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    古代霊は語る  六章以降    
                        目 次
 
第六章 動物の進化と死後の生命
第七章 
心霊治療
八章 交霊会の舞台裏

第九章 真理の理解を妨げるもの 
                    ──宗教的偏見──
第十章 おしまいに
      あとがき
      遺稿「シルバー・バーチと私」 
       ───モーリス・バーバネル
 










   

 第六章 動物の進化と死後の生命

 動物にも死後の生命があるのか、あの世で再び会うことが出来るのかという問題は、スピリチュアリズムに関心のある人にとって共通した関心事ですが、動物をいわゆるペットとして吾が子のように可愛がっている人々にとっても大きな関心事であろうかと思われます。

 心霊問題に熱心な方なら、動物の存続を証明する確証を何らかの形で得ておられることでしょう。心霊写真に動物が写っていることがよくありますし、霊界通信でもそれを証言する霊がいくらもいます。

 さて、ひと味違った霊界通信に、英国の女性心霊治療家オリーブ・バートンの 「子供のための心霊童話」 Spirit Stories for Children, retold by Olive Burton というのがあります。これはバートン女史のお嬢さんのエドウィーナちゃんの守護霊が語った一種の童話で、一つ一つの話に立派なカラーの挿画も付いていて、

日本も早くこうしたものが出せる世の中になってほしいと思わせる心霊書ですが、この童話の中ではペットだけでなく野獣も含めた動物のすべてが、人間(の霊)と完全に調和した生活を送っている様子が描かれており、それがそのまま霊界での真実であると述べています。

 それより先の一九四〇年に、バーバネル氏の奥さんであるシルビア・バーバネル女史が When Your Animal Dies というのを出しています。

文字どおり動物の死後を扱ったもので、出版と同時に大変な反響を呼び、幾度か版を重ねております。この本を読んでスピリチュアリズムを信じるようになったという人が少なくありません。

私はこれもいずれは日本でも出さねばならない心霊書の一つだと考えておりますが、その第十八章に動物に関するシルバー・バーチの霊言が特集してあります。

 もちろん一九四〇年までの十年余りの間の霊言が引用されているわけで、その後もシルバー・バーチは折にふれて動物愛護を説き、娯楽のための狩猟、食用のための屠殺、科学に名を借りた動物実験の罪悪性を戒めておりますが、

その十八章にはシルバー・バーチシリーズ(全十一冊)に編集されていないものが相当あり(注)、しかも内容的に見てもそれで全てをつくしているようですので、ここではその十八章をそのまま引用することにしました。

 単に動物の死後の問題にとどまらず、生命の進化、自我の発生など、心霊学徒にとって興味深い問題が次々と出て来ます。章の始めは当然のことながらシルバー・バーチという霊の紹介に費やされておりますが、われわれにとっては不要ですので、早速本題に入ります。

(注──このシリーズは各編者が半世紀に亘るシルバー・バーチの霊言の中から自分の主観によって編集したもので、従って全十一冊が霊言のすべてではないわけです。何冊かに重複して編集されている部分もあれば、どの霊言集にも載せられていない部分もあるわけで、その一例がこれから紹介する部分です)



問「動物は死後もずっと飼主といっしょに暮らすのでしょうか。それとも、いずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」

シルバー・バーチ「どちらとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛がかかわっているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かは、その動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。

もしも動物とその飼主───この飼主 (owner) という言葉は好きではありません。他の生命をわがものとして所有する(own)などということは許されないのですから───その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主のところで暮らします。

愛のある場所が住処となるわけです。愛が両者を強く結びつけるのです。その場合は動物界へ行く必要はありません。しかし、もしも飼主より先に他界した場合は、動物界へ行ってそこで面倒をみて貰わなくてはなりません。

飼主との愛が突如として切れたのですから、単独で放っておかれると動物も迷います。地上では人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けたのですから、その主人が来るまで、ちょうどあなた方が遠出をする時にペットを専門家にあずけるように、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

 
問「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」

シルバー・バーチ「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力というものを身につけたわけです。

すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが神の息吹きで目を醒ましたわけです。

さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込むことが出来るはずです。

つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命のすべてのカギです。

動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。

また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。愛があればこそ生命は進化するのです」

 
問「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

シルバー・バーチ「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても分かれなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違うために、どうしても人間について行けなくなる時が来ます。

人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、向上進化を求める霊性が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力が他の生命の進化を援助する方向へと発揮されていきます。

そうやって人間が霊的に向上すればするほど、動物はいかに愛によって結ばれているとは言えそのスピードについて行けなくなり、やがてこの愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます」


問「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか」

シルバー・バーチ「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物ではなくなり、人間となります。

ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけで、人間の進化についていけなくなって愛の糸が切れてしまえば、もとの類魂の中に戻るほかはありません」


問「せっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛がムダに終ったことになりませんか」

シルバー・バーチ「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。全体に対する貢献です。
 
今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて人間へと進化していきます」


問「その時点で人間界へと誕生するわけですか」

シルバー・バーチ「そうです。人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、そうやって動物界から始めて人間界へ誕生してくる場合です」


問「一人の人間としてですか」

シルバー・バーチ「そうです。双方とも霊魂です。双方とも自我意識をもった霊であり個性を有しております。ただ、一方がベテラン霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやってくるのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。

直前まで動物だったのが人間へとジャンプしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を辿って、今ようやく人間へと達したのです」


問「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね」

シルバー・バーチ「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのはやめて下さい。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つご存知ない。

困ったことです。
それは措いて、あなたはまさか蜘蛛を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。

カブト虫に温い人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程においてはるかに遅れていることを本能的に直感するからです。

一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の近親感を意識するからです。もうすぐ人間として生まれ代わってくる段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」


問「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもうすぐ人間に生まれ代わるということを意味するのでしょうか」

シルバー・バーチ「進化にも、突然変異的な枝分かれ、いわゆる前衛と、後戻りする後衛とがあります。つまり前に行ったり後に下がったりしながら全体として進化していきます。中には例外的なものも生じます。

動物で知的な面でずいぶん遅れているものもいれば、小鳥でも犬より知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」


問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか」

シルバー・バーチ「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わっては類魂全体のために体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。そうしないと進化になりません」


問「われわれ人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物のすべてに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか」

シルバー・バーチ「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。

あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。

あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」


問「動物がようやく人間として誕生しても、その人生がみじめな失敗に終った場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」

シルバー・バーチ「そういうことはありません。一たん人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのですから・・・・・・」


問「屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償───いわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか」

シルバー・バーチ「もちろんそれにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂を単位として法則が働きます。進化の程度が異る動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。

特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異ります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」


問「シラミとかダニなどの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれはホコリとか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「仮りにホコリや病気のせいだとした場合、そのホコリや病気は一体だれがこしらえたのですか。原因を辿れば人間の利己心に行きつくのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。

たしかに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、ホコリとか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、さらにその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人たちの利己心、非人間性に行きつきます。

これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示しています。そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」


問「それは、たとえばハエのようなものには当てはまらないでしょう」

シルバー・バーチ「いいですか。大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。

人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はあり得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。

人間は神によって創造されたものでありながら、同時に又、神の一部として、宇宙の進化の推進者でもあり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも司配する自然法則に影響を及ぼします。

 私は今、人間と自然界の進化は大体において平行線を辿ると言いました。両者にはどうしても少しずつズレが出てくるのです。なぜなら、過去の世代が残した業はかならず処理していかねばならないからです。」


問「今おっしゃったことは恐ろしい野獣についても当てはまるのでしょうか」

シルバー・バーチ「全面的ではありませんが一応当てはまります。ただ忘れないでいただきたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないのです。いろいろと変化をしながら永遠に続くのです。

原始的なものからスタートして低い段階から高い階段へと進むのですが、かつては低いところにいたものが次第に追い抜いて今では高い所にいたり、今高いところに位置しているものが、将来は低い方になることもあります」


問「では進化にも後戻りということがあるわけですか」

シルバー・バーチ「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは一種のサイクル、現代の思想家の言葉を借りればスパイラル(らせん状)を画きながら進むものだからです。どちらの言い方でもかまいません。

要は進化というものが常に一直線に進むものでないことを理解していただければよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」


問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」

シルバー・バーチ「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと羊が仲良く寄りそうようになります」


問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表われではないでしょうか」

シルバー・バーチ「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」


問「おとなしい動物の中にも絶滅したものがいますが・・・・・・」

シルバー・バーチ「進化の一ばんの指標が残忍性に出るといっているのです。太古でも進化上の枝分かれがいくつもありました。それらは進化の先進者とでも言うべきものです。

進化というのはどの段階においても一定の型に
はまったものではありません。優等生もおれば劣等生もおり、模範生もおれば反逆児もおります。おとなしい動物はさしずめ優等生だったわけです」


問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入っていくのですか」

シルバー・バーチ「違います」


問「動物の類魂は一つだけではないということですか」

シルバー・バーチ「各種属にそれぞれの類魂がいます」


問「それが更に細分化しているわけですか」

シルバー・バーチ「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新らしい霊───はじめて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です」


問「動物で一ばん進化しているのは何ですか」

シルバー・バーチ「犬です」


問「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか」

シルバー・バーチ 「別に害はありません。全体のバランスから見て、ほとんど取るに足らぬ勢力ですから。でもこれはずいぶん深入りした質問ですね」


問「動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか」

シルバー・バーチ「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいということです。場所とか位置がいらないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出てくるのです。

魂には居住地はいりません。もっとも、形体の中に宿れば別です。類魂そのものには形体はありませんが、もしも形体をもつとなれば、何らかの表現形態に宿り、その形態で自己表現できる場が必要になります」


問「動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか」

シルバー・バーチ「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気をつけていただきたいのは、どうもあなた方は物的なものと霊的なものとをあまりに区別しすぎるきらいがあります。

地上に存在していても立派に類魂の一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないと錯覚してはいけません」


問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか」

シルバー・バーチ「訪れません」


問「では死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか」

シルバー・バーチ「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけですから、飼主が地上にいれば案内できない理屈になります」


問「飼主が先に死んだ場合はどうなりますか」

シルバー・バーチ「その場合は事情が違ってきます。いま述べたのは一般的な話です」


問「人間より動物の方が心霊能力がすぐれている場合があるのはどうしてですか」

シルバー・バーチ「人間がいま送っているような〝文化生活〟を体験していないからです。人間がもしも文化生活の〝恩恵〟に浴さなかったら、心霊能力が普段の生活の一部となっていたはずです。つまり人間は文明と引き替えに心霊能力を犠牲にしたわけです。

動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。

人間の場合は物質文明が心霊能力を押さえ込んでしまったわけです。いわゆる霊能者というのは進化のコースの先駆者です。いずれは人間の総てが発揮するはずの能力をいま発揮しているわけです」


問「動物にはいわゆる第六感というのがあって災害を予知したり、知らないところからでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか」

シルバー・バーチ「そうです。霊能者にも同じことが出来ます。ただ動物の場合はその種属特有の先天的能力である場合があります。いわゆる本能といわれているもので、ハトがどんな遠くからでも帰ってくるのもそれです。これも一種の進化の先がけで、その能力だけがとくに発達したわけです」


問「死んだばかりの犬が別の犬と連れだって出て来ている様子を霊能者が告げてくることがありますが、犬同士でも助け合うことがあるのですか」

シルバー・バーチ「ありません。ただし地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れだって出ることはあります」


問「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」
 
シルバー・バーチ「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺戟された動物のすべてがおります。

そうした動物は飼主の手から離れたことでさみしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっしょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。

そこには動物をよろこばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその懐しい雰囲気を味わいます。

心霊知識のない人が自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達していますから・・・・・」


問「動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか」

シルバー・バーチ「そうです。それ以外の人について戻ってくることはありません。ところで、その世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人たちです。

それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのと一緒です。

犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いがもてなかった人間によって世話をされるのです。

もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何一つ無駄なものはありません」


問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

シルバー・バーチ「そうです。そうしたチャンスをよろこんで引き受けてくれる人が大勢います」


問「動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混り合っているのですか」

シルバー・バーチ「種族の別ははっきりしています」


問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」

シルバー・バーチ「そうです。とにかく自然に出来あがっております。一つの大きなオリの中に飼われているのではありません」


問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」

シルバー・バーチ「その通りです」


問「特に仲の良かったもの同士は別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」

シルバー・バーチ「そういうことです。すべてが至って自然に出来あがっていると考えて下さい」


問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」

シルバー・バーチ「猫です」

問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」

シルバー・バーチ「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。必ず優等生と劣等生とがいます。人間はたしかに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」


問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・・・・」

シルバー・バーチ「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。

長い長い進化の道程において、猿はいわば足を滑らせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。

それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種族が進化してきました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうも説明が困難です。もっともっと複雑なのです」


問「猿の種族が法則を犯したのでしょうか」

シルバー・バーチ「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです」


問「では猿と同じように、将来、犬が進化の階段をすべり落ちるということもあり得るのでしょうか」

シルバー・バーチ「それはもう有り得ないでしょう。というのは、すでに何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。

種の型がほとんど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。

 人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられないでしょう。これが人間の定型となったわけです。もちろん民族により地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、全体の型は同じです。

動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することはあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」


問「猿の転落もやはり自由意志に関係した問題ですか」

シルバー・バーチ「それは違います。自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです」


問「動物に個体としての意識がないのに、なぜ類魂全体としての判断が出来るのですか」

シルバー・バーチ「個々には理性的判断はなくても、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。

個々には判断力はなくても、長い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠るという時期があるわけです」


問「それは植物の場合にも言えるわけですか」

シルバー・バーチ「そうです」


問「それは外的要因によっても生じるのではないですか」

シルバー・バーチ「それはそうですが、あなたのおっしゃる外的というのは実は内的でもあるのです。それに加えて更に、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません」


問「例えば猿の好物であるナッツが類が豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか」
 
シルバー・バーチ「結果論からすればそうかも知れませんが、ではナッツがなぜ豊富にあったかという点を考えると、そこには宇宙の法則の働きを考慮しなくてはいけません。

つまり人間の目には外的な要因のように見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。私の言わんとしているのはその点なのです。

人間はとかく宇宙の法則を何か生命のない機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根源において完全にして無限なる叡知によって支配監督されているのです。

法則にもまず基本の型というものがあって、それにいろいろとバリエーション(変化)が加えられています。といっても、その基本の型の外に出ることは絶対に出来ません。どんなに反抗してみたところで、その法のワクはどうしようもなく、結局は順応していくほかはありません。

しかし同じ型にはまっていても、努力次第でそれを豊かで意義あるものにしていくことも出来るし、窮屈で味気ないものにしてしまうことも出来ます。

別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、あるいはみっともない色彩を塗りつけてしまうのもあなた次第ということです。いずれにせよ、型は型です」


問「動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか」

シルバー・バーチ「ためになる仕事をしようと努力している人は必ず霊界の援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。

ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途な気持でいっしょうけんめいなあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし罪は罪です」



問「でもあなたは動機が一ばん大切であると何度もおっしゃっています。人間のためと思ってやっても罰を受けるのでしょうか」

シルバー・バーチ「動機はなるほど結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることがわからないはずはありません。それでもなお実験を強行するということは、それなりの責務を自覚しているものと看做されます。

動機は人のためということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成できません」


問「動物は人類のために地上に送られてきているのでしょうか」

シルバー・バーチ「そうです。同時に人類も動物を助けるために来ているのです」


問「動物創造の唯一の目的が人類のためということではないと思いますが」

シルバー・バーチ「それはそうです。人類のためということも含まれているということです」


問「動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか」

シルバー・バーチ「許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。それは私どもの教えと全く相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです」
 

問「動物を実験材料とした研究からは、たとえばガンの治療法は発見できないという考えには賛成ですか」

シルバー・バーチ「神の摂理に反した方法で手に入れた治療法では病気は治せません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験からは発見できません」


問「そうしたむごい実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止していただけないのでしょうか」

シルバー・バーチ「宇宙が自然法則によって支配されているからです」


問「私はキツネ狩りをしたことがありますが、間違ったことをしたことになりますか」

シルバー・バーチ「すべて生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪うことは許されません」


問「でも、ウチのにわとりを二十羽も食い殺したんですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「では、かりに私がそのキツネに銃を与えて、二十羽もにわとりを食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなります。すべての地上の生命は神の前には平等なのです。人間が飢えに苦しむのはキツネが悪いのではなく、人間自身が勝手な考えをもつからです。

キツネやにわとりをあなたがこしらえたのなら、これをあなたが食べても誰れも文句は言いません。人間がにわとりやキツネを殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの兄弟姉妹を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくていけません」


問「オーストラリアではウサギの異常繁殖が脅威となっておりますが、これについてはどうでしょうか」

シルバー・バーチ「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合についてブツブツ文句を言います。私の地上のふるさとである北米インデアンについても同じです。

インデアンはもともと戦争とか、俗に言う火酒(ウイスキー、ジン等の強い酒)、そのほか不幸をもたらすようなものは知らなかったのです。

白人が教えてくれるまでは人を殺すための兵器は何も知らなかったのです。そのうち人間も宇宙のあらゆる生命───動物も小鳥も魚も花も、その一つ一つが神の計画の一部を担っていることを知る日が来るでしょう。神の創造物としてそこに存在していることを知るようになるでしょう」


問「イエスの教えの中には動物に関するものが非常に少ないようですが何故でしょうか」

シルバー・バーチ 「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったからです」


問「ほかの国の霊覚者の訓えにはよく説かれているようですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「それは、全部とは言いませんが大部分はイエスよりずっと後の時代のことです。それはともかくとして、あなた方はイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。

イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降りてきたのであって、人類全体のためではありません。イエスにはイエスの限られた使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に愛情をもっていても、使命達成の為に、その教えをできるだけ制限したのです。

その使命というのは、当時の西欧世界を蝕んでいた時代おくれの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、難解なドグマに代る単純明快な人の道を説くことでした」



問「下等動物への愛を説かない教えは完全とは言えないのではないでしょうか」

シルバー・バーチ 「もちろんそうです。ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。イエスは例の黄金律を説きました。すなわち〝汝の欲するところを人に施せ〟ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にもむごい仕打ちは出来ないはずです」


 以上がシルビア・バーバネル著『動物の死後』に収録されているシルバー・バーチの霊言です。霊言集にも動物に言及したものは無いことはないのですが、右に紹介したものが一ばんまとまっているようです。


 では最後に、英国のテレビ番組 「サファリ」 を製作したデニス夫妻 Michael & Armand Denis を招待してシルバー・バーチが讃辞を述べた時の様子が霊言集に見えますので、これを紹介したいと思います。夫妻は熱心なスピリチュアリストとして有名です。

『あなた方(デニス夫妻)は、肉体に閉じ込められて霊覚が邪魔されているので、ご自分がどれほど立派な仕事をされたかご存知ないでしょう。

お二人は骨の折れるこの分野を開拓され、人間と動物との間に同類性があり従ってお互いの敬意と寛容と慈しみが進化の厳律であることを見事に立証されました。

大自然を根こそぎにし、荒廃させ、動物を殺したり片輪にしたりするのは、人間のすべきことではありません。

強き者が弱き者を助け、知識あるものが無知なるものを救い、陽の当たる場所にいる者が地上の片隅の暗闇を少しでも少なくするために努力することによって、自然界の全存在が調和のある生命活動を営むことこそ、本来の姿なのです。

その点あなた方は大自然の大機構の中での動物の存在意義を根気よく紹介され、正しい知識の普及によく努力されました。それこそ人間の大切な役割の一つなのです。

地上の難題や不幸や悲劇の多くが、人間の愚かさや欺瞞によって惹き起こされていることは、残念ながら真実なのです。

 慈しみの心が大切です。寛容の心を持たなくてはいけません。自然破壊ではなく、自然との調和こそ理想とすべきです。人間が争いを起こすとき、その相手が人間同士であっても動物であっても、結局は人間自身の進化を遅らせることになるのです。人間が争いを起こしているようでは自然界に平和は訪れません。

 平和は友好と一致と協調の中にこそ生まれます。それなしでは地上は苦痛の癒える時がなく、人間が無用の干渉を続けるかぎり、災害はなくなりません。

人間には神の創造の原理が宿っているのです。だからこそ人間が大自然と一体となった生活を営む時、地上に平和が訪れ、神の国が実現するのです。

 残酷は残酷を呼び、争いは争いを生みます。が愛は愛を生み、慈しみは慈しみを生みます。人間が憎しみと破壊の生活をすれば、人間みずからが破滅の道を辿ることになります。諺にも 「風を播いてつむじ風を刈る」 と言います。悪いことをすればその何倍もの罰をこうむることになります。

 何ものに対しても憎しみを抱かず、すべてに、地上のすべての生命あるものに愛の心で接することです。それが地上の限りない創造進化を促進するゆえんとなります。くじけてはなりません。

あなた方の仕事に対して人はいろいろと言うでしょう。無理解、無知、他愛ない愚かさ、間抜けな愚かさ、心ない誹謗等々。

これには悪意から出るものもありましょうし、何も知らずに、ただ出まかせに言う場合もあるでしょう。それに対するあなた方の武器は、他ならぬ心霊知識であらねばなりません。

所詮はそれが全ての人間の生きる目的なのです。心霊知識を理解すれば、あとは欲の皮さえ突っ張らなければ、神の恩恵に浴することが出来るのです。

 お二人は多くの才能をお持ちです。まだまだ動物のために為すべき仕事が山ほど残っております。地上の生命は全体として一つのまとまった生命体系を維持しているのであり、そのうちのどれ一つを欠いてもいけません。

お二人が生涯を傾けている動物は、究極的には人間が責任を負うべき存在です。なぜなら人間は動物と共に進化の道を歩むべき宿命にあるからです。共に手を取り合って歩かねばならないのです。動物は人間の食欲や道楽の対象ではないのです。動物も進化しているのです。

 自然界の生命は全てが複雑にからみ合っており、人間の責任は、人間同士を越えて、草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。抵抗するすべを知らない、か弱い存在に苦痛を与えることは是非とも阻止しなくてはいけません。

装飾品にするために動物を殺すことは神は許しません。あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対にやめなければなりません。物言わぬ存在の権利を守る仕事に携わる者は、常にそうした人間としての道徳的原理にうったえながら戦わなくてはいけません。

小鳥や動物に対して平気で残酷なことをする者は、人間に対しても平気で残酷なことをするものです。

 動物への残忍な行為を見て心を痛め涙を流す人は、いつかはきっと勝つのだという信念のもとに、勇気をもって動物愛護のための仕事を続けて下さい。多くの残酷な行為が無知なるが故に横行しています。

そうした行為は霊的知識を知って目が覚めれば、たちどころに消えてしまうのです。さらに、一つの霊的知識に目覚めると、その知識の別の意味にも目覚めてくるものです。そうやって心が目を覚ました時こそ、魂が真の自由への道を歩み始めた時でもあるのです。』






 第七章 心霊治療

 「心霊治療によって奇蹟的に病気が治る───それはそれなりにすばらしいことですが、その体験によってその人が霊的真理に目覚めるところまで行かなかったら、その心霊治療は失敗に終ったことになります」

 シルバー・バーチの心霊治療観を煎じつめるとこの言葉に尽きるようです。つまり心霊治療も魂の開発のための一つの手段であって、単なる病気治療だけに止まるものではないというのです。

 数ある驚異的心霊現象の中でもとくに心霊治療、つまり奇蹟的治癒の現象は、歴史の中に多くの例を見ることができます。

聖書に出てくるイエスの話などは、聖書という世界的超ベストセラーのおかげで余りにも有名ですが、実際には洋の東西を問わず、世界のどこでも起き、今なお毎日のように起きていると言っても言い過ぎではありません。

 しかし、一人の患者を見事に治療した心霊治療家が次の患者も同じように奇蹟的に治せるかというと、かならずしもそうではありません。そこに〝なぜか〟という疑問が生じます。

そして、その因果関係を辿ってみると、シルバー・バーチが一ばん強く説いている因果律の問題に逢着します。因果律は当然、これ又シルバー・バーチが強調する〝苦難の意義〟と密接につながっており、それは結局人生そのものということになります。

シルバー・バーチが心霊治療を他の現象以上に重要視するのは、それが人生そのものの意義と共通した要素をもっているからにほかなりません。

 ではシルバー・バーチに語ってもらいましょう。
 

 「人間には、ただ単に病気を治すだけでなく魂の琴線に触れて霊的真理に目覚めさせる偉大な霊力が宿されております。私はこれからこの霊力について語り、あなた方にぜひ理解していただきたいと思います。というのは、心霊治療もそこに本来の存在理由があるからです。

 心霊治療によって奇蹟的に病気が治る───それはそれなりにすばらしいことですが、その体験によってその人が霊的真理に目覚めるところまで行かなかったら、その心霊治療は失敗に終ったことになります。

魂の琴線に触れた時こそ本当に成功したといえます。
なぜなら、その体験によって魂の奥にある神の火花が鼓舞され、輝きと威力を増すことになるからです。


 心霊治療の背後にはかならずそうした目的があるのです。治療家はそうした神の計画の一部を担ってこの世に生まれて来ているのです。

すなわち、この世に在りながら自分で自分が何者であるかを知らず、何のために生まれてきたかを悟れず、
従って死ぬまでに何を為すべきかが分らぬまま右往左往する神の子等に、霊的真理と永遠の実在を悟らせるためにその治癒力を与えられて生まれて来たのです。これほど大切な仕事はありません。


その治癒力でたった一人でも魂を目覚めさせることが出来れば、それだけでも、この世に生まれて来たことが無駄でなかったことになります。たった一人でもいいのです。それだけでこの世における存在価値があったと言えるのです。

 最近、この道での仕事が盛んになり、霊力に対する一般の関心がますます大きくなって来つつあることを私は非常にうれしく思っております。地上の同志が困難に直面すれば、われわれは出来るかぎりの援助を惜しみません。病気治療には一層多くのエネルギーをつぎ込みます。

しかし忘れてならないのは、あらゆる出来ごとにはかならずそれ相当の原因があるということです。霊界からいかなる援助を差しのべても、この原因と結果の相関関係にまで干渉することだけは絶対にできないのです。援助はします。がすでに発生したある原因から生じる結果を消してあげることは出来ません。

 私たちには〝奇蹟〟を起こす力はないのです。自然法則の連続性を人為的に変えることは絶対にできないのです。神の法則は一瞬の断絶もなく働いております。


瞬時たりとも法則が休止することはありません。宇宙間何一つとして神の法則の働きなしに発生することはありえないのです。もしも、ありとあらゆる手段を尽くしても治らなかった病いが心霊治療によって治ったとすれば、それは宇宙に霊的エネルギーが存在することの生きた証拠と受け取るべきです。

すなわち、それまで試したいかなるエネルギーにも勝る強力なエネルギーが存在することを如実に思い知らされる絶好のチャンスなのです。

 数ある心霊現象にはそれぞれに大切な意義がもたらされています。が、それが何であれ、霊的な真理へ導くためのオモチャにすぎません。いつまでもオモチャで遊んでいてはおかしいでしょう。いつかは大人へ成長しなくてはいけないでしょう。大人になれば、もはや子供だましのオモチャはいらなくなるはずです。

 
 心霊治療(ヒーリング)にもいろいろあります。一ばん基本的なものは磁気治療(マグネティックヒーリング)で、治療家の身体から出る豊富な磁気の一部を患者に分けてあげるもので、一種の物理療法と考えてもよろしい。これには霊界の治療家は関与しません。

次の段階はその磁気的治療法とこのあとに述べる純粋の心霊治療の中間に位置するサイキックヒーリングというもので、遠隔治療は主にこの療法で行われております。

そして最後に今のべた純粋のスピリチュアルヒーリングで、治療家が精神統一によって波長を高め、同時に患者がそれを受ける態勢が整った時に一瞬のうちに行われます。人間の側から見れば奇蹟的に思えるかも知れませんが、因果律の働きによって、そういう現象が起きる機が熟していたのです。

 人間は一人の例外もなく神の分霊を宿しております。要はその神的エネルギーを如何にして発揮するかです。

肉体にも自然治癒力というのがあり、その治癒力が働きやすい条件さえ揃えば自然に治るように、霊的存在であるあなたがたには霊的治癒力も具わっており、その法則を理解しそれに従順に生きておれば、病気は自然に治るはずのものなのです。
  
 健康とは肉体(ボディ)と精神(マインド)と霊(スピリット)が三位一体となった時の状態です。三者が調和した状態が健康なのです。そのうちの一つでも調和を乱せば、そこに病いという結果が生じます。調和を保つにはその三者がそれぞれの機能を法則に忠実に果たすことです。

 霊はすばらしい威力を秘めております。その存在を無視し、あるいはその働きを妨げれば、天罰はてきめんに表われます。

 それと同じエネルギーの見本がいたるところに存在します。そもそもこの物的大宇宙を創造したエネルギーがそうですし、大海原を支えるエネルギー、万有引力のエネルギー、惑星を動かすエネルギー、そのほか地上の人間、動物、植物、昆虫、等々、ありとあらゆる生命を生育せしめるエネルギーがそれと同じものなのです。

 要するに治癒エネルギーも生命力の働きの一部なのです。身体に生命を与えているものは霊です。物質そのものには生命はないのです。霊が宿っているからこそ意識があるのであって、身体そのものには意識はないのです。

あなた方を今そうして生かしめている生命原理と同じものが、悩める者、病める者、苦しむ者を救うのです。

 しかし痛みや苦しみを取り除いてあげることが心霊治療の目的ではありません。あくまで手段なのです。つまり眠れる魂を目覚めさせ、真の自分を悟らせるための手段にすぎないのです。

病気で苦しみ続けた人が心霊治療によって霊的真理に目覚め地上生活の意義を悟れば、その治療家は遠大な地上救済計画における自分の責務を見事に果たしたことになり、そうあってこそ私たちスピリットが援助した甲斐があったことになるのです。

 身体の病気が治癒することよりも、その治癒がキッカケとなって真の自我に目覚めることの方が、はるかに大切なのです。それが真の目的なのです。そこまで行かない心霊治療は、たとえ病気は治せても、成功したとは言えません。

 こうした心霊治療の真の意義が理解されるには長い長い年月を要します。心霊治療に限らず、霊界の力を地上に根づかせるには、大勢の人間を一気に動かそうとしてはダメです。一人の人間、一人の子供という具合に、一度に一人ずつ根気よく目覚めさせ、それを霊的橋頭堡として、しっかり固めていくほかはありません。

なぜなら、真理に目覚めるということは、そのキッカケが心霊治療であれ、交霊会であれ、あるいは物理実験会であれ、本人の霊的成長度がその真理を受け入れる段階まで進化していることが大前提だからです。

 魂にその準備ができていない時は心霊治療も効を奏しません。いかにすぐれた心霊治療でも治せない病気があるのはそのためです。従って失敗したからといって心霊治療を批判するのは的はずれなのです。

患者の魂がまだまだ苦しみによる浄化を十分受けていないということです。すべて自然法則が支配しています。トリックなどありません。いかなる心霊治療もその法則の働きを勝手に変えたり曲げたりする力はありません。

 もちろん苦難が人生のすべてではありません。ホンの一部にすぎません。が苦難のない人生もまた考えられません。それが進化の絶対条件だからです。

地上は完成された世界ではありません。あなた方の身体も完璧ではありません。が完璧になる可能性を宿しております。人生の目的はその可能性を引き出して一歩一歩と魂の親である神に向かって進歩していくことです。

 その進化の大機構の中で程度と質を異にする無数のエネルギーが働いており、複雑にからみ合っております、決して一本調子の単純なものではありません。

が生命は常に動いております。渦巻状を画きながら刻一刻と進化しております。その大機構の働きのホンの一端でも知るためには、人生の真の目的を悟らなくてはなりません。

 苦しみには苦しみの意味があり、悲しみには悲しみの意味があります。暗闇があるからこそ光の存在があるのと同じです。その苦しみや悲しみを体験することによって真の自我が目覚めるのです。その時こそ神の意図された素晴らしい霊的冒険の始まりでもあるのです。

魂の奥に宿れる叡智と美と尊厳と崇高さと無限の宝を引き出すための果てしない旅への出発なのです。

地上生活はその人生の旅の一つの宿場としての意味があるのです。ところが現実はどうでしょうか。唯物主義がはびこり、利己主義が支配し、どん欲がわがもの顔に横行し、他人への思いやりや協調心や向上心は見当りません。

 医学の世界もご多分にもれません。人間が自分たちの健康のために他の生命を犠牲にするということは、神の計画の中に組み込まれていません。

すべての病気にはそれなりの自然な治療法がちゃんと用意されております。それを求めようとせずに、いたずらに動物実験によって治療法を探っても、決して健康も幸福も見出せません。


 真の健康とは精神と肉体と霊とが三位一体となって調和よく働いている状態のことです。それを、かよわい動物を苦しめたり、その体内から或る種の物質を抽出することによって獲得しようとするのは間違いです。神はそのような計画はされておりません。


神は、人間が宇宙の自然法則と調和して生きていくことによって健康が保たれるよう意図されているのです。もしも人間が本当に自然に生きることが出来れば、みんな老衰による死を遂げ、病気で死ぬようなことはありません。

 肉体に何らかの異常が生じるということは、まだ精神も霊も本来の姿になっていないということです。もし霊が健全で精神も健全であれば、肉体も健全であるはずです。精神と霊に生じたことがみな肉体に反映するのです。

それを医学では心身相関医学などと呼ぶのだそうですが、名称などどうでもよろしい。大切なのは永遠の真理です。魂が健全であれば、身体も健全であり、魂が病めば身体も病みます。心霊治療は肉体そのものでなく病める魂を癒すことが最大の目的なのです。』


 以上が心霊治療に関するシルバー・バーチの基本的概念です。心霊治療の価値と必要性をこれほど強調するスピリットを私は他に知らないのですが、その考えの厳しさもまた格別です。

しかし基本概念としてはそれが真実であり理想であろうと考えます。その理想に一歩でも近づこうとするところに治療家としての努力の余地があると言えるのではないでしょうか。

 あとで世界的心霊治療家のハリー・エドワーズ氏及びその助手たちとの一問一答を紹介しますが、その前に、心霊治療に関してかならず出される疑問、すなわち日本の治療家はまず第一に除霊とか供養といったことから始めるのに西洋では皆無といっていいほどそれが聞かれないのはどういうことか、という点について私見を述べてみたいと思います。

 それには私の師である間部詮敦氏の治療法を紹介するのが一ばん都合がよいようです。間部氏は本来は心霊治療家で、私は側近の一人としてその治療の様子をつぶさに観察してまいりましたが、やはり除霊と供養を重点に置いておりました。

 具体的に説明すると、まず患者をうつぶせに寝かせました。そしてその背に手を置くと、その手が身体の悪いところに自然に動いていきます。その要領で三十分ほど施療したあと、患者を正座させ、背後から霊視します。すると病気にまつわる霊、いわゆる因縁霊が出て来ます。

これは多分間部氏の背後霊が連れてくるのだろうと思われますが、霊視が終ると、患者にその霊の容姿を説明して、その名前または戒名をたずねます。

それを二枚の短冊に書き、うち一枚を患者に手渡して、仏壇に供えて三日間お水を上げ、その水を清浄なところに捨てるようにと言います。霊が古くて名前が分からない時は、およその年齢の見当を付けて、たとえば 「五〇代の霊」 という風に書きます。

 主として関西地方と中国地方を回られたので、自宅(三重県)に戻られた時は短冊もかなりの枚数になっていたと思われますが、それを神前に供えて祈念し、霊を一人一人呼び出して(多分背後霊が連れて来て)、死後の世界の存在を教え、向上進化の必要性を説き、指導霊の言うことに従うよう諭します。

もちろん背後霊の働きかけも盛んに行われたことであろうことが推察されます。

 さて、これで万事うまく行ったかというと、必ずしもそうではありません。たとえば私の家族の場合はよく父方のおじいさんが出ました。そのたびに話を聞いて、その時は一応得心するのですが、またぞろ出て来ていろいろと災いをもたらしました。

別に何の遺恨があってのことでもないのですが、晩年に精神に異常を来たし、不幸な最期を遂げた人でしたから、その人がうろうろするだけで非常に良くない影響を与えたわけです。

 バーバネル氏の This is Spiritualism (拙訳 『これが心霊の世界だ』 潮文社刊) に霊の肖像画を専門にしているフランク・リーアという人の話が詳しく出ていますが、その中でバーバネル氏は

 「死者を描く時はなぜかその人間の死際の、いわば地上最後の雰囲気が再現され、リーア氏も否応なしにその中に巻き込まれる。その意味でリーア氏自身、自分が画いた肖像画の枚数分だけ死を体験したことになる」 と述べ、さらに別のところでは

 「この種の仕事で困ることは、そのスピリットの死の床の痛みや苦しみといった、地上生活最後の状態を霊能者自身も体験させられるということである。

なぜかは十分に解明されていないが、多分ある磁力の作用によると思われるが、スピリットが初めて地上に戻って来た時は地上を去った時の最後の状態が再現されるのである」 と述べています。

 間部氏もそのたびに 「またおじいさんですなあ」 と言って首をかしげておられましたが、考えてみると酒やタバコ (それにもう一つありそうですが・・・) がなかなか止められないのと同じで、どうしても霊的自我が目覚めず、地上への妄執が断ち切れなかったのでしょう。

これに類することで興味ぶかいことがいろいろあって、私には勉強になりました。

 さて問題は除霊すれば因縁が切れるかということですが、今の例でもわかる通り、霊というのは波長の原理でひっついたり離れたりするもので、人間の方はむろんのこと、霊の方でも自分が人間に憑依していることに気づいていないことすらあります。

因縁という用語はもとは因縁果という言葉から来たもので、因がもろもろの縁を経て果を生むという意味だそうです(高神覚昇『般若心経講義』)。私は心霊的にもその通りだと考えます。

 つまりシルバー・バーチのいう因果律は絶対的に本人自身のもので、それを他人が背負ったり断ち切ったりすることは出来ません。それはシルバー・バーチが繰り返し強調しているところですが、その因と果の間にいろんな縁が入り込んで複雑にしていきます。

病気の場合の因縁がそのよい例で、病気になるのは本人に原因があるわけですが、その病気が縁となって波長の合った霊が憑依し、痛みや苦しみを一段と強くしているのだと私は解釈しています。

 従ってその霊を取り除けばラクにはなりますが、それで業を消滅したことにはならない。もちろん霊が取り除かれた時が業の消える時と一致することもあり得ます。いわゆる奇蹟的治癒というのはそんな時に起きるのだと思われますが、除霊さえすれば事が済むというものではないようです。

 次に、西洋では病気にまつわる因縁霊の観念はないのか、除霊の必要性はないのか、ということですが、数こそ少ないのですが、それを実際にやっている人がいます。米国のカール・ウィックランドという人が最も有名です。

 この人は職業は精神科医ですが、奥さんが霊能者であるところから、主として精神異常者に憑依している霊を奥さんに憑依させて、間部氏と同じように、こんこんと霊的真理を説いて霊的自我に目覚めさせるやり方で大変な数の患者、と同時に霊をも、救っております。

それをまとめたのが Thirty Years Among the Dead で、 田中武氏が訳しておられますので一読をおすすめします。 (『医師の心霊研究三十年』日本心霊科学協会発行)

 ウィックランド氏の場合は主として精神異常者を扱っておりますが、当然身体的病気の場合にも似たような霊的関係があるはずであり、本来なら日本式の供養のようなものがあってもいいはずなのですが、それが皆無とは言わないまでも、非常に少ないという事実は、私は民族的習慣の相違に起因していると考えております。

 
 たとえば浅野和三郎氏が 「幽魂問答」 と題して紹介している福岡における有名なたたりの話は、数百年前に自殺した武士が自分の墓を建立してもらいたい一心から起こした事件であり、西洋では絶対と言ってよいくらい起こり得ない話です。

日本人は古来、死ねば墓に祀られるもの、供養してもらえるもの、戒名が付くものという先入観念があるからこそ、そうしてもらえない霊が無念残念に思うわけで、本来は真理を悟ればそんなものはすべて無用なはずです。いわゆる煩悩にすぎません。

 シルバー・バーチはある交霊会で供養の是非を問われて、「それはやって害はなかろうけど、大して効果があるとも思われません」 と述べておりますが、シルバー・バーチの話は常に煩悩の世界を超越した絶対の世界から観た説であることを認識する必要があります。

つまり永遠の生命を達観した立場からの説であって、私は、洋の東西を問わず、供養してやった方がいい霊は必ずいる、ということを体験によって認識しております。煩悩の世界には煩悩の世界なりの方法手段があると思っております。

また、民族によって治療法が異るように、個々の治療家によっても治療法や霊の処理方法が異ってくるはずであり、供養しなくても済む方法があるかも知れない、という認識も必要かと思われます。この辺が心霊的なものが一筋縄ではいかないところです。


 一問一答 (質問者はハリー・エドワーズを中心とする治療家グループ)

問「心霊治療によって治るか治らないかは患者の魂の発達程度にかかっていると言われたことがありますが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療の方に力を入れるべきであるということになるのでしょうか」

シルバー・バーチ「あなた自身はどう思いまいすか。魂に働きかけないとしたら、ほかに何に働きかけますか」


問「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されるということでしょうか」

シルバー・バーチ「その通りです」


問「では私たち治療家は通常の精神面をかまう必要はないということでしょうか」

シルバー・バーチ「精神もあくまで魂の道具にすぎません。従って魂が正常になれば、おのずと精神状態もよくなるはずです。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達してなければ、肉体への反応も起こりません。魂が一段と発達するまで待たねばなりません。

つまり魂の発達を促すためのいろんな過程を体験しなければならないわけです。その過程は決して甘いものではないでしょう。なぜなら魂の進化は安楽の中からは得られないからです」


問「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法はないのでしょうか」

シルバー・バーチ「その点は地上も霊界も同じことです」


問「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」

シルバー・バーチ「真理はあくまでも真理です。その真理を何と名付けようと私たち霊界の者には何の係わりもありません。要は中身の問題です。

仮りにクリスチャン・サイエンスの信者が心霊治療のおかげで治ったとして、それをクリスチャン・サイエンスの信仰のおかげだと信じても、それはそれでいいのです」


問「私たち治療家も少しはお役に立っていることは間違いないと思うのですが、患者の魂を治療するというのは何だか取りとめのない感じがするのですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「あなたがたは少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなたがた地上の治療家がいなくては私たちも仕事になりません。

霊界側から見ればあなたがたは地上と接触する通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路というわけです」


問「流れるというのは何に流れるのですか。肉体ですか魂ですか」

シルバー・バーチ「私どもは肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのですか」

問「生理状態です」

シルバー・バーチ「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのですか」

問「無くなっています。病気に負けて、病的状態になっています」

シルバー・バーチ「もしその活力が再びそこを通い始めたらどうなりますか」

問「腕の動きも戻ると思います」

シルバー・バーチ「その活力を通わせる力はどこから得るのですか」

問「私どもの意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」

シルバー・バーチ「腕をむりやりに動かすだけではダメでしょう」

問「力ではどうにもなりません」

シルバー・バーチ「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れていた機能が回復すれば、腕は自然によくなるということです」

問「すると私ども心霊治療家の役目は患者が生まれつき具えている機能にカツを入れるということになるのでしょうか」
 
シルバー・バーチ「そうとも言えますが、そればかりではありません。と言うのは、患者は肉体をまとっていますから、波長がどうしても低くなっています。それで霊界からの高い波長をもった霊波を送るには一たんあなたがた治療家に霊波を送り、そこで波長を患者に合った程度まで下げる必要が生じます。

あなたがたをコンデンサーに譬えたのはそういう役目を言ったわけです。そういう過程を経た霊波に対して患者の魂がうまく反応を示してくれれば、その治療効果は電光石火と申しますか、いわゆる奇蹟のようなことが起きるわけですが、

前にも言いましたように、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果も生じません。結局、治るか治らないかを決める最終の条件は患者自身にあるということになるわけです」



問「神を信じない人でも治ることがありますが、あれは・・・・・・」

シルバー・バーチ「別に不思議ではありません。治癒の法則は神を信じる信じないにおかまいなく働きます」


問「先ほど治癒は魂の進化と関係があると言われましたが・・・・・・」

シルバー・バーチ「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がおります。霊格の高さは信仰心の強さで測れるものではありません。行為によって測るべきです。

よく聞いて下さい。あなたがた治療家に理解しておいていただきたいのは、あなたがたは治るべき人しか治していないということです。つまり、治った人は治るべき条件が揃ったから治ったのであり、そこに何の不思議もないということです。

あんなに心がけの立派な人がなぜ治らないのだろうと不思議がられても、やはりそこにはそれなりの条件があってのことなのです。ですが、よろこんで下さい。

あなた方を通じて光明へ導かれるべき人は幾らでもおります。皆が皆治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらないで下さい。

と言っても、それで満足して、努力することをやめてしまわれては困ります。いつも言う通り、神の意志は愛だけではなく憎しみの中にも表現されています。

晴天の日だけが神の日ではありません。嵐の日にも神の法則が働いております。それと同じく、成功と失敗とは永遠の道づれですから、失敗を恐れたり悲しんだりしてはいけません」


問「治療による肉体上の変化は私たちにもよくわかりますが、霊的な変化は目で確かめることが出来ません」

シルバー・バーチ「たとえ百人の霊視能力者を集めても、治療中の霊的操作を全部見きわめることは出来ないでしょう。それほど複雑な操作が行われているのです。

肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれにとても複雑なのですから、その両者をうまく操る操作は、それはそれは複雑になります。

むろん全体に秩序と調和が行き亘っておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏に法則があって、言葉ではとても尽くせません」


問「肉体上の苦痛は魂に何の影響も与えないとおっしゃったように記憶しますが・・・」

シルバー・バーチ「私はそんなことを言った憶えはありません。肉体が受けた影響は必ず魂にも及びますし、反対に魂の状態はかならず肉体に表われます。両者を切り離して考えてはいけません。

一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしには自我の表現は出来ないのですから」


問「では肉体上の苦痛が大きすぎて見るに見かねる時、もしも他に救う手がないとみたら、魂の悪影響を防ぐために故意に死に至らしめるということもなさるわけですか」

シルバー・バーチ「それは患者によります。原則として霊体が肉体から離れるのはあくまで自然法則によって自動的に行われるべきです。もっとも人間の気まぐれから自然法則を犯して死を早めていることが多いようですが・・・・・・」


問「でも、明らかに霊界の医師が故意に死なせたと思われる例がありますが・・・・・」

シルバー・バーチ「ありますが、いずれも周到な配慮の上で行っていることです。それでもなお魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが・・・・・・」


問「肉体を離れるのが早すぎたために生じるショックですか」

シルバー・バーチ「そうです。物事にはかならず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げるとかならずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。

それがどんなものになるかはその人によって異りますが、どんなものであれ、あなた方地上の治療家としては出来るだけ苦痛を和らげてあげることに意を用いておればよろしい」


問「絶対に生きながらえる望みなしと判断した時、少しでも早く死に至らしめるような手を加えるのは良いことでしょうか悪いことでしょうか」

シルバー・バーチ「私はあくまで〝人間は死すべき時に死ぬべきもの〟と考えています」


問「肉体の持久力を弱めれば死を早めることになりますが・・・・・・」

シルバー・バーチ「どうせ死ぬと分かっている場合でもそんなことをしてはいけません。あなたがたの辛い立場はよくわかります。また私としても、好んで冷たい態度をとるわけではありませんが、法則はあくまで法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備が出来た時に来るべきものです。

それはちょうど柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さないうちにもぎ取ったものは渋くて食べられますまい。治療もあくまで自然法則の範囲内で手段を講ずべきです。

たとえば薬や毒物ですっかり身体をこわし、全身が病的状態になっていることがありますが、身体はもともとそんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。

まずそういう観点から考えて行けば、どうすればいいかは自ずと決まってくると思います。何事も自然法則の範囲内で考えなくてはいけません。

もちろん、良いにせよ悪いにせよ、何らかの手を打てばそれなりの結果が生じます。ですが、それが本当に良いか悪いかは霊的法則にどの程度通じているかによって決まることです。

つまり肉体にとって良いか悪いかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」


問「魂の治療の点では私たち地上の治療家よりも霊界の治療家の仕事の方が大きいのですか」

シルバー・バーチ「当然そうなりましょう」


問「すると私たちの役割は小さいということでしょうか」

シルバー・バーチ「小さいとも言えますし大きいとも言えます。問題は波長の調整にあります。大きくわけて治療方法には二通りあります。一つは治療エネルギーの波長を下げて、それを潜在エネルギーの形で治療家自身に送ります。それを再度治癒エネルギーに変えてあなた方が使用するわけです。

もう一つは、特殊な霊波を直接患者の意識の中枢に送り、魂に先天的に具わっている治癒力を刺戟して、魂の不調和すなわち病気を払いのける方法です。こう述べてもお分かりにならないでしょう」

 
問「いえ、理屈はよく分かります。ただ実感としては理解できませんが・・・」

シルバー・バーチ「では説明を変えてみましょう。まず、そもそも生命とは何かという問題ですが、これは地上の人間にはまず理解できないと思います。なぜかというと、生命とは本質において物質と異ったものであり、いわゆる理化学的な研究対象とはなり得ないものだからです。

で、私はよく生命とは宇宙の大霊のことであり、神とはすなわち大生命のことだと言うのですが、その意味は、人間が意識をもち、呼吸し、歩き、考えるその力、また樹木が若葉をまとい、鳥がさえずり、花が咲き、岸辺に波が打ち寄せる、そうした大自然の脈々たる働きの背後に潜む力こそ、宇宙の大霊すなわち神なのだというのです。

ですから、あなたが今そこに生きている事実そのものが、小規模ながらあなたも神であり大生命の流れを受けていることを意味しています。

私がさっき述べた治療法は、その生命力の働きの弱った患者の魂に特殊な霊波、いわば生命のエッセンスのようなものをその霊格に応じて注ぎ込んでやることなのです。

むろんこれは病因が魂にある場合のことです。ご承知の通り病気には魂に病因があるものと純粋に肉体的なものとがあります。肉体的な場合は治療家が直接触れる必要がありますが、霊的な場合は今のべた生命力を利用します。が、この方法にも限度があります。

というのは、あなた方治療家の霊格にもおのずから限度がありますし、患者も同様だからです。またいわゆる因縁(カルマ)というものも考慮しなくてはなりません。因果律です。これは時と場所とにおかまいなく働きます」


問「魂の病にもいろいろあって、それなりの影響を肉体に及ぼしているものと思いますが、そうなると病気一つ一つについて質的に異った治癒エネルギーがいるのではないかと想像されますが・・・・・・」                                                                                                               

シルバー・バーチ「まったくその通りです。ご存知の通り人間は大きく分けて三つの要素から成り立っています。一つは今述べた霊(スピリット)で、これが第一原理です。存在の基盤であり、種子であり、全てがここから出ます。

次にその霊が精神(マインド)を通じて自我を表現します。これが意識的生活の中心となって肉体(ボディ)を支配します。この三者が融合し互いに影響し合い、どれ一つ欠けてもあなたの存在は失くなります。三位一体というわけです」


問「精神と肉体が影響し合うわけですか」

シルバー・バーチ「そうです。霊的な発達程度からくる精神状態が肉体を変えていきます。意識的に変えることも出来ます。インドの行者などは西洋の文明人には想像も出来ないようなことをやってのけますが、精神が肉体を完全に支配し思い通りに操ることが出来ることを示すよい例でしょう」


問「そういう具合に心霊治療というのが魂を目覚めさせるためのものであるならば霊界側からの方がよほどやりやすいのではないでしょうか」

シルバー・バーチ「そうとも言えますが、逆の場合の方が多いようです。と言うのは、死んでこちらへ来た人間でさえ地縛の霊になってしまう者が多い事実からもおわかりのとおり、肉体をまとった人間は、よほど発達した人でないかぎり、大ていは物的な波長にしか反応を示さず、私達の送る霊波にはまったく感応しないものです。

そこであなた方地上の治療家が必要となってくるわけです。従って優れた心霊治療家は霊的波長にも物的波長にも感応する人でなければなりません。心霊治療家にかぎらず、霊能者と言われている人が常に心の修養を怠ってはならない理由はそこにあります。


霊的に向上すればそれだけ高い波長が受けられ、それだけ仕事の内容が高尚になっていくわけです。そのように法則が出来あがっているのです。ですが、そういう献身的な奉仕の道を歩む人は必然的に孤独な旅を強いられます。

ただ一人、前人未踏の地を歩みながら後の者のために道しるべを立てて行くことになります。あなたがたにはこの意味がおわかりでしょう。すぐれた特別の才能にはそれ相当の義務が生じます。両手に花とはまいりません」


問「先ほど治癒エネルギーのことを説明された時、霊的なものが物的なものに転換されると言われましたが、この転換はどこで行われるでしょうか。どこかで行われるはずですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「使用するエネルギーによって異りますが、いにしえの賢人が指摘している〝第三の目〟とか太陽神経叢などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する〝場〟なのです。

これ以外にも患者の潜在意識を利用して健全な時と同じ生理反応を起こさせることによって、失われた機能を回復させる方法があります」
 

問「説明されたところまではわかるのですが、もっと具体的に、どんな方法で、いつ、どこで転換されるのか、その辺が知りたいのですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「そんな風に聞かれると、どうも困ってしまいます。弱りました。わかっていただけそうな説明がどうしてもできないのです。強いて譬えるならば、さっきも言ったコンデンサーのようなことをするのです。

コンデンサーと言うのは電流の周波を変える装置ですが、大たいあんなものが用意されてると想像して下さい。エクトプラズムを使用することもあります。ただし、心霊実験での物質化現象などに使用するものとは形体が異ります。もっと微妙な、目に見えない・・・・・・」


問「一種の〝中間物質〟ですか」

シルバー・バーチ「そうです。スピリットの念波を感じ易く、しかも物質界にも利用できる程度の物質性を具えたもの、とでも言っておきましょうか。それと治療家のエネルギーが結合してコンデンサーの役をするのです。そこから患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。

その活エネルギーは全身に行き亘ります。電気的な温かみを感じるのはその時です。知っておいていただきたいことは、とにかく私たちのやる治療方法には決まりきったやり方というものがないということです。患者によってみな治療法が異ります。

また霊界から次々と新らしい医学者が協力にまいります。そして新らしい患者は新らしい実験台として臨み、どんな放射線を使ったらどんな反応が得られたか、その結果を細かく検討します。

なかなか捗(ハカド) らなかった患者が急に良くなり始めたりするのは、そうした霊医の研究成果の表われなのです。また治療家のところへ来ないうちに治ってしまったりすることがあるのも同じ理由によります。

実質的な治療というものは、あなたがたが直接患者と接触する以前にすでに霊界側において、その大部分が為されていると思って差支えありません」


問「そうすると、一方で遠隔治療を受けながら、もう一方で別の治療家のところへ行くという態度は治療を妨げることになるわけでしょうか」

シルバー・バーチ「結果をみて判断なさることです。治ればそれでよろしい」


問「なぜそれでいいのか理屈がわからないと、われわれ人間は納得できないのですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「場合によってはそんなことをされると困ることもありますが、まったく支障を来さないこともあります。患者によってそれぞれ事情が違うわけですから一概に言い切るわけにはいきません。あなただって、患者をひと目見てこれは自分に治せるとは言い切れますまい。

治せるかどうかは患者と治療家の霊格によって決まることですから、あなたには八分通りしか治せない患者も、他の治療家のところへ行けば良くなるかも知れません。条件が異るからです。

その背後つまり霊界側の複雑な事情を知れば知るほど、こうだ、ああだと断定的な言葉は使えなくなるはずです。神の法則には無限の奥行があります。あなたがた人間としては正当な動機と奉仕の精神に基いて精いっぱい人事を尽くせばよいのです。あとは落着いて結果を待つことです」


問「細かい点は別として、私たちが知りたいのは、霊界の医師は必要とあらばどの治療家にでも援助の手を差しのべてくれるかということです」

シルバー・バーチ「霊格が高いことを示す一ばんの証明は、人を選り好みしないということです。私たちは必要とあらばどこへでも出かけます。これが高級神霊界の鉄則なのです。あなたがたも決して患者を断わるようなことをしてはいけません。

あなた方はすでに精神的にも霊的にも立派な成果をあげております。人間的な目で判断してはいけません。あなた方には物事のウラ側を見る目がないのです。従って自分のやったことがどんな影響を及ぼしているかもご存知ないようです」


問「複数の人間が集まって一人の患者のために祈念するという方法をとっている人がいますが、効果があるのでしょうか」

シルバー・バーチ「この問題も祈りの動機と祈る人の霊格によります。ご存知の通り、宇宙はすみからすみまで法則によって支配されており、偶然とか奇蹟というものは絶対起こりません。

もしもその祈りが利己心から発したものでしたら、それはそのままその人の霊格を示すもので、こんな祈りで病気が治るものでないことは言うまでもありません。

ですが、自分を忘れ、ひたすら救ってあげたいという真情から出たものであれば、それはその人の霊格が高いことを意味し、それほどの人の祈りにはおのずから霊力も具わっていますから、高級神霊界にも届きましょうし、自動的に治癒効果を生むことも出来るでしょう。要するに祈る人の霊格によって決まることです」


問「祈りはその人そのものということでしょうか」

シルバー・バーチ「そういうことです」


問「大僧正の仰々しい祈りよりも素朴な人間の素朴な祈りの方が効果があるということでしょうか」

シルバー・バーチ「大僧正だから、あるいは大主教だからということで祈りの力が増すと考えるのは間違いです。肝心なのは祈る人の霊格です。どんなに仰々しい僧衣をまとっていても、その大僧正がスジの通らない教義に凝り固まった人間でしたら何の効果もないでしょう。

もう一ついけないのは集団で行う紋切り型の祈りです。いかにも力が増しそうですが、案外効果は少ないものです。要するに神は肩書きや数ではごまかされないということです。

祈りとは本来、自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為です。波長が高まればそれだけ高級な霊との接触が生じ、必要な援助が授かるというわけです。あくまで必要な援助だけです。いくらたのんでみても、必要でないもの、叶えてあげるわけにいかないものがあります。

その辺の判断は然るべき法則に基いて一分一厘の狂いもなく計算されます。法則をごまかすことは出来ません。神に情状酌量をたのんでもムダです。人間は自分自身をもごまかせないということです」


問「治療の話に戻りますが、患者に信仰心を要求する治療家がいますが、関係ないと言う人もいます。どうなのでしょうか」

シルバー・バーチ「心霊治療にかぎらず霊的なことに関しては奥には奥があって、一概にイエスともノーとも言い切れないことばかりなのです。信仰心があった方が治り易い場合が確かにあります。

その信仰心が魂に刺戟を与えるのです。しかしあくまで自然法則の知識に基いた信仰でして、何か奇蹟でも求めるような盲目の信仰ではダメです。反対にひとかけらの信仰心がなくても、魂が治るべき段階まで達しておれば、かならず治ります」


問「神も仏もないと言っている人が治り、立派な心がけの人が治らないことがあって不思議に思うことがあるのですが・・・・・・」

シルバー・バーチ「人間の評価は魂の発達程度を基準にすべきです。あなたがたの観方は表面的で、内面的観察が欠けています。魂そのものが見えない為に、その人はそれまでどんなことをして来たかが判断できません。治療の結果を左右するのはあくまでも魂です。

ご承知の通り、私も何千年か前に地上でいくばくかの人間生活を送ったことがあります。そして死後こちらでそれよりはるかに長い霊界生活を送ってきましたが、その間、私が何にも増して強く感じていることは、大自然の摂理の正確無比なことです。

知れば知るほどその正確さ、その周到さに驚異と感嘆の念を強くするばかりなのです。一分の狂いも不公平もありません。

人間も含めて宇宙の個々の生命はそれぞれに在るべき位置にところを得ているということです。何ごとも憂えず、ただひたすら心によろこびを抱いて、奉仕の精神に徹して生活なさい。そして、あとは神におまかせしなさい。それから先のことは人間の力の及ぶことではないのです。

あなたがたは所詮私達のスピリットの道具にすぎません。そして私たちも又さらに高い神霊界のスピリットの道具にすぎません。自分より偉大なる力がすべてを良きに計らってくれているのだと信じること、それが何より大切です」


 
    
 第八章 交霊会の舞台裏

 太陽が地球のまわりを回っているのではない。地球の方が太陽のまわりを回っているのだ───これはもう常識中の常識ですが、たとえ学問的にはそうだとしても、われわれ人間の目にはやはり太陽は東から昇り西へ沈んでいます。つまり現実の感覚としては太陽の方が地球をめぐっているというのが正直な実感です。

 またその地球が太陽のまわりを回る速度は時速一六〇〇キロだそうですが、どう考えても地球は静止しているというのが実感です。

 このように実感と真相とが大きく異る例はいくらでも挙げられますが、実は霊的なことについても同じような錯覚をしていることが案外多いようです。

地上という三次元の物的生活に慣れ切っていることから生じる錯覚です。その錯覚がいけないと言うつもりはありません。実感は実感としてやむを得ないのですが、真実の相についての知識をぜひ持っていなくてはいけないと思うのです。

 その好い例が自動書記現象です。霊能者の手がひとりでに動いて次々と文章が書かれていく様子を見ていると、どうみても霊がのり移って腕そのものを直接あやつっているかに思えます。

事実そういうケースも皆無ではないのですが、高級霊からの通信となると往々にしてリモートコントロール式に霊波であやつっている場合が多いのです。通信者は高級界にいるわけです。

 この〝高級界〟という言葉自体についても、人間はとかく空の高いところを想像しがちですが、これも地上的感覚から生じる錯覚です。地上の言語ではどうしても高いとか低い、あるいは向上とか下降とかの用語を用いざるを得ませんが、原理的にはバイブレーション(振動)の問題です。

 あるとき列席者の一人がシルバー・バーチにこんな質問をしました。「他界直後の幽界からさらに向上していった高級霊が人間と交信する時、わざわざ幽界まで降りてくるのですか」

 
 これに対してシルバー・バーチはあまりに意外な質問に驚いた様子で 「いえ、いえ、そうじゃありません。地上に一ばん近いところまで降りて来ないと通信できないと思ってはいけません。

通信しようと思えば、それなりの手段(霊媒)さえ見つかれば、どんな高級な界からでも直接の通信を送ることは可能です。要はバイブレーションの問題です」 と答えています。

 ここで参考までに私自身の強烈な体験談を紹介しますと、恩師の間部氏は各地の支部を回られると必ず会員と共に神前で「大祓」(オオバライ)をはじめ幾種類かの祝詞を上げました。ある支部での祈祷が終って散会し、二、三の側近の者と就寝前の雑談に耽っていると、先生がこんな話をされました。

 大祓を上げていたところ祭壇の上あたりに大きな光の輪が出来ました。光といってもややぼやけた感じだったそうですが、やがてその輪の中にもう一つ小さい輪が出来ました。前の輪より一段と明るいのです。輪の中全体が明るいのです。

何だろうと見ていると更にその中央にもう一つ、くっきりとした輪が出来て、その中全体が皓々と輝いて見えました。

何かあると見つめていると、その中央に〝空海〟という二文字が見事な達筆で書かれ、書かれたかと思うと、その光の輪と共にパッと消えてしまった、というのです。

 当時私はまだ学生で、その話を聞いてただあの空海が自分たちのところに出てくれたという嬉しさと、空海ほどの高級霊が出る先生はやっぱり霊格が高いのだなあ、といった感慨しか抱きませんでしたが、のちにそのことを思い出して、あれがいわゆる〝霊的磁場〟なのだと理解するようになりました。

つまり高級霊が出られる高い波長の磁場を三段階でこしらえたわけで、空間における位置あるいは場所は祭壇のあるところと一緒だったわけです。光の輪は多分空海の霊団が人間流に言えば手をつなぐ格好で拵えたのでしょう。本当のことは分かりませんが・・・・・・。

 さてシルバー・バーチが入神したバーバーネルの口を借りてしゃべる時は直接シルバー・バーチがバーバーネルの身体に宿ります。身体と言っても実質的にはオーラのことです。

最初の「まえがき」でも紹介したように、シルバー・バーチというのはそのバーバネルに宿るインデアンその人かというとイエスでもありノーでもあります。

 つまりインデアンは自分のことをシルバー・バーチと名告り幽界よりはるかに高い界の存在で「波長を下げて地上に降りてくるのは息がつまるほど苦痛です」と述べているほどですが、観方を変えれば、そうやって何とか波長を下げて直接人間を支配できる、いわば〝霊媒的素質〟をもったスピリットであるということが出来るわけです。

が実質的な通信を送っているのは、そうした中間的存在による中継を必要とするほど高級な界のスピリット、日本流に言えば八百万の神々の一柱とみてよいと私は考えております。


が、その神も決して遠く離れた高い空のどこかから見下ろしているのではない。その交霊会の開かれている同じ部屋の中にいると考えてもいいわけです。

 シルバー・バーチは語ります。

 『すべてはバイブレーションの問題です。バイブレーションを通じてどれだけ伝わるかの問題です。あなた方には霊媒の口をついて出たことしか分からない。出なかったものについては何もご存知ない。

 譬えてみれば電話でしゃべる時と同じです。あなたはただ受話器に話しかけるだけでいい。そして相手の言ったことを受話器で聞くだけです。

があなたの声が相手に届くには大変複雑なメカニズムが働いております。それを発明した人や電話局で働いている人々がいるわけですが、電話でしゃべっている時はそんな人のことは考えもしないし目にも見えません。

交霊現象もいっしょです。あなたがたは霊媒を通じて聞き、私たちも霊媒を通じて話しかけるのですが、その途中のメカニズムは大変複雑なのです。

 この交霊会のために大勢のスピリットが働いております。発達程度もいろいろです。一方には地上に近い、多分に物質性を具えたスピリットがいます。そういうスピリットでないと出来ない仕事があるのです。

 他方、光り輝く天使の一団もおります。本来属している高い世界での生活を犠牲にして、地上のために働いております。少しでも多く霊的真理を地上にもたらそうと心を砕いているのですが、今までのところ、それはまだ闇夜に輝くほのかな明り程度しかありません。

 しかし、それでもなおそうした神の使者が足繁くこの小さな一室に通うのは、ここがすばらしい場所だからです。すばらしいという意味は建物が大きいとか、高くそびえているとか、広いとかの意味ではありません。

地上に真理という名の光をそそぐ通路としてここが一ばんすぐれているという意味です。こうしたサークルからこそ、地上世界は新らしいエネルギーを摂取するのです。

 それ以外の、もろもろのスピリットを含めて、今夜だけで五千人もの霊がここに集まっております。あなたがたのよく知っている人で交霊会というものに関心のある霊もおれば、こういう場所があることを今まで知らなくて、今日はじめて見学に来たという霊もおります。

 また、霊媒を通じて仕事をするために、私たちがここでどのようにやっているかを勉強して来ている一団もおります。世界各地から来ております。こちらの世界でも、地上に働きかける方法についての研究が盛んに行われているのです。

霊的エネルギーをいかに活用するかが最大の研究課題です。それを無駄にしてはならないからです。そのために、こちらからいろんな形で人間に働きかけております。自分では意識してなくても、霊界からのインスピレーションを受けている人が大勢います。


 偉大な科学者も発明家も教育者も、元をただせば霊界のスピリットの実験道具にすぎない場合があります。法則なり発明なり思想なりが地上に伝わればそれでよいのであって、どこそこの誰れが、といったことは私どもにはまるで関心がないのです。

 宇宙はすべて協調によって成り立っています。一人だけの仕事というのはありません。だからこそスピリットは〝霊団〟を組織するのです。目的に必要とするスピリットを集め、そのうちの一人が代弁者(マウスピース)となって地上に働きかけます。

私も私の所属する霊団のマウスピースです。(編者注──mouth-piece はパイプの吸い口、楽器の吹き口が本来の意味です) 霊団の一人として働く方が自分一人で仕事をするよりはるかにラクに、そして効果的にはかどります。仕事の成果はそうした霊団全部の力を結集した結果であるわけです。

 成果がすばらしいということは霊団の調和がすばらしいということでもあります。それは、霊媒の出来がいいということが霊媒と支配霊との調和がいいということであるのと同じです。そうでないと必ずどこかにきしみが生じます。オーケストラと同じです。

演奏する楽器は一人一人違っていても、ハーモニーさえ取れれば一つの立派なシンフォニーとなります。が、そのうちの一人でも音程を間違えば全体が台なしになってしまいます。調和が大切なゆえんです。』


 シルバー・バーチの交霊会が開かれた場所は最初はハンネン・スワッハー氏の自宅でしたが、のちにバーバネル氏の平屋のアパートの一室(バーバネル氏の書斎)となりました。

いつも使っている椅子に腰かけて入神するだけのことです。がその何の変哲もない部屋に、天使の一団を始めとして科学者、化学者、技術者、研究生、見物人、はては野次馬まで入れて五千人ものスピリットが詰めかけているというのです。シルバー・バーチが 「あなたがたは何もご存知ない」と言うのがわかるような気がします。

 シルバー・バーチの交霊会は私的なもので、出席者も十数人のレギュラーに制限され、これに特別に招待された人が二、三人加わるという、至ってささやかなものですが、英米では、大きな会場で何百人、何千人もの聴衆を前にした公開交霊会(デモンストレーション)というのがよく開かれます。

 霊能者が壇上に上がってスピリットからのメッセージを次々と列席者に伝えていくのですが、そういう会には無数の霊が群がってきますから、背後霊団は霊能者の周りを囲んで邪魔が入らないようにし、一方、メッセージを送りたいと詰めかけるスピリットの中からどれを選ぶかに苦心するそうです。

それだけの配慮をしてもなお野次馬や聞き分けのない嘆願者がしつこく付きまとって、ひと言でいいからしゃべらせてくれとせがむのだそうです。

 高級な霊団に守られた霊媒にしてこの通りですから、霊能者だ、超能力者だというだけで無節操に担ぎ上げることがいかに危険であるかがお分りと思います。

 以上は交霊会全体の裏側を紹介したのですが、シルバー・バーチがバーバネルを支配してしゃべる、そのメカニズムはどうなっているのかをシルバー・バーチに語ってもらいましょう。


 『あなたがたの住む物質界は活気がなくどんよりとしています。あまりにうっとうしく且つ重苦しいために、私たちがそれに合わせようと波長を下げていく途中で高級界との連絡が切れてしまうことがあります。

 譬えてみれば、こうして地上に降りて来た私は、カゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去って行く時の私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように、果てしない宇宙の彼方へよろこび勇んで飛び去って行きます。死ぬということは鳥カゴという牢獄から解放されることなのです。

 さて私があなた方と縁のあるスピリットからのメッセージを頼まれる時は、それなりのバイブレーションに切り換えてメッセージを待ちます。その時の私は単なるマウスピースにすぎません。

状態がいい時は連絡は容易にできます。が、この部屋の近辺で何かコトが起きると混乱が生じます。突如として連絡網が途切れてしまい、私は急いで別のメッセージに代えます。バイブレーションを切り換えなくてはなりません。
 
 そうした個人的なメッセージの時はスピリットの言っていることが一語一語聞き取れます。それは、こうして私が霊媒を通じてしゃべっている時のバイブレーションと同じバイブレーションでスピリットがしゃべっていることを意味します。

しかし高級界からのメッセージを伝えるとなると、私は別の意識にスイッチを切り換えなくてはなりません。シンボルとか映像、直感とかの形で印象を受け取り、それを言語で表現しなくてはなりません。それは霊媒がスピリットからの通信を受けるのと非常によく似ております。

その時の私は、シルバー・バーチとして親しんで下さっている意識よりもさらに高い次元の意識を表現しなければならないのです。

 とは言え、私は所詮この霊媒(バーバネル)の頭にある用語数の制限を受けるだけでなく、この霊媒の霊的発達程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長してくれれば、その分だけ、それまで表現できなかった部分が表現できるようになるのです。


 今ではこの霊媒の脳のどこにどの単語があるということまで分っていますから、私の思うこと、というよりは、ここに来る前に用意した思想を全部表現することが出来ます。

 この霊媒を通じて語り始めた初期の頃は、一つの単語を使おうとすると、それとつながったほかの要らない単語まで一緒に出て来て困りました。必要な単語だけを取り出すためには脳神経全体に目を配らなくてはなりませんでした。現在でも霊媒の影響を全く受けていないとは言えません。

用語そのものは霊媒のものですから、その意味では少しは着色されていると言わざるを得ないでしょう。が私の言わんとする思想が変えられるようなことは決してありません。

 あなたがた西洋人の精神構造は、私たちインデアンとはだいぶ違います。うまく使いこなせるようになるまでに、かなりの年数がいります。まずその仕組みを勉強したあと、霊媒的素質をもった人々の睡眠中を狙って、その霊体を使って試してみます。そうした訓練の末にようやくこうしてしゃべれるようになるのです。


 他人の身体を使ってみると、人間の身体がいかに複雑に出来ているかがよく分ります。 一方でいつものように心臓を鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、脳の全神経を適度に刺戟しながら、他方では潜在意識の流れを止めて、こちらの考えを送り込みます。容易なことではありません。

 初めのうちはそうした操作を意識的にやらなくてはならないのです。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには一歩一歩に全意識を集中します。

そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。私がこの霊媒をコントロールするようになるまで、やはり同じ経過を辿りました。一つ一つの操作を意識的にやりました。今では自動的に働きます。

 人間の潜在意識はそれまでの生活によって働き方に一つの習性が出来ており、一定の方向に一定の考えを一定のパターンで送っています。

その潜在意識を使ってこちらの思想なりアイディアなり単語なりを伝えるためには、その流れを一たん止めて、新らしい流れを作らなくてはなりません。

もし似たような考えが潜在意識にあれば、その流れに切りかえます。レコードのようなものです。その流れに乗せれば自動的にその考えが出て来ます。新らしい考えを述べようと思えば新らしいレコードに代えなくてはならないわけです。

 この部屋に入ってくるのに、壁は別に障害になりません。私のバイブレーションにとって壁は物質ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が固い壁のように感じられます。

私のバイブレーションに感応するからです。もっとも、私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまく行くようになるまで十五年もかかりました。

 こうして霊媒のオーラの中に入っている時はまるで牢獄に入れられているみたいです。その間は霊媒の五感に支配されます。暗闇では物が見えません。もっとも足は使えません。私の仕事に必要でないものは練習しませんでした。脳と手の使い方だけを練習しました。

こうしてしゃべっている時に他のスピリットからのメッセージを伝えることがありますが、その時は霊媒の耳ではなく私自身の霊耳で聞きます。すべてはオーラの問題です。私には私のオーラがあり、霊媒のオーラより鋭敏です。そのオーラに他のスピリットがメッセージを送り込みます。

 それは言ってみれば電話で相手に話しかけながら同じ部屋にいる人の声を聞くのと同じです。二つのバイブレーションを利用しているのです。同時には出来ませんが、切り換えることは出来るわけです。』

 
   一問一答

問「霊言現象は霊が霊媒の身体の中に入ってしゃべるのですか」

シルバー・バーチ「必ずしもそうではありません。大ていの場合オーラを通じて操作します」


問「霊媒の発声器官を使いますか」

シルバー・バーチ「使うこともあります。現に今の私はこの霊媒の発声器官を使っています。拵えようと思えば私自身の発声器官を (エクトプラズムで) 拵えることも出来ますが、そんなことをするのは私の場合はエネルギーの無駄です。

私の場合はこの霊媒の潜在意識を私自身のものにしてしまいますから、全身の器官をコントロールすることが出来ます。いわば霊媒の意志まで私が代行し───霊媒の同意を得た上での話ですが──しばらく身体をあずかるわけです。終って私が退くと霊媒の意識が戻って、いつもの状態に復します」


問「霊媒の霊体を使うこともありますか」 

シルバー・バーチ「ありますが、その霊体も常に肉体につながっています」


問「仕事を邪魔しようとするスピリットから守るために列席者にも心の準備がいりますか」

シルバー・バーチ「いります。一ばん大切なことは身も心も愛の気持ひとつになり切ることです。そうすれば愛の念に満たされたスピリット以外は近づきません」


問「霊界側でもそのための配慮をされるのですか」

シルバー・バーチ「もちろんです。常に邪魔を排除していなくてはいけません。あなたがた出席者との調和も計らなくてはなりません。最高の成果を上げるために全ての要素を考慮しなければなりません。こちらにはそのために組織された素晴らしい霊団がおります」


問「霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識をもった方がいいでしょうか。それともそんなことをしないで自分の霊媒能力に自信をもって、それ一つで勝負した方がいいでしょうか」

シルバー・バーチ「それは霊能の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという考えには賛成できません。知らないよりは知ってる方がいいにきまっています。知識というのは自分より先に歩んだ人の経験の蓄積ですから、勉強してそれを自分のものにするよう努力した方がいいでしょう。私はそう思います」


問「立派な霊能者となるには生活面でも立派でなくてはいけませんか」

シルバー・バーチ「生活態度が立派であれば、それだけ神の道具として立派ということです。ということは、生活態度が高度であればあるほど、内部に宿された神性がより多く発揮されていることになるのです。日常生活において発揮されている人間性そのものが霊能者としての程度を決めます」


問「ということは、霊格が高まるほど霊能者として向上すると言っていいのでしょうか」

シルバー・バーチ「決まりきったことです。生活面で立派であればあるほど霊能も立派になります。自分の何かを犠牲にする覚悟の出来ていない人間にはロクな仕事は出来ません。このことは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上に戻って来る私たちが学ばされる教訓といってもいいでしょう」


問「他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか」

シルバー・バーチ「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。

その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなた方が恐怖や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。

穏やかな心、やすらかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。


 私たち霊界の者は出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人の雰囲気、成長の度合、進化の程度にかかっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。

霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解できる人であればそれでいいのです。

宗教の違い、民族の違い、主義主張の違い、そんなものはどうでもよろしい。冷静で、穏やかで、明るい心を保つことです。それが霊界の愛する人々、先祖霊、高級霊からの援助を得る唯一の道です。恐れ、悩み、心配、こうした念がいちばんいけません」


問「そういう霊にこちらからの念が通じますか」

シルバー・バーチ「一概にイエスともノーとも言いかねます。魂の進化の程度が問題になるからです。波長の問題です。もしも双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょう。が、あまりに距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから、通じないでしょう」


問「他界した人のことを余り心配すると霊界での向上の妨げになるでしょうか」

シルバー・バーチ「地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。スピリットはスピリット自身の行為によって向上進化します。人間の行為とは関係ありません」


問「世俗から隔絶した場所で冥想の生活を送っている人がいますが、あれで良いのでしょうか」

シルバー・バーチ「〝良い〟という言葉の意味次第です。世俗から離れた生活は心霊能力の発達には好都合で、その意味では良いと言えるでしょう。

が私の考えでは、世俗の中で生活しつつ、しかも世俗から超然とした生活の方がはるかに上です。つまり霊的自覚に基いた努力と忍耐と向上を通じて同胞のために尽くすことが、人間本来のあるべき姿だと思います」


問「世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか」

シルバー・バーチ「いちばん偉大なことは他人のために己れを忘れることです。自分の能力を発達させること自体は結構なことです。が開発した才能を他人のために活用することの方がもっと大切です」


問「これからホームサークルを作りたいと思っている人たちへのアドバイスを・・・・・・」

シルバー・バーチ 「イヤな思いをすることのない、本当に心の通い合える人々が同じ目的を持って一つのグループをこしらえます。

週一回、同じ時刻に同じ部屋に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよろしい、祈りから始めて、そのまま冥想に入ります。目的、動機が一ばん大切です。面白半分にやってはいけません。

人のために役立たせるために霊能を開発したいという一念で忍耐強く、粘り強く、コンスタントに会合を重ねていくことです。そのうち同じ一念に燃えたスピリットと感応し、必要な霊能を発揮すべく援助してくれることでしょう。

言っておきますが、私どもは何かと人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りの連中には用はありません。使われずに居睡りをしている貴重な能力を引き出し、同胞のため人類全体のために有効に使うことを目的とした人の集まりには大いに援助します」


 
      
 第九章 真理の理解を妨げるもの ───宗教的偏見───

 シルバー・バーチ霊言集が全部で十一冊あることはすでに述べましたが、その十一冊がシルバー・バーチ霊言の全てというわけではありません。

五十年余りにわたる膨大な霊言を九人の編者(うち二人が二冊ずつ)が自分なりの視点から編纂したもので、むしろ残されたものの方が多いのではないかと想像されます。

従って、霊媒のバーバネルが他界したこれからのちにも何冊か出版される可能性が十分あり、私などもそれを首を長くして待っている一人です。

 それはそれとして、バーバネル自身が著した書物が二冊あります。一冊は、人生を健康で力強く生き抜くためのスピリチュアリズム的処生訓を説いた Where There is a Will (『霊力を呼ぶ本』潮文社刊)、もう一冊はスピリチュアリズムを現象面と思想面の双方から説いた This is Spiritualism(『これが心霊の世界だ』同)です。

 さて後者の中に 「英国国教会による弾圧」 と題する一章があります(日本語版では割愛)。国教会というのはローマカトリック教会から独立したキリスト教の一派で、形式的には英国民の大半がその会員ということになっており、文字通り英国の国教ということができます。

 日本の宗教とは事情が異り、歴史的背景も違いますので比較対照は無理ですが、その本質はこれから紹介するその国教会とスピリチュアリズムの論争とも闘争とも言える一つの事件を辿っていけば自ずと理解していただけると信じます。

その火付け役、ないしは主役として英国の宗教界に一大センセーションを巻き起こしたのが、ほかならぬバーバネルだったのです。

 心霊現象の科学的研究が、SPR を代表とする資料の蒐集一本やりの一派と、その現象に思想的ないし哲学的意義を認めて、いわゆるスピリチュアリズムへと発展させていった一派があることは第五章で述べましたが、

そのスピリチュアリズムの先駆者となったフレデリック・マイヤース、オリバー・ロッジ、コナン・ドイル、アルフレッド・ウォーレス、ウィリアム・クルックスといった、人類の知性を代表するといっても過言でない知識人は、みな英国人です。

 そうした歴史的背景と同時に、バーバネルがハンネン・スワッハーという英国ジャーナリズム界の大物を後援者にもったことが、どれほどスピリチュアリズムの普及を促進したか、その陰の力は量り知れないものがあります。

 もっとも〝普及〟は必ずしも受け入れを意味しません。そういうものがあるという事実の認識に止まる人も多いのですが、その段階まで行くことだけでも、国家的に見て大変な進歩です。

これから紹介するバーバネルと国教会の対立は、そういった事情を背景としていることをまず認識していただかねばなりません。と同時に、国教会も基本的教説においてはキリスト教の他の宗派と大同小異ですから、これをスピリチュアリズムとキリスト教の対立と考えても差支えないと思います。


 一九三七年のことですが、自らも心霊的体験をもつエリオット牧師と神学博士のアンダーヒルが当時のヨーク大主教 (国教会はカンタベリーとヨークの二大管区に区分され、カンタベリーが全体の中心)であったテンプルに会い、これほどまでスピリチュアリズムが話題にのぼるようになった以上、国教会として本格的に調査研究して態度を明確にすべきではないかと進言しました。


 テンプルはカンタベリー大主教のラングと協議し、その進言を聞き入れて、さっそく十名から成るスピリチュアリズム調査委員会を発足させました。そして二年後にその結果を報告すると約束しました。

ここまでは実に見上げた態度だったのですが、約束の二年が過ぎてから、調査結果の報告書(レポート)をめぐって宗教的偏見がむき出しになり始めました。ラングの命令でそのレポートが発禁処分にされたのです。


 この時点からバーバネルを中心とするサイキックニューズ社のスタッフが活動しはじめます。スタッフは、レポートの公開を拒むのは明らかにその内容が心霊現象の真実性を肯定するものになっているからだという認識のもとに、それに携わったメンバーとの接触を求めます。

そしてついに全部ではないが報告書の大部分───肯定派七人による多数意見報告書───を入手し、それをバーバネルの責任のもとに、思い切ってサイキックニューズ紙に掲載しました。

 案の定、それは英国内に大変な反響を呼びました。蜂の巣をつついたような、と形容しても過言でないほどの騒ぎとなり、たまりかねたラング大主教は、張本人であるバーバネルを厳しく非難する一方、国教会とスピリチュアリズムの同盟を求める会の会長であるストバート女史に、何とか騒ぎを鎮めてほしいと頼むほどでした。

 が報告書は絶対公表すべきであるという意見が足もとの国教会内部からも次々と出され、「この調査委員会による結論の公表を禁止させた〝主教連中〟による心ない非難や禁止令、それに何かというとすぐ〝極秘〟をきめ込む態度こそ、国教会という公的機関の生命を蝕む害毒の温床となってきた了見の狭い聖職権主義をよく反映している」といった厳しい意見が公然と出されました。

が国教会首脳は頑として公表を拒否し続けました。バーバネルはその著書の中でこう述べています。


 「私はその後テンプル博士がカンタベリー大主教に任命された時、書簡でぜひ委員会報告を正式に公表するよう何度もお願いした。書簡のやりとりは長期間に及んだが、ついに平行線を辿った。

社会主義の改革運動では同じ聖職者仲間から一頭地を抜いている人物が、こと宗教問題となると頑として旧態を墨守しようとする。現実の問題では恐れることを知らない勇気ある意見を出す人物からの書簡をことごとく〝極秘〟か〝禁〟の印を押さなければならないとは一体どういうことだろうか。」

 サイキックニューズ紙に掲載された多数意見報告書は 「英国国教会とスピリチュアリズム」と題されて、パンフレットとしてサイキックニューズ社から発行されました。私の手もとにもそれがあります。

 が、もともとバーバネルの意図は報告書を入手することではありませんでした。内容は始めからおよその見当がついており、スピリチュアリズムにとってそれは今さら取り立てて意味のあるものでないことはわかっていました。

バーバネルが求めたのは英国国教会が宗教的偏見を超えて心霊現象の真実性を認めるという、真理探究者としての、あるいは聖職者としての公明正大な態度でした。それが出来ない国教会首脳に対する憤りと無念さが至る所に窺われます。たとえば───

 「この、かつてのヨーク大主教、後のカンタベリー大主教にとっては、その職務への忠誠心の方が死後の存続という真理への忠誠心より大事ということなのだろうか。」

 「私の持論は、宗教問題に限らず、人間生活のすべてにおいて、伝統的な物の考え方が新らしい考え方の妨げになるということである。

固定観念が新らしい観念の入る余地を与えないのである。いかなる宗教の信者においても、宗教それ自体がスピリチュアリズム思想を受け入れる上で邪魔をするのである。」

 こうしたバーバネルの既成宗教についての考え方はシルバー・バーチと全く同一です。その理解の便に供する意味で、このあと、英国国教会の流れをくむ一派であるメソジスト派の牧師とシルバー・バーチとの二度にわたる論争を紹介したいと思います。
 
論争といっても、その言葉から受けるほど激しいものではありません。それは多分にシルバー・バーチの霊格の高さによることは明らかですが、同時に、その牧師が真摯な真理探究心をもっていたからでもあります。

そうでなければシルバー・バーチが交霊会へ招待するはずはありません。二人の論争を通じて、ひとりキリスト教にとどまらず既成宗教全体に共通して言える一種の弊害を認識していただきたいと思います。なおその青年牧師の立場を考慮して氏名は公表されておりません。

 参考までにメソジスト派というのはジョン・ウェスレーという牧師が主唱し、弟のチャールズと共に一七九五年に国教会から独立して一派を創立した宗派です。ニューメソッド、つまり新らしい方式を提唱している点からその名があるのですが、基本的理念においては国教会と大同小異とみてよいと思います。

 ある時そのメソジスト派の年次総会が二週間にわたってウェストミンスターのセントラルホールで開かれ、活発な報告や討論が為されました。がその合間での牧師たちの会話の中でスピリチュアリズムのことがしきりにささやかれました。

 そのことで関心を抱いた一人の青年牧師がハンネン・スワッハーを訪ね、一度交霊会というものに出席させてもらえないかと頼みました。

予備知識としてはコナン・ドイルの The New Revelation (新らしい啓示)という本を読んだだけでしたが、スワッハーは快く招待することにし、

 「その会ではシルバー・バーチという霊が入神した霊媒の口を借りてしゃべるから、その霊と存分に議論なさるがよろしい。納得のいかないところは反論し、分らないところは遠慮なく質問なさることです。そのかわり、あとでよそへ行って、十分な議論がさせてもらえなかったといった不平や不満を言わないでいただきたい。

質問したいことは何でも質問なさって結構です。その会の記録はいずれ活字になって出版されるでしょうが、お名前は出さないことにします。そうすればケンカになる気遣いもいらないでしょう。もっともあなたの方からケンカを売られれば別ですョ。」

と、いかにもスワッハーらしい、ちょっぴり皮肉を込めた、しかし堂々とした案内の言葉を述べました。

 さて交霊会が始まると、まずシルバー・バーチがいつものように神への祈りの言葉を述べ、やおらその青年牧師に話しかけました。

シルバー・バーチ「この霊媒には、あなたがたのいう〝聖霊〟の力がみなぎっております。これがこうして言葉をしゃべらせるのです。私はあなたがたのいう〝復活せる霊〟の一人です」

(聖霊というのはキリスト教の大根幹である三位一体説───父なる神〔キリスト神〕、子なる神 〔イエス〕 そして聖霊が一体であるという説の第三位にあるものですが、スピリチュアリズム的に観れば、その三者を結びつける根拠はありません。実にキリスト教とスピリチュアリズムの違いはそこから発しています。シルバー・バーチもその点を指摘しようとしています)


牧師「死後の世界とはどういう世界ですか」

シルバー・バーチ「あなたがたの世界と実によく似ております。但し、こちらは結果の世界であり、そちらは原因の世界です」
 
(スピリチュアリズムでは、霊界が原因の世界で地上は結果の世界であるといっておりますが、それは宇宙の創造過程から述べた場合のことで、ここではシルバー・バーチは因果律の関係から述べ、地上で蒔いたタネを霊界で刈り取るという意味で言っております)


牧師「死んだ時は恐怖感はありませんでしたか」

シルバー・バーチ「ありません。私たちインデアンは霊覚が発達しており、死が恐ろしいものでないことを知っておりましたから。あなたが属している宗派の創立者ウェスレ―も霊感の鋭い人でした。やはり霊の力に動かされておりました。それはご存知ですね」


牧師「おっしゃる通りです」

シルバー・バーチ「ところが現在の聖職者たちは〝霊の力〟に動かされておりません。

宇宙は究極的には神とつながった一大連動装置によって動かされており、一ばん低い地上の世界も、あなたがたのいう天使の世界とつながっております。どんなに悪い人間も、ダメな人間も、あなたがたの言う神、私の言う宇宙の大霊と結ばれているのです」


牧師「死後の世界でも互いに認識し合えるのですか」

シルバー・バーチ「地上ではどうやって認識しあいますか」


牧師「目です。目で見ます」

シルバー・バーチ「目玉さえあれば見えますか。結局は霊で見ているのではありませんか」


牧師「その通りです。私の精神で見ています。それは霊の一部だと思います」

シルバー・バーチ「私も霊の力で見ています。私にはあなたの霊が見えるし肉体も見えます。が肉体は影にすぎません。光源は霊です」


牧師「地上での最大の罪は何でしょうか」

シルバー・バーチ「罪にもいろいろあります。が最大の罪は神への反逆でしょう。神の存在を知りつつも、尚それを無視した生き方をしている人々。そういう人が犯す罪が一ばん大きいでしょう」


牧師「われわれはそれを〝聖霊の罪〟と呼んでおります」

シルバー・バーチ「あの本(聖書)ではそう呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」


牧師「〝改訳聖書〟をどう思われますか。〝欽定訳聖書〟と比べてどちらがいいと思われますか」

シルバー・バーチ「文字はどうでもよろしい。いいですか、大切なのはあなたの行いです。神の真理は聖書だけではなく、ほかのいろんな本に出ています、それから、人のために尽くそうとする人々の心には、その人がどんな地位の人であろうと、誰れであろうと、どこの国の人であろうと、ちゃんと神が宿っているのです。それこそが一ばん立派な聖書です」


牧師「改心しないまま死んだ人はどうなりますか」

シルバー・バーチ「〝改心〟というのはどういう意味ですか。もっと分かりやすい言葉でお願いします」


牧師「たとえば、良くないことばかりしていた人がそのまま他界した場合と、死ぬ前に改心した場合とでは死んでからどんな違いがありますか」

シルバー・バーチ「あなたがたの本(聖書)から引用しましょう。〝蒔いたタネは自分で刈り取る〟のです。これは真理であり、変えることは出来ません。今のあなたそのままを携えてこちらへ参ります。

自分はこうだと思っているもの、人からこう見てもらいたいと願っていたものではなく、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへ参ります。あなたもこちらへ来れば分かります」

ここでシルバー・バーチはスワッハーの方を向いて、この人には霊能があるようだと述べ、なぜ連れて来たのかと尋ねると、 「この人の方から尋ねてきたのです」 と答えます。そこでシルバー・バーチがその牧師に向かって 「インデアンが聖書のことをよく知っていて驚いたでしょう」と言うと、「よくご存知のようです」と答えます。

すると別の列席者が「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えします。牧師はすかさず三千年前つまり紀元前十世紀の人間である例のダビデの名前を出して、シルバー・バーチに、そういう人間がいたことを知っているかと尋ねます。それに対してこう答えます。


シルバー・バーチ「私は白人ではありません。レッド・インデアンです。米国北西部の山脈の中で暮らしていました。あなたがたのおっしゃる野蛮人というわけです。しかし私は、これまで西洋人の世界に、三千年前のわれわれインデアンよりはるかに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見て来ております。

今なお物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つと言えます」


牧師「そちらへ行くとどんな風に感じるのでしょう。やはり後悔の念というものを強く感じるのでしょうか」

シルバー・バーチ「一ばん残念に思うことは、やるべきことをやらずに終ったことです。あなたもこちらへお出になれば分かります。きちんと為しとげたこと、やるべきだったのにやらなかったこと、そうしたことが逐一分かります。逃がしてしまった好機が幾つもあったことを知って後悔するわけです」


牧師「キリストへの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣うことになると思うのですが」

シルバー・バーチ「主よ、主よと、何かというと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に叶った行いです。それが全てです。口にする言葉や、心に信じることではありません。

頭で考えることでもありません。実際の行為です。何一つ信仰というものを持たなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です」

 ここで列席者の一人が、イエスは神の分霊なのかと問います。それに対しこう答えます。

シルバー・バーチ「イエスは地上に降りた偉大なる霊覚者だったということです。当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。いや今なお十字架にかけ続けております。イエスだけでなく全ての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」


牧師「キリストが地上最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それほどの人物がウソをつくはずがありません。キリストは言いました。〝私と父は一つである。私を見た者は父を見たのである〟と。これはキリストが即ち神であることを述べたのではないでしょうか」

シルバー・バーチ「もう一度聖書を読み返してご覧なさい。〝父は私より偉大である〟と言っていませんか」


牧師「言っております」

シルバー・バーチ「また〝天に在しますわれらが父に祈れ〟とも言っております。〝私に祈れ〟とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が〝天に在しますわれらが父〟であるわけがないでしょう。〝私に祈れ〟とは言っておりません。〝父に祈れ〟と言ったのです」


牧師「キリストは、〝あなたたちの神〟と〝私の神〟という言い方をしています。〝私たちの神〟とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いていません」

シルバー・バーチ「〝あなたたちの神と私〟とは言っておりません。〝あなたたちは私より大きい仕事をするであろう〟とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは、聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をなさらないことです。

霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。存在の実相が霊であるということが宇宙のすべての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を多用したのはそのためです」


牧師「神は地球人類を愛するが故に唯一の息子を授けられたのです」

シルバー・バーチ「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年もたってから二ケーア会議でそんなことが聖書に書き加えられたのです」


牧師「二ケーア会議?」

シルバー・バーチ「西暦三二五年に開かれています」


牧師「でも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました」

シルバー・バーチ「どうしてそれがわかります?」


牧師「いや、歴史にそう書いてあります」

シルバー・バーチ「どの歴史ですか」


牧師「どれだかは知りません」

シルバー・バーチ「ご存知のはずがありません。一体聖書が書かれる、そのもとになった書物はどこにあるとお考えですか」


牧師「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です」

シルバー・バーチ「いや、それよりもっと前の話です」


牧師「聖書は西暦九〇年に完成しました」

シルバー・バーチ「その原典になったものは今どこにあると思いますか」


牧師「いろんな文書があります。例えば・・・・・・」 と言って一つだけ挙げます。

シルバー・バーチ「それは原典の写しです。原典はどこにありますか」

 牧師がこれに答え切れずにいると───

シルバー・バーチ「聖書の原典はご存知のあのバチカン宮殿にしまい込まれて以来一度も外に出されたことがないのです。あなた方が聖書(バイブル)と呼んでいるものは、その原典の写し(コピー)の写しのそのまた写しなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。

初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。

ところが、いつになっても再臨しないので、ついにあきらめて記憶を辿りながら書きました。イエス曰く───と書いてあっても、実際に言ったかどうかは書いた本人も確かでなかったのです」

牧師「でも四つの福音書にはその基本となったいわゆるQ資料 (イエス語録) の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが」

シルバー・バーチ「私は何もそうしたことが全然起きなかったと言っているのではありません。私はただ、聖書に書いてあることの一言一句までイエスが本当に言ったとはかぎらないと言っているのです。

聖書に出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはいけません」

 こうした対話から話題は苦難の意義、神の摂理、と進み、その間に細かい問題も入りますが、それらはすでに前章までの紹介したことばかりなので割愛します。ともかくここで第一回の論争が終り、何日かのちに再びその牧師が出席して第二回目の論争が始まります。

最初の質問は、地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能か否か、すべての人間を愛することが出来るか否かといった、いかにも聖職者らしいものでした。シルバー・バーチは答えます。


シルバー・バーチ「それは不可能なことです。が、そう努力しなくてはいけません。努力することそのことが、性格の形成に役立つのです。

怒ることなく、辛く当ることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間でないことになります。人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれて来るのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです」

牧師「イエスは〝天の父の完全である如く汝等も完全であれ〟と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」

シルバー・バーチ「だから、完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活における最高の理想なのです。すなわち内部に宿る神性を開発することです」

牧師 「私がさっき引用した言葉はマタイ伝第五章の終りに出ているのですが、普遍的な愛について述べたあとでそう言っているのです。また〝ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝等は完全であれ。神の子なればなり〟と言っています。

神は全人類を愛して下さる。だからわれわれも全ての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じるとお思いですか」

この質問にシルバー・バーチは呆れたような、あるいは感心したような口調で、少し皮肉も込めてこう言います。

シルバー・バーチ「あなたは全世界の人間をイエスのような人間にしようとなさるんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な地上生活を送ったとお考えですか」


牧師「そう考えます。完全な生活を送ったと思います」

シルバー・バーチ「一度も腹を立てたことがないとお考えですか」


牧師「当時行われていたことを不快に思われたことはあると思います」

シルバー・バーチ「腹を立てたことは一度もないとお考えですか」


牧師「腹を立てることはいけないと説かれている、それと同じ意味で腹を立てたことはないと思います」

シルバー・バーチ「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てたことを正当化できるかどうかを聞いているのではありません。正当化することなら、あなたがたはどんなことでも正当化なさるんだから・・・・・・」

 
ここで列席者の一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を持ち出します。

シルバー・バーチ「私が言わんとしているのはそのことです。あの時イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。ムチを持って追い払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪いとかは別の問題です。イエスは怒ったのです。

怒るということは人間的感情です。私が言わんとするのは、イエスも人間的感情を具えていたということです。

イエスを人間の模範として仰ぐ時、イエスもまた一個の人間であった───ただ普通の人間より神の心をより多く体現した人だった、という風に考えることが大切です。ありもしないことを無理やりにこじつけようとするのはよくありません。わかりましたか」

牧師「わかりました」

シルバー・バーチ「誰れの手も届かないところに祭り上げたらイエス様がよろこばれると思うのは大間違いです。イエスもやはり自分たち人間と同じ人の子だったと見る方がよほどよろこばれるはずです。自分だけ超然とした位置に留まることはイエスはよろこばれません。人類と共によろこび、共に苦しむことを望まれます。

一つの生き方の手本を示しておられるのです。イエスが行ったことは誰れにでも出来ることばかりなのです。誰れもついて行けないような人だったら、せっかく地上に降りたことが無駄だったことになります」

 このあと牧師が自由意志について質問すると、すでに紹介した通り各自に自由意志はあるが、あくまで神の摂理の範囲内での自由意志であること、つまりある一定のワク内での自由が許されているとの答えでした。

続いて罪の問題が出され、シルバー・バーチが結論として、罪というものはそれが結果に対して及ぼす影響の度合いに応じて重くもなり軽くもなると述べると、すかさず牧師がこう反論します。

牧師「それは罪が知的なものであるという考えと矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります」

シルバー・バーチ「罪は罪です。からだが犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれもみな罪は罪です。あなたはさっき衝動的に罪を犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこから来ると思いますか」


牧師「思念です」

シルバー・バーチ「思念はどこから来ますか」


牧師「(少し躊躇してから)善なる思念は神から来ます」

シルバー・バーチ「では悪の思念はどこから来ますか」


牧師「分かりません」 と答えますが、実際は 「悪魔から」 と答えたいところでしょう。シルバー・バーチはそれを念頭において語気強くキリスト教の最大の欠陥をつきます。

シルバー・バーチ「神は全てに宿っております。間違ったことの中にも正しいことの中にも宿っています。日光の中にも嵐の中にも、美しいものの中にも醜いものの中にも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも神は宿っているのです。

おわかりになりますか。神とは〝これとこれだけに存在します〟という風に一定の範囲内に限定できるものではないのです。全宇宙が神の創造物であり、そのすみずみまで神の霊が浸透しているのです。あるものを切り取って、これは神のものではない、などとは言えないのです。

日光は神の恵みで、作物を台なしにする嵐は悪魔の仕業だなどとは言えないのです。神は全てに宿ります。あなたという存在は、思念を受けたり出したりする一個の器官です。

が、どんな思念を受け、どんな思念を発するかは、あなたの性格と霊格によって違ってきます。もしもあなたが、あなたのおっしゃる〝完全な生活〟を送れば、あなたの思念も完全なものばかりでしょう。が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。そうでしょう?」


牧師 「おっしゃる通りだと思います。では、そうした煩悩ばかりを抱いた人間が死に際になって自分の非を悟り、〝信ぜよ、さらば救われん〟の一句で心にやすらぎを覚えるというケースがあるのをどう思われますか」

 この質問はキリスト教のもう一つの重要な教説である贖罪説につながってきます。イエス・キリストへの信仰を告白することで全ての罪が贖われるという信仰が根強くあり、それが一種の利己主義を生む土壌になっております。

シルバー・バーチは折にふれてその間違いを指摘していますが、ここでもイエスの別の言葉を二、三引用したあと、こう語ります。

シルバー・バーチ「神の摂理は絶対にごまかせません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心で一ぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染み込んだ汚れが、それくらいのことで一ぺんに洗い落とせると思いますか。

無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、我儘で心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。〝すみませんでした〟の一言で全てが許されるとしたら、果たして神は公正と言えますか。如何ですか」


牧師 「私は神はイエス・キリストに一つの心の避難所を設けられたのだと思うのです。イエスはこう言われ・・・・・・」

シルバー・バーチ 「お待ちなさい。私はあなたの率直な意見を聞いているのです。率直にお答えいただきたい。本に書いてある言葉を引用しないでいただきたい。イエスが何と言ったか私にはわかっております。私は、あなた自身はどう思うかと聞いているのです」

牧師 「たしかにそれでは公正とは言えないと思います。が、そこにこそ神の偉大なる愛の入る余地があると思うのです」

 そこでシルバー・バーチが、もしも英国の法律が善人と罪人とを平等に扱ったら、あなたはその法律を公正と思うかと尋ねると、牧師は自分はそうは言っていないと弁明しかけますが、再びそれをさえぎって───
 
シルバー・バーチ 「自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る。この法則から逃れることは出来ません。神の法則をごまかすことは出来ないのです」


牧師 「では悪のかぎりを尽くした人間が今死にかかっているとしたら、私はその人間にどう説いてやればいいのでしょう」

シルバー・バーチ 「シルバー・バーチがこう言っていたとその人に伝えて下さい。もしもその人が真の人間、つまりいくばくかでも神の心を宿していると自分で思うのなら、それまでの過ちを正したいという気持ちになれるはずです。

自分の犯した過ちの報いから逃れたいという気持がどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない。ただの臆病者だと、そう伝えて下さい」


牧師 「しかし罪を告白するということは、誰れにでもは出来ない勇気ある行為だとは言えないでしょうか」

シルバー・バーチ 「それは正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は善いことをする自由も悪いことをする自由もあったのを、敢えて悪い方を選んだ。自分で選んだのです。ならばその結果に対して責任を取らなくてはいけません。

元に戻す努力をしなくてはいけません。紋切り型の祈りの言葉を述べて心が安まったとしても、それは自分をごまかしているに過ぎません。蒔いたタネは自分で刈り取らねばならないのです。それが神の摂理です」

 ここで牧師がイエスの言葉を引用して、イエスが信者の罪を贖ってくれるのだと主張しますが、シルバー・バーチは同じくイエスの言葉を引用して、イエスは決してそんな意味で言っているのではないと説きます。

するとまた牧師が別の言葉を引用しますが、シルバー・バーチも別の言葉を引用して、罪はあくまで自分で償わなくてはならないことを説きます。そしてキリスト教徒が聖書一つにこだわることの非を諭して次のように語って会を閉じました。



シルバー・バーチ 「神は人間に理性という神性の一部を植えつけられました。あなたがたもぜひその理性を使用していただきたい。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する───それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変わりません。

神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は相変らず罪として残っております。いいですか。それが神の摂理なのです。イエスが言ったとおっしゃる言葉を聖書からいくら引用しても、その摂理は絶対に変えることは出来ないのです。

 前にも言ったことですが、聖書に書かれている言葉を全部イエスが実際に言ったとはかぎらないのです。そのうちの多くはのちの人が書き加えたものです。イエスがこうおっしゃっている、とあなたがたが言う時、それは〝そう言ったと思う〟という程度のものでしかありません。

そんないい加減なことをするより、あの二千年前のイエスを導いてあれほどの偉大な人物にしたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じエネルギーが、二千年後の今の世にも働いていることを知ってほしいのです。

 あなた自身も神の一部なのです。その神の温かき愛、深遠なる叡知、無限なる知識、崇高なる真理がいつもあなたを待ち受けている。なにも神を求めて二千年前まで遡ることはないのです。

今ここに在しますのです。二千年前とまったく同じ神が今ここに在しますのです。その神の真理とエネルギーの通路となるべき人物 (霊媒・霊能者) は今も決して多くはありません。しかし何故にあなたがたは、二千年前のたった一人の霊能者にばかり頼ろうとなさるのです。なぜそんな昔のインスピレーションにばかりすがろうとなさるのです。なぜイエス一人の言ったことに戻ろうとなさるのです。

 何故に全知全能の神を一個の人間と一冊の書物に閉じ込めようとなさるのです。宇宙の神が一個の人間、あるいは一冊の書物で全部表現できるとでもお思いですか。私はイエスよりずっと前に地上に生を享けました。すると神は私には神の恩恵に浴することを許して下さらなかったということですか。

 神の全てが一冊の書物の中のわずかなページで表現できてるとお思いですか。その一冊が書き終えられた時を最後に、神はそれ以上のインスピレーションを子等に授けることをストップされたとでもお考えですか。聖書の最後の一ページを読み終った時、神の真理の全部を読み終ったことになるというのでしょうか。

 あなたもいつの日かに天に在します父のもとに帰り、今あなたが築きつつある真実のあなたに相応しい住処に住まわれます。神の子としてのあなたに分っていただきたいことは、神を一つワクの中に閉じ込めることは出来ないということです。神は全ての存在に宿るのです。

悪徳のかたまりのような人間にも、神か仏かと仰がれるような人にも同じ神が宿っているのです。あなたがた一人一人に宿っているのです。

あなたがその神の御心をわが心とし、心を大きく開いて信者に接すれば、その心を通じて神の力とやすらぎとが、あなたの教会を訪れる人々の心に伝わることでしょう」




 第十章 おしまいに
 シルバー・バーチによる交霊会は正式の名称をハンネン・スワッハー・ホームサークルと言いましたが、その第一回が何年何月に開かれたのかは明らかでありません。公表されていないし、もしかしたら記録すらないかも知れません。

というのは霊媒のバーバネル氏は、その会があくまで私的な集まりだからという理由で、初めのころは霊言そのものの公表すら避けていたのです。

 バーバネルという人は自分を表に出すことを徹底的に嫌った人で、その態度は七十九才で他界するまで変わりませんでした。

ところが真の意味で最良の親友だったハンネン・スワッハーは当時英国新聞界の法王とまで言われたほどの大物で、バーバネルとは対照的に、英国の著名人でスワッハーの名を知らない人はまずいないと言ってよいほどでした。

 スワッハーはその知名度を利用して各界の名士を交霊会に招待し、また招待された方は相手がスワッハーとなると断わるわけにもいかず、かならず出席しました。

中には 「よし、オレがバーバネルのバケの皮をはがしてやる」とか、「シルバー・バーチとかいうインデアンをオレが徹底的に論破してやる」といった意気込みで乗り込んで来る連中もいたようですが、バーバネルが入紳してシルバー・バーチが語り始めると、その威厳ある雰囲気に圧倒されて、来た時の意気込みもどこへやら、すっかり感動して帰って行ったそうです。

 こうしたバーバネルとスワッハーという対照的な性格のコンビは実にうまい取り合わせで、それにシルバー・バーチが加わった三人組(トリオ)は多分、いや間違いなく、二人の出生以前から組まれた計画だったと想像されます。

バーバネルなくしてはシルバー・バーチもあり得ず、スワッハーなくしては霊言集の出版もなかったはずです。

 はじめ公表に消極的だったバーバネルをスワッハーが説き伏せて、霊言が『サイキック・ニューズ』紙に連載されるようになってほぼ半世紀が過ぎました。

そして私がその心霊紙で、霊視家によるシルバー・バーチの肖像画と共に初めて霊言に接して、一種異様な感動を覚えながら貪り読んで以来、三十年近い歳月が流れました。

 そして一九八一年七月にバーバネル氏が急逝した時、私はこれでついにシルバー・バーチの霊言にもピリオドが打たれたかと思い、その心の拠りどころとして来ただけに残念無念さも一入(ヒトシオ)でした。

また、何か一つの大きな時代が終って自分一人が残されたような、言葉では形容しようのないさみしさをしみじみと味わったものでした。

 が、その霊訓は霊言集として残されている。それを日本の有志の方々───シルバー・バーチの言う〝それを理解できるところまで来ている人々〟に紹介することが私の使命であるかも知れないという自覚が私の魂を鼓舞し続け、それが本稿となって実現しました。

 シルバー・バーチ霊言集は延べにして二千ページ程度になります。それだけのものをこの程度のものにまとめてしまうのは、あるいは暴挙と言えるかも知れません。

しかしシルバー・バーチは単純で基本的な真理───いやしくも思考力を具えた者であれば老若男女のすべてが理解できる真理をくり返しくり返し説いたのであって、決して二千ページも要するほど難解な哲理を説いたのではありません。

私はこれまで紹介したものだけで十分シルバー・バーチの言わんとしていることは尽くしていると確信します。

 願わくば読者諸氏が、シルバー・バーチが繰り返し繰り返し説いたごとく、それを繰り返し繰り返し味読されることを希望します。恩師の間部先生がよく、霊界の前売券を買っておきなさい、と言われたのを思い出します。

宗教とか信仰はどうかすると地上生活を忌避する方向に進みがちですが、スピリチュアリズムだけはむしろ、死後の存在を現実のものとして確信することによって、地上生活を人間らしく生きよう、

地上生活ならではの体験を存分に積んでおこう───楽しみもそして苦しみも───という積極的な生活態度を生んでくれます。それは〝前売券〟を手にしているという安心と自信が生んでくれる。間部氏はそういう意味で言われたのではないかと思うのです。


 そしてそれが、図らずも、シルバー・バーチの訓えの中枢でもあります。

では最後にシルバー・バーチのしめくくりの霊言と神への祈りの言葉を紹介して本稿を閉じることにします。


 「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を、もとより十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信をもっております。自分が偉いと思っているというのではありません。

私自身はいつも謙虚な気持です。本当の意味で謙虚なのです。というのは、私自身はただの道具に過ぎない───私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギーとインスピレーションを授けてくれる高級霊の道具にすぎないからです。

が私はその援助の全てを得て思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。

 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語ることが出来ます。霊団が指示することを安心して語っていればよいのです。

威力と威厳にあふれたスピリットの集団なのです。進化の道程をはるかに高く昇った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです。

 私には出しゃばったことは許されません。ここまではしゃべってよいが、そこから先はしゃべってはいけない、といったことや、それは今は言ってはいけないとか、今こそ語れ、といった指示を受けます。

私たちの仕事にはきちんとしたパターンがあり、そのパターンを崩してはいけないことになっているのです。いけないという意味は、そのパターンで行こうという約束が出来ているということです。

私よりすぐれた叡知を具えたスピリットによって定められた一定のワクがあり、それを勝手に越えてはならないのです。

 そのスピリットたちが地上経綸の全責任をあずかっているからです。そのスピリットの集団をあなた方がどう呼ぼうとかまいません。とにかく地上経綸の仕事において最終的な責任を負っている神庁の存在なのです。

私は時おり開かれる会議でその神庁の方々とお会い出来ることを無上の光栄に思っております。その会議で私がこれまでの成果を報告します。するとその方たちから、ここまではうまく行っているが、この点がいけない。だから次はこうしなさい、といった指図を受けるのです。

 実はその神庁の上には別の神庁が存在し、さらにその上にも別の神庁が存在し、それらが連綿として無限の奥までつながっているのです。

神界というのはあなたがた人間が想像するよりはるかに広く深く組織された世界です。が地上経綸の仕事を実施するとなると、こうした小さな組織が必要となるのです。

 私自身はまだまだ未熟で、決して地上の一般的凡人から遠くかけ離れた存在ではありません。私にはあなたがたの悩みがよくわかります。私はこの仕事を通じて地上生活を長く味わってまいりました。

あなたがた(列席者)お一人お一人と深くつながった生活を送り、抱えておられる悩みや苦しみに深く係わりあってきました。が、振り返ってみれば、何一つ克服できなかったものがないこともわかります。

 私たちはひたすらに人類の向上の手助けをしてあげたいと願っています。私たちも含めて、これまでの人類が犯してきた過ちを二度と繰り返さないために、正しい霊的真理をお教えするためにやって来たのです。そこから正しい叡知を学び取り、内部に秘めた神性を開発するための一助としてほしい。


そうすれば地上生活がより自由でより豊かになり、同時に私たちの世界も、地上から送られてくる無知で何の備えも出来ていない厄介な未熟霊に悩まされることもなくなる。そう思って努力してまいりました。

 私はいつも言うのです。私たちの仕事に協力してくれる人は理性と判断力と自由意志とを放棄しないでいただきたいと。私たちの仕事は協調を主眼としているのです。決して独裁者的な態度を取りたくありません。ロボットのようには扱いたくないのです。

死の淵を隔てていても、友愛の精神で結ばれたいのです。その友愛精神のもとに霊的知識の普及に協力し合い、何も知らずに迷い続ける人々の肉体と心と霊に自由をもたらしてあげたいと願っているのです。

 語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反撥を感じ理性が納得しない時は、かまわず拒絶さなるがよろしい。人間には自由意志が与えられており、自分の責任において自由な選択が許されています。

私たちがあなたがたに代って生きてあげるわけにはまいりません。援助は致しましょう。指導もしてあげましょう。心の支えにもなってあげましょう。が、あなた方が為すべきことまで私たちが肩がわりしてあげるわけにはいかないのです。

 スピリットの中には自らの意志で地上救済の仕事を買って出る者がいます。またそうした仕事に携われる段階まで霊格が発達した者が神庁から申しつけられることもあります。私がその一人でした。私は自ら買って出た口ではないのです。が依頼された時は快く引き受けました。

 引き受けた当初、地上の状態はまさにお先まっ暗という感じでした。困難が山積しておりました。がそれも今では大部分が取り除かれました。まだまだ困難は残っておりますが、取り除かれたものに比べれば物の数ではありません。


 私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい───持てる知能と技能と天賦の才とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生を享けた真の目的を成就することにつながり、死と共に始まる次の段階の生活に備えることにもなる。そう願っているのです。

 こちらでは霊性がすべてを決します。霊的自我こそ全てを律する実在なのです。そこでは仮面も見せかけも逃げ口上もごまかしもききません。すべてが知れてしまうのです。

 私に対する感謝は無用です。感謝は神に捧げるべきものです。私どもはその神の僕にすぎません。神の仕事を推進しているだけです。よろこびと楽しみを持ってこの仕事に携わってまいりました。もしも私の語ったことがあなたがたに何かの力となったとすれば、それは私が神の摂理を語っているからにほかなりません。


 あなたがたは、ついぞ、私の姿をご覧になりませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。が信じて下さい。私も物事を感じ、知り、そして愛することの出来る能力を具えた実在の人間です。

こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。

 では最後に皆さんと共に、こうして死の淵を隔てた二つの世界の者が、幾多の障害をのり超えて、霊と霊、心と心で一体に結ばれる機会を得たことに対し、神に感謝の祈りを捧げましょう。

 神よ、忝(カタジケナ)くもあなたは私たちに御力の証を授け給い、私たちが睦み合い求め合って魂に宿れる御力を発揮することを得さしめ給いました。あなたを求めて数知れぬ御子らが無数の曲りくねった道をさ迷っております。

幸いにも御心を知り得た私たちは、切望する御子らにそれを知らしめんと努力いたしております。願わくはその志を佳しとされ、限りなき御手の存在を知らしめ給い、温かき御胸こそ魂の憩の場となることを知らしめ給わんことを。

 では神の御恵みの多からんことを。」                                                                                                                                                シルバー・バーチ
  



       あとがき

 シルバー・バーチとバーバネルに関しては、本文と 「遺稿」で十分紹介されていると思うので、ここで改めて付け加えることは何もない。

 そこで最後に私とシルバー・バーチとの出会いと、その霊言をこうした形で紹介するに至った経緯について述べておきたい。

 そもそも私がシルバー・バーチ霊言集に接したのは大学二年の時だった。当時 (昭和三十年頃)、東京には日本心霊科学協会のほかにもう一つ、浅野和三郎氏の系統を受け継いだ心霊科学研究会というのがあった(現状については寡聞にしてよく知らない)。

 ある日、別にこれといった目的もなしに事務所を訪ねたところ、月刊雑誌 「心霊と人生」 主幹の脇長生氏が私が英文科生であることを知って 「サイキックニューズ」 という英字新聞を手渡し、これを持って帰って何かいい記事があったら訳してみてくれないかと言う。

言われるまま下宿に帰ってからページをめくっているうちに、例のインデアンの肖像画とともにシルバー・バーチの霊言が目についた。

その肖像画から受けた印象は、それまで西部劇映画などから受けていたインデアンの印象とはまったく違った、一種名状しがたい威厳と叡智に満ちた賢人のそれだった。

 霊言の英文を一層その感を深くした私は、これを訳したいとも思ったが、当時のお粗末な英語力ではとても自信がなく、何かほかの簡単な心霊現象に関する記事を訳し、それが 「心霊と人生」 に載って感激したのを憶えている。それが私にとって最初の翻訳であり、活字になったのもそれが最初だった。

 しかし印象という点ではその時に受けたシルバー・バーチの印象の方がよほど強烈で、その後ずっと忘れられず、サイキックニューズ社から次々と霊言集を取り寄せることになる。

最初に届いた Teachings of Silver Birch (一九三八年発行)は果たして何度読み返したか知らないが、とにかく余ほど読み返したに相違いないことは、ページが全部バラバラになってしまっていることからも窺える。

また至るところに見られる赤鉛筆による下線部分を読むと、当時の私がどんなことに悩んでいたか、何を知りたがっていたかが判って興味ぶかい。

 とにかくシルバー・バーチとの出会いは私の思想と人生を方向づける決定的な意味をもつものであった。僭越かも知れないが、シルバー・バーチはバーバネルの支配霊であったと同時に私の精神的指導霊でもあったと表現して、あながち間違いではないかと思ってるほどである。

 さて、その出会いから四半世紀後の一九八〇年八月末のことであったが、福岡の手島逸郎氏 (日本心霊科学協会評議員) から、福岡支部で発行している 「心霊月報」 に何か寄稿してほしいとの依頼があった。その依頼の手紙を読み終えたとたんに 「シルバー・バーチ」 の名が浮かび、ずっと脳裏から離れなかった。

 そしてさっそく九月から霊言集の翻訳と編纂に取りかかったのであるが、十月に入った頃から、ふと、英国へ行ってみようかという気になり、それが日増しに強くなっていき、十月末ごろにはすでに行くことに決めて準備に取りかかっていた。

 準備には渡航のための準備もあったが、もっと大切なこととして、バーバネル氏やテスター氏といった、向うで是非会うべき人々との面会の日程を組むために先方の都合を聞かねばならない。同時に私は高校生対象の英語塾を開いている関係で、冬休みか夏休みにしか行けない。

どっちにしようかと迷ったが、とにかく気が急くので冬休みを選んだ。本文でも言及したが、もしも翌年の夏休みにしていたら、この世でバーバネル氏に会うことはなかったことになる。私の背後霊が急がせたわけもあとで納得がいった。

 バーバネル氏に会ったことで霊言集の翻訳に拍車がかかったことは言うまでもない。「心霊月報」 は四、五回連載したところで都合で休刊となったが、私の筆は自分でも不思議なほど渉るので、発表の場を日本心霊科学協会の 「心霊研究」 に移して、もう一度最初から連載していただいた。

(当時の編集主幹梅原伸太郎氏の理解と積極的好意に対し、ここに深甚なる謝意を表したい。それなくしては私の筆はその時点で挫折していたかも知れない。)

 バーバネル氏の訃報が入ったのはその頃だった。梅原氏の要請で 「モーリス・バーバネル氏を偲んで」 と題する一文を書いたが、その結びの節で私はこう述べた。

 「それにしても、ほぼ半世紀にわたって脈々と続いてきたシルバー・バーチの霊言がこれでついに途絶えるのかと思うと、学生時代から四半世紀にわたって愛読してきた私には、ただ惜しいという気持とは別に、何か一つ大きな時代が去ったような心細い感慨が、ひしひしと身に沁みるような思いがいたします。」

 もちろんこれは私の人間としての感慨である。バーバネルほどの人物に哀悼の念など贈る必要はない。そもそもシルバー・バーチは霊界の人間であり、バーバネルも今そこへ逝った。地上での使命が終わってホッとしていることだろう。

私もいずれはそこへ行く日が来る。そして多分バーバネルに、そして若しかしたらシルバー・バーチにも会えるかもしれない。その時に、〝よくぞやってくれた〟と言われたい。

そう言われるような仕事を残したい。私はそんな気持を抱えながら本稿の執筆を続け、どうにか、まる二年を掛けて仕上げたのだった。

 いま、その全十一巻を一冊の本にまとめ上げて、何という無謀なことをしたのだろうという、あたかも過ちを犯してしまった時のような気持がふと湧くことがある。

 が、何度も説明してしてきたようにシルバー・バーチは決して難解な哲学を延々と説き続けたのではない。誰れにでも理解できる平凡な霊的真理を平易な言葉で繰り返し繰り返し説いてきたのである。私は決して弁解して言うのではなく、私の理解力の範囲で確信して言うが、シルバー・バーチの説かんとしたことは本書が一応その全てを尽くしていると考えていただいて結構である。

 むしろ私が真に恐れているのは、シルバー・バーチの流麗なる文体と、その後聞くことを得た生の声が伝える威厳に満ちた雰囲気を、果たして私の訳文がどこまで伝え得たかということである。

 が、これに対する答えはきわめて明瞭である。満足のいくほど十分に伝え得たはずはまずない。何となれば私はまだ五十そこそこの地上の人間であり、シルバー・バーチは三千年を生きた霊界のはるか上層部のスピリットだからだ。

 願わくは、拙い私の拙い翻訳から、その雰囲気の何分の一かでも読み取っていただければと思う。同時にシルバー・バーチの霊言の中に、他の何ものからも得られなかった新たな教訓を発見され、あるいは生きる勇気を鼓舞され、さらには霊的真理を知るよろこびを味わっていただければ、まる二年を掛けた私の努力も無駄でなかったという慰めを得ることが出来る。少なくとも私は終始そう祈りながら執筆したことを付記しておきたい。

 ちなみに本書の原典となった霊言集(ほとんどのものが絶版)は次の通りである。


   Teachings of Silver Birch               (1938) 
 
  Silver Birch Speaks                         (1949) 

   Silver Birch Anthology                     (1955)  

   Guidance from Silver Birch              (1966) 

   More Philosophy of Silver Birch       (1979) 

   Light from Silver Birch                      (1983) 

   More Teachings of Silver Birch        (1941)

   Wisdom of Silver Birch                     (1944)   

   More Wisdom of Silver Birch            (1945)

   Silver Birch Speaks Again                (1952)

   Philosophy of Silver Birch                 (1969) 

   Psychic Press Ltd.、  London


 

 
   
 ●遺稿

 シルバー・バーチと私                                             モーリス・バーバネル 
                                                                                                         近藤千雄 訳

 私と心霊との係わりあいは前世にまで遡ると聞いている。もちろん私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において 「サイキック・ニューズ」 紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、こんど生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束をしたそうである。

 私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを初めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八才の時のことで、およそドラマチックとは言えない事がきっかけとなった。

 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンで最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと私のことを褒めてくれていた。

 実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん初めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終って初めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。

そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。


 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。

母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないからぜひ同伴してほしいと嘆願しても、頑として聞かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。

理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った。


 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく上で、その背景として必要だと考えたからである。

 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終ると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないとと述べ、従ってそれをまったく持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、〝調査研究の体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしも本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟 と尋ねた。

 〝ええ〟 私はついそう返事をしてしまった。しかし〝結論を出すまで六か月の期間がいると思います〟 と付け加えた。日記をめくってみると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今もなお研究中だが・・・・・・

 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。

 若い者も老人もいる。あまり好感はもてなかったが、まじめな集会であることは確かだった。

 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。

少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが〝死者〟である、ということを得心させる証拠は何一つ見当らなかった。


 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり 〝居眠り〟をしてしまった。目を覚ますと私はあわてて非礼を詫びた。

ところが驚いたことに、その 〝居眠り〟 をしている間、 私がレッド・インデアンになっていたことを聞かされた。


 それが私の最初の霊媒的入神だった。何をしゃべったかは自分にはまったく分からない。が、聞いたところでは、シルバー・バーチと名告る霊が、ハスキーでノドの奥から出るような声で、少しだけしゃべったという。

その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いていただいている。地味ながら人の心に訴える (と皆さんが言って下さる) 響きとは似ても似つかぬものだったらしい。


 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルができた。シルバー・バーチも、回を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。

コントロールするということは、シルバー・バーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまく行くようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。


 始めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身に分らないのは不当だ、という生意気な考えのせいであったろう。

 ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会を終ってベッドに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言とともに、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演してまわったことがある。

延べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。


 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も、一九三二年に心霊新聞 『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別の形をとり始めた。

 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバー・バーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓をひとにぎりの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝ずきの男なので、それをできるだけの大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』 紙に連載するのが一ばん得策だという考えを示した。

 始め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、ずいぶん議論したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 が、もう一つ問題があった。現在シルバー・バーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニック・ネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。

そこで選ばれたのが  「シルバー・バーチ」 (Silver Birch) だった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺の木(シルバーバーチ)の絵はがきが入っていた。


 その頃から私の交霊会は、 「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」 と呼ばれるようになり、スワッハー亡きあと今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が 『サイキック・ニューズ』 紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長いあいだ編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いているほどの魅力は感じなくなるものである。

 シルバー・バーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバー・バーチは彼女のことをいつも、the scribe (書記)と呼んでいた。
 
 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ、会の全てが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、のとシルバー・バーチからの要請があり、私もそれに同意した。

 私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバー・バーチが私の肌にピンを突きさしてみるように言ったことがある。血が流れ出たらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

 心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格にすぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話のようなものかも知れないが、電話と違ってこちらは生きものなのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。

霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。


 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものをあとで読んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバー・バーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書き込むほかは、一点の非の打ちどころもないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時おり混ざっていることである。

 シルバー・バーチが (霊的なつながりはあっても) 私とまったくの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

 ある時シルバー・バーチがシルビアに向って、〝あなたがたが解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう〟  と約束したことがあった。

当時私たち夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバー・バーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。


 むろんロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私たちはその日が待遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭の挨拶の中で、私たち夫婦しか知らないはずの事柄に言及したことから、レッドクラウドはすでに事情を知っているとの察しがついた。

 交霊会の演出に天才的なうまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終るぎりぎりまで隠しておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向い、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。

暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた。そしてその奥から、紛れもないシルバー・バーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。


 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二ーナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバー・バーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

 私の身体を使ってしゃべったシルバー・バーチが、こんどはメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

 ほかにも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげてほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですがレッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバー・バーチが現われて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだというのである。

 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会に招待した。戦死した息子さんが両親と 〝声の対面〟 をしたことは言うまでもない。




 訳者付記

 ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界直後に、週刊紙 『サイキック・ニューズ』 の一九八一年七月下旬号、及び月刊誌 『ツー・ワールズ』 の八月号に掲載されたもので、原文にはタイトルはないが、便宜上訳者が付した。