シルバーバーチのスピリチュアルな法則
        宇宙と生命のメカニズム   フランク・ニューマン著  近藤千雄訳


                       The UNIVERSE of SILVER BIRCH
                                           by 
                                  Frank Newman 

                                Published in 1998
                                          by
                          The Spiritual Truth Foundation
                                United Kingdom



シルバーバーチのスピリチュアルな法則  目次
   日本語版に寄せて
   
   謝辞
      はじめに

第一章 自分とは何か 永遠に変わらぬ真理を求めて
第二章 人間の本質。宇宙の本質  物質を超えた新しい考え方のヒント
第三章 オーラを読む  生命を形づくるメカニズム

第四章 魂の進化  終わることのない巡礼の旅
第五章 死ぬことの意味  愛する人たちの待つ世界へ
第六章 完全なる因果律  死後につながる現世での所業

第七章 波動を高める  見えない力で心と身体と癒す
第八章 失われた進化論  悠久の時を支配する至高の存在
第九章 摂理と調和  真実の愛にめぐり合う為に

第十章 無限に続く真理への道  スピリチュアリズムを科学する人々
 
 訳者解説



日本語版に寄せて
 
 私は今年で八五歳になります。すでに現役を退いておりますが、若い時から、そして今なお、生命の神秘と奇跡的現象に興味を抱き続けている、電気工学ならびに機械工学の専門家です。

 一九三九年から四五年までの数年間、英国陸軍および空軍の下士官として行政に携わり、それが縁となってシンガポール、スリランカ、モーリシャス、ならびに東アフリカに出向くことがあり、そこでさまざまな宗教的儀式に参加し〝物質を凌駕する精神作用〟を始めとする超自然現象をこの目で見ることになりました。

 一九七七年に現役を退いてから私は、科学・宗教・歴史の分野の関係書を読みあさり、霊能開発のサークルにも入って実体験を得ようとしましたが、納得のいく結果が得られないまま四年が過ぎました。

 あらためて一人で瞑想を始めたところ、なぜか感動の涙が溢れ出て、世の不幸な同胞への憐みの情を感じ、間違った説教や学説を改める仕事をしたいという決意がわいてきました。それからというものは、求めている文章や文節がどの書物にあるということを教えてくれる声が聞こえるようになりました。

 私と霊言との最初の出会いは、ホワイトイーグルの Spiritual Unfoldment で、その中で述べられているオーラの本質を読んで、複数の見えざる霊的身体は電磁場という形態においてのみ存在し機能することを理解しました。

 その後、一九九二年になってシルバーバーチの霊言との出会いがあり、それを一読して、宇宙における 「神」 と人類のつながりが電磁エネルギーの場を媒体としてつながっていることを示す、完璧な図式を手にすることができました。

 最近になって私は、シルバーバーチの教えを基盤として科学的見地から究極の理論をまとめ、Spirit of the New Millenium と言うタイトルの新著を出しました。これからはこれで世に訴えたいと思っているところです。
                                             フランク・ニューマン   二〇〇三年七月



訳者付記───この 『日本語に寄せて』 は、私がニューマン氏に要請して書いていただいたものである。最後のところで自ら紹介している新著のタイトルは、スピリチュアリズムの淵源をよく理解した人にのみ理解できるものを暗示しており、巻末の 「訳者解説」 で言及してある。


 
       序
                                                 ブァーノン・ムーア

 人間はいったい何のために生きているのだろうか? はたして地上人生には生きる意義があるのだろうか?───これは誰しも抱く疑問ですが、この本はそうした疑問についての答えを模索しながら歩んでいる方々のために、フランク・ニューマン氏がやさしく語ってくれたものです。言うなればスピリチュアルな巡礼の道標です。

 ニューマン氏は、れっきとした物理学者です。モーリス・バーバネルが霊媒をつとめる交霊会に出現した〝シルバーバーチ〟と名のる聡明な指導霊からのメッセージとの出会いによって、それまで抱いていたさまざまな問題───人生の疑問だけでなく専門の物理学の原理まで───を理解する上でのヒントを得たといいます。

 かく言う私は、実は、そのシルバーバーチの交霊会に四十年から五十年ばかり出席したレギラーメンバーの一人でした。

「四十年から五十年」 という言い方は変ですが、シルバーバーチの霊言と出会った頃の私は英国国教会の牧師で、交霊会に出席した時はまだその説くところが容易には信じられず、何度も議論し、疑問点を質し、悩み苦しみ、出席したりしなかったりしたあげくに、ついに得心して牧師職を辞しました。その迷いの期間が十年ばかりあったということです。


 シルバーバーチは、自分の説くことは絶対に間違っていないとは言っておりません。真理を述べるに際して独断 (ドグマ) を一方的におしつけることを嫌います。ドグマとは理性の介入を許さない説のことだから、というのがその理由です。

そして自分の説くことを理性の光に照らして判断し、納得がいかなければ拒絶し得心がいけば受け入れる───それでよろしい、と言うのです。半世紀にわたって交霊界に出席してきた私は、真剣に道を求める魂を得心させないようなことは、シルバーバーチは決して語っていないことを断言します。

 人間がたどる巡礼の道は一人ひとり違います。私の旅は二二歳の時に始まりました。戦争に次ぐ戦争で人間の生命のはかなさを痛感していた時に、第一次世界大戦の従軍牧師だったスタッダート・ケネディの 「来世の存在を確信せずして地上生活の本当の幸せはあり得ない」 と言う言葉を何度も反芻(はんすう)したものです。

 次の出会いは著名な英国人ジャーナリストのハンネン・スワッハーでエドワード・マーシャル・ホール卿と二人で、スピリチュアリズムの普及の為にクイーンズ・ホールを借りきって講演会を開いていました。

それに何度か出席しているうちに、スピリチュアリズムの真実性を確信するようになりました。そして、国際スピリチュアリスト連盟の会長で、最初にスピリチュアリズムに関するラジオ放送をしたアーネスト・オーテンの次の言葉は決して大げさでない事を知るに至りました。

 「これまでに得た証拠によって私は、既に死の関門を通過した人々と(交霊会で)対話を交わしていることは間違いない事実である事を断言します。その確信は、たとえこの事実を信じる者が地上で私一人であっても、絶対に揺らぐ事はありません。」

 ここまで巡礼の旅を続けて来た私がシルバーバーチの教えをまとめると次の様になります。
 
①この地上生活は魂の幼稚園のようなもので、死後に始まる次の段階の生活に必要な体験を積む場所であること。
 
②物質の仮面をかぶっている実在の霊的世界について、少しでも多くを理解するように努めることが望ましいこと。
 
③ 「神」 とか 「大霊」 と呼んでいるものは全存在の総計であると同時にそれを超越した存在であり、自然界のあらゆる側面に顕現していること。それは愛と叡智と実在の極致であり、それが法則となって森羅万象の営みの中で一瞬の休みもなく働いていること。
 
④ 「祈り」 の霊的な意味を理解することが必要であること。すなわち、自我の内と外に存在する大霊のパワーとの繋がりを緊密にするために憧憬の念を持って常に祈ることを怠らないようにすること。

 こうした教えは、ニューマン氏の解説によって一段と理解を深められるに違いありません。最後に私自身の体験を述べておきましょう。

 モーリス・バーバネル氏は若い頃よくハイドパークにある〝スピーカーズ・コーナー(演説広場)〟でスピリチュアリズムについての演説をしたものですが、急用が出来た時などに私に代役を頼むことがありました。当時はまだスピリチュアリズムは物笑いのタネにされる時代で、酷いヤジが飛んだものでしたが、演壇から降りて解散した後に必ず一握りの真面目そうな人が残っていて、キリスト教への疑問と不満を真剣な面持ちで私に語ったものでした。

 その人たちのように、真剣に真理を求めながら在来の説に飽き足らず、あるいは大きな疑念を抱いている人が少なくありません。そういう人たちは言わば〝地上の迷子〟のようなもので、既成宗教から脱しようと思いながら、さまざまな理由で躊躇しているのです。本書はそう言う人々にこそ読んでいただきたいものです。


 <訳者補注>
  本書で初めて〝シルバーバーチ〟という名前を知った方のために、少しばかり解説しておく必要がありそうである。

 シルバーバーチと名のる霊が無意識 (トランス) 状態のモーリス・バーバネルの口を使って初めてしゃべったのは一九二〇年のことで、当時バーバネルは十八歳、知人に誘われて交霊会に出席した時だった。


自分では〝うたた寝〟をしたと思い込んで、目が覚めると慌てて〝非礼〟を詫びたが、出席者たちから 「あなたは寝ていたのではない。シルバーバーチとか名のる霊があなたの口を借りてしゃべりましたよ。あなたもいずれこうした交霊会を催すようになるそうです」 と言われて、何のことやら、それこそキツネにつつまれたような気持ちだったという。


 が、それが間もなく現実となる。バーバネルは自宅でもトランス状態にさせられて、やはりシルバーバーチと名のる霊がしゃべるようになった。最初のうちは居合わせた者だけが聞く程度で、記録というものを一切遺さなかったが、ハンネン・スワッハーが出席し始めてからは日時を金曜日の夜七時と定め、速記録を取って霊言の抜粋を翌週の 『サイキック・ニューズ』 紙に掲載するようになりそれがまとめられて単行本として発行されるようになった。


第一巻が出たのは一九三八年。ついでに言えば、その速記役を務めたのは、この序文を書いたムーア氏とのちに結婚したフランシスで、テープに録音するようになってからも速記は続けられた。ある意味では、このフランシス・ムーア女史が隠れた最大の貢献者と言えよう。

 シルバーバーチは、初めのうち自分は地上でアメリカ・インディアンだったと述べ、霊視能力を持った人の目には確かに叡智あふれるインディアンの顔が映り、それを描いたフランス人霊視画家マルセル・ポンサンによる肖像画がシルバーバーチその人という認識が固定し、シルバーバーチ自身も始めと終わりに行う神への祈りを 「あなたの僕インディアンの祈りを捧げます」 という言葉で締めくくっていたが、ある時期から、

つまり正しい霊的知識が十分に行き届いたとみた段階で、実は自分はインディアンではない───三千年前に地上で生活したことがあるが、長い長い生命の旅の末に、もうすぐ地上圏に別れを告げて二度と地上に戻れない段階へと旅立つところまで到達した、いわば 「古い霊」 であると告白した。

しかし、地上時代の姓名・民族・国家・地位などの個人的なことは、ついに述べずに終わった。バーバネルは一九八一年に他界し、それがシルバー・バーチ交霊会の終わりともなったが、ほぼ半世紀わたって速記録と録音によって遺された莫大な量の霊言は、サイキック・ニューズ社の九人のスタッフによって、各自の視点からまとめたものが全部で十六冊も出版されている (一人で二冊ないし五冊も編纂した人もいる)。

それらの日本語訳は三つの出版社から出た。うち一社からでた三冊が絶版となっているが、熱心なサークルによって自費出版で復刻されている。シルバーバーチ関係の訳者のリストと取り寄せ先の案内は巻末を参照されたい。

 なお、シルバーバーチの交霊界の様子を録音したテープが何本かあったようであるが、出席者が素人流に録音したもので録音状態が悪く、実際に市販されたのは一本だけだった。それが日本では 『CDブック・シルバーバーチは語る』 (ハート出版) となって、英文と和文の対照本として発売されている。その取り寄せ方についても巻末を参照されたい。



     
 謝辞
 
 「知識」と言うのは、体験が精神の篩(フルイ)に掛けられて、各自の理解力によって解釈されて初めて身につくもので、何の分析もなしに蓄積されるだけであれば、知識の境界は生涯少しも広がらないことになります。

 そうした分析と選択を行うことのできる柔軟な精神は、一つの型にはまった硬直した精神と違って、人生に愉しみを見出すことができます。その上、そうしたレベルの精神の持ち主は見えざる世界からの導きを得ることになります。
 
 私にとって、そうした貴重な知識を与えてくれることになった恩人の名前を挙げていったらキリがありません。

霊媒のグレース・クックとウィリアム・クルックス博士、オーラの写真を撮ることに成功したウォルター・キルナー博士、『スピリチュア百科事典』の編集者ナンドー・フォドー博士、幽体離脱現象の研究家シルブァン・アンドゥーンとヒアワード・キャリントン、等々。

こうした方々の業績が触媒となり、私独自の瞑想法による直感力も加わって、私の専門であるエネルギーの 「磁場」、俗にいうオーラの本性と宇宙における存在機能を霊的観点から理解することができました。

 私の理解は物理学者のH・S・バー教授の研究成果によって完全に裏打ちされ、またV・スタンレー・アルダー女史によるオーラの構造理論とも一致しました。さらに 「国際生物物理学研究所」 の研究成果も、偶然にもバー教授のものと一致しました。

 こうした心霊学と物理学の成果に加えて私自身の直感力によって電磁場の理解が深まりましたが、シルバーバーチと名のる高級霊からのメッセージとの出会いによって私の視野は一段と広がり、心霊学と物理学と宇宙学とが渾然一体となって理解できるようになりました。

 シルバーバーチの霊言集はサイキック・ニューズ社から出版され、現在では絶版となっているものも少なくありませんが、第二次世界大戦の戦前・戦中・戦後にわたる実に60年間、途切れることなく出版しつづけてくれた編集者の皆さんに、深甚なる謝辞を述べたいと思います。

 またシルバーバーチ霊が〝同志〟と呼んでいるホワイト・イーグル霊の霊言からも多くを学んでおります。引用することを快く許して下さった出版社にもお礼を述べねばなりません。

 真理は営利を目的として切り売りすべきものではなく、誰にでも自由に分け与えるべきものです。しかし、真理には無限の側面があります。その真理の価値は、それを手にした人の理解力一つに掛かっています


    
 はじめに

 人間の身体は、肉体だけでなく幽体も霊体も本体もオーラというものを発していることはスピリチュアリズムの常識ですが、残念ながらその 構造と機能に関しては〝学説〟と呼べるほどのものはまだ確立されていません。

 それはなぜかと言えば、科学のさまざまな分野で〝電磁エネルギー〟の存在を確認していながら、学者がそれを物的関連においてのみ研究し、目に見えない身体との関連においての研究がなおざりにされているからです。

 一方、俗に言う〝霊的なもの〟の存在を認めている人々の間では、オーラの構成要素について数多くの発見をしていますが、それが何を意味しているかという肝心かなめについての理解が出来ていません。

それをシルバーバーチは 「霊が全てを支配しているのです。霊は全生命を構成しているエッセンスです。霊こそ生命であり、生命は霊なのです」 と述べてから 『ヨハネ伝』(6・63) のイエスの名言を添えます。


《生かすものは霊なり、肉は益するところなし。我が語りし言葉は霊なり、生命なり》 (英和対照 『新約聖書』 一九五一年版)

 こうした言葉が教えているのは、全生命のエッセンスである霊がなければ、私たちが現在体験している物的表現は存在しないということです。つまり 「霊(スピリット)」 こそ肉体・幽体・霊体・本体の四つの身体の発達をつかさどっている根源的叡智であるということになります。 〈補注1〉


〈訳者補注1〉
 東洋と西洋の霊視能力者によって確認された四つの身体を総合的にまとめたのが次ページの図。キルリアン写真 (後述) やEMRスキャナー (医学で用いるCTスキャナーとキルリアン写真とを組み合わせたもの) でも幽体までは確認できる。

各身体の呼び方は霊視家によって、英語でも日本語でも異なるが、この図でいえば幽体が 「アストラル・ボディ」、霊体が 「メンタル・ボディ」、 本体が 「コーザル・ボディ」 に相当する。なお 「イセリック・ボディ」 というのは以上の三つの身体と肉体とを結ぶ接着剤のような役目をしているテンプレート(型板) で、「ダブル(複体)」 と呼ぶ人もいる。
 
・・・ここp18に「人体を構成する磁場」の絵図があり・・・肉体 PHYSICAL BODY ダブルETHERIC BODY  幽体 ASTRAL BODY  霊体 MENTAL BODY  本体 CAUSAL BODY と細かく説明があります・・・


 辞書で〝スピリット〟 の項目を見ると 「知性と意思を持った形体のない存在」 とか 「人間に内在する要素で、身体に活力を与えながらも身体から切り離せるもの」 とあります。

ここで言う身体とは物的身体のことですが〝対外遊離現象〟(幽体離脱とも) という超常現象は 「幽体」 と呼ばれている目に見えない身体に宿って体験しているもので、これにもオーラという電磁場があります。


 科学の世界ではオーラのことを 「生命」 とか 「バイオ」 とか 「バイオプラズマ」 とか 「電磁場」 という用語で呼び、

これは肉体から派生する副産物であると説明していますが、肉体に活力を与え維持しているものがそのオーラに内在する知性、すなわち〝霊〟(スピリット)なのですから、「肉体から派生する副産物」 という表現を逆にして 「肉体こそ霊の産物」 ということになり、先ほどのシルバーバーチとヨハネの言葉に〝なるほど〟と得心がいくわけです。


 うれしいことは最近、科学会にも、俗世的偏見を捨てて〝神秘的現象〟と呼ばれているものに表面から取り組もうとする学者が、徐々にではありますが、着実に台頭しつつあります。科学によって宇宙の真相を明らかにしたいと望むのであれば、宗教的ないしは霊的知識を一つの方向性として取り入れなくてはならなくなってきたと言えるでしょう。

 神秘的な修法家や霊覚者が平凡人の五感では見ることも聞くこともできないものを見たり聞いたりして、それをありありと叙述することができるのもオーラの機能を活用しているからですが、困ったことに、そういう能力を持った人たちは、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのかが自分では判らないために、科学者から詰問されると返答に窮してしまい、結果として懐疑の目で見られてしまうことになります。

 ですから超能力を具えた人が自説を理解してもらい、同時に人生とは何か、宇宙はどうなっているかについて、一般常識とは異なる説を打ち出したいのであれば、それを裏付けるだけの実証的資料を用意しなければなりません。科学的データーなくしては、さまざまな形で世の中をリードしている知識層を得心させることは、まず不可能です。

 もちろん、これにも例外があります。伝統的宗教にどっぷり浸かっている人たちです。どこの宗教の教義も人工的教義の上に立っており、それを子供の時から聞かされて育った人はそれを絶対的に信じていますから、その人生観を改めるのは容易なことではありません。

 しかしそれも、科学的知識の普及とともに事情が少しづつ変化しつつあります。〈補注2〉

 それより憂慮されるのは、社会全体のモラルの低下です。これを正すには、やはり科学的基盤を持つスピリチュアリズム思想によって、宇宙の中における人間の位地についての理解を促す努力が必要でしょう。〈補注3〉


 〈訳者補注2〉
 最も抽象的な例は〝地動説〟とキリスト教会の関係であろう。〝天動説〟に異を唱えた最初の学者はポーランドのコペルニクスであるが、彼はもともと聖職者で、しかも病弱だったために研究成果を公表しないま知人に託して他界した。

それが書物となって公表されたものに触発されたイタリアの自然哲学者ジョルダーノ・ブルーノが公然と地動説を唱え、しかも宇宙こそ無限絶対の存在であると説いたことで、キリスト教会によって〝異端者〟として火刑に処せられた。

更に〝自然科学の父〟と言われるガリレオ・ガリレイがコペルニクスの説を支持したことで宗教裁判にかけられ、投獄されているうちに失明し獄死したことは有名な話であるが、こうした理不尽な行為の非を認めて 「教会側の間違いだった」 と詫びたのはローマ法王ヨハネ・パウロ二世で、それも皮肉にも 「コペルニクス大学」 においてであった。

科学的事実を前にしながら己の非を認めるのに四五〇年もかかるとは、宗教界は何と硬直した世界であることか、ニューマン氏はそのことを言っている。



 〈訳者補注3〉
 肉体をまとって生活する場として〝地球〟があるように、幽体で生活する場、霊体で生活する場、本体で生活する場がある。次ページの図は複数のスピリットに個別に訪ねた上でまとめた死後の世界の概略図で、地上界が最も鈍重で粗い波動の世界。仏教で言う生老病死にすべて苦痛が伴うが、だからこそ修行の場として最適であるということになる。


 私は電気工学の分野に携わってきた人間ですが、その間ずっと感じていたのは、いわゆる〝神秘的現象〟にも科学的説明ができるはずだということでした。いくら奇怪な出来事でも、実際に見たと断言する生き証人がいる以上は、それをただの幻覚や錯覚と決めつけるべきではないというのが私の考えです。

ところが現実には、いつの時代にも知識人と言われる人たちは、なぜかそうしたものを真剣に取り上げようとせず、たわごととして一蹴してしまう。そういう人は社会的に影響が大きいだけに、実際にはその方向に特に造脂が深いわけでもないのに、一般人はやはりその人の言うことを信じてしまいます。

   p23に・・・地球を取り囲む三つの階層・・・の絵図がある。
                                            

 〝権威〟というのは、ある特定の分野において真剣に、必要にして充分や研究を積んだ者に自然にそなわるもので、それも、あくまでもその人物の理解力の程度が問われるのです。その〝程度〟には人格の高潔さと熱意が大きく関わってきます。

 私は、ある時期、政府の要請で熱帯地方での学術調査活動に従事した事があり、その滞在中にヒンズー教の火渡りの術や、肉体に銀針や釣針や槍を突き刺しても形跡が残らない術を目のあたりにしていたので、役職から離れた後、当然のことながらそうした〝超常現象〟の不思議の解明に関心が行きました。

 まずそれを科学的見地から、哲学的見地から、そして宗教的見地から扱った書物を読み漁り、更に霊能開発のためのサークルにも幾つか参加してみました。が、それを六年ばかり続けた時点で、なぜかそういう行(ぎょう) には進歩がない───どこか歪んだ方向へ向かっていることに気がきました。

私は思い切ってそれを止めて、自分一人での瞑想に切り替えることにしました。時間を決めて、キチンと精神の統一を図りました。


 他のメンバーの動きに気を散らされることもなく、私は比較的ラクに心を空っぽにすることができ、やがて譬えようもない安らぎと静寂に包まれる段階に到達し、その中で、自分という存在の小さな実感から生まれる真の謙虚さを味わうようになりました。

 さらに進むと、今度はその静寂のなかで、時折、突如として映像や言葉によるインスピレーションが流入するようになりました。それは、それまでに自分が読んだ科学や哲学や宗教の本の内容に関するものでしたが、のちには、大して重要でもないことに集中している時にも体験するようになりました。

 そうした体験の特徴は、いわく言い難い喜びの念を伴っていることで、それは私が受け取った真理が正しいことを確認させてくれると同時に、それが私が抱いている構想の全体像の中でどういう位地を占めているかを教えてくれるものでした。

 書店や図書館でも私の手が一人でに動いて一冊を取り出し、タイトルを見るとなぜこんなものをと思うようなものなのに、ページをめくっていくと、一連の思考過程の中で行き詰まっていたことを打開してくれたり、それが正しいことを確認してくれる文章に出くわすことがよくありました。こうした過程を経て私は、人間と環境とが密接な関係にあることを証明するには科学はどうすれば良いかについて、私なりの考えにたどり着きました。

 科学にはさまざまな分野がありますが、本書で私が提供する証拠はどの分野にも通じるものです。しかし、科学界には古い唯物的な宇宙観に囚われた人がまだまだ少なくありません。

そういう学者は真理への正道を見出して突き進もうとする学者の説を見くびる態度に出ます。実際には入手した新しいデータをもとに宇宙観を総ざらいすれば、古い概念に囚われた科学者も目を覚ますに違いないのです。


 瞑想によって、私自身の精神の世界が広がり始めて数年たってから、ふとしたきっかけで 「シルバーバーチの教え」 を編集した何冊かの書物に出会いました。シルバーバーチというのは、モーリス・バーバネルという人物をチャンネルとしてメッセージを送ってきた、高次元の世界の知的存在です。 (『序』 の 〈補注〉 参照)

 それを読んで驚きました。私が十年ばかりにわたって営々として築いてきた大自然の本質についての考えが、難しい用語でなしに、至って平凡な言葉であっさりと説かれているのです。その核心は、この森羅万象は崇高な超越的叡智が顕現したものであり、それが全存在の内部に宿っており、そこには民族の別も、肌の差別も、宗教的信条の違いもないということです。

 ある時、私の学術論文を読んだSNU 〈補注4〉 会長のゴードン・ヒギンソンが、これをシルバーバーチの教えと結びつけて解説してみてはどうか、と提案しました。なるほどと思って書きあげたのが本書です。

 本書は決して難解な宇宙物理学を説こうというのではありません。人間はいったい何のために生きているのか、死んだらどうなるのか───無に帰するのか、それともどこかで生き続けるのか、といったことについて日ごろから思いを馳せている人々に、思考と議論の糧を提供するものです。


〈訳者補注4〉
 SNUとは 「英国スピリチュアリスト同盟」 Spiritulist Nationl Union のこと。スピリチュアリズムの真実性を信じる者の集団で、英国最大を誇っている。ただ、ゴートン・ヒギンソンが会長をつとめた頃は、その強力な個性で意義ある活動をしていたが、会員が増え肥大化していくうちに内部紛争が絶えなくなり、ヒギンソンが引退してからは、ニューエイジの宗教集団のような様相を呈していると聞いている。

 ちなみにモーリス・バーバネル亡き後 『サイキック・ニューズ』 紙の編集を引き継いだのは、トニー・オーツセンとティム・ヘイで、私は二人とも面会しているが、オーツセンはその後 『トゥー・ワールズ』 の編集長として出ていき、若いヘイが編集長として頑張ったが、その頃からSNUによる買収工作が始まっていたらしく、バーバネルという一枚看板を失ってからの凋落傾向に歯止めがかからなかった。

まもなく 『サイキック・ニューズ』 は買いとられ、内部事情を知っていたヘイを始め、スピリチュアリズムの本質を理解していた社員はすべて辞任している。

 私はSNUの機関紙となってからも一年ばかり購読を続けたが、その間に二度も編集長の辞任劇があり、内部の権力争いを窺わせる記事が見られるようになって、嫌気がさして数年前に購読を止めた。

 こうしたウラ事情をあえて披露したのは、バーバネルが健在だった時代に出版された書物やカセットテープなどの版権は、本書の出版元である 《霊的真理普及基金》 The spiritual Truth Foundation という名称の非営利機関によって管理されていることを知っていただきたかったからである。

『シルバー・バーチのスピリチュアルな生き方Q&A』 は英国の勉強用のテキストとして編纂されたものであり、『シルバーバーチは語る』 というCDブックは、カセットテープだけで販売されていたものを同基金の了解を得て転写・翻訳したものである。(ともにハート出版)。CD化に際し事務長からいただいた手紙には 「実にいいアイディアですね」 という一文が添えてある〉





    
 第一章 自分とは何か 永遠に変わらぬ真理を求めて

 世界にはさまざまな宗教が存在しますが、説かれる霊的真理は同じであるべきはずなのに、それぞれに違っています。なぜでしょうか? 組織体制を運営する者たちが摂理をねじ曲げてでも営業活動に精を出してきたからです。その違いが国と国とを離反させ、国民までもが敵視し合うようになっていったのです。

 キリスト教がそのよい例です。コンスタンチヌス帝の時代に宗教が国政と一体化してしまったために(補注1)、聖職者たちが為政者の我儘と悪だくみに加担して、教義を次々と書き換えていきました。

かくして〝宗教〟なるものが国家と人民、さらには家族間にも、なかたがいのタネを蒔くことになったのです。一言で言えば空前絶後の霊覚者イエスが説いた素朴な教えを人間が都合よく書き換えたということです。

 〈訳者補注1〉
 「世界史では西暦三二五年にローマがキリスト教を国教としたしたことになっている。D・ダドレー著 『第一回ニケーヤ会議の真相』 によると、表面の事実はその通りで、コンスタンチヌス帝の命令で、ローマの支配下の国々からキリスト教の司教二千人前後が出席して、第一回キリスト教総会が小アジ゛アのニケーアで開かれた。

五月末から九月までの足掛け五カ月にも及んだと言われる。表向きの表題は〝三位一体説〟の是非を論ずることにあったが、実質的には、その説を否定するアレクサンドリア教会の司教アルウスを弾劾することにあったことは明白である。その証拠に、結果的にはアリウスを支持する一派がローマ兵によって連れ出され、国外追放になり、その後アリウスは暗殺されている。

 見落としてはならないのは、そうした議論の進行中にそれまでのイエスの素朴な言行録が大幅に書き変えられ、さらに勝手にこしらえた教義、例えば、〝贖罪説〟等がキリスト教の絶対的な教義として確立されていったことである。

それはその後も続けられ、西洋史に暗い影を落とす〝暗黒時代〟を生みだしていく。英国の知性を代表するジョン・スチワート・ミルは、名著 『自由論』 の中でこう嘆いている。

 キリスト教を容認した最初のローマ皇帝がマルクス・アウレリュウスでなくコンスタンチヌスだったことは、世界のあらゆる歴史の中でも最大の悲劇の一つであろう。もしもそれがコンスタンチヌスの治世下でなくマルクス・アウレリュウスの治世下であったなら、世界のキリスト教はどれほど違うものになっていたであろうと思うと、胸の痛む思いがする」


 過去一世紀余りの教育水準の向上で目を覚まされ、それまでの 「ただ信ぜよ」 式の説教ではごまかされなくなった民衆は、いわゆる宗教的教義についてさまざまな疑問を抱くようになりました。

それは必ずしも社会の道徳水準の向上にはつながっていませんが、十数世紀も前に勝手にこしらえながら一度も疑念を挟まなかった教会の上層部の責任は大いに問われねばならないでしょう。

 これは他のあらゆる宗教についても言えることで、最初は庶民の道徳的ならびに霊的向上のために霊覚者を通して届けられたものが、時代とともに夾雑物が混ざって玉石混交のまま語り継がれ、教え継がれ、正しいのか間違っているのかにお構いなく〝そういうもの〟と信じられてきました。

が、幸いなことに、近代の飛躍的な科学の発達によってその間違いが誰の目にも明らかになってきました。今の時代に地動説が神を冒涜するものであると教会の言葉を信じる者はいません。
(『はじめに』の〈補注2〉参照)

 そして一九二〇年に至って、ある霊覚者によって地上界に向けて空前絶後ともいうべきメッセージが届けられるようになりました。その霊覚者は地上の人間ではありません。

三千年前に地上生活を送り、今では別の次元で生活をしている霊的存在(スピリット)です。それがモーリス・バーバネルという地上の人間をアンテナとしてメッセージを送ってきたのです。

 同じ地球上でも、アンテナさえあれば、ちょうど裏側に当たる場所とでも交信することができることは、すでに常識となっています。衛星放送がそれを如実に示しています。

それと同じことが次元の異なる階層とでも可能なのです。つまり霊的アンテナさえあれば交信が可能なのです。そうした仕事を言い渡されたスピリットは、バーバネルが母胎に宿った瞬間から、霊的アンテナとして使用するために準備を始めたと言っています。

 そのスピリットは 「シルバーバーチ」 と名のりました。むろん仮の名です。肉体の死後、我々は段階的に次元の高い階層へと進化していきますが(『はじめに』 の〈補注3〉 参照)、次元が高まるにつれて地上時代の民族や国籍、身分や地位、姓名等の価値も必要性も薄れていき、真理の理解度、霊的覚醒の度合いだけが問われるようになります。

そこでシルバーバーチという仮名を使い、地上の人間が関心を持ちそうな事柄は一切打ち明けず、聞かれても答えず 〈補注2〉、 ただひたすら、人類が長い歴史の中で台なしにしてしまった霊的摂理を改めて説きなおすことに専念しました。


  〈訳者補注2〉
 人間らしい欲求として、出現した霊が地上時代にどういう人物であったか、姓名を何といったかを知りたいと思うのは自然であるが、これはいろんな意味で危険をはらんでいることを知っておくべきである。そのためには次の二つの事実を念頭においておく必要がある。

一つは、人間は死後も、個性も本性も容易には変わらないこと。もう一つは、低階層つまり地上界に近い階層で暇を持て余している低級霊ほど交霊会に出たがるし、また出やすいということ。

 ここで忘れてならないのは、霊の側からは出席者の姿が見えても、出席者の目には霊の姿は見えないことで、そうなるとたとえ歴史上の著名人の姓名を名のっても、本当かどうか証明することは不可能ということになる。

人間的煩悩の一つとして、いかにもそれらしい態度で語られると、何となくそう思えてくるもので、それが他界した親族、特に父親や母親、早世した我が子であると言われれば、人間的な情に流されて抱き合って喜んだり感動したりするものである。悪いこととは言わないが、愚かしいことをしているのだということを知るべきである。

 スピリチュアリズムの本来の目的はそんなところにあるのではない。それを、これから著者ニューマン氏がシルバーバーチの言葉を引用しながら、懇切丁寧に説いてくれる。



  モーリス・バーバネル氏が霊的アンテナとして使用されるようになったのは弱冠十八歳の時で、霊的体験もなく、宗教にも関心が無く、どちらかというと無神論者だったといいます。

 
  その頃バーバネルはロンドンの文士仲間が集まる社交クラブで無報酬の司会役をしていました。毎回だれかが話題を提供し、それについて会員たちが討論する。その司会をすると同時に、

疑問点を指摘して議論の輪を広げる役でしたが、ある日スピリチュアリズムが話題となり、何か反論する段階となったのに、全く予備知識のなかったバーバネルは 「こうした問題は体験がなくては質問もできない」 という理由で、議論の発展がないまま散会させてしまったそうです。

 それから間もなく、そのスピリチュアリズムの話題を提供した青年が改めて訪ねて来て、ぜひ交霊会というものに招待したいと言う。誘われるままに出席してみたものの、中年の女性が霊媒となってさまざまなスピリットがしゃべったのに、別に興味は湧かなかったそうです。

が、二度目に出席した時にうっかり居眠りをしてしまい、目を覚まして慌てて失礼を詫びると、「あなたは居眠りをしていたのではありません。あなたの口を使ってシルバーバーチと名のる霊がしゃべりましたよ」 といわれました。

 これがシルバーバーチと名のるスピリットがバーバネルの口を使ってしゃべった最初で、それからは自宅でもいきなり無意識状態にさせられて、同じシルバーバーチと名のるスピリットがしゃべるようになりました。

その後、金曜日の夜七時からと決めてレギラーメンバーを相手に語るようになり、バーバネルが一九八一年の七月に他界するまで、実に六十年間も続きました。

℘42
 シルバーバーチの最大の特徴は、成熟した大人の精神を持つ人間の理性的判断力に訴える態度に終始したことです。つまり自分が説くことで理性が反発を覚えることがあれば遠慮なく拒否してほしいと明言し、常に人類への慈しみの心で臨み、愚かしい質問にも決して腹を立てず、

失礼な態度を咎めることもなく、その態度と教説の内容は、みずから広言して憚らなかった 「宇宙の大霊から遣わされたメッセンジャー」 に恥じないものでした。

 もう一つの特徴は、自分の教えにハクをつけるために地上時代の高貴な身分や仰々しい肩書き、歴史上の大物の姓名を名のるようなことはしないという、厳しい掟を自ら自分に課したことです。 〈補注3〉


 〈訳者補注3〉
 この一節はシルバーバーチ自身語った言葉を著者が平たく述べたもので、これに類することは、その後もシルバーバーチは、表現を変えながら何度も述べている。

例えば 「私が地上でファラオ (エジプトの王) だったと言えば尊敬し、奴隷だったと言えばサヨナラをなさるおつもりですか」 と皮肉っぽく述べたり、 「人間は肩書きや身分や知名度などに拘るからいけないのです。

私がいかなる程度の存在であるかは、私が述べていることで判断していただきたい」、さらには 「私が述べていることが皆さんに訴えなくなったら、その時は存在価値はなくなったということでしょう」 とまで述べている。

 こうした一連の発現を裏返せば、そこにスピリチュアリズムと言う 〝地球人類の霊的浄化活動〟 が人類史でも空前絶後の、神界までも総動員した途方途轍もない大事業である事を、改めて実感させられる。〈補注2〉 で述べた、人間的煩悩から出る好奇心に超然とした態度がそこにあり 「謙虚」 などという言葉で表せる次元の話ではないのである。



  さらにもう一つシルバーバーチは、私の専門であるバイブレーションの変換によって、自分よりさらに高い次元から送られてきたものを、地上で北米インデアンに所属していた霊を地上界(バーバネル) との直接アンテナとして送り届けているのであって、その教えは自分が考えたものではないと率直に述べている点でも、極めて特異です。

上には上があり、そのまた上にも上があり、宇宙は事実上無限の彼方までつながっていると言うのです。

 それは言い換えれば叡知(さとり)にも際限がないということになります。理解度が到達した次元までの知識を授かるのであって、それは一人ひとり違うことになります。スピリチュアリズムの発達の跡をたどってみても、心霊科学の発達も一進一退で、常に疑惑の目で見られてきました。

それは、人類の科学的知性がまだ霊的なものを証明する段階まで発達していなかったことを意味します。

 同じことがシルバーバーチの教えの理解についてもいえます。シルバーバーチが言わんとする核心まで理解が及ばず、結果的には、地上生活を送っている人間にとって都合のよいように解釈されていることがあります。

 新しいタイプの小説でも読むような感覚でシルバーバーチの説く宇宙観を読む人もいるようです。その核心に触れて目を覚まされ、本格的に人生を見つめ直すところまで行く人は、残念ながら少ないようです。あちらこちらで盛んに行われている超能力のデモンストレーションの話題を面白おかしく読むだけで満足している人もいます。

 また、信仰さえあれば知識はどうでも良いのではないかと思っている人も多いようです。そういう人は次のシルバーバーチの言葉をよく噛みしめてください。

 「知識は常に必要です。また常に求め続けるべきものです。もうこれで十分だと思って求めることをやめる人は、事実上、己の無能を宣言し、堕落し、錆びついていくことを求めているようなものです。魂は向上するか堕落するかのどちらかであり、同じ位置に留っていることは出来ません。人間は永遠に休むことのない旅人なのです」

℘45  
 さらに信仰について意見を求められてシルバーバーチはこう述べています。

 「人生には二つの大切な要素があります。一つは知識、もう一つは信仰です。知識の裏づけのない信仰は弱くて頼りになりませんが、知識に信仰を加えると素晴らしい組み合わせとなります」

 「このサークルの皆さんは、人生とその意義についての理解をもたらしてくれた知識をお持ちです。が、その知識も大海の一滴に過ぎないこともご存知です。そこに信仰という要素の必要性が生じます。しかし、あくまでも知識に裏打ちされた信仰であり、盲目の信仰ではありません。

知性を侮辱するような信仰ではなく、知識を基盤とした信仰、信じるに足る知識に裏打ちされた信仰です」

 知識と信仰、この二つの関係は五感で認識する世界と心で認識する世界の関係にすぎません。従って、限られた五感の世界を超越した知識を得ようとすれば、より高い次元で機能している意識に波長を合わせれば良いのです。

その時に直感される知識を〝悟り〟というのであり、それが人間の道徳的・霊的本性の向上を促すことになるのです。それをシルバーバーチはこう説いています。

 「あえて申し上げますが、地上界にもたらされる恩恵は、発明も発見もことごとく霊界にその根源があります。あなた方の精神は地上界へ新たな恩恵が霊界から届けられる、その受信装置のようなものです」
℘46
 こう述べてから、その知識を受け取った者には必然的に義務が生じることを指摘して、次のように述べます。

 「真理というものは、求める人には分け隔てなく与えられるようになっています。しかし、それを求める道は大いなる冒険の旅になることを覚悟しなければなりません。

境界線の見えない、果てしない探究の旅に出かけることを覚悟しなければなりません。時には障害が立ちはだかり危険にさらされることも覚悟しなければなりません。地図のない未知の領域を歩まざるを得ないことも覚悟しなければなりません。

しかし、そうした時でも、あくまでも真理の指し示す道に従い、誤りと思うことは、いかに古くからの教えであっても潔く拒絶する勇気がなくてはなりません」

 「新しい真理というものはありません。真理は真理です。それを受け入れる用意ができているか否かによって、そのレベルが決ります。皆さんも子供の時は能力に似合ったものを教えられます。アルファベットから教わって、知識の成長に従って単語を覚え文章が読めるようになります」


 「その単語に含まれている意味も、一度に分かるわけではありません。少しづつ分かっていきます。どれだけ理解できるかは、一(イツ)にかかって当人の理解力によります。

叡智には無限の奥行きがあります。精神的に、そして霊的に受け入れる用意が出来たものだけのものを手にすることができるのです」


 「みずから思いたって真理探究を志し、行為と想念でもって意思表示をすれば、その人物がそれまでに到達したレベルに相応した知識と教えを授かるように法則がはたらいて、その波動と調和し始めます。そのレベルには限界というものはありません。

ここで生き止まりと言う境界もありません。なぜなら人間みずからが無限の霊性を宿しており、真理も無限に存在するからです」

 「学ぶ前に、それまでの知識を洗い直さないといけません。正しい思考を妨げてきた夾雑物をすべて捨て去らないといけません。それができて初めて霊的成長の準備が整ったことになり、より高い真理を授かる用意ができたことになります。間違った知識、理性が反発するようなこと、宇宙の大霊の愛と叡智と相容れないものを捨て去ることがまず先決です」

 「伸び伸びとした思考が出来るようにならなければいけません。みずからを束縛してはいけません。自分の世界に垣根をこしらえて、新しいインスピレーションを入れなくしてはいけません。

真理探究の道はこつこつと絶え間なく続きます。魂が進化し、それに精神が反応して広がれば広がるほど、境界線はますます広がっていきます」

 「知識、真理、叡智、成長に限界がないことに気付いた時、あなたは真の意味で自由になるのです。心の奥で間違いに気付いたもの、理性が反発するものを即座に捨て去ることが出来るようになった時、あなたは自由になるのです。新しい光に照らして間違いであることが分ったものを、恐れることなく捨て去った時に始めて自由になるのです」

 「第三者の指導によってそういう状態に導くというのも一つの方法であることは違いありませんが、興味を見せているだけでまだ真理に目覚めていない人に、それがどういうものであるかを説明する時は注意が必要です。

当人はそれだけで悟ったように錯覚し、貴重な人間的努力や体験を低次元の霊力で代用して、それでよしという安直な満足感を抱かせる結果になりかねません」 〈補注4〉


 〈訳者注4〉
 これは一口で言えば、霊的真理を丸暗記しても悟ったことにはならないということを述べたものであるが、もっと大切なことも暗示している。シルバーバーチは 「サイキック」 と 「スピリチュアル」 とを区別している。

前者は肉体と幽体のレベルの法則が絡み合って生じる現象のことで、これは自我の霊性は関与しない。これが後者となると自我が覚醒し高級なスピリット、特に守護霊の働きかけが加わる。

前者にもスピリットの働きかけがあるが、まだ地上界の波動から抜けきっていない者、いわゆる 「自縛霊」 の集団であるから、浅はかな知恵で本来は人間が努力して行うべきこと、時には失敗や病気や災難を通して悟るべきチャンスを、あたら奪ってしまうことになる。

「あたら」 というのは高級霊の立場にたってそう述べたもので、彼らは親切のつもりでいても、それは喩えで言えば、学校の宿題を親がやっているようなものであり、あとで困るのは本人自身で、霊的進化が遅れることになる。

誰でも参加してよいような、安直に催される交霊会に出現するスピリットに 「人生相談」 を持ちかけるのは危険である。



 「要するにスピリチュアリズムの基本理念は、地上人類を物質的に豊かにすることではなく、霊的に豊かにすることです。いったい自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識をもたらすことです」
℘50
 「地上界がそれを必要とするのは、それを知ることこそが人生の全体像をつかみ不可解なことを理解しやすくするからです。その理解さ得られれば、あまりにも長いあいだ進歩のブレーキとなってきた、誤った教えが生み出す幼稚で悪逆な行為に苦しめられることがなくなるでしょう」

 「それが理解できない人はいるでしょう。そんなものは必要ないと考える人もいるでしょう。子供と同じで、まだオモチャが手放せない人もいますから、そういう人にはそういう人なりの教え方が必要です。

霊的真理の普及を目指すこのスピリチュアリズム計画の背後の全体像を、ぜひ理解してください」

 「スピリチュアリズムは、地上界を長いあいだ取り巻いてきた暗闇、今の時代になって、つらい思いとともに次第に分かってきた悪逆非道の原因を根絶することが目的なのです。

そうした邪悪の根源には霊的摂理への無知があります。唯物主義とそれが生み出す私利私欲の悪弊を吹き飛ばしさえすれば、地上界を最大の呪いから救うことができるということを、もうお分かりいただけると思います」

 「皆さんが偶然の産物ではないこと、気まぐれの遊び道具ではないこと、無限のエネルギーを秘めた無限なる霊すなわち神の一部であることは、すでにご存知です。

この真理が世界的規模で受け入れられれば、またこの物質界の彼方にも別の世界が存在すること、地上界で送る自分の生活には自分が責任を取らされ、それが次の世界に反映されること、そこには完全な公正を持ってはたらく永遠に不変の摂理が存在すること、こうしたことを単なる知識としてではなく実感をもって認識できるようになれば、人生の新しい基盤ができたことになります」

 「私たちがこうして地上へ戻ってきた理由はそこにあります。すなわち、たった一人の人物、たった一冊の書物、たった一つの教会、物質界であろうと霊界であろうと、たった一個の存在に忠誠を尽くすのはおやめなさい───ひたすらに大霊の摂理にのみ忠誠をつくしなさい。

と説くためです。誤ることも間違うこともないのは大霊の摂理だけだからです」

 「大霊の摂理の大切さを強調するのはそのためです。それを理解することによって全知識が調和するのです。科学者も哲学者も自由思想家も、その他いかなる種類の人間も、これだけは理性が反発を覚えることはないはずです。

なぜならそれは、永遠に不変・不易の大霊のはたらきの上に成り立っているからです」


 「進化のいかなる段階においても。、暗闇の中を歩むよりは光の中を歩む方が良いに決まっています。無知でいるよりは知識を身につけている方が良いに決まっています。ですから、いやしくも知性を授かった人間ならば、知識の探求は人生の基本的な目的であらねばなりません。

それを怠ると、迷信と偏見と不寛容と頑迷さがのさばるようになり、それを抑えきれなくなります」
℘52
 「ここまで来ればもう十分だという段階は決して来ません。学ぶこと、成長すること、進歩すること、向上すること、より高いものを求め低いものを捨て去ること───これはどこまで行ってもやむことがあってはなりません」

 「しかし、知識には責任が伴います。これも埋め合わせの原理の一環です。かつて所有していなかったものを手にした時、天秤のもう一方には、その知識をいかなることに用いるかという責任が生じます」

 「霊の力の働きかけを人類の歴史の特殊な時期だけに限られた、神の啓示の最後のものと受け止めてはなりません。啓示はその時代、その民族の理解力の進歩に応じて絶え間なく、そして発展的なものが授けられるのです」

 「必然的にそれは理解力の範囲内のものだけということになります。ほんの一歩だけ進んだものが授けられ、それが終了すればさらに次の段階のものが授けられます。その叡智の階段は無限の彼方まで続いているのです」
℘53
 「知識は喜びや幸せ、心の平静をもたらしてくれますが、同時に、その知識をどう生かすかという責任をもたらします。無知が生み出す愚かしい取越苦労を追い出してくれますが、その知識を手にした人間としてやらねばならないことにも気付くはずです。

知らなかったが故に犯す罪にもそれなりの代償は免れませんが、知っていながら犯す罪には、知らずに犯す罪より重い代償を支払わねばなりません」

 「時として、脳だけが発達して、精神と霊の発達が伴っていないことがあります。いわゆる〝知的人間〟ということになりますが、知的だから偉大であるとか立派であるということにはなりません」

 「それは物的側面、つまり脳に限られた発達です。そういうタイプの人間の中には、込み入ったこと、難解なことほど価値があるかに思っている人がいることは事実ですが、精神と霊性が正しく発達していれば、霊的真理の理解もそれだけ深くなります。

結果的には古い誤った概念を捨て去ることになり、それだけ真実に近づくことになります」

 「サークルの皆さんには、普段の物的生活の裏側で人知れず行われていること、地上界に打ち寄せている莫大な霊的エネルギー、皆さんを価値あることに使用せんとして苦心している大勢のスピリットの存在についての知識を得ていただきたいと思います」

 「また、あなた方自身に秘められた霊的本性の強力さと豊かさを我がものとしていただくために、その潜在力について理解していただきたいと思います。大霊の叡知、霊的叡智は無尽蔵であること、大霊の財産は無限であることを理解していただきたいのです」

 「断言しますが、真剣な気持ちで自分を役立てたいと願う人は、宇宙最大のパワー、生命力そのものを引き寄せることになります。それが義務の一つだからです。熱意を込め、そして賢明に活用することです」

 「ご自分の手の届く範囲の人に手を差し伸べなさい。この霊的真理の話をして聞き入れてくれない人は、その人の思う道をいかせればよろしい。

ご自分の光と良心に照らして、これで良いと思う通りにおやりになることです。何ごとも動機が大切です。動機さえ正しければ、いかなる事態になっても、最後は必ずうまくいきます」

 「いつどこで、と迷わずに、いつでもどこでも霊的真理を説くことです。時には拒絶されたり、小バカにされたり、物笑いのタネにされたり、嘲笑の的にされたりすることもあるでしょう。そんなことに構うことはありません。そんなことで怯むようではいけません。

受け入れる用意のできていない人は拒絶して当たり前です。あなたはなすべきことをなさったのです。それよりも魂に渇きを覚え、一滴の水を欲しがっている人が大勢います。
℘55
そういう人にとっては何にも替えがたい貴重な施しであり、そういうチャンスに恵まれたあなたは、たったそれだけで地上に存在した意義があったことになるのです」

 「真理は閉ざされた心には入ることが出来ません。受け入れる用意のできた人の心にだけ居場所を見つけることが出来ます。真理は、大霊と同じく無限に存在します。

このうちのどれだけを手にするかは、各自の受容能力によって決ります。受容能力が増せば、それだけ多くの真理を悟ることになります。が、いくら努力しても、宇宙の真理の全てを手にする段階には到達できません」


 以上は何冊かの霊言集から、霊的真理を知るということはどういうことなのか、また、霊的に向上するためには現在よりも次元の高い意識階層からの教えを吸収しなければならないことを説いた言葉を引用したものです。

それにお金はいりません。必要なのは時間と忍耐力、そして、いかにして高次元の世界の波動に合わせるかの問題だということです。

 波動が合わせられるレベルは、人間性を形成する上で大きく関わる広範囲のテーマや興味にいかなる態度で臨むかによって違ってきます。

それ次第で見えざる世界のどのレベルのスピリットと波動が合うか───呪術師ていどか、それとも煩悩の束縛から解放された高次元のスピリットなのかが決ります。私を指導してくれているスピリットがどの程度のレベルのものか知りませんが、漠然とした集団でないことだけは確かでしょう。

 私が判断している限りで言えば、シルバーバーチの教えは 「いったい自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在について」 現段階の人類に理解できるレベルのカギを与えてくれているものと思っています。

そして 「それが人類の全体像を明るく照らし出し、不可解に思えていたことを理解しやすくしてくれます」

 さらにシルバーバーチは、「学ぶ前に、それまでの知識を洗い直さないといけません」 と述べておりますが、これは 「余りに長い間進歩のブレーキとなってきた、誤った教え」 が幅を利かしてきた科学界にこそ、当てはまります。

この一節に象徴されるシルバーバーチの摂理に関する論説は、キリスト教会のドグマ主義の批判に偏っている嫌いがあるように私には思えるのです。

 大自然の摂理は、天地創造以来ずっと存在していたはずです。いったい人類は、シルバーバーチの言うように、どれほど 「間違った教え」 の重荷によって苦しめられてきたかを、じっくりと考えてみる必要があります。

科学の世界でも確かに 「時として脳だけが発達して精神と脳の発達が伴っていないことがあります。いわゆる〝知的人間〟ということになりますが、知的だから偉大であるとか立派であるということにはならない」 ことは事実です。
℘57
  従ってその狭い分野にのみ携わってきた少数の学者は、彼等なりにそれが全てだと思うわけですから、それを聞かされた者はシルバーバーチの言うように 「不可解なことを理解しやすくする」 カギだと信じがちです。 〈補注5〉

 
 〈訳者補注5〉
 米国の医師リチャード・ゲアバー博士は一九八八年発行の Vibrational Medicine の中で、本書の 『はじめに』で紹介した 《人体を構成す磁場》 (十八ページ) と原理的に同じイラストを公表して大きな反響を巻き起こした。

スピリチュアリズムに馴染んでいる者は 「ついに医学もここまで来たか」 といった感慨で受け止めたが、オーソドックスな医学にとっては青天の霹靂だった。

案の定、そのうち影が薄れ忘れられかけたが、一九九五年ころから息を吹き返し、意を強くしたゲアバー博士は、それをさらに進めて A Practical Guide to Vibrational Medicine と題した続編を二〇〇〇年に出している。

その中で博士は従来の宇宙観を 「ニュートン力学的機械論」 と呼び、宇宙を巨大な時計のようなものと考えることの間違いを指摘している。オーソドックスな医学によれば人体もうまくできた生物機械に過ぎず、心臓は血液を送り出すポンプ、腎臓はフィルタ―、筋肉と骨格は滑車で動く枠組みと見るので、極めて 「理解しやすい」 わけである。

著者は同じシルバーバーチの言葉でも、このように都合よく解釈することの危険を戒めている。



 シルバーバーチの言う 「いったい自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識」 を与えてくれるのは、スピリットからのインスピレーションと一体となった科学なのです。

つまり科学というのは、新たに発見される法則にインスピレーションによるお墨付きを与えねばならない立場にあるのです。

しかし、いったんそのインスピレーションを信じ込んでしまうと、それが絶対的な真理として固定観念化されてしまい、いつしか永遠の遺産として精神の一部となっていく危険性があります。

 ここでシルバーバーチの次の言葉を読み返してみる必要ががありそうです。

 「真理は閉ざされた心には入ることは出来ません。受け入れる用意のできた人の心にだけ居場所を見つけることが出来ます。真理は、大霊と同じく、無限に存在します。

このうちのどれだけを手にするかは、各自の受容能力によって決まります。受容能力が増せば、それだけ多くの真理を悟ることになります」

 真理の探究にあたっては次のシルバーバーチの言葉に改めて耳を傾けたいものです。

 「知識、真理、叡智、成長に限界がないことに気付いた時、あなたは真の意味で自由になるのです。

心の奥で間違いであることに気付いたもの、理性が反発するものを即座に捨て去ることができるようになった時、あなたは自由になるのです。新しい光に照らして間違いであることが分ったものを、恐れることなく捨て去った時に初めて自由になるのです」 


 そんな次第で、これからシルバーバーチの教えを引用して私なりの解釈を施していくわけですが、それは科学者として私がこれまでにスピリットの世界から受けたインスピレーションによる解釈であり、それを出来るだけ平易な用語で述べますので、

読者のみなさんも実在について私がどう理解しているかを〝直観〟してくださることを希望します。それがシルバーバーチが説いていることの真髄であると確信しています。

 つまりそれを完全に理解してくださる方は、全体としては極めて少数であろうことは覚悟の上で、ともかくも読者のみなさんに披歴して、お一人お一人のレベルで理解していただけば良いのではないかということです。
℘60 
 スピリチュアリズムが勃発して以来、ほぼ一世紀半にわたって多くの研究がなされ、確固たる証拠は歴然と存在するのですが、物的身体に宿った人間は物的必要性の追求に明け暮れているうちに、それを置き忘れてきました。宇宙の〝霊性〟などはどうでもよいのでしょう。

しかし私は、そうしたものの重要性に目覚めた読者のために、本書で自分自身について、そして自分が存在しているこの宇宙についての認識を提供したいと思います。

 シルバーバーチは 「どこでも霊的真理を説くことです。時には拒絶されたり、小バカにされたり、物笑いのタネにされたり、嘲笑の的にされたりすることもあるでしょう」 と述べていますが、これまでの求道の旅の体験から私は、自分こそそうした逆境のなかで霊的真理を説くべき立場にあることを自覚するようになりました。

もしも自分だけの持ち物として所有しているだけでいたら、シルバーバーチの言う 「せっかく授かった霊的知識が意図している生き方を実践していない」 ことになると気づいたのです。

 ですから、こうして私を霊的摂理を説かねばならないと駆り立てるのは、シルババーチの言葉を用いれば 「地上の至るところで人生の嵐のさなかにいる大霊の子らに、その嵐に耐え抜くための基盤、単なる気休めでない真実の心の支えを築かせてあげたい」 という願いなのです。

この霊的真理こそが喜びと幸せと落ち着きをもたらしてくれるからですが、同時に忘れてならないのは、霊的真理を知ったということは、それをどうするかという義務を伴う、ということだからでもあります。

 シルバーバーチは、それを〝埋め合わせの法則〟の一環と呼んでいますが、それは同時に 「無知が生み出す愚かな恐怖を追い出してくれます」 とも述べています。

そうした言葉の意味を次章からなるべく平易に説いてみたいと思います。それは、シルバーバーチのいう 「その人の手が届かないほど高度なものとなってはいけません。理解力が及ぶ範囲の一歩先を行く程度のものであらねばなりません。

その一歩一歩が人生の目的について、その実在性について、その基盤である永遠不変の原理について、その永遠の実相についてのより深い直感的な悟りを意味する」 からです。


 「全ての邪悪の根源にはその霊的摂理への無知が存在します」 とシルバーバーチは述べておりますが、一九二〇年頃から半世紀余りにわたってシルバーバーチが説いてくれた霊的摂理がほとんど理解されていないことは、世界全体のモラルの低下がそれを物語っております。

 その摂理の意味の重大性を本当に理解するまでは、人間はせっかくシルバーバーチが地球という故郷への通信回路を開いてくれた意義を理解したことにはなりません。

シルバーバーチは言います───「そこに私が大霊の摂理の重要性を強調する理由があります。

というのは、こうした摂理を理解することによって、あらゆる知識が調和するのです。これだけは科学者も哲学者も自由思想家も、その他いかなる分野の人間も反芻することは出来ないからです。

なぜならそれが大霊の永遠にして不変不易の働きの上に成り立っているからです」 そして 「それを吸収し全体像をつかむことが出来て初めて、人生の意義が理解できるのです」 と説いています。

 私が見たところでは、死後の存続という事実そのものは別として、半世紀余りにわたって説かれたシルバーバーチの霊言にちりばめられた叡知の多次元にわたる意味は、まだまだ咀嚼されていません。

それは 「あなた方自身、あなた方が存在している宇宙、そしてその想像主である大霊についての理解」 のレベルを一段高くしてくれる駆動力となるべき性質のものなのです。

 つまりシルバーバーチは人類全体の霊性の進化を視野に置いて、宇宙における人類の位地についての理解のレベルを一段高めることを意図しているのであって、多くの人が陥りがちな幻想の世界の話をしているのではありません。

理性をそなえた人類が、今自分が置かれている宇宙についての正しい認識なしに、どうして〝より高度な教え〟という漠然とした呼ばれ方をしているメッセージが理解できましょう? それが理解できたら、さらに一段高い意識レベルでの理解へ挑戦しましょう。

 『はじめに』 で述べましたが、私は人間と人生の謎の解明を求めて、読書と瞑想に耽った時期がありました。シルバーバーチの霊言集を始めとして哲学や科学の書を読みあさり、またそれらの関連性について瞑想し、理性的理解とインスピレーションに接しました。それらをこれから披露したいと思います。

 シルバーバーチは 「私たち霊団の者は霊的生命についての実相を語る使命を託されているのです。〝霊的〟 という用語にはどこか神秘的な意味合いが漂いますが、そういうものではなく実在そのものなのです」 と述べています。さらに───

 「あなた方は永遠に続く霊的巡礼の旅人です。その道案内としてたずさえていくのは理性であり、常識的分別であり、明晰な知性です。その一部が書物であり、多くの先人たちの生きざまです」

 「それゆえ皆さんは自分にいちばん訴えるもの───誰かがいいことが書いてあると言ったとか、神聖であるからとか、尊いものであるからとかではなく───自分の旅にとっていちばん役に立つと思うものを選ぶべきです」 とも述べています。

 僭越ながら私も、シルバーバーチにならって同じことを述べさせていただきます。




    
 第二章 人間の本質・宇宙の本質  物質を超えた新しい考え方のヒント

「物質そのものには存在はありません。物質は霊による働きかけによって存在を得ているのです」

 「霊は物質に勝ります。霊が王様であり物質は従僕です。霊が全てを支配しています。全生命が創造される、そのエッセンスです。霊こそ生命であり、生命とは霊だからです」

 「本来、人間は肉体をたずさえた霊であり、霊を宿した肉体ではありません。肉体は霊の指示によってはたらく従僕です」

 「物質は霊のおかげで存在を得ているのです。霊こそ永遠の実在です。霊が破壊されることはありません。滅びることもありません。不死であり、無限です」

 「物質界のどこを見ても実在であることを示すしるしを見出すことは出来ません。なぜなら物質はその存在を霊に依存しているからです。物質は霊的実在がたった一つのバイブレーションの形態で顕現したものに過ぎません。

あなた方は物的身体をたずさえた霊的存在です。永遠の実在は霊であって、物的身体ではありません」

 「地上界の問題の大半は唯物思想が人間の行為と考えを牛耳っていることに起因しています。

その中でも貪欲と強欲が、地上界を毒している悪性のガンです。人生は全て霊を基盤として営まれており、物質を基盤としているのではないという基本的真理の知識、その理解によって駆逐しなければなりません」

 「この知識と調和した生活を送れば、霊的に、精神的に、そして物質的にも、幸せにとって不可欠のものを自動的に手にすることになります。物質中心主義の考えが生活を支配しすぎるところに間違いがあるのです」

 シルバーバーチの霊言をお読みになっている人の中で、はたして何人の方が、ここに引用した霊と物質の関係についての説明の本当の意味を理解なさっているでしょうか。

ひとくちで言えば、物質も生命も霊力を根源として存在しているということです。これは宇宙そのものも、極微の分子から星雲を構成する天体に至るまで、霊力の産物であることを意味します。

 唯物的科学者にとって、いや、現在の地上人口の大部分の人間にとっても、この物質の世界が五感を超越したエネルギーの一形態に過ぎないという説は 「ナンセンス」 としか思えないでしょう。

しかし、実は科学者の中にも、少数ではありますが、いつしか自分で勝手に作り上げたそうした先入観の殻を打ち破り、〝霊〟という概念にまでは至っていませんが、シルバーバーチの言う 「物質は霊の産物」 と同じ概念 〈補注1〉 を証明する段階に至っている者がいるのです。

                                                                                                                         

 〈訳者補注1〉                                                                            
 著者ニューマン氏は具体的なことを述べていないが、アインシュタインのE=mc の方程式は物質とエネルギーが互いに転換可能であることを示したものである。また、紫綬褒章を受賞された関英男博士 (工学博士・電気工学) から聞いた話によると、ニュートンは 「ニュートン力学」 を完成させたあと霊的なことや神秘的なことに興味を抱き、

その分野のことを何冊かの書物に著しいて、霊的なことを百パーセント認めており、それは米国の大学の図書館に保管されていて、関博士は講師として在任中にそれを読んだとおっしゃっていた。
  

 この教えこそ人生全体を明るく照らし、理解しがたいことを理解しやすくしてくれる、とシルバーバーチは言うのですが、確かにこの事実さえ飲み込む事ができれば、宇宙の本質についてさらに一段と深く踏み込むことが出来るようになります。

何といっても人類そのものがどういう存在かがわかるようになり、宇宙がどのように機能しているかが分かるようになり、病気治療も肉体ばかりいじくることがなくなり、霊力を活用して治療するようになるでしょう。

 シルバーバーチの言う〝霊〟の本質を科学的に解明すれば、人類全体の精神構造に新鮮な変革がもたらされることでしょう。

人類はみな同じ始源に発して同じ始源に帰ること、宇宙のものすべてが自然法則 (摂理) によって存在を得ており、従って〝超自然的〟なものは存在しないことが理解できれば、我々人類は民族、肌の色、宗教的教義の違いに関係なく兄弟姉妹であるから、全体の調和に向かって強調すべきであるとの結論に到達するはずなのです。

 さらに〝生〟と〝死〟の本質が科学的に解明されれば、その間の短い人生において、人類全体と宇宙全体のために個々人は何をなすべきかについて、理解がいくことでしょう。

人類は霊的に永遠不滅であることに得心がいけば、個人どうし、国家どうし、そして環境と調和のとれた共存へ向けて弾みがつくことでしょう。
 
 科学的な位置付けができれば、シルバーバーチが言う通り、科学者はもとより哲学者も自由思想家も、それに反発を覚えるはずはありません。知識にはそれぞれ〝持ち分〟というものがあります。

ジグソーパズルと同じで、それぞれの知識が持ち分の〝場〟に落ち着けば全体が調和します。それを確認するのが科学者の役目です。ところが、唯物科学者はそれを目の前に見せられても、唯物的本能が五感で確認できないものの受け入れを拒否させるのです。

 彼らが人体を包み込むように存在する複数の霊的身体 (十八ページの図) の証拠を前にして、それらの物的身体の健康状態が反映することを明確に認めるかどうか、極めて疑問です。

実際にはその霊的磁場に肉体の調子が反映しているといっても良いのです。物的身体とそれを取り巻くエネルギー場とがそこでつながって〝オーラ〟を発しているからです。

 シルバーバーチは〝霊〟について次のように定義しています───

 「霊の働きは視覚には映じません。人間界のいかなる尺度にも引っかかりません。長さもなく、幅もなく、色もなく、味もなく、香りもありません」

 しかし、一つだけ人間に確認できる尺度があります。これまでEMRスキャナーで電気的に計測してきた方法を応用して、E・K・マラー博士が霊的磁場について次のような調査結果を発表しています。

① その性質は一般に言う〝電気的〟なものでなく〝電磁気的〟な力学で計測できる。

② その〝場〟は絶縁体を導体に変換することができる。

③ ガラス、雲母、銅、アルミホイルを貫通する。

④ 身体を循環する血液の速度と質によって、その強さが異なる。質は食べ物と飲み物、運動量によって影響される。意思の力もその場の強さに影響を及ぼす。
℘71
 こうしたデータは大半の読者には信じられないことかも知れません。ここに紹介した目的は、どこか思い当たる人のために、ついに機器によってもそれが確認できるようになったことを知っていただくためです。

 ところで、シルバーバーチは 「オーラは肉体から出るバイブレーションによって構成されている」 と述べていますが、これは明らかに 「物質は霊の産物」 という表現と矛盾しています。が、

④によって、シルバーバーチが言っているのはその電磁場の中においてのことであることに得心がいきます。

 しかし同時に私は、シルバーバーチが 「オーラにも色々と種類があるのです」 と述べていることにも注意を喚起したい。 「その中でも人間が気付いているのは物的身体と霊的身体を取り巻いているオーラだけです。すべての物、意識を持たない物体にも、オーラがあります」

 このオーラに関してはホワイトイーグル 〈補注2〉 の方が細かく叙述していて、基礎的な科学的知識があれば得心がいきます。オーラの中に複数の独立した身体があるという表現をしていますが、さきほどの 「物的身体と霊的身体を取り巻いているオーラ」 と言う表現から、シルバーバーチも同じことを述べていることが分ります。

 
 〈訳者補注2〉
 ホワイトイーグルとは、シルバーバーチがバーバネルを霊媒として出現したのとほぼ同じ時期に、グレース・クックを霊媒として出現した指導霊。グレース亡きあと、娘のアイヴァンが霊媒となって、今でも 「ホワイト・イーグルの会」 を組織して活動している。

 
 複数の霊的身体が一つのオーラの中に存在していて、しかもそれぞれに独立しているという事実は、それぞれが独自の振動数、バイブレーション、ないしは波長をしているということを意味しています。

かくして私たち人間は、同じオーラの中に、科学的表現をすれば〝電磁気的〟性質を持ち、紫外線から可視光線、そして赤外線に至るまでの範囲で機能しているエネルギー場を有していることになります。

各種の電磁気的領域をもつ複合的身体がそのオーラの中に存在していることが合理的に説明できるわけで、シルバーバーチが説いていることと一致するわけです。


 この霊的磁場の本来の性質上、シルバーバーチは 「一つの磁場が別の磁場の中に入ると必ず相互作用が生じ、そこに大きな意味のある結果を生み出す」 と言っていますが、これを電磁気的に表現すれば、一個の身体の中で周波数、振動数、ないしは波長の変化が生じれば、それとつながった電磁場すなわち身体に同じ変化を生じさせる、ということです。

 シルバーバーチの〝大霊〟という用語を用いて、これは 「宇宙の自然法則のことです。大霊は全生命の背後の創造的エネルギーであり、物資の世界と霊の世界の区別なく作用しています。

大霊の無限の知性が森羅万象を計画し、その維持のための不変の法則を創り出したのです」 と述べています。この大霊の概念だけは、世界中の伝統的宗教の神の概念と齟齬(そご)することは絶対にないと信じます。

 アインシュタイン博士は自分の宗教観をこう述べています───

 「自然法則の調和の完璧さに打たれた時、私は恍惚的感動とも言うべき一種の宗教的心情にひたる。その知性の崇高さに私はただただ感嘆するのみで、人間の系統だった思考だの行動だのが無意味な悪あがきのように思える」

 ですから、物質がいかなる形態をとっても、そこには神の別名である〝知性〟の働きがあるに違いないのです。世界の多くの科学者が、さまざまな形での実験・研究によって突き止め、

へルムート・ブライトハウプト博士によって論文にまとめられたホログラフィー 〈補注3〉 の理論によって、「人間各自のオーラの中に宇宙全体の情報が組み込まれている」 と言うシルバーバーチの表現は、決して大げさでないことが分ります。 
 
 〈訳者補注3〉
 個体のどの部分の、いかに小さな分子にも、その個体全体の情報が組み込まれているというホログラム理論を証明する技術で、DNA鑑定に用いられている手法と原理的には同じ。一滴の血液、一片の細胞の中にも、その人間の全情報が組み込まれているという。

 

 最近の法医学でよく行われている血液や精液の検査の原理も、人体のどの個所の、いかがに少量の痕跡からでも、その人物の全体を知る手掛かりとなるからであるが、シルバーバーチの教えから推測すれば霊的磁場がDNAすらコントロールしていることになる。

H・S・バー教授やV・M・イニューシン博士などの研究によって、霊的磁場は物的身体の鋳型であることが明らかとなってきた。

 さらにバー博士は、それらの磁場は 「その鋳型の精巧なパターンに従って分子を再構築したり置き換えたりする作業をコントロールしながら、その物的身体の維持を請け負っている」 と述べている。要するにDNAによる身体の物的形状は、それを取り巻いている電磁気的オーラから出ていると理解してよいわけである。

 以上をまとめると───

①オーラはさまざまな次元の電磁気的エネルギーの場で機能している複数の身体の産物である。

②オーラはホログラム的性質をしており、情報の記憶と検索の手段となるし、いかに分割しても自己同一性を保持することができる。

③電磁場の次元を変化させることによって同質の他の電磁場との相互作用が生じ、さまざまな反応を生み出すことになる。

 かくしてシルバーバーチと名のるスピリットは、その性格に似合った次元の電磁場を通してはたらいている知性、ということになるわけです。



    
 第三章 オーラを読む  生命を形づくるメカニズム

 現段階の人類の霊的感覚で確認できるオーラには限度があります。全体が卵形をして肉体を包んでいて、どす黒い赤から鮮明な紫までの色彩を放散しています。

中心部はかなり安定した形体をしていますが、外部は感情を反映していて不安定です。そうした色彩と安定感から、その人物のその時の感情や性格が判断できます。

 大ざっぱに言うと、鮮明な赤色は怒りと勢い、それがどす黒くなると激情と情欲、茶色は貪欲、バラ色は愛情、黄色は知性、紫色は霊性、青色は宗教的献身、緑色は欺瞞と嫉妬心、それに強い濃淡が加わると同情心の深さを示しますが、これに加えてオーラから健康状態が読み取れます。

 ロシアの研究家シミョーン・キルリアンは、高電圧・高周波による写真撮影によって、そうしたオーラの目立った色彩の解釈とその医学的診断への応用価値を確認しています。

前章の終わり (〈補注2〉前後) で私は複数の霊的身体が一つのオーラの中に存在していて、それぞれが独自の周波数ないし振動数、ないしは波長をしていると述べましたが、これはカラー・スペクトルとも完全に一致します。

 その電磁場の一つの周波数ないしは振動数が変わると、電磁気的性質のために同質の電磁場との相互作用によってオーラに色彩の変化が生じます。

例えば考えに動揺が生じると、オーラの色彩にも揺らぎが生じます。が、その人物の性格の根幹をなしている考えや理想はオーラの中でも安定した部位に現れています。

 シルバーバーチは 「私がバイブレーションという用語を用いる時、それは要するにエネルギーのことです。(中略) 宇宙に存在するものはすべてバイブレート(振動)し、放射し、活動しています」 と言っています。本章で述べることは大体この線に沿っているものと思ってください。

 では、ホワイトイーグルが説くオーラとその機能についての解説を一歩進めてみましょう。

 ホワイトイーグルが最初にあげるのはバイタル・ボディ(ダブルに相当。後述) です。これをホワイトイーグルは 「二、三インチの厚みの層をしたオーラで、青っぽい色彩をしていて、物的身体から放射している」 と述べています。

霊視能力者の目に映じているのは物的身体に浸透している生命力すなわち霊的エネルギーで、それが霊的生命と地上的生命 (物質) の媒介役をしているわけです。霊すなわち電磁気的エネルギーを通してはたらいている知性と物質は、そのようにしてつながっているわけです。

 お気づきのようにホワイトイーグルもシルバーバーチと同じように 「物的身体から放射している」 という表現をしていますが、これは厳密に言うと間違いです。が、このあと説明するように両者は渾然一体となってはたらいているので、そう表現しても良いでしょう。

 前章の最後の②で私は 「オーラはホログラム的性質をしており、情報の記憶と検索の手段となるし、いくら分割しても自己同一性を保持する手段ともなると」 述べましたが、この前半は 「オーラのホログラム的特質が情報の記憶と検索の手段となり・・・・・」 と書き改めねばならないでしょう。

これでお分かりのように、オーラという電磁場は一種のコンピュータであり、バー教授やイニューシン博士が示唆しているように、物的身体の鋳型(マトリックス)としての機能を果たしているわけです。

 では、その情報が霊と物的身体との間でやり取りされるのは一体いかなる手段によるのかということになりますが、それを科学的に検証している学者がいます。ハーバード・L・カーニング教授とウォルター・クロイ博士で、次のように述べています。

 「これらの場が電磁気的シグナルを発し、それが瞬時に体の適切な箇所の皮膚組織から穏やかに浸透する。

どうやらそのシグナルは基本的な制御機能を果たしているらしく、接触箇所から結合組織を通って臓器の細胞へ情報を伝え、代わってその臓器が同じ経路を使って内的な連絡を取り合う」


 これをV・スタンレー・アルダー女史は次のように叙述しています。

 「エセリック・ボディ (霊的磁場=ダブル) の中でも活動が活発で密度の高い部分は網状組織になっており───キメの細かい格子状の神経組織で核を構成している───その核の中心に渦巻、つまり〝生命力の中枢〟があり、これが生理学で言う内分泌腺である」

「エセリック・ボディは同じ次元の視力でみると星のように輝くもの───生命の中枢───を散りばめた、光輝あふれる蜘蛛の巣状をしているが、これを更に次元の高いアストラルな視力で見ると、まったく別の様相を呈している」

 アストラル・ボディ (幽体) の原子は水晶状をしたキメの細かい、キラキラと輝く色彩豊かな様相を呈しており、常に渦巻状の動きをしている。

それがアストラル・ボディの中心から辺縁(へんえん) へ出てきて周辺をめぐり、また内部へと戻っていく、という回転運動を繰り返している。この回転運動は前述の生命の中枢から始まる。その中枢も小さな渦巻状をしている。


  こうした霊視能力による観察によって、オーラのエネルギー中枢は物的身体の健康維持に深く関わっている内分泌組織、すなわち松果体、脳下垂体、甲状腺、胸腺、臓、副腎、及び生殖腺の部位に集中している事実が明らかとなったわけです。

これらを東洋の古来の神秘思想では 「チャクラ」 と呼んでいます。私の推測では、これらのチャクラが閉じられる、つまり機能が低下すると、いろいろな症状が出るようです。

 前出のロシアの研究家キルリアン氏は木の葉の実験で、健康な葉はキラキラと輝く整然としたオーラを構成しており、その一部を切り取っても全体としてのオーラの場は破壊されていないことを実証しています。

 この実験結果一つを見ても、オーラと呼ばれている霊的な鋳型(マトリックス)は物質の死に至るまで損なわれることがないことを認めねばならないでしょう。キルリアン氏は 「枯死していく葉からオーラが離れる瞬間に最終のきらめきを観察した」 と述べています。

 これと同じ現象はバーンハード・ルース博士による次の叙述によっても実証されています───「タネから発芽した苗木の死は、光子(フォトン) 放出の突然の増加によって知れる。ここに生き物の死には必ず光子放出の増加が伴うものなのかという疑問が生じる」

 〝光子放出〟という用語は、科学がこれを物質だけの現象と見ていること、そして研究が物質的なものに限られている事実を物語っています。常識的に考えて、もしそうだとすれば、生命のある物体の死滅に際して光子の放出は、増えるよりもむしろ減るはずなのですが・・・・・・。

 続けてルース博士は 「光の放出をコントロールしている過程が細胞内部の反応の速度に影響している」 と述べていますが、ヘルムート・フィッシャー博士はこのことに関して次のようなコメントを加えています─── 「しかし光子、すなわち〝物質的につながった量子〟が、

例えば遺伝学が指摘する調節機能として、細胞生物学的過程の制御役を果たしているということは考えられるし、あり得ることである」

 その過程に関連してF・Aポップ博士は 「このようにDNAは〝光子貯蔵庫〟の役を果たしている」 と、新しい造語を導入して述べているが、これは北京の中国科学アカデミーの研究によっても確認されています。

 ポップ博士はさらに続けて 「光子はさらに免疫活動、修復活動、さらにDNAの複製やRNAへの転写といった遺伝子コントロールの分子的基盤を提供する能力を十分にそなえている」 とのべています。

 ここでもまた科学者は、物質一辺倒の思考のためにプロセスを逆に捉えています。光子と身体機能との関係に限って言えばその通りなのですが、今までのところ彼らは、光子は貯蔵と供給を受け持つだけで、その次元で生物と無生物との区別なくDNAをコントロールしていて、その逆ではないことを認めようとしません。

 実は私はポップ博士へ宛てて、そうした次元での光子の働きの背後にオーラという霊的な電磁場が存在することを示唆する資料を送ってみました。博士は次のような丁重な礼状を送ってきました───

 「人体の優美な図柄について解説した資料(キルリアン写真などのことであろう──訳者)、有り難く拝見しました。多分、貴兄のおっしゃる通りかもしれません。科学の研究成果と太古からの伝統的医術との関連について改めてお説を窺って、とても興味深く思いました」

 私は、正直言って博士にはもう一歩踏み込んだ理解を期待していました。というのは、博士の研究成果はホワイトイーグルのオーラの説明ときわめて密接に繋がっているからなのです。しかし、その〝もう一歩が〟欠落しているようです。

 こうした科学的研究がオーラの次元にたどりつくまでに数学的計算を延々と続けている事態を見ていると、シルバーバーチが 「実相は至って単純なのです。ところが地上の人間は単純では気が済まないのです。従来の形式と慣例を後生大事にします。

コピーし、真似することが好きなのです」 という言葉がなるほどと思えてきます。科学は、何が何でも数学的計算に知的エネルギーを費やすという、昔ながらのしきたりを捨てきれないのです。
℘85
 地上生活を活性化するためには、その科学者の知性に霊的感性を加味する以外に道はありません。古代の哲学者は、今日のような科学的知識がなかったにもかかわらず、宇宙の本質について今日の科学者よりもはるかに深い認識を直感していました。

 オーラという生命エネルギーの磁場に関しても、アルダー女史の言う 「星のように輝くものを散りばめた、光輝あふれるクモの巣状のもの」 と表現しても 「キラキラ輝く光の整列」 と表現しても 「光子」 と表現しても同じものを指しており、要するにDNAがその個体の形態の保持と補修管理をコントロールする上で必要な情報を供給する源なのです。

 シルバーバーチもホワイトイーグルもオーラは物的身体の放射体であると表現していますが、それを最も分かりやすく説明するには、生命の発生、取り分け人間の誕生の経過を見るのがいちばんでしょう。

 ご存知の通り、人間の精子は精液によって運ばれます。その精子はホログラムの原理によって男性のオーラのレプリカ (ミニチュアのオーラ) に包まれており、同じく卵子は女性のオーラのレプリカに包まれています。

その卵子の粘膜を破って精子が進入し卵子の核と融合すると、細胞分裂が始まります。
℘86
 その卵子の核と精子の融合の瞬間に男性と女性の霊的鋳型(設計図) も融合します。その融合した鋳型が、やがて赤子となる新しい胎児の生育にかかわります。その中には父親と母親の双方の属性がすべてそなわっています。

 その融合、つまり物質と霊 (電磁的エネルギーを通して働いている知性) の合体は瞬時に行われるので、肉眼では確認できません。しかし、「物質は霊の作用があって初めて存在するのです」

というシルバーバーチの言葉をもとに考えると、星のように輝く光子を散りばめた新しい霊的な鋳型が、胎児の染色体と遺伝子をコントロールするための情報を提供していることは容易に想像できます。

 シルバーバーチは物質と霊との関係をこう説明しています───
 
 「物質の生命と霊の生命とを分けて考えてはいけません。(中略) 物的身体は霊的身体があってこそ存在を得ているのですが、同時に霊的身体は物的身体があってこそ顕現することができるのです」

 これを別のところでは、「霊の力は魂の衣服です」 と表現しています。

 妊娠中、つまり生まれ出る前は、ホワイト・イーグルの言う五つの磁場 (十八ページのイラスト《人体を構成する磁場》 参照) のうちの二つしかはたらいていません。自我の本体となるべき霊がまだ宿っておらず、物的身体の構築に全てが集中されているからです。その間はコンピュータ的な作業で十分というわけです。

 霊の物質界への誕生についての叙述は、例によってシルバーバーチが最も簡潔です。すなわち───

 「霊としては、あなたは常に存在していました。霊は生命の一部であり生命は霊の一部だからです。あなたは生命力そのものである大霊の一部であるがゆえに、〝いつから〟という始まりはないのです。しかし個的存在として、あるいは、独立した意識ある個体としては、生命の流れの中のどこかで存在を始めなければなりません」

 「受胎という現象は、男性の細胞と女性の細胞が合体して、一個の生命体が物質を通して自己を表現する媒体を提供することが目的です。そういう〝表現の媒体〟を提供されるまでは、生命力も発現することができないのです」

 「それを地上の両親が提供するのです。両親の細胞が出会って合体した時から、小さい霊の粒子が自然法則に従ってその細胞と融合して物的世界での顕現を開始します」

 「受胎という現象があるという事実そのものが、生命が存在することを意味します。受胎がなければ生命体も存在しません。したがって霊は受胎の瞬間に物質に宿ることになりす。

それがどういう具合に成長していくかは、他のさまざまな事情 〈補注〉 が絡んだ問題なので説明が困難です。いずれにせよ、誕生してくる赤子も、霊としては常に存在していたのです」

 「受胎の時点で生命も霊も存在しています。地上界でいう流産ないしは堕胎があっても、それは生命を破壊したことにはなりません。自我としての顕現の場をあなた方の世界から私たちの世界へ移しただけです」


 〈訳者補注〉
 ここまでの受胎と出産に関する叙述は、全く新しい生命の誕生の基本原理を述べたもので、それまで自我意識を持たなかった存在が物的身体を授かることによって、誕生後、少しずつ意識が芽生えていくパターンは普遍的なものであるが、いわゆる〝再生〟(生まれ変わり) の問題が入ると〝前世〟の問題、その前世での罪業 (カルマ) の解消の問題、男性として生まれるべきか女性として生まれるべきかの選択の問題等々、さまざまな問題が絡んでくる。シルバーバーチはそのことを言っている。

 
 用語の用い方に少し問題がありますが、述べていること自体は私が説明したものと変わりありません。「両親の細胞が出会って合体した時から、小さい霊の粒子が自然法則に従ってその細胞と融合し、物的世界での顕現を開始します」 という説明が基本原則を適確に表現しています。

 遺伝子と染色体が 「小さい霊の粒子」 ───宇宙の千変万化の物的顕現を形成し維持する大自然の摂理としてはたらいている不変の知性───と合体することで物的世界での顕現を開始するということです。そして、この事実に関する限り、動物の種属はもとより、生物の全てに共通しています。

 結局、胎児が人間としての存在を得るのは、霊がオーラの磁場に宿った瞬間からです。霊そのものは常に存在していたのです。その瞬間から個的実在としての存在が始まるのです。

それが流産や堕胎で、肉体をそなえた人間としての存在を失っても、個的実在としての存在は失われておらず、霊的世界で地上と同じように成長を遂げます。

 どうやら母体の中でいったん母親と胎児との間に霊的なつながりができると、それは永遠に切れることはないようです。霊界で成長した子が夢や交霊会で姿を見せることがありますし、何もないまま母親が地上生活を終えて霊界へ行った時には、その子が出迎えてくれるのだそうです。



 ℘92   
 第四章 魂の進化  終わることのない巡礼の旅

 「生命は一つですが、それにはいくつもの等級があります。人間は物質に勝ります。人間は精神と霊で成り立っており、その精神には精神的生活があり、霊には霊的生活があります。さらにこの物的世界を超越した、超物質界に属するバイブレーションもそなえております」

 「人間はその二種類の世界、すなわち今生活しているこの世と、いずれ赴くことになっている、より大きな世界の、双方のバイブレーションを感知することができます。物質でできた身体と霊でできた身体、そしてその両者を結び付けるコードないしはライフライン 〈補注1〉 があります」


 〈訳者補注1〉
 母体と胎児を結ぶ〝へその緒〟と同じように、霊的な栄養を補給するための紐状のものが存在することは日本でも古来から言われており、〝玉の緒〟〝魂の緒〟と綴られている。

へその緒は一本だけであるが、玉の緒はチャクラと呼ばれる主要な生命中枢にあり、特に頭部とみぞおちあたりのものが重要とされている。霊視すると銀色に光って見えるので、西洋では〝シルバーコード〟と呼ぶことが多い。

℘93
 以上はシルバーバーチの霊言からの引用ですが、霊というものが電磁気エネルギーを通してはたらく知性であること、そしてオーラのバイブレーション (磁場) には情報の記憶と検索の機能が備わっていることに得心がいけば、我々の身体を包み込み扶養してくれている生命力の中身が大よそどんなものかが理解できたことになります。

 結局あなたという人物の性格は、そのオーラが機能している場がどのレベルであるかによって決まるわけです。

そのバイブレーションのレベルは、物的身体の五感を窓口として獲得する情報を糧として、あなたという個的存在の精神の内部で醸し出された思念によって、全てではなくても、大半が決ります。

 これをラジオの周波数に譬えて説明すれば、誰しも経験があるように、ある周波数の放送を聞いている時に別の周波数の放送が入ることがあります。

ラジオの場合は相互の関連がないので〝混信〟となりますが、人間のオーラの場合は五つの磁場の相互作用によって、必要な情報が別の次元から入ってくるのです。ホワイトイーグルはバイタル・ボディを例にあげてこう説明しています。

 「この特殊なオーラは、エセリック・ボディと呼ぶ人もいますが、神経組織と密接につながっていて、神経的な負荷が重なると、時と共に物的身体に‷病気〟という形で現れます。間違った思考、間違った食生活、間違った暮らしが生み出す低俗な精神の害毒がこびりつくからです」
℘94  
 別のところでは違った角度から次のように説明しています───

  「物的身体とぴったり合体するように、〝元素体〟(エレメンタル) とでも呼ぶべき媒体があります〈補注2〉。これは本来は邪悪な性質のものではありません。人間のみならず下等な生命体の進化に不可欠の役目を果たしています。

人間はなぜ〝善〟よりも〝悪〟を志向しやすいのかという疑問を抱くことがありますが、その回答はこの〝欲望の媒体〟と呼んでもよいエレメンタルにあります」

 「人類も進化の過程の中で少しずつ高等な自我(現段階ではごく一部しか顕現していませんが)そのエレメンタルな要素を克服していかねばなりません。しかし現実には人類を地上につなぎ止める一種の接着剤として、人類の進化に貢献しているわけです」

「皆さんもこの身体の誘惑を感じているはずですが、それは決して悪の要素とみなすべきではありません。それがあるからこそ霊的なもの、ないしは神を指向する意識の開発を促すことになるからです。地上に降誕するそもそもの目的はそこにあります」 

 〈訳者補注2〉
 原文では the body elemental で、取りあえず 「元素体」 と訳しておいたが、普通はエセリック・ボディに含まれているものとして。個別に扱われることはない。それで、二重になったものという意味でエセリック・ボディのことを〝ダブル〟the Double と呼ぶのが通例である。「複体」 と訳す人もいる。

 
 当然この磁場はマイナスの性格の方が強いので、精神的には低級なバイブレーションに傾きやすく、霊視能力者の目には黒ずんだ赤色にみえます。これは現段階の人類の残っている肉体的欲求や性欲等、下等動物のレベルの波動によるものです。

これから降誕ないし再生してくる後輩にそのチャンスを提供するためには不可欠のもので、決して邪悪な性質のものではありませんが、誕生してきた者はこの地上での生活でそれを適度に発散しながら克服していかねばなりません。

 我々は例外なく自由意思が許されています。ですから、この問題に限って言えば、エレメンタルな磁場が精神の磁場を支配するに任せるか、それともその逆になるように心掛けるかは我々自身の自由意思の選択の問題です。

霊的進化の道は精神のバイブレーションを高めることに掛かっています。逆に言えば、エレメンタルなバイブレーションの進入をどこまで抑えるかです。
℘96
 このようにホワイトイーグルのいうバイタルとエレメンタルが胎児期のオーラを構成しており、ライフライン(玉の緒)を通して、光子の制御機能によって脳にシグナルを伝達します。シグナルを受けた脳はその部位の特性を補完するために、次のような働きをすることが、スチュアート・サザランドの研究で分かっております───

 「基本的な反射作用を受け持ち、爬虫類の脳に類似している後脳(小脳と延髄)はオーラのバイタルの部位と繋がっており、視床下部は下等哺乳動物と同じく性衝動と感情をコントロールしていて、エレメンタルと同じである」と。

 ホワイトイーグルは続いてアストラル・ボディ(幽体)をこう説明する。

「アストラル・ボディは一般の霊視能力者が見てアレコレと診断しているもので、これにも幾つかの色彩があります。エレメンタルの色彩が強いとその色彩もキメが粗くなり、美しいという印象よりは粗野な感じがします」

 「宿っている魂が霊的生命の実在と地上降誕の目的を認識している場合は、オーラの輝きは細やかになり、色彩も一段と美しくなります。ごく普通の人間のオーラは輝きのないもの、陰気なもの、ぼんやりとして鮮明さに欠けるものから、美しくて見事な卵形をしたもの、くっきりとして調和のとれた色彩のものまで、いろいろとあります」

 ホワイトイーグルはこのアストラルの磁場の機能については、具体的なことをほとんど述べていません。そこで私はS・マルドゥーン女史の〝幽体離脱現象〟〈補注2〉 を紹介して、理解に供したいと想います。


 〈訳者補注2〉
 自分の幽体を意識的に体外に出して、それに宿って客観的な観察をする現象を 「幽体離脱現象」 または 「対外遊離現象」 と呼ぶ。実際には人間の全てが睡眠中に体外に出ているのであるが、普通の人間は脳を経ないものは意識できないので、その間のことは朝目覚めた時に記憶が無い。

それを意識を失うことなく思い出させるのが霊能者で、その第一人者がマルドゥーン女史である。ここで引用されているのは心霊研究のH・キャリントンとの共著 The Projection of Astral Body からの一部である。



 マルドゥーン女史はここではシルバーコードのはたらきに集中して観察しています。

「コードはその時どきで集中している網状組織が異なる。観察に都合が良いのは延髄である。自律神経だけで動いている肉体の呼吸機能をつかさどる機関を直接コントロールしているからである。そのコードの組織は、私に見える限りでは、幽体そのものと同じ成分で出来ている」

 「合体している位置から少し動いてズレが出来ると、コードの直径が (古い) 一ドル銀貨ほどであることが分る。それが最大であるが、それを包んでいるオーラの直径は、見た目には六インチほどあるように思える。白っぽいグレーに輝いていて、伸びるとクモの糸を一本に束ねたようにも見える」

 「合体している時と活動している時とでコードはいつも二重の働きをしている。少なくとも見た目にはそう見える。すなわち、一つは規則正しい脈拍。もう一つは心臓の拡張と収縮。

心臓の鼓動の一つひとつが幽体に響き、一つひとつの脈拍がコードで伝わり、一つひとつの幽体の鼓動が肉体の心臓に響く。この三者が同時に起きている」

 「幽体の頭部に触っても心臓の動悸は感じ取ることはできないが、肉体の動悸が自分の手で感じ取ることができるように、幽体の手でコードに触って感じ取ることはできる」

 「幽体の呼吸の一つひとつがコードに響き、同じ呼吸がトランス状態の肉体に連動する。意識を失わずに体外へ遊離した時は、肉体に宿っている時と同じように呼吸を自在に止めることができる。止めると同時に、先ほど述べた拡張と収縮も止まる。が、呼吸が止まっている間も、規則い正しい脈拍は続いている」

 「幽体で深呼吸すると肉体も深呼吸する。短いと肉体の深呼吸も短く、息せき切った呼吸をすると肉体も息せき切った呼吸になる、といった調子である」

 「以上が幽体の〝生命配線〟の目的、つまり〝生命の呼吸〟を肉体に送り届けることである。本当の〝あなた〟は幽体に宿る存在であり、呼吸している生命は宇宙エネルギーなのである」

 こうした観察をしている本人 (マルドゥーン女史) は意識を失わず幽体に宿っており、その間、肉体の機能はすべて維持されています。これで、「本当のあなたは幽体に宿る存在」 であり、肉体は幽体からの入力によって機能していることがお分かりいただけるでしょう。そしてさらに、ホワイトイーグルの次の言葉に得心がいくことでしょう。

 「あなた方は地上生活中に自分のオーラを築いているのです、さまざまな欲望の充足を通して幽体を養い、幽体を通して霊体と本体を養っているのです。本体も地上生活における行為とその反作用、心に抱く思念と願望によって構築されていくのです」

 物的環境における五感の作用の影響によって霊的に向上すると、思考のレベルも向上します。

かくして 「類は類をもって集まる」 ように、意識が高まるにつれて本体の磁場の波動に触れるようになります。霊能者の背後霊団に〝入れ替え〟があるということが言われていますが、それは多分このことでしょう。

 それをシルバーバーチは別の角度から次のように述べています。

 「あなた方が生き、動き、呼吸し、考え、反省し、決断し、判断し、思いを巡らし熟慮するのも、霊の力のお蔭です。見聞きし、動き、歩き、思考し、おしゃべりするのも霊力のお陰です。

あなたの為すことの全て、あなたの存在を形成するものすべてが霊力のお蔭なのです。なぜなら、物質界の全て、あなたの物的身体も、存在と目的と方向性と生命を付与する霊的エネルギーの流入があるからこそなのです」

 「皆さんには肉体の鋳型としてのエーテル質の身体 (ダブル) があります。が、これには筋肉とか胃液とか聴覚とかはそなわっておりません。これは霊が肉体として顕現し、有効に機能するための中継的存在であり、死とともに霊が次の階層の生活にそなえるための基本的な役目を終えます」

 「それは程なくして脱け殻のように剥がれ落ち、変わって別の身体が用意されます。霊的純化の過程を重ねるためには幾つもの身体が必要なのです。皆さんにはそのための身体が幾種類もそなわっています」

 「人生の目的は進化であり、成長であり、成就です。進化するにつれて自動的に古い身体を捨てて、次の段階に必要な新しい身体をまといます」

 「現段階においても、皆さんには幾つのも身体がそなわっていて、それぞれの次元で顕現しているのです。肉体を捨てると今度は幽体をまといますが、それは地上生活中もずっとそなわっていて、その次元のバイブレーションで機能していたのです。

肉体が今のあなた方には実感があるように、その次元においては幽体に実感があるのです」

 「あなた方には複数の身体がそなわっています。それを幽体とか霊体とか本体とか呼んでいます。到達した次元にふさわしい身体で自我を表現します。

次の次元の階層へ行けばそれまでの身体は毛虫が脱皮するように脱ぎ捨てます。到達して発段階にふさわしい形態で自我を表現するわけです。そうした形での発展が無限に続くのです」

 「見方によっては、地上界も幽界の一部であると言えないこともありません。全ての階層が、個別に仕切られているのではなく、互いに浸透し合っているからです。全宇宙の生命の全階層が互いに混じり合い浸透し合っており、それに霊的側面、幽的側面、物的側面があるということです。

今こうして地上で生活している皆さんも、同時に霊的世界ともつながっていることになります」
℘102   
 「全生命は一つで、それに無限の進化の段階があるということです。あなたはいずれ霊界の住民となりますが、今この時点でも立派に霊界の住民なのです。要はバイブレーションの問題です。

あなたはいずれ霊的存在となりますが、今この時点でも立派に霊的存在なのです。死んでから霊的存在となるのではありません。死はあなたの霊格を一ミリたりとも伸ばしてくれません」

 「あなたは霊なのです。これまでもずっと霊でしたし、これからも霊であり続けます。今の自我意識は物的身体を通して顕現した部分だけの意識です。あなた方のおっしゃる〝死〟のあとにさらに進化していくにつれて、それまで未開発の部分が顕現されていきます。

しかし、霊そのものはどこかへ行ってしまうわけではありません。どこかからやってきたわけでもありません。ずっと存在していましたし、今も存在していますし、これからもずっと存在し続けます」

 「もし皆さんが、自分が肉体を携えた霊的存在であること、地上界が全てではないこと、物的なものは束の間の存在であることを自覚してくだされば。もしも皆さんが、本当の自分、不滅の自分、神性を帯びた自分が死後も生き延びて無限の進化を続けることを自覚してくだされば」
℘103 
 「そうすれば、賢明なるあなたは自然の成り行きで、本来の生活の場である死後の世界にそなえた生活を送ることになることでしょう。あなたのなさる行為のすべてが、到達した霊的覚醒のレベルに似合ったものとなることでしょう」

 ダブルも含めた幽体についての以上の説明をまとめると、我々人間は肉体と一体となってはたらく目に見えない身体を通して、物質界の波動の中での行為とその反動によって築かれる意識レベルで、自我を表現していることになります。

 その幽体の磁場を支配しているオーラは、他の幾つかの磁場から出るオーラと渾然一体となっていて、五感を通して吸収した知識のすべてが蓄積され、必要に応じて検索することが可能であるといいます。「したがって・・・・・」 と、シルバーバーチは続けてこう語っています───

 「オーラを霊視しその意味を解釈できる人には、その人物の秘密のすべてが丸見えということになります。魂が今どの程度の段階にあるか、精神がどの程度まで発達しているかが分ります。要するに霊性進化の程度をオーラが物語っているのです。言わば、書物を読むようなものです」

 「あなたが口にしたこと、あなたが心に抱いたこと、あなたが行ったことのすべてがオーラに刻まれています。外面をいくら繕っても、あなたの内部の本性をそのまま表しておりますから、オーラはいわば永遠の鑑定書のようなものです」

 となると当然キリスト教で言う 「白い立派な椅子に腰かけた人」 がいて審判を下す、というようなことはないことになります。

この地上生活中に、我々各自のオーラに刻まれた人生体験を通じて、自分が自分の審判者ともなり陪審員ともなるのです。霊的進化の次の階梯がどのようなものになるかは、そのオーラのバイブレーションによって決まることになります。

 例えば、どす黒いオーラを持った人、汚れた赤色のオーラをした人、グレーないしは茶色のオーラをした人は、死後、それぞれが暗示するレベルの階層、暗くて陰気な世界へ赴くことになります。ブルーやパープル (深紅色) をした人は我欲を滅却した、霊性の高い魂が集まる階層へ赴きます。類は類を持って集まるわけです。

 ホワイトイーグルはこの幽体の他にさらに霊体と本体の存在を指摘して、次のように述べています───

 「この幽体の向こうに、もう一つ、同じような卵形をしていながら、さらに霊妙な成分で構成されたオーラが見えます。これが霊体のオーラです。これも思念の変化に応じて次々と色彩を変化させています。

そして、この霊体のさらに向こうに、それと浸透し合うように、さらに一段と霊妙なバイブレーションをした神体ないし本体のオーラが見えます。形体も美しく、殆ど形容できないほど神々しい色彩をしています。譬えるものが地上に見当たらないからです」

 ホワイトイーグルが言っていますーー

 「人間の自我がこの本体に宿るのは、肉体が地上生活を終え、幽体による幽界生活───サマーランド 〈補注3〉 も含む───を終え、さらに霊体による霊界生活を終えてからです。それぞれの階層はそれぞれのオーラに宿って初めて体験できるのです」


 〈訳者補注3〉
 Summerland は幽界の一部で、何もかも叶えられる、いわゆる 「極楽」 に相当。実際は地上時代の辛い体験のトラウマを癒すことを主な目的とした、一時休憩所のような境涯。 「常夏の国」 と訳されることが多いが、ひとくちに「夏」 といっても国によってさまざまなので、言語読みの方がよいであろう。


 精神がいちばん反映する霊体のオーラは、宿っている霊的自我の霊格をもっと正確に物語っているとみてよいでしょう。というのは、その自我のバイブレーションを高めるのも下げるのも、他のオーラとの相互作用の結果として精神の中で構成される思念や意思だからです。


 霊体およびエレメンタル (ダブル) の磁場ではたらく生命エネルギーはその磁場だけに限られていますが、精神には自由意思がそなわっているために、神体のレベルのバイブレーションからエレメンタルのバイブレーションまで、そのはたらきが広範囲にわたっているからです。

 これでお分かりになるように、精神が冷静さと自信を持つようになるまでは、幽体とエレメンタルの磁場はちょっとした出来心にも動揺をきたすことになります。これは実は地上界の我々人間に限られたことではないようです。

 私はいわゆる霊媒現象、つまり霊的能力を持つ人間の手 (自動書記) や口 (霊言) を使って先輩のスピリットが伝えてくれるところを分析してみると、死後の世界も地上世界と少しも変わりはなく、身体が肉体から幽体や霊体に変わるだけで、精神的生活は全く同じであることが分ってきました。

シルバーバーチの言う 「ボディ (身体)・マインド (精神)・スピリット(霊)の、三位一体の存在」 であることに変わりないということです。
℘107
 ということは、死んでも人間的個性は少しも変わることはなく、勉強と修養と努力、そして試行錯誤の繰り返しの中で、大宇宙の創造者、シルバーバーチのいう 「大霊」 Great Spirit に少しずつ近づいていくということの連続のようです。

地上の人間の 「脳」 は精神の指揮・命令を受けたり出したりする、いわばロボットの伝達中枢機関にすぎないのです。

 具体的に言うと、五感の反応が脳を通して光子(フォトン)の性質をした信号が伝達され、それを受けた精神の反応が脳を通して五感に伝達され、それが行為となって実行に移されるという具合に、精神はオペレーターの役をしているわけです。

 その情報の連絡手段として使用されるのがシルバーコードで、その情報が脳に伝達されて、それが全身の機能に自動的に反応するのです。

「いったんシルバーコードが切断され、肉体と霊(自我)との連絡が途絶えると、それきり肉体の活動はなくなります」 と言うシルバーバーチの言葉に納得がいきます。

 旧約聖書の 『伝道の書』 の第十二章に次のような一節があります───
 《その後、銀の紐 (シルバーコード) は切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。チリはもとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。伝道者は言う、 「空は空、一切は空である」 と 》 (日本聖書協会一九五五年改訳版)
℘108   
 これは一例に過ぎませんが、昔の思想家は今日の思想家よりもはるかに奥深いことに通じていたようです。第二章の最後で紹介した H・S、バー教授は〝生命の磁場〟の研究の中で精神の問題に言及して、こう述べています───

 「ところで我々は、チャールズ・シェリントン卿が数十年前に指摘した事実、つまり人間の精神は時間の中にも存在しないし、空間の中にも存在しないし、知られている限りいかなるエネルギーの転換もない、ということを思い出すべきである。

ところが精神組織は間違いなく時間の中に存在するし、空間を占めているし、エネルギーの転換が必要である」

「確かにこれは謎めいている、人間の精神という非物質的なものが有機的な神経組織を支配しているというのはいったいどういうことか? 道徳上の規範もこれに類する問題である」

 「道徳律も精神的規律も時間の中に存在していないし、空間を占めていないし、知られている限りではエネルギーの転換もない。にもかかわらず、いわゆる精神世界の方が人間の行動を支配していることを示す証拠は、大ざっぱではあるが、我々はすでに手にしている。精神と肉体という全く異質のものが一体どうしてつながるのか、誰にも分らない」

 バー教授は精神の本質については理解していましたが、彼は〝生命の磁場〟をあくまで単数(一つ) として考察し、複数(いくつも)存在することを知らなかったために、そこから先の理解がいかなかったわけです。

 その複数の磁場の全てがオーラの中に存在することを、ハーバード・L・カーニング教授とW・クロイ博士が学問的に確認してくれたおかげで、我々はホワイトイーグルの霊言を信じて、そうした磁場の働きが明快に理解できる訳です。

 ホワイトイーグルは、自分の霊的進化の責任は自分で負う事を強調して、次のように述べています───

 「地上生活中のあなた方は、心に抱く願望によって、幽体と霊体と本体の発達を促しているのです。最高の波動をもつ本体も、今の地上生活における行為とその反動 (善悪両面の報い)、 思念と願望によって形づくられているのです」

 オーラの波動によって最高の磁場である本体までもが直接的に影響を受けていると同時に、日常生活の中で獲得した知識を活用し、理知的判断によって低級な波動をもつダブルや幽体の内部でのバイブレーションを上げることも可能となります。

それは、逆に言えば、精神に抱く思念が低俗になればバイブレーションが低くなり、それがあなたの生活を支配することになるわけです。

 そうした意識レベルはすぐに幽体に反映し、‷類は類を呼ぶ〟の法則にしたがってそれが増幅され、霊体、本体へと影響が及びます。そうした自然法則の働きで霊格が定まり、そのレベルで死後の生活が始まるわけです。

 霊的磁場でも最高のバイブレーションをしている本体は積極的な思念の源で、個人だけでなく人類全体の幸せを思います。日ごろの生活の中での心の持ちように常に注意を払うことは、本体の磁場のレベルへ近づこうとしていることになります。

 この本体のはたらきは、普通は〝良心〟として意識されています。が、生まれ落ちた民族の伝統的な信仰に影響されて、それが〝ゴット〟〝アラー〟〝父〟〝主イエス〟〝守護天使〟〝指導霊〟などと結び付いていきます。

もしもそれを〝宇宙の大霊〟であると信じているとすれば、それが霊媒という一個の人間を通じて語りかけてきたと思い込むのは、あまりに尊大な考えであるということになります。

 これをシルバーバーチ流に解説すれば、霊的に進化するにつれてオーラの磁場の身体が一つひとつ振り落とされていきますが、いちばん中心部にある叡知の磁場である本体とのつながりだけは途切れることはありません。

言い換えれば、今どの次元の階層にいても、精神の意識レベルを下げることによって、永遠の魂の旅路において必要な叡智と知識を授かることができるということです。
℘111
 ではどうやって授かるのか? それをシルバーバーチは次のように説きます───

 「それはインスピレーションによって授けられるのですが、意識的にしろ無意識的にせよ、私たちの世界 (霊界) の誰かとの繋がりができて、その間だけその霊からパワーやインスピレーションやメッセージを授かるのです。意識的なこともあれば無意識的なこともあります。それはその時の環境条件によります」

 「が、皆さんと私たちの間では常に何らかの思念を授かったり授けたりしています。私たちと同じ波長の次元にいる人間、つまり霊性が似通っている人間は、私たちが送る思念を受け取りますし、彼らもまた私たちに通じる意念を送ってきます。その波長は霊性の進化の程度によって決ります」

 「結局皆さんは受信局であると同時に送信局でもあるわけです。思想や概念を自分一人でこしらえることは滅多にありません。ラジオにもテレビにもチャンネルないしバイブレーション───周波数というのが適当でしょう───というのがあり、それに合わせると聞こえたり見えたりするのと同じです」

 「皆さんにも皆さん独自の波長があり、それと同じ波長をした霊たちからの思想や概念、提案、インスピレーション、指導、その他もろもろのアイディアを受けています。それが皆さんの個性によって色付けされて放出され、また誰か別な人が受け止めたりしています」

 サイコメトリ、ダウジング、テレキネスシ 〈補注4〉 といった物理的な心霊現象でもやはり霊能者の精神の磁場と物体の磁場の波長が一致しているからこそ発生するのです。

物体にも磁場が存在するのは、シルバーバーチが言うように 「物資は霊の働きかけがあって初めて存在を得ている」 からです。

 かくして、存在するものすべてが振動し、放射し、活動しています。その磁場のバイブレーションは動物界、植物界、鉱物界それぞれの振動をしており、人間のオーラと同じように情報を記憶し伝達できるのです。シルバーバーチは言っています───

 「それぞれのバイブレーションに合わせる能力はその霊能者の霊的感性の問題です。あなた方は今、物質のバイブレーションに制約されています。物質しか反応できないのです。

霊視能力を持った人は物的な光線を超越したバイブレーションに感応できる人です。霊聴能力を持った人は物的な音域を超えた霊妙なバイブレーションを聞くことができる人です。要はその霊能者という道具の感度の問題です」

 人間はオーラの磁場を通して固有の性格を発達させると同時に、死後も続く永遠の魂の旅にそなえているのです。それが天国となるか、それとも地獄となるか、その選択は各自の自由意思にゆだねられています。刻一時が選択の時なのです。


 〈訳者補注4〉
 Psychometry. Dowsing. Telekinesis サイコメトリは物体のオーラに刻まれている、その物体にまつわる事情を読み取る能力。ダウジングは地中や海中の水脈や鉱物など、もろもろの潜在物を探り出す能力。テレキシスは念力で物体を動かす能力。能力そのものは精神的なものであるが、働きかける対象が物的なもので、物理現象の中に入れられている。 

           
                 


    
  第五章 死ぬことの意味  愛する人たちの待つ世界へ

 人間の地上での存在期間(寿命)に関して述べた次のシルバーバーチの言葉は、単に人類に限らず、大自然の生命の継続性をうまく表現したものとして、注目に値するでしょう。

 「四季の巡りの見事さに思いを馳せてください。寸分の狂いもなく続く永遠の循環、すなわち、全ての生命が眠る冬、生命が眠りから目を覚ます春、生命がその秘められた美しさを全開する夏、そして、大自然が声をひそめて冬の眠りにそなえる秋」

 「これと同じ循環(サイクル) が一人ひとりの生命にも繰り返されているのです。大自然の壮観が一つひとつの魂にも繰り広げられるのです。まず、個的意識が芽生える春、内在する才覚が全開する夏、生命力が衰えを見せ始める秋、そして疲れた魂に安らぎの眠りが訪れる冬」

 「しかし、物的人生の冬(死)のあとに、別の次元での目覚めの春が訪れ、生命の永遠のサイクルが続けられます。このメッセージを大自然から学んでください。

そしてこれまで一度たりとも作用することをやめたことのない摂理は、あなたの生命に、そして全ての生命に、これからも働き続ける事を確信してください」

 生命の冬が訪れると、絶対に避けられないもの、すなわち 「死」 に直面します。

「物的身体があり、霊的身体があり、その二つを結びつけている生命の紐、いわゆるシルバーコードがあります。

病気、虚弱、老齢が物的身体に忍び寄るにつれて、そのコードの調節がゆるんでいきます。それは見方によれば物的世界からの分離が進行しているということでもあります。忍び寄るその三つの原因にも物質的なもの・精神的なもの・霊的なものがあります」

 これは霊が本来の所属界へ帰ろうとしているのです。それをシルバーバーチは 「肉体の死は肉体の誕生と同じです。前者は霊の退場であり、後者は霊の入場です」 と表現しています。どちらの場合も〝コードの分離〟がそれを象徴しています。前者は〝天界〟へ再誕生することであり、

「もう一度生まれないと天界へは入れない」 という表現は、文字通りに受け取ることができるようです。 

 霊が肉体から離れたあとも爪や髪の毛が伸びたりするのは、ダブルの磁場は医学的な意味での死の後もしばらくは残っていることを暗示しているようです。ホワイトイーグルは具体的にこう述べています───

 「これは肉体の死とともに分離していきますが、その一部だけは本体のオーラに吸収されていきます。そのわけは、地上界との接触によってダブルが特殊な体験を吸収しており、それがその後の生活のために保存されるのです。その後の生活といっても霊界や神界のこととは限りません。地上界への再生の場合にも使用されます」

 これがシルバーバーチのいう脱皮現象の最初です。

 「それは物的身体を脱ぎ捨て霊的身体が出現する現象です。痛みはまったくありません。死に際に不具合とか病気があれば何らかの反応はあるでしょう」

 「コードの切断がうまくいかない時は地上の医師に相当する者が立ち会って、そのコードがうまく切断して物的身体から霊的身体がスムーズに分離するように介護します」

 「次に問題となるのは〝覚醒〟です。これは各自が到達した意識レベルによって違ってきます。死後の存続について全く知識がない場合、あるいは死後の覚醒について間違った概念を植え付けられている場合は 〈補注1〉 睡眠にも似た無自覚の状態が続きます」


 〈訳者補注1〉
 死後の状態については宗教によってさまざまに説かれているが、ここではキリスト教でいう死後の睡眠の信仰、つまり死者の霊は墓で眠っていて、地球最後の日に天使ガブリエルが吹くラッパによって一斉に目覚め、天国へ行く者と地獄へ行く者とに選り分けられるという説を念頭に置いて述べている。

 それを信じ切っていた者の霊は、起こされても 「ラッパは鳴ったのか?」 と聞き返し、 「まだだ」 と聞かされると、また眠りこむという、信じられない話であるが、シルバーバーチも同じことを各所で述べている。

 ついでに言うと、キリスト教国で火葬を嫌うのは、目覚めた時にまとう肉体がなくなるという信仰からで、また交霊会を嫌うのも、せっかく眠っている霊を起こしてしゃべらせるのは罪であるという考え方からである。



 「その状態は自然に覚醒の時期が熟するまで続きます。あなた方の時間的感覚で長い場合もあれば短い場合もあります。一人ひとり違います。霊的知識のそなわった者にはそういう問題は生じません。物質の世界から出て霊の世界へ入るというだけで、適応が極めてスムーズです。

目覚めると、そこには愛する人たちが出迎えてくれているのを知って、歓喜の情がわいてきます」

 「地上では、愛する人が見えない世界へ行ってしまって涙に暮れ、こちらでは物質の束縛から解放された霊が戻ってきて、地上の言葉では言い表せない喜びを味わい始めます」

 「自由になった人のことを悲しむのはおやめなさい。毛虫が美しいチョウになって羽ばたいて行ったことを悼むことはありません。鳥かごから飛んで出ていった小鳥のことを嘆いてはいけません。

喜んであげなさい。そして、束縛から解放された魂は自由を満喫し、そしていつの日かあなた方も、大霊から授かった資質のおかげで、今その魂が味わっているのと同じ美しさと喜びを手にする日が来ることを知ってください」

 「これで死というものが持つ意義が理解することができたことと思います。死とは踏み石の一つ、より大きな境涯へ赴くために通過するドアに過ぎないのです」
 
 「もしも遺族の方々の活眼が開かれ、霊耳で見ることができ、霊的世界のより精妙なバイブレーションを捉えることができれば、その霊は今やすっかり蘇り、物的牢獄の束縛から解放されて、自由と喜びを満喫している姿が見えるのですが」

 この〝死〟の現象については、今までのところ純粋な科学的研究はなされていませんが、医学にたずさわる人の中には俗に 「臨死体験」 (近似死体験とも) と呼ばれている不思議な体験をした何百人にも及ぶ患者について、詳細な聞きとり調査を行っている人がいます。

 臨床的には完全に〝死んだ〟はずの人間が甦って、その間の観察と体験を詳細に物語ったものをまとめたものが報告されています。これは対外遊離現象の一種で、誰しもが行っていると言われる睡眠中の幽界旅行と同じですが、その体験の種類は実に多岐にわたっています。

 それらに共通した要素と体験の順序、それから幽体が肉体を抜け出てからどのように機能するかをまとめると、およそ次のようになります。

 呼吸が止まる、すると担当医が 「死亡の宣告」 をする声が聞こえる。すると急にガンガン、ブンブンといったやかましい音とともに、暗くて長いトンネルのようなところを猛烈なスピードで通り抜けるような感じがして、気がつくと自分の体の外にいる。そう遠くはなく、医療スタッフが自分の体に蘇生術を施しているのが見える。

 最初のうちは興奮状態だったが、次第に環境に慣れてくると、自分も〝身体〟の中にいることに気づく、必死で蘇生術を施されている身体とはだいぶ質が違うようである。

ある体験者は 「相変わらず身体の中にいるのですが、肉体ではありません。エネルギーの鋳型とでも呼べばよいのでしょうか。それでいて器官が全部揃っているのです」 と述べている。

 やがて、死んだはずの親戚や友人などが迎えにきて挨拶をする。それとは別に一個の光が近づいてくる。最初はぼんやりしていたが、次第に光輝を増し、地上で見たこともないほどの強烈の光となったが、不思議に目がくらまない。

 その光に抑えがたい愛着を覚える。〝生〟と〝死〟のはざまで宙ぶらりんの状態にある自分に愛と温もりを放射してくれる。宗教的心情とは無関係にこれを〝神の使者〟ないしは〝守護霊〟と言うのかと思う。

 その間も医療スタッフは蘇生に余念がなく、緊張した声が飛び交っているが、その〝光の存在〟と自分との間の思念のやり取りは、そうした声には全く邪魔されることがない。言葉はどうやら自分の母国語ではないらしいが、まったく障害にならない。

 その〝光の存在〟からの言語を超越したメッセージには、咎めたり怖がらせたりするものは一切ない。最初の話題は死ぬ覚悟はできているかとか、このたびの地上人生で成し遂げたものがあるか、といったことだったが、それに対する自分の返事を聞いても愛と寛容と理解と慈愛に満ちた念を送って来るだけだった。

宙ぶらりんの状態にある自分を霊的向上の波動に乗せようとしてくれているようだった。

 その体験をある人はこう綴っている───

 「その光が語りかけてくれた瞬間から私は何ともいえない楽しい気持になった。いかがにも守られている、愛されている、といった感じだった。その愛の素晴らしさは人間の想像を超えているし説明もできない。

一緒にいるのが楽しくてしょうがない存在───ユーモアのセンスさえ見せるほどだった」と。

 〝光の存在〟 にとって、その人間の全人生は開かれた書物のように丸見えなのであるが、本人に反省を促すべきところを瞬時にプレーバックして見せる、本人も瞬時にそこから教訓を学び取る。それを煎じ詰めると、「他人を思いやり、知識を身につけよ」 ということになりそうである。

 そうしているうちに〝光の存在〟が物資界に戻って寿命を全うするようにと告げるか、目の前を遮蔽物や水やドアなどがさえぎって、地上界と霊界とを遮断してしまうという現象が展開する。

その向こうには迎えに出てくれた親族や友人がいて、まだ自分たちの仲間入りをする時期ではないこと、地上界に戻って寿命を全うしなけらばならないことを優しく諭してくれる。

 大抵の者がその間の体験があまりに快適で実感がこもっているので、地上界に戻るのを嫌がるものであるが、最後はやはり地上で為すべき仕事や義務が残っていることに得心がいく。

 そう得心したのは覚えていても、それからどうやって肉体に戻ったかは分からない、と言うのが通例である。中にはベットの脇にいた 「姉とその夫の声が聞こえて、磁石で引き寄せられるように呼び戻された」 とか、「吸い込まれるようにして戻った。頭から吸い込まれ、肉体の頭部の中に入った」 と述べている者がいる。

 以上がいわゆる近似死体験の概略ですが、この最後のコメントはマルドゥーン女史の 「幽体は延髄のあたりで肉体とつながっている」 という表現と一致します。

その他、蘇生術を施している医療スタッフの様子、そのスタッフや身内の証言、さまざまな角度からの肉体の観察を総合してみると、肉体の機能のすべてが幽体にそなわっていること、また死後の世界では以心伝心(テレパシー) で対話をするという、シルバーバーチその他の霊言を裏付けています。

 〝光の存在〟は宗教の違いには関係なく多くの体験者が異口同音に語るところで、シルバーバーチのいう〝光り輝く存在〟〈補注2〉 を思い起こさせます。そして、霊的に向上するためには知識の獲得と他人への思いやりが大切であることを強調していることは、注目すべきでしょう。


 〈訳者補注2〉
 霊的に向上し身体が浄化されていくにつれて次第に形体が流動的になり、ついには光り輝くだけの存在となる。これをシルバーバーチは〝光り輝く存在〟Shining ones と呼んでいる。〝光の存在〟は文字通り Beings of Light である。

℘125
 その守護天使とおぼしき〝光の存在〟が次のような注目すべき言葉を投げかけています。すなわち 「ここまで地上生活はずっと私が面倒みてきたが、これからは別の者たちに引きわたすこととする」 と。

 これは精神の磁場と本体の磁場との関係を暗示していると思われます。つまり 「類が類を呼ぶ」 の譬えで説明したように、精神の磁場の意識レベルが向上すると、それに相応しい存在 (守護霊) が本体の磁場へ自然に引き寄せられるのです。

 また、「エネルギーの鋳型」 という用語や肉体への戻り方を 「磁石で引き寄せられるように」 とか 「吸い込まれるように」 とする表現は、オーラの電磁場の研究結果と一致していますが、これは決して偶然ではなさそうです。というのは、科学者ならいざ知らず、一般の人がそういう表現をするのは常識的には考えられないからです。

 ところで、ギリシャの哲学者プラトンの学説を読んでみると、こうした人類と宇宙の摂理について我々は、発展するところか、単にその原点に戻りつつあるに過ぎないことを思い知らされます。

彼はもちろん論理と理性を用いて推理していきましたが、同時に彼もやはり直感によって悟りに到達していた───真理とは究極的には霊的な体験によって到達するしかないことを知っていて、宇宙の神秘の解明には直感的な洞察力を駆使していたのです。

 プラトンも、今自分が生きているこの物質の世界のほかに幾つもの実在の世界が存在していること、物的世界の本質を理解するためにはそうした高次元の世界と接触するしかないと信じていたようです。プラトンは〝誕生〟と〝死〟を次のように説いています。

 「誕生とは霊ないし魂がそうした次元の高い、そしてより霊性の高い世界から物的身体に宿ることである。そこでは低い次元の意識しか芽生えないが、あくまでも物的体験を積むための道具であり、ほんの一時的な仮の姿に過ぎない。

 死とは魂がその物的身体から去る現象に過ぎない。肉体から脱け出て高次元の世界へ戻る途中で、自分より先に他界した者たちに迎えられ、そして語り合う。その間ずっと指導霊たちに導かれる」

 プラトンは物的身体のことを魂の牢獄と呼び、それから解放された時の自由と喜び、そして宇宙の実在について思考を巡らす時の理性と思考力の芽生えについても語っています。

 イエス・キリストより四百年も前に知られていた、そうした霊的真理がなぜその後に引き継がれなかったのでしょうか。それをシルバーバーチは宗教の責任として、次のように厳しい言葉を投げかけます。

 「教会が人類を分裂させたのです。国家と国家、階級と階級とを分離させ、戦争と敵意、怨恨と流血、拷問と異端審問の原因をこしらえたのです。

他方では科学と知識、発明と発見の行進の行く手を拒んできました。その魂胆は既得権を守ることであり、新しい真理によって圧倒されることを恐れたにすぎません。しかし、真理はいまやしっかりと地上界に根づいております。もはや引き抜かれることはありません」

 私たちは等しく同じ始源から来て同じ始源に帰って行くのですから、同胞の間に差別や分裂があってはならないのです。シルバーバーチはさらにこう述べています───

 「私たちは至って単純な真理を説いているのです。誰にでも理解でき良さが分る真理です。

というのは、大霊の子である皆さんのあるがままの姿、つまり大霊の一部であり、まさに大霊から生まれた子供であり、その無限の霊性によって繋がった永遠の存在であり、各自が霊的大家族の一員であり、大霊の目には一視同仁であるという事実を啓示したいとつとめているからです」

 「霊の目で見る者には、民族・国家・気候・肌の色・宗教的教義の違いを超えて、全人類を一つに繋いでいる霊の絆が見えるのです」

 「こうした単純な真理を地上世界に広めることが今こそ求められています。というのは、地上人類はこれまで余りにも長い間、宗教や大霊とは何の関わりもない教義やドグマ (独断的教説) や儀式やしきたりのことで、無益な争いを繰り返してきたからです」
 

 我々が 「霊的大家族の一員であり、大霊の目には一視同仁」 であるという一節は 『一コリント』(12・13) の 《なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって一つの体となるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである》 (日本聖書協会・一九五四年度版) を思い起こさせます。全体としては正しくとも〝バプテスマ〟(洗礼) という意味不明の儀式が、その後、さまざまな誤解を生んでいきました。

 誤解の中でも最悪のものが、同じ 『コリント』(15・51) の次の有名な一節です。

  《あなた方に奥義を告げよう。私たちの全ては眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きとともに、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によって蘇らされ、私たちは変えられるのである。なぜなら、

この朽ちる者は朽ちないものを着、この死ぬ者は必ず死なないものを着ることになるからである》
℘129
 生理学的に言えば、最後のラッパが鳴るまで〝死んだ〟状態でいるというのはあり得ないことで、常識的に考えればすぐにウジ虫が湧き、鳥がついばみ、死肉をあさる獣の餌になるのがオチです。

イエスは十字架上で隣の盗人に 「今日この後すぐにパラダイスで会おう」 と述べています。それだけでイエスが最後のラッパの話をしていないことがわかります。

 シルバーバーチがこうした 「死」 について不健全な教説を批判して、死とは単なる脱皮現象であり、問題は霊的覚醒が早いか遅いかであると述べているのは、少しも驚きに当りません。改めて引用しておくと───

「これは各自が到達した意識レベルによって違ってきます。死後の存続について全く知識が無い場合、あるいは死後の覚醒について間違った概念を植え付けられている場合は、睡眠にも似た無自覚の状態が続きます」

「その状態は自然に覚醒の時期が熟するまで続きます。あなた方の時間的感覚で長い場合もあれば短い時間もあります。一人ひとり違います。

霊的知識の備わった者にはそうした問題は生じません。物質の世界から出て霊の世界へ入るというだけで、適応が極めてスムースです。目覚めると、そこには愛する人たちが出迎えてくれているのを知って、歓喜の情がわいてきます」

 パウロも、人間は死後必ずしも眠らないことを別の所で説いています。「最後の審判」 の説がなぜ多くのキリスト教徒によって信じられるようになったか、理解に苦しみます。

 これは、信仰より先に理性に基づいた知識が大切であることを教えているように思えます。

一人ひとりの常識的判断で、反発するものを拒否しながら、常に新しい知識を求め続けなければなりません。と言うのは、真理とはその時点まで到達したその人の意識レベルで真理だと判断しているのであって、自分にとって真理に思えることが必ずしも他人にとって真理とは思えないものだからです。
                


    
 第六章 完全なる因果律  死後につながる現世での所業

 死後いずれは住まうことになっている霊的な世界がどうなっているかを理解するにあたって心得ておくべきことを、シルバーバーチの言葉から引用しておくと───

 「あなたは死後に赴く次の世界に今も立派に存在しているのです。バイブレーションの次元が違うにすぎません。死ぬことで霊的存在になるのではありません。死んだからといって、あなたの霊格が一ミリたりとも増えるわけではありません」

 「あなたは今この時点において立派に霊なのです。今この特殊な物的バイブレーションの階層における幽体のバイブレーションが、死後あなたが赴く階層を自動的に決めるのです」

 「これまでの地上界の寿命で生きてきた、その生き方と、その結果として発達した意識レベルが、今のあなたの幽体がどの次元で機能しているかを決定づけます。死後に目覚める階層のバイブレーションについてもこの原則が当てはまります」

 その階層について、シルバーバーチはこう述べています───

 「互いに混ざり合っています。空間に充満している無線電信のバイブレーションと同じです。さまざまな波長があり、さまざまなバイブレーションがあります。が、その全てが同じ空間を占めているのです」

 「境界というものはありません。国境もありません。バイブレーションが異なるだけです。異なる階層、ないしは異なる意識レベルで機能しているのです」

 では、意識レベルを上げて一段と高い階層の存在となるにはどうしたら良いか。そのカギは、シルバーバーチに言わせると〝人の為に役立つことをすること〟に尽きるようです。

 「こちらの世界では、各自の霊性の成長度に相応しい階層、つまりは、環境との調和が最もしっくりくる階層に落ち着きます。知的、道徳的、霊的成長度が自動的にそこに落ち着かせるのです。他の階層との違いは、そこに住まう霊の質の違いです」

 「霊的に高い次元にいる人ほど、質的に高いということです。他人への思いやりが強いほど、慈悲心が大きいほど、自己犠牲の意識が高いほど、地上界にあっても意識的に高い階層に生きていることになります」

 物理的に言えば、今支配している身体のバイブレーションのレベルが向上するにつれて見た目には物的でも質的には徐々に物質性が衰え、やがて消えてなくなり(死滅し)、次の進化の段階へと進みます。

かくして精神(魂)の内部での意識が発達するにつれて大霊(神)に近づくことになるわけです。
℘134
 簡単に言えば、以上が宇宙の各階層が互いに繋がりあっていることを示す、基本的なバイブレーションの関係です。

バイブレーションというと我々は如何にも実態がないかに想像しがちですが、シルバーバーチは 「死とともに後にする物質の世界よりもはるかに実体があり、遥かに実感があります」 と述べています。その死後の階層について、さらに細かく見てみましょう。

 地上生活を送っている間じゅうも 「皆さんは霊の世界の最高界から最低界までの全階層の影響を受ける状態にあります。が、

実際に受けるのは各自が到達した霊性と同じ次元のものに限られます。邪悪な魂は邪悪なものを引き寄せます。高潔な魂は高潔なものを引き寄せます。それが摂理なのです」

 地上時代に心に宿した思念と実生活の中身によって、死後に待ち受ける階層での環境が決ります。死後の世界に関して誤った知識を教え込まれ、「最後の審判」 の日を待ちながら居眠りを続けている霊の問題についてシルバーバーチは───

 「彼らの魂そのものが、そうした信仰が現実になると思い込んでいるのです。ですから、その信仰の概念が変化するまで、外部からは手の施しようがありません。

そうした人々は事実上、地上での全生涯を通じて、死んだら大天使ガブリエルがラッパを吹くまで墓で寝て待つのだという思念体を形つくり、それを毎日のように上塗りしてきているので、魂の内部での調整が進んでその思念体を切り崩すことが出来るようになるまで、その牢獄に閉じ込められ続けます」

 「自分が死んだことを認めようとしない者も同じです。無理やり信じさせることは出来ません。死んだという事実を得心させることがいかに難しいか、皆さんには想像できないことでしょう」

 肉体器官の機能を支えていた幽体の働きはどうなるかとの質問に、シルバーバーチはこう答えている───

 「肉体器官の機能が残っているかどうかの問題も意識の程度次第です。死後の生命についてまったく無知で、死後の世界があるかどうかなど考えたこともない人間は、肉体の機能がそのまま幽体に残っていて、死んだことに気づかないまま、地上時代と同じ生活を続けています」

 「もちろん死後の世界でも罪を犯します。こちらの世界での罪悪は利己主義という罪悪です。こちらではそれがすぐに外に現れます。心に宿すと、直ちに知れます。その結果も地上より遥かに早く出ます」

 「それは罪を犯した当人にすぐに現れ、霊性が低下するのが分ります。どういう罪かと問われても〝自己中心的思考が生み出す罪〟と表現する以外、地上の言語で具体的に説明するのは困難です」

 死後の生命存続を知っていた者はどうなるかとの問いには───

 「そういう人の幽体は希薄化 (より高い次元への変化) が進みます。無用であることを知っている器官は次第に萎縮していき、ついには消えてなくなります」

 そういう変化は徐々に進むのか、それとも別のケースもあるのかとの問いに───

 「それは当人の意識の程度によって違います。意識が高ければ高いほど、調整の必要性が少なくなります。こちらは精神の世界であること、つまり意識が主人公である霊的世界であることを常に忘れないでください」

 「低い階層、幽的世界は、多くの点で地上世界の写しのようなものです。それは、新しくやってきた人間が戸惑わずに順応できるようにとの〝神の配剤〟の一環です」

 こうして死の現象を経た魂が次の階層へ目覚めていくのが本当の意味での〝復活〟で、イエススも説いているし、ヒンズー教の経典である 『バガバット・ギータ』 でも説かれています。残念ながらその後の信奉者がそれを正しく解釈していないのです。

 シルバーバーチは死後の生活はみな低い階層から始まるのかとの問いに───

 「とんでもありません。それは死後のことを教わっていない者、その種のことに無知な者、霊的事実に対する感性が欠けている者、言い換えれば物的なもの以外の存在が思い浮かべられない者の場合です。幽界も霊的世界の一部です。

霊的世界にも低い階層から高い階層まで沢山の段階があり、幽界はそのひとつに過ぎません」

 「霊的生命の世界は〝界〟〝面〟ないし〝表現の場〟が段階的に繋がっています。進化的な意味での段階であって、地理的な意味ではありません。一段また一段と、次の界へ融合していきます。魂が発達して次の界への適応能力がそなわると、自動的にその界へ上昇していくわけです」

 「より低いものがより高いものに場を譲ります。あなた方の言葉で言えば、いったん〝死んで〟 、それから〝生まれ変わる〟のです。といって、肉体がなくなるように幽体がなくなるわけではありません。希薄化が進むのです。

バイブレーションの低いものが消滅しただけバイブレーションが高まるのです。それがこちらの世界での〝死〟です。死とは本質的には脱皮現象であり、甦りであり、より高いものがより低いものから上昇していくことです」

「進化するほど、自我の未開発の部分が表面へ出てきます。言い換えれば、完全性が発現するほど大霊に近づいていきます。もしも完全性が有限の過程であれば、そのうちあなた方も大霊と融合していくことになりますが、哲学的に言うと完全性は無限の過程です。

進化すればするほど、さらに進化すべき余地があることに気づくことの連続で、その分だけますます個性化が進むことになります」


 以上で、大まかながら霊的進化というものがバイブレーションのレベルの問題であり、そのレベルは自我意識の発達の反映であることが明らかになりました。進化するのは個的意識と呼んでいる〝霊的種子〟(魂) であり、それが無限のバイブレーションの段階を経ながら永遠に開発され続ける、ということに得心がいったことと思います。

 また、進化を促す〝心の姿勢〟にはそれなりの摂理があり、それは人間がこしらえた宗教的教義や信仰によってごまかすことはできないこと、日常生活における〝行い〟が肝心であることを認識しなければならないでしょう。

 どうやら幽界の低い階層には地上よりさらに広いバイブレーションの周波帯が存在することは間違いないようです。その周波帯の中にあっても、意識レベルが高まるほど高級界と接触できる周波帯が狭くなりますが、先の近似死体験に出てきた高級界の〝光の存在〟との面会も叶えられることになるわけです。

 形体のない階層では色彩が認識の手段となるのかとの問いにシルバーバーチは───

 「その通りです。ただ、地上界の色彩は基本的な幾つかのものに限られていますが、こちらにはあなた方の理解を超えた波長の色彩が存在します。

高級界の存在になると、外観は光り輝いて見えるだけで、一定の形体がなく、それでいてメッセージが送られてくるようになります。光輝をともなった思念体と言うものがあるのです」

 「幽界の低いバイブレーションの階層にはそこが物質界でないことに気づかずに、延々と、ただぼんやりと過ごしている人がいます。こちらには時間がないということを忘れてはいけません。そのうち自分がただの思念体の中に閉じ込められていることに気づけば、その思念体が崩壊し始めるのですが、自分でこしらえた牢獄です」

 これは死後のことに何の知識もないままやってきた者が住む階層です。その中には戦争や暴力沙汰で命を落として、あっという間に送り込まれた者が大勢います。

思念が硬直していますから、精神的にも、従って霊的にも進歩せず、地上での最期となった体験による反動から抜けきれずにいます。時間が止まっているのです。その最期の体験を何回となく再生(リプレイ)し、それがいわゆる〝幽霊屋敷〟となっているのです。
℘140
 こうした気の毒な霊は当然のことながら自分の本体の磁場との接触がなく、その結果としてその次元の指導霊との接触もありません。不安と恐怖、それに地上時代の誤った信仰による洗脳がそれを妨げるのです。シルバーバーチはこう述べています───

 「死後のことに無知だった者、偏見を抱いていた者、迷信によって生活を牛耳られていた者は精神的なバリアを築いており、その一つひとつが霊力の流入を妨げます。それが崩壊するまでにどれくらいの年数が掛るかは、そのバリアの性質によって異なります」

 このグループは少なくとも霊媒を使った方法 〈補注1〉 によって、すでに地上を去って霊の世界にいることを得心させ、〝光の存在〟に近づくための心構えを教えることが可能な波動のレベルにいます。
 

 〈訳者補注1〉
 これは 「招霊会」 ないしは 「招霊実験」 といって、そうした〝迷える霊〟を高級霊団が強引に霊媒に乗り移らせ、霊媒の発声器官を使って審神者(サニワ) と対話させることによって説得する方法。この方法で三十年以上にわたって救済活動を行ったのが米国の精神科医カール・ウィックランド博士で、その成果が 『迷える霊との対話』 (ハート出版)にまとめられている。なお、ウィックランド博士はシルバーバーチの交霊会にも度々招待されている。
 
 さらにその先の一段とバイブレーションの低い階層には、地上時代に暴力、強盗、淫乱、酒乱、麻薬等で世の中に迷惑をかけどうしだった者たちがたむろしています。

 そのまた先の最低界には拷問と虐殺の限りを尽くした、卑劣にして悪辣な魂が類をもって集まっています。そうした中から、時折、再び肉体に宿って地上界へ出現し、同じような行為を繰り返す者もいるようです。

 そうした残虐行為の最たるものが、中世のローマ・カトリック教会による異端審問と、第二次世界大戦におけるユダヤ人虐殺でしょう。今日でさえ地上には同胞の生命や存在価値に無頓着な者がいます。皮肉なことに、その多くが宗教の名のもとに組織をこしらえて、富と権威と名声を大きくすることに奔走している代表者なのです。

 もともと宗教というのは、イエスのような秀(ひい)でた霊覚者によって説かれた同胞への愛と共存精神のもとに自然発生的にできたものでしたが、それが後継者たちによって信者を人工の教義によって強制的に縛るようになっていきました。

それは当然それを信じる者たちの言動に影響し、幽体のバイブレーションを下げる結果となりました。
℘142
 やがてその信者たちも死を迎えます。すると類は類をもって集まるの譬えで、同じバイブレーションをした低層界に集まります。そこでは〝気心の合った〟(精神的発達程度が同じ)者ばかりがいて、そこでまた地上時代と同じような生活を営みます。

精神のレベルと幽体のバイブレーションとが環境と調和して居心地がいいわけです。

 見方を変えれば、彼らは〝光の存在〟との接触が出来ない階層までバイブレーションが下がったということは、それだけ霊的進化を犠牲にしたということです。

そうなった場合にまずいのは、波動の原理で地上界の同じレベルの人間と無意識のうちに一体となって、物的地上生活を体験することになることです。

 こうして自由意志を履き違えた人間によって自然発生的に出来上がった〝地獄〟が永続し、宇宙に不調和音を響かせます。人間は知性と欲望を合わせ持った唯一の存在であることを考えると、これは当然のことです。地上の他の創造物は食べることと子孫を遺す本能を持つだけです。

シルバーバーチは自由意志の問題をこう解説します───

 「その意味では堕落した人間、同胞に危害を与えて何とも思わない人間の存在は大霊の責任であると言えないことはありません。しかし霊の普遍的な特権として〝自由意志〟というものが授けられています。これは霊的に進化するにつれて正しい使用方法を会得していきます。霊的進化の階段を上るほど、その使用範囲が広まります」

 イエスも 『マタイ伝』(10・28)で 《肉体を殺しても魂を殺し得ぬものを恐れてはならない。肉体と魂をともに地獄にて滅ぼしうるものを恐れよ》 と述べ、パウロも精神の意識レベルの影響を《肉体的な思念(おもい)は死なり。霊的な思念は生命なり、平安なり》 と表現しています。

 こうした場合の〝殺す〟とか〝死〟といった表現は霊的進化が不可能となるという意味に取るべきでしょう。

 ヒンズー教徒の経典 『バガバット・ギータ』 も霊的進歩をみずからの意思で拒否した者の運命をこう述べています───

 《正と死の果てしなき循環 (生まれ変わり) の中で、そのような最低の人間、残忍で邪悪で憎しみに満ちた魂は、私が容赦なく破滅へと葬り去るであろう。アルジュナよ〈補注2〉、より低き階層の闇の中に生まれ変われる者は、もはや私のもとへは来ぬ。地獄への道を落ち延びていくであろう。

その地獄への道と魂の死に至る門が三つある。情欲の門と激怒の門、そして貪欲の門である。この三つの門を人間に通らせるでないぞ》

  〈訳者補注2〉
 Bhagavad-Gita はインドの叙事詩で、ヴイシュナ神の化身クリシュナと英雄アルジュナとの哲学的な対話。ここで〝私〟と言っているのはクリシュナ。なお、最初に出ている〝生と死の果てしなき循環〟には、地上界だけでなく幽界の下層階への転落も含まれている。そういう魂と波動が一致した人間は、身は地上にあっても、魂はその下層界に属していることになる。


 かくして人類は、自由意思があるがゆえに、この地上にありながら〝自分の地獄〟ないしは〝自分の天国〟をこしらえることになります。日常生活において高層界と波動が繋がった生き方をしている人間は、死後、その階層へ赴くことになります。

イエスの言う〝多くの館〟のある界です。そこは特別の界ではありません。正常な普通の人間なら誰しも住まうことのできる世界です。

 この自由意思が果たしている意義についてシルバーバーチは───

 「人間を支配しているものに相反する二種類の力があり、それが常に人間界で葛藤を繰り広げております。一つは動物の段階から引き継いできた獣性、もう一つは大霊の息吹ともいうべき神性を帯びた霊力で、これがあるからこそ、人間も永遠の創造に参加することができるのです」

 「その絶え間ない葛藤の中で、そのどちらを選ぶかは各自の自由意思に任されております。

こちらの世界に来ると、それが獣性による罪悪を克服し内部の高等な属性を発現させるための絶え間ない努力、つまり、完全性へ、光明へと向う道程での葛藤、粗野な要素を削ぎ落とし霊という名の黄金がその輝きを見せるまで鍛えられ、純化され、精錬され、試されるための葛藤において、各自がそれをどう受け止めるかは、当人の自由意思に任されているということです」

 その霊の世界については───

 「地上界の次の階層は物質の世界と生き写しです。もしそうでなかったら、何も教えられず従って何も知らずにやってくる多くの新参者が、あまりの違いにショックを受けることになるので、初期の段階は馴染みやすい環境になっているのです。それまで生活した環境とよく似ています。死んだことに気付かずにいる者が多いのはそのためです」

 「こちらは本質的には思念の世界です。思念が実在なのです。思念の世界ですから、思念が表現と活動を形成します。地上に近く、また相変わらず唯物的な人生観を抱いた男女が住まっていますから、発せられる思念は至って低俗で、何もかもが物質的です」

 「彼らは物質から離れた人生が考え付きません。かつて一度たりとも純粋に物的なものから離れた存在というものが意識の中に入ったためしがないのです。霊的なものを思い浮かべることが出来ないのです。従って彼らの思考体系の中に霊的なものは存在しないのです」

 「しかし幽界生活にも段階があります。そうした生活の中においても霊的意識が徐々に目を覚まし、粗悪さが消え、洗練されていきます。すると彼らの目に、生きているということに物的側面を超えた何かがあることが分かり始めます。

そう気付いて霊的感性が目覚めた時から、彼らは幽的世界に対して〝死んだ〟も同然となり、いつしか霊的世界で生活し始めることになります。かくして生命活動には幾つもの〝死〟といくつもの〝誕生〟があることになります」

 これはバイブレーションの理論でいけば、ある次元から次の次元へと進化し、自動的にそれまでの役目を果たした身体を脱ぎ捨てて、次の段階に相応しい身体をまとうということです。シルバーバーチはそうして段階的に開けゆく霊の世界の素晴らしさを次のように語ります───

 「私たちの世界がどういうものか実感を持ってお伝えすることはとても困難です。こちらの世界には探検するものがたくさんありますと申し上げる時、それは実際の事実を正直に述べているのです。

あなた方は霊の世界の無限の生命現象について何もご存じありません。森羅万象の美しさ、景色の雄大さ、千変万化の優雅な現象は、あなた方にはとても想像できません」

 「私たちの世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、荘厳さ、光輝はとてもあなた方には想像できません。それを説明する言葉を見出すこともできません」

 「こちらの世界の場は平面的に区切られているのではなく、無数の次元に分かれており、それが渾然一体となっております。各次元の存在はあなた方の言う客観的な実在でありそこで生を営む者にとっては同じに見えます。

丘があり、山があり、川があり、せせらぎがあり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。すべてに実感があります」

 「(病気などの) 肉体の苦痛から解き放たれ (疲労などの) 肉体の束縛から逃れた霊の世界での生活は、物質の生活には譬えるものがありません。行きたい所へは一瞬のうちにどこへでも行けますし、思ったことがすぐに形態を持って現れますし、思い通りのことに専念できますし、お金の心配もいりません」

 「以心伝心という、地上の言語では説明のできない手段で意思を通じあう世界です。思念そのものが生きた言語であり、電光石火の速さで伝わります」

 「お金の心配をする必要もなく、競合する相手もなく、弱いものが窮地に陥ることもありません。こちらで〝強い者〟と言う時は、自分より幸せでないものに自分のものを分けてあげる人のことです」

 「失業者もいません。スラム街もありません。利己主義者もいません。宗教教団などもありません。〝大自然の摂理〟という宗教があるだけです。聖なる教典もありません。神の摂理のはたらきがあるのみです」

 「痛みというものを知らない身体で自我を表現し、その気になれば地上界を一瞬のうちに巡ることができ、しかも霊的世界のぜいたくを味わうことができるようになる (死ぬ) ことを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか」

 「この世界では芸術家は地上時代の夢が存分に叶えられます。画家や詩人は大望を実現し、天才は存分に才能を発揮します。地上的抑制の全てが取り払われ、天賦の才能と才覚がお互いのために使用されます」

 「私が所属している世界の美観を、その一端でも描ける画家は地上にはいません。地上界の音階で、こちらの世界の壮観をその一端だけでも表現できる音楽家はいません。地上界の言語で霊の世界の素晴らしさを描ける文筆家は、一人もいません」

 「地上界は今まさに美しさの真っただ中 (五月) です。生命のサイクル (四季) が巡って再び生命の息吹が辺りを覆い尽くし、あなた方はその美しさと花の香りに驚嘆し、神の御業のなんと見事なこととおっしゃいます」

 「しかし、皆さんが目にするのは私たちの世界の壮観のほんの微かな反映に過ぎません。こちらには皆さんが見たこともない種類の花があります。皆さんが目にしたこともない色彩があります。景色にしても森にしても、小鳥にしても植物にしても、小川にしても山にしても、地上のもの

とは比べものにならないほど美しいものばかりです。しかも皆さんもいずれはそれを目にすることができるのです。その時は地上の人間としては〝幽霊〟となるわけですが、実は本当の自分自身なのです」


 以上が平凡な人間がごく普通に人生を送り、そして与えられた寿命を全うした場合に赴く死後の世界の簡単なスケッチです。死者の世界から戻ってきて死後に待ち受けるものについて語った者はいない、と豪語する者には格好の反論となるでしょう。

シルバーバーチがまさにその強力な証人ですが、スピチュアリズムの歴史にはそうした霊界通信が、語られたり書かれたりして、豊富に存在します。近代のものでは英国人霊媒で米国でも活躍したレスリー・フリントの霊言通信に見るべきものがあります。〈補注3〉

 長い入院生活の末に他界した人や死後の存続について何の知識がないまま霊界入りした人の面倒をみるための、地上のクリニックや療養所に相当する施設の話も出てきます。そこで少しづつ身の上の変化に気づき、地上とは異なる新しい環境への理解が芽生えるといいます。

 住まう家もあります。熱中する趣味もあります。美術品や音楽を観賞するための美しいホールやさまざまな建造物もあります。それぞれの階層の色彩や、それが環境に与える輝きなどについて解説してくれる施設もあります。すべてが思念の力で営まれているのです。

 これだけのシナリオを手にしていれば、自然の摂理に適った生き方をしている人間にとって死の恐怖は無縁のはずです。シルバーコードが切れる際も痛みは伴いません。落ち着くべき階層に至ると、先に他界した縁ある人々の出迎えを受け、しかも地上に残した人たちとのつながりも切れていません。

 その辺のことを心配している方のために、一九一八年に他界したセントポール寺院の参事 H・S・ホーランドからのメッセージを紹介しておきましょう。

 「死は何でもありません。隣の部屋に移るようなものです。私は相変わらず私であり、あなたは相変わらずあなたです。お互い地上時代のままが、そのまま続きます。私のことを昔の愛称で呼んでください。地上時代と同じように気楽に語りかけてください。

恭(うやうや)しさや悼(いた)みを込めた言い方は止めてください。くだらない冗談で大笑いしたように気楽に笑ってください」

 「人生の持つ意味は地上時代と少しも変わっていません。そのまま続いています。去る者日々に疎(うと)し、などと思わないでください。皆さんがお出でになるのをお待ちしております。それも遠い先のことではありません。もうすぐ、そして、すぐ先の曲がり角で。すべて世は事もなし、です」

 未知なるもの(死)への恐怖をシルバーバーチは戒めています───

 「明日 (死後) を素晴らしい冒険と可能性の前触れとして歓迎しなさい。わくわくするような気持ちで毎日を送らないといけません。不安を蹴散らしなさい。ただの無知と迷信の産物に過ぎません。皆さんは正しい知識という陽の光の中で生活できる、恵まれた方たちです」
 

 〈訳者補注3〉
 レスリー・フリントは同じ霊言霊媒であっても、「直接談話」 Dirgct Voice と言って、バーバネルの場合のようにスピリットが霊媒の口を使ってしゃべるのではなく、空中から直接語るという特異なもので、それだけにSPR (心霊研究協会) の徹底した調査を受けた。

そのメカニズムをここで解説する余裕はないが、唯一の著書 『暗闇の中で語る声』 Voices in the Dark で、出現した著名人の霊言を豊富に掲載しており、その中でも特にカンタベリー大主教コスモ・ラングの霊言が非常に興味深い。

 モーリス・バーバーネルが〝ミスタースピリチュアリズム〟の異名を取るきっかけとなった生前のコスモ・ラングとの激論は、当時の英国じゅうの話題をさらった。

それは英国国教会のスピリチュアリズム調査委員会がまとめた 『多数意見調査書』 を巡るもので、複数の霊媒を使った二年間の調査による結論がスピリチュアリズムを肯定する内容だったことから、ラングが公表をためらっていたので、サイキック・ニューズ紙のスタッフが国教会の主教につぶさにあたり、ついにその報告書のコピーを入手し、

バーバネルの決断でその全文を 『サイキック・ニューズ』 紙に掲載した。そのことに激怒したラングとの間で、書簡による激論が始まった。その内容は次のレンドール参事会員の論評が適確に物語っている───

 「この調査委員会による結論の公表を禁止させた主教連中による心ない非難や禁止令、それに何かというと 『極秘』 を決め込む態度こそ、国教会という公的機関の生命をむしばむ害毒の温床となってきた、了見の狭い職権権威主義をよく反映している」

 そのラングが死後フリントの交霊会へ出席し、この件に言及してこう述べている───

 「もし私が今やっと知るに至った霊的知識をたずさえてもう一度人生を一からやり直すことができたら、どれほど意義ある人生を送れるだろうかと思えて、無念の極みです。その気になればできたのです。ですが私は憶病でした」

 そう述べてから、大戦で戦死して次から次へと送られてくる若者たちが、国教会が死後の存在と顕幽両界の交信の可能性について教えてくれなかったことに憤っていることを述べ、さらに、現在の日本の心霊界にも当てはまる傾聴すべき指摘をしている───

 「スピリチュアリズムが人生に重大な意味を持ち、とても大切なものを秘めていることを強く感じますし、すべての人に知ってほしいと思いますが、同時にその捉え方を誤ると危険極まりないことも感じています」

 「高級霊、優れた霊、人類を高揚するほどの力を有する階層との接触を得るには、それ相応の精神と思想、そして高度な波動を具えた霊媒ないしは霊能者を用意しなければなりません。その点、不幸にして現在の地上の霊能者は低級な人が多すぎます。咎めているのではありません。私は何とか力になりたくて申し上げているのです。

高尚な精神をそなえ、自分の存在を地球人類のために犠牲にするほどの気概に燃える霊媒を揃えてスピリチュアリズムが正しく活用されれば、それは間違いなく人類を益するものとなるでしょう」

 「しかし、私が見るところでは、百人のうち九十九人の霊媒がやっていることは、いわば幽界の表面をひっかく程度のものでしかなく、これはスピリチュアリズムにはむしろ危険です。なぜなら、類は類を呼ぶの譬えで、地上界にへばりついている低級霊に利用され、いい加減なこと、不幸や面倒なことを引き起こすようなことばかり口にするからです」

 「その上危険なのは、立ち会っている人たちがそうした低級霊に憑依されてしまうことです。そうなると人間性が歪められ、さらに真理が歪められていきます」

 また別の日の交霊会では本章と同じテーマについて述べているので、ついでに訳出しておく。

 「人間は幾世紀にもわたって真理に背を向け、人間は本来は霊であること、それゆえに永遠に不滅であるという最も大切な真理が見えずにまいりました。今、自分の地上人生を振り返ってみると、自分がいかに宗教的教訓と体験の道から逸脱していたかが分ります」

 「神の言葉を聞きに集まった善男善女に私は、あのヴァチカンの説教壇から、これこそ真理と思うことを説いてきました。その時は自分では真理を知ったつもでいたのです。が、今から思えば、単純明快さと内部の霊性についての知識が欠けておりました」

 「イエスを始めとする初期の偉大なる改革者や指導者の教えの真意を理解していたら、と残念に思えてなりません。初期の時代から貫かれている黄金の糸に気付いていれば、と悔やまれてなりません。

その黄金の糸とは、人間は信仰に関わりなく全てが大霊の子であり創造の大計画に組み込まれていること、全生命は不滅であり、地上の最下等の生命でさえ、地上だけでなく死後も存在の意味を持っているという事実のことで、これが全真理の基本なのです」

 「霊とは人間的形体や宇宙の森羅万象として顕現しているエネルギーのことです。生命力であり、エネルギーであり、バイブレーションです。全生命が同じ生命の一部ですから、不滅なのです。地上にいる皆さんは同じバイブレーション、同じ振動、同じ波長の中にいますから、肉体の五感は環境を実感があるように思い、固いという感触を得ています」

 「しかし、今や科学によって、地上界には実体のあるものは存在しないことが分っております。今そうやって座っておられるイスを皆さんは固いと感じているでしょうが、それは、その椅子を構成している素材の原子核の周りを回転している電荷と、あなた方の身体の電荷が同じだというに過ぎません


 「死ぬと今度は幽体と呼ばれている、より高い周波数で振動している身体で生活を続けます。その幽体は死後の階層の波長と同じですから、今皆さんが身の回りの環境が固いと感じているのと同じ原理で、やはり全てが固くて実感があるように思えるのです」


                     


   
  第七章 波動を高める  見えない力で心と身体を癒す

 人間の健康は生涯を通じて見えざる要素によって影響を受けていますが、どういう具合に影響されるのか、そのメカニズムを正しく理解するには、前章までに解説した見えざる身体が健在意識と潜在意識によってどのように影響されているのか、とくに幽体と複体(ダブル)がどのような機能を果たしているのかを、さらに詳しく知る必要があります。

 肉体の鋳型としてその形成と維持に関わっている幽体は、オーラの中でも低い次元で絶え間なく振動をしていますが、それと一体となって機能しているダブルはそれより少し高いレベル、動物の精神と同じレベルで振動しています。

 この二つの磁場はシルバーバーチの言う大霊が定めた設計図の中でも基盤をなすもので、宇宙的構造の低次元の周波数ないしはバイブレーションの中のごく狭い周波帯の範囲で機能しています。

それとは対象的に、精神の分野は自由意思が与えられているので、その働きの範囲は広いスペクトルに及びますが、肉体の五感によるプラス・マイナス両面の入力による制約を受けています。これをシルバーバーチは次のように表現しています───

 「霊の力が全生命を創造したのです。自然界の一つひとつの動きと変化を支配し、四季の巡り、植物の種子、藪や樹木を調節している力、複雑極まる進化の全機構を掌握している力です。その霊が意識を持つ形態をとった時、そこに個的存在としての霊が発生します。

 そこがあなた方と動物の違いです。人間(肉体をまとった精神)は個性を持った霊であり、大霊の一部です」

 かくして人間の精神は、いわば〝内部の神性の火花〟であり、宇宙のバイブレーションの低次元ではたらいていても、全宇宙を支配している崇高なる知性、すなわち大霊の一部であることに変わりありません。

低次元とはいえ、それなりに宇宙の調和に貢献するためには精神の波動を少しでも高める努力が必要であることを認識しなければなりません。それをシルバーバーチは次のように表現しています───

 「思いやりは霊の属性の一つです。何度も申し上げてきたことです。愛、愛情、友情、思いやり、慈悲、寛容心、親切心、無私の奉仕。こうしたものは全て霊の属性です。それを発揮している時、あなたは自分の神性を顕現していることになります」

 完全へ向けてさまざまなバイブレーションの階層を一つひとつ上がっていくのが進化ですが、それは同胞への精神の態度の反映でもあります。

マイナスの思考は低次元のバイブレーションへと堕落させます。堕落は誘惑であり、それをシルバーバーチは 「貪欲、利己主義、愛欲、出来ごころ、その他、物質中心主義が生み出す悪感情であり、地上生活の毎日はそれとの葛藤です」 と喝破しております。


 そうして悪感情は社会全体の道徳的繊維組織をむしばみ、それに毒された者は、死後、一直線に幽界の低階層へひきつけられていきます。そして幽界がますます悪徳の巣窟の様相を呈していきます。その問題をシルバーバーチは───

 「こちらの世界はそちらから送られてくる人々によって構成されています。未熟な魂を送り込んでこなければ別に問題はないのですが、実際は何の準備も適応性もない無知な魂が大挙して送り込まれてきます。学校で教わるべきだったことを大人になってから教えるのは、とても難しいものです。邪悪なものは邪悪なものに引き寄せられていくものです」

 私たちには自由意思が許されています。どちらを選ぶかの選択は本人に任されているということです。つまり、その時まで身につけた知識がその判断の基準となるわけです。自分の内部に秘められた可能性については何の自覚もありません。シルバーバーチは語ります───

 「人間の精神には無限の可能性が秘められています。ある種の信仰や特定の環境に長く浸っていると、その環境が肉体に現れてきます。精神の方が物質より影響力が強いのです。なぜなら物質は精神より次元が低く、精神によって形態を与えられているに過ぎないからです。

 言い換えれば、精神が自我を発揮するためのチャンネルとして肉体という表現器官をこしらえたのです。精神の方が次元が上です。精神は王様です。精神が支配者です」

 「物質界の出来事はすべて肉体に影響を与えますが、同様に、見えざる神体(精神を構成しているもの)が受けた影響は肉体にも及びます。その作用と反作用は四六時中、休むことなく続いております」

 感染性の病気は純粋に肉体的なものではないかとの問いには───

 「必ずしもそうではありません。原因が純粋に霊に発している病気が沢山あります」

 ではその原因は、と問われて───

 「利己主義、貪欲、強欲等々です。イエスが病人を治療させたあとで〝あなたの罪は許されました〟と述べた話はご存知でしょう?」

 「病気の原因は肉体的なものと霊的なものの二種類があります。両方とも霊的治療法で治せますが、医学的な治療の方が早く治ることもあります。幽体が病気の影響を受けますし、時としてダブルに病的症状が出ることがありますが、霊的身体そのものが病気になることはありません」

 「物的身体との調和が崩れるという形での病的症状はあります。物的身体との間のバイブレーションや協調関係が物的身体に病気を生みだすほどまでに悪化することがあります。怒りは脾臓を痛めます。嫉妬心は肝臓を痛めます」

 「そうした悪感情が不調和を引き起こすのです。完全なバランスが歪められれ調和が乱れます。

物的身体が病気になり霊的身体とのバランスが完全に崩れてしまうと、霊(肉体に宿っている自我)は、もはや物的身体を通しての表現は不可能と見てシルバーコードの切断を余儀なくさせられ、死に至ります」

 仮に片腕を失った場合、その幽体に何か不都合が生じるかとの問いに───

 「幽体そのものには何の支障も生じませんが、幽体の右腕と左腕の調節がうまくいかなくなります。物的身体に宿っている限り、失われた腕の幽体は機能しません」

 手足を失っても幽体には何の支障も生じないという事実は注目に値します。S・キルリアン氏の実験で、一枚の木の葉の一部を切り取っても、撮影した写真には完全な葉のオーラが写っていたという事実がそれを裏付けています。

 「幽体の右腕と左腕の調節がうまくいかなくなる」 のは、基盤であるダブルはそのまま残っていても、支配していた肉体部分 (腕) が失われたからです。いずれ医学が進歩して完全な機能を具えた人工の腕がこしらえられれば、幽体の腕も機能を回復するであろうことは充分に考えられます。

 以上の事実から〝作用と反作用〟による精神と幽体の関係が理解いただけたと思います。

 一方における変化が電磁気的性質によって他方の機能に変化を及ぼすわけで、精神のプラス思考が反作用によって自動的に幽体のバイブレーションを上昇させ、それが肉体の異常を改善させるわけです。

 反対にマイナス思考は、意識的にせよ潜在意識的にせよ幽体のバイブレーションを低下させ、時とともに肉体機能の低下を招きます。その逆も同じで、肉体的に不健康なこと(食生活や嗜好)を続けていると、それがまず幽体の機能を歪め、次第に精神の働きをマイナス思考に導きます。

 こうしたメカニズムを理解すれば、意識的に健康な状態を描いて精神に焼き付けることによって病気を治すことも可能であることが分ります。

健康な状態をシンボルの形で表現しても良いし、元気にはたらいている自分を想像してもよい。これがいわゆる自然治療力によって自らを治す癒す方法のメカニズムです。


 一般に心霊治療と呼ばれている治療法もメカニズムは同じで、治療家の精神構造を形成している磁場の中でもより高度なレベルのバイブレーションをはたらかせることによって、患者の潜在意識の歪みを訂正していく。

近似死体験で明らかになったように精神は時間も空間も超越しているので、その治療法は遠く離れていても可能なわけで、これが遠隔治療(不在治療)です。

 癒し系の音楽や言葉を吹き込んだオーディオ (カセット・CDなど) を聞かせることも医学的治療を促進するでしょう。

 昔から 「健全な精神と健康な肉体」 (補注1) という諺がありますが、治療には全て潜在意識と霊的身体が主体的な役割を果たしており、食するものは幽体にエネルギーを供給するだけです。(補注2)


 〈訳者補注1〉
 日本では 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」 と訳されてそれが定着しているが、原文は A healthy mind in healthy body. 「健康な肉体に健全な精神が宿っているのが原理」 と言う形で用いられている。


 〈訳者補注2〉
 食されたものが消化吸収されていく過程は食医学ではほぼ解明されているが、実はそれで消化作用が終わったわけではなく、そこからサトル・エネルギー Subtle energy (霊妙なエネルギー) の精製が始まる。入神講演 (トランス・スピーキング) で膨大な著作を残した A・J・デーヴィスは、代表的著作 『大自然の霊的啓示』 Nature,s Divine Revelations 全五巻の中の一冊 The Physician の中でこう述べている───

 「が、これで消化吸収が終わったと考えたら大間違いである。骨や筋肉や内臓吸収された合成物は、さらにその骨や筋肉や内臓のはたらきによって次の段階の消化作用を受ける。その消化作用によって分子がさらに精製されて、より霊的な分子との結合が可能となる。つまり精神の第一原理であるところの 「運動」 のエネルギーの源となる。

これがさらに進化の法則に従って、精神の第二原理であるところの 「活力」 となり、続いて精神の第三原理であるところの 「感性」 の要素となる。そしてこの感性が進化して、ついに精神そのものの構成要素となる。

こうした霊妙化の過程で主役を演じるのは生体電気と生体磁気と大脳のガルバーニ電気である。かくして肉体の内臓器官や神経組織や筋肉などが新陳代謝によって維持されると同じ原理で、幽体もそれなりの新陳代謝と霊妙化によって維持されていることが分る」


 病気治療で最も注目されるべきだと私が主張している方法に、催眠術(暗示療法)があります。施術者が患者の潜在意識に入り込んで、マイナス思考のキーをプラス思考に転換させたり、失われた自信を取り戻させたり、トラウマを取り除かせたりするという形で治療に応用できるはずだと考えています。

 シルバーバーチは催眠術の是非について問われて───

 「施術者が真面目な意図のもとにやるのであれば、もちろん結構なことです。ただ、これは人間の魂に潜在する霊力の、ほんの一部を叩いて引き出しているだけです」 と言い、また別のところでは───

 「施術者が自分の能力を役立てたいという真摯な気持ちで行うのであれば、患者の魂に内在する神性を刺激することになり大いに役立つことになりますが、同時に、うっかりすると、その反対の獣性を刺激することにもなりかねません」

 そういう危険性に配慮して、現段階の人類としては催眠術師にすべてを任せるよりも瞑想によって、マイナス思考をプラス思考に転換して繰り返し内部の自我に言い聞かせるという方法が無難でしょう。いわゆる自己暗示療法です。

 「人間は自分で考えている通りになっていく」 という古諺(コゲン)は真実です。

                   


   
  第八章 失われた進化論  悠久の時を支配する至高の存在

 本章もシルバーバーチの言葉の引用で始めましょう。

 「学ぶ前に、それまでの知識を洗い直さないといけません。正しい思考を妨げてきた夾雑物をすべて捨て去らないといけません。それができて初めて霊的成長の準備が整ったことになり、

より高い真理を授かる用意ができたことになります。間違った知識、理性が反発するようなこと、宇宙の大霊の愛と叡智と相容れないものを捨て去ることが先決です」

 「霊性の進化とともに大自然の摂理を悟っていきます。そのためには間違った知識、理性が反発するようなことを全て捨て去らないといけません」

 「大霊の摂理を強調する理由はそこにあります。それを理解することによって全ての知識がしっくりと収まるべきところに収まるのです。今こそ地上界にはそれが必要です。なぜなら人生の全てが摂理によって啓蒙され、理解できなかったものが簡単に理解できるようになるからです」

 「あまりの長きにわたって進歩のブレーキとなってきた誤った教えが生み出す無謀と不条理に、これ以上苦しめられることもなくなるでしょう。新たな真理の光に照らして、間違った教えを恐れることなく捨て去ることが出来た時、あなたは本当の意味で自由の身となります」

 こうした教えは、我々に精神の修養を通じて真理を追究するように促しているのです。

人それぞれに到達したレベルが異なりますから、新たな知識を前にして、それを受け入れる人と拒絶する人がいることになります。宇宙に関する情報はこれまでのところ単なる理論に過ぎないものが多いですから、 「理性の反発を覚える」 人が多いことでしょう。

 理性が反発を覚える宇宙理論は、少なくともその人にとっては間違った理論であり、また別の説を求めなければならないでしょう。が、シルバーバーチの言う 「物質は霊のおかげで存在を得ている」 という事実は、 「理解できなかったものが簡単に理解できるように」 なるカギであり、

宇宙はこれまでとは全く異なる視点から見るチャンスを与えてくれることになります。

 前章までのオーラに関する知識を念頭に置いた上で、ここでダーウィンの進化論を検討してみると面白いでしょう。もちろん私はダーウィンの説はとても承服しかねます。

と言っても私の説も理論上のものですから断定はできませんが、少なくとも最近の科学上の諸発見を根拠にしているので、理性を得心させる要素が多分にあると信じます。

   ↓(年代が変なので調べたら一八五九年のよう、ウオ―レスは一九〇三年没=HP管理人)
 一九五八年に発表されたダーウィンの進化論では、地上の動物も植物もことごとく一個の種から生まれて、今日の形態に進化したことになっています。しかし、ホログラムの原理によれば、

いかなる種のオスもメスも、おしべとめしべでも、精子と卵子、ないしは受粉その他いかなる形での繁殖の仕方であってもその種特有の鋳型を持っていて、しかもそれを維持する手段も決っていることが分ります。

 第二章で紹介した H・S・バー教授は 「カシの実はカシの木となり、トウモロコシはトウモロコシとなり、小麦や大麦とはならない」 と言っています。

種を変えるには他花受粉や交配によって種子を変異させるしかないでしょう。それは鋳型である磁場を変えることですが、遺伝学的に言えば、それは不可能なことです。

 種の発生と連続性はオスとメスが染色体と遺伝子を提供して物的身体を形成し、同時に、その結果として生じるオーラの磁場が胎児を形つくりそれを維持することによって保たれているのです。したがって物的形体の基本的なデザインの変化が進化ではないというのが私の考えです。

時おり染色体と遺伝子の変異が発生しますが、その場合でもオーラの磁場は種のそれと一致しているのです。

 他花受粉ないしは交雑受精がうまくいくと、両種の本来の特性あるいは後天的性質をあわせ持つ磁場を生みだします。それがさらに双方の突然変異を生みだすこともあります。これは種の内部での自然淘汰の問題となりますが、この分野にも色々と疑問があります。

 その一つは、ダーウィンの言う樹木の上で生活していた類人猿が、わずか二五〇万年の間に月まで行って来るほどの人類へどうやって進化したかということです。

ウマは六千万年前のままです。アリは一億五千万年、トンボは三億年にわたって現在と同じです。ダーウィンの説には疑問符を付けざるを得ません。

 ダーウィンと同時代の博物学者ウォーレス(補注) は 「自然は種に、日々の生活に必要な物以上のものは与えない」 と述べて、ダーウィンと異なる進化論を展開しています。今述べたウマやアリやトンボの事実を考え合わせると、ウォーレスの説の方が私の常識的感覚が得心します。

 《訳者補注》
 Alfred R. Wallace 本来は博物学者であるが、スピリチュアリズム勃発当時から興味を抱き、数々の実験会に出席して、その研究と調査結果を学術誌に発表した。そのことが学者仲間から誤解を受け、学者としての名誉と信頼を失ったが、本人は一向に気にすることなく、清貧のうちに堂々たる晩年を送り、一九〇三年に他界している。

 その人柄を物語るエピソードとして有名なのが〝自然淘汰説〟 The Contributions to the Theory of Natual Selection にまつわる話で、南洋諸島で調査・研究に思いついたウォーレスは、そのアイデアを大先輩として尊敬するダーウィンに書き送った。それはダーウィンも頭をかすめながらまとめきれずにいたもので、ダーウィンは先を越された思いがした。そしてそれをリンネ学会で発表した時、遠い南洋の島にいるウォーレスに断ることなく、

自分の名前を先に、そして本当の発見者であるウォーレスの名前を後に記して提出した。当然のことながら〝自然淘汰説〟はダーウィンのものとして定着した。ウォーレスは知ってか知らずか、終生そのことを口にすることはなかった。 (『ダーウィンに消された男』 A・ブラックマン著・新妻昭夫、羽田節子訳・朝日新聞社)

 しかし実を言うと、同じく〝自然淘汰〟と言ってもスピリチュアリズムの霊的知識に馴染んでいたウォーレスの説には〝霊的流入〟 Spiritual Influx と言う要素が入っていて、単なる弱肉強食・適者生存とは違っていた。

ここでは詳しく説明する余裕はないが、要するにシルバーバーチの言う 「霊が肉体に宿って初めて個的存在としての意識が芽生える」 という説と同じである。 拙訳 『心霊と進化』(潮文社) Miracles and Modern Spiritualism の 「まえがき」 でウォーレスはこう述べている───

 「今述べた通りの厳密な事実の検討から、私はまず第一に、宇宙には人間を超えた、発達程度を異にする知的存在がいること、第二に、その知的存在の中には人間の五感では認知できないにもかかわらず物質に働きかけることが出来る者がいて、現にわれわれの精神活動に影響を及ぼしている、という二つの結論に達し、

それを応用した場合に自然淘汰説だけでは説明できずに残されている博物学上の現象がどこまで説明できるかを、論理的かつ科学的に推し進めているところである。

その〝残された現象〟と私が見ているものは、例の〝自然淘汰説〟の中で幾つか指摘してある。そして私は、それが今指摘した各種の目に見えない知的存在のせいかもしれないことも指摘した」

 「もっとも、私自身その説を出すのに躊躇がまったくなかったわけではない。そしてまた、それを受け入れるにはさまざまな問題があることも指摘しておいた。しかし同時に、それが少なくとも理論的には筋が通っており、たとえ絶対的で申し分ないものでなく有機体の発達の原因の一つに過ぎないとしても、それが自然淘汰による進化という大原則を全面的に受け入れることと何ら矛盾するものでないことを主張した。そして今もなお、そう主張するものである」



 第二章で紹介したように、アインシュタインは 「自然法則の調和の完璧さに打たれた時、私は恍惚的感動とも言うべき一種の宗教的心情にひたる。その知性の崇高さにはただただ感嘆するのみで、人間の系統だった思考だの行動だのが無意味な悪あがきのように思える」 と述べていますが、これを改めて読むと旧約聖書の 『創世記』 の冒頭の言葉を思い出します。

 《神はまた言われた、「我々の形に、我々にかたどって人を造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と地の全ての獣と、地の全ての這うものとを治めさせよう」 と。そこで神は自分に似せて人を創造された。すなわち神の形に人を創造し、男性と女性とに分けられた》

 さらに 「マタイ伝」 (19・4)では、イエスを試そうとしたパリサイ人を相手にこう言ったとあります───

 《あなた方はまだ読んでないのか。創造者は始めから人を男性と女性とに造られ、そして言われた》

 ここで注目すべきことは 「神は」 と言ってから 「我々の形に」 と複数形で受けていることです。つまり地上経綸の仕事を個的存在としての神々に任せ、その神々つまり想造界の高次元の存在が男女を創造し、その後は生殖による繁殖に任せたということです。

 地上人類の生活をより文明化し、より平和的にするために、適宣な間隔を置いて霊性の高い人物を送り込むのは、宇宙が多次元の生存の場で構成されていることを理解すれば自然に理解できることです。

 また有史以前の獰猛な野獣が何度か突如として絶滅している事実は、単なる偶発的自然現象のせいではなく、そこには人類の生活の場とするためのシナリオが出来ていたのではないかと想像されます。智恵を唯一の生きる手段とする人間には、肉食獣がわがもの顔に闊歩している環境で生き伸びることは容易ではなかったはずです。

 地上の創造物の中でも繁殖力が弱く、誕生後も長い期間の保護が必要な人類にとっては、その唯一の解決法は〝智恵〟を授かることでした。その結果として人類には叡知の媒体として〝本体〟が賦与され、さらに理性の媒体としての〝霊体〟が賦与されています。

 それでもなお人類が地上に定着するまでには、病気や自然災害、特殊な環境への不適応と言ったことが原因で、何度も絶滅しています。発掘された古生物の標本に欠落している期間があるのはその証拠です。

 人類の原始形態の化石が時おり発掘されていますが、科学的推理の結果として、進化にともなって骨格が変化していることが分っています。条件の悪い環境で困難に遭遇しながらも、何とか棲息しつづけることが出来る種を創造するには、何度も試行錯誤が繰り返されたことでしょう。

 そうした太古の生活を想像させてくれる遺物として、壁にシカやバイソン、小鳥等が描かれた洞窟が各地で発見されていることはご存知でしょう。

人類という種を創造して地上に定着させようとした霊界の担当者は、各地に送り込んだグループの状態を観察し成果を検討した上で、さらなる手段を検討したことでしょう。

 そうした人類や部族にはさまざまな英雄伝説が語り継がれています。その姿かっこうは異なっても、生きるための智恵と技術を教える、つまり人類の進化を促進するという点では同じだったようです。

 今のエジプトの地域にヘルメスないしはマーキュリーという名の神が現れて、音階とアイディアを記録するシンボル、数をかぞえるための数字、星座、病気治療のための薬草と治療法、それに音楽を奏でる楽器、等々を授けたということです。

 メソポタミア (現イラク地方) には魚の姿をした怪物が現れて、麦の栽培法や考えたことを書き記す方法、数字のかぞえ方、都市計画法、法律の作成法、天体の観測法、等々を教えたといいます。その教え方が巧みで、優れた天文学者や数学者がその地方から輩出したそうです。

 メキシコにはケツァルコトアルという名の〝翼のついた大蛇〟が〝天の穴〟から降りてきて、翼のついた船に乗って各地へ赴き、中央アメリカの住民に農業や天文学、建築や倫理を教えたといいます。

 南アメリカに行くと、インディアン部族に高度な倫理的文明を説いた、背の高い白人の伝説があり、古代ギリシャにはオルフェウスの神話があり、いかなる質問にも答えられるほど博学で、また、他の天体上の生命の存在など、不思議で理解できないことについても語ったといいます。

 こうした情報が広く世界中の遥か遠い地域でも手に入りかつ応用されていたという事実は、次のような、地球上の文明の発祥地と言われる地域の太陰暦と太陽暦に関する記録が裏付けています。

・『ヴァチカン法典』 には、マヤの暦は紀元前一九、六一二年に始まったと記されている。
・紀元前一一、五四二年にバビロンの太陰暦とエジプトの太陽暦とが一致する。
・インドの暦の算定方法は紀元前一一、六五二年に始まっている。
・しかし、太古のさらに優れた賢人の記録によれば、右の数字もまだまだ新しいという。

 例えばギリシャの天文学者ヒッパルコス (BC一九〇~一二五) の記述によれば 『アッシリア年代記』 は二七万年もさかのぼるという。同じくギリシャの歴史家レイアーシャス (三世紀) によれば、エジプトの司祭たちによる天文関係の記録は紀元前四九、二一九年から始まっているという。

レイアーシャスより二〇〇年後の歴史家カッぺラもそれを確認し、そのエジプトの司祭たちは研究結果を広める前に四万年もかけたと述べている。
℘180
・五世紀のローマ教皇・聖シンプリキウスの記述によれば、こうしたエジプトの天文学者は六三万年も観測を続けていたという。この事実に、ローマの政治家キケロ (BC一〇六~四三) は疑問を投げかけながらも、 「バビロン公文書保管所」 が、自分が論文を書くより四七万年も前に設立されている事実を述べている。 


 こうした我々の感覚でいうと途方もない年数や事実を手にして見ると、中東の都市や南アメリカの学問の中心地における図書館の破壊によって、どれほどの歴史と科学的知識が失われてきたかが、改めて思い知らされます。

もしそれらが人類の愚行によって破壊されなかったならば、どれだけ豊富な知識が引き継がれてきたかに思いを馳せていただきたいのです。

 今日我々が恩恵をこうむっている文明は全て、そうした破壊を免れた数学者や哲学者や科学者の業績の上に成り立っているのです。さらには傑出した芸術家、作曲家、法律家などのインスピレーションがあったればこそ、物質文明を謳歌することができているのです。

 ところがそのインスピレーションがはたしてどこから授けられているのか、いかなるメカニズムで届けられるかは、まだ理解されていません。

 そのインスピレーションについてシルバーバーチはこう述べています───

 「霊界から地上界への啓示は絶え間なく続いているのですが、人類の歴史の特定の時期をもってこれが最後と考えてはいけません」 (キリスト教では、神は西暦七七年までパレスチナにのみ啓示し、その後はいかなる地域にも働きかけていないという信仰があり、それが、スピリチュアリズムは悪魔の仕業という考えを生んでいる───訳者)

 「啓示は連続的で進歩的であり、届けられる民族の理解力に似合ったものが用意されます。理解できないほど進んだものであってはなりません。手を伸ばせば届く程度で、しかも一歩進んだものでなければなりません」

 「霊界から届けられる叡智は、それまでよりほんの少し進んだものです。それに手が届けば、さらに一歩進んだものが届けられます。それが限りなく続けられるのですが、人類に届けられるものは、その時点での霊的及び精神的な発達程度によって制約されます」

 「あえて申し上げますが、地上界の慶事、発明、発見のほとんど全てが霊界を始源としております。地上の人間の精神は、物質界へ恩恵を届けようとする霊界のより大きな精神の受け皿にすぎません」

 「あなた方はこちらで用意した計画を具体化し地上界へもたらすはたらきをしているだけで、あなた方の用語でいう〝原案〟は霊界にあります。なぜならすべてのエネルギー源、すべての動力源は物質ではなく霊にあるからです」

 〝進化〟が物的次元ではなく霊的次元で発現していることは私には明々白々に思えます。

物を創作することは人間にもできますが、それに魂を吹き込むのは霊界からのインスピレーションです。その意味でダーウィンの進化論は物的な要素だけに偏っており、私に言わせれば、人類を迷わせてきた〝間違った教え〟の一つです。

 シルバーバーチは〝人類〟と〝野獣〟とを区別し、類人猿を後者のカテゴリーに入れています。これもダーウィンの進化論が間違っているとする私の意見を追認してくれています。シルバーバーチはこう言っています───

 「生命が意識を持つ形体をとった時、そこに個的存在としての霊が発生したことになります。そこにあなた方人間と動物との違いがあります。人間は個性を持った霊であり、大霊の一部です」

 では人類と類人猿の違いを生理学的機能から見てみましょう。

・人類の脳はすでに高度に発達し、今なお絶え間なく発達していて、類人猿の脳とは格段の差がある。

・人類の皮膚と類人猿の皮膚とでは感度としなやかさにおいて比較にならない。

・人類の顔の筋肉はしなやかで、思っていることや感じていることが表情によく出るが、類人猿の表情は極めて限られている。

・幅広い声域をもち柔軟性に富んだ人類の生態は、しなやかや唇と発達した脳と精神の働きと相まって、類人猿とは比較にならない表情ができる。

・柔軟性と感性の高い左右の手が生み出す技術は、類人猿の限られた器用さとは比較にならず、全く異質のものと言ってよいほどである。

・人類の目には異物が入ったり情にほだされたりすると涙が出るが、類人猿にはそれが見られない。

 以上のような広範にわたる生理学上の違いがあり、しかもダーウィンの説を立証する具体的な証拠がない以上、私は、ウマやアリやトンボが数千万年にわたって原始のままであると同じように、人類も最初から同じだったのではないかという説を提唱したいのです。

 つまり鋳型は少しも変化しておらず、精神の次元と知能が発達したのであって、 「自然は真空を嫌う」 という進化の鉄則を無視して類人猿から一気に現在の人類の階梯までジャンプしたのではないということです。私と同じように実在を求めて永遠の旅を続けている同志諸氏に次のシルバーバーチの言葉を贈りたいと思います───

 「これでお分かりと思いますが、あなた方は偶然の産物ではありません。きまぐれのオモチャではありません。無限のエネルギーの宝庫である大霊の一部であり、そこからエネルギーを引き出すことができるのです」

 「進歩の階梯のどこかで立ち止まって腰を据えてはいけません。絶え間なく吸収し、大霊の意図した計画を絶え間なく実現していくことによって、初めて生命の永遠の旅の意味を悟ることができるのです」

 「人類の霊性進化のための配慮が途絶えることはありません。進歩と成長が進めば、新しい指導者、新しい霊覚者、新しい預言者、新しい霊視家が現れ、新しい時代に即応したビジョン、先見の明、啓示、真理、教訓をもたらしてくれます。啓示に終わりというものはありません。大霊は完全だからです」

                     


  
  第九章 摂理と調和  真実の愛にめぐり合うために

 前章では人類の始源について、シルバーバーチの霊言とオーラに関する科学的データに照らしながら考究してみました。本章ではその範囲を宇宙全体に広げてみましょう。例によって、まずシルバーバーチの霊言をいくつか引用してみましょう───

 「大霊とは宇宙の自然法則のことです。物的世界と霊的世界の区別なく、全宇宙の生命の背後ではたらいている創造エネルギーです。皆さんが知るに至った小さな一部分だけでなく、まだ地上人類に明らかにされていない大きな部分も含めた全宇宙に、くまなく行きわたっております」

 「みなさんの世界だけではありません。私が住まっている霊的世界も含めた全宇宙、皆さんがまったく知らずにいるさまざまな世界においても、大霊の法則 (摂理) が絶対的に支配しております。

皆さんのお一人お一人、人間的存在の全て、地球上だけでなく無数に存在する惑星上で生を営む存在の全てが、神、私のいう大霊の不可欠の存在なのです。大霊は宇宙間に存在するものの総体であると同時に、それを超越したものだからです」

 「宇宙は偶然によって支配されているのではありません。法則と秩序によって支配されているのです。宇宙のどの方角へ目を向けても───星雲の世界の広大さや地平線の彼方を知るために望遠鏡を向けても、あるいは顕微鏡で極微の世界の創造物をのぞいて見ても───そこに存在するものは全て不変不滅の自然法則によって支配されております。

あなた方は偶然の産物ではないということです。原因と結果とが寸分の狂いもなく計算されてはたらく秩序整然たる宇宙に〝偶然〟の入る余地はありません」

 「そうした規則ないしは摂理は、全生命を創造した大霊がその統治のために定めたものです。構想においても組織においても完璧です。全生命は本質的には霊ですから、摂理も霊的なものです。霊力は目に見えません。いかなる人間的尺度でも計れません。長さもありません。

広さもありません。高さもありません。重さもありません。色もありません。味もありません。臭いもありません。科学者、化学者、医学者がそれぞれの分野でいくら探しても、生命の動力である霊の居どころは見つかりません」

 「大霊は全能ですと申し上げるのは、その霊的な力が宇宙そのものと、そこに存在するあらゆる形態の生命を支配する摂理にゆだねられているからです。

そのい霊力が火炎となって燃えさかっていた地球に生命の息吹を吹き込んだのです。人間を泥の塊から神性を秘めた霊的存在にまで引き上げたのです」

 「霊力は魂がまとう衣です。全生命を創造し、自然現象のあらゆる動きと突然の変化をコントロールする力、四季の巡りを規制し、一つひとつの種子、一つひとつの植物、一つひとつの花、一本一本の低木、一本一本の高木の成長を管理する力、要するに、ありとあらゆる側面の生命進化の全機構を管理する力が霊力なのです」

 「(大霊を子供にどう説明したら良いかと問われて) 私だったら大自然の絶妙な巧みさに目を向けさせます。夜空のダイヤモンドとも言うべき星に目を向けさせます。太陽のこうこうたる火炎と、幽玄な月の明りに目を向けさせます。

ささやくような風、それに吹かれてなびく松の枝に目を向けさせます。さらさらと流れる小川と怒涛さかまく海へ目を向けさせます。そうした大自然のありとあらゆる側面がそれぞれの目的をもった摂理によって営まれていることを説いて聞かせます。そしてそれが大霊の働きであると結びます」

 「さらに私は、人間が自然界にいかなる新しい発見をしようと、それも摂理の範囲内に存在するものであること、その発展も管理され規制されていること、広大で複雑に入り組んでいながら、全体として調和がとれていること、天体も昆虫も嵐もそよ風も、その他、顕在の仕方がいかに複雑であっても全宇宙には完璧な秩序が行きわたっている、ということを付け加えます」

 要するにシルバーバーチが言わんとするのは、大霊は自然法則としてはたらいていて、宇宙及びそこに存在するもの全てをコントロールしているということです。

宇宙の全機構を通じて秩序と調和が絶対的に支配しております。したがって何一つとしてその不変の法則として顕現している大霊という名の知性に反応しないものはないということになります。

 極微の粒子から巨大な天体に至るまで、その背後に知性が控えているということです。われわれ人間が目にしているこの特殊な物質の世界のどの部分も、大きさに関係なく、その知性によって管理され、操作され、維持されているのです。

 シルバーバーチは 「宇宙はただの寄せ集めではありません。広大なスケールの一大調和体です」 と述べていますが、これは逆に言えば、その一大機構を構成している全要素が調和しているからこそ、宇宙が存在し得ていることになります。

 また、全ての物質が自然法則として顕現している知性に支配されているということは、われわれが目にしているもの全てが引力と斥力の作用の結果であるということになります。これを磁石と砂鉄の実験に譬えれば、砂鉄の一つひとつが磁石の然るべき位置に引き付けられているということです。

 このテーマはH・L・カーニング教授による電磁場の研究を想起させます。教授はこう述べています───「電磁力一般について言えることは、これが生体組織間ないしは生体組織へ向けての情報の伝達の手段となっていることを示すに十分な直接・間接の証拠があることである」

 次のW・クロイ博士のコメントはこのカーニング教授の説を追補する形になっています。すなわち 「これらの場が発する電磁的シグナルは波長が短いので容易に皮膚を通り抜ける」。

これで宇宙の全機構が、それぞれの種ないしは物体の電磁場において、フォトン(光子) によって伝達される情報が基盤となって成り立っていることが分ります。

 その情報は自然法則の働きにより、それぞれの電磁場においてコンピュータと同じ方式で、それぞれの種ないし物体に物的形態をとるに十分なだけを提供されるわけです。必要とあらば、特定の種に、植物連鎖と生殖の手段にとって必須なものを意識させることもできます。

 が、それは下等な生命体だからこそ課せられる制約でもあります。というのは、われわれ人間は精神の場、霊的に言えば大霊ないしは宇宙的知性を通して自由意思を行使できるからです。

どのような生き方をするか、何を食べるか、人生問題をどう処理するか等々について、選択の余地が与えられているということです。

 あらゆる種類の繁殖は、それぞれの種のオーラないしは電磁場のホログラム的性質、すなわち一部が全体を包むという原理によって行われます。

かくしてオーラの場には種に内蔵された染色体と遺伝子、さらにそれを養うために栄養分が供給されていて、それぞれの種の形態を形成し維持するための要素がすべて揃っていることになります。こうした生命の場を通して、大自然の法則が物的宇宙に秩序を行きわたらせているわけです。

 物理学者は、電子顕微鏡などの精密機器でミクロの世界を覗いて、宇宙は偶然のきまぐれでできあがったようだと言います。これも部分的に見ればあたっていると言えるかもしれません。

と言うのは、クオークやレプトン、グルオン、ハドロンといった極微粒子の動きが一見するとそう思えるからです。シルバーバーチの次の言葉がヒントになるでしょう───

 「大霊は雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他、ありとあらゆる存在に───それがいかに極微であっても───必ず存在するように、あなた方にも存在します。大霊はあらゆるものにも内在しています。あらゆるものが大霊なのです。

魂は自分を自覚しているがゆえに大霊を知っております。スズメは大霊であるがゆえに、大霊はスズメを知っていることになります。風にそよぐ木の葉にも大霊が宿っているがゆえに、その葉っぱも大霊であると言えるのです」

 ミクロのエネルギーの源は太陽で、その活動の結果として四千ガウスにも達する磁場をこしらえています。そこからプロトンとエレクトロン、それにわずかではあるがヘリウムの核を伴った絶え間ない流れが生じ、全方向へ向けてまんべんなく放散しています。

 それらは太陽風に乗って運ばれていると考えられます。太陽風の存在は幾つもの観測結果からその存在が指摘されています。その中には太陽活動と地球の磁場のつながりがあります。天文学者は太陽活動の主要な要素が太陽磁気であることを躊躇なく認めるでしょう。

物理学者も同じで、それ自体は決して間違ってはいないのですが、そうした電磁場の霊的本質を把握しない限り、なぜあの巨大な太陽系が寸分の狂いもなく回転するのかは理解できないでしょう。

 カーニング教授の研究を圧縮して結論だけを述べれば、地球の電磁場は、太陽から放射された、電気を帯びた物的要素からなっています。その放射線は紫外線とX線を主体として赤外線とマイクロ波に至るまでの全領域に及んでおり、地球を取り巻く磁場の影響を受けて偏向します。

かくして地球の磁場においても人間のオーラと同質の電磁場が存在することになります。
℘193
 このように見てくると、太陽風によって運ばれてくる電磁エネルギー粒子を捉えて磁気圏へ取りこむ地球の磁場はオーラと同じ役目を果たしていると理解してよいでしょう。そのおかげで地球の回転が緩やかとなり、全生命体の繁殖に必要な条件を整えているわけです。

 天空へ目を向けてみると、太陽系の各天体は何百万年にもわたって一定のスピードでそれぞれの軸を回転し続けておりますが、それを一秒の何分の一かにまで区切って計算してみれば、そこに気まぐれな偶然の入る余地はないほど正確であることが分るはずです。

 かくして情報の出し入れをするための手段となっている電磁場の本質を知ることによって、シルバーバーチの 「霊力は全生命を創造した力であり、それが自然界の力のあらゆる動きと変化をコントロールしているのです」 という言葉の本当の意味が理解でき始めたことになります。

 あまり想像をたくましくし過ぎてはいけませんが、物質体には例外なく電磁場があることが事実となると、地上の創造物であれば物質体の発達と維持のために、天体であればその回転とそこに生息する生命体の維持のために、不可欠の情報を提供するためのエネルギーの渦が受容体 (感覚中枢) を中心として存在するはずです。

 かくして全宇宙を通して、極微と極大とを問わず、あらゆる組織体は宇宙的知性、シルバーバーチの言う大霊によって、コンピュータ的な方式で提供される情報を電磁場内で授かっていることになります。

つまり宇宙の全機構にわたって物質界を形成し維持している、人間の 「幽体」 に相当するもの、それの、肉体への養分提供と生殖活動をつかさどるエレメンタル (ダブル) に相当するものが存在するということです。

 これは動物界・植物界・鉱物にもあまねく広がっており、人類にはこの上に、今意識しているよりも一段バイブレーションの高い 「精神」 の磁場、霊的自我のはたらきの場が備わっているわけです。シルバーチはこう言っています───

 「生命が人類において初めて個別化されるように、大霊も自然界のエネルギーとしてだけでなく意識を持った個的存在として顕現されることになります」

 「ですから、あなた方は人間的存在として大霊の枠組みの中に組み込まれており、したがって大霊とつながっているのです。ということは、あなた方も大霊の不可欠の一部としての存在位置を占めているということです。そこに人間と下等動物との違いがあります。人間は個性を持った霊であり、大霊の一部なのです」

 イエスが言ったとされている 《汝らも神なり、汝らすべてが神の子なり》 (祈祷書) はその通りであることが分ります。一人ひとりが肉に宿った霊であり、霊的発達程度に応じた分だけ神の属性を発現しており、その分に応じた程度だけ宇宙の進化に貢献できることになります。

その視点から言えば、地上の総体的な現状が人類の総体的な発達のレベルを示していることになります。

 もしも精神という霊的磁場がなかったら、人間もエレメンタルな要素のみに反応して、動物と変わらないレベルの生活に終始することでしょう。

ホワイトイーグルもこのエレメンタル体のことを 「これ自体は悪いものではありません。人間だけでなく下等な生命体の進化においても役目があります。ただ、人類もその進化の過程で、高等な自我がエレメンタル体を完全にコントロールできるようにならないといけません」 と述べています。

 
 シルバーバーチも 「顕微鏡で微細な生き物を調べても、全てが不変不易の自然法則にしたがっていることが分ります。あなた方は偶然の産物ではありません」 と述べていますが、

これはすべての存在が、形態のいかんにかかわらず、宇宙的知性が用意した指示に従っていることを意味します。その意味で私は〝生得の本能〟とか〝本能的直覚〟という用語は宇宙的知性に対する冒とくであるとさえ思うのです。

 それを、顕微鏡なしでも確かめられる昆虫や小鳥の世界に見てみましょう。ありふれた例としてはチョウの一生が馴染み深いでしょう。気ままに生きているかに見えるチョウも、前もって入力された指示にしたがっているのです。

まずオスとメスの交尾のあと、メスが決められた植物の葉に卵を産みつけます。やがてそれが幼虫となり、さなぎとなり、羽化して、あの見事な蝶となって大空へ羽ばたいていきます。

 その求愛→交尾→産卵→さなぎ→羽化→成虫の全過程を通じて、種の繁殖のための外部からの指示は一切ありません。この事実一つを見ても、プログラム (入力) された基盤があってのことであって、〝本能〟と言う曖昧な用語で片づけるべきものではないことが分ります。

 このプログラミングは地球上の何億何十億の全てを包括しており、森羅万象がそれぞれの種の保存のために他の種の保存も考慮した繁殖の仕方をしていることが分ると、その裏には不変不易の自由法則、科学的に表現すれば〝プログラムされた知性〟がはたらいており、もしそれがなかったら、今見ているような宇宙は存在しないということに理解がいくことでしょう。

 植物の世界には昆虫や小鳥も参加する、もっと手の込んだ繁殖の仕方をするものがあります。受粉に昆虫または小鳥を利用するのです。それに比べると動物や鳥類の繁殖の手段は型にはまっていると言えます。

ただオスがメスを、あるいは逆にメスがオスをおびき寄せる求愛の仕方には儀式めいた風変わりなものが少なくありません。また巣の作り方も種族によってさまざまで、それらをひと口に〝本能〟で片づけるのは 「いいかげん」 のそしりを免れないでしょう。

 中でも興味深い、というよりは滑稽にさえ思えるのがカッコーでしょう。他の種類の小鳥の巣に卵を産みおとし、生育の過程を全部その鳥に任せておいて、それでもカッコーとしての遺伝的体質をちゃんと引きついてでいる。プログラムが組み込まれた基盤があればこそでしょう。

  海の生き物にも種族によってさまざまな繁殖の仕方をするものがいます。カレイやヒラメのような平たい魚は、生まれた時は普通の魚の格好をしていて左右に二つの目が付いていますが、

そのうち変態が始まり、左の目が右側へ移動し始めて、あのような平たい体形になります。そのようにプログラムされているとしか考えようがありません。


 それとは別に、海の魚群や空の鳥の群れが、全体がまるで一つになったみたいに、一瞬のうちに方向を変える動きを見せることがあります。

これは一種のテレパシーによって、瞬間的に全体に情報が伝わるものと思われます。つまり極めて狭い範囲の超短波のバイブレーションによる情報が発せられるのです。
℘198  
 太陽と星を目印として遠距離を移動するとされている渡り鳥や回遊魚の不思議も謎のままで、さまざまな推測がなされています。これも組み込まれているプログラムが基盤であることは間違いないのですが、最大の情報源は地球から発せられている特殊なエネルギーのようです。

そう推察する根拠は、実は先ほどのカッコーの定期的移動の習性にあります。

 カッコーは種の異なる小鳥の巣に卵を産みおとし、その後の育て方の一切をその巣の主に任せます。一か月もするとすっかり生育して独り立ちしますが、その間一度も親鳥との接触はありません。にもかかわらず七月になると、親鳥に教えられたわけでもないのに、アフリカへ向けて飛び立ち、翌年の春になるとヨーロッパへ戻ってきます。

この習性は、基本的にはカッコーの種にプログラムされていることは無論ですが、前もっての経験のない方向性は、地球から発せられている特殊なバイブレーションに反応しているとしか考えようがありません。

 こう見てくると、動物や小鳥や魚類の習性は地球エネルギーの総合的な電磁場と密接に関連しており、各種族にはプログラム化された厳格なコードがあって、大自然全体の中での占めるべき位置が決っていると結論づけて良いでしょう。

 これとは対照的に人間には自由意思が与えられており、経験の蓄積と思考力による判断によって、いわば勝手に行動しているために、それが全体としての調和を乱すことにもなりかねないわけです。例えば───
 
 「一個の人間として、一階層の人間として、一国家の一員として、あるいは世界人類の一人として、あなた方は自然の摂理に調和した生き方をするか、それともそれに逆らった生き方をするのか、どちらかです。逆らった生き方をすれば暗闇、病気、困難、混乱、破滅、悲惨、流血といった結果を招きます。

反対に摂理に則った生き方をすれば、霊的存在としてのたまもの、すなわち叡智と知識と理解力、真理と正義と公正と安らぎを手にすることになります」


 「あなたはロボットではありません。自由意思を行使することができます。もちろん一定範囲内のことではありますが、自分で判断して選択する自由が許されているのです。

個人でも国家でも同じです。その判断が摂理に適っていれば、つまり原則として人の役に立つものであれば、自然界と、ひいては宇宙と調和した結果が巡ってきます。」


 「私たちは行為と行動、各自の毎日の生き方が大切であることを説いているのです。その中でも絶対的な大事な摂理として〝因果律〟を説きます。

すなわち大霊の働きは絶対であり、その摂理をすり抜けられる者は誰一人いないこと、自分が自分の救い主であり贖い主であるということです。自分の犯した過ちは自分が償い、他人に役立つ行為は、霊的成長という形で表れるということです」

  「私たちは大霊の摂理は機械的にはたらくと申し上げています。優しさ、寛容心、思いやり、貢献は、それを実行に移したというそのことが自動的に良い報いをもたらし、利己主義、悪行、不寛容は自動的に良からぬ報いをもたらします」

 「その法則は絶対的で、変えることは出来ません。安直な執行猶予はありません。子供だましの恩赦もありません。全宇宙を絶対的な公正が行きわたっております。霊的な小人に霊的な巨人のマネは出来ません。死の床での悔い改めも叶いません。 〈補注1〉


 〈訳者補注1〉
 シルバーバーチは、改めて言うまでもなく、スピリチュアリズムという名の地球浄化の大事業の推進者の一人として参加している超高級霊の一柱であるが、出現した土地が英国と言うキリスト教国であったために、引き合いに出す 〝誤り〟は、勢い、キリスト教の独断的な教義、いわゆるドグマが多い。

 ここで述べているのも全てキリスト教のドグマで〝安直な執行猶予〟〝子供だましの恩赦〟〝死の床での悔い改め〟はいずれも、イエスの信仰を告白すれば全ての罪が許されるという、ローマ教会が勝手にこしらえた〝人間的教義〟であって、イエス自身はそういうことは一切口に出していない。 

〝霊的な小人に霊的な巨人の真似は出来ません〟というのは、ヴァチカン宮殿のような豪華な殿堂で、立派そうに着飾って黄金の椅子に腰かけても、霊格は少しも変わらないことを述べている。


 「地上の幾百万とも知れない人々が、今自分が住んでいる世界が唯一の世界だと思い込んでいます。こう言う生活が人間生活だと思い込んで、せっせと物的財産を、いずれは後に残していかねばならない地上的財産をため込もうとしています」

 「戦争、流血、悲惨、病気───事実上これらの全ての原因は、この地上に生きている人間も、今この時点で立派に霊的存在であること、この肉体が自分ではないと人生の秘密を知らないことにあります。人間も、肉体という媒体を通して自我を表現している霊なのです。

「死の天使」 アズラエル 〈補注2〉 が肩を叩いて 『さ、いらっしゃい』 と声をかけてくれた時から始まる本当の我が家での生活に備えて、今この地上で生活をしているのです」

 <訳者補注2〉
 Azrael はユダヤ教徒イスラム教の信仰において、死の瞬間に霊魂を肉体から切り離してくれる天使の名前。アザレルとも。

 
 「皆さんとしては、あらゆる事態に備えることです。相手の魂に成長しようとする意欲がなければ、あなた方には為すすべはありません。あなた方に出来るのは霊的真理を広めること、無知を追い払い、頑迷を追い払い、偏見を追い払うことです。とにかく霊的知識の種をまくことです。

時にはそのタネは石ころだらけの土地に落ちるかもしれません。しかし運よくそれが耕された土地に落ち、その小さなタネが芽を出し花を咲かせることもあるのです」

 「私たちの仕事は、皆さんと共に真理の光を、可能な限りどこにでも広げることです。そのうちきっと真理の光が地上界に広がり、迷信の暗闇に属するもの、醜さと卑劣さを生み出すものが姿を消し、大霊のささやかな粒子である人間にふさわしい環境へと変わることでしょう」

 「そうした醜さと邪悪の大半は、スラム街が出来るような仕組みの方がもうかることを知っている悪がしこい者たち、自分の懐さえ肥やせば同胞がどうなろうと構わない金の亡者たちがいるからであることを知らねばなりません。

その邪悪の根源は、実は、そうした亡者たちが死後に落ちた奈落の底から悪い想念によって増幅されていることも、しばしばあるのです」

 「しかし、だからこそ次のことも知らねばなりません。すなわち人間は無限の可能性を秘めた存在であること、人生は暗闇から光明へ向けて、低い次元からより高い次元へ向けて、か弱い存在から強い存在へ向けて絶え間のない闘争であること、進化を通して人間の霊は絶え間なく大霊へ向けて上昇しているということです。

もし闘争が無かったら、もしも何の悩みもなかったなら、人生には霊にとって何一つ征服するものはないことになります」

 「今日もっとも必要とされているのは、そうした単純な真理の普及です。すなわち墓の向こうにも生活があること、誰一人として見放されたり独りぼっちにされたりすることはないこと、見えざる次元から温かい愛に満ちた目で見守り導いてくれている存在がいることを確信させてあげることです」

 「これは永遠に変わることのない真理です。理性が要求するいかなるテストにも応えられます。あなた方の知性を侮辱することもありません。至って簡単で単純なことばかりですから、ごく普通の人々にも理解できます。

人のために役立つこと、滅私の行為、自分より恵まれない人に手を差し伸べる行為、弱い人に力を貸してあげる行為、重荷を背負い過ぎている人の荷を少しでも肩代わりしてあげること───こうしたごく当たり前のことこそ霊的資質を発揮する行為であり、本当の意味で宗教であると言っているのです」

 「現在のところこの永遠の真理、すなわち基本的にはあなた方も霊的存在であり、一人として隔離されることはなく、ともに手を取り合って霊的進化の道を歩んでいること、進むも退くも一蓮托生であることが、まだ理解されておりません」

 「そこのあなた方の義務があります。いつも言っておりますように、真理を手にした者は、その時点からそれをどう扱うかの責任が生じます。いったん霊的真理の真実性に目覚めたら、いったん霊的な力のはたらきに気づいたら、今日や明日のことで取り越し苦労をしてはならないということです」

 「あなた方が今地上にいるのは、霊性を磨きあげるためです。霊性は地上だけでなく、こちらへ来ても成長をやめることはありません。地上界は体験を積むための学校です。

その学校はまだ完全ではありませんが、あなた方もまだ完全ではありません。あなた方は、その不完全な地上世界で完全性を少しでも発揮しようとしている不完全な存在です」

 「こちらの世界には地上界のような醜いものは存在しません。もっとも地上界にいた時から霊性を汚し、死後もスラム街のような環境を拵えている憐れな者はいます。が、そうした例外的な存在は別として、こちらには邪悪や醜いものは存在しません。そういうものを生み出すものがないからです」

                     

   
  第十章 無限に続く真理への道  スピリチュアリズムを科学する人々

 科学の世界にとって二十世紀最大の悲劇と言うべきは、オーラ、すなわち人類の電磁場に関する先駆者たちの研究をないがしろにしてきたことです。資料は充分にあったのです。

 その研究をさらに続けていれば、電磁場の研究は今よりはるかに進んでいたはずだ、というのが私の率直な感慨です。

 本書で私は、シルバーバーチの教えを科学的に解明することを意図しながらも〝科学的〟な要素を一般の読者にも理解できる程度にとどめました。何人かの研究仲間の名前を紹介しましたが、他にも優れた研究者がいます。

本章ではそうした、霊的事実に肉薄する研究に勤しんでいる人たちの成果も含めて、これまでに分かった事実を箇条書きにして紹介し、さらに、例によってシルバーバーチの霊言で本書を締めくくりたいと思います。


 ウォルター・キルナー博士

 ・ダイシャニン溶液を塗った、俗に〝キルナー・スクリーン〟と呼ばれるもので、物的身体を取り囲むように三つの放射体が存在することを証明した。

・そのオーラの状態を調べることによって物的身体の健康診断が可能である。

・健康状態によってオーラのサイズと色彩が変化する。

・意念の力でオーラを大きくしたり色彩を変えたりすることもできる。

・オーラはプラス・マイナスの電気に反応する。

・磁場の強さがオーラの深奥にまで影響を及ぼすことがある。ある実験では、被験者が苦痛さえ見せた。

・催眠術をかけるとオーラの輝きが薄れる。

・各種の化学薬品を気化させたものを漂わせるとオーラに悪影響を及ぼす。

・死が近づくにつれてオーラの輝きが薄れ、ついには消滅する。


 V・M・イニューシン博士

・バイオプラズマ (オーラ) は生物のマトリックス (鋳型) である。それを博士は 「ホログラムの形態で凍結したもの」 と表現している。つまり一つひとつの断片が全体の本性の全てを包含しているという。

・バイオプラズマは宇宙全体とリズムを合わせて、休むことなく呼吸している。


 W・セドラック教授

・バイオプラズマは全ての化学的ならびに電子的作用の基盤である。

・バイオプラズマは組織内での情報の伝導体である。

・生命は究極的にはプラズマ=電磁場理論に集約される。


 E ・ K ・ マラー博士

・物的身体とは別に、ある種の〝力の場〟(オーラ)が存在する。それは血液の循環の速度、質、消化した食物のカロリー、身体の運動量、ないしはただの念力によって、その強さが変化する。

・その〝場〟は普通にいうところの電気性は帯びていないが、電磁気力学的な計測が可能である。

・その〝場〟は絶縁体を良導体に変えることができる。

・ガラス、雲母、銅、アルミホイルを貫通する。


 H ・ S ・ バー教授

・人間を始め全ての生命形態は〝電気力学的生命〟すなわちオーラの磁場によって指令と制御を受けている。それがひいては宇宙及びそこに生息する存在に形態とその維持のために必要なものを提供している。

・その生命こそ基本的なものであり、それが森羅万象を生み出している。つまり宇宙の内的諸相の一つひとつを特徴づける統御因子、すなわちDNAなのである。

・人間の精神には時間も空間もなく、エネルギーの転換も必要としない。各個人特有の統制された〝場〟の中に存在している。

・生命、すなわち霊的磁場は、最も単純な形態から最も複雑な形態に至る、言うなれば〝権威の連鎖〟のつながりのようなものである。

・一つの〝生命〟すなわちオーラが他のオーラと重なると必ず相互作用が発生し、さまざまな重大な結果を生み出す。

・全生命形態をコントロールする霊的磁場の存在は、宇宙に摂理と秩序が存在することの絶対的な証拠である。

・人体の神経組織は、その磁場を含む霊的基盤が細胞に賦与する生命力によって機能している。

・物的身体の健康状態はこうした霊的磁場を通して管理されているのかもしれない。


 ヘルムート・ブライトハウプト博士

・ホログラフィーとは、物的身体から発生した全情報が蓄えられたり必要に応じて補充されたりする原理のことである。
 

 ハーバート ・ L ・ カーニング教授

・太陽からの放射物によって生まれた電気を帯びた物質が、紫外線やX線から赤外線やマイクロ波に至る全周波数帯に影響を及ぼしている。

・一般的に電磁力は、有機体間の、ないしは有機体へ向けての、情報の伝達手段となっているという事実を科学的に示す証拠は、直接的・間接的に充分に存在する。

・信号による刺激伝達網 (東洋医学でいう〝径穴〟) は全身に存在するが、皮膚の表面またはその奥に存在するものを特定して刺激を与えそれを内部機関に伝達するのは、マイクロ波放射線か、より広い範囲の波長の光波による。


 ウォルター・クロイ博士

・人体及び動物の皮膚の特定部位を刺激すると、内臓器官に反応が生じる。

・紫外線、可視光線、及び赤外線の範囲の電磁場が人間と動物の身体を包んでいる。それらの場から電磁波信号が発せられており、波長が短いので表面組織の特定の部位を選択して容易に貫通し、穏やかに吸収される。

・こうした信号は、受けた情報を連結組織を通して器官の細胞へ伝達することによって、基本的な調節機能を果たしているものと見られる。情報を受けた器官は、同様の組織を使って、器官内部での連絡をしている。

・電磁波信号は原子と分子、さらには少し幅を広げたスペクトラムにおける、より大きな構成分子との間の、基本的な言語である。


 F・A・ポップ博士

・DNAの複写および転写は電磁場内の相互作用によって制御され、繊維と細胞へ伝達されるシグナルの強さと質はそれぞれ異なると考えてよい。

・生物組織の〝ホログラム〟的成分は、さまざまな器官のレセプター (受容体) とおなじように他の器官、例えば、耳や手や目などにもそのまま存在することが、針治療や眼球の虹彩検査によって分かる。

・DNAの情報が全身にまんべんなく存在するということになれば、ホログラム的成分がその生物体の内部にあることになる。


 U ・ ウォーンカ博士と F ・ A ・ ポップ博士の共同研究

・電気の場と磁気の場は互換性があり、基本的には異質のものではない。

・磁気が弱いと細胞の成長、動き、老化、寿命の長さ、組織の活動に影響が出る。

・磁場の周波数の幅が極端に狭くかつ低く、増幅力が弱いと中枢神経系統にも影響が出る。

・痛めた箇所ないしは病的組織には適切な強さと振動の磁力を当てることによって、治療が促進される。

・極長波と低周波の領域において、ある一定範囲内での強さの磁気を交互に用いることは、今日の医療現場で認められている。


 シミョーン・キルリアン (ロシアのグラスノダル病院の技術スタッフで夫人のバレンティーナとの共同研究)

・オーラはキルリアン写真によってカラーで撮影できる。

・精神による思念や感情によってオーラの形状や色彩が変化するのが、キルリアン写真で観察できる。

・同じく、健康状態も観察できる。

・高電圧で高周波の電流をオーラに流すと体力の低下がみられる。

・木の葉の一部を切り取っても、写るオーラの外形には変化は見られない。多分生物体も同じであろう。

    
 こうしたオーラの性状に関しての知識はかなり前から入手されていたのですが、電磁気生物学の分野の進歩が、近代的機器の発達にも関わらず、極端におろそかにされてきました。

 先駆者たちの研究成果の中には改めて近代的な機器で確認する必要のあるものがあることは私も認めますが、原則に関する限り、すでに確立されていると信じます。むしろ大切なのは研究に携わる者の人間性ではないでしょうか。

 シルバーバーチの霊言を紹介して締めくくりといたします。

 「時おり、脳は発達しても精神と霊の発達がともなわないことがあります。いわゆる知的な人間 (インテリ) という人種ですが、知的だから魂も立派であるとか、偉大な人物であるとは限りません」

 「それは物質に限られた発達、つまり脳髄だけの発達にすぎません。そして、そうした人種の中には複雑なこと、難解なこと以外は受けつけない人がいることも確かです。

しかし、本当の意味での発達、精神と魂の発達をともなった発達があります。その発達は霊的実在についての覚醒をもたらします。精神的ならびに霊的発達だからです。そういう発達を遂げた人は、それまでの間違った概念をあっさりと捨てて、実相にさらに一歩近づきます」

 「真理は閉ざされた心には入れません。真理は受け入れるだけの霊性ができた時に初めて入ってきます。真理は、大霊と同じく、無限です。そのうちのどれだけを受け入れられるかは、各自の受容力しだいです。受容力が増せば、それだけ多くの真理を受け入れることが可能となります。

ですが、もうこの宇宙のことは全て知り尽くした、と言える段階は決してきません」



    
 訳者解説                                                                                   近藤千雄

 本書の中軸を構成している 「シルバーバーチ」 と名のる霊とその霊言については冒頭の訳注で解説してあるので、ここでは視点を変えて、スピリチュアリズムと呼ばれている大きな霊的な真理の流れの中で占めている位置と存在意義について解説しておきたい。

 それは冒頭に 『日本語版に寄せて』 の中で紹介されている本書の著者ニューマン氏の第二作 Spirit of the New Millnnium のタイトルに暗示されているスピリチュアリズムの淵源について解説するのが適切と考える。

 これは予備知識として、スピリチュアリズムの 「現象」 が
勃発した米国も、その霊的な 「思想」 が発達した英国も、ともにキリスト教国であったことを知っておく必要がある。

 キリスト教というと誰しもイエス・キリストを思い浮かべ、いかにもイエスがその教祖であるかのような認識が一般的であるが、歴史的観点から見てもこれは西暦三二五年にコンスタンチヌス帝の命令で開かれた 「第一回ニケーヤ会議」 でキリスト教をローマの国教とすることが議決されたことから生じた誤解である。

 イエスがキリスト教とは何のつながりもないことは、拙訳 『イエス・キリスト失われた物語』 (ハート出版) をお読みになった方には明白であろう。

 その第一回の公会議は実に足掛け五カ月も続いたという。その間に百種類もあったとされるギリシャ語・ラテン語・コプト語・アルメニア語その他で記されていたイエスにまつわる文書に改ざんが施され、それが今日の 『新約聖書』 の原型となったという。

当時はラテン語とギリシャ語で書かれていて、一般庶民は教会へ通っても意味の分からない言葉で行われる祈祷や祝福を有り難く受けるだけだった。日本人にとっての仏教の儀式と似たようなものを想像すればよいであろう。

 が、実はそれだけではなかったところに問題がある。四カ月以上にも及ぶ期間に、コンスタンチヌス派の司教によって 『新約聖書』 とは全く関係のない 「ドグマ」 (独断的教義) が制定されていたことである。これは霊的な観点から見た時に極めて重大な点で、シルバーバーチはこれを Superstructure (上部構造) と呼び、キリスト教にまつわる諸悪の根源がそこにあることを指摘し、その弊害をしつこいほど説いている。

「最後の審判説」 「贖罪説」 等がそれで、イエスは方言もそんなことは説いていない。ニューマン氏が新著に使用した Millennium (ミレニアム) もその一つで、これに new (新たな) を付したことに大きな意味があることに私は直感した。

 この Millennium とは言語的には 「一千年」 であり、century が 「百年」 であるように格別の意味はないが、大文字で使うとキリスト教の 「至福千年」 を意味する。すなわちイエスが再臨してこの世を統治し、正義と平和があまねく支配する黄金時代が一千年続くという。これは 「ヨハネ黙示録」 の20:1‐7から出たものという。

手元に聖書をお持ちの方は確認していただくことにして、私の個人的な意見は控えたい。要するに強引にそういうことにしたということである。

 さてキリスト教ではイエスの 「再臨」 のことを Second Advent ないしは Second Coming と呼んでいるが、シルバーバーチを始めとする高等な霊界通信は一致して、イエスが説いた摂理が再び説かれる時代が来るという意味で、スピリチュアリズムがそれであると言い、その証拠として、このスピリチュアリズムという名のもとに始められた地上の霊的浄化運動の背後に控える最高指揮者が、ほかならぬ地上で 「ナザレのイエス」 と呼ばれた人物であるという事実を挙げている。

 「スピリチュアリズムのバイブル」 とまで言われているステイントン・モーゼスの自動書記通信の中に、最高指導霊インペレーターとモーゼスとの、次のようなQ&Aがある。モーゼスが 「キリストの再臨」 について尋ねたのに対して───

「聖書の記録の言い回しには、あまりこだわらぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解できぬ者が、いい加減な印象を記録した。

それがさらに拙劣な用語で他の言語に翻訳され、結局は間違った概念が伝えられることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、特に新たなる啓示において、概略ながら多く存在する。

地上にありながら、自分の死後ふたたび地上世界で説かれることになる摂理のことを述べたのである」

───では 「帰って来る」 というのは、純粋に霊的な意味なのでしょうか。

 「その通りである。今まさに主イエスが新たな啓示をたずさえて地上界へ帰ってきつつあるのである。それを、中継の霊団を通して行っておられる。必要とあれば、自ら影響力を行使なさることもあるかもしれぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主イエスが地上に降りられた時代のそれと類似している」

 「〝変容の丘〟において主イエスは、影響力の通路となっていた二人の霊、すなわちモーゼとエリヤと現実に語り合った (物質化現象)。 その二人はこのたびのスピリチュアリズム及び歴史上の幾つかの霊的活動に深く関わってきており、今なお関わっておられる。

主イエスの指示のもとに、このたびの活動を鼓舞し指揮しておられる。これで我々がスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」 (『インペレーターの霊訓』 〈潮文社〉 )

 ニューマン氏はこうした霊界からのメッセージこそ人類が忘れ去っている究極の真理であるとの確信から新著にあえて New (あらたな) を付して、これが理解された時代こそが本当の意味での〝黄金時代〟なのだと訴え、あえて The Ultimate Theory (究極の摂理) という大胆な副題を付した。本著 The Universe of Silver Birch はその入門書と思っていただきたい、と私への私信で述べている。

 ニューマン氏はどこかで───あえて言えば霊的な次元で───相通じ合うものがあったのだろうか、私はSTF (霊的真理普及基金) のジュフリー・クラッグス氏から 『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』 (ハート出版) の翻訳・出版許可通知と一緒に送られてきた出版リストの中に本書のタイトルを見つけて、早速注文をすると同時に翻訳・出版許可も申し込んでいる。

 ニューマン氏が本格的にシルバーバーチの霊言と出会ったのが一九九二年で、私はその頃毎週のように 『サイキック・ニューズ』 に掲載されるニューマン氏の記事を欠かさず読み、その顔写真を切り取ったりしている。

赤茶けてしまっているが、今も残っている。今回サイン入りで進呈していただいた新著にはそれと同じ写真が使用されていて、懐かしく思った次第である。

 もう一つ、自分でも驚いたのは、平成六年にハート出版から出版された 『古代霊シルバーバーチ・新たなる啓示』 の 「訳者あとがき」 に私がこのニューマン氏の記事を訳出して紹介している事実を、本書の編集を担当して下さった是安宏明氏から指摘されて、私がやはりニューマン氏のものの考え方によほど共感していたことを知った。

内容的に決して古さを感じさせないので、最後にそれを採録して参考に供したい。題して 『科学者よ、シルバーバーチを読め!』 《シルバーバーチを愛読している人でも、その奥深い意味まで理解している人は案外少ないものだ。それほどシルバーバーチの教えには含蓄がある。

 私に言わせれば、むしろ科学者がシルバーバーチを読めば、そしてその奥に秘められた意味を理解すれば、いま科学者を悩ませている難問への回答を見出すに違いない。現代の科学が到達した宇宙観によれば、どうやら我々が認識している世界が全てではないらしいこと、今こうして生活している世界と共存の形で無数の世界が存在しているらしいこと、それらの中にはこの地球と同じ世界もあれば全く異なる世界もあるらしい、ということである。

 最新の量子論からいっても、そうした別世界(オールターナティヴ)は地上界から絶縁した世界ではなく、この物質の世界と触れ合い、互いの原子が押し合いへし合いしていても少しもおかしくはないのだ。

 そのオールターナティヴにも、我々地球人類と同じ精神構造と身体構造をしている存在が生活している───基本的にはその意識的生活は同じであることも、十分にあり得るのだ。

 結局のところ生命とは、たぶん科学的結合をベースとして、宇宙エネルギーが組織的に形態を具えたもの、との定義にたどり着く。この定義は科学者なら誰しも納得がいく。問題は、目に見えざる世界が存在する、そのありようがしっくり認識できない点にあると言える。
 
 そこでシルバーバーチに登場願うことになる。シルバーバーチは平面的な〝場〟を意味する Plane と言う用語を用いずに〝状態〟を意味する state を用いている。シルバーバーチは言う───

 「すべてが混ざり合った状態にあるのです。無線電信の波動が宇宙に充満しているのと同じ状態です。いろいろな波長があり、いろいろなバイブレーションがあります。が、それらが同時に同じ場に共存できるのです。境界というものはありません。波動が異なるだけです。反応する意識の側面が違うのです


 このことから考えると、地上生活というのは、脳髄という物質を通して活動する精神をコントロールしている、ある一定レベルの意識での生活の場ということになる。つまり五感でキャッチしたものが、脳と生命の糸 (魂の緒) を通して精神ないしは魂へと伝えられて、それぞれの反応を生じる、ということである。

 このことはさらに、人のために役立つ心がけと中庸の生活こそが意識レベルを高め、精神の活動の場を広げることになる、という考えを生む。結局〝死〟というのは、肉体から離れた魂がその意識レベルに相当したバイブレーションのオールターナティヴへ移動するだけのこと、ということになる。死後の環境に違和感を感じないというのは当然のことなのである。

 その後の進化についてもシルバーバーチは簡潔にこう述べる───

「魂が成長すれば、波動のより高い状態に適応できるようになり、自動的により高い階層で生活することになります」

 その階層の持つ電磁波の作用でそうなるのであろう。となると当然、乱れた生活をしている人間は、その乱れた波動に似合った世界へと引きつけられていくことになる。かくして聖書の通り 「麦ともみ殻が選り分けられ」 「多くの住処」 が生じるわけである》   
  (『サイキック・ニューズ』一九九三年四月二四日号より)

        

                                


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