈で、太陽に近いものほど物質が鈍重なために進化が遅れているというわけである。

 では、それぞれの天体上ではいかなる生活が営まれているのであろうか。デービスによれば土星の人間が一番発達しているという。

 「土星には地球が誕生する何千年も前に有機的生命が発達していた。従って進化の程度もそれだけ高い。肉体的にも精神的にも土星人はすっかり完成されている。

幅の広い強力な知性によって支配されているために、すべての面で思慮分別がいき届き、精神上の弱点も身体的な病も存在しないほどまでに至っている。土星人の頭部は非常に高くかつ長い。


 その帰納的知力と総合的な探究心は飽く事を知らない。思考方法はやはり帰納的推理による。つまり外部の形態あるいは結果から原理を探り、その原理を手がかりとして現象を分析する。その強力な知性の前にはいかなる難問もひとたまりもない。

 その言わば望遠鏡的視野を持って、土星人は太陽と土星との間の天体について実に細かく観測しており、さらにその天体上の生活者の事情にも通じている。彼らにとって宇宙を探ることは地球人が太陽系を探ると同じで、最早単なる好奇心の域を脱している。

 洞察力が実にすばらしい。すべてを一瞥のもとに観察し、しかも〝存在は全て善なり〟の精神で接する。その精神的成長程度は太陽系の他のいかなる天体上の人格者も遠く及ばない。彼等はすでに第二界の事情にも通じている。心の実在以外は感知しないのである。

 つまり土星人は身体的にも精神的にも又道徳的にも、すでに完成の域に達しているのである。」(同前)


 こうした調子で太陽系上の他の天体とその生活者を紹介したのち、デービスはいよいよ地球にスポットライトをあて、その形成の過程から年齢、地殻の変動、無生物から生物への発達の様子、動物の出現、そしてそれが人間へと進化していく過程を述べ、

続いて南西アジアにおける人類誕生の様子を説明し、さらにその後地球に大変動が起きてヨーロッパとメキシコとの間にあった大陸が海中に没し、大多数の人間が死亡した時の様子を物語っている。

  無生物から生物への進化については、デービスは自然発生説を主張する。すなわち無生物にはそれ自身の中にその後の進化の可能性の全てが宿されていて、ちょうど植物の種が自然に芽を出し葉を付けていくように、自然に生命へと進化してきたのだという。


 「自然界には地球の表面及び内部における生命の発達進化に必要なエネルギーが当初から宿されている。その進化の第一原理は〝静〟から〝動〟への変化すなわち〝活動〟であった。その活動がまず鉱物界に起こり、その発展が生命現象を生んでいったのである。」(同前)


 最初の生命が発生するに至った過程の具体的説明はその後の大著「偉大なる調和」The Great Harmonia の第五巻「思索する者」The Thinker に詳しく出ている。

その大要はドイツの自然哲学者ヘッケル Haeckel の説と同じで、生命は海の底から発生したと説くのであるが、むろんヘッケルの説を借りたわけではない。デービスは次の様に独自の説を展開する。

 「太陽から独立したばかりの揺藍期から十代に相当する段階に至って、地球がようやくその本来の形態を備えたころ、表面では早くも生命の生成と育成の為に土と空気と火と水の四大要素が準備されつつあった。炭素が地球全体に行き亘り、一方僅かばかりではあったが酸素が現在の成分に近いものを構成しつつあった。

 ミカゲ石に含まれている石英───酸素と珪素の完全成る結晶である───当時これが炭素の成分の極度に凝縮された石灰石と化合した。するとそこに磁気熱が発生し、それに大気と水に含まれている親和力の強い成分が作用して、ゼラチン質の物質が出来た。

それが海底のある部分や当時やっと頂上を海面にのぞかせていた山々に拡散された。その電磁気性のゼラチン物質の中に有機的生命の最初の種子が宿されていたのである。

 想像を絶する永い永い無生物時代にようやく別れを告げ、その温床から次々と新しい生命が発生していくのである」(The Thinker

 さらにその発生の様子を次のように語る。

 「荒波は固形物を破壊し摩滅させ、粉々に打ち砕いて四方へ運び、それが今日われわれが耕すような土壌となっていった。つまり耕作できる土壌も元は岩石だったのである。そしてその岩石にはあらゆるものを生み出す六四種の基礎物質が含まれていた。がここで一つ新しい要素が加わる。すなわち太陽熱である。

 太陽熱は一種の磁気である。その熱が地球の水分に作用して一種の酸を発する。酸は陽で有り、従って〝陰〟であるところのアルカリを引き寄せる。

依って前に述べた陰陽両極間に二種の活力───植物性生命力───が存在することになり、それが地球の原始時代に適当な分子に働きかけては原始植物を生み、且つその成長を促進していったのである。

 要するに私の言わんとするところは、太陽の磁気熱が地上で最も大切な物質である水に作用して酸───陽性───を生みその酸が海中資源からアルカリ成分───陰性───を吸収し、その両者が働き合って海藻その他数々の原始的雑草類の胚種を生成した、と理解していただければよい。」(同前)


 このようにしてデービスの説明は植物界並びに動物界の進化を原始的段階から辿ってきて、最後の人類直系の先祖に至る。デービスは、人類は現存するサルの中のどの種から進化したものでもなく、一種の猿人ですでに絶滅したある特殊な種族から進化したものだという。

 これはその後の科学が到達した結論と同じで、結局デービスの言う人類の先祖はハイデルベルク人、ネアンデルタール人、あるいはジャワ原人などに似たものをさすようである。

(現著者注───ハイデルベルク人、ネアンデルタール人、及びジャワ原人は最近の人類学上の発見であって、デービスは当時まだ学問上の文献からは何一つ知る由も無かった点に類意すべきである)デービスは言う。


 「ここで私はいよいよ人類の幾種類かの原始種族を明確に列証する段階に来た。私はこれには特に念を入れ一貫して述べたいと思う。同時に又、他の創造物よりも細かく説明するつもりである。」
(Nature,s Divine Revelations)こう述べてからその原始種族を次々と説明しているが、その一つを紹介してみよう。

 「この動物の頭部の形はそれ以前の種族と大いに異なっている。脳は小さいが複雑になっており、従って感受性も強い。が肌色は変わっておらず、頭髪も体毛も同じである。長くて不格好な四肢は相変わらずであり、太くて短い胴体もそのままである。

この種の動物の何種類かがアジアとアフリカに生息していた。動物であるから外界の影響に対して非常に敏感であった。その鋭敏さは当時の他のいかなる動物にも勝っていた。体格が大きく意念が強烈で、情欲も激しかった。

 この動物は形からいっても大きさからいっても、今日地上に生息している動物に比べればまさに〝巨人〟であって、事実地上のどこを探しても、似たような格好をした動物でこれ以上大きいものは見当たらない。

 が、僅かながらでも知的営みを見せたのもこの種族が最初であった。体形上、仲間に意思を伝えるために明瞭な音声を使用するのが便利なように出来ていた。その音声はノドから出たのであるが、当時はまだ音声も舌も発声器官として使えるまで発達していなかった。

 この種族は他の種族に比べてその習性や性癖がかなり異なっていた。自分たちの住居の構造をあれこれ考えだすこともできた。また、穴居(ケッキョ)生活もよくしている。ともかく他の動物に悩まされることのない生活がほぼ一千年近く続いた。」

 そして人間特有の性質をホンの僅かながらも見せ始めたのがこの種族にとって代った種族であった。それがジャロフ Jalofs とマンディンゴー Mandingoes の二つの原始種族であって、ほぼ八百年間、何の変化を見せることなく生息した。

 その後新しい、そしてより完全な種族が発生したのは、それまでの古い環境条件が崩れてからのことであって、その時点から新しい系統の創造がはじまり、その中でも一ばん高等なものが今日の人類に見られる型へと進化していくことになる。

 この時期までの植物の成長は比較的不完全で限界があったが、その後は地球の至る所が肥沃となり、地球もようやく緑の美しさに満ち満ちてきた。その繁茂ぶりはかつてなかったほどの拡がりを見せ、数々のデリケートな種類の植物が新しく生まれた。地球全体が肥沃となり、特に東洋の国々は今日見るよりはるかに美しく且つ荘観であった。

 下等動物の不完全さから抜け切った新しい人種が創造されたのは、実にこの時期であった。この時期こそまさに人類が動物的段階から人間への劇的な進化を遂げた時期といってよい。その時の種族こそが真の意味で〝人間〟と呼ばれるにふさわしい種族であった。

 この種族がまず住み着いたのが今日トルコと呼ばれているアジアの一部で、その範囲はチグリス及びユーフラテス川流域にまで広がっていた。

 すでに述べたように、それより下等な種族ならアフリカの幾つかの地域で見られたが、しかしその進化の程度は同じ地域のネコ科の動物や哺乳動物にも比べられるほどの低さであった。従って真の意味での人類と呼べるものが地上で最初に住んだのがアジアの辺境および中部であった。


 この種族は体格が大きく、その骨組の密度が高いだけに体力もあり、動作はその特有な身体の構造によって特徴づけられていた。脊椎も完全に発達していた。ただ四肢だけはホッソリとして未完成であり、弓なりに湾曲している点は前の種族に似ていた。」(同前)


 ここで一つだけ特に注意を促したいことは、デービスの進化説と一般に受け入れられている進化論との間に重大な相違点があることである。

何かというと、両者とも人間は動物から進化しているといっているが、一般進化論が〝それ故に人間は進化した動物に過ぎない〟とするに対し、デービスは〝それはあくまでも身体上もしくは器官に限っての話であって、人間の本性つまりは精神は動物から進化したものではない〟と述べ、さらに次のように説くのである。

 つまり人間の精神は脳とは別個の存在であり、また動物的知能や本能とも異なる。それはまったく系統の異なる新しい進化律をへて胎児の脳に導入されるもので、要するに動物の知能とは根本の性質において同じであっても、発達の段階と系統がまったく異なるものである。

宇宙間のあらゆる力は霊的エネルギーの顕現であるが、人間の精神はその中でも最高の表現であって、これは人間以下の動物には宿れなかった。そのわけは要するに、それを表現する機能を持たないということである。

 デービスによれば、人間は霊的存在として肉体に宿る以前から存在し、誕生の十二週間前に胎児の脳に宿る。したがって脳はそうやって霊が宿って一個の個性が発揮できるだけの十二分な発達を遂げていなくてはならないわけである。

 この説からすれば、当然人類の進化史上のある段階において、まだ動物的段階にある両親の間にできた胎児に人間の霊が宿り、その胎児は出生後人間としての発育を遂げ、一方両親は依然として動物の段階に留った。というケースがあったわけである。
p48
 最近の学界における進化論の歩みを知る者なら、デービスのこの説が次第に頭角を現しつつあること、そしてまたいずれはこの説が定説として認められる日も遠くないことを感じるであろう。


 現に新しい種というものは連綿とした進化の過程の中から生まれるのではなく、一足跳びの進化、あるいいは突然変異などによって、突如として生じるものであることは今日の学界の認めるところである。

それをデービスは内部から、つまり霊界から新しい種の要素が注入されて、それが肉体上の変化となって現れるのだと説明する。そうすると結局進化とは内部からの知的エネルギーの一現象と見なくてはならないことになる。

 さてこうして人類の初期の先祖について語ったあとデービスは、その後人類が幾世紀にもわたって辿った発達のあとと、その頃の生活の様子を述べている。

 それによると人類はその間に地球上の大部分を移住して歩いている、またもっとも発達した人類の一つが中央アメリカとメキシコの辺りに定住している。当時の地形は現在とは大いに異なり、英米両国は共にその北部がすっかり海中に没していた。

オーストラリア地域も同様で、またアジアは細長い陸地によって北アメリカ大陸につながっていた。

 「従ってアジアの住民はそうした陸地づたいに行けば、現在ユカタンと呼ばれている中米の地域にまでも行くことが出来たのである。当時孤立していた一民族がそうした陸地づたいにアメリカ大陸まで足を伸ばした。これが今日までいろいろと議論されてきた。アメリカインディアンの起源である。」(同前)


 デービスはそう述べてから、今度は地球の陸地の大部分が海中に没して人類の大部分が死滅した地殻の大変動の様子を物語る。バイブルに出てくるノアの洪水の伝説はこれを指しているという。



 「地球の中心部を構成する溶岩が想像を絶する活動を開始したのは、地球の内部と外部の釣り合いが崩れたためであった。それ以前にも同じようなことがあったが、アンデス、ベスビアスその他の活火山も溶岩のはけ口としてはとても間に合わず釣合はついに回復しなかった。

轟々たる爆音が地球のはらわたまで響き渡り、地球はもろに揺れ動いた。火焔が、噴煙が、濃霧が、そして大雨が全地球を被いつくした。今日、東半球・西半球と呼ばれている両地域の中間に位置する部分の種族はこの時に殆ど全滅した。

かろうじて生き残った者も恐怖のあまり意識不明のまま死人のような状態で倒れていた。その阿鼻叫喚(アビキュウカン)の惨状はとても限りある原語ではつくせない。

 この地球の不均衡状態が正常に戻るのに三日かかった。その最後の段階において、地球の北部が隆起し、その勢いで、それまで乾燥していた低地へ海水がどっと流れ込み、新しい大洋や海溝、湖、湾、河川が一挙に出来上った。今日地図で見る通りの地形がそれである。」(同前)


 ところで、こうした話を一応信じるとしても、デービスが一体どうやってこの太古の、何の記録も無いはずの出来事を知り得たのか、その根拠はどこにあるのか、と言った疑問が当然出てきそうである。

 その点についてはすでに紹介したデービス自身の説明でもある程度間に合うと思うが、ここでもう少し具体的に解説しておこう。



 デービスが過去の出来事や人物についての情報を得る時は〝霊的印象〟を応用している。これはいわゆる超越状態において宇宙のいわば〝知識の倉庫〟ともいうべきものから取得する方法である。



 人間の体験が脳や潜在意識に印象づけられて二度と消えることがないように、地球が体験した出来事は全部宇宙のエーテルに印象づけられていて、これと接触できる能力さえあればいかなる知識でも入手できるという。

 デービスは超越状態においてある事柄を知りたいと思うと、われわれが普段物事を思い出すのと同じ要領で、すぐにそれに関連した情報がキャッチされるわけである。一方、現在の事実を知る時は〝霊的感識〟によってキャッチする。


(原著者注───霊的感識力と霊的印象力の相違について次のように述べている。「これまでの体験で私は霊的感識力と霊的印象力とを、次の二点で区別すべきであることを知った。一つは前者の方が鋭さの点で劣るということ。もう一つは前者の方には能力的に限界があり、特殊な性格を持つということである。

超越状態に入るとすぐ私の精神は広大な光の世界と結びつく。宇宙に瀰漫する電気にじかに接触すると言ってもよい。
 
これは肉眼にとっての太陽光線と同じで、霊眼にとって感識の媒体となる。譬え話で説明しよう。たとえば、私がロンドンの塔の中の一人物を霊視したいと思ったとしよう。私がそう念じると同時に前頭部の脳から柔らかい透明な光が出る。地上のいかなる光とも似ていない。それが自然界の電気とすばやく融合する。

そしてその瞬間に、こうして書いている部屋からロンドン塔の中の人物が見えてくる。が目標が惑星の一つ───たとえば土星───だったらどうだろう。その場合でも霊的感識力は同じく瞬時にその惑星まで届くであろう。

ちょうど天体望遠鏡がその性能に応じて天体をわれわれの目に大きくして見せてくれるように、霊的感識力はまるで肉眼で窓越しに遠くの景色を見る如く、すぐ近くに惑星を見せてくれるのである。


 が、霊的印象の場合は、前頭部から柔らかい透明な光が出て特定の一地点へ一直線に進むというのではなく、その光が言わば光の固まりとでもいうべきものとなって頭部から二、三フィート上昇し、そこで突如として大光界と融合する。その光はあたかも巨大な太陽から出た光のように、霊界の知識の凝縮体から出る。

その光には私の求める知識が充満している。ありとあらゆる知識が詰め込まれている。それが、ちょうど太陽が惜しみなく地上の物体に光と熱を注ぐように、求めんとする心に惜しみなく流れ込む。私が 『大自然の紳的啓示』 を世に出した時はこの状態下にあった」 The Physician))
 こういった方法で太古の人類および地球の歴史を述べたあと、デービスはその霊能を今度はバイブルとキリスト教の検討に向ける。


 バイブルについてはその起源と根拠、およびそれを構成している各書に細かい批評を加えている。そして結局デービスはバイブルを何の変哲もない一冊の書物に過ぎないと決めつけ、神聖さなどひとかけらもない、単なる〝物語〟として読む価値しかないという。

その物語としての価値も、中には無い方がましといえる、まったく下らぬ書が幾つかあるとまで言っている。

 要するにデービスはバイブルを一冊の有益な書物としての価値は認めても、その価値はごく一般的な意味での価値であって神聖なものとは見ていない。

 次にキリスト教の主な教義についてであるが、いわゆる原罪とか贖罪、永遠の地獄、特別な神の寵愛や偏った懲罰といった考えはみな人間が考え出したものであって、自然界には存在しない。と主張する。

 そして人間はそれみずからの内部に善行と悪業の結果(報い)を宿しているのであって、第三者から与えられるのではない。つまり罪はそれ自体が罰を宿しており、徳はそれ自体の中に報酬を孕んでいる。そして罪は人間の成長とともに消滅していき、一方、徳はいつまでも消えることが無いのだという。

 イエス自身についても詳しく述べている。デービスはイエスをごく当たり前の人間とみなす。しかし同時に素晴らしい人格と驚異的な霊能を具えた一個の人間として満腔の敬意を惜しまない。

 イエスは人類史上まれにみる高潔な人格と高度な霊能を開発した完璧な人間で、その言葉や教訓は正しく理解すれば全面に受け入れられる性質のものであり尊敬に値するが、ただバイブルは必ずしもイエスの言った通りが記録されていないという。次にその説の一部を紹介しよう。


 「さて続いてイエスの誕生から死に至るまでの本当の経歴と、なぜ新約聖書にデタラメが書かれるに至ったか、その原因を述べたいと思う。

 昔ガリラヤのナザレに、あまり名の知られていない平凡な家族が住んでいた。父はヨゼフといい、元気者で、まじめ一方の職人であった。その妻マリアは至っておとなしく気の優しい女であった。その夫婦に一人の男の子───その誕生と生と死について数多くの伝説を生んだ人物───が生まれた。

 その児はイエスと名付けられた。当時イエスという名は時たま見かけたが、あまり好まれる名ではなかった。というのは、太陽の司祭によって崇められ、旧約聖書の第二列王紀の随所に出てくる、あるエジプト神の名を連想させるからであった。

 イエスは身体的にも品があり、頭が良くて、嗜(タシナ)みも垢抜けており、すべてにでき上た人間であった。
 青年時代はその明晰な頭脳と、飽くことを知らない知識欲でみんなの評判であった。また肉体的にあるいは精神的に悩みを抱えた人に純粋な同情を寄せた。
大勢の民衆を前にして、しばしば慰安と教訓の説教を施した。
   
 また説教の中で彼はあくまで当時の用語を使い、また自分が穢(ケガレ)のない純粋なる愛の説教者にすぎないこと、そしてまた、救済と慰安と同情を必要とする者すべての味方であることを明言している。

 私はイエスの全人生、性格、教訓、改革の精神──これがことごとく純粋無垢であったことに、この上もなく心を魅かれるのである。イエスは当時の一般大衆のみじめな状態を歪みのない目で正視し、それを十二分に認識し、正しい真理の通る新しい地上天国が到来する日を心から切望したのであった。

 しかしこうした純粋な心の発露も、やがて偏見によって邪魔されることになる。
 神学者たちは次第にイエスを目の敵にして非難するようになり、やがて捕えられて法廷に引きずり出された。

 裁判といっても尋問のようなことをするわけではなく、ただ一方的に〝平和を乱し既成信仰の慣習と儀式、それにアブラハム、イサク、ヤコブの神々への祈りにケチを付けた〟ときめつけられて死刑を宣された。

 そして他の二人と共にはりつけにされたのであった。磔刑(たくけい)は当時のならわしであった。


 このように、イエスはひとりの善良なる人間であると同時に、気高く、並ぶ者のない道徳改革者であった。イエスは決して自分が神の子であるなどとは言わなかった。もし言ったとすればそれは全ての人間と同じく永遠なる宇宙的大木の一本の枝と言う意味においてそう言ったのであろう。イエスは実に心身共に完成された人間の典型であった。

 私の見るイエスは偉大なる道徳革命家であった。いかなる特権階級とも結びつかず、至って平凡な両親のもとに生まれ、そしてその生まれ故郷のふところで育った。

 並外れた知性を持ち、無限の愛と同情を胸に秘め、患える者を癒し、盲目の者には光を取り戻してやり、不具を治し、悩める者を訪ねて慰めの言葉をかけるのであった。時には大衆を前に愛と道徳と平和と善意を説き、憎み合う者のいない楽しい安らかな人の道を教えた。

 そしてそのあげくに愛と真理と徳の為に十字架についたイエス・キリスト。その最後は、実に、恥知らずの無法者の立てた、人類の無智の記念碑であるといってよかろう」                            (Nature’s  Divine Revelations

  
 さて〝大自然の啓示〟の結びの章は本書の中でも最も注目すべき部分である。というのは、人間の第二の生活環境ともいうべき霊界を取り扱っているからである。


デービスがスピリチュアリズムと結びつくのは実にこの部分においてであり、同時に近代スピリチュアリズムの出発点と基礎はこの部分にあると言ってよい。何となればこの章は、近代スピリチュアリズム勃興のキッカケとなったいわゆるハイズビル事件以前からすでに書かれていたからである。

 霊界について語るに際してデービスはまず〝死〟の真相とその過程を述べ、さらにそれがデービスのいう超越状態における体験に酷似していることを説明する。

 「人間の肉体は年を取るにつれて霊(自我)の思う通りに動かなくなる。それで老人は見たところでは能力が老軀の下敷きになったような恰好となる。そしてやがて肉体はその活力源である霊から分離してしまい、それを境に、肉体は大地へ戻り霊は内的世界すなわち霊界の住民となる。

霊が肉体から分離する時、霊は、それまで肉体を被うように充満していたエーテル的物質を吸収し、それでもって霊界での形体を整える。

 こうしたことは私自身の毎日の体験から知ることが出来るし、外界から、内界へ、言いかえると低い界から高い世界への移行を繰り返すことによって毎日のように実証していることである。要するに私は自分の体験から述べているのである。

 肉体から離れた私は、まだ説明していないある力のお陰で第二界の様子が見えるようになり、同時に第二界に関する情報が地上に関する情報と一緒に手に取るようにわかる。こうして次元を高めることによって宇宙のあらゆる天体の秘密を霊覚によって探ることができるようになる。

 このように、私は外界から内界への移行をいつも体験しているのであるが、これはいずれ死に際して誰もが体験するものであって、ただその時の付帯状況次第で人によってはそれが苦痛であったり恐ろしく思えたり、あるいはさびしく陰気なものとなるかもしれない。


 しかし〝死〟と呼ばれる現象は実はあらゆる現象の中でも最も賛美に値する現象であり、誰しもその到来を何よりも楽しみに待ち望み有難いことと思うべきものである。」(同前)


 ではその死の関門を過ぎた第二界とはどんな世界であろうか。デービスは自分が肉体から抜け出ていく時の様子から始める。


 「今や私の霊眼には地上のさまざまな存在物と、私を含む幾人かの人間の身体がかつてなかったほど明るく生き生きと映ってくる。そのとき気づいたことだが、私がそれらを認めることができるのは、その存在物が何であり、何処にあるかを霊の光によって判断できるからである。

外面の肉体は私の霊的視力にはかからない。きちんとした体形をした、生きた霊しか映らないのだ。その霊視力のお陰で、私は第二界の存在物の全てと交わることができる。今や眼前には第二界の広々とした景色と住居が見えてきた。

  地球に限らず、あらゆる天体上で幼くして死んだ幼児の霊魂はこの第二界に連れて来られて真理の教育をうける。その真理は第二界のことばかりではない。未熟のまま棄て去った地上生活のこともあわせて教育される。そしてみんな立派に成長し完成されていく。

 その点は子供に限らず無知な霊すべてに言えることである。否、無知な霊ばかりではない。地上でインテリと言われ、高い教養を積んだ者も、やはりこの界において霊界と地上の全存在について改めて学ばねばならない。何となれば彼らはこの第二界において子供や無知な者より高い地位を占める立場にあるからである。
 
 第二界は三つの階級又は社会よって構成されている。見ているとスピリットたちは各々の身体を包む光輝の程度に応じて互いに近づき合っている。同一社会に住む霊魂の開発せる愛と純粋性の度が大体一致しており、お互いが愛慕の情を抱き合っているからである。

かくして共鳴性と親和力または愛慕の法則の完全なる働きによって三つの共同体が構成されているのである。

 第一の社会は幼児と未熟な霊魂によって占められている。彼らは地上から来たばかりで地上を去った時と同じ発達程度のままである。同じ未熟でも発達程度を異にするさまざまな霊魂が混ざり合っている。

 第二の社会へ行くと神的原理と真理とにかなりの悟りを持つ者が集まっている。
 第三の社会になると、第二界では最高と言える霊格を具えた者が集まっている。その大部分は木星、土星等からの渡来者であり、さらに他の太陽系の惑星からの渡来者も混じっている。

この第三の社会を包む大気は非常に高度に輝いており、下の二つの社会の霊魂が近づこうとしても、その光に圧倒されて近づくことができない。

 第二界における会話は音声によるのではなく相手の表情に自分の考えを放射するのである。見ていると一種の呼吸作用によってその思念が霊の中に入り込む。というよりは、相手の求めに応じて思念が流入すると言った方がよい。眼によって相手の意中を察することもある。なぜなら眼は内的自我が顔をのぞかせる窓だからである。

 スピリットは外界の事物を視覚によって感識している。が、その視覚に映じたものが本性ではなくその反映にすぎないことを自覚している。男性も女性も、それぞれの前体験を記憶の層に宿しており、そこから概念を引き出すのである。

 第二界の第一の社会の居住者は主として金星、水星、地球、火星からの渡来者である。その他の天体からの渡来者は思想的にも英知的にも更に一段高い地位を占めているようである。

 霊界には一種の荘厳なる静けさが行き渡っている。また言うに言われぬ幸福感がみなぎっている。そして法悦と歓喜と賛美の心が上界へ止めどもなく上昇している。あまりの純粋さ、あまりの荘厳さに私の心は今にも圧倒されそうで、その実感はとても言語では尽くせそうにないかに思える。

 が有難いことに、ここにおいて私にかつてなかった力が新たに開発され、そのお陰でこうして真理の激流を受けとめ、少しも動ずることなく荘厳なる天界の美を鑑賞することを得たのである。」(同前)


 以上の記述は第二界とその中の三つの社会について述べたものであるが、デービスによると霊界にはそのほか、というよりその上に、まだ六つの界があり、それぞれがまた幾つかの社会に分かれているという。

 結局霊魂は地上生活を出発点として段階的に六つの界を経て最後に第七界に到達する。しかしそれには事実上無限の時を必要とするという。第三界でさえ地上の言語では表せないほどの荘厳さと美しさに満ちており、地球人類で第三界まで到達した者はまだ一人もいないほどである。

まして、第四、第五、第六、そして最後の第七界となると、とても人智の及ぶところではないと言う。もっとも、そう言いながらデービスは大よその様子を伝えている。

 ところで、ここで一つの疑問が生じる。その七つの界は一体どこに位置しているのか、ということである。デービスはこれに対して、界はむしろ〝帯状の地帯〟と呼んだ方が当たっているといい、さらに各界は無数の太陽からなる六つの小宇宙の内的世界であるという。

すなわち第二界は第五の太陽集団の内側に、第三界は第四の小宇宙の内側に、という順序になっていて、最後の第七界は宇宙の大中心であるところの霊的大太陽を取り巻いているという。


 「雲一つない澄み切った青空を見上げると、あの帯を流したような星の集団すなわち天の川が目に入る。かつての天文学者はこれを星になる前のガス星雲であると考えたが、天体望遠鏡が進歩するとともに、実はわれわれの太陽系と同じく、光り輝く太陽とその惑星から成る星の大集団であることがわかった。


同時に又われわれの太陽系はその大集団いわゆる銀河系に属する一集団にすぎないことも明らかとなった。すなわちわれわれは銀河系の一ばん端に位置しており、従ってどちらを見ても銀河系の縁ばかりを眺めていることになる。

 実はこの広大な星の組織を裏打ちするような恰好で存在するのが霊魂の永遠のふるさと、すなわち霊界なのである。つまり霊界というのはわれわれの霊体が肉体の内奥にあるのと同じように、光り輝く星団の内奥に存在するのである。

 それは霊視その他の超能力という、いわば超天体望遠鏡によって見ることが出来るが、普通の天文学者の用いる望遠鏡では見ることを得ない。よって霊界の存在は、今後も、物質科学にとっては当分〝未知の世界〟のまま取り残されることであろう。

 この内奥の霊界こそが、先の説明した第二界である。その奥には第三界があり、さらにその奥には第四界という順序で第六界まで続いている。そして第七界は、完全にして神性なる絶対的エネルギーの渦巻く世界すなわち神界である。」(同前)


 次は、そうした霊界というのはいかなる過程で形成されたかと言う問題であるが、これに対してデービスは霊界も地球その他の惑星からの放射物質によって出来上っていくのだといい、次のように説明する。



 「物質界から放射される精妙なる分子が上昇して霊界の組織の中に吸収されていく。すなわち水、金、地、火、木、土その他のあらゆる天体は自己の最も精妙なるオーラと原子とを放出し、それが大気のような形で空間のある位置に集まる。

すると親和力の作用が極点に達して、やがて凝縮をはじめる。そして最後に広大な半物質の場が星座のまわりに出来あがる。
 どうかこの辺の事実を心して理解されんことを望む。実に、霊界も物質界から誕生するのである。それはあたかも、美しき花が土塊の成分から出来上るものと軌を一にする。さらに言うなら、霊体が肉体の極微成分によって構成されると同一である。」(同前)

 以上筆者はデービスの 「大自然の摂理とその啓示」 の紹介にかなりの紙面を割いたが、それは、これがデービスの最初の作品であると同時に、デービス自身これを自分の第一原理と心得ていたからに外ならない。その後に出された作品は総じてその細かい点の説明とか特殊なケースの扱い方にあてられている。

 この第一作を出してから一九一〇年に没するまで、デービスは積極的にスピリチュアリズム運動に携わり、一時はそのリーダーとみなされるほどであった。生活の大部分をスピリチュアリズムの講義に費やし、二度ほどジャーナリズムの世界に入ったこともある。

 しかしそうした活動の中での彼は、いわゆるスピリチュアリストたちが物理的心霊現象にばかり関心を示して肝心の哲学的ないしは宗教的意義をおろそかにしていることを遺憾に思い、今の状態が改まらないかぎり自分がスピリチュアリストと同列に数えられることはお断りをすると言明し、

一八八〇年にはついに自分の思想と当時のスピリチュアリズムとを区別させるために、これを〝調和哲学〟 The Harmonial Philosophy と呼ぶことを宣言した。


 デービスが言わんとしたところはこうである。心霊現象はその裏に重大なる哲理を暗示しているのであるから是非これを理解してほしい。


その理解なしでは心霊現象は何の意味もない。ところが人は実験会だとかサークルだとかに夢中になり、センセーショナルな、あるいは奇蹟的な現象ばかりを追い求めている。

心霊現象がウソだと言うのではない。それ自体は実在するのだが、それは目に見えない深い真理を教えんがための物的証拠のようなものであって、現象ばかりをいつまでもいじくりまわしても無意味である。一度心霊現象の真実性を認めたならば、それからはその背後に潜む深い哲学的思想に目を向けるべきである・・・・・・。

 こうした事情で一八八〇年の調和哲学の宣言以後、一九一〇年の死に至るまでのスピリチュアリズムとの関係は、言わばケチをつけられたような格好となってしまった。


 それはともかくとして、最後に取り上げるべき問題は、この超人デービスとその仕事をどう評価すべきかということであるが、これは心霊問題に関心を持つ人と持たない人とではその評価に雲泥の差が生じてくる。

デービスが啓示を明かす時の精神状態は一般通念からすればまさに〝異常〟であって、そんな異常状態における産物は理解の範囲を超えた問題であるとして一般人が片付けたとしても当然すぎるほど当然であろう。

 しかし一方、日常の体験を超えた現象に関心を持つ者にとってデービスはまた違った存在となる。昨今の異常心理学や心霊学は潜在意識やテレパシーなどの研究によって、人間の精神にはまだ数多くの未知の能力が潜んでいることを明らかにしているので、デービスの超越状態もその一種であることが理解されるわけである。

 実際、最近の心理学の一般的傾向は人間精神の持つ計り知れない能力の研究へとむかいつつある。物質科学はもはや五感による方法の限界に達し、原子、エーテル、光、電気といった部門において全く新しい次元を拓きつつある。

 マイヤース(F.W.H.Myers)がいみじくも言った通り、死後の世界の問題への物質科学の接近ぶりは、トンネル工事にたとえれば、もう相手の鎚音が聞こえる地点まで来ている。
はっきり言って物質科学も今や目に見えない世界の存在を自明の理としてその研究に邁進しつつあるところである。

 したがって、いずれ顕微鏡も天体望遠鏡もその限界に達するであろうが、その時にその代りをつとめるのは恐らく、はるかに次元の高い性能を持つ超感覚能力であろうことが予想される。

すでに知られている光の振動の法則とエーテルに関する諸事実とによって、そうした超能力の存在はもはや疑問の余地はなく、あと必要なのは、そうした感覚を開発していくための適切なる手段である。


 こうして観てくると、デービスの見せた超能力の重要性と意義はいやが上にも増してくる。デービスを精紳科学のパイオニアとみなすのも蓋(ケダ)し当然と言えよう。

 しかしながら、デービスの啓示を読む上での心構えとして一ばん賢明なのはそれに振り回されないように心かけることで、言いかえれば〝啓示〟だからと言うだけで無文別に鵜呑みにすることなく、理性を第一の指針として内容をよく吟味し、納得した上で受け入れるという態度である。

 これは実はデービス自身も読者に要求していることで、啓示だからといって単純に信じ込むことなく、その真価を正しく判断すること、要するに最高の理性と直感的判断力に照らして理解してほしいと言っている。

 また、自分の能力は決して超自然ではなく超常、つまり普通の能力よりすぐれているというにすぎないとも述べ、従って大自然の法則とはいささかも齟齬(ソゴ)していないと主張している。

 しかし同時にデービスは、自分の述べた啓示が決して完全無欠でないことを繰り返し警告し、実際に自分の誤りを幾つか指摘までしている。


 デービスが言うには、啓示と言うものは所詮は人間の精神を通して得られるものである以上、完全無欠な啓示など絶対にあり得ない。

言い換えると啓示はそれは受け入れる人間の特殊な精神構造と発達程度によって制約を受ける性質のもので、いかなる啓示も〝神〟から直接聞く事は絶対にあり得ない。

いわゆる超越状態における人間は自分が感知したことを能力の許す範囲で出来るだけ正確に伝えんとしているに過ぎない。したがって霊能者が自分の霊感を完璧であるかのように宣伝するのはそれ自体すでに誤りである。

どうか自分の啓示も理性によってごく当たり前に判断して欲しい・・・・・・デービスはそう述べるのである。

 当時の思想界、ひいては今日の思想界に及ぼしたデービスの影響は、単に交遊のあった人々に止まらず広く一般においても実に大いなるものがあった。

その著書はスピリチュアリストと名のらない人々の間でも広く愛読され、指導的立場にあった人でも著書を通じて間接的に影響を受けている人が少なくない。

 問題の進化論にしても徐々にデービスの主張する説、すなわち人間の形体、本能、ならびに低級な感情は動物時代から受け継いだが、それを操っているのは神の分霊たるヒトであって、これは全く新しい知的原理として動物体に導入されたのである。と言う説に近づきつつある。

 宗教界への影響は特に大きかった。キリスト教のドグマを攻撃するなどということが想像も及ばなかった時代に、デービスはその人為的で不自然な教義を打ち破るべく堂々とその非を指摘し、それに替わる自然で合理的な教義を打ち立てるべきだと主張して憚らなかった。

 彼の主張するところは、いかなる宗教も他のすべての宗教に共通した普遍的真理、たとえば死後の個性の存続、人間の善性、普遍的な神の存在といったものを基本的教義として持っているべきで、キリスト教で言う原罪とか永遠の刑罰、イエス独自の神性といった不合理な教義は棄て去るべきだというのである。

同時にまた、すでに述べたように、イエスもわれわれ凡人もみな神の子である。なぜなら各自は普遍なる神の不可欠な一部だからと言い、この大原則だけは絶対に例外はあり得ないと断言する。

 イエスは確かに並はずれた霊格を具えていた。しかし決して神ではなかった。それはわれわれが神でないのと同じであるとデービスは言い、同時にもしある意味でイエスを神と見るならば、同じ意味でわれわれも神である。この辺はいずれ人類も理解がいくようになるだろうと述べている。

 当時のキリスト教の牧師の中にもデービスの著書を熱心に読んだ人は少なくないが、中でも三位一体説を否定する一派が彼の説から大いに力を得た。


 デービスの著作は心霊文献としても、あるいは内容的にみても、一種独特のものを持っており、これが正しく理解されるようになるには、今少し時を待たねばならないであろう。デービス自身次のように述べている。

 
 「正直言って私の啓示は今この世にある人よりもむしろこれから生まれてくる世代に合うものと思う。なんとなれば、現時点における地球人類の考え方や思想はすっかり固着してしまって進歩性がなく、急速に拓け行く新しい霊的真理を吸収するには無理だからである」

 とは言え彼の数多い著書によって新しい世代も徐々に霊的真理に目覚めつつある。その著書を正しく読み、然るべく理解した時、その時こそデービスの真価が本当に生かされることになるであろう。




     
 第三章 米国におけるスピリチュアリズム
 
 すでに述べたように、デービスは普通に言うところの霊媒ではなく、またいわゆるスピリチュアリストでもなかった。確かにスピリチュアリズムに賛同していたし、その積極的な支援者でもあり、またその教義の説教者としても働いたが、彼の残した著作とその哲学はいわゆる霊媒現象の産物ではなかった。

 自分で言っているように彼の場合は自分の霊感と霊視とによって自分で取得し自分で語ったその産物であって、霊界のスピリットが彼に感応して授けたものではない。要するに前章で説明した〝超越状態〟において自ら感知したままを述べたものである。

 デービスによれば超越状態においては他の知的存在(スピリット)に支配されることも、あるいは自分から思想を発することもなく、ただ単に知識を感識するだけだという。またそうやって感識される知識は、それを感識する精神の型または個性の影響を受けることは避けられないという。

 もっとも、そう述べるデービスに霊媒能力がなかったわけではなく、しばしばスピリットからの通信を受けている。ただ、彼の著作はそうしたスピリットからの通信によってできたものではないということである。


 さてデービスが『大自然の啓示』を発表した時はまだスピリチュアリズム運動は始まっていなかった。それが実際に始まったのは二年後の一八四八年で、そのきっかけを作ったのがニューヨークの寒村ハイズビルに住むフォックス一家であった。中でも主役を演じたのは二人の姉妹で、マーガレットとキャサリンという名であった。

 当時フォックス家では、いつのころからか、原因不明の不思議な叩音が絶えなかった。そこである時、面白半分にその叩音のする方向に向かって質問を発して叩音による返事を求めたところ、ちゃんとした返事が返ってきた。たとえば質問者の年齢とか子供の年齢などを正確に当てたのである。

 そんなことから始まって次々と質問を重ねていくうちに、叩音を発している主の名前の頭文字がC・Rで、生前は行商人をしていたが、五年前にこの家に行商にきた時に殺害されて死体を地下室に埋められたと言う大変なことが明らかにされた。

 驚いたフォックス一家は二日後に近所の人の協力を得て問題の地下室を掘って見た。始め三フィートほど掘ったところで水が湧でたので作業を中止し、そのうち水が退いたので再び数フィートほど掘り下げたところ、確かに人間のものと思われる、歯。骨、頭髪等が出てきたのである。

 ここで問題となるのは、果たしてそれが当の行商人のものかどうかということであるが、村の人に聞いてまわったところ、そう言えば或る年の冬に一人の行商人が売りに来て「明日また参ります」と言って去ったきり一度も来なくなった、と言う事実がわかった。

しかもフォックス家より前にその家に住んだ人の中に疑うに足りる者がいることも明らかになったが、しかし決め手となる確かな証拠はついに立証されずに終わっている。

 とまれかくまれ、この一件は大きな反響を呼び、今なお叩音現象があると聞いて屋敷を訪ねる人があとを絶たなかった。

 そのうちわかったことであるが、叩音は二人の娘すなわちマーガレットとキャサリンのいる時に限って聞かれるのであった。それで二人は、以来その現象の媒介者すなわち霊媒とみなされるようになった。

 二人が姉の嫁ぎ先を訪ねた時も叩音が付いてまわり、自宅で行ったのと同じような調査をそこでもやっている。そのうち同じような叩音現象が特定の人の居るところで発生している事実が各地で報じられ、やがて米国東部一帯に広がって行った。


 この事件については当初から現象そのものの真偽と事実の正確さに関して議論が絶えなかった。しかし今から見れば他の心霊現象と同様に事実そのものはまず信じて間違いなさそうであり、ある話によるとフォックス姉妹がトリックを白状した等と報じられたこともあるようであるが、叩音(コウオン)現象そのものが実際に起きた事自体は疑う余地がない。

 その点はその後の叩音現象の一般化によっても裏付けられることであり、今では真面目な研究者で叩音現象の存在を否定する人はまずいない。したがって各地で起きている叩音が事実であるならば、一八四八年のハイズビル村における現象の事実性を疑う理由はないであろう。

 姉のキャサリン(愛称ケート)がのちに英国を訪れた時、かの有名な物理学者ウィリアム・クルックスはケートを自分の研究室に呼んでその霊能を綿密に調査している。

その著『近代スピリチュアリズム現象の研究=Researches in the Phenomena of Spiritualism by Sir Wm. Crookes』の中で博士は次のように述べている。

 これまで数多くの霊能者を調査してみたが、その能力の大きさと確実さとにおいてケート・フォックス嬢の右に出る者はいない。霊の叩音は床や壁からも聞こえるのであるが、私の肩のあたりや手のすぐ下から聞こえる事もあった。

 また一枚の四角な紙切れの一角にヒモを通し、そのヒモをつまんで釣り下げてみたら、その紙の裏側でも音がした。そんな具合にありとあらゆる工夫をして試してみたが、どうやってもトリックや器具を使ったものではなく、正真正銘の心霊現象であると断定せざるを得なかった」


 フォックス姉妹に次いで話題を呼んだのはコネチカット州の長老派教会牧師のフェルプス博士 De. Phelps の一家でデービスも確認に赴いたほどの折り紙つきであった。

 フェルプス家の場合は子供の兄弟姉妹が揃って霊媒資質を持っており、物体が空中を飛び交い、時には窓ガラスが割れる事もあるという激しいもの(いわゆるポルタガイスト)、文章が書かれたり象形文字が出たりする文献的な現象、そのほかいろいろと珍しい現象が起きている。

 余りの騒がれかたにデービスの興味をそそられ、わざわざコネチカット州のストラドフォードまで足を運び、その調査の結果、現象は確かに子供の霊媒的資質を利用して霊界の人間が起こしていること。

子供たちの身体は実に多量の電気と磁気を所有しており、霊界人が現象を起こさせるのはそのお陰であること。霊視して見ると数人の霊界人がスピリチュアリズム普及のために働いている姿が観察されたこと。象形文字は地球人類のものではなく、霊界の文字であり、その意味を霊的印象力によって次のように解釈した。

「高級神霊界の天使の一団が地球人類との疎通を求めて、下級界の霊団を通じていろいろと手段を講じているところである」

 フェルブス家の場合といい、フォックス家の場合といい、いずれも〝目に見える現象〟によって〝目に見えない力〟を見せ付けたものであり、しかもそれが死んであの世へいった霊魂の仕業であるということになると、この種の問題に関心をもつ人々の間で大きな反響を呼んだのも当たり前のなり行きであった。


 時あたかもデービスの『大自然の啓示』が出版されて一年ほどしか経っておらず、人々の記憶に新しい時期でもあったので、そうした現象はデービスの来世思想を直接裏付けるものとして殊更に興味をそそったのであった。


 すなわち、デービスの本には確かに霊が人間と通信出来ると書いてある・・・。またその通信盛んになる時が今にきっと来ると書いてある・・・皆んなそう思い起こしたのである。ちなみに、デービスの本にはこう出ている。


 「肉体に宿っている霊魂すなわち人間と、霊界にる肉体を棄てた人間との間で交信が出来るのは事実である。そしてその事実が現実に立証される日も遠からずやってくるであろう。

その時こそ人類は目を開き、火星、木星、土星等の住人と同じように霊界のスピリットとの交信を確立することになるであろう」                                                                                  (Nature’s Divine Revelations)                  

フェルプス家やフォックス家の心霊現象は紛れもなくこれを実証したものだと受け取られたのであった。

 両家の子供たちが巻き起こした心霊熱は次第に他の心霊現象への関心を呼び起こすことになった。知識階級の中からも、単なる好奇心からではなく、ぜひ現象の真相をつきとめ来世への確証を得たいと言う熱望から心霊研究を始める者が多く出てきた。

 現象の種類は自動書記、直接談話、インスピレーションと数を増し、かくして近代スピリチュアリズムはハイズビルでスタートしてわずか三、四年にして本格的な軌道に乗ったのである。

  
 同じく心霊現象に興味を持つ人でも、その奥深い哲学ないし宗教的な面に関心を抱いた最初の人としてはエドマン判事 Judge. J. W. Edmonds とデクスター博士 Dr. G. T. Dexter の二人を挙げることができる。


 エドマンズ判事は当時ニューヨーク州の判事で、かつては上院議員をしたこともある大人物であり、一方デクスター博士は名のある外科医であった。二人は各地の心霊現象を観察して事の重大さを痛感し、ほかにウォーレンス氏、エドマンズ婦人、その娘ローラ、他の数人を加えて一つの研究サークルを結成し不定期的に会合を持った。

 霊媒は主としてデクスター博士がつとめていたが回を重ねるうちにエドマンズ判事、その夫人と娘、ウォーレンス氏を含めてサークルのほとんど全員が霊能を発揮し始めた。

 現象の種類はいろいろで、口頭及び筆記による通信も多かったが、このサークルの特徴として挙げられることは、高度な哲学ないし宗教的内容を持つ長文の通信が得られたことで、その通信の主役はスエーデンボルグ Swedenborg とベーコン Francis Bacon であった。

 またサークルのメンバーもよく入神状態に陥って、現実にその場で起きている霊界の出来事を霊視したり、入神したメンバーを通じて、地上でその名を知られた曾ての有名人が入れ替わり立ち替わりサークルの者と談話を交わしたのであった。

 こうした交霊会の結果は『スピリチュアリズム』と題された二冊の大部の書となってエドマンズ判事の手で一八五二年と五五年の二度に分けて出版された。内容は主としてスエーデンボルグとベーコンからの哲学的ないし宗教的な問題、それに霊界における生活に関する通信から成っている。

 通信は時として質疑応答の形を取ったり討議の形を取ったり、時にはスエーデンボルグまたはベーコンが長々と講義している箇所もある。いずれにせよ、文体も主題も立派なもので、二人の霊格の高さと生前の性格がにじみ出ている。


 同時にその説くところの死後の生活はスピリチュアリズムの観点から見ても全く申し分なく、その後の多くの霊媒を通して得られた死後に関する情報と完全に一致している。

 一例としてスエーデンボルグからの通信の一部を紹介してみよう。自動書記によるもので、霊媒はデクスター博士。

 「それ故次のように理解していただきたい。まず第一にこちらは霊魂の世界である……というよりは男と女と子供が各々の願望と好みと性癖と愉しみの赴くままに混ざり合いながら、霊性の開発と言う大目的のために努力を重ねている世界である。

 そして第二に〝界〟と言うのはその進歩を遂げた霊魂が自己の霊性に似合った位置に落ち着くその 〝場〟 を意味する。したがってそれは霊格の程度を示しているわけである。別の言い方をすれば一段下の界の霊魂に比してその物質性が一段と昇華され純化されており、真理の理解の点においても魂の善性の点においても一歩進んでいるわけである。

 霊魂と言えども物質性を有する。中にはその物質性の度合いが余りにも強いために殆ど四六時中地上的法則によって支配されている者もいる。つまり物的雰囲気の支配下にあるわけである。

 そうした霊魂の物質性は “服従を余儀なくさせられる力〟 の支配下にあるといえる。その意味はこちらにはあなたがた地上の人にあるような物的苦労はないが、霊魂の持つ物質性の度合いに応じてやはり物質的な要求があり、したがってそれが満たされない時の、どうしようもない苦痛があるということである」

 こちらへ来ると親和力の作用でその霊魂に最も適した環境に落ち着く。それがあなた方が一番住みよい場所に住まうとされるのと同じである。ただ住民の分布の仕方が地上よりはるかに合理的で当を得ているという違いはあるが・・・。

 人口は大抵五百人から五千人程度で、住民の心を占めることといえば進歩、純粋、発展、愛情といったことばかりであるが、彼らの霊的身体とその生活環境、及び類魂がいざなってくれる世界に応じて、地上の人間と同じように、それなりの物的生活にとって欠かせぬ用事が待ち受けているのである。

 以上は霊魂のいわば身体上の生活に関わることであるが、では霊の精神にとって何が一ばんの糧となると思われるであろうか。

 それは神の御業の美しさを花と咲かしめるもの、創造の神秘の扉を開くもの、絵画、彫刻、音楽の如く神の御業を模倣と類似によって象徴せんとするもの、要するに神を理解する上で少しでも手助けとなるもの、それが霊魂の精神にとって何よりも糧となるのである。

 われわれは今二つの世界を同時に見渡せる広々とした平地に立っている。われわれの霊的身体は物質と物質、霊と霊との相互関係が悟れるまでに純化されている。

われわれは身こそ霊の世界においているが、あなた方人間と地球のために為すべき仕事を与えられている。それは霊界とその住民のための仕事があるのと何ら変わるところはない。

 次にベーコンからの通信を紹介しよう。エドマンズ判事がたまたまデクスター博士にベーコンの生涯の一節を読んで聞かせていた時、突如、デクスター博士の自動書記で次のような通信が綴られた。

 「博士が入ってくるとあなた方は大法官ベーコンの生涯を綴った書物の一節を読んで聞かせられました。その内容は確かに真実を語っているところもありますが、残念ながら、本人の持てる才覚の全てを理解し、それを誇りとしている心中を洞察し、あるがままの真実の姿を正しく評価しているとは言いかねる箇所も見受けられます。


 私は幼少の頃より大自然の法則を知りたいと言う知識欲が人一倍強く、同時にその法則を何とかして人生百般に応用したいと言う情熱を持っていたものです。


 私が人間として道ならぬ過ちを犯したことを否定はいたしません。当時の制度・慣習の汚れに染まっていたことも素直に認めます。

 しかしだからと言って私に民族の発展を祈る心がなかったとか、国家のために何一つ貢献しなかったとか、あるいは時代の先を読み取れず教育や世論の指導において何ら為し得なかったなどと非難するのは、私を騙し、濡れ衣を着せた人たちの悪行を庇おうとする卑劣な態度であると同時に、私の人格と、私のとった態度の真の動機とを侮辱するものであると申し上げたいのです。

 私が自分の地位に係ることについてはきちんとけじめをつけ、当時の最高の知識人と交友を持っていたこと、そして又、当時の混乱した哲学体系や誤った慣習を見事に整理したのがこの私であることを否定する人はいないと信じます。

 ただ、当時の慣習から生じる誘惑や手練手管の渦の中にあって、時はついに耳を傾け、心を許したことがあったかもしれません。

 私の善行は、本人が弁護せずとも、善行みずからが語ってくれることでしょう。そして、それは永遠に残ることでしょう。一方、私の犯した罪への償いは多分もう済んだ筈だと信じますし、これまでの私の霊的向上と進化の中に飲み込まれてしまっていることでしょう。

 少なくともそう信じることによって私は自分を慰めてきましたし、それを疑うことは私自身許し難いことなのです。(署名)」


 フランシス・ベーコンを知る者なら、彼が十七世紀初頭に英国の国家歳入管理局長(実質上の大蔵大臣──訳者)をつとめたこと、主著 Novum Organum によって帰納的哲学体系を打ち立てたこと、そしてのちに公金横領罪で起訴され、有罪となり、公職を追われたことはご承知であろう。

 上記の通信を読むと、そうした無念の過去を持つベーコンその人であることを示す〝感じ〟がひしひしと迫ってくるのを覚える。

 エドマンズ判事の 『スピリチュアリズム』 には上記の二人の通信の他、サークルの各メンバーが入神して観察した霊界での出来ごとや、その入神中の口を借りて、かつての知名人が語ったプライベートな話などが載っているが、

中でも目を引くのは判事の娘ローラを通じて語った英国女王エリザベス一世(一五三三──一六〇三年)の訓話で、女王自身の体験を例に挙げて、地上における非人間的行為が死後においていかなる報いを受けるかを切々と語っている。

 該書は初期スピリチュアリズムの著作の中でも極めて重要な意味を持つもので、事実大きな反響を呼び、多くの版を重ねた。今日においてもなお読みがいのある価値ある書である。


 スピリチュアリズム初期の心霊作家兼霊媒として次に紹介するのはアンブラーP. Ambler である。著書は数冊あるが、いずれも小冊子で、その中でも貴重な者としては  The Elements of  Spiritual Philosophy.   The Spiritual Teacher.  The Birth of the Universe の三書があげられよう。いずれもスピリチュアリズムの哲学を説いたものでその内容はデービスの調和哲学に似ている。


 またアンプラ―が使用している哲学用語は主としてデービスの書から使用している。それもやむを得ないことで、当時まだスピリチュアリズム独自の哲学用語がなく、デービスが自分の哲学を説くために作り出した用語を使用するほかなかったのである。


 右に列記した三書の内、最後に挙げた The Birth of the Universe(宇宙の誕生)は小著ながら非常に示唆に富む書で物的宇宙が創造される過程を詳しく述べている。アンプラー自身が言うには、その通信はデービスの言う第七界から送られたものだという。

 内容をかいつまんで紹介すると、宇宙の原初は無形の普遍・絶対の存在、すなわち神の静的状態で、その中心に〝動〟の働きが生じてまず磁気と電気が生じ、その結合が物的原子を生み、それから物質が生じたという。

 この創造概念はヒンズー哲学でいう、宇宙神の定期的呼吸運動によって生じたと言う概念と似ているがアンプラ―の場合はそれを電気と磁気と言う二つのエネルギーの作用で説明している点において、遥かに進んでいると言える。

 該書によれば宇宙に生じた最初の元素は水素、酸素、炭素、窒素の四種で、この四元素の相互間に存在する科学的親和力の作用で全質量が火焔と化した。それが物質の原始的状態で、これが冷却し凝固して行く過程において無数の太陽及び太陽系が生じたという。

 アンプラ―の書は小著ながら多くの示唆に富み、原子の電気的構成に関しては最近の物理学上の発見に先んじている点が特に興味ぶかい。また物的宇宙も神から生じたとする概念も興味ぶかく、示唆に富んでいる。

 一八五二年に出版されたのであるが、すでに絶版となっており、今ではその古書を見つけるも困難である。同じ頃の人で、同じく作家兼霊能者として貴重な作品を残した人が数人いる。そのうちの一人 リントン Charles Linton は若くして The Healing of the Nations と題する二巻の霊界通信を出している。


 これは通信と言っても叙事誌風の詩文で綴られていて、旧約聖書の詩篇に良く似ている。内容は極めて高尚な道徳と宗教哲学を盛り込んでいて、それが見事な文体で書かれている。

 リントン自身によれば通信は非常に高い霊界からのもので。まえがきの中で次のように述べている。

 「本書の執筆に取りかかろうとすると何とも言いようのない心地よい力が私に憑ってくるのであった。いよいよペンを取る段になると、私の全存在は穏やかで静寂そのものの境地へ入って行く。その中で私はこう祈った───〝神よ、願わくは愚かなる僕がかりそめにも神の栄光を傷つけることのなきように導き賜わらん事を〟

  むろん私は自分で真実であると確信した事のみを綴ったのであるが、浅学非才の身には真理の奥義の表現に時として迷いに迷うこともあった。

 執筆中にはただ一つの存在、ただ一つの力が鑑識されるのであるが、それは五感で感じるのと同じほどの感覚がはっきりしていた。その存在が私に近づいて来た時、いつもすぐにそれと知れた。

 当然のことながら “一体その存在は何者なのか〟 と言う疑問が生じるが、正直言って私にもよく分からない。私の信じるところを言わせていただくならば、ただひと言、それは最高界からの使者である、ということである。」

 このリントンの著書はウィスコンシン州の知事で当時上院議員をしていたタルメージ氏 Tallmage がスポンサーとなって出版された。氏自身もスピリチュアリズムの活動家で、著書も多く、リントンの書には長文の序文を贈っている。

その他当時の著名は霊能者兼文筆家とその代表的な著書を次に列記しておこう。


○〇John Murray Spear: Messages from the Superior State.
○Charles Hammond: Light from the Spirit World.
○J.B. Ferguson: Spirit Communion.
○Pasaual B. Randolph: Dealings with the Dead.
○Josiah Gridley : Astounding Facts from the Spirit world.
○S.B. Brittan : The Battle-ground of the Spiritual Reformation.
○W.R. Hare : Experimental Investigations in Spiritualism.
○Hudson Tuttle : The Arcana of Spiritualism .

 以上の人たちはたいてい自分自身が霊能者で、その著書は自分で霊界から得たメッセージあるいはインスピレーションを綴ったものである点に特色がある。

 こうした人たちとは別に、自分には霊能はないが、多くの霊媒を調査研究してその真実性を確信し、スピリチュアルズム普及のためにその霊媒の所産を書物にまとめて出版した人達もいる。以下その代表的な人物とその作品を列記して紹介しよう。

○Adin Ballou :  Views on Spirit Manifestations.    
○Epes Sargent :  The Scientific Basis of Spiritualism. 
○Robert D. Owen : Footfalls on the Boundary of Another World, The Debatable Land.
○Moses Hull :  Which, Spiritualism or Christianity ?  The Christ Question Settled.


 一方においてこうした熱心な支持者がいる反面、スピリチュアリズムをすべてゴマカシであると決めつける人。あるいは悪魔の仕業であると警告する者などが出てきた。そのほとんどは既成宗教の人たちでつまるところ自分達の宗教にとってスピリチュアリズムを一種の驚異と受け取ったのであった。

 ある者はこれを真っ向から詐偽と決めつけ、ある者は心霊現象そのものの存在を一応認めたうえでこれを〝わが篤信の徒を迷わさんとする悪魔の新たなる作略である〟と警告した。

 この両者の対立は熾烈を極めたが、大局から見て、スピリチュアリズムがこれほど各界の注目を浴びたのは前にも後にも例を見ない。

 否定論者の旗頭はマハン教授 Asa Mahan でデービスを始めとするスピリチュアリスト一般の虚偽を暴くための書を数冊出している。関心のある方は次の二書を読まれれば教授の言わんとするところを知るに充分であろう。

Modern Misteries Explained and Exposed.
The  phenomena of Spiritualism Scientifically Explained and Exposed.

同じ反対論でも、スピリチュアリズムを悪魔の仕業であるとする側を代表するものとしては次の三書が挙げられる。

○John C. Bywatar: The Mystery Solved.
○W. H. Corning: The Infidelity of the Times.
○Wm. Ramsay: Spiritualism. a Satanic delusion and a sign of the Times.

しかし実際にはこうしたあばきの努力もスピリチュアリズムの激流の前には徒労に等しく、スピリチュアリズムはさらに勢いを増して各層へ浸透していった。


 中でも特筆すべきことは、各種大学においても話題を呼ぶようになったこと、また当時(一八六〇年代)の科学界及び文学界の著名人の関心をさらったことである。エマソン R. W. Emerson. ロングフェローH. W. Longfellow.  ローエル James R. Lowell といった文人、奴隷廃止運動の急先鋒だったパーカー Theodore Parker やガリソン William L. Garrison. と言った社会活動家がスピリチュアリズムに熱中し、その普及に尽力している。


 伝えられるところではリンカーン大統領もスピリチュアリズムの真実性を信じ、政治問題の解決のために良く霊媒をホワイトハウスに呼んだということである。

 この時期の心霊書で一般社会への影響の点で注目すべきものとしては、ペンシルバニア大学名誉教授のヘア Robert Hare の著わした Experimental Investigations of the Spirit Manifestations、  Demonstrating the Existence of Spirits and their Communion with Mortals (霊の存在と人間との交信の事実を立証する心霊現象の実験的調査研究)が挙げられる。

 これは前に紹介したエドマンズ判事の『スピリチュアリズム』と並んで、当時の心霊書としては最も重要な意味を持つものであるが、これには大学教授でしかも化学のエキスパートという地位が大きく与って力があったとみてよい。

 ヘア教授は後年にってなって自分でも心霊能力を発揮するようになったが、当時は何ももちあわせず、右の書は教授が霊媒を使って自分の研究室で実験研究した結果と、その時に得た霊界からの通信をまとめたものに更に教授自身の霊魂説への検証を付け加えたものである。

 大ざっぱに分けて本書は三つの部分から成っている。すなわち心霊実験を扱った部分、霊媒を通じて得たスピリットからのからの通信。そしてそれらを教授自身が総合的に論証した部分である。

 最初の部分では教授自身が考案した巧妙な実験方法で心霊現象の実在を証明し、それが決して常識的な物理法則あるいはエネルギー法則で起きたものではないことを明らかにしている。

 その点、サイキック・フォース Psychic Force という心霊エネルギーの実在とその本質を扱った、のちのクルックス教授の有名な実験(第四章で紹介──訳者)の先駆けをしたものともいえる。

 ヘア教授の実験はその科学的手段方法の完璧さ、その結論の明快さと説得力の力強さによって、読むものをして、教授の主張通り心霊実験なるものがスピリットによるものであることを一点の疑念もはさませない。

 が一ばん興味ぶかいのは次の部分、すなわち実験中に霊媒を通じて得た霊界通信である。その多くは長文で論文のような形式を取っており、霊界の生活と環境について述べたものである。

 通信を送って来た数多いスピリットの中の中心的存在はヘア教授の父親で、生前は学者肌の知識人であり同時にペンシルバニア州議会の議長を務めたほどの政治家でもあった。

 この父親からの通信が本書の最も興味ぶかい箇所であるが、その中でも特筆すべきことは、幾つかある霊界の存在位置について、それまでの大まかな述べ方と違って、地球から何マイルのところという具合に、はっきりと距離を示していることである。

 そもそも霊界の説明に場所 sphere の観念をもちこんだのはデービスであるが、デービスの場合はあくまで宇宙的視野から惑星間における霊界の関係を述べたもので、地球を中心として説明したものではなかった。

 その点ヘア教授の父親は地球を取り巻く霊界を場所的に明確に位置づけ、その距離まで示している。といって、むろんデービスのいう次元の高い宇宙的霊界の観念と決して矛盾するものではない。一部を紹介しよう。

 「人間が辿るべき死後の死の宿命について述べる前に、大切なその問題(霊界の位置)について、私の知能と知覚の許す限り真なりと言えるところを述べるのが順序と考える。


 霊界は距離にして地表より六〇から一〇〇マイルの間に存在する。その全空間は地表を含めて段階的に七つの同心円的界層に分かれており、帯状に地球を取り巻いている。地表に接しているのは基本界とでも言うべき地帯で、残りの六つが本当の意味での霊界というべきであろう。

 この六つの界は地上では見られない極めて精妙な物質で構成されており、帯状に地球を取り巻いてる。そして各界の距離は厳然たる法則によって律せられているのである。


 これで分かると思うが、霊界というのは決して形のない妄想でもなければ、心の投影でもない。太陽系上の諸惑星、あるいは今こうして生活している地球とまったく同じもので、実体のあるものである。従って緯度もあれば経度もあり、しかも地球の大気に相当するその界特有の大気が存在する。

 各界の物理的組成はそれぞれ独自の法則があって、それぞれに見事な美しさを有する。そして上の界へ行くほどその美しさに荘厳さが加わってくるのである。

 これら七つの界はみな地軸を中心として黄道に対して同じ角度で自転し、又同じ太陽の周りを公転しているが、明るさや熱は物的太陽から受けているのではない。

太陽にもそれに相当する霊的太陽があり、各界が全ての恩恵をその霊的太陽から受けるのである。その霊的太陽の明るさと荘厳さはまさに言語に絶する。

 完全を目指して向上進化している点においては地球人もわれわれも変わりはないが、ただ〝時〟の観念が大きく異なる。すなわち地球人が時間の観念で考えることをわれわれは永遠の観念で考えるのである。

 地上では常に時間と空間の観念に縛られているために何かにつけて限度というものが生じるが、われわれ霊界人はそうした観念から脱して永遠の観念が身に付くにつれて考え方が自由となり、それだけ真理への理解が正確さを増すことになるわけである。

 次に霊界の社会的構造について述べると、各界は同系統あるいは同性質の霊が親和性の法則によって引き合い引かれ合って、六つの社会を構成している。


 また各社会にはすぐ上の社会、時としてはるか上方の界から指導の任に当たる人が訪れ、あらゆる分野にわたる知識を授けてくれる。すると今度はその社会から下の社会へとその知識が送られる。

 かくして知識を授け授かることによってお互いが道徳的にも知性的にもより高度な感受性を身に付け、物的大宇宙のみならず、霊的大宇宙にも顕現し給う大創造主すなわち〝神〟への理解を深めていくのである。

 とかく地上の人間はわれわれ霊界へ行った者は地上でやっていた事を止めてしまうと考えがちだが、実際はそうではない。もしそうだとしたら、死と同時に知性が失われることを意味し、従ってスピリットの方が地上の人間より劣ることになるのではないか。

 そうではないのだ。われわれは死後もいっそう知識と叡智の獲得に精を出し、永遠に向上進化を続けていくのである。」                                                                             (Experimental Investigations


  霊界についてこれとよく似た説を述べたその後の人としてはタトル Hudson Tuttle がいる。スピリチュアリズムの著述家として知られ、一八五五年に最初の書物を出してから夥しい量の著述をしている。その中で、自分の説を述べるにあたってタトルはまず右のヘア教授の説を批判し、質問と言う形で教授が叙述に関与し過ぎていると述べている。

 タトル自身にも霊媒的素質があり、霊界の事情に関する事はみなスピリットから聞いたものだと述べているが、内容を見ると、いわゆる霊通信をそのまま紹介したものではなく、多くのスピリットから得た通信の内容を要約して書いたものである。一部を紹介しよう。

 「物的宇宙の彼方には未だ知られざる別の宇宙が存在する。それは物的宇宙から放射される精妙なる物質から構成されており、いわば物質界の投影である。それが霊的宇宙である。

 物的宇宙は今まさに精錬純化の過程にある。その過程において生じる精妙なる原子が上昇して霊界を構成する。その意味で霊界は地球から生まれたことになる。それはちょうど霊体が肉体から生まれるのと同一である。

 霊界は地球なくしては存在し得ない。つまり地球の純化という過程を経て構成されていくのである。

 純化され希薄になると、その原子は地表から上昇して引力と斥力とがちょうど釣り合う位置に定着し、そこに〝帯 〟を構成する。

 帯とは土星の外輪のようなものを想像すればよい。霊界は球形をしているのではなく、帯状になっている。その幅は地図で言えば百二十度、つまり赤道を中心として両側へ六十度の広さである。その百二十度の幅の帯を天空へ上げていけばそれが霊界の格好になる。

 最初の帯すなわち第一界は地表から六十マイルのところにある。次の界も第一界からほぼ同じ距離のところに位置している。第三の帯は月の軌道のすぐ外側、地球から二六万五千マイルのところにある。

 第一界が地球から生まれるように、第二界も第一界から生まれる、そしてその第二界から第三界が誕生する。その第三界から最も昇華された霊気が放散され、それが他の惑星からの放散物と渾然一体となって太陽系全体を包んでいる。

その中には海王星よりさらに遠くにある、まだ知られていない幾つかの惑星も含まれている。

 こうして太陽系内の各天体から昇華された放散物によって、太陽系全体の霊気ができあがっているように、銀河系内の無数の太陽系からの放散物によって、天の川を包む一段と荘厳な一大霊界が構成されているのである。

 各界の帯の厚さには差異がある。第一界は三〇マイル近いが、第二界は二〇マイル第三界になると僅か二マイルである。第一界がまず最初に構成されて今日まで計り知れない時を閲(ケミ)しているが、第二界は第一界が自己の組織を構成しながら放射した原子によって構成されているために、当然第一界より構成が遅れており、第三界に至っては時間的にはるかに遅れている。

 地球から放射された原子は、霊界に集積すると、地上において造っていた形体と同じものを構成しようとする性質をもっている。従って霊界には地上で見かけるもの全てが存在する。

 ただし当然の例外として、次元の高い環境に存在出来ない原生動物や原生植物は別である。それさえ除けば、山川草木、地上のありとあらゆる自然が存在する。

言ってみれば地上の不完全さを完全にし、その美しさを千倍も美しくしたようなものである。

 そうした環境とスピリットとの関係は、人間が地上の物的環境に対するのと同じである。たとえば各界の表面はやはり土地である。木や花はそこに根を下ろし、浜辺には波が打ち寄せる。

頭上には空があり、夜になれば星が輝く。その美しさは地上よりはるかに美しい。スピリットは霊的大気を呼吸し、水晶の如き澄んだ水を飲む。甘美な果実に舌鼓みを打ち、華麗な花で身を飾る。

 これをオトギの世界と思ってはいけない。また偶然の産物でもなく奇蹟でもない。正真正銘の真実の世界、むしろ地上よりも現実味のある世界なのである。なんとなれば地球を美化し純化したのが霊界だからである。

 スピリットは霊界の地面を歩き、湖に船を浮かべ、海を航行する。要するにごく当たり前に生活し仕事を楽しむのである。これは、先に述べたようにスピリットの身体がその環境に対してちょうど人間が地上の環境に対するのと同じ反応を示すからに他ならない。」 Arcana of Spiritualism


 タトルが著述を始めたのは実に十五歳のときで、その著書の題は The Arcana of Nature (大自然の秘密)であった。一種の霊界通信で、その主題は人類の進化と地球の地質学ならびに植物的発達についてであるが、内容的には当時の通説より一歩も出ておらず、心霊書としてはこれといって価値のあるものではない。

 タトル自身もその序論の中で、最初の草稿はスピリットの方から内容に関して不満が出されたので破棄し全部書き直したと述べている。

それゆえ該書は、知識と言うものが普通と異なった超自然的方法で獲得できることを示している点で価値があると言う程度に観るのが妥当であろう。

 と言うのは十五歳と言う年齢ではまだ教育らしい教育は受けておらず、従って通信に出てくるような知識は少年タトルが通常の状態では知り得る筈のものではなかったのである。

 『大自然の秘密』はそのほとんど全部が自動書記で書かれているが、先に一部を紹介した Arcana of Spiritualism (スピリチュアリズムの秘義)は霊感書記とでも言うべきもので、霊感によってキャッチした知識を一たん自分の頭の中で整理して書き下ろしたものである。

 タトルは多作で、スピリチュアリズムの普及に大いに貢献した一人であるが、惜しまれるのは思想的に深いものがないことで、霊とは、精神とは、実在とはと言った究極的な問題の扱い方が未熟であった。

 彼は確かに科学的な思考力の持ち主ではあったが哲学的思考に欠け、たとえば、スピリチュアリストには誠に奇異に響くであろうが、霊も精神も物質であると本気で考えていたのである。

霊も肉体器官によって造られるのだと言い、従って霊は物質であり、物質は必ずいつかは消滅するのであるから、霊もいずれどこか消滅するのだと主張した。

 こういった調子で、究極的な点においてオーソドックスなスピリチュアリズムと極端に矛盾したことを言うために同じ頃のスピリチュアリストでこの後詳しく紹介するピーブルズ J.M. Peebles はタトルのことをスピリチュアリズムのブルータス(獅子身中の虫)と決めつけている。

 とはいえ、こうした欠点をもちながらも、タトルのスピリチュアリズムに尽くした貢献はやはり無視できない。というのは、タトルは何といってもスピリチュアリズムがまだ多くの理解者を獲得していない揺籃期においてに積極的に筆を取ってその普及に貢献したのであった。

その意味において、タトルをスピリチュアリズムの立派な先駆者の一人に数えて決して差しつかえない。


 さてスピリチュアリズムも二〇年の歳月を経てようやくその揺籃期を脱することになるが、その間の発展ぶりは実に目覚ましいものがあり、合衆国およびヨーロッパにおける信奉者の数は着実に増えていった。

 当時のスピリチュアリズムへの関心の特徴は、センセーショナルな心霊現象よりもむしろ死後の世界の存在を確信させてくれる合理的な証拠と、それを土台とした哲学的人生観ないし来世感を求めようとしたことであった。

 そのことは当時の人の一ばん求めたものが心霊実験会ではなくて心霊書であったことによっても裏付けられよう。そしてまた、そうした関心を寄せた人の中に、ロングフェロー、エマソン、ローエル等、当時の一流学者、一流文学者、一流思想家がずらりと顔を揃えていた事も見逃せない特徴であった。

 
しかし一方、当時はキリスト教絶対の時代でもあった。そうした理由もあって当時のスピリチュアリズム啓発書の大部分は、本質的にはスピリチュアリズムがキリスト教といささかも矛盾しないことを説明せんとする、いわば弁明的な内容をもつものであった。


 ために、当時の心霊書には新旧両バイブルの中の心霊現象に言及したものが多く見られる。夜中に自分を呼ぶ声を聞いたというサムエルの話、スピリットが壁に記した不思議な記号を解読し、またよく霊姿を見たと言うダニエルの話、「汝なにゆえにかくも余を悩ますぞ」という霊界からのイエスの声を聞いたサウロ(パウロ)の話等など……

 こうした例を盛んに引用して、よって心霊現象というのは決して悪魔の仕業ではなく善霊の導きによるものである。と弁護したのであった。

 当時(一八六〇~一八七〇)は宗教的ドグマというものに対して今日のように自由な解釈を施すことはとても許される世相でなかったことに思いを致す必要がある。オーソドックスなドグマと相容れない立場に立つことは大変な勇気のいることだったのである。

 したがってスピリチュアリズムについて筆を揮うものは、それこそ恐怖におののきながら筆を取った。そして、決まって自分がキリスト教に背をむける意思も、否定する意図もないことを立証することに最大の努力を払ったのである。

当時のスピリチュアリズム関係書がキリスト教との関連性に力を注いだことはそうした理由があったのである。

その典型的な例が一八七四年に出版されたクローエル E. Crowellの The Identity of Christianity with Modern Spiritualism (キリスト教と近代スピリチュアリズムの同一性)である。

 この中でクローエルはスピリチュアリズムの発達の後を辿りながら心霊現象を解説し霊通信を紹介してから、例によってそうした現象が新約と旧約の中に出てくる奇蹟的な現象と全く同じ性質のものであることを明らかにしているが、全ページの実に半分以上をそれに当てているのである。


 その目的のために引用された夥しい数の用例を見ても、当時クローエルの立場が彼の思惑通りに充分に正当化されたであろうことは疑いの余地がない。

 先に紹介したヘア教授も同じようにスピリチュアリズの現象とバイブルとの現象が全く同性質のものであることの立証にかなりのページを割いているが、こうした傾向は多かれ少なかれ当時のどの心霊書にも見られる大きな特徴である。

 さて、クローエルは五年後の一八七九年にもう一冊 The Spirit World Its Inhabitants and Nature and Philosophy  (霊界-その住民と自然と哲学)を出版した。

 これは前のページより数は少ないが、ずっと面白く、当時の心霊書の中でも重要なものの一冊に数えられてよい。内容は心霊現象の説明とかキリスト教との関連性といった問題を超えて霊界そのものを取り上げ、霊界とは何か、その位置、霊界人の生活形態、現実界との関係についての霊界人の考えといった事柄を徹底的に検討している。

 エドマンズ判事、ヘア教授、タトルその他の人の書も同じ問題を扱ってはいるが、霊界とその住民のみに焦点を絞った書はクローエルのこの本が最初であった。

 クローエル自身は霊能者ではなく、資料は全て自宅その他で催した実験会で取得したものであった。やはり霊界通信ではあったが、同じ霊界通信でもクローエルが扱った霊媒の中の筆頭は入神談話を得意としており、資料の大部分はその入神談話によって得たもので占められている。

 又その霊媒の口を借りて語ったスピリット(霊)の中のリーダー格はクローエルの父親と Footfalls on the Boundary of Another World の著者 ロバート・オーエン Robert Dale Owen の二人である。


 さてクローエルは先に紹介した、 The Spirit World の巻頭のところで自分の心霊哲学を次のように要約している。「肉体に宿っている人間は肉体と霊体と自我の三位一体の存在である。そして死後肉体を棄て、霊体と自我の二元的存在となる。

 思うに霊体つまり霊的器官が個体としての人間を構成するのであって、自我は普遍的存在すなわち神の統一体としての一部分であり、人間の永遠の存在たる所以はここにある。

 霊体と肉体とは時を同じくして誕生するものと思われる。そして人間の物質的並びに霊的本性はこの地上生活において初歩的な養育と教化を受けるのである。つまり両者は地球を母体として誕生し、歩調を揃えて成長していくよう意図されているのである。

 動物にも一応の組織的な霊的器官が具わっているが、人間のそれとは構成が異なり、死と同時に元の霊的元素へ還元されてしまう。」

 このクローエルの説はエドマンズ判事やヘア教授、タトルなどの説と大した違いはないが、クローエルの方がずっと行き届いており、且つまた内容的にも豊富である。

 たとえば死後の幾つかの界をクローエルは一様に天界 Heavens と呼び、ヘア教授やその他の心霊家のように七つに分けるようなことはしない。

クローエルに言わせれば、界とか帯とか言っても、みな連続した一つの世界の一部分なのであって、その分け方は見る人の観点によって異なってくるというのである。


 また他の心霊家が中間地帯とか社会とか呼んでいるのもクローエルはみな天界と呼び、ふつう最高界とされている第七界の上にもまだ天界があるとも言う。

がしかしクローエルも、霊魂の進化が一界又一界と下から上へ昇って行くものであるとする点においては、他の心霊家とまったく同じである。

 では続いて今度は本文からの抜粋を紹介してみよう。彼もヘア教授やタトルと同じく死後の世界の現実味、実質性を強調する。

「霊界というのは決してモヤの様な漠然とした世界ではなく、太陽系上の一惑星たる地球のように厳然たる定位置を占める存在である。

 生活は活動と実感にあふれ、実体のあるごく当たり前の〝家〟に住まう。そして実生活に即した為すべき仕事があり、努力次第で生き甲斐のある楽しみをもたらす。

 このように余りに地上生活に似ているために、最初の内は自分が死んでそこへ来ていることが信じられない者が多い。夢を見ているくらいしか考えないのである。それほど霊界と言うところは現実味があり、いささかも不自然さやモヤモヤしたところがない。

 実を言うと、山だの川だの海だのと、いかにも実感に溢れているかに思われている地球も、霊界に比べて果たして実感があると言えるかどうか疑問である。

少なくとも霊媒を通じて語る多くの霊が異口同音に述べるところを信じる限りでは、霊界の方がむしろ現実味に溢れ、地上は影のような世界なのである。

 霊界は文字通りわれわれを覆うような格好で存在しており、地球の表面もその霊界の一部であり、最も程度の低い界となっている。肉体を棄てた霊魂の中でも特に霊性の未熟な、そして地上生活に強い未練を持つ霊が自然に引き付けられるからで、その数は実に多い。

そしてその場に何百年でも何千年でも住んでいる。その意味では、そこは地界と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。スピリットたちに言わせると、その雰囲気から解脱したところが第一界である。

 この界には霊性において前者より少しばかり発達した霊魂が住んでいる。しかし、又その生活は地上生活と密接的に結び付いている。

 たとえば霊魂にも苦痛というものがあるが、中でも一ばんの苦痛は霊魂自身の地上生活での過ちに対して良心の呵責を呼びさまさせ、悔恨の情を引き起こさせんとして、高級霊が敢えて賦課する苦痛である。むろんみな精神的なものばかりである。

地上生活時代から守護と指導に当たっていた高級霊からの心理的操作の結果なのである。そうすることによって霊魂が地上生活で犯した過ちや犯罪を鮮明に思い起こし、それを謙虚に、そして真剣に悔いて償いをするように指導していくのである。

 実に向上進化こそ霊界の大原則である。つまり霊魂は向上進化すべき宿命を背負っているのである。むろん中にはいつまでも、時には何百年何千年もの間一歩も向上せずに最低界をウロ付いている霊も確かにいるが、しかし彼らも決して退化することはない。

 霊性に退化はあり得ないのである。
 地上生活で大して重大な罪を犯さなかった者───それが大多数を占めるが───そう言う霊魂が受ける苦痛は先に述べたものほど徹底的なものではなく、大抵二、三年で次の界へ向上していく。中にはもっと早い者もいる。

 また地上の人間の目から見て大罪人と思える者でも、霊界では対して厳しい償いを受けない者が意外に多い。同じ犯罪でも犯行時においてその行為の極悪性を意識できない精神状態にある場合があるからである。

 たとえばリンカーン大統領を暗殺したブース J.W. Booth は犯行時、南北戦争で戦死した数人の凶暴な南軍兵士、すなわちリンカーンに恨みを持つ霊魂に憑依されていて、正常な精神状態では無かったので、死後ほどなくして次の界へ向上していったという。

 これは直接リンカーンとブース双方に面会したオーエン氏が自信をもって語ってくれたことである。」                                                                                                       (The Spirit World)

             
 さて当時もっとも名を知られた名霊媒の一人にコナント女史 Mrs. J. H. Connant がいる。自分は執筆しなかったが、喜んで心霊研究家の研究材料となり、大くの貴重な資料を提供している。

 その研究の過程で得られた霊界通信は有名な心霊著述者アラン・パトナム Allan Putnam によってFlashes of Light from the Spirit World と言う題で一八七二年に出版されている。

 通信者にはW. E Channing, Theodore Parker, Thomas Paine, Bishop Fenwick 等々アメリカの著名な作家が多い。内要はすべて哲学的なものばかりで、スピリチュアリズムの哲学上の重要問題を数多く取り挙げている。一つだけ変わったものとしては、有名なスコットランドの叙情詩人 Robert Burns からの詩文による通信がある。

 文献上から観た場合一八七〇年から一八八五年までの十五年間はスピリチュアリズムにとって極めて実り多い時期であったといえる。勃興期に活躍した著述家が引き続いて筆を執っていたし、開拓者のデービスも依然として健在で第一線で活躍し、相変わらず指導的役割を果たしていた。

 さきに詳しく説明したように、デービスはおなじスピリチュアリストといっても二次的な意味でのスピリチュアリストであった。すなわちその著作はスピリチュアリズムでいう霊界通信とは本質的に異なるデービスの独自の方法で取得したものであった。

 しかしデービスはそうやって得た自分の思想がスピリチュアリズムにもまたスピリチュアリストにも相通じるものがあることを知った。

つまり彼の調和哲学とスピリチュアリズムとがその根本において全く同一であることを知って、自分の努力を結果的にスピリチュアリズムと同一分野に向けたのであった。

 一八五〇年から一八八〇年までの三〇年間にデービスは調和哲学とスピリチュアリズムに関して、彼としても最高の著作を何冊か出しているのであるが、その中で彼は常に、両者が高度な哲学において完全に一致するものであると述べ、しばしば調和哲学のことを哲学的スピリチュアリズム Philosophical Spiritualism と呼んだのであった。

デービスはこの期間を通じて講演と著作によってスピリチュアリズム運動を全面的に指導した。まさしく巨人と言える人物であった。むろん当時デービスの他にも見落としてならない心霊著述家が何人かいた。次にその名前と著書だけを紹介しておこう。

 まず Mrs. Maria M. king が The Principles of Nature を出している。デービスに倣ってスピリチュアリズムの 哲学面を扱ったものであるが、全体的に散漫で余計な説明が多く、説得力に欠けるうらみがある。

 次に Mrs. Emma Hardinge Britten が Art Magic, Ghost Land, Modern American Spiritualism, Nineteenth Century Miracles の四冊を出している。 最初の二冊はオカルト的なものを研究したものでスピリチュアリズムにとって大した価値はないが、あとの二冊は十九世紀のスピリチュアリズムを歴史的視点から要約したもので、貴重な文献が少なくない。

 女史は当時のスピリチュアリズム運動の立役者の一人で、宣伝普及と組織作りの上で掛けがいのない仕事をしている。例えば一八八七年に英国へ渡って Two Worlds と言うスピリチュアリズムの週刊誌を創刊し五年間その主筆をつとめている。そして今なお世界最大の購読者数を誇っている。(最近では月刊誌となり、代わって Psychic News という週刊誌が同じ出版社から出ている。訳者)


 その後一八九〇年には英国スピリチュアリスト連盟(N. F. S)を組織している。女史自身が有能な霊媒でかの有名なスピリチュアリズムの七大信条も、生前に社会主義者として有名だったオーエン Roblrt Owen が女史を通じて送ってきたもので、次の通りである。

一、神は万有の祖である。
二、人類はみな同胞である
三、人間の個性は死後に存続する。
四、幽明間に交通があり、人類は天使の支配を受ける。
五、各人各個の責務がある。
六、生前死後を通じて因果応報がある。
七、人類は永遠に向上する。

                                                                           (浅野和三郎訳による)
 その他の著述家と作品を挙げると再生問題を扱ったCora Richmond の The Soul and Its Embodiment, Mrs. S. G. Horn のThe Next World Interviewed, D. D. Home の Incidents in My Life と  Lights and Shadows of spiritualism 等々

  いずれも棄てがたい内容のある書であるが、ホームの二冊の書の内後者の方は霊媒自身が書いた優れたスピリチュアリズムの本として特に興味深いものをもっている。

一八七七年の出版であるが、今読んでも啓発される点が多い。残念なことに本書はスピリチュアリズムのどの年譜にも記されていない。

 スピリチュアリズムの初期に英国へ渡り、かのクルックス郷の前で実験を披露したのがこのホームであり、これを出発点として英国におけるスピリチュアリズムの関心が急速に発展していったのである。


 さて最初に紹介するのはピープルズ  J. M. Peebles の Immortality and Our Employments Hereafter で副題が『霊界の住居と仕事に関する百人のスピリットの証言』となっている。これもこの時期の心霊書としては極めて重要で興味ぶかいものの中に数えられるもので、かつて牧師だったピープルズがスピリチュアリズムの真実性に目覚め、キリスト教を棄てて最初に出した著書である。

 副題のとおり本書は霊界における住民と仕事について百人のスピリットから聞いたものに、他の心霊書からの引用を付け加えたものである。自分自身霊能をもたない著者は、その為に五度にわたって世界各地を巡って著名な霊媒を訪ね、その実験に立ち会っている。他書からの引用も多いが、著者自身が取材したものの方がずっと面白い。

 というのは、ピープルズはまず自分の方からスピリットに質問を出し、それを敷衍していくという方法を取っているのである。しかも同じ質問を多数のスピリットに与えているので、一つ一つの通信も確かに面白くて有益であるが、いろんな霊からの通信を比較検討できるという点で、その価値は特に大きい。

 繰り返して言うが、本書はスピリチュアリズムにとってこの上の無い意義を有するもので、出版当時だけでなく今日でもその有益性と面白さを失っていない。

 ではその百の通信の中から一つだけ紹介し、それによって残りの通信についておおよその見当をつけていただくことにしよう。通信霊は生前の名をゴードン William Gordon と言い、霊媒のマクスウェル Dr. Samuel Maxwellの口を借りて語っている。

問 どこで生まれましたか。
ゴードン  ボストンに生まれ、ボストンで育ち、そこで死にました。洋服屋を営んでおりました。


問 霊界へ来てどのくらい無意識状態が続きましたか。

ゴードン   自分自身には記憶のないことなので他人に聞くほかないのですが、特に母親は私がこちらへ来るのをずっと待っていてくれましたので私のことをよく知っております。母の話では私は約一時間半ほど寝ていたようです。眼が覚めた時、はじめはとにかく自分と言う意識しかありませんでした。

そのうち能力が回復してくるとまず私に肉体が下の方に横たわっているのに気付きました。私すなわち霊となった私は、その三フィート上あたりをフワフワと浮いているのです。次に気づいたのは、その横になっている私の肉体の周りに幾人か友人がいて、しきりに泣いていることです。

私は自分がここにいることを知らせようとしたのですがダメでした。やがて私は自分の置かれた新しい環境にすっかり目覚めてきました。その後今日まで何千人もの人が死ぬのを観察してきましたが、霊体は決して分解することなく頭部に集まり、そこから徐々に抜け出て自由になります。

肉体との分離が完了するには霊体と肉体とつないでいる〝生命の糸〟が切れた時です。激しい事故などで即死した時はかなりの時間その生命の糸が切れないことがあります」


問 霊体にまとう衣装は前もって用意されていましたか。
ゴードン   用意されていました。そして私が肉体から離れるとすぐに着せられました。


問 その霊界の衣装は霊界におけるあなたの霊的な程度に似あったものでしたか。

ゴードン   当時は何も知りませんでしたが、後でそうであることがわかりました。こちらへ来てから六年ばかりは地上で心に固く抱いていた考えを成就しなくてはと思って落ち着かない不満な毎日を送っておりました。私は生前頑固なブレスビタリアン(長老派教会主義者)だったのです。

それで私が母親にしつこく質問すると母は「まあ待つ事ですよ。そのうち魂が成長すれば本当のことがわかるようになります」と答えるだけでした。やがて私にも真理に目覚める日がやってきて、それ以来私はあらゆる面において可能な限り〝向上〟ということを心掛けて今日に至りました。


問 相変わらず地上の元の家に住んでいるのですか。それとも新たに自分のものを拵えましたか。

ゴードン   地上の家はすぐに出て、私を含む六人で新たに家を建てました。男三人女三人で、一緒の生活をしています。大体こちらの社会では愛情の性質を基準にしてグループ別に分けられます。六人が最小の単位で、大きい数は六の倍数になっています。例えば三十六人という具合です


問 やはり先生のような人はいますか。

ゴードン   大勢います。私が研究する問題には必ずその道の専門家がついてくれます。こちらには大きな学術施設がたくさんあります。おのおのの施設に大勢の教師がおります。


問 思念 (thought) と言うのは霊的物質の一種ですか。

ゴードン   動く霊的物質と考えればよいでしょう。


問 思念と観念(idea)とはどう違いますか。

ゴードン   思念というのは運動している霊的物質であり、観念というのは同じ霊的物質でも常に静止状態にある永続的存在です。


問 一万年とか一万五千年前、あるいは二万年も前の人で未だに地球に未練を抱いている霊がいますか。

ゴードン   いますが、極めてごく少数に限られます。大部分の古代人はすでに地球大気圏内の霊界を去っています。しかし、僅かですが、別に地球に未練はなくても、仲介役の援助を得て嘗ての自分の生活の場に下りてくる霊がいます。

つまり霊界の霊媒を通じて地球人と連絡をとり、自分の住む世界の素晴らしさを伝えようとするわけです。


問 ではあなたの住まいについてお尋ねします。さっきあなたは庭に花を植えてると申されましたが、根元から引き抜いたらやはり枯れますか。

ゴードン   それはその人の気持ち次第です。霊界では意念と言うものが驚くほど環境に影響を及ぼすものです。
たとえば庭園にシャレたあずまやでも設けたいと思えば、手を使わなくても念力一つで立派に拵えることが出来ます。そんな調子で生活のありとあらゆる面において意念というものが支配しますので、結局は私たちの環境はいわば内的精神状態の総合体のようなものになってくるわけです。


問 ではもう一つ、スピリットとしてのこれまでの長い生活を通じて一ばん心から離れない願望はどんなことですか。

ゴードン   もっともっと真理を知りたいということです。


問 真理を知ってどうされるのです。

ゴードン   魂には、真理そのものであるところの〝神〟に少しでも近づきたいと願う本能があります。その願望を叶えたいのです。   (Immortality and Our Employments Hereafter


  ピーブルズも多作で、スピリチュアリズム関係の著作は二十冊を数える。そしてその著作の為の資料を求めて五回も海外を巡り、各地で有名な霊媒の実験会に立ち合い、その結果を書物にまとめたわけである。The  Voyages Around the World five Voyages Around the World がその代表作と言える。

 その他の作品を列記すると、スピリチュアリズムの歴史を扱った Seers of the Ages, 他の心霊作家とシンボジュウム形式で出した The Christ Questions Settled, 憑依現象を扱った Demonism of the Ages, 再生問題に焦点を当てた The Spirit Pathway Traced, 

スピリチュアリズムの主な現象と哲学を扱った What Is this Spiritualism, そして絶筆となった Spirit Mates, their Origin and Destiny  等々で、この最後の著者は人間の魂の二重性と生前及び死後における両者の出会い、結合のついて述べたもので、注目すべきものとしては本書が筆頭であろう。


  さきにも述べたようにピーブルズ自身はいわゆる霊能者ではなかったが、極めて思考の深い哲学者で、常にスピリチュアリズムの高度な宗教的ならびに哲学的側面に関心を持っていた。

 彼の一番の功績はそうした難解な面を分かりやすく、しかも一貫性をもって叙述したことであり、書物を通じての普及と言う点では第一人者といってよい。

 晩年の著書の中で、大霊覚者デービスが手紙をくれて自分のことをスピリチュアリズム普及の最大の功労者といって褒めてくれた、と誇らしげに述べているが、まさにその通りであった。そのピーブルズは一九二三年、一〇〇歳になって程なく他界した。

 以上のほかにもこの時期すなわち、一八七〇年から一八八〇年までのスピリチュアリズム運動に尽くした人は挙げれば挙げられないこともないが、余白が無いので割愛する。

 なお筆者が米国における初期のスピリチュアリズムを一八四八年から一八八〇年までとしたのは、決して一八八〇年を境にして特別な変化が生じたからではない。

また運動そのものが急に下火になったわけでもない。実はこの頃からスピリチュアリズム運動の中心が英国に移り、その勢いの激しさに米国での運動が些か影が薄くなっていったということである。

 これから舞台を米国から英国に移すことになるが、と言ってこれで米国が終わったわけではない。米国において勃興したスピリチュアリズム運動が舞台を英国へ移して発展していくことになる。というふうに考えていただきたい。




   
 第四章 英国におけるスピリチュアリズム

 米国における初期のスピリチュアリズムは大まかに言って哲学的傾向が強く、心霊書がその普及の媒体となったが、それとは対照的に、英国におけるスピリチュアリズムは、センセーショナルな現象に端を発している。

 英国においてスピリチュアリズムが始めて関心を集めたのは一九五〇年代の初期で、すでに米国で名を知られていた名霊媒達,とりわけヘイドン Mrs. Hayden, ロバーツ Mrs. Roberts の両女史、それにホーム D. D. Home が英国へ渡った時であった。

 三人のうち二人の女性霊媒は物理現象が専門で、時たまラップ(叩音現象)やテーブルタップ(テーブルの脚が床を叩いて通信を送る現象)で通信を受けることがあった。

ヘイドン女史は特にデモーガン教授 W. F. DeMorgan の研究材料となり、その結果が夫人の手で 『物質から霊へ』 From Matter to Spirit と題されて出版されている。

 しかし何と言ってもホームの霊現象が、質的にも多様性においても、遥かに抜きん出ていた。物質現象から入神現象、物質化現象、はてはホームの独壇場の人体及び物体浮揚現象まで、その種類は実に多様であった。

 ホームが英国へ来たのは一八五五年の事で、その霊能はたちまちのうちに話題を呼んだ。彼の実験会に出席した人の中には英国王室の顔も多く見られ、のちにヨーロッパ大陸へ渡った時も、フランス皇帝、同皇后、プロシャ王、ロシア皇帝といったそうそうたる顔触れが列席し、みないちようにホームの霊能に感嘆し、ことに入神中のホームの口を借りて語るスピリットの話を聞いて確かに他界した肉親あるいは友人であることを得心したという。


 さて英国で見せたホームの現象の中で一ばん注目を集めたのは、いうまでもなく人体浮揚現象であった。一八七〇年クルックス Sir. William Crookes が主宰した実験会ではホーム自身が、バイブルに伝えられる〝聖者の浮上〟さながらに、空中高く持ち上げられている。

 またロンドンにおいて、リンゼー卿 Lord Lindsay ,アデア卿 Lord Adare ,ウイン艦長 Captain Wynne 等のお歴々を前にしての実験会では、地上八五フィートの高さの窓から出て別の窓から入って見せた。

こうした現象については、後で詳しく紹介するクルックスの『近代スピリチュアリズム現象の研究』 Researches in the Phenomena of Modern Spiritualism と、英国心霊学会会報第六巻に詳しく出ている。

 ホームの現象を見て当時の多くの人は幻覚だとか催眠術の性にしようとしたらしい。が、その後の霊媒が見せた同じ種類の記録を見ても、空気より遥かに重い物体が空中に浮上した事実そのものを疑う余地は見当たらない。クルックス博士もこう述べている。


 「私はホームが床から完全に浮上するところを三度目撃した。その三回とも始めから終りまでつぶさに観察することを得た。ホームが大勢の立会人を前にして地上から浮遊した記録は少なくとも百例はある。ダンレイブン伯爵、リンゼー卿、ウイン艦長の三氏からその目撃した現象について直接聞いている。

 この種の現象の証言を否定することは、とりもなおさず、人間のあらゆる証言を否定することに等しい。何となれば、宗教史、世俗史のいずれを問わず、これほど強力な事実によって裏付けされた現象は、歴史上にその例を見ないからである」   
                                       (Researches in the Phenomena Spiritualism


 こうした驚天動地の物理現象は、実はホーム自身から観て必ずしも好ましい評価を生んだわけではなく、むしろ現象の内面的な意義を伝える上ではマイナスであった。ホーム自身は深い哲学心を備えた人であり文筆家であったので、こうした現象的なことのみで騒がれる傾向を決して喜んでばかりはいられなかったのである。

 すでに紹介したように、ホームは二冊の重要な書物を出している。すなわち Lights and Shadows of Spiritualism と Incidents in My Life であるが、前者は五〇〇ページになんなんとする大部もので、一八七七年に出版され、当時のスピリチュアリズム運動を歴史的に叙述し的確な評価を加えている。

スピリチュアリズムの素晴らしい面を紹介すると同時に、それを過って解釈している狂信者を厳しくいさめているのであるが、こうしたホームのスピリチュアリズム観を読むと、ホームという人間が決して心霊実験でチャチなゴマカシをする人間でないことを確信するのである。

 またホームは職業的霊媒ではなく、絶対に金銭を受け取らなかった。著書の中でつぎのようなことを言っている。

 「私は霊媒を稼業としたことは一度もない。といって、これを稼業としている人のことをとやかく言うつもりもない。要はまじめでありさえすればよいと思っている。

ただ私自身は神から授かったこの霊能を商売道具とすることには耐えきれない反発心を覚えるのである。一回の実験会に相当な額の礼金を出されたものであるが、私は一貫してお断りしてきた」 
                                           (Lights and Shadows of Spiritualism
 
 ホームはクルックス教授の実験研究に協力した霊媒の中でも特に異彩を放っており、教授もホームのことは最大の敬意をもって扱っている。この点については、この後クルックス教授の研究の紹介の中で詳しく取り扱うつもりである。



 スピリチュアリズム関係の著作について言えば、英国におけるそれは、前に触れたデモーガン夫人の『物質から霊へ』に始まったと言えよう。これは夫人自身の一〇年にわたる心霊現象の研究と、ご主人がアメリカ人霊媒のヘイドン女史を使って行った実験結果をまとめたもので、書物としての出来ばえもさることながら、実験についての記事と霊界通信に見るべきものが多い。

 これに続く名著としてはウォーレス A. R. Wallace の『奇蹟と近代スピリチュアリズム』 Miracles and Modern Spiritualism が挙げられる。

 周知の通りウォーレスはダーウィンやスペンサーと並んで進化論の創始者の一人であるが、早くからスピリチュアリズムに関心を持ち、その現象を徹底的に調査研究した上でついにその真実性を確信するに至った人である。該書は一八七四年に出版された。(訳者注ーその序論の中で次のように述べている)

 「およそ目新しいもの、不思議なことは最初は〝奇蹟〟として扱われ、まともに信じて貰えないのが通例である。それまで発見された自然法則にそぐわないからである。が、同種の現象が十も二十も揃えば、そこにおのずと小規模ながら一つの〝自然の秩序〟が構成される。

それでもなお信じてもらえないかもしれないが、もはや〝奇跡〟とはみなされなくなる。私の知る何千もの驚異的現象についても〝あり得ないこと〟だの〝自然法則の逆転〟だのといういいがかりは全てご破算となる。

真実を知りたい方は私が次に紹介する書物を丹念に読み、その上で、果たしてその中に紹介されている事実の全てが詐術だの迷想だのということで片づけられるか否かを判断していただきたい。

そしてそのうちの一つでも二つでも真実であれば、残りも頭から否定することは出来ないことを肝に銘じていただきたい」)

                                                    『心霊と進化と──奇跡と近代スピリチュアリズム』(潮文社刊)


 ウォーレスは生涯を一貫してスピリチュアリストで通し、晩年(一九一〇)にはThe World of Life を著している。これは主として進化論を扱ったものであるが、後半の部分でスピリチュアリズムの哲学を改めて説いている。

 このようにスピリチュアリズムに深く傾倒していたために、ウォーレスの進化論とダーウィンやスペンサーのそれとの間には、人間の知的能力に関して決定的な差が見られる。

 すなわちダーウィンとスペンサーは人間の知性も動物から進化したもので、その意味で人間は〝進化した動物〟に過ぎないと説き、したがって人間が現在具えているあらゆる能力は人間に次いで進化している動物に潜在的に具わっていると、主張するのであるが、

その点ウォーレスは同じ能力でも本能的なものや低級な感情は確かに動物から引き継いでいるが、自己を意識する能力や合理的な思考能力は人間独自の魂の中核を成すもので、これは動物から受け継ぐものではなく、まったく別な源から来ると説く。

 すなわちスピリチュアリズムによれば人間の不滅の原理であるところの魂は、宇宙の大根源たる神から直接わかれ出るもので、これが肉体に宿る。言い換えれば人間の胎児の脳髄と連結する。

 つまり人間というのはもともと霊であって、それが動物の物質体に宿ったのがヒトとなった、というのである。ウォーレスはこの説を支持しているわけである。

お気づきの通りデービスも同じことを説いているのであるが、注意しなくてはならないのは、二人とも決してヒトと動物を絶縁したものとみなしているのではなく、究極的には両者は同じ根源に根差しているが、そこには厳然とした程度の差があるとしていることである。


 霊とはつまり内的原理のことであり、それが動物的知力と結びついて人間的生命を生む。それは動物的知力とは全く次元を異にするものであり、人類以外には存在し得ないというのである。

(原著者注──霊と動物的知力とが究極的には同質で、同一原理の中で単に形体的ないし程度的な差があるに過ぎないことは高等な人間的原理と低級な動物的原理とが容易に結びつき融合する事実が示している)


 ウォーレスはほぼ時を同じくして、例のクルックス教授がスピリチュアリズムの研究を開始している。当時すなわち一八七〇年頃はクルックスはすでの物理学者として、あるいは化学者として英国では押しも押されもせぬ地歩を築いていたので、博士のこうした動きは学術界ならびに文学界に大きな波紋を呼び起こさずにはおかなかった。

 クルックスが最初に手掛けた霊媒はアメリカ人霊媒ホ―ムで、自分の研究室や自宅に呼んで厳しい条件のもとで実験を行った。それに費やした時間は大変なもので、又トリックを防ぐために課した条件にも工夫の限りを尽くしたのであった。

 クルックスは学者らしくその実験の一つ一つについて詳しい長文の記録を取り、それを徹底的に検討した結果ついに心霊現象の真実性を信じ、同時にそれまで知られていなかった新しいエネルギーの存在をつきとめ、これをサイキック・フォース Psychic Force と名付けた。

 またこうした研究結果をまとめて王立科学アカデミーで発表し、のちにそれを『近代スピリチュリズム現象の研究』と題して世に問うたのであった。

 クルックスの業績の中でもこのサイキック・フォースの存在に関する研究は、スピリチュアリズムにとって正に画期的な意義を持つものであった。と言うのも、それがスピリチュアリズムの歴史上はじめて、心霊現象を徹底して科学的根拠に基づいて立証することになったからであった。


 『近代スピリチュアリズム現象の研究』にはそのサイキック・フォースについてのあらゆるテストと実験の結果が載せてあり、その徹底した科学的態度は、読む者をして、その結論に対して一点の疑念をも挟ませないものをもっている。

 一般の人にとって一ばん興味ぶかいのは、何といっても物質化現象に関する部分であった。霊媒はクック嬢 Miss Florence Cook で、ホームの場合と同じく、その能力の素晴らしさを耳にしたクルックスが自宅に招いて実験したであった。

物質化現象の特殊な事情を考慮して、特別仕立てのキャビネットを用意し、考えられる限りのあらゆる必要条件を整え、さらに証人として科学者をしばしば立ち合わせている。

 こうした厳しい条件下でも実験は見事な成果を収めた。クック嬢が入神状態に入るとケーティ・キング Katie King と名のる女性の霊が出現して部屋中を歩き回り、あたかも普通の人間のように列席者と会話を交わすのであった。

 時にはクック嬢とケーティの二人を同時に見ることもできた。これは取りも直さずケーティがクック嬢とは別人であることを示すものであった。

 全部で四〇回にも及ぶ実験において、クルックスは幾度か物質化現象を至近距離から観察し、必要なデーターを蒐集することに成功している。そしてその資料を三通の手紙の形式で当時の心霊紙 The Spiritualist に寄稿し公表している。むろんその著 『近代スピリチュアリズム現象の研究』 のにも収められている。その一部部紹介してみよう。

 「三月十二日、拙宅での実験会においてケーティは、しばらく列席者の間を歩いて会話を交わしたのちカーテンの奥に引っ込みました。

そのカーテンは列席者のいる私の研究室と、キャビネットがわりに使用している書斎とを仕切っているのですが、ものの一分もするとケーティがそのカーテンから顔を覗かせて『こちらへお入りください。霊媒がソファからずり落ちていますので頭を持ち上げてやって下さい』と言います。

その時のケーティの位置は私のすぐ目の前で、何時も白い衣服をまとい、ターバン風のものを頭部に巻きつけておりました。

 私は言われるままにカーテンの中に入ってクック嬢のところへ行ってみました。入る時、ケーティは私が通れるように身を引いてくれました。クック嬢を見るとなるほど上半身がソファからずり落ちて、頭部が不格好にぶら下がっています。

私はすぐさまクック嬢を抱きかかえてソファに戻したのですが、そうすることによってクック嬢の衣服がケーティのと異なって、何時も黒のビロードであり、完全に入神していることを暗がりの中で観察することができたわけです。(中略)
 
  さて続いて昨夜の実験会の様子ですが、ケーティが昨夜ほど完璧に物質化したことはありません。はじめ部屋中を歩き回り、久しく列席者と話を交わしておりましたが、やがて私に向かって、今夜は自分と私とクック嬢とを一緒にご覧いただこうと思いますと言います。

 私は早速ガスランプを消し燦光ランプを手にしてキャビネットになっている部屋に入りました。部屋は暗くしてあるので用心して入りました。そして手探りでクック嬢を探したところ床にうずくまっておりました。

 私はヒザを折ってランプを近づけ、空気を入れて灯りを大きくしました。灯りの中に見えたクック嬢は夕方に見かけた時と同じく黒ビロードの服をまとい、見た目には完全に無感覚状態でした。

 事実私が手を取っても灯りを顔に近づけてもピクリともせず、静かな息遣いをしておりました。それからランプを高くかざしてみると、すぐ側にケーティが立っています。今しがた実験室で見たのも同じ、流れる様な白い衣服をまとっています。


 私はヒザを折ったままの姿勢で片手にクック嬢の手を握り、もう一方の手でランプを上下に動かしてケーティの全身に光を当てました。その瞬間私は、自分は紛れもなく物質化霊のケーティを見ているのだ。幻影ではない。と確信して、心の奥に深い感動を覚えたのでした。

 その間ケーティは何も言いませんでしたが、その私の心中を察してか、静かにうなずいてにっこりとほほ笑みました。

 私は握っている手が生きた女性の手である事を確かめるために、足元にうずくまっているクック嬢に明かりを近づけて見つめること三回、更にその灯りを同じくケーティにも当てて徹底的に観察しました。そしてその客観的存在について一点の疑惑もさしはさまない段階に至ったのでした。」

 最後のところで述べているケーティとクックとの相違点については別のところで次のように報告している。

 「ケーティの背の高さはその時々によって違うようでした。以前拙宅で実験した時はクック嬢より五センチも低かったのに、昨日は素足でも十センチ以上も高かったのです。

 また昨日のケーティは襟元のあたりを広く空けて、その滑らかな肌を見せていましたが、クック嬢の首筋には大きな水ぶくれがあって、触るとカサカサして、滑らかではありませんでした。

 それからケーティはいつ見ても耳には何一つ飾りものを付けていませんでしたが、クック嬢は必ず何か付けておりました。肌色はケーティが白色で美しかったのに比べて、クック嬢は浅黒い肌をしておりました。

 顔の大きさもクック嬢よりケーティの方が大きく、指の長さもケーティの方がだいぶ長いようでした。歩き方や話しぶりも二人はいろいろと違っておりました。」


 クルックスはケーティの物質化現象の写真を全部で四四枚も撮っている。どれを見ても説明通りで、その中に一枚にはケーティが博士の腕にもたれかかった恰好で写っている。

 コナンドイル  A. Conan Doyle はその写真については次のように述べている。

 「私も博士の実験写真のうち何枚か所持しているが、何と言っても男ざかりの博士が、その腕にもたれた天使──まさしく天の使いだが──といっしょに写っている写真ほど素晴らしいものはない。」    
                                                                                (History of Spiritualism


 クルックスの叙述はさすが大科学者らしく何から何まで行き届いていて、ほとんど補足説明を要しない。それを裏書きするように、これまで博士の実験研究は一度としてケチをつけられたためしがなく、クック嬢を使って行った博士の実験は、心霊史上第一級の心霊研究に数えられている。

 クルックス博士はその後一九一九年にこの世を去ったが、スピリチュアリズムへの信念はいささかも揺らぐことはなかった。


 クック嬢と並んで当時の有名な物質化現象専門の霊媒にエグリントン William Eglington がいる。未だ青年であったが、現象は見事で、当時の知名人の多くが立ち会っている。

 一八八六年に出版された John S. Farmer の Twixt Two worlds によるとニコール Dr. Nichol と いう学者の家での実験では霊媒のエグリントンの姿がはっきり見える明るさの中で、物質化霊が次々とキャビネットから出て来たという。


  その中に一人金髪の少女がいたが、それはニコール博士のお嬢さんで、博士も夫人も間違いなく自分たちの娘であることを確信したという。

 このほかにも多くの物質化霊が出現して、そのうち何人かは皆が注視している中でスーッと跡かたもなく消えていったという。

 エグリントンは物質化現象のほかにも幾種類かの現象を見せることがあった。その中で興味を引いたのはスレートラィテングすなわち二枚のスレートに通信が筆記される現象であるが、エグリントンの場合の特徴は、二枚のスレートを重ねてその間に鉛筆を挟んでおくだけで内側に通信が現れることで、この方法によって素晴らしい内容の通信が多く残されている。

 前述の物質化現象といい、このスレートライティングといい、肯定派否定派双方による徹底した調査がなされている。否定論は当時も極めて盛んで、他の霊媒同様にエグリントンも詐欺の嫌疑から逃れることはできなかった。が、

エグリントンの現象はいずれも十分な確証によって裏付けされているし、似たような現象が当時より頻繁に見られ、且つ理解も深まっている今日から観れば、そうした現象が伝えられる通りに起きたことを否定する理由はほとんど見当たらないといってよい。

 さて筆者が A・J・デービスに次いで念を入れて紹介したいと思うのは、英国スピリチュアリズム史上最大の霊媒としてその名を留めるステイントン・モーゼス W, S. Moses である。

 モーゼスはもともと牧師であったが、健康を害してから説教の仕事を止めて学校の教師となった。それが一八七〇年頃のことで、その頃からスピリチュアリズムに関心を持つようになり、多くの心霊書を読み自分なりに心霊現象を研究していた。そうしているうちに自分も心霊能力を発揮し始めたのであった。


 最初のころはラップとか部分的物質化現象のような物理的心霊現象ばかりであったが、やがて一八七二年頃から入神と自動書記の二つが現れ始めた。モーゼスにとって、この二種の心霊能力は極めて重要な意義を持つことになる。

 というのは、この二つの能力がその後の彼の能力の発達の通路となったからであり、同時にまた、モーゼスの価値を決定づけた霊界通信のほとんどが、この入神中の自動書記の産物だったからである。

 その全産物は大判のノート二十四冊にのぼるといわれるが、そのうちの二十三冊が今もロンドン心霊連盟 London Spiritualism Alliance (その後 College of Psychic Science と改称ー訳者)に保存されている。(口絵参照)

 スピリットが入神中のモーゼスを支配している時の様子について、モーゼス自身による興味深い観察記録が残っている。

 それによるとモーゼスは、時折、自動書記を筆記中の自分の身体から離れてスピリットがその身体に働きかけている様子を立ち見する事があった。見ると自分(身体)は椅子に腰かけて左手を額に当てがい、右手でしきりにものを書いている。

それを一団のスピリットが回りに立って見守っている。良くみると一本の光線が右手に集中されている。それでわかったことだが、筆記している右腕はスピリットが直接憑依しているのではなくて、一本の光線によって遠隔操作されているのであった。

 モーゼスの背後には一つの霊団が組織されていたと謂われる。その最高責任者はイムペレーター Imperator (司令官の意)と名のり、その名の通りモーゼスの仕事の総指揮に当たり、モーゼスの霊界通信の主要部はこのイムペレーターからのものである。


  その他にも Rector,  Prudens, Doctor 等数多くの名前が出てくる。言うまでもなくみな仮名であるが、各々独立した実在の霊魂であって、モーゼス自身にはその本名(現世での名前)がみなわかっていた。しかし本名を明かす事は好奇心をくすぐる以外には何の役にも立たず、

むしろいたずらに猜疑心を増長させることになると考えたモーゼスは、最後までこれを公表することを避けたのであった。

 というのも、当時、ほかの霊媒を通じて同じイムペレーターと名のる霊が通信を送っていることが明らかとなってから、イムペレーターという霊についてあれこれと憶測や論議が流れたのである。

その秘密すなわち霊的ないきさつについてはモーゼス自身は充分に理解していたのであるが、一般の人の理解を得るのは時期尚早とみて、特に親しい二、三の友人を除いては、ついに明かすこと拒んだのであった。

 その数少ない友人の一人で英国心霊研究会(SPR)の創立者の一人でもあるマイヤース F. D. H. Myers はモーゼスの全資料を閲覧することを許されているが、その大著『人間個性とその死後存続』の中では、イムペレーターをはじめとする霊団全部の実名がみな分かっている旨を述べている。

 思うにモーゼスの考えた通り、通信霊が生前いかなる人物であったかを詮索をするのは大して意義あることではないことは確かである。

モーゼスの在世中に霊団の実名が問題とされたのは、多分に単なる好奇心からであって、実名が分かったからと言ってその通信に幾らかでも信憑性が増す性質のものではなかったはずである。

 その点についてはイムペレーター自身も人物の詮索はどうでもよい、大事なのは通信の内容であると常に訓戒している。

 それはともあれ、最近に至って トレシュウィ A. W. Trethewy  という人が『モーゼスの背後霊団』 The Controls of Stainton Moses と題する書物を出して、その全貌を明らかにしてくれた。それによれば・・・・・・

 まずイムペレーターは紀元前五世紀のユダヤの予言者マラキ Malachi 、プルーデンスはギリシャ・ローマの新プラトン派哲学者プロティノス Plotinus プリセプタは紀元前九世紀ごろのヘブライの預言者エリヤ  Elijah、 そのほか バプテスマのヨハネ、使徒ヨハネ、ソロン、プラトン、アリストテレスといった古代の宗教家、哲学者がずらりと顔を揃え、更にテオドール・バーカー、ロバート・オーエン、ベンジャミン・フランクリン、ウイリアム・チャニング等々、比較的近代の人物も名を連ねている。

 もっともスピリチュアリズムでは、こうした歴史上の有名人物や古代人の名前は一抹の疑念をもって受け入れられてきている。従って、もちろんモーゼスの背後霊が自ら名のるとおりの人物であることを無理して疑う必要はないが、同時に又、モーゼス自身が実名を明かすことは何の意味もないと主張し続けた心境は容易に理解できる。

 モーゼスは右に述べたような観点に立ってノート二十四冊に及ぶ自動書記通信を取捨選択して、一冊の書にまとめあげた。それがスピリチュアリズムのバイブルと呼ばれて今なお親しまれている古典的名著『霊訓』Spirit Teachings である。

 ほかにもう一冊 The Higher Aspects of Spiritualism というのがあるが、これは心霊現象と心霊的人生訓に関してモーゼス個人の考えをまとめたものである。

 問題の『霊訓』は形の上ではスピリットがモーゼス個人の指導を意図したものとなっている。方法は自動書記であるが、モーゼスは筆記しながらその内容についてスピリットと談話を交わすことが出来たようである。談話と言うよりは質疑応答といった方がよく、モーゼスは真剣に、しかも矢継ぎ早に質問を浴びせ、スピリットの出す回答に対してことごとく反論している。


 といいうのも、モーゼスは元来が熱心なキリスト教徒であり、従って自動書記をはじめた当初はどうしてもスピリチュアリズムを受け入れることが出来なかったのである。しかしそれも時と共に変化し、大いに論議を交わすことがしばしばあったにせよ、徐々にスピリットの教説に得心がいくようになっていった。

 『霊訓』はとりもなおさず、モーゼス自身とスピリットとの宗教的論争の記録に外ならない。
 論争はたいていスピリット側に軍配が上がり、最終的にはモーゼスも完全にスピリチュアリズムを受け入れることになる。

つまりモーゼスがそうやって偏狭な宗教的ドグマの束縛を脱し、広く深い心霊的思想へ目覚めていく過程が何の虚飾もなく、赤裸々に綴られていて、その意味で極めて興味深く且つ教訓に富んでいる。

 ではその一節を紹介することにするが、それにはまず「まえがき」からのモーゼス自身による自動書記の解説を引用するのが適当かと思う。


 「最初のころは文字が小さく、しかも不規則だったのでゆっくりとていねいに書き、手の動きに注意ながら、書かれていく文章をあとからあとから目で追いかけねばならなかった。そうしないとすぐに文意が通じなくなり、結局はただの落書きのようなものに終わる危険性があったのである。

 しかし、やがてそうした配慮も必要で無くなってきた。文字はますます小さくなったが、同時に非常に規則的で字体も美しくなってきた。あたかも書法の手本のような観のするページもあった。

私の質問に対する回答にはきちんと段落を付け、あたかも出版することを目的としているかのように、きちんと整理されていった。神 God の文字は必ず大文字で、ゆっくりと厳かに綴られた。


 通信の内容は常に純粋で高尚なことばかりであったが、その大部分は私自身の指導と教化を意図したプライベートな色彩を帯びていた。一八七二年に始まって八〇年まで途切れることもなく続いたこの通信の中に、軽率な文章、ふざけた言葉、卑俗な内容、不条理な言説、不誠実な、あるいは人を過らせるような所説、こうした類のものは私が知る限りいちかけらも見られなかった。

知識を授け霊性を啓発し正しき人の道を示すと言う、当初より霊団側が公言してきた大目的にそぐわないものは、およそこの仕事には合わなかったのである。

虚心坦懐に判断して、私はこの霊団の各スピリットが自ら主張するとおりの人たちであったことを断言して憚らない。その言葉の一つ一つが誠実さと謹直さと真剣さに満ちあふれていた。」


 次に通信に自分の考えが混入しなかったかどうかの問題についてモーゼスは、
 「通信の中に私自身の考えが入らなかったかどうかは確かに一考を要する問題である。私としてはそうした混入を防ぐために異常なほどの配慮をしたつもりである。

最初の頃は筆致がゆっくりで、書かれていく文を後から確かめるように読んでいかねばならなかったほどであったが、それでも内容は私の考えとは違っていた。しかも、間もなくその内容が私の思想信仰と正面から対立するような性格を帯びてきたのである。

でも私は筆記中はつとめて他のことを考えるようにし、難解な思想書を一行一行推理しながら読むことさえできたが、それでも通信の内容は一糸乱れぬ正確さで筆記されていった。

 こうしたやり方で綴られた通信だけでも相当なページ数にのぼるが、驚くのは、その間に一語たりとも訂正された箇所がなく、一つの文章上の誤りも見出されないことで、一貫して力強く美しい文体で綴られているのである。」


 本文の内容は大部分が宗教的であり、その目的とするところはバイブル絶対の奇蹟的ないし超自然的宗教に代って、合理的な宗教を説くことにある。次に掲げる抜粋(十節)はそういった目的と、モーゼスの初期の懐疑的態度が良く出ていると思われる。

 初めにモーゼス自身がそれまでの通信の経過について簡単に説明し、引き続いて通信が掲げられる。通信霊は最高指揮者のイムペレーターである。

 「(私は不服だったので書かれた通信を時間をかけてじっくり検討して見た。それは当時の私の考えとまったく対立する内容のものであったのである。(中略)私はこう反論した。すなわち、そのような教義はキリスト教のいかなる教派からも認められないであろう。

またバイブルの素朴な言葉とも相容れない性質のものであると。さらに又その様などことなく立派そうなものの見方──当時の私にはそう映ったのだが──は信仰のバックボーンを抜き取ってしまう危険性があることなどを指摘した。するとこう回答がきた)

 お答えしよう。良き質問をしてくれたことを嬉しく思う。(中略)いつの時代にも知識の進歩には必ずこれを阻止せんとする勢力はつきものである。愚かにも彼らは真理とは古きものにて事足れりとし、全ては試され証明されたりと絶叫する。

しかるにその実彼らは新しき真理につきては、ただそれが新しきものとなること、そして古きものと対立するものとなること以外は何一つ知らぬのである。

(中略)それ故に吾々はスピリチュアリズム的キリスト教観を説くにあたり、まず劈頭より〝懐疑〟の目をもって迎えられることにいささかの驚きも感じぬ。いずれは全ての者がその教えの美しさと神聖さを認むる日が到来するであろう。

(中略)汝がいかに聖書を絶対視しようとも、それが当時の霊媒を通じて得た誤りだらけの混ぜものなるが故に、吾々の教えと多くの点において融合し得ぬものを含んでいる事実を指摘せぬわけにはいかぬのである。(中略)


 聖書の啓示にも神についての知識に進歩のあとが見られぬでもないが、細部において不合理きわまる自家撞着を少なからず含んでいる。そもそも何世紀も昔の教説を今なお金科玉条として永遠の至上命令の如く考えること自体が、児戯に類することと言わねばならぬ。

 吾々が汝に求むるものはただ一つ。神の啓示といえども汝自身に与えられた〝光〟によりて判断せよということである。説教者の言葉を鵜呑みにすることなく、啓示を全体として捉え、一語一句の言い回しに拘ることなく、その精神、その流れを汲み取るよう心掛けねばならぬ。

吾々及び吾々の教説を判断するに際しても、得体の知れぬ古き予言に合うの合わぬだのと言う観点からではなく、汝の真に求めるもの、汝と神とのつながり、そして又汝の魂の進化にとりて有益であるか否かを判断をせねばならぬ。(中略)

 あらゆる行為は絶対不変の因果律の支配を受ける。善なる行為は魂を向上させ、悪の行為は逆に堕落させ進歩を遅らせる。真の幸福とは向上進化の中に、言い換えるなら一歩一歩神に近づいていく道程の中にこそ味わえるものである。

 地獄───それは個々の魂の中以外のいずこにも存在せぬ。すなわち未だ浄化も抑制もされぬ情欲と激情の炎に包まれ、悔恨と苦悶にもだえ、過ぎし日の悪業の報いとして容赦なく湧き出ずる魂の激痛にさいなまれる。これぞ地獄である。この地獄より抜け出る道はただ一つ、辿り来る道を今一度あと戻りし、神についての知識を求め、隣人への愛の心を培う以外にはない。

 罪に対してはそれ相当の罰であることはもとよりであるが、その罰とは怒りと憎しみに燃える神の打ちおろす復讐のムチでは断じてない。それは悪と知りつつ犯したる罪悪に対し、お慈悲を乞い脅迫的信条に口先のみの忠誠を誓うが如き退嬰(タイエイ)的手段によるのではなく、苦痛と恥辱の中にありて心の底より悔い改め罪の購いをする方向へ導くための自然の仕組みにほかならぬのである。

 幸福とは、宗教的信条に関わりなく、絶え間なき日々の生活において理性に叶い宗教心から発する行いを為すものすべてが手にすることが出来るものである。

神の摂理を意識的に犯すものに必ず不幸が訪れる如く、正しき理性的判断は必ず幸福をもたらす。そこには肉体に宿る人間と吾々スピリットとの区別はない。

 神に対する責務、同胞への責務、そして自分自身に対する責務、この三つの根本的責務については、すでにその大要を述べた。よってここでは詳説はせぬ。いずれ敷衍して説く時期もあろう。が、これまで述べたところをイエスの教えと比べてみられたい。

さすれば我々の訓えが純粋にして神性であり、イエスの訓えの本来の意義を掘り起こしそれを完成せしめるものとなることを知るであろう。(後略)」

 モーゼスを語る時に忘れてならない事がもう一つある。英国心霊研究協会 The Society for Psychical Research の創立である。そもそもこのSPRが創立されるに到るいきさつは、一八八二年にバレット教授 Prof. William Barrett が その趣旨をモーゼスに打ち明けて協力を依頼したことに始まる。

 モーゼスは二つ返事でこれに賛意を表し、さっそくシジウィック教授 Prof. Henry Sidgwick マイヤース、ホジソン博士 Richard Hodgson  ガーニイ Edmund Gurney そのほか数名の著名な学術関係者に協力を依頼して快諾を得たのである。そして初代の会長にはシジウィック教授が選ばれた。

 教会の主旨は次の五項目にわけられる。
1、一般に認められている五官による感識以外の様式によって精神と精神との間に或る種の感応を生ぜしめていると想像される力の本質とその程度を調査すること。

2、催眠現象、入神現象、千里眼、それに類する現象の研究。

3、ドイツ化学者ライヘンバッハ Reichenbach の唱える仮想自然力オッド Od の働きと見られる現象の調査。

4、確かな証言によって裏付けされている幽霊現象、及び屋敷内でのいわゆるポルタガイスト(霊騒動)に関する報告を徹底的に調査すること。

5、霊媒による物理的心霊現象の原因とその一般的法則を解明すること。

 なお会員は必ずしも教会の出す特定の説を支持することを意味せず、また物質科学が認めている力以外の力の作用を信じることも意味しない。

 モーゼスはこうした趣旨の SPR の一員として名を連ね、一方、教会の研究対象としても積極的に協力し、同時に相談役としてアドバイスを与える立場にあった。SPR の初期の仕事は主としてマイヤース、ガーニイ、ホジソンの三人によって遂行された。

中でもマイヤースは先に紹介した五項目を枠として膨大な資料を蒐集し、余生の大半をその出版のための整理と分類に費やした。

 やがてこの仕事を通じて人間の死後存続を確信したマイヤースは、その成果を 『人間個性とその死後存続』 Human Personality and lts Survival of Bodily Death  と題して二巻の大部の書にまとめ上げた。しかし、この仕事による過労のために、その出版を待たずに一九〇一年に他界した。出版されたのは三年後の一九〇四年である。

 『人間個性とその死後存続』はSPRが創立された当時(一八八二~一九〇〇)の最高の心霊書と言える。というのは、物理的並びに精神的心霊現象のあらゆる種類に関して事実上の百科全書ともえるほどの豊富な資料を網羅しているからである。

  
 こうした徹底した調査研究からマイヤースは有名な潜在意識説、すなわち通常意識の奥にあっても事実上の個性の主体となっている意識層の存在を指摘した。

これによって千里眼、催眠状態などの異常現象は、もともと普段の出て来ない超常能力が潜在意識の中にあって、それがそうした異常な精神状態下で活動するのだと説明づけたのである。この説は今でも実験心理学の分野ではかなり広く用いられている。

もっとも、これはマイヤースが霊媒現象を説明づけるために最初にたてた仮説であって、間もなくマイヤース自身この説のみでは全ての現象の説明は無理であるとの結論に達し、結局はこれを棄てることになる。 

 棄てると言っても全面的に白紙に戻したわけではない。潜在意識そのものの存在は厳然たる事実であり、これによってある種の異常現象は解明できるが、いわゆる霊媒現象や死者からのものと思われる霊界通信は、どうしても潜在意識説では片付けられないと見たのである。

そして結局マイヤースはそうした霊媒現象はやはり霊界のスピリットの仕業であるとする、いわゆる霊魂説に到達した。

 しかしこうして潜在意識説を立てた当の本人がそれを棄てたあとも、この説で全てを説明せんとする試みが引き続いて行われ、皮肉にもそれが、マイヤースが最後に出した霊魂説を打ち破らんとする一派の有力な武器とされたのである。

 興味ぶかいのは当時の著名な心霊研究家の殆どが一度マイヤースと同じように潜在意識説をとり、やがてそれを棄てて霊魂説に落ち着いていることである。

 SPRの研究活動に関連してもう一冊、やはり会員の手になる貴重な書物がある。ガーニイの『生者の幻影』 Phantasms of the Living がそれで、一八八一年に出版された。

本書はいわゆる幻影とか幻覚とか言われている問題を取り扱ったもので、主題そのものは直接にスピリチュアリズムに貢献するものではないが、本書に収められた資料の中にはスピリチュアリズムの観点からみて、非常に貴重なものが少なくなく、全体として霊魂説を暗示する傾向が強い。

ガーニイは SPR の初期における重要な研究者の一人で、機関紙 『SPR会報』 にはガーニイの貴重な記事が少なくない。


 同じく初期に活躍した会員にホジソン博士がいる。主として霊媒の研究に貴重なものを残している人で、ウィリアム・ジェームス博士がアメリカで研究した後を受けて行ったパイパー夫人 Mrs. Piper の研究がその代表と言えよう。

研究に着手した当初の三年間は現象そのものは本物と認めながらも、説としては「二重人格説」をとっていた。がその後研究を続けていくうちに一八九一年に至ってついに霊言説に帰着している。

五百回にも及ぶ実験会から得た資料に基づいたもので、それだけに大いに信頼を置かれてしかるべきであろう。

 言うまでもなく当初の SPRの研究結果のうち主なものは「会報」に載せられている。今日ではほぼ一年分をまとめて合本の形で残されており、大きな市立図書館ならどこにでも置いてある。

ただ内容的に見て一般の読者には大して興味を引く読みものではなく、主としてスピリチュアリズムの学問的研究の足跡を知る上での資料としての価値しかない。

しかも、その資料の大部分は著名な心霊書に引用されたり織り込まれたりしているので、直接の利用価値は無くなっているといってよい。

 では次に、そうしたSPRの業績の中から特筆すべきものをいくつか紹介してみよう。
 まず筆頭にあげられるのが先に紹介したパイパー夫人の霊媒現象で、これはホジソン博士だけでなく何人ものSPRのメンバーによって研究されている。

 そもそも最初にパイパー夫人に目を付けたのは米国の心理学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者として知られるジェームス教授 William James で、一八八五年に英国で夫人を知り、教回実験会に立ち合ってその異常能力が本物であることを確信し、さっそく、マサチューセッツ州の自宅に呼んで家族同様の生活を共にしながら本格的に調査研究をしたのだった。


 その間に見せた夫人の現象はそれまでと少しも変わらぬ素晴らしいものであったが、結局ジェームス教授はその原因については極めて慎重で、霊魂説、潜在意識説のいずれとも断定せず、

ただその現象の真実性、つまりそれが手品でもゴマカシでもないことについては太鼓判を押し、SPRの会長としての就任講演の中で次の様に述べている。

 「夫人が入神状態において見せる知識が、通常の目と耳と知力を使って得たものでないという印象には抗しきれません。その知識の源が何であるか、今のところ私のも分かりませんし、提示するほどの考えも何一つ持ち合わせませんが、そうした説明不可能な知識を夫人が見せるという事実そのものは、どうあっても認めざるを得ません」(SPR会報)

 また夫人の人間性について教授は自宅での一緒の生活でその真面目さを確信したといい、次のように述べている。

 「自分の信じることについて証拠を求められた際に夫人ほど確かなものを見せることのできる人を他に知りません。つらつら考えて見まするに、私どもは毎日を何らかの信念を支えとして生きております。私は夫人の正直さの保障には幾らカネをかけてもいいという気持ちです。

かく断言する事によって私の名声がどうなろうと、一人間としていささかの悔いもございません。」(同前)

  
 教授の研究は主としてパイパー夫人の入神中における談話現象で、フィニューイ Phinuit と名のるフランス医師が支配して、ジェームズ教授の親戚縁者について驚くほど正確な知識を披露し、さらにその中から教授の叔母に当たる人が直接パイパー夫人の口を借りて教授と談話を交わした。


 しかし教授はそれでもなおそれを死者の霊と認めるのに躊躇し、その後パイパー夫人を含む多くの霊媒の実験に立ち合っているうちに次第に霊魂説へ傾いてはいったが、ついに学者としての立場からそれを公言するには至らなかった。

 ジェームズ教授による研究が一段落したあと、パイパー夫人はSPRの招きで英国へ渡った。一八八九年のことで、その頃はすでにホジソン博士が米国で夫人の調査に着手しており、親しくしていた関係もあって、SPRへの紹介は博士が行った。

 パイパー夫人は翌年の一八九〇年まで英国に滞在し、SPRの実験研究に霊媒として協力した。当時の主なメンバーはマイヤース、オリバー・ロッジ、ウォルター・リーフの三人で、三人は自分たちも実験に立ち会うかたわら、多くの知人が匿名で立ち会えるよう便宜を図り、その記録をとった。その記録の中には非常に興味ぶかい事実やテストが少なくない。

 三人のメンバーによる調査研究はジェームス教授が米国で得たものとほとんど同じであった。詐欺行為ではとても不可能な驚くべきテストが繰り返され成功している。その結果三人は現象そのものの真実性は認めざるを得なかったが、ジェームス教授と同様にそれを霊魂の仕業とするまでには至らなかった。

 すなわち三人は差し当たってこれをテレパシーまたは隠れた潜在意識の働きによるものとし、霊魂説はほかのすべての仮説が片づくまでは取り上げないことにしたのであった。


 しかし三人は夫人の人間性についてはジェームズ教授と同様に満腔の敬意を表している。マイヤースはその報告の中で次にように述べている。
 
 「これほど長期にわたってこれほど厳密に調査された霊媒も珍しい。そして夫人は研究者の全てにその人格の高潔さ、率直さ、正直さの点で深い感銘を与えた。」

 こうして二年間にわたる英国での実験生活を終えたパイパー夫人は一八九〇年に米国に戻った。そして今度は再び夫人の研究のために渡米してきたホジソン博士の研究下に置かれることになったのである。

 実はこの頃から夫人の霊媒現象に大きな変化が生じている。まず、これまで夫人の中心的支配霊だったフランス人医師フィニューイに替わってペラムGeorge Pelham という若い法律家が支配するようになったことである。この青年は実は生前ホジソン博士の知人で、一八九二年二月、ニューヨークで事故死したのであった。

 もう一つの変化は、このペラムに替ってから、それまでに入神談話が自動書記に変わったことである。もちろんこの変化は突如として起きたのではない。最初は時折自動書記が出る程度であったが、確実さの点で自動書記の方がはるかに有利であることが分かってくると、徐々にペラムの出番が多くなっていき、ついにはほとんど全部をペラムが引き受けるようになったのである。

 フィニューイもたまには入神談話で出てくる事があったが、重要なテストケースには必ずペラムが自動書記で回答を出すのであった。

 ペラムと親交のあったホジソン博士は親友ならではの興味ぶかい実験を幾つか行っている。その中にこんなのがある。何回かの実験を通じて博士はパイパー夫人と一面識もない人ばかり百五十人を招待したのであるが、そのうちの三十人はペラムと生前の付き合いのある人であった。


 そのうちの一人を除いて二十九人は即座に分かり、姓よりも名で呼ぶほどの親しさを見せ、あれこれと生前の思い出を語り合って旧交を温めたのであるが、一人はどうしても心当たりがないという。それもそのはずで、ぺラムがその人と会ったのは、その人がまだ幼い子供の頃だったのである。
 
 こうして結局一五〇人のうち二九人を除いた残りの一二一人についてはホジソン博士の予想通りペラムは全く知らなかった。

 ではその二九人の知人のうちの一人ジム・ハワードとのやり取りの様子を紹介してみよう。これは自動書記ではなく、ペラムがパイパー夫人の口を借りて行った入神談話で、SPRのメンバーが速記している。


 ペラム 「ジムじゃないか。早く話せよ。僕は死んじゃいない。死んだなんて思わんでおくれ。君にこうして会えるなんて、ほんとに嬉しい。僕の姿が見えるかな。声は聞こえるだろう? おやじにあったらよろしく伝えてくれ。会いたいと言ってくれ。ここに来るのが楽しいんだ。

こうして通信が出来るとなおさら楽しくってね。話のできない連中(霊のこと)が気の毒だ。今でも君の事を忘れてないことを知ってほしいな。ジョンとも話をしたが、手紙の話が出たよ。僕は物の始末がだらしなくてね。本だの書類だのをゴチャゴチャにしてしまったからなあ。勘弁してくれヨ。」


ハワード 「いま何をしているんだ? どこにいるんだ?」

ぺ「いまのところまだ仕事らしい仕事は出来ないんだ。やっと死後の生活の実在に目覚めてきたばかりでね。最初のころは真っ暗闇だった。何の見分けもつかないんだ。右も左もただ闇ばかり。分かるだろう。ジム。わけが分からんで本当に困ったよ。でももうそろそろ仕事がもらえるはずだ。

いまはもう君たちの姿も見えるし、声も聞こえる。アクセントや一語一語の区別も良く分かるよ。だけどなんだか低い太鼓みたいに響くんだな。僕の声はかすかなささやきみたいに聞こえるんじゃないかな」

ハ 「じゃ電話で話してるようななもんだな」

ぺ 「その通りだ」

ハ 「長距離電話だ(ペラム笑う)。自分がまだ生きていることを知って驚かなかったかい?」

ぺ 「驚いたとも。それはそれは驚いたよ。僕は来世何て信じてなかったからな。とても僕の頭では考えられなかったんだ。だけど今はまさに真昼の太陽の如く厳然たる事実となっちゃった。こちらでは肉体とまったく同じ恰好をした幽体と言うものがあってね。ところでジム、いま何書いているの?」

ハ 「大したものは書いてないよ」

ぺ 「来世について書いてみてはどうか」

ハ 「書きたいとは思うが、僕の考えを述べるだけでは何にもならんよ。事実を証明するための証拠をあつめなきゃ」

ぺ 「それ僕が提供するさ。ホジソンにも同じだ。やる気があればの話だけど・・・・・・。」

ハ 「はたしてこうした交信の可能性をみんな信じてくれるかな」

ぺ「最後にはきっと信じるようになるさ。肉体に宿っている人間がそのことを知って、みんなが霊界と通信するようになるのも時間の問題だ。僕のことも仲間のみんなに知ってもらいたいと思っているんだが・・・・・・。ロジャースはいま何を書いているのかな」

ハ 「小説だヨ」


ぺ 「いやそのことでは無くて、僕についてのことだ」


ハ 「ああ、それなら君の思い出をかく準備をしているよ」

ぺ 「それは有難い。思い出していただくというのはいいもんだ。彼に感謝しなくっちゃ。在世中も良く親切にしてもらったからな。彼には。実はね、マーサ(ロジャースの娘)がここに来てるんだ。

幾度か話をしてみたがゴム管で食事をとらされながら死んでいった時の事が今でもむやみの思い出されてならないらしいんだ。そんなことはもう忘れなさいと皆が言って聞かせるんだけどね。随分良くはなってきているけど、なにしろ病床にあった時間が長過ぎたからな。

君が今もし彼女を見たら、それはそれは可愛い子だよ。だけど、まだまだもの分かりが悪くてね。言ってみれば、うるわしき小さな魂と言ったところかな。お父さんによろしくと言ってるよ。

そうだ、パーウィックはどうしている? よろしく言ってくれ。あいつはいい奴だったな。在世中に思っていた通りの人間だ。頼りがいがあって正直で・・・オレンバーグはどうだ?

僕の手紙を何通か持っているはずだ。くれぐれもよろしく伝えてほしい。仲間の中では彼が一ばん僕を理解してくれなかったが、好感は持っていてくれていたからな。われわれ仲間のように、常軌を逸した人間はいつの世でも誤解されるものさ。

僕も随分憂うつになったことがあるが、こちらではそれがまるでない。常に晴れ晴れした気持ちだ。このことを父に知ってほしいと思う。父とはよく心霊の話をしたもんだが、今でも分かってもらえないだろうと思う。母親の方がラクじゃないかな。」
                                                                    (A Report by Dr. Hodgson to the S.P.R

 
 
パイパー夫人を使って行った数年にわたるこうした実験研究の結果ホジソン博士は現象が本物であることを100%確信し、はっきりと霊魂説を打ち出した。その最大の動機付けはパイパー夫人の支配霊が親友のペラムに代ったことであった。


 それまで、すなわちフランス人医師のフィニュ-イが支配していた間は潜在意識説又は二重人格説に傾いていたのであるが、ペラムに変わってからは親友同士の親密な通信によって、どうあっても死後の存続を認めざるを得なくなっていったのである。

 同じ頃マイヤースも他の霊媒の研究によって霊魂説を確信し、前出の『人間個性とその死後存続』の中ではっきりとこれを主張し、又オリバー・ロッジも一九〇九年に出した『人間の存続』The Survival of man の中で同じく霊魂説を主張した。

 ホジソン博士による研究が終わった後パイパー夫人は引き続いて幾人かの著名な研究家の研究対象となり、相変わらず信憑性の高い資料を提供している。

 たとえばコロンビア大学のヒスロップ教授 Prof. Hyslop も長期間にわたって夫人の霊媒現象を研究し、自分の亡き父親が確かに今なお霊界に生き続けていることを確信している。

 又マイヤースが一九〇一年の帰幽以後パイパー夫人を通じて幾つかの通信を送ってきている。その中には古典学者だったマイヤースをしのばせる内容が歴然としているものがあり、同時にそれはパイパー夫人本人から出たものとは絶対に考えられないことが明らかである点などから、貴重な通信とみなされた。

 こうしたパイパー夫人の優れた能力は一九一〇年頃まで続いたが、その頃から入神状態に入れなくなった。恐らく高齢に加えて健康を害していたことによるものと想像される。

 夫人は二十有余年にわたってほとんどひっきりなしに英米の SPR と密接な関係をもち、量的にも質的にも最高の資料を提供した。英国における心霊研究の発展にパイパー夫人ほど貢献した人は古今を通じて他に見出すことが出来ないといっても過言ではない。


 パイパー夫人と同じ様に SPR と研究対象となった女性霊媒にトムプソン夫人 Mrs. Thompson がいる。夫人についてはマイヤースが良く研究し、その人間性には太鼓判を押していた。教会への報告の中でその点に関してこう述べている。

 「夫人は活動的で積極的で実際家で、家事にも育児にも、あるいはハイキングや映画といった普通一般の若いご婦人連中が関心を示す娯楽にも興味を持っている。神経過敏なところはまるでなく、かといって瞑想的でもなく、信心家らしい様子も見せない。誰が見ても異常能力のも持ち主とは思えない人である。」


 トムプソン夫人はいわゆる職業霊媒ではなく、いかなる実験会でも一銭の報酬も受け取らなかった。夫人の得意としたのは入神現象で、多くのスピリットが夫人の口を借りてメッセージを送ってきた。これはフィニューイ博士などがパイパー夫人を通じてしゃべったのと同じ現象であった。

 支配霊の中の中心的存在は夭折した夫人の子供でネリーという女の子であった。ほかによく通信を送ってきた霊としては夫人の学生時代の学校長や夫人の研究に着手して間もなく他界したマイヤース、そのほかガーニー、シジウィク等 SPR の初期の会員が幾人かいた。

 トムプソン夫人の研究に着手したマイヤースは素晴らしいテストに成功を収めるかたわら、友人知人を次々と実験会に列席させ、それぞれに納得のいく結果を収めている.
P131
 トムプソン夫人がもたらした成果の中で一番興味ぶかいのは今述べた SPR の初期の会員からの通信であった。SPR が設立されたのは一八八二年のことであるが、六年後の八八年にはガーニーが、一九〇〇年には初代会長のシジウィックが他界している。


そしてその翌年には夫人を研究し始めたばかりのマイヤースが急逝し、そして間もなく興味ある通信を送って来た。 
 しかし通信の正確さの点において、少なくても当時に限ってはガーニーの方が上であった。というのも霊界での生活上の慣れの点では少しでも早く他界したガーニーに一日の長があり、地上生活の記憶や交信のコツなどの点でも一枚上だった。

マイヤースは通信を開始したばかりの頃は言うことにつじつまが合わないところもあり、自分でも「どうもうまくいかない。急な環境の変化で記憶が思うように戻らない」などとこぼしていた。


 ではトムプソン夫人を通じて得た交信の中から興味ぶかいものを紹介してみよう。最初は SPR のピディントン Piddington の研究報告の一部で、少女のネリーがいろいろと世話を焼いている様子がよくわかる。霊側にはシジウィック、ガーニー、マイヤースの三人が来ているのであるが、霊媒を通じての交信にまだ慣れていないようである。

 「筆者(ピディントン)がネリーにガーニーさんは来ているかとたずねると『トリオ(3)よ』とわけのわからない返事である。トリオって何のことかと尋ねると『ヘンリー・シジウィック、エドマンド・ガーニー、それにマイヤース』と答えた。そして『じゃシジウィックさんに替ります』といって交替した。

シジウィックはほとんど数えるほどしか物を言わなかったのであるが、その声、話しぶり、品のよさは驚くほど生前そっくりであった。 

 
次の実験会は一九一〇年一月二一日に行われた。霊媒のトムプソン夫人が入神すると、列席者がまだ部屋に入らないうちにいきなり、ネリーが『ヘンリー・シジウィックはどこにいるのかしら。会が終わったあとで話されることになっているんだけど・・・』とひとりごとのように言った。

その言葉通り会が終わって列席者が席を立ったあと、シジウィックが出て話そうとしたがどうしてもうまく話せない。そこでネリーが出て『ビディントンさん、シジウィックさんはダメのようです。

あなたが彼のことを考えていらっしゃらない時を見計らって自動書記で通信したいと言っておられます。四時半になるでしょう』という話。誰が書くの? トムプソンさんかな? と聞くと「そうよ」という。
 
ところがそのあとすぐシジウィックが出て話し出した。その感じは前と同じく生前そっくりで、現実に当人と話をしているようであった。その現象の生々しさはいまだに私の脳裏から消えない。」


 前にも言ったようにマイヤースは一九〇一年の一月一七日に他界したが、それからほぼ一カ月後の二月一九日にオリバー・ロッジ主催の実験会に出ている。会報第二三巻からその一部を紹介してみよう。初めの部分はネリーである。 


 
「皆さんはマイヤースさんが亡くなったとおっしゃるけど、私には信じられなかったの。お姿を見たことは見たけど、まぼろしみたいで、誕生日に遊びに来られたとしか思われなかったわ。(人間は睡眠中に霊界を訪れることが多い―訳者)でもいまははっきり分かるわ。本当に亡くなられたのね。

間違いないわ!(興奮気味に)お話が出来るかどうかためしてみるわ。もう少し意識がはっきりされたら来られると思います。九時頃ね。だから八時三十五分ころには準備をしていてください。

それまでには意識がはっきりされると思うの。まわりからアレコレお教えするよりも、しばらくご自分が考えてご自分で語られる方がいいと思います。」

 
このあとマイヤースが出て霊媒を操作するのであるが、どうもうまくいかない。かわりにネリーが言う。「マイヤースさんは話し手と言うより筆記係みたい」ややあってマイヤースが話しはじめるが、見るからに苦しそうである。「ロッジ、思ったほど楽じゃあないヨ。

ガーニーは上々の出来だと言ってくれるが、息切れがするんだ、
ああ、ロッジ、まるで霧のかかった絵画でも見ているようだ。書き写しておかなきゃという気ばかりして、実際に自分が話してるという感じがしないんだ。記録する方がよほどラクだ。

いろんな霊媒を調査研究したけど、調査した僕の方がはるかにダメだったと、その人たちに伝えてほしい。ああ、いかん。この人(トムプソン夫人)はいつもいいところで止めてしまう。
 
ローザ・トムプソンのノドを借りて自分が話しているのが聞こえるが、口を動かしているのは自分でないのに自分が話しているのが聞こえるとは奇妙だ。つまり話をしているのはマイヤースという人間全部ではないということです。」

  今一つマイヤースからの通信に関連した興味ぶかい資料に、有名な〝封書テスト〟がある。これはマイヤースが帰幽前にオリバー・ロッジに一通の封書を手渡し、自分が死んだら霊媒を通じてその内容を伝えるからそれまで絶対に開封しないようにと頼んだもので、前出と同じピディントンの報告に次のような部分がある。


ロッジ 「教会に関連したことで何か伝えたいことがありますか」

マイヤース 「何の教会かな」

ロ 「SPRをお忘れですか」

マ 「忘れたなんてとんでもない。今はど忘れしていただけだ。思い出すのに少し時間をくれよ。少しずつ話して行くから。地上で私がやった時も、霊魂には好きなように話させた方が結果が良かったよ。二人(ガーニーとシジウィック)はSPRが私の一番いい仕事だったって言っている。

これからも二人が何かと援助してくれるだろう。こちらへ来て自分が死んだことを自覚するまでは頭の中が混乱してね。てっきり道に迷ったくらいに思って必死で道を探したんだが、途中で死んだはずの人に出会っても、まぼろし位にしか考えなかった。四月には又出ることになっているよ」
p134
ロ 「ではその時に例の封書を読んでいただけますか」

マ 「例の封書? なんのことかな」

  (ここでネリーが出る) 
 
ネ「いろいろ骨を折っていただいてありがとう。気持ちが通じあうということが霊にとって何よりの手助けになるのです。この気持ちの通いさえあれば全てがうまくいくのです。


たとえば証拠としての価値のない事柄でも気持ちの通いがあれば証拠となることがありますし、むしろ証拠にこだわる人の方が案外証拠を得られないものです。マイヤースさんはいろいろと援助したいことがおありのようです。きっと援助するとおっしゃってるし、そうしなくてはならないでしょう。

四月にはもっと地上生活のことが思い出せるはずです。例の封書のことも思い出されると思います」

 
 ところがトムプソン夫人は健康上の理由からか、あるいはほかに事情があったのか、この頃から実験をやめている。オリバー・ロッジの報告を見ると、その後一九〇一年五月八日まで一度もやっていない。

 そしてこの日つまり五月八日に、ふとしたことで実験会を催したのである。そして果たせるかな、マイヤース(と名のる霊)が出たのであるが、どうも確証になるようなものが得られないままに終わっている。マイヤースはしきりに交信状態の悪さをこぼし、又地上の至る所から交信を求められて気持ちが混乱していると語っている。


 又肝心の封書の件に関しても、
 
「いずれ機会を改めてやってみます」
 と言っただけで、どうも釈然とせず、おしなべてその日のマイヤースは一貫性に欠けていた。

 
その後もトムプソン夫人やその他の霊媒を通して何回か通信があったが、封書の件に関しては言及していないようである。そして一九〇四年すなわちマイヤースの帰幽後三年たってオリバー・ロッジはついに問題の封書を開封し内容を読んだ。

 実はその頃までにトムプソン夫人以外の霊媒を通じてその内容についての霊信が幾つかあったのであるが、開封して見てそれが全て誤っていることが判明し、結局この開封テストは完全な失敗であったことを認めざるを得なかったのである。

  もっとも、この失敗を余り誇大視することは控えねばならない。というのはマイヤース自身たびたび言っているように、トムプソン霊媒のコントロールがどうも思うにまかせず、それに、この封書テストのような内容のことを霊媒の脳、あるいは意識層、を通じて連絡することは極めて困難なことなのである。

 
「人間の精神はいかに感受性が強いと言ってもその精神を通じて送られる通信に自分の考えを割込ませようとするものです」

 と言うマイヤースの言葉がその辺の事情を物語っている。しかもマイヤースは死後一年余りは一種の昏睡状態にあったといい、従って地上生活の記憶がはっきりしなかったのである。一九〇三年にホランド夫人を通じて送って来た通信に次のような箇所がある。 

 
「間もなく死後三年になる事は分かっているのですが、まだ発達段階の初期の状態にあるような感じがします。私の場合は死後の意識のもうろうとした状態が異常に長びきました。

最初の一年間の大部分はまったくといってよいほど記憶がありません。いわば入神状態にあったようなものです。約束が果たせなかったのもそんなところに原因があったとみて下さい。ご想像になるよりははるかに難しいんです」

更に同じ年に同じホランド夫人を通じて、通信のむずかしさを次の様に譬えている。
 

 「通信を送る時の難しさを譬えばなしでいうならば、見通しが悪く声も通らない霜のついたガラス窓の外側に立ち、いやいや仕事をしている血の巡りの悪い秘書に指示を与えているようなもので、ひどい無力感に悩まされます。言いたいことがなかなか伝わらないむなしさ──私を理解し私を信じてくださろうとする方とうまく交信できないのが残念でなりません」

さらに言う───。
 「物を言わぬ霊媒がいないものかと考えたりします。霊媒は感受性が強いために遠いところからの影響でさえ霊界からの通信を邪魔することもあります。

それに、霊媒として何とかせねばと言う責任感や、無意識のうちにゴマカシをせぬだろうかという不安感、自己欺瞞が入り混じって書く手を引きつらせ、ゆっくりと間を取って静かに書こうとする気持ちを乱してしまいます。」


  以上のマイヤースの言葉をよく検討してみると、結局通信がうまくいくためには、その内容のよりどころとなる、はっきりとした人間的要素または利害関係が必要だということになりそうである。

 また霊媒の意識は大なり小なり動揺しているものなので、その動きをつかんだ上で通信を送らねばならないらしい。
 
 その動きは言うまでもなくごく普通の人間性に根ざしたものから出ているのであるから、通信を送る上においては、むしろそうした人間的要素が必要だということになるわけである。

  その意味で抽象的な問題や霊媒に縁のない話題はそうした人間的要素に欠けているために、霊媒の意識を通過しにくいことになる。その点についてホジソンは死後の通信の中でこう述べている。

 「忘れてならないことは通信には必ず人間的要素が必要だということです。今になって私は生前マイヤースから通信らしい通信が得られなかったわけがよくわかります。」

  また一度引用した言葉であるがネリーが、
 
「証拠とならない性質のものでも証拠となることがあるものです。むしろ証拠にこだわる人の方が案外証拠を得られないものです。」

 と言っているのもその辺のことを言っているのである。マイヤースが時にはうまく通信が出来たのにもかかわらず、例の封書の内容だけはついに手がつけられなかったのはその辺に原因があったとみるべきであろう。

(原著者注ーマイヤースはその後一九〇五年に、つまり封書が開封されたあとであるが、ホランド夫人を通じての通信の中で次のように述べている。「あの時の事情がもう少し違ったものであってくれたら、と失敗が悔まれてなりませんでした。今でも本当に残念に思います。

みなさんを失望させたからです。みなさんが失望しなければ、あの程度のことは些細なことで気にするほどのことではないのです。生きた人間の潜在意識は、どんなに感受性がよくても、送られてくるメッセージに自分の考えを押しつけようとするものです。」)

  しかしマイヤースはその後、それとは別の面白いテストを幾つか試みている。一つはSPR初代会長のシジウィック氏未亡人とマイヤースの二人しか知らない話題に関するもので、マイヤースが帰幽前にシジウィック夫人を呼んで、義弟のアーサー・シジウィック氏にお兄さんの回想録を書くよう依頼して欲しい、と頼んだことがあった。

 
 夫人はハイパー夫人の実験会でマイヤース氏にその点について言及してみた。すると、ベロール夫人とピディントン氏の見ている前で次ぎのような返事であった。

 マイヤース「ご主人の一生の事を考えてほしいとお願いしたのをご存じですか」

シジウィック夫人「考えておくようにですって?」

 マ「ええ、書いてほしいということですよ」

 
 その後の実験会で再びマイヤースはその件に言及し、ぜひ書いてほしいとは思っていたが忙しくてかまっている暇がなかったと述べた。次はその一部である。

 マ「ところで奥さん、再び例の本の話に戻りますが、私は確かあなたに書いて下さるよう頼んだのを記憶しております。著作権のことを覚えておられますか。私は他人の手に入らないうちに早く出版して欲しいとお願いしたように記憶しますが……。

あなたにしかできない仕事だと思ったのです。あの時に述べた言葉を正確に言いますと『もしもこの点について・・・・・・しないと価値が失われます』(点線部分脱落)違ってますか」

シ夫人「著作権の事はおっしゃらなかったと思いますが・・・」

マ「著作権ではなく著作のつもりでした。ご説明しましょう。風景写真のことで進言したのを覚えておられますか。私が出版に必要だと考えた写真のことです。

これをアーサー(シジウィック)に進言したと思うのです。アーサーのことで思い出すことがあるでしょう。彼があなたの力になることならどんなことでもすると言っていることを私が話したはずです」                                                                           (podmore: The Newer Spiritualism
 

 シジウィック夫人は以上のやり取りの大部分が事実の通りであることを認め、これを人間に超常能力があることの証拠であると結論付けた。

ふつうならば死後存続の証拠と見るべきところであるが、実は夫人は霊魂説を信じておらず、どちらかというとテレパシー説を取る心理学者だったのである。

 ついでに言えば、例のシジウィック教授の回想録はやはり夫人とアーサーの手によってマイヤースの遺言どおりに編纂され、いま引用した実験会が催された頃に出版されている。


 もう一つ面白いテストを紹介しよう。
 
これにも部分的ではあるがマイヤースが関与している。これはさきに紹介したピディントンが帰幽前にSPRに託したメモに関するもので、メモの内容は次のようなものであった。

 「もし私が霊魂として生き続け、この世に通信を送ることが出来る時は、何らかの形で数の七(seven)を伝達するであろう。おそらく観念として七を伝達する事は困難と想像される。

つまり七を数的観念や文字で伝えることは不可能と思われるので〝The seven lamps of architecture〟 とか 〝The seven sleepers of Ephesus〟とかあるいは “Unto seventy times seven〟〝We are seven〟 と言った形で伝達したいと思う。」

 このメモはむろんピディントンが死ぬまでは開封されないことになっていたのであるが、面白いことに、あれがSPRに託された本人がまだ帰幽しないうちから、〝七〟に言及した通信が多くの霊媒を通して次々と出るようになった。

その中にはマイヤースからものと思われるものもあり、ペロール霊媒の自動書記には七枚の葉のついた枝が描かれたりした。また次のような文章も現れた。

 
「七本に枝分かれした燭台──そうした概念──七つの教会。しかし実際の教会ではない。一つの明りとなった七本のローソク。そして七色の虹も。謎の七はいくつもある。どれでもよい。われらも七人、誰 ? マイヤース」

 こう言った調子で七に縁のある通信が余りにも多いので、ビディントンは間違いなく自分のメモに関係があると推察しSPRにそのメモの公表を依頼し、ようやく謎が解かれたのであった。

 さて一九〇五年にはホジソン博士が帰幽している。一九〇一年のマイヤースの他界後はホジソンがSPRの中でも最も意欲的な活動をしていた。またマイヤースに倣って、自分が死んだら必ず通信することを約束し、その約束通り死後まもなくホジソンと名のるある霊からの通信があらわれ始めた。

 ウィリアム・ジェームス、オリバー・ロッジ、そのほかSPRのメンバーは多くの霊媒を使って交霊会を催していたが、そこへホジソンが出てプライベートな話題やSPRに関連した話を持ち出して、至って親しげに語るのであった。

 ホジソンもマイヤースの場合と同じく最初のうちはなかなか思うように話せなかったが、回を重ねるにつれてスムーズにいく様になった。一例としてパイパー夫人を通じての談話のやり取りを紹介しよう。相手はジェームズ教授である。

ホジソン「ところでウィリアム、一つだけ言っておきたいことがあるんだが、それは、心霊問題を君はどうも物的側面からばかり眺める傾向があるが、もう一つ霊的側面から見つめてほしいということだ。つまり洞察力を働かせて霊的真理を直観的に把握してほしい。

そうすれば君にとって有意義な面も出てくるし、また私がやって来たことが君が言ってきたような暇つぶしでもなく、くだらぬことでもないことがわかってもらえると思う」

ジェームズ 「通信がもっと一貫性のあるものであってほしいんです。そうすれば私も納得がいくと思います。確かにあなたらしいところがよく出ているけど、妙に断片的で・・・」


ホ 「なるほどそうかもしれんけど、肉体に宿っていた時と全く同じ程度に一糸乱れず、理路整然と話すことを要求されては困るんだ。余り欲張ったことを要求してはいけない。

こちらからの通信が断片的であっても、そのひとつひとつをよく検討していただきたい。ところで僕の胸像を作るという話、君はどう思う ? あんなもの作らなくてもいい。まったく意味ないよ」

ジ 「まだ見てないんですが、作ろうとする皆さんの気持ちはよく分かりますよ。皆さんがあなたを慕っていたわけですから・・・」

ホ 「いま僕のことでどんなことを書いてますか」
ジ 「今のところ別に何も書いてませんけど・・・」

ホ 「書く予定は?」
ジ 「おそらく書くことになるでしょう」

ホ 「何か援助できることでもあれば・・・」
ジ 「それはもう、大いに助けをお借りしたいですよ。今日の交霊会のことも書きたいと思ってるところです」

ホ 「それはすばらしい。こんなに有難い話はない」
ジ 「あなたのことを精一杯賞賛したものに仕上げるつもりです」

ホ 「イヤ、イヤ、そんなことはどうでもいい。僕はただ真理を知ってもらいたいだけなんだから。こうした通信を、僕が死とともに無に帰したのではないことの証拠として活用していただきたいわけで・・・。

ただ忘れないでほしいのは、僕はこちらへきてまだ何年も何十年もたったわけではないということです。そんなヤツでさえこうして他界直後から存在の証拠を見せようと努力してるんだから、ほかの連中も頑張ってくれるといいんだが」(SPR会報)
 

 次の通信はさらに証拠性に富んでいるように思われる。相手をしているのはホジソンの生前の親友ドール氏である。氏は米国メイン州の避暑地バーハーバーに邸宅をもっている。


その家はオールドフアームと呼ばれ、博士は生前しばしばここを訪れて余暇を楽しんでいた。霊媒のパイパー夫人はバーハーバーには一度も行ったことがなく、一片の知識もない。ドール氏がオールドフアームという名を覚えているかと尋ねる。


ホジソン「おぼえているとも、いつだったか、夜おそくまで一緒に外出して君のお母さんがとても心配されたっけ。おぼえているかな。嬢ちゃんのミンナちゃんもいっしょだったな。ずいぶん遅くまで外出してしまって、あれは失礼だったと思う。客としてあるまじきことだ。(ドール氏曰く──ホジソンがまっ先に思いだしそうなことである)

それからジャックが僕と議論をしてカッカしていたのを覚えてるな。君ひとり面白がってたな! それからお母さんがある日曜の朝、僕を外へ呼び出して、使用人たちが軽四輪馬車で教会へ出ていくところを見せてくれたのも思い出すな・・・居間の暖炉が見えるよ」
 
ドール 「どこで寝たか覚えてるかな?」

ホ 「中庭の向こうにあった小さな離れさ。そこでよくタバコを吸ったもんだ。(ドール氏曰く──夕方早くから戸締りすることが多く、ホジソンは誰かとその離れへ行って随分遅くまでタバコを吸いながら談笑にふけった。)泳いだりボートを漕いだり森を散歩したりしたことも覚えてるヨ」
 
ド 「どんな場所で泳いだと思う? 砂浜の沖かな、それとも岩の多い場所かな」

ホ 「岩の多いところだ。はっきり覚えてるヨ。今の僕にはその場所がそっくり見えるヨ」 (ドール氏曰く──私の家の更衣場は浜辺ではなく、海に突き出た岩の上にあり、その岩はけわしく危険な場所だった)

ホ 「君のお母さんの部屋についている小さなベランダや、そこから海へに向けての素晴らしい眺めが今映っているヨ」(ドール氏曰く──そのベランダは母親と親しくした人にしか知られておらず、私たちと生活を共にした人でないと自然に思いだせる性質のものではない。)          (SPR会報)


このほかにもSPRのメンバーがホジソン(と名のる霊)から受け取った通信は数多くある。その中には証拠としての価値の点で素晴らしいものが幾つかあり、心霊家の中にはこのホジソンとの対話を通じて霊魂説を信ずるに至った人が少なくない。

頑固なジェームズ教授も、さすがに完全に参るところまで行かなかったが、あと一歩と言うところまで傾いていた。
 以下そのうちから三つの例を紹介しておこう。


<一例>
 一九〇六年五月二日の実験会でホジソンはピディントンに自分が残した書類の中にシカゴのハルダ・デンスモア Hulda Densmore と言う女性からの手紙が何通かあるはずだから探してくれと頼み、その手紙は本当は他人の手に渡ってはまずい内容のものだったと語った。次がそのやり取りの一部である。

ホジソン「ピット(ピディントンの愛称)僕はシカゴのある未婚の女性―名前は・・・、とにかく一女性からのプライベートな手紙のことで君に頼みたいことがあるんだが、中身は誰にも読んでもらいたくないんだ。
(続いて自動書記でその女性の名前を Densmore と綴り手紙は Huldah と署名してあったと述べた。ピディントンは早速その手紙を探したが見当たらないので次の実験会でその旨を告げて尋ねてみた)


ピディントン 「手紙は最近のものですか」

ホ 「イヤ、もう六,七年前のものだ。他人の手に渡っては困るんだが・・・。僕とその女性以外は内容を知らないので・・・(その後もピディントンは手紙を探したがやはり見当たらなかったのでその旨を告げると、居合わせた前出のドール氏がハルダと言うのは自分が知っているデンスモア家の人と同一人物かどうかを聞いてみた)」


ドール 「その女性はメアリ、ジョーン、エラの三人娘のうちの一人かな」

ホ 「エラだよ。普段はハルダと呼んでいたんだ。(エラ・ハルダ・デンスモアが正式な名前であることを述べてから)あの手紙は処分しておくべきだった。もしかしたら処分してしまって、そのことを自分でも忘れてしまっているかもしれない。実は彼女に随分想いを寄せた時期があったんだが、それを他人の耳にいれたくなかったわけだ。その事実は彼女が証言してくれると思う」

(そこでジェームズ教授が当の彼女に手紙を送って事実を確かめた。次がその返事である)

「だいぶ前のことですがホジソン様から結婚を申し込まれたことがございました。その後も幾度か手紙を交わしておりました。ホジソン様はそれを残しておいでかも知れません。エラでなくて中間の名のハンナを使った事もあると記憶してます」

(そこでホジソンに対して相手の女性はハルダという名前は知らないと言っているが・・・・・・と質したところ次の様な返事であった。)

ホ 「もしものことがあって彼女を傷つけるようなことがあってはと思い、呼び名のエラの代わりにハルダを使ったわけです。至ってデリケートな事でして・・・」(SPR会報)

<二例> 
五月 二十一日の実験会でジェームズ教授はパトナム・キャンプで子供たちと遊んだ時のことで何か思い出すことがあるかと尋ねてみた。すると──

ホ 「君も知っているだろう・・・何て言ったっけ・・・そうだエリザベス・パトマンと言う女の子。

その子が入ってきて暖炉の前で椅子に腰かけて本を読んでいた僕の背中によじ登って両手で目隠しをして 『だあれか?』 と言うので、僕が、『はてな、エリザベス・パトマンみたいだけど、その声は・・・』
 (ここでジェームズ教授がさえぎって)」


ジ 「ちょっと待って下さい。言わなくても分かります。(教授の説明によるとホジソン博士の話で教授自身も当時の事を思い出したという。それはある朝の事、教授の記憶ではマーサ・パトマンという子がホジソン博士の背中に抱きついて目隠しをし「だあれか?」と聞くと博士は笑いながら「声はマーサのようだけど手の感じではヘンリー・ボウデッチみたいだな」と答えた。そんなエピソートを思い出しながら教授は博士にさっきの続きを言って下さいと言う)

ホ 「なんとか博士・・・パトマンではなくて・・・ボウデッチ博士」
 
ジ 「そうでしたか」


<三例>
 また別の実験会でジェームス教授夫人がホジソンに、夫人の妹と議論した夜のできごとを覚えていますかと尋ねたところ、その「覚えていますか」という言葉を言い終わらないうちに霊媒の腕がいきなり伸びて、こぶしを握りしめ、殴りかかるような態度を示した。そして──

ホ「覚えてますとも、こうして妹さんの顔を・・・つい手が出てしまいました。妹さんもよける間がなくて・・・・・・私が悪かったんですが、もののはずみで、どうしようもなかったのです」

 これについてはジェームス教授は次のように書きくわえている。

 「この出来事は私自身もよく記憶している。いきさつが他愛ないことだったので、博士が帰られてから、あとに起こった客といっしょに大笑いしたものである。そもそも博士が腹を立てられたのは妻の妹がカリフォルニアで見たスレート・ライティングが本物だと言い張って一歩も譲ろうとしなかったからであった」
                                                                       (Podmore :  The Newer Spiritualism


 このように、ホジソン並びにマイヤースの死後数年間は二人からのものと思われる通信が各地の霊媒を通じてひっきりなしに送られてきた。

その記録はすべてSPRのメンバーによって蒐集されSPRの所有下にあるが、そうしたいわば直接的な通信とは別に、霊界側が企画した特別な方法、すなわち〝十字通信〟Cross- correspondence と〝ブックテスト〟によって得られたものがある。

 この二種のテストは通信が列席者からのテレパシーでないことを立証するために考案されたものである。
 十字通信にも二つある。


 一つは霊側が数人の霊媒を通じて断片的な通信を送り、個々の通信のみでは何を言っているのか判断できない内容にしておいて、そのうちそのカギとなる通信を送るナゾナゾ形式のものである。

 もう一つは、例えば三人の霊媒を通じて断片的な通信を送り、その三つを組み合わせるとぴったりと筋の通った文章が出来上がる仕組みになっている。

 この十字通信によってかなりの見るべき成果が得られたことは否定できないが、ただこれが先に紹介した直接的通信と較べて説得力において優っているかとなると、はなはだ疑問である。

 第一、直接的な通信で納得しない者を、それ以上に回りくどいやり方で納得させる事はまず不可能というべきである。そんなわけで今日ではほとんどこのやり方は用いられていない。何と言っても大切なのは〝事実〟である。一発ノックダウンの威力を秘めた事実が欲しいのである。

ある心霊家(Dr. Joseph Maxwell)の言を引用すれば、「われわれは事実の証明が欲しいのである。この点、十字通信は極めて消極的な事実を土台としたやり方であり説得力に欠ける。

効果的な価値は絶対的な事実からしか生まれないもので、その意味では、少なくとも現段階では十字通信は落第である。」                                                     (History of Spiritualism by A. C. Doyle)

 
 十字通信はもともと懐疑的な人間を得心させる目的で霊界側が考案したものである。それが大して説得力を持たない事が判明した以上は、これはまさしく失敗であったと認めざるを得ない。

 一方ブックテストと言うのも同じくテレパシーを避ける目的で考えだされたもので、霊側がある書物を指摘し、その本の何ページにかくかくしかじかのことが書いてあるという。むろんその書物は霊媒も列席者も読んだことはなく、まして、何ページに何が書いてあるなどと言う事は知るよしもない。

 ところが指示されたページを開いてみるとその通りに出ている。これは確かにテレパシーではないわけで、これによってある程度の成果は得られたが、十字通信と同様、懐疑的な人間を納得させるだけの力はなく、直接的通信以上のものではあり得なかった。

 こうして見ると、少なくとも現段階では、霊魂説をテストによって証明する方法はすべて出す尽くした感がする。思うにこの方面での進歩はいたずらにテストと方法を考え出すことよりも、すでに得た数多くの心霊現象を再検討し、より深くその意義を理解することによってのみ得られるのではなかろうか。




    
第五章 その後のスピリチュアリズム

 これまで辿って来たスピリチュアリズムの二つの大きな流れ、すなわち英米両国におけるスピリチュアリズムの運動は、期間にすると一八五〇年から一九〇〇年にわたっており、前半の一八七五年までの主流は米国にあり、後半の一九〇〇年までは英国が舞台となっていた。


これから吾々はいよいよ現代に至るまでのその後のスピリチュアリズムの動きを観てみたいと思う。

 スピリチュアリズムの主流が米国から英国へ映っていく一八七〇年ころまでは、すでに述べたように哲学的ないし文学的色彩が強かった。物理的心霊現象も決して少なくはなかった(これはいつの時代にも共通して言えることである)が、当時の心霊書や心霊雑誌を見ても分かるように哲学的ないし文学的色彩が極めて濃厚であった。

 こうした傾向はデービスの調和哲学と相まって当時の真面目な〝考える人〟に霊魂不滅についての合理的かつ具体的な納得を提供するところとなり、当時の研究家たちの多くも、その証拠をそれなりに確実で十分なものと信じたのであった。

 当時スピリチュアリズムはデビューしたばかりの新顔であり、それだけになおさら、死後の生活に関してリアルで納得のいく証拠を提供してくれるはずだという期待が大きく、その期待が探究心を一層駆り立てることになっていったのである。

そんなわけで一八五〇年代、六〇年代、七〇年代の三代は、スピリチュアリズムの可能性を信ずる者にとってはまさに天啓の時代とも言える時代であった。


 やがて七〇年代の中ごろから英国の一流科学者が関心をむけるようになると、スピリチュアリズムの主流は急速に英国へ流れるようになり、同時にそれまでの哲学的傾向から一変して心霊現象の科学的究明型に変わっていった。

 すなわちウォーレス、マイヤース、クルックス、バレット、ロッジ、その他の科学者は実験的方法によってまず、

 ① いわゆる心霊現象が本物であるか否かを究明する。

② もし本物であれば、霊魂説にこだわることなく適正妥当な学説を立てること。

 この二点を主眼とする研究機関を創立したのである。これがSPRであり、その創立の趣旨は霊魂説を立証することではなく、むしろ霊魂説に対する懐疑心、さらに言うならば、断固とした否定的立場から出発したのである。

 そのことは教会の基本条項の中に次のように述べていることからも窺うことができる。すなわち『誤解なきを期するために次のことを明記する。すなわち会員は必ずしも教会の出す特定の説を支持することを意味せず、また物質科学が認める力以外の力の作用を信ずることも意味しない。』

 こうした厳しい批判的精神から出発した当時一流の科学者による研究活動──これこそスピリチュアリズムの不可欠の一面であるが、これがそれまでのスピリチュアリズムの流れを哲学的ないし、宗教的なものから心霊現象の科学的研究へと変えることになったわけである。


 
一流科学者によって引き起こされた英国における新しい潮流は当然のことながら米国にも逆流し、米国に置いても心霊現象の科学的研究が盛んになり、半面それまでの哲学的ないし宗教的傾向が退潮しはじめた。

 米国SPRもすでに設立されており、英国SPRと同様に事実の蒐集と霊媒研究に精を出していた。勿論哲学的ないし、宗教的関心が全く無視されたわけではないことは英国も米国も同様であるが、関心の主流は現象の科学的研究にあり、心霊書もそのほとんどが研究資料の発表や解説にその紙面を割いていた。

 言ってみればこの時代はスピリチュアリズムが科学の挑戦を受けた時代であり、さしあたってスピリチュアリズムのとるべき道は、歩調を緩めながら科学の審判を待つことよりほかなかったのである。

 さて世界的にも著名な科学者がスピリチュアリズムに関心を持ちはじめたことは、当然のことながら一般に人にも影響を及ぼし、心霊現象そのものへの関心が急速に高まって行った。そして需要があれば供給ありで、いわゆる職業(プロ)霊媒が雲霞の如く輩出した。

 特に一九〇〇年から十年間に米国でも数えきれないほどのプロが輩出し現象の種類といい質といい、米国心霊史上例を見ない程興味ある現象が見られたようである。

大きい都市へ行けば必ずと言ってよいほどどこかでプロによる交霊実験会が開かれており、物質化現象、入神現象、またはスレート・ライティング等、それもきわめて質の良いものが日常茶番事のように見られた。

 むろん中には怪しい霊媒、あるいは詐欺師的霊媒もいたようであるが、大部分はまじめな本式の霊媒であり、自分に霊媒的資質があることを知ってこれを一般の人に公開し、いくばくかの礼金を取ることを決して恥ずべきことではないと信じていた人たちであった。

 幸いなことに当時すなわち一九〇〇年代の初頭はまだ霊媒に対する迫害も嫌がらせもなく、一般の人たちは科学者が実験室で苦心の末ようやく目撃していた素晴らしい心霊現象を僅かばかりの料金で、一片の疑念もはさむことなく毎日のように見ていたのである。


 が、こうしたプロの全盛時代も余り長く続かなかった。SPRの設立によってにわかに衆目を集めたスピリチュアリズムは、その急激な人気上昇がクライマックスに達すると、その反動もまた急激であった。

 その原因には二つあった。一つは一般人の心霊現象そのものに対する不信感と懐疑心であり、もう一つは悪意こそなかったが心霊問題に全く無智な役人による霊媒への迫害であった。

当時のほとんど全部と言ってよいほどの優れた霊媒が詐欺行為のかどで摘発され、実験の最中に強制的に引見される事もしばしばであった。為に肉体的ないし精神的に危害をこうむった者も少なくなかった。

 もっとも、これには霊媒側にまったく責任がなかったわけではない。というのは、霊媒の中には確かに詐欺行為をやっていた者がいたからである。

そこで賢明な霊媒は自己防衛のために、とりあえず第一線から身を引く事が賢明であると考え、一般の人を相手とするいわゆる公開交霊会を止め、家庭に置いて知人や研究家のみを対象とする家庭交霊会を開くようになっていった。そしてこの傾向は今日もなお続いている。

 ところでスピリチュアリズムにおけるこうした激変は実は決して憂慮すべきことではなかった。というのは職業霊媒というものにはスピリチュアリズムにとって好ましからざる要素がからむのが常だったからである。その最大のものが金銭問題で、プロである以上料金を取るのは当然と言えば当然であったが、その裏には次のような問題を孕んでいた。

つまり全くの詐欺師、あるいは詐欺師とまでは行かなくても極めて未熟な霊媒が数多く輩出し、これが数々の疑惑を生んで、結果的にはスピリチュアリズム全体が懐疑の目で見られるようになってしまったのである。

 たとえば霊言現象と称してお告げや予言をする霊媒の殆どが実はたいした霊感もないのに、当人の気にいるように適当なことを言って喜ばせ、その場その場をごまかしていたのである。まじめな霊媒が身を引いた後に残った者はこうした類の霊媒であった。
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 こうしたわけで、スピリチュアリズム全体として観れば、すぐれた霊媒が稼業としての霊媒活動から身を引かざるを得なくなったことは少しも憂慮すべきことではなかったのである。

 話は戻って英国SPRがそれなりの実力と存在意義を最大限に発揮したのは創立された年の一八八二年から一九一〇年まで、すなわちマイヤース、ガーニー、シジウィック、ホジソン、ロッジ、バレット、といった当時第一級の科学者が顔をそろえていたころであった。

 そのうちシジウィックとマイヤースが一九〇〇年と一九〇一年にあいついで帰幽し、一九〇五年にはホジソンもまた他界した。そしてこの頃からSPRの活動に衰えが見え始めた。

メンバーにはまだロッジやジェームス、ボドモア、ピディトンなど決して見劣りしない顔ブレが揃っていたが、仕事に対する粘りや執念の点に置いて初期のメンバーとは格段の差があり、その後も下降の一途を辿って、今日ではその権威は全く地に落ちた感がする。

 もっともSPRがこうして下降線を辿った原因には、主要メンバーの帰幽ということ以外にも考えられないことはない。それはSPRが最大の目的にしていた心霊現象の真実性の検討という仕事そのものは、初期のメンバーによってほぼ達成されていたということである。

 そもそもSPRはスピリチュアリズムの哲学や理論にはいっさいの関わりをもたず、その目的を心霊現象の科学的検討という一点に絞っていたのである。

つまり現象は何が原因で起きるのか、たとえば死者の霊のしわざなのか、それとも霊媒の潜在意識なのかといったことを明確にすることではなくて、その真実性つまりそれが手品のように人為的に行われているのではないかという点を検討することにあったのである。

 そしてその点に関する限りではメンバーのほとんど全員が間違いなく真実である、つまり原因は既成の学問で解明できない性質のものであることを認めていた。したがってこの点ではすでにSPRの仕事は初期のメンバーによって達成されていたということが言えるわけである。

 
 かくして現象が本物であることを確認し、それ以上現象をいじくりまわすことは無意味であると見た研究家たちは、今度はその現象の背後にひそむ未知の原因と哲学的意義を掘り下げていくことに関心を向けはじめた。

 そしてバレットやロッジのように霊魂説を取る研究家たちは、それ以上SPRにかかわりあうことはもはや無益であると考え、事実上SPRの研究活動から身をひいてしまった。

彼らにしてみれば、いくら証拠を積み重ねても納得しない懐疑的連中にあいそをつかしたわけで、そこから右と左に分かれていくことになったのも当然の成り行きであったといえる。

 かくして一方は霊魂説に立ってスピリチュアリズムの哲学的ないし宗教的意義を求め、他方は相も変わらず二重人格説に立って新しい事実の蒐集に精を出すことになったのであるが、こうした分裂は結果的にはSPRの活動を一段と弱め、ますますその存在意義を失わせることになった。

 しかし、SPRの凋落は決してスピリチュアリズムの凋落ではなかった。それどころか、単なる現象への興味が覚めるにつれて逆にスピリチュアリズムの思想面への興味が再び頭をもたげ、心霊書の種類を見ても、現象を扱ったものよりも思想を扱ったものの方が多く読まれるようになった。

しかも、比較的最近までに出版された心霊書を見ると、スピリチュアリズム史上のいかなる時期にも増して価値ある貴重なものが数多く出版されている。

こうした傾向こそスピリチュアリズムのそもそもの理想であり目的としたものであって、それを今日ようやく達成しつつあるということができる。

 さてこれからそうした心霊書を紹介していくのであるが、ここでわれわれは今一度米国における一八八〇年から一九〇〇年までのスピリチュアリズムの動き、すなわちスピリチュアリズムの主流が英国から米国へ移っていったころまでさかのぼる必要があるように思う。


 この二〇年間は今も述べた米国から英国への移行という事情と、興味の中心が現象面へ移ったことが原因して、思想的視点からみるかぎりでは大してみのり多い時期ではなかった。

  とは言っても当時の米国には依然として有能なスピリチュアリズム運動家や文筆家が多く存在し、注目すべき心霊書も少なからず出版されている。

デービス、タトル、ピーブルズ、ニュートン、ブリテンそのほかスピリチュアリズムの開拓者たちもいまだに健在で、相変わらず指導的役割を果たしていた。

 こうした初期の指導者たちは当初よりスピリチュアリズムの本質は哲学的あるいは宗教的なものであると考え、そうあらしむべく努力してきたのである。それゆえ一八八〇年ごろから英米両国において顕著となって来た現象面への偏向を好ましからざる傾向とみなしたのも当然のことであった。

 中でも一番苦々しく思ったのはデービスで、一度はスピリチュアリズム運動から手を引くとまで宣言したほどであった。スピリチュアリストを前にしての講演の中で次のように述べている。


 「スピリチュアリズムの〝家庭の事情〟もようやく曲り角に来ました。昔から兄弟相争う家は久しからずと言います。(中略)我が家には今、一方に近代スピリチュアリズムがあり、また一方には調和哲学がある。

両者は全く同じ親すなわち神より出たものであり、本来ならば永遠に分かれることのない友として幾世紀にもわたる過去の収穫を共に分かち合うべきところであります。(中略)いわば両者は神の両腕なのであります。(中略)しかるに、本質に置いて同じものを有しながら、両者は実際面に置いては真正面から対立する方向へ進みつつあります。

 すなわち現在のスピリチュアリズム運動はその活動のどれ一つを取り上げてみても、ことごとく霊媒現象につながっている。いわば〝実験室運動〟である。それも霊魂説を信ずる者に限らない。これに懐疑的な人までもこの実験室での現象を求めているのであります。

 ここにおいてわが調和哲学はまず最初の意義を申し立てるものであります。なぜか。それは調和哲学の使命が全人類の精神的人生を指導することにあるからであります。

すなわち宇宙の不変不滅の摂理を求め、それを人生に活用することが調和哲学の使命なのであります。(中略)その使命達成のための手段は次の五つに要約される。

①     個人の霊性開発と向上によって生ずる光と力と希望
②     科学上の発見と進歩
③     大思想家による新しい摂理
④     まじめな芸術家、詩人、音楽家、作家等のインスピレーション
⑤     目に見えぬ泉からの霊媒を通じての愛と光の啓示
 
以上であります。」
                                                                                      (Beyond the valley)


 さらにデービスはスピリチュアリズムが本来こうした広範囲にわたるものであることを忘れ、いたずらに実験室での現象に偏っていることを指摘する。曰く―

 
「実験室でのアトラクションのために個人の霊的開発がおろそかにされています。(中略)建設業者が基礎工事をおろそかにするようなものです。理性的に自分で判断すべきことが、お告げによって簡単に片づけられる。

何々テスト、何々テストと、性こりもなくテストを重ね、すばらしき友と語り有益な書物の一冊でも読んだ方がよほど為になるはずの貴重な時間を、薄暗い実験室で無益に過ごしてしまっている。まさしく兄弟相争う家は久しからず、であります。」(同前) 
 
 デービスは決して実験会での現象や交信そのものが無意味だと言っているのではない。それ自体は結構なことであるが、その目的とするところは死後の存続の証拠を提供することであって、したがっていったん得心がいったらそれ以上の用のない性質のものであるのに、何回も何回もくり返して貴重な時間を無駄にしている点を指摘しているのである。

当時の心霊紙〝心霊時代〟The Spiritual Age の編集長 ニュートンA.E. Newton もこれと同じ批評をしている。
 「当節の一般スピリチュアリストの大部分は心霊思想を通じて自己を修養し社会に奉仕することをなおざりにして〝交霊会〟とか〝実験会〟などに集まっては、まじめたらしく、眠気をもよおすような調子で賛美歌のようなものを歌い、やがて出てくるあの世からの声や顔のために目を見張り、あるいは聞き耳を立てる。」

 こういう調子でデービスもニュートンもスピリチュアリストの中の非哲学的ないしは非理知的分子を相手に厳しい批判の筆を揮ったのであるが、しかしそうしたハデな霊媒現象ばかりを求める傾向があまりに強かったために、彼らの意図した抑制運動も組織的なものにまで盛り上げることはできなかった。

 そこでデービスは抑える運動よりも哲学の必要性を強調する運動の方が得策と考え、その目的で調和哲学会のようなものを組織して啓蒙につとめ、霊媒現象を求める傾向と真正面から対決する姿勢はとらなかった。

この時期、すなわち一八八〇年から一九〇〇年に至る心霊現象偏向時代にも英米両国において見るべき必要思想書が少なからず出版されている。

  まず米国の主な必要書と著者を列記すると───。

Nineteenth Century Miracles〟 by E.H. Britten,  Science Made Easy 〟 Lessons of the Ages〟 by S. A. Ramsdell,   Interwoven〟  by S. A. Ford,  Religion as Revealed in the Natural and Spiritual Universe〟  The Principles of Light and Color〟 by E. D. Babbitt,   The Spirit World〟  by M. E. Longley,   As It Is to Be〟  by C. L. Daniels,  Mary Ann Carew〟 
The Discovered Country〟
Letters From the Spirit World〟  by C. Petersilea.

 
 次に英国で真っ先に取り挙げるべき書としてはウィリアム・ステッドの 『ジュリアからの便り』 William T. Stead: Letters From Julia がある。これはステッドが一八九二年から九五年にかけて受けた霊界通信をまとめて一八九七年に出版したものである。

  さらに、一九一二年に他界するまでに受け取っていた通信が娘のエステルにより 『死後―ジュリアからの便り』  After Death or Letters from Julia と題されて、一九一四年に前書の続編の形で出版されている。

 ウエリアム・ステッドといえば英国では知る人ぞ知るジャーナリストで、ロンドンの 『評論の評論』 という雑誌の編集者であった。

スピリチュアリズムを信ずるようになった原因はほかでもない、自分自身が自動書記能力を発揮しはじめたことであって、生前親しくしていたジュリアという女性が通信を送ってきたのである。まえがきの中でこう述べている。

 「私には姉妹のように仲良くしていた二人の女性友達がいた。よくあることだが二人の間に一つの約束ができていた。それは、二人のうち先に死んだ方が死後も生きていることを示すために霊姿を見せるというものであった。

 やがて二人のうちジュリアというのがボストンで死亡し、三週間もたたないうちに約束どおり当時米国のシカゴにいた友達のエレンの枕元に立って、はればれとした、いかにも幸福そうな姿を見せた。エレンはその話をそれから数カ月後に英国に来て私に告げたのである。

当時私は英国西部のイーストナー・キャスルというところにいたのであるが、訪ねてきたエレンの滞在中に再びジュリアが枕元に現われ、生前と少しも変わらぬ生きいきとした姿を見せた。

 

 エレンはすぐさまそのことを私に話し、なんとかジュリアから通信がほしいという。私はやってみましょうと言ってその夜はそのまま寝た。そして翌朝さっそく机に向かったところ、ごく短かいものではあったが意味の通じる通信が書かれた。私が何か証拠になるものがほしいというと、

 『いっしょにミナーバさんを尋ねた時に私が言ったことを思い出すように言ってみて下さい』
 
という文章が書かれた。私がこんなものでは証拠にならんと言うと、とにかく言ってみてください、あの人には思い当たることがありますから、という。そこでともかくそのことを告げるとエレンはびっくりして、『ほんとにそんなことを書いたのですか。それならジュリアに間違いありませんわ!』

 と言い、次のように説明してくれた。

 ジュリアは生前、キリスト教婦人禁酒同盟の創設者のウィラード夫人にミナーバという愛称をつけ、ミナーバ神(工芸・発明の女神)の浮き彫をプレゼントした。
そしてその後はウィラード夫人のことをミナーバとしかしか呼ばなかった。自動書記で書かれた通信はジュリアが死の床でミナーバと私の二人に語ったこととまったく同じである、と」

 ここでステッドが、二人に間の出来ごとで私の知らないことがあったら話してみてほしい、と頼んでみたところ次のような通信が書かれた。

 
「では次のことをエレンに話してみて下さい。ある日一緒に家に帰る途中でエレンがころんで背骨を痛めたことがあります。」ところが本人は背骨を痛めた記憶はないという。するとジュリアが言う。

 「いえ、私の記憶に間違いありません。エレンは忘れているのです」
 そこでステッドが言った。
 「ではエレンに記憶をたどらせてみてはどうです」
 「やってみましょう」 
 「それはいつごろのことですか」
 「七年前です」
 「どこで?」 
 「イリノイ州のストリーター」
 「どんな具合に?」
 「土曜日の午後、事務所からの帰り道でした。雪が積もっていました。そしてブル夫人宅の向かい側に来た時、エレンが歩道のふちにつまづいてころび、背中をうったのです」

 これをエレンに読んで聞かせると、
 
「ああ、あのことだったの!あのことならよく覚えているわ。背中が痛くて二週間か三週間寝てたけど、まさか背骨を痛めてるとは思わなかったの」と大きな声で言った。

 その後ジュリアは次々と長文の通信を送ってくるようになり、それをまとめたのが『ジュリアからの便り』である。内容は哲学問題、宗教問題、それにジュリア自身の死後の体験を綴っている。宗教上の問題では生前信じていたキリスト教の色彩が色濃く出ているが、全体としてスピリチュアリズムの説くところと同一である。自分でも、霊界での体験期間が短くて考えをまとめるところまで至っていない、と述べている。


 次に紹介するのは友人へ宛てた通信で、自分自身の死の様子とその後の体験を綴っている。

 
「気がついた時はもう私は肉体から離れておりました。その時の感じは不思議というよりほかありません。私のすぐそばにベッドがあり、そこに自分の身体が横たわっているのです、部屋の様子は眼を閉じる直前まで見ていたのとまったく同じように映ります。

〝死ぬ〟ということに少しも苦痛を感じませんでした。すごく穏やかで安らかな感じがするだけで、われに帰った時は肉体から出てベッドの横に立っておりました。

部屋には私と私の身体があるだけで、ほかに誰もいませんでした。そして妙に気分がよくなっているので不思議でなりませんでした。次の瞬間、自分は死んだのだな、と思いました。」

 次に、キリスト教信者なら誰しも同じであろうが、ジュリアにとっても死後一番の関心事はイエス・キリストに会うことであった。それが叶えられた時の様子を次のように語っている。

 「イエス様はまさに人間の中の人間という感じがしました。イタリアの画家フラ・アンジェリコの描いた肖像画で親しまれているあの素敵な優しさが全身にあふれておりました。

お顔は暖かい情愛に満ち、それが生命の息吹きの如く私の魂に注がれる思いがしました。地上でいう善だの純粋だの高貴だの愛だのというものも、イエス様のそれに比べると、かすかな反射程度のものにすぎません。

 こちらの世界のすべてをお伝えすることはとてもできません。たとえお伝えしても理解することは無理でしょう。ただお伝えしたいのは、私がこちらで、地上では味わったことのないほどの幸福に満ちあふれているということです。先立ったお友達とも一緒になれました。

  
 こちらでは年を取らないようです。みんなが永遠の若さを宿しているのです。しかし、その気になれば昔の自分の身体とそっくりな霊的なものを身にまとうことはできます。それはちょうど地上で昔の古びた衣服をひっぱり出して着てみては往時を偲ぶのと似ています。


霊体そのものは常に若々しくてきれいです。それでも昔と今とではどこか似通ったところがあるものです。似たところがありながら実際には大いに変わっています。肉体を棄てた魂は不安なものを一切払い落した若々しい霊体をまとうことになるのです。

 こちらでの生活ぶり、つまりどんなことをして時を過ごすのかは説明に困ります。疲れるとかイヤになるということがなく、地上のように寝る必要がないのです。食べたり飲んだりの必要もありません。そういったことが必要なのは肉体だけです。

こちらの生活のすばらしさを地上の何かに譬えるとすれば、早朝の登りゆく太陽が野山を照らしはじめるあの清々しく神々しい光景、あるいは夕方、沈みゆく太陽が照らし出すあのロマンチックな夕焼けの景色、こうしたものを見て感じる大自然の中に生きていることの幸福感と満足感にも譬えられましょうか。

平和があります。生命があります。美があります。そして何より愛があります」

 ステッドはこうしてエレンへの通信を受けている最中にふとジュリアは霊界での新しい生活にずいぶん驚いたことだろうな、と考えた。すると即座に次のような通信が来た。

 「驚きましたとも。現界と霊界とがこんなにもうまくつながっているとは知りませんでした。霊魂が肉体を離れた時は肉体とまったく同じ姿恰好をしています。

肉体や精神機能を動かしている魂、すなわち自我が肉体を必要としなくなったというだけで、精神も知識も体験も物の考え方も性癖もみな残っており生前そのままなのです。もっとも、たまには肉体の死の過程における変化が自我意識を大なり小なり妨害することにありますけど・・・・・・」

   
 こうして自分の死後の体験や知識を手紙の形で友人のエレンとステッドに書き送っているうちに、ジュリアはある日突然、「もう少し霊界のことを勉強したいので当分の間通信を取り止めます」と書いてよこした。

ステッドによれば、ジュリアは自分が霊界に来てロクに見聞も知識もないのに霊界について語るのは生意気だと感じ始めたからだという。つまり旅人は新しい旅先に降り立ってすぐからその国について語るべきではないという当たり前のことに気がついたわけである。

 その空白が二年も続いたところ再び通信が始まった。ジュリアはその後みっちり見聞と知識を積み、以前より自信をもって通信を送れるようになったと書いてよこした。こうして送られて来た通信が『ジュリアからの便り』の大部分を構成している。

 この『ジュリアからの便り』を一八九七年に出版してからステッドはすぐに続編を出す仕事に取りかかった。ところが不幸にしてステッドは一九一二年のタイタニック号事件(訳者注ー英国の超豪華客船で、一九一二年四月、ニューヨーク港へ向けて処女航海の途上でニューフアンドランド南方において氷山に激突して沈没、一、五〇〇名の犠牲者を出した)の犠牲者の一人となって他界したために計画半ばにして中断の止むなきに至ったのであった。

これを娘のエステルが未完のまま『死後―ジュリアからの便り』と題して一九一四年に出版したわけである。内容は本質的には前者とまったく同一であるが、哲学的内容が前より豊富であり、それを一層の自信をもって述べている。ジュリア自身最初のところでこう述べている。

 
「ご存じのとおり十四年前に、私は一度始めた通信を、もっと勉強してからという約束で中断いたしました。その間、私なりにこちらの生活を体験し多くを学び、従って多くを語る用意が出来ました。」


 こうして再会されたジュリアの通信は、ステッドの考えでは何冊ものシリーズものとして次々と出版される予定であった。ところがそれがステッド自身の事故死によって中絶の止むなきに至ったことは、ステッド自身の無念さもさることながら、スピリチュアリズムそのものにとっても惜しまれて余りあることであった。

 ジュリアの通信に関してもう一つ付け加えておきたいことがある。それは、ジュリアの進言によって顕幽両界の通信連絡のための事務局のようなものを設立したことである。ジュリアはこの件については初めから積極的であったのに対し、ステッドの方は経済上の問題もあってなかなか着手しなかった。ジュリアは言う。

 「私はこれまでその設立を片時も願わない時はありませんでした。こちらの者がなんとかしてそちらの人たちと交信しなくてはダメだという私の思いは、単なる希望などというものではなく、悲痛ともいえるほど強烈なのです。私の構想はちゃんと出来あがっているのに、あなたが本気で取り組んでくれないのが残念でなりません。」

 しかしこれも一九〇九年になってようやく設立の運びとなり〝ジュリア顕幽連絡局〟、略して〝ジュリア局〟と名付けられた。目的は他界した肉身、知人、あるいは背後霊との交信を求める人のために有能な霊媒を確保し交霊の場を提供することにあり、設立以来多くの人に慰めの場として活用された。 

 (訳者注-それから三年後の一九一二年にステッドが他界してから維持費が入らなくなり、ステッド自身の霊界からのすすめで一時閉鎖したのであるが二年後の一九一四年にステッドの友人の援助を得て、名称を〝ステッド局〟と変更して再開した。そしてジュリアの手によって一九三六年までの二二年間、感謝と非難のうちに運営されたが、ステッドから「もはや使命は終わった」という連絡を受けたのを最後についに廃止された。)


 ステッドの 『ジュリアからの便り』 は出版以来大きな反響を呼び多くの人に読まれた。おそらく英国で出版された心霊書でもベストセラーの筆頭であろうと推定されている。ステッド自身もその劇的な最期まで献身的にスピリチュアリズムの普及に尽力し、特に英国において大いなる足跡を残した。


 すでに
述べたとおりステッドは一九一二年にタイタニック号と共に海に沈んだ。その後何人かの霊媒を通じてステッドと名のる霊からの通信が送られてきたが、ハイバー夫人 Madame Hyver を通じて送られて来たものを娘のエステルがまとめて出版したものが、小冊子ではあるが一ばん重要性をもっていると思われる。題名が非常に長く『来世との交信──その正しき方法──W・ステッドにより来世から書き送られたテキスト』という。 

 これはわずか九六ページしかないが、霊媒現象と各種霊界通信の原理とを明快に説き明かしたもので、この種の問題を扱ったものとしては屈指のものである。

また全体としてステッド自身の地上生活やスピリチュアリズムとの関わり合いにふれた部分があり、これを出版した娘のエステルも、間違いなく父親からのものですと太鼓判を押している。その点はオリバー・ロッジその他、ステッドを知る者の意見の一致するところで、ロッジを含む数人の心霊家が推薦文を寄せている。


 さてステッドの書に次いで注目すべきものとしてはオリバー・ロッジが霊魂説を発表した二冊の書、すなわち 『人間の存続』 The Survival of Man (1909)と 『レーモンド』 Raymond, or Life after Death (1916)であろう。
 

 すでに知る如くロッジはマイヤース、ガーニイ、ホジソンらと共に英国 SPR の初期のメンバーの一人りで、初めのころはテレパシー説に傾いていた。それが、多くの霊媒現象に接するうちにテレパシーや潜在意識ではすべての現象を解釈することは到底不可能であるという結論に達し、ついに霊魂説へ踏み切った。この決断を公表したのが『人間の存続』である。その時の容易ならざる心境を次のように述べている。


 「この結論は安易に下したものではなく、また決して時期尚早だったとも思わない。こうした僚友や研究者たち(ガーニイ、マイヤース、ホジソン)のものと思われる声の通信に長期間接しても、ただの会話のやり取りの感じだけで当人であると決断を下すようなことはしなかった。

仮にそれが電話だとかタイプによる手紙などであれば当人であると断定する手掛かりとしてはもはや十分であると思われるようなものであっても、なお結論を差し控えた。

吾々としては、どうあっても動かしがたい決定的証拠───常識では考えも及ばないような証明を要求したのである。

 通信を送る側としても吾々と同じようにそうした証明の必要性を認識し、吾々の要求に副うべく最大の努力を払ってくれた。それがついには、吾々のうちの何人かを霊魂説へと導いてくれたのである。」



 この『人間の存続』は学問的観点から見れば極めて興味ぶかい書であるが、読む者の心に訴えるという点からみればもう一冊の『レーモンド』の方が重要な意義をもっている。

 レーモンドというのはロッジ博士の息子の名で、一九一五年に第一次世界大戦で戦死した。ところがその直後から多くの霊媒を通じて本人からのものと思われる通信が次々と送られてきた。

内容を検討した博士は、これはどう考えても死んだ息子からのものと断定せざるを得ないという結論に達し、その通信を編集して『死後の生活』という副題をつけて出版したのであった。

 レーモンドが一番多く利用した霊媒は当時名実ともに第一級のレナード夫人であった。がレーモンドは直接レナード夫人をコントロールしたのではなく、夫人の支配霊の一人でフイーダという少女霊が中継役をしている。

 通信の内容は大きくわけてレーモンド自身の身元証明に関するものと、死後の生活に関するものとから成っている。身元証明に関するものは当然のことながらその殆どが父親であるロッジ博士をはじめとするロッジ家の家族との私生活上の話題に関するもので占められている。

たとえば次のようなものである。レーモンドは出征する少し前に避暑地で弟たちと砂上ボートを拵えた。これは普通の帆のついたボートに車輪をつけて砂浜を走らせようというアイデアであった。
   (通信はフィーダが取り次いだものとフィーダ自身の説明とが入り混じっている)

フィーダ 「レーモンドはこんどはヨットを見せてくれています。帆のついたボートです」
ロッジ 「帆のついたボートがどうかしましたか。海を走りましたか」

フ 「いいえ。(低い声で──まあ、レーモンド、バカなマネはおよしなさいよ) 違うと言っています。何か陸上で使うものを見せてくれています。ええ、陸上のものです。横向きになって立っています。長細い格好をしています。やっぱり水上のものではありません。でも、かっこいい白い帆がついていますけど・・・」

ロ 「うまく走りましたか」
フ 「ダメだったと言ってます。笑ってらっしゃいます。ダメだっと言った時は大声で叫ぶような調子でした。語気を強めて言った、と表現すべきかも知れません。このボートは男の子のものです」

ロ 「うちの男の子たちに関係があるということですか」
フ 「そうです。そのうちにおわかりになるでしょう。そう、やっぱりボートのようなものを見せています。ヨットです。ヨットだとおっしゃってます」

 右のやりとりについて博士は次のように解説している。

 「ボートの話はすばらしかった。私も知らなかったわけではない。情景の描写から判断すると間違いなくウーラコームの砂浜での出来ごとで、数年のあいだ夏になると避暑に行ったことがある。

砂上ボートであるが、これは子供たち兄弟三人がマリーモントで拵えてウーラコームまで荷車で運んだもので、長細い厚板に車輪をつけ、さらに舵板と帆を取り付けたものである。私の記憶では時たま砂上の上をかなりのスピードで走ったが、帆のコントロールがうまくいかず、思った方向に進まなかったようである。

そのうち突風に遭ってマストを折ってしまった。なかなか工夫をこらしてうまく作ってあり、レーモンドが制作全般にわたって意欲的に取り組んでいた。
結局は失敗したが、車輪が小さすぎたのではないかと思う。従ってレーモンドが〝ダメだった〟と語気を強めて言ったのもうなずけるのである。」

 
 もう一つ愉快な例を紹介しよう。ロッジ家ではミスター・ジャクソンという名の孔雀を飼っていた。
ロッジ 「庭で飼っていた鳥のことを憶えているかな?」

フィーダ (低い声で) 「ええ、ピョンピョンと・・・・・・」
ロ 「いや、大きな鳥だ」

フ 「もちろんよ。スズメじゃないって言ってるわ。よく覚えるそうです。(そう言ってからレーモンドに、それはピョンピョンと跳ぶの?と聞く)いえ、跳ぶというのではないそうです」

ロ 「まあ、いいでしょう。では話題を変えましょう。鳥の話でいじめるのは可愛そうだからね。ではレーモンドに聞いてみてみょうだい。ミスター・ジャクソンを憶えてるかって」

フ 「憶えてるそうです。逃げまわってばかりいたそうです。よく玄関のところまで来たそうです。(低い声でけげんそうに) レーモンドの言ってること分りますか。誰だって玄関に来るんだけど・・・。毎日のように会ったと言ってます。その方がどうしたというの、レーモンド。ころんだと言ってます。

ころんでケガをしたのだそうです。T字形を作って小さな門を示しています。それが小道に通じてるみたいだけど。・・・・・・手先と腕を痛そうにしています」



ロ 「うちの家族の知り合いかな?」

フ 「違うとおっしゃってます。レーモンドは私をからかってるんだわ。だって笑ってますもの。ミスター・ジャクソンはロッジ家の者はみんなよく知ってたと言っています。なのに知り合いではないと言っておられます。一日としてジャクソンさんの名前の出ない日はなかったそうです。やっぱりレーモンドはふざけてるのよ。フィーダをからかってるんだわ、きっと」

ロ 「そうじゃない。とにかく彼の言うことを全部教えてちょうだいよ」

フ 「ミスタージャクソンを台座にのせてと言ってます。イヤ、そうじゃなくて台座にのせたと言ってるようです。家族の者はみんな口をそろえてそれはすてきだと言ってるけど、自分が見たらあまり喜ぶ気がしなかっただろうと言っています。そのことは知らなかったそうで、

今でもはたしてそれを見て感心するかどうかわからないとおっしゃってます。いったい何のことでしょうね。何だかわけのわからない話だわ。ミスター・ジャクソンの話をしている最中に鳥の話を出して、またジャクソンと言いかえたりして、レーモンドは二つをゴッチャにしてしまってるようです。

台座の話をする前に〝すてきな鳥〟と言って、すぐ話を止めたりして、ミスター・ジャクソンと鳥とをゴッチャにしてしまってます」

ロ 「とんちんかんな話だね。多分レーモンドは疲れているんでしょう」
フ 「本人はゴッチャになんかしてないと言っています。でも、そうにきまっているわ。〝すてきな鳥〟と言い出しておいて急にミスター・ジャクソンの話を始めるんだから・・・・・・」

 この話について博士は次のように解説している。

 「このミスター・ジャクソンと鳥の話は傑作である。実はミスター・ジャクソンというのはうちで飼っていた孔雀の愛称である。それが前の週にたぶん寒さのせいと思われるが庭で死んでいた。ずっと前から脚のリューマチを患っていたがそれが在る寒い朝ムリして歩こうとしてころび、首の骨を折って死んだのである。妻はさっそく剥製に出し、それを飾るための台座を買ってきて皆に見せたのであった。

この話をレーモンドはわざと人間と鳥とをゴッチャにしたような話に持っていき、しかも吾々にはちゃんとわかるようにしたところなどは、生前のレーモンドのユーモラスな性格が出ていて愉快である。」


 レーモンドの通信はこうしたテスト的性格を帯びたものばかりではない。ほかにも霊界での自分の生活ぶりや霊界そのものに関する学問的考察もいろいろと述べている。次はその一例である。

 「僕が今一ばん伝えたいと思うのは、こちらへ来て最初に置かれた環境のことです。最初は頭の中が混乱してしまいました。でもただ一つだけ有り難かったことは、環境が地上と同じように実質があって固いということで、そのおかげでラクに環境に馴染むことができました。

 僕がいま課題としているのは、そうした環境が物理的に何で構成されているかということです。まだ本当のことはわかっていないのですが、一つの理論は持っています。といっても、これはぼく自身が考え出したものではなく、おりにふれて聞いていたことから結局こういうことではないかと推論しているにすぎませんけど・・・・・・

 よく霊界の環境は自分の思ったことが具象化したものだという人がいますが、これは間違っています。ぼく自身もそう考えた時期がありました。たとえば建物も花も木も大地もみな思念によって創られたものだと考えるわけです。むろんこれにも半分の真理はあるのですが、これだけでは十分とは言えません。つまりこういうことです。

  
 地球から一種の化学的成分がひっきりなしに上昇していて、これが上昇するにつれていろいろと変化して霊界に定着し、それが霊界に実質性を与えるというわけです。もろん今ぼくが置かれている環境についてだけ述べているのですけど・・・・・・

 ですが、地球から何かが放射されそれが霊界の木や花に実質感を与えてる事には確信をもっています。それ以上のことはまだよく分かりません。目下勉強中というところです。まだまだ時間がかかることでしょう。」


 さらに別のところでは───

 
「僕のからだも地上にいた時とよく似ています。夢かも知れないと思ってときどき抓ってみることがあるのですが、やっぱり痛いです。もっとも肉体ほど痛くはないですが・・・・・・内臓は肉体とは違っているようです。同じであるわけがないでしょう。しかし外形はどう見ても肉体そっくりです。ただ、動きが肉体より自由です。」


 この 『レーモンド』 を出版したのちもロッジ博士は一九二三年に The Making of Man, 翌年には The Ether of Space を出している。いずれも学者らしく科学的側面から心霊学の諸問題を扱っており、

特に前者の中では、精神という非物質的なものが如何にして肉体と不離の関係を保ちうるかという問題を取り上げ、結論として、その中間的存在としてエーテル体 Etheric Body という半物質的なものがあってそれが媒介役をつとめている、そして肉体が亡びたあとはそのエーテル体が肉体の代わりをつとめる、言い換えれば霊界における身体となる、と主張している。

 オリバー・ロッジは科学者としての長い経歴の大半をスピリチュアリズムに捧げ、その功績は心霊史上特筆大書に値するものがある。 

 さてロッジ博士の息子のレーモンドは第一次世界大戦で戦死したのであるが、この戦争という悲劇が当時の心霊界に特異な影響を及ぼしている。すなわち戦争によって肉親を失った多くの人々が慰安を求めて心霊書をひもとくようになったことである。

 当時出版された心霊書の中でも特に注目に値するものとしては、オーエンの 『ベールの彼方の生活』 G. Vale Owen: The life Beyond the Veilであろう。これは四巻から成り、それぞれ 『天界の低地』 『天界の高地』 『天界の政庁』 『天界の大軍』 という副題が付いている。

オーエン氏は英国のカトリック系の牧師で、ステッドやモーゼスなどと同じく自分の自動書記によって綴ったものである。

 通信者はモーゼスの場合と同じように一人の高級指導霊のもとに一つの霊団を組織している。その中の主だった人としてはオーエン氏の母親、十八世紀の英国人アストリエル、高級界との仲介役をつとめるカスリーンと名のる女性、そしてアーネルおよびザブディエルという二人の高級霊である。

 カスリーンはこの二人の高級霊の思想やその表現形式を、地上のそれに合わせるためのフィルターのような役をしたといわれる。通信によると彼女は地上生活では英国のグラスゴーで裁縫師をしていたという。自分自身でも自動書記通信を送ることもあったが、ほとんとは高級霊との仲介役、つまり霊界での霊媒の役をつとめている。

 二人の高級霊のうちアーネルは地上ではルネッサンスの初期に宗教的迫害にあって英国からイタリアのフロレンスに逃れ、当時そこにあった英国植民地で余生を送ったという。

もう一人のザブディエルは事実上の最高責任者で、霊団の中で最高の霊格を具えているが、地上時代については、さようなことは何の益にもならぬ、と一切明かそうとしない。曰くー。

 「大切なのは予の使命であり仕事である。いかなる人物であるかは予の伝えるところの思想におのずから表れているであろう。地上の人間は自分の理解の範囲を超える言説を吐く者は信じようとせぬものである。

たとえば仮に予が 『予はかの予言者ガブリエルなり』 と言えばすぐさま信じてくれよう。何となれば曽てそのような人物がいたことが聖書に出ているからである。しかし 『予は神の国より福音をもち来れるザブディルと申す者なり』 などと言うものなら、いかなる非難を浴びせられることであろうか。」


 四巻に及ぶこの通信は哲学、科学、宗教のあらゆる問題にわたっているが、中でも宗教的問題に一番重点が置かれている。そのわけはオーエン自身が宗教家であることにあるが、反面それはオーエン自身の信仰との対立という難しい問題を内臓していることにもなり、その点、霊団の側でも事を荒立てないようにいろいろと苦心したあとが窺える。

 つまり通信全般を通してキリスト教正統派の教義に半ば譲歩した形をとりながら、その教義の仕方の中にスピリチュアリズム的なものを盛り込んでいるのである。たとえばイエス・キリストの神性という点についてザブディエルは、キリストが神であることを認めておいて、しかし神はすべての人間に宿り給い決して一個の人間にのみ宿るものではない、と付け加えている。

 『ベールの彼方の生活』 は文体といい用語といい文学的見地からみても素晴らしいものをもっている。その意味では霊界通信としての心霊的価値もさることながら、一つの文学としての見地からも一読の価値をもっているといえる。なお巻頭にロンドン・タイムス編集長ノースクリッフ卿による前書きとコナン・ドイルの序文が載っている。では本文を紹介しよう。

 なお内容の紹介に当たって、あらかじめ認識しておかねばならないことがある。それはさきに述べたように、このオーエンの霊界通信は哲学、宗教、科学の各分野にわたってスピリチュアリズムの観点からいろんな問題を取りあげているのであるが、

その内容が現今の科学ないし哲学の水準からあまりにかけ離れていることが多いということである。したがって読者はそういった説を取りあえず一つの仮説として受け入れ、真面目に検討されるようすすめたい。次のエーテルと物質との関係などもその一つである。

   
 「物質のあるところ必ずエーテルがある。のみならずそのエーテルが物質の性分に作用して活性を与えている。

その作用の度合つまりエーテルの働きかけによって性分がどこまで活性化されるかによって、その物質の昇華の度合が決まっていく。実はその際、物質の成分の方がエーテルの外部から浸透し、そのエーテルを媒介として物質に働きかけるのである。

(原著者注──この関係は物質と精神との関係を示唆している。つまり精神がエーテルに対して外部より働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として使用するのである。)というのは、物質の性分というのは、地上の化学者も指摘しているとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するからである。

この点は地上の化学者の指摘は正しいが、この辺はまだ大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその内奥には奥の院が存在する。

物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到達した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源が奥の院にあることを知るであろう。その奥の院こそまさに〝神の座〟なのである。
 
 これで大自然のカラクリがわかったであろう。すなわち強力なる霊の力が外部よりエーテルに働きかけてこれを活性化し、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用して物質を構成していく。

 この作用は機械的に行われるのではない。その背後には意志が働いている。意思のあるところには個性がある。結局エーテルに性格を賦与するのは個性をもつ知的存在であり、その影響はそのまま忠実に物質に反映されていく。」                                                                                           (The Battalions of Heaven.)


同じ問題についてアストリエルが別のところで次のように説いている。
 
  「つまり次のように理解していただきたい。神の創り給いしこの宇宙に、無目的、あるいは無意識のエネルギーというものは一つも存在しないということである。一条の光、一度の熱、一つの電波といえども意識ある作用の結果でないものはない。

どこかで、何らかに意識ある存在が、狙い定めたある方向に向けて放射したものなのである。」                                                                                             (The Lowlands of Heaven


 さらに別の通信の中でザブディエルは、霊界における光と闇、それと低級界の未熟霊の自覚と向上の関係について次のように語っている。

 「汝もすでに知る通り、光と闇は魂の状態である。暗黒界に住める者が光を求めて絶叫する時、それは魂の状態がそこの環境とそぐわなくなったことを意味する。そこで吾らは使者を派遣して手引きさせる。が、その方角は原則として本人の希望に任せる。つまり、

いきなり光明界へ連れてくることはせぬ。さようなことをすれば却って苦痛を覚え、目が眩み、何も見えぬことになる。そうではなく暗黒の度合の薄れた世界──魂の耐え得る程度の光によって明るさを増せる世界へ案内され、そこでさらに光明を叫び求めるようになるまで留まることになる。

 暗黒地帯を後にして薄明の世界へ辿り着いた当初は、以前に較べて大いなる安らぎと安楽さを味わう。何となればその環境が魂の内的発達程度に調和しているからである。が、なおも善への向上心が発達し続けると、その環境にも調和せぬ時期が到来し、不快感が募り、ついには苦痛さえ覚えるに至る。

やがて自分で自分がどうにもならぬまま絶望に近き状態に陥り、自力の限界ぎりぎりまで至った時に再び絶叫する。それに応えて神の使者が訪れ、更に一段楷光明界へ近き地域へと案内する。

そこにはもはや暗黒の世界ではなく薄明の世界である。かくて彼はついに光が光として見える世界へ辿り着く。それより先の向上の道にはもはや苦痛も苦悩も伴わぬ。喜びから更に大きな喜びへ、栄光からより大いなる栄光へと進むのである。


 ああ、しかし、真の光明界へ辿り着くまでに如何に長き年月を要することか。苦悶と悲痛の歳月である。そしてその間に絶え間なく思い知らされることは、己れの魂が浄化せぬかぎり再会を待ち望む顔馴染みの住める世界へは至れず、愛なき暗黒の大陸をとぼとぼと歩まねばならぬということである。

 が、予の用いる言葉の意味を取り違えてはならぬ。怒れる神の復讐などは断じて有り得ぬ。 『神は吾らの父なり』、 しかして 『父は愛なり』 (ヨハネ)。その過程で味わう悲しみは必然的なものであり、種子蒔きと刈り入れを司る因果律によって定められるのである。

予の界──驚異的にして素晴らしいものを数多く見聞せるこの界においてすら、まだこの因果律の謎を知り尽くしたとは言えぬ。全ての摂理が〝愛〟に発するものであることは、地上時代とは異なり、今の吾らには痛いほどよく分かる。

曾てはただ信ずるのみであったことを今は心ゆくまで得心することが出来ることも、予は憚ることなく断言する。が、因果律というこの厳粛なる謎については、まだまだ未知なるものがある。が、

吾らはそれが少しずつ明かされてゆくのを待つことで満足している。それと言うのも、吾らは万事が神の叡知によって佳きに計らわれていくことを信ずるに足るだけのものはすでに悟っているからである。それは暗黒界の者もいつの日か悟ることであろう。

そして彼らがこの偉大しにして麗しき光の世界へと向上進化して来てくれることが吾らにとっての何よりの慰めであり、また是非そうあらしむべく吾らが手引きしてやらねばならぬ。そしてその暁には万事が有るがままにて公正であるのみならず、それが愛と叡智に発するものであることを認め、そして満足することであろう。」                    
                                                                                                
The Highlands of Heaven

  
 以上、一九〇〇年以降に英国で出版された注目すべき心霊書をみてきたが、こんどは米国の方へ目を向けてみよう。この期間で特に目立った心霊書としてはデコーバン Mlrs. Anna Dekoven の A Cloud of Witnesses, ウィギン Rev. F. wiggin の The Living Jesus, ウィクランド Dr, Carl Wickland のThirty Years Among the Dead の三冊が挙げられる。

 まずデコーバン女史の書は霊媒のバーノン Mrs. Vernon を通じて実妹から得た通信をまとめたもので、哲学者である女史がその専門の立場からスピリチュアリズムを扱っている点で特異な色彩を持っている。高度の内容とアカ抜けした文体はスピリチュアリズムに貴重で新鮮な価値を添えている。

 次はウィギンの著書であるが、これは表題から察しのつくとおりイエス・キリストからの通信と称しているだけに、その取り扱いに慎重を要する書である。というのはキリストを神と見なす正統派のクリスチャンにとってはこれ以上の神への冒瀆はないと思えるであろうし、

一方イエスはただの一個の人間であり偉大なる指導者であったとするスピリチュアリストにとっても、なるほどイエスが一霊媒を通じて通信を送ってきても別に不思議はないとは思うものの、

やはり世界の宗教史にこれほどの影響を残した二〇〇〇年前のあのキリストからの直々の通信であると称されると、どうしてもその取り扱いに慎重ならざるを得ないのが人情であろう。が、もしこれが真実イエス・キリストからの通信であるとすれば、それこそ世紀の大霊界通信と言わざるを得ないであろう。

 しかも、これを本物でないときめつける確たる根拠は見当たらないのである。その内容は確かにイエスを髣髴とさせるものがあり、聖書の教えとも完全に一致する。

 さらに、過去二千年にもわたってキリスト教界がイエスなる人物を絶え間なく恋い慕い、その加護を求めて来たのであるから、当のイエスが適当な霊媒を見つけ次第、いつどこで、地上人類にメッセージを送って来ても、少しも不思議ではないという理屈も成り立つ。

 本書はその冒頭において通信の形式や状況について詳しく解説している。要するに入神したウィギン師の口を借りてキリストが語り、支配霊のジョン・マッカロウがこれを補佐し、

速記者が筆録していくという形をとっているのであるが、問題はキリストが英語が達者でないために今一人通訳を雇ってキリストの言わんとすることを英語に訳し、それをキリストが即座にしゃべるという面倒な手続きを経ていることで、その事情を支配霊のマッカロウは次のように説明している。中で〝先生〟とあるのはイエスのことである。

本書では最初からイエスとかキリストという名は使用せず、イエス自身も自分がイエス・キリストであることは明かしていないが、内容を読んでいけば誰にもそれと察しのつくところである。


 「まず、先生は実際に霊媒に憑依しておられます。ただ先生は霊媒の言葉すなわち英語がお使いになれません。霊媒の記憶の層には単語があるのですがその使い方をご存知ないわけです。ヘブライ語なら話せるかも知れませんが、おそらく無理でしょう。とにかく英語はまったく使えません。

(略)そこで先生はまず英語のわかる霊に自分の考えを伝えて英語に直してもらい、それを口移しに霊媒の口を借りてしゃべるという方法をとっています。時には通訳が二度くり返して発音することがあります。

話のテンポがゆっくりとしているのはそのためです。通訳には他にもう一人助けがいて助言をしているようですが、誰であるかは私にもわかりません。そんな次第ですから、通信の英語が必ずしも先生のお考えを正確に伝えているとはいえないわけです。」

さて本文であるが、内容は主に宗教上ならびに哲学上の問題を扱っているが、自分の地上生活にも言及して聖書の誤りや誤解を指摘している。

また自分のことを聖書に述べているような神秘的な存在でなく、ごく当たり前の人間であったとして、自分にまつわる奇蹟や神秘的な現象についてきわめて合理的な説明を施している。
以下その一部を紹介してみよう。

  
 「みなさん今日は。私はマッカロウではありません。大勢いる〝先生〟の中の一人です。何世紀か前に地上を去った者です。(略)私は幾世紀も前に地上をあとにして以来ずっと向上進化の旅を続けております。

東洋の人間ではありません。東洋の指導者でもありません。しかし、東洋から出たことは事実です。私の地上生活は東洋的ではなく、かといって西洋的でもありませんでした。


特殊な使命を帯びて地上に生を享け、異常な最期をとげました。私は人々と行動を共にしましたが、本当の私を知っていた人はいませんでした。風の如く来たり、そして風の如く去っていったわけでして、本当の私を理解していた人は一人もいませんでした。

 今を去ること二〇〇〇年から三〇〇〇年ものあいだ私は霊界の丘の頂上を旅してきました。その二〇〇〇年から三〇〇〇年のあいだ霊界に太陽が昇るのを見てきましたが、霊界の太陽には天頂点というものがないのです。すなわちどこまでも昇り続けて、沈むということがないのです。

 過去二〇〇〇年から三〇〇〇年のあいだに霊界に夜の現象が訪れるのを見たことがありません。すなわちずっと昼間が続いているということであり、これからも昼の世界が続くことでしょう。聖書に、霊界に夜はない、と述べてありますが、これは真実です。

その二〇〇〇年から三〇〇〇年のあいだ私は一時たりとも仕事を休止したことはありません。しかも疲れるということを知りません。いかなる形においても消耗ということを経験したことがないのです。」 



このあとマッカロウが次のように述べている。

 「先生はきわめて霊格の高いお方です。これほどの高級霊にみずからお出でいただくのを皆さんは光栄に思わなくてはなりません。その方がどなたであるかは今すぐお教えするわけにはまいりません。今にかぎらず、今後も果たして打ち明けられる日が来るかどうかもわかりません。

がしかし私の考えではいずれその日が到来するものと信じています。(略)このお方が来られると部屋一杯に、イヤ、部屋を包んでしまうほどの、強烈な光輝があふれます。私などは、先生が去られたあとに残される光輝にさえ圧倒されてしまうほどです。」

さらにマッカロウは、イエスからの次の通信が開始される前にこう前置きする。

 「今先生がこちらへ向かっておられます。ゆっくりと近づいて来られます。霊界では距離を超越しようと思えばむろん出来ますが、同時にまた、ゆっくり行動しようと思えばそれも可能です。

あたかも朝のしらじらと明けゆく白さが太陽の訪れを告げる如く、いま遠くに強烈な霊光のきらめきを見て先生の訪れを察知しているところです。先生には常に一団の天使の護衛が付き添い、その霊光によって進行方向の波長を高めながらでないと地上に近づけないのです。」

やがて到着したキリストは自分の地上生活や処女懐胎等について語り始める。

 
「地上を去って二〇〇〇年後の今、こうしてあなた方を通じて本来ならその二〇〇〇年前にはっきり語っておくべきであったことを斯くのごとき手段で語り明かすことになるとは、奇しき縁としか申しようがありません。

 いかなる人間といえども自然の理法によりて地上に生を享けるのです。私は断言します。人間が自然法則を無視して誕生することは絶対にありません。イエスの懐胎も一人の当たり前の人間の懐胎と少しも違いませんでした。そこに何らの摩訶不思議もなかったということです。

 この広大無辺の宇宙のどこをさがしても、神と呼べる人間──言い換えれば一個の人間的個性を備えた神というものは絶対に存在しません。しかし、それとは別の意味での神はやはり存在します。

 これまで私は地上人類の誤れる思想を正すことに努力して来ました。これからも努力してまいります。それが人類をこれ以上の罪から守る唯一の方法だと考えるからです。いわゆるキリスト教神学はイエスの処女懐胎説を人類に押しつけてまいりました。

これを裏付けんとして学者たちは古い伝説や神話を借用し、神が処女マリアに憑依してイエスを孕ませたという説をでっちあげてしまいました。

理屈はともかくとして、何よりもまずこうした現象は絶対に起こり得ないことであり、これを信じること自体、人間的成長にとって致命的な障害となります。なんとなればそれは人間的憧憬の泉を断ち切ることになるからです。(略)

 イエスを処女懐胎の産物とし、それをイエス信仰の根底に置くことは、イエスとの崇高なる同胞意識あるいは一体感を人類から奪い去ることになります。またこの信仰は必然的にイエスを神にまつりあげることになりますが、これも誤りです。(略)神は宇宙に一つしか存在しません。

あらゆる存在の根源、それが神であり、(略)これを現代的用語で表現するならば、普遍的叡智であります。

 こうしたイエスにまつわる誤れる信仰を正すにはこれより更に二〇〇〇年の歳月を要するでしょう。イエスの懐胎が〝純潔〟であったことは私も認めますが〝奇蹟〟であったとするのは絶対に間違っています。

過去の人類のすべてがそうであり、これからもそうであるように、イエスもまた至って平凡な夫婦の間に生を享けたのです。今はすでに霊界入りしているある女流詩人がいみじくもこう歌っています。



 純粋なる夫婦愛の中に宿り
 この世に喜び迎えられし魂は
その受胎まさに聖なりというべし」

 神学には「キリスト再臨説」というのがある。つまりいつの時代かにキリストが地上に再生するという予言的思想であるが、これについて自らこう語る。

「二〇〇〇年前イエスはエルサレムの街頭に立ち声を大にして神の訓えを説きました。しかし民衆はただあざけりながら去っていきました。イエスは真理を説いたのですが、民衆はイエスを悪魔の手先であると非難しました。(略)イエスは最後に弟子たちに言いました。 

『私は行くがまた来る』 と。その約束以来幾世紀もの歳月が流れましたが、その間イエスは一日としてその約束を破った日はありません。すなわち地上人類の救済のためにイエスは片時も休むことなく活動しております。

ただ残念なことに人間の方がそれを素直に受け入れてくれないだけのことです。しかし、それでもなおイエスは、人類が迷いから覚める日まで、これからもひっきりなしに地上に舞い戻ってくることでしよう。」
                                                                               (The Living Jesus)



 最後に紹介する心霊書はウィクランド博士の Thirty Years Among the Dead 『死者と共に三十年』(章末注参照)である。

 これは地上との縁にとらわれて向上の道を見失い、地上圏をさまよいながら知らず知らず人間に霊障を及ぼしているところの、俗にいう地縛霊を扱ったもので、霊媒のウィクランド夫人に憑依させ真理を語り聞かせることによって迷いを覚まさせる過程を細かく記録している。(こうした方法を招霊実験と呼んでいる。訳者)次に紹介するのはその一例にすぎないが、多くの示唆に富んでいて興味ぶかい。

 「(S霊は十数年前に恋人と心中したのであるが、自分がまだ死んでないことに気づくと自殺が失敗したと思い込み、なんとか死のうとする。そのうち霊感の鋭敏なR夫人に憑依する。その結果夫人は精神病的症状を見せ始め、急に走り出したり、死にたい、殺してくれ、などと叫ぶようになる。さてウィクランド夫人に憑依させてから博士が質問する。Wが博士、Sが憑依霊。)

W どちらからお出でになりましたか。
S 道に迷っているうちに灯りが見えたので入ったところだ。

W お名前を聞かせていただけますか。
S 忘れちまった。

W お名前を忘れましたか。
S 何もかも忘れたみたいだ。頭がどうかしたのかな。やたらと痛むが・・・

W どんな具合ですか?
S 考える力も出ない。ここに何しに来たのだろう。あなたは?

W ウィクランド博士と呼ばれております。
S 何の博士で?

W 医学です。あなたの名前は?
S 名前?妙なことにそれが思い出せないんで・・・

W いつお亡くなりですか。
S 死んだ?冗談でしょう。死んじゃいません。死んでしまいたかったと、悔やまれてなりません。

W 生きてるのがそんなにイヤですか。
S イヤだ。わたしがもし死んでいるとしたら、死んでる状態というのはひどくつらいものだ。が死のうとしてもどうしても死に切れない。死んだと思った次の瞬間にはもう生き返ってしまう。どうして死ねないのでしょう?

W もともと死というものが無いからですヨ。
S ありますとも。

 
W ではその証拠は?
S 何もかもわからんのです。(困り切った様子)死にたい、死にたい、こんな憂うつな人生はご免だ。死にたい。そしてすべてを忘れてしまいたい。(略)どうして死ねないのでしょうか。

W 道を誤っておられるのですヨ。
S では正しい道はどこにあるのです?

W あなた自身の中にあります。
S わたしも神を信仰したことがありました。天国と地獄とがあることを信じたこともありました。しかし、もうまっぴらです。暗い!憂うつだ!こんな筈じゃなかった。なんとか忘れさせてくれませんか。忘れたいのです。ああ、何とかしてすべてを忘れてしまいたい。

W 肉体が無くなっていることに気づいておられますか。
S からだのことは何も知りません。

W 今なぜここに居られるのか、おわかりですか。
S 皆さんのお姿はよく見えます。どこのどなたかは存じませんが、お顔を拝見したところ善意の方ばかりであることはわかります。どうかつまらぬこのわたしをお引き取りいただき、光と楽しさを少しでもお与え下さい。もう何十年もの間、光も見ず楽しさを味わったこともないのです。

W そんなことになったそもそもの原因は何だと思いますか。
S なぜ神様はいないのです? 神様はなぜ私をこんな暗闇と陰うつさの中に閉じ込めてしまったのです? わたしだって子供の頃はいい子でした。なのにわたしは──ああ、言えない! 言っちゃいけない! ダメだ! ダメだ! 言っちゃいけない! (非常に気が立っている様子)

W おっしゃってみてはどうです?
S 罪を犯したのです。あんなことをして許されるわけがない。わたしのような人間を神様が許す道理がない。ない! ない! ない!

W いまご自分がどんな状態にあるのか考えてごらんなさい。いっしょに考えてみましょうか。あなたは男だとおっしゃいましたね。
S 男ですとも。

W でも今あなたは女性の肉体に宿っているのですヨ。
S 苦しんでいるうちに女になったなんてバカを言っちゃ困ります。(霊が近づいてくるのを見てひどく興奮する。)こっちへ来るな。 来るなったら来るな! あっちへ行け!

W 一体あなたは何をしでかしたのです?
S それを言っちゃ警察に掴まります。こうしてはいられません。失礼します。逃げなくっちゃ・・・・・・(患者のR婦人は何回となく発作的に逃げ出すことがあった) やつらが追いかけてくる。こんなところにいたら掴まっちまう。行かせてください。ああ、来た、連中が!

W 今あなたはどこにいると思いますか。
S ニューヨークだ。

W ここはニューヨークからはるか遠く離れたロサンゼルスですヨ。今年はいったい何年だと思いますか。一九一九年ですヨ。
S 一九一九年? バカを言わんで下さい。

W では何年のつもりですか。
S 一九〇二年。

W その年からもう一七年もたってますヨ。あなたは肉体がなくなっていることに気づきませんか。本当の死というのはないのです。ただ生活の場所が変わるだけなのです。亡くなるのは肉体だけです。生と死の問題を考えたことがおありですか。
S  勉強らしい勉強は何一つしていません。ただ信じただけです。名前をラルフといいますが、性は忘れました。父はいません。

W ところがお父さんはあなたと同様、亡くなってはいないのですョ。
S 私はむろん死んでませんヨ。死んだ方がよかったと思ってますけどね。お願いです。私をどこかへ連れて行って二度と生き返らないように殺して下さい。(R夫人は殺してくれと頼んだことがたびたびあった。)ああ、また連中がやってくる。誰が白状するものか!白状したら牢へぶち込まれるに決っている。苦しい思いはもうたくさんだ。

W あなたは真理を知らないために暗黒の中に閉じ込められているのです。さあ、白状しなさい。悪いようにはしませんから。 
S そうはいかない。その気になったこともあるが、どうしてもダメだった。自分のやったことが眼に映って、いつになっても消えない。

W お話を聞いていると明らかにあなたは人間に憑依していたようですね。そして死のうとされる意識があなたの憑依している人にも自殺未遂行為となって現われていました。ご自分でも何かおかしいと思われたことはありませんか。
S そんなこと考えてる暇はありませんでしたョ。(急に驚いて) あ、アリスだ! かんべんしてくれ!たのむ、かんべんしてくれョ。こんなつもりじゃなかったんだ。たのむから責めないでくれ!

W どうしたのです? 事情を話してごらんなさいョ。
S 実は二人で死ぬ約束をしていたのですが、二人とも死に切れなかったのです。アリス、なぜ君は僕に殺してくれと頼んだんだ。どうして頼んだんだ!僕は先に君を殺してから自殺しようとしたが死に切れなかった。ああ、アリス! アリス!

W アリスは事情がもうわかってるんじゃないですか?
S わたしたちが間違ってたのョ。と言ってます。白状します。言い終わったとこで掴まってしまうだろうけど・・・・・・。二人は結婚する約束をしていたのですが彼女の両親は私がまともな人間でないからといって反対しました。でも二人は深く愛し合っていましたので心中することにしたのです。

 まずわたしがアリスを殺し、それから自殺するつもりでいました。アリスは首尾よく死んでくれたのですが、どうしても自分が殺せません。イヤ、本当はアリスも死んでなかったんです。

それで必死になってアリスを殺そうとするのです。彼女はそのたびにわたしを責めます。殺して!早く殺して!と。でも私はアリスが可愛いから躊躇すると、またアリスが、何しているの、早く殺して!どうせうちに帰れないんだからいっしょに死のうョ!と激しく叫びつづけるのです。

 仕方がないので私は目をつむってピストルを発射しました。そして彼女が倒れないうちに自分にも発射しました。わたしはその場に倒れました。彼女を見ると床に倒れています。それを見ると急にこわくなり起き上がって逃げ出しました。以来わたしは逃げて逃げて逃げまわり、今も逃げてきたところです。忘れようとしても、どうしても忘れられません。

時どきアリスが姿を見せて私を止めようとするのですが、私は、僕が君を殺したんだ。近づかんでくれ!と言って逃げ出します。そのうち何となく自分がおばあさんになったような感じがしました。(R夫人に憑依したこと)その状態がしばらく続きました。逃げ出してもすぐまた戻ってしまいました。

W ある女性に憑依していたのですョ。
S 憑依? 何のことです?(後略)」

 こうして迷い続けていたS霊もウィクランド博士の説教によって徐々に目を覚まし、母親の霊に付き添われて然るべき環境へ案内されていった。そこから本当の意味での第二の人生が始まるわけであるが、

ウィクランド博士はこうしたやり方で霊界の指導霊にも手に負えない霊魂──多くは不幸な最期を遂げた霊──を目覚めさせ、それがひいては、その霊のために悩まされていた人──多くは精神病者──に治癒することにもなったわけである。

 博士は霊媒である夫人と共にこの仕事を三十年も続け、その記録を 『死者と共に三〇年』 と題して出版したわけである。

後半の部分には地上では一かどの指導者をもって任じていながら実際には誤った教説を押しつけていた人々、たとえばクリスチャン・サイエンス Christian Scienceのエディ女史 Eddy. セオソフィー Theosophy のブラバツキー女史 Madame Blavatsky といった人物も登場してくる。

ではその中からエディ女史の後悔談を紹介しよう。女史はすでに何回か出現しており、その度に、地上で自分の語った教えを受けた人々を招いて、自分の話を地上の列席者と一緒に聞いてもらっている。

「E また参りました。とても気のふさがる思いがいたします。本当です。本当にそんな思いなのです。なぜ人は私を疑うのでしょう。

 お助けください。神よ救い給え。私は本当にひどい境涯にいます。
 実は私には始めから死後の世界のことはわかっておりました。わかってはいたのですが、何か人と違ったことを説いてやろうという欲が出て、霊的真理への扉を故意に閉じてしまったのです。スピリチュアリズムを過去のものとしたのです。何か新しいもの、何か立派そうな説、死後の存続以外の何かを目玉にしたかったのです。

 そこで私は、霊に支配されてはいけない、霊の影響を受けてはいけない。霊からのインスピレーションも受けてはいけない、自分自身になりきり、自分自身を開発して神と一体となるのだ、と説きました。

 霊界への扉を閉じて自分中心になること──これが私の教えでした。
            (中略)

 私は物質の存在を否定しました。が前にも一度述べましたが、私にはそれなりの考えがあったのです。それは、死んで霊界へ来ても、肉体が無くなっていることに気づかず、相も変わらず病気に苦しんでいる霊に対し、霊界の指導霊は 『肉体のことは忘れなさい。肉体は想像物にすぎない。あなたは病気ではない。病はあなたの想像にすぎない。病は肉体だけのものだ』 と説くことを知っておりました。

 そこで私は地上の人間にも同じことを説こうと考え、あのような宗教をこしらえました。が今ではそれが間違いであったことがよくわかります。物質はやはりあるのです。物質界に生きている限り物質の存在を認めなくてはいけないのです。

 自分の教会に舞い戻って、そのことを説くことができればとしきりに思います。神とは宇宙の大霊であり、私たちはその一部分なのです。そのことを理解すれば物質を超越することができるのです。

 人間は肉体に宿っており、その肉体が病気になる。それは本来の肉体にあるべき何物かが欠けているからです。が、それを精神でカバーすることが出来ます。私はそういうふうに教えるべきだったのです。つまり物質の存在を完全に否定しなかったら、今の私はどれだけ救われたことでしょう。

 正直言って私はお金が欲しかったのです。そして世界の豪華な教会を建てたかったのです。私の目的は私独自の教会を建て宇宙を支配することだったのです。

 そうした野心の中で私は人間性を忘れておりました。男は男なりの、女は女なりの人間らしい情緒があることを忘れておりました。愛と情けの扉を閉じていたのです。

 私を疑わないでください。どうか信じてください。私です。メアリ・ベイカー・エディです。私も所詮は一個の人間に過ぎません。その人間としての人生を誤っておりました。

 今や私こそ救いが必要なのです。私にかつての信者が救いを求めてやってまいります。が、私自身が救っていただかねばならない状態なのです。信者たちは私にしがみつき、私を身動きできなくします。何とかしてくれと言うのです。(中略)

 この機会をお与え下さったことに感謝いたします。今夜は私の信者が大勢ついてまいりました。私の話を聞いて救われることでしょう。居眠りしていた潜在意識が目を覚ますことでしょう。

W 最近 『霊界からのエディの告白』 という題のパンフレットが出版されましたが、あれは間違いなくあなたのものですか。

E 私の告白です。私はあらゆる通路を活用して地上の人々へ語りかけようと努力しております。この段階でやめるわけにはいきません。これからも私の信者に真理を語りかけるチャンスを見逃さないつもりです。(後略)」

 一般の心霊書はとかく死後の明るい面ばかりを強調するきらいがあるが、その点本書は、一たん道を踏み外した時の恐ろしさを実例によって生々しく見せてくれるので、極めて貴重な資料と言えよう。


 さてこの時代の最後を飾るスピリチュアリズム運動家として忘れてならない人にコナン・ドイルがいる。探偵作家として世界的に有名なドイルは自分自身は霊能はなかったが、スピリチュアリズムの真実性と重要性をいち早く認識し、その普及のために余生を捧げた。

 その大きなきっかけとなったのは第一次世界大戦で、その犠牲となった家族を慰めるために、英国全土を講演して歩き、やがてオーストラリア、ニュージランドにも足を運び、一九二八年にはヨーロッパから南アフリカまで及んだ。探偵作家としての知名度も手伝って、スピリチュアリズムを一般の人々に普及させる上でのドイルの貢献度は大いに評価されてよい。

(訳者註ーウィクランド博士の著書は、日本では 『医師の心霊研究30年』 と題して医師の田中武氏が訳しておられる。日本心霊科学協会<東京都新宿区上落合1-12-12>から発行。人間と霊魂との関わり合いを理解する上で必読の書である)



   
 第六章 物理的心霊現象の種々相(一)

 これまでわれわれは主としてスピリチュアリズムの思想上の流れを年代順に辿ってきたわけであるが、こんどはいわゆる物理的心霊現象の種々相を細かく検討してみたいと思う。

 物理的心霊現象(略して物理現象)を検討する上において二つの観方があると思う。即ち一つはあくまでも科学的実験研究の対象としてのみ考える観方と、もう一つは人間の死後存続の証拠と見なした上での観方である。本章ではまず前者の立場から取り挙げることにする。

 物理現象といわれるものには、ざっと列挙すると次のような種類がある。

叩音(ラップ)現象、テーブル傾斜現象、ウイジャ盤現象、物品移動現象、楽器演奏、人体浮上現象、直接談話現象、エーテル化現象、物質化現象、スレートライティング、心霊写真現象、等々。

 以上のような現象を検討するに当たってあらかじめ承知しておいていただきたいことがある。それは、こうした現象が決して稀有なものではなく、過去一〇〇年余りにわたってひんぱんに見かけられたものであること、したがってその実例を紹介するに際しては、そのうちの特に有名な現象、あるいは有名な学者によって観察・報告されるものに限ることになるということである。

 スピリチュアリズムの真髄がその思想ないし哲学にあることは、これまで紹介してきた先覚者の言葉や霊界通信にみるとおりであるが、同時に又、いつの時代にもスピリチュアリズムが物理現象によって色濃く印象づけられてきている点もまた否めない事実である。

要するに物理現象はいつの時代にも豊富であり多彩である。それだけに、そうした現象を霊界通信を紹介したような調子でいちいち紹介していくことは紙面が許さないばかりでなく無意味でもある。そこで筆者は、その中から代表的なものだけを選りぬいて紹介するに留めることにした。


 近代スピリチュアリズムのそもそもの発端が物理現象であったことは改めて指摘するまでもないであろう。フォックス家における叩音現象に端を発し、続いてフェルプス家における物品移動現象を始めとするさまざまな心霊現象が話題となり、やがてそうした現象への関心は滿汐のような勢いで全米に広がっていった。

 しかもそれが当時としてはまったく目新しいものであっただけに、人々はそこに必要以上の懐疑心や邪推の念を抱くことなく、また科学の分野でも自分の学者的生命や名声を犠牲にしてまでこの研究に従事する者もおらず、これを死んであの世へ行った霊魂の仕業であると率直に認め、素直に永遠の生命を信じたのであった。

 こうした中で最初に科学的解明に乗り出したのは第三章で紹介したヘア教授である。ペンシルベニア大学の名誉教授であったヘアは、のちのクルックス教授に先がけて、心霊現象を科学的実験手段によって解明することを考え、霊界通信の受信に特殊な装置スピリトスコープを仕掛けた。

これはアルファベットを書きこんだ回転盤で、これを霊媒の目も手も届かない場所に置き、霊がこれを回転させて望みの文字の所でストップさせるという仕掛けになっていた。

 教授はこれを数人の霊媒に実験し満足すべき結果を得た。綴られたメッセージは教授の父親と叔父からのもので、教授はこれだけですっかり霊魂説を信じてしまった。しかしこの装置はすべての霊魂が使いこなせるものではなかったようで、別の方法で通信をよこしたある霊魂は、

「ヘア教授の装置はまるきり使えないわけではないが、あれを動かすだけの霊力を出すのは大変なことだ」

と述べている。また教授の父親も、 

 「自分たちの場合はうまくいったが、あれを使うには文字を選ぶさいに霊的な視力ではなく人間の視力が必要だから、霊媒に見えない状態ではやりにくい」

 と述べ、 「自分らの場合はお前(ヘア教授)の視力を借りたのだ」と説明した。さらに、
 「そうまでして実験を成功させたのは何はさておいてもお前を納得させる必要があったからだ」と述べ、スピリトスコープの価値が、考案当初とその後とで違っていることを指摘している。

 教授はその後も何種類かの装置を考案し、それなりに成功を収めている。その事についてはすでに紹介した著書 Experimental Investigations に全部解説してあるが、この書は今は絶版となっており、比較的大きい図書館でないと見当たらない。

 心霊現象に本格的に取り組んだ科学者でヘア教授に次ぐ人としては英国のクルックス教授がいる。ヘア教授よりほぼ一五年後の一八七〇年頃のことである。

部分的にはすでに第四章で紹介したが、第四章では主として物質化現象に関する部分であって、教授の研究は他のあらゆる分野にわたっており、いずれも学問的説得力を具えている。

こうした研究を通じて教授は例のサイキック・フォースの存在をつきとめ、これが電力や磁力と同じ類型に属し、物理的心霊現象の原動力であることを解き明かしたのであった。

 第四章でも触れたが、クルックスが研究の対象とした霊媒にはD・Dホーム、F・クック嬢、K・フォックス嬢、W・エグリントン等の他にも何人かおり、それなりの特徴を持っていた。が現象の種類の豊富さとすばらしさの点では何といってもホームが抜群であった。博士はその現実を一二種類に分類している。これを 『近代スピリチュアリズム現象の研究』 から紹介しよう。

 「ではここで私がこれまで観察した現象を類別してみよう。(中略)すでにご承知のとおり、特殊なものを除いて現象のほとんど全部は拙宅で親しい友人の列席のもとに明るい照明の中で行われた。

一、重い物品の移動。手は触れていても力は加えていない。
二、物を叩くような音、あるいはそれに似た音。

 これを一般に叩音現象といっているようであるが、この用語は適切でない。私の実験ではカチカチという時計の針のような音や金属製のキンキンとした音、あるいは摩擦機械が動く時の、物を押しつぶすような音などがよく聞かれた。
 
  これはほとんど全部の霊媒に共通してみられた現象で、また各霊媒によって特徴がみられた。多様性の点ではホームが抜きん出ていたが、力や確実性の点ではケートが上であった。(中略)音の出どころは床とか壁が多かったが、私の肩あたりや手のひらの内側からも聞かれた。

また一枚の紙切れの端にヒモを通し、そのヒモをつまんでぶらさげてみたら、その表面から音がしたこともあった。そのほか、ありとあらゆる方法を試みてみた結果、どうあってもトリックや物体そのものから出たものでないことを確認した。

三、物品の重量の変化。
四、霊媒から離れた場所にある重い物品の移動。

 二、三例を挙げると、私の座っていた椅子が半回転した。その時私は足を床から離していた。部屋の隅に置いていた椅子が浮き上がってテーブルのところまで運ばれた。またひじ掛け椅子が列席者のところまで運ばれたので私がもとの所へ戻すように言ったらすぐ逆戻りした(距離約三フィート)さらにまた小さい椅子が部屋の隅から隅へと運ばれることが三日間続いて起きたこともあった。

五、テーブルおよび椅子の浮揚。
 重いテーブルが二、三インチから一フィート半まで浮揚したことが五回あった。トリックを防ぐための特殊な条件のもとで起きている。また一度は私が霊媒の手と脚を押さえ、しかも明るい照明の中であったが、やはり重いテーブルが浮揚した。

六、人体の浮揚。
 私が証言できるものの中で特に見事だったのはホームの現象であった。私はホームが床から完全に浮上するところを三度目撃している。その三回とも初めから終わりまでつぶさに観察することを得た。

 ホームが数人の立会人の前で空中へ浮上した記録は少なくとも百例はある。またダンレイブ伯爵、リンゼイ卿、ウイン艦長の三人からそれぞれ目撃した現象について細かく聞いている。この種の現象の証言を否定することは、とりもなおさず、人間のあらゆる証言を否定することに等しい。

なんとなれば、宗教史、世俗史のいずれを問わず、これほど確かな事実によって裏付けされた現象は歴史上にその例を見ないからである。

七、小さな物品の移動。
八、発光性物体の出現。 
   ある日明るい照明の中であったが、サイドテーブルの上に飾ってあったヘリオトロープ (花の一種) の上に発光性のかたまりが現れ、それがヘリオトロープの小枝を一本折って列席者の一人に手渡した。また同じような雲状のかたまりが現れて、やがて手の形に変化し、それが品物をあちらこちらに運ぶのを数回目撃した。

九、手の出現。発光性のものとライトに照らし出されたものの二種類がある。ライトによって照らし出されたものを二、三紹介する。

 私の部屋の食卓についている穴状のところからきれいな形をした小さな手が現われて私に一本の花を手渡した。その時私は霊媒の両手と両脚を押えていた。

 またある時は赤ん坊のような手と腕が表れて私の隣に座っていた婦人にたわむれ、次に私のところへ来て腕を叩いたり上着を数回引っぱったりした。

 出現した手がアコーデオンを弾いたことも度々あった。私も列席者もその手と霊媒の両方が同時に見える位置にあり、霊媒のとなりの人が霊媒の手をおさえていたこともあった。

十、直接書記
 これは霊媒も列席者も関与せずに行われる筆記現象で、自動書記とは異なる。ケートの時であったが、私のほかに妻と親戚の者が一人、あわせて三人だけが立ち会った実験において、テーブルの上に用紙を置き私が鉛筆を握り、同時に片方の手でケートの両手を押えていた。

 すると部屋の上の方から発光性の手が現れ私の近くまで下りてきて二、三秒間私のそばを行き来したかと思うと、いきなり私の握っていた鉛筆を奪い取ってテーブルの上の用紙に何やら走り書きし、書き終わると鉛筆を放り出してわれわれ三人の頭上に戻り、その位置で次第に消えて行った。

十一、いわゆる幽霊──全身のものと顔だけのもの。
十二、その他、いろいろな現象が混り合ったもの。」

 クルックスはヘアと同じように現象の真実性とそれを演出しているエネルギーの実在をつきとめる目的で一連の実験を行なっている。その実験はことごとく彼の主張する霊魂説を裏づけ同時にまた彼のいわゆるサイキック・フォース Psychic Force 説を確立させることになった。

 博士の説明によればサイキック・フォースは科学にとってまったく新しい種類のエネルギーであるが、性質は電気によく似ている。霊媒の神経エネルギーないし生命力と同一ではないがこれと密接に関連して働くらしく、その証拠に、現象の大小と霊媒のエネルギーの消耗の度合が常に比例している。

小さな現象の時は霊媒はほとんど疲労を感じないが、現象が大きかったり長びいたりすると疲労がはげしく、極端な時は昏倒してしまうこともある。

 しかしクルックスはサイキック・フォースを現象の主役と断定したのではない。これはあくまで現象を起こすための材料であって、その背後にはこれを利用しコントロールしている知的存在すなわち霊魂がいるとした。彼がサイキック・フォースがすべてであると主張する一派の考えを全く問題にしなかったのは、演出される現象には高度な内容のメッセージを送ったり納得のいく応答が出来る等明らかに〝知性〟の働きが見られからである。

 その後博士は前章で紹介したようなクック嬢によるドラマチックな物質化現象によって、右の説を決定的なものにしている。すなわち物質化現象というのは結局このサイキック・フォースを利用して霊魂が自分の霊体に特殊な物質をまとったり声体をこしらえたりして人間の目や耳に訴えているのだという結論に達したわけである。この段階に至って博士は人間の死後存続を確固たる信念のもとに公表している。

 クルックス博士の研究成果はその後の学者、たとえばロッジとかマイヤース、フラマリオン、リシェ、ロンブローゾ等の研究結果の集大成のようなものであり全てが研究しつくされている。

マイヤースが研究したステイントン・モーゼスなどはクルックスの研究した現象の殆ど全部に霊能を見せていたが、余り物理現象ばかりをやると高度な霊能が出なくなると理由で背後霊団から止められている。

 このクルックスやモーゼスが活躍した頃はスピリチュアリズムの科学的研究が始まったばかりであった。その後一八九〇年頃になってもう一人、物理霊媒として忘れてならない特異な女性が現れている。即ちイタリアの無学な文盲の霊媒パラディーの Eusapia Palladino である。

 
 パラディーノは最初心霊実験の催された家で召使として働いていた。そのうちどうやらこの召使に霊能があるらしいということになり、ロンブローゾ Ceasare Lombroso を中心とする研究グループが調査したところ間違いないということになった。そこで更に組織的に調査するための用意がなされた。

 すなわち一八九二年にフランスの生理学者リシェ Charles Richet を中心としてイタリアの有名な天文学者スキャパレリ Schiaparelli、ドイツのデュプレル教授 Carl Du Prel ‘ロシア政府参事官アクスコフ  M. Akskoff 等によって調査委員会が組織され実験に入った。

 実験会は全部で十七回行なわれ、いずれの場合もパラディーノは両手を左右の列席者に押さえられ、両脚を縛るかまたは列席者が足で踏みつけられた状態で行なわれたが、現象はクルックスの報告とまったく同じものが観察された。

すなわち物品が部屋中飛び交い、テーブルが浮上し、手が物質化して列席者にさわってまわるといった驚異的な現象が次々と繰り広げられた。その結果委員会のメンバーの全員が現象の真実性を認めたが、その究極的原因については幾分意見が分かれた。

 その後一九八四年にパラディーノはリシェ教授の招きで地中海に近い教授の別荘で実験を催した。これには特にロッジ、マイヤース等のベテランも招待されたが結果は少しも変わることなく、相変わらず素晴らしい現象が見られた。

  さらに五年後の一九〇一年にはゼノアに招かれポロ Porro、モルセリ Morselli、ボルザノBorzanno、ベンザーノ Venzano、ロンブローゾ Lombroso、といった当時一流の科学者の出席のもとで実験することになった。

例によって両脚は縛るか押さえつけるかの、どちらかの状態で行なわれたが、ポロ教授の報告には次のように記録されている。

 「二本の手が現われてカーテンをふくらませたり列席者を次々とさわってまわったり、なでまわしたり、強く押してみたり、あるいは耳を引っぱったり、顔の近くで手を叩いたりしてみせた。大きなテーブルの上に水差しがあり花が生けてあったが、その花が列席者の方へ運ばれて甘い香りが漂った。

五番目の席にいたモルセリ氏はその花の茎のところを口にくわえさせられた。八番目の人にはゴムマリが飛んできて軽く当たりテーブルの上にはね返った。続いて水差しが運ばれ、一たんわれわれの前の小さなテーブルの上に置かれ、すぐまた持ち上がって霊媒のところへ運ばれ、霊媒はそれを二口飲まされた。

 ギターが部屋中をぐるぐる飛びまわり、やがてテーブルの中央に来て静止した。霊媒は力をふりしぼって左へ向きをかえようとした。その方向のすぐ目の前のテーブルの上には重さ十五ポンドのタイプライターが置いてある。

が霊媒はよほど体力を消耗していたとみえて、中途で床の上に崩れるように落ちてしまった。しかしタイプライターはその場で浮き上がり、テーブル中央のギターのそばに来た。

 それから霊媒は両隣りの人に助けられながらモルセリ氏を呼び寄せテーブルの方へ進んだ。そこには細工用の粘土が置いてある。霊媒はモルセリ氏の手をとり、広げたままその粘土の方へ向けて三度、手形をこしらえるような格好で押しつける仕草をした。

粘土との距離は四インチ以上はあったが、実験が終わってから調べてみると、粘土にモルセリ氏の三本の指の形が刻まれていた。しかもその印の深さは、じかに押しつけても出来ないと思われるほど深いものであった。

 次に霊媒は両手を私とモルセリ氏に握られたままの状態でうなったり、叫んだり、何やら訓戒めいたことを言ったりしているうちに、椅子といっしょに上昇しはじめた。そして椅子の脚と霊媒の足先がテーブルの表面に接触した。

その間椅子はきしんだり揺れたり急激に動いたりすることもなく、すーと事が運んだ感じであった。しかし霊媒自身はおどおどしていた。


 現象はまだ続いた。霊媒はその格好でさらに上昇した。私とテーブルの反対側にいた十一番目の列席者とが霊媒の椅子の下でお互いに手を差し出しあえる高さまで上昇した。」

右のような報告のあとはポロは次のような結論を出している。「現象は間違いなく事実であった。トリックだとか幻覚などでは絶対に説明のつくものではない。(略)しかし、これを知的存在の仕業とする考え、すなわちわれわれ人間の五官に訴えるために必要な物質的条件を作り出し、

さまざまな演出を試みているのだという考えは確かに可能性の強い説ではあるが、だからといってそれを死者の霊であると結論づけるのはいかがなものであろうか。

 この問題については私の今のところまだ確定的な説を出す勇気はない。こうした現象が霊界といったような規模の大きな存在機構の実在の可能性を証明してくれるまでは、私のこの否定的な心境もやむを得ないところである。」 
                               (H. Carrinton: Eusapia Palladino and Her Phenomena


  パラディーノはさらに一九〇七年にナポリ大学の研究室で七回にわたって実験会を催している。場所が場所だけに当時のイタリア一流の科学者がずらり列席していた。そのうちの一人ボタッチ教授 Prof. Bottazzi の報告の一部を紹介してみよう。例によって霊媒の両手は(教授によって)握られ、両脚は縛られている。

 「パラディーノの物質化現象は回数も多く重要なものばかりであった。当日は四回にわたって大きなにぎりこぶしが左のカーテンの内側から現れ、しばらく静止し、やがて霊媒の頭のあたりに向けて進んだ。その直後に霊媒が『こぶしが私の頬と耳と首すじのところをさわりました』と言うのが聞こえた。

四回目に出た時は出現している時間が長かったので私が注意をうながして列席者全員によく見てもらった。実に鮮明に見えた。しかしそれよりも次に述べる現象の方がはるかに印象的であった。


 それは開いた手が私の首すじのところを掴まえた時であった。とっさに私はポゾ博士 Dr. Posoの右手を握っていた左手を離し首すじのところへもっていった。そこには確かに〝手〟があった。それは左手で、冷たくなく熱くもなく、骨っぽい感じであった。

ところが私が押えているうちにそれが〝溶解〟していったのである。手をひっこめたのではない。分解し、形体を崩し、消えて無くなったのである。

 それから間もなく同じ手が私の頭に置かれる感じがした。素早く手をやってみると確かに〝手〟があり、私はとっさにそれを握りしめてみた。すると前と同じように形態が崩れ、私の手の中で消えていった。

 同じ手がもう一度現われた。こんどは手を開いたまま私の右腕のところに置かれたので、前の二度の場合と違って自分の目で確かめることができた。見た目には人間の手とそっくりで、色も人間の肌色をしていた。私は左手でその指と甲のところに触ってみたが生あたたかくてカサカサしていた。

やがてそれも溶解していった。そのとき私はこの目で確かめたのであるが、溶解した物質は曲線を描きながら霊媒の体内に吸い込まれるように消えていった。正直言って私はその手は霊媒のものではないかという疑惑をもっていたが、霊媒の左手は私の右手によってしっかりと握られていた。七回にわたる実験で起きた現象の大部分はいずれ私の記憶から消えていくであろうが、この〝手〟の現象だけは永久に忘れそうにない。」


 こうした研究報告を収録している著書 Ensapia Palladino and Her Phenomena (パラディーノとその現象)の著者キャリントンは有名な米国の心霊研究家で、本書の中には右に引用したような他の研究家の研究資料ばかりでなく自分で直接調査した結果も載っている。

かつてロンドンにいた時分には英国SPRがパラディーノを徹底調査するために選んだ調査委員のうち一人に選ばれている。他の二人とは英国SPR幹事のフィールディング E. Fielding .同じく英国SPRの評議員で〝あばきの名人〟として知られたバガリー W. Baggally であった。

キャリントンも頭の切れる研究家として知られ、それまで多くのニセ霊媒をあばいていた。この二人が幹事のフィールディング氏のもとで研究に従事することになったわけである。

 この調査委員会による実験会は一九〇八年にナポリで開かれた。霊媒のパラディーノは例によって両手を握られ脚を縛られたまま腰かけた。その他実験条件は厳格をきわめたが結果はそれまでと全く同一で、キャリントンは一ぺんにカブトを脱いでしまった。

そして前出の著書の中で、クルックスとまったく同じサイキック・フォースの存在を想定し次のように説いた。
  
 「こうして手や顔あるいは全身が物質化し、霊媒の知らない言語(英語のこと──パラディーノは文盲のイタリア人)で霊媒にまったく関わりのない事柄について会話が交わされるという事実を前にして、これを霊魂説以外の説で片付けようとするのはとてもムリなように思える。

つまり霊魂がそこに存在し活動していると考えるのが最もムリがないように思えるのである。私は少なくとも他にもっと合理的な説が出るまではこの説を採用したい。

 さて霊魂が存在することは認めるとしても、では一体その霊魂はどうやって現象を起こしているのであろう。霊魂というのは一応物質とは対照的な非物質的な存在と考えられるが、そうなると物質界に直接働きかける事は出来ないはずである。

つまり現象が生ずるには何か中間的要素が必要であり、これについてはすでに述べたので、ここではもっと考えを進めて、その中間的存在の本質にふれておきたい。

 私はこれは霊媒の身体から抽き出される強じんな生命体であり、それを霊魂が利用して現象を起こしているのだと主張する。つまり霊魂はこのエネルギーをいわば身にまとって一時的に物質化し、物質界との接触を得て物体を動かし、人間の目で確かめてもらい、あるいは直接触れたり写真に写してもらったりしているのである。

 かくして普段は次元の相違によってまったく地上界から隔絶している霊魂が、このエネルギーのおかげで一時的に物質化して、右に紹介したような種々の現象を生ぜしめているのである。いわばこのエネルギーは半物質的なマントのようなもので、これをまとって地上界との接触を得ているのである。」

 
 すべての霊媒がそうであったようにパラディーノもたびたび詐欺の疑いをかけられたが、一度も詐欺の事実が立証されたことはなかった。そして一九一八年、物理現象専門の特異な霊媒としての生涯を閉じたのであった。


 キャリントンに続く物質現象の研究家としてはスコットランドのクロフォード博士 L.W. Crawford がいる。 

一九一四年から二〇年にかけて数々の実験をした博士はその真実性を十分に納得し、ひき続いてその原因究明のための研究を開始した。霊媒はゴライヤー嬢 Kathleen Goligher で、この研究で博士はエクトプラズムに関していくつかの重大な発見をしている。

 エクトプラズムというのはフランスのリシュ教授が付けた名称で、本質的にはクルックス博士のサイキック・フォース、キャリントンのバイタル・フォースと同一であるが、細かい相違点についてはあとで触れることにする。

 他の研究家と違ってクロフォード博士は霊媒ゴライヤーの家族の者以外は自分一人というプライベートなサークルで実験を行なった。現象そのものは他の物理霊媒の場合と殆ど同じであったが、博士はその客観性を立証するために実験室に蓄音機を持ち込み、ラップ現象のような音の出る現象の様子を全部録音した。

その中にはラップによる問答も入っており、これを五百人の聴衆で埋まったホールで聞かせることまでやっている。

 めずらしい現象としては特にバレット教授を招待した実験で大きなテーブルが教授を載せたまま宙に浮き、クルリと回転したことであった。

 博士はこうした物理現象を細かく観察した結果次のような事実を発見した。すなわち物体が浮上するときは霊媒の身体から原形質状のものが突き出てそれを支えている。その際霊媒は入神状態にあるので、その突出物の動きは霊媒の意思とは関係なく、また記憶も残っていない。

たいていホンノリと白っぽく光っており、浮揚現象の時は長細い形体をしている。ただし、この棒状のものが突き出て物体とつながると、霊媒の身体がテコの役割を果たして物を持ち上げることになる。かくしてテーブルやイスあるいは人間まで宙に浮くわけである。

むろん棒状の形体は物を支えるための便宜上の形体であって、エクトプラズムはいろんな形体をとる。

 博士はこうしたエクトプラズムの種々相をフラッシュ撮影で写真に収めてその著 The Psychie Structures at the Goligher Cicle で公表している。

それを見るとエクトプラズムは時には浮雲のようであったり、ベールを流したような格好をしていたり、あるいは今のべたような棒状をしていたり、ドロドロしたワックスのような状態だったりして、その種類はさまざまであるが、いずれもきわめて鮮明に写っていてケチのつけようがない。

 クロフォードはこのプラズマを次のように説明する。すなわちこれは人体組織の中に含まれているエーテル状の半物質であり、精神と肉体とを結ぶ媒介的役割を果たしている、と。これはクルックスのサイキック・フォース、キャリントンのバイタル・フォースの説明とまったく同じである。

 結局サイキック・フォース、バイタル・フォース、プラズマ、エクトプラズムの四者は本質的には同一物をさしているのであり、厳密に言えば前二者が霊媒および列席者の体内から抽き出される半物質体をまとったものが後の二者となる。

説明の仕方を変えれば、サイキック・フォースまたはバイタル・フォースは肉眼には映じないものであって、それを視覚にうったえ、あるいは写真に撮れるようにするために霊媒、列席者、ときには大気中からでもエーテル質の半物質を抽出し、 

これを外部にまとったのがエクトプラズムとなるわけで、従ってエクトプラズムにはエネルギー的要素の二つの要素が一体となっているわけである。これはクロフォード博士の説明と合致する。

 更に博士によればプラズマは人間のすべてに多かれ少なかれ含まれており、霊媒ないし霊能者には特別に多いというわけである。しかしプラズマそのものが物体を動かすのではなく、その背後にはいわゆる霊魂が控えていて、プラズマを実験材料にして種々の目的に利用しているのである。

というのも、非物質的存在であるスピリットが物質に働きかけるには是非ともこの媒介となるべき中間的物質が必要なのである。こうした関係は決して特殊なものではなく現にわれわれの人体もその関係によって成り立っているという。
 
 ところでエクトプラズムは必然的に例のドラマチックな全身物質化現象を想起させるが、クロフォード博士の実験では顔とか手、腕といった部分的な現象しか出ていない。全身が物質化するには莫大な量のエクトプラズムが必要であり、そのためにはよほど豊富なプラズマをもつ霊媒が必要となり、これはそうめったに見あたるものではない。

 物質化現象の科学的研究はクルックス博士のクック嬢研究に始まる。これは例のケーティキングの完全物質で話題をさらったが、これについてはすでに第四章で紹介した。その後もヨーロッパおよびアメリカにおいて幾つかの研究発表がなされているが、本格的なものとしては一九〇〇年代のリシェ教授、シュレンク・ノッチング博士、ビソン女史、ジェレー博士等による研究がある。これを次章で紹介することにする。




   
 第七章 物理的心霊現象の種々相(二)  

 本章では物理現象の花形ともいうべき物質化現象を取り挙げる。
 手始めとしてフランスのリシェ教授による実験を紹介してみようと思う。教授は元来は生理学が専門であるが、心霊現象を三〇年あまりも研究し、その結果 Thirty Years of Psychical Research と題して一九二三年に出版している。いわゆるエクトプラズムという用語を作ったのも教授で、その後広く一般に使用されるようになった。

 リシェ教授がはじめて物質化現象を目撃したのは一九〇五年にアフリカのアルジェーで開かれた物理実験会に招かれた時で、霊媒はベロー M. Beraud という若い女性であった。

教授の表現を借りると「ベローは知的で快活な女性で、ブルネットの髪をいつも短かく結い、明るい目をしていた」という。のちにビソン女史とシュレンク・ノッチング男爵(後で紹介)が本格的に調査しているが、この時はエバ・シー Eva C の名で紹介されている。

 さてこのアルジェーにおける物理実験にはノエル将軍夫妻 General and Mme. Noel、X嬢 『スピリチズム評論』 の編集長ドランヌ氏 M. Delanne,霊媒の二人の妹、それにリシェ教授らあわせて六人が列席した。照明には写真用の赤色ランプを用い、室内のすみずみまで肉眼で見える明るさであった。

現像は申し分なかった。ビエン・ボア Bien Boa と名のるアラブ人がフェルト帽をかぶって五、六回出現した。

 「これが霊媒と別人であることは両者を同時に観察する事が出来たことによって証明される。かりに霊媒が演出していたとすれば、霊媒は前もってフェルト帽を室内に持ち込み、どこかに隠しておいたことになるが、それは実験前の厳しい点検によっても絶対に不可能だった」 と教授は述べている。

 ビエン・ボアは室内を歩きまわりながらあちらこちらに目をやったが、その目の動きも手にとるように観察され、ものを言う唇の動きまではっきりと見えた。その生き生きとした動作は呼吸の音さえ聞かれたほどだったという。が、この程度の現象はまだ平凡な方で、次に紹介する実験記録の現象などは正に怪奇的である。

 「右のような現象も確かに驚異的であるが、証拠性の点では次に紹介する現象の方が一段とまさっている」
 いつものように室内の準備を整え、かなり長い時間待たされたころ、私からあまり離れていないカーテンの前四〇センチ足らずのところの床の上に白い霧のようなものが現れた。

白いベールというか、ハンカチといったらいいか、とにかくそんな格好のものである。やがてそれが上昇して球形となりさらに人間の頭に変わった。そうみているうちに徐々に上昇して上半身が出来あがり、ついにはアゴひげをはやしターバンをまとい白いマントを着た一人の完全な人間となった。

それが心もちビッコを引きながらカーテンの前を右から左へと歩いていき、ノエル将軍のすぐ近くまでくると、まるで骸骨が崩れるようにガチャッという音を立てて床に落ちペシャンコになってしまった。
それから三、四分ほどすると同じ場所から一直線にすーっと同じアラブ人が現れた。まさに床から生まれ出たという感じであった。が、すぐまた前と同じような音と共に崩れるように床の中に消えていった。

 その様子はドランヌと私とで数枚の写真に収めてあり、オリバー・ロッジ卿からも心霊写真としては最高であるとの激賞をいただいた。」                                                          (Thirty Years of Psychical Research

 続いてリシェ教授は同じくアルジェーでの別の興味ぶかい実験報告を載せている。この時はビエン・ボアがエジプト人のうら若い女性をつれて出現し、教授はその髪を切り取っている。

 「その翌日、私もそろそろアルジェーでの滞在を切りあげなくてはと考えていたときビエン・ボアが〝もう少し延ばしなさい。あなたのお望みの方に会わせてあげますから・・・・・・〟という。むろん私は滞在を延ばした。 


 その翌日の実験でキャビネットのカーテンを閉めるとすぐ中央のところが少し左右に開いて、そこから美しい若い女性の顔がのぞいた。頭には金ぱくの王冠をつけていた。純真な微笑を顔一ぱいに浮かべ、いかにもうれしそうであった。

今でもその天真爛漫な顔と真珠のような歯並びを生き生きと思いうかべることができる。彼女はまるで子供がイナイイナイバーをするようにカーテンの切れ目から二、三度顔を出したり引っ込めたりした。そのうちノイル将軍が私に〝カーテンの中に入って髪にさわらせてもらいなさい〟と言うので言われる通りにした。

するとこんどは何者かが私の手の甲のところを軽く叩いて〝明日はハサミを持っていらっしゃい〟 という声がした。

 翌日ハサミを持参すると同じ女性が現われたが、この時はふさふさした髪と王冠だけを見せ、〝ハサミを持って来られましたか〟と聞いた。そこで私がその髪をひとにぎり手にしてその先端を切り取ろうとするとカーテンのうしろから手が出て、私のそのハサミを持った手を押さえて、下の方へ、

つまり髪の根もとの方へもっていった。もっと長く切り取れということだな、と思い六インチくらいのところにハサミを入れた。私がもたもたしていると女性が〝早く、早く〟と低い声で言った。切り終わるなり女性は消えてしまった。

 その髪は今でも保存してあるが、しなやかで絹のような色つやをしており染めたものではなかった。顕微鏡で見ると本物の髪であることが証明された。ちなみに霊媒の髪はとても黒く、またいつも短かくしていた。」(同前)

 信じられないような話であるが、しかしこうした現象が厳しい条件のもとで行われ、しかも教授自身はのべにしておそらく一〇〇回は他の学者と共にこうした実験会に立ち会っているのである。そして列席した学者はみな口を揃えてその真実性を証言している。否、

真実性があまりにはっきりしているために、真偽の検討の段階を通り越して、一体そうした物質化像がいかなる過程を経て出現するのか、またその素材となっているエクトプラズムの本質は何か、といった細かい検討の段階へと進んでいったのである。

 
 以上のような事実に照らして考えると現象は間違いなく教授の記述どおりに行なわれ、教授の切り取った物質化像の髪もその証拠品としてわざわざ物質化してくれたものであることに疑問の余地はない。また実験中に物質化像の髪を切り取ったという話はこの例に限らない。

髪ばかりでなく物質化像がまとっていた衣服や掛け布の一部を切り取った例も他の霊媒による実験報告に出ている。クルックス教授の報告にもある。

 では一体その切り取られた髪や布切れは化学的に何で出来ているのかが問題となるが、一番考えられ易いのがこれを模造品だとする考えで、したがってやがて消えて無くなる性質のものだろうというわけである。ところが顕微鏡その他の実験道具を使って調べた結果では本物と少しも違っていないという。

 その点は化学的に調べた結果であるからどうしようもない事実であるが、では本物と同じものが実験室内において短時間のうちにどうやって拵えることができるのかとなると、これは仮説を立てるほかはない。

おそらく霊界でまとっている衣服や髪をパタンとしてエクトプラズムで拵えるのではないかと思われる。言い換えれば切り取った髪や布切れはスピリットが実際に身につけているものをエクトプラズムで物質化したものだということになる。


 さて物質化現象の研究の決定版ともいうべきものは一九一一年から一三年にかけてシュレンク・ノッチング男爵 Schrenk-Notzing とビソン女史 Mme. Bisson がドイツのミュンヘンで行なった共同研究である。

 霊媒はリシェ教授の時と同じ女性霊媒ベローであったが、当人ならびにその家族への無理解な風当たりを避けるためにエバ・シー Eva C の名を使用している。実験結果はビソン女史がラテン語で、シュレンク・ノッチング氏が英語で、一九一三年に出版している。

シュレンク・ノッチング氏の著書は一〇〇回以上にのぼる実験記録と百枚以上の写真を収めた大著で、読む者のすべてに現象の真実性を強烈に印象づけずにはおかない。文字どおり画期的な書である。

 実験はすべてビソン女史の私宅で行なわれ、列席者は右の三人のほかは一人ないし二人のベテラン心霊家しか出席していない。ベロー霊媒は報酬を一銭も受けとらず、ビソン女史への献身的な奉仕精神から協力した。

 実験に先立っての身体検査は厳格をきわめ、ベローはいったん衣服を脱いで、特別仕立てのハダにピッタリ合った服を着せられた。特にビソン女史一人きりの時はベローは全裸のままであった。

 
実験中はキャビネットのカーテンに照明が当てられていて、布の模様がはっきりと見えるほどであった。またキャビネットの中には赤と白のライトが取り付けてあり、自由に点滅できた。さらにキャビネットに向けて三台のカメラが設置され、リモートコントロール式にいつでもシャッターが切れるようになっていた。

 こうした情況でも素晴らしい現象が展開した。人体の部分的および全身物質化現象が次々と出現し、同時にその物質化の過程が手に取るように観察された。観察したところによると、まず最初に羊毛のような白い物質(エクトプラズム)が霊媒の口、手先、肩のあたりから出てきてヒザの上とか肩の上でワックス状のかたまりになる。

それがやがて変形して顔とか人体の格好になっていく。逆にそれが分解して霊媒の体内に消えていく様子も観察され、それらの様子が全部写真に収められている。一九一一年一一月二二日の実験の様子を紹介してみよう。

 「実験会が始まるとすぐエバの膝の上にエバの手ほどの大きさの白いかたまりが現われた。エバの左側の片隅にも白っぽいかたまりが見える。カーテンからの距離は五、六フィート、エバの顔から二八インチほどのところにあり、人間の頭の形をしているように見えたが、その時カーテンが閉められた。

  再びカーテンが左右に開くと、さっきのかたまりは女性の顔になっており、ライトに照らされて少しはにかむような態度でわれわれの方に近寄ってきた。
そしてエバのすぐ左側まできた時、エバが写真を撮ってほしいというので、三台のカメラが同時に写せるように、その物質化像にエバの顔の後ろに位置してもらった。

 撮影のためにフラッシュがたかれたあと、その顔だけの物質化像はカーテンの仕切りのところまで出て来たのでビソン女史と私とでその像の細かいところまで確かめることができた。大きさは子供の顔くらいで尼僧のようにベールを被っていた。そのうちビソン女史が衝動的にエバの手を握った。するとその物質化像は電光石火の勢いで床に消えてしまった。

 再び同じ像が現われた時、エバはビソン女史に〝物質化像の髪を切り取ってもかまいません〟という。そう言われて女史は私が差し出したハサミを手にして、近づいてきた物質化像の髪に手をやって四インチほど切り取り、それを私に手渡した。

切り終わるや否やその像は一瞬のうちに霊媒の方向へ消えていった。と同時に霊媒が何やらカン高い声を出した。まるで物質化像が溶解して霊媒の体内に吸い込まれたみたいであった。

 写真でみるとエバは右手でカーテンを広く開けているので全身がはっきり見える。顔を左前方に突き出し、その表情には苦痛の色がうかがえる。物質化像は形は小さいが顔の作りは成人した女性の顔をしている。

口もとは愛らしく両側にエクボが見える。鼻はホッソリとして整っており、アゴはふっくらとして、どちらかというと張っている。頬はふっくらとまるみを帯び、目には二〇歳から二四,五歳を思わせる生気と、満足げな表情がうかがえる。」

 
続いて一九一二年五月八日の実験記録を紹介しよう。

 「列席者──ビソン女史、シュレンク・ノッチング、同夫人。
 カーテンを左右に開いてキャビネットの中をのぞくと霊媒の後頭部の髪にひっつくような格好で仮面のような顔が見える。一見柔らかいパルプ状の物質にさらに柔らかい物質を加えて顔の形にしたような感じである。額と目だけが見えているが、どうやら女性の顔のようである。


それがある時は霊媒の右(肩のあたり)に見えたり左に見えたり、またある時は霊媒から離れて宙に浮いたままの時もあった。一度はカーテンのそばまで進み出たこともある。
また一度は霊媒の顔の上にのっかり、やがて後ろの方へそり返って平たくなり、霊媒の頭上をベールを被せるような格好になったこともある。

 霊媒の右肩の上に見えた時に写真に撮るのに成功した。それをみるとこれから形が出来あがるところらしく、霊媒の右後頭部の髪にひっついていて、顔の大きさは生まれたばかりの赤ん坊か、やや大きい人形くらいの大きさであった。」           
                                                         (Shrenck-Notzing : Phenomena of Materialization


 こうしたビソン女史ならびにシュレンク・ノッチング氏による研究は、切札ともいえる一〇〇枚以上にのぼる驚異的な証拠写真によって、物質化現象の事実とその主役を演じているエクトプラズムの存在を他の科学的分野に負けないだけの科学的基盤の上に確立したといってよい。

エクトプラズムが霊媒の身体から出ていることも間違いない事実であることが立証された。ただ、こうした現象の究極の原因、つまりこれを操っているのが果たして霊魂であるか否かの点については、二人は結論を出すことを控えている。

 二人の共同研究に協力したあと、エバはフランスのジェレー博士(ゲーリーとも)Gustave Geleyによる更に進んだ実験に協力している。博士はパリの実験室にエバを三ヶ月間隔離して調査し、右に紹介した二人の共同研究とまったく同一の結果を得ている。

 しかし同一であっても博士の研究はエクトプラズムの形成過程を細かく検討した点に重要性があり、その意味でクルックスに始まる物理現象の研究の中でも最も進んだものと言ってよいであろう。その一部を紹介しよう。


 「三ヶ月にわたってエバを(私の実験室で)調査したその結果を総合的に要約すると次の通りである。


 まず最初に強調しておきたいのは、これから紹介する物質化現象はみな私が自分の目で確かめ、直接手を触れ、かつ写真に収めることができたものばかりだということである。私はその現象の始めから終わりまでをつぶさに観察した。つまりそれが出現し、形を整え、大きくなり、そして消えていくのを細かく自分の目で観察したのである。

 エバの場合、物質化像の生ずるまでの過程はいたって単純である。すなわち薄暗いキャビネットの中で着席してから軽い催眠(入神)状態に入る。軽いといっても、その間の出来ごとについて

は何の記憶も残っていない。キャビネットというのはそうした催眠状態が邪魔されないように、ことに強い光線などを避けるために設けるもので、それ以上の意味はない。しかしこうしたキャビネットがあるからこそ実験室全体を明るくしておけるわけである。

 現象が出始めるのは霊媒が入神してすぐのこともあれば、一時間あるいはそれ以上たってからのこともあり、その時その時で一定しない。いずれにしても現象が始まる時は必ず霊媒に苦痛が伴う。  

物質はいろいろな箇所から出てくるが、特に鼻とか口、えくぼのように穴状になったところや、逆に指先や頭のてっぺんのような突き出た箇所から出ることが多い。

 一ばん多く出てしかも一ばん観察しやすいのが口の中で、ほおの内側、硬口蓋、歯ぐきなどが特に目立つ。また形体はいろいろである。ある時は柔らかいのり状の原形質のかたまりであったり、ある時は何本かの細かい紐になったり、幅の広い帯状のものになったり、あるいは輪郭のはっきりしない細かい組織であったりする。

 エクトプラズムは分量も一定しない。ホンの少量の時があるかと思うと、霊媒を被いかくすほどのマントのようなものになったりする。

 
 広がっていく時は見るからに柔らかく弾力性に富んでいるようにみえる。触ってみるとクモの巣に触わったみたいな感じである。動きが自由自在である。ゆっくりと出現して上昇したり下降したり、 霊媒の肩や胸、ヒザのあたりをクモのように這いまわることがあるかと思うと、ものすごい速さで動くことがあり、極端な時は電光石火という形容がピッタリするようなこともある。


 この物質は非常に感受性が強く、その過敏さは霊媒と密接に関係していて、エクトプラズムに加える衝撃は霊媒に苦痛となってあらわれる。

 光線にも過敏である。ことに不意に光を当てられると霊媒が激痛を覚えることがある。しかしこれも時によりけりで、真昼の明るさでも平気な霊媒もいる。マグネシュウムのフラッシュで霊媒が苦痛を覚えることがあるが、何枚撮影しても平気なこともある。

 私の見ているすぐ目の前でエクトプラズムが出現し、変化し、消えていくまでの全過程が展開したことが幾度もある。たとえば霊媒の組んだ両手からエクトプラズムがにじみ出て二つがつながり、両手を左右に離すとエクトプラズムも伸びて何本かの太い紐になり、

それが幅を広げて房飾りのようなものを形成した。そして最後にその房飾りの真ん中あたりに完全な形をした指先や手や顔などが次々と出現した。」           (From the Unconscious to the Conscious)

 こうしたジェレー博士の研究成果は、これに先立つリシェ教授やビソン女史、シュレンク・ノッチング氏の研究とともに、物質化現象の真実性を完膚(カンプ)なきまでに立証し、科学的事実として立派に確立したと言えよう。

どの研究家も物質化現象そのものの実在については一点の疑惑もはさまなかったが、その究極の原因、つまり何が現象を演出しているかについては必ずしも意見が一致していない。


 右に紹介した三人の学者はいずれもその点に関しては結論を控えているが、しかしその他の多くの研究家が霊魂説──つまりかつて地上で生活したことのある霊魂の仕業であると結論している。

 つまりこういうことである。まずエクトプラズムが霊媒の身体から出てくる。この点はすべての研究家が一致している。

次に霊魂論者はそのエクトプラズムを霊魂が自分の顔とか手、その他いろんな型にあわせて型を整えるのだと説明するのである。物質化現象に携わった学者の大部分がこの説を支持しており、実験室における現象もこれを実証しているとみるのが妥当であろう。

 霊魂説を頭から否定する側の説によれば、エクトプラズムそのものの実在は認めるし、それが霊媒の身体から出ていることも間違いない事実とするが、それを操っているのは霊魂ではなくて、霊媒の体内あるいは自然界のどこかに存在する未知の力または知性の仕業であるという。

霊媒バラディーノを研究したポロ教授は自然界に存在する非人間的知性つまり人間とは別の無意識の知性の仕業であると推測している。


 このように現象の原因を人間または霊魂以外の未知の力に求めようとした学者の筆頭は、他でもない、エクトプラズムという用語を作りだした、リシェ教授である。

教授も現象が本物であることは率直に認め、それが何らかの知性をもった存在の仕業であることも認めたが、それが人間の霊魂であることだけはどうしても納得しかねた。人間の知性が脳細胞の崩壊したあとまで存続するなどということが信じられないというのである。 

 したがってこの論理でいくと教授の場合は人間の知性が生体を離れて存在できることさえ証明されれば霊魂説を受け入れる用意ができていたわけである。それを物語る事実として、教授は著書の中で現象が「あたかも人間の霊魂がやっているかのように」展開された、と表現している。しかし結局教授は唯物的人間観から脱することができず、物質化現象は人間の精神に潜んでいる未知の力の仕業であるという主張を固辞し通した。

 いま見てきたように、霊魂説否定論者の説はあくまでも〝未知の力〟である。平たく言えば何だか判らない原因ということであろう。これでは霊魂論者はもとよりのこと、否定論者自身も論議をそれ以上進めることは不可能であろう。

要するに否定論者の根拠はあまりに消極的であり、脆弱だということである。果たせるかな否定論者の殆どはその後の研究や推理の結果、結局は霊魂説に移っている。

 大体において心霊研究家は三つの段階を経て霊魂説に落着いている。第一段階はまず現象そのものをトリックだときめてかかる。次に細かく調査していくうちに現象そのものの実在を確信するようになる。

がしかしその原因は〝未知の力〟あるいは〝霊媒の潜在意識〟だと主張する。 しかしその後さらに数多くの現象に接し、そういった漠然とした説では片付けられないことを知ると、一転して霊魂説へと移行する。


 スピリチュアリズムの先駆者とされている著名な心霊家の中にも、こうした段階を経て霊魂説ないしそれに類似した説に辿りついた人が少なくない。例を挙げると──

〇 フレデリック・マイヤース=最初は例の潜在意識説を唱えていたが、晩年にいたって霊魂説を信じた。

〇 オリバー・ロッジ=最初は霊魂説を否定しテレパシー説ないしは潜在意識説をとっていたが、戦死した息子のレーモンドの出現で霊魂説に変わった。

〇 リチャード・ホジソン=同じく始めは厳しく霊魂説を批判していたが、最後は支持する側にまわった。

〇 ウィリアム・バレット=SPRの創設者の一人で長い間テレパシー説を唱え、霊界通信はみなテレパシーの産物だと主張していたが、他界する七年前にやっとその無理に気づき霊魂説に変わった。その辺のことは On the Threshold of the Unseen にくわしく出ている。

〇 シジウィック教授=SPRの初代会長で熱心な研究家でもあったが、最後まで潜在意識によるテレパシー説を捨てきれなかった。しかし晩年には霊魂説を真剣に検討していた。もう少し長生きしていたら霊魂説を認めていたかも知れない。

〇 シジウィック夫人=徹底した懐疑心から出発して、まず生者からのテレパシー説を唱え、最後には死者からのテレパシー説へと移行していった。

〇 ロンブローゾ教授=イタリアの心霊研究家で霊媒パラディーノを見出した人であるが、最初のうちは現象そのものの実在は認めながらもスピリチュアリズムの説を論駁していた。が最後には After Death, What ? という著書で霊魂説の立場を表明している。

〇 H・キャリントン=パラディーノを調査するまでは全ての心霊現象をトリックと決めつけ、その立場に立った書物まで出していたが、やがて潜在意識説に変わり、最後は霊魂説に落着いた。

〇 J・A・ヒル=有名な 『スピリチュアリズムの歴史』 を始めとして数多くの心霊書を出した人であるが、他界する二、三年前までは霊魂説を受け入れることが出来なかった。そして最後に出版した本の中でようやく霊魂説がやはり一番妥当な説であることを認め、自分がそれに至るまでに辿った思想的過程をありのままに綴っている。


 こうした思想的変化のパターン、すなわちトリック説→未知の力→霊魂説というおきまりのコースが物語るのは、要するに未知の力であるとか潜在的あるいは無意識の能力といった説がいかに根拠の薄い不安定なものであるかということである。

言ってみればこの説は現象の全面的否定から霊魂説に至るまでの一時休憩所のようなもので、研究家はここでゆっくりと再思三考し検討しなおして、そこから飛躍的に霊魂説へと移行していくわけである。

 その中間的段階すなわち潜在意識説に最後まで固執していた研究者にポドモア Frank Podmore がいる。最初は History of Spiritualism の中ですべてをトリックだときめつけていたのであるが、その後に出した The Newer Spiritualism の中で潜在意識を主張しながらも、

 「全体的にみると通信の量が多く内容も確実であり、前もって霊媒パイパー夫人との打ち合わせが為されていた可能性は絶対有り得ないことなどを考慮すると、列席者からのテレパシーとか死者からの通信といった何らかの超自然的な作用の可能性をまったく否定することもできない」
 と述べて、潜在意識に疑問を感じはじめたことを示している。


 ウィリアム・ジェームズも同じように潜在意識説に固執し、ついに霊魂説に至らなかった一人であるが、もう少しで霊魂説をとる一歩手前まで来たことが度々あり、おそらく内心では認めながらも、それを公然と発表する勇気がなかったというのが事実ではなかったかと想像される。

 さて再び物質化現象の問題に戻って、これまで取り挙げなかったもう一つの面を取り挙げてみたいと思う。それはほかでもない、物質化像の認知、つまり出現した霊の身元調査の問題である。
 
 ビソン女史やシュレンク・ノッチング卿あるいはジェレー博士による実験では現象そのもの、つまりエクトプラズムという物質の性状の研究が主体となっていて、認知ということにはあまり関心を示していない。が物質化現象を研究した人の中には物質化像の容姿や容貌を細かく観察した人が少なくない。

たとえばコナン・ドイルはその著 Our American Adventure の中で自分の母親と甥の容貌を克明に描写している。霊媒はオハイヨ州のベシネット嬢 Miss A. Besinnetである。

 「この一連の交霊会を通じて私は二度霊魂の顔をまともに見る機会を得た。一度は母親、そしてもう一度は甥の O. Horning であった。甥は私を見てニッコリ笑った。その折、歯がキラリと光って見えた。目が灰色であることも確認できた。ちなみに、霊媒の目は薄茶色であった。

 双方とも至って元気で幸福そうに見えた。その表情はきわめて鮮明でアカ抜けしていたが、ただ母親の顔には生前どおりのシワが(むろん再生したものであろうが)目についた。なお念のため付け加えるが、この一連の交霊会のうちの一回は私の自宅で行なわれ、スピリチュアリズムに懐疑的な知人を何人か招待したが、全員がスピリットの顔を見ている。 

 ウィデカム艦長 Captain Widdecamb もその一人で、多くの顔を見ているが、誰であるかはっきり確認できたのはいなかった。

 その点キーディック氏  Mr. Keedick は運がよかった。というのは例の有名な探検家のシャクルトン Ernest Shackleton が現われたからである。キーディクはあまりの驚きに息をつまらせ、感情をたかぶらせながら『シャクルトンだ』と叫んだ。氏はシャクルトンと親友だったのである。氏を知る者ならば、氏が神経の図太い現実的な男で、およそ幻覚などに惑わされる人間でないことをよくご存知のはずである。」                                                                                                 (Our American Adventure) 


 もう一つの例はジョンソン霊媒によるロサンゼルスでの交霊会で再びドイルの母親が出現した。もっともこの時は「顔のあらゆる部分がすみずみまで確認できた」という前回のベシネット霊媒による交霊会の時ほど鮮明でなかった。

 ところでスピリットがエクトプラズムをどのように使って容貌などを整えるかという点については、物質化現象の専門家の間でも確定的なことはわかっていない。しかし大方の説はスピリット自身の容貌にエクトプラズムを合わせ、それを肉眼に映じる程度まで物質化するということに落着いている。

こうして一たん物質化像が出来あがると、われわれ自身の肉体とまったく同じ機能を発揮するようになり、物質化像はその中に宿るスピリットの容貌ばかりでなく地上時代にみせた個性や性癖までがそのまま出ることになる。


 しかし物質化して出てくるスピリットの話によると、生前の自分を確認してもらう目的での物質化は容易なワザではないらしい。

出現した霊はただ黙って立っているのではなく、いろんなことを話しこちらの質問にも答えてくれるのであるが、それによると、うまくいった実験には必ず霊界の専門の化学者の指導があり、彼らはエクトプラズムの製造と利用方法について専門的に研究しているという。

また認知を目的としない実験の場合は一種の人形のようなものを拵え、それを何人かのスピリットがかわるがわる使用するという。

 しかし認知が目的となると霊界の化学者は細心の注意をもってエクトプラズムを製造し、これをうまくスピリットに合わせ、一方スピリットの方でも自分の個性やクセを出すために相当な念力と集中力とを要することになる。

ために完全(全身)物質化現象の場合はあまりしゃべらないのが普通で、それもあらかじめ何をしゃべるかを決めておくのだという。

従って例外的な場合を除いて物質化霊は長時間続けて出現できないし、しゃべり続けることも出来ない。会話を目的としたり質問に答えたりする場合は声帯だけを拵えるという。この場合の物質化は大して手間がかからないらしい。

 物質化現象の問題はこの程度にして、次はスレート・ライティングと心霊写真の問題を取り挙げたいと思う。まずスレート・ライティングというのは二枚のスレート(石盤)を用意し、その表つまり文字を書く面を内側にして二枚を重ねておくと、その面に通信文が書かれるという現象である。

 普通スレートは霊媒の前でしかも列席者からよく見える位置に置かれる。そして列席者が質問を心に念じてもいいし、紙切れに書いてもいい。スレート用のエンピツ(石筆)を二枚のスレートの間に挟むようにして置くと、質問に対する回答が書かれる。

有能なスレート霊媒になると列席者(質問者)にスレートを自宅から持参させ、二枚を重ねてゴムヒモで縛ったあと片方の端を自分がもち、もう一方の端を列席者に持たせたりする。

 通信文がスレートに書かれていく音は肉耳にもはっきり聞こえ、そのスピードは普通の筆記より速く、猛烈な勢いの時もある。そんな時、 i の点や t の横棒を書く音は叩きつけるように聞こえる。

 しかしスレートライティングはスピリチュアリズム現象の中でも非常に例が少なく、優れた霊媒が極めて少ない。かつて英国でスレード Slade と エグリントン Eglington の二人が優れた能力を見せていたが、たまたまトリックをやったところを摘発されて、全てを台なしにしてしまった。

 一方米国ではキーラー Pierre Keeler が最も有名であり、三十余年にも亙って安い料金で万を数える人々に披露してきたが、現象がはたして本物かどうかの点については研究家の間でも異論があるようである。

 キャリントンが霊魂説に変わる前に出した The Physical Phenomena of Spiritualism の中ではキーラーの現象を全部トリックだときめつけている。その理由として、キャリントンは実験会で何か質問を書くようにと小さな用紙を出されたので、架空の人物へ宛ててデタラメの質問を書いたという。

 ところがそのデタラメの質問にちゃんとした回答が綴られた。その回答は実在しない親戚からのもので、しかもデタラメにでっち上げた用件に関するものであった。これでキャリントンはキーラーのスレート・ライティングはトリックだ、と断定したわけである。

 しかし、では実在した人物の霊魂によってデタラメでない本物の用件に関して適確な回答が綴られ、しかもその霊および用件について霊媒のキーラー自身何も知らないという場合はどう解釈すべきであろうか。

多くの場合、通信文の筆跡は署名した霊魂の生前の筆跡とそっくりである事がそれを受け取った質問者によって確認されており、同時に内容も霊媒も質問者も一片の知識もないことが書かれていることが幾つか確認されている。

 実は筆者自身もキーラーの実験で同じ体験をした一人で、この事実はキャリントンの結論が独断であることを立証する有力な第一の証拠といえるであろう。


 次に言えることは、仮にキャリントンの言うとおり、デタラメな質問に対して実在しない親戚からの回答が書かれたとしても、それは必ずしも霊の存在を否定することにはならないということである。というのは、キーラーは絶対にスレートをいじくっていないし何かを書いた可能性も絶対にない。 

 となると、このケースで何らかのごまかしがあったとすると、それはそのメッセージを書いた霊が無意識のうちにやった手違いが人間側にごまかしと受け取られるような結果となったということではないかと推測される。これは決してとっぴな推測ではない。具体的に説明してみよう。

 キーラーのスレート・ライティングは生前吟遊詩人をしていたクリスティ George Christy という霊が担当しているといわれる。すなわち実験の際にクリスティが采配をふるい、質問者の要請の霊を探し出してくるのも彼の仕事である。ところがやってきたスピリットはたいてい石筆をうまく使いこなすことができない。

霊が物体を扱うにはそれなりの技術がいるのである。そこでクリスティが仕事することになるが、しかし求める霊が見当たらない場合はどうなるであろうか。

 たとえばキャリントンのようなトリックにまともにひっかかった場合、クリスティはそれが実在しない人物で、質問もデタラメとは知らず、とりあえずその質問に対する適切な(と自分で思う)回答を綴るかも知れない。

クリスティとしてはともかく死後の実在を裏付けるような書き方をすれ、ばそれで事が足りると判断するであろう。その証拠にたびたび実験に立ち会った人の話によると、キーラーは出された質問に何の回答も書かれなかった時、クリスティに何とかしてくれ、としきりに頼んでいたという。


 むろんこれは一つの観方にすぎない。一方においてキーラーを一〇〇パーセント信じている人が大勢いても、他方でキャリントンがやったようなトリックにまんまとひっかかっていては、絶対間違いなしと太鼓判を押された通信にも相当な疑惑をもたれることは避けられないであろう。 

 もっともキーラーはスレート・ライティング専門ではなく、他にも多彩な霊能をもち、いわば万能型の霊媒である。中でも得意とするのはインスピレーション(霊感)による演説または説教で、各地のスピリチュアリスト教会や集会で説教を行い、米国の一流心霊誌 Progressive Thinker の霊界通信部門を担当している。


 有名という点ではキーラーが筆頭だが、優れたスレート・ライティングの霊媒は他にも何人かいる。前出のドイルの Our American Adventure の中からプルーデンス夫人 Mrs. Prudens を紹介してみよう。

 
「私たち夫婦がオハイオ州の優秀な霊媒プルーデンス夫人と再び立ち会う機会に恵まれたことは幸運であった。それは夫人が私の講演会に出席された時のことで、私はさっそく夫人にお願いしてブラックストン・ホテルで実験会を催すことになった。夫人は母親的雰囲気を具えた優しい、かなり年輩の女性であった。このスレート・ライティングの実験は私にとって最初であった。

 スレート板にトリックを仕掛ける霊媒がいると聞いていたが、プルーデンス夫人は私にスレート板を持参するよう要請し、その上スレート板を綿密に点検することを許してくださった。

 夫人のやり方は小さなテーブルに幅の広いテーブル掛けをかけ、その垂れさがった布によってテーブルの下がキャビネットになるようにする。そのキャビネットの中にスレート板をもっていき、一方の端を夫人が、もう一方を質問者の私が持つ。夫人は片手でスレートを握り、もう一方の手はテーブルの上におくので、誰の目にも見える。スレートは例によって二枚を重ね、間に石筆をはさんでいる。

 その状態が三〇分も続いたころ筆記が始まった。握っているスレートに文字が書かれていく時は一種異様な感じがする。質問は前もって小さな紙切れに書きキチンと折りたたみ暗いテーブルの下に置いてある。霊的な作用が光線に害されやすいからである。

 やがて筆記が終わった。質問用紙を確かめてもよいというので拾って調べてみたが、開かれた形跡はなかった。テーブルの下はむろん暗いが、部屋全体は光線が差し込むほどの明るさだったから、霊媒がそっと屈んで取ろうものなら一目でわかったはずである。

 私はその日の午前中にフランス人の発明家と、幾分霊的で物的でもある用件で相談することになっていたので、それが賢明であるかどうかを質問として書いておいた。

すると回答には 〝Gelbert 博士を信頼しなさい。Kingsley〟 とあった。私は質問用紙に Gelbert の名を書かなかったし、その用件について霊媒のブルーデンス夫人は一片の知識もなかった。」


 心霊写真もコナン・ドイルと密接に結びついている。ドイルはこの現象に格別の興味を抱いていて  The Case for Spirit Photography という著書を出している。

 心霊写真というのは普通に撮った写真に他界した友人とか親戚の顔が写っている写真のことで、それが誰であるかは確認される場合もあれば、どうしてもわからない場合もある。最初の心霊写真は一八六二年ボストンのマムラー Mumler という人が発見したもので、当時では心霊現象の中でも特に珍しいものとして騒がれた。

 
しかし幸か不幸かこの現象は少し細工をすれば簡単にマネが出来ることから、その後の心霊写真霊媒はことごとく詐欺の嫌疑をかけられ辛酸をなめさせられた。

 この種の現象はホンのわずかな疑惑だけで全てを疑われる性質をもっている。従って少しでも懐疑的な人に「やっぱりトリックだな」と思わせることは至って簡単なことだった。しかし一度ほんものの存在を確信した人はいくらまわりが騒いでも、またはトリック写真があばかれても、少しも動ずることはなかった。トリック写真は確かの存在したのである。

 さて心霊写真霊媒として心霊史上名実ともに第一人者に挙げられるのは英国のホープであろう。ホープはクルュー団という心霊写真仲間によるサークルを結成し、貴重な心霊写真を多く産出した。クルックスはホープを自分の実験室に呼び貴重な心霊写真を撮ってもらっている。

 ホープを詳しく研究したのはドイルで、前出の The Case for Spirit Photography はホープとクルュー団の活動をも紹介している。ただその中の一章だけはバーロウ Fred Barlow と言う心霊研究家が執筆している。

 バーロウ自身も亡父の心霊写真を撮ってもらっているが、心霊写真の出来あがる過程を次のように説いている。「被写体である人物が写るのと霊が写るのとでは過程が異なる。人間はシャッターを押した時に写るが、霊はシャッターを切る切らないに関係なく霊界側の操作によって映像を乾板に投射する。その時期はおそらく現像中であろう。」

 スピリットが映像を投射すると言っても、それにはそれなりの技術を要することであろうが、この理論でいくとドイルがその著 The Coming of the Fairies で紹介した妖精の写真もそれと同じ過程で出来あがったという説明も成り立つ。

 そのほかの心霊写真霊媒としては米国のキーラー W. H. Keeler, (スレート・ライティングで紹介したキーラーの弟)、コーツ James Coats 等があげられる。コーツには Photographing the Invisible という著書がある。

 以上でスピリチュアリズムの現象面をひと通り検討したことになる。読者は物理的心霊現象がどんなものであるか、大体のイメージをつかまえられたと思う。

 しかしこれまでも繰り返し指摘してきたように、心霊現象というものはスピリチュアリズムの一面にすぎない。もう一面には知的な要素すなわち心霊哲学がある。いわば心霊現象が外殻で心霊哲学が中身だと思えばよい。

高等な心霊哲学も心霊現象の支持がなくては万全の説明はできないし、一方心霊現象も哲学的要素を欠いては何ら存在価値は無いのである。 SPRが存在意義を失っていったのも結局は哲学を忘れて現象面の検討に終始したからに他ならない。

 しかし心霊現象は年毎に減少しつつある。そして遠からず地上からほぼ完全に消えてしまうであろう。かつては米国のどの市へ行っても必ずといっていいくらい心霊実験会ないしは交霊会というのが開かれており、目を見張るような現象が簡単に見られたものであるが、今日ではほとんど姿を消してしまっている。

 その原因としては、霊媒が世界の不当な批判や心ない非難を避けるために、友人とか理解ある科学者のみを相手にしたごく内輪の実験会しか開かなくなったことが挙げられる。がそれはそれとしても、やはり全体として徐々に減っていきつつあることは事実である。

 もっとも、この傾向すなわち物理的心霊現象が減りつつあることはすぴりちゅありずむにとって必ずしも由々しいことではない。今も述べたように、心霊現象はあくまでスピリチュアリズムの一面にすぎず、その存在価値は内部にかくれた心霊哲学を指向することにある。

 したがってこれまで観てきたように、心霊現象が秀れた学者によって学問的に検討され霊魂説が確立されれば、その時点において心霊現象の存在意義は充分に果たされ、それ以上いくらいじくりまわしても意味はないのである。それはクルックス、ロッジ、ドイル、バレット等が心霊現象をひと通り検討し霊魂説の結論を出すとすぐにSPRの活動から身をひいた事実からもうかがえることである。

 科学的研究を目的とした実験はわずかながら残るにしても、実質的に世間の目から物理的心霊現象が消えてしまえば、こんどは世界の関心がスピリチュアリズムの思想面へと向けられる可能性が出てくるであろう。これまで SPR は単なる現象にあたら時間を費し、どうでもいいことに拘泥しすぎた。現象が出なくなれば、SPR の会員もその現象の意味する内面的なものへ目を向けるようになり、スピリチュアリズムの思想を理解するようになるであろう。

 物理的心霊現象が実験室で見られるようになってはや四分の三世紀が過ぎた。証拠の提供という目的はもはや十二分に達成されたと見てよい。現象の記録は豊富に残されており、、これからの時代の人々のための資料として十分にその役目を果たせる準備が整っている。

 それは死後の世界の存在を目に見える現象で証明してみせるということである。その全部が消えてしまわないまでも、おそらくごく稀にしか見かけなくなるであろう。しかし他方、知的な霊媒現象、例えば霊感書記とか霊感講演、霊視、霊聴、入神現象、自動書記といった類のものは相変わらず存続するであろう。

 その時代にはスピリチュアリズムが一種の思想的文化として、あるいは哲学として一般に受け入れられ、もはや異常なものとして下らぬ詮索を受けることもなくなるであろう。

 そうなった時は、物質化現象とかスレート・ライティングといった純粋な物理現象を目的とした実験会は完全に姿を消してしまっていることであろう。

 

 

 
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