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             切抜き 目次





魂の貧しい者は幸いです  
*靴職人  

*霊団の大目的  
悪しき金持ちの話    
死後の魂のあり方を示す法則集
*来世では殺される側を選んだ神父
             の霊
*ユダの野望
*イエスの弟子達
*涙が止まらない物語
*今でも活動しているシルバー
          バーチ霊団
宇宙創造の目的 

*ヒーラーから見た死の直後(MHテス
                  ター)

*小桜姫がみた死の直後(小桜姫物語)
*心霊治療とは何か MHテスター
*武本昌三さんのカルマ
白血病の少年のカルマ
*宇宙の全てが知れる仕組み
種の起源
十界の様子進化向上の果てない道)

霊界の科学館
霊界のカレッジ
創造実験
祈願成就の原理
霊界へ逝って感動した 
        ウィリアムステッド
タイタニック沈没か
        ら始まった永遠の旅


 ^  ・  ^  ・  ^  ・  ^  ・  ^  ・


 



リンク24
2012・8/6 スピリティズムによる福音から
第七章 魂の貧しい者は幸いです  p140

魂が貧しいという事はどういうことか。


一、魂の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。
   (マタイ第五章三)


二、魂の貧しいものは幸いです。信心のない者は、他の多くの金言と同様に、この金言を理解せず、馬鹿にします。

しかし、イエスは知性に貧しい者を意味したのではなく、慎ましい者を意味したのです。

天の国は慎ましい者のためであり傲慢な者のためではないと言ったのです。

教養があり、知性的な人はこの世を見る限り一般的には自分たちを高く評価し、その優秀さを強調し、神の事などその関心に値しないと考えています。

彼ら自身の事だけが心配で、神の事までその考えを持ち上げる事が出来ません。

このように自分たちをあらゆるものより優秀であると考える傾向は、自分たちを優秀と考えるために自分たちを低くするもの否定し、しばしば神さえも否定します。



リンク23  
後なる者先になる事多し” 

靴職人  GVオーエン著  
ベールの彼方の生活(三)p40

靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。

こちらで出迎えた人もほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分如き身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで充分嬉しく思った。

 案内されたところも地上近くの界層の一つで、決して高い界層では無かった。

が今も言った通り彼はそれで満足であった。と言うのも、苦労と退屈と貧困との戦いのあとだけに、そこに安らぎを見出し、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕も出来たからである。

彼にとってはそこがまさに天国であり、皆が親切にしてくれて幸福そのものだった。

ある日のこと(地上的にいえば)彼の住まいのある通りへ一人の天使が訪れた。

 中を覗くと彼は一冊の本をどこと言うことなく読んでいる。

その本は彼がその家に案内されてここがあなたの家ですと言われて中に入った時から其処に置いてあったものである。

天使が地上時代の彼の名前を(何と言ったか忘れたが)を呼ぶと彼はむくっと起き上がった。

「何を読んでおられるのかな」と天使が聞いた。

「別に大したものじゃありません。どうにかこうにか理解できますが、明らかにこの界の者の為の本では無く、ずーと高い界のもののようです」と男は答えた。

「なんの事が書いてあるのであろう」

「高い地位、高度な仕事、唯一の父なる神の為に整然として働く上層界の男女の大霊団のことなどについて述べて有ります。

その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとで暮らしていたようです。話しぶりがそれを物語っております。

しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、

互いの愛情においても合理的理解力においても何一つ差別が無くなっております。

 目的と仕事と願望において一団となっております。こうした事実から私はこの本はこの界のものでなく、遥か上層界のものと判断する訳です。

その上この本には各霊団のリーダーのための教訓も述べられているようです。

と言うのは、政治家的性格や統率的手腕、リーダーとしての叡知、等々についての記述もあるからです。


それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかもしれませんけど…一体何故こんな本が私の家に置いてあったのか、よくわかりません。」

そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。

その表紙に宝石を並べて綴られた名前があるのに気付いたからである。戸惑いながら彼はこう言った。

「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今迄私の名前が書いてあるとはしりませんでした。」

「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。と言うことは貴方の勉強の為ということです。いいですか。

ここはあなたにとってほんの一時の休憩所にすぎないのです。もう充分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取り掛からなくてはいけません。

ここではありません、この本に出ている高い界での仕事です。」

 彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、尻込みして天使の前で頭を垂れてしまった。

そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。

「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。

私ごとき者にはここが天国です。」

そこで天使がこう語って聞かせた。 

「そう言う言葉が述べられると言うことだけで、あなたには十分向上の資格があります。

真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾で在り防衛手段の一つなのです。


それにあなたには、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。

あなたにはあの地上生活の中で攻撃の為の武器も強化して鋭利にしておられた。


例えば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の負担を軽くしてあげようと考えた。

儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。


それをもっとうにしていられたほどです。そのもっとうがあなたの魂に沁み込み、あなたの霊性の一部となった。

こちらではその徳は決してぞんざいには扱われませんその上貴方は日々の生活費が逼迫しているにも拘らず、

時には知人宅の収穫や植え付け、屋根ふき等を手伝い、ときには病気の友を見舞った。


そのために割いた時間はローソクの明りで取り戻した。そうしなければならないほど生活費は困っておられた。

そうしたことは貴方の魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。

と言うのも、こちらの世界には、私達の肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないと言う、そう言う見晴らしが利く利点があるのです。

ですから正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に移ります。

 その他にも、あなたの地上での行為と経緯について述べようと思えばいろいろありますが、ここではそれを措いておきます。

それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。

実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団がいるのです。霊団として組織され、すでに訓練も積んでおります。

その使命は地上近くの界を訪れ、他界してくる霊を引き取ることです。新参の一人ひとりについてよく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。

もう、何時でも出発の用意ができておりそのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します。」

  それを聞いた彼は跪き、額を天使の足元につけて涙を流した。そしてこう言った。

「私にそれだけの資格が有れば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。

それに私はその一団の方を知りませんし、私に従ってくれないでしょう。」

 すると天使がこう説明した。「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いの犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。

その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。

と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、貴方はその肉体から抜け出て、いつもその界を訪れていたのです。


そうです地上に居る時からそうしていたのです。その界においてあなたも彼らと一緒に訓練をなさっていたのです。

まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。お会いになれば皆あなたの御存じの方ばかりの筈です。

彼らも貴方をよく知っております。大天使も力になって下さるでしょうから、あなたも頑張らなくてはいけません。」

 そう言い終わると天使は彼を従えてその家を後にし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を超えて次の界へ行った。

行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体が何処となく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはもはやかつての靴直しのそれでは無く、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。

道中は長引いたが楽しいものであった。

(長引いたのは本来の姿を穏やかに取り戻すためであった)そしてついに霊団の待つ所へやってきた。

一目見て彼には彼らの全てが確認できた。


出迎えて彼の前に整列した彼らを見た時には、彼にはすでにリーダーとしての自信が湧いていた。

各自の目に愛の光を見たからである。



 私はこの部分を読み返すたびに、物的な世界に心を置かざるを得ない現状に哀れみを覚えてしまいます。

霊界の道具として働く心の準備が出来ているのに、魂がそれを希求しているのに、物的価値観に希望を見出し、物に拘りる人々が余りにも多すぎるからです。

神の道具として働くことによって、人間としての自由が無くなるとでも思っているのかも知れませんが、そんな事はありません。

神は私達に出来ないことは決して求めませんよ…




リンク22
 シルバーバーチの霊訓 8-p155 から

六章 あすの指導者たち
   -若者にどう説くか

 (前略)
 それよりも脳と精神の違い、物質と霊の違いを教え、今すでに自分と言う存在の中に化学的分析も解剖も出来ない、物質を超えた、

生命原理が働いており、それが原動力となって自分が生かされているのだと言う事を説くのです。

人間と言う存在はもっとも高度に組織化され、もっとも緻密でもっとも複雑なコントロールルームを具えた、

他に類を見ない驚異的な有機体です。

その無数の構成要素が調和的に働くことによって生き動き呼吸が出来ているのです。

しかし実は物的身体のほかにもう一つ、それを操作する、思考力を具えた、目に見えない、霊的個性(インディビジュアリティ)が存在している事を説くのです。

 目に見えている表面の奥に、評価し考察し比較し反省し分析し判断し決断を下す精神が働いております。

それは物的なものではありません。

人間には情愛があり、友情があり、愛があり、同情心がありますがこれらは本質的には非物質的なものです。

愛を計算する事は出来ません。重さを計ることも、目で見ることも、舌で舐めることも、鼻で嗅いで見ることも、耳で聞いてみる事も出来ません。

それでも厳然として存在し、英雄的行為と犠牲的行為へ駆り立てる最大の原動力となっております。

 あなたの教会へ訪れる若者はまだ、あなたがすでにご存じの霊的真理は何も知らないわけですが、

その子たちのまず精神とは何でしょうかと問いかけてみられる事です。

それが肉体を超えたものである事は明白ですから、

では肉体が機能しなくなると同時にその肉体を超えたものも機能しなくなると想像する根拠がどこにあるか・・・

こういう具合に話を論理的に持っていけば、よい結果がつかめると思います。

 それによって何人かでも関心を抱いてくれる者がいれば、その好機を逃してはいけません。

嘲笑やあざけりは気になさらぬ事です。あなたの言葉を素直に受け入れてくれる者が一人や二人はいるものです。

その種子はすぐにでは無くても、そのうち芽を出し始めることでしょう。

それであなたは、自分以外の魂の一つに自我を見出させてあげた事になるのです

私たちは地上に人間が正しい生き方を始めるきっかけとなる、真の自我への覚醒と認識をもたらしてあげることに四六時中関わっております

それが私たち霊団に課された大目的なのです。

人生の落後者、死後に再び始まる生活に何に備えもない、何に身支度も出来ていないまま霊界入りする人があまりにも多すぎるからです






リンク21 
 悪しき金持ちの話 「スピリティズムによる福音」 アランカルデック著 角智織訳
p282
 (五)ある金持ちがいて、彼は紫の衣や高級な布をまとい、毎日贅沢な生活を送っていた。

また、ラザロと言う名の乞食がいて、その全身はできもので覆われており、金持ちの家の扉の前に横たわって、その家の食卓から落ちるパンくずでその飢えを癒そうとしていた。

しかし、誰もそれを与えてくれる者はなく、ただ犬がそのできものをなめに寄って来るだけであった。

 さてこの乞食は死に、天使たちによって、アブラハムのところへ連れて行かれた。

金持ちも死んだのだが、その墓場は地獄であった。苦しみに遭っているとき、目を見上げると遠くにアブラハムとラザロが見えた。そこで金持ちは言った。

「父アブラハムよ、私を哀れに思い、私の舌を冷やすために指先で水を垂らしたラザロをこちらへ送ってください。

この炎に包まれた苦しみは大変恐ろしいものです」

 しかし、アブラハムは答えて言われた「息子よ、あなたは生きている間に富を受け取り、ラザロは悪いものを受けた事を思い出しなさい。

だから今彼は慰められ、あなたは苦しみの中にいるのです。

また、私たちとあなたの間には永い永遠に深い溝が存在しており、それ故にここからそちらへ行く事が出来ず、

また、あなたのいる場所から誰もこちらへ来る事は出来ないのです」

 金持ちは言った。「そうであるならば、父アブラハムよ、お願いします。

ラザロを私の父の家へ送ってください。

私には五人の兄弟がいますが、彼らがこの苦しみの場所へ来る事が無いように、ラザロにこの事を警告していただきたいのです」

 アブラハムは彼に言われた「彼らにはモーゼや預言者たちがおり、そのものたちの話を聞く方がよかろう」

 「違います、父アブラハムよ、もし死者の誰かが彼らに会いに行けば、彼らは懺悔することでしょう」

 アブラハムは答えて言われた「彼らがモーゼや預言者の話を聞かないのであれば、たとえ死者が生き返ろうとも、そのものの助言を信じる事はありません」
 (ルカ 第十六章 19-31)



 この文を読んでもまだ(煩悩=物欲・色欲・金銭欲・名誉欲・権勢欲・学歴・職歴・他の経歴)に拘り、人を差別的な目で相変わらず、見続けますか・…? 

シルバーバーチの霊訓 までたどり着いても、このまま物欲の世界に住み続けるおつもりですか?・・・

私たちは人間の前に、霊なのですよ・・・霊界の住人なのですよ…


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リンク20 

アランカルデック 著 天国と地獄  
 死後の世界を支配する法律33箇条 


死後の魂のあり方を示す法則集


第一条


 
魂、ないし霊は、地上における肉体生活を血いじて克服できなかった未熟さを、すべて、霊界において引き受けなければならない。
霊界において幸福になるか不幸になるかは、地上生活を通して、どれだけ心の浄化を果たしたかによって決まる。



第二条

 
完全な幸福は、心を完全の浄化した時に与えられる。未熟さが残っている限り
は、苦痛から脱却することはできす、喜びは制限される。

逆に言えば、悟りが高まるほど、喜びが深まり、苦悩から自由になるのである。


第三条

 たったひとつの欠点から不幸が生じるのではなく、また、たったひとつの長所から喜びが生まれるのではない。


 苦しみの総量は、欠点の総量に見合っており、喜びの総量は、長所の総量にみあっているのである。

 例えば、十の欠点を持っている魂は、三つの欠点を持っている魂よりも苦しみが大きい。

十の欠点のうち、半分を克服すれば、苦しみもそれだけ少なくなり、欠点を全て克
服すれば、苦しみは全
く無くなって、完全な幸福を得る事が出来る。

ちょうど地上において、病気を何種類も持っている
人間が、一種類の病気しか持っていない人よりも苦しむのと同じ事である。

また、十の長所を持っている魂は、三つしか長所を持っていない魂よりも多くの喜びを得る事が出来る。


第四条


 魂は進歩の法則に基づき、意思に基づいて努力さえすれば、自らに欠けている長所を獲得し、既に持っている欠点を取り去る事が出来る。


 つまりどの魂に対しても、未来は開かれているのである。神は自らの子供を見放すことはない。

魂が完成に近づけば近づくほどよりおきな幸福を与える。魂が自らあげた成果を、全て魂自身に還元するのである。



第五条
 苦悩は未熟さから生じ、幸福は成熟から生れるものである以上、魂はどこに行こうとも自分を処罰する原因を自らの内に持つ。

罰を与える為の特定の場所は必要ないのである。
従って地獄とは、魂が苦しんでいるその場所にあると言える。

それは天国が幸福な魂がいるところに存在すると言うのと同じである。



第六条

 人間が為す善、又は悪は、自らの内にある長所、又は欠点の産物である。

為し得る善を行わないと言うのは、従って未熟さの結果である。

未熟さが苦しみの原因である以上、
霊は地上において為した悪によって苦しむだけでなく、為し得たにもかかわらず、為さなかった善によっても苦しむ。



第七条

 霊は自分の為した悪がどのような結果を招いたかまで、つぶさに見せられるので、反省が進み、更生への意欲が高まらざるを得ない。



第八条

 神の正義は無限である。すなわち、善と悪は全て厳正に評価される。

それがどんなに小さいものであれ、たったひとつの悪しき行為、たった一つの悪しき思いでさえ、見逃される事は無く、

れがどんなにささやかなものであれ、たった一つのよき行為、たった一つの佳き思いでさえ、評価されない事は無い。


 どのような弱い人間であれ、それがどんな些細なものであれ、善を為せばそれは必ず評価される。

その瞬間こそ向上への第一歩だからである。



第九条


あらゆる過ち、あらゆる悪は、債務となり、必ずそれを償わなければならない。

ある転生でそれが返済されなかった場合には、それは、次の転生に持ち越される。

そこでも償われなければ、さらに次の転生へ持ち越される。と言うのも、全ての転生は関連しているからである。

もし今の転生で弁済した場合には二度と支払う必要は無い。



第十条


 霊は霊界においても、物質界においても、自らの未熟さに由来する苦しみを引き受けなければならない。

物質界で引き受ける、
あらゆる悲惨、あらゆる不幸は、吾々の未熟さの結果、即ち、今世、あるいは、それ以前の転生で為した過ちの償いである。


 従って地上で経験している苦悩、不幸の性質を分析して見れば、自分が今世あるいは過去世で為した過ちの性質が分るし、その過ちの原因となった自分の欠点の性質も分る筈である。

従って同じ程度の重さの過ちであっても、それが犯された状況に応じて、軽減されたり加重されたりする。



第十一条

償いは犯した過ちの重さと性質によってそれぞれ異なる。



第十二条


 償いの種類と期間に関しては、絶対的なあるいは画一的な決まりがある訳ではない。

唯一の普遍的な決まり
と言う事である。「それがどのように評価されるかに応じて過ちは罰を受け、善行は報いを受ける前もって期間が限定された罰と言うものは存在しない」


第十三条

 罰の期間は、罰を受けている霊が、どれほど向上したかに応じて変化する。前もって期間が限定された罰と言う者は存在しない。

霊が深く反省した上で向上を果たし、善の道に戻った時、神がその罰に終止符を打つのである。

その様にして霊は常に自分の運命を自分で決める事が出来る。


 頑なに悪にとどまり続けることで、苦しみを長引かせる事も可能だし、努力して善をなす事によって、苦しみを和らげ、その期間を短縮する事も可能なのである。

期間があらかじめ決められてい
る処罰は、次の二点で不都合をはらんでいる。

まず、既に向上を果たした霊をそのまま罰し続ける可能性がある。次にまだ悪から脱していない霊を解放する可能性がある。

神は正義であるか
ら、悪を、それが存在し続ける限りにおいて罰するのである。

言葉を変えて言えば、悪は、結局は心の問題であり、それ自体が苦しみの原因となるから、悪が存在する限り、苦しみも続くと言う訳
である。

心の中の悪が無くなるに応じて、苦しみも又軽くなる。



第十四条

 罰に期間は向上いかんに関っている。従って、罪を犯した霊が向上しない限り、苦しみは続く。それはその霊にとっては、永遠に続くように思われるだろう。



第十五条

 反省しない霊は、苦しみがいつ終わるか、全く分らないので、それがあたかも永遠に続くかのように感じる。

その為に永劫の刑罰を受けていると思うのである。



第十六条

 悔恨が向上への第一歩である。しかしそれだけでは不十分であってさらに償いが必要となる。

悔恨と償いによって初めて、過ちと、其の結果を消し去ることが可能となる。


悔悟によって希望が生まれ、再起への道が開かれるので、悔悟は償いの苦しさを和らげる事になる。

しかし、償いを行って初めて、罰の原因が消滅し、従って、其の結果である罪も消えるのである。



第十七条
 
 悔悟は何時でも、何処でも生じ得る。悔悟が遅れれば、それだけ苦しみは長引く。償いとは肉体的生精神的苦痛の事であり、犯された過ちに付随する結果である。

この世で始まる事もあり、死
んでから霊界で行われる事もあり、あるいは次の物質界への転生の際に行われる事もある。

過ちの痕跡が消滅するまで続くのである。

 
 償いとは、自分の悪事の対象となった人に対して善をおこなう事である。

 自らの弱さ、あるいは意思の欠如によって今世中に過ちの償いが出来なかった者は、今後の転生において、自らが選んだ転生において自らが選んだ条件のもとに、その人と出会う事になる。

そして、自分が犯した悪に見合う善をその人に対して行う必要がある
のである。

あらゆる過ちが
直接目に見える犠牲を引き起こすとは限らない。その場合には次のようにすれば償いは完了する。


 為すべきあったにもかかわらず為さなかった事を為す。怠ったあるいは無視した義務を果たし、成し遂げられなかった使命を完了させる。

また、
既に為した悪に見合う善をおこなう。つまり傲慢であった者は謙虚になり、冷酷だった者は優しくなり、エゴイストだった者は思いやりを持ち、、

悪意に満ちていた者は善意の人となり、怠け者だ
った者は勤勉となり、無用だった者は有用な人間となり、

放蕩を行ったものは節度を取り戻し、悪しき見本だった者は佳き見本となる。

そう言う事である。こうすることによって霊は、過去を有効に
利用することが出来るのである。



第十八条

 悪霊となった者は、幸福な世界から排除される。
そうしないと幸福の世界は調和を乱すからである。

彼らは下位の世界にとどまり、辛酸をなめつつ、償いを果たす。そうして徐々に未熟さから脱していくのである。

その結果すぐれた世界に移動していくことが可能となる。



第十九条

 霊には常に自由意志があるので、向上は時には遅く、また、何時までも悪を改めないもいる。

何年も何十年もさらには何世紀にも悪が留まるものがいる。

しかし其の空威張りにもかかわ
らず、最後には苦しみに屈服し神に反抗する事を止め、至上者の権威を認めざるをえなくなる。

悔悟の最初の光が心に射し始めるや、神はそれの応じて希望を垣間見させるのである。

いかな
る悪と言えども、「向上の可能性が一切ない」と言う状況に追い込まれる事は無い。

だが、自らの自由意志を行使して、霊自身が進んで、永遠に劣った状態に身を置き、あらゆる被造物に適用さ
れる、

神聖なる進化の法則から逃れ続けることは可能である。



第二十条

 霊がどれ程未熟であろうと、邪悪であろうと、神が霊を見捨てる事は無い。

どの霊にも守護霊がついており、其の心境の変化を窺い、彼らの内に佳き思い、向上への欲求、犯してしまった
罪を償おうとする気持ちを起こさせようとして、働きかけている。

一方では指導霊が決して強制することなく、本人に知られない形で働きかけている。

霊は外部から何らかの形で強制される
のではなく、自分自身の意思で向上していかねばならないからである。

自由意志を発揮して、良い方向にも悪い方向にも進めるが「どちらかの方向に、強制的に追いやられて、引き返す事が出
来なくらると」いう事は無い。

悪を為した場合、悪の道にとどまり続ける限り、其の結果としての苦しみを引き続けざるを得ない。

善に向かって一歩でも歩みを開始すれば、ただちにその成果は表
れ始める。



第二十一条


各自が責任を負うのは、自分が犯した過ちに対してのみである。何人と言えども他者の罪を引き受ける事は無い。


 ただし自らが悪の手本となり、他者にも悪を犯させた場合、また、悪の発生を防ぐ事が可能であったにもかかららず、それを行わなかった場合は別である。

又自殺は常に罰せられる。
冷酷さによって他者を絶望に追いやり、其の結果、自殺せしめた者は、自殺した者よりも思い罰を受ける。



第二十二条


罰の種類は無限にあるが、未熟な魂に対する罰は、ある程度決まっている、

ニュアンスの違いは多少あるが結果的には大体同じである、
霊的進化を怠り、物質に執着をした者に対する罰は、まず、「魂と肉体の分離がなかなか行われない」と言う事である。


死の苦しみが続き霊界への移行がこ困難となる。その困難に期間は、場合によっては数カ月、数年に及ぶ事もある。

それとは逆に意識の浄化が進んでいる者は、生前からすでに霊的生活を
送って物質から解放されている為に、

肉体と魂の分離は動揺も無く急速に行われ、霊界への穏やかや目覚めを得る事が出来る。この場合は混乱は殆ど見られない。



第二十三条

精神的に未熟な霊は、死んだのにもかからわず、自分がまだ生きていると思う事が多い。

この錯覚は数年にわたって続く事もあり、その間中彼は地上生活における、あらゆる欲望、あらゆる苦悩、あらゆる不都合を感じ続ける。



第二十四条

犯罪者は自分の犯罪の犠牲者、犯罪が行われた時の様子を、繰り返し再現して見せられる。これは実に辛いものである。



第二十五条

ある者は漆黒の闇の中に放置される。ある者達は絶対的な孤立の中におかれる。自分がどこにいて、この先どうなるのか、全く分らないのである。

最も重大な罪を犯した者達は、最も厳しい拷
問を経験するが、いつ終わるか分らないだけに、それは本当に耐えがたいものとなる。

大多数は、親しかった者達に会う事を禁じられる。


原則として全員が、犠牲者が味わったのと同じ痛み、苦悩、欠乏を経験させられる。

悔悟ならびに償いへと欲求が生じると、苦痛は和らぎ始め、そうした苦しい状況に自分自身で終止符を打て
ると言う可能性が見えてくる。


第二十六条


傲慢に暮らしていた者は、自分が地上にいた時に軽蔑していた者達が、栄光に包まれ、人々に囲まれ称賛されてはるか高みにいるのを見る。

自分は最下層におとされているのに、である。


 偽善者は光に貫かれて、心の奥に秘めていた考えを全員に暴露される。逃げも隠れも出来ないのである。

観能におぼれていた者は、あらゆる誘惑、あらゆる欲望にさらされるが、決して満足を得る事は出来ない。

守銭奴だった者は、自分の金がどんどん他人によって使われるのを見るが、それを
防ぐすべは無い。

エゴイストだった者は全員に見捨てられることによって、かつて自分が他人に与えていた苦しみを体験するのである。のどが渇いても、誰も水をくれない。

腹が空いても誰も食
べ物をくれない。誰も手を差しのべてくれず、誰も慰めの声をかけてくれない。

彼は生前、自分のことしか考えなかったので、彼が死んでも、誰も彼の事を思ってくれないし、誰も悲しんでくれない
のである。



第二十七条

死後自らの過ちの結果としての罪を避けたり、あるいは軽減したりするには、生きている間、できるだけ、それを解消しておく必要がある。

その為には、十分な反省を経て、その悪事を償う事であ
る。そうすれば死後にもっと恐ろしいやり方で償う事を免除される。

過ちを解消する時期が遅れれば遅れるほど、其の帰着はより苦痛に満ちたものとなり、果たすべき償いはより厳しいものとなる。



第二十八条


死後の霊の境涯は、生前の心境に正確に対応したものとなる。

やがて、新たな転生輪廻の機会を与えられるが、それは、新たな試練を通して償いを果たす為である。

だがそれも、全て彼の自
由意思に任されている為、もし、その機会を十分に生かさなかったとしたら、

さらに、次の転生で、今度はもっと厳しい条件のもとに再度チャレンジすることになる。

従って地上生活を通じて、
多くの苦しみを体験している者は「それだけ、自分には償うべき過去の過ちがある」と自覚する事が大切である。


又悪徳を重ね、社会に役立つ事をしていないにもかかわらず、表向きは幸福を享受しているように見える人間がいるとすれば、

次の転生で高く支払われる事を覚悟しなくてはなるまい。

そうした
意味を込めて、イエスは次のように言ったのである。「苦しむ者は幸いである。彼らは慰めを得るであろう」



第二十九条


神の慈悲は無限である。だが、神は一方で極めて厳格でもある。神が罪人を許すと言う事は、罪を免除すると言う事ではない。

罪人はその罪を償わない限り、過ちの帰結を引き受けざるを得な
い。

神の慈悲が無限であるとは、「神が善に戻ろうとする罪人に対して常に扉を開いて待っていて下さる」と言う意味であり、「本当に悔い改めた者は必ず赦して下さる」と言う意味なのである。



第三十条


罰は一時的なものであり、自由意思に基づく悔悟と償いによって解消されるが、それは罰であると同時に、又、悪を犯すことによって傷ついた心を癒す為の治療でもある。

従って、罰を受けている霊は、徒刑を課せられた罪人と言うよりも、むしろ、病院に収
容されている病人と見るべきなのである。

この病人達は、自らの過ちの結果である病気に苦しみ、又、それ
を治す為の辛い処置も受けなければならないが、治る希望を失っている訳では決してない。

そし
て思いやりをこめて医者が書いてくれた処方箋に、忠実に従えば従うほど、治る見込みは高くなるのである。

処方箋に従わない場合、医者にできる事は何もない。



第三十一条 


霊は地上に転生してくると、霊界で決意してきた解決手段を実行して、過去世で集積した罪を償おうとする。

従って、一見、存在理由が無いように思われる。

種々の悲惨や不遇等にも、本当は、それなりの、しっかりした理由がある事を知らなければならない。

それは過去の悪行の帰結であって、われわれが進化する為には必須不可欠なのである。



第三十二条

「神が人間を、決して間違いを犯さないように完璧に創って下されば、人間は、未熟さに由来する不幸を経験しなくても済んだのに」と思う人がいるかもしれない。

神が、
知識において精神性においても完璧な人間を作ろうと思えば、当然、そうできた筈である。

だがそうはなさらなかった。と言うのも、叡知に満ちた神は、進化の法則に全てを委ねることを選ばれたからである。


 人間が不完全であり、従って程度の差はあれ、必ず不幸に見舞われると言う事は事実であって、認めざるを得ない。

すでにそうなっているからである。その事を持って、神が善でもなく公正でも無
いと考えるとすれば、それは神への反逆となるだろう。


 例えば、もしあらかじめ、神から特権を与えられており、他の人間が苦労しなければ手に入れられない幸福。

あるいは、他の人間がどれだけ苦労しても決して手に入れられない幸福を、

何の努
力もなしに与えられるような人間がいるとすれば、それは神が、公平さを欠くと言う事になるだろう。

しかし神は絶対的な公平さのもとに創られたのである。

あらゆる霊は同じように創られた。最
初に創られた時、その能力に差が全く無かった。例外的な扱いを受けた霊はただの一人も存在しなかったのである。

目的に達した霊は、必ず、他の霊と同様に、未熟な状態から試練の段階を
経て徐々に向上していった霊なのである。

以上のように考えてみれば、行動の自由が全員に与えられていることになり、これ以上公平な事は無い。

幸福への道は全員に開かれているのである。


 目的も、全員同じである。目的に達する条件も、全員同じである。そしてその為の決まりも、全員の意識の中に、しっかりと刻み込まれている。

神は努力の結果として、全員に公平に幸福を与え
て下さるのであって、特別処置によって、限られた者にだけ幸福を与える訳ではない。 

各人は、努力することにおいて、また、努力しないことにおいて、自由である。一生懸命努力する者は、早く報いられる。

途中で迷ったり、、道草を食ったりする者は、当然、目的につくのが遅くなる。


しかしそれも、全て自分の責任である。善を行うのも、各人の自由にまかされている。

全く自由であって、どちらかの方向に強制的に向かわせられると言うことは無い。



第三十三条

未熟な霊を待ち受ける苦しみは、その種類も程度も様々であるが、死後の運命を決める規則は、次の三つに要約される。


①苦しみは未熟さから生じる。

②あらゆる未熟さ、そして、それに由来する、あらゆる過ちは、それ自体に罰を内包している。

不摂生をすれば病気になるように、また、無為が必ず退屈に繋がるように、未熟さは、必然的に、過ち、そして罰と言う帰結を生みだす。

従って、其々の過ち、又、各人ごとに、特別の罰を考え出す必要はない。


③人間は誰でも、意思の力によって、其の未熟さから脱する事が出来、従って、未熟さの当然の帰結としての悪を逃れる事が出来る。

そしてその事によって幸福になれるとい
う事が保証されている。



以上が神の正義による法である。

即ち、霊界においても、地上においても、各人の努力に応じた結果が与えられると言う事である。 




       
後悔する犯罪者の霊  アランカルデック「天国と地獄」

 ー来世では殺される側を選ぶ

ブェルジェ・-・パリの大司教を殺した神父


1857年1月3日 パリの大司教シブ―ルが、サンテチェンヌ・デュ・モン教会から出てきた時に、ブェルジェと言う名の神父に襲われて命を落とした。

ブェルジェは死刑の判決を受け、1月30日に
死刑が執行された。最後の瞬間まで、彼は悔悟も反省もせず、一切の感情を表さなかった。


死刑が執行された日に招霊され、次の様なメッセージを送ってきた。

・-・招霊します・・・

「まだ身体の中にとどまっているみたいです」


。-・あなたの魂は、まだ身体から完全に離脱していないのですか・-・

「はい・・・、不安です・・・。よく分らない・・・。自分を取り戻すまで待って下さい。・・・私はまだ死んでいないのでしょう?」


・-・自分のやったことを後悔していますか?・-・

「殺したのは間違いだった。しかし、あいつの侮辱に、どうしても我慢できなかったんだ。・・今日はこれで帰る」


どうして帰ってしまうのですか?

「あいつに会うのが怖いんだ。復讐されては、かなわんからな」


でもあなたはもう死んでいるのですよ。殺されるのを心配することは無いのです


「何が言いたいんだ!あんたが言っていることが正しいと言う根拠でもあるのか?ああ私は何処にいるんだろう。気でも狂ったのだろうか」


・-・落ち着いてください

「落ち付けと言ったって無理だ。気がくるってしまったんだから。待ってくれ、もう少しすればいろいろ分る筈だから。」


・-・祈ってごらんなさい。そうすれば考えがはっきりしてきますよ


「ああ恐ろしい。とても祈れやしない」


・-・祈りなさい。神の慈悲は偉大なのですから。私達も一緒に祈りましょう

「ああ確かに神の慈悲は無限です。何時もそう思ってきたんだ…」


・-・状況がだいぶ呑み込めてきたようですね

「まって周りの様子が余りにもすざましくて、何が何だか良く分らない」


あなたの殺した人が見えますか?


 「彼の声が聞こえるような気がする。こんなふうに言っている(憎んではいませんよ)とああ、そんなことがある筈はない・・・気が狂ってしまったんだ!

だって自分の身体が向こうに見えるんだか
ら、側には頭も転がっている・・。

なのに、自分が生きているみたいに感じるんだ・・どうしてこんな事が・・・地面と空の間にいるみたいな感じがする・・・首の上に落ちてくる刃物の冷たささえ感じら
れる。

ああ、死ぬのが怖い・・周りに霊がうようよいるみたいだ・・・同情の目で私を見ている。何か話しかけてくるが、何を言っているのか、良く分らない」



・-・それらの霊の中に、あなたの犯罪に関りのある霊はいますか?

「私が恐れる唯一の霊、つまり、私が殺した人の霊がいるような・・


自分の過去世は思い出せますか?

「駄目だ、頭がぼんやりしている。まるで夢の中にいるみたいだ。何とかして自分を取り戻しなくては」
 
それから三日後に

だいぶ様子がはっきりしてきたでしょう


「もう地上にいないと言う事が分かりました。そのことは納得しました。ですが自分が犯した罪は
後悔しています。

しかし私は霊として、より自由になってきました。(何度も生まれ変わることで、少しずつ大事な知識を得、そして完全になっていくのだ)と言う事が分かりました」


・-・あなたが犯した犯罪の性で罰を受けているのですか

「はい。自分の犯した罪を後悔し、そのことで苦しんでいます。」

どんな罰を受けているのですか?

 「自分の過ちに気付き、神に許しを乞うています。それが罰です。(神を充分に信じていなかった)と言う事で苦しんでいます。

それもまた罰なのです。また(同胞の命を縮めるべきではなかった)と
言う事が分かり、それで苦しんでいます。

間違いを犯すことによって自分自身の向上を遅らせたために、大変後悔しており、それもまた罰の内なのです。

(殺すことによって決して目的は達せら
れない)と、良心が教えてくれていたのにも関らず、慢心と嫉妬に支配されて、あのような行為に及んでしまったわけなのです。

そのことを悔やんでいます。人間は常に欲望を統御すべく努力す
る必要があるのに、私には、それが出来ませんでした」


・-・吾々が、あなたを招霊した時に、どんな感じがしましたか?。

「嬉しいと同時に怖くもありました。」

・-・なぜ、嬉しく、そして怖かったのでしょうか?。

「人間達と対話ができ、私に過ちの一部分にせよ、償うことができるから、うれしかったのです。

方で殺人を犯した。と言う事実に向き合わなければならないので、怖いと言う気持ちが湧いたのでしょう。」


又地上に生れたいと思いますか?

ええ、すでにお願いしてあります。今度は自分が殺される側に身を置き、恐怖を味わう必要を感じるからです


 シプールも招待され「自分を殺した男を許している」ということ、「彼が善に戻れるよう祈っている」と言う事を告げてくれた。

さらに、「彼の苦しみを、より大きなもの
にしないために、彼の前には姿
を現さない様にしている」と言っていた。「自分に会うのを恐れていると言う事自体が、すでに罰となっているから」と言う事であった。

(シプールの霊に対して)殺人を犯した、あの男は、今回、地上に転生することを決意した時に、殺人者になることも選んでいたのでしょうか?。


 「いいえ。闘争的な人生を選択した時点で(人を殺すことになるかもしれない)と言う事は分ってい
ましたが。

しかし、それを実行に移すことになるかどうかは分かっていませんでした。自分の中でも葛藤があったのです」



 ブェルジェの死の瞬間の状況は、激しい死に方をした人にほぼ共通するものである。

魂と肉体の分離が急には行われないため、茫然自失の状態にあり、自分が死んでいるのか生きているのかさえ分からないのである。

大司教の姿はブェルジェには見えないようにとり計られた。すでに充分、後悔していたからである。

だが、殆どの場合、殺人者は、犠牲者の視線に付きまとわれる。(後略)







    

ユダの野望 (イエスの青年時代)

 ユダの父は”シモンの聖人”といわれガラリヤでは有名であった。父はとても純粋で、立派な人であった。

ローマに対する反乱が起きた時、反乱分子を洞窟にかくまってやった。そして毎日食べ
物を運んで養っていた。

一人のガラリヤ人に裏切られ、母と子どもの目の前で、はらわたを流しながら殺されていった。

ユダはローマを憎み、イスラエルをローマから解放することだけを唯一の
目的とした。

秘密結社を組織し(熱心党)機が熟したら指導者を迎えて自らは首相になる計画を虎視眈々と狙っていた。・

この反乱計画が成功した暁には、イエスを王に迎えたいと決めていたユダ。

 イエスの霊眼には、初めからユダは裏切るものと映っていた。

しかし同じ人間としてユダの魂の為に天の御父に祈り、もし神の御心であるならば、イエスの説得によってユダの心が変わるように願い続けていたのです。

 ユダはイエスに(リーダー格)を所望したが適わず、会計係を担当し、献金の半分は、武器を買って新しきイスラエル実現の為に軍団を用意していた。

やがて熱心党はローマ軍に滅ぼされユダの野望も崩れ去った。

イエスの選んだ十一人の弟子は忠実であったが、嫉みが強くユダは孤立。



イエスが愛している弟子ヨハネをますます妬むようになる。これが裏切りの引き金になって、ゲッセマネの園
へイエスに敵対する者たちを案内する。

その代償として銀貨30枚をもらったが、約束が違うと言って銀貨30枚を投げ返した。

 <僕は、師イエスを心から愛していた。他のどの弟子より深く愛していた。ペテロやヨハネよりも愛していた。

誰もイエスの為に生命を捧げようとはしなかった。みんな安全な場所へ逃げてしまった。僕の命をイエスに捧げよう。

イエスのいないこの世は僕にとって砂漠と同じだ。彼がただの人であっても、僕は愛している>と遺書を残して自殺した。

やがて彼の遺体は銀貨30枚で土地を買い埋葬された。

 簡単に抜き書きしたり書き加えたりしましたので、読みづらいかも知れませんが、少なくともユダの裏切りの背景が少しばかり分ったのではないかと思います。一読をお勧めいたします。管理人談



 

イエスの弟子達

 とうとうイエスを語る本を読む事になった。特別クリスチャンでもなくイエスに関心があったわけで
もないが、

読後、スピリチュアリズムを学ぶ仲間なら必ず読まなければならない本だと思って憚らない。

「イエスの少年時代」「イエスの青年時代」を含めて3冊を買った。イエスの弟子達の本は、昭
和63,1,31発行で、新本を買ったのに、紙の色が黒ずみ、周りには茶色の小さな斑点が無数にあった。

残本として手荒に扱われようにしか思えない本であった。しかし、こんな素晴らしい本がな
ぜこんなにも雑に扱われていたのかと残念無念に思い心が痛みました。


 しかし良く考えてみますと、この本を進んで買って読もうと思うだろうか?。

と思うとなんだか寂しく、霊的真理普及の道も厳しい感を抱きます。

訳者の山本貞彰氏を称え近藤千雄氏は「山本氏
は大小合わせて数冊からなるクレオパスシリーズの中から三つの大きい通信を選び、その中でも最も大きい一冊を二巻に分けられた。

本書はその前半である。その中で使徒パウロの回心に至るいきさつが語られ、後半でその後の伝道活動が語られる。


 これが第二巻で、さらに第三巻でジュリアス・シーザーへの直訴がテーマとなって展開し、そして第四巻で暴君ネロの悪行とローマの大火と言うクライマックスを迎える。

そこには映画化してもよさそうな人間味たっぷりのドラマチックなシーンが展開する」

訳者の山本氏は以上の四巻でイエス
の弟子達の聖書時代の真実の行状をテーマとしたシリーズとし、

他方、既刊の(イエスの少年時代)とこれから手掛けられる(イエスの青年時代)の二巻でイエスの実像に迫ると言う雄大な計画
を立てておられる」と期待を込めて言っておられます。


 その完成が待たれることは言うまでもありませんが、いろいろな事情が絡み合って、残念ながら発刊は無理なような感じがしています。

高級霊界通信を多く読まれた方も深く学んでいる方も、このイエスの既刊の三冊を是非読まれる事をお勧めします。





  

涙が止まらない物語

東京ディズニーランド・最後のパレード
「天国のお子様ランチ」

 数年ぶりに主人とディズニーランドへ遊びに行きました。この日は一年前に亡くした娘の誕生日であり命日でした。

娘は身体がとても弱くて、生まれて間もなくこの世を去ってしまったのです。

主人
と随分永い間、深い悲しみにくれました。助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったことが今でも悔やみ切れません。

 「子供が生れたら、ディズニーランドにつれていきたい」という夢を果たすことも出来ませんでした。

そこで主人と話し、その日は供養のために訪れたのです。家を出る前にガイドブックを見て、
可愛いお子様ランチがあることを知りました。

それを是非娘に食べさせてあげたいと思い、ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入ったったのです。

 ところが、そのお子様ランチは八歳以下の子供にしか注文できないメニューだと分かってすぐにあきらめました。

ディズニーランドはとてもマニュアルがしっかりしているところだと聞いていたからです。

ただ事情だけでも知ってほしくって、ついお店の人に話してしまいました。

 するとお店の人は「では3名様、こちらへどうぞ」と言いました。そして隣の4人がけのテーブルに子供用の椅子を置き、私達を笑顔で迎えて下さったのです。

「本日は良く来て下さいました。どうぞご家族で楽しんでいってください」



  その方はまるで我が子がその場にいるように、私達をもてなしてくださいました。私は感激で胸がいっぱいになり、その場で涙が溢れてしまいました。

おそらく主人も同じ気持ちだったと思いま
す。これで娘がいたらどんなに幸せだったろう。



お店の方々にとても親切にして頂いて、可愛いお子様ランチも食べられて、娘もさぞ喜んでいただろうと思います。

本当にありがとうございました。あの時のお礼をどうしても言いたくて手紙を書
きました。

娘は天国にいってしまったけれど、これからも愛し続けて、一生一緒に生きていこうと思います。又娘を連れてそちらへ遊びに行きたいです。

 この本は2~3年前に読んだ本ですが書庫から引っ張り出して書きこみました。人の為に働く具体的な方法は、とりあえず、他人が行っている良いと思えることを自らが真似をする。

これが出発点のような気がしています。他人のまねは意外と簡単にできるか
らです。

後は心を入れれば霊的真理に適っている崇高な行為になりませんか・・・。人様
に奉仕すると言う精神が素晴らしく今でも時々思い出させてくれる本だから・・・


  

 


今でも活動しているシルバーバーチ霊団

シルバーバーチ最後の啓示 
 ハート出版 近藤千雄訳

 2012年度からシルバーバーチ読者会を始めるにあたり、未読の本を求め「シルバーバーチ最後の啓示」をネットで買った。

中古品で398円だったが新品同様で、売られた方の真心を知って嬉しかった。

その最後のページの、まえがき中ほどにこんな一文があって歳がいも無く涙を浮かばせ
ながら読んだ。

「一つは、シルバーバーチの愛読者が、目の不自由な方達の為に、ご自分の朗読テープをカセットテープに吹き込んでおられることである。

妙なもので(勝手に吹き込んだことを
お許しください)と言う手紙と共にカセットが送られてきたその日に、目の不自由な人から電話があり(シルバーバーチの霊言というのがあるそうですが、

テープに吹き込んだものは出ていないの
でしょうか)と問い合わせがあった。勿論早速送ってあげた」



 そして3~4日後に涙ながらの感謝の電話を頂いた。しかもその方は、それから2~3か月後に目が見えるようになっているのである。

その後も2~3の有志の方から、霊言をカセットに吹き込んで
いる旨の電話を頂いている。こうしたことが端的に教えているように、

シルバーバーチ霊団は間違いなく活動を続けているのである}・・・・・。

 

 

 私の知り合いで、当ホームページ・活動内容の項に2011年2月ごろから突然ヒーラーとして開花し現在は病み苦しむ病者さんの為に喜んで働いていますよ。

と、書かせていただいた女性のお宅に彼女の知り合いの霊能者の方が、あなたの家に「シルバーバーチ」が来ていますよ。と言う話を聞きました。

1/8日の読書会に彼女をお誘いしたのですが来てくれることを願っております。

 当サイトだけでなく、神界から届いた霊的真理に巡り合えた人の幸せを感じないわけにはおれません。

日本の人口は2010年10/1現在 1億2805万6000人だそうです。

この中でシルバーバーチを読んでいる方は何名?。さらにシルバーバーチを深く学ぼうとしている人は何名?等と考えると私達は如何に恵まれた人間で、しかも選ばれた人間であるかを心に深く刻み込まないわけにはいかないでしょう・・・





 
宇宙創造の目的 「シルバーバーチ不滅の真理」ハート出版
p146
・-・人間は徐々に進化を重ねて、究極的に大霊の中に吸収されてしまうのであれば、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか・-・。

との質問に
「私は、人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説をとっている訳ではありません。何時も申し上げているように、私は究極のことは何も知りません。

始まりの事も知りませんし、終りの事も知りません。


 私に言わせれば”存在”には何時からと言う事は無く、何時までと言う事も無く、何時までも存在し続けます。

地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全性を目指してゆっくりと上昇して行きつつある状態が”存在です”。


その意識なるものが何時芽生えたかについても私は何も知りません。何時完全の域に達するかについても知りません。

私には完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。

なぜなら、
魂と言うものは霊性を高めて向上するにつれて、言えかえれば、過去の不完全性の不純物を払い落すごとに、さらに大きな進歩の必要性を自覚するものだからです。


 進化すればするほど、治進化すべき余地があることに気づくものです。

高く昇れば登るほど、その先にまだ登らねばならない高いところがあると知ることの連続です。


 私の考え方は、大霊に一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。

この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それが
様々な形態を通して顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現して行くのです。


 これまでありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。

今人間と
言う形態で表現している意識も、かつては動物、鳥類、魚類、植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。

これからも進化と成長を続け、発展し、拡大
し、神性を増し、物質性を減らしていきます。

それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現して行くと言う事です。」(終略)    


 吾々はアメーバーから進化し、何万年、あるいは何十万年もの時を経てやっと人間になったと言う事のようです。

これからも果てしない進化向上の旅が続きます。常に神と心を合わせ道を逸れないように歩みたいものです。





 
ヒーラーから見た死の直後 
 「私は霊力の証を見た」  MHテスター

p191 第十五章 死の真相

寿命が尽き、いよいよ死期が近づくと、一種の緊張の緩みを感ずる。永遠なる生命の書の第一
巻を閉じつつあることが分かって来る。

心霊治療家となって以来、私は大勢の人が死を迎えるの
を手伝ってきた。安らかに死を迎えさせてあげるのも心霊治療家の重要な任務の一つだと心得ているからである。

 その一生は苦労と不愉快なことの連続だったかもしれない。が、

死期が近づくと誰しも安らかさと落ち着きを覚え、完全な無痛状態と快く運命に身を委ねる心境になるもののようだ。

無論そうと
は言えない死に方もある。戦場で死ぬ兵士がいる。自動車事故や飛行機事故で死ぬ人がいる。

死刑によって死ぬ人もいる。また同じく死ぬ人でも、霊的に目覚めて死ぬ人と、目覚めないまま
死ぬ人とがいる。

死にたくないと必死に抵抗しながら死んで行く人もいる。

こう言う人は死の自覚の芽生えが遅い。死んでからもなお自覚が芽生えずに、霊界の指導者による看護と再教育を要する人がいる。が、数からいえばそう言う人はそう多くは無い。


  大体において死を迎える直前には静寂が訪れる。やっと終わった、地上での勉強が終わった、

これで試練と苦痛とが解放される、と言う認識が、安らぎと受容の心境を生む。何となく身が軽く
なってくる。

肉体感覚が薄らぎ、自分のものでないように思えてくる。やがてふわっと上昇し始める。アドバルーンのように浮いてくる感じがする。

見下ろすと、一人の人間がベットに横になっている。自分だ。自分の身体だ。

 その身体と本当の自分とが銀色をした細い紐の様なもので繋がっている。

その紐が光線を発しながら息づいているのが見える。

これがいわゆる”生命の糸”玉の緒、だ。自分が上昇するにつ
れてその紐が長く伸びている。次第に輝きが薄らぎ、やがて消える。

と同時に紐も無くなっている。その時あなたは死んだのである。

 地上と縁の切れたあなたは、尚もしばらく生命の灯火の消えた異様な姿の亡骸を見下ろしながら、その辺りを漂っている。

すっかり寛ぎ、気分爽快だ。身体が軽い。ちょうどぐっすりと寝て起き
た時のあの気分だ。

何やら良い夢を見ていたらしい。その一つ一つは思い出せないが、とにかく気分がいい。あなたはしばし、その陶酔に身を任せる。(後略)


 如何でしょうか!MHテスターと言う名の英国のヒーラーが大勢の人達を治し、死のその直後を多く看取った体験でした。

私も一カ月以上にわたり直接ヒーリングを施した方が亡くなり(掲示板にも書いてある)、その方が私に挨拶に来ました。

その方の心境は、現世の私達には理解できないほどの解放感と寛ぎと、安堵感、こんな言葉でしか言い表せないのが残念ですが、

地上と言う処は本当に大変な場所で、靄と霧と悪蛇がうようよするような暗い場所のようです。

私達はこんな場所にもすっかり慣れてしまっているのでしょうか・・・。




  

小桜姫が見た死の直後  「小桜姫物語」浅野和三郎著
 (母の臨終)

 その時はよくよく臨終が迫っておりまして、母の魂はその肉体から半分出たり入った

りしている最中でございました。人間の目には、人の臨終というものは、ただ衰弱した

一つの肉体に起こる、あ
の悲惨な光景(ありさま)しか映りませぬが、私にはその他に

いろいろに光景が見えるのでございます。人間の霊魂というものは、全然肉体と同じよ

うな形態をして肉体から離れるのでございま
す。それは白っぽい、幾分ふわふわしたも

ので、普通は裸でございます。それが肉体の真上の空


中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見良いものではございませぬ。


初めて人間の臨終に出会った時はまあ・・何と変なものかしらと驚いてしまいました。

 もう一つおかしいのは、肉体と幽体との間にひもが付いてる事で、一番太いのが腹と

腹とをつなぐ白い紐で、それはちょうど小指くらいの太さでございます。頭のほうにも

もう一本見えますが、それは少し細いようで、ひもの切れた時が人間の死でございま

す。

 母の臨終の光景についてもう一つ言い残してならないのは、私の目に現生の人達と同

時に、こちらの世界の見舞者姿が映ったことでございます。母の枕邊には人間が約十人

位いずれも目を泣
きはらして永の別れを惜しんでいましたが、それらの中で私が生前存

じておりました人は二名ほどで他は見覚えのない人達ばかりでした。

 それからこちらの世界の見舞者は第一に母より先に逝った父、続いて祖父、祖母、肉

親の親類縁者、母の守護霊、支配霊、産土のお使い、一々数えたらよほどの数に上った

でございましょう。



 兎に角現世の見舞者よりずっと賑やかでございました。第一双方の気分がすっかり違

います。一方は自分達の仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切っており

ますのに、他方では
自分達の仲間に親しい人を一人迎えるのでございますから、寧ろ勇

んでいるような、陽気な面持
ちをしているのでございます。こんなことは私の現世生活

中は全く思いもよらないことでございました・・・・(後略)。


小桜姫談、如何でしたか。シルバーバーチも全く同じことを言っています。死はあの世に生れる喜びでしかないのです。死を悲しむなんて全く馬鹿げています。・・・


シルバーバーチはこう言っております。

肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私達の世界では、ま

た一人、
物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。


 私は常々、死は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮出来ずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、喜んでいることを説いております。






 
 
心霊治療とは何か
MHテスター著 「私は霊力の証を見た」


p73(後半)心霊治療で治せない病気はあるか・-私の知る限りでは治せないものはない。

但し、そこに存在しないものは治療できない。事故で失った足とか、手術で取ってしまった臓器はどうし
ようもない。

手術後の経過が思わしくなくてくる人は多いが、そこに無いものは治療の施しようがない。が、

そうした特殊なケースを除けば、どんな病気でも欠陥でも奇形でも治せる。

 では神霊治療とはどういう具合に作用するのだろうか。

私は心霊治療家の専門である。と言う事は、音楽家や画家や詩人が天性的にその才能を具えていると同じく、霊的病気を治す才能を
天性的に具えていると言うことである。

同時に芸術家が外部からのインスピレーションによって作品を生み出す様に、私も外部からの治療エネルギーによって仕事をする。

私は単なる受信器に過ぎない。強力な霊的エネルギーが流れ込む通路に過ぎない。

 だから、逆説的な言い方になるが、私の場合は治そうという意識を持たないほど良く治る。

つまり
全てを背後霊に任せるのである。背後霊と言うのは、かつて地上で生活した人間があの世へ行ってから、もう一度地上生活との関りをもつために、地上の人間の仕事を手伝っている霊である。

この事については後に詳しく述べるが、私の場合はガレンと言うギリシアの医学者が中心とな
って、他にガレン程有名ではないが、やはり地上で医学を修めた専門家が何人か働いてくれている。・・・・


 治療に入る時はその背後霊団に波長を合わせる。もっとも、波長を合わせると言うのは非常に説明の難しい状態である。入神状態になるわけではない。

また特殊な宗教的儀式をしたり九字を
切ったりするわけでもない。

言ってみれば白日夢の状態で、自分のいる部屋の様子、流れている曲、自分が今やっていることなどみな私自身一応わかっている。

意識を失ってしまうわけではない
のであるが、それでもなおかつ、なんとなくふわっとして、何か自分とは別のものを意識する。・・・・・(後略)


 私の場合はまだ何方(霊医)が治してくれているのかは分かりませんが、・-・なんとなくふわっとして、何か自分とは別なものを意識する。とか、その通りです。

・-・日本心霊科学協会の霊能者の方によればあなたは来年度からは素晴らしい活動が出来る、と言わています。

今も治療の効果は結構出ているのですが、本格的な活動は来年度と言うことらしいです。
 


    ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^

  

  武本昌三さんのカルマ

 大韓航空機事件で妻と子が犠牲になり悲しみのどん底を体験した著者がどのようにして立ち上がり、犠牲になったと思われた妻と子が実は霊界で生きていることを知った時の感動。

霊界の存在。生れた目的を知った著者のカルマの解消と共に、与えられた使命を果たすため神が仕組ん
だ慈悲心に他ならなかった。という武本さん。

・・・武本さんのホームページも是非ご覧ください。武本さんのカルマは私達にも大きく関係する問
題だからです。(管理人談) 


  武本昌三著 「天国からの手紙」   Gakken 


P249-あなたはアトランティス時代に科学者でした。(中略)アトランティス末期の時代ゆえに国家的な紛
争や戦争が頻発するようになり、あなたの研究所もひきこまれる羽目になりました。

それで管理的な役についていた貴方は、直接研究に従事していなかったとはいえ、あなたが管理していた下
の研究は、そのケミカルなことを戦争の科学兵器に適用すると言うことに方向づけられて行ったのです。

あなたはそのことに薄々気づくようになりました。

 いずれにせよ、アトランティス時代の私はそれを知っていながら、国家への忠誠とか、失職を恐れて、実際に使われることを認め、多くの犠牲者を出してしまったようである。

それが一つのカルマとし
て残り、現世の国際的な大事件のなかで、家族を失うと言う結果に繋がって行った、

と、ここ迄は伝えられた。さらにリーデングは続く。

(中略)

(彼はその後2度ほど再生しているらしい。そして前世は)

p255ーあなたはイギリスの人生に於いて、アカデミズムの世界にどっぷりと浸かっており霊学や精神世界に関心は出てきたのですが、

充分に使命に踏み切るということをしないまま自分の立場を擁護し、地位や評判を失うことを恐れてやらずじまいで終わったのです。

p258-要するに、前世での私は、霊的無知から脱却し、霊的真理を広めようと思えば、私なりの貢献ができたはずなのに、地位、名誉などに「傷がつく」或は、それを失うことを恐れて、積極的にかかわろうとしなかった。

つまり真理を知って、それを人に伝える責任を果たす道があったのにその道を選ばなかった。その道を今生では選ぶべく、導かれたということになる。

 
終章p330  神の恵みと宇宙の摂理


 人は死ぬと、焼かれて灰になって無に帰すると考えるのは、無知である。愛する家族が亡くなっ
て、もう決して逢うことも話し合うことも出来ないと嘆き悲しむのは、間違いである。

私は、富子と潔典を大韓航空機事件で失って以来、永い年月、その無知と間違いの中で生きてきた。

そして今
では、無知であること、嘆き悲しむことの間違いの恐ろしさを、痛いほどに思い知らされている。人は死なない。というより、死ぬことはできない。・・・


          

   
   白血病の少年のカルマ

 とある霊界通信のホームページで、男の子が”白血病で危険な”状態と言う。

みなさん「エネルギーを
送ってください」と言う書き込みがあった。常にみている掲示板で管理人も一度逢った方だったので私もエネルギーを常々送ったりしていた。

1週間位後に”亡くなりました”と教えられた。

私はその子
(両親も含めて)のカルマが知りたいと思っていたら、簡単な情報なら教えられますと言う。以下(今は殆どここの掲示板は見ません)

 「彼らはある過去世でもやはり夫婦であり、親子でした。彼らが暮らしていたのは今のフィリピンでは無く、もっと文明が開けた国でした。

彼らは授かったその子をとても可愛がっていました。その人生でもその子は難病に罹り、医師からは治療をしても回復する見込みは殆どないと宣告されま
した。

彼らは特に貧しくありませんでしたが、莫大な治療費を負担するには、自分達の財産を大きく減らさねばなりませんでした。

 それに躊躇した両親は、安上がりの民間療法(?)を受けさせましたが、実際には彼らはすでに諦めていました。やがてその子は息を引き取りました。

今回、彼らの息子は、治る見込みがなくて
も、多額の治療費を我が子のために負担する埋め合わせの機会を提供するために、再び彼らの元に生れてきました。

両親が死を受け入れながらも最後まで、治ることへの希望を捨てないことも
必要でした。

 あなた方のエネルギーの応援によって、両親はそれらをクリアすることができたのです。

そしてその子は、過去世で成長する筈であったところまで体を大きくして、霊界に
戻ることになっていまし
た。

あなた方のヒーリングがなければ、そこまで行けなかった可能性が高かったのですから、あな
た方は充分な力になれたのです。

それを喜び、その子の平安と、これからの両親の幸せを願ってあげて下さい。」という回答でした。


 自分のカルマって中々気付きませんが言われてみれば胸にグサッと来る筈です。

私は娘のカルマを娘に言ったら、やはり胸に グサッときて次の言葉が暫く出てきませんでした。本人の心に重くのしかかっていたからでしょう。

  
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宇宙の全てが知れる仕組み (三)p-107 GVオーエン著 ベールの彼方の生活  

 (前略)一人ひとりの人間の一つ一つの思念が宇宙全体に響き渡っていると言うだけである。

宇宙に瀰漫する流動体(オリバーロッジの言うエーテル質のことであろう)の性質は極めて鋭敏であり緻
密であり連続性に富んでいるので、かりに貴殿が宇宙の一方の端をそっと触れてだけでも他の端まで響くであろう。

いや、その”端”と言う言葉がまたいけません。地上での意味で想像して頂い
ては、こちらの事情に合わなくなります。

貴殿にその驚異を判って頂くために私が伝えようとして
いるのは、救世主イエスが特に名称を用いずに次のようにただその機能だけを表現したものと同じである。

  地上に関する情報や報告が地上と接した界層の者によって、ひっきりなしに上層界に送られ、その情報処理に最も適した界まで来る。これが極めて迅速に行われる。が、

その素早い動きにあっ
ても、通過する界によってふるいにかけられ、目指す界に届けられた時はエキスだけと成っている。

地上の人間の願望も祈りも同じようにふるいにかけられた上で高級界へ届けられる。 


 地上界のあらゆる思念、あらゆる行為が、天界へ向けて放送され録音され記録されている。

能力を有する者なら誰でもがそれを読み、聞く事が出来ます。生のままであり、しかも消えてしまう
事がない。が、

その装置は言語では説明できません。・・・一人ひとりの人間の一つ一つの思念が宇宙全体に知れ渡り響き渡っていると言うだけである。

宇宙全体に瀰漫する流動体(エーテ
ル質)の極めて鋭敏であり緻密であり連続性に富んでいるので、かりに貴殿が宇宙の一方をちょっと触れただけで宇宙全体まで響くであろう。

曰く”汝の髪の毛一本が傷つくも、一羽のひなが巣
から落ちるのも、父なる神は決してお見逃がしにはならない”と。

 実はこちらには祈りを担当する専門の霊団がいて、地上より送られてくる祈りを分別し、選別して、幾つかの種類に区分けした上で次の担当部門に送る、

そこで更に検討が加えられ、その価値評価に従って然るべき処理されているのです。




 
 
   種の起源   (二)P88  ベールの彼方の生活

 (前略)さて、私は人間が”種の起源”と呼んでいるところのものについて、その霊的な側面を少し説いてみたいと思う。

が結論から申せば、動物的生命の創造の起源は物質界に在らずして吾々の天界に存在する。

こちらへ来て吾々が学んだことは、宇宙が今日の如く形態の構成へ向けて
進化の道を歩み始めた時、

その監督と実践とを受け持つ高き神霊がさらに高き神霊界より造化の方針を授かり、その方針に基いて彼らなりの知恵を働かせたいと言うことである。

 その時点においてはまだ天界には物的表現としての生命の形態と知能の程度に多様性があったと想像される。

そして結果的にはその発達を担当すべく任命された神霊の個性と種別を反映さ
せて行くことに決定が下された。

そしてその決定に沿って神の指示が発せられた。

何故かと言えば、計画が完了したとき、相対的にはそれで結構であるとの神の同意が啓示されたのであって、
その時点ですでに完璧ということでは無かったのである。

 ともかく宇宙神が許可を下され、さらに各神霊がそれぞれの才覚と能力に従って神の意志を反映させて行く自由を保証されたと言うことである。

かくして動物、植物、鉱物のさまざまな種と序列、
そして人類の種族と民族的性格とが生れた。

そしていよいよ造化が着手された時、宇宙神は改めて全面的是認を与えた。聖書風にいえば神がそれを”なかなか結構である”と仰せられたので
ある。

が造化に直接携る神霊は如何に霊格が高いとはいえ全知全能の
絶対神には劣る。

 そして宇宙の経綸の仕事は余りに大きくあまりに広いが故に僅かな不完全さが造化の進展に伴って大きくなっていった。

それが単純な知能、とくに人間の如き低い階層の知能にはことさらに莫大にそして巨大に見えたのである。

何となれば、小さくそして未発達な知性には善と悪とを等しく
見ることができず、むしろ邪悪の方が目にとまりやすく、善なるものが余りに高尚にそして立派に思えて、その意義と威力を掴みかねるのである。が、

人間が次の事を念頭に置けば、その不完全さの中にも驚異と叡知とが渾然として存在するこ
とが容易に納得がいくことであろう。それはこう言うことである。

海は海洋動物だけの為に造られたのではない。空は鳥たちだけの為に造られたのではない。

それと同じで、宇宙は人間だけの為
に創造されたのではないと言うことである。

人間は海にも空にも侵入しそこを我が王国のように使用している。

それは一向に構わない。魚や鳥たちのものとは決まってはいないからである。


 より強力な存在が支配するのは自然の理で在り、地上では人間がそれである。

人間は自他ともに認める地上の王者で在り、地上を支配する。神がそう位置づけたのである。

が、宇宙には人間
より更に偉大な存在がいる。そして人間がその能力と人間性の発展の為に下等動物や植物を利用する如く、更に偉大なる存在が人間を使用する。

これは自然であり且つ賢明でもある。何とな
れば大天使も小天使も、さらにその配下のもろもろに神霊も所詮は絶対神霊の配下にあり、常に発達と修養を必要としている点は人間と同じだからである。


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   十界の様子  (二)p73 ベールの彼方の生活

 私の家を外部より眺めた様子を、地上に近い界の一住民に叙述によって紹介しよう。

彼は私の
家を見た時に“隠し得ぬ光に包まれし丘の都”(マタイ5・14)と言う言葉を思い出したという。

見た時の位置は遥か遠くであったが、その光に思わず立ち止り地面へ降下した(そこまで空中を飛行
していたのである)。

そこで暫し彼は眼を覆った。それから徐々に遠くに輝くその建物が見えるようになったのであった。例の塔(第一巻参

照)も見えたが、その青い
光が余りに強烈で、何処まで光輝が届いているのか見わけがつかなかったという。

天上へ向けて
限りなく伸びているかに思えたのである。

 それから例のドームもー赤色のもあれば黄金色もあるーその光輝が余りに眩しく、どこで終わっているのか、

その全体の規模を見ることが出来なかっ
た。門も外壁も同じく銀色、青、赤、すみれ色に映え、眩いばかりの光で丘全体と周囲の森を覆いつくし、

それを見た彼は、そこにいかにして入りそして無事その光に焼き尽くされずに戻れるだ
ろうかと思ったとのことであった。

 私は倫理運動を25~6年以上近く学んできたのでシルバーバーチの霊訓の中味は素晴らしいの一言に尽きるのですが、

倫理運動も中味においては「大自然の法則」を主眼とし、利他愛の実践等、

スピリチュアリズムで言う「神の法則・摂理」とほぼ一致するのです。

従ってGVオーエンの「ベ
ールの彼方の生活」も、とても新鮮さを感じています。

この切抜きだけでは物足りなさを感じて当然、全巻(四巻)を読まれる事をお勧め

します。


    ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・・^・^  


  

   GVオーエン ベールの彼方の生活(一)p109 (潮文社)
  
   霊界の科学館       1913年10月11日土曜日

  昨夜は時間がなくて簡単な叙述に終わってしまったので、今日はあのコロニーでの体験の幾つかを述べて見たいと思います。

そこにはいろんな施設があり、その殆どは地上の人間で死後の世界について疑問に思っている人、迷っている人を指導するにはどうすれば一番効果的かを研
究するためのものです。

昨夜お話した私達の体験を比喩として吟味されれば、その中に託された教訓をふくらませることができると思います。

 さて、あの後に指導霊の一団の引率で私達はすでにお話しした境界の外側へ出ました。

そこは
芝生地ですが、それが途方もなく広がっているのです。

そこは時おり取りおこなわれる高級界の神霊の”顕現”する場の一つです。

召集の通達が出されますと各方面からそれはそれは大勢の
群衆が集合し、その天界の低地で可能な限りのさまざまな荘厳なシーンが展開します。

そこを通り過ぎて行くうちに次第に上り坂となり、辿り着いたところは台地になっていて、そこに大小さまざ
まな建物が幾つかたっております。

 その中央に特別に大きいのが立っており、私達はそこへ案内されました。

入ってみるとそこは何の仕切りもない、ただの大きなホールになっております。

円形をしており、周りの壁には変わった
彫刻が施されております。

細かく調べてみますと、それは天体を彫ったもので
その中には地球もありました。固

定されているのではなく回転軸に乗っていて、半分が壁の中にあり半分が手前にはみ出ております。

 そのほか動物や植物や人間の像も彫られていて、そのほとんどが壁のくぼみ、つまり入れ込みに置いてあります。

訪ねてみますとそこは純粋な科学教育施設であるとのことでした。

私達はそ
の円形施設の片側に取り付けられているバルコニーに案内されました。そこは少し出っ張っていますので全体が一望できるのです。



   これからこの施設がどのように使用されるかを私達のために実演して見せて下さることになりました。

腰かけて見ておりますと。青い霞の様なものがホールの中心付近に立ち込みはじめました。

と同
時に一条の光線がホールの中をさっと走って地球儀の上に乗っかりました。

すると地球儀がまるでその光を吸収して行くかのように発光し始め、まもなく光線が引っ込められた後も内部から輝き
続けました。

と見ているうちに今度は強烈な別の光線が走って同じように地球儀の上の乗りました。

すると地球儀がゆっくりと台座から離れ、壁から出て宙に浮きました。

 それがホール中央部へ向けて浮上し、青い霞の中へ入ったとたんに誇張をしはじめ、輝く巨大な球体となって浮かんでおります。

その様子は譬えようもなく美しいものでした。それが地球と同じようにゆっくりと、実にゆっくりとした速度で回転し、その表面の海洋や大陸が見えます。

その時は
まだ地上で使われる平面図にすぎませんでしたが、回転するうちに次第に様子が変わってきました。

 山脈や高地が隆起し、河や海の水がうねり、さざ波、都市のミニチュア、建物の細々とした部分までが見え始めたのです。

きめ細かさがどんどん進んで、人間の姿ー最初は群衆が、やがて一
人ひとりの姿までも見分けられるようになりました。

直径80フィートから100フィートもあろうと思わ
れる球体の上で生きた人間や動物が見えるというシーンは、とてもあなたには理解できないでしょう。

がそれがこの施設の科学の目的なのです。つまり各天体上の存在を一つ一つ再現することです。

  
 その素晴らしいシーンはますます精度を増し、回転する球体上の都市や各分野で忙しく働いてる人間の様子まで見えるようになりました。

広い草原や砂漠、森林そこに生息する動物の姿まで見えました。さらに回転して行くうちに、今度は内海や外洋が見えてきました。

あるものは静かに波
うち、あるものは荒れ狂っております。

そしてそこここに船の姿が見えます。つまり地上生活の全てが目の前に展開するのでした。

 私は長時間そのシーンに見入っておりました。するとその施設の係の方が下の方から私達に声を掛けられました。

おっしゃるには、私達が見ているのは現時点での実際の地上の様子で、もし
お望みで有れば過去へ遡って知性をもつ存在としての人類の起源まで再現できますと言うことでした。

是非その見事な現象をもっともっと見せて頂きたいともうしあげると、その方は現象の全てをコントロールしていると思われる機器のあるところへ行かれました。

 その話の続きは後にして、今あなたの心の中に見えるものについて説明しておきましょう。

そのホールは暗くありません。全体が隅々まで明るいです。

ですが球体そのものが、強烈でしかも不快
感を与えない光に輝いているために、青い霞の外側が何となく薄暗く見えるまでです。

その霞のあるところが球体の発する光輝の領域となっているようでした。

さて程なくして回転する球体上の
光景が変化し始めました。

そして私達は長い長い年月を遡り、人間がようやく森林から出て来て平地で集落をこしらえるようになった頃の地上の全生命ーー人間と動物と植物の太古の姿を目
の当たりにし始めました。

 さて、ここでお断りしておかなければならないのは、太古の歴史は地上の歴史家が言っているような過程を辿ってはいないと言うことです。

当時の現象は"国家"と"世紀"の単位でなく”種”と”累
代”(*)の単位で起きておりました。何代もの地質学時代がありました。

人間が鉄器時代、とか
石器時代、氷河期と呼んでいる時期を見ますと実に面白い事が発見されます。

あらかじめある程度知識をもつ者には、どうもそうした名称がでたらめであることが分かるのです。

 と言いますのは、例えば氷河期は当時の地球の一、二の地域に当てはまるかもしれませんが、

決して全体が氷で覆われていたわけではないことが、その球体を見ていると判るのです。

それも大てい一時代に一つの大陸が氷で覆われ、次の時代には別の大陸が氷で覆われていたので
す。が、

そうした歴史的展開の様子は地球が相当進化したところで打ち切られました。

そうしてさっきも述べたように人類の出現はその時はすでに既成事実となっておりました。 

    (*地質学
的時代区分を二つ以上含む最大の単位ー訳者)

 どんどん様相を変えて行くこの多彩な宝石のような球体に魅入られ、これが他ならぬわが地球なのかと思い、

それにしては自分達が何も知らずに居たことを痛感していると、その球体が自然に
小さくなって、

もとの壁の入れ込みの中へ戻りやがて光輝が薄れていき、ついには最初に見かけた時と同じただの石膏の彫り物の様になってしまいました。

 この現象に興味をそそられた私達が係の人に尋ねると、そこの施設についていろいろと解説して下さいました。

今見た地球儀にはもっと科学的な用途があること。あのような美しい現象を選んだのは科学的訓練を受けていない私達には美しさの要素の多いものが適切であるからと考えたか
らであること、

科学的用途としては例えば天体と天体との関連性とか、

其々の天体の誕生から現在までの進化の様子が見られるようになっていること。等々でした。


 壁にはめ込まれた動物も同じような目的に使用されると言うことでした。

地球儀と同じように光線
が当たると光輝を発してホールの中央部へやってきます。

そこでまるで生きた動物のように動き回ります。事実ある意味ではその間だけは生きた動物となっているのです。

それが中央の特殊な
台に乗っかると拡大光線(本当の科学的名称を知らないので仮にそう呼んでおきます。)

を、当てられ、さらに透明にする光線を当てられます。

すると動物の内臓が丸見えとなります。

 施設の人の話によりますと、そうやって映し出される動物あるいは人間の内部組織の働き具合を実に見応えのあるものだそうです。

そのモデルに別な操作を施すと、今度は進化の過程を逆戻りして次第に単純になって行き、ついには哺乳動物としての原初形体まで遡って行くことができま
す。

つまりその動物の構造上の発達の歴史が生きたまま見られと言うわけです。

面白いのはその操作を誤るとまちがったコースを辿ることがあることで、その時は初期の段階が終わった段階
で一旦元に戻し、もう一度やり直して、

今度は正しいコースを取って今日の段階まで辿り着くということがあるそうです。

 また、研究生が自分のアイディアを組み入れた進化のコースを辿らせてみることもできるそうです。

動物だけでなく、天体でも国家でも民族でも同じことができるそうですが、それを専門的に行う設備が別のホールにあるとのことでした。

  
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 霊界の科学館、素晴らしいですね、この切抜きを唯物論者が見たら何というでしょうね。

当然馬鹿らしくて見向きもしないでしょうが、霊界から地球を見ますと地球の進化レベルは広大な宇宙の無数の惑星の中で下から2番目の低さだそうですから、

私達人間もいやはやお粗末です。

人間界で自惚れたり、傲慢になることなど更々ないのです。

 シルバーバーチは「地上には偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育者と言われている方が大勢いますが、実際はこちらの世界からの情報の媒体にすぎないのです。

真理とか発明とかは地上に届けられればいいのでして、誰がそれを伝達するかはどうでもよい事なのです。」

と言っています。偉大な発見だのノーベル賞だのと人は騒ぎますが、

それは霊界からのインスピレーションを与えられただけであって、地上にそれが今必要だから、という霊界側からの働きかけにすぎないということらしいです。

 私達は幸いにも、その高級霊界からの通信を手にされ、シルバーバーチを始め霊界の神庁から発せられた霊的真理を学べるところまで進化したのです。

シルバーバーチの通信が終わって未だ30年しか経過していないのです。

まだまだ霊的真理普及の道は厳しいのですが”神は必ず勝利します”と言うシルバーバーチの言葉を信じて、

誰でもが当り前に歩むススピリチュアリズムの道を作っているのだとの強い自覚を持ち、支え合い、分かち合い、助け合い、慈しみ合って生きて行きましょう。

霊格(学び)が其々違っていても、純粋に、素直に、共に学び”スピリチュアリズムの敵はスピリチュアリズムの中にあり”等と言われることのないようにしたいものです。

地上において志半ばで霊界へ旅立ったとしてもこのように霊界では学びたければ幾らでも学べるのです。

霊界の素晴らしさに・・・感嘆させられます


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   霊界のカレッジ
霊界のパピリオン

1913年10月13日  月曜日

 例のコロニーでの、貴方の喜びそうな体験をもう一つお話しましょう。私にとっても初めての体験で興味ぶかいものでした。

全体として一つのグループを形成してる各種の施設を次々と案内して
いただいていると、屋外パピリオンのようなものに出ました。

何本もの高い円柱の上に巨大なドームが乗っているだけで、囲まれている内部に天井がありません。

建物の周りについている階段か
ら壇上に上がると、その中央に縦横三フィート、高さ四フィートばかりの正方形の祭壇が設けてあります。

その上に何やら日時計のようなブロンズ製の平たい板が立ててあり、直線やシンボル、幾何学的図形などがいろいろと刻まれてありました。

 その真上のドームの中央部に通路があり、そこから入っていくとその施設の器械の操作室に出るとの話でした。

私達をその文字盤(と呼んでおきましょう)の周りに並ばせて、案内の方はその場を離れてドームの天井へ上がり操作室へとはいられました。

何が起きるか分から
ないまま、私達はジーとその文字盤を見つめておりました。

すると様子が変化し始めました。まず
空気の色彩と密度が変わってきました。

 辺りを見ますとさっきまでの光景が消え、円柱と円柱との間に細い糸で出来たカーテン状のものが広がっておりました。

さまざまな色調の糸が編み合わさ
っています。それが見る見るうちに一本一本分れ、判然とした形態を整えていきました。

すっかり整え終わった時、私達は周りは林によって囲まれた空地の中に立っておりました。そしてその
木々がそよ風に揺られているのです。


 やがて小鳥のさえずりが
聞こえ、木から木へと飛び交う綺麗な羽をした小鳥の姿が目に入りました。林は尚も広がり、美しい森の趣となってきました。

ドームも消え、屋根のように樹木が広がっているところを除いては一
面青空が広がっておりました。

再び祭壇と文字盤に目をやると、同じ位置にちゃんとありましたが、文字盤に刻まれた図形やシンボルは祭壇の内部から発しているように思える明りに輝いてお
りました。

やがて上の方から案内の方の声がして、文字盤を読んでみるようにと言われます。

最初のうち誰にも読めませんでしたが、そのうち仲間の中で一番
頭の鋭い方が、これは霊界の植物と動物を構成する成分を解説しているものです。

と言いまし
た。

 その文字盤と祭壇とがどのような関係になっているのかも明らかとなりましたが、それは人間の言語で説明するのはちょっと無理です。

ですが分かって見るとなるほどと納得がいきました。

の後案内の方が再び私達の所へ来られ、その建物の使用目的を説明てくださいました。

ここの研究生たちが“創造”についての進んだ科学的学習を行うためには、創造に使用される基本的成
分について十分に勉強をしておかねばならないようです。

それはあ
たり前と言ってしまえば確かに当たり前のことです。

 この建物は研究生が最初に学習する施設の一つで、霊の文字盤は上の操作室にいる研究生が自分なりに考えた成分の組み合わせやその
比率などの参考資料が記されているのです。

案内して下さった方はその道の研究で相当進んだ方で、さっきの森のシーンも同じ方法でこしらえたものでした。

進歩してくるとその装置を使用しな
くても思い通りのものが創造できるようになります。

つまり一つずつ装置が要らなくなり、ついには何の装置を使わずに自分の意念だけで造れるようになるわけです。


 そこで私達は、そうした能力が実生活においてどのような目的に使用されるかを尋ねてみました。

するとまず第一に精神と意思の鍛錬が目的であるとのことでした。

その鍛錬は並大抵のものではなく、大変な努力を要するとのことで、それが一通り終了すると次は同じくこの界の別のカレ
ッジへ行って別の科学分野を学び、

それでもさらに多くに段階の修練を積まねばならなりません。



 その創造的能力が本当に自分のものとなり切るのは、いくつもの界でそうした修練を経たのちの
事です。

その暁にはある一人の大霊、大天使、能天使(本当の呼び方
は知りません)の配下に属する事を許され、父なる宇宙神の無限の創造的活動に参加することになります。

その時に見られる創造の過程は荘厳を極めるとのことです。


 お話を聞いた時はそれは多分新しい宇宙ないしは天体組織の創造―物質か霊的かは別としてーの事かも知れないと考
えたりしました。が、

そんな高い界の事は現在の私達にはおよその概念程度ことしか掴めません。

しかもそこまで至るには人智を絶した長い長い年月を要するとのことです。

勿論そういう特殊
な方向へ進むべき人の場合の話です。

どうやらそこを訪れた私達五人の女
にとっては、向上の道は別の方角にあるようです。

でもたとえ辿るべき宿命は違っていても、さ
まざまな生命活動を知りたいと思うものです。

 すべての者が宇宙の創造に参加するとは限らないと私は思います。

遥か彼方の、宇宙創造神の玉座に近いところには、きっと創造活動とは別に、
同じく壮大にして栄光ある仕事があるものと確信しております。

芝生の外郭を通って帰る途中で、別の科学分野を学ぶ別のカレッジへ行っていた研究生の一段と出会いました。

男性ばかりでは
ありません。女性も混じっております。


 私がその女性たちにあなた
方も男性と同じ分野を研究しているのですかと尋ねると、

そうですと答え、男性は純粋に創造的
分野に携わり、女性はその母性本能でもって産物に丸みを持たせる働きをし、双方が相俟って完成美を増すことになると言うことでした。

勿論その完成美といってもその界の能力の範囲内で
可能な限り美しく仕上げると言う意味です。

まだまだ天界の低地に属するこの界では上層界への進歩が目的であって完璧な完成ということはあり得ないのです。(後略)

         ・    ・    ・    ・    ・    ・    ・    ・    ・    ・    ・


 霊界には音楽の街には音楽学校があり、そこでは音楽的創造力の養成に努め、そういった養成所がありとあらゆる部門に設置されている。

そしてその成果がひっきりなしに届けられ、すぐさま
検討と分析を経て記録され、必要な場合には付属実験所で綿密なテストを行います。

実験所は沢山あります。

   ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^   

 人生を道半ばで逝った方に、我々は非常に残念だろうと、悲しみの涙を流しますが、霊界では幾らでも、しかも心行くまで学べるのです。

地上に存在する全てが霊界の写し絵で有ると言うのです。

地上に未だテレビが無かった遥か以前から霊界では無線通信がおこなわれ、しかも画像通信だったと言うのです。

上記の霊界のパピリオンでは、想ったものが何でも作れる意念の研究でした。

ページを戻ってp96念力による創造実験を切抜きます。


   ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^

 
 
創造実験

 有る時、こうした勉強をしている仲間が集まって、どの程度進歩したかを試してみましょうと言うことになりました。

そこで美しい森の空地を選び、全員で有る一つの像を念じてその出来具合を見
ました。

私達が選んだのは、後で調べるのに都合が良いように、固くて長持ちするということで象に似た動物でした。

象とは少し違います。こちらにはいますが地上ではもう絶滅しました。

私達は
空地で円座を組み、その動物を想像しつつ意念を集中しました。

 すると意外に速くそれが目の前に姿を現しました。こんなに速くできるものかと皆で感心しました。

 しかし私達の目には二つの欠点が見えました。一つは大きすぎると言うこと。全員の意念を加減することを忘れたのです。

もうひとつは確かに生きた動物では有るけれど、部分的には石像のよ
うなところもあることです。

生きた動物を想像して念じた者が多かったからそうなったので、結局は石と肉と混合の様な、妙なものになってしまいました。

他にも
挙げれば細かい欠点が色々と目立ちます。

例えば頭部が大きすぎて胴が小さすぎました。念の
配分が片寄っていることを示すものです。

こういう具合に欠点を知り、その修正方法を研究します。

実験してみてはその成果を検討し、再びやり直します。・・・・



 そうして捉えた像から注意を逸らして語り合っていると、その像が徐々に姿を消して行きます。

そこでまた新たにやってみる訳です。

私達は同じモデルは二度と使用しないことにしま
した。送念の仕方が一つのパターンにはまってしまう恐れがあるからです。

そこで今度は実の付
いた果樹にしました。オレンジの木に似ていますが、少し違います。

今度は前よりうまく行きました。失敗点の主なものとしては果実が熟したものと熟していないものとがあったこと。

それから葉
の色が間違っていましたし、枝の長さに、まとまりがありませんでした。

こうして次から次へと実験し、その度にすこしずつうまくなっていきました。

 あなたにはこうした学習の愉しさや、失敗から生れる笑いやユーモアがある程度は想像して頂けると思います。

死後の世界には冗談も、従って笑いも無いかのように想像している人は、いずれその考えを改めて頂かねばなりません。

そうしないとこちらへきてから私達とお付き合いがしにく
いーいえ、私達のほうがその方達とお付き合いしにくいのです。(後略)

   ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・
   
 なんと微笑ましい光景ではありませんか。落語か漫談を聴いているような楽しい気分にさせられます。

そこでその意念を我々地上人が発した場合には、どのように霊界で聴き届けてくれるのでしょうか。(一)p206から切抜きます。

    ・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^・^

 
 
  祈願成就の原理

 (前略)祈りとは成就したいと思うことを要求するだけのものではない。

それより遥かに多くの要素をもつものです。であるからには、これまでよりも慎重に考察されてしかるべきものです。

祈りに
実効を持たせるためには、その場限りの事柄を避け、永遠不易のものに精神を集中しなくてはならない。

そうすれば祈りの中に盛りこみたいと思っていた有象無象の頼みごとの大部分が視界か
ら消え、より重大で幅広い問題が想像力の対象として浮かび上がってくる。

祈りも現実的想像性があります。

例えば数匹の魚を五千人分に増やしたと言うイエスの奇跡(ヨハネ6)に見られるように、祈りは意念の操作による想像的行為である。

その信念のもと
に祈りを捧げれば、その祈りの対象が意念的に想像され、その結果として”祈りが叶えられる“ことになる。

つまり主観的な願いに対し、現実的創造作業による客観的解答が与えられるのです。


祈りの念の集中を誤っては祈りは叶えられません。

 放射された意念が目標物にあたらずに逸れてしまい僅かに的中した分しか効果が得られないことになる。

さらにその祈りに良からぬ魂胆が混入しても効果が弱められ、こちら側から出す阻止
力または規制力の働きかけを受けることになります。ど

ちらを受けるかはその動機次第ですが、いずれにせよ望み通りの結果は得られません。

さて、こうしたことは人間にとっては取り留めのな
い話の様に思われるかもしれませんが、吾々にとっては些かもそうではない。

実はこちらには祈りを担当する専門の霊団がいて、地上より送られてくる祈りを分別し、選別して、幾つかの種類に区分けした上で次の担当部門に送る、

そこで更に検討が加えられ、その価
値評価に従って然るべき処理されているの

です。(後略)


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 私が霊界にお願いした、子供時代に体験した治癒力を今一度与えて下さい。と強力にお願いした祈りが聞き届けられたとしか言いようがありません。

肉欲に現をぬかしても、肉体は用が済めば朽ち果てるだけなのですから。学べば学ぶほどに人間の存在は小さなものでしか有りません。

自惚れたり傲慢になったりして居る人を見ますと、ああ・・何も知らないと言うことは幸せなのか?。と、可哀想になります。


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 「タイタニック沈没から始まった永遠の旅
                       ウィリアム・ステッド(william T・Stead)ハート出版 近藤千雄訳

 p31「地上時代にスピリチュアリズとの出会いによって、驚くと同時に感動したのと同じように、私は、

今度はこちらへ来て見て、地上時代に得た霊的知識が重要な点に於いて百%正確であるこ
とを知って驚き、かつ感動しました。

そうと知った時の満足はまた格別でした。と言うのも基本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことがいくつかあったのです。

それ
だけに実際にこちらへ来て見て、それが”まさか”と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。


 どこか矛盾しているように思われる方がいるかもしれません。

確かに矛盾しているのです。と申すのも、私の地上時代の不安は、もしかしたら霊の世界には地上とは全く異なる存在原理があっ
て、地上界へ届けられる霊界の事情は、

人間に理解できるように表現されているのであって、あるがままを正確に叙述したものではないのではないかという推察に根ざしていたのです。

ところが
現実は地上とそっくりでした。

私が地上を去って霊界入りする様子については、ここではあまり述べたくありません。


  すでにいろんな場所で何度ものべております。死の瞬間は当然のことながら、大変な混乱状態となりました。が、

それが治まってからは、死後の後遺症のようなものは、二度と体験しておりま
せん。

が、その死の瞬間のことは述べる気になりません。

何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態の中にありながら、他の溺死者の霊を私が救出する側の一人であったことです。

私自身も本
当は大変な状態にあった筈なのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたと言う、その絶妙な転機は、素直に言って、全くの驚きでした。


  その時の事情が事情でしたから、何故だろう?  何のために?  といったことを考える余裕はありませんでした。

そんな疑問が顔をのぞかせたのは、すこし後のことです。

落ち着く暇もなく、私
を更に驚かせたのは、とっくに昔に他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。

死んだことに気付く最初の原因となったのはそのことでした。

そうと知ってドキッとしました。次の瞬間、
私は、自分で自分を点検しておりました。一瞬のうろたえはありました。が、それはホンの一瞬のことです。

すぐに落ち着きを取り戻すと、死後の様子が地上で学んでいた通りであることを知って、何とも言えない嬉しい気持ちになりました。

ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれ
ば!

と、どんなに思ったことでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした」。


  如何ですか? たった短いこの文章だけでもわくわくしませんか?スピリチュアリズを知った嬉しさ、学ぶ楽しさ。・・死後の世界の素晴らしさ。

一日も早く逝きたい?そんな気にさえさせます。私な
んか早く逝きたくてワクワクしていますが、残念ながら前世での私は早死にしたので(30歳)、今生はその分90才の長命だそうです。

しっかりと霊的真理を一人でも多くの方に届ける仕事が今
生の使命ですので、使命を果たし、胸を張って還りたく思います。


     

 このウィリアム・ステッド゙が「精神病治療のプロセスを通し、スピリチュアリズによる病気治療とヒーリングの効果を科学的に実証していった真実の記録」758p・・・”迷

える霊との対話”(ハート出版)著者C.A.ウィックランド 近藤千雄訳 に、あの世から登場しているのです。これも感動的でした。

更にニューズレターにウィリアム・ステッドが生前受信し発表した図書”ジュリアからの音信”(間違えたら御免なさい)を発刊したいとニューズレター何号かに書かれていましたので、とても期待しています。





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イエスは
「地上を旅する者であれ、地上を住処とするなかれ」 「この世を旅する者であれ、この世の者となるなかれ」と説く

キリスト教の説くイエス・キリストではありません。偽り伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座に祭り上げられたキリストではありません。  
              不滅の真理p186