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 3  悪魔                        世界心霊宝典ⅰ霊訓 十二節
 2  霊力を受けるのに最も適した心がけとは    モーゼスの霊訓5節
 1   霊媒の誕生    ───三人の例  〔エステル・ロバーツ Mrs. Estelle Roberts〕
   〔オズボン・レナード G. Osborne  Leonard〕ヘレン・ヒューズ Mrs.   Helen Hughes








 
       悪 魔         2019-5/7 世界心霊宝典1霊訓 12節 ℘132 

  想像の産物に過ぎぬ〝悪魔〟の問題で心を悩ますことは止めることである。真摯なる者、純真なる者、誠意ある者にとっては神学がまことしやかに説く悪魔も閻魔も存在せぬ。

悪は近づけぬのである。邪霊は逃げ去り、悪の勢力も彼らの前では無力となる。そのまわりは天使によりて保護され、明るき霊の支配を受け、進むべき正しき道へと導かれる。

 彼らの前途にはかぎりなき知識と、彼らの知性を昂揚し気高くする全てのものが待ちうけている。悪魔などは、自ら創造せぬ限り、恐れるに足らぬ。善性への親和力が善なるものを引き寄せるのである。まわりには守護に当る霊が控え、自ら求めぬかぎり邪霊の餌食とはならぬ。悪の誘惑や罠が特別免除というのではない。

試練の時に味わわされる雰囲気も免れることは出来ぬ。魂が悲しみと懊悩の暗雲に被われ、罪の重荷に打ちひしがれるやも知れぬ。すなわち、あたりに見る不幸と悪に己れの無力さを感じ、良心の呵責に苦しめられることもあろう。が悪魔が彼らを囚(トリコ)にし、あるいは地獄へと引きづり下ろすなどということは絶対にない。

そうした懊悩も悲しみも良心の呵責も、所詮は魂の経験の一部であり、その体験の力を摂取して、魂は一段と向上して行く。それは進歩の手段として守護霊が用意せる試練であり、故に細心の注意をもって悪の勢力から保護してくれているのである。

 悪を好み、霊性の発達を欠き、肉体的欲望に偏れる者のみが、肉体を棄てたのちもなお肉体的欲望を棄て切れぬ同質の未発達霊を引き寄せるのである。悪の侵入の危険に曝されているのは、そうした類の人間のみである。その性壁そのものが悪を引き寄せる。

招かれた悪が住みつくのである。そうした人間が、地上近くをうろつきまわり、隙を見ては侵入し、われらの計画を邪魔し、魂の向上のための仕事を挫折させんとする霊を引き寄せるのである。さきに汝は軽率にも霊界通信なるものがいい加減にして益になるとは思えぬと述べたが、それは全てそうした低級なる邪霊の仕わざである。

 友よ、汝はその点の理解を誤っている。低級なる人間が自ら招いたる霊の仕わざをもってわれらを咎めてはならぬ。咎めらるべきは聖純なるものや高尚なるものを嫌い、低俗にして下劣なるものを好む他愛なき人間的愚行の方である。

かの愚かなる法律をまず咎めよ。単なる風習と流行によって助長されたにすぎぬ愚行と罪状によって行く手を阻まれ堕落への道と引きづり下ろされた数多くの人間を、何の準備もなきまま死後の世界へと追いやる法律をまず咎めるべきである。さらには酒場、精神病院、牢獄、そしてそういうものによって増幅されたる情欲と悪魔の如き強欲を咎めよ。

無数の霊が永遠の火刑に処せられるとは実にこのことである。汝らの想像せる物的炎ではない。死後もなお消えやらぬ業欲が炎の如く魂を焼き続けるのである。燃えるだけ燃え、その強欲を焼き尽くして、ようやく魂が清められる。さよう、咎めらるべきは善霊を偽りて汝をごまかし、軽薄と誤りによって汝を翻弄せんと企てる低級霊たちである。

  ───この前後の文をお読みになりたい方は「世界心霊法典1 霊訓 十二節」───


また、死後人間の魂は人間の魂の集まりであるそれぞれの界層が住処となり想像の産物である〝悪魔〟など存在するはずもなく、死後魂は赤裸々になり、邪悪な魂は邪悪な集合体でなければ住めないのです。全てが神の創造物である以上、神の道具として働いている天使たちや善霊さんのエネルギーに優る邪悪な魂など存在し得ないのです。

地上の病み苦しんでいる人々を、ではどうしてすべてを癒すことが出来ないのか?? それは人間には自由意思がある以上、その責任は己が取らねばならないからです。タネを蒔き、その刈り取りは己がするのです。

この法則(因果律)は神でも変えることはできない・・・と言うことです。だから反省と、改心と、お詫び、さらに善行によって罪(カルマ)を消す努力しか寛解に至る道はないようです。





  霊力を受けるのに最も適した心がけとは?      W・S・モーゼス著

霊力そのものは距離や地域に関係なく働くもので、したがって善良な霊力を受けるか邪悪な霊力を受けるかは人間自身の心掛け一つに掛かっていると述べた。そこで私は、ではどういう心がけが最も望ましいかと尋ねた。

 霊的現象に多くの種類があることは汝の知る通りであるが、霊力の行使にもさまざまな方法がある。ある者は身体的特質の故に直接身体そのものが霊力の支配を受ける。

身体的機能が目に見える最も単純な形での霊力の証に適しているのである。この種の霊媒は知的な支配は受けぬ。よって彼らを通じて届けられる情報は取るに足らぬもの、あるいは愚にもつかぬものさえあり、信頼性に欠ける。彼らはあくまで客観的現象を演出することの出来る霊力を証明する手段として使用されるのである。

 要するに彼らは初歩的現象の演出のための道具であると認識してよいが、だからといってその現象が他の種類の霊能力を通じて現れる霊能と比較して重要性が劣るわけではない。霊力の存在を信じさせるための基盤を築く上で不可欠なのである。

 一方、情愛に満ちた優しき性格ゆえに選ばれる者もいる。彼らは物的現象の道具ではない。往々にして霊界との意識的通信の通路でもないことすらある。

それでいて常に霊的指導を受けており、その純粋にして優しき魂は天使の監督のもとにますます洗練され向上していく。そうするうちに徐々に天使からの霊示を意識的に受ける能力が開発されていき、あるいは霊視能力により死後に落ち着くべき住処を垣間見ることを許されることもある。

霊界に住むかつての友が親和力によって彼らに近づき、昼となく夜となく、教化と指導に当たることもある。彼らのまわりには平静と至純なる愛の雰囲気が漂う。実に彼らは地上生活の輝ける模範であり、やがて寿命とともにその地上生活によりて培われた休息と平和の境涯へと旅立つ。
 
 これとは別に、知的能力に優れたるが故に、幅広き知識と奥深き真理の通路として訓練される者もいる。高級なる霊が彼らの思考力に働きかけ、思想を示唆し、知識の獲得と普及の手段とを用意する。その働きかけの方法は実に複雑多岐を極める。

初期の目的達成のために仕組む出来ごとへの配慮には汝らの想像も及ばぬ手段を行使するのである。

 われらにとりての最大の難事は進化せる高級霊からの通信を受け取るに相応しき霊媒を見いだすことである。そうした霊媒はまず精神が受容性に富んでいなければならぬ。受容性の限度以上のものは所詮伝え得ぬのが道理だからである。

次に、愚かなる地上的偏見に捉われぬ者でなければならぬ。若き時代の誤れる思想を潔く捨て去り、たとえ世間に受け入れられぬものでも、真理は真理として素直に受け入れる精神の持主であらねばならぬ。

 まだある。独断主義(どぐま)より解放されねばならぬ。この世的思想から抜け出せぬようではならぬ。神学的独断主義と派閥主義と偏狭なる教義より解放されねばならぬ。己の無知に気づかぬ一知半解の弊に陥ってはならぬ。常に捉われなき、探求心に燃えた魂であらねばならぬ。進歩性のある知識に憧れる者、洞察力に富める者であらねばならぬ。

常により多き真理の光、より豊かなる知識を求める者であらねばならぬ。つまり真理の吸収に飽くことを知らぬ者でなければならぬのである。

 またわれわれの仕事は頑固なる敵対心からの自己主張、または高慢なる出しゃばりと利己心によりて阻害されることがあってはならぬ。さような霊媒ではわれわれは仕事らしき仕事を為し得ぬし、為し得たわずかな仕事というのも、利己主義と独断主義を取り除くことに向けねばならぬ仕末となる。

われわれが求むるのは有能にして真摯なる、そして飽くなき真理探究心に燃えた無欲の心の持ち主である。そのような人材が発見困難であると述べたわけがこれで理解できよう。

まさに至難のわざであり、まず不可能に近い。さればわれらは見出し得るかぎりの最高の人材を着実に鍛練した上で採用する。まずその魂に愛の精神を吹き込み、同時に、己の知的性向にそぐわぬ思想に対する寛容心を養う。

かくすることによって独断的偏見より超脱させ、真理が多面性を有するものであり一個人の専有物ではないとの悟りへの地ならしを行う。そうして魂の成長に合わせて知識を着々と賦与し、基盤さえ出来あがれば、安心して上部構造を築き上げていくことが出来る。かくして霊的真理と思想的性向を徐々に形成し、われらの初期の目標に調和させていく。

 ここに至って多くの者が脱落していく。そしてわれらも、彼らは地上にては真理を受け入れることが不可能なること、また古来の地上的偏見が固く、ドグマ的信仰が容易に拭えざるものであること、それ故、時の流れに任せるほかなく、われらにとって用なきものであることを悟って諦めるのである。

 また真理への完全なる忠実性と、恐怖心も不安も宿さぬ信念は、われらの教化によって着実に培われていくものである。われらは神とその使者たる指導霊への全幅の信頼へ向けて霊媒を導いていく。

そしてわれらが神より許されたる範囲の行為と霊的訓えを忍耐強く待つ心構えを培う。こうした心構えは多くの霊媒に見られる。苛立てる落ち着きなき不満と正反対である。 

 この段階にてまた多くの者が脱落していく。恐怖心と不安に駆られ、疑念に襲われる。古き神学の説く神は自分の如き人間の破滅を今か今かと見守っていると思い、悪魔が自分の如き人間を罠にかけんと油断なく見張っていると思い込む。

確かに古き信仰の基盤は揺さぶられてはいても、まだ新しき信仰基盤は敷かれておらぬ。その間隙に邪霊がつけ入り、揺れ動く心を誘惑する。ついに恐怖に堪りかねた者が脱落し、われらにとりて用なきものとなっていく。

 それでも尚われらは人間のあらゆる利己心を払拭しなければならぬ。われらの仕事には私心の出しゃばりは許されぬ。さもなくば、われらには何も為し得ぬ。霊界からの指導において、人間の身勝手、自己満足、自慢、高慢、自惚れほど致命的なるものはない。

小知を働かせてはならぬ。われらからの知的働きかけの妨げとなるからである。独断主義に偏れる知性は使用しようにも使いものにはならぬ。ましてそれが高慢と自惚れに満ちておれば、近づくことすら出来ぬ。

 いつの時代にも自己犠牲こそが聖賢の最大の徳であった。その時代相応の進歩的真理を旗印にせる予言者たちはみな我欲を滅却して使命に生きた人たちであった。汝らの聖書にその名を留めるユダヤの指導者たちは、無私の純心さをもって誠実な人生を送った。

とくにイエスはその地上生活を通して使命のための最高の自己犠牲と誠実さを身をもって示した偉大にして崇高なる模範であった。イエスの中に、人類の全歴史を通して最大限の、人間の可能性の証を見ることが出来る。

 この世より誤りを駆逐し真理の光をもたらせる人々はみな己に課せられた使命のために無私と献身の生涯を送れる者であった。ソクラテスにプラトン、ヨハネにパウロ、こうした真理の先駆者、進歩の先導者はみな無私無欲の人物───我を張らず、尊大ぶらず、自惚れることを知らぬ人々であった。

一途なる誠実さ、使命への献身、自己滅却、無欲の無さ等々の美徳を最高に発揮した人々である。それなくしては彼らの仕事が成就されることはなかったであろう。もしも私欲に捉われていたならば、その成功の核心が蝕まれていたことであろう。謙虚さと誠実さと一途さがあればこそ成就し得たのである。

 われらが求むる人材とはそのような資質の持ち主である。情愛に溢れ、誠実にして己を出さず、しかも真理を素直に受け入れる性格。一途に神の仕事に目を据え、一切の地上的打算を忘れた性格。かくの如き麗しき魂の持ち主が稀であることは確かである。が、友よ、平静にして、しかも頼れる誠実かつ一途なる哲学者の心を心とせよ。

情愛にあふれる寛容性に富み、いついかなる時も進んで救いの手を差しのべる博愛主義者の心を心とせよ。

さらに報酬を求めぬ神の僕としての無欲の心を心とせよ。神聖にして崇高なる仕事は、そうした心の持ち主を措いて他に成就し得るものはおらぬ。われらもそうした人材を油断なく見守り警戒を怠らぬであろう。神より遣わされたる天使も笑みを浮かべて見つめ、外敵より保護してくれるであろう。


───でも、これでは完全な人格を求めることになります。

 何と! これをもって完全とな? 汝らは〝完全なる霊〟が如何なるものか、皆目知らぬ。知り得ぬのである。想像することすら叶わぬ。忠実なる魂が霊の訓えによって培われ、刻一刻と守護霊に似ていくその過程も汝らは知り得ぬ。われらが植えつけ手がけて来た種子が次第に成長して行く様子は汝らに見えぬ。

汝らに知り得るのは、魂が徐々に美徳を身につけ、より高潔に、より愛すべき人間となりゆくことだけである。右に述べた人格の資質は汝らの用語にして表現し得る限りのものを述べたるに過ぎず、まだまだ完全より程遠く、これより成就し得る完全さを思えば、漠然とそれらしき程度のものにすぎぬ。汝らに完全は有り得ぬ。

死後になお不断の進歩と発達と成長が待ちうけている。汝らの描く完全性も、われらの霊眼をもってみれば、欠点によって汚され曇らされているのである。


───確かにそうかもしれません。でもそれほどの人物は極めて少ないでしょう。

 少ない。少ない。それもようやく芽を出した程度のものに過ぎぬ。われらはそれを地上への働きかけの大切な足がかりとして感謝して育てる。われは完全を求めているのではない。誠実さと一途な向上心、捉われなき受容性に富む精神、聖純にして善良なる心の持ち主である。忍耐強く待つことである。性急は恐ろしき障害となる。

所詮汝らの手の届かぬことに対する過度の用心と不安を捨てよ。われらに任せるがよい。今は外部との接触を避け、忍耐強くわれらの述べたることを吟味するがよい。


───都会の喧噪から隔絶した生活の方があなたたちの影響を受けやすいのでしょう。

〔ここで急に筆跡が変わり、ドクターの例の細かいキチンとした文字から、非常に変わった古書体になり、プルーデンス①と署名された。〕

 騒々しき世界は常に霊的なるものを拒絶する。人間は物的なるもの、すなわち目に見え手に触れ貯(たくわ)え得るものに心を奪われ、死後に霊的生活が待ちうけていることを知らぬ。

あまりに地上的になりすぎ、われらの働きかけに無感覚である。あまりに地臭が強すぎ、近づくことすら出来ぬ。暮らしがあまりに地上的打算に満ちているが故に、死後にも価値の残るものに心を配る余裕をもたぬ。

 それのみに留まらぬ。心が常時そうしたものに捉われ、心静かに冥想する余裕をもたぬために霊的栄養が不足し、魂が衰弱している。霊的雰囲気に力が見られぬ。おまけに身体も仕事の重圧と気苦労のために衰弱している。これではわれらもほとんど近づくことすら出来ぬのである。

 さらに、啀(いが)み合いの情念と不平不満、妬み合いと口論のために、その場が不快な重苦しき雰囲気に包まれている。悉(ことごと)くわれらにとって障害となるものばかりである。

無数の悪徳の巣、忌まわしき誘惑、そしてその不徳と罪悪に魂を奪われし人間のあふれる大都会には邪霊の大群がうろつきまわり、破滅の道へ引きずり込まんとして虎視眈々(こしたんたん)とその機を窺っている。多くの者がその餌食となって悲劇への道を辿り、それだけわれらの悲しみを増し、手を煩わすことにもなるのである。

 冥想の生活こそわれらとの交信にとりて最も相応しきものである。もとより行為の生活が無用というのではない。両者の適度な取り合わせこそ望ましい。煩わしき気苦労もなく、過労による体力の消耗もなき時こそ最も冥想に入り易い。

しかし魂の奥底に、それを求める欲求がなければならぬ。その欲求さえあれば、日常の煩事も世間の誘惑も、霊界の存在の認識と霊との交わりを妨げることは有り得ぬ。が、やはり環境が清浄にして平穏な時の方がわれらの存在を知らしめることが容易である。




 
   霊媒の誕生
   ───三人の例
 
 前章までの様々な心霊現象の話を読まれて「それはいいとして、一体霊媒は自分に霊能があることをどうやって発見するのか。何か共通したパターンがあるのか」と言う疑問を持たれる方も多かろうと思う。事実それがあるのである。それをエステル・ロバーツ、オズボン・レナード、ヘレン・ヒューズの三人を例にしてみたい。



      エステル・ロバーツ Mrs. Estelle Roberts

 まずエステルであるが、最初に心霊体験をしたのは八歳の時であった。そしてそれは八歳の少女にとってはあまり楽しい体験とはならなかったようだ。というのは、父親から〝ウソを言った〟とひどく叱られたからである。

 ある日の朝、三階の部屋でお姉さんといっしょに学校へ行く仕度をしていた時、窓を三度叩く音がしたので二人はびっくりした。と同時に部屋が急に暗くなった。まるで大きな雲に被われたようだった。
 
 エステルはどうしたのだろうと驚きながら見上げた。その時彼女が見た光景に姉が仰天するといけないと思い「上を見てはダメよ、姉さん!」と叫んだ。が見るなと言われると見たくなるものだ。姉もとっさに見上げた。そして、あまりの異様さにキャッと叫んだまま気を失ってしまった。

 二人が見たものは光り輝く鎧をまとった騎士の姿だった。エステルはそれをじっと見すえた。窓の外の宙に浮いているように見える。伸ばし切った腕の先にはギラギラと輝く剣が握られている。その鋭い眼光がうら若い少女の両眼とかち合った。その時、騎士が何やらうなづいた。次の瞬間、その姿はもうなかった。半世紀たった今でもエステルはその騎士の顔つきを鮮明に覚えている。
 
 さて姉の異様な叫び声を聞いて駆け上がって来た父親にエステルは今見たものを正直に語った。すると父親はそのあまりに突っ飛な話に「ウソをつくんじゃない。お前の見たものはただのコウモリだ!」と叩きつけるような言い方で否定した。しかしエステルはその後ずっと、この異常体験を自分の人生の使命の始まりであったと見ている。その時見た騎士が再び姿を見せたのはエステルが中年になってからのことであった。

 学校ではエステルは一見ごく普通の女の子だった。が一つだけ違ったところがあった。それは何かと言うと〝声〟が聞こえるとか〝姿〟が見えるというのである。それで友達はみんなエステルのことを〝夢見屋さん〟と呼んだ。そうした声にエステルがどの程度心を奪われていたかは知る由もない。両親に話して聞かせても、信心深い善人ではあったが、少し空想の度が過ぎると言って相手にしてくれなかった。

 エステルが最初にした仕事は子守で、十五歳の時だった。その時考えたことは、子守の仕事に忙しくしていたら変な現象も起きなくなるのではないかということだったが、ウバ車を押して歩いていると、相変わらず何人かの姿があとからついて来るし、その話声も聞こえる。その話の内容は自分の知らないことや想像もつかないことばかりだった。

 それでもエステルは自分が霊能者であることが理解できずに、相変わらずそうした現象を押さえつけようとしていたが、そのうち自分は他の女の子とは違うのだという自覚を迫られているような気がし始めた。わけが分からないエステルは気狂いになるのではないかと心配になってきた。

 二年後の十七歳のときに結婚し、とても愛情深い人だったので何もかも打ちあけた。ご主人はエステルの気持ちはよく理解してくれたが、スピリチュアリズムについては何の知識もなかったので、自分妻は〝変人〟かも知れないと考えたりした。

 そうしたある夜のこと、ベッドで横になっていると、一人の姿が部屋を横切るのを霊視した。それが夫の叔母であることを確認したエステルは「あなたの叔母さんが亡くなられたようよ」と夫に言った。当然のことながらご主人は「なぜそんなことが分かるのか」と聞いたが、説明のしようがないので「でも、それが分かるのよ」と言った。翌朝早く、昨夜おばが死んだことを告げる電報が届いた。

 それからエステルにとって苦難の時代が訪れた。もともと頑健でなかった夫が大病を患ったのである。夫を看病するかたわら三人の子供を育てなければならない。〝声〟が頑張れと励ましてくれるのだが、何だか彼女自身にはその〝声〟の主たちが不幸を運んでくれているような気がしてならなかった。そして或る日、霊の一団が夫のベッドのまわりに集まっているのを見て、エステルは夫に別れを告げる時が来たと悟った。三人の子供を家の外に出し、夫と二人きりになって最後の瞬間まで看病してあげた。夫が決して治らないことは霊的に知らされていたのである。ベッドに寄り添い最後の時を待っていた。

 いよいよこの世との別れの時が近づいた時、二人の霊がいっしょに寝ずの番をしているのが見えた。夫の両親だった。夫が最後の息を引き取った時、一本の細い透明に近い紐が頭部から離れていくのが見えた。同時に、それによく似た絹のような物質が他の箇所から出て来て、やがていつもの夫の姿になった。ベッドに横たわっている身体と生き写しでありながら、しかもまったく別の存在であった。それがゆっくりと視界から消えていった。それといっしょに、夫の死を手伝いに来ていた霊界の医師(複数)もその場を離れた。わが子を迎えに来ていた両親もまた消えた。

 葬儀には参列者はほとんどいなかった。悲しみに暮れる若き未亡人に優しく言葉をかける人は一人もいなかった。エステルは一人さびしく墓場に立っていた。三人の子供と、これから待ちうける心細い将来を思うと、自然に涙があふれて頬をつたった。

 その時、思いもよらないところから励ましの声がかかった。牧師が埋葬の祈りを述べている時、ふと墓を見ると夫の柩の上に夫の姿が見えた。容貌まで見えるほどはっきりとした姿だった。夫はニッコリと笑みを浮かべて彼女をみつめた。その時「絶望してはダメよ」という励ましが彼女の体に流れ込むような感じがした。

 「灰を灰に、塵を塵に返せよ」──そう牧師が読み上げた。がその時はもう彼女はその言葉に悲しみを覚えなかった。「その瞬間私は夫が本当に私から去ってしまったのではないことを悟ったのです。」これで心の支えは得られた。しかし今度は物質的な問題に直面しなければならない。その一つは如何にして子供の養育費をまかなうかということであった。

 それからイヤな職探しが始まった。そしてやっと見つけたのは遠くのカフェのウェイトレスであった。これが大変な仕事だった。朝七時に家を出て夜十一時より早く帰れることはなかった。やっと帰ってくると翌朝の食事の世話をしなくてはならない。くたくたに疲れる毎日だったが、それでも心霊能力だけは一向に衰えなかった。彼女は言う───

 「毎日疲れた足をひきずりながらカフェの床を歩いていると〝声〟が聞こえるし〝姿〟が見えるのです。お相手をしてる客の頭上に〝天使〟の姿が見えるのです。そんなお客さんには、今思うと、その方たちが食べておられたソーセージやチップスよりもはるかにいいものを出してあげることも出来たわけです。霊的なことをちゃんと理解していたら、その話を出すことも出来たでしょう。」

 がもしもそんなことをしたら気狂い扱いにされて、恐らくクビにされると考えて口にしなかった。それでよかったのである。

 がついに運命の転換期が訪れた。近所の人が彼女をスピリチュアリスト教会の行事に誘ったのである。すると主催者の霊視家がエステルを呼び出して「あなたは生まれながらの霊媒です。世の中のために大きな仕事をなさる方です」と告げた。

 子供の頃から見つづけ聞きつづけてきた姿と声についてまともな説明を聞いたのはこれが初めてだった。が、まだスピリチュアリズムの仕事に身を投じる気にはなれない。何かそれを保証してくれるしるしがほしかった。そこでそのことをその霊視家に打開けた。

 経験豊かな霊視家は一つの方法をすすめた。それは毎晩テーブルに向かってただ座ることだった。そうすればきっとしるしがあるはずだと言われた。彼女は同意した。言われた通りに座り、それを六日間続けた。が何のしるしもない。疑念が頭をもたげ、いい加減イライラしながら七日目の番も坐った。そして予定時間を終えると、ついに腹を立てて立ち上がり、こう一人ごとを言った。

 「もうやめた! スピリチュアリズムはこれでおしまいだ!」
 彼女は子供の部屋へ行こうと、ドアの方へ歩を進めた。すると何者かが首の後ろを押さえるのである。ドアに近づく間ずっと押さえ続けている。何だろうと思って振り返ると、なんと、さっきまで向かっていたテーブルが宙に浮いて、その一本の脚が彼女の首を押さえていたことがわかった。テーブルは相変わらず何の支えもないのに天所と床の中間に浮いたままである。驚いて見ていると、テーブルがす───と後戻りして、ゆっくりと元の位置に降りた。

 テーブルに手を置いているとラップで通信が送られてくる話を聞いていた彼女は、一つ試してみようと思った。早速テーブルに向かって座り、手を置くと案の定、ラップが起きた。あらかじめ聞いていた符号──一つの時はa、二つはb、三つはc、等々──で綴ってみると次のようなメッセージになった。

 「私ことレッドクラウドは人類のためにやってきた。」
 これが彼女にとって司配霊との最初の意識的連絡であった。それは又、それから四十年にわたって何千何万もの人々に慰めを与えた偉大なる仕事のはじまりでもあった。



   オズボン・レナード   G. Osborne  Leonard

 ケント州の海岸沿いにある田舎町タンカートンの小さな家で、世界のどの立派な劇場より多くのドラマが演じられていた。そこが〝イギリス女性霊媒の女王〟とまで言われるレナード夫人の自宅であった。

 そこでは生者と死者との再会が何百回イヤ何千回も行われていたのである。その生と死を主役とするドラマに比べると、大劇場における人口のドラマも影が薄くなる。そのレナード夫人がはじめてトランス現象を体験したのは、奇妙なことに、レパトリ劇団(注3)の一員として各地を回ってる時にロンドン・パレイディアム劇場  London Palladiumの舞台の下で友人二人と実験をしていた時であった。それについては後にくわしく述べよう。

 そのレナード夫人がその名を世界に知られるようになったのは、英国が誇る世界的物理学者オリバー・ロッジ卿 Sir  Olver  Lodge が彼女のことを激賞したからであった。ロッジ卿ははじめ匿名でレナード夫人の実験会に出席していたが、第一次大戦で失った息子のレーモンドからの通信を受け、それが紛れもなく本人のものであることを確信するに及んで、その証拠を「レーモンド」ほか二、三の書物にまとめて公表したのだった。

 さて、レナード夫人に会ってみると少しも気取らない控えめな女性なので、まさかこの人が世界的な入神霊媒であるとは信じ難いほどである。霊能は小さい頃、誰にも見えないものが見えることから始まった。朝目を覚まして着替えをしている時や子供部屋で朝食をとっている時などに、突如知して眼前に美しい景色が展開することが毎日のように起きるのだった。どっちの方角を見ても、壁もドアも天井も消え失せて、かわってなだらかな坂、美しい土手や樹木、さまざまな形をしたきれいな花の咲き乱れる谷のある景色が展開する。それが何マイルも遠くまで続いているのである。

 幼い彼女にはなぜだかわからないが、その景色は肉眼で見えるまわりの景色より遠くまで広がって見えるのである。難しい理屈はヌキにして、幼いながらに彼女はそれがこの世のものではないものを見ているということを感じていた。そして普通の肉眼で見ている景色や人間と比べたら、その光景の中の景色や人間がいかにきれいであったかを今でも思いだすことができるという。

 そんな或る日のことである。その日は父親がスコットランドへ出張する日なので、子供部屋ではなく下へ降りてみんなで朝食をとることを許された。うれしいので目が覚めるとすぐに跳び起きて部屋着に着がえ、まだ半分目が明かないままテーブルについて正面の壁にその睡い目をやった、すると彼女が〝幸福の谷〟と呼んでいる光景が展開し始めた。普段は口にしないのだが、その朝はつい気軽に父親に言ってしまった。彼女は壁を指さした。その壁には二丁の拳銃が掛けてある以外は何もない。「お前は一体何のことを言っているのかね」父親にそう聞かれて彼女は正直にありのままを説明した。さあ大変である。まわりの家族はみんな慌て、心配し、そして悩んだ。

 最初はみんな「それはお前の作り話だろう。そうだろう?」と言ってみたが、彼女は「でも本当に見えるんだもの」と言い張る。そしてその光景を細かく、あまりに細かく説明するので、これは何か意味があるのだろうと結論せざるを得なかった。それが何であれ、普通でないことには間違いない。父親は二度とそんなものを見るんじゃないヨと強く言いつけた。

 子供というのは心霊能力をごく自然に発揮してることがあるものである。が残念なことに親はそれを病気ではないかと思って抑え込んでしまうのである。がレナード夫人の場合は父親のきつい言いつけにもかかわらず同じ光景を見つづけた。そしてその光景の中に出現する人物と親しくなっていった。

 少し大きくなってから、演劇好きの彼女は両親の驚きをよそに役者になる道を選んで、あるレパトリ劇団に加わって各地をまわった。

 ある町で公開交霊会(デモンストレーション)の広告デモンストレーションを見てのぞいてみた。その時は大して興味を覚えなかったが、なぜかもう一度行ってみたくなって出席したところ、こんどは主催者の霊視家から指名されて、いとこからのメッセージを貰った。霊視家が描写したいとこの容姿は確かにその通りだった。そのことを家に帰ってから母親に告げると、喜んでくれるかと思っていたのとは逆に、きつく諫められ、二度とそんな話を口にするものではありませんと言われた。彼女はそのいとこからのメッセージに自分が将来やることになっている特殊な仕事を予言してくれてるところがあると言ってみたが、母親は二度とスピリチュアリズムと係り合ってはいけませんと、相手にしてくれなかった。

 そのいとこからのメッセージにはまた彼女の結婚相手についての予言も入っていた。ただその相手の男性の容貌があまりにグロテスクなので、とても信じたくなかった。ところがある劇場で自分の出番が近づいたので階段を駆け上がってい
た時、小道具を入れたカゴに足をひっかけてつんのめり、同じ階段を降りかかっていたプロデューサーの両腕に抱きかかえられる恰好になってしまった。彼も同じ出しものに出演していたのであるが、その役柄の衣装とメーキャップが霊視家の説明どおりだったのである。彼は、いきなり自分の腕に抱えられたレナードにキスをした。そして彼女もお返しのキスをした。そして二人は予言どおり結婚することになり、その後ご主人が背中のキズがもとで他界するまで、実に幸せな夫婦生活を送った。
 
 話は戻って、そうした地方巡業のせわしい生活の合間を見つけて、レナード夫人はふたりの友人と三人でテーブル現象の実験を一生懸命やっていた。数えて二十六回までは何の現象も起きなかったが、二十七回目になってようやくテーブルが動き出し、その足が床をコツコツと叩いて通信を送って来た。符合に合わせてみるとフィーダ  Feda  と名のる女性のスピリットからの通信で、レナードはそのうち入神霊媒になると告げてきた。レナード夫人はトランスはきらいだった。がフィーダはそのほうが一ばんいい結果が得られると説明した。ついでに言えば、フィーダはレナード夫人の先祖霊の一人だと言っている。

 さて話はいよいよ最初に述べたロンドン・パレイディアムでの話になる。化粧室はごった返していた。三人は実験をする静かな場所がなくて困っていた。ある夜、もう実験会をやれる見込みはないとあきらめながら劇場の周りをうろついていると、ステージから下へ降りる狭い階段があるのを見つけた。勝手に降りてはいけないのだが、みんなで降りてみた。

 降りてみるとそこは劇場の設備──暖房や照明などのエンジンや機械類が置いてある広い部屋だった。人影はない。これはいい部屋だと三人は思った。壁が厚いので低いエンジンの音以外はほとんど耳に入らない。隅に小ぎれいな場所があった。上の騒音のことを思うと、そこは平和な避難所のようだった。運よく出張から帰ったばかりの御主人に頼んでテーブルと三つの椅子を用意してもらった。見つかったら最後とばかり、それをこっそりと運び入れた。

 それからというもの、彼女たち三人は毎晩のように、ステージに用のない九時から十時までそこで実験会を開いた。成果は上々で楽しかった。フィーダが通信を送ってくるのであるが、そのたびに、そのうちレナードを入神させると言って来た。がそういう現象は一向に起きなかった友人のアグネスとネリー、それにご主人は諦めずにやるように励ましてくれるのだが、レナード自身はいい加減いやになりイライラするようになった。

 ついでに言っておくと、その劇場は新しく建ったばかりで、その劇場を所有する会社の社長であるウォルター・ギボンズ卿 Sir  Walter  Gibbons  が建てたものである。三人はギボンズ卿のことは何も知らないし、今回の上演のために来るまでは会ったこともなかった。

 ある夜のこと、いつものようにレナード夫人はややマンネリ気味になって実験会を開いた。するとフィーダがこれからはテーブルでの通信は止めてレナードを入神させることに集中すると言って来た。その直後のことである。最近顔を知ったばかりのギボンズ卿がそのエンジンルームへ降りて来たのである。そして後ろ手を組んだまま部屋を行ったり来たりしてもの思いに耽っている。三人は薄暗い隅にいるところを見つかりはしないかと冷や冷やしながら押し黙っていた。そのうち卿の目がたまたま三人の方を向いた。ところが以外にも卿は何も言わないで、三人から十五、六メートル離れたところを相変わらず物思いに耽った様子で行ったり来たりしていた。

 「いつになったら行ってくれるんだろう。」
 彼女たちは気が気でなかった。ところが、そうして待っているうちにレナード夫人が異常なほどの眠気を催し始めた。そして自分の霊能に以前にも増して自信がなくなってきた。睡いような疲れたような感じが増してきた。

 「今夜はいつもより暗いのね。私とっても睡いの。ちょっとくらい寝ても上の人たちはわからないでしょう?」けだるそうにそう言いながら、つい寝入ってしまった。やがて目を覚ました時は、自分が何時間寝たのか、それとも何分しか寝ていないのか分からないほどだった。

 が目を覚ました時の二人の仲間の様子は忘れようにも忘れられないほど脳裏に焼き付いているという。アグネスとネリーが彼女の両腕を握り、ひどく興奮した様子でしかも涙が二人の頬をつたっている。

 「一体どうしたというの?」彼女が聞くと
 「大変よ! フィーダがあなたに乗り移って私たちの親戚からのメッセージを伝えてくれたのよ。ネリーのお母さんも通信を送ってわきたわ。すばらしかったわ!」

 こうして始まった入神談話で、フィーダは一九一四年の春に大変な悲劇が起きること、そしてレナードを通じて多くの人々の力になりたいと告げてきた。レナード自身は霊媒を職業とする考えには賛成ではなかったが、彼女を取りまく事情がその道へと引きずり込んでいった。そして予言通り第一次世界大戦が勃発し、無数の人々に悲劇をもたらした。

 霊媒としての資質に恵まれていたレナード夫人はその後急速に名声を高めていった。他の生活面を一切犠牲にした五十年に及ぶ霊媒の仕事を通じて世界的霊媒として知られるようになった。スピリチュアリズムを信じない人、あるいは懐疑的な心霊研究家も、夫人の誠実さと霊媒現象への一途な献身ぶりに賞讃を惜しまなかった。
 
 困難に直面してレナード夫人の霊能にすがった数人の人の中の一人で、のちに夫人の交霊会のレギラーメンバーになった人に、例の劇場のオーナーのギボンズ卿がいる。後に親しくなってからレナード夫人がパレイディアム劇場のステージの下のエンジンルームで初めてあった時の話を持ち出すと大いに笑ったそうである。

 フィーダが大戦を予言し、レナード夫人の入神談話を通じて多くの人々を救ってあげたいと述べたその願いが、半世紀以上にもわたる長い献身的仕事によって実現された。それはフィーダとレナード夫人の顕幽にまたがる宿命的な共同作業の成果であった。レナード夫人の交霊会で見られる大きな特徴は、フィーダが霊界のスピリットのメッセージを取り次ぐ時、一度そのメッセージをくり返して確かめるその声がよく聞こえたことである。

 子供の頃、霊界の光景をしばしば見ていたレナード夫人に、結婚後一つだけ実に奇妙な体験がある。いわゆる幽体離脱現象であるが、ただ単に肉体から出て旅行してきたというだけでないところが興味がある。

 ある夜、肉体から出てベッドの中で苦しんでいる或る男性の部屋へ入って行った。そして自分でもなぜだか分からないのであるが、その人に治療を施した。それから帰ろうとして部屋を出かかったところで激しい咳の発作に襲われた。と、次の瞬間、眼が覚めた。見るとご主人がその発作を耳にして心配そうに夫人を見守っていたのでギョッとしたという。

 ベッドに横になったまま今の幽体離脱のことを思いだしていると、そのベッドで苦しんでいた男性が、かの有名な作家のコナン・ドイル卿であることに気がついた。少し躊躇したが、彼女はその夜の体験をドイル卿に書いて送った。するとそれに対して電報で「すぐ来てほしい」と言ってきた。さっそく行ってみるとドイル卿はこんなことを語った。あの夜は自分は体調が非常に悪かった。部屋のドアは開いており、そこへ一人の女性が入ってきた。そして自分に近づいて治療を施してくれた。「それからその女性は帰りかけた時に激しいセキの発作に襲われました」と。

 肉身を失った数え切れないほどの人々に慰めを与えてきたレナード夫人にも同じ悲しみが訪れた。長い間殉教者のように病苦に耐えてきた夫君が遂にこの世を去った。夫人は悲しまなかった。なぜなら夫君にとっては死こそ苦しみからの解放だったからである。

 それから夫人としては珍しいことをしている。自分自身のための交霊会を開いたのである。夫からのメッセージを聞きたいと思い、姪を呼んで入神中の自分がしゃべることを書きとらせた。案の定、夫から愛情のこもったメッセージが送れてきた。新しい生活の様子や再会した親戚のことを語り、最後に愛の言葉で結んでくれた。

 レナード夫人が私にこんなことを語ってくれた。
 「夫の死によって私は随分多くのことを学ばされました。というのは、死後の新しい冒険をこと細かに話してくれたからです。」

 その夫のメッセージで余生を霊媒の仕事に捧げる決意を固めたという。最後に夫人の得た霊界通信の要約とも言うべき言葉を引用しておこう。

 「私が長年にわたって得た数え切れないほどのメッセージの中で、それを受け入れた人の性格を高め、心を豊かにしない言葉はただの一語もありません。」  



   ヘレン・ヒューズ  Mrs.   Helen Hughes

 ヒューズ女史も子供の頃から心霊体験があった。いつも〝物が見える〟と言うので、メソジスト派の信者であった両親は「この子は少しおかしいのではないか」と密かに心配していた。父親はガラス細工の仕上げ工で、ヘレンは七人の子供の一ばん上であった。

 ヘレンが目に見えない遊び友達の話をしたり、とくにその子供たちが玄関から入ってきて裏口から出ていくところを語った時などは〝バカげた空想〟もいい加減にしなさいと叱られたものだった。

 しかし、いくら叱られても自分ではやっぱり見えるし声も聞こえることを確認していた。というのは実際にその子たちと遊んでいたからである。学校でも先生から同じようなことで叱られている。もっとも、他の生徒にもヘレンと同じものを見た人が大勢いたらしい。

 それはヘレンが十一歳の時のことだった。校舎の入口を入りかけた時、教室の中の窓際に一人の生徒の姿が見える。生徒たちはみんなこれから教室に入るところで、まだ中にいるはずはない。ヘレンは十二、三人いた友達に「あれ見て!」とその窓の方を指さした。すると不思議に全員にその姿が見えるのである。多分うっかりカギをかけられてでられなかったんだろう、ということに話が落着した。

 そこへ先生が近づいて来て何を騒いでいるのですかと聞いた。みんな窓の方を指さして教室の中に生徒が一人いると言った。ところがその時はもう姿はなかった。本当にいたんです、とみんなで説明しても先生は聞き入れてくれなかった。そしてヘレンが悪ふざけの〝主犯〟にされて〝幽霊を見た罰〟として、その姿が見えたという窓際に立たされたのだった。

 この話には面白い後日談がある。何年かしてヘレンも結婚してシェパード姓からヒューズ姓になってからのことであるが、すぐれた霊媒として各地で活躍していた時、グラスゴーでのデモンストレーションで一人の女性がヘレンに歩み寄って成功の賛辞を述べた。その女性こそヘレンを罰として窓ぎわに立たせた先生その人だった。ちょっぴり後悔の情を見せながらこう言った 。 「まあ、ヘレン・シェパードさん、この大成功があの幽霊さわぎから始まったなんて夢見たいですわね。」

 さて話は再び子供時代に戻って、その幽霊さわぎから三年ばかり経った頃また不思議な体験をした。友達と通りで遊んでいた時、ふと空を見上げると〝熱病が流行っている〟という文字がはっきりと見えた。この時は友達の誰一人として見えるものがいなかった。帰ってからそのことを母親に聞かせると、またそんなことを言う、と言って叱られた。が三週間後にヘレンは熱病にかかっている。

 その後学校を出てから仕立て屋に奉公に出るようになってからも、相変わらずものが見えたり聞こえたりした。そして十八歳という若さで鉱夫のトーマス・ヒューズと結婚した。働く婦人としての義務と、もうすぐ四つになる子を頭とする三人の子供の出産と育児に、さすがの異常現象も奥に追いやられたかにみえた。三人目の子を生んでからは背骨に痛みを訴えるようになり、やがて回復不能の重症患者になってしまった。

 それからヘレンにとって悲惨な暗い時代が続く。痛みに加えて、再び心霊現象が起きるようになり、自分で自分の精神を異常ではないかと疑うようになった。彼女がすばらしい霊能を秘めた未完成の霊媒であり大きな使命を持っていることを指摘してくれる人が周りにいなかったのである。次の体験はその使命を物語っている。

 病状がいよいよ悪化して、もはや死を待つばかりの状態になった。親戚の者や友人が別れを告げに集まった。ところが死の床に横たわる病身とはうってかわってヘレン自身は目もくらまんばかりの色とりどりの美しい花園の中を歩いていた。驚いたことに、とっくに死んだはずの中年の婦人に出会った。再会できたうれしさに長々と話がはずんだ。その時ふとこれまでの惨めな身の上とは裏腹に何か新しい活力が湧いてくるような意識がした。それからのことをこう語っている。

 「その何分かの会話のあと、ふと、その言いようのないほど美しい花園の中でもひときわ美しい花が目に入ったので、思わずその花に近づいたのです。すると〝まだだ。お前にはまだ為すべき仕事がある〟という声にさえぎられました。」

 目を覚ますと親戚の者や友人たちが心配そうにのぞき込んでいる。いま見た光景に感動したヘレンは「私は絶対に死にませんョ」と言った。みんな口では「そうとも、死ぬものですか」と言いながら、内心では「まずダメだろう」と観念していた。が、確かに死ぬことはなかったが、それですぐに回復に向かってはくれなかった。それから二年もの間歩くことが出来ず、車椅子を使わなければならなかった。

 絶望と痛みに耐えながら横になっていると、再び死んだはずの人たちの声が聞こえ始め、次にはその姿まで見かけるようになった。彼女はこわくなり、長い闘病生活で正気を失いつつあるのではないかと心配した。多くの医者に連れていってもらったが何の救いにもならなかった。

 そのうちその〝声〟が「起き上がって歩け」と命令するようになった。当時はとても歩ける状態ではなかった。が何とかして立ち上ってみた。そして足を床の上に置いてみると、すっかりマヒしていると思い込んでいた足にまだ生命が通ってることがわかった。〝声〟が頑張れと励ます。その頃から彼女の健康は薄紙を剥ぐように快方に向かい始めた。

 医者が往診に来た時ヘレンはその〝声〟の話をしてみた。すると精神に少し異常を来したのかも知れないと思った医者は、どこか遠くへ休養に行ってはどうかとすすめた。が彼女は〝声〟にますます自信を深め、心を鼓舞されつつあった。人生の曲がり角はもう回り切ったと感じていた。はじめ杖をたよりにゆっくり歩いていたが、やがて杖をかなぐり捨てた。健康は日増しに回復し、〝声〟は強く大きくなり、しかもより頻繁になっていった。
 
 その頃から新たな現象が加わるようになり戸惑うことがあった。壁を叩く音がしたり、ベッドが揺さぶられたりした。そのうち一人の見知らぬ女性が規則正しい姿を見せ、その容貌をはっきりと認めることは出来るのだが一言もしゃべらない。ドアから入ってきてまた出ていくのであるが、時には忽然と消えることもある。そんなことが何ヵ月も続いたが、ヘレンには理屈はともかくとして、それがこの世の人でないことだけは分かっていた。

 ついに彼女は、そんな眠れない夜から逃れるにはその幽霊屋敷を出るしかないと決意し、他の家を探しに夫と連れだって炭鉱事務所を訪れた。まず彼女がいきさつを話すと、一笑に付されると思いきや、逆にそこの役人は大いに理解を示してくれた。ヘレンは「どうか私を気狂いと思わないでください」と言うと理解のある笑顔で「あなたは気狂いなんかじゃありませんョ」と言ってくれた。この役人がヘレンの悩みに真の理解を示した最初の人だった。

 役人はヒューズ氏に向かってこう言った。「奥さんの小指に他の人のからだ全体よりも多くのものが詰まってますよ(注14)。

 ヘレンはその役人は奥さんがスピリチュアリストだったから理解してくれたことを知った。が、その時は、残念ながらその役人はスピリチュアリズムについては一言も触れなかった。そして別の家と言う要求を聞き入れてドードンいうところの家を紹介してくれたに留まった。

 もしもヘレンが新しい家なら異常現象も起きないと考えていたとしたら、それは大きな見当ちがいだった。なくなるどころか、ますます頻繁になったのである。が移転によって一つだけ予期しなかった重要なことが生じた。それは夫のトーマスも〝物を見る〟ようになったことである。おかげで何ヵ月もの間にヘレンに出現した見知らぬ女性を自分でも見ることになって、まじめに取り合ってくれなかった夫も信じるようになった。

 さて、運命が遂にその奥の手を出す時が来た。それは、見かけは冴えないが心霊知識を持った一人の男性が立ち寄ったことに始まる。

 心霊現象に悩まされた夜が明けた早朝のことである。ドアをノックする音がした。外で道路工事をしていた男が紅茶を温めてくれないかというのである。どうぞと言ってヘレンは招じ入れた。

 男を見るとヘレンはなぜか夜中の不思議な現象を打ち明けたいという衝動にかられた。そこで長々としゃべった。死者の声が聞こえたり姿が見えたり、一人の女性が毎晩のようにただ訪れては帰ってゆくので、この調子では頭が変になってしまうのではないか心配だと言った。

 男はヘレンの話を親身になって聞いたのち、ダーラム州訛りまるだしでこう言った。
 「それはそれは奥さん、あんたはこの町一番の果報者ですな。奥さんを毎晩訪ねてくる女性は奥さんを救いにやてくるんです。奥さんはそのち偉い霊媒になります。」

 そしてこんどその女性が出て来たら話しかけてみることですと言った。ヘレンは一度も話しかけたことはなかった。その男はスピリチュアリストだったのである。彼は手短にヘレンの現象を解説し、その目的を説明した。「奥さんはふつうの五感とは別の感覚を使っているだけです。超能力と言うやつですな。千里眼と呼ぶ人もいます。


 彼がそう言った時、ヘレンはある体験を思いだしていた。何年か前にシーハムという港のカフェで手伝っていた時、ノルウェーの船員がヘレンを見て「ねえさん、あんたは天使とおしゃべりが出来るね。お母さんのマーガレットがあんたとあんたの家族を見守っていると、言ってますョ。」

 母親の名前がマーガレットだということはその通りだし、それをその船員が知っているとは変だとは思ったが、船員の言っていることの本当の意味はその時は分からなかった。いま道路工夫が懇切丁寧に、しかも論理的に説明してくれたおかげで、ヘレンはいよいよ人生の曲がり角に来たことを悟った。

 それから六ヶ月、その男は毎日のように訪ねて来てヘレンを何かと励ました。そして最後にスピリチュアリスト教会へ行ってみるようにすすめた。行ってみると霊視家からメッセージをさずかった。その人は全く知らない人であったが、ヘレンのそれまでの体験を全部言い当てて、そのうちあなたも立派な霊媒になりますと言った。

 それはやがて見事に実現することとなった。

(注13)一定の出し物を上演するレパトリ劇場  repertory  Theatre 専属の劇団。
(注14)知恵とか才能が豊かであることの西洋的表現。