シルバーバーチの霊訓(5)

PC版
                               
   More Teachings of Silver Birch
            Edited by A . W. Austen
               Psychic Press Ltd.
                London,  England      
                           
  シルバーバーチの霊訓 (5)
  A・Vオースティン編 近藤一雄訳
               


   第一章 シルバーバーチとは何者か
   第二章 死は第二の誕生 
   第三章 死後の後悔

   第四章 軽蔑と嘲笑の中で
         スピリチュアリズムの歩み
   第五章 迷いの過去から悟への未来へ
   第六章 イエスは今何をしているか

   第七章 動物は死後どうなるか
   第八章 病気は自分で治せる
   第九章 神は愛の中にも憎しみの中にも

   第十章 二人の幼児と語る
第十一章 青年牧師との論争
第十二章 参戦拒否は是か否か

第十三章 質問に答える
解説 「動機」と「罪」(訳者)



     
   第一章 シルバーバーチとは何者か

「私は荒野に呼ばわる声です。神の使徒以外の何ものでもありません。私が誰であるかと言う事が一体なんの意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかはやっている事で判断して頂き
たい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するにあなた方人間世界における私に仕事が暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私は幸せなのです」

これはある日の交霊会のメンバーの一人がシルバーバーチの地上での身元について尋ねた時の答えである。

シルバーバーチがインデアンでないこと、本来の高遠の世界と地上の間の橋渡しとして一人のインデアンの幽体を使用しているところの、高級霊団の最高指揮者であると言う事までは、吾々にも知れているが、これまで好奇心から幾度地上時代の実名を尋ねても、

まだ一度も明かしてくれていない。ラベルよりも仕事の成果の方を重んじるのである。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、次の様に述べる。

「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界の一役を担う者
として、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせる為に私を地上へ遣わした一団の通訳に過ぎません。私の事を何時もマウスピース(代弁者)として考えて下さい。

地上に根付こうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊の声を代弁しているに過ぎません。

私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全な意思の統一のもとに、一丸となって協調体制で臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用する如くに彼らも私を使用し、永い間埋もれてきた霊的真理、それがいままさに掘り起こされ無数の男女の生活の中で、本来の場を得つつあるところですが、、それを地上の全土に広げんとしているのです」

・-・でも私達にとって、あなたは単なる代弁者の声では無く実在の人物です。

「私は別に私には個性が無いと言っているのわけではありません。私にもちゃんと個性はありま
す。ただ、こちらの世界では”協調”と言う事が大原則なのです。一つに大きなプランがあり、それに従って共通の利益の為に各自が持てるものを貢献し合うと言う事です。

身分の高い低いもありません。あるのはそれまで各自が積み上げてきた霊的成就の差だけです。開発した霊的資質と能力を自分より恵まれない人の為におしみなく活用し、代わってその人達も自分より恵まれない人のために持てるものを提供する。

かくして地上の最低界から天界の最高界に至るまで連綿として強力な霊的影響力の輪が繋がるのです」

(地上の人間から見れば他界した者は全て”あの世”の人間、つまり霊界のように考えがちであるが、それは目に見えない存在となったからそう思えるまでの事で、霊的な程度の点ではその大半が地上圏に属しており、霊界から見れば肉体のあるなしに関係なく”地上の人間”であることに変わりはない。モーゼスの霊訓のイムペレーター霊は宇宙を大きく

三層に分類し、最下層の煉獄の七つの界の最高界が地上で、次に試練の中間層が七界続き、その後に真の実在界が存在すると言う。その究極の到達点はいかなる霊も知り得ない。と述べている)


・-・地上もそう言う事になれば素晴らしい事ですね。

「いずれはそうなるでしょう。神の意思は必ず成就されて行くものだからです。その進行を邪魔し遅らせる事は出来ます。しかし、その完成・成就を阻止する事は出来ません」

この件に関して別の日の交霊界では次のように述べている。

「私はこれまで、あなた方の友として、守護者として、指導者として接して参りました。何時もすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格を具えた存在であろうとそれはあなた方人間との密接な接触を妨げることにはならない事、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、

出来得る限りの援助の手を差しのべる用意がある事を知って頂きたいと思ってまいりました。

宜しいですか。私は確かに一方では永遠の真理を説き霊力の存在を明かさんとする教師的存在
ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友人でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精いっぱいお役にたちたいと努力いたしております。

どうか困った事があれば、どんな事でもよろしい、何時でもよろしい、この私をお呼びください。もし私にできる事があればご援助しましょう。もし私に手出しできないことであれば、あなた方が自ら背負わなければならない試練として、それに耐えていく為の力をお貸しいたしましょう」

更に別の機会にこう語っている。

「これまでの永い霊界での生活、向上進化を目指して励んできた魂の修行の旅において私が自ら学んできた事、あるいは教わった事は全て、愛の心を持って快く皆さんにお教えしております。


そうする事を神がお許しになると信じるからです。ではその動機とは何か、それは、私のこうした
行為を通じて私があなた方に対していかに情愛を感じているか、いかにあなた方の為を思っているかを分って頂き、そうすることによって、

あなた方の背後に控えていると力には神の意図が託されている事、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識して頂くことにあります。

要するにあなた方への愛が全てを動かし、神から発せられるその愛をあなた方の為に表現していく事を唯一の目的と致しております。

私達霊団のものは功績も礼も感謝も一切求めません。お役にたちさえすればよいのです。

争いに代わって平和を見る事が出来れば、涙にぬれた顔に代わって幸せな笑顔を見る事が出来れば、病と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体を見る事が出きれば、悲劇をなくす事が出来れば、意気消沈した魂に巣くう絶望感を拭いさってあげる事が出来れば、

それだけで私達に託された使命が達成されつつある事を知って喜びを覚えるのです。

願わくは神の祝福のあらん事を。願わくは神の御光があなたの行く手を照らし給い、神の愛があ
なた方の心を満たし給い、その力を得て代わってあなた方がこれまで以上に同胞の為に献身されん事を切に祈ります」

この様にシルバーバーチは自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を良く披瀝する。盛夏を迎え、これでしばしば閉会となる最後の交霊会で次の様な感動的な別れの挨拶を述べた。

「この会もこれよりお休みとなりますが、私たちは無言とはいえすぐそばで引き続きあなた方と共
にあって、可能な限りのインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時あなた方は私達と共に、何時の日か恒久的にあなた方のものとなる喜びの幾つかを体験されます。

しかし、これまでの努力のお陰で、こうして数々の障壁を乗り越えて語り合えるとは言え、私達は普段物質と言うベールによって隔てられておりますが、いついかなる時も身近に居て、情愛を持
って力になってあげておることを知ってください。

私達がお持ちする力は、宇宙最高の霊力である事を心強く思って下さい。私達はもっと身近にして、最も親密な存在である、あなた方の為に尽くす事によって、神に仕えんとする僕に過ぎません。

私の事を、本の一、二週間の間薄明かりの中でしゃべる声では無く、何時もあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化の為に役立つものなら何でもお持ちしようとしている
躍動する生命に溢れた生きた存在とお考えください。

語る時はこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのはまどろこしい限りですが、私は何時も身近に存在しております。必要な時は何時でも私をお呼びください。

私にできることがあれば喜んで援助いたしましょう。私が手を差しのべる事を渋るような人間でない事は、皆さんはもうよくご存じでしょう。樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌する夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。

神がその大自然の無限の変化に富む美しさを持たらして下さっているのです。その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。

森の静けさの中にその風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せ他は返す潮の流れに、花の香に、虫の音に神の存在を見出しましょう。

どうかそうした大自然の背後に秘められた力と一体となるように努め、それを少しでも我がものとなさってください。神は様々な形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません。

大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうした様な形、語りかける声無き声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたのです」

こう述べた後最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して世界中の人々の為に推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて会を閉じた。

「私はあなた方が愛の絆によって一丸となるように、これまで様々な努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。

又、あなた方に自分と言う存在についてもっと知って頂く、つまり、(霊的に)如何に素晴らしく出来上がっているかを知っていただくべく努力してまいりました。さらに私はあなた方に課せられた責任を説き、真理を知ると言う事は、それを人の為に使用する責任を伴う事をお教えしてまいりました。

宗教的儀式のうわべの形式にとらわれずに、その奥にある宗教の核心、即ち援助を必要とする
人々の為に手を差しのべると言う事を忘れてなならない事をお教えしてまいりました。

絶望と無気力と疑問と困難に満ち溢れた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方自ら体現することによって、同胞にもその宝を見出させ、、引いては人類全体に幸福をもたらすことになる、、そうなってほしいと願って努力してまいりました。

私はかつて一度たりとも卑劣な考えを起こさせるような教えを説いた事はありません。一人たりとも個人攻撃をした事がありません。私は終始”愛”をその最高の形で説くべく努力してまいりました。私は常に人間の理性と知性に訴えるように心掛け、私達の説く真理が如何に厳しい調査、

探究にも耐え得るものである事を主張してまいりました。そうした私に世界各地から寄せられる温かい愛念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身して下さるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応える事が出来る様神に祈りたいと思います。

間もなく私は会を閉じ、通信網をひっこめます。再び皆さんとお会いできる時を大いなる期待を持って心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語る事を中止すると言うまでです。

決して私言う霊が去ってしまうわけではありません。もしあなた方の進む道を影が遮るような事が
あれば、もし何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、迷われるような事があれば、どうかそれは実在では無く陰に過ぎない事をご自分に言い聞かせる事です。

羽をつけて一刻も追い出してしまう事です。忘れないでください、あなた方お一人お一人が神であり、神はあなたがた一人お一人なのです。この物的宇宙を顕現せしめ、有機物、無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大や力、恒星も惑星も、太陽も月も生みだした力、

物質の世界に生命をもたらした力、人類の一部に霊を宿らせた力、完璧な法則として顕現し、全ての現象を細大漏らず経綸しているところの巨大な力、その力はあなた方は見放さない限りあなた方を見放す事はありえません。

その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさる事です。そしていついかなる時も神の衣があなたの身を包み、その無限の抱擁の中にある事を知ってください。シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申しあげます・・ごきげんよう」

                        完


          
    
   第二章 死は第二の誕生 
p26
シルバーバーチは死を悲しむべき出来事とは見ていない。それどころか、より大きな意識、より広い自由、潜在意識をより多く表現できる機会(チャンス)を与えてくれる、喜ぶべき出来事であると説く。

「この交霊会も死が幻影であることを証明する機会の一つです。すなわち死の淵を霊的知識で橋渡しをして、肉体と言う牢獄を出た後に待ち受ける充実した新たな生活の場そ存在を紹介するた
めに私達はこうして戻ってきていると言う事です。何でもない実に簡単な事なのです。

ですが、其の簡単な事によって、これまでどれほど意義ある仕事が成し遂げられてきた事でしょう。手を変え品を変えての普及活動も、結局は古くからの誤まった認識を駆逐する為に其の簡単

な事実を繰り返し繰り返し述べているに過ぎません。その活動によって今や霊的知識(スピリチュアリズム)への抵抗が少しづつ弱まり、橋頭堡が少しずつ広がりつつあります。

吾々の活動が歯牙にかけるにたらぬものと彼らが多寡をくくっていたのも、つい先ごろに事です。それがどうでしょう。今やあなた方の周りに、崩れゆく旧態の瓦礫が散乱しております。

私達は施設はどうでも良いのです。関心の的は人間そのものです。魂と精神、そして両者を宿す殿堂としての身体、これが私達の関心事です。人間も神の一部であるが故に永遠の霊的存在で

ある。この単純にして深遠な真理に耳を傾ける人全てに分け隔てなく手を差しのべんとしている
のです。一旦この真理の種子が心に宿れば、大いなる精神的革命をその人にもたらします。皆さんは良く、嘗ての偉大な革命家を鼓舞したのは一体何であったかが分らない事が多いとおっしゃ

います。しかし人間の思想を一変させるのは、何気なく耳にする言葉である事もあります。

ほんのささやき程度のものである事もあります。一冊の書物の中の一文である事もあります。新聞で読んだたった一行の記事である場合だってあります。私達が求めているのも同じです。

単純素朴なメッセージによって、教義でがんじがらめとなった精神を解放してあげ、自らの知性で物事を考え、人生のあらゆる側面に理性の光を当てて頂く事です。古くからの訓えだから、伝来の習慣だからと言う事だけで古いものを大切にしてはいけません。

真理の宝石、いかなる詮索にも、いかなるテストにも、如何にしつこい調査にも耐えうる真理を求めなくてはなりません。

私の説く真理を極めて当り前の事と受け止める方がいらっしゃるでしょう。すでに度々お聞きになっておられるからですが、驚天動地の事として受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮様々な発達段階にある人間を相手にしている事ですから、当然の事です。

私の述べる事がどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定する方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人とみなされている人種の言っていることだと言う事で一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし真理は真理であるが故に真理であり続けます。

あなた方の当り前となってしまった事が人類史上最大の革命的事実に思える人がいる事を忘れ
てはなりません。人間は霊的存在であり、神の分霊であり、永遠に神と繋がっている。私達霊団が携えてくるメッセージは何時もこれだけの単純な事実です。

神とのつながりは絶対に切れる事はありません。時には弱められ、時には強められたりすることはあっても、決して断絶する事はありません。人間は向上もすれば堕落もします。神の如き人間になる事も出来れば、動物的人間になる事も出来ます。

自由意志を破壊的なことに使用する事も出来ますし、建設的な事に使用する事も出来ます。しかし何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。

こうした真理は教会で朗唱する為にあるのではありません。日常生活において体現して行かなく
てはなりません。飢餓、失業、病気、スラム等々、内に宿す神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすることに繋がらなくてはいけません。

私達のメッセージは全人類を念頭に置いております。いかなる進化の階梯にあっても、そのメッセージには人類が手に取り理解しそして吸収すべきものを十分に用意してあります。人類が階段の一つに足を置きます。すると私達は次の段でお待ちしています。

人類がその段を上がってくると、又次の段でお待ちします。こうして一段一段と宿命の成就へ向けて登って行くのです。」

別の日の交霊会で、肉親を失ってその悲しみに必死に耐えている人に対してシルバーバーチがこう述べた。

「あなたの(霊の世界を見る)目が遮られてのが残念でなりません。(霊の声を聞く)耳が塞がれて
いるのが残念でなりません。その肉体の壁を越えて御覧になれないのが残念でなりません。あなたが生きておられるのが影であり、実在でないことを知って頂けないのが残念でなりません。

あなたの背後にあって絶え間なくあなたの為に働いている霊の力を御覧に入れられないのが残念でなりません。数多くの霊、あなたのご存じの方もいれば人類愛から手を差しのべている見ず
知らずの人もいます。が、あなたの身の回りに存在している事が分って頂けたら、

どんなにか慰められるでしょうに。地上は影の世界です。実在では無いのです。

私達の仕事はこうした霊媒だけをと通して行っているのではありません。勿論人間界特有の(言
語によって意思を伝える)手段によって私達の存在を知って頂ける事を嬉しく思っておりますが、実際にはその目に見えず、その耳に聞こえずとも、あなた方の生活に現実に影響を及ぼし、

導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、あなた方の性格を伸ばし、魂を開発しております。そうした中でこそ(死後の生活に備えて)霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘う事が出来るのです」

ある時のイースタータイム(*)シルバーバーチは”死”を一年の四季のめぐりに見事になぞらえて、こう語った。

(*イースターはキリストの復活を祝う祭日で、西洋ではクリスマスと並んで大々的の祝う。その時期は国によってズレはあるが、当日をイースターサンデー、その日を含む週をイースターウィーク、50日間をイースタータイムと言う)

「四季の絶妙は変化、途切れることに無い永遠のめぐりに思いを馳せて御覧なさい。全ての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そしてまた次の春までの眠
りに具えて自然が声をひそめる秋。地上は今まさに大自然の見事な顕現、春、イースター、

復活の季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりの中で安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が一斉に地上へ顕現する時です。間もなくあなた方の目に樹液の活動が感じられ、やがて蕾が、若葉が、群葉が、そして花が目に入るようになります。

地上全土が新しい生命の大合唱が響きわたります。

こうしたことから皆さんに太古の非文明化時代(*)において宗教と言うものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていた事を知って頂きたいのです。彼らは移り行く大自然のドラマの星辰
の動きの中に、神々の生活、自分達を見つめている目に見えないと殻の存在を感じ取りました。

自分達の生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として最も大切に致しました。

(*シルバーバーチは文明の発達そのものを少しも立派なものとは見ていない。それによって人類の霊的な感覚がマヒしたと見ており、その意味でこの表現に”野蛮”と言う意味は込められていない)

同じサイクルが人間一人一人の生命においても繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しておるのです。まず意識の目覚めと共に春が訪れます。

続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時がおとずれます。しかし、それで全てが終りとなるのではありまん。それは物的生命の終りです。冬が終わるとその魂は次の世界において春を迎え、

かくして永遠のサイクルを続けるのです。この教訓を大自然から学びとってください。そしてこれまで自分を見捨てる事の無かった摂理はこれ以後も自分を、そして他の生命を見捨てること無く働き続けてくれる事を確信して下さい」


スピリチュアリストとして活躍していた同士が他界した事を聞かされてシルバーバーチは

「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成した者を次から次へと穫り入れ、死後に辿る道をよ
り明るく飾る事をなさいます。

肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私達の世界ではまた一人物質の束縛から解放されて、言葉で言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。

私は何時も”死”は自由をもたらすものである事、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮せずに終わった内部の霊性を発揮する機会(チャンス)に満ちた世界での生活を始めた事を知って喜んでいる事を説いております。

ここにおいでの方々は、他界した者が決してこの宇宙からいなくなったのではないとの知識を獲得された幸せな方達ですが、それに加えてもう一つ知って頂きたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると必ず地上の事を思いやり、こうして真理普及のために奮闘している吾々を援助してくれていると言う事です。

その戦いは地上の至る所でに日夜続けられております。霊の勢力と醜い物的利己主義の勢力と
の戦いです。たとえ一時は後退のやむなきにいたり、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお陰で勝利は必ず我がものとなる事を確信して、

その勝利へ向けて前進しつづけます。いずれあなた方もその戦いにおいて果たされたご自分の役割、大勢の人々の慰めと知識を与えてあげている事実を知って大いなる喜びに浸ることになりましょう。今はそれがお判りにならない。

私達と共に推進してきた仕事によって生きる喜びを得た人が世界各地に無数に居る事を今はご存じではありません。実際はあなた方はこうして霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。

その知識は、なるほどと得心が行き心の傷と精神の疑問と魂の憧憬の全てに応えてくれる真実を求めている飢えた魂にとって、何ものにも替え難い宝となっております。太古の人間が天を仰いで福音を祈った如くに、古びた決まり文句にうんざりしている現在の人間は、

新たなしるしを求めて天を仰いできました。そこで私達があなた方の協力を得て真実の知識をお持ちしたのです。それは正しく用いさえすれば必ずや神の子全てに自由を、魂の自由と精神の自由だけでなく身体の自由までももたらしてくれます。

私達の目的は魂を解放することだけが目的ではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげる事にも努力しております。つまり私達の仕事には三重の目的があります。

精神の解放と身体の解放です。その事を世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと取り越し苦労の人達から、そう何もかも旨くいくものでないでしょうと言った反論に会うであろうことは私も良く承知しております。

しかし、事実、私達の説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くのものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かないところが無いように、地上生活のどこを探しても私達の説く霊的真理の適用できない側面はありません。

 挫折した人を元気づけ、弱き者、寄る辺なき者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正をなくし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住まいを提供すると言う、
p35
こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いている時、それは実は私達霊の世界からやって来る者の仕事の一部でもある事を知って頂きたいのです。

 その種の俗世的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱くようでなければなりません。その真理にいかなる(名称)ラベルを付けようと構いません。

政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル、どれでもお好きなものを貼られるのが宜しい。

 それ自体何の意味もありません。大切なのはその真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」

そして最後に”死”にまつわる陰湿な古い観念の打破を説いて、こう述べた。

「その身体があなた方ではありません。あなた方は本来、永遠の霊的存在なのです。私達はこう
して週に一度お会いして僅かな時間を過ごすだけですが、其の事がお互いの絆を強化し、接触を深めていく上で役に立っております。

その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。又こうしたサークル活動はあなた方が霊的存在であって物的存在でない事を忘れさせないようにする上でも役立っております。人間はこうしたものが是非とも必要です。

なぜなら人間は毎日毎日、毎時間、毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、つい、其の物的なものが殻に過ぎない事を忘れてしまいがちだからです。それは実在では無いのです。

鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているに過ぎません。身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具に過ぎません。その身体
はあなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全宇宙を支えている生命力、

全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠のめぐりを規制し、全生命の成長と進化を統制し、太陽を輝かせ星をきらめかせている大霊の一部なのです。その大霊と同じ神性をあなたも宿していると言う意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。

程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。それはあらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方の想像されるいかなるものよりも偉大なる存在です。

あなたはまさに一個の巨大なる原子、無限の可能性を秘めながらも今は限りある形態で自我を表現している原子のような存在です。身体の内部に、何時の日か全ての束縛を押し破り、真実のあなたに相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。

そうなるとあなた方は死と呼び、そうなった人の事を悼み悲しんで、涙を流されます。それは相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。

しかし死は生命に対して何の力も及ぼしえません。死は生命に対して何の手だしもできません。死は生命を滅ぼす事は出来ません。物的なものは所詮、霊的なものには適わないのです。

もしあなたが霊眼をもって眺める事が出来たら、もし霊耳をもって聞く事が出来たら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることが出来たら、肉体と言う牢獄からの解放を喜んでいる、自由で意気揚々として、嬉しさいっぱいの蘇った霊を御覧になる事が出来るでしょう。

その自由を満喫している霊の事を悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になった事を悲しんではいけません。籠の鳥が空へ放たれた事に涙を流してはいけません。

喜んであげるべきです。そしてその魂が真の自由を見出したこと、今地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば同じ自由同じ喜びを味わう事が出来る事を知ってください。

死の意味がお分かりになる筈です。そして死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎない事を得心なさるはずです。

他界してその自由を味わった後に開発される霊力を今すぐあなた方に身を持って実感していただけないことは私は実に残念に思います。しかしあなた方には知識があります。それを一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇を無くする事が出来ます。

人類はもう、何世紀も迷わされて続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途を辿っております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」 

              完





   
   第三章 死後の後悔
p40
「皆さんは他界した人が是非告げたい事があって地上へ戻って来ても、有縁の人達が何の反応も示してくれない時の無念の情を想像して見られた事があるでしょうか。

大勢の人が地上を去ってこちらへ来て意識の焦点が一変し、初めて人生を正しい視野で見つめるようになり、何とかし
て有縁の人々に嬉しい便りを伝えたいと思う、其の切々たる気持ちを察した事がおありでしょうか」

ある日の交霊会でシルバーバーチは出席者にこう問いかけて、人間が如何に五感の世界だけに浸り切り、いかに地上生活の意義を捉え損ねているか、そしてそれが原因となって死後の生活に

いかに深刻な問題を生じさせているかに焦点を当てた。


「ところが人間が一向に反応を示してくれません。聞く耳を持たず、見る目も持ちません。愚かにも人間の大半はこの粗末な五感の存在が全てでありそれ以外には何も存在しないと思いこんでおります。

私達は大勢の霊が地上へ戻って来るのを見ております。彼らは何とかして自分が死後
も生きている事を知らせたいと思い、後に残した人々に両手を差しのべて近づこうとします。やがてその顔が無念さのこもった驚きの表情に変わります。

もはや地上世界に何の影響も行使できない事を知って愕然とします。どうあがいても、聞いてもらえず見てもらえず感じてもらえない事を
知るのです。情愛に溢れた家庭においてもそうなのです。

その段階になって私達は、誠に気の毒なのですが、その方たちにこう告げざるを得なくなります。
こうした霊的交流の場へお連れしない限りそうした努力は無駄なのですよと」


以上の話は一般家庭の場合であるが、シルバーバーチはこれを宗教界の場合にも広げて、宗教的指導者もご多分に漏れない事を次のように語る。

「私はこれまで何度か地上で教会の中心的指導者として仰がれた人達に付き添って、嘗ての信
仰の場、大聖堂や教会を訪ねて見た事があります。

彼らはこちらへ来て誤りである事を知った教義がそこで今なお仰々しく説かれ続けているのを見て、そうした誤りと迷信で固められた組織を
存続させた責任の一端が自分達にもある事を認識して悲しみに打たれ、重苦しい思いに沈みます」

・-・針のむしろに座らさせる思いをさせられることでしょう

「罪滅ぼしなのです。それが摂理なのです。いかなる大人物も自分の犯した過ちは自分で責任を取らねばなりません。各自が自分の人生への代価を自分で支払うのです。収支の勘定は永遠の

時の流れの中で完全な衡平(ツリアイ)のもとに処理され、誰ひとりとしてその法則から逃れる事は出来ません」
p42
・-・その人はどうすれば過ちを正すことになるのでしょうか

「間違った教えを説いた人々の一人一人に会わなければなりません」

・-・説教をした相手の一人一人に会わねばならないのでしょうか


「そうです」 

・-・でも、その時までにすでに本人が真理に目覚めている事もあるでしょう

「そう言う場合は、それだけその宗教家は楽をすることになります」

・-・正しい事をしていると信じていた場合はどうなりますか。そに点も考慮されるのでしょうか

「勿論考慮されます。常に動機が大切だからです」

・-・その場合でも一人一人に会わなければならないでしょうか


「魂がそう信じていたのならその必要はありません。が、現実はそうでない人が多いのです。名誉心と思いあがり、所有欲と金銭欲が真理よりも優先している人が多いのです。一旦一つの組織に

帰属してしまうと、何時しかその組織に呑み込まれてしまい、今度はその組織がその人間をがん

じがらめに束縛し始めます。そうなってしまうと古いお決まりの教説を繰り返すことによって理性をマヒさせようとし始めるものです。

私達が非難するのは、誤りとは知らずに一生懸命説いている正直な宗教家の事ではありません。心の奥では真実よりも組織の延命を第一と心得ている者達、
言いかえれば今もし旧来のものを棄てたらこれから先自分の身の上がどうなるかを心配している者達です。

間違っているとは知らずに説いている人を咎めているのではありません。自分の説いている事、行っている事を間違っている事を知りながら、なおかつ詭弁を弄して、これ以外に民を
導く方法が無いのではないか。説くべき教えが他に無いではないか。と開き直っている人達です。

しかし例えそうとは知らずに間違った教えを説いてた場合でも、過ちは過ちとして正さなけらばな
りません。その場合は罪滅ぼしとは言えません。魂そのものが良心の咎めなしに行った事ですから、一種に貢献としての喜びさえ感じるものです」 


ここでかつてのメソジスト派の牧師が訪ねた。

・-・私もこれまでに説教した相手の全てに会って間違った教えを正さなければならないのでしょうか。

「そうです。その時点までにその相手がまだ真実に目覚めていなければ、言いかえればその魂があなたの間違った教えによって真理の光を見出すのを遅らされていれば、其れを正してあげないといけません」

p45
・-・そうなると大変です。私は随分多くの人々に説いてきましたから

「他の全ての人と同じようにあなたも自分のしたことには全責任を取らなければなりません。でも、あなたの場合はそう心配なさる事はありません」

別のメンバーが口添えしてこう述べた。
・-・この方は牧師をおやめになられたから多くの人たちの為に献身しておられ、その人達が力になってくれるでしょう

「その通りです。永遠・不変の公正は決してごまかしがききません。私が何時も見ている通りの摂理の働きをあなたにも是非お見せして、更生の天秤が如何に見事な釣合いを保っているかを御
覧に入れたいものです。神の摂理は絶対に誤りを犯さない事を得心なさることでしょう。

人に法を説くものが重大な責任を担っている事はお分かりでしょう。私はたびたび言っております。あなた方は知識を手にされた。しかし同時にその知識に伴う責任も負われた、と。

一般の人よりも高いものを求め、、さらにその人達を導き教えんとする者は、まず自らが拠って立つ足場をしっかりと固めなくてはなりません。

激しい探究も吟味もせず、あらゆる批判に耐えうるか否かも確かめず、自分の説いている事が真実であるとの確信もないまま、そんな事には無頓着に型にはまった教義を説いていれば、其の怠慢と無頓着に対する代償を払わなければなりません」

この事に関蓮して、別の日の交霊会で興味深い死後の事実が明かされた。メンバーの一人が、最後の審判の日を待ちながら何世紀もの間暗い埋葬地で暮らしている霊(自縛霊の一種)を大

勢救ってあげた話を聞かされたが、そんな霊が本当に居るのかと尋ねた。

「其れは本当に話です。それが私達にとって大きな悩みの一つなのです。そう言う人達はその審判の日をただ待つばかりで、その信仰に変化が生じるまでは手の施しようがありません。

死んだら大天使ガブリエルのラッパが聞こえるまで待つのだと言う思念体を事実上地上の全生涯を通じて形成してきております。その思念体を自ら破壊しない限り、其れが一つの思想的牢獄となって魂を拘留しつづけます。死んだ事を認めようとしない人も同じです。

自らその事実を認めない限り、私達はどうしようもないのです。

p47
自分がすでに地上の人間でない事を得心させる事がいかに難しい事であるか、あなた方は想像もつかないでしょう。ある時私は地上でクリスタデルフィアンだった人と会って、延々と議論を交わした事があります。彼は私を見据えてこう言うのです。


”こうして生きている私がなぜ死んでいるとおっしゃるのでしょう”と。どうして私の言う事が信じてもらえず、”復活の日”迄待つと言い張るのです。そしてそこに留まっていました」

(奇しくもスピリチュアリズム勃興の年である1848年に設立されたキリスト教系の新興宗教。バイブルを唯一の教義として既成神学の三位一体説を否定し、キリストの再臨とエルサレムを中心とするキリストによる祭政一致の地上王国の到来を信じた。訳者)
 
・-・何をして過ごすのでしょうか

「ただ待つだけです。こちらには時間と言うものが無い事を忘れないでください。もし自分が待っていると言う事実に気がつけば、その思念体が破れるはずなのですが、自分でこしらえた牢獄なの
ですから。ですが、こうした事実を地上の人間に伝えるのは大変です。

あなた方がお考えになるような時間が無いのです。なぜなら私達の世界は軸を中心に回転する天体はありませんし、昼と夜を生じさせる太陽もないからです。昼と夜の区別がなければ昨日と今日の数えようがないのでしょう」

・-・時間的な刻みは無くても時間の経過はあるのでしょう

「ありません。周りの出来ごとに関連によって成長と進化を意識して行くのでして、時間が刻々と過ぎて行くと言うのとは違います。魂が成長し、それにつれて環境が変化して行きます。時間と言

うのは出来事との関連における地上独自の尺度に過ぎません。あなたが無意識であれば時間は存在しません。出来事との関連が無くなるからです。夢を見ている間も出来事との関連が普通とは変化しています。肉体に繋がれている時よりも出来事が速く経過するのはそのためです」

                    完




   
 第四章 軽蔑と嘲笑の中で
         スピリチュアリズムの歩み
p50
19世紀半ばから始まった科学的心霊研究、そしてその結果としてスピリチュアリズムの名ももとに盛んになり始めた霊的知識は、既成宗教界の侮辱と弾圧の中にあっても着実に普及してきて
いる。スピリチュアリズムの発端からほぼ百年の歩みを振り返ってシルバーバーチはこう述べた

「私達の仕事が始まった当初(その表面だけの現象を見て)世間の人は何とたわいもない事をして、と軽蔑のまなざしで見たものでした。”テーブルラッパー”彼らはサークルのメンバーをそう呼んで軽蔑し嘲笑しました。

しかし、そうした現象も実は大きな目的を持った一大計画に組み込まれていたのです。私達の意図した影響力は次第に大きくなり世界中に広がって行きました。

各分野で名声を得ていた名士を次々とその影響力に誘って行きました。偏見によって目隠しをされ理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言が全ての人に尊重されると言う考えからそう言う手段を選んだのです。(初期の頃はテーブルのラップ音通信が盛んに行われた)


その後もますます多くの人材が同じ霊的状況下に置かれて行きました。霊媒も増えました。サー
クル活動が広まり盛んになりました。科学、医学、思想、宗教、その他ありとあらゆる分野の人を
ここに参加させ、当時すでに猛威をふるっていた誤まった物質万能主義を否定する現象、

新しい高度な生命感を示唆する霊的事実、唯物思想の終焉を予告する目に見えない力の存在へ目を向けさせました。ほどなくして、実際に短期間のうちに、そのテーブルラッパー達は宗教を腐敗から守る運動の旗手となって行ったのです。

僅か百年足らずの間にどれだけの事が成就されたか、それをこうした経過の中から読み取り、それを教訓としてこれ以後どれだけの事は成就できるのか、そこに皆さんに先見の明を働かせて下さい。

しかし私達が今まさに欲しているのは、もっと多くの道具、背後から導き鼓舞してくれる霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟り、それを他の同胞の為に使用してくれる人、真理を暗い生活の灯火として持ち歩いてくれる人です。

 私達が望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らがそれを日常生活において体現し、其の誠実さと、公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目になるほど神のメッセンジャーである事を認識させる事です。

それから今度は積極的に世に出て社会生活すべての面にそれを応用していってほしいのです。

つまり、自らが身を修め、それから他人の為に自分を役立てる仕事に着手すると言う事です。これまでもあなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先に成就されて行く可能性に較べれば、それは物の数ではありません。

世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使いものにならない教義やドグマの崩壊が見て取れる筈です。誤まった信仰の上に築かれた構築物が至る所で崩
壊しつつあります。

私達の説く霊的真理(スピリチュアリズム)は(心理学と言う)知識を土台として築かれております。この土台はいかなる嵐にもびくともしません。なぜなら真実、霊的事実を土台としているからです。

あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなた方(死んで)物質界に感応しなくなった後も、あなた方の奮闘努力の記念碑として末永くその雄姿を失う事は無いでしょう。」

  同じテーマについて別の交霊会ではー

「真理は前進し、暗黒と無知と、迷信と、混迷を生む勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。

これが私達が繰り返し繰り返し宣言しているメッセージです。あなた方は今まさに地上に新しい存
在の秩序を招来する為に貢献しておられると言う事です。ゆっくりとではありますが、変革が生じつつあります。

新しいものが旧いものと取って代る時、数々の変動は避けられません。それも神の計画の内に組み込まれているのです。

常に基本的霊的真理を忘れぬように、と、私は申し上げております。常にそれを念頭に置き、その上に宗教観、科学館、哲学館、倫理観、道徳感を打ち立てて下さい。

すぐに大層な事を想像なさる御仁に惑わさせてはなりません。私達の説く真理は至って単純であ
るが故に、誰にでも分かり、誰にでも価値を見出す事が出来ます。神の子としての人間のあるがままの姿を何の虚飾も無く説いているからです。

すなわち神の分霊を宿しその意味において真実神の子であり、永遠にして不変の霊の絆によって結ばれていると言う意味において真に同胞であり、人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であると言う事です。

霊の目を持って見る者は民族、国家、気候、肌の色、宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つ
に繋ぐ霊の絆と見てとります。地上世界は今こそそうした単純な真理を見直す必要があります。

余りに永い間、教義とドグマ、祭礼と儀式と言った宗教の本質ないしは生命の大霊とは何の関係もないものに貢いできました。

私は魂をより意義ある生活へ誘うものでない限り教義、信条、ドグマと言ったものに関心がありません。日常の行い以外のものには関心が無いのです。

根本的に重要なのは日常的な生き方だからです。いかなる教義もいかなるドグマにもいかなる儀式も、原因と結果の関係を寸毫だに変える事は出来ません。霊性を一分たりとも増す事も減ら

す事も出来ません。それは日常生活によってのみ決定ずけられるものだからです。

私達が忠誠を捧げるのは宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理であって、教義でもなく、書物でもなく教会でもありません。

今や霊の力がこうして地上に顕現する新しい手掛かりが出来た事を喜んでください。真理を普及する為の新しい人材が次々と霊力の支配下に置かれていることに着目してください。

新しい通信網が出来た事に着目してください。人類の進歩を妨げてきた既成権力が崩され障害

が取り除かれて行きつつある事に目を向けて下さい。私達は刀剣や銃を手にせず愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神でもって闘っている大軍の一翼を担っております。私達の武器は真理と理性です。

そして目指すのは人間として当然受け取るべきものを手にできずに居る人々の生活に豊かさと美しさをもたらしてあげる事です。

神と子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと容赦は致しません。地上に神の王国を築く為には地上のいずこであろうと赴く決意は決して揺らぎません。これかでも数々の虚言、中傷、敵意、迫害に遭ってまいりました。が、

勇気ある心の持ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘って来てくれたおかげで、こうして霊の力が地上に顕現することが出来たのです。今の新しい前哨地に多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は皆さんに、元気をお出しなさい、よ申し上げるのです。

心の迷いを生じてさせたはなりません。変転極まりない世の中の背後にも神の計画を読み取りあなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っている事を自覚してください。真理は絶え間なく前進しているのです。

意気消沈した人、悲しげにしている人に元気を出すように言ってあげて下さい。先駆者達の努力のたまものをこれから借り入れるのです。そしてそれが明日を担う子供たちにより大きな自由、
より大きな解放をもたらす地ならしでもあるのです。不安は無知と言う暗闇から生まれます。

勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの真理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐を持ってしても挫かせる事は出来ないとの自信です。

私がお教えしているのはごく単純な真理です。しかし単純でありながら大切この上ない真理です。地上人類が自らの力で自らを救い、内在する神性を発揮するように成る為には、そうした霊的真理を日常生活において実践する以外に無いからです。

あなた方はその貴重な霊的な宝を手にされている事、それが全ての霧と靄を払い、悟りの光によって暗闇を突き破る事を可能にしてくれる事を知ったからには、自信を持って生きて下さい。しかし同時に、知識には必ず責任が伴う事も忘れてはなりません。

知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊力を無視した生き方をする人は、知らない為に霊的真理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯している事になります。
p56
その知識を賢明にそして有効に生かして下さい。一人でも多くの人が涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真理を見えなくしている目隠しを取り除いてあげようとの態勢で居るのです。

親である神を子等に近づかせ、子等を神に近づかせ、人生の奥義に関る摂理を実践に移させようとして心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影を潜め、生命の充実感を地上に生きる人の全てが味わえる事になるでしょう。」


ここでメンバーの一人がこうした神霊知識の普及を既成宗教の発端と同列に並べて考えようとする意見を聞いて、シルバーバーチはこう説いた


「私達はこれまで確かに成功を収めてまいりました。しかしそうしたスピリチュアリズムの発展を私達は

他の宗教と同列に並べて考えていない事を銘記してください。私達にとってスピリチュアリズムと言うのは宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信条箇条とすべき性質

の教えではありません。キリスト教とて頭初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし仏教もそうです。その他地上に誕生した宗教の全てが最初はそうでした。

それぞれの教祖が霊格で持ってその時代の民衆の成長、発展、真か、慣習、鍛錬、理解力等の程度の相応しいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。それがさらに受け入れる用意のある者に受け継がれて行きました。

それは一部とはいえ真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、其のささやかな真理が(人間の夾雑物の下に)埋もれてしまいました。

真理の持つ純粋な美しさを留める事が出来なかったのです。周りに世俗的信仰、神学的概念、宗教的慣習、伝統的習俗等が付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。

やがて神性が完全に影をひそめてしまいました。そして新たにそれを掘り起こして蘇生させる必
要性が生じたのです。過去の宗教は全て、例外なしに、今日こうして地上へ届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり、一かけらなのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。

それらを比較して、どちらがどうとは言うことは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるからです。昔では考えられなかった通信手段が発達しています。

伝達し合う事にあなた方は何の不自由も感じません。何秒とかからずにお互いが繋がり、メセー
ジを送り、地球を一周する事が出来ます。これまでの啓示と異なるところは、入念な計画に従って組織的な努力が始められたと言う事です。それが地上の計算で言えば百年前の事でした。

今度は何としてでも地上に根付かせ、いかなる勢力を持ってしても妨げることはできない態勢にしようと言う事になったのです。その計画は予定どおりに進行中です。

その事は、霊的知識が世界各地で盛んに口にされるようになってきている事で分ります。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。

ご承知のように私は常に、一人でも多くの霊媒が排出することの必要性を強調しております。

霊界からの知識、教訓、愛、慰め、導きが地上に届けられる為には、ぜひとも霊媒が必要なのです。一人の霊媒の排出は物質的万能思想を葬る棺に打ち込まれる釘の一本を意味します。

神とその霊的真理の勝利を意味するのです。霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。

両界を繋ぐ霊媒だからです。知識と光と叡知の世界から私に届けられるものをこうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる(バーバネルと言う)霊媒を見出した事を嬉しく思うのもそこに理由があります」


こうした霊媒を中介役として始められたスピリチュアリズムに対する抵抗が良く話題にされるが、その中から典型的なシルバーバーチの霊言を紹介しよう


「私達はほぼ一世紀にわたって、霊的真理を基本とした教えを地上に根づかせようと努力してまいりました。それこそがこれから築かれて行く新しい秩序の土台である以上、何としても困難を切
り抜けなくてはならないからです。

本来は最大の味方であるべき陣営の抵抗と敵意に耐え抜き闘い抜いてまいりました。宗教的分野において子羊達を導こうとする人間(キリスト教に指導者)ならもろ手を挙げて歓迎すべきものなのに、逆に自分達の宗教の始祖(イエス)の教えであるとして広めんとしてきた主義、

信条の全てに自ら背いて、そう言う立場の人間にあるまじき酷い言葉で吾々を非難してきました。そこには愛も寛容心も見られません。それどころか、私達を悪魔の使いであると決めつけ、神の子羊を正義の道から邪な行為、不道徳、利己主義へ誘導せんとする闇の天使であるとして、

悪口雑言の限りを浴びせます。

しかし、そうした激しい抵抗のなかに遭っても、私達の説く真理は今や世界中に広がり、これまで
抵抗してきた勢力は退却の一途を辿っております。私達は現今のキリスト教が基盤としている教説を否定する者です。

愛と正義と慈悲と叡知の根源である大霊が地上人類に対して呪うべき行為を働く筈がない事を主張するものです。神の怒りを鎮めるのに残酷な流血の犠牲(イケニエ)が必要であった。

等といいわけは断じて認めません。いかなる権力を持ってしても自然の摂理に介入出来たためしは一度もない事を主張します。神学の基盤と構造の全てを否定するものです。

なぜならば、人類の進歩の時計を逆回りさせ、その狭苦しい独りよがりの世界に合わない者はいかなる発見も進歩も拒絶してきたからです。

そうしたものに代わって私は、啓示と言うものが常に進歩的であること、嘗て指導者の一人一人
が神の叡知の宝庫からひと握りずつを地上へもたらしてきた事、そしてその一連の系譜の最後を飾ったのがかのナザレのイエスであり、私達はそのイエスを鼓舞したのと同じ霊の力の直系の

後継者として、同じ福音、同じ真理を説いている者であることを宣言します。

人間に贖い主は要らないのです。神との仲介役は不要なのです。自分の荷は自分で背負う義務があり、日々の生活の中の行為によって霊的生命を高めもすれば傷つけもするのです。内部に神性を宿している事は今も、そしてこれから先も永遠に変わりません。

代わるのは程度の上下であって、本質は決して変わりません。向上進化と言うのはその潜在的神性をより多く顕現していく過程に他ならないのです。

いかなる教義、いかなる信条を持ってしても、誤まった行為がもたらす結果を捻じ曲げる事は出
来ません。私達の説く神は永遠・不変の法則によって宇宙を統括しており、その法則の働きによって地上の人間は地上で送る人生によって自らを裁くようになっていると説くのです。

嘗て地上においてこうした真理を説き、それゆえに迫害を受けた先駆者達に対して私達は、今や彼らの努力が実りの時代(トキ)を迎え、古き秩序が廃れ新しき秩序のもとに霊的生命が芽生え始めている兆しを地上の至る所に見る事が出来るようになった事実をお知らせしております。

永い間真理の太陽を遮っていた暗雲が足早に去りつつあります。そして光明が射して無数の人
々の生活を明るく照らし、今度はその人達が、自分を自由にしてくれた真理の伝道者となって行きます。それだけの備えが出来ている人達です。私どもは地上の人々が自らの力で自らを救い、

死ねる過去と決別し、精神と霊を物質による奴隷的束縛から解放する方法をお教えする為に戻ってまいりました。古くからの訓えだからと言ってありがたがってはいけない、知的な目を持って真理を探究し、常識に反し、理性を反撥させるものは一切拒絶しなさい。と申し上げているのです」


暫しの休暇ののちに再開された交霊会でシルバーバーチは年二回開かれていると言う霊界での
指導霊の総会(*)に出席していたと言い、”光の世界から影の世界へ、実在の世界から幻影の世界へ戻って来るのは気が進まないものです”と述べてからこう続けた。

(これはスピリチュアリズム思想推進の為の経過報告と行議の計画の指示を仰ぐ為に会合で、世界的規模で行われる。これが年二回と言う事であるが、このほかにも実質的に地上の経綸に当たっている霊界の上層部に置いて慣例的の行われ

る。”讃仰の為の集いもある”。オーエンの「ベールの彼方の生活」第4巻に、通信霊のアーネルがその会場に入った時の雰囲気を”音が無いという意味の静けさではなく静寂と言う実体が存在する”と表現している。又モーゼスの霊訓にはイ

ムペレーターからの通信がしばらく途絶えたので、モーゼスがその理由を尋ねると”地上の用事とは別の用事があって留守にしていた”と言い、霊界の上層部における神への厳かな崇拝と讃仰の祈りを捧げる為に多くの霊と共に一堂、集

結したのだと言う。その時の日付けが十月十二日となっている。日本で十月の事を神無月と呼ぶ事には”神の月”と神がいなくなる月の二つの説がある様であるが、私は両者は詰まるところ同じ事に帰すすると思う。古代の日本人はそれ

を直感していたのである。訳者)



「そもそも私が利己主義と残酷に満ちた地上へ降りてくる事になったのは、人類への愛と使命があったからです。そこでこの度も(総会を終えた後)こうしてあなた方のもとへ戻ってまいりました。

私なりにできる限りの援助を与えるためです。人類を霊的奴隷状態から解放し、神性を宿すもの

が当然我がものとすべき神の恩寵、霊的生活、精神的生活、そして身体的生活のおける充足、を得させると言う(地球規模の)大使命の推進の一翼を担う者として戻ってまいりました。

その使命の成就を妨げんとする者は何であろうと排除しなければなりません。私達が目指す自由

は(霊的、精神的、身体的の)あらゆる面の自由です。その道に立ちはだかる既成の特権と、利己主義の全勢力に対して、永遠の宣戦を布告します。あなた方より少しばかり永く生きてきたこの私、

あなた方がこれより辿ららねばならない道を知っている先輩としての私からあなた方に、どうか勇気を持って邁進されるよう申し上げます。お一人お一人がご自分で思っていられる以上に貢献なさっておられるからです」


更に地球規模の霊的活動における指導霊と交霊会の役割りに言及して


「過去数年の間に私達は数多くの人々を知識の大通りへと案内してまいりました。しかしまだまだ大きな仕事が為されます。世界各地で心霊治療家によって行われている霊的治療の成果に目を
向けて下さい。大地に再び視界が開けていく様子を思い浮かべて下さい。

予言者の声が再び地上にこだまするようになり、夢かと粉(マゴ)う物を見るようになります。先見の明が開き始めます。病める人々が癒され、肉親の死を悲しんでいる人々が慰められつつあります。あなた方は本当に恵まれた方達です。

人間が永遠の魂の旅にあってほんの束の間のこの地上と言う生活の場で過ごしている、永遠にして無限の霊的存在である事をご存じだからです。

私はそのメセージをあなた方の助力を得ながら広め、、私を地上へ派遣した霊団の使命を推進
したいと望んでおります。私達は今勝利へ向けて前進しております。誤謬と利己主義、迷信と無知、自惚れと悪逆無道の勢力を蹴散らし過去のものとしなければなりません。

もはやそうしてものが許される時代は終わったのです。

真理が理解されるに従って暗闇が光明へとその場を譲ってまいります。人々はその目を上へ向けて新しい世界の夜明けを待ち望んでおります。新しい世界は新しい希望と新しい悟りを与えてくれます。神の恵みの多からんことを」

                           四章  完





   
   第五章 迷いの過去から悟への未来へ
p66
スピリチュアリズムの前途には大きな仕事が待ち受けている。霊的交信の目的はただ単に地上に慰めをもたらす事ではない。

ある日の交霊会でシルバーバーチは”生命の法則について精神的側面、道徳的側面、物的側面、ならびに霊的側面から理解を深めるように指導し、身体的に不健全な人が少なくなると同時に霊的に未熟な人も少なくしていく事が吾々の使命の一端です”と述べて、

スピリチュアリズムの目指す方向を暗示した。それを別の日の交霊会で次の様に敷衍(フエン)した。

「私どもは自己中心主義、物質万能主義、無知暗黒等々、人生の楽しさ、明るさ、安らぎを奪う勢力の全てを一掃すべく努力しております。地上の為、それだけを望んでおります。それなのに、つまり地上の為になる事を望み、何一つ邪なものを持ち合わせず、人間性の中の下品なもの、

あるいは低俗なものには決して訴える事が無いのに、なぜ人間は私達霊の働きかけを毛嫌いするのでしょうか。

より次元の高い真理、より深い悟りの道をお教えしようとしているのです。人生に基盤とすべき霊
的真理を理解して頂こうと努力しているのです。人間の内部に宿る霊的可能性を認識し、真の自我とその内奥に存在する神性を見出して頂きたいと願っているのです。

私達は人間の理性、人間として最高の判断力に訴えております。一段と次元の高い生命の世界を支配する摂理をお教えし、宇宙の物的側面だけで無く、もっと大きな部分を占めているところの永遠不滅の霊的側面を理解して頂こうと願っているのです。

私達の努力目標は人類が幻を追い求める影を崇めることのないように、霊的真理の実在を得心
させることによって人生を誤った信仰で無く確実な知識の上に確立し、大自然の法則に基づいた本当の宗教心を持ち、たとえ逆境の嵐が吹き荒れ、環境が厳しく、
いずこに向かうべきかが分らなくなった時でも、事実に裏打ちされた信仰心によってあらゆる試練、あらゆる苦難に耐えていけるようにしてあげる事です。私達の使命は霊的使命なのです。

人間が内奥に神すなわち実在の生命を宿している事をお教えし、従って人間は動物では無く一人一人が神である事を自覚し、同じ神性が宇宙の全ての生命にも宿っている事を知って頂く事を使命としているのです。

その認識が行き渡れば地上は一変します。理解が広まるにつれて新しい光が射し込み、永遠の大機構の中での人間の位置を悟ることになります。私達が訴えるのはややこしい神学ではありま
せん。時代遅れの教説ではありません。

素朴な理性、あらゆる真理、あらゆる知識、あらゆる叡知の真偽を判断する手段に訴えております。

もしも私の述べる事があなた方の知性を侮辱し理性を反撥させるようなものがあれば、それを無視して受け入れる事は要求しません。最高の判断基準に訴えることによって人間が真の自分を見出し、真の自分を見出すことによって神を見出して下さる事を望んでいるのです。

真理は決して傷つけられる事はありません。決して破壊される事はありません。後退させられる事はあります。押さえつけられる事もあります。しかし永久に埋もれてしまう事はありません。

真なるものが損なわれることはあり得ません。嘘言を持っていかに深くいかに固く埋め尽くされて
も、何時かは必ず表に出てきます。真理を永遠に押さえつけることは出来ません。

今私達が旗印としている真理は地上にとって重大な役割を担っております。人間と言うものは煩悶の時代になると永い間しがみついていた教説を改めて検討し、それが果たして苦難と困難との慰めとなり、力となってくれるであろうと思い始めるものです。

霊的実在についての真理を片隅に押しやる事は出来ません。人間が一人の例外もなく神の子で
あり、成就すべき霊的宿命を背負った存在であるとの証は、宇宙における人類の本当の位置を認識し、無限にして永遠の創造の大事業の一翼を担う上で絶対必要な事です。

私達の存在を疑う人がいることでしょう。存在は認めても、影響力を疑う人がいることでしょう。もとより私達は万能を主張するつもりはありません。私達も常に数々の限界と様々な制約に直面している事は、これまでたびたび述べてきた事です。

しかし私達はあなた方を援助する事が出来ると言う事実に疑う余地は無いでしょう。

私達には霊力と言うパワーがあります。これは宇宙の全生命を生み、それに形態を与えている力です。正しい環境と条件さえ整えてくれれば、私達はそのパワーを活用してあなた方を導き、保護
し、援助する事が出来ます。

それも決してあなた方だけと言う限られた目標の為でなく、あなた方を通じて顕現した霊力がさらに他の人へも波及して、その人達も霊的なパワーを感得できるように成るのです。前途に横たわる道は決して容易ではありません。しかし協調精神を持って臨み、

平和的な解決を希求し、慈悲心に裏打ちされた公正を求め、憎しみと復讐心の根ざした観念を完全に排除して、臨めば、明るい未来がすぐ近くまで、招来する事が出来ることでしょう」

これは1939年に第二次大戦が勃発して間もない頃の交霊会での霊言で、最後の部分はその大戦の事を指している(本書の出版は1941年)

更にメンバーからの質問を受けてこう語っている。

「物質の世界に生きているあなた方は実在から切り離されております。あなた方自身にとって、其
の事を理解する事が難しい事は私もよく承知しております。なぜならば、あなた方なりに何もかもが実感があり実質があり、永遠性があるように思えるからです。

ご自分を表現しておられるその身体、地上と言う大地、住んでおられる住居、口にされる食べ物、どれをとってもこれこそが実在であると思いたくなります。でもそれはことごとく”影”であり”光”
でない事を申し上げねばなりません。

あなた方は五感に感応しない世界を想像する事が出来ません。したがってその想像を超えた世界における活動と生活ぶりを理解する事が出来ないのは当然です」

そうした地上との全く異なる世界についての知識を得ているサークルのメンバーの一人に”その知識はあなたにどういう変革をもたらしましたか”とシルバーバーチの方から質問した事があった。其れを全部聞き終わった後こう語った。

「こうしてお聞きしてみますと、あなた方一握りの方たちにあっても、僅か二、三年間の霊力とに接触によっていかに大きな変革がもたらされたか分ります。となればこれを世界中に普及させることによってその数を百万倍にもする事が出来ると言う事です。

それは無知を一掃し、暗闇の中で進むべき道を見失った人々に灯火を与え、全宇宙の背後に存在する大目的を教えてあげることによって達成されることでしょう。

人類がいかに永い間道を見失なってきたのかご存じでしょうか。人類を先導すべき人達、霊的指
導者であるべき人達自らが盲目だったのです。玉石混交の信仰を持って事足れりとしてきました。宗教的体系をこしらえ、その上に教義とドグマで上部構造を築きました。

儀式と祭礼を発明しました。教会(キリスト教)、寺院(テンプル・仏教)、礼拝堂(シナゴーナ・ユダヤ教)、モスク(イスラム教の礼拝堂)など等を建造しました。

神とその子等の間に仕切りを設けたのです。それぞれに経典をこしらえ、我が宗教の経典こそ本物で、宇宙の真理の全てを包蔵していると主張し合いました。

かんかんがくがく、宗教家としての第一の心掛けであるべき愛を忘れ、その上なお情けない事に、憎悪と敵意を持って論争を繰り返してきました。

予言者、霊覚者、哲人、聖者の類を全て追い払いました。真の”師”たるべき人々を次々と迫害し
ていきました。神の声の通路であるべき人々の口を塞いでしまいました。腐敗した組織にはもはや神の生きた声が聞かれる場がなくなってしまいました。

開かれたビジョンを閉ざし、全ての権力を聖職者に帰属させ、神へ近づける力は自分達以外にはない事にしてしまいました。聖職者の中にも高徳の人物は数多くいました。ただ、惜しむらくは、その人達も(そうした環境の影響の為に)宗教の唯一の礎石であり人類にその本領を発揮せしめる原動力である霊力の働きに無感覚となっておりました。

人類の歴史において大きな革命を生んできたのは全て霊の力です。素朴な男性または女性が霊感に鼓舞されて素朴なメッセージを威信を持って帰り、それを素朴な平凡人が喜んで聞いたので
す。今その霊力が、かつてと同じ”しるしと奇跡”を伴って再び顕現しております。

目の見えなかった人に光が戻り、耳の聞こえなかった人が聴覚を取り戻し、病の人が健康を回復しております。邪霊を払い、憑依霊を取り除き、肉親を失った人達に慰めをもたらしております。

多くの魂が目を覚まし、霊の大軍が存分にその威力を見せる事が出来るようになりました。

”死”の恐怖を取り除き、”愛”が死後もなお続きその望みを成就している事実を示す事が出来るようになりました。インスピレーションは(イエスの時代に限らず)今なお届けられるものであること、人
間の心は(他界した時点のままで無く)死後も改めていく事が出来ること、(宗教的束縛から)

精神を解放することが可能であること、自己改革への道が(宗教的教義に関係なく)開かれている事。

(宗教的活動から離れた所にも)
自分を役立てる機会はいくらでもある事、霊力に鼓舞されて報酬を求めずこの世的な富への欲望を持たずに”良い知らせ”を教えてあげたい一心で、全ての人に分け隔てなく近づく用意の出来た魂が存在している事実を立証しております。


これほどまで美しい話、これほどまで分り易い話、人生の本質をこれほど簡明に明かしてくれる話に耳を傾けようとしない人が多いのは一体なぜでしょうか。光明を手にすることが出来るのに
一体なぜ多くの人が暗黒への道を好むのでしょうか。なぜ自由より束縛を好むのでしょうか。

しかし、吾々はあなた方が想像される以上に大きな進歩を遂げております。難攻不落と思えた古
い壁、、迷信、既成権力、後生大事にされている教義、仰々しい儀式を堅固に守り続けてきた壁が音を立てて崩れつつあります。急速に崩壊しつつあります。

一方では多くの魂が霊的真理の感動し、精神に光が差し込み、心が受容性を増し、喜んで私達の教説に耳を傾けてくれております。過去数年間の進歩ぶりを見れば、吾々の勝利はすでにゴールが目に見えていると宣言してもよい時機が到来したと言えます。

その確信を私達は語気を強く宣言します。もはや絶望の闘いでは無くなりました。私達が自己中心の物質第一主義に根ざした古い時代は終わった。新しい時代が誕生している、と述べる時、それはあるがままの事実を述べているのです。

かつて地上において苦難と犠牲の生涯を送った人々、強者と権力者によって蔑まされる真理を
守る為に全てを犠牲にした人々、その人達が今霊界から見下ろし、霊的大軍の前進ぶりをみて勝利を確信しております。むろんのこれは比喩的に述べたものまでです。

銃を手にした兵士がいるわけではありません。吾々の弾薬は霊力であり、兵器は理性と良識です。私達は常に人間の理性に訴えます。

もっとも、時としてその知性が無知と迷信と依怙地な強情の下敷きとなってしまっている為に、果たして(普遍的判断基準であるべき)知性が存在するのだろうかと迷う事もあるでしょう。しかし、よく目を見開いて自分でそのしるしを求める事です。

あなた方にはその判断力があり、囚われなきビジョンを手にする能力をお持ちです。その力で、暗闇をつき通す光を見届けて下さい。


吾々はもはや軽蔑の対象とされたかつての少数派ではありません。片隅で小さくなっていた内気な小集団ではありません。科学的立証を得て、やはり真実だと確信した堂々たる大軍であり、恥
じることない社会的位置を獲得し、霊的事実を誇りを持って説いております。

霊的な事を口にしたからと言って軽蔑される事はもうありません。それは過去の無知な人間がした事です。今はそれを知っている事で尊敬される時代です。


・・訳者・・
・-・モーゼスの「霊訓」によると、かの”十戒”を授かったモーゼが従えていた70人の長老はみな霊格の高い人物だったと言う。これは世界に共通した事実であって、古代においては霊感が鋭く
且つ霊的な事に理解のある者が要職に就き、いわゆる祭司一致が当然の事とされた。

其れが物質科学の発達と共に意識の焦点が五感へ移行し、物的な物差しで測れないものが否
定されていった。ところが皮肉なことに、その物質科学自らが物質の本質は常識的に受け止めてきたものとは違ってただのバイブレーションに過ぎないことを突き止めたのと時を同じくして再び
霊的なものへと関心が高まりつつある。

シルバーバーチはそうした潮流の背後には霊界からの地球的規模の働きかけがあることを指摘
している。オーエンの「ベールの彼方の生活」第四巻”天界の大軍”編はそれを具体的に叙述し
て、其の総指揮官がキリストであると述べている。

シルバーバーチ霊団も、イムペレーター霊団もその大軍に属し、最前線で活躍していた事になる・-・

                        五章  完





   
   第六章 イエスは今何をしているか
p78
ナザレのイエスは今どう言う仕事に携っているのだろうか。ある日の交霊会でシルバーバーチ
は、イエスは今すっかり教義とドグマと権力と言う雑草に覆われてしまった霊的真理の本来の姿を今一度明らかにするための霊界からの地球的規模の働きかけの最高責任者であると述べた。

その事について別の日の交霊会で次のように述べた。

「ほぼ二年年前にイエスは磔刑にされました。それはただ、当時の祭司たちがイエスを憎んだからに過ぎません。イエスを通して霊力のほとばしりを見せつけられたからでした。まさに神の子に
相応しい人物だからにほかなりません。このままでは自分達の立場が危ないと思ったのです。

私達が今それと全く同じ反抗に遭っております。宗教界がこぞって”真理”を磔刑にしようとしております。しかし、それは不可能なことです。真理はただ真理であるが故に、あらゆる反抗、あらゆる敵対行為の中でも厳然と存在しつづけます。

キリスト教会の外部では次々と霊力が顕現しているにもかかわらず、空虚で侘しい限りの巨大な建造物の中には、其の陰気な暗闇を照らす霊力の力は一条も見られません」
 

・-・そう言うキリスト教は死滅してしまった方がまだましだとおっしゃるのでしょうか。

「私はレンガとモルタル、祭壇と尖塔で出来た教会には何の興味もありません。何の魅力も感じません。建造物にはまるで関心が無いのです。私が感心を向けるのは魂です。

それで私は神とその子の間に横たわる障壁を取り除くことに奮闘しているのですが、不幸にして今日では教会そのものが障壁となっているのです。これほど大きな罪悪があるでしょうか。宇宙の大霊である神は一個の教会に局限されるものではありません。

一個の建造物の中に閉じ込められるものではないのです。神の力は人間各自がその霊性を発揮する行為の中に、即ち自我を滅却した奉仕の行為、困窮せる無力な同胞のために一身を捧げんとする献身的生活の中に顕現されるのです。そこに宇宙の大霊の働きがあるのです。

確かにキリスト教会にも奇特な行いをしている真摯な人材がそこここに存在します。が、私が非難しているのはその組織です。其れが障害となっております。是非とも取り除かなければならないからです。

真の宗教には儀式も祭礼も、美しい歌唱も、詠唱も、きらびやかな装飾も豪華な衣装も式服も不要です。宗教とは自分を役立てる事です。同胞の為に自分を役立てることによって神に奉仕することです。私はこれまで、その事を何度申し上げてきたことでしょう。

然るに教会は人類を分裂させ、国家と階級を差別し、戦争と残虐行為、怨念と流血、拷問と糾弾の悲劇を生み続けてまいりました。人類の知識と発明と科学と発見の前進に抵抗してきました。

新しい波に呑み込まれるのを恐れて、既得の権利の確保に汲々としてきました。しかし新しい霊的真理はすでに根付いております。もはやその流れをせき止める事は出来ません」


・-・イエスの意気込みが察せられます。

「誤解され、崇められ、今や神の座に奉り上げられてしまったイエス、そのイエスは今どこにおられると思われますか。カンタペリー大聖堂ではありません。セントポール寺院でもありません。

ウエストミンスター寺院でもありません。実はそうした建造物がイエスを追い出してしまったので
す。イエスを近づき難い存在とし、人間の手の届かぬところに置いてしまったのです。

神の座に祭り上げてしまったのです。単純な真理を寓話と神話を土台とした教義の中に混じり合わせてしまい、イエスを手の届かぬ存在としてしまったのです。今なおイエスは人類の為に働いております。それだけの事です。

其れを人間が(神学や儀式をこしらえて)難しく複雑にしてしまったのです。しかし今こうして同じ真理を説く私達の事を天使を装った悪の勢力でありサタンの声であり魔王のそそのかしであると決めつけております。しかし、すでにキリスト教の時代は過ぎ去りました。

人類を完全に失望させました。人生に疲れ、絶望の淵にいる地上世界に役立つものを何一つ持ち合わせていません」
 p81
シルバーバーチによると、イエスは年二回、イースターとクリスマスに行われる指導霊ばかりの会議を主宰している様である。その時期は交霊会も二、三週間にわたって休暇となる。時折前後の
交霊会で会議の様子を説明してくれる事がある。

次に紹介するのは休暇に入る前の前後の交霊会の霊言である。
 
「この機会は私にとって何よりの楽しみであり、心待ちにしているものです。

この時の私は、僅かな期間ですが、本来の自分に立ち帰り、本来の霊的遺産の味を噛みしめ、霊界の古き知己と交わり、永年の向上と進化の末に獲得した霊的洞察力によって実在を認識することのできる界層での生命の実感を味わう事が出来ます。

自分だけが味わってあなた方に味わせてあげないと言うのではありません。味わせてあげたくても、物質界に生きておられるあなた方、感覚が五つに制限され、肉体と言う牢獄に閉じ込められて、そこから解放された時の無情の喜びをご存じないあなた方。

たった五本の鉄格子の間から人生を覗いておられるあなた方には、本当の生命の何たるかを理解するとこは出来ないのです。霊が肉体から解放されて本来の自分に帰った時、より大きな自分、より深い自我意識に宿る恩寵をどれ程味わうものであるのか、それはあなた方には想像できません。

これより私はその本来の自分に帰り、幾世紀にもわたる知己と交わり、私が永い間その存在を
知りながら地上人類への奉仕の為に喜んで犠牲にしてきた”生命の実感”を味わいます。

これまでに大切にしまってきたものをこの機会に味わえる事を私が嬉しくないと言ったらウソになりましょう。

ご存じの通り、この機会は私にとって数あるフェスティバル(嬉しい催し)の中でも最大のものであり、あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる分野の者が大河を為して集結して一堂に会し、それまでの仕事の進歩具合を報告し合います。

その雄大にして崇高な雰囲気はとても地上の言語では表現できません。人間がインスピレーションに触れて味わう最大級の感激も、そのフェスティバルで味わう私どもの実感に較べれば、まるで無意味な、些細な出来事でしかありません。

その中でも最大の感激は再びあのナザレのイエスにお会いできることです。キリスト教の説くイエ
スではありません。、偽りに伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座に祭り上げられたイエスではありません。

人類のためをのみ願う偉大な人間としてのイエスであり、その父、そして吾々の父でもある神の為に献身する者全てにその偉大さを分かち合う事を願っておられるイエスです」

p83
休憩に入る前の交霊会では、シルバーバーチがサークルのメンバーにそれまでの成果を語って協力に感謝するのが常である。


「あなた方と私達霊団との愛の親密度が年と共に深まるにつれて私は、それが他ならぬ大霊の愛のたまものであると感謝している事を知って頂きたいと思います。すなわち大霊の許しがあっ
たればこそ私はこうして地上の方々の為に献身できるのであり、

たった週に一度あなた方とお会いし、それも、私の姿をお見せすることもなく、ただこうして語る声としてのみ存在を認識して頂いているにすぎないにもかかわらず、私を信じ、人生の全てを委ねるまでに私を敬愛して下さる方々の愛を一身に受ける事が出来るのも、

大霊の力があればこそだからです。そのあなた方からの愛と信頼を私はこの上なく誇りに思います。あなた方の心の中に湧き出る私への熱烈な情愛、・-・私には其れがひしひしと感じ取れます・-・を傷つける事だけは絶対に口にすまい、絶対に行うまい、と何時も誓っております。

私達のそうした努力が大きな実りを生んでいる事が私は嬉しいのです。私達のささやかな仕事によって多くの同胞が真理の光を見出している事を知って私は嬉しいのです。無知を打ち負かし迷

信を退却せしめる事が出来た事が私は嬉しいのです。真理が前進している事、そしてその先頭

に立っているのが他ならぬ私達である事が嬉しいのです。絶え間なくしかけてきた大きな戦いにおいてあなた方が堅忍不抜の心を失わず挫折する事が無かった事を嬉しく思います。

役割を忠実に果たされ、あなた方に託された大きな信頼を裏切る事が無かった事が嬉しく思います、私の使命があなた方の努力の中に反映して成就されて行くのを謙虚な目で確かめているからこそ、私はあなた方のその献身を嬉しく思うのです」

この後、何時もの慣例に従ってメンバーの一人一人に個人的なメッセージを送り、その後こう述べて別れを告げた。

「さて、別れを惜しむ重苦しい気持ちの中にも、再びお会いできる日を心待ちにしつつ私はみなさ
んのもとを去ります。これより私は気分一新の為に霊的エネルギーの泉へと赴きます。高遠の世界からのインスピレーションを求めに赴きます。

そこで生命力を充満させてから再び一層の献身と、神の無限の恩寵の顕現の為に、この地上へ戻ってまいります。あなた方の情愛、今ひしひしと感じる私への餞の気持ちを抱いて、私はこれより旅立ちます。そうして再び戻って来るその日を楽しみに致しております。

どうか常に希望と勇気を失わないで頂きたい。冬の雪は絶望をもたらしますが、再び春がめぐってくれば大自然は装いを新たにして微笑みかけてくれます。希望に夢を膨らませ勇気を持って下さい。いかに暗い夜にも必ず昇り行く太陽の到来を告げる夜明けが訪れるものです。

ではこれにてお別れします。神は常にあなた方を祝福し、その無限の愛がふんだんにもたらされております。神の霊があなた方全ての人々の霊に行き渡り、日々の生活の中に誇らしく輝いてお
ります。これより地上の暗闇を後にして高き世界の光明を迎えに参ります。

そしてお別れに際しての私の言葉は、再び訪れる時の挨拶の言葉と同じです。・-・神の祝福の多からん事を・-・」


こうして地上を去って、霊界での大集会に列席した後、再び戻ってきたシルバーバーチはこう述
べた。


「その会合において私はかつての私の栄光の幾つかを再び味わってまいりました。地上世界の改善と進歩の為に奮闘している同志達、人類の福祉の為に必要な改革の促進に情熱を傾ける
同志たちによる会議にも私も参加を許されました。

これまでの成果が事細かに検討され、どこまで成功し、どの点において失敗しているかが明らかにされました。そこで新たな計画が立て直され、これから先の仕事、地上人類の進化の現段階において必要な真理を普及させる上で為さねばならない仕事のプログラムが組まれました。

地上世界の為に献身している大勢の人々、死によって博愛心を失う事の無かった人々ともお会いしました。そしてちょっぴり私事を言わせて頂けば、こんな事は滅多にないのですが、過去数カ月間においてささやかながら、私が成し遂げた事に対してお褒めの言葉を頂戴いたしました。

もとより私はお褒めにあずかるあずかる資格は無いと思っております。私は単なる代弁者に過ぎないからです。私を派遣した高級霊団のメッセージを代弁したにすぎないのです。其れをあなた方が広めて下さったのです。

ともあれ、こうして私達の説く真理が人生に迷っている人々、心は重く悲しみに満ち、目に涙をためた大勢の人々に知識と慰めと激励をもたらしている事は確かです」

                  六章  完




  
    
   第七章 動物は死後どうなるか

動物は死後どうなるのか。これは誰しも一度は考えて見た事のあるテーマであろう。ある日の交霊会で、そのテーマを本格的に扱った本を執筆中のシルビア・バーパネル女史がシルバーバーチに集中的に質問した。

のちにそれが、When Your Animal Dies と題して出版された。スピリチュアリストに限らず動物問題に関心のある人達の間でも大反響を呼んだ。それを読んで人間の死後の存在に確信を持つに至った人も少なくないと言う。

オースティンの原典にはその日の交霊会の記録の十分の一程度しか紹介されていないので、本章にはバーバネル女史の原典からそっくり引用させて頂いた。


問「動物は死後もずっと飼い主と一緒に暮らすのでしょうか。それとも、いずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」

シ「どちらとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関っているからです。死後も生前のままの形態を維持するか否かは、その動物に対する飼い主の愛一つにかかっているので
す。もしその動物と飼い主ーその飼い主(owner)という言葉はすきではありません。

他の生命を我がものとして所有する(own)等という事は許されないのですから・-・その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼い主のところで暮らします。愛のある場所が住拠となるわけ
です。愛が強く結びつけるのです。その場合は動物界へ行く必要はありません。

しかしもしも飼い主より先に他界した場合は、動物界へ行ってそこで面倒を見てもらわなければ
なりません。飼い主との愛が突如としてきれたのですから、単独で放って置かれると動物も迷います。

地上では人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けたのですから、その主人が来るまで、ちょうどあなた方が遠出をする時にペットを専門店に預けるように、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

問「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」

シ「永い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自

我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力を身に付けたわけです。

すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部初めから潜在
していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが神の息吹きで目を覚ました訳です。

さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じこ
とができるのです。人間は神の一部です。従って進化の順序のなかで人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込むことができる筈です。

つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって動物の魂に自我意識を芽生えさせること
ができるのです。それがその後の永い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達する訳です。愛が生命の全てのカギです。

動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを統御し、全てを統率しています。又愛は人間を通じて他の生命へ
働きかけようとします。

人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。愛があればこそ生命は進化するのです」
 

問「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

シ「いえその辺が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化
とではその速度が違うために、どうしても人間についていけなくなる時が来ます。

人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、向上進化を求める霊性が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力が他の生命の進化を援助する方向へと発揮されて行きます。

そうやって人間が霊的に向上すれば向上するほど、動物はいかに愛によって結ばれているとは言えそのスピードについていけなくなり、やがてこの愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合して行きます」


問「すると動物の場合は個性を失ってしまうと言う事ですか」

シ「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体としてはまだ1個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物で
は無くなり、人間となります。

ペットして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけで、人間の進化についていけなくなって愛の糸が切れてしまえば、元の類魂の中に戻るしかありません」


問「せっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛が無駄に終わったことになりませんか」

シ「そんなことはありません。魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。全体に対する貢献です。今迄その類魂に無かったものが
加えられてわけです。全体の為に個が犠牲になったと言う事です。

そうした事が多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて人間へと進化して行きます」


問「その時点で人間界へと誕生する訳ですか」

シ「そうです。人間界への誕生には2種類あります。古い霊が地上へ戻ってくる場合と、そうやって動物界から初めて人間界へ誕生してくる場合です」


問「一人の人間としてですか」

シ「そうです双方とも霊魂です。双方とも自我意識を持った霊であり個性を有しております。ただ
一方がベテラン霊で、進化の完成の為にどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上にやって来るのに対し、他方は、やっと人間の段階まで達した新入生です。

直前まで動物だったのが人間へとジャンプしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を辿って、今ようやく人間へと達したのです」


問「セオソフキー(神智学)の教えと同じですね」

p94
シ「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのは止めて下さい。世の評論家と言うのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ
ご存じない。困ったことです。

それは措いて、あなたはまさか蜘蛛を家の中に持持ちこんでペットして飼ったりしないでしょう。

カブト虫に温かい人間愛を捧げるような事をしないでしょう。それはあなたとそう言う昆虫との間の
隔たりを意識するからです。進化の道程において遥かに遅れていることを本能的に直感するからです。

一方犬とか猿、時に猿などをペットして可愛がるのは、一種の親近感を意識するからです。もうす
ぐ人間として生まれ変わって来る段階まで近づいてきているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」

問「では下等動物が人間に飼われると言う事は、その動物はもうすぐ人間に生れ代わると言う事を意味するのでしょうか」

シ「進化にも、突然変異的な枝分かれ、いわゆる前衛と、後戻りする後衛とがあります。つまり前
へ行ったり後ろに下がったりしながら全体として進化して行きます。

中には例外的なものも生じます。動物でも知的な面でずいぶん遅れているものもいれば、小鳥でも犬よりも知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」


問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ変わるのですか。それとも一回きりですか」

シ「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ変わっては類魂全体の為に体験をもちかえります。動物の場合それぞれ一度ずつです。そうしないと進化になりません」


問「吾々人間としては、犬や猫などペットと同じように、生物の全てに対して愛情を向けることが望ましいでしょうか」

シ「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶと言うのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。

あなたの心に怒りの念があると言う事は、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だと言う事を意味しているわけです。

あなたに心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」


問「動物がようやく人間として誕生しても、その人生がみじめな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」

シ「そう言う事はありません。一旦人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのですから」


問「屠殺とか動物実験などの犠牲になった代償・-・いわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか」

シ「勿論それにはそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてでは無く、そ

の動物の属する類魂を単位として法則が働きます。進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働きが違うのです。

特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に埋没してしまうので、個的存在とは条件が異な
ります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」

問「シラミとかダニなどに寄生虫は人間の邪心の産物だと言う人がいますが、本当でしょうか。あれはホコリとか病気などの自然の産物ではないかとおもうのですが」

シ「仮に病気やホコリのせいだとした場合、そのホコリや病気は一体だれがこしらえたのですか。

原因を辿れば人間の利己心にいきつくのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。

たしかに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、ホコリとか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、さらのその原因を辿れば、そう言う環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の利己心、非人間性に行きつきます。

これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示しています。そう言う利己性を棄
て、弱者を食い物にするような真似を止め、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」


問「それは例えば、ハエのようなものには当てはまらないでしょう」

シ「いいですか、大自然は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如
何によって左右されており、人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。

人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。

人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はあり得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。人間は神によって創造されたもので

ありながら、同時に又、神の一部として、宇宙の進化の推進者でもあり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも司配する自然法則に影響を及ぼします。

私は今、人間と自然界の進化は大体のおいて平行線を辿ると言いました。両者にはどうしてもす

こしずつズレが出てくるのです。なぜなら、過去の世代が残した業は必ず処理して行かねばならないからです。」

問「今おっしゃったことは恐ろしい野獣についてもあてはまるのでしょうか」
p99
シ「全面的ではありませんが一応は当てはまります。ただ忘れないで頂きたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないのです。いろいろと変化しながら永遠に続くのです。

原始的なものからスタートして低い段階から高い階段へと進むのですが、かつては低いところに
いたものが次第に追い抜いて今では高いところにいたり、今高い所に位置しているものが、将来は低い方になることもあります。」


問「では進化にも後戻りということがあるわけですか」

シ「それは後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは
一種のサイクル、現代の思想家の言葉を借りればスパイラル(螺旋状)画きながら進むものだからです。どちらの言い方でも構いません。

要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解して頂ければよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、という事を繰り返しながら永遠に続くのです」


問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」

シ「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性
が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと羊が仲良く寄り添うようになります」


問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか」

シ「あなたもかつては動物だったのですよ。それが此処まで進化してきた。だからこそ太古に較べ

れば動物界でも随分残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したものもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」


問「おとなしい動物の中にも絶滅したものもがいますが」

シ「進化の一番の指標が残忍性に出ると言っているのです。太古でも進化上枝分かれが幾つもありました。それらは進化の先進者とも言うべきものです。進化というのはどの段階おいても一定
の型にはまったものではありません。

優等生もおれば劣等性もおり、模範生もおれば反逆児もおります。おとなしい動物はさしずめ優等生だったわけです」


問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入って行くのですか」

シ「違います」


問「動物の類魂は一つではないと言う事ですか」

シ「各種属にそれぞれの類魂がいます」


問「それがさらに細分化しているわけですか」

シ「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新し
い霊・-・初めて人間に宿る霊は、動物界の中の最も進化した類魂です」


問「動物で一番進化しているのは何ですか」

シ「犬です」


地御「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか」

シ「別に害はありません。全体のバランスから見て、殆ど取るに足らぬ勢力ですから。でもこれは随分深入りした質問ですね」


問「動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか」

シ「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいと言う事です。場
所とか位置が要らないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出てくるのです。

魂には居住地は要りません。最も形態の中に宿れば別です。類魂そのものには形態はありませ
んが、もしも形態をもつとなれば、何らかの表現形態に宿り、その形態で自己表現できる場がひつようになります」


問「動物の類魂は地球上に対して何か物的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか」

シ「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気をつけて頂きたいのは、どうもあなた方は物的なものと霊的なものとを余りに区別しすぎるきらいがあります。

地上に存在していても立派に類魂に一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないと錯覚してはいけません」


問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか」

シ「訪れません」


問「では死んでからいく世界にまるで馴染が無いわけですか」

シ「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれができるのは飼い主だけですから、飼い主が地上にいれば案内できない理屈になります」


問「飼い主が先に死んだ場合はどうなりますか」

シ「その場合は事情が違ってきます。今述べたのは一般的な話です」


問「人間より動物の方が心霊能力が優れている場合があるのはどうしてですか」

シ「人間が今送っているような”文化生活”を体験していないからです。人間がもし文化性生活
の”恩恵”の浴さなかったら、心霊能力が普段の生活の一部となっていた筈です。つまり人間は文明と引き換えに心霊能力を犠牲にしたわけです。

動物には人間のような金銭問題も無く、社会問題も無いので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。人間の場合は物質文明が心霊能力を抑え込んでしまっ
たわけです。いわゆる霊能者というのは進化のコースの先駆者です。

いずれは人間の総てが発揮する筈の能力を今発揮しているわけです」


問「動物にはいわゆる第六感と言うのがあって災害を予知したり、知らないところからでもちゃんと帰ってきたりしますが、これも心霊能力ですか」

シ「そうです霊能者にも同じことができます。ただ動物の場合はその種属特有の先天的能力であ

る場合があります。いわゆる本能といわれるもので、鳩がどんな遠くからでも帰って来るのもそれです。これも一種の進化の先駆けで、その能力だけがとくに発達したわけです」


問「死んだばかりの犬が別の犬と連れだって出てくる様子を霊能者が告げてくることがありますが、犬同士でも助けあう事があるのですか」

シ「ありません。ただし地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れだって出ることはあります」


シ「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」

シ「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間と殆ど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物の全てがおります。そうして動物は飼い主かの手

から離れたことで寂しがったり迷ったりするといけないので、動物界へ連れてこられて、他の動物と一緒に暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。

そこには動物を喜ばせるものが何でもそろっており、やりたいことが何でもできるので、いらいらすることがありません。そして時には地上にいる飼い主の家の雰囲気内まで連れてこられ、暫しその懐かしい雰囲気を味わいます。

心霊知識の無い方人が自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言って騒ぐのはそんな時で
す。なんとなくあの辺に居たような気がすると言った程度に過ぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達していますから…」


問「動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか」

シ「そうです。それ以外の人について戻って来ることはありません。ところでその世話をしている人はどんな人だと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスが無かった人達です。

それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのと一緒です。

犬とか猫、その他人間が可愛がっている動物が飼い主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いが持てなかった人間によって世話をされるのです。

もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役立っているわけです。知識に何一つ無駄なものはありません」


問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

シ「そうです。そうしたチャンスを喜んで引き受けてくれる人が大勢います」


問「動物界は種類別に分けれているのですか、それとも全部が混ざり合っているのですか」

シ「種類別ははっきりしています」


問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」

シ「そうです兎に角自然に出来上がっております。一つの大きな檻の中に飼われているのではありません」


問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」

シ「その通りです」


問「特に仲の良かったもの同士は別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」

シ「そう言う事です。全てが至って自然に出来上がっていると考えて下さい」


問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか、猿ですか」

シ「猫です」


問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」

シ「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。必ず優等生と劣等性とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人
間が犬を可愛がったからです」


問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・」

シ「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。永い永い進化の道程において、猿は言わば足を

滑らせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。

それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種族が進化してきました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうしても説明が困難です。もっともっと複雑なのです」


問「猿の種族が法則を犯したのでしょうか」

シ「法則を犯したと言うのではなく、当然しなければならないことをしなっかったと言う事です」


問「では猿と同じように、将来、犬が進化した段階を滑り落ちることもありうるのでしょうか」

シ「それはもうあり得ないでしょう。というのは、すでに何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。種の型が殆ど定型化して、これ以上の変化の生じ

る可能性は無くなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかもしれませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。

人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と足、二つの目と一つに鼻が大きく変化することは考えられないでしょう。これが人間の定型となったわけです。勿論民族により

地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、全体の型は同じです。

動物の場合はこの傾向がもっと強くて霊界の類魂に突然変異が発生することがあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」


問「猿の転落もやはり自由意志に関係した問題ですか」

シ「それは違います。自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです」


問「動物には個体としての意識が無いのに、なぜ類魂全体として判断ができるのですか」

シ「個々には理性的判断が無くとも、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。個々には判

断力は無くても、永い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠ると言う時期があるわけです」


問「それは植物の場合にも言える訳ですか」

シ「そうです」


問「それは外的要因によって生じるのではないですか」

シ「そうですがあなたがおっしゃる外的というのは実は内的でもあるのです。それに加えてさらに、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません」


問「例えば猿の好物であるナッツ類が豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか」

シ「結果論からすればそうかも知れませんが、ではナッツがなぜ豊富にあったのかという点を考えると、そこには宇宙の働きを考慮しなくてはいけません。つまり人間の目には外的な要因に見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。

私が言わんとしているのはその点なのです。人間はとかく宇宙の法則を何か生命の無い機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根源において完全にして無限なる叡知によって支配されているのです。

法則にもまず基本の型というものがあって、それにいろいろとバリエーション(変化)が加えられています。と言ってもその基本の型の外へ出ることは絶対に出来ません。どんなに反抗して見たところで、その法の枠はどうしようもなく、結局は順応していくほかありません。

しかし同じ型にはまっていても、努力次第でそれを豊かで意義あるものにしていくことも出来るし、

窮屈で味気ないものにしていくことも出来ます。別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、あるいはみっともない色彩を塗りつけてしまうのもあなた次第という事です。いずれにせよ最後は型に収まります」

別の日の交霊会で動物実験が道徳的側面から取り上げられた。

問「動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようとする団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか」


「為になる仕事をしようと努力している人は必ず霊界の援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ動物実験している人の中には、

人類の為という一途な気持ちで一生懸命な余り、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし罪は罪です」


問「でもあなたは動機が一番大切であると何度もおっしゃっています。人間の為と思ってやっても罰を受けるのでしょうか」

「動機はなるほど結構なことかもしれませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分からない筈がありません。それでも尚実験を強行すると言う事は、かなりの責務を自覚しているものと看做)(ミナ)されます。

動機は人の為という事で結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした

点を相互的に考慮したうえで判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えると言う事は賛成できません」


問「動物は人類の為に地上に送られてきているのでしょうか」

 「そうです、同時に人類も動物を助けるためにきているのです」


問「動物創造の唯一の目的が人類の為という事ではないと思いますが」

 「それはそうです。人類の為という事も含まれていると言う事です」


問「動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか」

 「許されません。残虐な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が
正義ですか。それは私どもの教えと全く相入れません。無抵抗の動物を実験台することは間違いです」


問「動物を実験材料とした研究からは、例えば癌の治療法は発見できないという考えには賛成ですか」

 「神の摂理に反した方法で手に入れた治療法では病気は治せません。人間の病気には其々にちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験からは発見できません」


問「そうした酷い実験を見て居ながら、なぜ霊界から阻止して頂けないのでしょうか」

 「宇宙が自然法則によって支配されているからです」


問「私はキツネ狩りをしたことがありますが、間違ったことをしたことになりますか」

 「全ての生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪う事は許されません」


問「でもうちの鶏を二十羽も喰い殺したのんですが」

 「では、仮に私がその狐に銃を与えて、二十羽も鶏を食べたあなたを打ち殺せと命令したらどうなります。全ての地上の生命は神の前には平等なのです。人間が飢えに苦しむのはキツネが悪

いのではなく、人間自身が勝手な考えを持つからです。キツネや鶏をあなたがこしらえたのなら、これをあなたが食べても誰も文句は言いません。

人間が鶏やキツネを殺していいと言うのが道理であるとしたら、あなたの兄弟姉妹を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪うものは何

時かはその責任を取らなくていけません」


問「オーストラリアではウサギの異常繁殖が驚異となっておりますが、これについてどうでしょうか」

 「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合についてブツブツ文句を言います。私の地上の故郷である北米インデアンについても同じです。インデアン

はもともと戦争とか、俗に言う火酒(ウイスキー・ジン等の強い酒)、その他不幸をもたらすようなものは知らなかったのです。

白人が教えてくれるまでは人を殺すための兵器は何も知らなかったのです。その内人間も宇宙

のあらゆる生命・-・動物も小鳥も魚も花も、その一つ一つが神の計画の一部を担っていることを知る日が来るでしょう。神の創造物としてそこに存在していることを知るようになるでしょう」


問「イエスの教えの中には動物に関するものが非常に少ないようですが何故でしょうか」

シ「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったからです」


問「他の国の霊覚者の訓えにはよく説かれているようですが」

 「それは全部とは言いませんが大部分はイエスよりずっと後の時代のことです。それはともかくとして、あなた方はイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。

イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降りてきたのであって、人類全体の為ではありません。

イエスにはイエスの限られた使命があり、イエス個人としては動物を初めとして全ての生命に愛情をもっていても、使命達成の為に、その訓えを出来るだけ制限したのです。

その使命というのは、当時の西欧世界をむしばんでいた時代遅れの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、難解なドグマに代わる単純明快な人間の道を説くことでした」


問「下等動物への愛を説かない教えは完全とは言えないではないでしょうか」

 「勿論そうです。ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。

イエスは霊の黄金律を説きました。すなわち”汝の欲するところを人に施せ”という事ですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にもむごい仕打ちは出来ないはずです」

                          七章  完





   
   第八章 病気は自分で治せる

サークルのメンバーの一人で心霊治療家を目指している人が自分の病気を話題に出した。するとシルバーバーチは言下に―

その病気を追い出してしまいなさい。自分は絶対に病気にはならないのだと自分に言い聞かせるのです”医者よ、汝自らを癒せよ”この古い言葉をご存じでしょう

 その事を考えたことはあります。やはり病気は自分で治せるのでしょうか。


「治せるだけでなく、現に治しております。魂の優位を主張し、肉体と言う下等なものによって束縛され抑えられる事を拒否することによって病気を追い払うのです。身体を従者にするのです。

主人にしてはいけません。誰にでもできる事です。ですが、大部分の人間は頭から出来ない者と思いこんでいます。だからできないのです。

肉体は精神の従僕です。精神は肉体に隷属しているのではありません。肉体は束の間の存在で
あり精神は永遠の存在です。肉体はいずれ朽ち果てます。精神が宿っている間だけ、現在の形態を維持しているのです。一時的な存在です。其れがその人ではありません。

その人の表現体であり、道具であり、地上で認識してもらうための手段です。

その肉体が精神によって歩き回ることを教わり、筋肉を動かす事を教わり、血液を循環させる事を教わり、心臓を鼓動させる事を教わり、内臓の全ての機能を働かせる事を教わった如く、今度はその(リズムを狂わせている)機能に本来のリズムを取り戻させることによって病気や疾患や異常を無くしてしまう事が出来る筈なのです


・-・と言う事は誰でも自分で健康を回復出来ると言う事でしょうか

「まさにその通りです。ただしその為には”自分は神である。無限の創造活動の一部を担う存在である。全生命への責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ”と宣言できる段階まで悟りが出来なくてはなりません」

ここで別のメンバーがその訓えにはクリスチャン・サイエンス(*)と同じであることを指摘した。

(*信仰治療又は信念によって自らを治す事を主義とした新興宗教の一派でメアリ・エディと言う女性霊媒者によって創設された。が、この後でシルバーバーチも指摘するように肉体は無いと思えと説いたところに間違いがあり、それを死後

「霊界からのエディの告白」と題する懺悔の通信の中で認めている。霊感の鋭い人で霊的事実についての理解はあったが、豪華な教会をたててやろうという野心が自分を誤らせたと告白している。訳者)


「私は言わばクリスチャン・サイエンスが説く真理を全面的には否定しません。かなりの程度まで正しい教えを説いておりますが、その多くが脇道へそれてしまいました。

物質の存在を否定するに至ったところに問題があります。

私は物質は実在するがあくまで精神の支配下にあると説いております。あなたは無限の可能性を具えた存在です。その肉体があなたではありません。

その肉体を使用している霊なのです。つまりあなたは肉体を具えた霊であって、霊を宿した肉体
ではないと言う事です。肉体は現在の形態をせいぜい50年、60年、あるいは70年もしかして百年の間維持しながら次第に朽ちていき、やがて元のチリに帰ります。

しかし霊はそう言う経過は辿りません。不滅の素材で出来ているからです」

・-・私達の全てが治病能力を具えているのに何故心霊治療家の存在が必要なのでしょうか。

「神の摂理を知らない人が多すぎるからです。みんなそんな摂理なんかある訳が無いと思い込み健康を回復する法則を実践できる段階まで、意識を高める事が出来ないと、きめてかかっているからです。神の摂理に従って生きていれば病気も異常も生じません。

肉体に異常が生じるのは摂理に反した生き方をしているからです。調和が乱れると病気になり、自分自身の努力、また霊界からの治療エネルギーによって調和を取り戻すまでその状態が続きます」


・-・自分で治した場合でも霊界からの援助を受けているのでしょうか

「そう言う場合もあり、そうでない場合もあります。と言うのは人間は常に何らかの思念、観念、エネルギーと言った影響力を周りから受けているからです。

しかし同時にあなた方も霊であり、生命の大霊の一部であり、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引きだして我がものとし、普段より大きな力を発揮できるのです。

人類が今の段階ですでに進化の頂上に到達したと思われますか。現在の文明の状態を見れば、まだまだ人類には成長と進化の余地があることが明白ではないでしょうか。

あなた方も神性を宿しておられるのです。ほんの小さな火花に過ぎませんが、人間の一人一人に宿されているのです。

その火花を煽いで大きな炎とするか、それとも手入れを怠って消えてしまいそうにするか、それは各自の自由意志によって自らが決めておく事です。誰も代わって決める事は出来ないからです。

各自が自分の運命の採決者なのです。自分の未来を自分で形成していくのです神性を発揮するか否かはあなた方自身が選択する事です。代わって選択してあげようにもできないのです。向上進化は自分が自覚しない限り、側から促進してあげる事は出来ません」

・-・各自に神が宿っているのであれば、自然に発揮されてくるのではないでしょうか

「夏の盛りの大自然の見事な景観を御覧になれば、その背後にそれだけのものを発揮する種子が宿されていた筈だとは思われませんか。例えば薔薇のあの可憐な花びらと芳しい香りもみな一個の小さな種子の中に宿されていたのであり、それがまず蕾の形で顕現されます。

薔薇の美しさの全てがそこに宿されているのですが、それはつぼみが開かない事には発揮されません。あなた方の魂には神が宿っております。そのつながりは永遠であり、決して断絶ではありません。しかしその神の属性をどれだけ発揮するかは各自で決める事です」


・-・心霊治療はどういうメカニズムで病気を治すのか、治療家と患者との間にどういう関係が生じるのかを問われて・・

「賦活性を持った放射線が注入されるのです。病気に応じて種類が異なります。どう言うものかと言われても、、地上にはそれに類するものが見当たりませんので説明できません。

例えばX線、無線、磁気、電気と言ったものもあくまで”用語”であって、本質を伝えてはいません。要するのこちらの世界には病気を治す力を持った放射線、エネルギーどう呼ばれても結構で
す。が、存在し、それを使用するのです。

賦活性をもった生命力の一種で、それを人類の為に使用できるまでに進化した霊が駆使しているのです。

霊的啓示を授けるものが叡知の泉から汲み上げるように、心霊治療家は健康の泉から治癒力を
汲み上げる事が出来ます。同じく、必要な物的証拠を提供する霊波、地上でまだ知られていない何種類かの気体を使用しています。全ての生命が刻一刻と進化している事を認識して下さい。

学問は墓場で終わるのではありません。開発は死とともにストップするのではありません。霊魂は叡知を蓄積しつつ、何処までも前進しつづけます」


別の日の交霊会で治療を妨げる最大の障害物は患者の不安と取り越し苦労である事をシルバーバーチが指摘すると、メンバーの一人がすかさず質問した。


・-・心配するのもやむを得ない事もあるのではないでしょうか。それとも、心配する事は絶対にいけませんか

「いいとかいけないとかの問題ではありません。その念が連絡の通路を塞いでしまうのです。治療エネルギーの流れを妨げ、近づけなくしてしまうのです。心配の念を抱くとそれが大気に響いて、その人の周りに吾々の侵入を妨げる雰囲気をこしらえてしまいます。

冷静に受容的雰囲気でいてくれれば、容易に接近できます。確信を抱いている時、完全な信頼心を抱いてくれている事は接触が容易です。信念が完全に近づけば近づくほど、自身が深まれば深まるほど、それだけ我々との接触が緊密になります

この心霊治療を医事法違反として規制する法案が英国議会に提出された時シルバーバーチは、たとえ全議員がそれに賛成しても、たとえ権力者の全てが支持しても、たとえ教会のすべてがこぞって同意しても、心霊治療を地上から撲滅してしまう事は出来ないと述べてから、こう続けた


「神の御業であるからには心霊治療はそうしてものを乗り越えて存在しますし、又存続させねばなりません。私達が啓示している自然法則は人間の法律によって成立するものではありませんし、その普及が妨げられるものでもありません。

私達は誤まる事を避け難い人間がこしらえた法律には全く関心がありません。

神の法則、不変、不易にして不可変、全知全能の摂理、無始の過去より存在し無窮の未来まで存続しつづける摂理を説いているのです。人間が吾々の事、並びに吾々の説く真理の事をどうケチ付けようと一向に構いません。


かつて地上の改革に努力した人々、理想に燃えて同胞の為に献身した人々は、人類の最先端を歩んでいたために、進歩の階梯において一歩先んじていたために、侮りと、蔑むと、嘲りを耐え忍
ばねばなりませんでした。

そして使命を終えてこちらへくると、後世の人間は彼らの事を人類の模範として崇拝し、そうしながら一方では同時代の超能力者を磔にして葬りました。真理と言うものは確立されるまでには数々の闘いに打ち勝たねばならないものなのです。


恐れてはなりません。吾々の全てに存在を与えれくれている力、地上の為に私達を地上へ派遣し
てくださっている力、あなた方にみずから体現させてあげたいと望んでいるところの力は、宇宙の
全生命を創造した力と同じものなのです。

それはあなた方の方から見捨てない限りあなた方を見捨てる事はありません


地球はこれからもずっと地軸を中心に回転しつづけます。太陽はこれからもずっと輝きつづけます。全ての天体が定められたコースを運行しつづけます。潮は満ち引きを繰り返し、春の後には
夏が、秋の後には冬がめぐってきます。それはその背後で支える力が無限であり、

誤まる事が無いからです。これだけの大自然のスペクタル(壮観・美観)を目の前にしながらあなた方は、それと同じ霊力が地上世界の事でしくじりを犯す事があり得ると思われますか。

その霊力を顕現させる道具が存在する限り、人の為に役立ちたいと願う男性あるいは女性がい
て下さる限り、私達は病気に苦しむ人を癒し、生命が墓地の向こうにも存在する事を証明し、永遠の霊的実在の証を提供しつづけます。

そうすることが物的万能主義を永遠に駆逐し、霊の働きかけの実在を曖昧なものにしてきた教条主義を排除し、奉仕を基調とする真の宗教を確立することになるからです」

では、そもそも病気とは何であろうか。シルバーバーチはこれを霊と精神と肉体の三位一体の協調関係が崩れた状態であるという。ではそれを崩す原因はなんであろうか。純粋な精神的原因、

純粋な霊的原因と言うものがあるだろうか。全世との関係は? 病気と言うものが人生に於ける
最大の苦痛の原因であるだけに、心霊治療の問題は人生そのものの問題であるとも言える。

その解答を次の問答から読み取って頂きたい。まずシルバーバーチがこう述べた。


物的身体と霊的身体との間に相関関係があり、両者は絶え間なく反応し合っております。物的
身体は霊的身体にその存在自体を依存しており、霊的身体は物的身体にその表現を依存しております。物的身体を通して獲得する経験が霊的身体の成長を決定づけていきます

・-・肉体は幽体を原型としているのですか。

「そうです」

・-・そうなると病気になった場合は幽体を治療すべきなのでしょうか

「必ずしもそうではありません。病気の原因がどこにあるかにもよります。純粋に霊体から来ているものであれば霊体を治療することによって治せます。が、原因が純粋に肉体的なものであれ
ば、霊的方法よりは物的方法の方が効果があります。

ご承知の通りあなたは今の時点でも霊魂です。ただ、こうして霊的身体と同時に物的身体を通し
て表現している間は、物的身体の事は物的身体を通して感得しております。そして、

物的世界に生じた事は物的身体に影響を及ぼすと同時に霊的身体にも影響を及ぼします。

同時に霊的身体へ影響を及ぼすものはことごとく物的身体へも影響を及ぼします。かくして両者
の間の作用と反作用が絶え間なく行われております。

物的、精神的、霊的の三つの影響力の絶えまない相互関係が営まれております」

(精神は霊が肉体を操作する為のコントロールのような存在で、霊にとっては実質があり、実感がある…訳者)

・-・伝染病は純粋に物的原因によるものでしょうか

「必ずしもそうではありません。実際は肉体に原因があるのではなく霊に原因がある病気も数多くあります

・-・それはどんな原因があるのでしょうか

「利己主義、強欲、金銭欲、イエスが治療した患者に”汝の罪は赦されたり”と述べた話はご存じでしょう。病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類がある事を知らねばなりません。

どちらの場合でも同じ方法で治す事も不可能ではありませんが、物的な治療法の方が効果が大きい病気があります。病気の影響が霊的身体にまで及んでいる場合があり、あるいは霊的身体にそもそもの原因がる場合もありますが、霊的身体そのものが病気になる事はありません。

物的身体との相互関係の異常に過ぎません。その異常がバイブレーションを乱し、物的身体との関係を乱し、それが病気となって現れます。

怒りが脾臓を傷める事があります。嫉妬心が肝臓を痛める事があります。そうした悪感情が異常
の原因となり、バランスが崩れ、調和が乱れます。病気が進行してバランスが完全に崩れてしまうと霊的身体が脱出のやむなきに至ります。それが死です」


・-・腕を失った場合、それは幽体の腕にどんな影響を及ぼしますか

「幽体の腕に影響が及ぶような事態は決して起きません。両者の相互関係の欠如という事態にはなります。幽体の腕は肉体に宿っている間は働こうにも働けません。それはともかくとして、

私達の口から”この病気は治りません”という言葉をお聞きになった事はないでしょう。

治る望みは必ずあります。ただ其の為にいろいろと考慮しなければならない要素があると言う事です。人間には物的身体と霊的身体とがあり、両者は生命の紐、いうなれば命綱で結ばれております。

病気、異常、あるいは年齢と言ったものが物的身体に忍び寄るにつれて両者の相互関係が次第
に緊密度を失ってまいります。そうした中で物的世界からの離脱の準備が進行している訳です。

病気には物的、精神的、霊的の三つの原因があります。骨折も霊的に直す事が出来ない事はありませんが、物的手当の方が簡単でしょう」


・-・遺伝子疾患と神の公正とをどう結び付けられますか

「地上へ生を享ける時は因果律によってその霊が当然宿るべき身体に宿ります。

前世で身に付けたものを携えて現世をスタート致します。前世を終えた時点で相応しいものを携えて再生するのです。遺伝的疾患も少しも不公平ではありません。(前世に照らして)これからの進化にとって必要なものを成就するのに相応しい身体を与えられるからです」


・-・心霊治療によって治る人と治らない人がいます。患者と魂の進化という観点から見て種類が異なるのでしょうか

「そうではありません。誰であろうと霊界へ旅立つ時が来れば、いかなる治療家もそれを阻止する事は出来ません」


・-・でも治療家のところへ行かなかったらもっと早く死んでいたと言う事もあるでしょう

「それも数日かそこいらの話です。永遠の時の中でそれがどれ程の意味があるのでしょう」 


・-・だったら心霊治療家も要らない事になりませんか

「そうはまいりません。苦しむ人を救ってあげたいと言う情は神の心の自然の発露だからです。人間の病気や異常の多くは魂の進化の程度の低さに由来するのではなく、無知から神の摂理に反
した生き方をするからです。

もっとも、神の摂理に反した生き方をするのは、その摂理が理解できる段階まで魂が到達していないから、と言う観方も出来ることは確かです。魂が摂理と一体となる段階まで進化すれば病気は生じません」


・-・二人の人間が同じ病気で苦しんでいて、一方は治り一方は治らないと言う場合がありますが、これは不公平ではないでしょうか

「そもそも心霊治療家のところへ足を運ぶと言う事自体、偶然の事と思われますか。偶然ではありません。偶然と言うものはあなた方の世界にも私達の世界にも存在しないのです。断言します。

神の摂理は完璧です。いずれあなたもその働きを理解し、その完璧な摂理をこしらえた完全なる
愛の存在を知って、私と同じように、まるで鉄槌を食わされた様な思いをなさる日が来るでしょう。

私達は全て、私も同じなのです。暗闇の中で手探りで進みながら時折光明の閃きを見つけ、摂理への洞察力を手にします。そこで感激します。しかし暗闇の中にいる限り摂理の全貌が見えませ
んから、私達はそれをとかく偶然のせいにし、運よくそうなったのだと考えます。

しかし、断言しますが、偶然と言うものは存在しません。

そう言うと皆さんはきっと”では、自由意志の問題はどうなるのか”と聞かれるでしょう。確かに人間には自由意志が与えられておりますが、その自由意志の範囲は魂の進化の程度によって規
制されていると申し上げた筈です。自由は自由ですが、その自由にも程度があると言う事です。

自由は自由です。が、それも宇宙の法則、全てを経綸している法則の中における自由だと言う事
です。宇宙最大の組織であろうと極小の生命体であろうと、その法則から逃れる事は出来ません。何もかも神の摂理から逃れる事は出来ません。完璧なのです」


・-・心霊治療家と磁気的治療とはどういう点が違うのでしょうか

「全く違います。磁気的治療は治療家自身の持つエネルギーによって治します。心霊治療は背後のスピリットの波長と一体となり、通常の手段では物質界に感応しない霊波がその治療家を通して流れ込むのです


・-・一卵性双生児が同じ病気に掛り医学では不治と診断されて見放された場合、霊界からの力で二人とも治す事が出来るでしょうか

「私にはどっちとも言えません。病気の軽減及び治療の為の霊力はちゃんと存在します。が、

それがどう活用されるかは、その霊力が流れる治療家の適合性に掛っています。現段階における地上世界はまだ神の治癒力の活用がその頂点まで達しておりません。

治療家が霊的に向上すれば、それだけ多くの治癒力が流れます。私達霊界側の問題でもあります。所詮吾々は媒介役に過ぎません。この霊媒(バーバネル)の背後にこの私(シルバーバーチ)がいます。

この私の背後に私より高い存在がひかえており、その背後にさらに高い存在が控えています。その連鎖関係は無限に続いているのです」

                         




   
   第九章 神は愛の中にも憎しみの中にも

シルバーバーチの説く神の概念はスピリチュアリストにとっても当惑させるものを含んでいる。常識的な愛と善のみの神の概念から、善も悪も、愛も憎しみも超越した”法則”として存在を説くからである。その真意を次の問答から理解して頂きたい。


・-・神とは何でしょうか。あるいは何ものでしょうか。それは愛、全てのものに宿る精神、ないしは感覚でしょうか

「神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造
的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡知です。神は宇宙のすみずみまで行きわたっ
ております。人間に知れわっている小さな物的宇宙だけではありません。

まだ知られていないより大きな宇宙にも瀰漫しております。

「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は存在です。僕に過ぎない我々がどうし

て在主人(アルジ)を知る事を得ましょうら。ちっぽけな概念しか抱けない我々にどうして測り知れない大きさを持つ存在が描写できましょう」 


・-・神はスズメ一羽落ちるのもご存じであると教わっています。ですが世界の莫大な人口、いわんやすでに他界した幾百億と知れぬ人間の一人一人に起きる事を細大漏らさず知る事がどうして可能なのでしょうか

「神と呼ばれているところのものは宇宙の法則です。それは全ての存在に宿っております。全ての存在が神なのです。各自の魂が自分を知っていると言う事は、神がその魂を知っていると言う事です。スズメが神であると言う事は神がスズメを知っていると言う事です。

神が風に揺れる木の葉に宿っているという事は、その木の葉が神であると言う事です。あなた方の世界と私達の世界、まだ人間に知られていない世界を含めた全宇宙が神の法則の絶対的な支配下にあります。その法則を超えた事は何一つ起きません。

全てが自然法則すなわち神の範囲で起きているのですから、全てが知れるのです」


・-・あなたは神が全てに宿る、全存在の根源であるから愛にも憎しみにも、叡知にも不徳にも神が宿るとおっしゃいます。そうなると、過ちを犯す者も正しい事をする人間と同じように神の法則
の中で行っている事になります。

愛と平和を説く者と同じく、憎悪と戦争を説く者も神の法則の中で行動している事になります。全てが神の法則の一部である以上、その法則に違反する者もいないと言う事になってしまいますが、この矛盾をどう説明されますか


「完全が存在すると一方には不完全も存在します。が、その不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生れるのです。生きると言う事は進化する事です。前に向かって進むこと

であり、発達であり開発であり発展であり進展です。あなた方のおっしゃる善も悪もその進化の工程における途中の階梯に過ぎません。終りではありません。

あなた方は不完全な理解力を持って判断しておられます。その時点においては善であり、その時点においては悪だと言っているに過ぎません。それはあなただけに当てはまる考えです。

あなたと何の関わりもなければ、また別な判断をなさいます。兎に角神は全存在に宿っております。」 


・-・では神は地震にも責任を負うわけですか

「神は法則です。万物を支配する法則です。宇宙のどこにもその法則の支配を受けないものは存在しません。

地震、嵐、稲妻、こうしたものの存在が地上の人間の頭を悩ませている事は私も承知しておりま
す。しかし、それらもみな宇宙の現象の一部です。天体そのものも進化しているのです。

この天体上で生を営んでいる生命が進化しているのと同じです。物質の世界は完全からほど遠い存在です。そしてその完全は何時までも達成される事はありません。より高く、あくまでも高く進化していくものだからです」

・-・と言う事は神の進化していると言う事でしょうか


「そうではありません。神は法則でありその法則は完璧です。しかし、物質の世界に顕現している部分は、その権限の仕方が進化の法則の支配を受けます。忘れてならないのは地球も進化して

いると言う事です。地震も雷も進化のしるしです。地球は火焔と嵐の中で誕生し、今尚完成へ向けて進化している最中です。

日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、嵐や稲妻や
雷鳴や大雨は神のものではない等と言う事は許されません。全ては神の法則によって営まれている事です。


それと同じ寸法で、あなた方は、神が存在するならばなぜ他人に害を及ぼすような邪悪な人間がいるのかとおっしゃいます。

しかし人間各個に自由意志が与えられており、魂の進化と共にその活用方法を身につけてまいります。霊的に向上しただけ、それだけ多くの自由意志が行使できるようになります。あなたの現

在の霊格があなたの限界と言う事です。しかし、あなたも神の分霊である以上、人生にあらゆる
困難、あらゆる障害を克服していく事が出来ます。

霊は物質に勝ります。霊が王様で物質は召使です。霊が全てに君臨しております。全生命のエッセンスです。つまり霊は生命であり、生命は霊なのです」


・-・神と言う存在はその神がこしられた宇宙とは別個に存在するのでしょうか


「いいえ、宇宙は神の反映です。神がすなわち宇宙組織となって顕現しているのです。蠅に世の中の事が分るでしょうか。魚が鳥の生活を理解出来るでしょうか。犬が人間のような理性的思考

が出来るでしょうか。星が虚空を理解出来るでしょうか。全ての存在を超えた神をあなた方人間が理解できないのが理の当然です。


しかしあなた方は魂を開発することによって、一言も語らずとも、魂の静寂の中にあってその神と直接の交わりを持つ事が出来るのです。その時は神とあなたとが一つである事を悟られます。

それは言葉では言い表せない体験です。あなたの、そして宇宙の全ての魂の静寂の中においてのみ味わえるものです」


・-・霊が意識を持つ個的存在となる為には物質の世界との接触が必要なのでしょうか

「そうです。意識を獲得する為には物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物 matter から霊 spirit へと進化していくのです。

つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識するように成るのです 」

(質問者は地上の物質を念頭に置いて the world of matter と言っているが、シルバーバーチは spirit との対照におけるmatter の観点から答えている事に注意する必要がある。死後の世界でまとう身体もその一種であり、

其の精妙化が進むにつれて霊性が発揮され易くなる。それを進化と言うのであり、その究極がインペレーターの言う”静の世界”インド哲学で言うニルバーナ、いわゆる涅槃の境涯である。


ただ従来はそれが飛躍的に、ないしは短絡的に捉えられており、悟りを開いた人は死後すぐその境涯へ行くかに考えられてきたが、イムペレーターによるとそこに至るのに何百億年掛るか想像もつかないと述べている。

いずれにせよ、そこに至るまでには”物の世界”にいるのであり、地上と同じく主観と客観の世界にいるのである。その中でも地上の物質界が最も鈍重と言う事である)



・-・となると神は吾々を通じて体験を得ているのでしょうか

「そうではありません。あなた方の進化がすでに完全であるものに影響を及ぼす事はありません。」

・-・でも我々は神を構成する分子です。部分の進化は全体に影響を及ぼすのではないでしょうか

「それはあなた方を通じて顕現されて部分に影響を及ぼすだけです。それ自体も本来は完全ですが、あなた方一人ひとりと通じての顕現の仕方が完全ではないと言う事です。霊それ自体はもと

もと完全です。宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹です。それがあなた方を通じて

顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全である為に顕現の仕方も不完全なのです。

あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。あなた方が霊と言う別個の存在を進化させているのではありません。あなた方自身であるところの霊が顕現する身体(*)を発達させているのです」

(*bodies と複数になっていることからも、先の訳者注で述べた事、つまりはシルバーバーチが”物”を地上だけに限っていない事が窺える。幽体もシルバーバーチに言わせると”物的身体”なのである)

・-・霊が自我を表現する身体にも様々な種類があると言う事でしょうか

「そう言う事です。法則は完全です。しかしあなた方は不完全であり、従って完全な法則があなたを通して働けないから、あなた方を通して顕現している法則が完全でないと言う事になります。

あなた方が完全に近づけば近づくほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現することになります。

こう考えて下さい。光と鏡があって、鏡が光を反射している、鏡がお粗末なものであれば光の全てを反射させる事が出来ない。その鏡を磨いてより立派なものにすればより多くの光を反射するようになります。

要するに、全ての存在がより一層の顕現を求めて絶え間なく努力しているのです。前に私は原石

を砕きながらコツコツと宝石を磨いているのが人生だと申し上げたつもりです。原石は要らない、宝石だけくれ、というムシの良い話は許されません。」

・-・でも各自にとって良いもの悪いものの概念があるのではないでしょうか

「それはその時点での話に過ぎません。進化の途上において到達した一つの段階を表現して完全な法則が顕現しようとして生じた不完全な考えであったわけです。全てが大切だと申し上げるのはそこに理由があります」

・-・それでは神は原初においては善で無かったと言う事になるのでしょうか

「私は原初については何も知りません。終末についても何も知りません。知っているのは神は常に存在し、これからも常に存在しつづけると言う事だけです。

神の法則は完璧に機能しております。つまり今の譬え話で申し上げた通り、あなたは完全な光をお持ちです。ですが、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。それを

光が不完全だ、光が悪だとは言えないでしょう。まだ内部の完全性を発揮するまで進化していな

いと言うに過ぎません。地上で”悪”と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している”不完全さ”を意味するに過ぎません」

・-・創造力を持つ存在は神と呼ぶ唯一の存在にみで、われわれには何一つ創造する力は無いと考えてよいでしょうか

「神は無窮の過去から存在し未来永劫に存在しつづけます。全生命が神であり、神は全生命です。ならば、あなた方に何が創造し得ましょう。しかし魂が進化すれば進化するほど宇宙をより美

しくし、完成させていく事が出来ます。進化の程度が未熟であるほど宇宙における位置が低いと言う事になります」

(宇宙をより美しく完成させていく事が出来る、と言う事は神の創造の大業に参加できると言う事である。『霊訓』にも、『ベールの彼方の生活』にもその趣旨の事が述べられているが、マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でこれを”創造されたものが創造する側にまわる。そこに生命と宿命の秘密が存在する”と表現している。)


・-・愛の神が人間の最低感情の一つである憎しみの中にも存在すると言う事が理解できないのですが


「それは今だに神と言うものを人間的存在と考える概念から抜けきっていないからです。神とは法
則なのです。法則が全てのものを維持し保持し顕現させているのです。

神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、

雨の日は感謝しないものでしょうか。太古の人間は神と言うものを自分達だけの考える善性の進化で在らしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分達の想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。

神は法則なのです。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れて何も存在出来ません。

これが私が繰り返し説いているところです。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現に過ぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪

み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでの事です。愛と憎しみは

表裏一体です。愛と言う形で表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人間は常に比較対照の中で営まれています。

例えば、もしも日向ばかりにいたら日光の有難さは分らないでしょう。時には曇りの日があるから

太陽に有難さが分るのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分るのです。

病気になってみて初めて健康の有難さが分るのです。病気にさせるものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。全ては神の法則の中で表現されていきます。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです」



ここで別のメンバーが、例えば悪を憎むためには当人が憎しみと言う要素を持っている事が必要となるのではないか、吾々は憎むと言う事を学ぶべきだと言う事にならないか、と言った趣旨の事を述べた。すると…

「私はそのような考えをしません。私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っている事だから赦す

べきでないと言う考え方を取ります。あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間と言う事です。その人達が表現しているエネルギーは成長と改善の為にも使用できるのです。

自分から悪人になってやろ、利己主義者になってやろう、と思って悪人や利己主義者になる人間

は滅多に居るものではありません。悪い人間と言うのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。目に見え、手に触れるものだけが全てだと考え、従って物的世界が提供するものを全て所有することによってしか自分の存在を主張できない人間なのです。

利己主義とは、利他主義が方角を間違えたに過ぎません。善なるもの、聖なるもの、美なるも

の、愛、叡知、そのほか人生の明るい側面だけが神に宿っているかに考える旧式の思想は棄て
なければいけません。神の表現をその様に限定すれば、もはや絶対神が絶対神で無くなります。

それは条件付きの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全叡、全能、不可変、不

易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。神を右手にナザレのイエスを従え
て玉座に座している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。

それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体、雄大な千変万化の諸相の一つ一つに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則の事です」


この問答がサイキックニューズ紙に掲載されるとすぐに反響があった。

(交霊会はいつも終末に催され、その記事はすぐに翌週に掲載された。)


読者からの批判的な手紙が読み上げられるのを聞き終わったシルバーバーチはこう答えた。


「困りました。そうした人達は永い間神とは善なる者にのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された立派な人間であるに想像し、人間から見て良くないもの、

親切とは言えないもの、賢明でないものは所有してほしくないと言うに過ぎません。しかし神は人

間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。

法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも替えられません。そこのところが理解できない人にとっては、いろいろと疑問が生じるでしょうけど、成長と共に理解力も芽生えていきます。

神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰がこしらえたかと言う、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます」


・-・悪魔はキリスト教が生み出したのでしょう

「そうです。自分達から見て悪と思えるものを何とか片づける為にはそうしたものを発明しなけれ

ばならなかったのです。悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長、絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。人間にとって悪に思える苦痛に思えるものも進化の計画に組

み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告が無い事になります。暗闇が

無ければ光もありません。悪がなければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を

基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう」


・-・何時の世にもその時点での人類の進化の段階からみて不正と思えるものが存在すると言う事でしょうか

「そう言う事です。進化の階段を登れば登るほど、改めるべきものを意識するように成るものだか

らです。私が進化は永遠ですと言い、宇宙には始まりも終りもありませんと、申し上げるのはその為です。向上の道に終点はありません。無限に続くのです。それぞれの段階がそれまでの低い

段階への勝利の指標に過ぎません。が、低いものがなければ高いものもあり得ない事になりま

す。人生は一本調子(モノトーン)ではありません。光と影、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美
と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解出来るものだからです。闘争を通して、奮闘を通して、逆境の克服を通してはじめて、神性を宿した人

間の霊が芽を出し、潜在する様々な可能性が発揮されるのです。そう言う摂理になっているので

す。私がそう定めたのではありません。私はただそれを自ら修める努力をしてきて、今それを皆さんにお教えしているだけです。


人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪

魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て視野を限られた人間の想像的産物に過ぎません。神は法則なの

です。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜならば、

世の中が不変にして不可変、全知全能の法則によって治められている事を知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られる事が無い事を知ることになるのです。

だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちと言うものが無いのです。だからこそ

人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあってしかるべき位置を占めているのです。だから

こそ何一つ見逃される事が無いのです。いかに些細なことでも、いかに巨大な事でも。全てが法則の枠内に収められているからです。全てが法則だからです。存在を可能にならしめている法

則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。人間に与えられている自由意志が混乱を引き起こし、法則の働きを正しく見えなくする事はあっても、法則

は厳然と存在しますし、又機能してもらわなくては困ります。私はキリスト教の神学は人類にとって大きな呪いだと思っています。しかし、その呪われた時代も事実上終わりました」

                     完



     
   第十章 二人の幼児と語る

サークルのメンバーではないが、シルバーバーチの”お友だち”として毎年クリスマスが近づくと交霊会に招待されて、シルバーバーチと楽しい語らいを持っている子供がいる。ルース(女児)とポ

ール(男児)の二人で、共に心霊ジャーナリストのP・ミラー氏のお子さんである。これから紹介するのはそのミラー氏がサイキックニューズ紙に発表したその日の交霊会に関する記事である。

まずシルバーバーチが次のような祈りを述べた。

「神よ、なにとぞ私達にあなたの愛、あなたの叡知、あなたの慈悲を知る力を授けたまえ。素朴さと、無邪気さの中にあなたに近づき、童子の如き心を持つ者にのみしめされる真理を悟らし給わ

んことを。あなたは不変にしてしかも変転極まりなき大自然の栄光の中のみならず、童子の無邪気さの中にも顕現しておられるからでございます」

そして二人に向かい、あたかも慈父の如き口調で、目にこそ見えなくても度々二人の家を訪れている事を述べ、さらに、

「私はあなた達と遊んでいるのですよ。妖精や天使達と一緒に、そして特にあなた達に霊の世界の素晴らしさを教えようとしている人達と一緒に、あなた達の家を訪れているのですよ」と述べた


すると最近になって霊視力が出始めたルースが寝室で見かける”光”は何かと尋ねた。ポールも

ルースと一緒にいる時に同じようなものを見かける事がある。シルバーバーチはそれが妖精と天使が見せてくれているものであることを説明してからルースに向かって、


「あなたはその妖精達が携えてくる”守護の光”であなた達を取り巻いております」

と述べ、今度はポールに向かって、

「霊の世界には地上で遊ぶチャンスが与えられないうちに連れてこられた子供がそれはそれは

沢山いるのです。そう言う子供達をあなた達と遊ばせる為に連れ戻す事があります。あなたたち

との遊びを通して、まだ一度も体験した事のないものを得る事が出来るのです」


ルースがシルバーバーチにこうして霊界からお話をしに戻って来てくれる事にお礼を言うと、シルバーバーチは、

「いえ、いえ、あなたたちこそ私の話を聞きに来てくれて有難う。こうしてお話をしに来る事によって私は、皆さんが私のお話から得られる以上のものを頂いているのです。お二人の心には私に

本当の住処である高い境涯の純粋さが反映しております。その純粋さは地上近くで仕事をしてい

る霊にとって、とても大切なものなのです。それをお二人の心の中に見つけて、何時も慰められております」

ルース「霊界のお友達に会いに戻られるのは楽しいですか」

「勿論楽しいですとも、ルースちゃんがもしお家から遠く離れて暮らし永いことお父さんお母さんに会わずに居たら、いよいよお家に帰ることになったと聞かされた時は嬉しくないですか。

私はもうすぐ”多くの住処”のある私の本当の”父の家”に帰って(*)そこで大勢の私の愛する霊、私を愛してくれている霊、私にこの使命を授けて下さった霊と会う事になっております。ですが、

それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている地上のさらに大勢の人達のお役にたつ為の力を頂くためです」

(*わが父の家には住処多し”霊界にも様々な生活の場があると言う事)

ルース「私も妖精を見るのが楽しみです」


「そう言う楽しみを授かった事を感謝しなければいけませんよ。何も感じない人が大勢いるのですから」


ここで二人が霊媒の膝に座ってシルバーバーチに口づけをさせてほしいと言う。それが終わると今度は霊界について何か楽しいお話をしてほしいと頼んだ。するとシルバーバーチは・・・


「霊界にも広い広い動物の王国がある事をご存知ですか。そこでは動物のあらゆる種類が、動

物も小鳥も、襲ったり恐がったりすることなく一緒に暮らしております。ライオンが子羊と並んで寝そべっても、ケンカもせずに餌じきになる事もありません。美しい花園も沢山あります。そこに咲

いている花々はそれぞれの種類に似合った色彩、濃さ、形をしています。地上では見られない色

彩が沢山あります。又美しい湖、山々、大きな川、小さな川、豪華な羽毛と目の覚めるような色彩

をした小鳥が沢山います。昆虫も綺麗な種類のものが沢山おります。地上で見かけるものよりは変異しています(物質界と言う)さなぎの段階を通過して、本当の美しい姿を見せているからです」


ポール「地上でもし小羊がライオンの側に寝そべったら、丸ごと食べられてしまいます」


「地上の事ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫です」


ポール「シルバーバーチさんのお家はきれいでしょうね」


「それはそれは美しくて、とても言葉に言い表せません。絵描きさんが描こうとしても、全部色合いを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表そうにも、地上の楽器では出せない

音階があります。”マーセルおじさん”に聞いてごらんなさい。

(シルバーバーチの肖像画を描いた心霊画家のマーセル・ポンサン氏でその日も出席ししていた)

あの人は絵描きさんです時折インスピレーションで見ている霊界の美しさを描く絵の具が無いとおっしゃる筈ですよ」


ルース「寝ている間に霊界へ行った事を覚えていないのですけど・・・・」


「大きな精神で体験した事が人体の小さな脳に入り切れないからです」


ルース「シルバーバーチさんは英語がはっきり話せるのですね。(普段のバーバネルよりもっとゆっくりと、そして一語一語はっきりと発音してしゃべる)


「その事を有難いと思っています。こうなるまでにずいぶん永い時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのとほぼ同じ位の年数が要りました。このぎこちない地上の言葉をし

ゃべるように成る為に私は随分練習しました。私の世界ではそんな面倒は要りません言葉はしゃべらないのです。こちらは思念の世界です。あるがママが知れてしまうのです」


ポール「ウソをついても知られないようにする事が出来ますか」


「ウソと言うのが存在できないのです。神様の摂理をごまかす事は出来ないからです。あるがままの姿が映し出されるのです。見せかけも、ごまかしも、全部はぎ取られてしまいます。

そのままの姿が皆に見られるのです。でも、其れを怖がるのは自分のことしか考えない人達だけです」


ルース「今イエスさまが話そうと思えば霊媒を通じて話す事が出来ますか」


「いいえ、イエス様は王様が家来の者を使うように私達を使っていらっしゃいます。私達はイエス

様の使節団なのです。イエス様のお考えを地上の人達に伝え、地上の人達の考えをイエス様にお伝えするのです。でも、イエス様の霊は何時も私達と共にあります。決して遠くにいらっしゃるの

ではありません。前にもお話しした事がありますが、私がイエス様のところへ行く時は、もうすぐ参

りますが、ルースとポールと言う名前の二人の良い子の考えと言葉と愛とを携えて参ります。ご存じのようにイエス様は子供が大好きなのです」

二人がこの言葉の意味を考えている少しの間沈黙が続いた。やがてルースが言った。


ルース「霊や妖精がいる事を信じる事が出来て嬉しいです。何時までも信じていたいと思います」


「そうですとも、その信仰を忘れてはいけませんよ。人に笑われても気にしてはいけません。こん

な素敵な信仰が持てて幸せだなあと、それだけを思ってい居れば宜しい。それを笑う人は何も知らないのです」

こう述べてからシルバーバーチはサークルのメンバーに「この子は心の中で妖精を見たいと言う念をしきりに抱いているので、今見せてあげようとしているところです」と述べ、妖精はバイブレー

ションが高いので普通の人間の目には見えないけど、何時か皆さんにも(物質化して)お見せできるでしょうと言った。


ここで私(ミラー)が誰か私の友人が来ていますかと尋ねるとシルバーバーチは、

「人間と言うのは面白いですね。よくそう言う質問をなさいますが、愛の繋がりのある人はいつも

そばにいてくれているのです。決して遠くへ行ってしまうのではありません。皆さんは肉体と言う牢獄に閉じ込められているからそれに気付かないだけです。霊の世界には時間もありませんし、距離もありません。意識の焦点を合わせさえすればいいのです。

私はこれから遠くへ参りますが、相変わらずここにいると言ってもいいのです。この問題はここでは深入りしないでおきましょう。二人の子供が混乱しますから」


ポール「僕たちはどのようにして物ごとを思い出すのでしょうか。」

「一つの事を知ると、それは記憶の部屋にしまわれます。そしてその知識が必要になると、知りたいと言う欲求がテコとなって(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶がよ

みがえって来て、使用されるのを待ちます。使用されると又記憶の部屋へ戻って行きます。一度学んだ事は決して失われません。一旦覚えた事は決して忘れません」

ルース「じゃ、あたしたちが考えている事が全部そちらから分るのですか」

「親しい間柄の霊には分ります。人間の心の中は開いた本の様なものです。親しい人にはみな読み取れます。親しくない人には分りません。近づけないからです」


ルース「あたしはシルバーバーチさんが大好きです。どう説明して良いのか分らない位好きです」と言ってポールと一緒に霊媒の顔をじっと見つめた。


「私だってルースちゃんとポール君が大好きですよ。この気持ちは愛の大中心から来る愛、世界全体を支配している愛、宇宙全体を動かしている愛、全部の生命を優しく抱きしめ、たった一人

の子供も、何処にいようと何をしようと、絶対に見放す事のない愛と同じものなのです。それが、

宇宙が始まる前から、そして宇宙が終わった後も、永遠に霊を一つに結びつけるのです。それは

永遠に変わることのない神様の愛であり、愛の神様です。その愛の心をお二人が出すたびに神様の心が発揮され、宇宙の創造の仕事が続けられるのを助けることになるのです」

この対話にサークルの全員が涙を流した

続いて話題がシルバーバーチのインディアンとしての地上時代の生活に移った。まず山懐での
”水”に左右された生活の様子を語った。その生活は素朴で、現代生活にありがちな問題や、

せかせかしたところが無かった事、日が暮れると子供の霊がやって来て、良い子はもう寝る時間ですよと告げてくれたこと、寝入ると霊の世界へ遊びに行った事等を話して聞かせた。そして最後にこう述べた。

「ではもう一つだけお話ししてお別れすることにいたしましょう。私は間もなく地上を離れ、幾つもの界を通過して私の本当の住処のある境涯へ行き、そこで何千年もの間知りあっている人達とお会いします。地上の為に働いている人達ばかりです。

しかも度々苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへ行って、かつて身に付けた霊力を取り戻してきます。

そこへ行って私はこれから先の計画を教えて頂き、これまでに私が仰せつかった仕事をちゃんとやり遂げているのかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それを次の機会にやり直す事が出来るかどうかをお聞きします。

それからみんなで揃って大集会に出席して、そこであなた達がイエス様と呼んでいる方とお会いします。するとイエス様は美しさと優しさと理解と同情に溢れたお言葉をかけて下います。

その時私達は神様のマントで包まれます。愛の衣で包まれます。そして神様の尊い力で身を固めて一人一人に授けられた新しい使命に向かって出発します。

お二人の様な子供から”シルバーバーチさん大好き”と言われるごとに私は”ああ良かった”と思います。なぜなら私達の仕事は愛を得て初めて成し遂げられるのもであり、愛の反応を見出して初めて仕事がうまく行っている事を知るからです」

どうぞその天界の光が皆さんの毎日の生活に反映される事を祈ります。神の恵みが何時も皆さんと共にある事を祈ります。ここにおいでの皆さんは今まさに神が託した霊団の保護のもとにいらっしゃいます」

かくして二人の子供にとってその年で最高の一日が終わった。霊媒が意識を取り戻して普段のバーバネルに戻り、二人に話しかけると、二人は驚いた様子で見つめていた。

そして娘のルースは私に抱きつき、涙を流しながら言った。シルバーバーチさんとお友達になれてあたし、本当に幸せよ、と。
                
                        完





   
第十一章 青年牧師との論争

ある時メソジスト派の年次総会が二週間にわたってウィストミンスターのセントラルホールで開か

れ、活発な報告や討議が為された。が、その合間での牧師達の会話の中でスピリチュアリズムの事がしきりにささやかれた。

その事で関心を抱いた一人の青年牧師がハンネンスワッフワーを訪ね、一度交霊会と言うもの

に出席させてもらえないかと頼んだ。予備知識としてはコナンドイルの Tha New Revelation(新しい啓示)と言う本を読んだと言うだけだと言うがスワッハーは快く招待する事にし、

「明日の晩の交霊会にご出席ください。その会にはシルバーバーチと名乗る霊が入神した霊媒の口を借りてしゃべります。その霊と存分に議論なさるが宜しい。

納得に行かないところは反論し、分らないところは遠慮なく質問なさる事です。その代わり、後でよそへ行って、十分な議論がさせてもらえなかったと言った不平を言わないで頂きたい。質問したいことは何でも質問なさって結構です。その会の記録はいずれ活字になって出版されるでしょう。

が、お名前は出さない様にしましょう。そうすればケンカになる気遣いも要らないでしょう。最もあなたの方からケンカを売られれば別ですが」 と言う案内の言葉を述べた。


さて交霊会が始まると、まずシルバーバーチが何時ものように神への祈りの言葉を述べ、やおら青年牧師に語りかけた。

「この霊媒にはあなた方のおっしゃる”聖霊”の力が漲っております。それがこうして言葉をしゃべられるのです。私はあなた方の言う”復活せる霊”の一人です」

(聖霊と言うのはキリスト教の大根間である三位一体説、すなわち父なる神キリスト、子なる神イエス、そして聖霊が一体であるという説の第三位にあるが、スピリチュアリズム的に見ればその三者を結びつける根拠はない。キリスト教とスピリチュアリズムの違いは実にそこから発している。シルバーバーチもその点を指摘しようとしている

牧師「死後の世界はどう言う世界ですか」

「あなた方の世界と実によく似ております。ただしこちらの世界は結果の世界であり、そちらは原因の世界です」

(スピリチュアリズムでは霊界が原因の世界で地上は結果の世界であると言っているが、それは宇宙の創造過程から述べた場合の事で、ここでシルバーバーチは因果律の観点から述べ、地上で蒔いた種を霊界で刈り取ると言う意味で述べている)

牧師「死んだ時は恐怖感はありませんでしたか」

「ありません。私達インデアンは霊格が発達しており、死が恐ろしいものでない事は知っておりま

したから、あなたが属しておられる宗派の創立者ウェスレーも同じです。あの方も霊の力に動かされておりました。その事はご存じですね?」


牧師「おっしゃる通りです」

「ところが現在の聖職者たちは”霊の力”に動かされておりません。宇宙は究極的には神と繋がっ

た一大連動装置によって動かされており、一番低い地上の世界も、あなた方がおっしゃる天使の
世界とつながっております。どんなに悪い人間も駄目な人間も、あなた方の言う神、私の言う大霊と結ばれているのです」


牧師「死後の世界でもお互いに認識し合えるのでしょうか」

「地上ではどうやって認識し合いますか」


牧師「目です。目で見ます」

「目玉さえあれば見えますか?。結局は霊で見ている事になるでしょう」


牧師「その通りです。私の精神で見ていますそれは霊の一部だと思います」

「私も霊の力で見ています。私にはあなたの霊が見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影に過ぎません。光源は霊です」


牧師「地上で最大の罪は何でしょうか」

「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神への反逆でしょう


ここでメンバーの一人が「その点を具体的に述べてあげて下さい」と言うと、

神の存在を知りつつも尚それを無視している人々、そう言う人が犯す罪が一番大きいでしょう

別のメンバーが「キリスト教はそれを”聖霊の罪”と呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」


牧師「改訳聖書をどう思われますか。”欽定訳聖書”と比べてどちらが良いと思われますか」

「文字はどうでもよろしい。良いですか。大切なのはあなたの行いです。神の真理は聖書だけでなく他のいろいろな本に書かれています。それから、人の為に尽くそうとする人々の心には、

どんな地位の人であろうと、誰であろうと、どこの国の人であろうと、立派に神が宿っているのです。それこそが一番立派な聖書です」

牧師「改心しないまま死んだ人はどうなりますか」

「”改心”と言うのはどう言う意味ですか。もっとわかり易い言葉でお願いします」

牧師「例えば、ある人間は生涯を良くないことばかりしてそのまま他界し、ある人は死ぬまでに反省します。両者には死後の世界でどんな違いがありますか」

「あなた方の本(聖書)から引用しましょう。”蒔いた種は自分で刈り取るのです”これだけは変える事は出来ません。今のあなたにそのままを携えてこちらへ参ります。

自分はこうだと信じているもの、人からこう見てもらいたいと願っていたものではなく、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへ参ります。あなたもこちらへおいでになれば分ります」 

そう言ってからシルバーバーチはスワッハーの方を向いて、この人には霊能があるようだと述べ、「なぜ招待したのですか」と尋ねると、


スワッハーは「いや、この人の方から訪ねてきたものですから」と答えた。するとシルバーバーチは再びその牧師に向かって、


「インデアンが聖書の事を良く知っていて驚いたでしょう」と言うと

牧師が「よくご存じのようです」と答えた


すると別のメンバーが「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えした。

牧師はすぐに年代を計算して「ダビデをご存知でしたか」と尋ねた


ダビデは紀元前千年ころのイスラエルの王である。

「私は白人ではありません。レッドインデアンです。米国北西部の山脈で暮らしていました。あなた
方のおっしゃる野蛮人と言うわけです。しかしわたしはこれまで、西洋人の世界に三千年前の

吾々インデアンより遥かに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見て来ております。今尚物的豊
かさにおいて自分達より劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つと言えます」


牧師「そちらへ逝った人はどんなふうに感じるのでしょう。やはり後悔の念と言うものを強く感じるのでしょうか」


「一番残念に思う事は、やるべき事をやらずに終わった事です。あなたもこちらへおいでになれば分ります。きちんと成し遂げた事、やるべきだったのにやらなかった事、そうした事が逐一分かります。逃してしまった好機(チャンス)が幾つもあった事を知って後悔する訳です」


牧師「キリストへの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるのでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣う事になると思うのですが」

「主よ、主よ、と何かと言うと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に適った行いです。それが全てです。口にする言葉や心に信じる事ではありません頭で考える事でもあ

りません。実際に行為です。何一つ信仰を持っていなくても落ち込んでいる人を元気づけ、飢える

人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあげる行為をすればその人こそ神の心に叶った人です」

ここで列席者の一人がイエスは神の分霊なのか問うと、

「イエスは地上に降りた偉大な霊格者だったと言う事です。当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。いや、今尚十字架にかけ続けておりますイエスだけでなく、全ての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」


牧師「キリストが地上最高の人物であった事は全世界が認めるところです。それほどの人物がウソをつく筈がありません。キリストは言いました。”私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである”とこれはキリストがすなわち神である事を述べたのではないでしょうか」


「もう一度聖書を読み返してごらんなさい。”父は私よりも偉大である”とも言っておりませんか」

牧師「言っております」

「又、”天に在しますわれらが父に祈れ”とも言っております”私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が”天に在しますわれらが父”である訳がないでしょう。”私に祈れ”とは言っておりません。”父に祈れ”と言ったのです」


牧師「キリストは”あなた達の神”と”私の神”と言う言い方をしております。”私達の神”とは決して言っておりません。ご自分を他の人間と同列に置いていません」


「"あなた達の神と私"とは言っておりません。”あなた達は私より大きい仕事をするでしょう”とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは、聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に会わせるような解釈をなさらぬ事です。霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。

存在の実相が霊である事が宇宙の全てを解く鍵なのです。イエスが譬え話をしたのはその為です」

牧師「神は地球人類を愛するが故に唯一の息子を授けられたのです」と述べてイエスが神の子であるとのキリスト教の教義を弁護しようとする。

「イエスはそんな事を言っておりません。イエスの死後何年もたってから例の二ケーヤ会議でそんな事が聖書に書き加えられたのです」

牧師「二ケーア会議?」

「西暦325年に開かれております」

牧師「でも私が今引用したの言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました」

「どうしてそれが分ります?」

牧師「いや、歴史にそう書いてありました」

「どの歴史ですか」

牧師「どれだかは知りません」


「ご存じの筈がありません。一体聖書が書かれる、その元となった書物は何処にあるとお考えですか」

牧師「ヨハネ福音書それ自体が原典です」

「いいえ、それよりもっと前の話です」

牧師「聖書は西暦90年に完成しました」

「その原典になったものは今どこにあると思いますか」

牧師「いろんな文書があります。例えば・・・」と言って一つだけ挙げた。

「其れは原典の写しです。原典は何処にありますか」


牧師がこれの答えられずに居ると・・


「聖書の原典はご存じのあのバチカン宮殿にしまい込まれて以来一度も外へ出された事が無いのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典の写し(コピー)の写しの、そのまた写

しなのです。おまけに原典に無いものまでいろいろと書き加えられております。初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するするものと信じて、イエスの地上生活中の事は細かく記録しなか

ったのです。ところが何時になっても再臨しないので、ついに諦めて記録を辿りながら書きまし

た。イエス曰く、と書いてあっても、自際にそう言ったかどうかは書いた本人も確かでなかったのです」


牧師「でも四つの福音書にはその基本となったいわゆるQ資料(イエスの語録)の証拠が見られる事は事実ではないでしょうか。中心的な事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが」


「私は別にそうした事が全然起きなかったと言っているのではありません。ただ聖書に書いてあることの一言一句までイエスが本当に言ったとは限らないと言っているのです。聖書に出てくる事象

には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用が随分入っている事を忘れてはいけません」


牧師「記録に残っていない口伝のイエスの教えが書物にされようとしていますが、どう思われますか」 

「イエスの関心は自分がどう言う事を述べたかと言った事ではありません。地上の全ての人間が神の摂理を実行してくれる事です。人間は教説の事で騒ぎ立て、行いの方を疎かにしています。

”福音書”なるものを講義する場に集まるのは真理に飢えた人たちばかりです。イエスが何と言ったかどうでも良い事です。大切なのは自分自身の人生で何を実践するかです。

地上世界は教説では救えません。いくら長い説教をしても、それだけでは救えません。神の子が

神の御心を鎧として暗黒と弾圧の勢力、魂を束縛する全てのものに立ち向かう事によって初めて救われるのです。その方が記録に残っていないイエスの言葉より大切です」


牧師「この世になぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」

「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経て初めて人間世界を支配している摂理が理解出来るのです」

牧師「苦しみを知らずに居る人が大勢いるようですが」

「あなたは神に仕える身です。大切なのは”霊”に関ることであり、”肉体”に関る事でないことくらいは理解できなくてはなりません。霊の苦しみの方が肉体の苦しみより大きいものです」


メンバーの一人が「現行制度は不公平であるように思えます」と言うと


「地上での出来事は何時の日か必ず埋め合わせがあります。何時かはご自分の天秤を手にされてバランスを調節する日が参ります。自分で蒔いたものを刈り取ると言う自然法則から免れる事

は出来ません。罪が軽くて済んでいる者がいるようにお考えのようですが、そう言う事はありません。あなたには魂の豊かさを見抜く力が無いからそう思えるのです。私が何時も念頭に置いてい

るのは神の法則だけです。人間の法則は念頭に置いていません。人間の拵えた法律は改めなければならなくなります。変えなければならなくなります。が、神の法則は決してその必要がありません。地上に苦難がなければ人間は正していくべきものへ注意を向ける事が出来ません。

痛みや苦しみや邪悪が存在するのは、神の分霊であるところのあなた方人間がそれを克服していく方法を学ぶためです。もしもあなたがそれを怠っているとしたら、

あなたをこの世に使わした神の意図を実践していない事になります。宇宙の始まりから終わりまでを法則によって支配しつづけている神を、一体あなたは何の資格を持って裁かれるのでしょう」


牧師「霊の世界ではどんな事をなさっているのですか」

「あなたはこの世でどんな事をなさっておられますか」

牧師「それは、その、あれこれや読んだり・・其れに良く説教もします」

「私も良く本を読みます。それに、今こうして大変な説教をしております」

牧師「私は英国中を回らなくてはなりません」

「私は霊の世界中を回らなくてはなりません。それに私は、天命を全うせずにこちらへ送り込まれ

てきた人間がうろついている暗黒へも降りて行かねばなりません。それには随分手間が掛ります。あなたに自覚して頂きたいのは、あなた方はとても大切な立場にいらっしゃると言う事です。

神に仕える身である事を自認しながら、その本来の責務を果たしていない方がいらっしゃいます。ただ壇上に上がって意味もない話をしゃべくり回っているだけです。


しかし、あなたが自ら神の手を委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを頂戴すべく魂の扉を開かれれば、古の予言者達を鼓舞したのと同じ霊力によってあなたの魂が満たされるのです。

そうなる事によって、あなたの働かれる地上の片隅に、人生に疲れた人々の心を明るく照らす光をもたらす事が出来るのです」

牧師「そうあってくれればうれしく思います」

「いえ、そうであってくれればではなくて、真実そうなのです。私はこちらの世界で後悔している牧

師に沢山会っております。皆さんが地上での人生を振り返って自分が本当の霊のメッセージを説かなかった事、聖書や用語や教説ばかり拘って実践を疎かにした事を自覚するのです。

そうして出来ればもう一度地上へ戻りたいと望みます。そこで私はあなたの様な(目覚めかけている)牧師に働きかけて、新しい時代の真理を地上へもたらす方法を教えるのです。


あなたは今まさに崩壊の一途を辿っている世界にいらっしゃる事を理解しなくてはいけません。新しい秩序の誕生、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ていらっしゃるのです。

生みの痛みと苦しみと涙が少なからず伴なう事でしょう。しかし最後は神の摂理が支配します。あなた方一人一人がその新しい世界を招来する手助けが出来るのです。なぜなら人間の全てが神の分霊であり、その意味で神の仕事の一翼を担う事が出来るのです」

その牧師にとって一回目の交霊も終りに近づき、いよいよシルバーバーチが霊媒から去るにあたって最後にこう述べた。


「この後私もあなたが説教なさる教会へ一緒に参ります。あなたが本当に良い説教をなさったとき、これが霊の力だと自覚なさるでしょう。」

牧師「これまでも大いなる霊力を授かるよう祈ってまいりました」

「祈りはきっと叶えられるでしょう」



以上で第一回目の論争が終わり、続いて第二回の論争の機会が持たれた。引き続いて其れを紹介する。


牧師「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。全ての人を愛する事は可能なのでしょうか」

これが二回目の論争の最初の質問だった。

「それは不可能な事です。が、努力すすることはできます。努力することその事が性格の形成に
役立つのです。怒る事もなく、辛く当たる事もなく、腹を立てる事もない様では、もはや人間ではな

い事になります。人間は霊的に成長する事を目的としてこの世に生れてくるのです。成長又成長と、何時まで経っても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです」


牧師「イエスは”天の父の完全である如く汝らも完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」

「ですから、完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指す最高の理想なのです。すなわち、内部に宿る神性を開発する事です」

牧師「私がさっき引用した言葉はマタイ伝第5章の終りに出ているのですが、普遍的な愛について述べた後でそう言っております。又、”ある人は隣人を愛し、ある人は友人を愛するが、汝らは

完全であれ。神の子なればなり”とも言っております。神は全人類を愛して下さる。だから我々も
全ての人間を愛すべきであると言う事なのですが、イエスが人間に不可能な事を命じるとお思いですか」


この質問にあきれたような、あるいは感心したような口調でこう述べる。

「あなたは全世界の人間をイエスの様な人物なさろうとするんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な生活を送ったと思いますか」

牧師「そう思います。完全な生活を送られたと思います」

「一度も腹を立てた事が無かったとお考えですか」

牧師「当時行われていた事を不快に思われた事はあると思います」

「腹を立てた事は一度もないとお考えですか」

牧師「腹を立てる事はいけない事だと言われている、それと同じ意味で腹を立てられた事は無いと思います」

「そんな事を聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てた事を正当化できるかどうかを聞いているのではありません。正当化することなら、あなた方は何でも正当化なさるんですから・・・・」 

ここでメンバーの一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を持ち出した。

「私が言いたかったのはその事です。あの時イエスは教会堂と言う神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。鞭を持って追い払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪

いとか別問題です。イエスは怒ったのです。怒るという事は人間的感情です。私が言いたいのは、イエスも人間的感情を具えていたと言う事です。イエスを人間的模範として仰ぐ時、イエスもま

た一個の人間であった。ただ普通の人間より神の心をより多く体現した人だった。と言うふうに考える事が大切です。分りましたか」


牧師「わかりました」

「私はあなたの為を思えばこそこんな事を申し上げるのです。誰も手の届かないところに祭り上げられたイエス様が喜ばれると思うのは大間違いです。イエスもやはり我々と同じ人の子だった

と見る方がよほど喜ばれる筈です。自分だけ超然とした位置に留まる事はイエスは喜ばれません。人類と共に喜び、共に苦しむ事を望まれます。一つの生き方の手本を示しておられるのです。

イエスが行った事は誰にも出来ることばかりなのです。誰も付いていけない人物だったら、折角地上へ降りた事が無駄になったことになります」


話題が変わって

牧師「人間にも自由意志があるのでしょうか」

「あります、自由意志も神の摂理の一環です」


牧師「時として人間は抑えようのない衝動によってある種の行為に出る事があるとは思われませんか。そう強いられているのでしょうか。それともやはり自由意志で行われているのでしょうか」

「あなたはどう思われますか」

牧師「私は人間はあくまで自由意志を持った行為者だと考えます」

「人間には例外なく自由意志が与えられております。但しそれは神の定めた摂理の範囲内で行
使しなければなりません。これは神の愛から生まれた法則で、神の子全てに平等に定められており、其れを変える事は誰にも出来ません。その規則の範囲内に於いて自由であると言う事です」


牧師「もし自由だとすると罪は恐ろしいものになります。悪いと知りつつ犯すことになりますから、強制的にやらされる場合より恐ろしい事に思えます」

「私に言える事は、いかなる過ちも必ず本人が正さなくてはならないと言う事、それだけです。地上で正さなかったら、こちらへ来てから正さなくてはなりません」

牧師「感心できない事をしがちな強い性癖を先天的に持っている人がいると思われませんか。善い事をし易い人とそうでない人がいます」

「難しい問題です。と申しますのは、各自に自由意志があるからです。誰しも善くない事をすると、内心では善くない事である事に気付いているものです。その道義心をあくまでも無視するか否か

は、それまでに身に付けた性格によって違ってくる事です。罪と言うものはそれが結果に及ぼす影響の度合いに応じて重くもなり軽くもなります」

これを聞いてすかさず反論した。

牧師「それは罪が精神的なものであると言う事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われない事になります」

「罪は罪です。身体が犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれも罪は罪です。あなたはさっき衝動的に犯す事があるかと問われましたが、その衝動は何処から来ると思いますか」

牧師「思念です」

「思念は何処から来ますか」

牧師「(少し躊躇してから)善なる思念は神から来ます」

「では悪の思念は何処から来ますか」

牧師「分りませんと答えているが実際は”悪魔から”と答えたいところであろう。シルバーバーチはそれを念頭に置いて語気強くキリスト教の最大の矛盾を突く)

「神は全てに宿っております。間違ったことの中にも正しい事にも宿っています。日光の中にも嵐の中のも、美しいものの中にも醜いものの中にも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも

神は宿っているのです。美なるもの善なるものだけではありません。罪の中にも悪の中にも宿っているのです。お分かりになりますか。”神とは”これとこれだけに存在します、と言うふうに一定の範囲内に限定出来るものではないのです。

全宇宙が神の創造物であり、そのすみずみまで神の神の霊が浸透しているのです。あるものを切り取って、これは神のものではない、等とは言えないのです。日光は神の恵みで、作物を台無しにする嵐は神の仕業だなどとは言えないのです。

神は全てに宿ります。あなたと言う存在は思念を受けたり出したりする一個の器官です。が、どんな思念を受け、どんな思念を発するかは、あなたの性格と霊格によって違ってきます。もしあなた

が、あなたのおっしゃる”完全な生活”を送れば、あなたの思念も完全なものばかりでしょう。が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。私の言っている事がお分かりですか」


牧師「おっしゃる通りだと思います。では、そう言う煩悩ばかりを抱いている人間が死に際になって自分の非を悟り”信ぜよ、さらば救われん”の一句で心に安らぎを覚えると言う場合があるのをどう思われますか。キリスト教の”回心教義”をどう思われますか」


「よくご存じの筈の文句をあなたの本から引用しましょう。”譬え全世界を得ようと己の魂を失わば何の益かあらん”(マルコ8・36)”まず神の国とその義を求めよ。しからばこれらのものすべて汝ら

のものとならん”(マタイ6・33)この文句はあなた方はよくご存じですが、果たして理解していらっし

ゃるでしょうか。それが真実であること、本当にそうなる事、それが神の摂理である事を悟ってい

らっしゃいますか。”神を侮るべからず、己の蒔きしものは己が刈り取るべし”(ガラテラ6・7)これもよくご存じでしょう。

神の摂理は絶対にごまかせません。暴虐無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺん

に立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染み込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い流せると思われますか。無欲と滅私の奉仕精神を送ってきた人間と、我がままで心の修

行を一切疎かにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。”済みませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら、果たして神は公正であると言えるでしょうか。如何ですか」


牧師「私は神イエス・キリストに一つの心の避難所を設けられたのだと思うのです。イエスはこう言われ…」

「お待ちなさい。私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。率直にお答えいただきたい。本に書いておる言葉を引用しないで頂きたい。イエスが何と言ったのか私には分っております。私はあなた自身がどう思っているかを聞いているのです」

牧師「確かにそれでは公正とは言えないと思います。しかしそこにこそ神の偉大なる愛の入る余地があると思うのです」

「この通りを行かれると人間の法律を運営している建物があります。もしその法律によって生涯を善行に励んできた人間と罪ばかり犯してきた人間とを平等に扱ったら、あなたはその法律を公正と思われますか」

牧師「私は、生涯を真っ直ぐな道を歩み、誰をも愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じた人が・・・私は・・・」

ここでシルバーバーチが遮って言う。

「自分が種を蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る。この法則から逃れる事は出来ません。神の法則をごまかす事は出来ないのです」


牧師「では悪の限りを尽くした人間が今死に掛っているとしたら、その償いをすべきである事をどうその人間に説いてやればいいのでしょうか」

「シルバーバーチがこう言っていたとその人に伝えて下さい。もしその人間が真の人間、つまり幾許かでも神の心を宿していると自分で思うなら、それまでの過ちを正したいと言う気持ちになれる

筈です。自分の犯した過ちの報いから逃れたいと言う気持ちがどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない。ただの臆病者だと、そう伝えて下さい」

牧師「しかし、罪を告白すると言う事は誰にでもは出来ない勇気ある行為だとは言えないでしょうか」

「それは正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は良い事をする自由も悪い事をする自由もあったのを、敢えて悪い方を選んだので

す。なぜならばその結果に対して責任を取らなくてはいけません。紋切り型の祈りの言葉を述べ

て心が休まったとしても、それは自分をごまかしているに過ぎません。蒔いた種は自分で刈り取らねばならないのです。それが神の摂理です」

牧師「しかしイエスは言われました。”労する者、重荷を背負えるもの、全てわれに来たれ、汝らに安らぎを与えん”(マタイ11・28)」


「”文は殺し霊は生かす”(コリント後3・6)と言うのをご存じでしょう。あなた方(聖職者)が聖書の言葉を引用して、これは文字どうりに実行しなければならないのだと言ってみても無駄です。今日あ

なた方が実行していないことが聖書の中に幾らでもあるからです。私の言っている事がお分かりでしょう」

牧師「イエスは、よき羊飼いは羊の為に命を捨つるものなり(ヨハネ10・11)と言いました。私は常に”赦し”の説を説いています。キリストの許しを受け入れ、キリストの心が自分を支配している事を暗黙のうちにに認める者は、それだけでその人生が大きな愛の施しとなると言う意味です


「神は人間に理性と言う神性の一部を植え付けられました。あなた方もぜひその理性を使用して頂きたい。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する、それは心の安らぎになるかもしれません

が、罪を犯したと言うその事実そのものは些かも変わりません。神の理法に照らしてそのゆがみを正すまでは、罪は相変わらず罪として残っております。良いですか。それが神の摂理なのです。

イエスが言ったとおしゃる言葉を聖書から幾ら引用しても、その摂理は絶対に変えることはできないのです。


前にも言った事ですが、聖書に書かれて居る言葉を全部イエスが実際に言ったとは限らないのです。その内の多くは後の人が書き加えたものなのです。

イエスがこうおっしゃったとあなた方が言う時、それは”そう言ったと思う”と言う程度のものでしかありません。そんないい加減な事をするよりも、あの二千年前のイエスを導いてあれほどの偉大

な人物にしたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じエネルギーが二千年後の今の世にも働いている事を知ってほしいのです。


あなた自身も神の一部なのです。その神の温かき愛、深遠なる叡知、無限なる知識、崇高なる真

理が何時もあなたを待ちうけている。なにも、神を求めて二千年前まで遡る事はないのです。今

ここに在しますのです。二千年前と全く同じ神が今ここに在しますのです。その神の真理とエネルギーの通路となるべき人物(霊媒・霊能者)は今も決して多くはありません。しかし何ゆえにあなた方キリスト者は二千年前のたった一人の霊能者にばかりすがろうとなさるのです。

なぜそんな昔のインスピレーションだけを大切になさるのです。なぜイエス一人が言った事に戻ろうとなさるのです」


牧師「私は私の心の中にキリストがいて業を為していると説いています。インスピレーションを得る事は可能だと思います」

「何ゆえにあなた方は全知全能の神を一個の人間と一冊の書物に閉じ込めようとなさるのです。宇宙の大霊が一個の人間あるいは一冊の書物で全部表現出来るとでもお考えですか。

私はクリスチャンではありません。イエスよりずっと前に地上に生を受けました。すると神は私に神の恩恵に浴する事を赦して下さらなかったという事ですか。神の全てが一冊の書物の中の僅かなページで表現できるとお思いですか。


その一冊が書き終えられた時を最後に神は、それ以上にインスピレーションを子等に授ける事を

ストップされたとお考えですか。聖書の最後のページを読み終わった時、神の真理の全てを読み終えた事になると言うのでしょうか」


牧師「そうであってほしくないと思っています。時折何かに鼓舞されるのを感じる事があります」

「あなたも何時の日か天に在します父のもとに帰り、今あなたが築きつつある真実のあなたに相応しい住処に住まわれます、神に仕える者としてあなたに分って頂きたい事は神を一つの枠の中

に閉じ込めることはできないと言う事です。神は全ての存在に宿っているのです。悪徳の固まりのような人間にも、神か仏かと仰がれるような人と同じように神と繋がっているのです。

あなた方一人一人に神が宿っているのです。あなたがその神の心をわが心とし、心を大きく開いて信者に接すれば、その心を通じて神の力と安らぎとが、あなたの教会を訪れる人々の心に伝わることでしょう」

牧師「今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であると言う事実をどう思われますか」

「誰がそんな事を言ったのでしょうか。ユダヤ人が独自のカレンダーを使用している事をお聞きになった事は無いでしょうか。多くの国が今尚その国の宗教の発生と共に出来たカレンダーを使用

しております。私は決してイエスを過小評価するつもりはありません。私が現在のイエスがなさっておられる仕事を知っておりますし、ご自身は神として崇められる事を望んでいらっしゃらない事

もよく知っております。イエスの生涯の価値は人間が規範とすべきその生き方にあります。イエス

と言う一個の人間を崇拝する事を止めない限り、キリスト教はインスピレーションにあまり恵まれないでしょう」

牧師「キリストの誕生日を西洋歴の始まりと決めたのが何時の事だかよく分らないのです。ご存じでしょうか」

「(そんなことよりも)私の話を聞いてください。数日前の事ですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランドの)北部の町へ行き、大勢の神の子と共に過ごしました。高い地位の人達では

ありません。肉体労働で暮らしている人達で、仕事が与えられると、大抵道路を掘り起こす仕事

ですが、一生面命働き、終わると僅かばかりの賃金をもらっている人達です。その人達が住んでいるのはいわゆる貧民収容施設です。これはキリスト教文明の恥辱と言うべき産物です。

ところが同じ町にあなた方が”神の館”と呼ぶ大聖堂があります。高くそびえていますから、太陽

が照ると周りの家はその影になります。そんなものが無かった時よりも暗くなっています。これで良いと思われますか」

牧師「私はそのダーラムにいた事があります」

「知っております。だからこの話を出したのです」

牧師「あのような施設で暮らさねばならない人達の事を気の毒に思います」 

「あのような事でイエスがお喜びになると思われますか。一方にはあのような施設、あのような労

働を強いられる人々、僅かな賃金しかもらえない人々が存在し、他方にはお金の事は無頓着で

居られる人が存在していて、それでもイエスはカレンダーの事等に関っていられると思われますか。

あの様な生活を余儀なくさせられている人が大勢いるのに、大聖堂の為の資金の事やカレンダーの事や聖書の事等にイエスが関られると思いますか。イエスの名を使用しつづけ、キリスト教

国と名乗るこの国にそんな恥ずべき事態の発生を赦しているキリスト教というものを、一体あなた方は何と心得ていらっしゃるのですか。


あなたは経典の事で(改訳聖書と欽定訳聖書とどっちが良いとか)質問されましたが、宗教にはそんな事よりもっと大切な、そしてもっと大きな仕事がある筈です。神はその恩寵を全ての子に分

け与えたいと望んでおられる事が分りませんか。飢え求めている人がいる生活物質を、世界のど

こかでは捨て放題の暮らしをしている人達がいます。他ならぬキリスト者が同じ事をしていて、果たしてキリスト教を語る資格があるでしょうか。


私はあなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。私は主の目に涙を見た事がありますキリスト者を持って任ずる者が、聖職に在るものの多くが、その教会の陰で進行している恥

ずべき事態に目をつむっているのを御覧になるからです。その日の糧すら事欠く神の子が大勢

いると言うのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て一体だれが涼しい顔をしていられましょう。


その人達の多くは一日の糧も満足に買えない程の僅かな賃金を得るために一日中働き続け、時には夜更かしまでして、しかも気の毒にその疲れた身体を横たえるまともな場所もない有様なの

です。あなたを非難しているのではありません。私はあなたに大きな愛着を覚えております。お役にたつ事ならどんな事でもしてあげたいと思っておりますが、私は霊界の人間です。そしてあなた

のように、社会へ足を踏み入れて間違いを改めていく為の一石を投じてくれるような人物とこうして語るチャンスが非常に少ないのです。


あなたに理解して頂きたい事は、聖書のテキストの事をうんぬんするよりも、もっと大切な事があ

ると言う事です。主よ、主よ、と叫ぶ者がみな敬虔なのではありません。神の意思を実践する者こ

そ敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているのです。なのに今日あなた方は、それが
一番大切である事を何故信者に説けないのでしょうか。


戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業、こうした現実を知らぬふりしている限り、キリスト教は失敗であり、イエスを模範としていない事になります。


あなたは(メソジスト教の)総会から抜け出てこられました。過去一年間、メソジスト教界三派が合
同して行事を進めてまいりましたがせっかく合同しても、そうした神の摂理への汚辱を拭う為に一

致協力しない限り、それは無意味です。私は率直に申し上げておきます。誤解を受けては困るからです」 

牧師「数年間に私達は派閥を超えて慈善事業を行い、其の時の収益金を失業者の為の救済資

金として使用しました。大した事は出来ませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか」 

「あなたが心掛けの立派な方である事は私も認めております。そうでなかったら二度も貴方と話をしに戻って来るようの事はしません。あなたが役に立つ人材である事を見て取っております。あな

たの教会へ足を運ぶ人の数は確かに知れています。しかしイエスは社会のすみずみにまで足を

運べと言っていないでしょうか。人が来るのを待っている様ではいけません。あなた方から足を運ばなければならないのです。


教会を光明の中心と為し、飢えた魂だけでなく飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。叡知の言葉だけでなくパンと日常の必需品を与えてあげられるようでないといけません。魂と

肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働く為の身体も救って

あげないといけません。教会がこぞってその事に努力しなければ、養うものを得られない身体は死んでしまいます」

そう述べてから最後にその牧師の為に祈りを捧げた。

「あなたがどこにいても、何をされても、常に神の御力と愛が支えとなるように祈ります。常に人の為を思われるあなたの心が神の霊感を受け入れられる事を祈ります。願わくば神があなたにより

一層の奉仕への力を吹き込まれ、あなたの仕事の場を光と安らぎと幸せの中心と為し、そこへ訪れる人々がそこにこそ神が働いておられる事を理解してくれるように成る事を祈ります。


神が常にあなたを祝福し、支え、神の道に勤しませ給わん事を。願わくば神の意図と力と計画について、より一層明確なる悟りを得られん事を。では神の祝福を、御機嫌よう」 

                            




   
第十二章 参戦拒否は是か否か

参戦拒否、徴兵忌避といった不戦主義はスピリチュアリズムに置いてだけでなく、全ての宗教においてその是非が問われ続けている問題である。

シルバーバーチは常に道義心、魂の奥の神の声、各自の行為の唯一の審判官であると説き、従ってその結果に対しては各自が責任を取らねばならないと主張している。その論理から、母国を

守る為には戦争も辞さず、必要とあらば敵を殺める事も一国民としての義務であると考える人

をシルバーバーチは咎めない。これが、矛盾、と受け止められ、批判的な意見が寄せられる事があるが、これに対してある日の交霊会でこう弁明した。


「批判的意見を寄せられる方は、私がこれまで戦争と言うものをいかなる形においても非難し、生命は神聖であり、神のものであり、他人の物的生命を奪う権利は誰にもないという主張を掲げておきながら、今度は”英国は今や正義の闘いにまきこまれた。

これは聖なる戦いである。聖戦である”と宣言する者に加担しているとおっしゃいます。

私は永年にわたってこの霊媒を通じて語ってまいりました。今これまで私が述べた事を注意深く振り返って見て、この地上へ私を派遣した霊団から指示されたワクに沿って私なりに謙虚に説い

てきた素朴な真理と矛盾した事は何一つ述べていないと確信します。今も私は、これまで述べて

きたとおりに、人を殺すことは間違いである、生命は神のものである、地上で与えられた寿命を

縮める権利は誰にも無いと断言します。前にも述べた事ですが、りんごは熟せば自然に落ちます。もし熟さないうちにもぎ取れば、渋くて食べられません。霊的身体も同じです。熟さないうち

に、つまり、より大きな活動の世界への十分な準備が出来ないうちから肉体から離されれば、た

とえ神の慈悲によって定められた埋め合わせの原理が働くとはいえ、未熟なまま大きなハンディを背負ったまま新しい生活に入ることになります。

その観点から私は、これまで述べてきた事の全てをここで改めて主張いたします。これまでの教訓をいささかも変えるつもりはありません。繰り返し(毎週一回)記録されている私の言葉の一語

一語を自信を持って支持いたします。同時に私は、いかなる行為においてもその最後に考慮されるのは”動機”である事も説いております。

まだこの英国が第二次世界大戦に巻き込まれる前、いわゆる国民兵役への準備に国を挙げて

一生けん命になっておられた時分に、こうした活動に対してスピリチュアリストとしての態度はどう

あるべきでしょうか。との質問に私は”そうした活動が同胞への奉仕だと信ずる方は、其々の良心の命ずるままの選択をなさる事です”と申し上げました。今英国はその大戦に巻き込まれてお

ります。過去にいかなる過ちを犯していても、あるいはいかに多くの憎しみの種子を蒔いても、少

なくともこの度の戦争は英国自ら仕掛けたものではない事は確かです。しかし、それでもやはり戦争をしていると言う咎めは受けなくてはなりません。おくらばせながら英国もこの度は、幾分自衛の目的も兼ねて、弱小国を援助すると言う役目を自ら買って出ております。

もしも兵役に喜んで参加し、必要とあらば相手を殺めることも辞さない人が、自分はそうすることによって世界の為に貢献しているのだと確信しているのであれば、その人を咎める者は霊界には一人もいません。


動機が何であるか。これが最後の試練です。魂の中の静かな、そして小さな声が反撥するが故に戦争に参加することを拒否する人間と、これが国家への奉公なのだと言う考えから、つまり一

種の奉仕的精神から敵を殺す覚悟と同時にいざとなれば我身を犠牲にする覚悟を持って戦場へ

赴く人間とは、私達の世界から見て上下の差はありません。動機が最も優先的に考慮されるのです。

派閥間の論争も結構ですが、興奮と激情に巻き込まれてその単純な真理を忘れた無益な論争

はおやめになる事です。動機が理想的理念と奉仕の精神に根ざしたものであれば、私達は決して咎めません」


それでも、やはり人を殺すと言う事が是正当化されるのか、得心出来ません


「必要とあれば、地上的な言い方をすれば、相手を殺す覚悟の人は、自分が殺されるかもしれないと言う危険を冒すのではないでしょうか。どちらになるかは自分で選択できる事ではありませ

ん。相手を殺しても自分は絶対に殺されないと言える人はいない筈です。もしかしたら自分の手で自らを殺さねばならない事態になるかもしれないのです」


さらに質問を受けてシルバーバーチはその論拠を改めて次のように説明した。

「私達は決して地上世界がやっている事をこれで良いと思っているわけではありません。もし満足
しておれば、こうして戻って来て、失われてしまった教えを改めて説く様な事は致しません。

私どもは地上人類は完全に道を間違えたと言う認識に立っております。そこで、何とかしてまともな道に引き戻そうとしているところです。しかし、地上には幾十億と知れぬ人間がおり、みな成長段階も違えば進歩の度合いも違い、進化の程度も違います。

全ての者に一様に当てはめられる法則、物的物差し、と言ったものはありません。固定した尺度を用いれば、ある者には厳し過ぎ、ある者には厳しさが足りないと言う事になるからです。殺人者に適用すべき法律は、およそ犯罪とは縁のない人間には何の係りもありません。


かくして人間それぞれに、それまでに到達した成長段階があると言う事を考慮すれば、それを無

視して独断的に規則を設ける事は許されないことになります。前にも述べましたように、神は人間各自に決して誤まることのない判断の指標、即ち道義心と言うものを与えています。その高さは

それまでに到達した成長の度合いによって定まります。あなた方が地上生活のいかなる段階に

あろうと、いかなる事態に遭遇しようと、それがいかに複雑なものであろうと、各自の取るべき手

段を判断する力、、それが自分にとって正しいか間違っているかを見分ける力は例外なく具わっております。あなたにとって正しい事も、他の人にとっては間違ったことである事があります。なぜ

ならあなたとその人とは霊的進化のレベルが違うからです。徴兵を拒否した人の方が軍人より進

化の程度のおいて高い事もありますし低い事もあります。しかし、互いに正反対の考えをしながらも、両方ともそれなりに正しいと言う事もあり得るのです。

個々の人間が自分の動機に従って決断すればそれで良いのです。全ての言い分け、全ての恐れや卑怯な考えを棄てて自分一人になり切りそれまでの自分の霊的進化によって培われた良心

の声に耳を傾ければよいのです。その声は決して誤まる事はありません。決してよろめく事もありません。瞬間的に解答を出します。(人間的煩悩によって)その声がかき消される事はあります。

おし殺される事はあります。無視される事もあります。うまい理屈や弁解や言い訳でごまかされる

事もあります。しかし私は断言します。良心は何時も正しい判決を下しています。それは魂に宿る神の声であり、あなたの絶対に誤まることのない判断基準です。

私達に反論する人達、特にローマカトリック教会の人達は、私達が自殺を容認している、臆病な

自殺者を英雄又は殉教者と同等に扱っていると非難します。が、それは見当違いと言うものです。私達は変えようにも変えられない自然法則の存在を認めると同時に、同じ自殺行為でも進化

の程度によってその意味が異なると見ているのです。確かに臆病であるが故に自殺と言う手段で責任を免れようとする人は多くいます。しかし、そんなことで責任は免れられるものではありません。死んでも尚、その逃れようとした責任に直面させられます。

しかし同時に、一種の英雄的行為と言うべき自殺、行為そのものは間違っていても、そうすることは愛する者にとって唯一の、そして最良の方法であると信じて自分を犠牲にする人もいます。そうした者を卑怯な臆病者と同じレベルで扱ってはなりません。大切なのは動機です」


ここでメンバーの一人が、不治の病に苦しむ人が周りの人達へ迷惑をかけたくないとの考えから自殺した例をあげた。するとシルバーバーチは、


「そうです。愛する妻に自由を与えてあげたいと思ったのかもしれません。”自分がいなくなれば妻が夜も昼も無い看病から解放されるだろう”そう思ったのかもしれません。その考えは間違いでした。真の愛はそれを重荷と思うものではない筈です。ですが、その動機は誠実です。

心がひがんでいたのかもしれません。しかし、一生懸命彼なりに考えたあげくに、そうすることが妻への最良の思いやりだと思って実行したことであって、決して弱虫だったのではありません」


では、最後に闘う事は正しい事とは思いますか。と言う質問に対するシルバーバーチの答えを紹介しておこう。これは大戦が勃発する前の事であるが、その主張するところは勃発後と変わるところは無い。これを矛盾と受け止めるかどうか。

それは読者ご自身が全知識、全知性、全叡知を総動員して判断して頂きたい。



「私は常々たった一つのことをお教えしております。動機が何であるかと言う事が一番大切だと言う事です。そうすることが誰かの為になるのであれば、いかなる分野であろうと、良心が正しいと命ずるままに実行なさることです。私個人の気持ちとしては生命を奪いあう行為はあって欲しくないと思います。生命は神のものだからです。

しかし、同時に私は、強い意志を持った人間を弱虫にするようなこと、勇気ある人間を卑劣な人間にするようなことは申し上げたくありません。すべからく自分の魂の中の最高の声に従って行動なされば良いのです。ただし殺し合う事が唯一の解決手段ではない事を忘れないでください」


例えばもし暴漢が暴れまくって手の施しようがない時は殺すと言う手段も止むを得ないのではないでしょうか


「あなた方はよく、ある事態を仮定して、もしそうなった時はどうすべきかをお尋ねになります。それに対して私が何時もお答えしている事は、人間として為すべきことをちゃんと行っていれば、そ

う言う事態は起きなかった筈だと言う事です人間が従うべき理念から外れた行為をしていなが

ら、それをどう思うかと問われても困るのです。私達の出来る事は真理と叡知の原則を教えし、
それに私達自身の体験から得た知識を加味して、その原則に従っていれば地上に平和と協調が

訪れますと説く事だけです。流血の手段によっても一時的な解決が得られますが、永続的な平和は得られません。

血に飢えて殺人を犯す人間がいます。一方自由の為の闘いで殺人行為をする人もいます。

そう言う人の動機に私は異議は唱えません。どうして非難できましょう。明日の子供の為に闘っている今日の英雄ではありませんか。

私にできる事は真理を述べる事だけです。だからこそ政治的レッテルも宗教的ラベルも付けていないのです。だからこそ何処の教会にも属さず、いわゆる流派にも属さないのです。人間は自分

の良心の命じる側に立って、其れなりの役目を果たすべきです。どちらの側にも、敵にも味方にも、立派な魂を持った人がいるものです。ですから動機となにか。それが一番大切です。こうする

事が人の為になるのだと信じて行うのであれば、それがその人にとって正しい行為なのです。知

恵が足らない事もあるでしょう。しかし動機さえ真剣であれば、その行為が咎められる事はありま

せん。なぜなら魂にはその一番奥にある現棒が刻み込まれて行くものだからです。

私は常にあなた方地上の人間とは異なる基準で判断している事を忘れないでください。私達の基準は顕と幽のあらゆる生活の側面に適用出来る永遠不変の基準です。時には悪が善を征服したかに思える事があっても、それは一時的なものであり、最後には神の意思が全てを規制し、

真の公正が行きわたります。その日その日の気まぐれな基準で判断しているあなた方は、其の時々の、自分が一番大事だと思うものを必要以上に意識する為に、判断が歪められがちです。

宇宙を大いなる霊が支配している事を忘れてはなりません。その法則がこの巨大な宇宙を支えているのです。大霊は王の中の王なのです。その王が生み神性を賦与した創造物が生みの親をどう理解しようと、何時かはその意思が成就されてまいります。

地上の無益な悲劇と絶望のあり様を見て私達が何の同情も感じていないと思って頂いては困ります。今日の地上の状態を見て心を動かされなかったら、私達はよほど浅はかな存在と言えるで

しょう。しかし私達にはそうした地上の日常の変転極まりないパノラマの背後に永遠不変の真理を見ているのです。


どうかその事実から勇気を得て下さい。そこにインスピレーションと力とを見出し、幾世紀にもわたって善意の人々が夢見てきた真理の実現の為に働き続けて下さい。その善意の人々は刻苦

勉励してあなた方の世代へ自由の松明を手渡してくれたのです。今あなた方はその松明に新たな炎を灯さなくてはならないのです」

                       




   
第十三章 質問に答える

(一)戦争になると友情、仲間意識といったものが鼓舞されると言う意味では”宗教心”をより多く生み出すことになると言えないでしょうか。


「それは全く話が別です。それは、窮地に立たされたことに由来するに過ぎません。つまり互いの大変さを意識し合い、それが同情心を生み、少しばかり寛容心が培われると言う程度の事です。

団結心にはプラスするでしょう。困った事態をお互いに理解し合う上でもプラスになるでしょう。それまでの感情的わだかまりを吹き飛ばす事もありでしょう。しかし真の宗教心はそれよりもっとも

っと奥の深いものです。魂の奥底から湧き出る”人の為を思う心です。そして今こそ地上はそれを最も必要としているのです。

何でもない真理なのです。ところが実はその”何でもなさ”がかえって私達をこれまで手こずらせる原因となってきなのです。もっと勿体ぶった言い方、どこか神秘的な魅力を持った新しい文句で表現しておれば、もう少しは耳を傾けてくれる人が多かったかも知れません。

その方が何やら知性をくすぐるものがあるように思わせ、今迄とはどこか違うように感じさせるからです。

しかし私達は知識ぶった人間を喜ばせるための仕事をしているのではありません。飢えた魂に真
理の糧を与え、今日の地上生活と明日の霊的生活に備える方法をお教えしているのです。

あなた方は永遠の旅路をいく巡礼者なのです。今ほんのわずかの間だけ、地上に滞在し、間もなく、願わくば死後の生活に役立つ知識を身につけて、岐れ道で迷うことなく、旅立つことになっております。あなた方は旅人なのです。常に歩み続けるのです。

地上はあなた方の住処ではありません。本当の住処はまだまだ先です。

人間は余りに永い間真理と言うものを見せかけの中に、物的形態の中に、祭礼の中に、儀式の

中に、ドグマの中に、宗教的慣習の中に、仰々しい名称の中に派閥的忠誠心の中に、礼拝の為

の豪華な建造物の中に求めて参りました。しかし神は”内側”にいるのです。”外側”にはいません。賛美歌の斉唱、仰々しい儀式、こうしたものはただの殻です。宗教の真髄ではありません。

私は俗世から逃れて宗教的行者になれとは申しません。地上生活で滅多に表現されることのな

い内部の霊的自我を開発する生き方を説いておるのです。それがより一層、人の為人類の為と

言う欲求と決意を強化することになります。為さねばならない事は山ほどあります。ですが、大半

の人間は地上生活において“常識”と思える知識ばかりを求めます。余りに永いこと馴染んできている為に、それがすでに第二の天性となり切っているからです。」


(二)休戦記念日にあたってのメセージをお願いします。(1912年に始まった第一次大戦の休戦日で、これが事実上の終戦日となった。毎年11月11日がこれに当たり二分間の黙とうを捧げる。こうした行事を霊界ではどう見ているか。日本の終戦記念行事と合わせて考えながら読むと興味深い。なおこの日の交霊会は第二次大戦が勃発する1939年の一年前である)

「過去20年間にわたって地上世界は偉大な犠牲者達を裏切り続けてきました。先頭に立って手

引きすべき聖職者達は何もしていません。混迷の時にあって何の希望も、何の慰めも、何の導き
も与える事が出来ませんでした。宗教界からは何らの光ももたらしてくれませんでした。

訳の分らない論争と無意味な議論にあたら努力を費やすばかりでした。何かと言うと、神の目から見て何の価値もない古びた決まり文句、古びた教義を引用し、古びた祭礼や儀式を繰り返すだけでした。

この日は二分間、全ての仕事に手を休めて感謝の黙とうを捧げますが、その捧げる目標は、色
褪せた、風化しきった過去の記憶でしかありません。英雄的戦没者と呼ばれながら、実は20年

間にわたって侮辱しつづけております。二分間と言う一時でも思い出そうとなさっておられることは事実ですが、其の時あなた方が心に浮かべるのは彼らの現在の霊界での本当の姿ではなくて、地上でのかつての姿です。

本来ならばそうした誤った観念や迷信を取り除き霊の力を地上にもたらそうとするわれわれの努力に協力すべき立場にありながら、逆にそれを反抗する側に回っている宗教界は恥を知るべきです。

戦死して二十年たった今なお、自分の健在ぶりを知ってもらえず無念に思っておられる人が大勢います。それは地上に縁ある人々がことごとく教条主義の檻の中に閉じ込められているからにほかなりません。

聖俗を問わず、既得権力に対する吾々の闘いに休戦日はありません。神へ反逆する者への永

遠の宣戦を布告するものだからです
。開くべき目を敢えて瞑り、聞くべき耳を敢えて塞ぎ、知識を手にすべきでありながら敢えて無知のままであり続ける者達との闘いです。

今や不落を誇っていた城砦が崩れつつあります。所詮は砂上に基礎を置いていたからです。強力な霊の光がついにその壁を貫通しました。もう霊的真理が論駁される事はありません。勝利は間違いなく我々のものです。

吾々の背後に勢揃いした勢力はこの宇宙を創造しその全てを包含している力なのです。それが敗北する事はあり得ません。挫折する事はあり得ません」


(三)これほど多数の戦死者が続出するのを見ていると霊的知識も無意味の思えてきます。
   (この頃第二次大戦が最悪の事態に至っていた)

「死んでいく人達の為に涙を流してはいけません。死の際のショック、その後の意識の混沌はあるにしても、死後の方が楽なのです。私は決して戦争の悲劇、恐怖、苦痛を軽く見くびるつもりはありませんが、地上世界から解放された人々の為に涙を流す事はおやめなさい」


・・・でも戦死していく人は苦痛を味わうのではないでしょうか


「苦しむ者もいれば苦しまない者もいます一人一人違います。死んでいるのに闘い続けている人
がいます。自分の身の上に何が起きたか分らなくて迷う者もいますが、いずれも永くは続きませ
ん。いずれ永遠への道に目覚めます。

無論寿命を全うして十分な備えをしたうえでこちらへ来てくれることに越した事はありません。しかし、たとえそうでなくても、肉体と言う牢獄に別れを告げた者の為に涙を流す事はおやめになる事です。その涙は後に残された人の為にとっておかれるのが宜しい。

こう言うと冷ややかに聞こえるかもしれませんが、兎に角死は悲劇ではありません。」


・・・後に残された者にとってのみ悲劇と言う事ですね。

「解放の門を潜り抜けた者にとっては悲劇ではありません。私は自分が知り得たあるがままの事実を曲げる訳には参りません。皆さんはなぜこうも物的観点から物事を判断なさるのでしょう。

是非とも”生”のあるがままの姿を知って下さるように願わずにはおれません。今生活しておられる地上世界を無視しなさいと申し上げているのではありません。

そこで生活している限りは大切にしなくてないけません。しかし、それは、これから先に待ち受ける生活に較べれば、本のひとかけらに過ぎません。あなた方は霊を携えた物的身体ではありま

せん。物的身体を携えた霊的存在なのです。ほんのひと時だけ物的世界に顕現しているにすぎません」


(四)霊界の指導者は地上の政治的組織にどの程度まで関与しているのでしょうか

「ご承知と思いますが、私達は人間がとかくつけたがるラベルには拘りません。政党と言うものにも関与しません。私達が関心を向けるのは、どうすれば人類にとってためになるかと言う事です。

私達の目に映ずる地上世界は悪習と不正と既成の権力とが氾濫し、、それが神の豊かな恩恵が束縛なしに自由に行き渡るのを妨げております。そこで私達はその元凶である利己主義の勢力

に立ち向かっているのです。永遠の宣戦を布告しているのです。その為の道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっても、いかなる信仰を持った人であっ

ても、時と場所を選ばず働きかけて、改革なり改善なり改良なり、一語にして言えば奉仕の為に活用します」

・・それは本人の自由意志はどの程度まで関っているのでしょうか。


「自由意志の占める要素は極めて重大です。ただ忘れてならないのは、自由意志と言う用語には二つの矛盾が含まれている事です。いかなる意志でも、自らの力ではいかんともしがたい環境条

件、どうしても従わざるを得ないものによって支配されています。物的要素があり、各国の法律があり、宇宙の自然法則があり、それに各自の霊的進化の程度の問題があります。そうした条件を

考慮しつつ私達は、人類の進歩に役立つ事なら何にでも影響を行使します。あなた方の自由意

志に干渉する事は許されませんが、人生においてより良い、そして理に叶った判断をするように指導することはできます。

お話しした事がありますように、私達が最も辛い思いをされられるのは、時として苦境に在る人を目の前にしながら、その苦境を乗り切る事がその人の魂の成長にとって、個性の開発にとって、

霊的強化にとって薬になるとの判断から、何の手だしもせずに傍観せざるを得ない事がある事で
す。各自に自由意志があります。が、それをいかに行使するかは各自の精神的視野、霊的進化

の程度、成長の度合いが関ってきます。私達はそれを許される範囲内でお手伝いすると言う事です」


(五)各国の指導的立場にある人々の背後でも指導霊が働いているのでしょうか

「むろんです、常に働いております。又その関係にも親和力の法則が働いている事も事実です。

何故かと言えば、両者の間に霊的な親近関係があれば自然発生的に援助しようとする欲求が湧
いてくるものだからです。例えば地上である種の改革事業を推進してきた政治家がその半ばで他

界したとします。するとその人は自分の改革事業を引き継いでくれそうな人に働きかけるもので

す。その意味では死後にもある程度まで、つまり霊の方がその段階を卒業するまでは、国家的意
識と言うものは存続すると言えます。

同じ意味で、自分は大人物であると思いこんでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者等がこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするものです」


・・指導者が霊の働き掛けに応じない場合はどうなりますか

「別にどうという事はありません。ただし忘れてならないのは、無意識の反応、本人はそれと気づかなくても霊界からの思念を吸収している事があると言う事です。インスピレーションは必ずしも

意識的なものとは限りません。むしろ、大抵の場合は本人もなぜだか分らないうちに詩とか曲とか絵画とかドラマチックなエッセーとかを思いついているものです。霊の世界からのものとは信じてくれないかも知れません。が、要するにそのアイデアが実現しさえすれば、それでよいのです」


(六)各国にその必要性に応じた霊的計画が用意されているのでしょうか

「全ての国にそれなりの計画が用意されています。全ての生命に計画があるからです。地上で国家的な仕事に邁進してきた人は、あなた方が死と言う過程を経てもそれを止めてしまうわけでは

ありません。そんなもので愛国心は消えるものではありません。なぜなら愛国心は純粋な愛の表現ですから、その人の力は引き続きかつての母国の為に使用されます。さらに向上すれば国家

的意識ないしは国境的概念が消えて、全ては神の子と言う共通の霊的認識が芽生えてきます。

しかし私どもはあらゆる形での愛を有効に活用します。少なくても一個の国家でも愛し、それに身
を捧げんとする人間の方が、愛の意識が芽生えず、役に立つ事を何一つしない人間よりはましです」


(七)人類の福祉の促進の為に霊界の科学者が地上の科学者にインスピレーションを送る事はあるっでしょうか

「敢えて断言しますが、地上世界にとっての恵み、発明、発見の類の殆ど全部が霊界に発してお

ります。人間の精神は霊界のより大きな精神が新たな恵みをもたらすために使用する受け皿の様なものです。しかしその分量にも限度がある事を忘れないでください。残念ながら人間の霊的

成長と理解力の不足の為に、折角のインスピレーションが悪用されているケースが多いのです。

科学的技術が建設の為でなく、破壊の為に使用され、人類にとっての恩恵で無くなっているのです」

(八)そちらからのインスピレーションの中には悪魔的発明もあるのでしょうか

「あります。霊界は善人ばかりの世界ではありません。極めて地上とよく似た自然な世界です。地

上世界から性質の悪い人間を送り込む事を止めてくれない限り、私達はどうしようもありません。私達が地上の諸悪をなくそうとするのはその為です。こちらへ来た時にはちゃんと備えが出来て

いるように、待ち受ける仕事にすぐ対処できるように、地上生活で個性をしっかり築いておく必要性を説くのはそのためです」
                       





    
解説 「動機」と「罪」(訳者)

本書は Teachings of Silver Birch の続編で、編者は同じくオースティンである。オースティンと言う人はバーバネルが職業紹介所を通じて雇いれた、スピリチュアリズムには全くの素人だっ

た人で、早速ある霊媒に取材に行かされて衝撃的な現象を見せつけられ、いっぺんに参ってしま

った。その後例の英国国教会スピリチュアリズム調査委員会による”多数意見報告書”の取材をめぐってバーバネルの片腕として大活躍をしている。

最近の消息はわからない。Psychic News Two Worlds のいずれにも記事が見当たらないと

ころを見るとすでに他界したのかもしれない。筆者が1981年と84年にサイキックニューズ社を訪
れた時も姿は見当たらなかった。

この人の編纂特徴は、なるべく多くの話題をとの配慮からか、あれこれと細かい部分的抜粋が多い事である。”正” ”続”とも同じで、時には短すぎる事もある。その極端な例が動物の死後を扱った第七章で、原典に紹介されているのは実際の霊言の十分の一程度である。

記者としては物足りなさを感じるので、シルビアバーバネルの(霊言集とは関係のない)本に紹介されている同じ交霊会の霊言全部をそっくり引用させてもらった。

さて、本書には各自が”思索の糧”とすべき問題、そしてまた同志との間でも議論のテーマとなりそうな問題が少なくない。又人間としてどうしても理解しかねるものもある。

例えば第三章で最後の審判を信じるクリスチャンが何百年、何千年もの間自分の墓地でその日の到来を待っている(実際には眠っているものが多い)と言う話がある。

さぞ待ちくたびれるだろう、退屈だろうと思いたくなるが、シルバーバーチは霊界には時間と言うものが無いから待っているという観念も持たないと言う。

それを夢の中の体験に譬えられればある程度は得心がいく。人間にとって一瞬と思える時間で
何カ月、あるいは何年にもわたる経験を夢で見る事があるのは確かである、霊は反対に人間に
とって何カ月、何年と思える時間が一瞬に思える事があるらしい。

そこが吾々人間には理解しにくい。が、それを地上で体験する人がいるのことは事実である。

崖から足を踏み外して転落して九死に一生を得た人が語った話であるが、地面に落ちるまでの僅か二、三秒の間に、それまでの三、四十年の人生の善悪に関る体験の全てを思い出し、

その一つ一つについて、あれは自分が悪かった、いや、これは自分が絶対間違っていないと言った反省をしたという。野球の大打者になると打つ瞬間にボールが目の前で止まって見える事があると言う。意識にも次元があり、人間があるように思っている時間は実際には存在しないことが、こうした話から窺える。

しかし太陽は東から昇り、西に沈むと言う地上では常識的な事実を考えて見ると、これは地球が
自転していることから生じる人間の錯覚であるが、幾ら理屈ではそう納得しても、実際の感じとし

てやはり毎朝太陽は東から昇り西に沈んでいる。それと同じで、吾々人間は実際に存在しない時間を散在するものと錯覚して生活しているに過ぎなくても、地上にいる限りは時間は存在するし、

そう思わないと生きていけない。こうした事はいずれあの世へ行けば解決のつく問題であるから、それでいいのである。

神の概念も今すぐ理解する必要のない問題、と言うよりは理解しようにも人間の頭脳では理解できない問題であるから、余りむきになって議論する事もないであろう

しかし、”動機”と”罪”の問題はあの世へ行ってからでは遅い。現在の吾々の生活に直接かかわる問題であり、是非とも理解しておかねばならない問題であろう。

筆者個人としては、こうした問題を意識し始めた青年時代からシルバーバーチその他の霊的思

想に親しんできたので、本書でシルバーバーチが言っている事は”よく分る”のであるが、部分的
に読まれた方には誤解されそうな箇所があるので解説を加えることにした。


字面だけでは矛盾しているかに思えるのは、第十二章で動機が正しければ戦争に参加して敵を殺す事も赦されると言っておきながら、第十一章では罪は結果に及ぼす影響の度合いによって
重くもなれば軽くもなると述べていることである。

シルバーバーチはつねづね”動機が一番大切”である事を強調し”動機さえ正しければよい”と言った言い方までしているが、それはその段階での魂の意識にとっては良心の呵責にならない。

その意味のおいて罪は犯していないと言う意味であって、それが及ぼす結果に対して知らぬ顔が出来ても、霊格の指標となる道義心が高まれば、何年たったあとでも苦しい思いをさせられる事であろう。

それは自分が親となってみて初めて子としての親への不幸を詫びる情が湧いてくるのと同じであろう。その時点では親は親としての理解力すなわち愛の力で消化してくれていた事であろうから

罪とはいえないであろう。しかし罪か否かの次元を超えた、”霊的進化の要素が”そこに入って来

る。それは教会の長老が他界して真相に目覚めてからの針のむしろに座らされる思いがするのと共通している。


戦争で人を殺すという問題でシルバーバーチは、其の人も殺されるかもしれない、もしかしたら自らの生命を投げ出さねばならない立場に立たされることもあることを指摘するに止めているが、

第三章でメソジスト派の牧師が”自分は死後、自分が間違った事を教えた信者の一人一人にあわなければならないとしたら大変です”と言うと、その時点ではすでに自ら真相に目覚めてくれている人もいるであろうし、

牧師自身のその後の真理追求の功徳によっても埋め合わせが出来ていると言う意味の事を述べている。この種の問題は個々の人間について、その過去世と現世と死後の三つの要素を考慮しなければならないであろうし、そうすればキチンとした回答が出てくる事なのであろう。



さらにもう一つ考慮しなければならない要素として、地球人類としての発達段階がある。第四巻で若者の暴力の問題が話題となった時シルバーバーチは、現段階の地上人類には正しい解答は

出し得ないと言った趣旨の事を述べている。これは病気の治療法の問題と同じであろう。動物実験も、死刑制度も、人類が進化の途上で通過しなければならない幼稚な手段であり、今直にどう

すると言っても、より良い手段は見出せないであろう。それは例えば算数しか習っていない小学生には数学の問題が解けないと同じであろう。


事に社会的問題は協調と連帯を必要とするので、たとえ一人の人間が素晴らしい解決方法を知っていても、人類全体がそれを理解するに至らなければ実現は不可能である。シルバーバーチはその事を言っているのである。



戦争がいけないとは分り切っているが、現実に自国が戦争に巻き込まれている以上、そうしてまた、その段階の人類の一員として地上に生を受けている以上、自分一人だけ手を汚さずに置こう

とする態度も一種の利己主義であろう。もしもその態度が何らかの宗教的教義から来ているとすれば、それはシルバーバーチの言う宗教による魂の束縛の一例と言えよう。”私は強い意志を持

った人間を弱虫にするようなこと、勇気ある人間を卑劣な人間にするような事は申し上げたくありません”第十二章の言葉はそこから出ている。



これを発展させていくと、いわゆる俗世を嫌って隠遁の生活を送る生き方の是非とも関連した問題を含んでいる。筆者の知る限りでは高級霊ほど勇気を持って俗世を生き抜くことの大切さを説いている。イエスの言う、Be in the world, but not of world.(俗世に合ってしかも俗人になるなかれ)でる。このちっぽけな天体上の、たかが五、七十年の物的生活による汚れを恐れていてどうなろう。

『霊訓』のイムペレーターの言葉が浮かんでくる。「全存在のホンのひとかけら程に過ぎぬ地上生活に在っては、取り損ねたら最後二度と取り返しがつかぬと言うほどの大事なものはあり得ぬ。

汝ら人間は視野も知識も人間であるが故に宿命的な限界によって拘束されている。人間は己に啓示されそして理解し得た限り魂の進化の程度が判断されるのである」



次に良寛の辞世の句はそれを日本的に表現したものとして私は好きである。

うらを見せ
       おもてを見せて
                  散るもみじ
                          良寛

                   第五巻 完 

シルバーバーチの霊訓、第五巻まで写し終えて、しみじみ感じました。読めば理解出来る人は、本当に幸せだな―。と、・・・私なんか、何度読んでも余り頭に入っていなかったが、書き写しの作業は、読んで、打ちこんで、間違いを確認して、訂正して、さらに読み返しますので勉強になりました。さらに全巻書き写し作業は続けます。出来たらシルバーバーチ(近藤一雄訳)全卷、書き写したいと思っています。 



 
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イエスは
「地上を旅する者であれ、地上を住処とするなかれ」 「この世を旅する者であれ、この世の者となるなかれ」と説く

キリスト教の説くイエス・キリストではありません。偽り伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座に祭り上げられたキリストではありません。  
              不滅の真理p186