シルバーバーチの霊訓(七)
       シルビア・バーバネル編
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       巻頭言
       編者まえがき

一章   二つの世界が交わる場所   
       ──ある日の交霊会──
二章   今なぜスピリチュアリズムか
三章     戦地でも愛読された霊訓

四章    若き軍人と語る
五章    懲罰と報復──大戦が終わって
六章  わが子に先立たれた二組の夫婦と語る 
        宇宙創造の目的
      
 More Wisdom of Silver Birch   
      Edited by Sylvia Barbanell  

           Psychic Press Ltd.         
            London, England
 

                            
   巻頭言 
     
 頑固(かたくな)な心、石ころのような精神では真理の種子(たね)は芽を出しません。受容性に富む魂───率直に受け入れ、それが導くところならどこへでも付いて行ける魂においてのみ花開くものです。

 あなたがそのような気持ちになるまでには、つまり真理を魂の中核として受け入れる備えができるまでには、あなたはそのために用意される数々の人生体験を耐え忍ばなくてはなりません。

 もしもあなたがすでにその試練を経ておられるならば、その時点においては辛く苦しく無情に思え、自分一人この世から忘れ去られ、無視され、一人ぼっちにされた侘しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされたことでしょう。しかし魂は逆境の中にあってこそ成長するものです。黄金は破砕と精錬を経て初めてその純金の姿を見せるのです。

 あなたがもしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、今手にされている本書の中で私が語り明かす真理に耳を傾ける資格があることを、堂々と宣言なさることができます。しかしそのことは私が語ることのすべてを受け入れることを要求するものではありません。あなたの理性が反撥することは遠慮なく拒絶なさってください。あなたの常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。

 私もあなた方と少しも変わるところのない一個の人間的存在です。ただ私は、死後もなお続く人生の道を少し先まで歩んできました。今その道を逆戻りしてきて、あなたが死の敷居をまたいだのちに絶対的宿命として直面することになっている新しい、そしてより広大な人生がどのようなものであるかを語ってあげております。

 どうか謙虚に、そして畏敬の念をもって真理を迎えてやってください。謙虚さと畏敬の念のあるところには真理は喜んで訪れるでしょう。そして、せっかく訪れてくれた真理が少しでも長居をしてくれるよう、手厚くもてなしをあげてください。

真理こそがあなたに自信と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われることのない、掛けがえのない霊的叡智をもたらしてくれることでしょう。
                                   シルバーバーチ
                                         

 
 編者まえがき    

 私はこれまでシルバーバーチの交霊会に何百回も出席しているが、その霊言を聞き飽きたという感じを抱いたことは一度もない。 

 三千年前に地上で北米インディアンとしての生涯を送ったというシルバーバーチは、現在では大へんな高級霊であるらしいことは容易に察しが付くが、その本来の霊的位階をけっして明かそうとしない。そのわけは、こうして霊界から戻ってくるのは地上人類のための使命を遂行するためであって、自分を崇めてもらうためではないからだという。

 その使命とは、聞く耳を持つ者に永遠不変の霊的真理を説くこと、これに尽きる。その説くところは常に単純・素朴であり、そして単刀直入的である。宗派や信条やドグマにはいっさい囚れない。

その主張するところはきわめて単純・明快である。すなわち、われわれの一人一人に神の火花───完全なる摂理として顕現している宇宙の大霊の一部が宿っているのであるから、お互いがお互いのために尽くし合うのが神に尽くすゆえんとなるというのである。

 そうした内容もさることながら、シルバーバーチが語るときのその用語の巧みさ、美しさ、流暢さは、初めて出席した者が等しく感動させられるところである。美辞麗句を並べるというのではない。用語はきわめて素朴である。それがいかなる質問に対しても間髪を入れずに流れ出てくる。

それを耳にしていて私は時おり、シルバーバーチが初めて霊媒(編者の主人モーリス・バーバネル)の口を使って語り始めた時のことを思い出すことがある。

 もう二十年以上も前のことになるが、私たち夫婦は、あるスピリチュアリストの招きで、ロンドンでも貧民層が集まっている地域のある家で開かれている交霊会に出席した。第一回目の時は女性霊媒を通じていろんな国籍の霊がしゃべるのを聞いて主人はあほらしいといった気持ちしか抱かなかったが、第二回目の時にいきなり入神させられ、何やらわけのわからないことを喋った。

その時はシルバーバーチとは名のらなかったが、今のシルバーバーチと同じ霊である。そのころはぎこちない英語、どうにか簡単な単語をつなぐことしか出来なかったころのことを思うと、今は何という違いであろう。が、ここまでに至るのには大変な時間と経験を要したのである。

 そのシルバーバーチの道具として選ばれた十八歳の青年霊媒は、その後の用意されている仕事の遂行に備えて、さまざまな試練と訓練を耐え忍ばねばならなかった。その目指す目標はただ一つ───シルバーバーチの語る教説を少しでも遠く広く地上に行きわたらせるための機会をもつことにあった。

 良く知る者から見ればシルバーバーチは良き助言者、よき指導者であると同時に、よき友人でもある。決して人類から超然とした態度を取らず、世俗的な問題や人間的煩悩に対しても深い同情心を見せてくれる。

 当初にくらべてシルバーバーチも性格が発達し深みを増した───というよりは、本来の霊的個性がより多く霊媒を通じて発揮できるようになったといった方が適切であろう。最初のころはふざけっぽく、時には乱暴なところさえ見せながらも、つねに愛すべき支配霊という感じだった。

それが次第に今日の如き叡智に長けた、円熟した指導者へと徐々に〝進化〟してきた。声の質も変化して、今では霊媒の声とはまったく異質のものとなった。

 今でも、続けて出席していないと同一霊であるかどうかを疑うかも知れないほどの異質の側面を見せることがある。が、いつも変わらぬ側面がある。特にユーモアのセンスと当意即妙の応答の才能は少しも変わらない。

 シルバーバーチの霊言はサイキック・ニューズ紙にずっと連載されてきており、書物にもなっている。その間には第二次世界大戦が勃発したこともあって各地の戦地においても読まれている。そして陸軍・海軍・空軍の兵士から、苦悶と苦難と疑問の中にあってシルバーバーチの言葉から何ものにも変え難い慰めと勇気を得ることが出来たとの喜びの手紙が数多く寄せられた。そのうちの一つを紹介しておこう。これは陸軍の一下司官からの手紙で、こう述べている。

〝私はたった今〟 More Teachings of Silver Birch (邦訳シリーズ第五巻)を読み終えたところです。終わりの部分はオランダを転戦中に読みました。その壮麗な説得力とさまざまな疑問に対する明快そのものの応答は深い感銘を受けました。

 ぜひシルバーバーチ霊に、こうした戦地においても霊言が愛読され掛け替えのない影響を及ぼしていることを知っていただきたいと思って筆をとりました。どうかシルバーバーチの努力が今後とも何らかの形で認識されていくことを心から願っております。シルバーバーチ霊に神の祝福のあらんことを

 私はこうした霊的真理を折ある毎に僚友に伝え、それがこの戦地においてさまざまな波紋を呼び起こしております。私がスピリチュアリズムに関心を抱いて十五年にもなりますが、その測り知れない深さと高さを私の魂が身に沁みて味わったのは、やっとこの一、二年のことです云々・・・。

 同じくシルバーバーチを知り尊敬してきた者の一人として、このたび新たに本書を編纂することになったのも、私にとっては愛の行為の結実に他ならない。その編纂の作業が終わったのは(第二次大戦の)戦乱が終わって間もなくのことだった。(それから二か月後に日本が降伏して全面的に終結する───訳者)

 願わくは戦乱によって傷ついた暗い西欧世界にようやく訪れた平和がシルバーバーチのいう〝新しい世界〟の夜明けであってくれればと祈らずにはいられない。シルバーバーチが〝必ず来ます〟と述べ、そのためにわれわれに求めてきた視野も常にその方角である。そこにおいて初めて真の同胞精神が招来される。シルバーバーチの霊訓の基盤もまたそこにあるのである。
                                                  一九四五年六月  シルビア・バーバネル


 訳者注───この〝まえがき〟の原文はかなり長文のものであるが、他のまえがき、特に第一巻の〝古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル〟と重複する部分と、重複しなくてもあまり重要と思えない部分とがあり、それよりは霊言そのものを少しでも多く載せた方がよいとの私の判断で、それらは省いてある。 





 
  一章
 二つの世界が交わる場所
    ───ある日の交霊会───

 その日の出席者は六人だった。ロンドンのアパートの一室で小さなテーブルを囲んで座り、全員が両手をそのテーブルの上に軽く置いた。そしてスピリチュアリスト用に作られた、霊力の素晴らしさを讃える讃美歌を歌っているうちにテーブルが動きはじめる。


 そこでシルバーバーチ霊団の各メンバーがかわるがわるそのテーブルを動かすことによって挨拶した。最も、これは誰であるかが明確に分かるのは二人だけで、それ以外は挨拶の仕方にこれといった特徴はないのであるが、霊団を構成しているのが複数の男性のインディアンと英国人、二人のかつての国教会の牧師、著名なジャーナリスト一人、

アラブ人が一人、ドイツ人の化学者が一人、中国人が一人、英国人の女性が二人であることは分かっている。その全員がテーブルによる挨拶を終わるころには、そろそろ霊媒のモーリス・バーバネルの入神(トランス)の用意が整う。


 トランスは段階的に行われる。軽いトランスの段階でシルバーバーチが〝主の祈り〟を述べ、出席者との間で挨拶ていどの会話を交わす。その間によくシルバーバーチは、霊媒をもっと深くトランスさせたいのでもう少し待ってほしい、と述べることがある。

 いよいよ望み通りのトランス状態になるとシルバーバーチはまず祈りの言葉をのべ、それが速記されていく。その日の祈りは次のようなものだった。


 「神よ。私たちは到達しうるかぎりの高く尊く清きものとの調和を求めて祈りを捧げるものです。私たちはあなたの中に完全なる愛と叡知の精髄と、宇宙の全生命活動を支配する永遠不減の大精神の存在を確信いたしております。小さき人間の精神ではあなたのすべてを捉らえることはできませぬ。それゆえに人間が抱くあなたについての概念は、ことごとく真理の全体像のおぼろげな反映にすぎないのでございます。

 しかし同時に私たちは、全宇宙をその愛の中に抱擁し、規律と不変性をもって、過失も欠陥も汚損もなく統括し支配している絶対的摂理の驚異を理解することはできます。

すなわち、あなたはその叡知によって全存在の一つ一つの側面、活動の一つ一つが管理され、すべてが一つのリズムのある、調和のとれた宇宙機構の中で滞ることなく流動しております。
その中にあってあなたの子等はそれぞれの定められた位置を有し、全体に対して必須にして不可欠の役割を演じているのでございます。

 その一つ一つの小さな火花があなたの巨大なる炎の存在に貢献いたしております。私どもは各自に潜在する未熟なる霊の萠芽がその始源であるあなたとのつながりに気づき、永遠に切れることのない霊的きずなによって結ばれていることを悟ることによって、その霊性を存分に発揮することになるよう指導いたしております。


 私たちの仕事は、人間が今発揮している資質よりさらに精妙なる霊的資質を発揮することによって、今は手の届かない高所を目指し、待ち受ける霊の宝庫へ一歩でも近づこうとする向上心を鼓舞すべく、力と知識と叡知の源であるあなたの存在を説くことにあります。

 宇宙には、資格ある者なら自由にそして存分にわがものとすることのできる、莫大な霊的宝庫が存在いたします。そして地上よりはるかに広大な生活の場における新たな体験から生み出された叡知によって、地上世界に光明と豊かさをもたらさんとしている進化せる先輩霊もまた無数に存在いたします。

その活動の障害となるのは偏見と歪曲、迷信と無知、そして人間生活の暗黒面に所属するものすべてが蓄積せるものです。

 私たちは地上世界を知識の照明によって満たし、人間がつねに真理によって導かれ、あなたの愛の存在に気づいてくれることを望んでやみませぬ。そうすることがあなたからの豊かな遺産と崇高なる宿命を悟らせ、手にした真理に則った生活を送らせてあげるゆえんとなるからに他なりませぬ。

  ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます」

  少し間を置いてから一同に向かって───

 本日もこうして皆さんとともに一堂に会し、霊の世界からの私の挨拶の言葉と愛をお届けできることをうれしく思います。前回お会いして皆さんの愛の温もりを感じて以来久しぶりですが、またこの部屋を訪れて霊的仕事の回線をつなぎ、地上の人々のためにお役に立つことができることになりました」

 そう述べてから、まず最初に、しばらく病気のために欠席していた女性に向かって、
 「ようこそお出でになりました。あなたのお姿が見えないと、どうも物足りなく思えるのです」と言うと、その女性が、


 「これはまた有難いお言葉をいただいて恐縮です」 と月並みな挨拶をした。するとシルバーバーチが、

 「いえ、事実を申し上げているのです」 と真剣な調子で述べた。 (訳者注───すぐれた指導霊による交霊会ではレギュラーメンバーは何らかの存在価値を持った者が厳選されている。中にはただ出席して椅子に腰かけているだけで好影響を及ぼす人もいる)

 続いてその女性のご主人で、交霊会の速記係をしている人に挨拶をし、それから二言三言出席者と軽いやり取りをしたあと、いよいよ本題へと入っていく。たとえばその日は次のような話をした。

 「ここにおいでの皆さんは人類全体の役に立つ才能、能力をお持ちの方ばかりです。これまで、その能力ゆえに、さらに豊かな才能を持つこちらの世界の者から援助を受けてこられました。

ぜひその能力を実らせて、代わって皆さんが多くの人々によろこびを与え、さらにその人たちが自分にも世の中の役に立つ資質があることに気づいてくれるようになる───こうしてお互いがお互いにのためにという輪がどんどん広がっていきます。

 世間の中傷を気にしてはいけません。反発に動揺してはなりません。嫌悪の態度を見せられても気になさらないことです。あなた方がこの地上に生を受けたそもそもの使命に向かってひたすら努力している限り、そんなものによって困った事態になることはありません。

  地上世界にはまだまだ奉仕の精神が足りません。絶望の淵にあえぐ人が多すぎます。心は傷つき、身体は病に冒され、解決できない問題に苦悶する人が無数にいます。

 そういう人たちを真理の光の届くところまで連れてきてあげれば、悩みへの解答を見出し、乱れた生活を規律あるものにしようとする心が芽生え、すべての人間が平和と調和の中で生きていける環境作りに意欲を燃やすことになりましょう。

 休暇中に私は、長い間住みなれた界層に戻ってまいりました。そこで多くのことを見聞して、それを出来るだけ皆さんにお分けしてあげるべく、こうしてまた帰ってくるのです。

 そのとき私はあなた方のまったくご存知ない霊たち───私が誇りを持って兄弟と呼び姉妹と呼べる進化せる霊たちからの愛と善意をたずさえてまいります。その霊たちも地上の悩める者、苦しむ者、人生に疲れはてた者のために献身している私の仲間であり協力者なのです」


 こう述べてから、一転してシルバーバーチ一流のユーモアを混じえて、

 「ああ、そうそう、うっかり忘れるところでした。あなた方のことをなかなかしっかりした人たちだと感心しておりました」

 「誰がですか」 と一人のメンバーが聞くと
 「ですから、私が話をしてきた上層界の霊たちです」

 「あなたの〝秘密の参謀(ブレーン)〟ですか」 と、別のメンバーが冗談めかして聞いた。

 「いえ、いえ、そんなんじゃありません。〝父の住処〟にいる人たちです」(訳者注───ヨハネ14・2〝わが父の家には多くの住処がある〟からの引用で、これがキリスト教においてどの程度の現実味をもって理解されているか疑問であるが、 『ベールの彼方の生活』 によると、それが地上を最低界とする広大な宇宙を経綸する〝政庁〟とも言うべき実在の世界であることが分かる。

〝秘密のブレーン〟かと聞かれて〝とんでもない〟といった調子で答えているのは、人間からすれば目に見えないから秘密であるかに思えるだけで、シルバーバーチにすればごく当たり前の現実の世界なのである)

  続いて別のメンバーが友人が他界した話を持ち出すと、

 「この会(の霊団)も最初は小さな人数で始めましたが、その後どんどん数が増えて、今では大所帯となってきました。しかし、いくら増えても、これ以上入れられなくなるようなことはありませんから、ご心配なく」とユーモアを交えて述べた。



 交霊会も終わりに近づいて、シルバーバーチは最後に次のようなメッセージを述べた。

 「私はあなた方のすべてに好意を抱き、これからのちも援助の手を引っ込めるようなことは致しません。そして、きっとあなた方も私に対して好意を抱いてくださり、私の意図することに献身して下さるものと信じております。

どうか、どこのどなたであろうと、私に好意をお寄せ下さる方のすべてに私からの愛の気持ちをお伝え頂き、さらに次のメッセージをお届けください。
 
 私に対して愛念と思念と善意と祝福をお届けくださる大勢の見知らぬ方々に対して、私は喜びと感謝の気持ちをお伝えしたく思います。私は自分がそういう情愛の運び役であることを誇りに思っております。

それは私がその方たちにとって何らかのお役に立っているからこそであると信じるからであり、たとえ私の姿を御覧になることはなくても、私はその方たちのご家庭へお邪魔していることをご承知ください。実際にお伺いしてお会いしているのです。


 私にとっては愛こそが生活であり、人のために自分を役立てることが宗教であるからです。そうした私の考えにご賛同くださり、同じ生活信条を宗(むね)される方すべてを心から歓迎するものです」

  そして最後を次の言葉でしめくくった。

 「さて、みなさん、ほんの僅かな時間でもよろしい、時には日常的な意識の流れを止めて、まわりに溢れる霊の力に思いを寄せ、その影響力、そのエネルギー、永遠なる大霊の広大な顕現、その抱擁、その温もり、その保護を意識いたしましょう。

 願わくはその豊かな恵みに応えるべく日常生活を律することが出来ますように。その中で神の永遠なる摂理に適っているとの認識が得られますように。どうか神の道具としての存在価値を存分に発揮し、豊かな祝福をもたらしてくれた真理の光を輝かせて、人々がわれわれの生活をその真理の模範となすことができますように」

 そう言い終わると霊媒がいつものモーリス・バーバネルに戻り、一杯の水を飲み干して、それで会が終わりとなる。以上がある日のホームサークルであり、いつもこれと似たようなことが行われているのである。

                


     
 二章 今なぜスピリチュアリズムか

 シルバーバーチの交霊会には時おりレギュラーメンバーのほかに新参者が招かれる。その日も一人の招待客が出席していた。その客の質問に対するシルバーバーチの答えは、さながらスピリチュアリズムの要約の観があるので紹介しよう。

 「私たち霊団の仕事の一つは、地上へ霊的真理をもたらすことです。これは大変な使命です。霊界から見る地上は無知の程度がひどすぎます。その無知が生みだす悪弊は見るに耐えかねるものがあります。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれがひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。

地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は魔法のように突如として言葉では尽くせない程の喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とはほど遠い話です。

 死んで霊界へ来た人は───初期の段階においては───地上にいた時と少しも変わりません。肉体を棄てた───ただそれだけのことです。個性は少しも変わりません。性格は全く一緒です。習性も特性も性癖も個性も地上時代そのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。

貪欲な人は相変わらず貪欲です。無知な人は相変わらず無知のままです。悩みを抱いていた人は相変わらず悩んでいます。少なくとも霊的覚醒が起きるまではそうです。

 こうしたことが余りに多すぎることから、霊的実在についてある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。そこで私のような者が永年にわたって霊的生命についての真理を説く仕事にたずさわってきたわけです。

霊的というと、これまではどこか神秘的な受けとられ方をされてきましたが、そういう曖昧なものでなしに、実在としての霊の真相を説くということです。そのためには何世紀にもわたって受け継がれてきた誤解、無知、偏見、虚偽、偽瞞、迷信───要するに人類を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力のすべてと闘わねばなりませんでした。

 私たちはそうした囚れの状態に置かれ続けている人類に霊的解放をもたらすという目的を持って一大軍団を組織しました。お伝えする真理はいたって単純なものですが、それにはまず証拠になるものをお見せすることから始めなければなりません。

 すなわち偏見を棄てて真摯な目的、真実を知ろうとする欲求を持って臨む者なら誰にでも得心がいくものであることを明らかにしなければなりません。あなた方の愛する人々はそちら側からそのチャンスを与えてくれさえすれば、然るべき通路(霊媒)を用意してくれさえすれば、死後もなお生き続けていることを証明してくれます。

 これは空想の産物ではありません。何千回も何万回も繰り返し証明されてきている事実を有りのままに述べているまでです。もはや議論や論争のワクを超えた問題です。もっとも、見ようとしない盲目者、事実を目の前にしてもなお認めることができなくなってしまった、歪んだ心の持ち主は論外ですが。


 以上が第一の目的です。〝事実ならばその証拠を見せていただこう。われわれはもはや信じるというだけでは済まされなくなっている。あまりに永い間気まぐれな不合理きわまる教義を信じ込まされてきて、われわれは今そうしたものにほとほと愛想をつかしてしまった。

われわれが欲しいのはわれわれ自身で評価し、判断し、測定し、考察し、分析し、調査できるものだ〟───そうおっしゃる物質界からの挑戦にお応えして、霊的事実の証拠を提供するということです。

 それはもう十分に提供されているのです。すでに地上にもたらされております。欲しい人は自分で手にすることができます。それこそが私がこれまであらゆる攻撃を耐え忍び、これからもその砦となってくれる〝確定的事実〟というスピリチュアリズムの基礎なのです。もはや、〝私は信じます。私には信仰というのがあります。

私には希望があります〟といったことでは済まされる問題ではなくなったのです。〝事実なのだからどうしようもありません。立証されたのです〟と断言できる人が数え切れないほどいる時代です。


 人類史上初めて宗教が実証的事実を基礎とすることになりました。神学上のドグマは証明しようのないものであり、当然、議論や論争がありましょう。が、死後の存続という事実はまともな理性を持つ者なら必ず得心するだけの証拠が揃っております。

しかし、証明された時点から本当の仕事がはじまるのです。それでおしまいとなるのではありません。まだその事実を知らない人が無数にいます。その人たちのために証拠を見せてあげなくてはなりません。少なくとも死後にも生命があるという基本的真理は間違いないのだという確証を植え付けてあげる必要があります。

 墓の向こうにも生活があるのです。あなた方が〝死んだ〟と思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。しかも、地上へ戻ってくることもできるのです。げんに戻ってきているのです。しかし、それだけで終わってはいけません。

死後にも生活があるということはどういうことを意味するのか。どういう具合に生き続けるのか。その死後の生活は地上生活によってどういう影響を受けるか。二つの世界の間にはいかなる因果関係があるのか。

 死の関門を通過したあと、どういう体験をしているのか。地上時代に口にしたり、行ったり心に思ったりしたことが役に立っているのか、それとも障害となっているのか。こうしたことを知らなくてはいけません。


 また、死後、地上に伝えるべき教訓としていかなることを学んでいるのか。物的所有物のすべてを残していった後に一体何が残っているのか。死後の存続という事実は宗教に、科学に、政治に、経済に、芸術に、国際関係に、はては人種差別問題にいかなる影響を及ぼすのか、といったことも考えなくてはいけません。

そうなのです。そうした分野のすべてに影響を及ぼすことなのです。なぜなら、新しい知識は永い間人類を悩ませてきた古い問題に新たな照明を当ててくれるからです。

 いかがです?大ざっぱに申し上げた以上の私の話がお役にたちましたでしょうか」

 「お話を聞いて、すっきりと理解がいったように思います」

 「もう一つ申し上げたいことがあります。そうした問題と取り組んでいく上において私達は暗黒の勢力と反抗勢力、そして、そうした勢力に加担することで利益を確保している者たちに対して間断なき闘いを続けていかねばなりませんが、同時に、不安、取越苦労といった〝恐怖心〟との闘いも強いられているということです。

 地上の人間と霊界の人間との間にはその関係を容易にする条件と、反対に難しくする条件とがあります。誤解、敵意、無知、こうした障害はお互いの努力によって克服していけるものです。そのために私たちが存分に力を発揮する上で人間側に要求したい心の姿勢というものがあります。あなた方は肉体を携えた霊であり、私たちは肉体のない霊です。そこに共通したものがあります。〝霊〟というつながりです。

 あなたも今この時点において立派に霊的存在なのです。死んでから霊的存在となるのではありません。死んでから霊体をさずかるのではありません。死はただ単に肉体という牢獄から解放するだけです。小鳥が鳥カゴを開けてもらって大空へ飛び立つように、死によってあなた方は自由の身となるのです。

 基本的にはあなた方人間も〝霊〟としてのあらゆる才能、あらゆる属性、あらゆる資質が具わっております。今はそれが未発達の形で潜在しているわけです。もっとも、わずかながらすでに発現しているものもあります。

その未発達のものをこれからいかにして発現していくか、本当のあなたを表現していくにはどうしたらよいか、より大きな自我を悟り、神からの素晴らしい遺産を真に我がものとするにはどうすればよいかを私たちがお教えすることができるのです。


 しかし、いかなる形にせよ、そうした使命を帯びて地上へ戻ってくる霊は、必然的にある種の犠牲を強いられることになります。なぜならば、そのためには波長を地上の低い波長に合わさなければならない───言いかえれば、人間と接触するために霊的な波長を物的な波長へと転換しなければならないからです。

 人類の大半を占める人たちがまだ霊的なものを求める段階まで達していません。言いかえれば、霊的波長を感受する能力を発揮しておりません。ごく少数の人たちを除いて、大部分の人々はそのデリケートな波長、繊細な波長、高感度の波長を感じ取ることが出来ないのです。

 そこで私たちの方から言わば階段を下りなければならないのです。そのためには当然、それまで身につけた霊的なものの多くをしばらくのあいだ置き去りにしなければなりません。

 本当ならば人間側にも階段を上がってもらって、お互いが歩み寄るという形になれば有難いのですが、それはちょっと望めそうにありません。

 しかし、人間が霊的存在であることに変わりはありません。霊的資質を発揮し、霊的な光輝を発揮することが出来れば、不安や疑いの念などはすべて消滅してしまいます。霊は安心立命の境地において本来の力を発揮するものです。

 私たちが闘わねばならない本当の敵は無用の心配です。それが余りに多くの人間の心に巣くっているのです。単なる観念上の産物、本当は実在しない心配ごとで悩んでいる人が多すぎるのです。そこで私は、取越苦労はおやめなさいと、繰り返し申し上げることになるのです。

自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物というものは決して与えられません。しかも、あふれんばかりの自信に満ちた雰囲気の中で生きていれば、霊界から援助し、導き、支えてくれるあらゆる力を引き寄せることになるのです。

 このように、霊的な問題は実に広大な範囲にまたがる大きな問題なのです。人生のあらゆる側面にかかわりを持っているのです。ということは、これからという段階にいらっしゃるあなたには、探検旅行にも似た楽しみ、新しい霊的冒険の世界へ踏み込む楽しさがあるということでもあるのです。どうか頑張ってください」


 「死後どのくらいたってから地上へ戻って来るのでしょうか」


 「それは個々の事情によって異なります。こちらへ来て何世紀にもなるのに自分の身の上に何が起きたかが分からずにいる人もいます」


 「自分が死んだことに気づかないのです」 とレギュラーメンバーの一人が口添えをするとシルバーバーチが───

 「一方にはちゃんとした霊的知識を携えた人もいます。そういう人は、適当な霊媒さえ見つかれば、死んですぐにでもメッセージを送ることはできます。そのコツを心得ているのです。このように、この問題は霊的知識があるか否かといった条件によって答えが異なる問題であり、単純にこうですとはお答えできません。

 私たちが手を焼くのは、多くの人が死後について誤った概念を抱いたままこちらへ来ることです。自分の想像していた世界だけが絶対と思い、それ以外ではあり得ないと思い込んでいます。一心にそう思い込んでいますから、それが彼らにとって現実の世界となるのです。私たちの世界は精神と霊の世界であることを忘れないでください。思ったことがそのまま現実となるのです」


 ここでシルバーバーチはレギュラーメンバーの中で心霊治療能力を持っている人にひとこと助言してから、再びその新参者に───

 「この心霊治療というのも私たちの大切な仕事の一つなのです。治療家を通路として霊界の治癒エネルギーが地上の病的身体に注がれるのです。このように私たちの仕事は、いろんな側面、いろんな分野を持った、ひじょうに巾の広い仕事です。初心者の方は面食らうこともあると思いますが、間違い無く真理であり、その真実性を悟られた時にあなたの生活に革命が起こります。

 宗教の世界では〝帰依〟ということを言います。おきまりの宣誓文句を受け入れ、信仰を告白する──それでその宗教へ帰依したことになるというのですが、本当の帰依というのは霊的真理に得心がいって、それがあなたという存在の中にしっくりと納まることをいうのです。

 その時からその人は新しい眼を通して、新しい確信と新しい理解とをもって人生を見つめます。生きる目的が具体的に分かるようになります。神が全存在のために用意された計画の一端がわかりはじめるからです。

 ある人は政治の分野において生活の苦しい人々、社会の犠牲となっている人々、社会に裏切られた人々、よるべなき人々のためにその霊的知識を生かそうと奮い立ちます。ある人は宗教の世界へ足を踏み入れて、死に瀕している古い教義に新しい生命を吹き込もうとします。

ある者は科学の実験室に入り、残念ながらすっかり迷路にはまってしまった科学者の頭脳に霊的なアイディアを吹き込もうと意気込みます。また芸術の世界へ入っていく者もいることでしょう。

 要するに霊的真理は人生のすべての分野に関わるものだということです。それは当然のことです。なぜなら生命とは霊であり、霊がすなわち生命だからです。霊が目を覚まして真の自分を知った時、すなわち霊的意識が目覚めたとき、その時こそ自分とは何者なのか、いかなる存在なのか、なぜ存在しているのかということに得心がいきます。

それからの人生はその後に宿命的に待ち受ける、より豊かでより大きな生命の世界への身支度のために〝人のために自分を役立てる〟ことをモットーとして生きるべきです。


 どうぞこれからも真理探求の旅をお続けください。求め続けるのです。きっと与えられます。要求が拒絶されることは決してありません。ただし、解答は必ずしもあなたが期待した通りのものであるとはかぎりません。あなたの成長にとって最善のものが与えられます」


 最後に出席者全員に向かって次のような別れの言葉を述べた。

 「われわれは大いなる神の計画の中に組み込まれていること、一人ひとりが何らかの存在価値を持ち、小さすぎて用の無い者というのは一人もいないこと、忘れ去られたりすることは決してないことを忘れないようにしましょう。


そういうことは断じてありません。宇宙の大霊の大事業に誰しも何らかの貢献ができるのです。霊的知識の普及において、苦しみと悲しみの荷を軽くしてあげることにおいて、病を癒してあげることにおいて、同情の手を差し伸べることにおいて、寛容心と包容力において、われわれのすべてが何らかの役に立つことができるのです。

 かくして各自がそれぞれの道において温かき愛と悠然たる自信と確固たる信念を持って生き、道を失った人々があなた方を見て、光明への道はきっとあるのだと、感じ取ってくれるような、そういった生き方をなさってください。それも人のために役立つということです。では、神の祝福の多からんことを」


 その日の交霊会はそれで終わり、続いて次の交霊会に出たシルバーバーチは、その間に帰っていた本来の上層界での話に言及してこう述べた。

 「いつものことながら、いよいよ物質の世界に戻ることになった時の気分はあまり楽しいものではありません。課せられた仕事の大変さばかりが心にあります。しかし皆さん方の愛による援助を受けて、ささやかながら私の援助を必要としている人たち、そしてそれを受け止めてくださる人たちのために、こうして戻ってくるのです。

 これまでのしばしの間、私は本来の住処において私の僚友とともに過ごしてまいりましたが、どうやら私たちのこれまでの努力によって何とか成就できた仕事についての僚友たちの評価は、私が確かめたかぎりにおいては満足すべきものであったようです。これからも忠誠心と誠実さと協調精神さえ失わなければ、ますます発展していく神の計画の推進に挫折が生じる気遣いは毛頭ありません。

 その原動力である霊の力が果たしてどこまで広がり行くのか、その際限を推し量ることは私にもできません。たずさわっている仕事の当面の成果と自分の受け持ちの範囲の事情についての情報は得られても、その努力の成果が果たして当初の計画どおりに行っているのかどうかについては知りませんし、知るべき立場にもないのです。

私たちの力がどこまで役立っただろうか───多くの人が救われているだろうか、それとも僅かしかいなかっただろうか───そんな思いを抱きながらも私たちはひたすら努力を重ねるだけなのです。しかし上層界にはすべての情報網を通じて情報を集めている霊団が控えています。必要に応じて大集会を催し、地上界の全域における反応をあらゆる手段を通じてキャッチして、計画の進捗具合を査定し評価を下しているのです。

 かくして私たちにすら知り得ない領域において、ある種の変化がゆっくりと進行しつつあるのです。暗闇が刻一刻と明るさを増しつつあります。霧が少しずつ晴れていきつつあります。モヤが後退しつつあります。無知と迷信とドグマによる束縛と足枷から解放される人がますます増えております。

自由の空気の味を噛みしめております。心配も恐怖もない雰囲気の中で、精神的に、霊的に自由に生きることのすばらしさに目覚めつつあります。自分がこの広い宇宙において決して一人ぼっちでないこと、見捨てられ忘れ去られた存在でないこと、無限なる愛の手が常に差しのべられており、今まさに自分がその愛に触れたのだということを自覚し、そして理解します。

人生は生き甲斐のあるものだということを今一度あらためて確信します。そう断言できるようになった人が、今日、世界の各地に広がっております。かつてはそれが断言できなかったのです。

 こうしたことが私たちの仕事の進捗具合を測るものさしとなります。束縛から解放された人々、二度と涙を流さなくなった人々がその証人だということです。これから流す涙はうれし涙だけです。

心身ともに健全となった人々、懊悩することがなくなった人々、間違った教義や信仰が作り出した奴隷状態から逃れることが出来た人々、自由の中に生き、霊としての尊厳を意識するようになった人々、こうした人達はみな私たちの努力、人類解放という気高い大事業に携わる人たち全ての努力の成果なのです。

 これからもまだまだ手を差し伸べるべき人が無数にいます。願わくは私たちの手の届く限りにおいて、その無数の人々のうちの幾人かでも真の自我に目覚め、それまで欠けていた確信を見出し、全人類にとって等しく心の拠りどころとなるべき永遠の霊的真理への覚醒をもたらしてあげられるように───更生力に富み活性力と慰安力にあふれ、

気高い目標のために働きかける霊の力の存在を意識し、代わって彼らもまたいずれはその霊力の道具となって同じ光明をますます広く世界中に行きわたらせる一助となってくれるよう、皆さんとともに希望し、祈り、決意を新たにしようではありませんか。


 真理はたった一人の人間を通じてもたらされるものではありません。地球上の無数の人々を通じて滲透していくものです。霊力の働きかけがある限り人類は着実に進歩するものであることを忘れないでください。今まさに人類は霊的遺産を見出し始め、霊的自由をわがものとし始めました。

そこから湧き出る思い、駆り立てられるような衝動、鼓舞されるような気持ちは強烈にして抑え難く、とうてい抑え通せるものではありません。霊の自由、精神の自由、身体の自由にあこがれ、主張し、希求してきた地球上の無数の人々を、今、その思いが奮い立たせております。

 こうして、やがて新しい世界が生まれるのです。王位は転覆され、権力的支配者は失脚し、独裁者は姿を消していきます。人類はその本来の存在価値を見出し、内部の霊の光が世界中に燦然と輝きわたることでしょう。

 それは抑え難い霊的衝動の湧出(ゆうしゅつ)によってもたらされます。今まさにそれが更生の大事業を推進しているのです。私がけっして失望しない理由はそこにあります。私の目に人類の霊的解放というゴールへ向けての大行進が見えるからです」

 
 ここでメンバーの一人が 「歴史を見ても人類の努力すべき方向はすでに多くの模範が示してくれております」 と言うと、

 「そうなのです。訓えは十分に揃っております。いま必要なのはその実行者です」と述べ、最後にこう締めくくった。

 「そこで、その実行者たるべきわれわれは、悲しみに打ちひしがれた人々、重苦しい無常感の中にあって真実を希求している無数の人々の身の上に思いを馳せましょう。われわれの影響力の行使範囲まで来た人々に精一杯の援助を施し、慰めを与え、その悲しみを希望に変え孤独感を打ち消して、人生はまだお終いではないとの確信を持たせてあげましょう。


 無限の宝を秘めた神の貯蔵庫から霊力を引き出しましょう。われわれに存在を与え給い、みずからのイメージに似せて創造し給い、神性を賦与してくださった大霊の生きた道具となるべく、日常生活においてわれわれ自身を律してまいりましょう。

われわれがその大霊の計画の推進者であることを片時も忘れず、謙虚さと奉仕の精神と、託されたその信託への忠誠心を持って臨む限り何一つ恐れるものはないこと、いかなる障害物も太陽の輝きの前に影のごとく消滅していくとの確信のもとに邁進いたしましょう」

                


     
 三章 戦地でも愛読された霊訓

 ハンネン・スワッハー・ホームサークルにとっての最大の危機は第二次世界大戦の勃発だった。
波長の乱れによって霊的回線が混乱し、時には切れてしまったりして、その補修工事をしながらどうにか切り抜けたが、霊団の中には 「もう無理です。当分中止しましょう」 と進言する者もいたらしい。

が、シルバーバーチは地上人類もかつてない危機にひんしている、今こそ自分たちの存在価値があるとの主張を貫き通し、週一回の交霊会を止めなかった。


 そのシルバーバーチの期待どおり、霊言集は遠い戦地へも届き、傷心と孤独の中の軍人に生きる希望と自信を与えた。陸軍、海軍、空軍はもとより、商船隊の乗組員、本国の民間軍属、防空対策員、家庭にあって子供を守る母親、負傷した人たち、そして病気の人々と、ありとあらゆる階層の人がシルバーバーチの霊訓によって慰めを得ていた。その大戦もそろそろ終局へと向かいつつあったころ、シルバーバーチはこう述べた。


 「今はまさに地上のあらゆる思想・制度がるつぼの中へ放り込まれ、改革を余儀なくさせられている重大な時期です。古い制度が消滅し、昨日の権威への敬意を失った男女が、果たして明日は何をもたらしてくれるであろうかと期待しております。

 無数の平凡な男女が、かつてない苦しみの中でかつてない勇気を出すことによって、そこに人間の到達しうる限りの高所と、理想に燃えたときの人間の忍耐力の可能性を示しました。

 しかし同時にこの時期は、短かったとはいえ人間の残忍性の奥をのぞかせた時期でもありました。つまり人間の到達しうる限りの気高さと醜さの極限を見せてきました。言いかえれば人間の霊性の素晴らしさを見せると同時に、堕落した時の極悪非道ぶりも見せつけたのです。

 しかし、いずれも同じく人間のしたことです。霊と肉の両極から成り立っている存在だからです。そのどちらがより強く人間を操るかによって生じる差にすぎません。霊の道を選ぶか、それとも肉の道を選ぶかの差です。私たち霊界の者にはもはや肉体はありません。ですから、民族、国家の別、肌の色、教義、階級の違いの観点から物事を処理することはしません。

 人間がとかくこだわる境界線とか制限区域といった観念にはとらわれません。全人類を神性という共通の要素をもった霊的存在としてみます。一人一人が全体にとって無くてはならぬ存在なのです。

 肉体が死ぬと人間は霊界の存在となり、地上的束縛のすべて───それまで自分の本来の姿を見る目を曇らせてきたもの、無意味な残酷さへ追い立ててきた狭量さ、長い間地上のガンとなってきたケチくさい不寛容精神と利己主義のすべてをかなぐり棄てます。

 大切なのは、あなた方はもともと霊的存在であり、果たすべき霊的宿命を持ってこの地上にあるという認識です。ですから、これからの新しい時代は霊的真理を土台として築かなければなりません。証拠を持って立証されたという意味において真理といえるものを土台としなければなりません。

(その霊的真理から生まれる)寛容精神と善意と愛と奉仕精神と協調心を持って臨めば、地上に恒久的平和と調和のとれた世界を招来することが出来るでしょう。

古い概念にとらわれ、憎み合い、国家間の不和、民族と肌の色と階級の違いにこだわり続けているかぎり、地上に戦争のタネは尽きないことになります。戦争は、とどのつまりは、憎悪と利己心と物質的な私利私欲から生れるものだからです。


 かつて崇高な精神の持ち主たちを暴虐と暗黒の地上の浄化へと駆り立てたのと同じ精神が、この度の大戦が終結したあとに訪れる世界においても人々を鼓舞しなければいけません。それ以外に地上再生の道はありません。私たちの世界には、かつて地上において自由解放の理念のために、いわゆる〝一死奉公〟の精神に殉じた人々が数えきれないほどいます。

その人たちを二度と裏切ることがあってはなりません。かつての暗黒時代に見事に開花した理想主義の理念を忘れてはなりません。すべてが荒涼として絶望的に見えた時代になお息づいていた僚友精神を忘れてはなりません。

 人類はイザとなれば至善至高のものを出すだけの力を具えているのです。奉仕活動への呼びかけ、すべての者にとって地上をより良く、より公平に、より豊かにしようとする願望に対して応える資質を、人間は立派に具えているのです。ところが残念ながら、いつの時代にも、飽くなき欲望に駆られる人間、自分の利益しか考えない人間、人類全体の福祉、人の理想、人類の全てに宿る神からの霊的遺産に対してまるで無頓着な人種がいるものです。

そうした種類の人間に対して皆さんは敢然と立ち向かわなくてはいけません。これは終りなき闘いです。貪欲と利己主義への闘いです。人類を本来の歩むべき道から堕落させ、折角の遺産を詐取しようとする連中です。

 私たちの説く真理はもとより愛する者を失った悲しみの人々に慰めをもたらしてあげることも大切な目的ですが、開発可能な人間の霊的資質の奥を披露し、虐げられた人々や生活に困窮している人たちの救済に身を捧げようとする者、地上の豊かな恵みをすべての人に平等に行きわたらすための活動に奉仕する人たちに、よろこびと勇気とを与えてあげることも目的としております。

 そうした使命を持つ私たちに、この戦時下にあって愛慕の念を失うことなく協力し続けて下さった皆さんを私は心から誇りに思っております。あなた方の協力なくしては推進できなかった困難な仕事でしたが、あなた方は、私にそれをお受けする資格があるとの自信が持てない程の忠誠心を持って、私への協力を惜しみませんでした。

 いついかなる時も、皆さんは私がきっと成就して見せますと約束した使命の継続を可能にしてくださいました。そのことに私は心から感謝しております。なぜなら、それが不安を抱えながら生きている人々に確信を与え、霊的知識の聖域へと導き、その聖域において生気を取り戻したその人たちが私たちに代わって霊的知識の普及に邁進してくれることになったからです。

 しかし、これまで成就してきたことは、これから成就していくべきものに較べれば、物の数ではありません。数えきれないほどの人々があなた方のなさっていることに、一抹の恐れを抱きつつも期待の眼差しを向け、苦悶の中にあって自分たちに幾らかでも慰めを与えてくれるだろうか、絶望の中にある自分たちに一かけらでも希望の光を与えてくれるだろうか、混沌としているこの時代に少しでも平穏をもたらしてくれるだろうかと思っております。

 そこに私達の耕す土地があります。そこに、何時かはきっと花を咲かせてくれる知識の種子を蒔いてあげたいのです。

 われわれは見せかけは独立した存在ですが、霊的には一大統一体を構成する部分的存在です。そうして、どこにいても、まわりには物的束縛から解放された先輩霊の一大軍勢が待機し、地上へ働きかけるための手段(受容性に富む人間)を求めて常時見張りを続けており、過去の過ちを繰り返さぬために、

そして平凡な日常生活から人間が叡知を学び地上生活が実のあるものになってくれるように霊的知識を少しでも多く授けたいと願っている、そうした事実を認識して、これからの仕事に臨もうではありませんか。われわれは愛と叡知によって導かれ、知識とインスピレーションによって支えられている、偉大にして遠大な目的のための道具であることを片時も忘れぬようにいたしましょう。


 願わくは託された使命に恥じないだけの仕事に励むことが出来ますように」

 同じ趣旨のことを別の交霊会で次のように訴えている。

 「私たちの仕事はこちら側とそちら側の双方に存在する〝無明〟という名のベール、人間精神が暗黒であるがゆえに生み出される愚かさと無知と迷信のベールを取り除くことです。

 あなた方は今まさに、その無知を助長し真理の普及を妨げ啓発と改善に抵抗してきた勢力の崩壊と解体を目の当たりにしておられます。そうした勢力はけっきょく私たちに霊的生活への備えが何もできていない人間的難破貨物、人生への海をいずこともなく漂う漂流物というツケを回してくれました。そうした人生の落伍者を啓発し、地上で犯した悪行のすべての償いをさせるための努力がえんえんと続けられねばならないのです。

 とは言っても、私たちは別に難解な真理を説いているのではありません。いたって単純なことばかりなのです。いたって分かり易い、筋の通ったことばかりであり、それがなぜこうまで誤解を受けなければならないのか、なぜこうまで反撃されねばならないのか、なぜこうまで敵意を向けられねばならないのか、ただただあきれ返るばかりなのです。

 もしも私たちのもたらすメッセージが人類に永遠の地獄行きを宣告し、いったん神に見放されたら二度と救われるチャンスはないと説き、神とは人間を憎しみをもって罰し、責め立て、ムチ打つことまでする恐ろしい魔神であると述べているのであれば、こうした敵対行為も容易に理解できましょう。

しかし私たちのメッセージは愛と奉仕のメッセージなのです。生命は永遠にして無限であり、死は存在しないこと、人間の一人一人が宇宙の創造という大目的の一翼を担う存在であると説いているのです。

人間は物的身体ではなく永遠なる霊的存在であり、年令とともに衰えることなく、内部の神性が開発されるに連れてますます光輝を増していく存在であると説いているのです。


 また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはないこと、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。

死は決して愛する者との間を永遠に引き裂くものでないこと、いつかは必ず再会の時が訪れること、それも、どこやら遠い遠いところにある摑みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりも遥かに実感のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。


 善はみずから報酬をもたらし、罪と悪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることも出来ません。誰にも出来ません。

たとえ豪華な法衣をまとっていても、あるいは高貴な〝上級聖職階〟を授かっていても、神とあなたとの間の仲介役の出来る人は一人もいないのです。


あなたに存在を与え、全生命を創造された大霊の力から片時も離れることは無いのです。苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更生のチャンスが与えられるのです。神から授かった才能が永遠に使用されることなく放置されることはありません。何時かはそれを存分に発揮できる環境が与えられます。

 以上、私たちが宣言する良い知らせの幾つかを述べてみました。真面目な男女の心にきっと喜びをもたらす事柄ばかりであるはずです。なのに私達は宗教界のリーダーを持って任じる者達からの反抗に遭っております。

地上世界を暗黒の奈落へと突き落とした張本人たち、復讐心に燃える神、残忍にして嫉妬深く、専横で独裁的で執念深い存在の物語をあふれさせた宗教家たち、教義の方が行為に優先するなどと説き、神の裁きも信仰の告白によってお目こぼしがあるかのように説く者たち、こうした者たちが私たちに反抗し、私たちの説く霊的真理は悪の親玉、暗黒の魔王が仕かけているワナであると宣伝する仕末です。


 しかし時すでに遅しです。彼らにはもはや人類の宿命をねじ曲げる力はありません。人間の一人一人に宿る霊性の発露を妨げることはできません。それが神の摂理なのです。いま私は彼らに対して酷しい言葉を用いましたが、私の心の奥では彼らに対する大いなる憐みの情を抱いております。

なぜなら私の目的は彼らを非難することではなく、真理と知識と叡知を普及することにあるからです。

 知識こそすべての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生から喜びと美しさと豊かさを見出すことはできません」

               


    
  四章 若き軍人と語る

 シルバーバーチと語ることを永年の夢にしていた英国陸軍第八部隊所属の一軍人が、念願かなってハンネン・スワッハー・ホームサークルに招かれた。本来はフリート街の青年ジャーナリストである。

(訳者注──フリート街は英国の一流新聞社が軒を連ねているところで、そこの御意見番的存在だったのがほかならぬハンネン・スワッハーで、そういう関係からこの青年軍人も出席が叶えられたのであろう)


 青年は早くからシルバーバーチの霊訓に魅せられ、これまでの霊言の一語として読んでないものはないというほどだった。そして輸送船の中で、野営地において、あるいは戦場において戦友と議論を闘わせてきた。それだけにシルバーバーチへの質問には〝永遠〟の問題など難解なものも飛び出したが、例によってシルバーバーチは直截簡明(ちょくせつかんめい)に答えている。

 まずシルバーバーチからこう語りかけた。
 「あなたは英国の軍人でいらっしゃいますが、あなたにもぜひ参加していただかねばならない、もっと大きな戦いがあります。何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。霊的真理に対して絶対的忠誠心を持って臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。

 あなたへ届けられる〝召集令状〟は人のために自分を役立てることを求めています。勲章は授けてくれません。バッジもくれません。襟章もつけてくれません。等級もありません。しかし、絶対的な忠誠心と堅忍不抜の献身的精神を持って臨めば、必ずや勝利を手にすることが出来ることを私たちがお約束します。

どうかあなたも地上世界を毒している諸悪の駆逐のために私たちの味方になってください。私たちの新たな道具として一命を捧げていただけませんか。あなたの行為によってたった一人の魂でも救われれば、それだけで、あなたの人生は無駄でなかったことになります。私たちの仕事はそのようにして推進されていくのです」


── 一人の人間のすることは多寡(たかが知れてるように思えるのです。軍隊にいるとただ語り合うことしかできません。

 「そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。私は決して自惚れてでかい口をきいているのではありません。私にも謙虚な精神と哀れみの情はあります。私もかつてはとても無理と思える仕事を仰せつかりました。地上の方にはまったく無名のこの私が、この声と素朴な訓え以外には何の資産もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。


 おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者に必ず授けられる強大な霊力が控えております。

私はあらゆる逆境と困難と障害の中にあって一人の人間(バーバネル)に目星をつけました。その人間を私の目的に沿って鍛錬し、さらに、試行錯誤を繰り返しつつも忍耐づよく、真理普及という仕事に協力してくれる人間(サークルのメンバー)を探し求めました。

何かの報酬と引き替えに募ったのではありません。献身的精神を吹き込んでみたときの反応だけで募ったのです。そして、ごらんなさい、僅かな年数のうちに、われわれを伝達手段として、誇りある道具として、霊的真理が全世界に広まりました。

 かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。そのたった一人の人間が愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上にもたらしました。

 たった一人で大きな仕事を始めた人はほかにもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。

 いかがです? たった一人でも大きな仕事ができることを示す例をもっと上げてほしいですか。あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな戦いにおいて私たちの味方となった方には〝敗北〟はありません。

時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、我々は絶え間なく前進し続けております。


 私は古い霊です──皆さんからそう見られております。(訳者注──old(オールド)という用語を用いているが、時間のない霊界には古いとか新しいとか若いとか年老いたといった表現は存在しない。ただ紀元前一千年頃に地上生活を送ったことがあり、地上的年齢計算でいくと三千歳になるという意味でそう言ったわけである。霊界には魂の成熟度しかない)
 
私くらいになると人間の可能性というものがわかります。その私からあなたに激励の言葉を述べさせていただきましょう。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。そうです。私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。

よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくれる人の協力を必要とする大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を寛容の精神で他人に披露して、その良さを知ってもらうための努力を忍耐ずよく続けてください。そのうちきっと少しずつ変革が生じていることに気づかれます。


 それしか方法が無いのです。集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛を持って、真実を説くことによって、一人ひとり得心させて行かねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」


──そう思います。しかしそれには気の遠くなるような時間が掛かります。  

 「ある人が言ってますよ。地球はあなたが生まれる前から存在し、あなたが去った後もずっと存在するであろう、と。その地上でのご自分の束の間の人生を、なんとか価値あるものにすることに(余計な心配をせずに)専心なさることです。
 
たった一個の魂のためにあなたを役立てることが出来れば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになります」


──でも、生涯を何一つ他人のためになることをせずに終わる人が大勢います。

 「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていく──それが摂理なのです。私は若者特有の熱誠や情熱に水をさすつもりは毛頭ありません。私がこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする──これが一ばんです。


人間を導く上で私たちはそれを一ばんの拠りどころとしています。だからこそ説得力があるのです。そうした方針でやってきて、結構私たちは、多くの方が気づいておられる以上に大きな進歩を遂げております。

 失望なさってはいけません。私たちは決してあなた方を失望させるようなことはしません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用する用意があるからです。この資源は無尽蔵なのです。
 
それを活用して、あなたがどんな境遇に置かれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくように致します。

 奉仕こそ霊の通貨(コイン)なのです。宗教とは何かと問われれば私は躊躇なく申し上げます。──いつどこにいても人のために自分を役立てることです。と、神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、経典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味がありましょう。

ステンドグラスの窓にしたからどうなるというのでしょう。法衣をまとったからといってどう違うというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。

 自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。


 私がわざわざ地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついていさえすれば、道を誤ることはありません。知識を広めることです。時には拒否され、時には嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。

しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたはあなたの為すべきことをなさったのです。

 しかし一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちの役に立てば、それだけで少なくともあなたの人生は存在価値を持つことになります。

 どうか私がこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりにほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。

それが自我の霊的本性の持つ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物(ほうもつ)は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。


 私たちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪せる心配がありません。永遠に価値を発揮し続けます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での光輝あふれる照明となってくれます」

   
──私たち兵士が外地を転戦したとき、敵の方が悪いのだと思って戦いました。しかし、その敵軍を構成している一人一人も、その戦いにかける理想があればこそ戦っているのだということが分かってきました。こうした場合、罪の報いはどうなるのでしょうか。我々は敵が悪いと思って戦い、敵は自分たちこそ正しいと思って戦っているのです。



 「いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物ごとを見ないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている近視眼的無分別に振り回されることはないということを忘れないでください。

さらに大切なこととして、今定住している霊的世界における神の摂理の働きを体験してきた私たちは、地上の人間を悩ませる問題を人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じ視野で捉えていないということを知ってください。

  以上の大切な前置きを大前提として申し上げますが、そうした問題において何よりもまず第一に考慮すべきことは〝動機〟です。自分は正しいことをしているのだと真剣に思い込んでいる人は、魂に罪過を負わせることにはなりません。いけないことと知りつつなおも固執する人間は明らかに罪過を犯していることになります。

なぜなら道義心を踏みにじり魂の進化を阻害していることになるからです。私たちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人一人が国家の法律でなく大自然の摂理によって裁かれるのです」



──善と悪は何を規準にして判断したらよいのでしょうか。人間一人ひとりの問題でしょうか、それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか。

 「一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれているのです。これまでに何度となくこの問題を持ち出されましたが、私には一貫して主張している見解があり、それをみじんも変更する必要を認めません。これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として私はこう申し上げております。

すなわち、正常な人間であるかぎり、言いかえれば精神的・知的に異常または病的でないかぎり、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。

考えること、口にすること、行うことを正しく導く不変の指標です。それがいかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。


 それを人間は、時として揉み消し、時として言い訳や屁理屈で片づけようとします。が、真の自我はちゃんと分かっているのです」


 このあと議論が発展して難解な哲学的思考(スペキュレーション)の域まで入った時、シルバーバーチは一応それに対応したあと、こう述べた。


 「私は実用志向のタイプです。今日の地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たないと思われる方向へ議論が流れかけた時はいつもお断りしております。私は今地球が必要としているのは基本的な霊的知識であるとみています。

人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発現を妨げているからです。


 地上世界を見回すと、素晴らしい花園であるべきところに醜い雑草が生い繁り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこで私はこう言うのです───まずそうした基本的な問題と取り組みなさい──戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に宣戦布告なさい、と。

 人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利──神の直射日光を浴び、自由の喜びを味わう権利を奪う、あらゆる敵と戦うのです。

 人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもしあなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々がその普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方たちにこう忠告してあげてください──基本的な目的は難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです、と」


──私もそう思います。しかし、インドのような国に目をやり、食べるもの、着るものさえ満足に恵まれない民衆のことを思うと、複雑な気持ちになります。いかにしてインドを救うべきか──これは大変な仕事のように思えます。


 「いいえ、霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗闇の中で暮らさせている教条主義の呪いから解放しさえすればよいのです。

 永い間〝宗教〟の名を持って呼ばれてきた、ただの古代神話、伝説にすぎないものを棄ててその拘束から脱する方法を教え、代わって霊的真理の陽光を浴びる方法を教えてあげれば──〝宗教〟の名のもとに行われている欺瞞と誤謬を地上から一掃することが出来れば、地上を毒している問題の多くが解決されていきます。

私はここで改めて、私に可能な限りの厳粛な気持ちで申し上げますが、地上はこれまで教条主義によって呪われ続けてまいりました」



──経済的な側面はいかがでしょうか。

 「それも同じ問題の一つの側面に過ぎません。私はどうやら〝人騒がせ者〟のようです。キリスト教の教えを違うことばかり説いていると批難されております。しかし自分では、そう言って批難する人たちよりもキリスト教の本質についてより多くのことを知っていると思っております。

あらゆる地上の問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでいるがゆえに、生まれながらにしていくつかの権利を有しているということです。

 その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものはいかなるものでも排除する──それだけのことです。それをどう呼ばれようと構いません。私はラベルや党派には関心はありません。私が関心を持っているのは〝真理〟だけです。

 もしもあなたが私と同じ立場に立って、毎日のように発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が続々と私たちの世界へやってくるのをご覧になれば、多分あなたも私と同じように、この繰り返しに終止符を打つために何とかして地上を改革しなければという気持ちを抱かれるはずです。

 どうか、その若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました。しかし、あなたにはそれを成就すべき夏がこれから訪れます」
  
                

     
  五章 懲罰と報復───大戦が終わって

 ヨーロッパの戦乱が終結して間もないある日の交霊会で、「敗戦国の人々に対して霊的真理をどう説かれますか」と問われて、シルバーバーチは次のように語った。(訳者注──第二次大戦で枢軸国と呼ばれた日・独・伊三国のうち、まず独伊が降服し、それから二ヶ月後に日本が降服したので、この交霊会はその間つまり一九四五年六月から八月の間に開かれた計算になる)


 「真理は真理です。その本質は永遠に変わることはありませんが、そのバリエーション(質・程度・適用性などの変化・変異)は無限です。大衆に一度に理解してもらえるような真理を説くことはできません。一人ひとりが異なった進化の段階にあり、同じ真理に対して各人各様の反応を示すものだからです。

 私はつねづね、神の計画は一度に大勢の人間を目覚めさせることにあるのではないことを説いてまいりました。そういうやり方では、永続性のある効果は期待できないからです。いっときの間は魔法をかけられたようにその気になっても、やがて必ず反動が生じ、群集心理から覚めて個人としての意識が戻ると、しばしば後悔の念とともに現実に目覚めるものです。

 それではいけません。私たちの計画は個人を相手として、一人ひとりその霊的需要度に応じて真理を授けることにあります。大ていの場合、地上でもっとも縁の強かった人からのメッセージで確信を植えつけます。それによって確立された信念はいつまでも持続し、いかなる人生の嵐に遭っても、いかなる痛打を受けても挫けることはありません。

 ですから、大勢の人を一度に目覚めさせる方法はないのです。少なくとも満足すべき結果を残させる方法はありません。


 忘れてならないのは、真理を理解するには前もって魂に受け入れ態勢が出来上がっていなければならないということです。その態勢が整わないかぎり、それは岩石に針を突きさそうとするようなもので、いくら努力しても無駄です。

魂が苦しみや悲しみの体験を通じて耕されるにつれて岩石のような硬さが取れ、代わって受容性のある、求道心に富んだ従順な体質が出来上がります。


 しかし、敗戦の苦しみの中におかれた人々へのメッセージが一つだけあります。何ごとも自分の理性に訴え、自分の道義の鏡に照らして行動しなさいということです。動物時代の名残りを呼び覚まされて、目には目を歯には歯をの考えで臨んでもラチはあかないということです。

 苦難の代償はそれによって自らを霊的に開放し、憎しみも怨念も敵意もない、協調的精神に富んだ〝新しい世界〟に適応し、然るべき役割を果たせる人材となることであらねばなりません」


 ここで話題が〝敗れた枢軸国を連合軍はどう扱うべきか〟という、当時のもっとも関心の大きかった問題に発展した。かつてのキリスト教の牧師だったメンバーが正直に述べた。

──私はそれらの国の人間とは二度と握手する気にはなれません──

 「迷える者に手を差し伸べるということが真理を手にした者の義務です。戦乱の雰囲気に巻き込まれて、その背後の永遠の霊的実在まで見えなくなるようではいけません」



──しかし生意気を言うようですが、どう間違っても私にはあれほどの残虐行為はできません。

 「心配なさるには及びません。神の摂理は完全です。一人ひとりが過不足のない賞罰を受けます。無限の叡智をもってこの全大宇宙を計画し不変の法則によって支配している神は、そこに生活している者のすべてのために摂理を用意しており、誰一人としてその働きから遁(のが)れることはできません。懲罰と報復とを混同してはいけません。
     
 私たちは同じ問題をあなた方とは別の視野で眺めております。復讐心と憎しみによって世の中を良くすることはできません。その邪心が判断力を曇らせ、決断を下すにも計画するにも不適格な状態になってしまいます」


──報復も懲罰の一種ではないでしょうか。


 「違います。報復は古いモーゼの律法であり、懲罰は神の摂理です。つまり一人ひとりがその功罪に応じて報いを受けるのです」



──人間どうしで一方が他方を罰することは許されないとおっしゃるのですか。


 「私だったら、その相手を精神的に未熟な人間として扱います。つまり人生を正しい視野で眺められるように、矯正していくための処方を考えています。もし罰せざるを得ないとすれば──私はその必要があるとは思いませんが──魂が真の自我に目覚めるような性質のものでなければなりません。憎しみを増幅させ、新たな戦争を生むような性質のものであってはなりません」



──ああいう国民を甘い処分で済ませておくと、二十年もしたらまた戦争になります。それで私は徹底的に打ちのめすべきだと言うのです。


 「どうやって打ちのめすのですか」


──このたびの戦争でやったようにです。

 「それで問題が解決されたのでしょうか。肉体が機能しなくなったらその人の影響も存在しなくなるのでしょうか。お伺いしますが、憎悪を抱いたまま肉体から無理やりに離された幾百万とも知れない人間が、地上の人間のために働いてくれると思われますか」


──一つの教訓を教えることにはなると思います。少しは変わってくれると思います。


 「それは憎むことを教えることになるでしょう。憎しみは憎しみを呼び、愛は愛を呼ぶものです。物質の目で物事を判断してはなりません。これまで何度も繰り返されてきたことです。殺人犯を処刑しても問題を解決したことにはなりません。地上へ戻ってきて他の人間を殺人行為へそそのかします。

 では一体どうすれば問題の解決になるのかということになりますが、処罰を矯正的な目的をもったものにすればいいのです。社会の一員として相応しい人間になってくれるように、言いかえれば神の公正の理念に基づいて然るべき更生の機会を与えてあげるように配慮すればよいのです。

そういう人間は心が病んでいるのです。それを癒してあげないといけません。それが本来の方向なのです。それが本人のためになるのです。それが〝人のため〟の本来のあり方なのです。摂理に適い、それを活用した手段なのです」


──戦争で敵・味方となって戦い合って死んだ二人に、あなたはそれぞれどう対処されますか。

 「それはその二人の霊の状態次第です。条件つきの答えで申しわけありませんが、そうした問題は規格品的回答で片づけられる性質のものではないのです。それぞれの霊的進歩の状態によって異なるのです。死んだあとも延々と戦い続けている者もいます。が、いつかは、地上で抱いた敵対心は肉体の死とともに消滅すべきものとの認識が芽生えてきます。 

 霊界の下層界では地上で起きていることのすべてが再現されております。地上での戦争や抗争がそのまま続けられております。が、霊的覚醒とともに、その界層を離れて、地上で培われた偏見と敵意をきれいに棄て去ります。

そうなると問題はひとりでに解決されてまいります。
霊的摂理の理解とともに、自分の為すべきことは霊的な身支度をすること、自分自身の霊性を磨くこと、自分自身の能力を開発することであることを自覚し、それは他人のために自分を役立てることによってのみ成就されるものであることを認識します。
 
いずれにしても問題はあくまで過渡的なものです。霊的事実を知らずにいる者にいかにしてそれを認識させるかということです。そのためにあらゆる手段を講じるのです。

 一 ばん厄介なのは、自分がすでに地上を去った人間であることが納得できない人たちです。ひじょうに頑固なのがいます。さほどでもない者もいます。わりに素直なのもいます。このように、人類の全てが同じ進化の階梯にいるわけではないのです。

したがって一人ひとりの霊への対処の仕方も、それぞれのその時点での必要性に応じたものでなければなりません」



──あなたの訓えの中には〝恐怖心〟を捨てるように説いておられるものが多いのですが、実際に爆弾が投下されているときにそれを要求するのは無理です。そういう状態では怖がって当然ではないでしょうか。


 「おっしゃる通り当然でしょう。が、その状態こそ恐怖心を捨てる試金石でもあります。私たちがみなさんの前に掲げる理想がひじょうに到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、最大の富は往々にして困難の末に得られるものです。

 それには大変な奮闘努力が要求されます。が、それを私があえて要求するのはそれだけの価値があるからです。いつも申し上げておりますように、あなた方はそれぞれに無限の可能性を秘めた霊なのです。

宇宙を創造した力と本質的に同じものが各自に宿っているのです。
その潜在力を開発する方法を会得しさえすれば、内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法を会得しさえすれば、霊力の貯水池から吸み上げることが出きるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになります。
 
 人生の旅においてあなたを悩ますあらゆる問題を克服していく手段は全部そろっているのです。それがあなたの内部に宿っているのです。イエスはそれを〝神の御国は汝の中にある〟と言いました。神の御国とはその無限の霊的貯蔵庫のことです。

自己開発によってそれを我がものとすることが出来ると言っているのです。開発すればするほど、ますます多くの宝が永久に自分のものとなるのです。もしも私の説く教えがラクなことばかりであれば、それは人生には発展と進化のチャンスがないことを意味します。

人生には無数の困難があります。だからこそ完全へ向けてのチャンスが無数にあることになるのです。生命は永遠です。終りがないのです。完全へ向けての成長も永遠に続く過程なのです」



──極端な言い方かもしれませんが、同じく参戦を拒否するにしても、恐怖心の一種である〝臆病〟から来ている場合があります。人類がもっと臆病になれば戦争も少なくなるのではないかと思うのですが、この考え方を霊界からどうご覧になりますか。

 「臆病も人間としての情の自然な発露です。私はいつも人生とは対照の中で営まれている──愛の倒錯したのが憎しみであり、勇気が倒錯したのが臆病である、と申し上げております。いずれも本質において同じ棒の両端を表現したものです。

また私は、低く沈むことができただけ、それだけ高く上昇することが出来るとも申し上げております。

 臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることができるということです。この考え方がとても受け入れ難い人がいることでしょう。が、これが私の考えです。人間の精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。

それをうまくコントロールするところにあなたの成長があり進化があり、低いものが高いものに転換されていくのです」



──臆病であることは悪いことでしょうか。

 「良いとか悪いとかの問題ではありません。一つの感情が発露したものであり、その人の個性の一部であるというまでのことです。たとえ表に出なくても内部にはあるわけです。怖いという気持ちにならない時でもどこかに潜んでいるわけです。

私が言わんとしているのは、そうした感情がいかに陰性のものであっても、いかに好ましからぬものであっても、あなたにはそれをより高度なものに転換する力が具わっているということです。私はこの教えが最も大切であると思っています。

臆病は本質において勇気と同じものなのです。ただ歪められているだけなのです。そしてそれはあなたに具わっている力を駆使することによって正しい方向へ転換することが出来るのです」


  ──憎しみと同じく臆病心も人間の属性の一つだとおっしゃるのでしょうか。 

 「そうです。人間が具えている資源の一部だと言っているのです。精神にはありとあらゆる資源が具わっているのです」


 ここで、さきの質問にあった〝人類がもっと臆病になれば戦争が少なくなるのではないか〟との意見についてのコメントを求められて──

 「そうはまいりません。みんなを臆病にすることによって戦争が解決されるものでないことは言わずと知れたことです」


 別の日の交霊会において再び戦争が話題になったとき次のような興味ある質問が出た。


──ダンケルクでの英国軍の撤退作戦のとき海が穏やかで、シチリヤ島での作戦のときも天候が味方してくれたと聞いておりますが、これは神が味方してくれたのでしょうか。

 「宇宙の大霊である神はいかなることにも干渉いたしません。法則、大自然の摂理というものが存在し、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを止めたり干渉したりする必要性が生じるような事態はかつて一度たりとも起きていませんし、これからも絶対におきません。

 世の中の出来ごとは自然の摂理によって支配されており、神によるいかなる干渉も必要ありません。もし干渉がありうることになったら神が神でなくなります。完全でなくなり、混乱が生じます」


──今の質問は、最近多くの高名な方たちがラジオ放送で神が英国に味方してくれたかのように述べているのでお聞きしてみたのです。

 「ほんとうの高名は魂の偉大さが生むものです。それ以外に判断の基準はありません。何を根拠にしようと、神が自国に味方するかのように想像してはなりません。神とは法則なのです。

 あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです。窮地に陥ったあなた一人のために、どこか偉そうな人間的な神さまが総力を挙げて救いに来てくれるような図を想像してはいけません。スピリチュアリストをもって自認する人たちの中にも今だにそういう風に考えている人が大勢います」


──一人ひとり進化の程度が異なるので理解の仕方も違ってくるのだと思います。

 「ですから、私が申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいは私が間違っている、とんでもないことを言うヤツだと思われても一向に構わないのです。私は私が見たままの真理を申し上げているだけです。

永い永い進化の過程を経たのちに学んだままをお届けしているのです。それがキリスト教やヒンズー教、その他、聞いてくださる方の宗教を混乱させることになっても、それは私には関わりのないことです。

私はそうした名称や教義、いかなる宗教の概念にもまったく関心がないのです。私は私がこれまで学んできた真理しか眼中にありません。それが私の唯一の判断基準です。


 私の申し上げることがしっくりこないという方に押し付ける気持ちは毛頭ありません。

私は私の知り得たものを精いっぱい謙虚に、精一杯真摯に、精一杯敬虔な気持ちで披歴するだけです。私の全知識、私が獲得した全叡智を、受け入れてくださる方の足元において差し上げるだけです。これは受け取れませんとおっしゃれば、それはその方の責任であって、私の責任ではありません」

                
 
                                                                               2021-7/25 読書会
       
 六章 わが子に先立たれた二組の夫婦と語る

 英国空軍に所属していた息子の戦死に心を痛めている夫婦が招待された。ご主人はある新聞社の編集を担当しておられる。夫婦はそれまで幾人かの霊媒を通じて息子との交信を求めてきたが、効を奏していない。そこでご主人がシルバーバーチにこう尋ねた。



───他界した者との交信を求めてあの霊媒、この霊媒とまわり歩くのは良いことでしょうか。もし誰かほかの人がうまく交信に成功したときに、交信のできない霊へのメッセージを託すことは可能でしょうか。

 「私の目には人間の心と魂とが映ります。外部の身体は映りません。苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに悲しみのドン底を体験されました。そしてその悲しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。

しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかもしれませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。


 宇宙には科学の実験室における如何なる分析検査にもひっかからず、化学薬品によってもメスによっても分析できず、しかも、これまで大きさを測定し重量を量り切開できた他のいかなるエネルギーをも超越する力が存在します。

 私が言っているのは愛の力のことです。その愛は全生命の根源であり、宇宙を創造した大霊すなわち神の属性であるがゆえに死滅することはありません。それはまさに生命の息吹でありエッセンスなのです。

この愛さえあれば、縁で結ばれた者どうしはあらゆるハンディキャップ、あらゆる障害、あらゆる妨害を乗り越えて、いつかは必ずお互いを見出し合います。

 息子さんのことはよく存じております。聡明な、まばゆいばかりの青年でした。あなたは今その息子さんのことで心を痛めておられます。が、その息子さんは実は今もあなた方のお側にいるのです。死んでしまったのではありません。生命に満ち溢れた姿で生きておられます。

いつかはその存在を証明することに成功するでしょう。そして傷ついた心を自ら癒すことになるでしょう。どうか私の言うことを素直に信じてください。息子さんは(戦死によって)何の傷害も受けておられません。

精神的能力も霊的能力も全く健全です。そのうちきっと、今だにあなたを取り巻いている濃いモヤを取り除けるようになるでしょう。それを是非とも突き破らねばなりません。

 しかし、それは大変努力のいることです。実に困難なことです。いかに困難なものか、例をあげてみましょうか。私はこうして地上との交信を可能にしてくれる通信網を操るための訓練に二十年以上も費してまいりましたが、今日の地上を取り巻く状況が(戦争のために)あまりに混沌とし、騒乱と険悪さに満ちているために、やむを得ずその繊細な通信網を最小限にしぼって、ようやくこの霊媒との連絡を確保しているのが実情なのです。


 お子さんがあなた方を喜ばせてあげられないのはお子さんが悪いのではありません。地上に近い霊界の下層界における混乱状態のせいであり、それにもう一つ大切な原因として、無理もないこととはいえ、絶対的確証を得ないと気が済まない、あなたのその冷ややかな分析的精神構造があります。

しかし私もお手伝いをします。その内、その悲しみの鈍痛を忘れかけている時があることに気づかれるようになることを、ここで断言しておきましょう。


 胸もはり裂けんばかりの苦悩を味わうのも、愛することを知った者であればこそです。あなたもですよ」と言って奥さんの方を向き、さらに続ける。 「だからこそこうして私たちが戻ってくるのです。私がお届けする知識によって、大ぜいの人々の人生を台無しにしている無知を一掃しようというわけです。

 地上の人々が霊的な摂理を理解し、内部に具わっている霊的資質が自然に発揮されるような自然な生活を送れば、二つの世界の間にかかっているベールが突き破られ、すべての障害が撤去されることでしょう。

その障害はことごとく人間の無知と迷信と偏見とによって拵えられたものばかりなのです。言うなれば闇の勢力です。ぜひとも打ち破って、愛と力と導きと光明がふんだんに地上へ届けられるようにしなければなりません。


 私がいつも知識の普及を口にするのはそのためです。霊的知識こそが、自らを閉じ込めている牢獄から魂を解放する大きな力となるのです。自由と言う名の陽光の中で生きるべきでありながら暗い魂の牢獄の中で暮らしている人が多すぎます。

 あなたもその仕事に参加できます。知識を伝達する機関(新聞社)にお勤めだからです。地上生活の総決算をする時がきたとき、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くようになります。

その時の判断の基準は地上で何を考えたかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。


 私が説いているのは〝人のために〟という福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。改めて説くのもおかしいくらい当たり前のことなのです。ですが、やはり真実です。

 地上世界は単純さという本通りから外れて、ややこしい複雑な脇道に迷い込んでおります。あまりに複雑なものに惑わされて単純な真理が受け入れられなくなっている精神構造の人が大勢います。ですが、単純な真理は単純であるがゆえにこそ強いのです」


 続いて霊界の息子さんのことについて奥さんにこう語った。


 「そのうちお子さんは新しい世界で発見したことが伝えられるようになって、奥さんはその驚異に満ちた話に圧倒されることでしょう。

 ですが、その前にどうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。

 あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいたときよりずっと幸せなのです。

もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕(むじば)まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。


 あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。

ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。


 死は生命に対してまったく無力なのです。生命はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近な存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。

なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界の素晴らしい壮観がご覧になれないからです。しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をごらんになり、人生には完壁な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。

私も何とか力になってあげたいと思っているのですが、そのためには、あなたと私とは同じ人生を二つの異なった角度から眺めていることを忘れてはなりません」

 ご主人から地上の人間としての心がけについて問われて───

 「私に言わせればそれは至って簡単なことであり、なぜ地上の人間がそれを難しく考えるのか理解に苦しみます。あなたも他のすべての人間と同様に、為すべき何らかの仕事があってこの物質界に誕生してこられたのです。ときには内省の時をもって、果たしてこれが自分にとっての本当の仕事なのだろうか、

世の中を啓発する上で少しでも役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、獲得した霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるだろうか───正直に自分にそう問いかけてみることです。そうすればおのずと答えが出てまいります。

 それだけでいいのです。自分に正直になり、最善を尽くす───それだけでいいのです。宗教的信条や教義などは必要ないのです。自分はいま何を為すべきかを素直に認識するだけでいいのです。その心掛けを日常生活で徹底させれば、決して道を誤ることはありません。この物質界に誕生してきた目的を成就させていることになるのです。


 私たち霊界の者の目には、本当は存在してはならない暗闇の中で生きている何億、何十億とも知れぬ神の子の姿が見えます。荒れ果てたみじめな家屋で空腹と渇きに苦しみながら、生得の権利であり神からの遺産であるところの〝魂の自由〟を奪われた生活を送っております。

 その一方には、己れの飽くなき貪欲を満たさんがためにそうした無数の同胞を虐(しいた)げつづけることに知恵をしぼっている者もいます。そこで私は霊性に目覚めた方々に申し上げるのです───勇気をもって闘いなさい。

あらゆる不正、あらゆる闇、あらゆる横暴、あらゆる不公平と闘いなさい。その人の背後には人間的煩悩から解放された霊の大軍が控え、鼓舞し援助し、決して見捨てるようなことはいたしません、と。


 これが知識を伝達する手段をお持ちの方に私からお願いしていることです。私の言わんとしていることがお分かりですね。為さねばならないことが沢山あります。あなたも含めて、死後存続の確証を得たいと望んでおられる方に申し上げたいのは(確証はおろか)霊的知識にめぐり合う機会すら得られない人が無数にいるということです。

 あなたも私たちと同じ視野に立って地上世界をご覧になることです。そうした無数の人たちが、いずこへ向かうべきかも分からぬまま、疑念と不安を抱きつつ狼狽し、途方に暮れた生活を送っております。道を見失っております。と言って、永年にわたって権威があるかに思ってきた宗教はもはや信じられなくなっております。

暗中模索と挫折の繰り返しです。そこで私たちは考えたのです───良い道具(霊媒・霊能者)さえ用意できれば安心と確信と自信を生み出す知識の光をふんだんに地上へもたらすことが出来るであろう。

そして神が意図された通りの生き方、つまり平和と協調と愛に溢れた生活ができ、神の一部としての霊性が要求するところのものを追及することに勤しむことになるであろう、と」



 もう一組の夫婦は娘を失っていたが、今はもう連絡も取れて得心している。その日の要望は、自分たちだけで霊的交信が持てるようになりたいので、そのためのアドバイスを聞くことであった。趣旨を聞いてシルバーバーチはこう答えた。

 「お二人が今お考えになっていることを実現するのは容易なことではありません。戦争という特殊な情勢が地上と霊界との関係に大きく影響しており、連絡が大変混乱していることをまず認識しなければなりません。ご自宅で交霊会を催そうとしてもなかなかうまく行かないのはそのためです。

 永年の経験を持つ霊媒と強力な背後霊団を控えているサークルにおいてさえ、今は交信が非常に難しくなっております。まして初心者であるあなた方がうまく行かなくても不思議ではありません。

 まず第一に、まだ霊的能力そのものが十分な時間をかけて鍛錬をされておりません。指導と強化がなされておりません。まだこれからという段階です。今の状態で行うと近づいた霊の誰にでも好きに操られてしまいます。それに、霊力を補助してくれるメンバーが足りません」


 「忍耐がいると思っております」と奥さんが言うと、 

 「それもそうですが、メンバーが少なくとも三人以上は必要です。お二人だけでは霊力の相乗効果が十分に出ません。その結果そちら側からドアを開けることができても、そのドアから入ってくるお客さんを整理する力が足りないことになります。すると当然、開けっ放しの入り口からゾロゾロと際限もなくお客さんが入ってきて混乱してしまいます。

そうした点を改めない限り成功は望めないと思います」(その〝成功〟の意味が大切であろう。そうしたお客さんが〝しゃべる〟霊言現象にしても〝書く〟自動書記現象にしても、現象そのものなら簡単に〝成功〟するであろうけど、果たしてその〝通信霊〟が期待した通りの人物なのか、それともイタヅラ霊がそう名のっているに過ぎないのかが問題である。

これには霊媒の霊格と入神の程度、審神者(さにわ)の霊格と体験と直感力が絡んでくるのでそう簡単に片づけられないが、いちばん危険なのは唯々諾々(いいだくだく)として何でも有難く拝聴してしまう安易な好奇心と慢心である─訳者)


 メンバーの一人が「招かざる客が入らないようにするのが支配霊の役目ではないのでしょうか」と聞くと、

 「そうなのですが、そのためにはそれなりのエネルギーを供給してもらわねばなりません」

 「その門番のことですが、どんな責任を負っているのでしょうか」とご主人が尋ねる。

 「門番の仕事は門の番をすることです。ですが、そのためには、入ってほしくない霊を締め出すために必要な〝棚〟をこしらえられるだけのエネルギーを供給してもらわねばなりません。そのエネルギーはあなた方人間からいただくのであり、それが総合されてはじめて威力を発揮するものであることをご存知でしょうか。

出席者一人ひとりから少しずついただいて、それを責任者である支配霊がまとめるのです。そこで霊界側で用意したエネルギーをミックスして交霊会の運営のために使用するのです。


 もし誰かれの区別なく通りがかりの霊にどうぞお入りくださいと言わんばかりにドアを開けっ放しにしておくと、みんな喜んで入ってきます。なぜかと言うと、それは言わば薄暗い場所に明かりを灯すのと同じで、その明かりを見て低級な霊が続々と集まってきます。すると門番も制し切れなくなります。それだけのエネルギーを十分に具えていないからです。

 このサークルではそういう事態は起こりません。何十年も賭けてメンバーを厳選した上でサークルを構成しているからです。それでも、きわめて稀にではありますが、急に邪魔が入って、少しのあいだ中断せざるを得なかったことはあります。ですが、悪だくみを持った者ばかりとは限りません。

いろんなタイプの霊がいるものです。ただ単に地上の人間と話をしてみたいと思う者、好奇心から割り込んでくる者、軽薄な見栄からおせっかいを焼く者など、いろいろです」


 このあとシルバーバーチは、そうした交霊会を開くことを考えるよりも、二人は霊的知識という宝を手にしているのだから、それを知らないまま悲しんでいる同じ境遇の人たちに教えてあげる仕事に精を出すべきであることを説いた。すると哲学に興味を持っているご主人が哲学的な問題を提出した。

   
「宇宙創造の目的についてどういうお考えをお持ちですか。その目的に付随して、なぜこんなに多くの苦痛と邪悪と苦闘とが無ければならないのか、それが分かりません。人類の立場からはそうした目的が理解できないのです」

 

 「目的はあります。永遠の時の中で成就すべき目的があります。生命は無窮の過去から存在し未来永却にわたって存在し続けます、しかしその生命のたどる道は、一つの頂上をきわめると次の頂上が見えてくるという、果てしない進化の道程です。一つの頂上をきわめるごとにあなたの霊的資質が向上して行くのです。

 鍛錬によって人間は内部の神性が目覚め、より広く、より豊かなものを表現してまいります。地上的なアカが落とされ、霊の純金が姿を現します。これは当然のことながら苦痛を伴わない過程ではあり得ません。が、それも宇宙的機構に仕組まれた一部───比較対照の中で真理に目覚めるように意図された機構の一部なのです。

 苦痛を知らずして健康の有難さを知ることはできません。日蔭を知らずして日向の有難さは分かりません。そうしたことのすべてが、リズムと調和の中で展開する創造活動の一大パノラマを演じているのです。

 人間は永遠の海を当てもなく波に翻弄されているコルクではありません。永遠の創造活動の中の不可欠の存在なのです。自分の努力、自分の行為、自分の生活がそうした永遠の創造過程になにがしかの貢献をしているのです。

神の息吹の一部であり、無限なる霊の一部であり、永遠なる宇宙の一部であり、それが自分を通して働き、雄大なる宇宙的機構に光輝を加えることになるのです」



 「取りあえず私たちにもそれが分かるとしましょう。苦と楽の効用は理解できます。しかし、為になっているとは思えない存在がたくさんあるように思うのです」


 「人間生活のことでしょうか」

 「人間生活もそうですが、とくに小鳥や昆虫のような動物の世界においてです。比較対照という機構を理解するよう要求されても、自分の置かれた苦しい立場からしか見つめることが出来ません」

 「こう申しては失礼ですが、あなたは物事をガラス越しに薄ぼんやりと見つめておられます。真剣ではいらっしゃるかも知れませんが、極めて小さいなレンズで覗いて全体を判断しようとなさっています。

あなたにはまだ永遠の尺度で物事を考え判断することがおできになりません。この途方もなく巨大な宇宙の中にあって、ほんの小さなシミほどの知識しかお持ちでないからです。しかし今、それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです。


 少しだけです。全知識をお授けしましょうとは申し上げません。それは私たちも持ち合わせていないのです。私たちはあなた方地上の人間より少しばかり多くの知識を手にしているだけです。あなた方より少しばかり永い生活体験があるからにすぎません。

あなた方がこれから行かれる世界、私たちが本来の住処としている世界において、自然法則の仕組みと働きのいくつかを見てきているからです。


 その体験と、私たちよりさらに多くを知っておられる上層界の方々から教わったことを土台として私たちは宇宙人生の計画と目的について一段と明確な認識を得ております。そこに完璧な摂理の働きを見ております。

自然の摂理です。手落ちということを知らない法則、絶対に誤ることのない法則、極大から極小にいたるまでの宇宙間の全存在の全側面を認知し、何一つ無視することのない法則、すべてを包括し、すべての活動に責任を持つ法則です。


 私たちはその法則の完璧さに驚嘆しております。絶対に誤ることが無いのです。そして私たちは、これまでに明かしていただいたその完璧さゆえに、愛と叡智と慈悲によって育まれた完全な計画の存在を知り、現時点で理解し得ないこと、まだ明かしていただいていない側面もまた、同じく完璧な法則によって支配されているものと確信しております。そう確信するだけの資格があると信じるのです。

 その法則が構想においても働きにおいても完璧であるからには、当然その中に人間的な過ちに対する配慮も用意されているに決まっております。埋め合わせと懲罰が用意されております。

邪悪の矯正があり、過ちと故意の悪行に対する罰があり、何の変哲もなく送った生活にもきちんとした裁きが為されております。私から申し上げるのはそれだけです。


 私から申し上げられるのはそれだけです。私がこれまで送ってきた(三千年にわたる)生活において〝自分は神の法則によって不当に扱われている───不公平だ〟と真剣に言える者を一人も知りません。私の知るすべての者が神の永遠の公正はその規模において無限であり、その適用性において完全であることを認めております」


 「霊界にも時間があるのでしょうか。それから、ある事が行われなくなって霊が困るというようなことがありますでしょうか」


 「地球と接している幽質の界層を超えてしまうと、あなた方が理解しておられるような時間は存在しなくなります。こちらの世界は地球の自転とは何の関係もありません。昼もなく夜もなく、季節の変化もありません。地上世界で使用されている意味での時間はありません。

太陽は見たところ昇ったり沈んだりしていますが、こちらにはそういうものはないのです。以上が最初のご質問に対する答えです。二番目のご質問はよく分かりませんでした。もう少し分かりやすく述べてください」



 ここで代わって奥さんが「定期的に開かれているサークルを中止したら娘が残念がるかということです」と言うと───

 「それに対しては〝イエス〟という答えしかないでしょう。ですが、次のことを知っていただかねばなりません。私もあなた方の世界のことは少しばかり体験しており、いろいろと難しい面があることを理解しておりますが、そうした中で、忙しい時間のいくばくかを割いて、背後霊との霊的な交流を持つことを心掛けてくださると、背後霊はとても助かるということです。

そして、これは何度も申し上げていることですが、背後霊とのつながりを求め、たとえ表面的には何の反応もなくても、霊的には必ず何かが起きているものです。


 ですから、たとえばテーブルも何も用いずに何分間か、ただお二人で座って黙禱するというだけでもいいのです。言葉に出すのもいいかもしれません。が、それも必ずしも必要ではありません。心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。

 その統一状態の中で霊の力が働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。

 地上の人間は静かな精神状態を持つことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一番近づきやすいからです。

 今お二人がお嬢さんをごらんになられたらびっくりなさいますよ。どんどん大きくなっておられます。今ではもうお二人が知っている曽てのあの少女ではありません」


 「成長したのだなあと思うことがあります」と母親が言う。すでに何人もの霊媒を通じていろいろと証言を得ているからである。


 「もちろんご両親への愛は変わっていませんよ。それが一ばん大切なのです」


 最後に二人がシルバーバーチに礼を言いかけると、いつものようにこう述べた。

 「私が言ったからといって何もかも信じることはありません。私だって間違ったことを言っているかもしれません。あなた方にとって成るほどと得心のいったことだけを受け入れてくださればいいのです。これは私がいつもお願いしていることです。

 あなた方は私たちに手を貸し、私たちはあなた方を援助するという形で、お互い協力し合いながら宇宙の真理を究めていくのです。お互いがお互いから学ぶことが沢山あります。誰一人として間違いを犯さない者はいませんし、全能者ではないからです。私たちだってみな人間的存在です。永遠の道を旅する巡礼者なのです」


                  

       
 七章 真理は法律では縛れない

 二百年以上も前の一七三五年に施行された〝魔法行為取締法〟がホコリをかぶった公文書保管所から持ち出されて、物理霊媒のヘレン・ダンカンが投獄された。(巻末〝解説〟参照)

 これを契機に次々と霊媒が迫害を受け、交霊会が警察の手で妨害された。スピリチュアリズムがかつてない大きな脅威にさらされた時期だったが、そうした事態の中でシルバーバーチはこう語った。

 「真理の行進を阻止できる力は地上には存在しません。無数の霊媒を通じて地上へ流入しつつある霊力を挫けさせることの出来る者はいません。いかなる官憲の力、いかなる政治力、いかなる国家権力を持ってしても地上から霊力を駆逐することはできません。

 時すでに遅しです、すでに無数の道具すなわち霊媒や霊感者を通じて地上へ霊力が流入しており、慰安と援助と指導と治癒、そして霊的実在についての確信をもたらしております。霊的真理の勢いを阻止しようとしても、もはや時すでに遅しです。いかなる手段を企てても、結局は挫折します。巨大な霊の潮流が地上へ地上へと押し寄せているからです。

 これまでもありとあらゆる弾圧の手段が企てられてきました。磔刑(はりつけ)がありました。宗教裁判がありました。火あぶりの刑がありました。肉体的拷問、精神的拷問、その他、こうして痛めつけられることによって魂が救われるのだという狂気の信仰を抱く偏狭な宗教家によって、身の毛もよだつ手段が次々と案出されました。

しかし、そのいずれも結局は効を奏しませんでした。〝光〟を見た霊覚者が次々と輩出し、導いてくれる霊力を信じ、永遠の真理を喘ぎ求めている人類への使命感に燃えて、その光の指し示すところに忠実に従ったのでした。

 今の時代にはもはや磔刑や火あぶりの刑は無くなりました。が、今あなた方は投獄という刑に直面しております。しかし、これまでにすでに獄舎も霊的真理に対しては無力であることが証明されております。一世紀近くも続いているスピリチュアリズムの運動がそれくらいのことで阻止できると思われますか。絶対に出来ません

 官憲力にせよ政治力にせよ、霊力を阻止せんとする企てをものともしない忠誠心に燃えた同志がいてくれるかぎり、私たちの仕事に挫折はありません。私たちがこうして地上へ戻ってきたのは、唯物思想が生み出してきた利己主義による不公正と、無知と迷信を助長させてきた誤った宗教的教義に終止符を打つためです。

その両者が結びつくと、人類全体を包み込んでしまうほどの暗黒を生みだすことになります。が今や正しい霊的真理の光が地上に根づき、もはやそれが根絶やしになることは有り得ません。


 闘いの手を緩めてはなりません。真理は必ず勝つのです。どうしても切り抜けなければならない困難はあることでしょう。が、それが何であろうと、きっと克服できます。真理の証を手にした者が、薄暗い片隅をコソコソ歩いたり、首をうなだれヨタヨタした足取りで歩く必要はもう無くなりました。

背筋を伸ばし、霊の使者として人類の霊的再生のために、すべての者が等しく自由と寛容を享受できる〝新しい世界〟を招来するために、神のお召しにあずかったのだという誇りを持ってください。人間の霊性───これは神の霊性そのものなのです───を抑圧し弾圧し、その発現を阻止せんとするものすべてが姿を消してしまうことでしょう」


 さらに霊媒への迫害について───

 「これからも霊の道具に対する攻撃は続くでしょう。心の奥でそういうものの存在を毛嫌いする人がまだまだ多いからです。しかし、そのくらいのことで霊の絶え間ない奔流が阻止できると考えても、もう時すでに遅しです。

満ち潮の急いで押し寄せ、地上の何ものによっても阻止できなくなっております。小さな流れだった時から阻止できなかったものが、大潮流となってから阻止できるはずがありません。

 私が会得した叡智の一つは、全体像を把握するということです。私は〝俗世にあって俗人となるなかれ〟という訓えの通りの立場にあります。あなた方のように目先の出来事に動かされることがありません。あなた方は物質界に身を置いている以上、その日その日の出来ごとに右往左往させられても無理のないことです。

が、私の住処は霊界にあり、あなた方のご存知ない別の次元の摂理の働きを体験しております。その私の目に巨大な霊力が地球へ押し寄せているのが見えます。それで勝利は間違いないと確信しているのです。
  
 苦しい思いをさせられる人もいることでしょう。しかしそれは先駆者として払わねばならない当然の犠牲なのです。どんなことがあっても自分の持ち場を死守し、そこから逃げ出すことがあってはなりません。自分に預けられた真理の宝石を死守するのです。

真理を知った者の勇気ある生き方の手本を示すのです。かりそめにも〝ごらんなさい。霊的真理を吹聴していた人間がこのざまですよ〟などと言われるようなことのないように心掛けてください。


 いかなる事態が生じようと、誰がいかなる攻撃に遭おうと、私たちの仕事は止まることなく続けられます。病に苦しむ人のからだを癒し、悲しみに打ちひしがれた人の心を癒し、インスピレーションと真理を次々と送り届けて。少しでも多くの人々を目覚めさせてまいります。

 それを阻止できる程の力は地上には存在しません。それが宗教という名の外衣をまとったものであろうとなかろうと、もう時すでに遅しです」

 確かにシルバーバーチはスピリチュアリストの集会への妨害行為が続く中にあって俗事を達観する態度を少しも崩さず、こう述べた。


 「良くなる前には悪くなることがあるものです。私は少しも心配しておりません。今は時代が違います。盤石の基礎ができております。そのことは何度も申し上げております。もっともっと不自由な思いをさせられる方が身のためです。それがより大きな自由を得させてくれるからです。


 しかも、その迫害の首謀者がスピリチュアリズムを目の敵にしている連中であることは実は有難いことなのです。一致団結して共同の敵を迎え撃つ態勢を整えさせてくれることになるからです。所詮、神の道具の全てを投獄するわけにはいかないのです。霊的真理普及のために捧げられている集会の門のすべてを閉鎖させることはできないのです。

 教会にはもはや霊的真理を追い払う力はなくなりました。(第三巻九五頁参照)。みなさんは、ひとにぎりの者が権力を振り回したあの暗黒時代(ヨーロッパの中世)に引き戻されるのではありません。それとは事情が異なります。

今は一段と啓発された時代です。男女の区別なく自由を、霊の生命ともいうべき自由を味わっております。その自由はさらに大きくなることはあっても、抑圧されることは有り得ません。


 その自由の炎を燃やし続けさせることが私たちの仕事の一環でもあるのです。魂に訴えて生きる熱情を燃え立たせ、自由を守る意欲に点火し、霊力によって生活態度が一新され活気づけられる、そうした方向へ手引してあげることです。

 いったん束縛から解放された魂は隷属の状態を嫌うようになるものです。(当たり前のことを言っているようであるが、人間は抑圧され続けると何かに隷属している方が気楽に思える病的奴隷根性が芽生えてくる事実を踏まえて述べている──訳者) 

これまで私たちは多くの人間を聖職者の策謀の檻から救い出し、神学の手枷をはずしてあげ、教義の足枷から解き放してあげてきました。もう何ものにも束縛されなくなった自由のよろこびを味わっている人が無数にいます。今や自由の身となったのです。自由の空気を満喫しています。自由解放の陽光の中で生きております。


 ありません心配のタネは何一つありません。神の道具として目覚めていく霊媒が増えれば増えるほどスピリチュアリズムは勢力を増してまいります。一人でも多くの人を我々の霊力の行使範囲に手引してあげることが目的です。

これは二つの側面を持った仕事です。一つは各自が潜在的に所有する霊的原動力を発動させることであり、もう一つは、その人たちを背後霊の影響力下に置いてあげることです。


 私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方がはるかに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方がはるかに偉大です。

自分という〝一個〟の存在の心と知性と魂を〝多数〟の人間の運命の改善に役立ようとするとき、そこにはその見返りとしての己れの栄光をひとかけらも望まない〝光り輝く存在〟を引き寄せます。生きる喜びをひとかけらも味わうことを許されない無数の魂の存在を地上に見ているからです。


 もしも皆さんが霊の目を持って見ることが出来れば、宇宙の全次元の存在の場をつないでいる絆をごらんになることが出来るのですが、それがごらんいただけないのが残念です。

それをごらんになれば、地上の誰一人として見棄てられたり取り残されたり無視されたり見落とされたりすることがないこと、霊的なつながりが人間に知りうるかぎりの最低界から人間が想像しうるかぎりの最高界まで連綿として続いていることを理解されることでしょう。


 その全次元を通じて〝光り輝く存在〟が隈なく待機し、連絡網を通じで霊力を一界また一界と段階的に送り届け、最後は物的チャンネル(霊媒・霊能者)を通して地上へ届けられます。それはそれは強大なエネルギーです。 その真の威力は地上の言語による説明の域をはるかに超えております。

 みなさんの協力を得て私たちはずいぶん多くの成果を上げてまいりました。しかし、まだまだ目標には到達しておりません。多くの仕事が為されましたが、これからも多くの仕事が為されることでしょう。そうとは知らずに影響を受けている人が大勢います。

 自分では無意識のまま霊力の通路となって役立っている人が大勢います。
ご本人は何かしら感じるものがありながらも、それを説明できず、ましてや霊の世界、死後の世界からの働きかけとは思いもよりませんが、しかし、ふだんの生活の中で常識では考えられないことが起きていることに気づいています。

そういう人はみなさんから近づきやすい条件を備えていることになります。

 地上生活が五感のみによって営まれているとする古い概念が打ち破られたことは大きな収穫です。今や新しい概念が地上生活に行きわたりつつあります」


 ここでメンバーの一人が「キリスト教が少しでもその説を改めた形跡は見当りませんが・・・」と言うと

 「少しずつ身を削ぎ落とし古い概念を新しい概念と調和させようとする試みがなされつつある証拠がたくさん見られます。過去一世紀にわたるキリスト教正教の歴史は、固定化した古い教義を新しい知識でもって解釈し直し、それがそれまでに説かれてきたものとは違って象徴的な意味でしかなかった、という受け取り方に向かう努力の長い記録であったと言えます。

よくごらんになれば、それが延々と続けられてきていることがお分かりになると思います。


 先見の明のある牧師たちは〝いや、これはもう通用しない。科学と知識と発明・発見によってこの宇宙は我々の先輩が考えたものよりもはるかに大きいことが分かったのだ〟と言います。

むろん一方には新しいワインを古いポットに注ぎ込もうと一生懸命になる日和見(ひよりみ)主義者もいます。が、全体として物の考え方に柔軟性が出てきております。教義の説き方も過去のお座なりの用語は用いられなくなっております。


 硬直した古い概念から抜け切れない者は次第に勢力を失っていきつつあります。近代的概念を摂り入れようとする者が次第に勢力を伸ばしつつあることを忘れてはなりません。それが進化というものの必然的な結果なのです。

今なおその異常な精神構造のゆえにまったく進歩というものが止まっている人間がいることは事実です。頑迷な形式主義に凝り固まった人間がいることはいます。しかし、それはもはや大多数を占めていません。五十年前とはだいぶ違います。


 キリスト教界にも健全な合理的精神が働きはじめております。知識の進歩とともに、かつての人間味たっぷりの神の概念が姿を引っ込めざるを得なくなりました。宇宙の広大さと複雑な組織、そこに満ち溢れる生命活動、人間の視界を超えた波動と放射線等について明かされた知識が、宗教についての概念を完全に塗り変えました。

科学が四次元世界の存在を指摘している時代に、かつての天国と地獄の話が信じられるわけがありません。

   
 われわれの仕事は必ず勝利を収めます。真理は必ず勝つものだからです。ただ警戒を怠らないでいただきたいのは、真理を求めてあなた方に近づいてくる人たちの中には、自分たちの宗教の一部を補修するのに都合の良いものだけを盗み取ろうとする者がいることです。それを許してはなりません。

私たちが真理普及のための道具、霊的才能を発揮できる者を一人でも多く求めているのは、その霊的真理によって霊的生命がますます勢いを増してくれることを目的としているのです。そこに成長が得られるのです。霊的真理によって真の自我に目覚めた魂は、その真理の意味するところを決して忘れません。


 霊界には、いついかなる時も、インスピレーションによる指導と鼓舞の手段を用意した霊の大軍が控えております。真剣に求めてしかも何一つ手にすることが出来ないということは絶対にありません。求める者には必ず救助と援助と指導とが与えられます。かつて地上のためにこれほど大規模な活動が行われたことはありません。

真摯に求める者のために生きた真理の水を用意し、叡智に満ちた驚異的現象を用意し、霊の貯蔵庫が無尽蔵であること、いかなる要求にも応えられること、誰であろうと、どこにいようと、その恩恵にあずかることができることを知っていただく態勢ができております。

 生まれや地位、身分、職業、民族、国家の別は関係ありません。また仕事で地下に潜っていても、海洋へ出ていても、空を飛んでいても、あるいは列車に乗っていても、船に乗っていても、工場で働いているときも事務所で働いているときも、お店でお客の相手をしている時も、あるいは家で家事に携わっているときも、常に霊の力の恩恵にあずかることができるのです。

 霊的貯蔵庫との波長がうまく調和しさえすれば、その恩恵にあずかることができます。各自が持つ受容能力に似合った分だけを授かります。何とすばらしい真理でしょう。それなのになお地上にはそれを否定する人がいます」


 別の日の交霊会で、古来、迫害行為は決まって逆の効果を生んできていることを指摘して、こう続けた。

 「迫害の手段に出る者は決まって彼らが意図したものとは全く異なる結果を招来するものです。あなた方の時代、このスピリチュアリズムの世紀においても同じことです。あなた方は図らずも多くの敵をこしらえてしまいました。

そして私がしばしば述べておりますように、彼らはスピリチュアリズムを阻止せんとして、ありとあらゆる陰湿な手段を平気で講じます。


 宗教家を持って任じる者、宗教というものがおのずから要求する神聖なる責務を自覚しなければならないはずの聖職者みずからが、あらゆる倫理・道徳の規範にもとる態度を取っています。その態度はまさしく宗教という言葉から連想されるものと正反対です。しかし彼らがいかに力を結集して挑んでも、霊力の地上への降下を阻止することはできません。

 今やいかなる組織をもって霊力の流れを阻止しようとしても、時すでに遅しです。古びた法律や条件を引っぱり出すかもしれません。国家や警察の権力を操るかも知れません。しかし霊力の地上への顕現を阻止することはできません。

 これまでに起きたことはもとより、これから生じるであろう出来ごとも、霊に目覚めた者が不安や恐怖を抱くほどのものは何一つありません。忠誠心と自信とを持ち、背後より支援してくれるその力の存在を忘れることなく、真理はいかなる反抗勢力に遭っても、真理であるがゆえに耐え抜くものであることを確信して邁進すべきです。

 私はいつも、昨日や今日の出来ごとによってすぐに揺らぐようなことのない永遠不変の原理を説いております。永遠の実在───不変の摂理の働きに基礎を持つ実在の一部なのです。この知識を活用することによって、決断に際して不安も恐れもなく、自分がたずさえている真理はかならずや勝利を収めるのだという確信を持つことができます。

 この真理はすでに地上に根づいております。役割を忠実に果たしておられる皆さんの存在が白日のもとにさらされることになりますが、それをむしろ天命として喜んで受けとめるべきです。なぜならば、それはわれわれの説く真理によって困惑すべき者を困惑させて行きつつあることの証左だからです。

本当はとうの昔に取り除かれるべきだったものを今、新しいほうきによって掃き取っているところなのです。その過程にも教訓的要素が意図されております。が、掃き取られる側がそう大人しく引き下がるわけがないでしょう。当然の成り行きとして、そこに闘争が生じます。


 それも栄誉ある闘争の一部です。その背後には霊の大軍が控えております。光り輝く天使の群れの援助を得ているわれわれに絶対に挫折はありません」

 
 さらに別の機会にもこのたびの投獄事件に関連してこう述べた。

 「かなり前に私はみなさんにこう申し上げたことがあります。われわれに敵対する勢力は古い言いがかりを体(てい)よく飾り、法律と国家権力を盾にして攻撃してくるでしょう、と。

 しかし、時すでに遅しです。それくらいのことで霊力が挫けることはありません。私たちの勢力は、生命が永遠であること、人間は例外なく死後も生き続けること、愛に死はなく、死者への哀悼は無用であること、そして宇宙には誰にでも分け隔てなく与えられる無限の霊的叡智と愛とインスピレーションの泉があることを教えたくて戻ってくる男女によって編成されているのです。


 特別に神から特権を授かる者は一人もいません。真摯なる者、謙虚なる者、ひたすらに真理を求める者、古い伝説や神話をかなぐり棄て、いったん受け入れた真理に素直に従う用意のできた者のみが、新しい世界の価値ある住民としての特権を得るのです。

 教会と言えども、法律と言えども、裁判官と言えども、インスピレーションの泉に蓋をすることはできません。その流れは止めどもなく続きます。みなさんは何者をも恐れることなく、人類を迷信の足枷から解き放し、無知の束縛から救い出す真理の擁護者としての決意を持って邁進しなくてはいけません」

                  

   
   
  八章 大きくなったルースとポール

 ジャーナリストであり作家でもあるP・ミラー氏の二人のお子さん、ルースとポールは、ごく自然な環境の中で、両親から死後の存続を事実として教わっている。

今はもう少年期に入っているが、
姉のルースが八歳、弟のポールが六歳の幼児期から(六年間)毎年のようにクリスマスが近づくと交霊会に招かれて、シルバーバーチとお話をしている。従ってシルバーバーチとはまるで家族のような親しい間柄となっている。

 二人が出席するときは大てい幾つかの質問を用意しているが、その質問内容は〝子供らしさ〟あるいは〝少年らしさ〟を尊重して両親をはじめとしてサークルの大人のメンバーの誰からも干渉されていない。交霊会そのものも、大人のメンバーは出席することは許されても口出しは許されない。言わば〝子供のための交霊会〟なのである。

(訳者注───口出しは許されないと言っても、大人にとっても大切な問題になると補足的な質問をしている。なおこのルースとポールの幼少時代の交霊会の様子は日本語版シリーズ第五巻で「二人の幼児と語る」と題して紹介されている。

それから六年たっている。原書では本章は冒頭に子供時代の宗教教育の大切さについてのシルバーバーチの講話が載っているが、これは第四巻で「宗教の本質と子供の宗教教育のあり方」と題して紹介されているので本章ではカットした)


 当日の交霊会の様子については父親のミラー氏の記事があるので、それをそのまま紹介するのが一ばん良いように思われる。次がその全文である。

       ※         ※                ※            

 ハンネン・スワッハー交霊会の支配霊であるシルバーバーチのそばに二人の子供が立っていた。そして二人が代わるがわるクリスマスタイム(十二月二十四日~ 一月六日)のしばしの別れの挨拶をすると、シルバーバーチはまず姉のルースに

 「上品さとたくましさ、愛と叡智を身につけるようにね」と言い、続いてポールに
 「たくましくなりなさい。そして自分の背後には霊の力が控えているのだという確信を忘れないようにね」と言い、 最後に二人に

 「私はいつでも私の存在のすべてをかけ、愛の心と霊の力を傾けてお二人のために尽くしますよ」と述べた。


 確かにそう述べたのであるが、こうして活字にしてしまうと、二人の子供が質問しシルバーバーチが答えるという形で、年一回、六年間も続けられてきた三人の間の情愛の温かさは、その片鱗すら伝えられない。

一時間と二十分、二人は真剣そのもので質問し自分の意見を述べた。若いとはいえ、はやスピリチュアリズムの真理が二人の生活の一部となり切っているようだ。

 二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人のサゼスチョン(提言・助言)を一切ことわった。その問答が始まった。


 〝死に方〟は死後にどう影響するか

ルース 「人間が死ぬときの死に方というのが霊界へ行ってから影響するのかどうかが知りたいのです。つまり自然な死に方の方が霊界へ行きやすいのかということです」

シルバーバーチ 「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上のみんなが正しい知識を持ち自然な生き方をすれば──もしもですよ──そうすれば死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして又、死後の霊の身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまい具合に行っておりません。

 地上を去って霊界へ来る人のほとんどが自分がこれからどうなるのか、自分というのはいったいどのように出来上がっているのか、霊的な実在とはどんなものなのかについて恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人がそれはそれは多いのです。

そういう人は、私がたびたび言っておりますように、熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。ルースちゃんも知っているように、そんな果物はおいしくありませんね。


 果実は熟せば自然に落ちるものなのです。霊が十分に成長すると自然に肉体から離れるのです。いま私の世界へ、渋いくだものや酸っぱいくだものがぞくぞくとやってきております。

そのため、そういう人たちをこちらで面倒を見たり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんながちゃんとした知識を持ってくれれば、私のように地上の人間の面倒を見ている者はとても手間がはぶけて有難いのですけどね。

ルースちゃんの言う通り、死に方によって大変な違いが生じます。以上のような答えでいいですか」


ルース「ええ、とてもよく分かりました」

(訳者注── ルースが〝死に方〟と言ったときたぶん自然死でない死に方、すなわち事故死、病死、戦死、自殺といったものが念頭にあったはずで、シルバーバーチも一応そのことを念頭に置いていたことは〝霊の身体を調節する必要もないでしょう〟という言葉から窺われるが、もう少し具体的なことを述べてほしいところである。

そこで、最近入手したスカルソープという人のいわゆる〝体外遊離体験〟の書物から霊界の病院を訪れた時の模様を紹介しておく。


 ≪霊界の妻との関係と思われるが、私は妻の勤める霊界の病院へたびたび連れて行かれる。病院といっても地上から霊界入りしたばかりの人を介抱する施設である。

 あるときその施設を妻の案内で見学したのであるが、そこは若い女性ばかりの患者を介抱する施設だった。そこの食堂へ行ってみるとちょうど食事中で、私も妙な食欲を覚えた。テーブルの間を通り抜けながら患者のオーラとコンタクトしてみたが、死因となった事故のショックや恐怖、病床での苦しみや不安の念が根強く残っていた。

 中には地上の病院での消毒液の臭いが漂っている者もいた。事故死した者の腕や首や顔に傷当ての絆創膏の跡がうっすらと残っている人もいた。精神に焼きついた映像がまだ消えていないのである。

 しかしホール全体に穏やかな雰囲気が漂っていて、一人として病人臭さは見せていない。これは高級界から間断なく送られてくる生命力のせいで、こうした特殊な患者にはそれが必要なのである≫

   
 霊的(スピリチュアル)と〝心霊的(サイキック)の違い

ポール「インディアンには儀式のようなものをして、雨を降らせることが出来る人がいましたが、それには霊界の人がどのように関係しているのですか。何か関係があるのですか」

 SB「関係ありません。心霊的法則と霊的法則とは少し違うのです。まったく同じではないのです。どちらにでも言いかえることが出来ると思っている人がいますが、同じものではありません。

 さて、かつてインディアンという民族は地上の物的現象に関係した心霊的法則について良く知っておりました。純粋に物的な現象です。そして、腕のいい熟練したまじない師は、儀式によってその心霊的要素を引き寄せる能力を具えていたのです。

 実はこれは簡単に説明するのが難しい質問なのです。とにかく霊界とは何のつながりもないのです。地上の物的な現象と関係した心霊的法則とのつながり方が大きいのです。こんな説明ではポール君にはよく分からないでしょうね?」

ポール「いえ。分かります。ただ、心霊的法則というのはどんなものですか」

 SB「やっぱりそこまで話さないといけませんかね」

 ここで、交霊会の終わりが近づくまでは大人は口出しをしてはいけないというルールを破ってメンバーの一人が「それはサイコメトリのようなものでしょうか。あれは必ずしも霊的法則とは関係ないと思うのですが・・・」

 SB「例ならばいくらでもあげられるのですが、この二人の子供にいちばんよく理解してもらえるものを考えているところです。たとえば霊視能力者の場合を例に挙げてみましょう。霊視がきくと言われている人でも、霊界のものは何も見えない人がたくさんいます。

(日本語ではこれを透視能力という──訳者)この場合は心霊的な能力の一部にすぎません。ですから心霊的法則の支配を受け心霊的な能力で見るだけで、その背後に霊界の人間とのつながりはありません。他界した人の姿も見えません。肉眼に見えない遠くの情景を見ることは出来ます。

予知もできます。未来を覗いたり過去の出来事を当てることもできます。ですが、そうしたことが霊界と全くつながっていないのです。生まれながらに具わっている純粋に心霊的な能力なのです。これでわかりますか」



 二人の子供に変わって母親が「私はそういうことがあるとは思ってもみませんでした。霊界とのかかわりなしに証拠を言い当てたり物事を見抜いたりすることが出来るとは知りませんでした」


 SB「でも、事実、そうなのです。この地上界の範囲だけの心霊的能力というのがあるのです。現に多くの人がそれを使用しております。五感の延長なのです。霊の世界とは何の関係もありません。物的法則とつながった心霊的法則ないし心霊的要素の範囲内の現象です。

易占い──本ものの場合ですが──あるいは本物の水晶占いで霊的な働きかけなしに見たり聞いたりすることが出来るように、心霊的能力を駆使できるまじない師は、ある種の儀式によって物的法則の背後にある力をその心霊能力と調和させて雨を降らせることができたのです。私にできる説明はこんなところですが・・・」

 別のメンバー「実によく分かりました。面白いテーマだと思います。私も、そうした能力がどの程度まで延ばせるのだろうかということに関心がありましたので・・・・・・」

 SB「その可能性は大変なものです。インドにはヨガの修行者ですごいのがいます。それでも霊界とは何のつながりもありません。彼らが霊の姿を見たら、たまげることでしょう」

 別のメンバー「霊を見たらその容姿を述べるのではないかと思いますが・・・・・・」

 SB「その時はすでに波長の次元が違います。霊媒現象というのは霊的なものと心霊的なものとの組み合わせです。その融合作用で霊的通信が行われるのです。霊界と交信する能力は霊媒の持つ心霊能力だけで行われるのではありません。支配霊ないしは指導霊との協力によって行われるのです」

 ポール「すみません。僕は頭が悪いものですからサイキックとスピリチュアルとはどこが違うのか、まだよく分かりません。今までは一緒だと思っていました」

 シ「似てはいますが、まったくいっしょではないのです。心霊的能力のすべてが開発されても、それが高級霊の指導を受けてスピリチュアルな目的のために使用されるようになるまでは、それは霊的能力とは言えないのです。

ポール君は物的身体のほかに霊的身体も具えています。その身体には生まれつきあらゆる心霊能力が潜在していますが、それが開発され、しかも霊界の力と融合した時始めてスピリチュアルと言えるものになるのです」



 死後の界層の違いは何で決まるか

 ポール「死後の世界のレベルについて教えてください。シルバーバーチさんはよくその違いについて話しておられますが、どういう違いがあるのですか」

 SB「成長の度合が違うのです。しかしその違いは地上のようにものさしで計れるものとは違います。もし私がポール君に愚かな人と賢い人、あるいは欲張りと聖人との違いを寸法で計りなさいと言っても、そんなことはできませんね?

 しかし、それぞれの界に住む霊の成長には大きな差があるのです。こちらでは魂の成長に応じた界、つまりその人の知性と道徳性と霊性の程度にちょうどよく調和する界に住むようになります。

界の違いはそこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界に住むことになります。


 地上はその点が違います。物質界という同じレベルで生活しているからといって、みんな精神的に、あるいは霊的に、同じレベルの人たちばかりとはかぎりません。身体は同じレベルのもので出来ていますが、その身体つまり物質でできた肉体が無くなれば、魂のレベルに似合ったレベルの界へ行くことになります」


 ポール「はい、よく分かりました。もう少し聞きたいことがあります。この地球はそういう界の一つですか。それとも特別なものですか」

℘131                   
 SB「いいえ、地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかというと、霊の住む世界は全部が重なり合っているからです。宇宙に存在する生活の場のすべてが互いに重なり合い融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界というのは一つの宇宙生活の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君は今物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです」

  
 知識には責任が伴う
 
ルース 「あたしは (この交霊会での質問の準備をしている時に) シルバーバーチさんはあたしたちよりはるかに多くのことを──あたしたちが夢にも思わないようなことを知っているのだから、あたしたちの方から質問しなくてもちゃんとお話してくださるだろうと思ったりしました」


 SB 「ええ、お話しますよ。でも、だから何の質問もしなくていいということになるのですか」

 ルース 「なりません。あたしが知りたいのは、子供のころからスピリチュアリストとして育てられて、あたしたち二人は得(とく)をしているかどうかということです」

 SB「自分ではどう思っていますか」

 ルース 「わかりません。だってあたしは霊の世界に住んでないでしょ?だから、どんな得をするか、自分ではわかりません」

 母親 「この子はスピリチュアリズムを知らない生活というのを体験していないものですから、比較が出来ないのです。その点シルバーバーチさんは両方ご覧になれます」

 SB 「私は目を閉じていても見ることができます。私が〝自分ではどう思ってますか〟と聞いたのは、ルースちゃんのお友だちには死んでからのことを知らない人がたくさんいるからです。そういうお友だちはルースちゃんと比べて得だと思いますか損だと思いますか」

 ルース 「霊の世界へ行く時に何の準備も出来ていないという点では損だと思います。その知識も体験もないからです。でも、それ以外のことはよく分かりません。すみません」

 ポール「今ルースが最初に言ったことはその通りだと思います。でも、それ以外のことでは損も得もないと思います、死ねばどうなるのかが分っているのは得だけど、それ以外では別に変わりはないと思います」

 SB「答えは簡単なのですよ。知識はすべて得になるということです。ところが、残念なことに、そうとばかりも言えない事態が生じるのです。知識は確かに喜びと幸せと落着きをもたらしてくれますが、今度はそれをどう生かすかという責任ももたらすのです。知識は、無知から生じる愚かな心配を取り除いてくれます。

知識は自分とは何かを自覚させ、これからどうすべきかを教えてくれます。そして、真理を知らずにいる人を見て気の毒だと思うようになります。真理を知らなかったために罪を犯す人は勿論それなりの償いをさせられますが、真理を知っていながら罪を犯す人は、もっと大きな償いをさせられます。

より多くを知っているということが罪を大きくするのです。ポール君は真理を知っているだけ得です。しかし、これからどういう行いをするかが問題です」


 魂の成長には試練と経験が大切
 
 メンバーの一人「それだけはあなたもどうしようもないことなのですね?」

 SB「私がその摂理を変えるわけにはいかないのです。私はただ摂理はこうなってますよとお教えするだけです。これまで私は何度か皆さんが困った事態に陥っているのを見て、その運命を何とか肩代りしてあげたい、降りかかる人生の雪と雨と寒さから守ってあげたいと思ったことがあります。しかし、それは許されないことなのです。

なぜなら、そうした人生の酷しい体験をさせている同じ力が、人生に光と温もりをもたらしてくれるからです。一方なくして他方は存在しないのです。試練と体験を通してこそ霊は成長するのです」


 ルース「シルバーバーチさんにもそれが許されないのはいいことだと思います。困ったことがあるたびにシルバーバーチさんが助けてくれたら、いつも誰かに頼らないといけない人間になってしまうからです」

 ポール「人生の目的がなくなってしまいます」

 SB「そうです。でもね、私にとって、それは辛いことなのですよ。そのうちお二人も、本当の意味で〝愛する〟ということがどういうことなのか、愛する人が苦しんでいるのに何もしてあげられないということがどんなに辛いことかが分かる日が来ます。

 そこで、先ほど述べたことにもう一つ付け加えたいことがあります。これはルースちゃん、あなたにお聞かせしたいことです。(スピリチュアリズムを知ったことによって生じる)一ばん大きな違いは、自分が一人ぼっちでいることが絶対にないということを知ったことです。

いつどこにいても霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。最善を尽くしているときには必ず霊界から導きの力が加わっていること、あなたの持っているものから最善のものを引き出し、あなたの人生から最善のものを学び取ってくれるようにと願っている、友愛と親切心と協力精神に満ちた霊の存在がまわりにいてくれているということです。

このことがスピリチュアリズムがもたらしてくれる一ばん有難いことです。このことを知っただけルースちゃんは、それを知らない人より幸せだということになります」


 
  〇男性の役割と女性の役割

 ポール「これまでの人類はずっと男性が女性を支配してきたように思えるのですが、なぜですか。原因は何ですか」

 SB「原因は女性があまりに物ごとを知らなすぎたからです」

 ポール「それを改めることができるでしょうか」

 SB「改める必要はありません。これまでも実際は女性の方が男性をリードしてきているからです」

 メンバーの一人「あなたはこれまでそういう捉え方はなさらなかったように思いますが・・・・・・」

 SB「ええ。でも、これにはそれなりの根拠があるのです。男性が狩りに出ていた時代の名残りです。つまり男性が家屋を建て、食料を取りに出かけねばならない時代においては男性が絶対的な支配力を持ち、お腹を空かして疲れたからだで帰ってきた時に女性が優しく迎えて介抱し、食事を用意してあげていました。

男性が行動的で女性が受動的だったために、何かにつけて男性に有利な習慣が出来ていきました。しかし、今それが変化し始め、どちらが上でもどちらが下でもない、お互いが補い合うようになっているという認識が行き亘りつつあります」

 ポール「良く分かりました。有難うございました」


 〇愛は霊にとって酸素のようなもの

 SB「お二人とはずいぶん永いお付き合いですね。二本の小さな苗木がまっすぐに育っていく様子を見てまいりました。そして、お二人が絶え間なく増えていく知識と理解力の中で生きておられるのを見てうれしく思っております。
   
 まだまだ知らねばならないことがたくさんあります。でも、少なくともお二人は霊的な真理に守られて地上生活に立ち向かっており、その目的を理解し、何をしていても誠意さえあれば決して挫けることはないことを知っておられます。私はいつも身近にいて、私にできるかぎりの援助をいたしましょう。

 今日はルースちゃんとポール君の二人が来てくれて、私はほんとにうれしく思っております。私がいつも身近にいることを知っていただくいい機会になるからです。私は決して遠くにいるのではありません。
 
お二人がお家にいる時も、学校にいる時も、遊んでいるときも、すぐそばにいることがあります。おかしくて笑い出すような光景を見ることもあります。

ですが、地上生活から学び取ることもたくさんあります。私はまだまだ学ぶことが終わったわけではありません。西洋人の生き方や習慣には興味をひかれることがいろいろとあるからです」


 母親「私たちは暖炉に火をくべながら、よくシルバーバーチさんのことを思い出すことがあるのですよ。暖炉を囲んで、シルバーバーチさんは暖炉や炉火はお好きだろうかね、などと語り合うんですよ」
 
 SB「私はいつも私へ愛情を覚えてくださる方々の愛念によって心を温めております。私にとっては地上で窒息しないために吸入できる唯一の酸素は〝愛〟なのです。地上へ降りて来るために、お預けにされる喜びを補ってくれる最大の慰めは皆さんからの愛なのです。

(私の本来の住処である)高級界の霊的生活の荘厳をきわめた美しさを一度体験されたら──一度でもその世界の恩恵をほしいままにできる生活を体験されたら、悪意と敵意、憎しみと闘争、流血と悲劇に満ちたこの冷たく陰うつな地上生活はもう二度とご免こうむりたいと思われるはずです。


 そんな世界に身を置いている私にとって、皆さん方の真理普及の行為によって魂が目覚めた人々の心に灯された愛念が何よりの慰めとなっております。地上世界での仕事は困難をきわめます。冷え切った心、歪んだ心の持ち主、私たちからの叡智や指導はおろか、自らの愛すら感じなくなっている人々が大勢います。

そうした中にあって親近感や同情心、僚友精神や同志的友情がいかに大きな元気づけとなるものであるか、ご存知でしょうか。みなさんが想像される以上に私にとって力となっております。さらに多くの人々へ手を差しのべていくための糧を供給してくださっていることになるのです。

 ならば、道を見失い、同情の言葉に飢え、導きと慰めと希望の言葉を求めてその日暮らしの生活に明け暮れている気の毒な人たちのことに常に思いを馳せようではありませんか。そういう方たちはみな、この世に自分一人だけ取り残されたような悲哀の中で生きているのです。

そういう人たちこそ私たちが霊力の行使範囲に導くために何とかしてあげなくてはならないのです物憂い悲嘆の生活を一変させ、希望の光と真理の感触とを生活の中にもたらしてあげることができるのです。

 ご承知の通り私はこれからしばしの間地上を去ります。うしろ髪を引かれる思いがいたしますが、しかし時には高き世界からのエネルギーを再充電し、同じ使命に携わる同輩と協議し、失敗箇所と成功、予定どうりに進行しているところとそうでないところについて指示を仰ぐことがどうしても必要なのです。

そのとき私は皆さんからの愛をたずさえて行き、私からの愛をみなさんにお預けしてまいります。再び戻ってくる日を心待ちにいたしております。


 それでは最後にみなさんとともに宇宙の最高のエネルギー、私たちがその一部を構成しているところの神のエネルギーに波長を合わせましょう。そのエネルギー、神の御力、大霊の息吹の恩恵を改めて意識いたしましょう。

その最高の力を受けるに相応しい存在であるように努力いたしましょう。託された信頼を裏切ることのないように努力いたしましょう。高貴な目的のための道具として恥ずかしくない生き方、考え方、物の言い方を心がけましょう。そして、いかなる事態に遭っても、その神聖なる使命を傷つけることのないように致しましょう。

 双肩に担わされた使命を堂々と遂行いたしましょう。これから降りかかる如何なる受難にも、人のために己を役立てたいと望む者は常に限りない愛を秘めた大霊と一体であるとの信念を燃やして、不撓(ふとう)不屈の決意を持って立ち向かいましょう」


       ※      ※       ※                 

 続いて翌年のクリスマスにもルースとポールの二人が招かれている。シルバーバーチによれば、二人の存在も計画の中に組み込まれており、二人を通して、それなくしては得られない掛けがえのない力を得ているということである。

 このたびの交霊会はクリスマスとはどういう意味があるのかという話題から始まった。というのは、その頃ポールの学校でクリスマスについてのお話があり、ポールはその意味がよく分からなくて、家に帰ってから両親に説明を求めたばかりだったのである。
 
 そのいきさつを聞いたシルバーバーチがこう述べた。



 「その問題に入るに先立って知っておいていただかねばならないことがあります。というのは、永いあいだ地上人類を悩ませてきたつまらない問題からさきに片づけておく必要があるからです。ポール君は神についてどういう点が良く分からないのでしょうか」



 ポール「これまでいろんな人が神についていろんな説き方をしているみたいです。それぞれみんな違っており、これだと得心いくものが一つもないのです」




 〇〝神〟の思想の進歩


 SB「その通りなのです。忘れてならないのは、人間はつねに成長しており、精神の地平線が絶え間なく広がっているということです。言いかえれば、境界線が取り除かれていきつつあるということです。知識が進歩すれば宇宙そのものと、その宇宙に存在するものについて、より大きな理解力がもたらされます。

 太古においては人間は環境についてほとんど知識がなく、自然現象についてはまったく理解していなかったために、何もかも神様の仕業(しわざ)にしておりました。その神様についても人間を大きくしたような存在としてしか想像できませんでした。

そこに犠牲(いけにえ)の思想の原点があります。雷が鳴り稲光がすると神様が怒っておられるのだと思い、その怒りを鎮めるためにいろんなお供えをするようになったのです。


 そうした野蛮な小さい考えも次第に大きく成長し、人間は無知の暗闇から脱し、迷信の霧を突き抜け、知識の夜明けを迎えて、宇宙の根源はどうやら人間の想像を超えたものらしいということに気づきはじめました。

しかし、だからといって古い概念がそう簡単に消えたわけではありません。何かすごく大きな人間の男性のような姿をした神様が宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今もなお存在しています。


 さて私たちはさらに一歩進めて、宇宙を創造しそして支配しているものは、男性神でもなく、女性神でもなく、とにかく形ある存在では無いと説いているのです。人間的な存在ではないのです。

宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適用性においても無限なのです。それは無限の愛と叡智から生まれたものであり、したがって完璧であり、誤ったり失敗したりすることが絶対にないのです。


 私は生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めもなく終わりもないと説いております。霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物質というのは霊の至ってお粗末な表現でしかありません。

物質界に生きる人間は視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の五つの感覚でしか物事を判断することが出来ませんから、その五感を超えた生命の本質を理解することはまず無理なのです。


 そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向う側にあるものが理解できるわけがありません。そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができないということです。

人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限の存在を理解することは出来ないのです。これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の手助けになればと思って申し上げてみました。


 人類の全てが──地球という一個の天体上だけではありません。数え切れないほどの天体上の人間的存在のすべてがそうなのですが──私のいう大霊、皆さんのいう神の一部を構成しているのです。大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです。これなら分かるでしょう ?」


 ルース「人間は進歩するほど神について複雑な考え方をするようになり、複雑になるほど真実から遠ざかっていくのではないでしょうか」




 〇ほんとうの進歩とは

 SB「本当の意味での進歩であればそういうことにはなりません。実は〝脳〟ばかり発達して〝精神〟や〝霊〟の発達が伴っていないことがあるのです。すると頭のいい人が多くなりますが、頭がいいということは必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。

 それは脳という物質のみに限られた発達なのです。そういう発達をした人の中には複雑なものほど立派であるかに思っている人がいることは確かですが、本当の発達、精神と魂の発達を伴ったものであれば、霊的なことについてもより深く理解するようになります。

正しい発達とは精神的ならびに霊的な発達のことを言うのです。そういう発達をしている人は古い間違った概念を捨てて、ますます真理に近づいてまいります。


 いつも忘れずにいてほしいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言語で説明することは不可能だということです。大きいものを小さいものの中に入れることはできません。これは当たり前のことです。分かってもらえたかな?  さてほかに、どんな質問がありますか」



  〇人類最大の発見は?

 ルース「人類による最大の発見は何だと思われますか」

SB「これは難しい問題ですよ。〝最大〟という言葉の意味がいろいろあるからです。どういう意味での〝最大〟なのか──物的にか、精神的にか、霊的にか、それを前もって考えてから質問すべきですね。

 私の考えでは、人類による最大の発見は人間は動物とは違うこと(霊長類であること)を知ったこと、自我意識というものがあることを知ったこと、霊性を自覚したこと、お粗末とはいえ身の回りの現象について知る能力があることを知ったことです。それが他の全ての発見へとつながったからです。

 今〝霊性を自覚したこと〟と言いましたが、その意味は、人間が肉体以上の存在であること、物資を超えた存在であること、やがて朽ち果てて、土に帰っていく物質的容器とは違う存在であることを知ったということです。私はこれが何よりも大きな発見であると思います。

 が、ルースちゃんの質問が私にとっての最大の発見は何かという意味であれば、話はまた違ってきます」



  
  〇シルバーバーチの最大の発見

 ポール「それを聞きたいです。ぜひ話してください」

SB「私にとっての最大の発見は地上の多くの人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までもこんなにたくさん持っておられることを知ったことです。

また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にさえ反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念を持つことができるということ、自己の利益や打算を超えた、より大きなものに心を動かされうるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくれるものであることを知ったことです。


 この冷たくてうっ陶しい、およそ魅力のない陰うつな地上での仕事に打ち込んできたこれまでの永い年月を振り返ってみて、私は一度もお目にかかったことのない人でありながら、私の訓えで救われたという気持ちから、感謝の愛念を送ってくださる方々が増えることによって、地上にこうまで温かみがもたらされるものかと、驚きの念を禁じ得ません。

それほど多くの愛を頂戴することになろうとは予想もしませんでした。私にとってはそれこそが感謝の源泉であり、それが私を更に鼓舞し、同時に、勿体ないことだという気持ちにもさせられます。なぜなら私はそれに値するほどのことはしていないという自覚があるからです」

 ルースとポールにとって、この答えはさすがに意外だったようである。子供心に、もっと楽しい話を予想していたのであろう。が、二人はかえって興味をそそられ、さらに質問する。

 
  〇物質文化の発達が利己主義を生んだ

 ポール「シルバーバーチさんが地上へ降りてこられてから地上にはどんな変化があり、霊界ではどんな変化がありましたか」

 SB「大ざっぱに言えば、地上における変化は〝文明化〟といわれる過程でしょう。人類は物質的な面で大きく飛躍しました。大自然の仕組みについて多くの発見をしました。山頂を征服し海底を探査するようになりました。大陸と大洋を横断するようになりました。物質的な面では非常に高度なものを成就しました。驚異的な発達ぶりであったと言えましょう。

しかし、同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は物質と精神と魂のうちの物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについて行っていないのです。それが利己主義と言う、地上でもっとも厄介な罪を生むことになったのです。

 さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。それは、物質面での発達を、全面的ではなくてもいいから、霊的ならびに精神的側面にもある程度反映するようにならないかぎり、人類は自らの存在の産物、自らの創造の成果を平和的生活の中で味わえるようにはならないということです。

そうならない限り地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないということです。良いことをしようという意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事へ鼓舞するのは精神と霊の発達なのです。


 精神と霊の発達は利己主義を滅ぼし、代わって霊的教訓をもたらします。精神と霊に宿された才能を開発し、その上で物質的文明の産物を自分一人のためでなく他のすべての人たちのために活用するようになれば、いわゆる地上天国が実現されます。地上世界のすべての人間が自分より不幸な人のために役立てる何らかの才能を具えてるのです。

 さて、その間に霊界ではどんな変化があったかというご質問ですが、これは地上世界のことより、はるかにお答えしにくい問題です。簡単に言ってしまえば、地上とのコミュニケーションの橋を架ける仕事がかつてなく組織的となり、二度と地上世界がチャンネル(霊媒・霊能者)の不足から霊界と絶縁状態となることのないよう、入念な計画が工夫されそして実行に移されているということです。これ以上の説明は難しいです」

(訳者注───シルバーバーチの念頭には多分、オーエンの 『ベールの彼方の生活』第四巻で叙述されているように、天界の大軍がキリストを中心として組織されてゆっくりと降下し、それが今日スピリチュアリズムという名のもとでの霊的浄化運動となっていることがあったのであろう)
 

 メンバーの一人「霊界においてそうした大きな仕事が成就され、コミュニケーションのための回線が敷設され、計画が順調に推進されていることを知って私たちもうれしく思います。これには秀れた霊媒が要請されることになりますが、今それが非常に不足しております」


SB「道具はそのうち揃います。霊力が多くのチャンネルを通じて恩恵をもたらすようになります。どんどん増えていきます。これまでの成果を見てこの程度のものと思ってはなりません。決してこの程度で終わるものではありません。昨日よりは今日、今日よりは明日と、ますます大きなことが成就されていきます。

それが進歩というものです。我々も進歩していくのです。〝われわれの後は誰が引き継いでくれるのだろう〟──そう心配なさる方が必ずいるものですが、あなた方の仕事が終われば代わって別の人が用意されます。かくして霊力が今日以上に地上へ流れ込みつづけます。それは誰にも阻止できません」


 ルース「今はスピリチュアリズムという形で霊界と地上界との間にコミュニケーションが開かれておりますが、それ以前にも大きなコミュニケーションの時代があったのでしょうか」


 SB「一時的にインスピレーションがあふれ出たことはありますが、長続きしていません。この度のコミュニケーションは組織的であり、協調的であり、管理・管督が行き届いており、規律があります。一大計画の一部として行われており、その計画の推進は皆さんの想像も及ばないほどの協調体制で行われております。

背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります。


 そうした計画のもとに(一九世紀半ばに)霊界の扉が開かれたのです。このたび開かれた扉は二度と閉じられることはありません」 (訳者注───一八四八年の米国でのフオックス家での心霊現象を皮切りに、地球の一大浄化活動が始まったということ)



  〇睡眠中は何をしているか

 ルース 「あたしたちは眠っている間はどんなことをしているのでしょうか」

SB「みなさんは毎晩その肉体を後にして別の世界へ行きます。訪れた世界での体験は二種類に分けることが出来ます。一つは教育を目的としたもので、もう一つは純粋に娯楽を目的としたものです。教育的体験では、いずれ訪れる霊界生活で使用する霊的身体について教わります。娯楽を目的とした体験の場合は、たとえば霊界で催されているいろいろな会場を訪れます。

 いいですか、ルースちゃん、あなたは昨晩私の世界の庭園へ連れて行ってもらったのですよ。それからポール君は音楽を聞きに行ったのですよ」

 ポール「二人ともそのことを覚えていないなんて、つまんないですね」

 SB「確かに、そう思うのも無理ないかもしれませんね。でも、それは肉体から離れている間の(異次元の)体験を肉体の脳で理解しようとするからなのです。ポットの水ぜんぶをグラスに入れようとしても入りませんね。それと同じです。でも、夢を注意して見ていると好いヒントになるものが見つかるはずですよ」

 ルース「わけの分からない夢はどう理解したらいいのですか」

 SB「変てこな夢のことですか?。あれは(異次元の)体験を脳で思い出そうとするからそうなるのです。脳は小さな袋のようなものです。霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入り切れないのです。それをムリして押し込もうとするためにあのような変てこな形になるのです。

夢というのは別世界での体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出にすぎません」


 ポール「シルバーバーチさんのお仕事でぼくたちにもお手伝いできることがあれば教えてくだい」

 SB「私にあなたたちの愛の念を送ってください。私を信頼し、善意の思念を送ってください。それが私の何よりの食べものであり飲み物なのです。ただただ愛が欲しいのです。善意をいただきたいのです。それさえいただければ私は幸せなのです。しかし、どうぞ私の仕事のことで心配しないでください。自分でちゃんとやりますから」


 ここでいったん話題が外れてメンバーの人たちと話した後再びルースとポールに向かって次のような感動的な教訓を述べた。


 SB「お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申しあげられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨に打たれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。

色彩もあり変化もあります。障害にも出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培(つちか)われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。

 もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず一生懸命頑張ったあとにいただくから価値があるのです。

そういう価値ある人間になるように努力なさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来ごとは何一つ起きないのです。


 一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思った時は、怯(ひる)まず自分にムチ打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。

 世間でいう〝成功者〟になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。

それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分として最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできているという自信を持って、平然として死を迎えることができます。これが私からのアドバイスです」


 ルース「今のお話で私たちの最後の質問をしなくてもよくなりました」


 SB「さて私はそろそろ行かねばならなくなりました。私の去り難い気持ちはお分かりいただけると思います。せっかくの親しいつながりをしばらくのあいだ絶たねばならないからです。私はもうすっかり地上のお付き合いが好きになってしまいました。

しかし同時に、しばらくこのつながりを絶たないことには、かえって私の存在価値が小さくなることも事実なのです。何となれば、これから先の仕事に必要なエネルギーが摂取できるのは内奥の世界においてのみだからです。


 その世界に戻ると私は地上へ帰りたい気持ちが薄らぎます。そこが私の本来の住処だからです。何しろそこは天上的なよろこびに満ちた光輝あふれる世界なのです。しかし私にはまだまだ為さねばならない仕事があります。

これまで成した仕事がはたしてこれで良かったのかどうかを確かめたいのです。そこでこれから霊のきずなにおいて親密な間柄にある同志たちと会ってきたいのです。


 私が居ない間も私のことを忘れないでくださいね。私の影響力だけはずっと残っていることを知ってください。そのうちまた私がみずから引き受けた仕事の推進のために戻ってまいります。

日常生活において皆さんを絶え間なく見守り付き添ってあげるために戻ってまいります。皆さんと生活をともにすることは私にとって一つの楽しみなのです。お役に立つことが出来ることを光栄に思っているのです。


 では、また会う日までお別れすることにいたしましょう。私はいつも愛を持って訪れ、愛を持って去ります。皆さんに神の御恵みの多からんことを」

 

     
  九章 悩み多きインド

 インドのボンベイの新聞〝フリープレス・ジャーナル〟のロンドン特派員シュリダール・テルカール氏がハンネン・スワッハー氏との不思議な出会いからシルバーバーチの交霊会に招かれた。以下はテルカール氏の記事である。

             ※                   ※                   ※

 われわれの日常生活には不思議なことが起きるものである。なぜそうなったかは必ずしも説明できない。〝ああ、それはそうなるようになってたんだよ〟と言う人がいるであろう。〝それが神の意志だったのさ〟と言って片づけてしまう人もいるであろう。

かくして凡人はそうした〝予期せぬこと〟の背後の重大な意味に気づかないまま毎日を生きている。


 いま私の脳裏に、なぜあの時あんなことになってしまったのだろうかという、ある不思議な体験のことが残っている。今の私には不思議なナゾに包まれたミステリーに思える。私の職業はジャーナリストである。母国インドの新聞に何か新鮮なものを送りたいと思っていつも目を皿のようにしている人間である。

 さて、つい先ごろのことである。インド人の友だちが情報局のプレスルームにひょっこり姿を見せた。思いがけないことだった。〝サボイ・ホテルまで来てくれないか。いい話があるんだ〟と言う。

誘われるまま行ってみると、ストラボルギー卿の記者会見が行われていた。友たちは会見室に入っていきジャーナリストが並んでいる一ばん端に席を取った。が、私は何となく入る気がしなくて外で待っていた。


 ところが突然ストラボルギー卿が席を立って私のところへ歩み寄り、握手を求め〝ま、お入りください〟と言って中へ案内した。そして座らされたテーブルには、なんと、卿夫妻とイスラエル人の他にハンネン・スワッハー氏がいた。

私はスワッハー氏は取材旅行中に何度も見かけたことはあるが、それほど身近に見るのは初めてだった。氏には何かしら私を惹きつけるものを感じていた。


 その瞬間私の脳裏には学生時代のことが浮かんだ。当時はハンネン・スワッハーといえば毒舌をもって鳴らす怖い存在に思えた。が今はじめて言葉を交わして見て、本当は心根の優しい、温かい、真の庶民の味方で、深い人間的理解力を秘めた方であることを知った。

記者会見が終わると私はスワッハー氏に〝かねがねお会いできればと願っておりました〟と挨拶した。すると〝正午に私の家にいらっしゃい〟と言われた。


 訪ねてみるとスワッハー氏は書物と書類に埋もれた〝仕事場〟にいた。氏はそこであの超人的才能で文章を書き上げているのだ。あの辛らつな、容赦ない風刺をきかした文章、スワッハー一流の簡潔な文章──千語が百語に凝縮してしまうのだ。その日私はそのスワッハー氏がその魔術的仕事に携わっているところを見ていて〝ペンは剣より強し〟という古い諺を思い出した。

実はその時の私にはある不満のタネがあった。それを遠慮なく述べると、それをまともに取り上げてくれて、その場であっという間に記事を書き上げてしまった。奇跡としか思えなかった。スワッハーという人はただの毒舌家ではないのだ。

 さて私がそろそろ失礼しようとすると、氏が司会をしているホームサークルに出席してみなさいと言われた。私は英国へ来て十五年余りになるが、スピリチュアリストの集会にも交霊会にも行ってみたことがない。

ジャーナリストである以上──ジャーナリストというのは常に抜け目のない批判的精神の持ち主であると相場がきまっているので──このチャンスを逃すのは勿体ないと考えて、招待に応じた。


 交霊会が催されるこじんまりとした住居(バーバネルの私邸)に到着した時私はいささか興奮していた。とても雰囲気のいい家だった。バーバネル夫妻が温かく迎えてくれた。至って英国らしい家庭である。

が、雰囲気はどこかよそと違うところがある。何となく母国インド人の手厚い歓迎を受けているような錯覚を覚えた。数こそ少ないが、その日そこに集まった人たちとすぐに打ちとけてしまったのである。


初めて会う人たちばかりなのに、あたかも親しい旧友と再会したみたいに愉快に語り合い、冗談を言い合っては笑いが巻き起るのだった。

 壁の肖像画がすぐ目に入った。このハンネン・スワッハー・ホームサークルの支配霊シルバーバーチである。深い洞察力に富んだ眼と顔の輝きがインディアンの聖人を思わせる。私はしばしその画に見入っていた。今にも私に語りかけそうな感じがした。

 談笑はしばらく続いた。私はスワッハー氏の隣に腰かけた。有名な心霊治療家であるパリッシュ氏と向かい合う形となった。やがて急に部屋が静寂に包まれた。時おりヒソヒソと語り合う声がする。私は列席者の顔ぶれに興味のまなこを向けた。スワッハーの横にはもう一人、純情そうな若いジャーナリストがいた。こうして油断を怠らなくさせるのは新聞記者としての私の本能である。

 列席している男女は至って普通の人間ばかりである。奇人・変人の様子はひとかけらも見られない。語り合った印象でも、みな教養豊かな知識人ばかりである。政治問題、社会主義、ガンジーなどが話題に上ったが、どう見ても〝へソ曲がり〟でもなく〝ネコかぶり〟でもなく、〝一風変わった精神病者〟ではあり得なかった。(当時のスピリチュアリストはそういう言葉で形容されていたのであろう───訳者)

 そのうち霊媒のバーバネルが落ち着かない様子を見せはじめた。〝落ち着かない〟という表現は適切ではないのであろうが、私の目にはそう映ったのである。両手でしきりに頬をさすっている。眼はすでに閉じている。氏の身も心も何か目に見えないものによって占領されているように私には思えた。

続いて〝シュー〟という声とともにドラマチックな一瞬が訪れた。全員の目が霊媒の方へ注がれている。ついにシルバーバーチが語り始めたのである。


(訳者注───必ずいびきを伴った息づかいから始まり、それが次第に大きくなっていき、最後に〝フーッ〟と大きく吐き出す。それがそのときの唇の形によって〝シューッ〟となったり〝スーッ〟となったりする。霊媒から離れる時もなぜかいびきを伴った息づかいで終わる)

 最初に祈りの言葉があった。その簡潔でいてしかも深い意味を持つ言葉に私は感銘を受けた。それが淀みなく流れ出るのに深い感動を覚えた。祈りが終わってスワッハー氏が私を(インドの霊覚者)リシーと親交のある人物として紹介すると、シルバーバーチはこう語ってくれた。

 「本日は私たちの会にご出席いただいてうれしく思います。リシーご夫妻には私も深い敬意を抱いております。大きな仕事をなさっておられるからです。暗黒の大陸においては小さな灯でしかないかも知れませんが・・・

 ご夫妻は右に偏ることも左に偏ることもなく、双肩に担わされた神聖な信任に応えるべく真っすぐに歩んでおられます。大陸を相手にたった一人です。自らも遅々として進歩の少ないことを自覚しておられますが、そのたった一人の力で多くの魂が感動し、太古からの誤った教えと古臭い迷信による束縛から脱し、霊的真理の光明へ向かっております。

 どんどん広がってまいります。小さなうねりが次第に大きくなって大河となり、やがて巨大な大洋となることでしょう。きっとなります。宗教についてあれほど多くが語られながら霊についての真実がほとんど理解されていないあなたの大陸においてきっと広がることでしょう。

 私から見るとインドには霊の道具となれる人があふれるほどいます。一人ひとりが福音を広める道具です──道具となれる可能性をもっております。一人の人間が一人の人間に真理をもたらすことができれば、少なくとも倍の真理がもたらされたことになりましょう。

 所詮は短い人生です。その短い人生においてたった一人の人間でもいいから重荷を軽くしてあげることに成功したら、たった一人の人間の涙を拭ってあげることが出来たら、たった一人の人間の悩みを取り除いてあげることが出来たら、それだけでもあなたの生涯は無駄でなかったことになります。

ところが悲しいことに、地上生活の終わりを迎えたときに何一つ他人のためになることをしていない人が実に多いのです。そう思われませんか」


 「まったくです」と私は答えた。

 社会主義者として、また普遍的同胞精神の大切さを信じる者の一人として、そのシルバーバーチの最後の言葉は、苦しむ人類の全てに対するメッセージと言ってよい。その言葉を胆に銘ずべき人がいる筈である。今地上には同胞に対する非人間性がはびこりつつあり、われわれの想像力を悩ませている。

神と真理の名において多くの罪悪が横行している。〝力は善なり〟の風潮がはびこり、宇宙の永遠の摂理が風に吹き飛ばされている。確かにシルバーバーチの言うとおり、もしも〝一人ひとりが福音を広める道具〟となれば、少なくともわれわれの人生は無駄でなかったことになろう。私はシルバーバーチにこう尋ねた。


 「私は人間はすべて自由であるべきだと思います。私の国民は今大きな苦しみを味わっております。インドの魂は悶え苦しんでいると私はみています。今日インドには立派な人がいることはいます。

インド国民の霊的意識を高揚させ、霊力の貯蔵庫の恩恵にあずからせるべく献身的生活をしている霊覚者がいて、インドをイギリスの支配から独立させ、平和と幸福と自由を得るために闘っております。私たちの国民がそこまで到達する方法、あるいは道があるのでしょうか」


 「今ここに素晴らしい方がお見えになってます。その方の詩をあなたも愛読していらっしゃると言えば、もう誰だかお分かりでしょう」

 タゴールである。インド最高の詩人であり、その詩によって無数の国民の魂を鼓舞した人物である。シルバーバーチは続けた。

 「いいですか。インドは今、過去に蒔いたタネを刈り取っているところだということを知ってください。宇宙は法則によって支配されております。原因と結果の法則です。私の声は──そして地上の物的束縛から解放された者たちの声もみなそうですが──自由と解放と寛容の大切さを強調します。が、

血なまぐさい戦争の結果として生じた複雑な問題が一気に解決できるわけがありません。

国民が勝手にこれが自由だと思いこみ、それ以外の自由を望まない国民を安易に解放するわけには行かないでしょう。自由には必ず条件が付きものだからです。何の拘束も無い自由と言うものは無いのです。

〝自由な自由〟というものは無いのです。自由というのは、その自由がもし無条件なものとなったらかえって侵害されかねない〝自由の恩恵〟を味わうために、ある程度の制約が必要なのです。


 インドはこれまで幾世紀にもわたって、勝手にこしらえた信仰に縛られてきたがために生じた暗黒が支配しています。無数の国民が間違った偶像を崇拝し、それに神性と絶対力があるかに思い、それ以外の神々を認めることを拒否します。

それによって人間の霊性が束縛され、隷属させられ、抑圧されております。わけの分らない概念で戸惑わせるばかりの複雑な教義でがんじがらめにされております。


 さて、そうした彼らを救出してあげなければならないのですが、何世紀にもわたって積み重ねられてきたものをたった一日で元に戻す方法はありません。インド民族はまだ寛容の精神が身に付いておりません。

神の前において人類はすべて平等であること、誰一人として神の特別の寵愛を受ける者はいないこと、無私の奉仕に献身した者だけが神の恩寵にあずかるという教えが理解できておりません。


 改めなければならないことが沢山あります。永い間暗闇の中で暮らしてきた者は一度に真理の光を見ることができません。そんなことをしたら目が眩んでしまいます。仕事は一人ひとりが自分の力で、牢獄となってしまった宗教的束縛から脱け出ることから始まります。

その束縛を打ち破ってしまえば、より大きな自由を手にすることが出来ます。すなわち他人の権利を認めてあげられる心のゆとりです。


 人間の霊には教義やカースト(世襲的階級制度)を超えてすべてを結びつける要素があるとこと、民族全体が一つの兄弟関係にあることを理解出来る人が大多数を占めるようになれば、もはやその民族を隷属させる権力者も支配者もいなくなります。

なぜなら、すでにその民族は自らの努力によって獲得した魂の自由を駆使できる段階まで到達している筈だからです。


 まずは献身的奉仕精神に目覚めた、ひとにぎりの誠心誠意の人物が出現すればいいのです。その人たちによって多くの難問解決への道が切り開かれ、暗闇に光明を灯す糸口がつかめるでしょうが、そのためには、その人たちは〝我〟を超越し〝宗派〟を超越し、〝教義〟と〝カースト〟を超越して、インド民族のすべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味があることを率直にそして謙虚に認められるようにならなければいけません。

あれほどの宗教国家においてあれほどの暗黒が存在するとは、何という矛盾でしょう。あれだけの裕福な階級がある一方で、あれほどの貧民階級が存在するとは、何という矛盾でしょう!


 私は主張した──「でもインドにも偉大な人物が数多く存在します。政治犯として今なお獄中にあるネールを初め、ガンジー、そのほか偉大な人物がいます。インドの国民は、問題は要するに一国家による他国家の占領支配にあると考えています」

 「それは違いますよ」 と優しく諭すようにシルバーバーチは語ってくれた。「いいですか、問題はあなたのおっしゃる一国による占領支配にあるのではありません。何となれば、かりにその占領支配が一気に取り除かれても、それで民族に自由がもたらされるかというと、そうは行かないでしょう。

自由というのは苦労した末に手にすべきものなのです。自分の力で勝ち取らねばならないものなのです。そのための大きな革命がナザレのイエス以来ずっとこの方、個人の力で成就されてきているではありませんか」

(訳者注──イエス時代のイスラエル民族はローマの占領支配下にあり、それと結託したユダヤ政治家や宗教家の腐敗と堕落によって民衆は息も絶えだえの状態にあった。そこに出現したのがイエスであり、腐敗と堕落を極めた宗教家と政治家を相手に敢然として立ち向かった。

イエスは一般にはキリスト教の教祖のように思われているが、世襲的にはユダヤ教徒だった。が、ユダヤ教の誤った教義によって束縛された生活習慣や物の考え方を改めるために新しい霊的真理を説き、その証拠として持ち前の霊的能力を駆使したまでのことで、本質的には社会革命家だった。シルバーバーチの念頭にはインドが当時のイスラエルに似ているという認識がある)

 シルバーバーチの霊言を聞いていて私は、その言葉に深い真理があることに気づいた。その訓え──インド民族への霊的メッセージに秘められた叡知に大きな感動を覚えた。最も、末節的には賛成しかねる部分もあった。

現在のインド民族の大半がヒンズー教徒の信者であるが、今日のヒンズー教徒はべーダとウパニシャッド(ともにバラモン教の根本教典で最高の宗教哲学書とされている──訳者)をもとにした純粋のヒンズー教徒ではなくなっている。べーダとウパ二シャッドの教えはまさにシルバーバーチの訓えそのものなのである。


 ヒンズー教もその内きっと本来のあるべき姿を取り戻す日が来るであろう。それは時間の問題に過ぎない。ガンジーその他の大人物がすでにエネルギーを再生させ、それによって無数のインド人が勇気づけられている。今やインドは蘇ったのである。多くの者が既に邪神と似非(えせ)予言者との縁を断っている。

 この度の英国による政治支配はむろんインド自身の側にもその責任の一端がある。が、こうした事態に至らしめた最大の責任は、片手に銃を、もう一方の手にバイブルを持って攻め込んだ征服者の側にある。それが自分たちの邪神と似非予言者をインドに植え付けたのである。

それが積み重ねられた影響力がインド人の心にますます混乱を引き起こした。打ちひしがれた心が一段と虐げられ、インドの自由精神はほぼ外敵の戦車の車輪につながれてしまっていた。


 今日のインドには世界の他のいかなる国にも劣らない霊的同胞精神がある。人間の霊性が武力の前に恐れおののいているように思えてならない。カーストと教義を超えてインド人は、シルバーバーチの言うように〝すべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味がある〟ことを認識している。

 〝大きな革命は個人の力で成就されてきた〟──このシルバーバーチの言葉は至言である。ガンジーもネールも偉大な革命家だった。彼らの政策に批判的な人がいるかも知れない。その経済政策に疑問を持つ人がいるかも知れない。彼らの禁欲主義は度を過ごしていると思う人がいるかも知れない。が、彼らは現実にインドの大衆の心を捉えたのだ。

 彼らこそ宗教的教義のジャングルを切り開き、不幸な私の母国に自由をもたらしてくれることであろう。が、同時に、他の多くの国の偉大な霊もまた、その霊的統一をもたらす上で力となってくれるに違いない。頑丈な体格をしながらも傷ついた人間に小柄な人間が力を貸すことが出来ることもあるのだ。 

 では最後にこう付け加えて本稿を終わろう。私は厳密な意味でのスピリチュアリストではない。が、この度の交霊会への出席は素晴らしい体験だった。今なお私は勉強中であり、研究中であり、指導を求めている。道は遠く、困難をきわめることであろう。が、どうやらその旅の終わりには、それだけの価値のあるものが待ち受けている様な気がする。
                                                                                 シュリダール・テルカール
 

       
 十章 質問に答える

(一)──スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できるものの中で最大のものは何でしょうか。


 「最大の貢献は神の子等にいろんな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日蔭でなく日向で生きることを可能にします。

 あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放します。真理を求める戦いにおいて勇猛果敢であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上の他のいかなる人間にも霊の絆が宿ることを認識せしめます。
 
 憎み合いもなく、肌の色や民族の差別もない世界、自分をより多く役立てた人だけが偉い人と呼ばれる新しい世界を築くにはいかにしたらよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうしたことがスピリチュアリズムにできる大きな貢献です。

 人間は自由であるべく生れてくるのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷の如く他のものによって縛られ足枷をされて生きるべきものではありません。その人生は豊かでなければなりません。

精神的にも身体的にも霊的にも豊かでなければいけません。あらゆる知識──真理も叡知も霊的啓示も、すべてが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の荘厳さの中で生きるべきです」


(二)──スピリチュアリズムはこれまでどおり一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか、それとも一つの信仰形体として正式に組織を持つべきでしょうか。


 「私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹は止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。みずからの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。

あなた方が寄与できるのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。それがどれだけの影響をもたらすかは前もって推し量ることは出来ません。そのためのルールをこしらえたり、細かく方針を立てたりすることはできません。

(そういうことを人間の浅知恵でやろうとすると組織を整え、広報担当、営業担当といったものをこしらえ、次第に世俗的宗教となり下がるということであろう──訳者)


 あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する──人のために役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える──かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。

じっくりと人間生活の全分野に浸透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」



(三)──支配霊になるのは霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか。

 「いえ、そうとはかぎりません。その霊媒の仕事の種類によって違いますし、また、〝支配霊〟という用語をどういう意味で使っているかも問題です。地上の霊媒を使用する仕事に携る霊は〝協力態勢〟で臨みます。

一人の霊媒には複数の霊からなる霊団が組織されており、その全体の指揮に当たる霊が一人います。これを〝支配霊〟と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じでしゃべります。


ときおり他の霊がしゃべることもありますが、その場合も支配霊の指示と許可を得たうえでのことです。しかし役割は一人ひとり違います。〝指導霊〟という言い方をすることがあるのもそのためです。

 入神霊言霊媒にかぎって言えば、支配霊は必ず霊媒より霊格が上です。が、物理現象の演出にたずさわるのは必ずしも霊格が高い霊ばかりとはかぎりません。中にはまだまだ地上的要素が強く残っているからこそその種の仕事にたずさわれるという霊もいます。

そういう霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とはかぎりません。しかし一般的には監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」


(訳者注──〝霊〟と〝魂〟の違いと同じく、この〝支配霊〟と〝指導霊〟の使い方は英語でも混乱している。と言うよりは勝手な解釈のもとに使用されていると言った方がよいであろう。これは各自の理解力に差がある以上やむを得ないことであり、こうしたことは心霊の分野だけでなく学問の世界ですら一般的である。だからこそ辞引や用字用語辞典が生まれてくるのである。

心霊用語を一定の規範にまとめるべきだという意見も聞かれるが、私は使用する人間にその心得がない以上それは無駄であると同時に、その必要性もないと考えている。要は自分はこういう意味で使用するということを明確にすれば、あるいは文脈上それがはっきりすれば、それでいいと思う。

特に霊界通信になると根本的に人間の用語では表現できないことが多く、通信霊は人間以上にその点で苦労しているのである。


それは私のように英語を日本語に直す仕事以上に大変なことであろう。霊言でも自動書記でも同じである。それが人間の言語の宿命なのである。シルバーバーチが折あるごとに、用語に拘らずその意味をくみ取って欲しいと言っているのもそのためである)


(四)───入神状態(トランス)は霊媒の健康に害はないのでしょうか。

  「益こそあれ何ら害はありません。ただし、それは今までに明らかにされた霊媒現象の原理・法則を忠実に守っていればのことです。あまりひんぱんにしすぎると、たとえば一日に三回も四回も行えば、これは当然健康に悪影響を及ぼします。が、

常識的な線を守って、きちんと期間を置いて行い、霊媒としての日ごろの修行を怠らなければ、必ず健康にプラスします。なぜかというと、霊媒を通して流れるエネルギーは活性に富んでいますから、それが健康増進の効果をもたらすのです。正しく使えば霊媒能力はすべて健康にプラスします。が使い方を誤るとマイナスとなります」



(五)──思念に実体があるというのは本当でしょうか。

 「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある───このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。

 いま地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信しあえる段階までは進化していないということです。

まだまだ開発しなければならないものがあります。
地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形体をとるまでは存在に気付かないからです。

 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

 勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」


──物的活動の動機づけとして活用するのは許されますね

 「それは許されます。また事実、無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」

 
──でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

 「できます。なぜなら私たちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、私がぜひ申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。

またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観るかぎり、それが真実なのですから仕方がありません」



──大戦前にあれほど多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止できませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土───敵国のドイツでもそう祈ったのです。

 「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」


──善意の人々にとっては思念の力が頼りです。


──米国民への友好心はわれわれ英国人への友好心となって返ってきます。


 「それから、遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。ただしその時は霊がその仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。

ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。
その意味でこの地上生活において思念を行為の有効なさきがけとする訓練をすべきです。

きちんと考えたうえで行為に出るように心掛けるべきです。ですが、思念の使い方を知らない方が何と多いことでしょう。わずか五分間でも、じっと一つのことに思念を集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」



(六)──遠隔治療において患者が(精神を統一するなどして)治療に協力することは治療効果を増すものでしょうか。

 「私の考えでは、それは波長の調整にプラスしますから、大体において効果を増すと思います。異論もあることでしょうが、私はそうみています。知らずにいるよりは知っている方が原則としては治療が容易になります。治療エネルギーを送る側と受ける側とが波長が合えば、治療が一段と容易になります。

 治療を受けていることを知らないでも顕著な治療効果が表れたケースがあることは私もよく知っておりますが、大抵の場合それは患者の睡眠中に行われているのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです」

(昼間に送られた治療エネルギーが睡眠中に効き始めるというケースもある───訳者)



(七)──心霊研究をどう思われますか。

 「その種の質問にお答えする時に困るのは、お使いになる用語の意味について同意を得なければならないことです。〝心霊研究〟という用語には、いわゆるスピリチュアリストが毛嫌いする意味が含まれています。(S・P・Rのように資料をいじくりまわすだけに終始して一歩も進歩しない心霊研究をさす───訳者)

こうした交霊会や実験会や養成会も真の意味における〝研究〟であると言えます。というのは、私たちはそうした会を通して霊力がよりいっそう地上へもたらされるための通路を吟味・調査しているからです。

 みなさんは私たちから学び、私たちはみなさんから学びます。動機が純粋の探求心に発し、得られた知識を人類の福祉のために使うのであれば、私は研究は何であっても結構であると思います。が、霊媒を通して得られる現象を頭から猜疑心を持って臨み、にっちもさっちも行かなくなっている研究は感心しません。

動機が真摯であればそれは純粋に〝研究〟であると言えます。真摯でなければ〝研究〟とは言えません。純心な研究は大いに結構です」



(八)──国教会は、スピリチュリズムには何ら世の中に貢献する新しいものがないと言って愚弄しておりますが、それにどう反論されますか。

 「私は少しも愚弄されているとは思いません。私たちがお届けした〝新しいものが〟一つあります。それは、人類史上初めて宗教というものを証明可能な基盤の上に置いたことです。つまり信仰と希望とスペキュレーションの領域から引き出して〝ごらんなさい。このようにちゃんと証拠があるのですよ〟と言えるようになったことです。

しかし、新しいものが無いとおっしゃいますが、ではイエスは何か新しいものを説いたでしょうか。大切なのは新しさとか物珍しさではありません。真実か否かです」



 ここでメンバーたちがシルバーバーチの当意即妙の応答ぶりに感心して口々にそのことを述べると、こう述べた。

 「地上のみなさんは細切れの知識を寄せ集めなければなりませんが、私たちは地上にない形で組織された知識の貯蔵庫があるのです。どんな情報でも手に入ります───即座に手に入れるコツがあるのです(※)。私たちの世界の数ある驚異の一つは、すべてが見事に、絶妙に組織されていることです。

知識の分野だけでなく、霊にとってのあらゆる資源───文学、芸術、音楽等の分野においてもそうです。すべてが即座に知れ、即座に手に入ります。まだ地上の人間に知られていないことでも思いどうりになります」


(※霊格の高い低いに関係なく、そのコツさえ会得すれば誰にでも知れる。だからこそ歴史上の人物を名のって出る霊は警戒を要するのである。つまり、その人物の思想や地上時代の情報はいとも簡単に───あたかもコンピューターの情報のように、あるいはそれ以上に簡単に、しかも詳細に知れるので、〝それらしいこと〟を言っているからといってすぐに信じるのは浅はかである。

他界したばかりの霊を呼び出す場合も同じで、それらしく見せかけるのは霊にとっては造作もないことである。そんなことを専門にやって人間を感動させたり感激させたりしている低級霊団がいて、うまく行くとしてやったりと拍手喝さいして喜んでいる。別に危険性はないが、私には哀れに思えてならないのである───訳者)


 
(九)──大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか。

 「何ら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙及びそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。宇宙は誤ることのない叡知と慈悲深き目的を持った法則によって統括されています。

その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは間違いない事実です。


 このことは慈悲の要素が神の摂理の中に目論まれていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力を持ってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

 いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さを持って結果を生んでいく過程を阻止することは出来ません。そこに摂理の機械性があります。機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識を持ったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。

 私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲にあふれ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな〝人間神〟的な要素のない神です。しかし神は無限なる大霊である以上その顕現の仕方も無限です。あなた方お一人お一人がミニチュアの神なのです。

お一人お一人の中に神という完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿しているということです。その火花を宿していればこそ存在出来るのです。しかしそれが地上的人間性という形で顕現している現段階においては、みなさんは不完全な状態にあるということです。


 神の火花は完全です。一方それがあなた方の肉体を通して顕現している側面は極めて不完全です。死後あなた方はエーテル体、幽体、又は霊的身体───どう呼ばれても結構です。要するに死後に使用する身体であると理解すればよろしい───で自我を表現することになりますが、そのときは現在よりは不完全さが減ります。

霊界の界層を一段また一段と上がっていくごとに不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出るようになります。ですから完全といい不完全といい、程度の問題です」



──バラもつぼみのうちは完全とは言えませんが満開となった時に完全となるのと同じですね。

 「全くその通りとも言いかねるのです。厄介なことに、人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達することができないのです。知識にも叡知にも理解力にも真理にも、究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。いま成就出来ないのも、そのうち成就出来るようになります。

はしご段を昇っていき、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くというのです。それで完全という段階が来ないのです。もしそういうことが有りうるとしたら、進化ということが無意味となります」



 これは当然のことながら議論を呼び、幾つかの質問が出たが、それにひと通り応答した後、シルバーバーチはこう述べた。

 「あなた方は限りある言語を超えたものを理解しようとなさっているのであり、それはぜひこれからも続けていくべきですが、たとえ口では表現できなくても、心のどこかでちらっと捉らえ、理解出来るものがあるはずです。

たとえば言葉では尽くせない美しい光景、画家にも描けないほど美しい場面をちらっと見たことがおありのはずですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わうことは出来ます。それと同じです。あなた方は今、言葉では表現できないものを表現しようとなさっているのです」



──大ざっぱな言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言ってよいかと思うのですが・・・

 「結構です。ただその意識にも次元の異なる側面が無限にあるということを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理──大自然の法則──は、自動的に宇宙間のすべての存在を包含するからです。

たった一つの働き、たった一つのバイブレーション、動物の世界であろうと、鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと、昆虫の世界であろうと、根菜の世界だろうと、花の世界であろうと、海の世界であろうと、人間の世界であろうと、霊の世界であろうと、その法則によって規制されていないものは何一つ存在しないのです。

宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールを持った一つの調和体なのです。


 それを解くカギさえつかめば、悟りへのカギさえ手にすれば、いたって簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は神の意志が顕現したものだということです。法則が神であり、神は法則であるということです。

 その神は、人間を大きくしたようなものではないという意味では非人格的存在ですが、その法則が霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では人間的であると言えます。要するにあなた方は人類として宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」


──ということは神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則が作られつつあるのでしょうか。

 「法則は無窮の過去からずっと存在しています。完全である以上、その法則の枠外で起きるものは何一つ有り得ないのです。すべての事態に備えられております。あらゆる可能性を認知しているからです。もしも新たに法則を作る必要性が生じたとしたら、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」


──こう考えてよろしいでしょうか。神の法則は完全性のブループリント(青写真・設計図)のようなもので、われわれはそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と。

 「なかなか好い譬えです。みなさんは地上という進化の過程にある世界における進化しつつある存在です。その地球は途方もなく大きな宇宙のほんの小さな一部に過ぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態に備えた法則によって支配されております。

 その法則の枠外に出ることは出来ないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動のすべてがその法則によって規制されているのです。

あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまりあなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかは、あなた自ら工夫しなければなりません。それさえできれば、病気も貧乏も、そのほか無知の暗闇から生まれる不調和の状態が無くなります。

自由意志の問題について問われると必ず私が、自由といっても無制限の自由ではなく自然法則によって規制された範囲での自由です。と申し上げざるを得ないのはそのためです」



(10)──この機械化時代は人類の進化に役立っているのでしょうか。私にはそうは思えないのですが。

 「最終的には役に立ちます。進化というものを一直線に進むもののように想像してはいけません。前進と後退の繰り返しです。立ち上がっては倒れるの繰り返しです。少し登っては滑り落ち、次に登った時は前より高いところまで上がっており、そうやって少しずつ進化して行きます。

ある一時期だけを見れば〝ごらんこの時期は人類進化の黒い汚点です〟と言えるような時期もありますが、それは物語の全体ではありません。ほんの一部です。


 人間の霊性は徐々に進化しております。進化に伴って自我の本性の理解が深まり、自我の可能性に目覚め、存在の意図を知り、それに適応しようと努力するようになります。

 数世紀前までは夢の中で天界の美を見、あるいは恍惚たる入神の境地においてそれを霊視できたのは、ほんのひとにぎりの者にかぎられていました。が今や、無数の人々がそれを見て、ある者は改革者となり、ある者は先駆者となり、ある者は師となり、死して後もその成就の為に立ち働いております。そこに進歩が得られるのです」


──その点に関しては全く同感です。進歩はあると思うのです。が、全体として見た時、地球上が(機械化によって)余り住み良くなると進化にとってマイナスとなるのではないかと思うのです。

 「しかし霊的に向上すると──あなた個人のことではなく人類全体としての話ですが──住んでいる世界そのものにも発展性があることに気づき、かつては夢にも思わなかった豊かさが人生から得られることを知ります。

機械化を心配しておられますが、それが問題となるのは人間が機械に振り回されて、それを使いこなしていないからに過ぎません。使いこなしさえすれば何を手に入れても宜しい──文化、レジャー、芸術、精神と霊の探究、何でもよろしい。かくして内的生命の豊かさが広く一般の人々にも行きわたります。


 その力は全ての人間に宿っています。すべての人間が神の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山をこしらえ恒星をこしらえ惑星をこしらえた力と同じ力、太陽に光を与え花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、生活の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば存分に活用することが出来るのです」


──花に芳香を与えた力が蛇に毒を与えているという問題もあります。

 「それは私から見れば少しも問題ではありません。よろしいですか。私は神があなた方のいう〝善〟だけを受け持ち、悪魔があなた方のいう〝悪〟を受けもっているとは申しあげておりません」


──潜在的には善も悪もすべてわれわれの中に存在しているということですね。

 「人間一人一人が小宇宙(ミクロコズム)なのです。あなたもミニチュアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです」


(十一)──あなたは地球という惑星がかつてより進化しているとおっしゃいましたが、ではなぜ霊の浄化のためになお苦難と奮闘が必要なのでしょうか。

 「なぜなら人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化というものはありません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。が、そのたびに少しずつ進化してまいります。

 霊の世界では、次の段階への準備が整うと新しい身体への脱皮のようなものが生じます。しかしその界層を境界線で仕切られた固定した平地のように想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的に幾つかあって、お互いに重なり合い融合し合っております。

地上世界においても、一応皆さんは地表と言う同じ物質的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別の世界に住んでいると言えるのです」



──これまでの地上社会の進歩はこれから先に為されるべき進歩に較べれば微々たるものに過ぎないのでしょうか。

 「いえ、私はそういう観方はしたくないのです。比較すれば確かに小さいかも知れませんが、進歩は進歩です。次のことを銘記してください。人間は法律や規則をこしらえ、道徳律をうち立てました。文学を豊かにしてきました。芸術の奥義を極めました。精神の隠された宝を突き止めました。霊の宝も、ある程度まで掘り起こしました。

 こうしたことは全て先輩達のお陰です。苦しみつつコツコツと励み、試行錯誤を繰り返しつつ、人生の大渦巻きの中を生き抜いた人たちのお陰です。総合的に見れば進歩しており、人間は初期の時代にくらべて豊かになりました。物質的な意味ではなく霊的・精神的に豊かになっております。そうあって当然でしょう」

                

         
 十一章 なぜ神に祈るのか

 〝あなたはなぜ神に祈るのですか〟と問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次のように述べた。

 「それは、私に可能なかぎり最高の〝神の概念〟に波長を合わせたいという願いの表れなのです。

 私は祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。

われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前にすでに知れているのです。


 なのになぜ祈るのか。それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。


 利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーのムダ使いをしているに過ぎません。それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。

 では誰に、あるいは何に祈るべきか──この問題になると少し厄介です。なぜなら人間一人ひとりに個人差があるからです。人間は必然的に自己の精神的限界によって支配されます。その時点までに理解したものより大きいものは心象として描きえないのです。

ですから私もこれまでに地上にもたらされた知識に、ある程度まで順応せざるを得ないことになります。たとえば私は言語という媒体を使用しなければなりませんが、これは観念の代用記号にすぎず、それ自体が、伝えるべき観念に制約を加える結果となっています。


 このように地上のための仕事をしようとすれば、どうしても地上の慣例や習慣、しきたりといったものに従わざるを得ません。ですから私は、神は人間的存在でないと言いながら男性代名詞を使用せざるを得ないことになります (たとえば〝神の法則〟というのを His Iaws というぐあいに──訳者)。私の説く神は宇宙の第一原因、始源、完全な摂理です。

 私が地上にいた頃はインディアンはみな別の世界の存在によって導かれていることを信じておりました。それが今日の実験会とほぼ同じ形式で姿を見せることがありました。その際、霊格の高い霊ほどその姿から発せられる光輝が目も眩まんばかりの純白の光を帯びていました。

そこで我々は最高の霊すなわち神は最高の白さに輝いているものと想像したわけです。いつの時代にも〝白〟という のは 〝完全〟〝無垢〟〝混ぜもののない純粋性〟 の象徴です。そこで最高の霊は 〝白光の大霊〟 であると考えました。当時としてはそれが我々にとって最高の概念だったわけです。


 それは、しかし、今の私にとっても馴染みぶかい言い方であり、どのみち地上の言語に移しかえなければならないのであれば、永年使い慣れた古い型を使いたくなるわけです。

ただし、それは人間ではありません。人間的な神ではありません。神格化された人間ではありません。
何かしらでかい存在ではありません。激情や怒りといった人間的煩悩によって左右されるような存在ではありません。

永遠不変の大霊、全生命の根源、宇宙の全存在の究極の実在であるところの霊的な宇宙エネルギーであり、それが個別的意識形体をとっているのが人間です。


 しかしこうして述べてみますと、やはり今の私にも全生命の背後の無限の知性的存在である神を包括的に叙述することは不可能であることを痛感いたします。が少なくとも、これまで余りに永いあいだ地上世界にはびこっていた多くの幼稚な表現よりは、私が理解している神の概念に近いものを表現していると信じます。

 忘れてならないのは、人類は常に進化しているということ、そしてその進化に伴って神の概念も深くなっているということです。知的地平線の境界がかつてほど狭くなくなり、神ないしは大霊、つまり宇宙の第一原理の概念もそれにともなって進化しております。しかし神自体は少しも変わっておりません。

 これから千年後には地上の人類は今日の人類よりはるかに進化した神の概念を持つことになるでしょう。だからこそ私は、宗教は過去の出来ごとに依存してはいけないと主張するのです。過去の出来ごとを、ただ古い時代のことだから、ということで神聖であるかに思うのは間違いです。

霊力を過去の一時代だけに限定しようとすることは、霊力が永遠不変の実在であるという崇高な事実を無視することで、所詮は無駄に終わります。地上のいずこであろうと、通路のあるところには霊力は注がれるのです。

(訳者注──聖霊は紀元六六年まで聖地パレスチナにのみ降り、それきり神は霊力の泉に蓋をされた、というキリスト教の教えを踏まえて語っている)


 過去は記録としての価値はありますが、その過去に啓示の全てが隠されてるかに思うのは間違いです。神は子等に受容能力が増すのに応じて啓示を増してまいります。生命は常に成長しております。決して静止していません。〝自然は真空を嫌う〟という言葉もあるではありませんか。

 あなた方は人々に次のように説いてあげないといけません。すなわち、どの人間にも神性というものが潜在し、それを毎日、いえ、時々刻々、より多く発揮するために活用すべき才能が具わっていること、それさえ開発すれば、周囲に存在する莫大な霊的な富が誰にでも自由に利用できること、言語に絶する美事な叡知が無尽蔵に存在し、活用されるのを待っているということです。
 
人類はまだまだその宝庫の奥深くまで踏み込んでいません。ほんの表面しか知りません」
 

──あなたは霊的生活に関連した法則をよくテーマにされますが、肉体の管理に関連した法則のことはあまりおっしゃってないようにお見受けします。

 「おっしゃる通り、あまり申し上げておりません。それは、肉体に関して必要なことはすでに十分な注意が払われているからです。私が見るかぎり地上の大多数の人間は自分自身の永遠なる部分すなわち霊的自我について事実上何も知らずにおります。

生活の全てを肉体に関連したことばかりに費しております。霊的能力の開発に費している人は殆ど──もちろんおしなべての話ですが──いません。
 
第一、人間に霊的能力が潜在していることを知っている人がきわめて少ないのです。そこで私は、正しい人生観を持っていただくためには、そうした霊的原理について教えてあげることが大切であると考えるわけです。

 私はけっして現実の生活の場である地上社会への義務を無視して良いとは説いておりません。霊的真理の重大性を認識すれば、自分が広い宇宙の中のこの小さな地球上に置かれていることの意味を理解して、いちだんと義務を自覚するはずです。

自国だけでなく広い世界にとってのより良き住民となるはずです。人生の裏側に大きな計画があることを理解し始め、その大機構の中での自分の役割を自覚しはじめ、そして、もしその人が賢明であれば、その自覚に忠実に生きようとしはじめます。

 肉体は霊の宿である以上、それなりに果たすべき義務があります。地上にいるかぎり霊はその肉体によって機能するのですから、大切にしないといけません。が、そうした地上の人間としての義務をおろそかにするのが間違っているのと同じく、霊的実在を無視しているのも間違いであると申し上げているのです。

 また世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。何ごとも偏りがあってはなりません。

いろんな法則があります。それを巾広く知らなくてはいけません。自分が授かっている神からの遺産と天命とを知らなくてはいけません。そこではじめて、この世に生まれてきた目的を成就することになるのです。


 霊的事実を受け入れることのできる人は、その結果として人生について新しい理解が芽生え、あらゆる可能性に目覚めます。霊的機構の中における宗教の持つ意義を理解します。科学の意義が分かるようになります。

芸術の価値が分るようになります。教育の理想が分るようになります。こうして人間的活動の全分野が理解できるようになります。一つ一つが霊の光で啓蒙されていきます。所詮、無知のままでいるより知識を持って生きる方がいいに決まっています」


 続いて二人の読者からの質問が読み上げられた。

 一つは「〝神は宇宙の全生命に宿り、その一つを欠いても神の存在はありません〟とおっしゃっている箇所がありますが、もしそうだとすると神に祈る必要ないことになりませんか」というものだった。これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「その方が祈りたくないと思われるのなら、別に祈る必要はないのです。私は無理にも祈れとは誰にも申しておりません。祈る気になれないものを無理して祈っても、それは意味のない言葉の羅列に過ぎないものを機械的に反復するだけですから、むしろ祈らない方がいいのです。祈りには目的があります。

魂の開発を促進するという霊的な目的です。ただし、だからといって祈りが人間的努力の代用、もしくは俗世からの逃避の手段となるかに解釈してもらっては困ります。


 祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にするための刺戟──これから訪れるさまざまな闘いに打ち克つために守りを固める手段です。何に向かって祈るか、いかに祈るかは、本人の魂の成長度と全生命の背後の力についての理解の仕方にかかわってくる問題です。

 言い変えれば、祈りとは神性の一かけらである自分がその始源とのいっそう緊密なつながりを求めるための手段です。その全生命の背後の力との関係に目覚めたとき、その時こそ真の自我を見出したことになります」


 もう一つの質問は女性からのもので、「イエスは〝汝が祈りを求めるものはすでに授かりたるも同然と信ぜよ。しからば汝に与えられん〟と言っていますが、これは愛する者への祈りには当てはまらないように思いますが、いかがでしょうか」というものだった。これに対してシルバーバーチは答えた。

 「この方も、ご自分の理性にそぐわないことはなさらないことです。祈りたい気持ちがあれば祈ればよろしい。祈る気になれないのでしたら無理して祈ることはありません。イエスが述べたとされている言葉が真実だと思われれば、その言葉に従われることです。真実とは思えなかったら打っちゃればよろしい。

神からの大切な贈りものであるご自分の理性を使って日常生活における考え、言葉、行為を規制し、ご自分が気に食わないもの、ご自分の知性が侮蔑されるように思えるものを宗教観、哲学観から取り除いていけばよいのです。私にはそれ以上のことは申し上げられません」



──〝求めよ、さらば与えられん〟という言葉も真実ではなさそうですね。

 「その〝与えられるもの〟が何であるかが問題です。祈ったら何でもその通りになるとしたら、世の中は混乱します。最高の回答が何もせずにいることである場合だってあるのです」


──今の二つの格言はそれぞれに矛盾しているようで真実も含まれているということですね。

 「私はいかなる書物の言葉にも興味はありません。私はこう申し上げたことがあるはずです──われわれが忠誠を捧げるのは教義でもなく、書物でもなく、教会でもない、宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理である。と」



 シルバーバーチの祈り

 ああ神よ。私たちはあなたの尊厳、あなたの神性、無限なる宇宙にくまなく行きわたるあなたの絶対的摂理を説き明かさんと欲し、もどかしくも、それに相応しき言葉を求めております。

 私たちは、心を恐怖によって満たされ精神を不安によって曇らされている善男善女が何とかあなたへ顔を向け、あなたを見出し、万事が佳きに計らわれていること、あなたの御心のままにて全てが佳しとの確信を得てくれることを期待して、霊力の豊かな宝の幾つかを明かさんとしているところでございます。

 その目的の一環として私どもは、これまで永きにわたってあなたの子等にあなたの有るがままの姿───完璧に機能している摂理、しくじることも弱まることもない摂理、過ちを犯すことのない摂理としてのあなたを拝することを妨げてきた虚偽と誤謬と無知と誤解の全てを取り払わんとしております。

 私たちは宇宙には生物と無生物とを問わず全ての存在に対して、また全ての事態に対して備えができているものと観ております。あなた方から隠しおおせるものは何一つございません。神秘も謎もございません。あなたは全てを知ろしめし、全てがあなたの摂理の支配下にございます。

 それゆえ私どもは、その摂理───これまで無窮の過去より存在し、これより未来永劫に存在し続ける摂理を指向するのでございます。子等が生活をその摂理に調和させ、すべての暗黒、すべての邪悪、すべての混沌と悲劇とが消滅し、代わって光明が永遠に輝き渡ることでございましょう。

 さらに又、愛に死はないこと、生命は永遠であること、墓場は愛の絆にて結ばれし者を分け隔てることはできぬこと、霊力がその本来の威力を発揮したときは、いかなる障害も乗り切り、あらゆる障壁を突き破って、愛が再び結ばれるものであることを証明してみせることも私どもの仕事でございます。

 私たちは、人間が進化を遂げ、果たすべく運命づけられている己れの役割に耐えうる素質を身に付けた暁に活用されることを待っているその霊力の豊かさ、無尽蔵の本性を持つ無限なる霊の存在を明かさんと欲しているものでございます。
 ここに、己れを役立てることをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。

             

      
   解説 悲劇の霊媒ヘレン・ダンカン

  七章に出ている霊媒ヘレン・ダンカンの投獄事件は〝世紀の裁判〟として当時の新聞をにぎわし〝暗黒時代〟の再来かという不安をスピリチュアリストに抱かせたものである。シルバーバーチが〝あなた方は暗黒時代へ引き戻されたわけではありません〟と言い、〝私は少しも心配していません〟と述べているのはそのためであるが、さらに、

〝もっともっと不自由な思いをさせられる方が身のためです〟と言うに至ってはいかにもシルバーバーチらしくて、私は訳していて苦笑を禁じ得なかった。


これほどの事件にそれなりの意味がないわけがなく、それが見えているからそういうセリフも出てくるのであろう。そして、確かにシルバーバーチの言うとおり犠牲者らしい犠牲者はダンカン夫人一人だけで終わり (とばっちりを受けた者もいたことはいたが) 大方の心配は杞憂に終わったのだった。

 ではその世紀の裁判とはいかなるものだったのか。これまで断片的な資料は入手していたが、このたび折よく、ブリーリー女史の 『ヘレン・ダンカンの二つの世界』 The Two Worlds of Helen Duncan by Grna Brealey というのが出版され、その中に裁判に関する詳細な記録が紹介されている。

これからそれを必要なかぎり紹介しようと思うが、その前にヘレン・ダンカンという霊媒の霊媒能力について述べておきたい。


 ダンカン女史の得意とするところは物質化現象で、その印象があまりに強いために他の能力の影が薄く感じられるが、実際は霊視、霊聴をはじめとしてオールラウンドな霊能を具えていた。

しかし、やはりヘンレン・ダンカンといえば物質化現象専門の霊媒と言ってよく、それがまた女史をスピリチュアリズム史上最初で最后の〝殉死者〟にしてしまったのだった。バーバネルはダンカン女史によるある日の交霊会の様子を次のように綴っている。



  「ヘレン・ダンカン女史の交霊会で私は、キャビネットの中で物質化象ができあがるところを特別に見せていただいたことがある。かつてキャビネットの外で、エクトプラズムの像が次第に縮んでいって、しまいには小さな光の玉のようになり、最後は床を突き抜けて沈むように消えて無くなるところを見たことがある。


 そのキャビネットの中で見た現象であるが、女史の鼻と口と耳から発光性のエクトプラズムが大量に波のように出てきて、やがて六フィートの背丈の女史の支配霊アルバートの姿となった。

同じ現象を見た(霊魂説否定派の最右翼である)心霊研究家のハリー・プライスは、ダンカンは前もってチーズクロス(ガーゼ状の布)を呑み込んでおいてそれを吐き出すのだと言う、途方もない説を出した。

これが荒唐無稽の説であることを証明するためにダンカン女史は自らX線検査を求めた。プライスの〝説〟ではダンカン女史の腹には牛と同じ反芻用の第二の胃袋があることになっていたが、検査結果はまったく〝正常〟だった。


 私は一度ならず女史の交霊会でエクトプラズムが出てきたところを直接触らせていただいたことがあるが、その時すでにカラカラに乾いていて一種独特の固体性を具えていた。これは反芻されて出てきたものではあり得ないことを証明している。

   私は決定的ともいえる実験をしたことがある。ダンカン女史をはじめ出席者全員にメチレンブルー(青色塩基性染料の一種)の錠剤を飲んでいただいたのである。胃袋の中のものが青みを帯びる効果をねらったものであるが、そのあと出現した物質化像はいつものとおり真っ白だった。

 次に、それらとはまったく対照的な現象───非物質化現象を紹介したい。ダンカン女史には封書読み(リーデング)の能力もある。ある時エステル・ロバーツ女史(バーバネルが英国一の折紙を付けた霊媒──訳者)がそのことに興味を抱き、一度試してみたいと言うので私が取り計らってあげた。

席上私はロバーツ女史に一枚の紙切れを渡して、誰にも見られないように一つの質問を書かせた。それを折りたたんで封書に入れ、封をしてダンカン女史に渡した。


 それを早速ダンカン女史が読みはじめた。ところが、八つの単語から成るその質問文の六つまで読んだところで〝なくなりました〟と言う。(ダンカン女史は文字通りその用紙が消えて無くなったと言っているのであるが、ロバーツ女史は読み取ったつもりの記憶が消えたという意味に受け取って)〝上出来です。

お判りにならないのは最後の二語だけで、あとは正確に読んでおられます〟と言うと、またダンカン女史が〝なくなりました〟と言う。


するとロバーツ女史がふたたび〝お読みになられたところまでは全部正確でしたよ〟と言いながら、念のためにその封筒を開けてみた。すると驚いたことに質問を書いた用紙が消えて無くなっているのである。封書の中が空っぽだったのである。そしてそれきりその用紙はどこからも出てこなかった。

 あとでロバーツ女史はこの不可思議な現象の意味が分かったと言って私に話してくれた。実はあの質問は他界したばかりのある人について何か情報を得られないかどうかを尋ねたものであるが、気が付いてみると、その人については支配霊のレッド・クラウドからある時期が来るまで情報を求めてはならぬと言いつけられていたのだそうで、まだその時期が来ていなかったというわけである」


 さて、ではダンカン女史は一体いかなる罪状で訴えられたのだろうか。起訴状によると大要次のようなことになっている。

 「被告人ヘレン・ダンカンは一九三三年一月四日及び五日の両日、(場所省略) 男女八名の者に対して自分は霊媒であると偽り、自分を通じて死者の霊を出席者の目に見え語りかけ会話を交わすことができる状態で物質化させうること、もし一人十シリングを支払えばそうした催しを行う用意があると偽り、

同日同場所において右の八名の者が出席して費用を支払うと、その場所で偽りの交霊会を催し、ペギーと名乗る幼児を含む幾名かの死者の霊を物質化させると偽り、そこで出席者の目に見え耳に聞こえたものが死者たちの姿であり声であるかのごとく見せかけた。


しかし実は本人も承知しているごとくペギーの物質化と称したのはメリヤス地のベスト(チョッキ)であり、それを被告人が手にして操作してそれらしく見せかけたものであり、その声は被告人本人の声であった。

被告人は総額四ポンドにのぼる費用を着服し、八人の出席者一人につき十シリングを詐取せしものである」(傍点は訳者。なおポンドもシリングも現在の十進法以前のもの)



 では問題の交霊会はどういう経緯で告発されたのだろうか。そのあらましを紹介すると、ある日ダンカン女史のもとに届けられた手紙の中にミス・ソールズという女性からの交霊会開催の依頼状があり、悲しみのどん底にある友人のために是非ともお願いしたいとあった。実はこの女性は後で出てくるミス・モールと共に警察の巧妙な、

というよりは強引な仕掛けの手先となっていた。指定された場所はロンドンの心霊研究センターで、ダンカン女史もよく知っていたので、早速予約受付け係の様な役をしていた夫のヘンリーに伝え、ヘンリーもすぐに〝受諾〟の返事を出した。が、

後になって同じ日に別の交霊会の予約があったことに気づいたヘンリーが取消しの通知を出そうかと言ったところダンカン夫人は、苦しい思いをしている人のためなのだからと、同じ日に二つの交霊会を催すことにし、その代わり少し予定より時刻が遅れることだけを伝えておいてほしいと頼んだ。二つの場所がかなり離れていたからである。


 さて当日であるが、グラスゴーでの交霊会を無事終えたダンカン女史は娘のリリアンと共に次の開催地であるエジンバラへ向かったのであるが、実はグラスゴーでの交霊会で支配霊のアルバートが、常連の一人であるドリスデール夫人に(ダンカン女史は入神状態なので何も分からない) 次の交霊会は用心するようにと警告している。

事件が迫っていることは背後霊団には分かっていたのである。交霊会の終りぎわにもう一度アルバートはドリスデール夫人に〝忘れずにヘレンに伝えて下さいよ〟と念を押した。入神から目覚めてアルバートの警告を聞かされたダンカン夫人は、次の交霊会へ行く途中を用心しろ───つまり交通事故に気をつけろという意味に受け取ったという。
℘218                   
 グラスゴーからエジンバラまではかなりの距離があるので、一つでも早い列車に乗ろうと、ダンカン夫人は旅行用の衣服に着更える暇もなく、上にコートをはおっただけで列車に飛び乗った。そこに又一つ悲劇のタネが隠されていた。訴状にある〝メリヤス地のベスト〟に着更えなかったことである。

 駅からタクシーに乗ってセンターの前で降りると、一人の女性(ミス・モール)が待っていて、〝実は会場が急に変更になりましたので〟と言い、理由も言わずに二人を隣接するホールへ案内した。

その間その女性は一言もしゃべらなかった。そして階段を二段上がったところでいきなり〝コートをお預りしましょう〟と言うので、〝いえ、結構です。それより娘を待たせておく部屋へ案内してやってください〟と言うと、〝かしこまりました。すぐに戻ってまいりますので〟と言ってリリアンを連れてその場を去った。


 待っている間にダンカン夫人はコートを脱ぎ、壁のコート掛けに掛け、その下に旅行用のカバンを置いた。そこへその女性が戻って来て交霊会の催される部屋へ案内した。入ってみると中央に四つの椅子が用意してあり、片隅のキャビネットへ向けて半円状に並べてある。

〝何かほかにお入り用のものがございますかしら?〟と出席者の一人が尋ねた。

〝お水を一杯お願いします。終わってから頂きますので。どうもご親切に〟とダンカン夫人が言った。

 それから間もなく交霊会が始められた。ダンカン夫人が入神した。後で夫人が述懐して言うには、朦朧とした意識の中で誰かが自分を引っ張って〝さあ、つかまえた!  これがあんたの言うペギーでしょう!〟と叫ぶ声がやっと聞こえたと言う。

 ペギーというのはアルバートと共によく物質化して出てくる子供の背後霊の名前である。少し意識が戻ってきたダンカン夫人が〝一体何事ですか〟と聞くと、〝今警察を呼んでいます。詐欺の現行犯で逮捕します〟と言う。これがミス・モールである。

 〝これを見なさい〟と言ってミス・モールが女性用のベストを差し上げて見せた。

 〝それはどこにありました?〟と、すっかり意識が戻ったダンカン夫人が聞いた。

 〝これがあなたの言うペギーなのですね?これを衣服の下から突き出そうとしているところを捕まえたのです〟と言った。これは明らかにでっち上げである。その時ダンカン夫人はそのベストを身に着けておらず、かばんの中に入れたままである。それをミス・モールが盗み出して持ち込んだのである。

 事の次第が分かったダンカン夫人は怒りを爆発させ、〝このウソツキ女!〟と叫んで摑みかかろうとしたが、二人の女性に止められ、その場にしゃがみ込んで泣いた。そこへ警察が入って来て取り押さえ警察署へ連行した。そして治安を乱したかどで正式に起訴された。反訴する権利もあることを知らされたが、ダンカン夫人はそれを拒否した。

気が動転していたせいもあるかも知れないが、私の想像では夫人は多分、裁判官を相手に交霊実験をやって見せれば簡単に疑いは晴れると考えていたのであろう。いずれにせよ、その時適用されたのが〝魔法行為取締法〟だった。


 ついでであるが、この取締法の成立過程は極めて興味深い経緯があるので紹介しておきたい。

 そもそもの発端は時の王ジェームズ一世(一五六七~一六二五)が花嫁をデンマークから呼び寄せようとして、それが北海の悪天候のために阻止されたことにあった。当時は魔法が法律でも〝事実〟として認められ、ジェームズ一世自身も、〝鬼神学〟に関する書物を著わしていたほどである。

そこで北海の荒波は何者かの魔法の為せるわざであるという見解が公式に採択され、早速魔法行為を取り締まるための法律が一六〇三年に議会を通過した。


 当時は魔法が〝事実〟であったから、その法律は〝まじない、魔法、及び悪霊・邪霊の類いを扱う行為を取り締まる〟という趣旨になっていた。それが一七三五年になって〝魔法を事実として認めない〟という見解に変化したために法律の表現が改められ、魔法を行うがごとく偽った行為をした時、ということになった。ダンカン夫人に適用されたのはそれだった。

 しかし、それをスピリチュアリズムに適用するのは筋違いである。なぜなら当時はまだスピリチュアリズムは誕生していなかったからである。交霊会等によって霊媒や霊能者が心霊現象を演出したり超能力を披露するようになったのは一八四八年以降のことで、二百年以上ものちのことである。

本章の編者が七章の冒頭で〝埃をかぶった公文書保管所から持ち出されて・・・・・〟云々、と表現したのはそのためである。


 しかし警察がこうした囮(おとり)を使った方法で詐欺行為をでっち上げてすぐスピリチュアリズムを弾圧しようとした背後には、シルバーバチが七章の最後のところで暗示しているように、国教会が警察権力と裁判官を利用してまで弾圧しようとする陰湿な企みがあったのであろう。

そのことはダンカン夫人が潔白の唯一の証明手段として出した〝ぜひ一度交霊会を催させてほしい。見ていただけばすべて分かります〟という訴えが却下されたことに如実に表れている。


 その間には証人としてモーリス・バーバネルやハンネン・スワッハーを筆頭に二十六名が証言台に立ったが、そもそもの目的が大物霊媒であるヘレン・ダンカンを見せしめにすることによってスピリチュアリズムの信頼を失墜させようということにあったからであるから、すべてが虚しい努力に終わるしかなかった。

結局ダンカン夫人は九か月の刑に処せられた。スワッハーは心霊誌 「リーダー」の中でこう述べている。

 「もしも同じ〝魔法行為取締法〟が行使されていたらウィリアム・クルックス卿はフロレンス・クックを研究したかどで、ビクトリア女王はジョン・ブラウンを呼んで交霊会を催させたかどで、オリバー・ロッジ卿はオズボーン・レナードの交霊会に出席したかどで、ダウディング卿はエステル・ロバーツの交霊会に出席したかどで、

それぞれ罪人とされていたことであろう。私などはこの度の判決文に従えば何百回も罪を犯したことになる。

  かの〝イギリスの戦い〟(一九四〇年の英国軍とドイツ軍との大空中戦)において総指揮を取ったダウディング卿は今英国中を回って、その空中戦での戦死者の遺族に卿自身が交霊会で受け取った戦死者からのメッセージを伝えて歩いている。卿のおかげで悲しみの涙を止めることが出来た人が沢山いる。

数々の交霊会に出席することによってそれが叶えられた以上は、ヘレン・ダンカンと〝共謀〟したかどで有罪とされたポーツマスの人たちと同じく卿も明らか有罪ということになる。


 なぜ二百年以上も前の〝魔法行為取締法〟がこの一九四四年という年になって国権によって掘り起こされたのだろうか。恐らくどこかで〝隠れた手〟が動いているのでは・・・・・?」

 実はダンカン女史への迫害はこれ一回で終わったのではなかった。

 一九五六年のことであるが、ある著名な足病専門医の自宅で催されたダンカン女史による交霊会が二人の警官の急襲を受けた。二人は宙を飛ばんばかりの勢いでキャビネットへ突進し、カーテンを開けるなり写真を撮った。そのフラッシュで部屋中が光の海となった。入神中のダンカン夫人はそのショックでその場に倒れた。

 知人のハミルトン夫人がかばおうとすると、〝公務執行妨害でお前も逮捕するぞ〟と怒鳴りつけられた。

 〝でも、この人は死にかかっているのですよ〟 と絶叫するハミルトン婦人の言葉に警官は何の返事もしない。

 〝せめて医者を呼んでください〟とさらに夫人が言った。
 が、警官は黙ったままこん睡状態のダンカン夫人を部屋から連れ出して寝室へと運んだ。
 そうしているうちにも続々と警官が裏口から屋敷内へ入ってきた。まるで暴動騒ぎでも起きたかの様になった。

 主任の刑事がハミルトン夫人を尋問した。

 〝ダンカン夫人との関係は?〟

 〝友人です〟

 〝共犯者ですね?〟

 〝何の共犯者ですか?〟

 〝今日の詐欺行為です。さあ、マスクと布はどこに隠したか言いなさい〟

 〝何のことをおっしゃっているのか、さっぱり分かりません。私は何も隠してなんかいません。これまでずっと女性の警官に見張られていたのです。医者を呼んでください。今すぐにです。あの方は重態なのです〟

 そこで医者を呼ぶことを許され、電話を入れた。

 医者が来るまでハミルトン夫人はその家に滞在中ずっとダンカン夫人とともに過ごしていた部屋へ行ってみると、スーツケースが全部開けられ、衣服が放り出されたままになっていた。

 やがてドアのベルが鳴った。階下へ降りてみると医者だった。主任刑事も来て、何やら勝手な説明をしながらダンカン夫人が横になっている部屋へ案内した。

 夫人が重態であることは医者でなくても分かるほどだった。脈を取り聴診器を当てたあと、その医者は深刻そうな顔で刑事に

〝で、私にどうしろとおっしゃるのです?〟と聞いた。


 〝腔と肛門を調べてほしい。 幽霊に見せかけるためのマスクと布が隠されているはずだから〟

 〝何ということをあなたはこの患者が今大変なショック状態にあることがお分かりにならないのですか。ちょっと動かすだけでも死ぬかも知れないほどです。そんなことは私はお断りします〟


 そう言ってからインシュリンの注射を打った。そこでハミルトン夫人が部屋へ入ることを許された。夫人は駆け寄るとすぐさま医者にどんな状態かを尋ねた。

 〝重態です。とても重態です〟と静かに答え、さらに、

 〝私にはこれ以上の手当ては出来ません。申し訳ありませんが・・・〟と言って部屋を出て行った。

 二人きりになるとハミルトン夫人はイスをベットの近くへ引き寄せて座り、ダンカン夫人の手を取り、どうか持ち直しますようにと祈った。

 ブリーリー女史の書物はこのノッチンガム事件で始まっている。その巻頭には次のような、短いが感動的な〝まえがき〟が付いている。

 「一九五六年十月二十六日、ノッチンガムでの交霊会が警察の急襲を受けた。

 その時の霊媒について、これまでいろいろと書かれている。とりわけ最も話題の多かった物理霊媒───言うなればスピリチュアリズムの殉死者とされている。

 その伝記の中で私はその非凡な女性の真実の姿を語ったつもりである。霊視能力、霊聴能力、予知能力、その他数多くの霊的能力を具えていながら、それが物理的霊媒現象つまり物質化現象による評判のために影が薄くなっている。

 また彼女の無私の人類愛、夫と家族への情愛、プライベートな喜びと悲しみ、身体的ならびに精神的苦悩についてはまったくと言ってよいほど書かれていない。その真相は一度も語られていないのである。

 その彼女がノッチンガムでの交霊会で警察の急襲を受けてから三十六日後に他界した。彼女の名はヘレン・ダンカン───私の母だった」

 なおブリーリー女史の著書の巻末に参考資料として何人かの証人尋問の記録が載っている。その中でも五日目の弁護側証人として出廷したハンネン・スワッハーの証言がさすがに出色で、毒舌を利かした面白いものとなっている。参考になる部分が多いので次に紹介しておく。

 証人としての身分は〝著名なジャーナリスト〟となっている。

 弁護人「あなたは確か演劇評論家でもいらっしゃいますね」

 スワッハー「そうです。困ったことですが」

 弁護人「誰が困るのですか」

 スワッハー「私です。いつも最後まで見なくてはいけませんので」

 続けてスワッハーは過去二十年にわたって世界各地でのあらゆる心霊現象を研究し、とくに物質化現象は英国と米国で研究したと述べた。
 
 弁護人「その研究の目的は?」

 スワッハー「他界した愛する者が今なお生きていることにつて、真実を世間の人に知らせるのが自分の義務であると信じるからです」

 続けてヘレン・ダンカンの交霊会ついて説明した。厳しい条件下で五回ないし六回の実験に立ち合い、いずれも巾広い種類の現象が見られたと述べた。また物質化現象ではエクトプラズムが霊媒の身体の粘膜、太陽神経叢(みぞおち)、その他の箇所から滲出すること、そのときの様子はまるで生き物のように見えると述べ、

ダンカン夫人の場合は〝生きている雪〟に似ていると言う以外に適切な形容ができないと述べた。そしてエクトプラズムを見た回数は五十回ほどに及ぶと付け加えた。

 判事「最後に見たのはいつですか」

 スワッハー「このたび裁判にかけられるようになってからです」

 ここで弁護人が被告人が逮捕されてから今回の裁判が開かれるまでの期間に実証性に富む交霊会が開かれている事実を指摘し、そのことを被告人が本物の霊媒であることの証拠として認めるように申請したが、証拠不十分として却下された。

 弁護人「物理現象において列席者はどんな役割を果たすのですか」

 スワッハー「列席者が和気あいあいとしているほど、つまり気持ちが打ち解け合っているほど、現象も起きやすくなります。それはパーティでもみんなが打ち解け合っていれば話もはずむのと同じです」

 弁護人「ダンカン夫人の交霊会でエクトプラズムから匂いがしたことがありますか」

 スワッハー「話には聞いておりますが、私には経験がありません。私が出席した時はいつも十分な赤色光の中で行われ、部屋の隅から隅まで見えました。ダンカン夫人から六フィートないし七フィート(二メートル前後)のところまで接近して見たことがありますが、そのときはエクトプラズムが鼻の穴から出ておりました」

 判事「それはいつのことですか」

 スワッハー「このたびの裁判沙汰になってからのことです。ですが、エクトプラズムはダンカン夫人の交霊会に出席するたびに見ております」

 弁護人「エクトプラズムについてもう少し詳しく話していただけませんか。それがチーズクロスと間違えられるようなことが有り得ますか」

 スワッハー「子供でもない限りエクトプラズムをチーズクロスと間違えることは有り得ません。チーズクロスなら赤色光を当てると黄色またはピンクに見えます。赤色光を当ててもなお生き生きとした白さを見せるものはチーズクロスなんかでは有り得ません」

 判事「光に過敏なのはなぜですか」

 スワッハー「光線の化学的成分が写真の現像に影響するのと同じです。赤色光を当ててもエクトプラズムは白色または青みがかった白色を呈します。

赤色はまったく反射しません。ダンカン夫人のエクトプラズムは私が見た中では一ばん白い色をしています。霊媒が前もって何かを隠し持っているという説はナンセンスです。前もって身体検査を行っていますから、持っていればすぐにバレます」

 それからスワッハーは物質化霊媒が急激な光線を当てられると危害をこうむる話を次の例を挙げて説明した。あるときダンカン夫人を友人の家に連れて行った。集まった人はみなダンカン夫人を知らない人たちばかりだった。

交霊会はその日が初めてという人も数人いたので、スワッハーが開会に先立って細かい注意事項を述べ、特に予告なしに照明を霊媒に当てることは危険であることを注意しておいた。

 ところが不幸なことに、出席が予定されていたアーネスト・オーテン(当時英国スピリチュアリスト連盟の会長)がクィーンズホールでの演説が長びいて、交霊会場への到着がおくれ、着いた時はすでに始まっていた。

オーテンが部屋のドアをノックした。それを聞いて、スワッハーの注意を聞いていなかった初心者の一人が、足もとを明るくしてあげるつもりでライターをつけた。途端に現象が止まり、同時にダンカン夫人の鼻からどっと血が流れ出た。

その時はそれだけで済んだが、ある霊媒は同じような不注意からその後ずっと目が見えなくなった例をあげ、このように、入神中の霊媒が特殊な状態にあることを説明した。

 そこで弁護人がダンカン夫人にどのような条件テストを行ったかを尋ねると、スワッハーは各ページに署名入りの資料を提出し、一例として次のようなテストを紹介した。

 スワッハー「一九三二年のことですが、私は四人の奇術師(うち二人はプロで後二人は医師)を招待しました。その中のプロの一人が四十ヤードの網でダンカン夫人を縛り上げ、両手に警察の本物の手錠をかけ、そのうえ左右の親指を紐が食い込むほど強く縛りつけました。その状態で交霊会が催されましたが、いつもと同じ現象が起きました。

終わった後ダンカン夫人はその縛られた状態から三分で脱け出たました。縛りあげるのに八分もかかったのです。これは(米国の奇術の天才)フージニーでもマネできなかったでしょう」

 判事「その四人の中にフージニーもいたのですか」

 スワッハー「いいえ」

 判事「彼女はそれをどうやって脱出したのですか」

 スワッハー「支配霊のアルバートが解いたのです。ほかに誰一人彼女に触れた者はいないのですから」

 弁護人「あなたは役者を大勢ご存知ですね」

 スワッハー「ロンドンのステージに立つ役者はほとんど知っております。もっとも役者の方は私を知っているとは認めたがらないかも知れませんが」

 弁護人「問題はダンカン夫人とアルバートが同一人物なのかどうか、又、すぐれた役者ならその種の演技ができるかどうかという点ですが、あなたはどう思いますか」

 スワッハー「違います。アルバートはれっきとした個性をもっており、ダンカン夫人とはいろんな点でまったく違っておりました。役者はいろんな人物に扮することができますが、霊媒の役はできません」

 検事「アルバートの声についてもっと詳しく説明してください」

 スワッハー「ロンドンなまりがあると聞いています。オーストラリア人のような声をしていたという人もいますが、演劇評論家である私には声の説明は難しいです」

 検事「オーストラリア人のような声でしたか。あなたも聞いたことがおありでしょうか」

 スワッハー「あります。メルバの声も聞いたことがありますが、それとも似ておりません」

 検事「で、そのアルバートの声はどんな感じでしたか。アクセントはオックスフォードアクセントでしたか」

 スワッハー「オックスフォードアクセントなどというものはありません。BBC(英国放送協会)が勝手にそう言っているだけです。ごく普通の声でした」

 検事「最後に聞いたのはいつですか」

 スワッハー「二週間前です」

 検事「あなたは心霊の専門家ですか」

 スワッハー「交霊会に出席するようになって二十年になります。今は私自身のホームサークルを持っております」

 検事「あなたも霊媒ですか」

 スワッハー「違います」

 検事「あなたにも守護霊がいますか」

 スワッハー「私の守護霊はエジプト人です」

 検事「それをどうやって知るのですか」

 スワッハー「私のホームサークルの支配霊が教えてくれました。インディアンです」

 このあとダンカン夫人の無罪を立証する証拠の提出をめぐって検事とスワッハーの間で激しいやり取りがあった。その中でスワッハーは詐欺についての質問にこう答えている。

 スワッハー「詐欺ではないかという言いがかりはスピリチュアリズムの発端頭初からあり、現に詐欺があばかれたケースもたくさんあります。この九十年間、私たち関係者はその非難に耐え続けてまいりました。ですから、ダンカン夫人についても考えられるかぎりの、あらゆる手段で真実性をテストしてきました。私はこの目でそれを確認しております」

 検事「〝考えられるかぎりのあらゆる手段〟とおっしゃいましたが、電気装置も使用しましたか。聞くところによればオーストラリアの霊媒ルディ・シュナイダーはハリー・プライス氏による実験のためにわざわざロンドンまで連れてこられたそうですが、シュナイダー氏の交霊会には出席されたことがありますか」

 スワッハー「いわゆる〝電気テスト〟が行われたプライス氏の実験室におけるジェームズ・ダン卿とチャールズ・ホープ卿の交霊会には出席しております」

 検事「その種の実験のことです」

 スワッハー「あれは実験と言うシロモノではありません。私はそのいい加減さを指摘せざるを得ませんでした。たとえばプライスの秘書が実験室をウロチョロしていました。もっと厳しいテストを期待していたのですが」

 検事「ダンカン夫人をX線写真で撮ったことがありますか。それから着色剤を服用したことがありますか」

 スワッハー「胃の中身を着色するための青色の錠剤を服用してもらったことがあります」

 検事「お祈りをすることが赤色光の部屋の中で死者の出現を待っている列席者にどんな影響を与えるのですか。素直に受け容れさせる上で効果があるということですか」

 スワッハー「違います。この法廷もお祈りで始まることがあります」

 検事「祈ることは人間を素直にするものですか」

 スワッハー「祈ることによってバスが素直に見えるようになりますか。それに、いいですか、人間は元々懐疑的な人が多いのです」

 検事「交霊会の時いつも同じ席に座るのは何か意味があるのですか。席はちゃんと決められているのですか」

 スワッハー「どこでも構わない交霊会もありますが、定期的に開かれている場合は席を決めた方がいいようです。食事でも同じ席がいいでしょう。それだけのことです」

 当日は例のチーズクロスが法廷へ持ち込まれていた。弁護人が、ダンカン夫人はそのチーズクロスを前もって呑み込んでおいて吐き出しているということは考えられないかと尋ねると、スワッハーは、それは絶対に有り得ないことで、

もしそんなことをしたらチーズクロスが胃液でビショビショになり、その上汚い色が付いてしまうはずだと述べ、ダンカン夫人の胃袋が牛と同じ反芻胃をしているとしたプライス説を否定する証拠として、夫人の胃袋がごく普通の胃袋をしていることを示すX線写真を持ち出して、これを見れば明らかだからこれを証拠写真として申請したいと申し出たが却下され、医師の診断書の提出も拒否された。続けてこう述べた。

 スワッハー「私はためしにチーズクロスを呑んでみようとしたことがあります。今ここでご覧に入れましょうか」

 判事「いや結構、法廷をショーのレベルに下げるような行為を許すわけにはいきません」

 スワッハー「チーズクロスを問題にしているのはあなた方の方で、われわれは少しも問題にしてないんですよ。いったいなぜ、こんなものを法廷に持ち込んだのです! ハリー・プライス自身に一度呑んでみてくれるように頼んでも、嫌がって呑もうとしなかった。

そのプライスがチーズクロス説などという気違いじみた説を言い出すまで、私はこの世にこんなふざけた説を言い出す人間がいるとは思ってもみなかった。まったくバカげた話です

  ここで検事が先程のスワッハーの話に出た鼻から血を出した霊媒の話に戻して尋ねた。

 検事「あなたはその鼻をよく観察されたのですね?」

 スワッハー「しました。ごく普通の鼻をしておられました。その鼻から出血しておりました」

 検事「見て確かめたのですね?」

 スワッハー「見て確かめる以外にいったい何かすることがあるのですか。申し上げますが、これでも私は観察眼というものを具えているつもりです。私が書くことは全部そのまま信じてくれます


 検事「あなたは確固とした信念をお持ちのスピリチュアリストですか」

 スワッハー「私は確固とした信念を持っております。異論の余地のない証拠に基づいているからです」

 検事「演劇評論家として他の評論家と意見が食い違うことはありませんか」

 スワッハー「それは〝事実〟の問題ではなく〝見解〟の相違の問題です」

 検事「もう一度お聞きします。ダンカン夫人はチーズクロス説では十分なテストをされたとお考えですか」

 スワッハー「X写真線まで撮ってあります。何ら異常なしと医師の診断書も用意してあります」