シルバーバーチの新たなる啓示  

         目 次                             
         
一章 組織と綱領  
      霊媒としての厳しい試練
     *SNU会長としての苦労
     *物理現象も霊的教訓も大切
     *クリスチャン・スピリチュアリスト
    協会の会長を招いて 
     *メキシコのスピリチュアリストと語る
           

二章 聖職者の使命                                                   
三章 強健なる魂が選ぶ道
      永遠の生命の次のページに備える
     *霊的原理の上に社会秩序を
     *霊団は決して見捨てない
     *嘆かわしいほどの無知
     *〝おもちゃ〟が必要な人もいる
     *霊能者の役目
     *人間はみな潜在的霊能者
                                        
          Lift Up Your Hearts      
       Compiled by Tony Ortzen    
          Psychic Press Ltd .,

        2 Tavistock Chambers,

         Bloomsbury Way 
         London WCIA 2SE ,
              ENGLAND

四章 読者からの質問に答える                 
    * 双子霊とは?
     *物質界の体験を持たない高級霊の存在
     *世俗的よろこびと霊的よろこび
     *不幸とカルマ
     *寿命は決まっているか
     *祈願
            

五章 愛は死を超えて
      * 霊媒としての自覚を
     *〝人のため〟の真の意味
     *出口のないトンネルはない
     *原子エネルギーの問題
     *霊格の高い者ほど困難な人生を選ぶ
     *地上への降誕の目的
     *霊界との交信には条件が必要
     *直観的判断力
     *明日を思い煩うことなく

                                                                                       
 
六章 霊能養成会と青年心霊グループ    の代表を迎えて         
 
容易でない霊能者への道
                      
     まえがき 

 本書の編纂を終えた頃の英国は、五月というのに数十年ぶりの猛暑が続いていた。朝起きてみると、いつも空は抜けるように澄み渡っていて、うっすらとモヤが掛かっていることはあっても、今日もまた暑い一日になることを予告していた。

 気の短い人間にとって、ロンドンのような大都会でのそうした季節はずれの暑さは、置かれている状況によっては、たとえば地下鉄に乗っているとか長い行列の中にいると、それはそれは耐え切れない苦痛である。

 反対に天候も気候もいい時は人間の心まで良くなることは、誰しも知るところである。晴れ渡った空はわれわれ人間の心まで晴ればれとさせてくれる。花は咲き、小鳥はさえずり、蝶が花に舞い、木々がそよ風に揺れて、すべて世は事もなしとにいった気分になる。

 しかし、シルバーバーチがよく強調するように、何事にも表と裏がある。夜があれば昼があり、愛には憎しみがあり、光には影がつきまとう。人生も同じである。何をやってもうまく行かない時期があるものだ。

 大所高所から見ればどうということはないことばかりかも知れないが、凡人の悲しさで、その一つ一つが不幸に思える。そして、とてつもない大きな災厄に見舞われてはじめて、それまでの自分が本当は幸せだったのだと気づく。

 先日も、のんびりとショッピングを楽しんでいると、中年の婦人がいきなりこの私に話しかけてきた。十二年前に十八歳の息子を交通事故で亡くしたというのである。様子から見て、その婦人にとっては、その息子の死とともに何もかもが終ってしまったようなものだったことは明らかだった。十二年後の今もその悲しみが消えやらないのだ。

 肉身との死別───それも母と子の間であれば、無理もない話で、私には一言も咎める気持ちはない。親と子のつながりは愛情と尊敬の念の上に成り立っているからだ。

《サイキック・ニューズ》の編集者として私は、そうした悲しい体験の便りをよくいただく。先週も、十三年間も飼っていた犬の死による心の痛みを切々と訴える手紙が寄せられた。私にとっては、動物とはいえ、生命はあくまでも神聖である。悲しむのを少しも不自然だとは思わない。子供が殺されたり事故で死んだという人からの手紙もよく受け取る。つい昨日も、十代でこの地上生活を終えた人の話を聞かされたばかりだ。

 そうやって悲しみの心情を私に吐露するのは、私が第三者だからであることは言うまでもない。私はそのことを光栄に思い、細やかな同情の気持を込めた返事を書くようにつとめている。

 そんな時、シルバーバーチの本を奨めることもある。それは、シルバーバーチがこの地上に戻ってきた高級指導霊の中でも、文句なしに最も説得力のある教えを説いているからである。初めて出現したのは今から半世紀以上も前であるが、英語による表現の巧みさは右に出る者はいないし、霊的思想の説明の明快さも類を見ない。掛け値なしに〝偉大なる霊〟であったし、今なおそうなのであるが、それらしく気取ったところはみじんも見られない。

 本書は、シルバーバーチ選集としてはいちばん新しいもので、ほぼ二十年間にわたる期間の霊言から抜粋してある。なるべく重複しないように気をつけたが、前に出た霊言集と重複するところがあるかも知れない。が、そのことは、このシルバーバーチの霊言に関するかぎり決して〝まずい〟こととは考えていない。何回でも繰り返すだけの価値があるし、むしろその必要性すらあると考えている。

 どういう仕事に携わっていようと、どこのどなたであろうと───シルバーバーチのファンは文字どおり世界中に広がっている───本書によって人生の難問が解け、人生観の地平線がさらに広がることを希望し、かつ祈るものである。

 願わくばシルバーバーチの言葉が、あなたにとっての慰めと親密感と充実感と生きる喜びの源泉となりますように。
                           トニー・オーツセン





   
 一章  組織と綱領 
 
 スピリチュアリズム思想の真実性を信じている人のことを、便宜上、スピリチュアリストと呼ぶ。そのスピリチュアリストの英国最大の統一組織 SNU (Spiritualists  National  Union) が掲げる七つの綱領は、大部分の会員がそれを受け入れ、座右の信条としていることであろう。

 これは心霊誌 Two Worlds を創刊したビクトリア時代の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて、霊界から霊言で届けられたものとされている。ある日の交霊会でその綱領についての評釈を求められたシルバーバーチは、建設的ではあるが非常に手厳しい評価を下している。


 訳者付記──折にふれて〝組織〟の弊害を戒めるシルバーバーチは、組織の代表を自分の交霊会に招くことは度々あったが、組織から招かれて講演したことは、私の知るかぎりでは皆無である。その最初となるべき一九八一年の世界スピリチュアリスト連盟の総会での特別講演が、その直前のバーバネルの急死によって実現しなかったのは皮肉だった。なお《サイキック・ニューズ》紙はいかなる組織からも独立した立場を取っている。


 1、神は全人類の父である。
「これは、用語が適切さを欠いております。神(ゴット)、私のいう大霊は、みなさんがお考えになるような意味での〝父〟ではありません。これでは、愛と叡智の無限の力、全生命の造化の大霊を、人間の父親、つまり男性とすることになります。かくしてそこに、偉大なる男性であるところの人間神というイメージができ上がります。

 大霊には男性と女性のすべての属性が含まれます。すべてを支配する霊である以上は、必然的に生命の全表現───父性的なもの・母性的なもの・同胞的なもの───を含むことになります。ありとあらゆる側面が大霊の支配下にあるのです」



 2、人間はみな兄弟である。

「ここでもまた用語が問題となります。〝人間〟を表わす英語の man は女性にも使えないことはありませんが、本来は男性中心の観念の強い用語です(女性は woman という)。 また、〝兄弟〟というのは〝姉妹〟に対する男性用語です。ですから、性別の観念を取り除いて、世界中の民族を一つの霊的家族とする観念を打ち出さないといけません」


 3、霊界と地上界との間に霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける。
「またしても表現に問題があり、定義が必要となります。〝霊的交わり〟よりは〝霊的感応と通信〟とした方がよろしい。
 次の〝天使の支配〟も問題があります。〝天使〟とは一体何なのでしょう? 人間の形体をまとったことのない、翼のある存在のことでしょうか。地上の人間とは何の関係もない、まったく別個の存在なのでしょうか。この項目は表現がとても不適切です。

 霊的な支配は確かにあります。が、それは地上的な縁によってあなたと繋がっているスピリット、または特別な縁はなくても、あなたを通路として、地上に指導と支援と手助けと愛情を授けたいと願っているスピリットが行なっているのです」


 4、人間の魂は死後も存続する。

「この事実に例外はありません。人間の魂(個性)は大霊の一部であるがゆえに、地上で自我を表現するための道具だった物的身体がその役割を終えると同時に、そのままいっしょに滅んでしまうものではありません。魂は本質的に永遠不滅の存在なのです。だからこそ生き続けるのです」


 5、自分の行為には自分が責任を取らねばならない。

「これも、その通りです。議論の余地はありません。私たちが地上のみなさんに説き聞かせているあらゆる教えの中核に、この〝自己責任〟の概念があります。

原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果をだれかに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。

 スピリチュアリズムの教えの核心に、この〝各人各個の責任〟の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。

それは、自分の人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受け取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません」


 6、地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる。

「これまた用語の意味が問題です。人間の容姿をした神様が立派な玉座に腰かけていて、こいつには賞を、こいつには罰を、といった調子で裁いていくかに想像してはなりません。そんな子供騙しのものではありません。

 原因と結果の法則、タネ蒔きと刈り取りの原理が働くまでのことです。自動的であり機械的です。かならず法則どおりになっていくのです。あなたが行なったことが必然的にそれ相当の結果を生み出していくのです。報賞も罰も、あなたの行為が生み出す結果にほかなりません」



 7、いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている。

「生命は、霊的であるがゆえに永遠なのです。誰であろうと、何であろうと、どこにいようと、あるいは、現在すでに到達した進化の段階がどの程度であろうと、これから先にも、永遠へ向けての無限の階段が続いているのです。不完全さを無くするためには永遠の時が必要です。

完全というのは、どこまで行っても達成されません。どこまで行っても、その先にもまだ達成すべき進化の段階があることを認識することの連続です。無限に続くのです」

 続いて質疑応答に入る。

───あなたから見て、われわれ人間が心掛けるべき信条として一つだけ選ぶとしたら、どういうことを説かれますか。無理な注文かも知れませんが・・・・・・

「いえ、無理ではありません。実に簡単なことです。すでに何度も説いていることです。〝自分に為しうることを精いっぱい行なう〟───これです。転んでも、また起きればよろしい。最善を尽くすということ───これがあなた方人間に求められていることです。

 霊的真理の自覚が深まるほど、それだけあなたの責任も重くなります。自覚していながら、知らなかったとシラを切ってみても、無駄です」


───スピリチュアリズムの綱領の中には動物についての教えもあってよいはずだと思うのですが・・・・・・

「その通りです。私もそう思います。私だったらこう表現します───〝全人類は、地上で生活を共にしているあらゆる生物と隣人に対して責任がある〟と」


───ジャーナリストが霊媒やスピリチュアリズムを軽蔑する記事を書いたりした場合、そのジャーナリストはこの地上生活中に何らかの罰が当たるのでしょうか。

「罰が当たるというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。すべては 原因に対する結果という形で進行するだけです。罰は間違った行為の結果であり、タネ蒔きと刈り取りの関係です。

 問題は〝動機〟に帰着します。つまり、そのジャーナリストは自分の記事の内容を本当にそう信じて書いたのか、それとも正直とか公正とか真理探求といった高尚な問題の範疇に属さない、何か別の単純な動機から書いただけなのかといった要素が結果に影響します。蒔いたタネが実を結ぶのです。

 その結果がそちらの世界で出るかどうかの問題は、また別の問題です。出る場合もあれば出ない場合もあります。それに関わる霊的原理によって決められることです」

───台風のような自然災害によって死亡した場合、それは偶発事故による死ということになるのでしょうか。それともやはりそれがその人の運命だったのでしょうか。

「もしもその〝偶発事故〟という用語が、因果律のリズムの範囲外でたまたま発生したという意味でしたら、私はそういう用語は使いたくありません。事故にも、それに先立つ何らかの原因があって生じているのです。原因と結果とを切り離して考えてはなりません。

 圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、あらかじめ分かっております。ということは、予定されている、ないしは運命づけられている、ということです。同時に、自由意志によってその〝死期〟を延ばすことができるケースも沢山あります。

そうした複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、基本的には自然の摂理によって規制されております」


───人間が動物の肉を食することは霊的に見て間違っているというのであれば、なぜ動物が動物を食い殺すことは許されているのでしょうか。なぜ神は肉を食べなくても済むようにしてくださらなかったのでしょうか。


「そういうご質問は私にでなく大霊にお尋ねになっていただけませんか。大霊の無限の叡知が全大宇宙のあらゆる側面に責任をもっております。人間は、身体的進化の点では、この地上における全創造物の頂点に立っています。他の創造物よりも進化しているということは、それらの創造物に対して先輩としての責任があるということです。

 進化の階梯において高い位置にあるということは、その事実に付随して生じるもろもろの意味あいを知的に、そして霊的に理解できるところまで進化しているということを意味します。

より高い者がより低い者を援助し、より高い者はさらにその上の者から援助を受ける───かくして、霊的発達というものは自己滅却(サービス)の精神と、思いやりと、慈しみを増すことであり、それが霊の属性なのです。

 人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。身体的構造をみてもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。

 動物界にも進化の法則があります。歴史を遡ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものではないことがお分かりになるはずです。

 ですから、これは人間の責任に関わる問題です。人間が進化して、その当然の結果として霊性が発揮されるようになれば、イザヤの言葉(旧約聖書・イザヤ書第十一章)が現実となります。すなわちオオカミが小ヒツジとともに寝そべり、仲良く安らかに暮らします。人間も、その霊的原理を実行に移せば、みんな仲良く平和に暮らせるようになるのです」


───核エネルギーも、それが善用されるか悪用されるかは、地上界の人間の責任ということになるのでしょうか。
 
「核エネルギーをどう利用するか───善用するか悪用するかは、もちろん深刻な問題です。戦争のための必要性に駆られて発明されたものが、実は霊的にはまだ正しく使いこなせない巨大なエネルギーだったことに、その深刻さの根があります。

 知的な発明品が霊的成長を追い越したということです。科学も、本当は霊的に、倫理的に、あるいは宗教的にチェックを受けるべきなのに、それが為されなかったところに、こうした途方もない問題が生じる原因があります。

人類は今まさに、莫大な恩恵をもたらすか、取り返しのつかない破壊行為に出るかの選択を迫られているのです。

 これはまた、自由意志の問題に戻ってまいります。これには逃れようにも逃れられない責任が伴います。大霊はその無限の叡知によって、地上の人間のすべてに、精神と霊と、モニターとしての道義心を賦与しておられます。もしも自由意志がなければ、人間はただのロボットであり、操り人形に過ぎないことになります。

 自分の行為への責任の履行なしには、神の恩恵は受けられません。その責任が課せられている人にしか解決できない問題というものがあるということです。

 核への恐怖が一種の戦争抑止力としての役割を果たしているという意見も出されるに相違ありません。たしかに物的観点からすればそうかも知れません。が、いずれにせよ、人間の為し得る破壊にも、限界というものがあります」


 ───責任の問題ですが、生まれつき知性が正常でない者の場合はどうなるのでしょうか。自分で物事が判断できない人の場合です。

 「道義心による警告に反応できない場合は、それだけ責任の程度が小さくなることは勿論です。脳の機能の異常による制約を受けているからです。神の公正は完璧です。そういう人にも向上進化の手段が用意されております。地上生活は、永遠の生命の旅路のホンの短いエピソード(語り草)にすぎないことを忘れてはなりません」


 ───自分の遺体を医学のために提供した場合に、何か霊的な影響がありますか。

「動機さえ正しければ、その提供者の霊には何ら影響は及びません」


───あなたはイエスのことを〝ナザレ人(ビト)〟とお呼びになります。別のサークルの指導霊のホワイトイーグル(※)はふつうに〝イエス〟と呼んでいるのですが、何か特別の理由があるのでしょうか。

※───シルバーバーチがバーバネルを霊媒として語り始める少し前から、女性霊媒グレイス・クックを使って語っていたインディアンで、クックが一九七九年に他界したあと、娘のジョーン・ホジソンを通して今なお語り続けている───訳者。

「同志の一人であるホワイトイーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう。私はただ混乱を避けるために〝ナザレ人〟と呼んでいるまでのことです。

地上の人々は忘れてしまったか、あるいはご存知ないようですが、 Jesus (イエス)という名前は当時ではごく一般的な男性名で、たくさんのイエスがいたのです。そこで The  Nazarene (ザ ナザレン) といえば〝あのナザレのイエス〟ということで、はっきりします。それでそう呼んでいるまでのことです」


───瞑想によって意識を高め、霊界の高い界層とコンタクトを取る方法があるのでしょうか。

「通常の意識では届かない界層と一時的に波動を合わせる瞑想法はいろいろとありますが、ご質問の意味が、通常の霊的意識の発達の過程を飛び越えて一気に最高級の程度まで霊格を高めることができるかというのであれば、それは不可能です。

 霊的進化はゆっくりとしたものです。それを加速する特別の方法というものはありません。段階を一つずつ上がっていくしかありません。途中の階段をいくつも飛び越えて近道をするというわけにはまいりません。成長というものはなだらかな段階を踏んでいくものです。そうでないと本来の進化の意味をなしません」


───三位一体説をどう思われますか。

「私は〝霊〟(スピリット)と〝精神〟(マインド)と〝身体〟(ボディ)による三位一体しか知りません。キリスト教神学でいうところの三位一体説───創造主が男性神つまり〝父〟で、その息子が贖い主としての特別の〝子〟で、それが、〝聖霊〟によって身ごもったとする説には根拠はありません」

───Witchcraft (ウィッチクラフト)(魔法・魔術・妖術)をどうお考えでしょうか。

「まず用語の定義をはっきりさせないといけません。一般の通念としては、相手の心身に危害を及ぼす目的をもって、不気味な手段によって邪悪なエネルギーを行使するということのようです。

 しかし語源をたどってみますと(witch は wise 〈賢い・知恵のある〉の女性形で、それが craft 〈術〉と結びついたもの)、けっきょくは、〝賢い術、およびそれを使う人〟という意味です。

それが〝魔法使い〟と呼ばれるようになったのですが、もともとは霊能者のことでした。形式はよほど原始的だったことでしょうが、その術には一種類ないしは複数の霊的能力が伴っておりました。

 当時は無知と迷信がはびこっておりましたから、次第に誤解されるようになりました。時には国家権力や宗教を覆す策謀があるのではないかとの嫌疑で罰せられたり、拷問にあったり、処刑されたりしました。しかし本来は霊的能力を使って病気治療や人生相談の相手をする人でした」


───死刑廃止論が多いようですが、何の罪もない人間を巻き添えにしたテロ行為が多発している現状を考えると、尋常な防止手段では効果がないように思えます。そうした罪もない犠牲者を出さないためにも、死刑という厳しい処罰も考慮すべきではないでしょうか。

「死刑制度のお蔭で一般の人々の生命が守られたという明確な証拠でもあれば、あなたのご意見も一理あることになるでしょうが、そういう事実があるとは私には思えません。原則として人間が人間の生命を奪うのは間違いです。なぜなら、人間には生命を創造する力はないからです。

 私は、死刑制度によって事態は少しも改善されないと信じます。殺人行為を平気で行なう者が、絞首刑その他の処刑手段に怯えて行為を思い止まるようなことは、まず有り得ないと考えます。いずれにせよ、死刑に処することは正義からではなく報復心に駆られているという意味において、間違いです。

 いかなる場合においても、生命の基本である霊的原理から外れないようにしなくてはなりません。殺人者を殺すことによって、殺された人は少しも救われません」


───これから犠牲者となるかも知れない罪なき人々を救うことにならないでしょうか。

「ならないと思います。これまでの永いあいだ同僚たちと話し合ってきた挙句の結論として私は、地上社会の司法と行政が、霊的存在としての最高の知識に基づいたものとなるべきであることを、ここで強く訴えるものです。国家による殺人では問題の解決にならないということです。

 生命は神聖なるものです。そのことをあらゆる機会に訴えないといけません。地上の人間としてはこれしかないと思えることも、全体像のごく一部としてしか見ていないものです。霊的にはちゃんとした埋め合わせと懲罰とがなされているのです。

大霊をごまかすことはできません。すなわち、無限の知性と無限の叡知から編み出された摂理が、無比の正確さをもって働くのです。

 そのことに十二分に得心がいくようになってはじめて、地上の社会組織が改められていきます。テロ活動を行なう者には、その間違いを思い知らせるような体験をさせられる仕組みになっているのです。それを野蛮な手段で片づけてはいけません。

地上的生命を奪うような手段は絶対に許されません。生命の絶対的原理に照らした手段に訴えないといけません」


 ───今の時代になぜ暴力沙汰が絶えないのでしょうか。

「振子と同じです。因襲的なものや伝統的なものに対する不満が、今の時代に至って爆発しているのです。それに加えて、物量第一主義の台頭が貪欲と強欲と自分中心主義を生み出しております。

 しかし、振子は大きく振れたあと、かならず元に戻ります。そして、前よりは進歩した形で調和をもたらします。物質中心の思考が人類の意識を支配しているかぎり、それが生み出す不快な結果が自動的に生じます」


    
 霊媒としての厳しい試練

 SNU(英国スピリチュアリスト同盟)のゴードン・ヒギンソン氏は、これまでも何度かこのサークルに招待されているが、一九七一年にベテランの霊言霊媒レスリー・フリント氏(※)を伴って出席した。

 ※───フリント氏は直接談話を得意とした霊媒で、入神もせず、ただ腰掛けているだけで、その部屋のあちこちからスピリットの声がする。学者による厳しいテスト、たとえば口にガムテープをはられるなどされたが、それにお構いなく、入れ替り立ち替わりスピリットの声がした。著書には自伝的内容の Voices in the Dark がある。現在は老齢のため霊媒活動はしていない───訳者。


 まずシルバーバーチはフリント氏に声を掛け、ヒギンソン氏には「あなたにも関係のある話なので、よく聞いてほしい」と言ってから次のように述べた。
   「霊媒という仕事が、列席者の目に映っている外見からはおよそ想像のつかない厳しい道を歩まされ、大きな犠牲を強いられるものであることは、私が他の誰よりもよく知っております。

 あなたの背後に素晴らしい霊団が控えていることは、ご存知と思います。叡知に富む高級なスピリットばかりです。ロンドン訛りのある若者(※)がいますが、それをもって教養が低いと思ってはなりません。あの若者は霊界側の霊媒でして、高級なスピリットの意志を取り次いでいるのです。

最初に聞こえる独特の言い回しは、会場の雰囲気を和らげて、最高のコミュ二ケーションを得る上で必要なバイブレーションを生み出すために、わざと行なっているのです。たぶんあなたはご存知と思いますが・・・・・・」

 ※───ミッキーという呼び名の進行役のことで、〝最初に聞こえる独特の言い回し〟がどういうものかは著書 Voices  in  the  Dark にも出ていない───訳者。

フリント───もちろん知っております。

「あのシーンに出てくるスピリットは、言ってみれば梯子の下の段に相当します。いちばん下の段に位置する地上の霊媒、つまりあなたと、いちばん上の段に位置する中心的指導霊とのつなぎ役、いわば霊界の霊媒役(※)をつとめているのです」

 ※───シルバーバーチを霊視したマルセル・ポンサンによる肖像画は北米インディアンに描かれていて、表向きはそれがシルバーバーチということになっている。が、これは霊界の霊媒であって、シルバーバーチその人でない。

 シルバーバーチと名のる中心的指導霊については、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外は、姿はおろか、地上時代の姓名も国籍もわかっていない。六十年に及んだ交霊会で何度となくそれを訊ねられたが〝そんなことはどうでもいいことです。大切なのは私が述べている教えです〟と言って、ついに明かさずに終わった。

 この事実、つまり高級霊ほど地上時代のことを明かそうとしないということの重大性がどこまで理解できるかが、その人の霊的理解力の尺度であると私は見ている───訳者。

 引き続きシルバーバーチが「こんなことを申し上げるのは、これまでにあなたが辿られた道がどんなに辛く、石ころだらけで、およそラクな暮らしとはいえないものだったとしても───」と言いかけると、

フリント氏が「火打石(フリント)のようでした───ただの石ころよりも酷しかったです」と、シャレを引っかけて言う。


「でも、どうしようもない窮地に陥ったことはないはずです。生きるために必要な最低限のものは、最後の最後まで忍んでいれば必ず用意されてきております。他人のために尽くす行為をする人は他人から尽くされる、というのが霊的摂理の一環なのです。そして、他人のためになる行為が大霊の目に止まらないことは絶対にありません。

 しかし同時に、アクセルとブレーキの操作も絶え間なく行なわれていることも知らないといけません。促進と抑制とでうまく調整しながら、あなたが使命と心得てこの世に生まれてきた道から外れることのないようにするのです。

振り返ってごらんになれば、なんだかんだと言いながらも、何とか切り抜けてきておられることがお分かりでしょう。あなたの生活レベルは、地上の尺度で見れば決して裕福とはいえないかも知れませんが、霊的視野から見れば、大変恵まれていらっしゃいます。

 悲哀の極にある人に慰めを与えてあげる仕事は、誰にでも出来るというものではありません。キリスト教会にも為し得ない、何ものかが必要なのです。

キリスト教信者は〝信仰〟を自負しますが、ただの信仰というものは頼りないものでして、何事もない時は間に合うかも知れませんが、愛する者を奪い去られる体験をした人には、何の役にも立ちません。

 霊の力があなたを通して働くのです。その結果として悲哀の涙が、霊的知識がもたらす穏やかな確信と置き換えられます。かくして、この地上世界に、霊的悟りを手にした人が一人増えることになります。暗黒と悲哀の中にいるかに思える体験も、実は神の意図があるからこそであることを悟った人が一人増えるのです。

 あなたも困難のさ中にあって、よく〝なぜこんな体験をさせられるのだろうか。これにも意味があるのだろうか〟と自問されることと思いますが、ちゃんと意味があるのです。そして、その困難に耐えて行く上で支えになるのが、確固とした知識が生み出す霊力なのです」


 フリント───はい、よく分かります。

「千々に乱れた心を癒してあげることができたら、愛する者を失って片腕をもぎ取られたような思いをしている人に慰めを与えてあげることができたら、病身の人に健康を取り戻させてあげることができたら、それがたった一人であっても、その行為の価値は絶大です。

そういう行為こそ、こちらの最高級界に淵源を発する地球浄化の大事業計画にもくろまれている目的の一環なのです。

 その界層においては、進化せる高級霊たちが、一人でも多くの地上の人間に霊的存在としての本来の生き方を悟らせ、美しさと荘厳さと崇高さを身につけさせる上での不可欠の知識を授ける計画の推進に当たっているのです。

 あなたは、授けられた使命を立派に果たしておられます。このことを感謝しないといけません」



          
 SNU会長としての苦労

ここでヒギンソン氏に向かって───

「お聞きになられましたね? あなたにとってもこれまでの道は平担ではありませんでした。しかし、価値の高い仕事を託された人は、その仕事を担うに足る霊力を試すための、さまざまな試練と試金石とが与えられるものです。

あなたも、ご自分で自覚しておられる以上に、人のために役立つ仕事をなさっておられます。そして、まだまだこれからも、貢献すべきあなたならではの分野が残されております」

 何か質問がありますかと問われて、まずフリント氏が尋ねた。

───最近は物理霊媒がとみに少なくなったようです。聞くところによれば、物理的心霊現象の時代は終わって、これからは精神的心霊現象の時代だそうですが、スピリチュアリズムが今日のような基盤を築くことができたのは(十九世紀末から二十世紀初頭にかけての)著名な科学者による物理現象の研究のお蔭であることは間違いない事実です。

 その意味で、物理霊媒を養成する努力が十分になされていないことを残念に思います。そのための時間を割くのが容易でなくなったという一面もあるようです。私たちは何年も掛けたものです。スピリチュアリズムが本格的な市民権を得るためには、もっと多くの物理現象を見せる必要があると私は考えます。

それによって地上の全人類に霊界とのつながりの真実性を得心させることができるのではないでしょうか。


「この私に何を言ってほしいのでしょうか」

フリント───霊界側にとっても物理霊媒が欲しいに違いないと思うのですが・・・・・・

 これにはすぐ答えずに、シルバーバーチはヒギンソン氏に意見を求めた。ヒギンソン氏は霊視能力を得意とする霊能者でもあるが、物理実験会を催したこともある。


 ヒギンソン───私が思うに、問題は現代生活のスピード化にあるようです。小人数による交霊会を催しても、最も大切な要素である〝和気あいあい〟の雰囲気が出にくくなってきたようです。霊界側がわれわれ人間に何を望んでいるかが知りたいのです。

大切なものは、そちらの方がこちらより、よくお分かりのはずです。やはり現代は物理的なものより精神的なものの方が要求される時代なのでしょうか。


「私も、私より上の界層の方たちから教わったことしか申し上げられません。地球浄化の計画の一環として、毛を刈り取られた小羊への風当たりを和らげてあげる仕事が与えられております。それを地上の、その時どきの現実の条件のもとで可能なかぎり行わねばなりません。


 おっしゃる通り、一昔前に物理現象が科学者の関心を呼んだ時期がありました。もちろん、それも計画の一環でした。従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまでも科学的手段によって、その実在性を立証するという目的がありました。

 歴史を振り返ってごらんになれば、物理現象が盛んに見られた時代というのは、きまって物質科学が優勢となって、伝統的宗教が基盤を失いかけていたことがお分かりと思います。

宗教と科学とは常に対立してきました。物的証拠のない分野のことは宗教が独自の教義を説き、物理的に証明できるものしか扱わない科学は、そうした教義を拒否しました。

 科学の発達によって宗教的思想が完全に消滅してしまうような事態になっては危険です。そこで、物質科学が万能視されはじめたあの時代に、物理現象による盛んな挑戦を受けることになったのです。

 しかしその後、科学の世界にも大きな変化が生じております。今や科学みずからが不可視の世界へと入り込み、エネルギーも生命もその根源は見かけの表面にはなく、目に見えている物質のその奥に、五感では感知できない実在があることを発見しました。

 原子という、物質の最も小さい粒子は、途方もない破壊力を発揮することができると同時に、全人類に恩恵をもたらすほどのエネルギーを生み出すこともできます。科学はすっかり展望を変えました。

なぜなら、かつてはもうこれ以上は分解できないと思われていた原子を、さらに細かく分裂させることができることを知り、それが最後の粒子ではないとの認識をもつようになったからです。

 そうなると、地上界へのこちら側からのアプローチの仕方も必然的に変ってきます。心霊治療が盛んになってきたのは、その一つの表われです。身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なものです。

現代という時代の風潮は、そういう二重の要素を必要としているのです。現代の人類は、そういうものでないと治せないほど病的になっているということでもあります。

 それは、物理霊媒はもう出なくなるという意味ではありません。まだまだ生命を物質的な目でしか見つめられない人がいる以上、そういう人に対処したレベルでのデモンストレーションも必要です。
 
 しかし同時に、さきほどご指摘なさった通り、生活のテンポが速くなったことも見逃せない要素です。それが精神を散漫にさせ、かつての家族だんらんというものを、ほとんど破壊しつつあります。

 さらに、ラジオ・テレビ・その他の娯楽が簡単に手に入るようになり、才能を発達させようという意欲を誘う刺激が、霊媒能力に対してはもとより、一般的な分野でも減ってきております。ピアノやバイオリンなどの器楽能力の鍛錬でも、かつてほどの根気がありません。

 何につけても、スピードと興奮を求めようとする傾向があります。こんな時代に、霊媒のような犠牲を強いられるものを目指して努力する人など、多く出るはずがありません。まして、霊媒現象の歴史が〝詐術〟の嫌疑との闘いの連続だったことを知ると、なおさらのことです」


ヒギンソン───私自身はそんな観方はしていませんでした。世の中の風潮に合わせて、できるだけ要求に合わせることに努力してきました。

「時代が変わったのです。今日の宇宙観は一世紀前とは、まるきり違います」


ヒギンソン───ということは、科学者も、その調子で物質的なアプローチの仕方から高次元のアプローチの仕方へと進歩する、ということでしょうか。

「みずからの論理でそうせざるを得なくなるでしょう。どうしても目に見えない世界へと入り込み、その莫大な未知の潜在力の研究へと進むでしょう。霊的に成長すれば、その莫大なエネルギーを善用する方法も分かるようになります。そうなれば、自我に秘められた霊的能力の発達にも大いに関心を向けるようになります。

 目に見えている外面は、内面にあるものが形態をもって顕現したにすぎません。生命力というものは切り刻むことはできません。根元は一つであり、それが無限の形態で顕現しているのです。原子に秘められた生命も、人間・動物・花・樹木などの生命と本質的には同じものです」


ヒギンソン───現代の科学者はそういうことが理解できるレベルにまで到達しているのでしょうか。

「全体としてはまだです。が、到達している人もいます。オリバー・ロッジなどはその典型といえるでしょう。現象界の奥にある実在を認識した科学者の模範です」


ヒギンソン───その事実は、現代という時代において、スピリチュアリズム思想へ向かっての曲がり角におけるパイオニアが用意されているということを意味しているのでしょうか。

「その通りです。ちゃんとしたプランがあり、それぞれに果たすべき役割があるということです。大霊は無限の存在であり、全知・全能です。何一つ忘れ去られることがありませんし、誰一人として見落とされることがありません。神の計画は完ぺきに実行に移されます。

完全性の中で編み出されたものだからです。今も完全性によって支配されております。そこに過ちというものは有り得ないのです。
 
 しかし、その計画の中にあって、あなた方にはその一部を構成している存在としての自由意志が与えられております。神の計画を促進させる方向を選択し、無限の創造活動に参加する好機をものにするか、拒否するか、それはあなたの自由ということです。
 
 霊的存在としての人間は、どこにいても、それぞれに果たすべき役割というものがあります。その一人ひとりの生涯において、いわば曲がり角、危機、発火点といったものに立ち至ります。

その体験が触媒となって魂が目覚め、自分が物的身体を通して機能している霊的存在であることを悟ります。

 自我とは、霊をたずさえた身体ではなく、身体をたずさえた霊なのです。実在は霊なのです。身体は外形です。殻です。機械です。表面です」


ヒギンソン───現在のスピリチュアリズムは正しい方向へ向かっていると思われますか。私には非常に混乱したイメージしかありません。どこへ足を運んでも、そこにはまた違った考えをもった人たちがいます。

正しい理解が行きわたるまでには、どれくらいの年月が掛かるのでしょうか。進むべき道はどちらにあるのでしょうか。


「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる───つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。

 悲しいことに、見栄と高慢と煩悩が害毒を及ぼしているのです。初めて真理の光に接した時の、あの純粋なビジョンが時の経過とともに色あせ、そして薄汚くなっていくのを見て、何時も残念に思えてなりません。一人ひとりに果たすべき役目があるのですが・・・

 私たちはラベルやタイトル、名称や組織・団体といったものには、あまりこだわりません。私自身、スピリチュアリストなどと自称する気にはなれません。

大切なのは暗闇と難問と混乱に満ちた地上世界にあって、霊的知識を正しく理解した人が一人でも多く輩出して、霊的な灯台となり、暗闇の中にある人の道案内として、真理の光を輝かせてくださることです。

 霊的真理を手にした時点で、二つのことが生じます。一つは、霊界との磁気的な連結ができ、それを通路としてさらに多くの知識とインスピレーションを手にすることができるようになるということです。

もう一つは、そうした全生命の根元である霊的実在に目覚めたからには、こんどはその恩恵を他の人々に分け与えるために、自分がその為の純粋な通路となるように心がけるべき義務が生じることです。

 人のために役立つことをする───これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。大切なのは〝自分〟ではなく〝他人〟です。魂の奥底から他人のために良いことをしてあげたいという願望を抱いている人は、襲いくる困難がいかに大きく酷しいものであっても、必ずや救いの手が差しのべられます。道は必ず開けます。

 自信を持って断言しますが、われわれ霊界の者が人間を見放すようなことは絶対にありません。残念なことに、人間側がわれわれを見放していることが多いのです。われわれは霊的条件のもとで最善を尽くします。が、人間の側にも最善を尽くすように要求します。

こちらもそちらも、まだまだ長所と欠点を兼ねそなえた存在であり、決して完全ではありません。完全性の達成には永遠の時を必要とします。

 ですから、その時その時の条件下で最善を尽くせばよいのです。転んだらまた起きればよろしい。転ぶということは起き上がる力を試されているのです。

自分がしようとしていることが正しいと確信しているなら、思い切って実行すればよろしい。袂を分かつべき人とは潔く手を切り、その人の望む道を進ませてあげればよろしい。そのうち、あなたの目に霊の力が発揮される場合がいろいろと見えてまいります。

そうなっていくことが肝心なのです。組織とか教会、協会、寺院、その他の建造物は、霊力の顕現の場としてのみ存在意義を持つのです。

教会はスピリットが働きかける聖なる場所として以外には、何の価値もありません。莫大な費用をかけて豪華にしてみても、そこに霊力というものが通わなければ、ただの〝巨大な墓〟にすぎません。霊力の働きかけが何よりも大切なのです。

 あなたが会長をしておられるSNU(英国スピリチュアリスト同盟)という組織の中に〝人のために役立ちたい〟という真情に燃えた人が集まれば、その人達の周りには自動的に、霊界において同じ願望に溢れる自由闊達なスピリットが引き寄せられます。

その両者が一致協力して、他の手段では救えない人の救済に努力します。悲しいかな、地上にはそういう気の毒な人が多いのです。

 人間は(組織・団体に属さなくても)人のために役立つ仕事(サービス)ができるという特典があります。サービスこそ霊の通貨なのです。何度も申し上げておりますように、人のために役に立つということは崇高なことです。

 私たちが忠誠を捧げねればならないのは、宇宙の大霊と、その大霊の意志の働きとしての永遠不変の摂理です。
 以上のお答でよろしいでしょうか」



ヒギンソン───結構です、有り難うございました。

「私に対する礼は無用です。感謝はすべからく大霊に捧げましょう。私達は互いにその大霊の忠実な使者たらんと努力しているのですから」


ヒギンソン───(SNU に所属している)スピリチュアリスト・チャーチを訪ねて回ることがあるのですが、こんな程度のものなら閉鎖してしまった方がいいのではないかと思うことがあります。要は霊力を顕現させるための場であることが本来の目的だと思うのです。

「霊界側が何時も待ち望んでいるのは、霊力が働きかける為の通路(チャンネル)です。霊力とは神性の顕現そのものなのです。それをあなた方は神(ゴッド)と呼び、私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるわけです。

宇宙にはこれに優る力はなく、絶対的な愛に裏打ちされた無限の力なのですから、それに顕現の場を与えずにおくのは勿体ない話です。

 霊とは摂理であり、生命であり、愛です。愛はバイブルにもありますように、摂理の実行にほかなりません。あなたの心が愛と慈悲に満ちていれば、あなたのもとを訪れる人の力になってあげることができます。

反対に不快・不信・怨みなどを抱いているようでは、霊力のチャンネルとはなり得ません。そうした低級感情は霊力の流れの妨げとなるからです」



             
 物理現象も霊的教訓も大切

ヒギンソン───SNUは一個の組織ですが、かつてのキリスト教と同じパターンにはまっていると思われますか。礼拝の進め方などが似ているので戸惑う人がいるようです。改めるべきでしょうか。


「改めるべきところは改めないといけません。優秀なチャンネル(霊媒・霊能者)さえ用意されれば、進むべき方向が示されます」

ヒギンソン───優秀なチャンネルであれば、あなたご自身も働きかけるのですね?

「当然です。大霊の力は、それを顕現させる能力をそなえた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です。霊媒能力は神からの授かりものであり、努力して発揮させねばなりません。発揮するほどにますます発達し、実り多いものとなってまいります。豊かさと成熟度を増せば、それだけ受容度が増します。

 霊力は無限です。地上の霊媒を通して届けられる霊力は、使用されるのを待っている霊力の、ごくごく一部に過ぎません。その意味でも、われわれの働きかけに制限を加えるようなことがあってはなりません。

 あなたの率いる SNU は今後も生き残るでしょう。しかし、いろいろと改革が必要です。あなたが正しいと思うことを実行なさることです。あなたの良心、つまり神の監視装置が命じているのはこれだ、と確信するところに従って行動し、他の者が何と言おうと気になさらぬことです」

 ここでヒギンソン氏が各地のスピリチュアリスト・チャーチが取っている方法に高度な霊性が欠けていることに不満を表明してから

「物理現象の方に関心が偏り過ぎて、霊的教訓がおろそかにされております。これでよろしいものでしょうか」と付け加えた。するとシルバーバーチが───

「どちらも間違っておりません。高度なものであれば、現象を求めること自体は少しも悪いことではありません。いけないのは、霊媒が未熟で、いい加減で、品性が劣る場合です。

 現象は物理的であろうと精神的であろうと構いません。霊媒が能力的に優秀で質の高いものが披露できるのであれば、それはそれなりに有用です。要は交霊会で霊的能力が最高に発揮されれば、後はその能力の顕現が何を意味するかをしっかりと検討することです。

 霊的真理は、霊的意識の芽生えていない人にはなかなか理解してもらえません。そこで現象的なものが必要となるのです。しかし、いったん現象に得心がいったら、それをオモチャのようにいつまでも玩(モテアソ)んではいけません。

霊的な意義を考える生活へと切り換えないといけません。その人なりの悟りがきっと芽生えてまいります。魂の琴線に触れる体験がないといけません。これは、あなたの組織内の全ての指導者について言えることです」


ヒギンソン───失敗したスピリチュアリスト・チャーチの多くは、現象面に偏り過ぎたためということは考えられないでしょうか。霊界からのメッセージをもっと多く摂り入れれば生き残れるはずだが、と思えるところがあります。私が大きな関心を寄せているのはそこです。〝指導者会議〟の開催を提唱している理由の一つにそれがあるのです。

 「霊力が地上に届けられる目的は、明日はどうなるかを教えてあげるためではありません。日常生活において警告すべきことや援助すべきことがあれば、それは各自の背後霊が面倒を見てくれます。教会というものをこしらえて、そこを霊力の顕現する聖殿としたいのであれば、低俗なものを拒否し、高級なものを志向すべきです。

霊媒現象がただのサイキック(※)なものに止まるのであれば、せっかく教会を設立した意味がなくなります。
 
 ぜひともスピリチュアル(※)なレベルにまで上げないといけません。みなさんに知っていただきたいのは、霊の資質は、下等なものから高等なものへと、段階的に顕現させることができるということです。
それを、最下等のサイキックなレベルで満足しているということは、進歩していないということになります。停滞しているということです。自然は真空を嫌うものです」

※───サイキックとスピリチュアルの違いは、今はやりの超能力を例に取れば、スプーンを曲げたり硬貨をいったん気化して再び物質化して見せる───右の手に握っていた硬貨を左手に移したり、テーブルを貫通させて下に落とすなど───といったレベルがサイキックで、人体の腫瘍を溶解したり骨髄を再生したりする、いわゆる心霊治療になると、スピリチュアルのレベルとなる。高級なスピリットの働きが加わって人類のためになることをするものがスピリチュアルと考えればよい───訳者。


ヒギンソン───どうすればそれが理解してもらえるでしょうか。

「そういう方向へ鼓舞する、何か動機づけとなるものを与え、進むべき道を明示する必要があります。一つの基準を設ければ、みんなそれに従うようになるでしょう。従わないものは脱落していくでしょう。霊力というものは、ただの面白半分では顕現しなくなります。

 思い切って突き進みなさい。問題はおのずから解決されていきます。あなたは決して一人ぽっちにはされません。進むべき道が見えてきて、援助の手が差しのべられます」

 そう述べて、その先駆者の名前をいくつか挙げてから、さらに言葉を継いで───
「こうしたスピリットたちが霊力をたずさえて、あなたのまわりに控えているのです。あなたが一人ぽっちでいることは決してありません」


シルバーバーチの交霊界は、インボケーションという神の加護を求める祈りで始まって、感謝の祈りのベネディクションで終る。その日のベネディクションは次のようなものだった。



 《無限にして初めも終りもなき存在である大霊への祈りに始まった本日の会も、同じ大霊への祈りで終ることに致しましょう。

  大霊からの愛の恵みを授かるべく、心を高く鼓舞いたしましょう。ふんだんに授かっている叡智と真理と知識に感謝いたしましょう。

 大霊の意志をわが意志とし、わが心が宇宙の心と調和して鼓舞するように、生活を規律づけましょう。

すべてを支配する力との調和と親交を求め、大霊の愛のマントに包まれていることを実感できるようになりましょう。

 皆さんに大霊の恵みの多からんことを》


訳者付記───SNUの会長、ゴードン・ヒギンソン氏は一九九三年一月に他界し(享年七十四歳)、エリック・八ットン氏(写真)が後任に選出されている。
 なおSNUよりさらに大きな団体であるISF(世界スピリチュアリスト連盟)の会長だったロビン・スティーブンス氏も同年六月に、わずか五十一歳で急死している。後任にはライオネル・オーエン氏(写真)が選ばれている。


 
               
 クリスチャン・スピリチュアリスト協会の会長を招いて
 
 ヒギンソン氏が率いるSNUは英国の数あるスピリチュアリズムの組織の中心的存在であるが、同じくスピリチュアリズムを標榜していても、ちょっぴり毛色の違う団体もある。

 〝クリスチャン・スピリチュアリスト協会 〟The Greater World Christian Spiritualist Association(※)もその一つで、一九七七年に当時の会長ノラ・ムーア女史が招待されて、シルバーバーチと語っている。

(※)───〝クリスチャン〟を冠していることからも窺われるように、〝スピリチュアリズムを摂り入れたキリスト教〟といった色彩が強く、ヒギンソン氏などは〝都合のいい折衷思想〟として、事あるごとに批難している。が、シルバーバーチは〝組織〟とか〝名称〟にはこだわらず招待して、真理を語り合っている───訳者。

 
 当日、ムーア女史とともに招待されていたベテラン霊媒のネラ・テーラー女史が、霊媒としての仕事を通じて人のためにお役に立つことができてうれしく思っていることを述べると、シルバーバーチが───

「縁あって自分のもとを訪れる人たちに、生き甲斐を見出させてあげ、地上生活の目的を理解し、日常の体験の中から意義を悟るように、物の見方を変えるお手伝いができることほど大きな喜びはありません。

 私にとっては、そういう仕事をなさっている〝霊の道具〟をお招きすることができることを光栄に思います。お招きする理由は、霊媒が遭遇するさまざまな困難や難題がよく分かっておりますので、時には霊界側から直接励ましの言葉を述べて、今たずさわっておられる仕事がいかに大切であるかを再認識して頂く必要があるからです。霊媒も人間である以上は、やはり迷いがあります。

 一人間として生きて行くからには、世俗的な苦難に耐え切れなくなる時もあります。そんな時には、あなたが手にしておられる崇高な霊的真理にしがみつくことです。きっと世間の荒波を耐え忍ぶための堅固な心の支えになってくれるはずです」


テーラー ───分かりました。さよう心得てまいります。

「ご自分がこの地上で為し遂げるべきものが何であるかを自覚しているかぎり、本来の霊的自我に危害が及ぶような事態は、この地上には何一つ生じません。
 ですから、大胆不敵な魂を失ってはなりません。毅然たる姿勢を保ち、まぎれもなく大霊の使者であることを人に示すことです」


続いてムーア女史に向かって───
「前回お会いした時に比べて、ずっと明るくなられましたね。ご自分の身の処し方を会得なさったようですね?」

ムーア───そう思います。これも(夫君で前会長の)フレッドを始めとする霊団側のお力添えがあってのことと存じます。


「ご主人はあなたのもとを去ってはいないことが、これでお分かりでしょう?」

ムーア───よく分かりました。


「真実の愛によって結ばれた者どうしは決して離ればなれにはなりません。死は愛と生命に対して何も為し得ません。生命と愛は死よりも強いのです。人間的な愛も、無限なる愛の一つの表現です。あなたはこの宇宙の中の誰よりも身近かな存在である方からの愛をずっと受け続けておられる、大変お幸せな方です。

 ご主人は今なお、地上でたずさわっておられた仕事を続けておられ、彼なりの貢献をなさっておられます。その必要性をよく認識しておられます」

ムーア───はい、私もそう信じております。ただ、わたしたちは今、世俗的な面で多くの難題に直面しております。

「これはまた捨ておけない課題を提供してくださいましたね。あなたは真理と霊力とがもたらす威力を知らずにいる人たちにそれを知らしめる仕事をなさっている、大変恵まれた方です。生き甲斐のある生き方を教えてあげることほど偉大な仕事は、ほかにありません。

 あなたにとっての悩みは、永遠不変の霊的真理を理解する人がこの地上においては極めて少数派であることから生じております。

 でも、やはり霊的真理こそが、今日の地上世界でいちばん求められている〝霊的意識の回復〟という大仕事にとって、その手段を提供してくれる生命線なのです。

 そこで私は、常づね、同志の方に申し上げております───愛する者を奪われた人をたった一人でも慰めてあげることができたら、病をかかえた人をたった一人でも治してあげることができたら、苦悩のさ中にある人に解決策を見出させてあげることができたら、それだけであなたの全人生が無駄でなかったことになるということです。

 地上世界には暗闇が多すぎます。無知が多すぎます。利己主義が多すぎます。物質偏重の度が過ぎます。そうした中にあって、こうした崇高な仕事に携わっていることを光栄に思わないといけません。

 さて、あなたのおっしゃる物的側面での問題ですが、霊的な側面をきちんと整えておけば、物的な面もきちんと整います。なぜならば、物質は霊の反映に過ぎないからです。物質には独自の存在はないのです。霊なくしては物質の存在は有り得ないのです。全存在を動かし、生命を賦与しているのは、霊なのです。あなたはその霊の力を使ってお仕事をなさっているのです」


ムーア───ですばらしいことだと思います。


「これは大変なことなのです。ところが、あなたも人間として生きて行く上での必需品のことにかまけて、つい、その事実を忘れてしまいがちです。現代の生活はとくに、経済的要素が厳しくなっております。

 しかしバイブルには〝まず神の王国とその義を求めよ。さらば、それらのものはおのずから整うべし〟とあります。また、〝地球とそれに満つるものとは、みな主のものなり〟とも言っております。こうした言葉は、優先させるべきものを優先させ、霊的摂理と物的法則にかなった生き方をしていれば、すべてがきちんと整うことを教えているのです。

 次の言葉もご存知でしょう。

 〝野のユリはいかに育つかを思え。労することもせず、紡(ツム)ぐこともせざるなり。されど、われ汝らに告ぐ。栄華を極めたるソロモンの服装(ヨソオイ)も、そのユリの花一つにも及ばざりき〟

 これは、自然の摂理に調和した生き方をしていれば、必要なものはその摂理が用意してくれるという意味です。病気も、見た目には肉体が病んでいるように思えても、精神と霊と肉体とが調和していないことから生じているのです。その意味では、何も思い煩うことはないのです。

 こう言うと、〝あなたは地上の人間でないから、そんなきれいごとが言えるのですよ〟と言われそうですね」


ムーア───私たちとは異なる視点からご覧になるからでしょう。

「でも、こうして地上界へやってきて、全生命の基本的原理を説くことをしなかったら、私たちは使命を果たしていないことになります。私たちは決して、物的側面での義務までもおろそかにしなさいとは申しておりません。物質面にはそれなりの存在意義があります。それを無視してはなりません。

しかし、何よりも大切である霊的原理を無視するのも同じく間違いです。根元的には全てがそれによって生じているのですから。
 ほかに何かお聞きになりたいことがありますか?」
 

ムーア───いっぱいあるのですが、これまでのお話で自然に解決してしまったものが幾つかあります。とにかく私は、私自身を役立てるチャンスが与えられることを、何よりも有り難く思っております。言葉で言い表せないほど感謝しております。私には使命があると言い聞かされております。


 「それを果たすまでは地上を去ることは許されませんよ。人のために役立つことをすること(サービス)が最高の宗教です。サービスは霊の通貨です。崇高な通貨です。すでに何度も申し上げてきたことですが、何度でも繰り返すだけの価値があるのです。

 あなたは霊的真理の生ける証人です。これまでに啓示された知識に忠実に生きていれば、全てのことが収まるべきところに収まります。そのことに関連して私がいつも同志の方たちに申し上げているのは、スピリチュアリズムのお蔭で信仰に知識を加えることができたとはいえ、時には、知識に信仰を加えないといけないことがあるということです。地上にあるかぎり全てのことを知ることはできないからです。

 これまでに手にしたものに感謝し、毎日を不安の念ではなく素晴らしい霊的可能性を秘めたものとして、大いなる期待の念をもって迎えてください。

 同志の方たちにもよろしくお伝えください。今たずさわっている霊的真理普及の仕事に献身しておられる方たちに対して、私たちはいつも尊敬の念を抱いていると伝えてください。

素直な心の持ち主ばかりで、霊界からの援助に浴していらっしゃいます。あなたと同じように、まだまだ果たすべき仕事がたくさん残っております」

 今は亡き夫君のフレッド・ムーア氏のことに言及してムーア女史が「あの人は生涯をこの仕事とともに生きた人でした」と言うと

 「今でもそうですよ。彼にとってはあなたがこの仕事そのものなのですから・・・この仕事は何ものにも代え難い大切なものだと、今おっしゃっていますよ」

ムーア───私と彼とは互いに一つの魂の片割れだと、彼が言ったことがあります。

 「そうです、アフィニティ(※)どうしがいっしょになったのです。類魂が地上生活で出会って結ばれるということは、そう滅多にあることではありません」

※───affinity 同系統の魂の集まりを類魂 group souls と呼ぶが、その中でも最も親しい関係にある魂どうしのこと。語原的には〝親和性の強い関係〟といった意味であるが、そのことと、人間的に好きになったり愛を感じたりすることとは必ずしも一致しない。

前世の問題と同じで、事実としては存在しても、脳という物質を通しての知性であげつらうべきものではないと私は考えている───訳者。  

 

            
 メキシコのスピリチュアリストと語る

 その日のもう一人の招待客は、今は亡きメキシコのスピリチュアリズムの指導者、ケネス・バ二スター氏の娘ミリアム・リアリー女史だった。バニスター氏がスピリチュアリスト・センターを設立した時に、シルバーバーチがその開所式でお祝いの言葉(霊言)を贈ったいきさつがある。


リアリー ───私たちセンターの者はあなたのことを親愛の情をもって思い出しております。その後もずっとあなたの霊訓を心の支えにしております。あなたに対して一種の愛情を抱いております。

 「私の方こそセンターのみなさんに愛情を抱いております。ゆっくりではありますが、着実に仕事が進行し、障害が取り除かれていきつつあることを大変うれしく思っております。お父さんが計画なさった通りに進行しております」

 リアリー ───素晴らしいことです。きっと父も援助してくれているものと確信しております。それを実感しております。

 「当然のことです。あなたはその若さでこうして霊的知識を手にされて、大変お幸せな方です。だからこそ目に見えない霊力によって導かれていることが自覚できるのです。

 メキシコはまだまだ課題が山積しております。私が連絡を取り合っている地上の多くの国の中でも、暗黒部分の多い国に入ります。しかし、霊の世界からの働きかけの存在を自覚する人が増えるにつれて、事態は少しずつ改善へ向かっております」


リアリー ───あなたは、霊的に正しければ物的な側面も自然に収まるとおっしゃっていますが、動物の世界のことはどう理解したらいいのでしょうか。霊的には少しも悪いことはしていないのに、人間によって虐待され、屠殺され、悪用されております。

 「動物と人間とは、その属する範疇が違うのです。人間には正しい選択をする責任が与えられているという点において〝自由意志〟 の行使が許されているということです。その使い方次第で進化の計画を促進する力にもなれば妨害することも有り得ます。

そこに、この地球という天体を共有する他の生物をどう扱うかを選択する自由意志の行動範囲があります。もちろん限界はありますが・・・・・・。

 現在の地上世界はその自由意志の乱用が多すぎます。その中でも無視できないのが、動物の虐待行為と、食用のための乱獲です。しかし、そういう事態になるのも、人間に自由意志が授けられている以上やむを得ない、進化の諸相の一面として捉えないといけません。自由意志を奪ってしまえば、個性の発達と進化のチャンスが無くなり。そこが難しいところです」


リアリー ───どうしてそういう事態の発生が許されるのかが私たちには理解できないのです。

「〝どうして許されるのか〟という言い方をなさるということは、人類から自由意志を奪ってしまった方がいいとおっしゃっていることになります。

繰り返し申し上げますが、自由意志を奪ってしまえば、人類はただの操り人形になってしまうことになり、内部の神性を発揮することができなくなってしまいます。霊的な属性が進化しないとなると、地上に生まれてきた意味がすべて失われます。

 地上世界はある人にとっては託児所であり、ある人にとっては学校であり、ある人にとってはトレーニング・センターです。いろいろな事態に直面し、それを克服しようと四苦八苦するところに意義があるのです」


サークルのメンバー───われわれ人間の目に不公平に思えるのは、人間がそうやって自由意志で行っていることが間違っている場合に、その犠牲になっているのが無抵抗の動物たちであることです。人間が過ちを犯し、そのツケを動物が払うという関係は、どこか間違っているように思えるのです。

「では、あなたはどうあればよいとおっしゃるのでしょうか」


───人間が間違いを犯した以上は、動物ではなくて人間みずからがツケを払うということでないとおかしいと思うのです。

「埋め合わせと償いの法則というのがあります。人間はその行為によって、善悪それぞれに、霊的にそして自動的に影響を受けます。因果律というのは逃れようにも逃れられません。不当な行為を受ければ埋め合わせがあり、その行為者は償いをさせられます。それが自然界の摂理なのです。

 身に覚えのないことで不当な苦しみを受けた人には、それなりの埋め合わせがあるように、人間の身勝手な行為の犠牲になっている動物にも、ちゃんとした埋め合わせがあります」


別のメンバー───この調子では動物への虐待行為を人類が思い止まる日は来そうにないように思えるのですが・・・・・・

「いえ、そうとも言えませんよ。人類は、徐々にではありますが、他の創造物への義務を自覚していくでしょう。一夜にして残虐行為を止めるようになるとは申しておりません。みなさんは進化の途上にある世界において進化しつつあるところです。

一見すると同じことの繰り返しのようで、全体としては少しずつ進化しております。進化とはそういうものなのです。無限の叡知と愛によって、地上のあらゆる存在に対してきちんとした配慮がなされていることを理解なさらないといけません」

別のメンバー───現在の動物の残酷な扱われ方は、どうみても間違っております。が、徐々にではありますが、動物の肉を食べ過ぎているのではないかという反省が生まれつつあるようです。


リアリー───そういう行為が残酷であることを立ちどころに思い知らせるようであって欲しいのです。人間はその辺をうまく擦りぬけているように思います。

「罰を擦り抜けられる者は一人もいません。法則は必ず法則どおりに働くのです。地上生活中にその結果が出なくても、こちらへ来て償いをさせられます。いかなる手段をもってしても、因果律を変えることはできないのです。不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。原因があれば必ず結果が生じるのです。

 誰ひとり、悪行の結果を擦り抜けられる者はいません。もしそれが可能だとしたら、大霊が大霊であるゆえんである〝公正〟というものが崩れてしまいます。

 こうした問題においていつも私が強調しているもう一つの側面があります。それは、残念ながら人間には長期間の展望がもてないということ、いつも目先のものしか目に入らないということです。みなさんには地上での結果しか見えないのですが、こちらの世界へ来れば、すべてがきちんと清算されていることが分かります」

リアリー ───人間はせっかちなのです。

「その点は先刻承知しております。一人でも多くの人が人類としての義務を自覚できるように、みなさんに可能な限りの努力をなさることです。オオカミが小ヒツジといっしょに寝そべる日が一日も早く到来するように祈ることです。進化は必ずやその目的を成就することになっているのです」 

ムーア───人間がもっと自然で神の意志に適った生き方ができるようになれば、あれほどまで多くの動物を実験材料に使わなくなると思うのです。

「おっしゃる通りです。ですから、われわれ真理を知った者は、いつどこにいてもその真理の普及と啓発のための努力を怠らないようにしなくてはなりません。

障害を一つ取り除くごとに祝盃を上げるべきです。霊力はゆっくりとした進化によって地上に根づいていくものでして、急激な革命によって一気に行なわれるものではありません。

 大自然の摂理から外れて、奥に秘められた莫大なエネルギーから遠ざかるようなことをしていては、いつかはその代償を支払わなければならなくなります。人間は霊的属性、霊的潜在力、霊的可能性を秘めた霊的存在なのです。自分以外の地上の生命、特に動物がそれ本来の生き方ができるように指導する力量をそなえているのです。

 神の計画は必ずや成就されることになっています。それを人間の愚行によって遅らせたり邪魔だてしたりすることはできても、完全に挫折させてしまうことは絶対にできないのです」


 シルバーバーチの交霊会の恒例として、最後にサークルのメンバーの一人ひとりから個人的な悩みごとの相談を受けることになっていた。それが終わったあと、出席者全員に向かって次のようなメッセージを述べた。

「 みなさんが遭遇する問題について、私はそのすべてを知っております。とくに何人かの方とは、地上的表現でいう〝ずいぶん永いお付き合い〟を続けております。生活上でもいろいろと変化があり、悩みごとや困難、避けられない事態に対処していかれる様子をこの目で拝見してまいりました。

ですが、今こうしてお会いしてみて、魂に何一つ傷を負うことなく、そのいずれをも見事に克服してこられたことが分かります。

 遭遇する問題の一つひとつを、あなたへの挑戦と受け止めないといけません。障害の一つひとつが挑戦なのです。ハンディキャップの一つひとつが挑戦なのです。

地上生活では挑戦すべき課題が次から次へと絶え間なく生じます。しかし、いかに強烈でも、いかに強大でも、あなたの進化を妨げるほどのものは絶対に生じません。大切なのは、それにどう対処するか───その心の姿勢です。

 自分の霊性の発達にとって、どういう体験が大切であるかの判断は、あなた方自身にはできません。大きな全体像の中のごく限られた一部しか目に入らないために、あなた方自身が下す判断はどうしても歪められたものとなります。

 ですから、体験の価値をうんぬんしていないで、とにかくそれを克服していくのです。きっと克服できます。克服するごとに霊性が強化されていきます。身体は不完全であり、弱さを持っております。あまりのストレスに負けて、体調を崩すことがあるかも知れません。

 しかし、あなた方の宿る霊性は大霊の一部なのです。霊は、潜在的には完ぺきです。すべてを克服していく資質を秘めております。その認識のもとに対処すれば、きっと克服できます。このことを語気を強めて申し上げるのは、それが私たちの教えの中枢だからです。

 私の教えによって救われたという感謝の言葉をよく聞かされます。が、私の教えではないのです。私よりはるかに叡知に富んだ高級界の存在から私が預かったものなのです。しかし、地上界にそういう教えを受け入れてくださる方がいることを知ることは、大変うれしいことです。

そういう方は霊的な受け入れ態勢が整っていたことを意味し、これから後も大霊の無限の恵みに浴していかれることでしょう。

 私も含めて、ここに集まっておられる人たちは大変な光栄に浴していることを知らねばなりません。これまでに啓示していただいた叡知を、大霊に感謝いたしましょう。しかし同時に、それだけの啓示に浴することができたのなら、もっともっと多くの啓示に浴せる可能性が待ち受けていることも知ってください」
                                                    



  
 二章  聖職者の使命

  シルバーバーチが伝来の組織的宗教に批判的であることはよく知られている。したがって、キリスト教の位階の中でも高位の〝キャノン〟でありながらスピリチュアリズムにも理解のあるジョン・ピアスヒギンズ氏がゲストとして出席した時は、さぞかし見ものだったことであろう。その様子を次の対話から窺い知ることができそうである。

 まずシルバーバーチから述べる。
 「あなたほどの霊的真理を手にされ、新しい理解への道を歩んでおられる方が、今さらこの私に何のご用があるというのでしょうか」

キャノン───レンガ塀を取り壊す方法をお教え願えまいかと思いまして・・・。実は今、私は大きな壁に突き当たっているのです。

「旧約聖書にあるのではありませんか───ヨシュアという男が大声で怒鳴ったら、城壁が崩れ落ちたという話が・・・・・・。あなたも、一つ、大声で怒鳴って見られてはいかがですか」

キャノン───これはまた恐れ入った話で・・・・・・。崩れ落ちる破片で私自身がケガをしなければいいですが・・・・・・

「それは大丈夫です。あなたはこれまでずっと守られてきております。イザという時は援助の手が差しのべられております」

キャノン───あなたの助言を頂くのが一番だと聞かされてやってまいりました。

「私も、あなたと同じく一個の人間的存在に過ぎません。あなたより少しばかり長く生きてきたというだけです。ただ私には、あなたとは別の次元での生活体験があります。

その生活によって宇宙の摂理がどういう具合に働いているか、それを背後から霊的にどう操っているかについて、いくばくかの知識を得ることが出来ました。

そこで私は、これまで辿ってきた道を後戻りしてこの地球圏に舞い戻り、受け入れる用意の出来た人にその知識を分けて差し上げているところです。

〝馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることまではできない〟という諺があります。ナザレのイエスも豚に真珠を投げ与えるような愚かなことをしてはいけないと戒めております。霊的真理というものは、それを理解する能力が具わっていない人には、どう押し付けても無駄であることを教えているのです」

キャノン───それはよく分かります。

「正直に言わせて頂きますが、不幸にしてそういう人がキリスト教の牧師の中に多く見受けられます。そういう人は霊的なものを見ることも、聞くことも、語ることもできないのです。知識だけは大変なものをお持ちです。

神学・ドグマ・教義・儀式典礼・・・それはそれはよく勉強していらっしゃいます。が、所詮は物質界に関わったことばかりです。霊の世界に関わったものは何一つご存知ありません。

 さて、地上に生を受ける全ての人間がそうであるように、あなたも、この物質界に誕生するに当たって、今歩んでおられるようなコースを自ら選択なさっておられます。信じていただけないかも知れませんが、それは構いません。

人間にとって理解し難い問題であることは確かです。でも、たとえ信じていただけなくても、私としては事実は事実として述べるほかはありません」

キャノン───私は信じます。

「勇猛な闘士はロートス(※)を食べたいとは思いませんし、バラ色の人生を送りたいとも思わないものです。すすんで困難に満ちた人生コースを選んで生まれ、精神力をよりタフに、より厳しく鍛え上げます。だからこそ、あらゆる困難を克服できるのです」

 ※───ギリシャ神話で、その実を食べると現世の苦悩を忘れさせたと言う想像上の植物───訳者

 困難に打ち克つ方法はいろいろとあるでしょう。勇猛果敢にぶち当たるのも一つの方法でしょう。じっくりと耐えて、徐々に克服していくのも一つの方法でしょう。

もっと穏やかに、祈りと瞑想の中で解決法を見出すという方法もあります。あなたほどのお方になれば、どんなことがあっても、この道から外れるようなことはないでしょう。あなたには大事な仕事があります。

それは、霊的知識による啓発を受けるべき人々(聖職者)にそのチャンスを与えることです。使命を自覚するということの本当の意味を悟ってもらわねばなりません。


 聖職者の使命は、宇宙で最も崇高な力の中継役となることです。教会や礼拝堂を〝白塗りの墓〟とせず、彼ら自らが霊力の流れる生きた殿堂となることです。

霊的真理に飢えた人が彼らの言葉によって魂の渇きを癒やされ、魂の空腹を満たされ、身体の病を、イエスの時代と同じように、霊的治癒力によって癒やされるべきなのです。この原理は今も昔も同じです。奇跡というものはありません。自然法則の顕現に過ぎません。

 じっくりと時を待つことです。人間のいちばんいけない点は、何でも性急に求めすぎるということです。その態度を見ていると、まるで大霊に代わって自分が早く片付けてしまいたいと思っているかのようです。

何年もの間モグラのように暗闇の中にいたのが、ある日ふと見上げて〝光〟というものがあることを知ります。すると、もう、それに夢中になって、今すぐにでも世の中を変えてしまわないと気が済まないような態度を取り始めます。

 そう簡単にいくものではありません。霊に関わることは、ゆっくりと、霊妙に、しかし確実に進化するものです。霊的成長、霊的感性、霊的理解力というものは、アクセルを踏んで一気に進めるわけには行かないものです。霊力を強制的に操ることはできません。

無理やりに注入するわけには行きません。それに適した通路が要ります。地上に顕現されるための手段です。

キャノン───そうだと思います。

「霊的成長がもしも努力なしに得られるものだったら、それは神の公正が愚弄されることになります。罪深き人間が簡単に聖人になれることになります。それでは公正の原理が存在の意義を失います。霊的成長はゆっくりと、しかし確実に進行するしかありません。

次の一歩を踏み出すに先立って、今の足場をしっかりと踏み固めないといけません。成長と発達は無限に続くのですから、焦ることはありません」

キャノン───我慢しろとおっしゃるわけですね?

「何度も申し上げておりますように、ドアをそっと押してみて、もし開かなかったら、無理して開けようとなさらないことです。カギのかかったドアをこじ開けようとしてはいけません。が、もしもドアが気持ちよく開いたら、その方向へ行かれることです。機が熟せば、霊の力がひとりでに顕現するものです。

 高級霊に秘められた創案と実現の能力は、たぶんあなた方人間の想像力を絶しております。機が熟し、用意万端が整えば、すべてが納まるところに納まります。盲目的な信仰は愚かですが、霊的知識に基づいて築かれた信仰は、人生哲学と将来への展望を構築する上での確固たる基盤となります。

 人間は、今置かれている環境条件からいって、全知識と全叡知の所有者となることは不可能です。ですから、これまで導かれてきたように、これからもきっと導かれていくとの信念を持つことです。霊の力が挫折してしまうことはありません。

大霊は絶対に挫折しません。すべては定められた摂理に従って顕現し続けます。これまでに啓示していただいたものに感謝し、そして、後のことは辛抱強く待つことです」

キャノン───私の背後霊として集まるのは霊的真理をよく理解した霊ばかりでしょうか。

「もちろんです。ただし、援助を必要とする霊があなたのもとに連れて来られることはありますよ」

キャノン───その種の霊には手を焼かされますね。

まったくです。でも、そういう迷える霊を暗闇から光明へと導いてあげる上で手助けとなることは、とても光栄なことです。気の毒な霊たちでして、すでに死んでいるのに、波動的には霊界よりも地上世界の方に近いのです。

苦境に陥って不安になった時は、気持ちが未来へ向かうのを制して過去を振り返り、これまでに遭遇した、人生の節目となった体験のことを思い起こしてみられることです。万事休すと思えた時───とても解決は無理と思え、どちらを向いても頼るものがなくて途方に暮れた時のことを思い出してみられることです。

不思議にも道が開け、絶体絶命と思えたものが克服されていったように、霊の力はこれからも導き続けます。

 
 キャノンという要職にあるあなたは、他の人にはない、真理普及の絶好のチャンスに恵まれています。大霊の道具であること───その恩寵と愛と叡知と霊力を届ける通路となるチャンスに恵まれていることに感謝しなくてはいけません。

ミニチュアの形で内部に神性を宿していながらこの事実にまったく無知でいる人が、実に多いのは悲しいことです。その意味でもあなたは感謝しなければなりません。収支勘定をすれば、きっとあなたは貸しよりも借りの方が多いと思いますよ。

キャノン───間違いなくそうでしょう。

「もっとも、私が見ているのは霊的なバランスシートですけどね・・・・・・」

キャノン───さぞかし、ひどい状態でしょうね?

「そんなことはありません。人間としてはきわめて健全です。要するにあなたは、まだまだ果たさねばならない仕事が残っているということです」

キャノン───施す以上に施しを受けているようです。

「そういうものです。サービスを施せば、必ず霊界からそれ以上の施しを受け、時にはあふれるほどにもなることがあります」

牧師として、キャノンも数え切れないほどの祈りを捧げてきたことであろうが、シルバーバーチも、ハンネン・スワッファー・ホームサークルによる交霊会において、開会の祈りと閉会の祈りを捧げるのが慣例となっていた。次の祈りは開会の祈りの典型的な例である。

≪日ごろの重荷・心配・不安・悩みごとや取り越し苦労のすべてを、しばし、わきへ置いていただきましょう。可能なかぎり高度な調和状態を成就するように努めましょう。知識と霊的成長を少しでも促進する目的をもとに、向上心をいやが上にも高めましょう。

 至尊至高の創造主たる大霊を超えるものは、この宇宙には存在しません。私たちはその大霊に似せて創造されております。
生命そのものを賦与し、聖なる息吹を吹き込み、無限の神的属性を授けて下さった、その大霊とのより緊密なる調和を求めて祈りましょう。


 これまでに啓示していただいた霊的知識によって私たちは、全生命の裁定者、宇宙の全機構の創造者、そしてその完全なる叡知によって全存在を治め、調整し、規制するための摂理を考案なされた絶対的霊力について、より明確なる心像を抱くことができるようになりました。

 その崇高なる霊力の大きさは、到底、私たちには測り知ることはできませんが、その影響力は心臓の鼓動ほどに身近に存在し、永遠なる生命のいかなる側面においても、切っても切れぬ絆によって結ばれているのでございます。

 その大霊の力は、ある時はインスピレーションとなり、ある時は啓示となり、ある時は叡智となり、ある時は真理となって届けられ、またある時は支援の力となり治癒力となって届けられます。それが神性を帯びたものであることは、各種の媒体を通して顕現された時に、それを受け入れた者へ及ぼす絶大なる影響そのものが物語っております。


 私たちはその媒体として、喪の悲しみの中にある人には慰めを与え、病に苦しむ人を癒やし、弱き者に力を与え、悩める人に導きを与え、かくして、手の届くかぎりの範囲において、不幸な人々を助けることができるという測り知れない名誉に浴することができるのでございます。この名誉を大霊に感謝し、更に大きな貢献の道具となることを祈るものです。

 ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます≫

                                                  
   

    
 三章 強健なる魂が選ぶ道
 
 勃興以来すでに百五十年になんなんとする今日でさえ、スピリチュアルリズムが世界中にセンターをもって活発な活動をしている事実を知らない人が多いのに驚かされる。 活動といっても交霊会ばかりではない。心霊治療を施したり、霊能開発のための指導教室も開いている。

英国バークシャー州にあるウィンザー・スピリチュアリスト・チャーチの代表であるシンプソン夫妻も、永年にわたってスピリチュアリズムの理念に基づいて活動している人である。
その日の交霊会に招かれた夫妻を、例によってシルバーバーチは温かい歓迎の言葉で迎えた。


 「このスピリチュアリズムの真理、この叡知、この光明、この知識を広めるために霊力の通路となって、縁あって近づいてくる人々に援助の手を差しのべることのできる人をこのサークルにお招きするのは、私にとって大いなる喜びです。今日も、お二人に何か力になってあげることができれば、と願っております。

 お二人がどういうお仕事をなさり、それがどういう形で多くの人々のために役立っているかは、私にはよく分かっております。私から申し上げる必要はないと思いますが、お二人がこの自己犠牲の奉仕の道に身を投じ、神より授かった霊的能力によって使命に邁進され、霊力というものがその通路さえあればいかに大きな仕事を為すことができるかを身をもって示してこられたのも、全ては霊の導きによるものでした。

〝チャーチ〟と呼ばれている灯台においてこれまでにどれほどの貢献をなさったか、また、今そこから放たれる光によって道に迷っている人々をどれだけ導いておられるか、それはお二人には測り知ることは出来ないでしょう。

お二人が結び合われたのも、今のお仕事を成就するためだったのです。振り返ってご覧になれば、窮地に陥った時に、そしてまた、道がついに開けた時に、泰然自若としてこの道に勤しむことができるように霊が援助し取るべき手段を指示してくれたかがお分かりになると思います。私の申していることがお分かりでしょうか」


───よく分かります。有り難うございます。

「いえ、私への感謝は無用です。感謝の気持ちはすべからく大霊に捧げるきです」


───勇気づけのお言葉を頂いて、とてもうれしいです。

「私の言葉によって、霊の道具として働いている方々が勇気付けられることになれば、つまり熱意を倍加して仕事に精励することになれば、私の努力も大いに報われることになります。霊の道具を見出すのは容易ではないのです。

たとえ見出しても、その能力を開発して正しく活用するように指導するのが、また容易なことではないのです。さらに、せっかく使いものになる段階にまで育て上げたころには、煩悩が頭をもたげて、道に外れたことをやり始めます。

 お二人は、啓示された光に忠実に従ってこられました。託された仕事に能力の限りを尽くされました。お二人との出会いを心から感謝している人が大勢います。

霊の道具として為し遂げる仕事は極めて特殊なものなのですから、そのチャンスが少ないからといって、ご自分の存在価値を低く見積もってはいけません。

 あなた方は今、キリスト教という硬直した教えに背を向けてしまった人々、〝伝統的〟とか〝正統派〟とかだけで体面を保っている教義に不満を抱く人々が大勢出はじめた時代、そういう国に生きておられます。中には教会は一体何をしているのかと、内部反乱を起こす者も出はじめております。

 そうした不満、特に若者の欲求に応えることができるのは、もはや牧師の声ではありません。科学者でもありません。哲学者でも経済学者でもありません。病人を癒すことでもよろしい。

迷信を永遠の真理と置き換える仕事によってでもよろしい、とにかく霊的原理に則って生きようとする人々に希望と将来性を見せつけることです。宇宙の生命活動の全てが、その霊的原理に基づいているのですから。

 たった一つの魂でも救ってあげることができたら、たった一つの魂に正しい道を教えてあげることができたら、たった一つの魂に真実の自我に目覚めさせ、存在の意義を自覚させてあげることができたら、それは人間としての大いなる徳積み───霊力と無縁となってしまった聖職者に為し得ない、貴重なサービスを施したことになるのです。

 もとより、それは容易なことではありません。この仕事は歓楽に満ちたバラ色の道とは縁遠い道です。強健なる魂は、困難を覚悟しないといけません。しごかれ、鍛えられ、さまざまな挑戦を受けることを覚悟しないといけません。

そうした試練を受けて初めて、内部の霊性がその本来の力、本来の美しさ、本来の気高さを見せるのです。その試練の中にあって絶え間なく霊力が発揮されているのです。


 お二人がこれまでに為し遂げられた仕事と進歩、そして今まさに為し遂げつつあることに喜びを感じてください。それが、大霊の叡知によって創案された包括的な大計画への、あなた方の分野での貢献なのです。

こうした素晴らしい霊的真理を手にし、人生の目的を理解し、自己実現と同胞への貢献の意義を悟ることができた私たちは何と幸せでしょう」


 ここで一息入れてから、改めてシルバーバーチが尋ねた。
 「何か私にお聞きになりたいことがありますか?」
 これに夫人が答えて言う。
 
───私が驚いていることが一つあるのです。講演を要請されて会場へ行き、壇上に上がった時は、ヤジが飛んでくるのではないかと一瞬怯えることがあります。そんな時、ただ真理を有るがままに述べればいいのだと悟ると、怯えも消え、しかも、全くヤジられることがないのです。


                           
 永遠の生命の次のページに備える
 
 「真理に対する反感や敵意は、無知が生み出す産物です。分別心が無いのです。恐怖心から出ていることもあります。いわゆる洗脳の結果である場合もあります。

精神が汚染されていて、何の抵抗力も無かった幼い時期に植え付けられた型にはまった教えから離れて理性を働かせることが出来なくなっているのです。

 そういう人たちのことを気の毒に思ってあげないといけません。光の中で生きられるものを、暗闇の中で生き続けている人がこの地上に無数にいるという現実は、実に悲しむべきことです。なぜ人間は知識よりも無知を好み、真理よりも迷信を好むのでしょうか。

 それは、その人自身にとって気の毒なことなのです。地上に存在を得たそもそもの目的が、霊的覚醒を得ることであり、その結果として、折角の人生を無駄に終わらせることなく、いずれは必ず訪れる死の後に控える、永遠の生命の次のページに備えないといけないのです。

 もし反抗に遭った時は、あなたが手にされた珠玉の真理をその人はまだ知らずにいることを気の毒に思ってあげて、その人の力になる言葉を投げかけてあげられるように、大霊に祈ることです。

少しでも真理に近づかせてあげることができれば、それだけで、その人との出会いが無駄でなかったことになるのです。不幸にして何の役にも立たなかった時は、その人がまだ霊的真理を受け入れる用意ができていなかったことを意味します。受け入れる用意が出来ていない魂には、為すすべがありません。

 私が同志の方々にいつも申し上げていることは、自分に可能な範囲で最善を尽くすということ、これ以上のことは人間には求められていないということです。

あなた方地上の人間は、不完全さを沢山携えた存在であり、その欠点を少しずつ改めていかねばなりません。が、それは長い時間を必要とする仕事であり、たった一回の地上生活で成就できるものではありません。

 その点あなたは大変恵まれた方です。血縁によってつながったスピリットだけでなく、地上的な縁は全くないスピリットの愛によっても守られております。

血縁よりもっと永続性のある縁によって結ばれているスピリットです。そうした広範囲のスピリットによる援助があるからこそ、必要に応じたサービスを施すことが出来るのです。

 そして、もう一つ大切なことをお教えしましょうか。そうした霊界の援助者は、インディアンであろうと、中国人であろうと、ニグロであろうと、本当の自我の全てではなく、進化せる存在のごく一部を顕現させているだけだということです」


「確かに、そうだろうと思っておりました」。と夫妻が相づちを打った。

「すべてに犠牲が伴っているのです。背後霊にも割り当てられた仕事があり、それを成就するためにはあなた方の協力が必要なのです。本日このサークルに来られて、今後の仕事への意欲を刺激されたとしたら、これも無駄でなかったことになります」

───無駄だなんて、とんでもありません。私たちも今年で揃って七十歳になりました。が、もう年だといった気持から生き方を変えることは、とても考えられません。

「これまで全てのことがうまくいったのは、お二人の生き方が霊の力の導きを最優先して来られたからです。霊の力は決して見捨てません。決しておろそかにはしません。常に導き、守り、支援し、お二人の霊的能力を最高度に発散させてくれるでしょう。

 ですから、うんざりなさってはいけません。お二人のチャーチを訪れるのは、肉体を携えた霊的存在です。その霊的身体は目に見えないかも知れません。ましてや魂(自我の本体)は見えません。大切なのは肉体ではありません。それはそれなりに役目があります。が、魂と霊的身体の成長こそ大切なのです。

その成長にあなたが何らかの寄与をすることができれば、それは他の誰にもできないことをなさったことにほかなりません。ですから、堂々と胸を張って、大いなる愛と力に守られていることを常に自覚して仕事に励んでください。よろしいでしょうか?」


───大変勉強になりました。お礼を申し上げたいところですが、あなたは謝辞をお受けにならないことを存じておりますので、本日のことは大霊に感謝申し上げることに致しましょう。

「私が語った教えをお二人が有意義に活用して下さっていることは、よく存じております。が、私自身の教えではありません。私はただのマウスピースに過ぎません。英語をマスターして、上層界から授かった教えをあなた方のお役に立つ形で表現することができることを光栄に思っているところです。

 私のお蔭でよい仕事が出来ているとおっしゃって下さる方にお会いすると、私の心は喜びにあふれます。ですが、そのことで感謝の言葉をお述べになりたいのであれば、むしろ私の言葉を記録してくれている速記者(ムーア夫人)に向かって述べるべきでしょう。大変な仕事です。ですが、彼女は喜んで召使いであることに甘んじております」


 「ほんとうに有り難い事です」とシンプソン夫人。

「彼女と旦那さんについての秘密をお教えしましょうか。実は二人はこの私が引き合わせたのです。この仕事のためにです。その意味では私に全責任があるのです。

ですが、これまでのところ、二人はうまく行っているようです。私たち霊団の者はこうしたカップルがいることを誇りに思っております。特殊な指導を受けており、それはこれからもまだ続きます。

 ということは、この交霊会もまだまだ続くということです。そういう計画になっているのです。どの政党が政権を握ろうと、明日のことを思い煩ってはなりません。将来を決めるのは霊的真理の意義をどこまで実生活に生かすかということです。

霊的真理に従って生きるようにならないかぎり、本当の平和も調和も善意も、そして霊的・精神的・物的な恩恵も、手にすることはできません。そこに、われわれ」が携わっているこの仕事の重大性があるのです」


これを聞いて速記者の〝旦那さん〟である元牧師が質問する。

───今こうしている間にも、社会問題で悩み苦しんでいる人が大勢いるわけですが、スピリチュアリストとしてはどういう態度で臨むべきでしょうか。



            
 霊的原理の上に社会秩序を

 「霊的真理を手にした者が恐れや不安を抱くようなことがあってはなりません。この世には問題がいっぱいあります。今も言いましたように、社会秩序が霊的原理を土台としないかぎり、問題の絶えることはありません。それを唯物的原理の上に築こうとするのは、砂上に楼閣を築こうとするようなものです。

 お互いが心の中に敵意を宿しているうちは、外にも平和は有り得ません。憎悪、激情、敵意、貪欲などに燃えている人がひしめき合っている時に、協力体制などというものが出来るでしょうか。

 愛とは摂理の成就であるといいます。地球上の人間の一人ひとりが兄弟であり姉妹であり、全人類が親戚縁者であることを理解すれば、互いに慈しみ合うに違いありません。そういう意図のもとに大霊は、各自に神性の一部を賦与し、その連鎖の輪が全世界を取り巻くようにしてくださっているのです。

 現段階の人類はまだ、自分が基本的には霊的存在であるという永遠の真理を、実感を持って認識するまでには至っておりません。同じ神性を宿しているがゆえに、お互いが切ろうにも切れない霊的な縁で結ばれており、進歩するも退歩するも、一蓮托生ということです。

 そこにあなた自身の責任が生じます。真理を手にしたら、その時から、それをいかに使用するかについての責任を問われるということです。霊的真理に目覚め、霊力の働きに得心がいったら、その時から、今日の悩み、明日への不安を抱くことがあってはなりません。

 あなたの霊性が傷つくようなことはありません。あなたが手にした霊的知識、あなたに啓示された真理に忠実に生きていれば、いかなる試練の炎の中を通り抜けても、霊性が火傷を負うことはありません。

地上界で生じるいかなる苦難にも、霊的に傷ついたり、打ちひしがれたりすることは絶対にありません。動機と目的さえ正しければ、霊の力が何とかしてくださることは、これまでの体験でも十分に証拠を手にしておられるはずです。

 残念ながら今のところ、霊的真理を理解している人は極めて少数であり、決して多くはありません。大半の人間は、物量・権力・圧政・隷属的体制こそ〝力〟であるかに考えております。が、大霊の子は身体的・精神的・霊的に〝自由〟であるべく、地上に生を受けているのです。

 いずれは霊的真理が世界各地に浸透するにつれて、地上の人間も日常生活をより自由に、より明るく生きることが出来るようになるでしょう。この英国においても、また他のいかなる国においても、もう〝話が終わった〟わけではありません。

進化しようとする霊性がゆっくり着実に発現してまいります。その歩みを地上的勢力が邪魔をし進歩を遅らせることはできても、大霊の意図を変えさせることはできません。

 もしもそれくらいのことで大霊の意図が変更の止むなきに至るものであれば、この地球はとっくの昔に崩壊していたことでしょう。

霊は物質に優るのです。霊力こそ宇宙の支配力なのです。だからこそ、いつも申し上げるのです───心を奮い立たせなさい、胸を張って生きなさい、地上世界に怖がるものは何一つありません、と。何事も必ず克服できます」



     
 霊団は決して見捨てない

 サークルのメンバーの一人で、動物愛護運動に献身している女性が反抗の大きさを訴え、もはや刃折れ矢つきた感じですと述べた。するとシルバーバーチが───

 「あなたが取るべき態度は、あなた個人としての最善を尽くして、そこでストップすることです。身体的に疲労の極に達し、精神的にも限界と思える段階に至ったら、それをあなたの限界として、それから先へは進まないことです。持てる力を一気にぶちまけても、あなた一人の力で世の中を変えることはできません。

あなたがこちらへこられた後も、事情はそのままです。あなたには、この地上へ出てくる時に約束した仕事があり、今それをおやりになっているところです。


 その仕事のために、これまで霊の世界からいろいろと援助の手が差しのべられてきました。現在も援助の手が差しのべられております。そして、これからもその手が引っ込められることはありません。

しかし、大切なのは、あなたの精神を穏やかに、冷静に、そして確信に満ちた状態に保つことです。そうすれば、霊の力が必ずやその力を発揮します。正義・善・節度、これを守れば必ずや目的は成就されます。

 もしも辛い思いをするのがもうご免だと思うようになったら───それも人間として私は決して咎めるつもりはありませんが───少なくともあなたの霊的成長はそこで止まります。成長は困難に立ち向かうこと、挑戦を受け止め、そして克服していくことによってのみ得られるのです。

 あなたの場合は、自分で自分を守るすべを知らない動物のための仕事をなさっているわけですが、いかなる仕事であれ、自分を役立てる仕事をしている時は、必ず大勢の高級霊が援助の手を差しのべております。その霊団が途中で仕事を投げ出してしまうようなことは絶対にありません。

耐え忍んでいれば、必ずや目的は成就されます。もとより簡単にはまいりません。苦しいことも辛いこともなしに成就されるとは申しません。が、必ずや成就されます。霊団の方は決して降参しません。成就するまで援助します」

別のメンバーが「霊の力は強烈かも知れませんが、肉体の力は弱いのです」と言うと

「肉体の力はどこから湧いて出るとお考えですか」

───霊からです。

「ならば、必要に応じてその霊力を引き出せばいいでのではありませんか」

───そのつもりでやっております。が、一日も終りに近づくと、いささか疲れます。

「だったら、そこで止めて、睡眠をとり、体力を回復して、次の日の仕事に精を出せばよろしい。私も永いこと地上界の仕事にたずさわってきて、皆さんのご苦労はよく理解しているつもりです。が、条件さえ整えば、 イザという時には霊力が湧き出るものであることを確信しております。

 ただし〝条件が整えば〟ということを忘れないでください。何度も申し上げてきましたように、その条件は霊界側の条件のことです。霊界側のタイミングで、霊界側の方法で働きかけます。人間側の都合にわせて行うのではありません。

 私たちはあなた方より広い視野で見ております。人間の視野はきわめて限られております。ですから、背後霊に任せることです。万事うまく行きます。一時的には不遇を忍ばねばならないことがあるかも知れません。しかし最終的には必ずうまく収まります」


続いてお金の問題が持ち上がったが、シルバーバーチは

「お金はとかくトラブルのもとになります。余るほど入っても厄介ですし、残してもトラブルのもとになります」と述べて、金銭への執着を戒め、いくつかの個人的な問題についてコメントしたあと、こう述べた。

「どうやら私の時計の電池が切れかかってきたようです(※)。そろそろ引き上げなくてはなりません。
 お別れする前に、ともに心を静かにして、お互いがそれぞれの道に進むに当たって、こうしてしばしの間いっしょに過ごしたこの部屋は、霊の力が降りたがゆえに聖められていることを知って下さい。


 その聖なる霊力にこうして浸ることができたことを、私たちは光栄に思わないといけません。それはまさに全生命の根源である創造主から発せられた力です。日頃の生活においても、その崇高なる力を少しでも多く受け入れることが出来るように心掛けようではありませんか。

 誰にでも分け隔てなく授けられるこの大霊からの愛に浴し続け、任せられた仕事に明るく精を出し、いついかなる時も、高き界層からの使者に見守られていることを忘れないようにしましょう。
 内も外も平和がみなぎるようになる道は、各自がそう自覚するしかありません。神の祝福の多からんことを」


※───われわれ地上の人間は、肉体という潜水服を着て大気という海の中に潜っているようなもので、いつまでももぐり続けるわけにはいかない。時おり上がって一服する必要がある。それと同じで、肉体に宿っての活動にも限界があり、ある一定時間以上は続けられなくて、いったん肉体から脱け出て、霊気を補充しなくてはならなくなる。それが睡眠である。

 ここででシルバーバーチが言っているのは、たぶん霊界の霊媒であるインディアンが、バーバネルの身体に宿ってその肉体機能を操るためのエネルギーが切れかかっていることを意味していると察せられる。

もちろんシルバーバーチと名のる高級霊も、地上圏との接触のためにかなり波動を下げていることは事実であるが、本人が語っているところによると、本来の所属界に戻って英気を養うのはイースターとクリスマスの二度だという。その間は、われわれ人間が地上界に束縛されているように、シルバーバーチの霊的な意識はかなり制約されているらしい。高級霊にとっては〝苦行〟にも等しい大へんな犠牲的行為で、『霊訓』のインペレーター霊などは、これを〝国籍離脱〟にも似た行為と呼んでいる───訳者。




      
 嘆かわしいほどの無知
 
 別の日の交霊会で、死者の葬儀を霊界ではどうみているかと質問されて、シルバーバーチが例によってそのテーマをきっかけとして話題を広げていった。

「死者にまつわる過剰な悲しみや嘆き、動転は感情的な障壁をこしらえて、こちらから何をしてあげようにも、まずそれを取り除かねばならなくなります。

 ですが、現代人の嘆かわしいほどの無知を考えれば、それも止むを得ないことです。すでに役目を終えた肉体の死を大げさに嘆き悲しみ、その肉体から脱け出て元気はつらつとした霊の存在については、毛の先ほどの知識も持ち合わせない───残念ながらそれが地上界の現実です。 

 それは、しかし、皆さんの努力によって成就しなければならない仕事がたくさんあるということでもあります。ところが、本来ならその職責上みんなの先頭に立って霊的知識を擁護しなければならない聖職者たちが、まるきり霊的知識を持ち合わせないというのですから、情けない話です。   

 しかし、そんなことにはお構いなく、霊的真理は必ずや広がります。それを完全に阻止できる力は地上には存在しないのです。が、そうした事実を知ることによって、これから啓発していかねばならない分野についての理解が得られるのではないでしょうか」

 そう述べてから、霊媒を仕事としているその日のゲストに向かってこう続けた。

「あなたが携わっておられる仕事がまさにそれですよ。あなたの内的自我の欲求が今のお仕事へあなたを導いたのです。大霊から授かった能力を活用して人のために役立つ仕事をなさっている方に対して、私は同志としての親愛感を覚えます」


ゲスト───大変な道を選んだものだと思っておりますが、でも頑張ります。

「一歩でも大霊に近づくための霊的成長を求めている者が、安楽な道を求めてどうしますか ?」


ゲスト───おっしゃることはよく分かります。でも、時には耐え難くて堪らない心境になることがあります。そして、天に助けを求めます。すると、もうダメかと思った段階で救いの手が差しのべられることがあります。

「絶体絶命の最後の一瞬まで我慢させられることがあります。霊的進化のある段階まで来ると、それ相応の配慮がなされるのです。代償と埋め合わせの法則は寸分の狂いもなく働きます」

ゲスト───霊媒としての仕事に携わっている時は霊界が身近に感じられて、最高の生き甲斐を覚えることは事実です。俗世の苦労を忘れて、精神の高揚が得られます。

「そうでしょうとも。たとえわずかではあってもその光栄に浴し、その響きを耳にされた時、あなたは地上にあって霊の高揚を体験されたことになります。それを他の人々に伝える努力をしないといけません。それこそが全生命が基盤としている永遠の霊的実在だからです」

ゲスト───ですけど、最近では物理的なもの、現象的なものに関心が偏り、精神的なもの、霊的なものへの関心」が薄らいでいるようです。わきへ押しやられている感じです。

 
  
 〝おもちゃ〟 が必要な人もいる

「いえ、それは一部の人々に言えることであって、全体としては、そんなことはありません。いつの時代にも〝おもちゃ〟を必要とする人がいるものです。見かけは立派な大人でも、霊的には子供なのです。もっと素晴らしいものがあることに気づくまでは、おもちゃのような幼稚なもので満足なのです。

とはいえ、何の関心も持たないよりは、たとえ低次元のもの(現象的なもの)であっても〝霊〟に関わるものに関心を持つ方が上でしょう。

 霊は無限であり、従ってその顕現の形態も無限であることを忘れてはなりません。要は地上の人間が霊の世界との正常な関わり合いを持つことが大切なのです。とくに現代のような物質偏重の時代にはそれが必要です。

なぜなら、何らかの形で霊の世界と結びつくことによって、援助・導き・霊感・叡知・愛といったものが届けられることになるからです。いったんその霊的関係ができ上がると(人間の側が拒絶しないかぎり)二度と断絶することはありません」


ゲスト───どういう形を取ろうと、それは一粒のタネを蒔くことになるのだと思うのです。そのタネが芽を出し、生長し、実るように、忍耐づよく見守る必要があります。問題は、とかく人間は煩悩によって迷いが生じるということです。

 それは無理もないことです。そもそもこうして地上に生まれてきたということが、あなたがまだまだ完全でないことの証拠です。欠点に気づいてそれを直し、過ちを犯してそこから教訓を学び、そうやって少しずつ内部の神性を開発していく、それが地上生活のそもそもの目的です。が、それは長い長い時間を要するとことです。

 その過程において、一人の人間の魂に本当の自我を見出させてあげることが出来たら、それであなたの存在意義があったことになります。たった一つの魂で十分です。魔法の杖の一振りで何千人、何万人もの人を一度に改心させて霊的な価値を悟らせるなどということは、絶対にできません」


ゲスト───でも、真理を知った者は誰しも、できるだけ多くの人に物的価値と霊的価値とを調和させた生き方をしてもらいたいと願うものです。




   
 霊能者の役目

「あなたの役目は、霊にかかわる真理を事実に即して披露することです。地上で生活している人に、今そうして生きているそのすぐ身のまわりに、より大きな生命の世界がひしめくように存在していて、それこそが永遠の住処であり、いずれはみんなそこへ行くことになっているということを教えてあげることです。

 言いかえれば、人間は本来が霊的存在であり、それが肉体をたずさえているのであって、霊を従えた肉体ではないということ、そしてその霊も、肉体と同じように、成長の為の養分を必要としているということを、なるほどと納得させてあげるのが、霊能者としてのあなたの仕事です。

 そう納得させてあげたら、それから後のことは、あなたの関与することではありません。その人は本当の自分を見出したのですから、それからあと、その本当の自分の存在の意義をどういう形で生かすかは、その人自身が決めることです。

たとえ試行錯誤をくり返しながらであっても、何とかして自分を人のために役立たせようと努力していれば、そういう人への援助を仕事と心得ている高級霊がしかるべき指導してくれます。

 ですから、迷ってはいけません。もとより生やさしい仕事ではありません。が、努力のし甲斐のある仕事です。霊能者のみができる仕事です。まさしく神が地上に派遣した使者です。

 あなたもその一人であることを誇りに思ってください。大霊の仕事のお手伝いをしているのです。迷って首をうなだれるようではいけません。地上で最高の仕事にたずさわっているのですから、堂々と胸を張って歩みなさい。

 霊界からの援助者は、地上の使者が無私の協力の姿勢を崩さないかぎり、決して見捨てるようなことは致しません。地上の啓蒙のために、今もっとも必要としている霊的な恩恵をもたらすべく、辛抱強く援助し続けてくれます」


ゲスト───謙虚に、愛の心をもって、誠実に───これをモットーとして仕事をしております。

「霊能者の仕事がラクであるかに想像する人がもしいたら、それはとんでもない見当違いであると言わざるを得ません。ラクを求めるようでは、それは魂が進化していない証拠です。困難な道であることを承知の上で、内在する霊力の威力を信じて挑戦するようでないといけません。

 これまであなたがたどられた道は長く、困難で、涙をにじませたこともありました。が、何とか切り抜けてこられましたし、これからも切り抜けることができます。

 忘れないでいただきたいのは、あなたのもとを訪れる人、あるいは、あなた方から出向いてあげる人はみな、肉体の奥に埋もれている魂が自由を求め、無知と迷信から脱け出ようとしている人々であるということです。その牢獄の扉を押し開けて魂を解放してあげるのが、あなたの仕事です。

臆することなく突き進みなさい。一人でも多くの魂を解放してあげなさい。神の計画は積極果敢な行動を求めているのです」


 ゲスト───ここまで来て撤退するわけにはまいりません。

「そうですとも。いったん霊的な眼が開いた者は、臆することがあってはなりません。あなたには霊的能力という、大霊からの授かりものがあります。それを最大限に活用しなくてはいけません。

あなたを通して届けられるものが、霊の始源と同様に純粋で無垢であるように、最大限の努力をしなくてはなりません。

 要は、完全を目指すしかないのです。これは大変なことです。霊的な褒賞はそう簡単には得られません。が、いったん身につけたら、二度と失われることはありません」


 

        
 人間はみな潜在的霊能者

 ここでゲストが興味ぶかい質問をした。仮りに霊的な潜在能力を持って生まれた者が地上でそれを発揮できずに終わった場合、死後その能力を親和力の強い地上の類魂にゆずって発揮させるということが出来るものかということだった。シルバーバーチはこう答えた。


「霊的能力は天賦の才能です。その人の生得の資質であり、自然に備わったものですから、それを他の者にゆずることは出来ません。各自が各自にそなわった資質を発達させるのです。それを地上生活にそなえて用意してきたのです。

 霊界へ戻ってみて、地上でそれを十分に発揮できなかったことに気づいたとしても、愛情や親和力、あるいは興味の共通性によって(背後霊となって)世話することになった人間に、その分をゆずって発揮させるというわけにはいきません。その人間にそなわっている能力を発揮させるように指導するしかありません」


サークルのメンバー ───地上で発揮できなかった霊力をそちらで発揮することはできるのでしょうね?

「もちろんできます」



───ということは、霊的能力は物的身体とは関係ないというわけですね?

「能力そのものは霊にそなわったものです。霊の機能といってもよろしい。物的身体にいろいろと機能があるように、霊にも機能があります。

 霊視能力というのは、あなた方が肉体の眼で見るように、霊の眼で見ることです。霊聴能力というのは、肉体の耳で聞くのと同じように、霊の耳で聞くことです。
人間は本質的には霊的存在ですから、その意味では人間はみんな潜在的な霊能者であるわけです。


 もっとも、その能力の顕現の仕方には無限といってもよいほどの形態があります。純粋にスピリチュアル(霊的)といえるものに到達するまでには物的(フィジカル)なもの・心霊的(サイキック)なもの、幽的(アストラル)なもの、その他いくつもの段階を経ることになります」


───霊能者になるかならないかを決めるものは何でしょうか?

「地上へ誕生する前の本人の自由意志で決めています」


───ということは、私は今の霊媒としての仕事を誕生前に選択したのでしょうか?

「もちろんですよ。あなたは母親の胎内に宿る前から存在していたのです。たまたまこうなったというものではありません」


───それにしても、この種の仕事を選ぶ人が少ないことには何か理由があるのでしょうか?

「地上世界の大切な仕事は、必ず少数派によって為されるものなのです」


───自分で選択するのでしょうか?

「そうです。あなたも、出発点で決断したのです。その時点では、この道を選べばこういうことになるということを承知していたのです。それから地上へ誕生したのですが、誕生した時はそうした記憶は潜在意識に埋もれてしまいます。そして、人生体験の中で少しずつ取り戻していきます。

 あなたがこうした人生を選ばれたことには偶然も、奇跡もありません。すべては法則と秩序と意図のもとに行われています。すべてが計画されているのです」

                                         


   
 四章 読者からの質問に答える

 シルバーバーチ交霊会は正式には〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟と呼ばれていた。スワッファーという名司会者(日本でいう神審者(サニワ))が出現するまでは不定期に、ごく親しい知人四、五人を相手に開かれていて、記録も残されていなかった。

 が、その霊言の内容の質の高さに感動したスワッファーの提言でスワッファーの自宅で毎週金曜日の夜に定期的に開かれることになり、出席者も、招待客を含めて十人前後となった。

そして名称をハンネン・スワッファー・ホームサークルとして、専門の速記者も用意し、その記録を翌週の〝サイキック・ニューズ〟に掲載し、さらには月刊紙〝Two Worlds〟にも掲載されるようになった。

 こうして公表されるようになると、当然、読者からの質問も多く寄せられるようになる。それが交霊会で読み上げられて、それについてシルバーバーチが回答を述べ、さらにその回答に関連して出席者が細かく質問をして話題が次第に発展していくことがよくあった。

 本章で紹介するのもその一例で〝Two Worlds〟の読者から次の質問がきっかけとなった。


     
 双子霊とは

 投書(一)───双子霊 twin-souls というのは何なのでしょうか。
 
「一個の魂を構成する二つの類魂が地上で結ばれた場合のことです。この宇宙に類魂のいない霊はいません。が、それが同じ地球上で出会うということは滅多にあることではありません。

 互いに補足し合う関係にある二つの魂が同じ時期に同じこの地上世界で出会うことを許された時は、そこに、文字通りの地上天国が成就されます。双子霊はその用語の通り双子のような同質の二つの魂ということです。

同じ成長と進化の段階にあるので、進歩もいっしょに仲良く、ということになります。私が時おり、〝あなた方お二人はアフィニティですね〟と申し上げることがあるのをご存知と思います」


 サークルのメンバー────でも、せっかく出会っても二、三年でどちらかが先に死んで別れ別れになるということもあると思うのですが・・・・・・

「それは身体上の話にすぎません。でも、少なくともその短い期間は〝一体化〟 がもたらす燦然とした生命の喜悦にひたることができます。それは、生命進化のどの階梯においても有りうることです」

  同じメンバーがひとりごとのように「霊的知識があれば、その喜悦はさらに大きくなるだろうなあ」とつぶやくと───

別のメンバー───同じ進化の階梯にある双子霊がこの地上で別れ別れになるということにはどういう意味があるのでしょうか。誰しも二人はずっといっしょであるべきだと考えるのですが・・・・・・

「せっかく地上で出会いながら、どちらかが先に他界した場合のことをおっしゃっているのだと思いますが、それは、あくまでも身体上のことであって、ほんのいっときの話です。類魂どうしであれば、魂の内奥から湧き出る衝動が互いを強烈に引き寄せます。身体は二つでも霊的には一つだからです」


───別れ別れの生活を体験することが、その双子霊の進化にとって有益だからという見方もできると思います。

「そういう見方もできないことはありませんが、大ゲサに考えることはありません。一緒のままでいようと、別れ別れになろうと、お互いが一個の魂の半分なのですから、その絶対的なつながりは、死という地上的な現象によっていささかの影響も受けません。

霊的実在と地上的現象とを同等に考えてはいけません。最後に残るのは霊にかかわるものだけです」



        
 物質界の体験をもたない高級霊の存在

投書(二)───私たちのように地球という物質界に誕生してくる霊とは別に、まったく物的体験を持たない霊がいるのはなぜでしょうか。

「この宇宙には、物的身体による体験を持たない高級霊の界層が存在します。そういう種類の霊にしかできない宇宙経綸の仕事があるのです。一度も地上の人間のような形態をもったことのない高級霊です。その界層での成長にとって地上的顕現は不必要なのです。

居ながらにして高級霊で、宇宙の上層部に所属しています。〝光り輝く存在〟(※)というのがそれです。現実にそういう存在がいます」

(※)───ある形体があって、それが光輝を発しているのではなく、光り輝いている存在で、一定の形体を有しない───訳者。

投書(三)───  霊界との交信に器機装置を使用する計画は無いのでしょうか。
 
「霊界と地上界との交信を促進するための計画はこちらでもいろいろとなされておりますが、霊媒に取って代るもの、たとえば電子工学(エレクトロニクス)を応用したものを考案中という話は聞いておりません。

高周波───〝高い〟といっても程度は知れてますが───を記録する装置を使ってはいけないとという理由はありません。それなりに交信を容易にし、判読しやすい形で受け取る上で役立つかも知れません。

 しかし、顕と幽の二つの世界の交信にとって不可欠の要素である霊媒に取って代わる器具(モノ)を考案中という話は聞いたことがありません。それは絶対にできないでしょう。なぜと言えば、二つの世界は霊と霊との関係、つまり霊性で結ばれているからです」

そう述べてから、その日の出席者で霊媒を仕事としている人の方へ顔を向けて

「あなたもそう思われるでしょう?」
 と言うと、その霊媒が

「分かりやすい説明だと思います。霊媒がお役ご免になって器械が使用される時代が来るとは考えられません。私は実はエレクトロニクスの分野での仕事の体験があるのです」

「突き詰めて言えば」 とシルバーバーチが付け加える。「顕幽の交信を可能にしているのは〝愛〟です。愛は霊的属性の一つです」


 メンバーの一人───バイブルにも〝霊的なものは霊的に見きわめないといけません〟とあります。

 「霊媒は無くてはならない存在です。交信に必要なエネルギーは物的なものではありません。霊そのものから出ています。霊的身体から出ることもあります。いずれにせよ、必須の要素である愛がなくては、霊的なものを物的なものに転換することはできません」

 ここで別のメンバーが、優れた霊媒能力をもつ、ある女性の例を引き合いに出して、
「その人が霊媒としての仕事を嫌がって拒否しているけど、これはその女性にとって大きな罰点にならないでしょうか」と尋ねた。


「私なりの考えを申し上げましょう」と言って、シルバーバーチが次のように答えた。

 「大霊からの授かりものである霊的能力を持っている人は、男性・女性の区別なく、それをどう活用するかについての責任が付いてまわります。大霊は無償でその能力を授けているのではない、ということです。

 しかし、その責任を果たすかどうかは、その人の自由意志による選択にまかされています。これは、罰点かどうかの問題ではなく、原因と結果の法則───因果律の問題です」

同じ質問者───実は私は心霊治療家なのですが、ある交霊会で、私が物理的霊媒能力の養成を怠ったのが進歩の妨げになっていると言われたのです。

「それは〝用語〟の問題に過ぎません。心霊治療も見方によっては物理的現象といえるのではありませんか?   だって、肉体という物質に変化をもたらすわけでしょう?  治療を通して届けられた霊力が肉体の改善という物理的結果を生むわけです。心霊治療というのはそういうメカニズムになっているのでしょう?」


───では、その交霊会で言われたことは気にしなくてもよいのですね?

 「霊が言うことも霊媒を通して届けられるわけですから、必ずしも正しく伝えられているとはかぎりません。こちらから見ていると、誤り伝えられているのに、それがわれわれのせいにされていることがよくあります。

 一方、われわれも絶対に誤りを犯さない存在ではありませんから、間違ったことを言う可能性もあるわけです。私の言うことが絶対に間違っていないとは申しません、と何度も申し上げてきたことはご存知と思います。

 いかなる霊媒を通して届けられたものでも、必ず理性による判断を通さないといけません。最高の判事は理性です。これも大霊からの授かりものです。道義心とあわせて使用すれば、進むべき正しい方角が示されます」



           
 世俗的よろこびと霊的よろこび

投書(四)───霊の進化は生命の旅における苦難と葛藤を通して得られるとおっしゃっていますが、同時に、その進化に終わりはないともおっしゃっています。そうなると、魂の安らぎと平安が永遠に得られないということになりませんか。

 この質問を聞いてシルバーバーチが
 「質問者がおっしゃっているのは地上の人生のことでしょうか」

 と尋ねると、司会者が
 「その点は明確ではありませんが・・・・・・」

 と答える。するとシルバーバーチが続けてこう述べた。
 「そういう疑問は、世俗的な表面と霊的な内面との違いが理解できていないことから生じます。日常生活では葛藤と困難と闘争に明け暮れていながら、内面的には平安と安らぎの中に安住することができます。俗世では疾風怒濤の中にあっても、霊的な悟りは平静そのものであり得るのです。

 安らぎは内面から出てくるものです。外部からやってくるものではありません。地上の人間が物的身体の奥に秘められた霊的な自我を開発しさえすれば、泉のごとく霊力が湧いて出て、静寂、沈着、平穏、安らぎといったものがもたらされます。

 これまでに多くの偉大なる霊が地上へ降誕し、さまざまな分野で先駆的な仕事と改革をもたらしましたが、みな、過酷な現実の中で悪戦苦闘しながらも、霊的な自我は静かな悟りの世界にありました。

物的な有為転変と霊的原理とを同等に見てはいけません。霊が主人であり、物質は従者です。つねに霊が主導権を握るようでなくてはいけません」

  
投書(五)───霊媒や治療家が過労におちいるのは本人の責任でしょうか、それとも背後霊の責任でしょうか。

「それは本人の責任です。霊媒や治療家は霊の道具です。が、その道具にも自由意志が許されています。背後霊は独裁者ではありません。霊媒を操り人形を扱うようなわけにはまいりません。協力しあうのです。無理やり強いるようなことはしません。その時の環境条件のもとで最善を尽くします。

 もしも霊媒や治療家が過労でダウンしたとすれば、それは本人の責任です。われわれ霊側は霊媒を鼓舞して仕事に従事させることはありますが、体力の限界を無視してまでやらせるようなことはしません。

霊的能力の開発を蔭から指導すると同時に、その能力を使い過ぎないように管理する必要もあります。せっかくの能力であり、大切にしなければならないからです。

 いつも申し上げているように、霊と精神と身体の三つが一体となって機能することが大切です。その調和の中でこそ各自の使命が果たせるのです」

 
    
 不幸とカルマ
   
投書(六)───戦争や大惨事、疫病や飢餓で多くの魂が一度に死ぬのは、やはりカルマのせいでしょうか。その中には死すべき時よりも早目に死ぬ者もいるのでしょうか。戦争は地上世界では避けられないものなのでしょうか。もしも避けられないものであれば、それは国家や民族としてのカルマのせいでしょうか。

「この質問者は〝魂が死ぬ〟という言い方をしておられますが、これは不適切です。魂は死にません。また、カルマという用語を用いておられますが、これはつまるところ摂理の働きのことです。タネ蒔きと刈り取りのことであり、因果律の一部を構成するものです。

 摂理の働きだけは何人も逃れる事はできません。究極において公正が成就されるようにとの大霊の意図によって案出されているのですから、万が一その摂理が廃止されたり原因と結果の連鎖関係が妨げられたりすることが有り得るとすれば、それは大霊の意図が無視されることが有り得ることになり、言語道断の話です。

 各自がその霊性に相応しいものを、少なすぎも多すぎもしないだけ授かるようになっているのです。これは個人についてのみならず国家や民族の単位でも当てはまります。国家や民族といっても、つまるところ個人の集まりですから・・・・・・

 地上生活の寿命の件ですが、一応、魂が誕生する時にあらかじめ決まっております。が、人間には、ある範囲内での自由意志が許されており、その他のもろもろの事情も絡んで、その寿命、つまり死すべき時が変わることも有り得ることです。

 戦争が避けられるか否かの問題ですが、これは地上の人間自身の自覚に関わる問題です。今も述べましたように、人間には自由意志が許されております。が、それには代償も伴います。戦争をするかしないかは自由です。が、戦争という手段を選んだからには、それが生み出す結果に対しても人間が責任を負わねばなりません」


メンバーの一人───寿命は魂の誕生に際してあらかじめ決まっているとおっしゃいましたが、それはすべての魂に当てはまることでしょうか。たとえば未熟な魂にも自分がこれからたどる人生についての正しい判断や知識、叡知などが備わっているでしょうか。〝魂〟の次元ではすべてが平等なのでしょうか。

「魂が物的身体に宿る前と後とでは、発揮する叡智の量には格段の差があります。誕生後の自我は物的身体の機能によって大幅に制約されます。が、誕生前は、すべての魂とは申しませんが、大体において自分が地上でたどるべき人生について承知しております」


───誕生前から自分のたどるべき人生が分かっているということは、その結果まで分かっていることになりませんか。

 「分かっていますよ」

───こういう体験をしてこうなるということが分っているものを、なぜわざわざ体験しに行く必要があるのでしょうか。

「その地上体験のあと霊界へ戻ってから為すべき仕事があるのです。それに備えて霊力を磨くのです。体験すべきものが前もって分かっているということは、その体験によって初めて身につく霊的成長の代用になりません。

 世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生を受けた、そもそもの意義があるのです」


 
       
 寿命は決まっているか

───寿命は前もって決まっているのでしょうか、それとも体力その他の要素の問題なのでしょうか。


「ありとあらゆる要素が絡んでおります。物的身体は魂が体験を得るために欠かすことのできない大切な道具です。魂と身体は二人三脚です。が、そのことは別として、地上の寿命は、大ていの場合、前もって分かっております。 

 物的身体と霊的自我とを完全に切り離して考えてはいけません。両者はがっちりと組み合わさり、前者は後者を制約し、後者は前者に生気を与えております。一個の人間の存在をバラバラに分解して考えてはいけません。いくつもの要素が組み合わさって一個の存在を形成しており、

しかも、その一つ一つの要素が互いに反応し合っております。それぞれの要素が組み合わさり、融合し合って、あなたという一個の存在を形成しているのです」


───たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか。魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか。
 
 「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。

たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。

 肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。

霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。

ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」


投書(七)───今地上にはさまざまな病気で無数の人が苦しんでいますが、その人たちはみな過去世の過ちの償いをしているのでしょうか。そうやって苦しむために地上へ戻ってきているのでしょうか。

「苦難は生命進化の大道における不可欠の要素です。では苦難の法則がどのように働いているかとなると、簡単には説明できません。霊的な因果律の働きを考慮せずに、ただ表面の物的現象だけで推断するのは禁物です。

といって因果律は目に見えませんから、そういうものの存在を信じるほかありません。つまり大霊は愛と叡知の極致ともいうべき存在ですから、究極においては必ず公正が行きわたるようになっていると信じることです。

 地上人生は全存在のホンの一側面にすぎません。地上生活がすべてではないのです。その間の出来事についてもきちんとした埋め合わせと償いの法則が働いています。カケラほどの短い人生の表面だけを見て大霊のなさることを批判すると間違いを犯します。それは他の大きな側面を無視することであり、それすら全体の一部に過ぎないからです。

 何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。
何一つ無視されることもありません。摂理がすべてを支配しているのです。あらゆる存在が、あらゆる側面が、大きい・小さい、単純・複雑の違いの別なく、永遠に不変の摂理によって支配されているのです。


 どうしても理解に苦しむことがあれば、それはまだ自分には理解力の及ばないことがあると観念すべきです。人間は、物的身体を媒体として生活するという宿命的な制約を課せられています。

しかし、そうしたものにおかまいなく、〝愛〟はすべてのものに作用しているのです。大霊とは愛にほかならないのです。愛は必ずいつかは目的を成就します。

 私たちがこうして皆さんのもとに帰ってくるのも、あなた方への愛があればこそです。必要とあればどんなことでも致します。が、余計なこと、無益なことはいたしません。

あなた方にその価値が分かるものしかお教えしません。理解力というものは魂の成長から生まれるものです。梯子を一段高く上がってはじめて、その次の一段が見えるようになります。その梯子が無限の彼方へと続いているのです。

 その梯子の低い段階にいるあなた方に代わって、私たちがすべての問題を解決してあげるわけにはまいりません。冷たい心でそう申し上げるのではありません。物的身体に包まれたあなた方には理解できない要素があり、私たちが代って解答を教えてあげることは余計なことであり、無駄なことだからです。

 どうしても理解できないことは、これまでに授かった霊的真理を頼りとして〝信念〟を持つことです。根拠のない手前勝手な信念ではありません。スピリチュアリズムによって明らかになった霊的実在に得心がいき、その理解をもとに、人生のすべてが大霊の愛と叡知によって支配されていて、自分もその中にあるのだということを確信する、そういう信念です。

その信念をもつに至れば、自分および自分のまわりに何事が起きようと、それは大霊の思し召しなのだという理解が生まれるはずです。
  
 私は断言します、地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。

その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長をさせるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。

 もしもその信念に迷いが生じた時は、その迷いをいったん鎮め、冷静な精神状態のもとで、それまでにあなたが辿ってきた道を振り返り、大切な節目節目に必ず不思議な力が働いてそこまで導かれてきたことを、改めて確認することです。

 あなた方は、この地上にあってこうした素晴らしい霊的知識との出会いがあり、それが生涯を通じて導きの光となったということは、大変しあわせなことです。

 霊的に見れば、かつて地上で愛のつながりのあった人々や、地上的な縁は無くても霊的な親和力によって結ばれている、いわゆる類魂との関係が強化されるということです。

 そうした背後霊団が望んでいることは、その協力関係によって他の多くの、無知の闇の中にいる人々を救ってあげることです。私たちがこうして地上へ帰って来た目的もそこにあります」


メンバーの一人───こうした素晴らしい知識を聞かせていただく私たちは。本当にしあわせだと感謝しております。

「私こそあなた方に感謝しておりますよ。あなた方の協力があればこそ、ささやかとはいえ、暗闇に光明をもたらすことができているのです。その光明を一段と強力なものとして伝導の道を歩んでいただきたいのです」



祈願
投書(八)───祈りの中で俗生活に関わることをお願いしてもよろしいでしょうか。

「いかなる状況のもとでも、あるいはいかなる条件下においても、最善を尽くすということが人間としての大切な務めです。最善を尽くし、もうこれ以上の努力の余地はないと確信できるだけのことをした暁には、大霊に向かって援助を求める資格ができたことになります。

 ここで序(ツイデ)に申し添えさせてください。

 私は皆さんから送られてくる大いなる愛念をいつも感じ取っております。それほどまでに私が皆さんのために役に立っていることを知って感謝しております。こうしてこの場で皆さんと会し、大霊の計画の中で責務の一端を果たし、それをもって大霊からの恵みへの感謝とすることを、今後とも続けてまいりましょう。

 人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。魂の奥の静寂とのどかさ、平安、落着きといったものを忘れないようにする方法は、それしかないのです。自分という存在の奥に潜む、より大きな側面と一体となるということです。
 大霊の恵みの多からんことを」

                   

 
    
五章  愛は死を超えて
 
 「あなたは、長年にわたって、あなた自身を通して届けられた霊的真理、生命の原理、およびそれらが意味するところのものに忠実にしたがい、冷静さを失うことなく、人生の最大の危機に立派に対処なさいました」

 ある日の交霊会で、奥さんに先立たれたばかりの霊媒に対して、シルバーバーチはこう述べ、さらに次のように勇気付けの言葉を続けた。

「地上に生を受けた者は、いつかは死ななくてはなりません。永遠に地上で生き続けることはできないというのが大自然の摂理なのです。

ですから、地上生活の道具としての用事を終えた物的身体が、その活力の源であった霊的身体と霊そのものから切り離されるのは、絶対に避けられないことです。かくして霊は、永遠の巡礼の旅の一部として、地上での一定期間を経ると、次の界へと進んでまいります。

 もちろん、その時期が到来すると皆さんは悲しみます。それは、大半の地上の人間は霊的視覚が閉ざされているために、目の前に横たわる冷たい肉体、ただの殻に過ぎないものだけが見えて、その中身である崇高な実在を見ることが出来ないからです。

 幸いにしてあなたにはそれが出来ます。霊的な目が開いているからです。愛する奥さんは、物質的には地上から消えても、霊的には相変わらずあなたと共にいることを、あなたはしっかりと自覚していらっしゃいます。

 死は、愛し合う者を引き裂くことはできません。霊的に一体となっている者は、いずこにいようと、すなわち家庭の中であろうと、外出中であろうと、仕事中であろうと、奥さんはいつもあなたとともにいて、地上時代と同様に仕事を手伝っておられます。奥さんにとって地上人生は、あなたと共に過ごした人生がすべてでした。

 奥さんの方が先に他界したことをあなたは今、〝これでよかった〟と得心しておられますね。あなたの方が強くたくましく、死後に生じるさまざまな問題に対応することは、奥さんでは無理だったことを理解しておられます。その奥さんが今ここに来ておられることは私から申し上げるまでもないでしょう。

その肉眼、その肉耳で確認できなくても、あなた自身の心臓の鼓動と同じほど身近かな存在となっておられます。

 どうかこのたびのことで挫けることなく、死によって霊が消えてなくなるものではないという、この掛けがいのない知識を広める仕事に邁進してください。生命と愛は、死を超えて存在し続けるものです。

神性をおびた霊の属性だからです。ご自宅の静けさの中にも奥さんの存在を感じ取られるはずです。何か決断を迫られることがあれば、奥さんに念じてごらんなさい。きっと正しい方向を教えられ、万事がうまく行くはずです。

 これまでたどってこられた地上生活が、物質界に生まれ出た時から霊団による指導を受けていたことは、私から申し上げるまでもないでしょう。その霊団があなたを見捨てることは絶対にありません。むしろ指導を強化されていくことでしょう。埋め合わせの法則も働きます。霊的な豊かさが、いかなる物的欠乏も補ってくれます。

 大胆不敵の精神を失ってはいけません。相手をする人に、なるほどこの人は神の使節だと思わせるだけの、平静でしかも堂々とした態度で臨んでください」

 その夜はベテランの霊能者であるパーシー・ウィルソン氏が奥さんと共に出席していた。シルバーバーチの「お元気ですか?」の質問に

「お蔭さまで元気は元気ですが、いささかバテぎみです。仕事が多過ぎて・・・・・・でも、仕事が少なすぎるよりはましかも知れません」と答えた。するとシルバーバーチが次のように語った。


       
 霊媒としての自覚を

 この道に長く携わっておられる方でも、時として自分が物的身体を使って仕事をしていることを忘れるものです。人間の身体はあくまでも機械です。とても複雑で見事に出来あがってはいますが、あくまでも機械です。機械ですから、休息を与えないと、擦り減っていきます。


  あなたの使命はまだ終わっておりません。まだまだ、これから織っていかねばならない糸が残っております。この世に残すべき足跡、あなたのこの地上生活に計り知れない意義をもたらした霊的真理を何らかの形で残していく仕事が、まだ残っています。

  あなたは本当に恵まれた方です。背後霊が常に身近かにいてくれていることを自覚できる方は、たとえその光輝までは見えなくても、霊力の強さと恵みと美しさがいかに貴重なものであるかがお分かりです。無限という言葉通り、限りというものがありません。それを私は大霊と呼んでいます。

ゴッドと呼ぶ人もいます。愛と知識と叡知とインスピレーションの大始源です。その一部がつねにあなた方のまわりに存在します。

  そうなると当然、それを利用したり広めたりする上において、そこに不純な思惑がからんではいけないということになります。純粋で、最高で、至聖なる形で扱われねばならないのです。

そうとは知らずに行なっている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。

  わたしたち霊団側としては、霊的真理を普及することと霊力の威力を発揮することにしか関心はありません。霊力というものが、条件が整いさえすればいかに崇高で驚異的なことを成就せしめるかは、ここで改めて申し上げるまでもないことでしょう。

奇跡的な治癒をもたらし、打ちひしがれた心を奮い立たせ、信じられないほど見事に難問を解決します。     

 難解な用語を並べたてた説教や論議はどうでもよろしい。
その分野のことは、感性を欠いた神学者にお任せしましょう。神学者たちが宗教や霊的実在と何の関係もない事柄に長年にわたって論議を重ねることができるのは、感性というものを持ち合わせていないからです。


  ここに集まっている私たちは、宇宙の最大の力、神性を帯びた霊力の使者であり道具です。受け入れる用意のできた者なら誰でも手に入れることのできる、最高の霊的恩寵を送り届ける通路(チャンネル)です。

霊の威力はすでに証明済みです。それが意味する深遠な意義は、直感的洞察力を持つ者には明らかです。それが理解できた人には自由がもたらされます。霊的な束縛からの解放です。地上人類の多くが、自らこしらえた迷路にはまり込んで、精神的自由を失っているのです。

  そういう人たちにとって、スピリチュアリズムの真理は、大霊が意図された霊的存在としての本当の生き方を体得する道への指標です。本来人間は、内在する気高い能力を発揮し、自分より恵まれていない人たちのために役立つことをし、

和平をもたらすための基盤をこしらえる手段を教え、神性を宿した霊的存在として恥辱ともいうべき環境のもとで暮らしている人々に、本来の生き方を教えてあげることができるのです。

  私たちが働きかけているのは、そうした目的の成就のための道具となって、いつでもどこでも人に役立つことのできる人々です。それを邪魔だてする人は、いつかは辛い思いをさせられることになります。

一度真理を知った人の場合は尚更のことです。おそかれ早かれ、そういう人は神の計画から排除されます。神の計画は何としても推進しなければならないものだからです。

 今さら申し上げる必要はないと思いますが、霊力が地球全体を包み込み、世界各地に霊的灯台が築かれて、人生に疲れ迷っている旅人に進むべき道を照らし出してあげるようになることが、大霊の計画の中に組み込まれているのです。

 あなた方、そして世界中で同じ霊的真理に目覚めている人々がこの地上に生まれて来たそもそもの目的は、そこにあるのです。すでにこの世を去った偉大な先駆者たちも、今、こちらの世界から同じ目的のために献身しているのです。

 残念なのは、せっかく目も眩むほどの真理の輝きに心を奪われながら、時とともにその霊的ビジョンが薄れて行く人が多いことです。しかし、私たちは、いったん引き受けた大事業を中途で止めるわけにはいかないのです。霊的な影響力と霊的な知識を地上に広めることです。

そして、いかなる機関も、いかなる地位の人も、そしてその人たちが束になってそれを阻止しようとしても、それに負けないだけの態勢を築かねばなりません。

 いささか抽象的な説教のようなことを申しましたが、実際的には、あなた方はすでにずいぶん大きな貢献をなさっておられます。その成果がご自分で推し量れないだけのことです。たった一人の迷える魂に道を教えてあげるだけで、価値ある貢献をなさったことになるのです。

 死別の悲しみに暮れる人の目から涙を拭ってあげることができたら、あるいはまた、不治の病に苦しむ人をたった一人でも救ってあげることができたら、それだけで十分にあなたの存在価値があったことになるのです」



 ここで少し間をおいてから、パーシー・ウィルソン氏に向かって
 
「何か私に聞いてみたいことでもおありですか」
 と尋ねた。するとウィルソン氏が答える。



───今のお話を聞いて、私から何を申し上げることがありましょう。霊界から届けられるお言葉ほど私にとって慰めと感動を与えてくれるものはありません。慰めを超えて、意気軒高と申しますか、〝よしやるぞ!〟といった決意が湧いてまいります。

 「そうでしょうとも。そういう決意を抱くように導くことが私達の任務なのです。いったん覚悟を決めて取り組んでいる仕事です。右か左かと迷っている時ではありません。まっしぐらに進むべきです。大霊から選任され、同時に、自らお引き受けした仕事です。私も同様です。最後までやり遂げなければならないのです」
   
 
      
 〝人のため〟の真の意味
 
───かなり前の話ですが、霊界の友人から〝人のため〟の意味を常識的な解釈とは逆に考えないといけないと言われて、はっと目が覚めました。人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えてもらっているのだ、と考えるようになりました。

「まさにその通りですよ。その人のおかげで自分の霊性を発揮することができているのです。自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。

  そこに物理的法則と霊的法則の違いがあります。霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです。進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです。もっとも、相手にそれを受け入れる用意がないと無駄になりますが・・・・・・

  たとえば、こんな挑発的な態度を取る人をかまってはいけません───〝できるものならこの私を得心させてみなさい〟と。得心するのは自分自身です。自分で自分を得心させるのです。

大霊は、わが子の一人一人が地上において一度は自我に目覚めるための知識とめぐり合うように配慮してくださっております。摂理がそういう具合に出来あがっているのです。例外はありません。

  無限の叡知によって、この宇宙にあって何一つ、誰一人として見落とされることのないようにしてくださっているのです。顕幽にまたがる全大宇宙には、自然の摂理による調和機構というものがあり、それがすべてを統率しているのです。

  地上世界の法律に幾分それに似たところはあります。ただ、地上の法律はいろいろな思惑や無知が絡んで、法律そのものに問題があります。すべてを完ぺきに取りしきる法律を編み出すことは、人間には不可能です。そこへ行くと大霊の摂理には削除も変更もありません。

例外というものもありません。常に同じです。永遠の過去からずっと同じであり、これからも未来永劫にわたって変わることはありません。

  あなた方の世界では〝いったい世の中はどうなってるんだ!〟と言いたくなるような事情・困難・挫折が生じます。そして気が滅入り、こう愚痴をこぼしたくなります───〝これはあんまりだ! だれがこんな目に合わせるんだ?〟と。

  その〝だれ〟かは、すべてをご存知なのです。すべてが計画の中に組み込まれているのです。私たちは宇宙の全機構の経綸をあずかる〝無限にして完全なる存在〟にすべてをゆだねます。人間はしくじることがありますが、大霊がしくじることは絶対にありません。
 
  もしあなたが疲れ果て、うんざりし、やる気を失っているのに、人がそういうあなたに何の理解も示さず勝手な要求をする時は───そういう人間がよくいるものです───表面はどうであれ、神の摂理はきちんと働き、計画は必ずや成就されるとの信念を忘れないことです。

  人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。一人一人が霊的に異なった発達段階にありますから、同じ問題を必ずしも同じようには見ていません。それは致し方のないことです。

幸いにして自分の方が進化の階梯の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。いかに高い位置に到達したとしても、それよりさらに高い位置にいる人がいることを忘れてはいけません。

  霊の道具として働いておられる皆さん方に私から申し上げたいのは、人間としての最善を尽くしていただきたい───それ以下は困りますが、それ以上の要求はしないということです。体力も気力も限界と思われるところまで来たら、そこで手を引いてください。それから先のことは私たちが引き受けます。

  独裁者のような態度は取りません。強制もしません。あなた方が他人のために一生けんめいに努力なさるように、私たちも、能力の許すかぎりの努力をいたします。そうすることによって霊の力をより大きく、より広く、地上に届けることができるのです」

   

 
      
 出口のないトンネルはない

 その夜の出席者の中に特別に許された女性がいた。その女性は十年ばかり前に自殺も考えたほどの苦境に陥った時、ある霊能者の指導で立ち直った人で、その霊能者ともども出席したのだった。その女性に向かってシルバーバーチが言う。

 「本日はようこそお出でくださいました。あなたもずいぶん長いこと苦難と悲哀を味わってこられましたね。でも、もうほとんど暗いトンネルから抜け出ておられますよ。出口のないトンネルはありませんから、暗い時期に入っても心配なさらないことです。ずいぶん霊能者の方のお世話になりましたね?」


───それはもう、言葉では言い尽くせないほどです。もしあの方との出会いがなかったら、今夜こうしてこの席にいることもなかったはずです。十一年前に霊界に行っていたでしょう。

 シルバーバーチはその事情をよく知っていて、その霊能者の名前をあげて
 「この方は本当に頼りになる方ですね」
 と言うと、その女性が言う───


───少しご無理をなさっているのではと心配なのですが・・・・・・


 「じゃあ、少し休んでいただかなくてはなりませんね。それ以外に方法はありません。やんちゃ坊主がいよいよ手に負えなくなったら、手段はただ一つ───ベッドにくくりつけることです。

 実は霊界から指導している私たちも、それと似た手段を取るごとがあるのです。なかなかよく効きますよ。疲労困ぱいした時は、それをむしろ好機とみて、床に伏して身体を休めることです。霊的自我が本来の生命力を取り戻すチャンスです。

 今のあなたは立派な背後霊に守られていますよ。もう何一つ案ずることはありません。あの人生最大の危機に直面し、すべてが真っ暗闇で、ひとすじの光さえ見えなかった時に、悟りへの道が示されました。それ以来、道は広がる一方ですし、あなたは堅実にその道をたどって来られました。

これからも迷うことなく突き進みなさい。光をさえぎる大きな蔭はもう訪れないでしょう。小さい蔭はあるでしょう。が、時おり訪れる一過性のものでしかありません。すぐに消え去ります。蔭があるからこそ光の有り難さも分かるのです」


───私が恩恵を受けたこの霊的真理をある方に教えてあげようと、ここ一カ月半ばかり努力してみたのですが、だめでした。


 「せっかくのチャンスを目の前にしながら、それを我がものとできない人が多いのは悲しいことです。
しょせん馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないという諺どおりです。渇いた魂をうるおすとともに本当の自由をもたらしてくれる、この何ものにも代えがたい真理を拒絶するようでは、もはやあなたにも為すすべはないでしょう」



───死んで霊界へ行くまで放っておくしかないのでしょうか。

 「間違った考えを持ったまま、こちらへやってくる者が多いのです。が、いつかは修正せざるを得ません。魂に理解力がそなわれば、真理の光が見えるようになります。失望してはいけません。

説き続けるのです。あなたは大いなる愛の力に囲まれています。片時も離れることなく付き添っている霊の親族(類魂)から届けられているものです。あなたはその親族の最後の末裔なのです。

 今あなたが手にされている霊的な喜びは、あなたのこれまでの苦労が実を結んだのです。霊的な帳簿は実に細かく記入されており、収支はきちんと精算されます。時には霊的に過度の引き出しを見逃すこともありますが、後で必ず払い戻さないといけません」


 

    
 原子エネルギーの問題

 スイスから参加した二人のゲスト(夫妻)を交えたある日の交霊会で、原子力が話題となった。
 まず奥さんから質問があった。



───放射能の危険から身を守るにはどうすればよいのでしょうか。そもそも原子の秘密は人間が発見することになっていたのでしょうか。

 「地上生活のそもそもの目的は霊的・精神的・物的の三つの側面での体験を積むことです。この地球という天体上で得られるかぎりの、幅広い体験を積むために誕生しているのです。

したがって、この地上界に秘められている知識──これは事実上無限です──は、人間にそれだけの能力がそなわれば、当然、自由にその能力を開発して発見してよいに決まってます。

 人間が自然界の秘密を探ろうと努力することは結構なことです。問題はその動機です。発見した知識を全人類のために役立てるためでなくてはなりません。敵軍や自然界を破壊するためであってはなりません。

人間には自由意志があります。根元的には神性を有し、その当然の資格として、自分で選択する自由が具わっています。ですから、自由意志を行使して、何の目的のために知識を使うかの判断をすればよいわけです。

 人類が精神的ならびに霊的に進化すれば、その自然の結果として、人生の目的が自分以外のもの──同胞だけでなく同じ地上に生息する動物も含めて──にとって地上がより住みよい所となるようにすることであることを悟るものです。

あらゆる発見、あらゆる発明、あらゆる新しい知識がその観点からの判定を受けなければいけません。すなわち、それが結果的に人類および動物の進化を促進するものであり、妨げるものでないとの判断がなくてはなりません。

 問題は、人類の知的能力が霊的発達を追い越すことがあることです。それがいろいろと厄介な問題を生ぜしめます。霊的に未熟な段階で自然界の大きな秘密を知ってしまうことがあります。今おっしゃった原子エネルギーの発見がそれでした。

 ですが、人間に為しうることには、自然の摂理によって、おのずから限界というものがあります。地球という天体を、そこに住むものもろともに破壊してしまうことはできません。

困った事態を惹き起すことはできるでしょうが、地上の生命の全てを根絶やしにすることはできません。思わぬ秘密を発見しては試行錯誤を重ねながら、正しい使用方法を学んでいくしかないのです。

 原子エネルギーも、使い方一つで、神性を持つ人間としてあるまじき悲惨な環境のもとで生きている無数の困窮者に、大きな恵みをもたらすことができますし、現に、すでに恵みを与えています。

 あなたが最初におっしゃった放射能の危険性のことですが、私は、あなたが心配なさるほど深刻なものになるとは考えません。その影響を中和する対抗措置を発明するのは、そう難しいことではないでしょう」



     
 霊格の高い者ほど困難な人生を選ぶ

───霊界から地上へ誕生するに際しては、地上で果たさねばならない仕事をあらかじめ見せられるのでしょうか。

 「一般的にはそうです。その人の霊的発達程度に応じて、どういうことをするかの選択が許されます。見せられるといっても、細かい点までいちいち見せられるわけではありません。

地上でも、たとえば溺れて危うく死にかかった人が、その危機一髪の瞬間に、それまでの過去の生活を全部見た、という体験をすることがありますが、事実そういうことは有り得ることでして、地上への誕生前に地上生活をあらかじめ見せられるのも、そういう形でのことです。

そういう生活がその人の次の進化の階梯にとって必要であるとの認識のもとに選択するのです。霊的に進化した人ほど困難な仕事を選ぶものです。

 それは当然ではないでしょうか。高度な叡知を身につけた人が安楽な仕事を選ぶはずはありません。偉大な人物が苦難の人生を送るのは、その辺に理由があります。それはその人が覚悟していた挑戦です。

それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです」



 ───それは自分で選ぶのですか、それとも授けられるのですか。

 「どちらの場合もあります。こういうことが出来るという可能性と、これだけのことはしなくてはならないという責務とが指摘されます。それは、ある一定レベルの発達段階に達した人の場合です。

その場合でも選択の自由は許されます。もっとも、選択の余地が与えられない場合もあります。どうしてもそうならざるを得ないカルマが廻ってきた場合です」


───そちらから地上界へ誕生するのは一種の〝死〟とみてよいのでしょうか。

 「結構です、一種の死です。あなた方が死と呼んでいるのは霊的に見れば霊界への誕生であり、あなた方が誕生と呼んでいるのは、霊的には死と同じです。

 何度も申し上げていることですが、仲間が地上界へ行ってしまうのを見て、霊界では大勢の者が涙を流しているのです。反対に、地上を去ってこちらへ来るのをあなた方は悲しんでいる時、私たちは〝ようこそ〟と言ってよろこんで迎えているのです。すべては全体としての視野の捉え方の問題です」

 
      
 地上への降誕の目的

───われわれは〝神の分霊〟だそうですが、その至尊至高の大霊へ向けて進化して行くのが目的であるならば、なぜ〝分かれた〟のでしょうか。つまり、もともと一つであったものがなぜ分離して、再び大霊に帰一することを目的にしてこの地上界に生まれてくるのでしょうか。

「そのご質問は、この私にではなく大霊に聞いていただきたいですね」と冗談ぽく言ってから、改まった口調でこう述べた。

 「なかなかいい質問なのですが、残念ながらその疑問は、根本的な誤解ないし誤認から生じております。あなたが大霊と〝一体であった〟というとき、それは大霊という唯一絶対の始源から出ているという意味であって、同じ意味で、全ての生命、全ての個的存在、生きとし生けるものすべてが、本質において一つであると言えます。

 〝あなた〟という個的存在は、最初から、つまり大霊と一体であった時から今の〝あなた〟だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて〝あなた〟という個性を持った存在となったのです。

その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が、それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し、生長し、花を咲かせるように、顕現という活動を経て初めて、その美しさ、その輝きを外部へ発揮することになるのです。

 地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植え付けられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって、死後に訪れる、次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです」


 別のメンバー ───今の質問にはもう一つの意味も含まれていると思うのです。つまり、そうした個的生命も最後は大霊の中に吸収され没入してしまうのかということです。

 「それはその通りです。が、いわゆるニルバーナ(涅槃)に入るというのとは違います。個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に、完ぺきに近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」


───小川が大海に流れ込むようなものでしょうか。

 「それは違います。小川が大海へ流れ込めば、その小川は消滅してしまいます。あなたという存在は、どこまでいっても個としての存在を失うことはありません。パーソナリティ(地上時代の性格)は変わります。特徴や性癖も無くなります。が、個的存在としての顕現は永遠に続きます。

成長と発達に限界というものはあり得ません。個性が発達するほど、それだけ大霊との調和が進みます。霊性が発揮されるほど、その霊的始原に近づくからです」

 続いて、生まれた時から視力に障害のある女性からの質問(投書)がいくつか読み上げられた。

 
     
  霊界との交信には条件が必要

 第一の質問───もしも本当に死後の世界があり、そして創造主が愛の神であるならば、他界した愛する者たちが五感で確認できる形で戻ってきて、私たちに死後存続の事実を確信させてくれるようになっていてもいいはずが、現実はそうなっていないのはなぜでしょうか。

 「いいえ、ちゃんとそうなっているのです。ただ、そのためには条件が必要なのです。今夜のゲストのご夫妻も私との対話をするために来ておられますが、なぜここまで来られたかと言えば、ここにはこのモーリス・バーバネルと言う霊媒がいて、私がその発声器官を使用できるからです。

お二人の自宅では私との対話はできません。この霊媒がいないからです。このように、地上界と霊界との交信には、それを可能にする条件というものがあるのです。

 投書をされた女性が私に質問をするには、その質問を手紙という形で書いて郵送し、それがこの場で読み上げられるという過程を経なければなりませんでした。

その質問に私がこの霊媒を通して答え、その答えが記録されてご質問者のもとへ郵送される───地上での交信にもこれだけの過程が必要です。地上界と霊界との交信にはさらに次元の異なる条件が必要なのです。

 電話で話すという、地上の人間どうしの交信の手段が確立されるようになるまでの歴史をたどってみられるとよろしい。それはそれは大変でした。それをみても、次元の異なる地上界と霊界との間の交信が簡単にはいかないことが想像できるでしょう。

それなりの必要条件というものが満たされないことには、交信できないのです。他界した愛する人が何も通信してこないからといって、それを大霊に非があるかに思われてはいけません。それなりの手段を講じないといけないのです」


      
 直観的判断力

 第二の質問───愛する人(霊)がそばにいることを、一瞬ですが、ありありと感じることがあるという話を聞きますが、それがただの想像や気のせいではなく事実その人であるという確認はどうすれば得られるのでしょうか。


 「霊的資質の一つである直観的洞察力を磨くしか方法はありません。洞察力は霊が自己を表現する手段でもあります。それが精神に刻み込まれると、こんどは脳に伝えられ、そこで初めて認識されます。こうした過程で表現と認識が行われているのです。

 霊性が発達するにつれて、霊界のバイブレーションをキャッチすることが多くなります。それまでは、ほんの瞬間的な印象をキャッチするだけです。

それがどの程度の真実味があるかは、本人の直観的判断力に待つほかはありません。気のせいだと思うのであれば、そう思えばよろしい。その人はそこまでの人だということです。

 精神的に、そして霊的に、地上の人間の受容力と直観力が開発されれば、霊的顕現が容易になり、同時にその顕現の度合いがはっきりしてきて〝確実〟の段階に至ります。前にも申し上げたことですが、霊性の開発には近道はありません。長く、そして根気のいる過程です」


 第三の質問───霊的知識の真実性を判断する規準は何でしょうか。自分自身の霊的才覚が決めるものでしょうか。

 「真実性を理解する判断力を各自が発達させるしかありません。それは一気呵成にできるものではありません。霊力をグラスに注いでもらって、それを飲むというわけにはまいりません。それを身につける努力をしなくてはなりません。他人が代りにやってあげるわけにもまいりません。

あなた自身が一人で開拓しなくてはなりません。援助してもらうことはできますが、自分の意志で求め、自分の意志で探り、自分の意志で成就するのです」


 サークルのメンバー ───いつも同じ答えに戻ってくるようですね。つまり、何事につけても、当人の霊的才覚の発達がカギを握っているということです。
                                                           
そうですとも。その通りです。摂理は實壁です。摂理の働きが狂うということは絶対にありません。必ず摂理どおりになるのです。償いも完壁ですし、報いも完璧です。公正も完璧ですし、行きわたらないところは絶対にありませんし、あらゆる面で完壁です。完全なる叡智によって編み出されたものだからです。

 あなたが手にするものは、あなたの努力に相当するものだけです。あなたの霊性の進化は、それ相当の努力をした分だけです。今あなたが置かれているレベルは、これまでに努力してきた、その成果です。それより高くは上がれませんし、またそれより低いところへ下りたいとも思わないでしょう」


     
 明日を思い煩うことなく

 そう述べてから、こんどはゲストのスイス人夫妻の方を向いた───

 「お二人は本当に恵まれた方です。これまでに受けられた霊的な導きについて、きちんと理解しておられますし、こうしてお二人が結ばれるにいたった奇しき縁の糸も、明確に認識しておられます。さらには、これからお二人に課せられている仕事も分かっておられます。

 残念ながらスイスは唯物的な傾向の強い国で、霊的なものよりも物質的なものに関心が偏っています。物的な財産の多い者が成功者と見なされます。拝金主義が横行しています。とても美しい国で、国際的にも大きく貢献できるものを持っているだけに、そのことがとても残念に思われます。

 あなた方の手が差しのべられる相手は、あまり多くはいません。大半の人が唯物的な観念に浸っています。霊的な知識に目覚めるのは、困難に打ちひしがれ、危機・病気・死別といった〝不幸〟によって魂が絶体絶命の窮地に追いつめられた時でしかありません。

でも、あなた方のもとに案内されてくる人はいます。チャンスと見たら、積極的に説くことです。

 といって、やみくもに知識を押しつけるのは感心しません。受け入れる用意があるとみた人に説くことです。議論しても無駄です。無知と叡知とが相撲を取っても始まりません。

勝ち敗けの問題ではないからです。目的は相手に自分の霊性に気づかせ、ただの肉の塊ではなく、死後にも生き続ける霊的な宝が隠されていることを教えてあげることです。

 そういう人が必ずお二人のもとを訪れます。そのためにお二人は結ばれたのです。それが、お二人に課せられた仕事です。これまで色々と紆余曲折を経ながら、また様々な困難を克服しながらも、今こうしてこの仕事に携わることができているように、今後も背後霊団の力でお二人の為すべき仕事が用意されてまいります。

 ですから、明日のことを思う煩うことなく〝わが道〟を歩まれることです。お二人は守られています。導かれています。大いなる愛の力がお二人を包んでおります。

地上時代の血縁でつながっている霊ばかりではありません。もっと強力な絆───お二人を通して人類のために役立ちたいとの一念で結ばれている類魂も参加しております。

 お二人は何ものにも代えがたい光栄に浴しておられます。本当の意味で人のために役立つことをなさっているからです。霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識の掛けがえのない価値に気づくようになります。

 では最後に、皆さんとともに大霊への感謝の祈りを捧げましょう。私たちはその大霊の愛と叡知の使者なのです。
私たちの行為の一つ一つによって、それが大霊へ近づかんとする真摯な願いの表現であることを示し、大霊の心をわが心として、宇宙の営みと一体となり、愛のマントに包まれていることを自覚できますように」
                                                



   
 六章 霊能養成会と青年心霊グループの代表を迎えて

 霊能養成会のメンバーを中心として開かれた交霊会で、シルバーバーチは矢つぎ早の質問を受けた。


───地上では肌色による人種差別が問題となっていますが、霊界でもあるのでしょうか。

 「霊の世界が何もかも明るく美しいとものばかりと思うのは間違いです。なぜなら、そちらの世界から送り込まれてくる者によって構成されているからです。

 もしそちらから送り込まれてくる者が聖人君子ばかりであれば、死後の世界は今すぐにも天国となるでしょう。ところが残念ながら、現実はおよそそれとはかけ離れております。
私たちが迎え入れる者の中には、性格のいびつな者、無教養の者───霊的なことに無知な者───がいます。そういうものを学ぶ環境に置かれていなかった人たちです。


  また、利己的なことにばかり奔走して、霊的な側面がまったく眠ったままの状態でやってくる者もいます。ですから、霊の世界を美と光と素敵さばかりであるかに想像するのは間違いです。

  霊の道具となるための訓練をなさっているあなた方の役目、つまり霊能者となるための仕事は、人々に地上生活の本来の生き方を教えることによって、少しずつでも霊の世界の暗い部分を無くしていくことなのです。

そうすれば、どちらの世界も明るくなります。地上天国を願うのであれば、そうするよりほかに道はありません」



  
    
 容易でない霊能者への道


───霊的悟りへの道はなぜこんなに酷しいのでしょうか。

 「霊的な褒賞が大した苦労もなく簡単に手に入るものだとすれば、それはあえて手に入れるほどの価値はないでしょう。霊性を磨く道は容易ではありません。困難の連続です。奥深く踏み入るほど、平坦な人生にはない体験ばかりとなり、孤独を味わうようになります。
 
 しかしその一方で、内面的にはそれに似合っただけの埋め合わせ───霊性の成長、悟り、背後霊との結束の強化、インスピレーションの増幅、直観的な価値判断力の向上、といったものが身につきます。霊的な成長の成就というのは、そうしたものを身につけることを言うのです」


───誠実さ、一途さ、献身性をそなえた優秀な霊媒が育った時の、そちら側の反応はどのようなものでしょうか。
 
 「潜在的な霊能者を探し出し、それを指導して〝使いものになる霊媒〟、つまりこちらから伝達する知識や叡知を純粋な形で受け止めてくれる段階にまで持っていくには、大変な時を要します。そして、その段階に来てから、今度は、内的な成長を成就する段階が始まるのです。

 そういう献身的な霊媒、つまりこちらからの指導を素直に受け入れてくれる有能な人材を確保した時の喜びは、ひとしおです。その霊媒を通してさらに大きな霊力を地上へ送り込み、それだけ多くの成果が成就されるからです。

 地上というところは今もって混とんとして、悲劇と暗黒と無意味な苦悶にあふれ、間違った生き方、間違った考えが生み出す病いに苦しめられております。

そうしたものを一掃して地上なりの威厳と光輝にあふれた生活を創り出す資質を内部に秘めているにもかかわらず、現実がそのような状態であることが哀れに思えてなりません。なぜ人間は暗黒の方を好むのでしょうか。

 が、そこにあなた方の活躍の場があるのです。死別の悲しみに暮れている人には死後の存続の事実を教え、病気に苦しむ人には癒やしを与え、生きる目的を見失っている人には本当の〝人の道〟を教えてあげるのです」



    
 指導霊による大審議会

───White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という指導霊ばかりの組織があるそうですが・・・・・・

 「地上の同志を通して最大限の霊力を注ぎ、霊的知識を広めることを使命として働いている高級霊の組織です。きわめて高度に組織された集団です。

私たちはこうして地上で行なった仕事の成果を報告するために、ある特定の時期(地上のイースターとクリスマスに当たる)に地上圏から離れ、私たちの本来の住処である界層に帰ります。

 そこで全員が一堂に会し、さらに高い界層から私たちを指揮しておられる方々から計画の進捗ぐあい、つまりどこが成功しどこがうまくいっていないかを指摘していただき、総合的な地球浄化の計画の今後の進展のための指示を仰ぎます」


訳者付記─── White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という用語は交霊会では何度か出ていたのであるが、霊言集に出たのはこれが最初である。シルバーバーチのいう〝大霊〟はもともと Great  White Spirit といい、直訳すれば〝大いなる白色の霊〟となる。

それをシルバーバーチも大てい White を略してGreat Spirit と言っている。この〝白色〟というのはシルバーバーチのいう Shining Ones (光り輝く存在)のShining、すなわち光り輝いている様子をそう表現したもので、すでに形体を失い、ただ白く輝いている存在で、ここに紹介したイラストで言えば、神界に属する。
 
                                      

                           コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の界層のイラスト
                             (Ivan Cooke ; The Return of Arthur Conan Doyle より ) 本誌℘177

 実はシルバーバーチも本来は神界の存在でありながら、この地球浄化の大事業のために、あえてバイブレーションを下げ、このイラストでいえば霊界の上層まで降りてきて、そこから例のインディアンを中継して放送している。

 そういう指導の霊団は地球全体に組織されていて、それをホワイト・ブラザーフッドと呼んでいるのである。どうやらその最高責任者がシルバーバーチらしいのであるが、徹底して謙虚な態度を取り続けるシルバーバーチは、そのことを明からさまには言わない。

 なお、前の一節のあと、「シルバーバーチが祈りの言葉を述べた」とあるが、それは省略されている。たぶんいつもの通りだからであろう。私の推察ではその時の会場は厳粛な雰囲気にあふれ、シルバーバーチも自然に祈りの言葉が出たのであろう。

それが終わってから、たぶん自分が地上の人間とは格が違うという印象を与えないようにという配慮からであろう、養成会メンバーに向かって次のように述べている。このあたりがいかにもシルバーバーチらしいと言えよう。

 
    
 霊能者の責務
 
「かく申す私も、あなた方と同じく一個の人間的存在に過ぎません。叡智のすべて、真理のすべてを知り尽くしたわけではありません。地上でいう時間の概念でいえば、私は皆さん方のどなたよりも長い期間を生活してまいりました。その結果として皆さんよりは多くの知識を蓄えております。

 それを、受け入れる用意のできた人に分けてあげるべく、これまでの道を後戻りして地上圏へ降りてくれないかとの要請を受けたのです。もしも私の述べることが皆さんのお役に立てば、それだけでこうして私が戻ってきた価値があったことになります。

 今夜ご出席の皆さんが霊能力の開発につとめておられるグループであることは承知しております。霊に宿された資質であり、それを開発することによって、あなた方のもとを訪れる人々のために役立てることができます。

 霊力はもはや確実に地上に根づいております。かつてのように、無きものにすることは出来ません。いかなる人間も、またいかなる権威をもってしても、今や確実に根づき、そして着実に広がりつつある霊力を地上から追い払うことはできません。

 地上界をそういう世界にすることが、霊界の高い界層の進化せる存在によって目論まれた計画の一環なのです。目的はただ一つ、地上人類に本当の自我に目覚めさせること、つまり、

本来は霊的存在であり、それが今は物的身体を通して表現しているに過ぎないこと、そして、内部には神性を帯びた無限の可能性が秘められていて、それを少しでも多く発揮することが地上生活の目的であることを教えてあげることです。
 
 霊力は生命そのものです。あなた方のいう〝神〟の分霊です。生命とは霊であり、霊とは生命なのです。霊はいかなる形態を通してでも生命を表現しています。大霊から出たものが私たち霊界の存在を通して地上圏まで届けられ、地上のチャンネルないしはミーディアム(霊媒)を通して地上に注入されております。それが物的身体の奥に宿る霊性に活力を賦与し、潜在する霊的資質を発現させることになるのです。

 なぜ今の時代にそれが必要かといえば、それは唯物主義がもたらした混乱、黄金の子牛の像の崇拝、すなわちお金第一主義がはびこり過ぎたからです。

 唯物主義はその本質自体が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体上に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら自分の快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨恨───こうしたものを産み出すのは唯物主義です。

物質がすべてである、死はすべての終わりである。だったら自分の思うままに生きて何が悪い、という論法です。

 こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。人間は霊的存在としての宿命を背負っているのですから、その宿命を成就するための生き方をするには、そうしたものを無くさないといけません。

 残念ながら、慣習となっている伝統的な宗教も哲学も教育も、今では頼りにされなくなっています。とくに若い世代はそっぽを向いています。愛する人を失った時と同じように、悩みや苦しみを持つ人は教会や寺院やシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)を訪れますが、もはやそこには真の救いを与えてくれる人はいません。

  病いを得た者が病院へ行っても、必ずしも治してもらえるとはかぎりません。哲学者も納得のいく答えを与えてくれません。

あれほどの鋭い頭脳を持った人が・・・・・・と思えるほどの学者でも、心霊現象を研究してその真実性を認めた先輩の科学者たちの業績を見て、ただあきれ返るばかりで、理解できずにいます。その気になれば今でも同じ実験ができるのですが・・・・・・

 あなた方は、そうした現象を起こす霊力と同じものを顕現させて、他の何ものによっても出来ない形で人のために力になってあげることができます。

死別の悲しみに暮れる人を慰め、病いの人を癒やし、人生に疲れた人に生きる元気を与え、迷える人を導き、全生命の基盤である永遠の霊的実在を証明してみせることができます。

 霊というものは実体のないもののように想像されがちですが、あなた方は霊こそ実在であることを証明してみせることができます。死後の生命の実在、不治の病いの治癒、その他諸々の霊媒現象によって立証できます。

それは人間本来の生き方の基盤を提供することでもあります。そういうものを必要とする人は、あなた方から呼び掛けなくても、向こうから訪れるようになります。

 訪れた人に何らかの力になってあげることができたら、そういうチャンスを与えて下さったことを大霊に感謝することです。もしも力になってあげることができなかったら、あるいはもしその人がまだ霊的に目覚める用意ができていなかったら、自分自身でなく、その人の為に、密かに涙を流してあげなさい。

あなた方としては、何時でも手を差し伸べられる用意をしておくことが大切です。あなた方自身も、そういう人がいてくれたからこそ霊的真理に目覚めることができたのですから。

 神は、御機嫌がいいと褒美を与え、腹を立てるとバチを与えるというようなものではありません。原因と結果の連鎖が、摂理に則って自動的に、あるいは機械的に、途切れることなく続くのです。何事にも自分が責任を負うのです。

 良い行ない、つまり人のためになることをすれば、自動的に霊性の向上という結果が生じます。反対に、人間の煩悩から過ちを犯した場合、言いかえると物的欲望に拘りすぎて堕落した生活に陥った時は、自動的に霊性が低下します。

 人のために役立つことをしただけ、それだけあなた方も他人から、ここぞという時に手を差しのべてもらえるのです。

そうした生活を続けていると、内なる輝き、内なる落着き、内なる平安というものが具わってきていることに気づきます。それは、霊の世界の援助者との繋がりがより緊密になってきていることの証拠です」



  
 青年心霊グループの代表との対話

 その日は青年心霊グループ Psychic Youth Group の代表四人が出席していて、質問の順番が回ってきた。最初に出された質問は複雑だった。

───われわれ青年グループと同じように、今多くの若者が真実を求めております。われわれの子供が育つ環境をより良いものにしたいと願っております。そんな時になぜ人間どうしが殺し合い、傷つけ合うのでしょうか。なぜ人種どうし、あるいは宗教どうしで憎み合うのでしょうか。

なぜこうまで愛が乏しいのでしょうか。われわれは平和が欲しいのですが、いつ、どういう形で平和になるのでしょうか。われわれの先輩───われわれよりも人生の知恵を身につけているはずの世代が成就し得なかったことを、果たしてわれわれに為し得るでしょうか。われわれにあるのは若さと力とやる気です。

そして無知と愚かさ、強欲と憎しみをなくすための闘争に参加したいのです。何かアドバイスをいただければ有り難いのですが・・・・・・


 「これはまた、大変な質問をして下さいましたね」と言ってから、改まった口調でこう続けた。
「あなたのおっしゃる〝無知〟と〝愚かさ〟は別に今に始まったものではありません。したがって、それを一晩のうちになくする魔法のような手段はありません。大自然の働きの基調は革命(レボリューション)ではなく、進化(イボリューション)です。進化の過程はゆっくりと、そして着実に進行します。

物的なものの生長も、無理強いすると取り返しのつかないことになります。霊的なものも同じです。一気呵成に事を成就させようとすると誤ります。

 悲観的な気持ちからそう申すのではありません。霊的実在に少しでも目覚めた者は希望に溢れた物の見方をすべきであると、私は常々説いております。

無知から、あるいは愚かさから、人間がいかに無謀なことをしても、それにもおのずと限界というものがあります。大自然には法則というものがあり、そればかりは人間にはどうしようもないからです。

 といって、今すぐ提案できる万能薬は、私たちも持ち合わせません。申し上げられることは、霊的知識が広がり、その結果として無知が少なくなるにつれて、人間同士の対立が減り、戦争が減り、強欲が減り、光明の地域が増えていくということだけです。

私たちが人間に代わって地上環境を改めるわけにはいきません。受け入れる用意のある人間に霊的真理を教え、その人に生き方を正してもらうことしかできません。

 人間にも、ある一定限度内でのことですが、選択の自由が与えられています。大霊の創造活動の一端を担って進化に貢献することもできますし、それを阻止したり、遅らせたり、邪魔立てすることもできます。それもアンチテーゼ(対立要素)としての貢献なのです。

 大霊は人間を、操り人形やロボットとしてこしらえたのではありません。大霊の属性のすべて、いわゆる神性を潜在的に所有しているのです。ですから、自らの判断力を行使して選択すべきなのです。戦争という手段を選ぶことも許されます。が、

戦争では問題は解決されないどころか、さらに問題を生み出すこと、強欲や自己中心の考えは、その内部に自分自身の破滅のタネを宿していることを知るべきです。

 ナザレ人イエスも〝剣を取るものは剣にて滅ぶ〟と言っております。それくらいのことは人間もいい加減に悟ってほしいものです。あなた方としては、一人ひとりが、出来うる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。

自分自身が光明を見出したように、今度は誰か自分以外の人たった一人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの度の地上生活は有意義だったことになるのです。以上が私から申し上げられるお答えです」


 別のメンバーが代表して「正直言って現在のスピリチュアリズム運動は次元が低く・・・・・・」と言いかけたところ、シルバーバーチが───
 
 
 「ちょっとお待ちください。私はその〝スピリチュアリズム運動〟とやらには関心はありません。私たち霊団としては霊的能力のある人、あるいは、それを発達させる段階に来ている人を援助することを仕事としており、その人がどこかの団体組織に属しているか否かは問いません。

 組織というものはそれなりの目標を持って活動しており、それはそれで結構です。が、私たちは、いついかなる場においても人の役に立つことをする人を援助することをもって、第一の責務と心得ております。

 名称はどうでもよろしい。スピリチュアリスト、セオソフィスト(神智学会員)、ローゼクルーシャン(バラ十字会員)、こうしたものはただのラベルにすぎません。肝心なことは、各自がその能力に応じて精一杯、真理の普及に努力することです。

霊媒能力を私たちが重要視するのは、その能力を通して地上界で真理普及のために最大の貢献ができるからです。途方もなく大きな責任を担ったものであり、その能力を授かった者には聖なる信託がなされているのです」


     
  麻薬の問題
 
───麻薬中毒がとくに若い世代に急速に蔓延しておりますが、何が原因でしょうか。私たちに出来る救済手段があるのでしょうか。
  
 「あります。ヒーリング、つまり霊的治癒エネルギーを使用することです。実はこのエネルギーは、危険な薬物の中毒になっている人でまだ救済の可能性のある人に、常時注がれているのです。治癒エネルギーも大霊を始源として発せられている霊力、または生命力そのものであることを銘記して下さい。

 霊力は活力であり、動力であり、全生命活動の推進力です。霊なくしては生命は存在しません。あなた方が動き回り、呼吸し、思考を働かせるのも、霊であればこそなのです。

その霊力が、麻薬によって身体と精神と霊の調和を乱され活力を弱められている人に、治癒エネルギーとして作用するのです。麻薬がその三者の調和を乱し、自然な生命力の流れを阻害しているのです。

 霊的治療を施す能力が備わっている人とは、その治癒エネルギーのチャンネルとしての役割が果たせる人のことです。

その人を通路として、ちょうどバッテリーの切れた電池に充電するように、活力の衰えた人に生命力が注がれ、病気の原因となっている障害を取り除いてしまいます。薬害を取り除くためにさらに別の薬を使用するというのでは、本当の治療にはなりません。

 麻薬がこうまで蔓延する原因は簡単です。彼らは希望を失っているのです。挫折感に襲われ、悲観的になっています。実在というものに触れたことがなく、といって唯物的な生き方にも共鳴できず、生きる道を見失っているのです。

そこで麻薬に手を出すのですが、それで解決になるわけがありません。さきにも申し上げた通り、大自然の基調はイボリューションであり、レボリューションではないのです」


───有色人種と白人との間の溝を無くす最善の方法は何でしょうか。

「手本を示すよりほかに方法はありません。あなた方の生きざまによって、魂にはイエローもレッドもブラックもないこと、肌の色は魂の本性とは何の関係もないことを示せば、偏見によって謂われない妨害や禁止、排斥にあっている人々の注視を引くようになります。

 大霊は人類の肌色を色とりどりに分け、全体として調和が取れるように配慮しておられます。白い肌は霊の優位の証明ではありません。有色の肌は霊が劣等であることの証明ではありません。霊の優劣は内部の神性がどれだけ発現しているかによって決まります」

 
 
         
 臓器移植の問題

───心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。

 「何ごとも動機が大切です、もちろん地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか〝救命〟という目的から外れていきます。

 それに関連してもう一つ言わせていただきたいことは、動物を使って行なう残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行なう実験で大自然の秘密は解明されません。

 私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。

 私の考えでは、人間としての正しい生き方───霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。

心の持ち方が自然の摂理に適っていれば、おのずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。

 そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばすための実験材料として地上に送っているのではありません」


───ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。

 「上手くいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点からみて方向を間違えているということです。

人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人たちのすることではないということです。臓器移植で健康を回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的には身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」


───人体は他人の臓器を拒否するように出来あがっているのでしょうか。

「最も大切で、しかも極めて単純な真実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることもできません。全体として一個の存在を形成しているのです。

健康であるためにはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」


───一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。

「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。

 が、
死は自然の摂理の一つの過程に過ぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」




      
 神と人間

───神とは何なのでしょう?

「神、私のいう大霊の全体像は、言語によっても絵画によっても描写することはできません。言語も絵画も限りあるものだからです。小さいものが大きいものを包含することはできません。が、大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。

 大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。顕現の仕方はまさに千変万化でありながら、その一つ一つにきちんとした配慮が行きわたっております。

極微のものであろうと壮大なものであろうと、生命あるもの、動くもの、呼吸するもの、存在するもの全てが、自然法則によって制御されているのです。

 法則の支配の行きとどかないものは何一つありません。四季は一つずつ巡り、地球は地軸に逆らうことなく回転を繰り返し、潮は干満を止めることがありません。タネを蒔くと、そのタネの中に宿された種が芽を出します。別の種が出てくることはありません。

 法則の支配は絶対です。どんな新しい発見が為されようと、またそれがどこでなされようと、同じ法則の支配を受けます。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見逃されることもありません。

何一つおろそかにされることもありません。そうした働きの背後にある力は何なのでしょうか。それが無限なる存在、すなわち大霊なのです。

 人間を途方もなく大きく拡大したものを想像してはいけません。旧約聖書のエホバ神のようなものではありません。復讐心に燃え、不機嫌になって疫病を蔓延させるようなことをする、気まぐれで怒りっぽい神さまではありません。

 歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を志向する存在であることを示しています。

 これをさらに発展させていけば、すべてを支配し、すべてを管理し、すべてを指揮し、しかもすべての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるのです」


───それに関連してよく出されるものに〝神への回帰〟の問題があります。神へ回帰した時にわれわれの個的存在がなくなるのではと考える人がいます。

 「進化の究極の目的はニルバーナ(涅槃・寂滅)に入ることではありません。霊的進化は限りなく個性を増幅していくことです。個性が消えていくのではなく、増していくのです。潜在する無限の資質を発達させ、ますます多くの知識を吸収し、個性がますます強化されてまいります。

 大霊は無限の存在です。ということは、進化は無限に続くということになります。完全性が成就されることはありません。どこまでいっても完全へ向けての努力の連続です。その結果がより大きな自我を見出すことにもなるのです」


───進化はどこまでいっても〝中途〟段階であるとして、ある一定の段階に到達することがどういうことなのか、表現できるものでしょうか。

 「それはできません。到達する界層ないし境地は言語を超えたものだからです。意識と自覚の程度の反映です。そこまで到達した者にしか理解できない性質のものです」


───究極のことをこう表現してもよいでしょうか。つまり、最後は大いなる意識(神)の海に埋没してしまうのではなく、その海の深さが個性の中に吸収されていく、ということです。

 「いいですね、なかなかいい表現だと思います」


───洞察力とは何でしょうか。

 「その人ないし霊が受けるインスピレーションです」


───物的な富や財産は霊的成長にとって必ず障害となるのでしょうか。

 「いえ、必ずというわけではありません。しかし、難しくすることは間違いはありません」


───叡知を身につけるためには経済的に貧しくないといけないのでしょうか。

 「そんなことはありません。霊的な叡知を物的な貧しさとを天秤にかける必要はありません。ただ、物的な富を所有し、さらにそれを増やそうとする欲望は、残念ながら霊的成長の障害になる傾向があることは確かです。

それよりも、地上の人間として正しい生活を心掛けていれば、必要なものは必ず与えられるものなのです。まず神の国を求めれば他のものは全て添えて与えてくださるというイエスの言葉は、その通りです。どちらを優先するかの問題です」



    
 自由意志と宿命

───人間には完全な自由はないのでしょうか。

「ありません」


───地上生活で宿命というものがどの程度の役割を演じているのでしょうか。

 「とても重要な役割を演じています」


───どういう役割か、ご説明願えますか。

 「摂理によって規制されたさまざまな力の働きの一部です」


───仮に私が〝そういう仕事をすることになったのは、あなた宿命です〟と言われた場合の宿命とは、どういう意味でしょうか。

 「あなた自身がその仕事を選んだということも有り得ます」


───外部の力によって予定通りにそうなったということでしょうか、それとも私自身の意志で選択したということでしょうか。

 「どちらのケースも考えられます。つまり外部からの力があなたの選択を促すということです。自由意志も行使できますが、宿命的な力も働くということです」




    
 類魂と再生説
 
───生まれ変わり(再生)を認めておられますが、なぜ、そして何の目的のためにでしょうか。

 「地上生活が存在のすべてであるという考えで満足しておられる方は、どうぞ、そう思っておられて結構です。が、今その身体に宿っている霊は以前にも別の身体に宿って別の側面を見せていたということが考えられるのです。

 つまり、あなたは大きなダイヤモンドの一側面で、一つ一つの側面が別々の時代に地上に誕生して、その体験をおのおのが持ち帰ってダイヤモンド全体の進化に貢献しているということです」


───そのダイヤモンドの一側面は類魂(グループソウル)の一つということだと思うのですが、私なら私が他の幾つかの魂のための体験を持ち帰るというのは、生命の永遠性を考えると論理的でないように思えるのですが・・・・・・
 
 「全宇宙にわたって作用と反作用が起きております。どんなに遠く離れた土地の人でもあなたに影響を及ぼして、全体としての知識の増加に貢献しているのです。身体的にも精神的にも霊的にも、絶対に孤立した存在は有りません。

 グループといい、ダイヤモンドといい、言語では表現できないものを、強いてそういう用語で表現しているだけです。

 一体〝あなた〟とは何なのでしょう? 〝あなた〟という個的存在はいつから始まったのでしょう? 受胎した時からでしょうか。

 ナザレのイエスは〝アブラハムの前にも私はいました〟と述べていますが、これはどういう意味だと思われますか。霊としては自分は常に存在していたということで、あなたも私もそうなのです。その永遠の時の中で、幾つかの側面が幾つかの時代に地上に顔を出すということは有り得ることです」


 ホームサークルの若いメンバー ───私は常づね〝グループソウル〟(集団を構成している魂)よりも〝ソウルグループ〟(魂の集団)と呼んだ方が分かりやすいのではないかと思っているのですが・・・・・・


 この意見に、シルバーバーチは直接答えずに、普遍的な問題を改めて述べた。

 「あなたの霊性進化の道が開けるに従って内的な真理の悟りが深まります。私にはその場しのぎの安直な答えを述べるわけにはまいりません。私自身が体験した結果として学んだことしか述べられません。

 私の申し上げることが受け入れられない方たちと議論する気はありません。ご自分の理性が反発するものは拒否なさいと申し上げております。もしもこうした私の気持ちに同調して下さり、そして出来うることなら私への愛がいただければ、それは皆さんの理性が私の申し上げることを真実と認めて下さったことの証しに違いありません。

 反対に、皆さんの理性によって私への愛着心まで消えてしまった時は、私たち霊団の努力が失敗に終わったことを意味します。

ですから、私はあくまでも確信の持てる知識を基盤として、皆さんの問いに正直に答える必要があるわけです、そうした厳しい査定をパスすることによって、さらに高いものを求めて、一歩一歩、霊性進化の道を歩もうではありませんか。

 これからも皆さんには楽しいことがたくさん待ちうけております。が、難問にも遭遇するでしょうし、困難も常に付きまといます。完全な世界の完全な存在ではないからです。あなたも不完全ですし、世の中も不完全です。が、自由意志をお持ちです。世の中の不公正とあなた方自身の欠点を正していく機会にも恵まれます。それが皆さんの仕事です。

 いかなる知識を得ても、それをどう使用するかについて新たな責任が加わります。あなた方への信託が増したということです。その信託を裏切ってはいけません。皆さんの生きざまによって、これまでに得た知識にふさわしい人間であるだけでなく、これから与えられる新たな知識にもふさわしい人物であることを示さないといけません。

 あなたは比較的お若い年齢でこうした霊的知識と出会う機会とめぐり合ったことを喜ばないといけません。多くの人が鬼火を追いかけ、幻影を抱き、実在を見出すことなく、暗い影の中で生きています。

最初に述べましたように、今夜こうしてここに集った私たちは、わくわくするほど素敵な冒険に挑んでいる同志なのです。

 皆さんは無限の可能性の貯蔵庫です。それを引き出して人生に活用した時、その展望は目も眩まんばかりのものとなります。どの程度まで引き出せるかは、皆さんの努力次第です。そこに自由意志を働かせる余地があるわけです。成功の程度はあなた自身が決めるということです」


    
 地上界は訓練学校

 別の日の交霊会で〝サイキック・ニューズ〟紙のレポーターをしているクリス・ライダー氏がフィアンセと一緒に招待されていた。

 まずシルバーバーチの方から歓迎の挨拶をした。
 「この交霊会にお若い方をお迎えするのを私はいつも楽しみにしています。地上人生の早いうちから霊的知識と出会って、大変しあわせな方だと思うからです。

 地上界が抱える問題の一つは、無意味な生活をしている人が多すぎることです。自分がどちらへ向かってるのかを知りません。自分がどこにいるのかも知りません。何のために生まれてきたのかも分からずにいます。

 地上生活の何もかもが、そういう人にとって無意味に思えるのです。人生とは大きな〝?〟に過ぎません。神(ゴッド)という言葉も、それが何であるかを知らずに使っております。自我を成長させるチャンス───内在する美と威厳と気高さと壮大さと豊かさを発見させる機会をことごとく失っております。

肉体的にはちゃんと目と耳と口をそなえていても、霊的には何も見えず、何も聞こえず、何も語ることができません。

 こうした人達が地上を去って私たちの世界へ来た時、意識的にも能力的にも、新しい次元への備えがまったく出来ていないために、こちらで一からやり直さないといけないのが厄介なのです。訓練学校である地上界の方がよほど学びやすいのです。

 その点、あなたはすでに永遠不変の霊的真理を知り、無限の生命機構の一端を理解し、みずからもその活動に参画し、人のために役立つことをすることの大切さもご存知です。

 もとよりそれは口で言うほど簡単にできることではありません。いろいろと難しいことが生じます。問題も起きます。しかし、そういうものを嫌って安楽な道を選ぶ人は、私には用はないのです。

 そうした葛藤を強いられるのは、あなたの地金を試すためです。克服すべきものとして次々と困難が用意されるのです。それを一つ克服するごとに、内在する霊的能力と霊性がより大きく発現するのです。

 忘れないでください。私達は地上のガンともいうべき唯物主義の勢力と、かつてない大規模な闘争を繰り広げているのです。その最前線で将軍として活躍していただく人材は、その役柄にふさわしい霊力を身につけて貰うために鍛え上げないといけません。

 ですから、あなたも困難を歓迎しないといけません。地上生活で生じるいかなる困難も、背後霊団の力で克服できないものはありません。今夜この会に集まっている方々は、信じられない程の働きかけを身をもって体験しておられる方ばかりです。

 その力は、あなたの意志で操ることはできません。こうあって欲しいというあなたの望み通りに従わせることはできません。命令はできないのです。

 が、同時に、霊団側が一方的に命令を下すこともしません。この道の仕事はあくまでも協調です。今日ご出席のベテランのメンバーに聞いてごらんなさい。もうダメだと思った窮地、それこそ十一時五十九分になって、救いの手が差し伸べられたという経験をお持ちの方ばかりです。
 いかがですか、皆さん、今私が述べたことに反論なさりたい方がいらっしゃいますか」



       
 魂が永遠に消えない傷を負うことはない

「私はおっしゃる通りだと思います」とレギュラーの一人が言うと、シルバーバーチが続ける。

 「皆さんは霊的知識という要塞をお持ちです。霊力という兵器庫が、イザという時に持久力と増援を提供してくれます。困難との闘いを前にして逃げ出すよりも、堂々と闘って敗ける方が立派です。

それによって一時的には傷つくかも知れませんが、永遠の魂にまで傷が及ぶ事は絶対にないとの自信を得るきっかけとなるでしょう。永遠なる生命は無限の可能性を提供してくれます。

 毎朝の到来が素敵な機会の前触れです。霊的並びに精神的にわくわくする体験をもたらしてくれます。毎朝、新しい世界が誕生しているのです。大いなる気持ちで迎えることです。

 そして一日が終わって、これから一時的にその肉体を離れる(眠る)前に、今日一日のうちに人のために役立つ機会をいただいたことを大霊に感謝すると同時に、自分の行なったことに間違いがなかったことを祈ることです。

 もしも明らかに間違っていたと思われることがあれば、もう一度やり直す機会を下さるようにお願いすることです。失敗を恐れる必要はありません。転ぶということは、もう一度立ち上がることができるということです。一度も転んだことのない人は、真っすぐに立つということがどういうものかを知らない人です。

 物質界も霊界も限りない可能性と素敵な褒賞と永遠に色褪せることのない富─── 一度手にしたら二度と失うことのない宝を提供してくれます。

 黄金は地中から掘り出された時から輝いているわけではありません。打ち砕かれ、精錬され、不純物を取り除かれて、ようやく純金の輝きを見せるのです。立派な人材も、困難との葛藤を経てはじめて本物となるのです。

 永遠不滅に真理にしがみつくことです。影がさし、太陽の光が遮られても、それは一時的に雲が通りかかったに過ぎないと思いなさい。その雲の後ろでは太陽が輝いているのです。

逆境の時にも、大霊の愛が働いているのです。人生の計画は必ずその通りに推移します。皆さんは今、わくわくするような体験をさせてくれる人生の出発点に立っていることを喜ばないといけません」

 何かご質問がおありですかとシルバーバーチから言われて、〝サイキック・ニューズ〟のレポーターのクリス・ライダー氏が訊ねた。

───私は、他の多くのスピリチュアリストと同じように、普遍的な生命原理の存在と地上人生の有り方を知識としては知っているつもりです。ところが現実には、いけないと知りつつも自然の摂理に反することをやっては、痛い目にあっております。

正しい知識を手にしながら相変わらずそれが実行できないのは、どこがいけないのでしょうか。


「それはまだまだ霊性がひ弱だからです。強健でないからです。これで答えになりましたでしょうか」


───まったくそうだ思います。が、簡単なことが意外に実行できないものですね。私はまだまだです。  
 ところで、宇宙の摂理に従って生きる方法を同胞に教えるにはどうすればよいかという質問に対して、あなたは〝手本を示すことです〟とおっしゃいました。

 
私には、手本はそこらじゅうにありながら、それが無視されているように思えるのです。何か別の方法を考えるべき時期に来ているのではないかと思うのですが・・・・・・

 「たとえば?」


     
 生きざまによって手本を示す

───手本を示すこと以外に、何かもっと良い方法はないものでしょうか。

 「でも、うまく行けば、これほど効果的なものはありませんよ。

 よくお考えなさい。地球が生まれてからずいぶんと年月が経っています。科学者も地質学者も地球の誕生の頃のことはあまりよく知りません。それも無理はありません。
百万単位の年数の差も大して問題とならない程、悠久の歴史があるのです。



 言わばその地球の管理人の立場にあるのが大霊です。もちろん人間的存在ではありません。神々しい人間でもありません。私が〝愛と叡知の権化〟と呼んでいる、崇高なる力です。無限の知性であり、全知識と全真理の極致です。

 あなたも、地上界についてある程度の知識をお持ちです。地上の生命活動がことごとく自然法側によって規制されていることもご存知です。結果には必ず原因があります。

自分が蒔いたタネは自分で刈り取るのです。四季は一つ一つ順序よく巡ります。地球の回転も地軸にさからうことはありません。潮は干満を繰り返し、その正確さは数式できちんと計算できるほどです。

 銀河系の大星雲といえども、その中の星の一つ一つ、惑星の一つ一つ、そして星座の一つ一つが、それぞれに定められた軌道上を動いているのです。

あらゆる草木、花、果実、野菜、小鳥、人間の男女、子供の一人一人にいたるまで、不変の自然の法則によって規制され、考え得る限りの行動や変化もきちんと認知されているのです。

 こうした大機構の中にあって人間は、手本によって学ぶように大霊が配慮しておられるのです。あなたは〝他にもっと良い方法はないものでしょうか〟とおっしゃいましたが、そういうものはありません」


    
 薬物の使用は禁物

 「分かりました」とクリス・ライダー氏は答え、さらに次のような質問を述べた。


───ある種の薬物を使用することで一時的に心霊能力が覚醒した状態となります。私はこのことに関心を持っています。これは将来の霊的能力の開発の新しい方法として一考の価値があると思うのですが、いかがでしょうか。

 「断じて、そして真っ向から、私は薬物の使用には反対です。
 心霊能力は人類に先天的に潜在しているものです。霊が使用すべき能力として用意されているのです。物質と霊とをつなぐ懸け橋であり、当然開発し発達させるべきものですが、あくまでも鍛錬と正しい心掛けと生き方の中ではぐくまれるべきものであって、

不自然な促進剤の使用によって行なうべきものではありません。一個の種子を例にとっても、それを不自然に促成栽培したらどういうことになるか、ご存知のはずです。

 薬物によって幻覚症状が誘発されることがあることは事実です。それによって一時的に身体と精神と霊とのつながりが緩められるからです。しかし、そんな状態で実在を直観し次元の高い啓示に接することはできません。

 さらに、それ以前の問題として、私は、たとえ健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると考えます」


───おっしゃることは分かるのですが、そういう代替の手段もあってもよいのではないかと思うのです。今のお考えは古い薬物観ではないでしょうか。

 「そういうご意見にも私は耳を傾けてまいりましたが、いかなる手段を講じようとも、インスタントコーヒーを入れるような調子で霊性を発現することは出来ません。霊性の伴わない能力を発揮してどうしようというのでしょう? まだ反論なさいますか」


───正直を申しますと、ここへ来た時はあくまでも自論を主張してやろうと思っておりましたが、お話を伺って我が身の浅はかさを恥じ入っております。

 「恥をかかせるつもりなど毛頭ありません。私は人を傷つけたり辛い思いをさせるようなことを申し上げたくはないのですが、永遠の真理から外れるようなことを申し上げるようになった時は、私の使命から外れたことになってしまいます。

 薬物中毒患者───いかなる種類のものであれ、安易な手段、手っ取り早い方法で幸せを求めようとする堕落者───を扱うのも、私たちの仕事なのです。

 いけません! 幸せに近道はありません。タネ蒔きと刈り取り、原因と結果の法則が厳然と存在するのです。万一その摂理が逆転して、一瞬のうちに罪が赦されて聖人君子になれるとしたら、神の公正が愚弄されたことになります。摂理の働きは絶対なのです。

 人間には三つの義務があります。自分自身への義務、生活を共にする者への義務、そして地上の同胞への義務です。自分一人の勝手な振舞いは許されません。

薬物を使うのは自分の勝手という言い訳は許されません。正しい手段で、しかも努力の積み重ねによって身につけないといけません。もしも努力も葛藤もなしに得られるものだったら、それは初めから手に入れる価値のないものです」


───分かりました。最後にもう一つだけ質問があります。 

 さる有名なスピリチュアリストの本に、戦地で戦友と共に一瞬のうちに戦死して、その時のショックがその後も残っている霊の話が出ておりました。あなたのお話では霊が傷つくことはないとおっしゃっていますが、この場合はどう理解すればよいのでしょうか。


 「一時的に傷つき、ショックが残ることはあります。が、肉体の傷が癒えるのと同じで、そのうち正常に復します。

 事故死や戦死のような予期せぬ状態での死は霊にショックを与えます。
死というものに何の予備知識もなかったために、その反動のようなものが生じるわけです。それで調整期間というものが必要となり、その間に自分が置かれている身の上についての理解と、霊的感覚の覚醒を促します。


 あくまでも一時的なものです。霊が取り返しのつかない傷を負うことはありません」



    
 訳者あとがき
 
 本書は、多分、シルバーバーチ霊言集の最後の一冊となるであろうと予想されている、Lift Up Your  Hearts  (直訳すれば〝心を奪い立たせなさい〟)の前半で翻訳である。これまでの霊言集のほぼ二冊分がぎっしりと詰められており(すべて新しいものばかり)、ハート出版との相談の結果、これを二冊に分け、そしてタイトルも別にして出版することになった。

 本書の原典は、編者のトニー・オーツセンにとっても訳者の私にとっても、記念すべき一冊となった。オーツセンにとっては、本書の出版のあと、一年間の引き継ぎの期間の後に、編集長のイスを若いティム・ヘイに譲って、サイキック・ニューズ社を円満に退社する、その最後の出版物となったのからである。

 オーツセンは二十歳の時にサイキック・ニューズ社に入り、バーバネルのもとで親分子分のような関係(オーツセンはバーバネルのことを〝ボス〟と呼んでいた)の中で修行し、バーバネル亡きあと、その編集長のイスに座って多忙をきわめる毎日を送ってきた。

 中でもいちばん力を入れたのがシルバーバーチ霊言集の編纂で、彼一人が編集したものだけでも、本書を含めて六冊もある。彼が編集したものはどれもページ数が多いのが特徴であるが、とりわけこの六冊目は(いつもの霊言集の)倍の分量である。

その編集に取りかかった時はすでに退社を表明していたことから推察して、自分が辞めた後はもうシルバーバーチを編集する者はいないとの判断があって、それで、これまでに公表されていないものを出来るだけ多く、と考えたのであろう。もっとも、わずかではあるが重複する部分があり、そこは私の訳では省いた。

 実はこうしたオーツセンの意気込みを生んだ背景には、全世界のシルバーバーチファンから寄せられる、新しい霊言集の出版を期待する声があった。

そして中には、出版費用に当てて下さいと、寄付を同封してくる人もいた。かく言う私もその一人で、そう大きくはない印税収入から必ず一部を寄付に当ててきた。

 そうした支援者への感謝をこめて、実はこの六冊目の巻頭に三十二の個人と団体の名が列記されている。しかも市販のものはペーパーバックなのに、支援者に限ってクロス張りのハードカバーにそれぞれの氏名のイニシャル(私の場合はKK)を刻印してあるものが贈られている。

私にとってこれに優る記念品はない。これまでの翻訳の苦労がこの一冊で全て報われる思いがしたと言っても過言ではない。


 さて本書の翻訳中に、私にとって意味深長な、ある科学者との出会いがあった。九十歳という高齢にもかかわらず今なおかくしゃくとして第一線で活躍しておられる、サイ科学会会長の関英男先生で、紫綬褒章と勲三等瑞宝章を受章しておられる工学博士である。

 昨年(平成五年)の夏ごろから私は、気功を霊的レベルにまで上げて難病を治療し、今世界中から注目を浴びている中川雅仁氏とのご縁があって、これまでに何度か伊豆下田の沖ヨガ道場で毎月開かれている気功師養成講座に講師として招かれているが、

今年の二月十二日に大阪で催された真気光体験会に、関先生と共に講師として招かれて、それぞれ小一時間ずつ講演をしたあと、中川氏も加わって三人でパネル・デスカッションを行なった。

 国内はもとより世界中を駆け回っておられる中川氏のタフぶりにはいつも感服の念を禁じ得ないのであるが、その日初めてお会いした関先生の頭脳明晰ぶりには、九十歳というお年を考えると、ただただ敬服するばかりだった。

 が、それにもまして驚いたのは、霊的なものに関する理解の広さと深さである。いただいた名刺には〝加速学園代表〟とだけ記されているが、その学園はサイ科学、すなわち物質科学を超えた高次元の科学を学び合う科学者の勉強会のようなものとお聞きしている。

 その研究の範囲は死後の世界はもとより、UFOの問題や異星人(宇宙人)からのメッセージにもわたっていて、昨今テレビに出てムキになって超能力の存在を否定している、どこかの大学教授の御説など、小犬の遠吠えのようにしか聞こえないであろう。

 サイと言うのはサイキックの語源でもあるPsi のことで、これを〝心霊〟と訳さずに〝サイ〟で通しておられるのは、私がスピリチュアリズムを〝心霊主義〟と訳さないのと同じ考えからであろう。

 先生の最新著「高次元科学」(ファーブル館)を通読して、スピリチュアリズムと完全に一致していることを知って驚いたが、強いて特徴をあげれば、スピリチュアリズムが地球圏の霊界からのメッセージ、いわゆる霊界通信に重点を置いているのに対して、サイ科学では別の天体、たとえば俗にスバルと呼んでいるプレアデス星団からのメッセージ、幅広くいえばUFOを送ってくる天体からのメッセージにも関心を寄せていることである。

 が、基本的にはスピリチュアリズムと同じであることは次に一節から充分に窺える。
「私のもとには、さまざまな霊能者や超能力者が情報を持ちよって来てくれます。人間がその頭でどう考えても及ばないことが、霊能者や超能力者には分かります。

人間以外のエネルギー体から、いろいろな形でメッセージが届いているのです。ある人には、勝手に手が動いて自動書記という現象で届いたり、ある人には霊言という言葉で届いたり、夢でお告げがあったりといった具合です。

 いい加減な低級霊の仕業ということもありますので、その情報の取捨には慎重になる必要があるのですが、ほとんどの霊能者・超能力者の言葉で共通しているのが、このさまざまな天変地異の意味です。

つまり、今起こっている天変地異は、地球の自浄作用だということです。環境汚染で病んだ地球が、自らを癒すために生命力を働かせているというわけです」

 さきほど〝私にとって意味深長〟と表現したのは、私をスピリチュアリズムに導いて下さったのが間部詮敦という元子爵の稀れにみる霊覚者で、その指導のお蔭で私は四十年間にわたって曲がりなりにもスピリチュアリズムを日本に紹介する仕事に携わり、

その集大成としてつい最近ハート出版から「霊的人類史は夜明けを迎える」という書き下ろしを出したばかりであるが、このたび科学界の重鎮である関先生との出会いで、先生が他の科学者から異端視されながらも平然として説いておられるその著書の内容が、私の著書の内容と基本的に軌を一にしているからである。

 手短に言えば、来るべき二十一世紀は人類にとって輝かしい世紀となるということで、それまでに〝世紀末的〟といわれる大なり小なりの天災や混乱はあっても、それは、関先生の譬えを借りれば漢方医学でいう〝めんげん〟 現象にすぎず、そのあとに地上天国ともいうべき幸せな生活環境が生まれるというのである。

〝めんげん〟は漢字で〝瞑眩〟と書き〝めんけん〟 とも〝めいげん〟とも読む。これは治療がうまくいって病気(とくに長く患っているもの)が好転し始めた時に発熱したり、吐き気を催したり下痢をしたりする現象のことで、一見悪化したように思えるが、その段階を越えると急速に快復する。

 地球もこれから、地球という天体そのものの自然治癒力によって瞑眩反応を起こし、一時的に〝世紀末的〟な現象を呈するが、人類の滅亡などという深刻なものとはならずに、そのあとに明るい世紀が訪れる、というのがスピリチュアリズムの説である。

最近世界各地で頻発する異常気象や地震、山火事といった天災、そして民族紛争などは、地球がすでに瞑眩期に入っていることを物語っていると私はみている。

 UFOに関して私はこれまで言及を避けてきたが、私自身にとっては早くからごく当たり前の存在である。まだ乗船したことはないが、目撃した回数は十指に余る。そのうち、錯覚かも知れないと思えるものを消去していっても、残る三回は私にわざわざ見せてくれたようなもので、その驚異的というか、人間の常識では考えられない飛行をじっくりと観察させてもらっている。

 実は昨年六月に、私の住んでいる福山市で、全国の〝UFOの会〟の会員五十人ばかりが集まって、観察と体験談を語り合う催しが開かれた。


私は会員ではないが、その日の主催者が私の教え子(近くの大学で美術の講師をしている)で、私の心霊関係の話にも興味を抱いている人だったので、私に基調講演を依頼してきたのだった(本人自身も霊的体験があり、UFOの写真も百枚ばかり撮影している)。

 当日のUFOの観察は夜十一時頃から真夜中の三時頃まで続けたが、残念ながらそれらしきものはついに姿を見せてくれなかった。ただの興味本位のことには異星人も関心はないだろうと予想していたので、私はさほど残念にも思わなかったが、わざわざ関東地方から出席した人たちには、ご苦労さんという気持ちだった。

 が、翌日の三人による乗船体験談はその残念を補って余りあるものだった。どの人の話も説得力があり、作り話とは思えなかった。間違いなくUFOに乗っており、又その発進地である異星まで連れて行かれている。多い人は百回以上も乗船しており、操縦席(コックピット)の説明も得心のいくものだった。

 私にとってとくに興味深く思われたのは、幽体離脱の状態で連れて行かれることが多いということで、UFO発進地である天体では、知的生命体が物質の段階から幽質の段階にまで進化していることを窺わせるものだった。その意味で私の講演も参加者全員に理解のいくものだった。

 関先生の説も全く同じで、だからこそ何千、何万、何十万光年も遠く離れた天体からでも一瞬のうちに飛来できるのだとおっしゃる。一種のテレポーテーションで、アポーツ(物品移動)と原理は同じである。

 ではなぜ満天の星の中のスバルでないといけないのかということになるが、実は、第二次大戦終結直後に地球に派遣されてきた宇宙人がメキシコのチャパラ湖畔に一年間住んでいた事実があり、その宇宙人の家(というのが適切かどうかは別として)が今も存在し、スバルとの交信に使用されているというのである。

関先生も、そして建築家の足立育朗氏も、その家を訪れて何枚かの写真に収めておられるからには、間違いない話であろう。


 譬えて言えば、ラジオで最初に受信した周波がスバルからのものだったというだけのことで、これから受信できる周波数がいくらでも増えていくことであろう。
 
何しろこの銀河系だけでも地球レベルないしそれ以下の知的生命体が存在している星は千百五十億個あり、地球レベル以上の、自然の摂理に適った生活をしている星は七百億個以上もあるというのである。

スピリチュアリズムでいう四界説を当てはめれば、そんな問題は簡単に片づく。地球を取り囲むように幽界・霊界・神界が存在することはスピリチュアリズムではすでに常識であるが、太陽系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在し、銀河系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在する。


そして地球の幽界の上層部から霊界あたりになると、太陽系および銀河系全体の幽界とも接触できるようになる。

 その段階に至ると、もはや地上的感覚の距離は消滅し、ちょうど衛星中継で地球の反対側の映像がほぼ同時に見られるのと同じように、宇宙のどこで何が起きても、瞬時に分かるようになる。地上にいても、チャンネルさえ合えば何億光年も離れた星からでも通信を受けることが出来るようになる。

 これには伝導の媒体としてのエーテルの存在が前提となる。エーテルの存在はスピリチュアリズムの先駆者である英国の物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジがしきりに説いていた。が、それが、アインシュタインの相対性理論が出るに及んで否定されるようになった。

 私にとって実はこれは頭の痛い話で、現代の科学者から「エーテルの存在は否定されていますよ」という批判が来ないかと気懸りだった。

ところが最近のサイキック・ニューズ紙や、サイキック・ワールド紙(月刊)に毎号のように寄稿しているロン・ピアスンという理学博士がエーテルの存在を正面きって説くようになり、アインシュタインの相対性理論にも間違いがあることを明言している(ピアスン博士もシルバーバーチの熱心な愛読者)。

 妙なもので(この辺が〝導かれている〟ということなのか)、この稿を書いている合間に書店をのぞいたところ、徳間書店刊の『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』というのと、その続編の『「相対論」はやはり間違っていた』の二冊が並んでいた。前者は窪田登司氏によるもの、後者は八人の学者による共著である。

 私には「相対性理論」はどうでもいいのである。要はエーテルの存在が肯定されるか否定されるかが気懸りなので、パラパラとめくっていくと、やはりエーテルの存在に言及した部分があり、「エーテルの存在は否定できない」とあった。

しかし、僭越ながらこの八人の学者に申し上げたいのは、関先生のお話によると、アインシュタインの相対論が間違っていたのではなくて、その解釈を間違えたというのが真相のようである。『高次元科学』の中で先生はこうおっしゃっている。

 「アインシュタインは光速度不変の法則を基本に相対論を展開し、アインシュタイン以前にマイケルソン・モーレーは実験によって、絶対静止空間に対して運動しても光速度に変化がないことを証明しました。このことは、あたかも真空中の超微粒子、エーテルと呼びますが、その存在を否定したことだと解釈されました。

そして、それ以降の科学はエーテルは存在しない、真空中には何もないことを前提に研究が進められてきました。しかし、最近になって、アインシュタインが言ったことは、空間に絶対的に静止したエーテルがないということで、エーテルが存在しないということではないことが明らかになったのです。

霊能者に話を聞きますと、
こうした誤解を生んだことを、あの世でアインシュタインは嘆いているそうですが、確かにその誤解が本当の意味で科学の発展を阻害したことは間違いないでしょう」


 ピアスン博士は「科学は間違いだらけ」という記事を書いている。関先生も「科学者は分かったような顔をして説いているだけで、本当のところは何も分かってはいないのですよ」と笑いながらおっしゃっていた。

私は科学者ではないので、そこまではっきりと言える立場にないが、一つだけ断言できることは、これまでに発見された物理化学の法則だけで心霊現象の実在をうんぬんするのは間違いだということである。次元がまったく違うのである。

 十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、世界的に名声のある科学者が積極的に心霊現象の研究に参加し、しかも一人の例外もなくその真実性を肯定する結論を出した。のみならず、そうした現象を生ぜしめているのがわれわれの先輩であるという〝霊魂説〟を打ち出した。

 ところが、その後の科学者たち、なかんずくSPR(心霊研究協会)のメンバーが霊魂説に懐疑的になり、本来はスピリチュアリズムの傘下にあるべき立場を逸脱して一人歩きを始め、スピリチュアリズムとの間が敵対関係を呈するほどになった。

 が、最近になって潮流が大きく変わりつつあることが英国の心霊紙にはっきりと出て来た。その最大の動きは、英国SPRの会長であるアーチー・ロイ氏(エディンバラ大学の天文学教授)が最近の講演で英国スピリチュアリスト同盟(SNU)にラブコールを送るとともに、へっぴり腰の科学者をこっぴどく非難していることである。

 一度スピリチュアリズムの傘下からはみ出たSPRが数十年ぶりで戻ってきたという感じがする。

 「心霊研究の進むべき新しい方向」と題する講演をロイ氏はこう締めくくっている。

 《私は、学者としてあるまじき態度で〝安直〟な否定論を振り回す科学者には、SPRが敢然と挑戦すべきだと考える。

 心霊研究は実に興味津々の時代に入りつつあるとというのが私の実感である。SPRの創設当初の、あの、死後の存続という途方もない事実の可能性を前にして、わくわくする思いで研究にいそしんだ時代に戻る態勢が整ってきたように思う。

 現代的手法を駆使して、人間とは何かという命題に向かってSNUと協力できると考える。否定論者に言いたいのは、正面から堂々と取り組むか、さもなくば黙って引っ込んでなさい、ということである》
                                                                                  (サイキック・ワールド紙より)

 最後に一九九三年四月二十四日付けのサイキック・ニューズ紙に掲載されたベテランの科学者フランク・ニューマン氏の「科学者よ、シルバーバーチを読め!」と題する寄稿文を訳出しておく。


《シルバーバーチの霊訓を読んでいる人でも、その奥の深い意味まで理解している人は案外少ないものだ。それほどシルバーバーチの教えには含畜がある。

 私に言わせれば、むしろ科学者がシルバーバーチを読めば───そしてその奥に秘められた意味を理解すれば、いま科学者を悩ませている難問への解答を見出すに違いない。

 今科学界が到達した宇宙観によれば、どうやらわれわれが認識している世界が宇宙の全てではないらしいこと───今こうして生活している世界と共存の形で、無数の世界が存在しているらしいこと───それらの中にはこの地球と同じ世界もあれば、まったく違う世界もあるらしい、ということである。

 最新の量子論からいっても、そうした別世界(オールタナティブ)は地上界から絶縁した世界ではなく、この物質の世界と接触し合い、互いの原子が押し合いへし合いをしていても、少しもおかしくはないのだ。

 その見えざるオールタナティブにも、われわれ地上人類と同じ精神構造と身体構造をしている存在が生活している───基本的にはその意識的生活は同じであることも、十分に有り得るのだ。

 結局のところ生命とは、たぶん化学的結合をベースとして、宇宙エネルギーが組織的に形体を具えたもの、その定義に辿り着く。この定義は科学者なら誰しも納得がいく。問題は、目に見えざる世界が存在する、その有りようがしっくりと認識できない点にあるといえる。

 そこでシルバーバーチに登場願うことになる。シルバーバーチは平面的な〝場〟を意味するプレイン plane という用語を用いずに〝状態〟を意味するステイツ state を用いている。シルバーバーチは言う────

「すべてが混ざり合った状態にあるのです。無線電信の波動が宇宙に充満しているのと同じ状態です。いろいろな波長があり、いろいろなバイブレーションがあります。

 が、それらが同時に同じ場に共存できるのです。境界というものはありません。波動が異なるだけです。反応する意識の側面が違うのです。」

 このことから考えると、地上生活というのは、脳髄という物質を通して波動する精神をコントロールしている、ある一定レベルの意識での生活の場ということになる。つまり五感でキャッチしたものが、脳と生命の糸(玉の緒)を通して精神ないしは魂へと伝えられて、それぞれの反応を生じる、ということである。

 このことは、さらに、人の為に役立つ心掛けと中庸の生活こそが意識のレベルを高め、精神の活動の場を広げることになる、という考えを生む。

結局〝死〟というのは、肉体から離れた魂がその意識レベルに相当したバイブレーションのオールタナティブへ移動するだけのことということになる。死後の環境に違和感を感じないというのは当然のことなのである。

 その後の進化についてもシルバーバーチは簡明にこう述べる───

「魂が成長すれば、波動のより高い状態に適応できるようになり、自動的により高い界層で生活することになります」

 その界層のもつ電磁波の作用でそうなるのであろう。となると当然、乱れた生活をしている人間は、その乱れた波動に似合った世界へと引きつけられていくことになる。かくして、聖書の言葉どおり、〝麦ともみがらが選りわけられ〟〝多くの住処が生じるわけである。

 英国電子音現象研究センターの所長ギルバート・ボナー氏は、かなり広範囲の波動の他界からのメッセージをキャッチすることに成功している。

 科学者による共同研究がさらに進めば、オーディオとビジュアルの双方による他界からの通信が確立されても不思議ではない。いま生身の霊媒を通して行なわれていることが、そうやって器械によってなされるようになるのが、これからの科学者の目指すべき方向であることは間違いない》

 もっとも、これはいかにも科学者らしい発想で、あのエジソンも考えたことがあるらしいのであるが、本文の四章でシルバーバーチが断言しているように、器械が霊媒の代用となることは有り得ないらしい。愛に根ざした人間的情緒は器械では伝えられないということであろう。

 といって、シルバーバーチも、その方面での研究開発を無駄と決めつけているわけではなかろう。私も、かなりの程度まで可能ではないかと想像している。しかし所詮、手書きの手紙とワープロの手紙との違いにも似た、何か人間味の欠けたものとなるであろうことは想像に難くない。

                          平成六年三月  近藤千雄