プ   ロ   フ   ィ   ー   ル

                                                                                          /                     
 
 
 
 
 
 
 もの心ついた頃には霊界の子供たちと遊んでいた記憶のある私は、霊界はあたり前の世界でした。両親に霊界の話をすると理解に苦しみ、最初は〝変わった子だ〟と思われていたようですが、そのうち父は「おかしなことばかり言っていると精神病院へ入れるぞ」と、言われる始末。

どのような遊びをしていたかははっきり覚えていませんが、風もないのに物を動かしたり、下からボールが上がってきたり手品師のようなことができました。 「Mrマリック」さんの100円玉に火のついた煙草を押し付け貫通させるようなことも同じようにできたと思います。マジックを見ていると霊界人の協力でやっていると思えるものが多々あるように感じています。

 話題が逸れましたが、当時の私は目隠しをして自由に走り動き回れ景色も見えるのです(360度)見える景色は灰色のようでした。

 家の裏の溜池に蓮の葉や枯葉が浮いています。その浮遊物の上を歩くこともできました。歩けるかどうかは分かってしまうのです。顕界の子供たちに不思議がられると、「誰でも歩けるよ・・・右足が沈む前に左足を出せばいいんだよ」と言ったら、真似した子がいて当然水の中に〝ボッチャン〟です。

 あるとき数人で自転車遊びをしていたら、一人の子どもが自転車ごと倒れ左足を強打してしまいました。

 痛くて泣き出しましたので、私はその子の左足のズボンをまくり上げたのです。すると膝の下あたりに不浄な霊魂が見え、ワッ霊魂だ、辺りを見わたすと、昆虫やカエルやイモリなど小動物の寿命をまっとうしなかった霊魂が三重四重にも重なり合って見えたのです。
(これらの霊魂は皮膚病の原因となる)

・・・凄い、これじゃ病気にもなるし怪我人も多いはずだと思ったとき、私は泣いている子の足に手をかざしたのです。

すると私の手から守護霊さんらしき霊が泣いている子の左足に憑いた不浄な霊魂を押し出したのです。泣いていた子の痛みが消えたから驚きです。その夜、その子の母親が〝慢性的にお腹が痛い〟診てほしいときたのです。瞬間お腹に憑いていた霊魂が見えました。が、どうも私の守護霊さんでは追い出せない感じがしましたので治療はしませんでした。

・・・この治癒能力も、最初は〝病人の病原を吸い取ることによって患者を治す〟というものでした。がしかし、それでは自分が病気に負けてしまうかも知れない。と、断ったのです。

 それから暫くたち、忘れかけたたころ再度霊界から「両親を尊敬し敬うか」という質問がきて、「当然です」と答えたところ、治療能力が与えられたのですが、その後、母にはどうせ死ぬのになぜ生んだのか、とさかんに食って掛かる始末。でも治癒力はそのままでした。

 
 治癒能力のほかにも、悩み病み苦しんでいる人に出会いますと、その悩み病み苦しみの状態が顔に文字で書いてあるのです。私は可笑しくなりました。自分では気づかれないと思って平気で意地悪や、悪戯や悪さをしているが実はすべて判ってしまうということです。

・・・この頃、座っていても体が頭くらいの高さまで浮き上がり、へ~こんなことも出来るんだ、と喜んで何度か浮き上がっていい気になっていたら、突然、4~50センチくらいの高さから、斜めに落ちてしまった。これが後の空中浮遊を恐怖心で満たし、以後空中浮遊を自ら拒否する羽目になっていった。煩悩が芽生えてきたのです。

(これは霊界人が持ちあげてくれている。と当時は思っていたが、いろいろ学んだ今、そんな単純ではなさそうです)


やがて10歳頃、霊界の存在は実は死後の世界である。ということが分り始めます。───急に死の恐怖心で満たされ始める。

朝、目覚めると霊界が見えます。霊界へさらわれるような気がして怖くて恐ろしくて、目も開けられません。霊界へは逝きたくありません。毎日続く死の世界への恐怖も、やがて慣れはじめたある朝、その日の行動の一部始終が目の前に顕れ、今日はこの道を通り小学校へ行く。帰りは別の道で帰り、道に木の枝が落ちている。


『お前はその枝を踏みつける』すると枝が跳ね上がり頭に当たる。と、お告げのように視えました。素直な頃の私なら道を変え災難から逃れることができたのですが、死後の世界を畏れ生きたいと願う願望が芽生え、冒険心や我儘が顔を出したこの頃の私は純真さや、素直な気持ちなど持続出来なくなっていました。

   さて、小学校の帰り道、期待に胸を膨らませ現場へ───あった、あった、あの枝だ。檜の小枝でしたが何とお告げのあの見えた枝がそこにあったのです。よ~しと歩幅を数え、小走りに小枝を飛び越えたのです。そのつもりでした。

身体が小枝の真上で止まりそのまま落下。見事に右足で小枝を踏みつけ頭に当たりました。

 この事件から一切、お告げには逆らえない恐ろしくなりました。観念したらいつも見える霊界人の姿が邪魔になります。悪戯心や悪さをすると、とても嫌な顔をされます。いつも見られているわけですから生きづらくなってきました。

・・・実はこの頃、しょっちゅうしていたことがあった。右目のこめかみ辺りにある波長のスイッチを切り替える。すると今までの視界が一変し、霊界が見える(霊界にいる)。やがて物質界へ帰る時はスイッチの切り替えは必要でなく、意識だけを物質界へ移す。すると元の位置にいる。

───この現象も霊界の道具となった頃からしきりに霊界へお願いしたが一向に許可が下りず、今でもそういう現象は起きない。子供の頃のように自分で波長を切り替えようと精神を集中し何度もやってみた。すると、かなりエネルギーを消耗し疲れ切ってしまうので今は諦めている。

 また空中浮遊も霊界へぜひもう一度体験したいと申しあげたが「必要性を感じない」と言われたようで、
お許しはいただけませんでした。

 やがて霊界側から、霊界は見えないほうが良いだろう。ということでそれ以来霊界は視えることは無くなりました。霊界人の視えるまま、霊界人の好む生き方をしていれば素晴らしい人生が歩めた? のですがそうはいきませんでした。


 実は霊界が視えなくなる少し前、霊界のわが家のご先祖様たちが十二、三名集まり会議を開きました。それは私にある許可を与えるか否かというものでした。霊的能力(治癒力・霊視力)をこのまま伸ばし、テレビなどマスコミに出ることを許すか否か!と。

まず司会者が一応説明していましたが、その集まったご先祖たちの顔を見ますと、いちようにダメという感じでした。

 子供心に豊かになるためには金が必要だ、何としても金を稼ぎ家族をしあわせにしてあげたい。この心が邪魔しこれは苦難の体験をさせなければ、真理普及の仕事はおろか、与えた霊能を無駄にし守銭奴となりさがり今世での目的を達成せず失敗する。との、霊界側の配慮があったようです。


 前世のカルマの清算だけが私の今世の目的ではなかったけれど、今この想い出を記していると、「真理に則した歩みが出来たら」 カルマは帳消しとなり今世が終われば幽界でなく即霊界に行けただろう。そしてもう人間としての再生はなかった。と、言われているようです。
 
しかし今世ではカルマの清算のために、また山ほどの罪を重ねてしまいました。仕方有りません。煩悩にまみれカルマの清算の道を選んだのですから。 これ以降、それはそれは苦難の連続でした。(憑依霊に憑りつかれる)


 話は急に現在に移りますが、霊界を見ることがなくなっても霊感は鋭く、1989年頃から〝お前は生き方が違う〟と来る日も来る日も身体中から声が聞こえ、導き出されたのがテレビの〝オーラの泉〟───これだ。私の生きる道はこれしかない。夢中で彼(江原啓之)の本を読みあさりましたが、求めていたものはそこにありませんでした。

 私が求めているモノは何処にあるのだ───と、狂ったようにネットサーフィンし続けた結果、守護霊さんの導きで 「本物の霊界通信・霊的真理」 を教え広めている、とあるサイトに巡り合い

(残念です。そこでは名前を載せないでくださいと言われていますので、載せられません。真理を求める者ならばみなさん知っているサイトです)

 そこで発行している図書、DVD、CD等全て購入、書かれてある参考文献等もアマゾンから購入 (読む図書すべて霊界から導かれていた。シルバーバーチの霊訓および他の高級霊界通信だけでなく、胡散臭い霊界の本から予言本まで、夢中で数々読んだお蔭で本物の霊界通信の見分け方を知ったわけです。

 そして、マザーテレサや、アシジ゙の聖フランシスコを読まされた時、霊界は私に何を求めているのか?───と真剣に考えました。


───結果、霊界の道具となれ、と知ったわけです。やっと生まれた目的に辿りついたのですが平成元年には最悪の決意(自殺)するほど疲れ果て、過去はずっと孤独でした。随分遠回りをしましたが、この苦難があったればこそ、挫折に負けない強靭さが身に付いたのです。だから苦難はありがたいのです。

 真理を知り、幼い頃の治癒力をどうしても取り戻したい。夢中で霊界へお願いし続けた結果。とうとう、そこまで願うのなら約束しなさい。と、2006年7月31日 (お願いし続け5年近く経過) 霊界と約束させらされた日 (酒も女も絶つ=言葉や文字では簡単ですが) 霊界の道具となる決意した日でした。


・・・酒はあまり好きではなかったので簡単に断てましたが夏のおいしい一杯のビールが忘れられず、何度か飲ませて下さいとお願いました。しかしOKは出ませんでした。何度目かのお願いの時に〝神と約束したのだろう〟と声が聞こえ、以後二度と口にしません。

 また、ガンジーは〝私は今日一日良い夫であった〟と述べています。肉欲に負けなかったという意味でしょうか? 私も肉欲に負けず、地上的煩悩 (物欲・色欲) に心を奪われず。地上的喜びを一切断ち、神の御国へ心馳せ、神の道具としての働きに徹しきる生き方をしているつもりです・・・

イエスは、 「地上を旅する者であれ、地上を住処とする勿れ」 「この世を旅する者であれ、この世の者となる勿れ」 と申しております・・・

(2008年10月末)名称を載せないでくださいと言われた、とある、ヒーラーグループの公開ヒーリングに参加させていただき、ヒーラーとして開眼した訳です。

 開眼しても、まだまだレベル的には低く、そこから苦行の道程が始まるのですが、もう大変だとか、孤独で寂しいとか、辛いとかは霧消してしまいました。はっきりした目的がありシルバーバーチや高級霊界からの導き、しかも霊界の神庁の道具として働くという崇高な仕事ですから人間としてこれ以上のよろこびがあるはずはありません。
 
曲りなりにも煩悩を排する生き方に徹していますと、2011年5月頃、読書会を開催するための〝準備〟しておくように。と・・・さっそくホームページ制作に取り掛かり2011年10月、始めなさいとの命令です。この時同時に〝ヒーラー養成〟も始めなさい。とも言われておりました。


───ここで少し遡り霊的体験を載せます───
 
  自叙伝 (プロフィールとかなりの部分ダブっています)

 自叙伝を載せるにあたって、20数年前にすでに書き終えたものを一部手直しをして掲載することにしました。

 日常の些細な出来事は殆ど忘れているのに 「霊的あるいは、今日に至る節目節目の出来事は不思議に覚えているのです。数々の艱難辛苦を終えた(40年以上)時、守護霊さんに「なぜこんなに辛く、苦しまなければならなかったのか?」 と聞いたところ 「お前が選んだ道だ」 という冷たい返事に唖然としました。

 また、守護霊さんも私を 「自殺に至らしめることもなく」 本日までよくぞ導いてくださいました。感謝でいっぱいです。もう半歩間違えたら自ら選んだ人生の目的を成就することなく終えていた私でした。

来世は守護霊さん曰く 「今生で重ねた罪を償うためには、お前のような病み苦しむ人の守護をするように」と、すでに霊界での次の仕事は決っているようです。


 物心ついた頃には、すでに霊界の子と遊んでいた私は、特に父から 「突然いなくなる」 とよく言われた記憶があります。その時間は霊界で遊んでいた時刻ではないかと思われます。霊界で遊んだことを愉しそうに両親に話しますと、何を言っているのか理解に苦しみ、最初はただ聞き流していたようですが、余りにも、次から次へと話しますので、父からは意味の判らないいい加減なことばかり言っていると 「精神病院へ入れるぞ」 と言われる始末
(父は真剣に考えていた)。

精神病院ってどんなところ? 知る由もありません。やがて隔離された恐ろしいところと知ると、そんなところへは行きたくありませんので、一切しゃべることはしなくなりました。


 霊界は視たいと思えば常に見え、遊べました。このころ〝交霊会〟なる場所へ連れていかれましたが、随分遠くのようでした(移動のための時間)。
私には霊的覚醒〟を早くしてほしいようでした。この交霊会に集まっておられた方々はみな外人ばかり30人以上いました。

何を話しているのか外国語でかいもく判らず、つまらなくなって〝帰る〟と連れてきた方に言いましたら、周りにいた人たちが外人ですから外国語しか話していなかったのに、突然みな日本語になって、次はあなたの番ですよ。と言われたのです。

(現在シルバーバーチ読書会を開催しておりますと、この交霊会場も、もしかしたら 「ハンネン・スワッハー・ホームサークル?」 と思いたいのですが、そうではありません。霊媒は体格のいい女性の方でしたし、司会者もあのスワッハー氏ではありませんでした)

 私は全く興味無く立ち外へ出ようとしたところ、祖父の声が聞こえました (祖父は私が生まれた時はすでに他界していた。従って祖父の声を知らない)。この交霊会出席も連れてこられた意味は無かったようです。

この頃しきりに、生まれた目的を知らされた記憶がありますが、何せ自分では生まれた目的を覚えておりませんので、またそんなこと信じられませんので、物的価値観の世界で生きざるを得ませんでした。

ある時、お前に病気を治す能力を与えよう、というのです。それは 「他人の病気の素を一旦自分の体内に受け入れる。それは後で体外に棄てられるような、能力」 というのです。私はそれでは自分が負けてしまうのではないか・・・・と思い、「イラナイ」と拒否しました。

 やがて、暫く過ぎたある日 「お前は両親を敬うか」 というのです。私は「当然です」と答えたところ、以前言われた、病を治す能力の何倍も価値のある「病気を追いだす」 力が与えられました。

しかし残念ながら10才位ですからどのように使ったらいいのか分からず宝の持ち腐れです。

(単に治病能力だけでなく病気の箇所を詳しく当て、患部が真っ赤に視えたり人の顔に病み苦しみの原因が字で書いてあったり、可笑しくて笑ったことも何度もありました)等、今考えればもの凄い能力でした。幽体離脱は何時でも出来ました。

 何せ、前世(30才で死亡)では進化向上心が高じて失敗した体験がありますので、今生ではその轍は踏ませない。

物的な肉体に魂の光を見出させるには言葉で説明しても、あるいは能力だけを与えるだけでは無理のようです。10才過ぎたころから徐々に霊的な感覚から離れていくのですが、マジックなども仲間に自慢する始末。自慢するようになったら霊界では協力してくれません。やがて霊的感性から離れていきます。

 前世は30才で死んだ私は、死をとても恐れていました。が、今世は30才しか生きないと妙な自信もありました。まだ10才位です。生まれたばかりで死にたくありません。突然霊的なものが恐怖に思えるようになってしまいした。目覚めると霊界がまる見え、大勢の霊たちが私を見つめます。もうそれは恐ろしくて目も開けられません。

登校拒否、閉じこもり、精神異常、恐怖感など、それはそれは大変な時期でしたが、霊界からは霊界が見えない方がいいだろうということで一切見えなくなりました。


───死の世界───
 
 海に呼ばれて沖へ泳ぎだした私。そこで見た美しい世界。溺れて溺死寸前に見た綺麗な天然色の美しい世界、この頃「海の妖精を度々見る」(人魚姫といった方がいいかもしれません。頭は人間、両手もあり肩から下が魚)


 海から声がきこえます(故郷は海の前)
  「オーイ、オーイ」と私を呼ぶのです。
 「なんだい」

  「お前幸せか、此処まで来れば楽しい美しい素晴しい世界が有るぞ」と
 「何処だよ」


 「こっちだよ」
 私は沖へ向かってどんどん泳ぎ始めました。
 「どこ、まだか?」と私

 「まだ先だよ。もう少しだよ」
 何かに憑りつかれたように夢中で沖へ泳ぎました。帰りのこともちょっと気になりましたが、楽しい美しい世界を見たくて、呼ばれるままに泳ぎました。

 「まだー?」と私
 「頑張れもう少しだよ」

 陸が遠くになったとき一緒に遊んでいた仲間達が私の異変に気つき、オーイ何してるんだよ~戻って来いよ。と遥か遠くで怒鳴っている声が聞こえました。はっと吾に返りました。

また海で潜っていたり泳いでいるとつねに 「死ぬぞう~」 と言う声が聞こえます。恐ろしくて近場でしか泳げません。(理由が分った時からその声は聞こえなくなりました)


 やはり海での出来事。泳ぎは達者です。友達と遠泳をして泳ぎ疲れ海岸がもう少しの所で足が地に着くだろうと思い、泳ぎを止めて立とうとしたのです。ところが足は地に着きません。一瞬慌てたのですが、体は直立のままですから泳げません。そのまま顔が水の下へ沈みます。

一寸沈むと足が地面に着く、着いたらつま先で地面を蹴る、又顔は水平線の上に上がる。呼吸して又沈む、それを何度か繰り返しているうちに水平線が天然色にキラキラ輝き始めました。それはそれは美しい世界でした。

私は「死ぬんだ」と思いました。その時、やはり一緒に泳いでいた仲間が慌てて 「何をしているんだ」 と、怒鳴ってくれたのです。 

ある日、今日は学校へこの道を行って途中に木の枝が落ちていて、その小枝に足を駆ける。小枝は宙に跳ね上がり私の頭に当たる。というようなお告げ(霊感が働いた)。

それまでの私は、その道は避け過去には事故に遭わなかったが、その日は何故か霊感に逆らいたくなり試してみようと思ったのです。なるほど、この道だ。お告「霊感」の有ったそっくりの小枝がそこに在った(余りにもお告げの枝とそっくりなので今でも鮮明にこの光景は思い出す)。

そうかこの枝を飛び越えればいいんだ。そう思った私は歩幅を確認しながら二歩三歩と駆け出し小枝を飛び越えようとしたその時、小枝のうえで私の体が止まったのです(止まったように感じた)。万有引力の法則で落下。見事に私はお告げの通りに小枝に足をかけ、小枝が飛び上がり頭に直撃したのでした。

以来私はお告げの通りになる自分が恐ろしく、霊感を恐れるようになりました。自分の人生が先に見えてその通りになったら味気ない。そう強く思いました。ある時、私の目の前で遊んでいた子が自転車で転んだのです。右足が痛いといって泣き出しました。子供のズボンをあげてその足を覗き込みました。

驚いたことに子供の足に霊魂が入っていたのです。初めて見た霊魂の姿は目鼻耳口など良く確認できたが、有るんだけどそれがない。煙のようでそうでもない。一度見て頂くしか説明のしようが無い「霊魂」でした。

周りの道路を見渡したら何と、沢山の霊魂が静かに二重に三重にすやすやとそこら中に溢れていたのです。私は勝手な判断ながら命をまっとうされなかった或は成仏されなかった小動物達や昆虫や他の霊魂が人間の弱いところに憑いてさまざまな障害が起きるのだと思ったのでした。

私は何の知識も経験も無く痛んだ子供の足に手をかざしたのです。私の手の平から私を守ってくれている守護霊が子供の足に巣くっていた霊魂を押し出したのです。信じられない光景でした。あれだけ痛がっていた子供が急に痛さが消えたため、気持ち悪そうに逃げるように帰っていきました。

自分にこんなことが出来るんだとか・能力が有るんだとか、意識の中に有るのではなく只やっているという現象でしかないのです。さかんにUFOを見たり、ある時はコックピットまで見せて頂き、どこかの星まで連れて行かれた記憶もありますがこの話を誰かにすると逆の反応が返ってきます。

 霊界とのスイッチ(波長を切り替える。右目のこめかみ付近)を入れると霊界です。物的な景色が一変します。特に目隠ししていても自由に動き回れたのですが、近所の子供達は目隠しして自転車に乗ったり自由に動き回る私を、何か細工をして目隠の中から見えてるとしか思っていなかったようです。また霊界へ移動している時はその場から一時、私が消えていたりしたようです。

さて自転車で転んで痛みが消えた少年は、夕方少年の母親なる人と我が家を尋ねて来て、「お腹が痛いので見て欲しい」とお願いされたのです。驚いたのは私の父母です。

いったい「邦夫」は何をやったのか。これから何が起きるのかと興味津々でしたが、しかし私はこの母なる人の病みを診ては上げませんでした。もしこの少年の母親なる人に、手かざし霊魂を押し出したように施療して、完治したら「霊の世界の人間」になってしまう、目覚めると霊の世界にいる私は霊の世界から何としても逃げ出したかったのです。それだけ恐ろしかったのです。眠っているときだけが心安らぐ時間でした。

父母も私がそんな能力が有るとは知らなかったし、初めてのことだし「この人を診てあげなさいとか、人様を救えるなら救ってあげなさいと諭して」 私の霊能力を伸ばしてくだされば私の世界はまるで違ったものとなっていたと思います


或いは新興宗教の教祖様になっていたかもしれません。兄弟には私の様な霊感の発達した人はいませんでした。

 

───石に閉じ込められた霊───

 近くの川に小魚を釣りに行った時、川の中から泣き声が聞こえました。とても悲しく、「寒いよう・・・ここから出して」と、しくしく泣いていた石がありました。

私「どうして石が泣いているの?」と聞いたのです。

石「昔悪戯が過ぎて石に閉じ込まれた」と言いました。

「どうすれば良いの?」私は石に聞きました。

「石からだして」と云うのです。

どうすれば出せるのか、それは聞きませんでした。当時は、悪戯小僧が出てきて又悪戯されたら堪らないという意識を強く思いましたので、霊を出す方法だとかは聞かなかったように思います。

石「水の中は寒くてたまらないから、貴女の家の庭にでも置いてください」 とお願いされましたので、庭に置いてやるくらいなら特別なことは何も無いと、石を家の庭の陽が良く当たる暖かい場所を選んで置いてあげました。父母やその他の兄弟達には内緒でした。 

石を置いた直後から、家族が次から次へと小さなケガをするのです。その時、父の顔色が変わったことを今でも良く覚えてますが、まさかその石が原因だとは知る由もありません。

父はさすがに早くその異常さに気付き「誰か石を置かなかったか?」と兄弟の誰となく問いただし始めました。私は石を川から持ち込んだなんて、怒られることが恐ろしく黙っていました。暫くして父はその石を発見し何処かに置いてきたのです。

このときの父に対する思い出は〝偉大さというより一家を守るという責任感の塊のようで凄いと思えたひと時でした。


その後私は川に行き石に声を掛けましたが反応はありませんでした。父はきっと川ではなく海へ返したのではないかと私は思っています。父に聞くことはしませんでした。

  12~3才頃からは霊的な事件は何もなくー


───再び霊との再会は22才の時───

 東京での生活が始まったのですが。最初に霊と交信したのは江東区深川森下のアパートでした。資金が無いのでどんな部屋でも良かったのです。とある不動産屋の広告を見ていましたら、店の中に誘ってくれて、ぴったりの物件が有ると紹介されたのです。

訪ねましたら、共同炊事、共同トイレで六畳間が九部屋あり、それと大家さんが住む木造のアパート二階建で、西北の角の部屋が私が借りた部屋でした。大家さんが私に「あなたお金があるの?」って聞くので余り無いと答えると、千円をさしだし私にこれでタオルを九つ買ってきなさい。というのです。

田舎者で礼儀作法も知らない私には、何が何だか分からず言われたとおりにタオルを買ってきました。大家さんはそれを持って一軒一軒挨拶に廻りなさいというのです。優しい大家さんだったのですね。


 今度引っ越してきました、葛西です、宜しくお願いします。挨拶をしますと、何処へ越したの?と皆聞くのです。

 私は「二階の角の部屋です」と答えると、止しなさい。三日しか持ちませんよ。とみな口を揃えて言うのです。理由も分からず、でもとにかく安く自分の城が欲しかったので、聞く耳は持ち合わせていません。兎に角引越しを済ませました。引越しした夜、手伝ってくれた友達が帰って疲れて横になりました。すると誰かの視線を感じるのです。上から誰かが私を見ているのです

 

 アパートでの初日

 視線の主は、私に「お前だれだ?」と聞きました。
 私「今日からこの部屋へ越してきた者だ」

 以下霊との対話です。
 霊「この部屋は俺の部屋だ」

 「何を言っているんだ、今日から俺が借りたんだ。お前はいったい誰なんだ?
 霊『俺は昔から此処に住んでいる

 「住んでいるって、誰も住んでいないから俺が借りたんだよ。お前は何でここに居るんだ?」 

 霊「俺は女に振られてここで自殺したんだよ。可哀想だろう」
 「それりゃ可哀想だ」

 そんな会話をしながら引越しの疲れもあって夜十時頃には眠りにつき熟睡した。爽やかな目覚めと共に、慌しい一日が始まった。何気なく、ふっと昨晩のことを思い出し、あれ、昨晩は疲れからか、熟睡してしまったけれど、あの部屋で自殺した男が出てきたな・・・今晩も出るのかな・・・そんなことを思い出しながら、一日終えた満足と我城に帰れる嬉しさとで帰宅の足は弾んでいました。テレビを楽しみながら、夜も九時を廻り布団をひき横になりました。横になると出てくる様です。

 霊との会話二日目

 無言で暫く私の行動をジ・・・と眺めていたのですが、やがて 
 霊「女に振られて自殺した俺は可哀想だろう」って聞くのです。

 「可哀想だけど、その女は今どうしてる?

 霊「結婚して幸せに暮らしているよ」

 「あ、そう」

 霊「お願いが有るんだけど」

 「なんだい」

 霊「あなたの体に俺を入れてくれない?」

 一瞬ドキッとした私は 「入ってどうするの」

 霊「その女に仕返しがしたいんだ」 

 私は一瞬慌てたけど、この霊から嫌われて嫌がらせを受けないように 「一寸待ってよ」 と答えました。やがて安心したように霊魂は何処かへ出掛けて行った様子。私は弱ったなと思いながら何時しか眠ってしまった。

 この霊との会話は相手を見て話しているのではなく、全身から相手を感ずるのです。しかし顔は見えなかった。意識してみなかったのかもしれないし、顔を知ることよりも知らないほうが良いとこの時はそう思ったようです。

 やがて朝、しかし今朝は心穏やかではありません。困惑の色がありありと顔に滲んでいたと思います。困ったなー今日で三日目だ。そうかアパートの人たちは三日しか持たないよ。と言っていた。このことだったんだ。──気付いてももう遅い。───後悔は先に立たず。

等と悩んでいるとき子供の頃父が言った言葉を思い出した「自分より落ちる霊魂は必ず断って入る。どんな霊魂でも絶対入れたら駄目だぞ」 と。後でこの件について父に聞いたことがあるが。…そんなこと言った覚えは全く無いとのことだった。

 霊との対話三日目

 皮膚の穴をすべて開け、霊感を最大に働かして全身総毛立ちで、部屋のドアを開けた。幸い霊魂は居ないようだ。ホッとしてテレビを付け、そのことは暫く忘れていた。やがて九時頃になり眠くなってきた。霊が出てくる前に眠ってしまおうなどと思いながら布団を敷いて横になったのです。起きているときには出てこなかったが、横になると出てくる。

 霊「どうだい、夕べの話、俺をあなたの体に入れてくれよ」と強く言う。
 私は父から入れては駄目という言葉を思い出し少し強く霊に言った。

 「冗談じゃないよ。女に振られたくらいで、何で自殺なんかするんだよ。お前、大馬鹿者だよ、死ぬ気になったら何だって出来るだろうよ。冗談じゃないよ」と強く拒絶しました。

 思わぬ言葉に部屋の霊は、しかも悲しそうに、じ゙・・・・っと暫く私を見つめて居ました。テレビで見たイギリスや外国の幽霊のように、物が飛んできたり、何か嫌がらせなどするのではないかと覚悟をしては居ましたが、悲しそうな雰囲気が部屋一杯漂いしばらく無言の時が過ぎていき、やがて何処かへ出かけたのか、す──と居なくなりました(夜十時を過ぎ頃、何処かへ出かけるようです)。

 こんなに毎晩出てこられたんじゃたまんないな、これじゃ今晩で最後だ。何処か引越ししよう。金もまるで無いのに引越しなどで出来っこないのに勝手に決心しました。 足取りも重く憂鬱な心で一日を終え帰宅した私は、やがて現れるであろう時間を迎えたのです。

 四日目の夜

 何時もの様にテレビを点け、憂鬱心でこれから何かが起こるかもしれない不安な一時を心重くまっていたのです。明日も勤めだなど思いながら、布団をひき横になりました。

 急に不安が全身を襲い身震いしそうになりながら、霊は私にどんな要求を出すか。あるいは自分の要求が入れられないと知ると、どんな態度に出るか。いずれにしても明日は引越しだと決意して横になりました。

  幾ら時が経てどその夜はとうとう幽霊は出てきませんでした。 

 五日目の夜

 安住の部屋だったあの幽霊は、私から馬鹿扱いを受け、この部屋には棲むことが出来なくなったのでしょう。以後全く姿を見ることはありませんでした。この件で学んだことは少しでも同情の心があれば霊はその人に「縋る」と言うことです。不浄な霊には同情が禁物だということです。テレビでも同じことを放送していました。

  ─── 苦難への船出 ───

 醜い自殺の世界 「自殺を決意」

 忘れもしない、平成元年十一月中ごろ、娘が学校から帰ってくると私の顔をジ───ッと見て「うちのお父さんは何でこんなきちがいじみた顔をしているのだろう」。と、見つめ、悲しそうに、寂しそうに目を逸らしました。(憑依霊の影響)

 そんな可哀想な娘をたびたび見ていると、とても可哀想でたまりませんでした。当時の私は、顔は蝋人形、青白くオドオドして、落着きがなく、手はこきざみに震え、誰が見ても精神異常としか思えない顔をしていました。

一番自覚していたのは私自身で、鏡を見ると、それはまるで鬼でした。精神異常でいつかは誰かに危害を加えるかも知れないと言う恐れすらいつも持っていましたから、死をえらぶことは時間の問題でした。

 死は娘のためのみならず精神異常で犯罪を犯したら、それこそ子供たちが惨めでしょう。妻に対しても最大の侮辱になります。自殺は私自身の「楽になりたい」願いでもあったのです。

 いよいよくるものが来た(覚悟はしていた)。パートから昼食の為に帰宅した妻に、御免なさい──自分で自分の精神が支えきれない、コントロール出来なくなってしまった。幸せにすることが出来なくて御免なさい。私は先に死にます。と目で言ったのです。

 死を決意すると周りの風景が一変し、今迄の総天然色の世界が灰色の暗闇の世界に変わったのです。しかも一点の光すら見えないのです。自殺の場所も方法も決めていましたので後は実行有るのみです。

(心が決まれば環境が一変する)

それではなぜ私は精神異常になり死の決意まで自らを追い込まなければならなかったのでしょう。
 

  ─── 生い立ち ───

 太宰治の故郷でもあります青森は津軽で生れ(昭和十八年七月六日)八人兄弟の上から五番目四男坊で生まれました。田舎で五番目ですから、親は捨て育てだったと思います。家は祖母と両親と子供たち。物心付いた私は祖母の子供として育ちました。

 ある日、祖母に私の母は誰?と聞くと〝わたし〟と祖母が答える のです。他の兄弟達が違うと言っても私は祖母が母だと信じて疑いませんでした。祖母の溺愛 で育ちました。(後の私の人生を大きく狂わせる始まり。)

小学校入学時に書類を提出します。両親、兄弟と細かに記載された書類です。私はこの書類をみて愕然としたのです。母の覧に書かれていたのは祖母の名ではなく母の名でした。ハンマーで頭をブタレました。凄いショックでした。

後でわかることですが(精神に異常をきたす源・総ての愛情を感ずる心の欠如が。産みの母からも愛されなかった、祝福されて生まれてこなかったと間違った感情を心に植えつけてしまった)、人間は愛が無ければ生きて行けないと言われる所以は此処から発するようです。

産みの親からも愛されていないと感じた子供は、実に不幸な運命を辿るようです。

ここまで書き写し・・・果たして霊的真理を学ぶ方たちに私の人生の迷いを説いても何にもならないのではないか。それらは自ら決めて生まれた道なのだから・・・・・・

───そういう結論に達し、これ以上私の艱難辛苦の体験は読む方には面白いかもしれませんが、霊的真理を学ぶ上では参考にすらならない・・・私自身が選んだ道の、その因果律の結果の〝病み、苦しみでしかなかったのだから。

但し、誤解して頂きたくないのは、これ等の現象は私の(体験)事実であったというだけです。




 「霊界探訪記」  

 私の霊界探訪は10歳前後に集中していますが、前世は30歳で終えた私は、どうせ直ぐに死ぬのだと魂に沁み込んでいた記憶があって、今生も30歳で終わる。と、妙な確信があり、道で40~50才の男性を見ますと・・・なんだい、みっともない、いい歳をして、俺はこの歳迄生きない。そんな不思議な自信が有りました。

 ある日、自然に勝手に魂が身体から抜け出したのです。と、小泉孝太郎(元総理大臣小泉純一 郎氏の長男)があるテレビ番組で幽体離脱の体験を話していました。以下、彼の話です。座っ ていたら突然俺が(言葉が違うかもしれませんが)身体から抜け出すんだよ。

 あれあれっと思って半分くらい抜け出したときに、やばい、と思って抜けかけた身体に自分を入れたんだよ。(身体をよじって入れて行くようなゼスチャーをする)と、言っていました。

 結構そんな体験をしている人もいるんですね。!

 私の、最初の幽体離脱は単に上空を旋回するのがせいぜいだったのですが、そのうちなれてきて遠くまで散策するようになり、どうせ死ぬらなら早い方がいいやって思うようになり、自分で勝手に幽体離脱し、どんどん飛んで行ったら誰一人いない寂しいとてつもなく広大な広場があって、そこにベンチがありました。

何と祖父ともう一人の方が誰かを待っていたのです。誰かは当然私だったのです。おじいちゃん、と言ったら、「お前、もう来たのか」と、私「ウン」と一言。祖父は立ち上がり歩き出しました。暫くどんどん歩き地上圏からまもなく脱する付近へ来たら、微かに声が聞こえます。

邦夫、邦夫と、何度も何度も呼び続けていたようです。父の叫ぶその声に祖父が気付き「お前、直ぐ帰れ」と怒られたような気がしました。

 枕元で眼を覚ますと、父が真剣な表情で私を覗き込んで名前を呼び続けていました。母も兄 弟たちも真顔でした。私の目覚めた顔を見て、みなホットした安堵感が漂っていました。

 また、誰かがこんなことを言っていたが? と思い、その話が事実かどうか幽体離脱して確認に行きました。彼の心の中を覗き、嘘だったと判った時も多々ありましたが、そんなことは知らない方が善い、そう思って以来止めました。…


 14~5年前(1996~7年頃)の幽体離脱の話です。


 倫理運動に情熱を注いだ時期がありました。社団法人倫理研究所の創始者 「丸山敏雄」 氏に何時も見守られていた私は(当時は誰かにいつも見守られていた感覚) 有る朝、目覚めたら、はっきりとその丸山敏雄先師が〝目覚めたかいと言うのです。

「あっ、敏雄先生」っと声をあげた私は 「先生はいつも全ての会員さんを見守っているんですか?」 と聞いたら 「そうだよ」 と言うのです。

 そして暫しの間幽界を案内していただきましたが、とにかく人が多かった印象がありました。その大勢の人の中で私が知っている方(倫理研究所の人ですでに亡くなっている方々)が殆ど居ませんでした。そこで先生に、私の知っている人が居ないけど何処に居るのですか?

と聞いたら、上の界だと言うのです。 じゃそこへ行きましょう。私が言ったら、

先生「君の今の心境では無理」みたいな顔をなさるのです。私、5,6歩後へ下がり勢い付けて飛び上がり界を突破しようと試みたのですが、無理でした。(馬鹿な私です)

  私「世界中の会員さん全てを見守っているとすると、地球の裏側の会員さんは見えないじゃな いですか?」の疑問に。


先生「それが見えるんだよ。」と言ったとたん、地球の周りに先生の眼が取り囲んだ(表現が難 しい)のです。これじゃ見える。と思ったら又邪念が浮かび煩悩に塗れた発想「ある一点に居れ ば、やっぱり裏側は見えない」と。

  私の気持ちを察した先生は「付いてきなさい」と言うものですから、付いて行きました。凄いスピードでどんど ん上空へ、やがて地球がビー玉のように小さくなりました。子供の頃の幽体離脱した事を思い出し急に怖くなり慌てて肉体に戻った、と言う体験です。

  この話は倫理研究所の葛飾支部では何度か話をさせて頂きましたが、まじめに聞いている人は皆無でした。人間界には未だまだ霊的真理は遠いようです。

 倫理研究所は霊界の存在は認めているのですが、一向に霊界の中味を教えようとはしません。非常に残念です。限りある”あっという間の人生”で幸せを感じたとしても地上的な煩悩を持 ち続ける限り本当の人生の学びにはなりません。  

 但し倫理研究所の中で指導的な活動をした方々は死後、皆一段と高い世界へ行っているようです。人の為に働いた人々はシルバーバーチの言う人生の目的を達した人々なのでしょう。

 私がヒーリングして完治した方々はやはり「善いことをしようと心がけている方が圧倒的に多いことでもわかります」

  


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