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読 書 会 案 内 

 
 
 
 
   
       読 書 会 会 場  かつしか青砥(詳細案内)
 
   2011年 10月ホームページ公開  
 
   2012年  1月 読書会開始                  

                2021年度 読書会日程   時間13:30~16:00
 
    読書会日程
 
  ☆☆ 使用図書 
  シルバーバーチの霊訓(7) 
  
                               会議室
  10月   17日    9章   2F チェリー
  11月 21日  10章   2F ローレル
    12月 19日  11章   2F ローレル

 2022年度 シルバーバーチの霊訓(8)
  1月23日 
シルバーバ―チのアイデンティティ
  2月20日 
  
  
 
  場所 : 東京都葛飾区立石6-33-1 
                  最寄り駅 : 京成線 青砥駅  徒歩 : 5分  
               初参加の方はご一報ください
               かつしか青砥会場    シンフォニーヒルズ   別館 2F          


                                         
  
    
         
       
                      別館 入口
 
       
          
     
    使用図書は各自ご用意ください

 タブレットでお読みになる方が質問し易いように底本のぺージ数を入れました。

   ☆ SBの霊訓()は先着二名様にお貸しできます。


         九章 悩み多きインド
℘160
 インドのボンベイの新聞〝フリープレス・ジャーナル〟のロンドン特派員シュリダール・テルカール氏がハンネン・スワッハー氏との不思議な出会いからシルバーバーチの交霊会に招かれた。以下はテルカール氏の記事である。
             ※                   ※                   ※
 われわれの日常生活には不思議なことが起きるものである。なぜそうなったかは必ずしも説明できない。〝ああ、それはそうなるようになってたんだよ〟と言う人がいるであろう。〝それが神の意志だったのさ〟と言って片づけてしまう人もいるであろう。かくして凡人はそうした〝予期せぬこと〟の背後の重大な意味に気づかないまま毎日を生きている。

 いま私の脳裏に、なぜあの時あんなことになってしまったのだろうかという、ある不思議な体験のことが残っている。今の私には不思議なナゾに包まれたミステリーに思える。私の職業はジャーナリストである。母国インドの新聞に何か新鮮なものを送りたいと思っていつも目を皿のようにしている人間である。

 さて、つい先ごろのことである。インド人の友だちが情報局のプレスルームにひょっこり姿を見せた。思いがけないことだった。〝サボイ・ホテルまで来てくれないか。いい話があるんだ〟と言う。誘われるまま行ってみると、ストラボルギー卿の記者会見が行われていた。友たちは会見室に入っていきジャーナリストが並んでいる一ばん端に席を取った。が、私は何となく入る気がしなくて外で待っていた。
℘161   
 ところが突然ストラボルギー卿が席を立って私のところへ歩み寄り、握手を求め〝ま、お入りください〟と言って中へ案内した。そして座らされたテーブルには、なんと、卿夫妻とイスラエル人の他にハンネン・スワッハー氏がいた。私はスワッハー氏は取材旅行中に何度も見かけたことはあるが、それほど身近に見るのは初めてだった。氏には何かしら私を惹きつけるものを感じていた。

 その瞬間私の脳裏には学生時代のことが浮かんだ。当時はハンネン・スワッハーといえば毒舌をもって鳴らす怖い存在に思えた。が今はじめて言葉を交わして見て、本当は心根の優しい、温かい、真の庶民の味方で、深い人間的理解力を秘めた方であることを知った。記者会見が終わると私はスワッハー氏に〝かねがねお会いできればと願っておりました〟と挨拶した。すると〝正午に私の家にいらっしゃい〟と言われた。

 訪ねてみるとスワッハー氏は書物と書類に埋もれた〝仕事場〟にいた。氏はそこであの超人的才能で文章を書き上げているのだ。あの辛らつな、容赦ない風刺をきかした文章、スワッハー一流の簡潔な文章──千語が百語に凝縮してしまうのだ。その日私はそのスワッハー氏がその魔術的仕事に携わっているところを見ていて〝ペンは剣より強し〟という古い諺を思い出した。実はその時の私にはある不満のタネがあった。それを遠慮なく述べると、それをまともに取り上げてくれて、その場であっという間に記事を書き上げてしまった。奇跡としか思えなかった。スワッハーという人はただの毒舌家ではないのだ。
℘162     
 さて私がそろそろ失礼しようとすると、氏が司会をしているホームサークルに出席してみなさいと言われた。私は英国へ来て十五年余りになるが、スピリチュアリストの集会にも交霊会にも行ってみたことがない。ジャーナリストである以上──ジャーナリストというのは常に抜け目のない批判的精神の持ち主であると相場がきまっているので──このチャンスを逃すのは勿体ないと考えて、招待に応じた。

 交霊会が催されるこじんまりとした住居(バーバネルの私邸)に到着した時私はいささか興奮していた。とても雰囲気のいい家だった。バーバネル夫妻が温かく迎えてくれた。至って英国らしい家庭である。が、雰囲気はどこかよそと違うところがある。何となく母国インド人の手厚い歓迎を受けているような錯覚を覚えた。数こそ少ないが、その日そこに集まった人たちとすぐに打ちとけてしまったのである。初めて会う人たちばかりなのに、あたかも親しい旧友と再会したみたいに愉快に語り合い、冗談を言い合っては笑いが巻き起るのだった。
℘163    
 壁の肖像画がすぐ目に入った。このハンネン・スワッハー・ホームサークルの支配霊シルバーバーチである。深い洞察力に富んだ眼と顔の輝きがインディアンの聖人を思わせる。私はしばしその画に見入っていた。今にも私に語りかけそうな感じがした。

 談笑はしばらく続いた。私はスワッハー氏の隣に腰かけた。有名な心霊治療家であるパリッシュ氏と向かい合う形となった。やがて急に部屋が静寂に包まれた。時おりヒソヒソと語り合う声がする。私は列席者の顔ぶれに興味のまなこを向けた。スワッハーの横にはもう一人、純情そうな若いジャーナリストがいた。こうして油断を怠らなくさせるのは新聞記者としての私の本能である。

 列席している男女は至って普通の人間ばかりである。奇人・変人の様子はひとかけらも見られない。語り合った印象でも、みな教養豊かな知識人ばかりである。政治問題、社会主義、ガンジーなどが話題に上ったが、どう見ても〝へソ曲がり〟でもなく〝ネコかぶり〟でもなく、〝一風変わった精神病者〟ではあり得なかった。(当時のスピリチュアリストはそういう言葉で形容されていたのであろう──訳者)

 そのうち霊媒のバーバネルが落ち着かない様子を見せはじめた。〝落ち着かない〟という表現は適切ではないのであろうが、私の目にはそう映ったのである。両手でしきりに頬をさすっている。眼はすでに閉じている。氏の身も心も何か目に見えないものによって占領されているように私には思えた。続いて〝シュー〟という声とともにドラマチックな一瞬が訪れた。全員の目が霊媒の方へ注がれている。ついにシルバーバーチが語り始めたのである。(訳者注──必ずいびきを伴った息づかいから始まり、それが次第に大きくなっていき、最後に〝フーッ〟と大きく吐き出す。それがそのときの唇の形によって〝シューッ〟となったり〝スーッ〟となったりする。霊媒から離れる時もなぜかいびきを伴った息づかいで終わる)
℘164  
 最初に祈りの言葉があった。その簡潔でいてしかも深い意味を持つ言葉に私は感銘を受けた。それが淀みなく流れ出るのに深い感動を覚えた。祈りが終わってスワッハー氏が私を(インドの霊覚者)リシーと親交のある人物として紹介すると、シルバーバーチはこう語ってくれた。

 「本日は私たちの会にご出席いただいてうれしく思います。リシーご夫妻には私も深い敬意を抱いております。大きな仕事をなさっておられるからです。暗黒の大陸においては小さな灯でしかないかも知れませんが・・・・・・

 ご夫妻は右に偏ることも左に偏ることもなく、双肩に担わされた神聖な信任に応えるべく真っすぐに歩んでおられます。大陸を相手にたった一人です。自らも遅々として進歩の少ないことを自覚しておられますが、そのたった一人の力で多くの魂が感動し、太古からの誤った教えと古臭い迷信による束縛から脱し、霊的真理の光明へ向かっております。
℘165   
 どんどん広がってまいります。小さなうねりが次第に大きくなって大河となり、やがて巨大な大洋となることでしょう。きっとなります。宗教についてあれほど多くが語られながら霊についての真実がほとんど理解されていないあなたの大陸においてきっと広がることでしょう。

 私から見るとインドには霊の道具となれる人があふれるほどいます。一人ひとりが福音を広める道具です──道具となれる可能性をもっております。一人の人間が一人の人間に真理をもたらすことができれば、少なくとも倍の真理がもたらされたことになりましょう。

 所詮は短い人生です。その短い人生においてたった一人の人間でもいいから重荷を軽くしてあげることに成功したら、たった一人の人間の涙を拭ってあげることが出来たら、たった一人の人間の悩みを取り除いてあげることが出来たら、それだけでもあなたの生涯は無駄でなかったことになります。ところが悲しいことに、地上生活の終わりを迎えたときに何一つ他人のためになることをしていない人が実に多いのです。そう思われませんか」

 「まったくです」と私は答えた。

 社会主義者として、また普遍的同胞精神の大切さを信じる者の一人として、そのシルバーバーチの最後の言葉は、苦しむ人類の全てに対するメッセージと言ってよい。その言葉を胆に銘ずべき人がいる筈である。今地上には同胞に対する非人間性がはびこりつつあり、われわれの想像力を悩ませている。神と真理の名において多くの罪悪が横行している。〝力は善なり〟の風潮がはびこり、宇宙の永遠の摂理が風に吹き飛ばされている。確かにシルバーバーチの言うとおり、もしも〝一人ひとりが福音を広める道具〟となれば、少なくともわれわれの人生は無駄でなかったことになろう。私はシルバーバーチにこう尋ねた。
℘166    
 「私は人間はすべて自由であるべきだと思います。私の国民は今大きな苦しみを味わっております。インドの魂は悶え苦しんでいると私はみています。今日インドには立派な人がいることはいます。インド国民の霊的意識を高揚させ、霊力の貯蔵庫の恩恵にあずからせるべく献身的生活をしている霊覚者がいて、インドをイギリスの支配から独立させ、平和と幸福と自由を得るために闘っております。私たちの国民がそこまで到達する方法、あるいは道があるのでしょうか」

 「今ここに素晴らしい方がお見えになってます。その方の詩をあなたも愛読していらっしゃると言えば、もう誰だかお分かりでしょう」
℘167  
 タゴールである。インド最高の詩人であり、その詩によって無数の国民の魂を鼓舞した人物である。シルバーバーチは続けた。

 「いいですか。インドは今、過去に蒔いたタネを刈り取っているところだということを知ってください。宇宙は法則によって支配されております。原因と結果の法則です。私の声は──そして地上の物的束縛から解放された者たちの声もみなそうですが──自由と解放と寛容の大切さを強調します。が、血なまぐさい戦争の結果として生じた複雑な問題が一気に解決できるわけがありません。国民が勝手にこれが自由だと思いこみ、それ以外の自由を望まない国民を安易に解放するわけには行かないでしょう。自由には必ず条件が付きものだからです。何の拘束も無い自由と言うものは無いのです。〝自由な自由〟というものは無いのです。自由というのは、その自由がもし無条件なものとなったらかえって侵害されかねない〝自由の恩恵〟を味わうために、ある程度の制約が必要なのです。

 インドはこれまで幾世紀にもわたって、勝手にこしらえた信仰に縛られてきたがために生じた暗黒が支配しています。無数の国民が間違った偶像を崇拝し、それに神性と絶対力があるかに思い、それ以外の神々を認めることを拒否します。それによって人間の霊性が束縛され、隷属させられ、抑圧されております。わけの分らない概念で戸惑わせるばかりの複雑な教義でがんじがらめにされております。
℘168    
 さて、そうした彼らを救出してあげなければならないのですが、何世紀にもわたって積み重ねられてきたものをたった一日で元に戻す方法はありません。インド民族はまだ寛容の精神が身に付いておりません。神の前において人類はすべて平等であること、誰一人として神の特別の寵愛を受ける者はいないこと、無私の奉仕に献身した者だけが神の恩寵にあずかるという教えが理解できておりません。

 改めなければならないことが沢山あります。永い間暗闇の中で暮らしてきた者は一度に真理の光を見ることができません。そんなことをしたら目が眩んでしまいます。仕事は一人ひとりが自分の力で、牢獄となってしまった宗教的束縛から脱け出ることから始まります。その束縛を打ち破ってしまえば、より大きな自由を手にすることが出来ます。すなわち他人の権利を認めてあげられる心のゆとりです。

 人間の霊には教義やカースト(世襲的階級制度)を超えてすべてを結びつける要素があるとこと、民族全体が一つの兄弟関係にあることを理解出来る人が大多数を占めるようになれば、もはやその民族を隷属させる権力者も支配者もいなくなります。なぜなら、すでにその民族は自らの努力によって獲得した魂の自由を駆使できる段階まで到達している筈だからです。
℘169    
 まずは献身的奉仕精神に目覚めた、ひとにぎりの誠心誠意の人物が出現すればいいのです。その人たちによって多くの難問解決への道が切り開かれ、暗闇に光明を灯す糸口がつかめるでしょうが、そのためには、その人たちは〝我〟を超越し〝宗派〟を超越し、〝教義〟と〝カースト〟を超越して、インド民族のすべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味があることを率直にそして謙虚に認められるようにならなければいけません。あれほどの宗教国家においてあれほどの暗黒が存在するとは、何という矛盾でしょう。あれだけの裕福な階級がある一方で、あれほどの貧民階級が存在するとは、何という矛盾でしょう!

 私は主張した──「でもインドにも偉大な人物が数多く存在します。政治犯として今なお獄中にあるネールを初め、ガンジー、そのほか偉大な人物がいます。インドの国民は、問題は要するに一国家による他国家の占領支配にあると考えています」

 「それは違いますよ」 と優しく諭すようにシルバーバーチは語ってくれた。「いいですか、問題はあなたのおっしゃる一国による占領支配にあるのではありません。何となれば、かりにその占領支配が一気に取り除かれても、それで民族に自由がもたらされるかというと、そうは行かないでしょう。
℘170      
自由というのは苦労した末に手にすべきものなのです。自分の力で勝ち取らねばならないものなのです。そのための大きな革命がナザレのイエス以来ずっとこの方、個人の力で成就されてきているではありませんか」(訳者注──イエス時代のイスラエル民族はローマの占領支配下にあり、それと結託したユダヤ政治家や宗教家の腐敗と堕落によって民衆は息も絶えだえの状態にあった。そこに出現したのがイエスであり、腐敗と堕落を極めた宗教家と政治家を相手に敢然として立ち向かった。イエスは一般にはキリスト教の教祖のように思われているが、世襲的にはユダヤ教徒だった。が、ユダヤ教の誤った教義によって束縛された生活習慣や物の考え方を改めるために新しい霊的真理を説き、その証拠として持ち前の霊的能力を駆使したまでのことで、本質的には社会革命家だった。シルバーバーチの念頭にはインドが当時のイスラエルに似ているという認識がある)

 シルバーバーチの霊言を聞いていて私は、その言葉に深い真理があることに気づいた。その訓え──インド民族への霊的メッセージに秘められた叡知に大きな感動を覚えた。最も、末節的には賛成しかねる部分もあった。現在のインド民族の大半がヒンズー教徒の信者であるが、今日のヒンズー教徒はべーダとウパニシャッド(ともにバラモン教の根本教典で最高の宗教哲学書とされている──訳者)をもとにした純粋のヒンズー教徒ではなくなっている。べーダとウパ二シャッドの教えはまさにシルバーバーチの訓えそのものなのである。
℘171   
 ヒンズー教もその内きっと本来のあるべき姿を取り戻す日が来るであろう。それは時間の問題に過ぎない。ガンジーその他の大人物がすでにエネルギーを再生させ、それによって無数のインド人が勇気づけられている。今やインドは蘇ったのである。多くの者が既に邪神と似非(えせ)予言者との縁を断っている。

 この度の英国による政治支配はむろんインド自身の側にもその責任の一端がある。が、こうした事態に至らしめた最大の責任は、片手に銃を、もう一方の手にバイブルを持って攻め込んだ征服者の側にある。それが自分たちの邪神と似非予言者をインドに植え付けたのである。それが積み重ねられた影響力がインド人の心にますます混乱を引き起こした。打ちひしがれた心が一段と虐げられ、インドの自由精神はほぼ外敵の戦車の車輪につながれてしまっていた。

 今日のインドには世界の他のいかなる国にも劣らない霊的同胞精神がある。人間の霊性が武力の前に恐れおののいているように思えてならない。カーストと教義を超えてインド人は、シルバーバーチの言うように〝すべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味がある〟ことを認識している。

 〝大きな革命は個人の力で成就されてきた〟──このシルバーバーチの言葉は至言である。ガンジーもネールも偉大な革命家だった。彼らの政策に批判的な人がいるかも知れない。その経済政策に疑問を持つ人がいるかも知れない。彼らの禁欲主義は度を過ごしていると思う人がいるかも知れない。が、彼らは現実にインドの大衆の心を捉えたのだ。
℘172    
 彼らこそ宗教的教義のジャングルを切り開き、不幸な私の母国に自由をもたらしてくれることであろう。が、同時に、他の多くの国の偉大な霊もまた、その霊的統一をもたらす上で力となってくれるに違いない。頑丈な体格をしながらも傷ついた人間に小柄な人間が力を貸すことが出来ることもあるのだ。 

 では最後にこう付け加えて本稿を終わろう。私は厳密な意味でのスピリチュアリストではない。が、この度の交霊会への出席は素晴らしい体験だった。今なお私は勉強中であり、研究中であり、指導を求めている。道は遠く、困難をきわめることであろう。が、どうやらその旅の終わりには、それだけの価値のあるものが待ち受けている様な気がする。
                                                                                 シュリダール・テルカール

℘174 
 十章 質問に答える
(一)──スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できるものの中で最大のものは何でしょうか。


 「最大の貢献は神の子等にいろんな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日蔭でなく日向で生きることを可能にします。

 あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放します。真理を求める戦いにおいて勇猛果敢であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上の他のいかなる人間にも霊の絆が宿ることを認識せしめます。
 
 憎み合いもなく、肌の色や民族の差別もない世界、自分をより多く役立てた人だけが偉い人と呼ばれる新しい世界を築くにはいかにしたらよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうしたことがスピリチュアリズムにできる大きな貢献です。

 人間は自由であるべく生れてくるのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷の如く他のものによって縛られ足枷をされて生きるべきものではありません。その人生は豊かでなければなりません。

精神的にも身体的にも霊的にも豊かでなければいけません。あらゆる知識──真理も叡知も霊的啓示も、すべてが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の荘厳さの中で生きるべきです」

℘175   
(二)──スピリチュアリズムはこれまでどおり一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか、それとも一つの信仰形体として正式に組織を持つべきでしょうか。

 「私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹は止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。みずからの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。

あなた方が寄与できるのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。それがどれだけの影響をもたらすかは前もって推し量ることは出来ません。そのためのルールをこしらえたり、細かく方針を立てたりすることはできません。

(そういうことを人間の浅知恵でやろうとすると組織を整え、広報担当、営業担当といったものをこしらえ、次第に世俗的宗教となり下がるということであろう──訳者)
℘176      
 あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する──人のために役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える──かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。じっくりと人間生活の全分野に浸透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」


(三)──支配霊になるのは霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか。

 「いえ、そうとはかぎりません。その霊媒の仕事の種類によって違いますし、また、〝支配霊〟という用語をどういう意味で使っているかも問題です。地上の霊媒を使用する仕事に携る霊は〝協力態勢〟で臨みます。一人の霊媒には複数の霊からなる霊団が組織されており、その全体の指揮に当たる霊が一人います。これを〝支配霊〟と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じでしゃべります。ときおり他の霊がしゃべることもありますが、その場合も支配霊の指示と許可を得たうえでのことです。しかし役割は一人ひとり違います。〝指導霊〟という言い方をすることがあるのもそのためです。
℘177    
 入神霊言霊媒にかぎって言えば、支配霊は必ず霊媒より霊格が上です。が、物理現象の演出にたずさわるのは必ずしも霊格が高い霊ばかりとはかぎりません。中にはまだまだ地上的要素が強く残っているからこそその種の仕事にたずさわれるという霊もいます。そういう霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とはかぎりません。しかし一般的には監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」

(訳者注──〝霊〟と〝魂〟の違いと同じく、この〝支配霊〟と〝指導霊〟の使い方は英語でも混乱している。と言うよりは勝手な解釈のもとに使用されていると言った方がよいであろう。これは各自の理解力に差がある以上やむを得ないことであり、こうしたことは心霊の分野だけでなく学問の世界ですら一般的である。だからこそ辞引や用字用語辞典が生まれてくるのである。

心霊用語を一定の規範にまとめるべきだという意見も聞かれるが、私は使用する人間にその心得がない以上それは無駄であると同時に、その必要性もないと考えている。要は自分はこういう意味で使用するということを明確にすれば、あるいは文脈上それがはっきりすれば、それでいいと思う。
℘178   
特に霊界通信になると根本的に人間の用語では表現できないことが多く、通信霊は人間以上にその点で苦労しているのである。それは私のように英語を日本語に直す仕事以上に大変なことであろう。霊言でも自動書記でも同じである。それが人間の言語の宿命なのである。シルバーバーチが折あるごとに、用語に拘らずその意味をくみ取って欲しいと言っているのもそのためである)

(四)───入神状態(トランス)は霊媒の健康に害はないのでしょうか。

  「益こそあれ何ら害はありません。ただし、それは今までに明らかにされた霊媒現象の原理・法則を忠実に守っていればのことです。あまりひんぱんにしすぎると、たとえば一日に三回も四回も行えば、これは当然健康に悪影響を及ぼします。が、常識的な線を守って、きちんと期間を置いて行い、霊媒としての日ごろの修行を怠らなければ、必ず健康にプラスします。なぜかというと、霊媒を通して流れるエネルギーは活性に富んでいますから、それが健康増進の効果をもたらすのです。正しく使えば霊媒能力はすべて健康にプラスします。が使い方を誤るとマイナスとなります」
℘179          
(五)──思念に実体があるというのは本当でしょうか。

 「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある───このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。

 いま地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信しあえる段階までは進化していないということです。まだまだ開発しなければならないものがあります。地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形体をとるまでは存在に気付かないからです。

 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。
℘180     
 勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」

──物的活動の動機づけとして活用するのは許されますね

 「それは許されます。また事実、無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」

──でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

 「できます。なぜなら私たちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、私がぜひ申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観るかぎり、それが真実なのですから仕方がありません」
℘181            
──大戦前にあれほど多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止できませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土───敵国のドイツでもそう祈ったのです。

 「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」

──善意の人々にとっては思念の力が頼りです。

──米国民への友好心はわれわれ英国人への友好心となって返ってきます。
℘182    
 「それから、遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。ただしその時は霊がその仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。その意味でこの地上生活において思念を行為の有効なさきがけとする訓練をすべきです。きちんと考えたうえで行為に出るように心掛けるべきです。ですが、思念の使い方を知らない方が何と多いことでしょう。わずか五分間でも、じっと一つのことに思念を集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」

(六)──遠隔治療において患者が(精神を統一するなどして)治療に協力することは治療効果を増すものでしょうか。

 「私の考えでは、それは波長の調整にプラスしますから、大体において効果を増すと思います。異論もあることでしょうが、私はそうみています。知らずにいるよりは知っている方が原則としては治療が容易になります。治療エネルギーを送る側と受ける側とが波長が合えば、治療が一段と容易になります。
℘183      
 治療を受けていることを知らないでも顕著な治療効果が表れたケースがあることは私もよく知っておりますが、大抵の場合それは患者の睡眠中に行われているのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです」
(昼間に送られた治療エネルギーが睡眠中に効き始めるというケースもある───訳者)



                 10月度 読書会は 質問(七)から