これが心霊の世界だ
   果てしなき生命                    M・バーバネル著
                                                                                         近藤 千雄 訳
 
                      目  次

          まえがき
   第一章 五感を超えて ─超能力の存在
   第二章 死んでも生きている ─死後の生活
   第三章 霊が語る(一) ─直接談話現象その(一)
   第四章 霊が語る(二)   ─直接談話現象その(二)
   第五章 祈りが叶えられる ─背後霊の働き
   第六章 霊を識別する ─霊視能力
   第七章 霊が語る(三) ─入神談話現象
   第八章 霊が書く ─自動書記現象
   第九章 霊媒の誕生 ─三人の例
   第十章   木石は語る    ─サイコメトリ現象
第十一章   霊の肖像画
第十二章   霊の贈物    ─物品引寄現象
第十三章   霊が写る     ─心霊写真現象
第十四章   〝不治〟を治す(一) ─心霊治療 その一
                       ハリー・エドワーズ氏の治病結果統計

第十五章   〝不治〟を治す(二)  ─心霊治療 その二
第十六章  引力が消える?   ─物体浮揚現象
第十七章   驚異中の驚異  ─霊の物質化現象
 
 

   まえがき
 スピリチュアリズムとは何か──これは実に問題の多い、しかも人間生活を大きくゆさぶる要素を持つ命題である。その難題を「これがスピリチュアリズムだ」と銘うって扱うには、私自身にそれなりの資格が無くてはなるまい。そこで先ず私とスピリチュアリズムとの係わりあいについて述べるのが順序と思われる。

 私は確固たる信念にもとづくスピリチュアリストである。少なくとも私自身には死後の生命の存続が一点の疑惑の余地もないまでに立証されているからである。それは決して願望が生み出す手前勝手な信仰の産物ではない。過去三十七年間にわたって私は驚異的な心霊現象を数多く見てみた。そして究極的にはたった一つの結論しかないと判断した。すなわち肉体を棄ててあの世へ行った知的存在いわゆる霊魂(スピリット)によって惹き
起こされているということである。

 過去二十五年間のあいだ私は実に恵まれた立場に置かれてきた。二つの心霊関係の定期刊行物(注1)の編集責任者として、一般の人々には出席できない多くの交霊会(注2
に出席することを得た。交霊実験会において最高のコンディションのもとに得られる死後存続の証拠を編集発行できる立場にあったからにほかならない。

 スピリチュアリズムを知るに至った当初、私は不信に近い偏見を持つ懐疑論者であった。母親は正統派的キリスト教観をもつ信心深い女であったが、父親は無神論者だった。子どもの頃から二人が宗教の是非について論議するのをどれだけ見せられたことか。そしていつも論議は平行線を辿るだけだった。そんな環境に育った私はいつしか無神論者になり、そして十代には不可知論者となっていた。人生観は徹底した唯物主義者であり、商売をして大儲けをしてやろうという野心を抱いていた。が、そんな私を別の運命が待ち受けていた。

 三十七年前、私は著名な文筆家が集まってスピーチをする一種の討論会の司会役をしていた。私の役はその日の
(スピーカー)演説者に対し、その内容のいかんに係わらず、かならず反論することによって討論を拡げて行くことであった。その仕事を何の支障もなく定期的に遂行していたのであるが、ある夜─それが運命の夜となったのであるが─思いがけない事態になった。

 その夜のスピーカーは文筆家ではなくスピリチュアリストだった。その人がなぜ招待されたのか、そのいきさつは記憶にないが、その人は自分の心霊体験を述べてから、その意味するところを自分の判断にもとづいて語った。

 その人が着席し私が立ち上がった。いつもならここで私が何らかの反論をするところであり、列席者もそれを待っていた。がその期待は裏切られた。私は、こうした異論の多い問題について反論するには私なりの体験が必要ではないかと思うと述べ、さらにこう付け加えた。

 「これは研究調査を要する問題です。私はまだ何一つ研究をしておりません。支持するにせよ反論するにせよ、これについて意見を述べるのは私ごとき者よりも実際に研究した人の方が適切かと存じます。」

 会が終わると、そのスピリチュアリストが私に近づいて来て、「あなたは本気であのようなことをおっしゃったのですか」と聞いた。私は「え、ええ・・・・・・」とつまりながら返事した。するとさらに突っ込まれた。「じゃ、ご自分で研究して吟味なさるおつもりですか。」

 私は困った。ノーといえば軽率のそしりをまぬかれない。私は勿論そのつもりである旨を断言し、さらに不可知論者としての面目を保つべく、六カ月しないと意見を述べるわけにはいかないと表明しておいた。

 その後、私はその方からの招待で当時ロンドン東部地区のあるアパートで毎週開かれていた交霊会に出席することになった。行って見ると小ぎたないアパートで、私は生意気にもこんな環境でいいのかと
(いぶか)ったが、交霊会で実際に起きた現象には目を見張った。そして二度目に出席した時には、どうしても正真正銘と言わざるを得ない心霊現象を見せつけられた。テレパシー説でも潜在意識説でも、あるいは詐術説でも片付けられない、純粋にスピリチュアリズム的な現象に遭遇したのである。

 さてそれから三十七年後の今なお私はスピリチュアリズムの研究を続けている。心霊現象に対して出されたありとあらゆる解釈の仕方を知り尽くしている。時には批判的な連中よりもっと批判的な観方をしたこともある。異常現象を、何でもすぐにスピリチュアリズム的に解釈せず、なるべくまずノーマルな解釈を持ち出すべきであるというのが、私の一貫した姿勢である。その現象にしか通用しない説でうまく片付いたこともある。どうあってもこの世のものではあり得ない知的存在の仕業であるという結論に達したこともある。そうかと思うと、私の苦心の説が完全に愚弄されたことも何度かあった。

 交霊会で起きる現象は、言って見ればピクチャーパズルのようなもので、超常的な知的存在すなわち霊魂の存在を認めてはじめて全体の格好がつく。私は〝超自然的〟という用語は用いない。なぜなら、この世に自然法則を超えたものは存在しないと信じるからである。心霊的であろうが何であろうが、この世のすべての現象は宇宙の自然法則の働きの結果なのである。

 その霊魂の存在を示す素晴らしい証拠の一つは、いくつかの交霊会で霊媒を通じてほぼ同時に受け取った通信をつなぎ合わせると一つの連続した内容のものになる、というものである。通常の手段ではどの霊媒も他の霊媒がどんな通信を受け取っているか知る由もないのであるが、それでいて見事に一致する。これはよくある現象である。(第八章参照)

 詐術にもよく出会った。これには意図的にやっているものもあれば無意識のうちにやってしまったものもある。いずれにせよ、この世界での詐術を私ほど多くあばいた人間もいないのではないかと思う。私にそれが出来たのは、取りも直さず、本物を見てきているからにほかならない。結局ニセモノはホンモノのコピーなのである。もしも本物が存在しなければニセモノも存在しないはずである。

 しかし長年の私の経験から言うと、どうもスピリチュアリズムにおける詐欺行為は少し誇張され過ぎているきらいがある。実際には人間世界のいずこにもあることで、スピリチュアリズムの世界だけ特に多いわけでもない少ないわけでもない。それがいかにも多いような印象を与えるに至った原因は、皮肉にも私のようなスピリチュアリストが詐術的霊媒をやり玉にあげすぎたことにあるようだ。

 かつての〝古き悪しき時代〟には各新聞こぞって交霊会の詐術行為ばかりを喧伝して本物の現象を全部無視したために、何だかスピリチュアリズムというのは身内を亡くした人を食いものにする詐術師の集団のような印象を与えていた。が今は違う。各界の著名人の証言のお蔭で新聞の態度が変わってきた。編集者たちが直接私に語った言葉を使えば、スピリチュアリズムは〝いいネタだ〟という。そしてよろこんでありのままを報道してくれる。

 これから私が本書を書くのも、私が成人して以来このかた、英、米、カナダ、そしてヨーロッパ大陸の主要都市で講演し、同時に、英国内および国外の新聞雑誌に投稿してきた理由とまったく同じ理由に発している。その理由とは一体何か。ほかでもない、私がこれまでの研究と体験を通じて、私の宗教観、哲学思想、そして人生そのものに根本から改革を迫られるような驚くべき事実を手にしているからである。

「人間は死んでも生きているのであろうか」─これは何千年もの間繰り返し問われてきた問題である。あらゆる宗教の信者たちが死んでも生きていると信じ、そう望み、あるいはそれを恐れている。が私はそれについて断固たる確信がある。ついでに言えば、正統派の宗教家たちが一方では死後の存続を希望しながら、それを証明しようとするのは間違っていると主張する、その論理性の欠如が、私には理解しかねるのである。
 
 私に言わせれば、死後の存続は自然法則の働きによる一種の生物化学的事実である。この世への誕生も一定の自然法則の結果であり、人間の好き嫌いの範囲を超えた問題である。好き好んでこの世に生まれて来る人間が果たしているだろうか。それなりの因果律の働きがあればこそ、こうして生まれてきたのである。死後の生命も同じである。一人の例外もなく死後も生き続けるように自然法則が出来上がっているのであって、そこに選択の余地はないのである。

 又それは地上での行いの報いでも罰でもない。法則によって死後も生き続けなければならないように出来上がっている。生き続けるよりほかに仕方がないのである。

 いわゆる〝死者
は私にとって生きている人間とまったく同じように現実的であり生命力にあふれている。私は彼らと日常茶番事のように付き合っており、その愛情と人情とインスピレーションと加護と指導を受けている。

 スピリチュアリストの牧師として私は多くの葬儀を執行してきたが、死者に対して弔いの言葉を述べたことは一度もない。反対に私は後に残された家族、最愛の者に先立たれた悲しみにこれから耐えて行かねばならない家族への慰めの言葉を述べてきた。そして死者はその肉体的束縛から解放されて、より自由で、より豊かで、より大きな世界へ進んで行ったのだから、むしろ喜び祝福してあげるべきことを説いてきた。

 かくして私はこれまでの心霊体験によって自分自身が深刻な人生革命を経験し、宇宙とは何か、何のために出現したかについて、より大きな理解を得た。私はこうして得た知識を人にも分けてあげたいと思ったのである。勿論、それを受け入れる用意のできた人にしか受け入れてもらえないのだが・・・・・・。
 
 もっとも、それには時間がいる。努力がいる。が同時に楽しい冒険でもある。金塊が土塊の中に隠されている。発見されるのを待っている。それを一たん発掘すれば永遠に自分のものとなる。スピリチュアリズムは暗闇を照らし、悲しみに暮れる人に慰安を与え、意気消沈している者には元気を与え、信仰なき者には盲目の信仰ではなく確固たる知識に基づいた信仰を与える。長年の体験から私はそれを断言する。

 あなたがもし現在の自分の宗教観、倫理道徳観に満足しておられるなら、本書は用はない。が、この疑問と恐怖と不安に満ちた世の中にあって、もはや伝統的な既成宗教ではついていけなくなっている人が無数にいる。単に伝統的とか正統派というだけではだめなのだ。原子力時代の驚異的な科学の発達は、善きにつけ悪しきにつけ大規模な開発を生み、一般大衆は従来の信仰を根本から揺さぶられ、何を信ずべきかについて改めて検討を迫られている。多くの人が正統派の信仰では最早や満足できなくなっている。心ある人は人間の起源、運命、目的といったことについて深刻な疑問を抱くようになったが、まだ解決を見出せずにいる。

 本書はその疑問のうちの幾つかに解決を与えようとするものである。私の体験と、その体験から必然的に割り出される(と私が思う)結論を述べてみた。その結論は、人間は本来霊的な存在であり、前世からの霊的遺産と果たすべき霊的宿命を背負ってこの世に生まれてきているだ、ということである。

 (注1) 週刊誌 The Psychic News と The Two Worlds 後者はのちに月刊誌となる。
   (注2) 霊媒を通じて死者と交信したり心霊現象を観察したりする会。交霊実験会とも心霊実験ともいう。
     
第一章 五感を超えて 
         ─超能力の存在

 霊媒を介して起きる心霊現象はスピリチュアリズムにとって掛けがいのない価値を持っている。言わばスピリチュアリズムの基盤であり、スピリチュアリズムの全てはそこから生まれていると言ってよい。そして私の考えでは、それは真面目に追及すれば誰にでも確認できる証明可能な基盤なのである。

 証明可能といっても科学的実験のように一定の条件下で繰り返し追試ができるという意味ではない。霊媒という人間を使用する以上、それはまず不可能である。何ごとにせよ人間を取り扱う分野においては、その人間的要素が気まぐれであるだけに、混み入った計算を妨げる傾向がある。

 にもかかわらず、私がこれまでやってきたように、霊媒現象を通じて死後の存在を証明するに足る通信─いわゆる霊界通信─を受け取ることは可能なのである。

 超能力とはつまり霊的感受性のことである。五感で捉えられない波動とか放射線とか周波をキャッチする能力のことである。五官も確かに素晴らしい器官ではあるがその能力には限界がある。目はある一定範囲の波長をもつ色しか見えないし、耳もある限られた範囲の周波数の音しか聞こえないように出来ている。赤外線から紫外線に至る無数の波長の中には、あまり短すぎて人間の目にとまらないものもあれば、あまりに長すぎて却って見えないものもある。音も、あまりに高すぎても低すぎても人間の耳に聞こえないのである。

 そうした普通の状態では五官につかまらない光や音をキャッチするために人間は色んな道具を拵えてきた。天体望遠鏡は人間の目に見えない天空の偉容を見せてくれるし、顕微鏡は極微の生物の存在
を教えてくれる。レーダー、X線、ラジオ、テレビ、こうしたものはみな普通の目や耳ではキャッチできない周波を人間に代わってキャッチしてくれるわけである。

 言って見れば霊媒は、さしずめ人間ラジオ、又は人間テレビである。普通の人間には見ることも聞くこともできない世界の周波を捉えてくれる。もっとも、ラジオやテレビが万能でないように、霊媒にもそれぞれの能力に限界がある。ただテレビやラジオと違うところは、修養と訓練によってその感度を鋭くすることが出来るという点であろう。

 では霊視能力に映じるもの、あるいは霊超能力に聞こえるものは一体なんだろうか。実は死ぬということは物的振動の世界から霊的振動の世界に移行すること、つまり振動の波長が変わるだけである。言って見れば(事故死や殺人といった不自然なケースは別として)普通の自然死の場合は、寒い冬が終わって古いオーバーを脱ぎ捨てるように、老化した肉体を捨てるだけである。肉体から抜け出ると、こんどは、地上生活中肉体と共に成長していた霊的身体を使って自己を表現するようになる。容姿はほぼ肉体と似ている。違うのは病気や障害や老化現象がないということである。霊視能力者や霊超能力者は地上にありながら霊的身体を使っていることになる。

 従って死ぬということはどこか別の宇宙へ連れていかれることではない。地理的異動ではないのである。生命が一つであるように宇宙も一つである。ただ波動の原理によって無数の表現がある。それが渾然一体となっているのである。実際その意味では死後の世界とか霊界とかの言い方は間違っている。われわれ人間はいながらにして霊界にいる。飛行機で空高く上昇したからといって霊界に近づくわけでもなく、潜水艦で海底深く潜ったからといって霊界から遠ざかるわけでもない。

 逆の言い方をすれば、死者─この用語自体が事実と矛盾する陰気な用語だが─は今もって我々と同じ世界に居るのである。イヤ霊界通信で彼等の言い分を聞いて見ると、死者というべきはむしろわれわれ人間の方で、死後の世界の人間の方が真の意味で生きているという。われわれが彼らの存在に気づかないのは、われわれがまだ霊的身体の目や耳が使えないからに過ぎない。肉体を棄て去った彼らは、もはや五官を通じてわれわれと通信することが出来ない。

目に見えないものや耳に聞こえないものは望遠鏡や電話等を使用するように、霊界からの通信は霊媒という道具を使わなくてはならないのである。

 目の不自由な人には夕日の美しさは見えない。耳の不自由な人には小鳥のさえずりは聞こえない。だからといって美しい夕日がないわけではない。小鳥のさえずりが無いのではない。正常な目と耳を持った人にはちゃんとその美しさを楽しむことが出来る。

 霊媒はその普通の人間に見えない波長、聞こえない波長に自分の波長を合わせて、それをわれわれには伝えてくれるのである。見るといい聞くと言っても、普段の目や耳を使うわけではない。そのプロセスは客観的ではなく主観的なものだからである。もっとも、霊界の波長との調和が完璧で、感度が最高の時は、あたかも客観的に見聞きしているかの如くに感じられる。

 私が霊能者から聞いたところによると、あたかも自分の内部にラジオやテレビがあるみたいだという。霊視家は目を閉じていても見えるし、霊聴者が音声を聞いて居る筈はない。なぜなら霊界からの通信者が〝声〟を出すはずがないからである。

 そうした霊能は、実は人間のすべてが例外なく所有しており、死んで霊界へ行くと普通に使用するようになる。結局地上では人によってその能力が居眠りをしたままか、目を覚ますかの違いがあるわけで、目を覚ます直前の人は練習によってそれを開発できる可能性があることになる。その意味では超能力というのは生まれつきのものであり、霊能者とか霊媒と言われている人は始めからその様に生まれついているのである。後は本人の努力によって開発し磨いて行かねばならない。

 文明発生以前のまだ人間が自然と一体の生活をしていた頃は、霊能が今よりはるかに頻繁に使用されていたのであるが、幸か不幸か、文明の発達とともに人工的要素が生活を支配するようになり、複雑化し、それが霊能を窒息させる結果となってしまった。

 霊媒が交霊会で見せる能力ばかりが心霊能力ではない。テレパシーなどがその一番よい例である。有能な占い師なども一種の霊能者である。直感、虫の知らせ、予感、こうしたものも私の考えでは心霊能力の働きだと思う。なぜならそうした前兆を感じた時点において、その後実際に起きた事件を予測することは、普通の人間の能力では不可能なことばかりだからである。時間と空間の要素が完全に無視されているのである。

 霊媒能力というのはそうした心霊能力が進化の道程の先輩たち、すなわち高級な指導霊(スピリットガイド)の協力を得て演出される場合のことである。

 霊媒能力によって発生する現象は大きく分けると二種類ある。精神的現象と物理的現象である。最も、両者が入り混じっている場合もある。精神的なものとしては霊視、霊聴、入神現象(半意識半状態から無意識状態まで)、それから自動書記現象。最高の状態では筆記するスピリットの生前の個性やクセがそのまま出る。

 入神中の霊媒の発声器官を使用してしゃべるのは主として指導霊である。稀な例としてはエクトプラズム(後出)という物質で発声器官を拵えてしゃべる場合があり、この場合は声が違ってくる(これは物理現象となる)。入神状態が最高の域に達すると
指導霊以外のスピリットもしゃべることが出来る。

 物理現象は種類が多い。右の人工の発声器官でしゃべる場合を直接談話現象というが、この場合は、しゃべる霊魂の生前の声とそっくりになる。個々の霊のイントネーションの違いまではっきりと聞きわけができるほどである。

 心霊写真というのはスピリットの生前の容姿が写る現象である。実に鮮明に写っている場合があるが、それと比較してみる生前の写真が残されていない場合があるのが残念である。

 物理現象の圧巻は何と言っても物質化現象で、スピリットが生前そのままの容姿を物質化して出現する。驚異としか言いようがない再生ぶりである。

 こうした物理現象にはエクトプラズムという物質が使われる。その原料は目に見えない半物質体で、霊媒の体内にあるのを霊界の技師が抽出して使用する。

 エクトプラズム Ectoplasm という用語はギリシャ語のエクトス ectos(抽出された)とplasma(物質
)の合成語で、フランスのノーベル賞生理学者シャルル・リシェ教授 Charles Richet が多くの霊媒を実験観察した結果命名したものである。またドイツ人の医師で精神医学の専門家だったノッチング男爵 Baron A. von Schrenck Notzing も三十五年間にわたって心霊実験を重ね、その間に時おりエクトプラズムの一部を切り取って顕微鏡を使った化学分析を行った。その結果を次の如く報告している。

 「無色、やや雲模様、液状(ねばり気あり)、無臭。細胞と唾液の痕跡あり。沈殿物やや白。反応弱アルカリ性」

 
さらに「顕微鏡検査」の項目には─
 「皮膚の円盤状組織多数。唾液状物質数片。粘液状の粒状組織多数。肉組織の微片多数。〝チオシアン酸〟(注3)カリの痕跡あり、乾燥重量一リットルにつき八・六〇グラム。無機質三グラム」 
 
 意念の働きにさえも反応を示すほどの柔軟性を具えているので、それを材料として人体そっくりのものを〝製造〟することが出来るわけである。物質化現象とエクトプラズムの関係は生物と原形質(プロとプラズム)の関係とよく似ている。本来は反物質体であるが、霊界の技術者が何らかの物質を化合させて人体と同じ物質をこしらえる。出来上がった物質体は、心臓は鼓動するし脈拍もあるし体温もあり、手には堅い感触がある。われわれと同じように呼吸し、歩き、おしゃべりをする。爪の先まで完全に人間に成り切っている。

 主役はむろん霊媒である。目にこそ見えないが、霊媒と物質化霊とは赤ん坊のへその緒のようなもので繋がっている。この現象が奇蹟的といわれるゆえんは、赤ん坊が胎内で九カ月もかかるものが実験室ではわずか数分で出来上がるからである。しかも、例えば六十歳で他界した人がその時の容姿のままで出てくるのである。
 
 心霊能力の中でも特に目立った仕事をしているのが心霊治療 Spirit Heahling である。この場合はその能力を持つ人間が通路となって霊界の治癒エネルギーが患者へ流れ込み、医学で〝不治〟とされている病を奇蹟的に治していく。そこに人間を超えた力を具えた目に見えぬ存在の証が見られるわけである。従って心霊治療家にとっての努力の目標は、自分を通じて出来るだけ高級な治癒エネルギーが流れるようになることで、これは不断の治療活動の中で成就されていく。

 心霊治療は磁気治療 Magnetic Healing とは異なる。磁気治療の場合は治療自身の身体に宿る生命力を患者の与えるのであって、言わばバッテリーに充電するようなものである。心霊治療はまた信仰治療 Faith Healing とも違う。この場合はある特定の宗教の教説を信じることが治癒を促進するという観念を患者に与えるのである。

 むろん心霊治療においても患者の側の信念や信頼感が治療効果を促進することはあり得ることであるが、心霊治療をまったく信用しない人間が見事に治った例を私はいくつも知っている。さらに、まだ信仰心の芽生えていない幼い子供も治っている。さらに驚くべきことは遠く離れた所にいる患者でも治せることで、海や大海を隔てた場所でも奇蹟的な治癒が起きている。これを遠隔治療 Absent Healing または distant Healing というが、面白いことに、自分のために治療が申し込まれていることを患者自身が知らないでも見事に治ったという例が何百例と報告されている。これなどは患者の側の信仰心の入る余地は微塵もない。

 各地の教会で行われている治療活動の中にも、患者に手をあてがって祈祷をする方法があるが、これも一種の心霊治療には違いなく、その牧師は自分で気付かずに心霊能力を発揮していることがある。治癒エネルギーが出てくる源はたった一つなので、これも心霊治療の範疇に入ることは入るが、スピリチュアリズムでいう純粋の心霊治療とは少し違う。

 純粋の心霊治療というのは心霊能力を具えた治療家がその背後霊と意識的に協力しながら治療を進める点に特徴がある。優れた心霊治療家は例外なく背後霊の存在を証明する証拠を十分手にしている。その背後霊の中には地上で医者をしていて死後もそうやって治療活動を続けているといったケースが多い。

 心霊治療による治病成果には正に目を見張るものがあり、医者の中にも奇蹟的としてその偉力を認める人がいる。しかし奇蹟といっても決して自然法則がストップしたり無視されたりしているわけではない。私のいう超常現象─通常の概念を超えた現象─の一種であり、生命力と同種の霊的エネルギーの作用であり、それが医学的に〝不治〟とされている病気を治しているのである。

 心霊治療は病気の原因に直接踏み込んで行くもので、病気そのもの、つまり症状を取り除くのが目的ではない。最近では病気の大半が精神的ないし神経的なものに起因していることは認識されつつある。これを心身症と呼んでいる。典型的な例では心配が潰瘍を生み、精神的ショックで心臓発作を起こす。精神と身体と霊との相関関係は実に密接で、常に影響し合っている。

 現代医学の医師の中でも、恐怖心、貪欲、妬み、挫折等が多くの病気を惹き起こしていることをはっきりと認める人がいる。薬ではどうしようもない。心霊治療はこうした心身症的病気には特に偉力を発揮するのである。

 心霊治療家は大てい霊視能力を具えているから診断が的確で、直接病原をつきとめることが出来る。霊視能力が一種のX線のような働くをすることがあり、また時には人体から放射している卵型の放射体、いわゆるオーラを見る場合もある。オーラには心の秘密が色彩となって正直に表れており、治療家はそこから病気の心因を発見する。

 このオーラを本格的に研究したのは英国のキルナー博士 Walter J. Kilner で、その研究結果が The Human Atmosphere (人間の大気)という著者にまとめられている。一九一二年の初版にはダイシャニン溶液を塗ったスクリーン(二枚のガラスの間にコールタール塗料の溶液を入れて密封したもの)が塗布してあり、これを使えば普通の人間にもオーラを見ることが出来た。原料はもともとドイツから取り寄せたものだが、その後長い間入手困難となり、それに代わるものも満足のいくものが発見されずにいたが、最近ようやくダイシャニンが手に入るようになり、実験がふたたび可能になった。

 オーラの色彩はその人の感情と気質と性格を表す。黄色は知性と叡智、赤は怒り、オレンジは野心、青は献身的精神、紫は霊性、灰色は恐怖心、暗緑色嫉妬心をそれぞれ暗示している。もしオーラが縮み上がるような様子をしている時は、死期が近づいていることの証拠である。私はこれまで霊視家によるオーラの観察結果をチェックすることがしばしばあったが、非常に正確であった。

 以上、私は心霊現象について述べてきたが、要するに私が強調したいのは、心霊現象を合理的に説っ名出来るのは霊魂説しかないということである。もちろん、ある一つの現象だけを取り上げて、それを霊魂とか地上に存在しないエネルギーの介入を仮定せずに説明することが可能な場合もあろう。たとえば霊視現象をテレパシーとか自己暗示のせいにしようと思えばできないことはない。

 が私の三千回を超える交霊実験会での観察結果から判断すると、心霊現象には一つの型(パターン)がある。そのパターンを細かく検討して行くと、どうしてもこの地上に存在しない別の知的存在が働いていると結論せざるを得ないのである。むろん私なりにありとあらゆるテストをして見た(それについては後者で述べる)。また霊魂説以外の説明方法も試みてみた。が結局は霊界の知的存在(スピリット)によって演出されているという結論を出さざるを得なかった。それがすべての心霊現象を合理的に説く唯一のカギだということである。

(注3)Sulphozyansaurem 学術的には存在は認められていないが、生物学の専門家によると、そうした物質の人体内の存在は〝理論的には可能〟ということであった。
 
 
 
    第二章 死んでも生きている  
            ──死後の生活 

 前章で私は心霊現象というのは霊界のスピリットが霊媒を通じて地上に働きかけている現象だと述べたが、本章ではそのスピリットの世界について述べてみたい。霊媒を通じて死後の世界の様子も入手しているのである。
 
 通信を送ってきたのはむろん死後の世界の住民であり、直接その世界で体験したことを語ってくれているのである。残念ながら死後の世界は物質的、地上的次元や制限を超越しているために、死後の様子といってもそこにはおのずから限度がある。言語というのは本質的には地上的、即物的であり、思想や観念を完全に伝えることは不可能である。思想や観念は非物質的であり、即物的な言語より次元が高い。所詮、小は大を兼ねることはできないのである。

 とは言え、誰にも間違いなく訪れる死の関門を通過したあと辿り着く死後の世界について、その全部ではなくても、ある程度の〝様子〟は霊媒を通じて窺い知ることが出来る。実際、霊媒の存在を抜きにしては、死後に関する知識はほとんど無に等しい。聖書には、かの有名な一句「天国には多くの住処がある」というのがあるが、一体その住処はどんな格好をしているのか、どのようにして建てられるのか、どんな人々が住んでいるのか、といったことについては一言も述べていない。

 さて死ぬということは肉体を捨てるというだけであって、死後のあなたは今のあなたそのままである。ということは、人間は死んでから霊魂になるのではなくて、この世に生きているうちから立派に霊魂だということである。死というのはその霊魂が肉体という衣を捨てて、今度は霊体をまとって生活するようになることである。

 霊界の生活は決してモヤのように実質のないぼんやりとしたものではなく、逆に実は活気に満ち満ちている。やりたいと思うことは何でもできるし、する仕事がちゃんとある。死ねば永遠の眠りにつくとか、いわゆる〝復活〟の時がくるまで眠っているといった信仰は愚かであると同時に間違っている。死ぬということそれ自体が霊の復活なのである。

 人間はこの物質界こそ実在で実質があると思い込んでいる。がそれは実は大変な錯覚である。核分裂の現象を見れば、エネルギーや実質というものが形のない、目に見えない存在であることが如実にわかる。

 大方の人間にとっては心とか霊の世界は影のように取りとめのない存在であるが、霊の世界の人間にとっては逆に霊的なもの精神的なものこそ実質であって、物質が影なのである。霊魂にとって思想とか意念は地上の固い壁よりも実態が感じられるのである。

 要は相対性の問題である。たとえば夢を見ている時は、その夢の中の出来事はすべて現実のものとして意識される。従ってもしも夢の世界が永遠の存在だと仮定すれば、夢の中で起きることは、地上の環境と同じように永遠に実体のあるものとして感じ取るはずである。それを夢だったと悟るのは、朝目が覚めて肉体感覚に戻った時のことである。要するに次元が変わったからにすぎない。

 たいていの場合、死後にひとしきりの休息の期間が訪れる。その間に新しい環境になれる為であるが、残念ながら大部分の人間は霊的な予備知識がないために、自分が死後も生きていることを知って大変なショックを受ける。時には、これはさほど多くはないが、何百年もの間自分が死んだことすら気づかない者がいる。そうした人間は地上生活が極端に利己的ないしは貪欲だったために、内在する霊性が働かないのである。世にいう幽霊屋敷に出没する霊魂はこうした〝地縛霊〟である。

 地縛霊の場合、死によって肉体から解放されても、霊的進化の遅れから、身体は霊界にありながらその意識は地上につながれている。麻薬中毒患者などがそのよい例で、そうした霊が地上の人間に取り憑いてさらに精神病患者を作り出す。そのことは霊的治療法によってその取り憑いた霊を取り除くと、ウソのように治ってしまう事実からも明確である。取り憑くといっても霊魂自身は無意識の場合が多い。

 米国の著名な精神科医ウィックランド博士 Carl  Wickland はそうした方法で治した例症をその著 Thirty Years Among the Dead (拙著『迷える霊との対話』ハート出版刊)で詳しく紹介している。患者の肉体に電気ショックを与えると憑依霊が一時的に患者の肉体から離れる。これを霊媒(博士の奥さん)に憑依させ、その霊をこんこんと諭して死の自覚を促し、ひいては霊の世界に目覚ませるというやり方である。
 
 もっとも、ささやかな徳性と、誰にでもある人間的欠点を具えた平凡的凡人は、霊界に目覚めるのにそう長くはかからない。有り難いことに、極悪人といえるほどの人間はそう多くはないし、同時に、残念ながら聖人君子といえるほど立派な人間もそう多くはない。

 そういうわけで、大部分の人間は死を恐れる必要はない。たいていは死後霊界で目を覚ますと、自分より先に霊界入りした愛する人々、親しい人々に迎えられる。家族は再開し、友情は蘇り、旧交が温められる。お互いを確かめるのに何の障害もない。先立った人々はその後も霊界からずっとわれわれを見守ってくれており、死に際しては出迎えてくれる。時の経過による容姿の変化はあっても、霊界は思念が実在の世界であるから、その作用で地上時代の容姿に近づけて認識を助けてくれる。

 さて環境の変化によるショックから覚めてみると、そこがまんざら見知らぬ世界でもないことに気づく。それもそのはずである。実は地上時代から人間は毎夜のように霊体で霊界を訪れているのである。言って見れば人間は毎晩〝死んで〟いるのである。それが本当の死と違って一時的であるのは、肉体と霊体とをつなぐコードが切れずにいるからである。赤ん坊のヘソの緒を切った時にはじめて独立した存在として地上に誕生するように、真の意味で霊界入りするのは、その銀色の〝生命の糸〟が切れた時である。

 寝入ると霊体は肉体を離れて、われわれが死後生活する環境を訪れる。その間の体験を意識的には記憶して居ないが、死後、意識の中枢が肉体から霊体に移行するとそのすべてが思い出される。言葉で説明しようのない異様な体験もその時にすっきりと納得がいく。

 霊の世界を支配している大きな法則の一つに親和性がある。類は類を呼ぶ、つまり、霊的特質の似通ったものが集まって生活するということである。法律上は夫婦であっても、互いに愛情を抱かず気持ちの上で離婚しているような夫婦は、霊界では一緒にならない。

 ここで疑問を発する人がいるかも知れない。三度結婚した男は向こうでは三人の女性のうちのどれと永遠に結ばれるのかと。心配はいらない。あの世では嫉妬に狂った男女の奪い合いなどというものは無いのである。真の愛、霊性の発達程度がすべてを解決してくれる。中の悪い夫婦というものは存在しない。体裁を作ろうこともない。遅かれ早かれ神の公正が働き、然るべき償いが為された暁には、親和力が働いて一体となるべき男女が一体となる。

 先だった妻が地上の夫の再婚を非常に喜んでいるといったケースを私は数多く知っている。これは、あの世では嫉妬に狂った男女の奪い合いはないという事実を裏付ける例といえよう。又私は、同じような例として、先だった夫叉は妻が、地上に残した相手が考慮中の再婚話を親身になって思い留まらせようとしたケースも幾つか聞いている。

 次に、これは大方の人にとって即座に納得いかないことかもしれないが、あの世の人間も、ちゃんとした〝家〟に住まっているのである。もっとも家といっても煉瓦やモルタルで出来ているのではなく、これがまた意念で出来ているのである。意念が実在の世界であり、展性の点では意念の方が最高なのである。地上のわれわれにとって煉瓦やモルタルが固く感じられるように、霊界の人間には意念が固く感じられるのである。

 同じことが衣服にも言える。霊界では衣服も意念によって出来たものをまとっており、その形体は地上のように好き勝手なものではなく、その人間の霊的発達程度を象徴するようなものになっている。いずれにせよ、衣服をまとうという人間の基本的な本能は意念の世界へ行っても続くようである。

 次に飲食の問題であるが、霊界でも低い階層、つまり地上に近い所に住む霊魂は、そういう欲望を感じた時は食べもし飲みもするようである。これは一種の錯覚であるが、夢と同じで、その時の当人にとっては現実のものとして実感されるのである。やがて霊性が発達して高い世界へ行けばそういう欲望も出なくなる。

 地上と違って霊界には言語上の障壁がない。というのは民族とか国家とかの別がないのである。思念が唯一の言語であり、以心伝心がコミュニケーションの手段なのである。従ってごまかしや口実、ウソ偽りがまったくきかない。秘密もない。精神的にも霊的にも、その人の有るがまま姿が知られてしまうのである。

 肉体的な意味での年齢はなく、霊的な成熟があるのみである。従って子供は進歩するにつれて大人らしくなり、大人は成熟するにつれて霊的に若々しくなってくる。

 また霊界では天賦の才能をはっきしようと努力する。それが仕事である。地上では生きるための必要性、つまりカネを稼ぐということや、その他もろもろの事情から、往々にして天賦の才能の発達がはばまれ、適材適所が中々思うにまかせない。が、あの世では才能を発揮するための施設が無数にある。ミュージックホール、学問・文化の施設、教育機関、等々。そして、その各々の分野で地上で名声を馳せた知名人が指導にあたっている。

 母性本能が満たされることなく地上を去った女性にとって霊界はまさに天国である。両親に先立って霊界に来た子供の霊の世話をすることによって、その本能を心ゆくまで満足させることが出来るからである。

 霊界では金を稼ぐ必要がない。土地を買う必要もない。車もいらない。家を借りる必要もない。しかも真の個性を発揮するチャンスが無数にある。

 当然のことながら貧富の差がない。あるのは霊性の貧富の差である。霊界での生活の目的はその霊性を磨き、その完成を目指して、少しでも人間的なアカを洗い落とすことにある。神学で言っているような天国とか地獄といったものはない。天国も地獄もそれまでの地上生活で築き上げた自分の精神構造が産み出すものである。

 では死後の世界は何処にあるのかということになるが、実は地上から遠く離れた別のところにあるのではなく、地球も含めた各界層が渾然一体となって一つの大宇宙を構成していいるのである。固定した地域や層が存在するのではなく、次元の異なる世界が重なり合って同じ場所に存在しながら、低次元から高次元へと無限に広がっているのである。死と同時に各自は地上生活で築き上げた人間性つまりは霊格に相当する界へと引き付けられていく。自己の霊格より高い世界へ行くこともないし、低い世界へ行くこともない。但し、特殊な任務を帯びて低い世界へ降りることはあるが。

 要するに霊界では聖者と守銭奴は同じ界には住めないということである。地上時代の行為と言葉と思念とによって築き上げられた霊格の差が両者を自然に分けてしまうのである。

 次に、地上時代の行為に対しては償いと懲罰の両方がきちんと行われる。原因と結果の自然法則、いわゆる因果律の働きが完璧だからである。あくまで自然法則であって
、神学でいうような玉座に腰かけた大審判官が善人と悪人を選り分けるのではない。前に述べたように、われわれは自分の行為によって霊的に自分自身に〝審判〟を下し、それ相当の霊格を築いているのである。その霊格がいわば霊界でのパスポートなのである。地上生活によって築き上げた人間性そのものなのでである。

 が、死後を恐れてはいけない。圧倒的多数の人間にとって死後の世界は明るく楽しい世界である。一番の敵は死後の世界の存在を知らずにいることであり、それに対する何の備えもないということである。

 天国というのは地上生活を正しく送った者への自然の償いである。つまり正しい生活によって築き上げられた徳性が親和力の働きによって自動的に同質の人間、同程度の仲間と共に暮らすことを可能にしてくれるのである。同じように、地獄というのは地上時代の自己中心の生活が築き上げた悪徳の数々が、自動的に、似たような人間性の持ち主ばかりがいる世界へ引きずり込んだ状態のことである。

 霊界に来て一時的に味わう悲しみの一つは、自分の死を悲しんでいる地上の肉親縁者に自分が健在であることを知らせることが出来ないことである。悲しみに暮れる家族に何とかして知らせようと懸命に努力している様子は私も何度か見ているが、実に哀れを誘う光景である。そのうち先輩のスピリットの指導を得て平静を取り戻すのであるが、中にはその体験から、地上と霊界との障壁となっている〝人間の無知〟を失くそうと努力してくれる霊もいる。いずれにせよ、新しい霊界生活に慣れてくると、それぞれに適した場に落着き、持てる才能の開発に勤しむようになる。

 怠けるとか、さぼるとか、仕事がないといったことがない。肉体がないから病気がない。旅行も、何で行こうかという問題が生じない。意念によってたちどころにその場に行けるからである。

 中には意識的に、ないしは無意識に、地上の人間と共同作業に携わっているスピリットもいる。芸術、科学、発明、開拓といった分野がそれで、インスピレーション式に人間にヒントを与えて成功を収めているといったケースが少なくないのである。

   
 第三章  霊が語る(一)
 
           ─直接談話現象 その(一)

 私がこれまでに得た死後存続の証拠の中で最も強烈で、まぎれもない証拠となったものは、直接談話現象によって得られたものであった。

 私は過去百年間に出版された数多くの秀れた心霊書には全部目を通しているが、エステル・ロバーツ Estelle Roberts 女史の交霊会で得た証拠ほど説得力をもったものを私は知らない。女史は世界有数の霊媒の一人で、ほとんどすべての心霊能力をもっておられる。

 ロバーツ女史による交霊会は週二回の割で開かれた。私はよく出席させていただいて、言わば正者と死者の劇的な交信を目の当たりにした。最も調子のよい時─それが決して珍しいことではなかったが─最高に調子よく行った時は、これが死の淵を超えて届く声かと思うほど、スピリットの声が生々しく、そして自然に聞こえてくるのであった。

 その声は通例とんがり帽子のような恰好をしたブリキ製のメガホンを通して聞こえてきた。部屋の中は霊媒の指導霊(ガイド)(注4)の要求で真っ暗にされた。

 私は薄明かりの中ではダメなのかと聞いたことがあった。するとその指導霊は「どんな条件でも仰っていただきましょう。その条件下で証拠をお見せします」という返事であったが、その後それを見事に実現してくれた。それは追って述べることにしょう。

 もともと心霊現象には暗闇か、せいぜい薄暗い赤色光がつきものである。指導霊に言わせると心霊現象を生み出す過程は生命の誕生といっしょで、暗闇が必要だとのことである。

 しかしそれが真昼の太陽のもとでも見られることがある。これから述べるのは私がアメリカに滞在した時に偶然体験したことである。

 ニュ-ヨークにリリーデールという小さな町があり、そこは毎年夏になるとスピリチュアリストのキャンプ地になる。キャンプというと無数のテントが並ぶ光景を浮かべられるかもしれないが、実は六、七十人の霊媒を呼んで、述べにして何千、時には何万ものスピリチュアリストがあらゆる種類の心霊現象を堪能する、言って見ればスピリチュアリストのメッカなのである。

 たった二つのホテルしかない小さな町であるが、二千人を収容できる集会場がある。私はアメリカへ講演旅行をした際にここに立ち寄ったのである。

 到着した日に私たち夫婦のためにティパーティが開かれ、滞在中の霊媒全員が招待された。明るい夏の午後で、会場の窓から夏の陽が照り込んでいた。全部で七、八十人もの人間が集まったのであるから、終始ザワザワと会話の声が途絶えることがなく、その多くがタバコを吸っていた。

 ところがそんな、心霊現象にとっては全く都合の悪い状態の中で、私は不思議な体験をしたのである。まず、バッファローから来たという アン・カイザー Ann Keiser という女性霊媒が私の妻のところへ来て挨拶をした。断っておくが二人はこれが初対面である。

 その時、不意に妻の祖母だと名乗る女性の声が二人の会話の中に飛び込んできたのである。その声は自分の名前(シルビア)を名のってから、私の妻の名が自分にちなんで名づけられたのだという。それは確かにその通りであったが、その事実をそのアメリカ人霊媒が知る由はないはずである。なぜなら妻の祖母は生涯をイギリスで過ごしたからである。更に言えば、実は私自身も妻が祖母の名にちなんで名付けられたことはその時まで知らなかったのである。祖母は妻が三つの時に他界している。

 そうしているうちに今度は第一次大戦で戦死した妻の弟の声がして、名を名のってから「この機会をずっと前から待っていたよ」といった。驚いた妻は私のところへ来た。

 私はさっそくカイザー夫人を人声の少ない隣の部屋へ連れて行った。今の現象を確かめたかったからである。すると、はじめのうちは歯の隙間を通して出てくるような小さなっ声だったのが次第に大きくなって、ついに従弟のはっきりした男性の声となった。その時、従弟は私がイギリスを発ってから起きたことに言及し、私の質問にもあれこれと答えてくれたが、その内容はカイザー夫人の知る由もないことばかりで、きわめて立証性の高いものであった。

 どうやらその声は、私の判断では夫人の太陽神経叢(注5)のあたりから出て来ているようであった。その間、夫人は口をつぐんだままである。従って腹話術の可能性はあり得ない。断じて夫人の声ではないのである。

 それから二、三日後のことであるが私はジョン・ケリー John Kelly という霊媒と壇上に上がった時、また同じような現象を体験した。ケリー氏は英国生まれであるが、大半をバッファローで過ごした人である。調べて見て不思議に思ったことであるが、この太陽神経叢を使った心霊能力を持った人は、大半がバッファロー出身か、バッファローに近いナイヤガラ瀑布近辺の出身か、またはその地方で修業した人が圧倒的に多いということである。もしかしたらナイヤガラ瀑布から発散される特殊なエネルギーとこの種の心霊能力とに何らかの因果関係があるのかもしれない。

 さて、リリーデールで私が初めて講演をしたそのすぐ後を受けて、ケリー氏が公開実演をした。やり方は目隠しをした状態で会場の出席者が提出する封筒入りの質問に答えるというものであった。

 ケリー氏は私の隣に腰かけた。すると白昼なのに例によって太陽神経叢のあたりから声がして私のニックネーム(バービー)を呼んだ。初めはささやくような小さな声であったが、次第に大きくなって、はっきりと聞こえるまでになった。

 ケリー氏が得意とするのはいわゆるリーデングで、封筒の中の質問に対して(時には開封もしないで)解答するのであるが、その声の主はケリー氏の父親で、入神(しているかどうかは確かではないがの状態でケリー氏の口から発せられる。私はケリー氏の父親を知らないので、その声が間違いなく父親の声だとは断言できないが、少なくともケリー氏自身のものではない。

 一時間ばかり続いたこの実演を一層素晴らしいものにしたのは、列席者の他界した肉親縁者の声がして、それが列席者からの質問に答え、ケリー氏の父親がそれを反復して聞かせたことであった。リリーデールでの一週間の滞在中に私はこうした現象を数回見た。またケリー氏が入神していない普段の状態の時に私が話かけても、かならず父親の声が割って入った。その声がいつも太陽神経叢のあたりから聞こえるのであった。

 多分この地方特有の気候条件がこの種の霊能に適しているのであろう。というのは、その土地から遠ざかるにつれてケリー氏の霊能が鈍っていくことが分ったのである。船で英国への帰途、私はケリーをはじめとする何人かの米国人スピリチュアリストといっしょだった。そして大西洋上で二百人近い観客を前に公開交霊会(デモンストレーション)を開いたのである。

 ケリー氏は例によって、入神状態での封書読(リーデング)みの実演をやり、やはり父親がケリーの口を借りて
封書の中の質問に答えていった。その質問に関連のある他界した親戚や友人が伝える回答を氏の父親が繰り返すというやり方であった。が、すでにその時から声が小さくなっていた。

 その後イギリスに着いてからもケリー氏の父親の声を何度か聞いたが、その時はすでにささやき程度にしか聞こえなかった。なお、私の事務所でケリー氏にホテルへの道を教えてあげたところ、良くわからなくて困惑していると、また父親の声がして細かい指示を与えていた。が声は小さかった。リリーデールの時に比べて音声が小さくなっていったのは、やはり気候のせいだと私は思っている。

 さてケリー氏に父親がついていたように、どの霊媒にも指導霊が付いている。しかし普通は血縁関係のない場合が多い。一番多いのはインディアンで、初心者は異様な感じを受けるようであるが、これにはちゃんとしたわけがある。アメリカインディアンが栄えた頃、彼らは超自然力についての知識が豊富で、心霊法則にも通じていたのである。死後、地上の霊能者の指導に当たることが多いわけである。

 その後、インディアンは幸か不幸か〝文明化〟され、西洋化してしまって、民族本来の心霊能力がすっかり退化してしまった。インディアンの研究家アーネスト・シートン氏 Ernest T. Seton はその著 Gospel of the Red Man (真実の北米インディアン)の中でインディアン民族のもつ心霊能力を詳しく紹介しているが、これを見ると、かつてのインディアンが実に多くの種類の霊能を持っていたことが分る。

 私自身も長年、インディアンの霊能には関心を持ってきたが、いろいろ知って見ると、インディアンという民族に対して深い敬意と愛情を抱かずにはいられない。第一級の霊媒を通じて働いているインディアン霊にはどこかしら〝愛すべきもの〟が感じられる。そして又、非常に奉仕の精神にあふれている。

 はじめに紹介したロバーツ女史の
司配霊のレッドクラウドにはそうした特質が見事に結実しているように思う。レッドクラウドをこの目で見たのはたった一度で、いわゆる物質化現象で一時的に姿を見せた時だけであるが、交霊会で数えきれないほど話をしてきているので、地上の親しい人よりももっと親しい。古い友人といった感じを抱いている。

 レッドクラウドの声は、入神した霊媒の口を使った時(霊言現象)も、あるいは霊媒から離れた所から直接(じか)に聞こえるとき(直接談話現象)も─いずれにせよ声は同じであるが─ロバーツ女史自身の声とは全く違っている。レッドクラウドのは男性的で低く、そしてハスキーである。英語をなかなかうまく使いこなしているが、母音の発音に魅力的な特徴がある。アクセントの位置がずれるのも却ってご愛嬌である。

 レッドクラウドは地上ではスー族のインディアンであったが、ある時こちらからの求めに応じて地上時代のことを詳しく語ってくれたことがある。またロバーツ女史を通じての仕事の準備の一環として英語を勉強した時のことも話してくれた。

 ロバーツ女史の交霊会では二週間に一度の割で入神による勉強会を催している。その目的は交霊会で起きた色んな現象について
レッドクラウドがその深い意味を説明することであるが、ある時は列席者の質問に対して一時間以上にわたって講釈したことがある。私は何度出席しても必ず何かを教えられた。その教訓の内容はどう考えてもロバーツ女史自身の知識の範囲を超えていた。ロバーツ女史は若い頃は事情あって勉強らしい勉強が出来ないほど忙しく働かざるを得なかったのである。

 時には専門の科学者とずいぶん混み入った問題を対等に渡り合うのを聞いたことがある。医学者を相手に古代と現代の医学について堂々と語り合うのを聞いて感心したこともある。滅亡した帝国、失われた都市、古代の風習等についてもまさに専門家はだしである。歴史と各時代の宗教についての知識も大変なものである。かてて加えて旧約・新約の聖書から自在に、しかも長々と引用する。

 レッドクラウドは異論の多い問題についての質問も大いに歓迎して議論し合うので、勢い意見の差が浮き彫りにされる結果に成ることが多いが、レッドクラウドが反論されて不愉快な態度を見せたことは一度もない。臨機応変のユーモアがしばしば救いになった。

 私とロバーツ女史とのお付き合いはもう二十五年以上になる。直接お宅を訪ねたことも数十回を数えるが、その生活ぶりを拝見していると、まさに霊媒としての活動に全てを捧げられている。その能力は心霊能力のほとんどすべてにわたっていると言えよう。女史の趣味といえるものはたった一つ─庭園いじりである。

 読むものといえばこれまたスピリチュアリズム関係の定期刊行物ばかりである。ほかのものには興味がないのである。詩にも興味がない。ところがレッドクラウドが一般に知られていない現代詩人の作品の中からその場に適切なものを引用したことがあるし、自分の考えを表現している一節を即座に引用することは珍しくない。美しい韻文で長々と口述して感嘆させられたことも一度や二度のことではない。

 そんなことは平常のロバーツ女史に絶対できないことは私が一番よく知っている。疑い深い人は、こっそりと勉強しているのだろうと言うかもしれない。が、私のような、長年親しくしてきた連中をもしも本当に騙してきたとしたら、これほどの大女優もちょっといないのではないか。霊媒稼業などしているよりも、舞台や映画、テレビなどに出演したほうが余程お金になるのではなかろうか。

 レッドクラウドの最大の魅力は、その深い人間味であろうか。広い寛容心、人間ならではの悩みや困難への暖かい理解、深い慈悲心、穏やかな性格、レッドクラウドが人を咎めたことは一度もない。

(注4)バーバネル氏は霊媒の背後で働いているスピリットの中の中心的責任者を spirit guide(指導霊)と呼んだり spirit control (司配霊)と呼んだりしている。ここではレッドクラウド Red Cloud (後出)のこと。
 
 
(注5)胃の後部にある大きな神経叢。太陽光線のように放射線状のように広がっているのでこの名がある。

   
第四章  霊が語る(二) 
      ─直接談話現象 その(二)

 エステル・ロバーツ女史の交霊会は二週間に一回の割で開かれ、そのパターンはいつも同じであった。うるさ型のレギラーメンバー(常連)のほかに毎回何人かの新参者がいたが、その名前も性別も霊媒には知らされなかった。それは出来る限り証拠性を高めようという配慮の一つであった。出席者は全部でおよそ二十名であった。

 交霊に使用される二本のメガホンには会に先立つこと二、三分前に必ず水がかけられる。それには前もって蛍光塗料を塗って光を当て、会が終わるまでもつようにする。そうしておくと暗闇の中でもその動きが分かるわけである。メガホンの動きは実に巧で、それ一つを取り上げても一種の超常現象と言えるほどであった。

 メガホンが部屋中を動きまわる速度はまさに電光石火で、時に天井に当たったり床を叩いたりする。メガホンは二つの部分から出来ていて、床を叩いた時などにバラバラになったりする。が見えない力ですぐに組み立てられ、さも楽しそうに部屋中を飛び交う。その動きの正確さは一分の狂いもなく、また握りそこねて落としたり列席者に当たったりすることは一度もなかった。

 そのうち、その一本が通信を受けるべき人の真ん中にやって来る。そして通信霊がしゃべっている間中ずっとその位置に留まっているが、通信霊のバッテリーが切れたリ通信が終わった時にポトリと落ちることがある。時には司配霊のレッドクラウドや他の背後霊の一人が列席者を〝可愛がる〟ようにメガホンで頭から足先まで触っていくことがある。可愛がるという言い方は変だが、その時の感じはそう表現するしかないのである。

 さて、そうした現象が始まるに先立ってまずロバーツ女史の高いいびきを伴った呼吸の音が聞こえる。これは女史が入神しつつあることを示しており、会が終わるまで女史はそのお状態下に置かれる。その間のドラマチックな現象が女史自身見られないというのは実に気の毒である。

 ふつうは列席者は隣の人と手をつなぐことになっている。レッドクラウドに言わせると、そうすることが現象に必要な霊的エネルギーを確保する上で助けになるそうである。が時たま手を放すように言われることもある。但し、自由になった手で勝手にメガホンに触れないようにと、きつく言われる。レッドクラウドによると、メガホンはエクトプラズムによって霊媒とつながっているので、エクトプラズムへの衝撃はそのまま霊媒の健康に危害を及ぼすという。

 この事で思い出すのは、私が数年間レギラーメンバーとして出席していた別の直接談話の交霊会で、その日の新参者にその注意を言うのを忘れたことがあった。その人は何もしらないで、自分が話しかけられている最中にメガホンに触ってしまった。すると、とたんに霊媒がうなり声を出した。司配霊が即刻中止を宣言し、霊媒が出血しているという。確かめてみるとその通りだった。

 ロバーツ女史の交霊会ではごく普通に(スピリットと)会話をするように言われる。すると床に置いてある二本のメガホンのうち一本が上昇し、その中からスピリットの声が聞こえてくる。やがてレッドクラウドの「そのまま!」という声が聞こえる。これは一人が終わって別のスピリットのしゃべる用意が出来たことを意味する。終わってメガホンが床に降りて行く時のスピードはゆっくりとしている。それが再び上昇してくるときのスピードで新米霊かベテラン霊かの違いが分かる。新米の場合はいかにもぎこちなくゆっくりと上昇するが、経験あるスピリットの場合は早いし、位置の取りかたが正確である。

 こうしてメガホンで談話が行われている間中ずっとレコード音楽がかけられるのが通例である。音楽はいつも同じで〝ローズメリー〟という音楽喜劇の中の一曲である。そうしたポピュラーな曲の繰り返しを、死を隔てた愛する者同士の感激的な再開シーンを前にして聞くのも妙な気分である。私がレッドクラウドになぜその曲を選んだのかと聞いた所、単にバイブレーションの問題に過ぎないという返事であった。その曲の持つキビキビしたバイブレーションが直折談話には有効だということであった。

 ロバーツ女史の交霊会で混乱が生じたことは一度もない。これはレッドクラウドが会の進行に天才的才能が有り、一つの通信と次の通信との間に入って細かい指示を与えるからである。カーテンで仕切られた奥の片隅では速記係がノートのところだけ照明を当てて一語一語談話を記録している。ふつう私がやりとりを一語一語くり返して言ってあげた。

 私はその二階の小さな部屋で行われた交霊会で数えきれないほどの、もうこの世にいない人々の声を聞いてきた。男の声、女の声、子供の声、ほとんどと言ってもいいほど最初は細く詰まりがちである。が少し慣れてくるとリンリンとした声となり、部屋の外にいても、時には下の庭にいても聞き取れることがあった。

 さてこれから紹介するのは、かつてのスピードの世界記録保持者だったヘンリー・セグレーブ Henry Segrave が出た時のドラマチックな話である。夫が事故死して以来悲しみに暮れていたセグレーブ夫人を私がロバーツ女史の交霊会に案内した。ドラマの始まりはそれより何年も前、セグレーブがフロリダのデイトナ―ビーチで陸上スピード世界記録を達成して世界中の新聞のトップ記事となった時にさかのぼる。

 記録に挑戦する前、イギリスのあるグループに送られてきた見知らぬ霊からのメッセージがセグレーブに届けられた。その霊はかつてのスピード王ということで、メッセージといっても一つの警告であった。すなわちセグレーブの車は一定のスピードに達するとある箇所がプツンと切れるというのである。セグレーブは言われた通りのスピードで試したところ確かに切れた。

 この警告のお蔭で致命的な事故になるところを救われた、とセグレーブは自ら認めた。この事で興味を覚えたセグレーブはイギリスにもどってからスピリチュアリズムを研究しはじめた。彼は知り合いだった有名なジャーナリストのハンネン・スワッハー Hannen Swaffer (注6)がスピリチュアリストであることを知っていたので訪ねていった。

 そのスワッハーの家で彼は生来の工学的気質をとりこにしてしまうような驚異的現象を目撃した。たまたまその日は素人の霊媒が来ていた。アーチ―・アダムズ Archie Adams といい、本職はポピュラーソングの作曲家であった。が稀に見る偏屈でもあった。

 スピリチュアリズムよりもセオソフィー(注7)の方に興味を持っていたアダムズは、強力な霊能を持っているのに自分自身はそれを不愉快に思っていた。そのアダムズがピアノを弾いていると白色の照明のもとでも、あるいは白昼でも、そのピアノが浮揚するのを何人もの人が見ているのであるが、その日もセグレーブがいる前でホノルルで聞いたというハワイの曲を弾いていると、そのピアノが浮揚したのである。そして大きな音を立てて床に降りた。セグレーブはその後よくその時の話を持ち出して「オレがキモをつぶしたことと言えば、後にも先にも、スワッハーの家でピアノがジャンプするのを見た時だけだよ」と笑って言ったものである。

 イギリス本土中部にあるウィンダーミア湖で悲劇が起きたのはそれから間もなくのことである。水上でのスピード記録に挑戦していたこの稀代のレーサー、すべての友人に愛された魅力あふれる好漢セグレーブも、ついに不帰の客となった。

 悲劇のニュースに多くの人々がショックを受けた。中でも夫人にとっては人生最大の打撃であった。ところが死亡した日の日曜日にスワッハー家で奇妙な現象が起きた。一枚の新聞が部屋から部屋へと移動し、そのほかにも普通では説明のつかない現象がいくつか起きた。意味深長だったのは、その新聞にセグレーブの書いた最後の記事が載っており、それは例のスワッハー家でのピアノの浮揚現象について述べてあった。

 スワッハーはこれはセグレーブが注意を引こうとしているかも知れないと思い、セグレーブ夫人にその異常現象を詳しく書いて知らせた。普通ならお悔やみの一つでも書き添えるべき所を、死後の存続を確信しているスワッハーは、奥さんが困っておられる時にはきっとご主人が傍にいらっしゃることを確信しておりますと書き添えた。

 こうした態度はなかなか難しいものである。なぜかと言えば、こちらとしては真の慰めのつもりで言ってあげたことでも、実際には傷口に塩を塗り込むようなことをしていることになりかねないからである。幸いセグレーブ夫人は返事の中でスワッハーの行為に感謝し、お陰で何とか苦しみに耐え、真に孤独を感じるのはほんの時たまになりましたと述べた。

 それから一年が過ぎセグレーブ夫人は再びスワッハーに手紙を書いた。こんどは何か主人からの通信を受け取っていないかどうかを尋ねる手紙だった。また、その時までに夫人はスピリチュアリズムに関するジャーナリストの本を読んでいて、とても心をひかれましたと述べてあった。さらに付け加えて、自分の人生は無意味でムダに終わるように思えるけど、もしかしたら主人との再会が叶えられるかもしれないという一縷の望みをつないでおりますと書いた。

 スワッハーはその手紙を私に見せて、何とか夫人のスピリチュアリズムについての勉強を援助してやってほしいと頼んだ。私は一番の方法はロバーツ女史の交霊会に出席することだと考えた。ただ問題は出席の許可が得られるか否かである。

 許可はレッドクラウドから出る。レッドクラウドが自分が出席してほしいと思う人を指名するか、さもなければこちらが名前も性別も明かさずにただ知り合いの人を連れて来てもいいかと聞くかのどちらかである。するとレッドクラウドは端的にイエスとかノーと言うだけで、それは誰かといったことは決して聞かない。
 
 次の金曜日(会はいつも金曜日と決まっていた)のことである。私は二人の知人(夫婦)を招待することを許されていた。ところが当日の朝になって一人が病気になり、(夫婦なので)結局二人とも来れないことが分った。私はセグレーブ夫人を連れて行く絶好のチャンスだと思った。が問題はどうやってレッドクラウドの許可を得るかである。私は万一夫人にメッセージがある場合を考慮し、夫人の名前をあらかじめ言わずに申し込んでみようと思った。その方が証拠的価値があるからである。

 早速私はロバーツ女史に電話を入れ、連れていく予定にしていた二人がいけなくなったので、代わりに他の人を連れて行ってもよろしいかと尋ねた。すると「レッドクラウドに聞かれましたか」という返事である。

 「いいえ」私は正直に言わざるを得なかった。そして長々と話し合いが続いたあげくに女史はついに折れて、私を信頼することにするとおっしゃってくれた。名前を聞かれなかったし、私の方から何の手掛かりも与えなかった。私は早速セグレーブ夫人に電話を入れて交霊会に招待いたしましょうというと、困ったことに、その日は大切な予定があって、今となっては断るわけにはいかないという返事である。私はガッカリした。

 その交霊会を前にロバーツ女史が「あなたが今朝おっしゃっていたお知り合いの方はどこにいらっしゃいますか」と私に尋ねた。私は〝その人〟が来られなくなったいきさつをありのまま説明した。が名前も言わず、男性か女性かも口にしなかった。セグレーブ夫人に関する手掛かりは一切与えなかった。

 例によって二階に集合した。証明(あかり)が消された。間もなく蛍光塗料で輝いて見えるメガホンが動いて、レッドクラウドが低い朗々とした声で、ようこそ、と挨拶した。私は好奇心から「今夜私が連れて来るはずだった人物について何かご存知ですか」と尋ねると、謎めいた返事が返ってきた。「その話はやめて、まあお待ちなさい。」

 会が進んでからのことである。レッドクラウドが次の通信者は私に話すという。見ているとメガホンがゆっくりと私の方へ近づいて来て「バーバネルさん
」と話しかけてきた。
「はい、どなたでしょうか。」
 
 「セグレーブです。妻をお連れ下さろうと骨を折ってくださってありがとう。」
 これは予想もしなかったことであった。その日の出席者の誰一人として、私がセグレーブ夫人を連れてこようとした事実を知る人はいない。それなのに粉(まご)う方ない形で、霊界の夫が地上の妻のことを知っていることを証明した。

 「いや、それはいいんです。ただ奥さんが来れなかったのが残念です」と私が言うと
 「気持ちだけでもあり難い」と気持ちよく言ってくれた。何か奥さんに伝えることがありませんかと聞くと、彼は或る要件を話してくれた。私には何の係わりもない内容で、それをあとで奥さんに電話で伝えると、それは奥さんにとっては重大な意味のある話で、夫妻だけに分かる要件であることを付け加えられた。

 それから二週間後に私はついに奥さんを交霊会に案内した。奥さんのことは霊媒のロバーツ女史にも列席者にも紹介しなかった。会が始まるとすぐレッドクラウドが挨拶に出た。挨拶をしながらそのメガホンは(見た目には)ひとりでに動いて部屋中をめぐった。やがてセグレーブ夫人の前にとまり「私をご存知ないでしょう」と語りかけた。

 「存じません。私は今日が初めてでございますので」と夫人が答える。すると
 「とんでもない。ようこそセグレーブさん。もうすぐあなたのボクちゃんをお連れしましょう」という。このボクちゃんと言う言い方を私は何度も聞いているが、レッドクラウドにかかると、出る人はみなボクちゃん Little lady なのである。

 メガホンが去った。そしていつもの通りも交霊が始まった。スピリットが入れ替わり立ち代わり列席者に話しかける。ある人には挨拶をするだけというのもあり、慰めの言葉や忠告を受ける人もいる。実に長々と話を交わす人もいた。

 やがてメガホンがセグレーブ夫人のところへ来た。私のすぐ隣りの席である。そのメガホンから「D」(ディー)という呼びかけの声がした。後で聞いた話だが、それは奥さんのニックネームで、それを使ったのは御主人だけだったそうである。このことは出席者の誰一人知らなかった。私はこの点を特に強調しておきたい。私が知っていたのは奥さんの名がドリス Dpris であることだけだった。

 残念だったのは、そう呼びかけられた奥さんがあまりの劇的な体験にすっかり興奮してしまって声が出なかったことである。「ディー」再び声が呼びかける。「話しかけてあげなさい」私がそばからささやいた。交霊会では話しかけられたらすぐ応答してやることが肝心なのである。ところが夫人は私が急かせたことでますます緊張してしまったらしい。ついにメガホンが私のところへ来た。

 「バーバネルさんですね」声がそういった。
 「そうです。だけどヘンリー、奥さんに話しかけてあげて欲しい」私が言うと、もう一度「ディー」と奥さんに呼びかけた。奥さんは二言三言口ごもったが言葉にならない。そのうちメガホンがポトリと床に落ちた。エネルギーが切れた証拠である。

 するとすぐにレッドクラウドの声がして、
 「奥さんの気持ちは判ります。ご主人も同じように興奮しておられます。が何とかしましょう」と言った。会のあと奥さんは、「あまり生々しくて信じられなかったのです」と語っていた。

 しかし、さすが世界一のスピード王にまでなったセグレーブである。この程度では諦めなかった。

 次の会に出た時は早くも通信のコツを身につけていた。そして自分の身元のあかしとして奥さんにこう話しかけた。

 「十四日の日は君といっしょにいたよ、ディー」
 「十四日を覚えていてくれましたか」
 「もちろんだよ。君の誕生日じゃないか」
 これでセグレーブにちゃんと記憶が残っていることが証明された。その日も、奥さんのもとに戻れたことによる興奮はあったであろうが、私に対する礼儀だけは忘れずにこう言った。

「せい一杯頑張っているよ」そう言ったあとユーモアたっぷりにこう付け加えた。
「ボートや車なら運転のコツを心得ているけど、こればっかりはとてもじゃない。でもやってみせる。」私は思わず笑ってしまった。

 彼の言った通り、その日はついにうまくいった。二人が長々と会話を交わすのをそばで聞いていると、何だか盗み聞きしているみたいなかんじがした。話題は家のこと、友人のこと、親戚のことなど、実に多くのことが飛び出した。中には世界中で奥さんしか知らないトピックも含まれていたことを、あとで奥さんから聞かされた。

 私は奥さんの緊張がすっかりほぐれているのを知ってうれしかった。
 「私が車を運転している時もいっしょにいてくれてるの」そう奥さんが聞くと
 「そうとも。だけど注意して運転しなきゃだめだよ、ディー」とセグレーブ。すると奥さんが
 「まあ、なぜそんなことを言うの。私ちゃんとうまく運転できてよ」

 ここでちょっとした間があってからセグレーブがこう言った。「たしかにな。ボクもうまかったよ」

 こうした夫婦のやり取りがあまりに自然なので、われわれ列席者は邪魔をしているような気分にさえなった。

 あとで私が奥さんとその日の交霊会の話をしていたら、生前セグレーブがよくユーモアたっぷりに奥さんの運転の仕方の悪口を言っていたという話を聞かされた。

 その後セグレーブ夫人は度々交霊会に出席し、セグレーブも必ず出て来て奥さんと会話を交わし、そのテクニックはますます上達し、証拠性のある話が積み重ねられていった。私が夫人に今の感想は、と聞いたらこう答えてくれた。

 「これまでの通信で、他界した夫が
私のどんなプライベートなことでも、内証のことでも、完全に知り尽くしていることが分りました。これまで度々その証拠を頭の中で繰り返し思い出しては厳しくそして冷静に吟味してみました。何か他に解釈の方法はないものかとも考えました。テレパシーではないだろうか。潜在意識のせいではないだろうか。騙されているのではないだろうか、と。でもその度に、いや決して間違ってはいない、という確信に落着くのです。」

 (注6) 英国新聞界の大物であると同時に熱烈なスピリチュアリストで、その知名度と顔を利用して各界の知名人を交霊会に招き、スピリチュアリズムの普及に尽くした功績は計り知れない。

  (注7) Theosophy  霊能者ブラバッキ― Blavatsky が唱えた仏教とバラモン教を折衷した汎神論的輪廻節。日本語訳は神智学または霊智学。死後の世界と霊としての存続は認めるが、霊との交信は認めない。
 

  第五章  祈りが叶えられる                                                                                  
           ─背後霊の働き

 ロバーツ女史の交霊会で私が一番感動したのは、名前も知らない霊界の若い女性から話しかけられたときであった。直接談話が中盤にさしかかった頃、レッドクラウドが不意に

 「若い娘さんが地上の母親と連絡するためにここに来ております」と言う。
 「私の知っている娘ですか」と私が聞くと、
 「いや、ご存知ではないが、あなたに一役買ってもらいたいのです」と言う。

そういい終わるとメガホンがゆっくりと私の方へ向きを変えて、あきらかに娘らしい声で
 「はい、わかりました。はい・・・・・・」というささやきが聞こえて来た。(注8)

 それまでの体験から私は、こういう場合に大切なことはしつこく質問せず、まず好きなように話をさせることだということを知っていたので、
 「さあ、話してごらん。私に頼みたいことがあるのでしょ。何でもいいから言ってごらん」と言ってあげた。すると「お許しが出ればお話しします。とても親切な方が私をここへ連れて来て下さいました」と前置きしてから、ゆっくりではあったが、はっきりとした口調でこう語り始めた。

 「私はベッシー・マニング Bessy Manning と申します。この前のイースター(復活祭)の日に結核で死にました。弟のトミーもここにいます。弟は交通事故で死にました。母があなたの心霊紙に出ていた記事を読んで、レッドクラウドがいつか私をここへ連れて来て下さるように祈っておりました。」

 そういえば私は、当時編集していた心霊紙でこうした直接談話による交霊会のことを書いたことがある。ベッシーの母親が読んだというのはそのことであろう。私は「明日にでもお母さんに連絡してみましょう」と答えた。するとベッシーはとてもよろこんでこう言った。

 「母に私が今でも二枚の長い肩かけをしていると伝えてください。私は二十二歳です。青い目をしています。母にもぜひこの会に出席してほしいと伝えてください。招待していただけますか。」

 そう言ってから、とても言いにくそうに「母にはお金がありません・・・・・・とても貧しいのです」と付け加えた。

 「そのように取り計らって見ましょう」と私が答えると
 「母が可愛そうです。私たち二人の子供に先立たれて・・・・・・ぜひ力になってやってくださいね。お願いします。ありがとう・・・・・・ありがとう・・・・・・」と切々と訴える。

 「でもお母さんに連絡するには今どこに住んでおられるのかおしえてくれなきゃ。私はお母さんをまったく知らないんだから・・・・・・」と私が言うと、間髪を入れず
 「お教えします。カンタベリ通り十四番、ブラックバーン」と、ゆっくり、そしてはっきりと言った。

 そこで私はレッドクラウドに呼びかけて「この娘の母親のように慰めを求めている人が数えきれないほどおられるのでしょうな」と言うと、いかにも気の毒と言った調子で、「私にはたった一つの道具しかないのでねえ」と答えた。更に私が
 「次の交霊会に今の娘さんの母親を招待してくださいますか」と聞くと
 「私がですか。あなたにお願いできませんか」という。

 私はベッシー・マニングと言う名前を聞いたことがなかった。またマニング夫人と言う女性が居るかどうかも知らないし、ブラックバーンという町にカンタベリ通りと言うのがあるかどうかも知らない。が長年の経験でレッドクラウドに百パーセントの信頼を置いていたので、その情報に誤りはなかろうと確信した。

 翌朝私は一片の疑念もなくその宛名で次のような電報を打った。
 「昨夜レッドクラウドの交霊会にあなたのお嬢さんのベッシーさんが出られました。」

 しかしこの電報には何の返事もないので、もう一度打った。すると二日後の月曜日になってマニング夫人から二通の手紙が届いた。その最初の手紙にはこうあった。

 「この大きな喜びをどなたに感謝したらよろしいのでしょうか。土曜日に届いた電報に心からお礼申し上げます。町中に大声で触れ歩きたいような心境です。私は笑いと涙が同時にでっました。レッドクラウドはなんと素晴らしい霊なのでしょう。そして、又あなた方は何と親切な方たちなのでしょう。どうかベッシーがどんなことを言ったかお教え願えませんでしょうか。

 私にこんなすばらしい幸せが訪れるとは。失礼ながら電報料金を次に差し上げるお手紙の中に同封させていただきます。お気を悪くなさらないでください。そうすることが当然だと思うのです。ほんとに何とお礼申し上げたらよいのでしょう。私にとってあの一枚の紙きれは数えきれないほどの金よりもあり難いものです。皆様のために、とくにロバーツ女史のために、心からお祈りを神に捧げます。何卒娘が何か私への言伝をしなかったかお教えください。本当に素晴らしいことです。重ねて心からお礼申し上げます。夫も二人の娘も感謝しております。」

 もう一通の手紙ではこう述べている。

 「二通目の電報拝受いたしました。二度もお手数をかけて申し訳ありません。そのご親切に心から感謝いたしております。日曜にお出しした私の手紙、お受け取りいただけましたでしょうか。このところ手もと不如意のため電報でご返事申し上げることが出来ず恐縮です。何卒私どもの感謝の気持ちをご理解下さい。ご厚意に対しましては何としてでも報いたい気持ちです。今回のことが私どもにとってどんなに意義深いことか、私どもにしかわからないことでしょう。

 娘は昨年のイースターの日に他界し、息子が事故死してから九年近くになります。もしも私があるスピリチュアリストの家族と知り合いにならなかったら、恐らく私は気が変になっていたことでしょう。ベッシ―が語ったことをぜひ知りたいものです。私と同じような人さまを慰めてあげたいのです。こちらには本当にいい霊媒が見当たりません。ロバーツ女史や他の立派な方のお話が聞けたらどんなにすばらしいことでしょう。私にもそういう霊能があったらと思います。改めて心から感謝申し上げます。」

 私はこのベッシー嬢にまつわる話は死後存続を立証する完璧な証拠だと考える。テレパシーや潜在意識説では到底説明できない。共謀や詐欺の可能性もまずあり得ない。マニング夫人はロバーツ女史に一度も会ったことも文通したこともないし、女史の家族も同様である。それなのに、その娘さんの姓名と住所が分かり、伝言の内容も逐一正確であった。

 その後、私がマニング夫人にあった時、夫人はあの頃毎日毎晩、娘が死後も生きていることの証拠を下さいと神に祈っていたと語ってくれた。その祈りが聞き届けられたわけである。イングランド中西部のブラックバーンで発せられた祈りがどうやって二五〇㌔も隔てたロンドンまで届いたのか私は知らない。ただ分っているのは、現実にそういうことが起きたということである。このことは祈りが叶えられることが現実にあったということ、そして又、霊界にそういう組織があって、条件さえ整えば実現させる用意があることを物語っている。

 私は夫人のために次の交霊会を用意し、ロンドンへ招待した。ご主人は失職中で、当然経済的に困っておられた。夫人にとって初めてのロンドン訪問なので私はセントパンクラス駅で出迎えてあげた。そして交霊会が開かれるテディントンへ行く前にロンドン市内を案内してあげたが、夫人はたいそう興奮しておられた。

 さて、いよいよ交霊会が開かれるとすぐにベッシ―の声がメガホンの中から聞こえた。
 「お母さん、わたし、ベッシ―よ」
 「まあ、ベッシー」とマニング夫人。ベッシーは余りに興奮していて話の途中でメガホンを落としてしまった。感情的になり過ぎてエネルギーが持ちこたえられなかったのである。

 「ベッシー、こんなことが出来るなんて、すばらしいわね。お母さんがお前のことをどんなに思っているか、わかってくれてるだろうね。」

 「すばらしいわ。ありがとう母さん。父さんにも心配しないように言ってね。トミーも来てるのよ。ここに一緒にいるのよ。トミーも母さんに話したがっているわよ。あたしあんまりうれしくって、何から話したらいいのか分からないわ。興奮しちゃって・・・・・・」

 「興奮しちゃダメよ。さあ話してちょうだい。家の方には来ることがあるの?」そう訊ねるマニング夫人の言葉にはランカシャー訛りがはっきりと窺える。

 「あるわ。母さんに話しかけてみてるのよ。母さんは毎日のように私の写真に語りかけてるわね。私の写真の前に立って、それを手に取ってキスしたりして・・・・・・あたし、それを全部見てるのヨ」

 後の話だが、マニング夫人はこのことは本当だと語っていた。悲しくなると娘さんの写真を手に取りキスをして一人で話かけることがよくあるという。ベッシーは今の家の様子を知っている証拠としてこんなことを言った。

 「けさ母さんは父さんにブーツのことで何か言ってたでしょう。ね、母さん」
 「そうね」
 「もう修繕しなくちゃって言ってたでしょう。ね、母さん」
 「ああ、あのことね。わかるわ」
 ベッシーは私に「母のことを私はいつも Ma (母さん、または母ちゃん)と呼んでました」と言っていたが、私が交霊会で速記者にベッシーの言葉を繰り返して伝えているうちに一度だけ Mother (お母さん)と言い、すぐに Ma と言いかえたことがあったのを記憶している。

 証拠的価値を持ったことがまだある。それはベッシーが、マニング夫人がその時身につけていたビーズのことに言及して、それは自分のもので死ぬ間際まで身につけていたと言ったことで、あとで確かめたところそのお通りであった。

 最後にベッシーが「トミーが死んだ時は大変なショックだったわね」と言った。するとレッドクラウドが、今日はベッシーが、そのトミーを連れて来ていますと言い、ついでに(レッドクラウドがよくやるのだが)もう一つ証拠になる話をもらした。「トミーと言う名は父親の名にちなんでつけられたんです。」

 交霊会が終わった時マニング夫人は泣いていた。もちろん嬉し泣きである。「私は世界一幸せな女です」と言っていた。

 翌朝夫人が帰る前にロバーツ女史がもう一度夫人のためにプライベートな交霊会を開いてあげた。後で聞いたところによると、その交霊会でもベッシーはロバーツ女史が知り得るはずのない話を次々と持ち出したという。

 そして最後に家族全員に対する伝言を託し、さらに、かつての婚約者にもこんな伝言を託した。「ビリーに言ってちょうだい。彼からもらった指輪─私が埋葬された時に身につけていたあの指輪を今でも指につけてるって。」

 二、三日してマニング夫人から次のような便りが届いた。疑いもなくそれは夫人自身の証言となることを意図して書かれたものだった。

 「人さまの慰めになればと思い筆をとりました。嘲笑う人がいることでしょう。一笑に付す人もいるかも知れません。がそれによって救われる人の方がもっと多いはずだと思うからです。

 愛する息子は自動車事故で死にました。とても愛らしい子で、母親の私にもとてもやさしくしてくれてました。それだけに、私は半狂乱状態となりました。完全に打ちのめされました。すべての希望を失いました。私の夢は息子の墓の中に埋められてしまったようなものでした。

 それから八年後、今度は最愛の娘ベッシーが他界しました。が息が切れる直前に、〝もし出来ることなら帰って来るわ〟と言ったのです。私はきっと約束を守ってくれると信じてました。そしてついに思いがけない形でそれが実現しました。レッドクラウドの交霊会のことはそれまで何度か耳にしていました。

 バーバネル様から私の娘が出たという電報を受け取った時はとても驚きました。私に会いたいと言い、私の住所を教えたというのです。私は驚くと同時にうれしくて堪りませんでした。そしてバーバネル様のご厚意でロンドンまで出て交霊会に出席することが出来ました。私にとっては大変な体験でした。至る所で親切にしていただきました。多くのスピリットの声を聞き、それが皆誰であるかがわかりました。驚くべき体験でした。

 娘の声も聞きました。みんなと同じ愛らしい語り口で、言葉の特徴もそのままでした。私しか知り得ない確固とした事実を証明するためにいろいろと証言してくれました。母親である私が何よりの証言者です。私は神に誓って娘のベッシーであると断言いたします。弟を連れて来ているとも言いました。その弟が事故死したことを述べ、名前もちゃんと言いました。今私の家庭内で起きていることもいろいろと言い当てましたが、その時の私が考えてもいないことばかりでした。

 私は全身全霊を込めて神に感謝します。神は私の祈りをお聞き届け下さったのです。私は祈りました。長い間何度も何度も。私はもう死を恐れません。愛する子供たちと会える日を楽しみに待っているところです。」

 その後何年かが過ぎ、私はベッシーのことも母親のこともすっかり忘れていた。その間に(第一次)世界大戦があり、あわただしさにまぎれてしまっていた。その中にロバーツ女史はしばらく休んでいた霊媒としての仕事を再開する決心をし、新しく移った家で交霊会を開いた。うれしいことに、女史の霊媒能力は少しも衰えておらず、結果は上出来であった。

 そうやって再開された交霊会で、ある時レッドクラウドが私にこんなことを言った。
 「あなたへのお客さんが来ておられます。そのままお待ちください。」

 待っていると、いつものように蛍光塗料を塗ったメガホンの中からハロー、ハロー、ハローと言う声がした。どうも始めてしゃべる霊らしく少しぎこちないので、私がしっかりしゃべるように元気づけてやると、女性の声で「そのお声に聞き覚えがございます。死んだ娘と話をさせてくださいました」と言う。

 そこまで聞いた私はとっさにマニング夫人だと悟った。他界したという知らせは聞いていなかった。だがそう直感した。そして、その通りだった。夫人は待ちに待った愛する二人の子供との夢のような再開が現実となったことを告げに来てくれたのだった。

 今ここにベッシーとトミーがおります。私の家族の者によろしくお伝え願えますでしょうか。私が霊界から援助していると伝えてください。みんなそのことを知りたがっていることでしょう。」
そう語るのだった。

 私は早速そのことを、かつて聞いていたブラックバーンの住所宛に認めたが、その手紙は「宛先人尋ね当たりません」の印を押されて送り返されてきた。折角の伝言を届けてあげられないのを残念に思っていたところ、同じブラックバーンの別の住所のスミスと言う人から一通の手紙が届いた。読んでみるとその方はマニング夫人の娘さんで、私が心霊紙に右のことを記事にして出したのをある人が読んで、その写しを送ってくれたという次第が書かれてあった。

 「私は末娘です。もう一人娘がおり、この世に残っているのは二人きりです。あの言伝を読んだ時の嬉しさと喜びは筆では尽くせません。世界中の人にふれて回りたいような気持です。が実際はただ座って嬉し泣きに泣きました。母の声が聞けることを疑問に思い諦めかけていたことを今では恥ずかしく思います。」

 スミス夫人はそう述べ、さらに母親の死が突然だったたあめ別れの言葉をかけてあげられなかったこと、発作が来た時は一人きりだったこと、しまいが駆け付けた時はすでにこと切れていたことなどを書き添え、
 「私にとって大変むごい打撃でした。人生の太陽が消えてしまったのも同然だったっからです。」その後いたずらに時が過ぎて、待っていた母親からの通信もなく、そろそろ諦めかけていた時、私の記事に出会った、というのである。

 祈りが叶えられたわけである。「こんなこともあるのか、と思われるような素晴らしい出来事です」これがスミス夫人のしめくくりの言葉であった。

 (注8)レッドクラウドからメガホンで話す要領を教えてもらっている。直接談話は大変なエネルギーとコツを要するので初心者には難しい。
                                                                                                                                                                                                                                                                                     

  第六章  霊を識別する 
            ─霊視能力 

 聖書によると、初期の教会においては霊視能力など何種類かの超能力の披露は日常的行事としてごく普通に行われていたらしい。コリント前書第十二章を見ると、パウロが信者たちに〝知らないではすまされない〟霊的能力を幾つか挙げているところがあるが、それはそのまま現代の心霊現象をうまくまとめている観がある。その中でパウロは霊視現象を〝霊の識別〟と呼んでいる。

 私の推定では、今日のイギリスでも毎週日曜日の夜には無慮二十五万人もの人が全国で四十ほどもあるスピリチュアリスト教会のどこかで、その〝霊の識別〟の催しを見ているはずである。

 この種の公開交霊会(デモンストレーション)では照明を小さくすることはない。霊視家が霊視したスピリットに縁のある人を会場の中から指名して、そのスピリットからのメッセージを伝える。

 このデモンストレーションで最も大切な点は、そのメッセージが確実な証拠性を持つということである。つまりそれを受けた者がすぐにピンとくる事柄であり、同時にその人しか知らない内容のものでなければならない。それがメッセージを送って来たスピリットの身元(アイデンティティ)を立証することになる。

 ある人に言わせると、霊視家はメッセージを受ける人からテレパシーを受けているのだと言うが、この説には無理がある。大体テレパシーと言うのは気まぐれな性質を持ち、そうやたらにうまく行くものではない。まして何十人何百人もいる会場で特定の数人からの思念を以心伝心(テレパシー)で受け取るなど、まずできる芸当ではない。メッセージを受けたがっているのはその数人だけではない。列席者の殆どがそう念じているのであるから、そうした全体の念が混じり合って大きな障壁をこしらえている筈である。

 このことに関して私は興味深い例を見たことがある。J ・ベンジャミン Joseph  benjamin 
という霊視家が大デモンストレーションをやった時のことである。すでにスピリットからのメッセージを受けた一人の女性を指して、

 「あなたはさっきの私のメッセージが読心術でやっているのではないかとお疑いのようですね。宜しい。
テレパシーと霊視の違いをお見せしましょう。今あなたは心の中でこんなことを思っていらっしゃいませんか」と言って、その女性の抱えている悩みを述べた。女性はその通りだと認めた。

 「次に述べることはあなたが考えておられることではありません。これはあなたの亡くなられたお父さんからのメッセージです。お父さんはそれが真実かどうか、あなたご自身、お母さんとご一緒に調べてほしいと言っておられます」と言ってから、そのお父さんからのメッセージを伝えた。そしてその女性は母親とともに調べてその通りであることを確認した。

 実を言うと、この場合、はじめに女性の悩みを読み取った時も、必ずしもテレパシーとは言えない。これも霊視家の背後霊から受けていた可能性が充分考えられる。

 疑う人間はいろんなことを言う。デモンストレーションは全部ペテンで、寄席芸人の読心術と同じだ。聴衆の中にサクラがいて暗号を使って示し合わせているのだ。目隠しも実際は透けて見えるようになっているか、どこかの小さな穴から一部または全部が見える仕掛けになっているのだ、と。

 仮にそうだとしても、では果たしてそんなごまかしが毎週毎週日曜日の夜、時には平日の夜に、まったく違う聴衆を相手にして、すでにこの世にいない人からの納得のいくメッセージを何年もの間一度もしくじることなく続けられるだろうか。

 定期的に行われるスピリチュアリスト教会で同じサクラを相手に同じようなメッセージを送り続けようとしても、決して長続きするものではない。遅かれ早かれ─私は早かれと思うのだが─バレてしまう。

 それに、そう言うサクラに支払う〝口止め料〟の方が教会から頂く出演料よりはるかに多くかかるのではなかろうか。一回の出演料はたいていの場合一ギニー(注9)を超えることはない。私は一流の霊媒を大勢知っているが、打ち明けた話をすれば、彼らの収入はせいぜいつつましい生活を維持できる程度に過ぎない。

 霊視家の目に映る霊姿はわれわれ人間と同じように実質があり現実的で、自然に見える。決して俗にいう生霊とか幽霊のように薄ぼんやりとしたものではない。それは小説の世界での話である。かつて私がベンジャミン氏に聞いたところでは、氏は何千何万ものスピリットを見、かつその容姿を描写してきたが、俗にいう幽霊のようなものには一度もお目にかかったことがないとのことであった。

 私が今もって感心しているイギリス最大の霊視家の一人に T・ティレル Tom Tyrell がいる。その能力のあまりの見事さに私は最初その真実性を疑ったものである。あまりに正確すぎるのである。が実は、彼にはそれなりの用意をしていた。つまり彼は支配霊が書いたメモのようなものを読むという方法をとっていたのである。従ってスピリットの姓名はもちろん地上時代の住所─それも家や通りの番地から地方や町の名まで─さらには死亡時の年齢、死亡年月日まで言い当てることが出来たわけである。

 ティレル自身が私に語ってくれたところによると、霊視能力が出始めた時、彼はできるだけ正確を期することを目指した。そこで司配霊と一つの約束をした。つまりスピリットの身元に関する情報を司配霊がきちんとカードに書いて見せてくれるということで、それを彼が読み取ることにした。

 そうやってスピリットの身元を疑いの余地がないまで確認してから、そのスピリットからのメッセージを待つ。こういう方法でやれば、聞きなれない名前も苦にならない。

 それでも時たま迷うことがあったという。たとえば、これはバーミンガムでのデモンストレーションの時で私も出席していたが、ティレルがメモを読んでいる途中で詰まってしまった。そしてこんな質問をした。

 「この市にはRotten Poak(注10)というのがあるでしょうか。」
 すると「あります」と言う列席者から返事であった。
 さて霊媒が〝霊の識別〟をする際、その姿なり声なりはどんな風に見えたり聞こえたリするのだろうか。

 ロバーツ女史は長年にわたってこの分野での最も秀れた霊能者の一人と見られているが、女史の話によると、その見え方は主観的と客観的の二種類あるという。主観的な場合は一種の〝霊眼〟を使って内面的なプロセスで見ている感じで、この時は目を閉じていても見えるという。客観的な場合は地上の人間を見るのと同じように実感があるという。

 女史の場合は霊聴能力がいっしょに働く。スピリットの話す声が自分に話しかけてくるように聞こえるという。スピリットの位置が近い時は唇が動いているのが見えるほどで、その声は人間の声より柔らかく響くという。

 デモンストレーションの時、彼女は完全に別の次元に入ってしまう。遠くに自分の出番を待つスピリットが集まっているのが見える。が、気の毒ではあるが、時間の関係でその全部のお相手をしてあげられないという。スピリットたちは一箇所に集まって待っており、必ずしもメッセージを待つ地上の縁故者のそばにいるとは限らないそうである。

 通信を希望するスピリットは女史の司配霊の許可と援助なしには出られないことを承知している。そして指名を受けると縁故者のすぐ近くに位置を変える。女史の方ではその位置を見て、どの人が縁故者かを見て取る。すると今度はスピリットが女史にその容姿がよく判るように女史のすぐ近くにやって来る。その時点で女史は霊聴能力を働かせて、そのスピリットの言うことを聞く。

 一方、レッドクラウドを中心とする背後霊たちは女史の周りを囲むように位置する。その役目はスピリットがうまく意思を伝えられるように指導することや、興奮しすぎたり緊張しすぎたりした場合にその感情を和らげてやったり、地上時代の容貌や衣服を再現して見せるときに手助けをする。女史が時おりスピリットの病気や障害を指摘することがあるが、それは地上時代のものであって、死後も今なおその状態でいるということではない。本人に間違いないことを確認させるために、そう言ったことを含めて地上時代の特徴を一時的に再現して見せなければならないことがあるわけである。

 本人に間違いないことが分ると、とたんにその地上時代の特徴が消え失せ、現在の姿や霊的な発達程度に戻る。女史の話によると霊界で向上進化したスピリットほど地上時代の自分を再現するのを嫌がるという。そんな霊は自分の身元が分かってもらえたら、いち早く現在の本来の自分に戻ろうとするので、ロバーツ女史すらこれが同一人物かしらと、一瞬迷うことがあるという。

 人は見かけによらぬものという。それは年齢についても同じで、人の年齢を当てるのはなかなか難しいものだが、ロバーツ女史もスピリットの死亡時の年齢をその容貌から推定しなければならない難しさがある。その確率はわれわれが他人の年齢を言い当てる確率とほぼ同じ程度といってよいであろう。

 死亡時の年齢だけでなく、その後何年経っているかを判断しなくてはならないが、女史はそれをスピリットのオーラによって判断する。進化している霊ほどオーラの輝きが強烈である。あまり強烈すぎて目がくらみ、容姿がぼけて見えて性別すら確認できないことがあるという。それは幼くして死亡した霊が長年霊界にいる場合によくあるらしい。

 先ほどレッドクラウドを中心とする背後霊団が取り囲んでいると言ったが、そのほかにスピリットの指導霊もそれを遠まきにして見守っている。そうすることによって霊媒のまわりに防護網を張り巡らすわけである。というのは心ない霊が潜り込んで来て、通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを(本人は知らないかも知れないが)台なしにしてしまうことがあるのである。ロバーツ女史はこう語る。

 「通信霊たちはその囲いの中に入れられ、通信を送っている間は完全に外部から隔離されます。しかし、それだけ周到に注意を払っても、その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることはできません。」

 女史が壇上に上がって所定の位置まで歩を進め、いよいよデモンストレーションを始めるまでの僅かな間にも、そうしたスピリットが自分に注意を引こうとして、やかましく喚いているそうである。が経験豊富な女史はレッドクラウドが指名したスピリット以外には決して目をくれない。ただ、中にあまりに気の毒そうなスピリットを見掛けた時は、心の中で、いつかチャンスが与えられます様にと祈ってあげるそうである。

 こうした霊の叫びは確かに哀れを誘うものだが、時にはユーモラスなものもある。ある時その騒然たる叫び声の中、ひときわ大きな声で、ロンドン訛りでこう言った霊がいた。

 「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくんなよ。ほかの連中はみんなやったじゃねえか」
 どうやら死んでもロンドンの下町っこはオックスフォード大学の先生のようにはなれなかったようだ。当たり前の話かもしれないが。

 レッドクラウドは、通信する霊は自分の身元の証明はあくまで自分でやるべきという考えである。従ってレッドクラウドとその霊団は、手助けはするが、よほどの場合を除いて、代わりに身元を証明してやるようなことはしない。たとえ肉親縁者が何人か揃って出て来ても、一人一人が自分の身元を証明しなくてはいけない。

 時にはスピリットの言っていることにロバーツ女史が疑問を感じることがある。そんな時はレッドクラウドに確認を求める。するとレッドクラウドはそのスピリットのオーラを見て判断する。経験豊富な霊にはオーラを見ただけですぐにその本性が見ぬけるのである。オーラだけは絶対にごまかしが利かない。

 死んだからと言って急にものの考え方や本性が変わるわけではない。ロバーツ女史がある時こんな話をしてくれた。

 「大勢の霊に会っていると、時には、地上の人間と通信することは神の御心に反することだと大真面目に考えている霊に出くわすことがあります。いろんな宗派のスピリットがやって来て〝あなたのやっていることは間違いだ〟と言ってくれるんです。それだけでは満足できず。通信を求めるスピリットに止めさせようとする者までいるのです。」

 同時に女史は、うまく連絡できなくて落胆する霊を見て胸の張り避けるような思いをすることもある。とも言った。しかし、うまく通信出来て大喜びする様子を見ていると、やはりスピリットたちにとってそれだけのやり甲斐があるのだなと思うそうである。


 もう一人の素晴らしい女性霊視家にヘレン・シューズ女史 Helen Hughes がいる。カナダの元首相キング氏 Mackenzie King がイギリスに来ると必ず訪ねて私的な交霊会を開いてもらうという人である。

 ヒューズ女史のデモンストレーションの特徴はテンポが速くて全体の時間が短いということである。時には一人のスピリットからのメッセージを伝えているその途中で突然姿を見せた別のスピリットのメッセージに切り替えることすらある。前のメッセージを受けていた人が〝まだ終わっていないのに・・・〟と言う気持ちで不満げにしていると、「この方が済んだらすぐにまた残りをお伝えしますから」と言って安心させたりする。

 このようにエネルギーとバイタリティを一気に集中して行うので、女史のデモンストレーションはたいてい三十分程度しか続かない。三十分ほどすると女史が「エネルギーが切れてまいりましたので」と言って終りにする。そうしないと、そのまま引きずり回されてはとても身体が持たないという。

 ただ面白いのは、そんな時に会場から大きな拍手が来ると、衰えかけていたエネルギーが一時的にもち直すことである。私も何度か見掛けたのだが、「今日はこれまで」と言ってお終いにした時に突如として大拍手が起こり、それで元気を取り戻した女史が椅子から立ち上がって、もう一人ないし二人のスピリットからのメッセージを伝えたことがある。

 長年にわたって多くの公開ないし私的な交霊会に出席してきた私にも、こうした霊媒現象にとって厳密にどういう条件が一番好ましいかは断定できない。バイブレーションが関係があることは明らかである。賛美歌を歌ったり音楽を流した方が何もない時より間違いなくいい成果が得られることは分かっている。

 また会場の個人的ないし全体としての心構えが影響することも確かである。同じく疑うにしても真摯な態度で疑うのと、敵意に満ちた猜疑心や始めから信じる気のない態度は、霊媒を初めとして、通信しようとする霊、及び通信そのものの伝わり方にも決定的な影響を及ぼす。

 反対に和やかな雰囲気と好意的な態度がいい結果をもたらす。司会役ないし案内役の人が気が乗らないような態度で霊視家を紹介すると、紹介された霊視家は非常にやりにくくなる。会の口火を切る司会者がはつらつとしていると、霊視家は気持ちよく仕事がすすめられる。

 ヒューズ女史の場合、通信を受ける人間の声にも女史にとっては何か意味があるらしい。会が始まると何人かの人が交霊を希望するわけだが、女史はその人たちの声をよく聞いて「あなたの声はいけません」とはっきり言うことがある。女史の話によるとスピリットからある種の霊的な光が一本すーっと人間の方へ走っただけで、それで問題が解決することもあるという。

 私はヒューズ女史の〝霊の識別力〟の正確度をテストしたことがある。ある時、会が終わったあとで私は女史に一枚の写真を見せて「この人が誰だかお分かりですか」と訪ねて見た。すると間髪を入れずにこう答えた。

 「今日拝見した方ですね。壇上で・・・・・・。たしか外国人の名前の若い飛行士でしょう。」
 その通りであった。実はその写真の主はポーランド人の飛行士で、その日のデモンストレーションでメッセージを受けた人から私が、会が始まる二、三時間前に拝借していたものだった。

 女史は時たまスピリットの言ったことがよく聞き取れなくて誤って伝えることがある。そんな時は悪びれずに訂正する。また女史には役者的な素質はまるでないのに、スピリットの言っていることを、その話しぶりやクセまでマネて話すので、そのスピリットに成り切ったように見えることがある。

 私はヒューズ女史のデモンストレーションを数えきれないほど見てきているので、もう何を見せられても平気になってもよさそうなものだが、それでも尚驚かされることがある。

 例えば離れた席にいる複数の列席者を指して、あなた方はかくかくしかじかの間柄ですね、とその関係を細かく言い当てる。時にはわざと家族を離れ離れに座らせてみるが、やはり当ててしまう。普通なら隣り合わせている者が一番関係が深いと推測する方が間違いが少ないと思うのだが・・・・・・。

 ある時は女史は一列に並んで座っている六人を指して、その全員にスピリットからのメッセージを伝えたことがある。それだけならまだ驚くに当たらないが、驚いたのは、その一人一人にスピリットを紹介し、その縁故関係まで述べて、メッセージを伝えたことであった。

 時には大きな会場でスピリットが女史の前に姿を見せて、自分の縁故者がどの席にいるかを指摘しないまま、身元の証明になる細かい話をすることがある。次の話はそれが却ってドラマチックな効果をもたらした例である。

 スコットランドでの話であるが、ダンディという市にケアードホールという三千人近く収容できる大きな会場があるが、その日も満員だった。私の司会で始まったデモンストレーションの中で、女史がエディス・プロクター Edith Proctor という名の少女霊を細かく紹介した。

そしてその少女からのメッセージを伝えようとしたら、階上のバルコニー(張出席)にいた婦人がその子ならよく知っているという。シューズ女史がさらに細かく証拠になる話をすると、逐一そのお通りだという。そしてその子の父親も他界して今いっしょに暮しているという話も事実であることを認めた。

 ところが女史はそこで少し躊躇した様子を見せ、やおら会場の中央あたりにいる別の婦人を指して「奥さんもエディス・プロクターという子をご存知でしょう」という。するとその婦人は「存じてます」と答える。さらに女史が「この子のお母さまでいらっしゃいますね」と聞くと「その通りです」と答えた。

 そこでヒューズ女史は少し間をおいてから「こんなことをお聞きするのも何ですが・・・・・・」と言いかけると、婦人は女史の言わんとしていることが分ったような笑みを浮かべた。続けて女史が言う。

 「ブラック Black という語が浮かびました。思い当たることがございますか。」
 「ございます。」
 「あなたは現在ブラック夫人になられたわけですね。」
 「おっしゃる通りです。」
 「娘さんが再婚おめでとうとおっしゃってますよ。」
 それからヒューズ氏はバルコニーの婦人に向かって

 「こんどはあなたのことですが、奥さんもこの子をよくご存知だったんですね。」
 「よく存じてます。」
 「このダンディ市の方ではありませんね。」
 「違います。」
 「この子はあなたの家からあまり遠くないところに住んでいたようですね。」
  「その通りです。」

 これですべてが終わった。ヒューズ女史の霊覚の鋭さを示す興味深い話である。
 私はヒューズ女史にそういう場合の霊能の働き方を尋ねたことがある。するとこんな答えであった。

 「霊視の時はスピリットがあたかも肉眼で見ているようにごく普通に見えます。私の方からその場へ行っているようでもあり、そうでないようでもあります。いよいよデモンストレーションに入る時は完全に受け身の気持ちにならなくてはいけません。霊的な波長に切り換えるのはいつでもできます。切り換えると私はすでに肉眼で見、霊耳で聞いています。それはちょうどドアを開け閉めするようなものです。私自身で自由に開け閉めできるエネルギーが内部にあるのです。見たり聞いたりする霊的な何かがあるのです。内的な目と内的な耳とでも言ったらいいでしょうか。」

 そこで私は二つのペンネームを持つ女流作家のカラドック・エバンズ Mrs Caradoc Evans の例を持ち出した。そのエバンス夫人が私に、他界した夫からの声を〝私の心の耳〟で聞いた。と語っていたことを話すと、ヒューズ女史はそれはなかなかいい譬えですと言ってから、さらにこう続けた。

 「私は時々この耳でも聞くことがありますが、たいていは太陽神経叢で〝聞き取り〟ます。私の体内に何かが潜んでいるのを意識します。ほかにいい言葉がないので〝エネルギー〟とでも言っておきますが、そのエネルギーが私に活力を与え、刺激し、体内にあふれるのです。

 言って見れば、磁気性を帯びた一種の電気的エネルギーが足元にあって、それが上昇してきて体にあふれるみたいなのです。そのエネルギーがうまく働いてくれてしっかりしている時は、ある一定範囲の波長をもつ電線のようなものが張り巡らされているみたいで、その電線づたいにメッセージが伝わってくるのです。しばらくするとそのエネルギーが弱って来て、波長がうまくつかめなくなり、そうなるとメッセージの正確さが落ちてきますので、私はその辺で切り上げなくてはなりません。決して無理をしてはいけません。不正確になりますし、身体にも障ります。

 ラジオを聞くような方式でやる場合が随分あるようです。同時に、テレビとしか言いようのないものが私の中にセットされているようです。というのは過去の出来ごとや未来のシーンが目の前に写り、それを見ながら説明できるからです。私の耳の中でスピリットがしゃべっているのを聞くことがあります。また太陽神経叢のあたりで聞こえることもあります。声の聞こえ方は色々です。あるものは普通の人間の声と同じ大きさで聞こえますが、ささやくような声とか、口を何かで被ってしゃべっているみたいに聞こえることもありっます。」

 耳の中で聞こえるとき(ヒューズ女史の場合これが一番多いのであるが)、女史はその声の届く角度で、そのスピリットの背の高さが分かるという。

 メッセージを受け取る人間側の態度によっても大きく影響を受けるという。しっかりとした声でしゃべってくれると、それが巻き起こすバイブレーションによって助けられるし、同時にスピリットを元気づけることにもなる。スピリットにはメッセージを送る相手の声がちゃんと聞こえるのである。

 会場の列席者から一度に二人も三人も、それは私だという人が出たらどうするか、ヒューズ女史に尋ねたことがある。女史が言うには、そんな時はそのスピリットから霊光が走って、メッセージを受けるべき人のところへ行くので、それで判断するという。もし霊光が出ない時は、受け取るべき人のところへ行くので、それで判断するという。 もし霊光が出ない時は、受けるべき人の声を聞いた瞬間に女史の内部で〝カチッ〟という音がするという。これはスピリットが認めてもらった喜びの念によって起きる音だという。

 又一つのメッセージを途中で切って別のスピリットからのメッセージを伝えるのはなぜかという点について、それは何人かのスピリットの声が一度に流れ込んで来て(一刻も早く連結したい一心の表れではあるが)、それがすごい勢いで衝突するので、その混乱で時間が無くなるのだと悦明した。中には前のスピリットが使用したバイブレーションを使用するスピリットもいるという。どうしてもうまく伝えられない場合はヒューズ女史の背後霊が割り込むことになるが、直接の通信に勝るものは無いという。

 背後霊の話によると、それぞれのスピリットが独自のバイブレーションを使用してくれた方がスムーズにいくが、時にはスピリットが興奮しすぎてどうしようもないことがあり、そんな時はやむを得ず代わりにメッセージを伝えてやることになる。

 ヒューズ女史はさらにこう語る。
 「霊視している時はあたかも肉眼で見ているようにごく自然に霊姿が見えます。ただ見ているうちは異常な感じは何も受けませんが、そのスピリットの感情とか性格に波長が合うと、とたんに色んなものを感じ始めます。うれしい感情もあれば悲しみもあり、心配の念もあれば安らかな気分にもなったりします。時としてそのスピリットの死際の思いが反応することがあります。それはどうやらそのスピリットが再び地上に戻って来ることによって地上時代の思いや印象が蘇り、それが一時的にそのスピリットの感情として現れるためのようです。」

 女史は通りを歩いている時や列車の中とか、その他どんな場所でも霊視をすることがある。スピリットの方からも女史が見えるので、しばしば向こうから挨拶してくることがあるそうである。それもたいてい夕方より朝方の方が多いという。「朝のすがすがしい雰囲気がはっきりと見える効果を増してくれるのでしょう」と言う。

 厄介なのは列車の中で同席した人と縁のあるスピリットが現れて話しかけ、メッセージを伝えてほしいと依頼されるときだそうである。イギリス人というのは、例え隣合わせても赤の他人には話しかけないのが習慣で、それを破ることすら大変なことなのに、いきなりスピリットからのメッセージだと言って伝えるのは勇気のいることで、下手をするとお叱りを受けることにもなりかねない。が時には思い切って話しかけてメッセージを伝えてあげるのだが、今までのところ、ほとんど例外なく喜ばれたという。

 さて公開デモンストレーションでスピリットが戻って来てメッセージを伝えるなどということはよほど厳粛な出来事のように考えている人は、実際に参加してみると、これが至って人間的なもので、人間味と真剣さとがミックスした会であることを知って驚くのが常である。第三者から見れば些細な出来事でも当人にとっては非常に証拠性に富んだ出来事である場合がよくあるが、デモンストレーションというのはそうした出来事が次々と出てくる会である。

 前にも説明した通り、こうした催しを全体的に支配しているのはバイブレーションの原理で、生き生きとしている時はうまくゆ
き、コチコチに緊張していたりダラダラとしている時はうまくゆかない。そんな時に人間味のあるユーモアが入ると固さがほぐれてよい成果を生む。

 私の手もとにはあるデモンストレーションで取材した細かいメモがある。これは前に紹介したベンジャミン氏が主催したもので、一時間半という長時間の会であったが、その中でベンジャミン氏が一人の女性に向かって、
 「あなたのそばに結核で亡くなった少女が見えます。今回初めて地上に戻って来られたようです」と言い、さらにその少女の名前を告げ、死んだ時の様子(窒息死)を述べ、次のような驚くほど細かい事実を述べた。 

 「この娘(こ)はあなたの住んでおられる通りの向かい側の角の二階に住んでいましたね。」
 その女性はその通りだと述べた。がそのあとベンジャミン氏が高ぶった声でこう告げた。
(ベンジャミン氏はスピリットが接近すると何時も興奮気味になる)

 「この娘は指が四本しかありませんね。五本ではありません。」
 これを聞いた女性は驚いた様子でこう叫んだ。
 「そうなんです。いつも人に見られないようにしていました。」
 これなどは正に私の言う〝証拠性のある事実〟である。指を失った人はそうどこにでもいるというものではなかろう。そのこと自体お気の毒なことではあるが、それが却って本人である証拠となった一例である。

 続いて出たスピリットのことであれこれ述べていたベンジャミン氏は、会場の若い女性に向かって、
 「あなたの頭上に〝ニュージランド〟という文字が出ているのですが・・・・・・」と言うと、

 「私はニュージランドから来たばかりです」と言う返事であった。これはベンジャミン氏がメッセージを述べるときの通信の受け方の一つを示していると言えよう。

 次に、これはいかにもこの世の人間らしい話であるが、ベンジャミン氏が一人の女性に向かって「こんなところで申し上げにくい事なんですが、宜しいですか」と断ると「結構です」と返事である。そこでベンジャミン氏はスピリットがこう言っていると伝えた。「あなたが結婚した相手は私の孫だ」と。

 聴衆はこうした一連の人間的メッセージにすっかり胸を打たれていたが、次に紹介するのも人間味あふれる話である。

 あるスピリットが自分がスプリンガーと言い心臓発作で死んだことを告げると、ベンジャミン氏が附け加えて、この方は青果店を営み、息子さんが二人いて、みんなからオールドバーニー(バーニー爺さん)と呼ばれて親しまれていたが、時にはオールドバーミーとも呼ばれていたと言った。これだけ細かいことを告げればメッセージを受けた婦人が迷うことなくスプリンガー氏であると信じても驚くに当たらない。

 更にスプリンガー氏が、その婦人に果物を買って貰った時に自分よりお金に困っている様子なので代金を受け取らなかったことがあるという話をすると、婦人は即座に「そんなことがありました」と答えた。そして最後にベンジャミン氏は「あなたは両足が揃っていて良かったですね。医者は切断することも考えたんですよ」と述べて、それでおしまいになった。

 次に白髪の婦人に向かって、その婦人の家で霊騒動の話を持ち出した。壁にかけてある絵画が突如理由もなく落ちたり、ミュージカルジャグ(一種の楽器)がひとりでに位置を変えていたり、そのほか摩訶不思議なことが次々と起きるというのであった。

 ベンジャミン氏がそれを長々と述べたあと、これはみな亡くなったご主人がやってることだと本人が言ってますヨと述べた。これなども些細な出来事と言えば確かにそうだが、亡くなったご主人が妻の身辺で起きている出来事を逐一知っていることを示していて興味深い。

 更にベンジャミン氏はその婦人の隣の席にいる男性を指さして、「この方は二番目、いや三番目のご主人ですね」というと、そうだと言う。するとそのご主人が奥さんのことを褒めて「世の中の奥さんがみな家内のようだといいが、と思うほどですョ」と言うと、ベンジャミン氏が待ってましたとばかりに、

 「なるほど、それで他の二人の旦那さんもいっしょにでてこられたんですな!」とユーモラスに話した。

 そのご主人はもう一つの通信を確認したあと、自分の病気のことでどうも医者の診断が納得がいかないことがあるのだが、とベンジャミン氏に尋ねた。するとベンジャミン氏はそれは心霊治療の方がいいのではないかと言い、医者だって診断に絶対誤りが無いわけではないですよと付け加えた。するとそのご主人の曰くー

 「医者は私があと六カ月の命だと言ったんですが、六カ月したらその医者の方が死んだんです。」


 霊視家は自分に霊能があることをどうやって発見するのだろう──そう思われる方もあろう。ベンジャミン氏の場合を紹介すると、十代の時に近所でスピリチュアリストの集会があることを耳にし、一つ厄介な質問でもして困らせてやろうという魂胆で友人たちといっしょに行って見た。

 ところが質問どころではなかった。霊媒がベンジャミンを呼び出して、君のいとこの霊がこんなことを言っているが、とそのメッセージを告げられ、それが紛れもない証拠性を持っていたので、少年ベンジャミンは茫然として家に帰った。これで好奇心をつのらせたベンジャミンは翌週もう一度出席してみた。すると今度は眠くなって寝入ってしまった。が、実はこれが最初の入神体験だったのである。

 ベンジャミン氏はこう語っている。「われに帰ると聴衆が自分を取り囲むようにして立っているではないですか。そのうちの一人が、死んだ父親からのすばらしいメッセージを私が語ったというのです。」

 あとは時間の問題であった。能力が伸びるにつれて交霊会の注文が殺到した。当時は仕立て屋のアイロンかけを一日十三時間もやっており、霊媒としての仕事は夜十時以降しかできなかった。そんな日課がいつまでも続くわけがない。やがて仕立て屋をやめて霊媒一本を職業とする決心をすることになる。

 では収入はどの程度だろうか。当代指折りの霊視家でありながら、それが至って質素なのである。週二回開いているが、その入場料が一シリングで、しかも年金受給者は無料と言う。会場は二つとも座席数がほぼ百五十人である。個人的な交霊会でも一回一ギニーである。それも霊力は水道の蛇口のようにいくらでも出るというものではないから、回数を制限しなければならない。
 霊媒の仕事は大儲けは出来ないのである。

 (注9)ギニーは一九七一年の通貨改革まで使用されていたイギリスの貨幣単位で二一シリング。現在のほぼ一ポンドに相当。
     現在の日本円に換算すると灼一六〇円。但し本書が書かれた一九五九年頃のイギリスの貨幣価値は現在の七~八倍。
 (注10) Rotten には腐った、とかこわれそうな、といった意味があるので、直訳すれば〝腐った公園通り〟又は〝こわれそうな公園通り〟ということになる。


  第七章  霊が語る(三)  
         ─入神談話現象

 霊媒が入神状態(トランス)に入り身体を背後霊にあずけるというのは一体どういう状態を言うのだろうか。トランスに入るのは原則として自発的行為である。というのは、いかなる霊媒でも、霊媒としての存在よりも一人の人間としての存在の方を優先させるのが、霊媒としての仕事をする上でもっとも大切な点だからである。

 それ故、自分の存在そのものを背後霊に任せきるということは、よほど背後霊に対する信頼と尊敬の念がなければできないことをまず理解しなければならない。決して悪いようにはしないという信念があるのである。背後霊と霊媒とを結ぶその尊敬と情愛の深さは第三者には到底わからない。霊媒は何年何十年にもわたって背後霊の加護と援助を受けており、たとえ第三者には見えなくとも、霊媒自身には紛れもない現実なのである。

 わたしはかつてヘレン・ヒューズ女史にトランスに入ったり出たりする時の感じを尋ねたことがある。女史が言うには、トランスに入るのは寝入る時の様子と似ているという。入る時の準備としてまず心身をリラックスさせる。すると次第に意識が麻痺してくる。その感じはクロロホルムを吸わされた時の感じとよく似ているという。

 トランスから回復する時の様子も睡眠から覚める感じと似ているという。トランスが深くて長時間にわたる時は、どこか遠い旅行から帰って来たような感じで、その感じは、トランス中に女史の身体を使用するスピリットが新米ではなくて、いつもの背後霊に限られた時ほど顕著だという。

 いずれにしても女史はトランスから覚めた時はいつも気持ちがいいという。例えてみればコップの水を棄てて新たに注いだ時のような新鮮な感じがするそうである。であるから女史はトランス現象は楽しいという。まず心身のリラックス状態から始まって、熟睡から覚めた感じで終わる。従って女史の持論は、トランス現象は霊媒の健康に決して害はないということである。むろん過度にやらなければのことであるが・・・・・・。

 時には背後霊の計らいで新しいスピリットに身体を使わせることがあるが、その時は声も身ぶりも姿勢も変わって、そのスピリットの特徴を見せる。

 私は女史の交霊会には何度となく出席しているが、証拠性の点からみて最も素晴らしいのは、むしろ即興的にやった場合に多く見られた。つまり急に大切なメッセージが届けられるのをインスピレーション式に感じ取ってトランスに入った場合である。

 いつもきまって出る背後霊(レギラー)は三人いる。その主任ともいうべき司配霊がホワイトフェザー White Feather と名のるインディアンで、威厳があり、ゆっくりとした落ち着いた話しぶりである。「この霊は私にとって哲人であり、教師であり、また慰め役でもあり、私の人生を築き上げてくれた恩人である」と女史は言う。

 次のレギュラーはグラニー・アンダスン Granny Anderson というイングランド北部出身の女性で、その地方独特の方言と言いまわしに特徴があり、素朴なユーモアと素直な人柄を備えている。

 もう一人はマジータ Mazeeta と名のるインディアンの子供で、その無邪気で罪のなさが会の雰囲気を和らげる作用をしている。

 仮にこの三人の背後霊の声をラジオで聞いたら、これが同一人物の口から出ているとはとても信じられないであろう。それほど三人三様の特徴がある。これをもしも女史が声色で使い分けているのだとしたら、女史はいっそのこと霊媒稼業をやめて声帯模写を商売にした方がよほど生活がラクになるのではないかと思う。

 この三人が、時おり、交霊会の冒頭で続けざまに話をすることがある。そしてホワイトフェザーとマジータが最後にもう一度出てくる。がグラニー・アンダスンは一回きりである。がその話の内容は簡にして要を得ている。

 ところで、このトランス(trance 失神状態)という用語を霊媒現象に使うのはまったくの誤用である。スピリットに支配されている時の霊媒が百パーセント意識を失ってしまうことは比較的少ないからである。トランスにもいろいろと段階があり、うっすらと意識を失う初歩的なものから、完全に失神してしまうものまである。軽い場合は自分の口をついて出るスピリットの言葉が逐一分っていながらその内容までは干渉できない状態である。

 トランス中の感覚は霊媒によって違うもので、自分の口でしゃべっているスピリットの話がちゃんと聞こえるのに、自分自身何だか遠くにいる感じがするという人もおれば、そのしゃべっている自分の身体のすぐ上あたりに位置しているような感じがするという人もいる。さらには、これは数は少ないが、いわゆる幽体旅行をして、遠くの場所で見たり聞いたりしたことを意識が戻ってから思い出さる人もいる。

 私がいろいろ考えた挙句の結論として言わせてもらえれば、例えトランスが完全な失神の段階に達したとしても、それは霊媒の潜在意識が完全に排除されたということにはならない。であるから私はいかなる形式の霊媒現象にせよ、百パーセント純粋な霊界通信は極めて稀であるといいたい。スピリットによる支配は一種の憑依現象であるが、どんな場合も必ず霊媒の潜在意識を通じて行われるのである。成果の出来不出来はスピリットがどれだけその潜在意識をコントロールできるかにかかっているわけである。

 ところでこの霊媒現象を器械にやらせようという試みがいろいろとなされてきたが、今もって霊媒の存在抜きではうまく行っていない。その中で最も精妙に出来ているものでさえ霊媒がそばにいてエネルギーを与えてやらないといけなかった。

 無線電信の権威の一人で、かのマルコ二ーと共にこの霊媒器の最初の実験に携わったフィスク卿 Sir Ernest Fisk は私に、器械による霊界通信は絶対できるという確信を述べたことがある。卿が言うには、資金さえあれば必ず考案できる。霊媒器は要するに霊界からの波長をキャッチできればいいからだ、という。

 果たしてそんなことが可能かどうかは私は知らない。第一そんなものが必要かどうかが異論のあるところであろう。私は、現在の地球人類のような、まだまだ進化の足らない段階で、もしもそんな器械が出来て、ネコもシャクシもまるでテレビやラジオのようにポンとスイッチを押しただけで霊界から通信が入るようになったら果たしてどんなことになるか、考えただけでゾッとする。

 いずれにしても、当分は生身の霊媒に頼るほかはない。となると、ある程度その霊媒の精神的な個性によってメッセージが影響を受けるのは覚悟しなければならない。霊媒は電話やテレビとは違う。自分なりの考えとか主義主張、偏見や先入観を持っている。それが有る程度メッセージを脚色するに違いない。従って霊界からの通信には多かれ少なかれ霊媒自身の潜在意識が混ざり込むことを常に斟酌(しんしゃく)してかからねばならない。

 ところで、われわれの日常生活の行為の相当部分が潜在意識によってコントロールされていることを知らない人が多いようだ。赤ん坊の頃を思い出して見るとよい。歩くという行為一つをとってみても、赤ん坊は最初その一歩一歩に全身全霊を打ち込む。それを何年も続けることによってほとんど機械的な動作となってしまったわけである。今では歩こうという意識が潜在意識に伝わるその瞬間に、歩くために必要な筋肉、神経、腱、血行等が一斉に作動する。話すという行為も同じ過程であり、その他身体の機能はみなそうである。

 霊媒がスピリットにコントロールされるに際しても、まず精神的に受け身になることが意識を鎮める第一歩である。スピリットは、程度は別として、霊媒をトランスに導くためにはまず意識を抑え、次に潜在意識を支配することによって霊媒をわがものとしてしまう。

 このことに関連して、一体霊媒は教養と学問を積むことがプラスになるかマイナスになるかが長い間論争の種であった。余計な知識が少ないほど潜在意識の抵抗も少ないと主張する一派と、知識が多いほど霊媒としての質が良くなるのだと主張する一派とがある。

 私自身の考えでは、やはり知識は広く持つほど独断的にならずにすむと思う。交霊実験会という形で霊媒現象が見られるようになって一二〇年ばかりになるが、その方法に関しては議論百出である。が私自身のかなり豊富な経験から言わせてもらえば、右の二派の意見は、それなりの根拠を挙げようと思えば挙げられるのである。

 示唆に富む例を一つだけ挙げると、第一級の霊媒の交霊会で司配霊がある見解を述べ、そのあとこんなことを言った。

 「いま申し上げたことは実は私自身の意見ではありません。この霊媒の潜在意識を支配している考えなんです。それを私が申しあげたのは、私自身の意見を邪魔されずに述べようと思えば、そう言う潜在意識にある支配的な観念を先に吐き出させて、取り除いてしまうしかないからです。」

 心霊現象が発生するプロセスについて色々と説かれているが、そのいずれを取って見ても、その説の通りにやったからといってうまく行くものではない。
われわれ人間は居ながらにして霊的存在であり、死後に使用する霊的属性を、未発達ながら、全部具えている。死んで初めて霊魂となるのではない。従って論理的に言えば、スピリットが霊媒を通じてやっていることは、方法さえ会得すれば、われわれにもできる筈なのである。

 それがなかなかうまく行かない理由の一つとして、地上界と死後の世界との間に時間と空間の違いがあるという点が考えられる。最も、ごく稀ではあるが、生者が肉体を抜け出てトランス霊媒を通じて話をした紛れもない例がある。がその場合でも、全責任を持つ司配霊の監視のもとに行われる。

 その点ではインドのヨガ僧やイスラム教の行者などには超能力を開発して精神と肉体を完全に克服し、驚異的な芸当をやって見せるものが幾らでもいる。そのプロセスには霊媒現象に似た要素が無いわけではない。がもしも交霊会で霊媒の背後霊のやっているようなことを、人間が同じ要領で自在にやれるようになったら、私は大変な混乱が生じるものと想像する。それかあらんか、どうやら交霊会の舞台裏の奥には秘密があり、決してそのすべては教えてくれてないように思う。

 スピリットから教えられたある理論をもとに何年も実験して、ある種の現象の演出に成功した人を私は何人か知っている。がその場合も、その得られた結果は、教えられた理論からは出る筈のないものばかりであった。


 第八章  霊が書く                                   
          ─自動書記現象

 自動書記現象は果たして霊界からの働きかけの証拠であろうか、それとも単なる潜在意識の仕業であろうか、その答えは結局はその通信の内容によって判断するほかはない。内容に何ら人間の能力を超えた摩訶不思議なものがなく、霊媒自身が知り得る範囲内のメッセージに過ぎないばあいは、霊媒の潜在意識の仕業と見るのが無難である。がもしも、その内容が明らかに霊媒の知識の範囲を超えている場合は、何か別の解釈を考えなくてはならない。常識的な説明で納得できる限りは霊的要因のせいにしないというのがスピリチュアリズムの鉄則である。

 ジェラルディン・カミンズ女史 Geraldine Cummins はノンプロの霊媒であるが、自動書記霊媒としては当代随一である。新約聖書の欠落した部分やその後の歴史を物語る通信が見事な散文体で次々と書かれている。

 その一部である The Scripts of Cleophas (クレオファスの通信) は聖書の使徒行伝の補遺のような形になっているが、これは著名な聖書研究家でロンドン主教付の審査係司祭である。オスタリー博士 W. E. Osterley によって〝正真正銘〟の折紙をつけられている。その他にもウェストミンスター律修司祭であるディアマー博士 Percy Dearmer と当時ケンジントン主教だったモード博士 Dr. Maud ほか複数のプリストル並びにカンタベリー大聖堂の律宗司祭の立会いのもとに書かれた通信がいくつかある。

 私もカミンズ女史の自動書記に実際に立ち会って、その信じられないような手の動きを目の当たりにしている。女史はページ数の書き込まれた罫紙を前にして着席し、左手で両眼を被い、ヒジをテーブルに置く。右手に万年筆を握って書く態勢をとる。すると数秒もしないうちに万年筆が電気仕掛けにあったように動き出し、一時間に千五百字のスピードで書き始める。

 すぐ横には女史の親友のギブス女史 Miss E. B. Gibbes が待機している。この人の存在がカミンズ女史の霊能によい刺激を与えているようである。そのギブス女史がカミンズ女史の書いている間中ずっと用紙を両手で押さえている。ただそれだけであるが、唯一ギブス女史が万年筆に触れるのは各ページの終わりに来た時で、一たん万年筆を止めておいて用紙をめくってあげる。するとまた猛スピードで万年筆が動き出す。

 こうした光景が一時間余りにわたって続いたのであるが、その間、私とカミンズ女史とギブス女史の三人の間には何一つ会話はない。耳に入るものといえば、ギブス女史がささやくような小さい声で yes とか No とか言う声だけであった。(注11)

 私が立ちあったのはカミンズ女史の背後霊の一人からのと、有名な古典学者でスピリチュアリストだったフレデリック・マイヤース Frederick Myers からのもので、マイヤースのはその前の自動書記で書いたエッセーの続きであった。タテ13センチ、ヨコ16センチの用紙九枚に見事な散文で書かれていた。霊媒には見えないはずなのに用紙の縁に来るとピタリと止まり、決してはみ出ることがなかった。

 カミンズ女史の通信は二つの形式をとった。一つは霊耳に聞こえる声を書き留めていく方法。もう一つは軽いトランス状態で自動的に書かれていく場合である。

 女史は大学教授の十一人の子供の一人として育った。アイルランドでの子供時代、両親の激しい信仰上の口論を耳にしていたのが原因で早くから宗教に背を向けた。物心ついた時は不可知論者となっていた。婦人参政権運動家の野外集会に加わっていたことで、暴徒から投石されるという経験もしている。ホッケーに興じたこともあるし、テニスの大の愛好家でもある。主な趣味は芝居と近代文学である。

 そもそもカミンズ女史が霊媒となったキッカケは、作家になりたくてダブリンへ出たことに始まる。ダブリンの町では同じく大学教授の娘であるヘスター・ダウデン Mrs  hester Dowden の家に下宿した。ところが実はそのダウデン夫人が有名な自動書記霊媒だったのである。やがて彼女自身にも同じ霊能があることが分り、それをダウデン夫人が養成したのだった。

 カミンズ女史は文学に興味をもっていただけに本はよく読んでいたが、その範囲は主として近代作家に限られていて、神学とか哲学、心理学、科学、あるいはキリスト教の起原等については一冊も読んでいない。自動書記の内容はほどんとが聖書時代のものばかりなのに、女史自身は勿論、助手のギブス女史も一度もエジプトやパレスチナといった聖書にゆかりの深い土地を訪れたことがない。

 また面白いのは、自動書記によって書かれる文章と、女史の文学趣味から書く文章とがまるで質が違うことである。女史は小説を一つ書いており、またかの有名なダブリンのアベー座 Abbey Theatre で上演された二つのアイルランド民族劇の共同作者の一人でもあるが、そんな時の彼女は実に筆が遅い。二日がかりでやっと六、七百語程度で、「とても疲れます」と語っている。読み返すと訂正しなければならないところがたくさん目に付くという。

 ところが自動書記となると文章が泉のごとく湧き出て、休止も訂正もない。i の点が堕ちて居たリ t の横棒がなかったりすることはあるが、文章はいつも読み易いし、意味はちゃんと通じているし、何日かかっても内容に連続性がある。一時間半もぶっ通しで書き、二二〇〇字余りを書くことはしばしばで、終わった時にぐったりするのも無理はない。

 新約聖書を扱った通信は専門家の厳しい吟味がなされている。その専門家の中にはエジンバラ大学神学教授のパターソン氏 W. H. Paterson と聖アンドルー大学道徳哲学教授のモリソン氏 David Morison の二人がいる。そして二人は通信の中に出て来る地理、歴史、用語の一語一句に至るまで完全に正確であることを確かめた。この二人の外にもう一人、本章の始めに紹介したオスタリー博士を加えた三人が、「クレオファスの通信
」へ極めて専門家らしい序文を寄せている。そして「カミンズ女史の正真性と私心の無さに満足して居る」旨を表明している。

 さて「クレオファスの通信」は実に複雑な過程を経て地上に送られてきているらしい。実際に通信を書いているのはメッセンジャー Messenger (使者)と名のる人物で、本人は自分は使者であって著者ではないと主張している。そして通信の内容そのものはクレオファスという、地上の人間と直接交信ができないほど高級なスピリットから送られてくるという。また「クレオファスの通信」と題された年
記はキリスト教の初期の時代からすでにその存在が知られており、その写しが二、三存在していたが、今では一冊も存在していないという。

 さらにメッセンジャーの述べるところによると、クレオファス霊は紀元一世紀にキリスト教徒に改宗した人物で、その失われた幾種類かの年代記をもとにして、これを一つの物語に仕立て上げることを使命としているという。その過程を説明すると、まずクレオファス霊がその物語を、スクライブ Scribe (書記)と呼んでいる霊に送る。スクライブはそれをさらにメッセンジャーに送る。するとメッセンジャーがカミンズ女史(彼は彼女のことを侍女 handmaiden などと呼んでいる)の潜在意識の中に潜り込み、通信を送るための用語を見つけるといった、三つの段階を経ている。こうした複雑な過程を経て書かれたものでありながら、その内容は驚くほど明快である。

 メッセンジャーが言うには、原典となっている年代記はイエスの誕生後六、七十年頃にまとめられ、その一部はそれより少し後に付け加えられたものだという。原著者は実際にイエスの使徒たちの姿を目にし言葉を耳にした人物で、主としてギリシャ語を用い、時にはアラム語又はヘブライ語を用い、エフェソスまたはアンチオキアでその大部分が書かれたという。

 カミンズ女史の「クレオファスの通信」の序文を書いた専門家の話によると、この通信は聖書の「使徒行伝」と「ロマ書」の欠落部分を埋める形になっており、初期教会時代の様子やイエスの誕生直後からパウロがアテネへ向かうまでの間の使徒たちの行状が語られている。

 「この通信はもともと聖書を補うことを意図したものではなく、聖書を基盤にしている様子もなく、叉聖書を参考にしている様子も窺えない。メッセンジャーは聖書そのものの存在をはっきり意識している様子がなく、自分でも〝現存する聖書については知識を持ち合わせていない〟と断言している」と専門家たちは述べている。

 さらに、この通信には〝新約聖書に述べてあることをさらに詳しく述べたリ説明したりして、十分言い尽くしていない部分やまったく述べていない部分を補ってくれている資料〟が含まれているとも述べている。たとえば、改宗してからのパウロの体験が細かく述べてあるが、新約聖書にはそれがない。
   p118
 また次のような興味深い指摘をしている。〝使徒行伝〟の最初の十二章は日数にすると全部合わせても三十日の出来事しか述べてないが、年数にすると少なくとも九年間にまたがっている。この事実を見ても、実際の使徒たちの行状
の大部分が欠落していることが分るという。

 専門家が感心するのは歴史的事実の正確さである。たとえば、と次のように指摘する。
 「アンチオキアのユダヤ人社会の支配者のことを Archon と呼ぶことなどは、よくよく勉強した学識ある学者でないと出来ないことである。というのは、クレオファスの年代記の原典が書かれた頃と思われる時代よりさほど古くない時代には、ユダヤ人社会の支配者は Ethnarch と呼ばれていたのだが、西暦十一年にローマ皇帝オーガスタスが都市の組織と統治をはじめてからは、ユダヤ人社会の支配者の呼び方が Archon に変えられたのである。

 もしも通信が Archon でなく Eethnarch になっていたとしても、これは大目に見てやるべき誤りと言えよう。特に通信者は当時パレスチナで生活していたというし、当時パレスチナのユダヤ人はサンヘドリン(ユダヤ最高会議)によって統治されていたからなおさらのことである。それを、比較的新しい呼び方である Archon を使用しているところなどは、専門家でないと見落としがちな細かい正確な知識を物語るよい例証といえよう。そうした詳しい知識にかてて加えて、通信者が同時代の人間であったことを物語る深い観察力が随所に見られる。十二人の使徒の性格の描写には理解と同情が著しく出ている。

 こうした聖書時代に関する通信は「クレオファスの通信」一冊では終わらず、何冊か追加されている。特に注目されるのは When Nero was Dictator (ネロの独裁のころ)で、聖書が何も語ってくれないパウロの晩年の様子も描かれている。ちょうど聖書の「使徒行伝」終わる頃から筆を起こし、パウロの地上生活の終りまでを見事な文章で述べている。パウロがスペインを訪れた時のことや、当時のブリトン人を改宗させる計画の話、それからローマでのペテロとの最後の再開も出て来る。またネロ皇帝の宮殿のきらめくような美しさ、それと対照的な恐ろしい陰謀、そしてローマの大火災というクライマックスの様子などが綴られている。

 カミンズ女史は、自動書記によって何一つ価値のあるものが得られたためしがないという批判を打ち砕く生き証人である。女史の霊能のお蔭で聖書に新しい光が当てられ、曖昧だったところが明瞭となり、学者が長年求めて来た情報をもたらしてくれたのである。

 さて自動書記で極めて興味深いものに十字通信 cross-correspondence というのがある。複数の霊媒が互いに何キロにも離れた場所で断片的な文章を受け取り、それをつなぎ合わせると辻褄の合ったメッセージになると言うもので、私自身、妻とともに米国最大の女性霊媒の一人でマージャリー・クランドン Margery Crandon を尋ねた時に実験して貰ったことがある。それを紹介する前にまずマージャリー自身を紹介しておこう。

 霊媒というと何か薄気味悪い変わった人間と思っている人がこのマージャリーに会ったら、さぞかし怪訝な気持ちを抱くことだろう。至って普通の女性で、スポーツ好きで、楽しい性格の持ち主なのである。

 マージャリーの変わった所を強いて挙げれば、その霊能の種類が多彩でありながら、霊媒としての全生涯を通じて一銭のお金も取らなかったことである。断っておくが、私は霊媒がそれを職業として金銭をとることを決して悪い事とは思っていない。すべての分野の人と同じく霊媒も食べていかねばならないし、家賃を払わねばならないし、衣服も買わなければならない。生活必需品を得るためにはそれは当然の行為である。

 霊能の仕事には金銭の報酬があってはならないと主張する人がいるが、私はこれは間違っていると思う。ならば霊媒はどうやって生計を立てて行くのかという問題を抜きにしているからである。もし報酬が得られなければ助成金を貰うか、さもなければ慈善資金でも頂かねばならないであろう。同じく霊的な仕事に携わっている牧師はちゃんと収入を得ているし、それでいいのである。あれは年金だというかもしれないが、根本的には同じことである。

 もちろん理想を言えば霊能者は金銭的なことに煩わされないことが望ましい。が現代のような経済的事情のもとでは、霊能者も普通一般の人と同じような生活を強いられる。マージャリーがお金を一切受け取らなかったのは、霊媒の仕事に金銭問題が絡んでくるととかく欲が出て、しくじらないためにうまくごまかすことまで考えてしまう危険があるという自戒があったことを銘記しておきたい。

 ご主人はボストンでも有名な医師であったが、マージャリーの霊媒としての仕事のために莫大な支出を余儀なくさせられたに違いない。というのは、霊媒の真偽をテストするための科学的装置を幾つも拵えたからである。その上夫妻の親切なもてなしは有名で、自宅を解放して誰でも出席できるようにしていた。科学者、法律家、作家、牧師、医師、手品師、心霊研究家、こうした人々がいつも出入りしていた。

 マージャリーの霊媒現象は長年にわたって議論の的となったが、彼女自身はそれを一向に気にしている様子はなかった。ほとんど無関心の立場をとり、中傷者からの非難の声にも耳をかさなかったが、同時にそういう心ない連中を悪く言うこともなかった。

 そもそもマージャリーがスピリチュアリズムに関心をもつようになったキッカケは、ご主人のクランドン氏が有名なクロフォード博士による心霊実験の記事を読んだことに始まる。クランドン氏は非常な関心を抱き、自宅でも同じような実験が出来ないものかと考えた。そして実際に霊媒を呼んでいくつか実験を続けているうちに奥さんのマージャリーにも霊媒素質があることが分った。

 マージャリーを通じて最初に通信を送ってきたのは実弟のカナダ人で列車事故で死亡したウォルター・スティントン Walter Stinton だった。クランドン氏は容易に信じない人であったが、何回かの実験で間違いなくウォルターであることを確かめてからは、そのウォルターがマージャリーの実験会の中心的司配霊となった。

 始めのうちはテーブルの移動、ラップ(叩音)、ノックによる通信といった単純な心霊現象ばかりであったが、そのうちトランスに入るようになり、直接談話、エクトプラズムの出現、続いて物質化霊の出現、物体が物体を貫通する現象、自動書記(その一部は英語以外の言語による)、そして十字通信といった風に発展していった。

 証拠がどんどん積み重ねられていった。最初は他の原因の生にしてよいものもあったが、全体を通して見ると、ウォルター霊が指揮してやっていることは明白だった。特に重要な点は実験に先立ってウォルターが、今日はこのようなことをやって見せます、と予め現象を予告していたことで、それは現象が意図的に行われていることを証明するものであった。

 さて、ある日ウォルターは「他にどんな証拠が要りますか」と尋ねた。そこで自分の指紋が造れたら文句はないのだがという注文が出された。するとウォルターはワックスとお湯を用意してほしいと言ってきた。早速用意すると、そのワックスに親指の指紋をつけ、これは自分の指紋だという。その証拠として、死ぬ少し前に使用したカミソリの刃に指紋がついているはずだから、それと比べてほしいという。調査した結果ピタリ一致した。

 がウォルターはそれだけでは満足せず、指紋現象でいろんなことをやって見せた。最初のうちは普通の指紋であったが、そのうち逆指紋つまり隆起とくぼみとが逆になったものを作って見せた。これは物理的に不可能なことである。ところがもう一つ〝不可能なこと〟やってみせた。それは凹面と凸面の逆指紋であった。そして最後には鏡像の指紋まで作って面食らわせた。つまり隆起と隆起、くぼみとくぼみは一致しているが全体が鏡に映ったのと同じ逆の像になっていたのである。

 こうした一連の実験でウォルターは合わせて一三一個の指紋を作ったが、これを顕微鏡で拡大してみると汗腺や特徴ある環状や渦巻きなど、解剖学的にも普通の皮膚と完全に一致することが、ワシントン、ボストン、ベルリン、ミュンヘン、ウィーン、スコットランドヤードの各警察の専門家によって確認されている。

 どの実験会でも霊媒が身動きできないように配置された。ヒジと手首を紐で椅子に縛りつけ、部屋の隅か奥まったところに列席者から見えるように位置させ、両手は特別にあつらえた。〝洞穴〟の中に突っ込ませた。こうした条件にイヤな顔一つせずに応じたマージャリーは更に、実験の前と後に全身をチェックされ、特別に用意したワンピースを縫い付けられ、ロープでしばられ、最後に外科用のテープで椅子に貼り付けられたが、こうした処置にも気持ちよく応じている。

 ある時、ウォルターの親指の指紋が或る人の指紋とよく似ているということが指摘されたことがあった。しかし、例え事実だとしても、それはウォルターの実験結果が超常現象であることを否定するものではなく、指紋の作製が必ずしも絶対的証拠とはならないことを証明するに過ぎない。

 さて、こうした背景のもとで私たち夫婦がクランドン邸を訪れた夜、即席の交霊会を開いてくれてウォルターが十字通信をやってみましょうと言ってくれた時は、とてもうれしかった。

 その夜招待された人の中にボストン造船所の所長ジョン・ファイフ氏 John Fife がいた。そのファイフ氏にウォルターから六人の人を選んでほしい。そして明日の夜七時に何か一つの言葉ないし品物の名前を選んでおいてほしい、との要請があった。その言葉ないし名前をウォルターがマージャリーとサリー・リッチェルマン Sarry Litzelman の二人に通信するというのである。リッツェルマンは自動書記が得意なボストンの女性霊媒である。

 ファイフ氏は実は翌朝子供連れでドライブに出かける予定にしており、ニューハンプシャーを通ることは分かっていても、夜七時にどの辺りにいるかは見当がつかない。しかし何とかして六人の証人を集めて単語を選んでもらい、そのことを証言する声明文にサインして貰うことを約束した。そして私たち夫婦と相談して、単語が決まり次第ボストンから七十マイル離れたロイヤルストンにある〝フレンチ〟という店にファイフ氏が電話を入れるということになった。

 そのロイヤルストンからほぼ一マイルのところにマージャリーが土地をもっていて、その森の中に幾つか山小屋があった。翌朝マージャリーと米国の SPR(注12)会長バットン氏  William Button それに私たち夫婦の四人がロイヤルストンに向けて出発した。リッツェルマン女史がご主人とともにすでにその小屋に一つに待機していた。どの小屋にも電話はない。そこで電話のある一番近い店の〝フレンチ〟が選ばれていたのである。到着するとすぐに私はマネージャーのウィルコックスとかいう人に会い、七時過ぎに電話であるメッセージが届くからそれを書き留めておくようお願いし、あとで私が取りに来るからといっておいた。

 さて七時かっきりにマージャリーとリッツェルマンが別々の山小屋で着席した。両者は通常の手段では交信は出来ない。まずマージャリーがバットン氏とマージャリー家のお手伝いをしている日本人、それに私が見ている前で、Water Melon (スイカ)と書いた。一方リッツェルマンのほうは私の妻の見ている前で同じく Water Melon と書いた。

 面白いことにリッツェルマンの文字は鏡像で書かれていた。つまりそれを正しく読むには鏡に映さないといけない。それから、マージャリーが書いている時、日本人のお手伝いが犬をあやしていて、その犬がうなり声を出したのでマージャリーが犬を静かにさせるように言っていたが、そういったことは通信に何の支障もなかった。

 私はすぐさま車で〝フレンチ〟へ行ってマネジャーからその数分前に届いたというメッセージを受け取った。それは封印をした封筒に入れてあった。開封してみると Water Melon と書かれた紙きれが入っていた。

 のちに、その日に立ち会った人全員による署名入りの声明文を手に入れることが出来た。いくつかの十字通信に立ち会っているバットン氏は、実験がうまく行く時はいつもウォルターの方からやろうと言い出した時か、こちらからの申し出をウォルターが快諾した時だと私に語ってくれた。

 (注11) この場合は質問に対する返事ではなく、新しいページを書き始める時の「はいどうぞ」とか、用紙の縁からはみ出そうになってそれを押し止める時の「ダメ」といった意味と解釈される。

   (注12)Society for Psychical Research の略。心霊現象の科学的研究を目的として設立された純粋の学術機関。
 
 
   
   第九章  霊媒の誕生
            ──三人の例
 前章までの様々な心霊現象の話を読まされて「それはいいとして、一体霊媒は自分に霊能があることをどうやって発見するのか。何か共通したパターンがあるのか」という疑問を持たれる方も多かろうと思う。事実それがあるのである。それをエステル・ロバーツ、オズボン・レナード、ヘレン・ヒューズの三人を例にして見てみたい。


    エステル・ロバーツ   Mrs. Estelle Roberts 
 まずエステルであるが、最初に心霊体験をしたのは八歳のときであった。そしてそれは八歳の少女にとってはあまり楽しい体験とはならなかったようだ。というのは、父親から〝ウソを言った〟と、ひどく叱られたからである。

 ある日の朝、三階の部屋でお姉さんといっしょに学校へ行く支度をして居た時、窓を三度叩く音がしたので二人はびっくりした。と同時に部屋が急に暗くなった。まるで大きな雲に覆われたようだった。

 エステルがどうしたのだろうと驚きながら見上げた。その時彼女が見た光景に姉が仰天するといけないと思い「上を見てはダメョ、姉さん!」と叫んだ。が見るなと言われると見たくなるものだ。姉もとっさに見上げた。そしてあまりの異様さにキャッと叫んだまま気を失ってしまった。

 二人が見たものは光り輝く鎧をまとった騎士の姿だった。エステルはそれをじっとみすえた。窓の外の宙に浮いているように見える。伸ばし切った腕の先にはギラギラと輝く剣が握られている。その鋭い眼光がうら若い少女の両眼とかち合った。その時、騎士が何やらうなづいた。次の瞬間、その姿はもうなかった。半世紀以上たった今でもエステルはその騎士の顔つきを鮮明に覚えている。

 さて、姉の異様な叫び声を聞いて駆け上がって来た父親にエステルは今見たものを正直に語った。すると父親はそのあまりの突っ飛な話に「ウソをつくんじゃない。お前の見たものはただのコウモリだ!」と叩きつけるような言い方で否定した。しかしエステルはその後ずっと、この異常体験を自分の人生の使命の始まりであったと見ている。その時見た騎士が再び姿を見せたのはエステルが中年になってからのことであった。

 学校ではエステルは一見ごく普通の女の子だった。が一つだけ違ったところがあった。それは何かというと〝声〟が聞こえるとか〝姿〟が見えると言うのである。それで友達はみんなエステルのことを〝夢見屋さん〟と呼んだ。そうした声にエステルがどの程度心を奪われていたかは知る由もない。両親に話して聞かせても、信心深い善人ではあったが、少し空想の度が過ぎると言って相手にしてくれなかった。

 エステルが最初にした仕事は子守で、十五歳の時だった。その時考えたことは、子守の仕事に忙しくしていたら変な現象も起きなくなるのではないかということだったが、乳母車を押して歩いていると、相変わらず何人かの姿が後からついて来るし、その話声も聞こえる。その話の内容は自分の知らないことや想像もつかないことばかりだった。

 それでもエステルは自分が霊能者であることが理解できずに、相変わらずそうした現象を抑えつけようとしていたが、そのうち自分は他の女の子とは違いのだという自覚を迫られているような気がし始めた。訳が判らないエステルは気狂いになるのではないかと心配になって来た。

 二年後の十七歳の時に結婚し、とても愛想深い人だったので何もかも打ち明けた。ご主人はエステルの気持ちはよく理解してくれたが、スピリチュアリズムについては何の知識もなかったので、自分の妻は〝変人〟かも知れないと考えたりした。

 そうしたある夜のこと、ベッドで横になっていると、一人の姿が部屋を横切るのを霊視した。それが夫のおばであることを確認したエステルは「あなたのおばさんが亡くなられたようよ」と夫に言った。当然のことながらご主人は「何故そんなことが分るのか」と聞いたが、説明しようがないので「でも、それが分かるのよ」と言った。翌朝早く、昨夜叔母が死んだことを告げる電報が届いた。

 それからエステルにとって苦難の時代が訪れた。もともと頑健でなかった夫が大病を患ったのである。夫を看病する傍ら三人の子供を育てなければならない。〝声〟が頑張れと励ましてくれるのだが、何だか彼女自身はその〝声〟主たちが不幸を運んでくれてるような気がしてならなかった。そして或る日、霊の一団が夫のベッドのまわりに集まっているのを見て、エステルは夫に別れを告げる時が来たと悟った。三人の子供を家の外に出し、夫と二人きりになって最後の瞬間まで看病してあげた。夫が決して治らないことは霊的に知らされていたのである。ベッドに寄り添い最後の時を待っていた。

 いよいよこの世との別れの時が近づいた時、二人の霊がいっしょに寝ずの番をしているのがみえた。夫の両親だった。夫が最後の息を引き取った時、一本の細い透明に近い紐が頭部から離れていくのが見えた。同時に、それによく似た絹のような物質が他の箇所から出て来て、やがていつもの夫の姿になった。ベッドに横たわっていいる身体と生き写しでありながら、しかもまったく別の存在であった。それがゆっくりと視界から消えていった。それといっしょに、夫の死を手伝いに来ていた霊界の医師(複数)もその場を離れた。わが子を迎えに来ていた両親もまた消えた。

 葬儀には参列者はほとんどいなかった。悲しみに暮れる若き未亡人に優しく言葉をかける人は一人もいなかった。エステルは一人寂しく墓場に立っていた。三人の子供と、これから待ち受ける心細い将来を思うと、自然に涙があふれて頬をつたった。

 その時、思いもよらないところから励ましの声がかかった。牧師が埋葬の祈りを述べている時、ふと墓を見ると夫の柩の上に夫の姿が見えた。容貌まで見えるほどはっきりした姿だった。夫はニッコリと笑みを浮かべて彼女を見つめた。その時「絶望してはダメだよ」という励ましが彼女の身体に流れ込むような感じがした。

 「灰を灰に、塵を塵に返せよ」──そう牧師が読み上げた。がその時はもう彼女はその言葉に悲しみを覚えなかった。「その瞬間私は夫が本当に私から去ってしまったのではないことを悟ったのです。」これで心の支えは得られた。しかし、今度は物質的な問題に直面しなければならない。その一つは如何にして子供の養育費をまかなうかということであった。

 それからイヤな職探しが始まった。そしてやっと見つけたのは遠くのカフェのウェイトレスであった。これが大変な仕事だった。朝七時に家を出て夜十一時より早く帰れることはなかった。やっと帰ってくると翌朝の食事の準備をしなくてはならない。くたくたに疲れる毎日だったが、それでも心霊能力だけは一向に衰えなかった。彼女は言う──

 「毎日疲れた足を引きずりながらカフェの床を歩いていると〝声〟が聞こえるし〝姿〟が見えるのです。お相手をしている客の頭上に〝天使〟の姿が見えるのです。そんなお客さんには、今思うと、その方たちが食べておられたソ―セージやチップスよりもはるかにいいものを出してあげることもできたわけです。霊的なことをちゃんと理解していたら、その話を出すこともできたことでしょう。」

 が、もしもそんなことをしたら気狂い扱いにされて、恐らくクビにされると考えて口にしなかった。それでよかったのである。

 がついに運命の転換期が訪れた。近所の人が彼女をスピリチュアリスト教会の行事に誘ったのである。すると主催者の霊視家がエステルを呼び出して「あなたは生まれながらの霊媒です。世の中のために大きな仕事をなさる方です」と告げた。

 子供の頃から見つづけ聞き続けて来た姿と声についてまともな説明を聞いたのはこれが初めてだった。が、まだスピリチュアリズムの仕事に身を投じる気にはなれない。何かそれを保証してくれるしるしがほしかった。そこでそのことをその霊視家に打ち明けた。

 経験豊かなその霊視家は一つの方法をすすめた。それは毎晩テーブルに向かってただ座ることだった。そうすればきっとしるしがあるはずだと言われた。彼女は同意した。言われた通りに座り、それを六日間続けた。が何のしるしもない。疑念が頭をもたげ、いい加減いらいらしながら七日目の晩も座った。そして予定時間を終えると、ついに腹を立てて立ち上がり、こう独り言を言った。
 
 「もうやめた スピリチュアリズムはこれでお終いだ

 彼女は子供の部屋へ行こうと、ドアの方へ歩を進めた。すると何者かが首の後ろを抑えるのである。ドアに近づく間ずっと押さえ続けている。何だろうと思って振り返ると、なんと、さっきまで向かっていたテーブルが宇宙に浮いて、その一本の脚が彼女の首を抑えていたことが分った。テーブルは相変わらず何の支えもないのに天井と床の中間に浮いたままである。驚いて見ていると、テーブルがすーっと後戻りして、ゆっくりと元の位置に降りた。

 テーブルに手を置いているとラップで通信が送られてくる話を聞いていた彼女は、一つ試してみようと思った。
早速テーブルに向かって座り、手を置くと案の定、ラップが起きた。あらかじめ聞いていた符号──一つの時はa 、二つはb 、三つはc、等々──手で綴ってみると次のようなメッセージになった。

 「私ことレッドクラウドは人類のためにやって来た。」
 これが彼女にとって司配霊との最初の意識的連絡であった。それは又、それから四十年にわたって何千何万もの人々に慰めを与えた偉大なる仕事の始まりでもあった。
 
 
     オズボン・レナード  G.  Osborne Leonard
 ケント州の海岸沿いにある田舎町タンカートンの小さな家で、世界のどの立派な劇場より多くのドラマが演じられていた。そこが〝イギリス女性霊媒の女王〟とまで言われるレナード夫人の自宅であった。

 そこでは生者と死者との再会が何百回イヤ何千回も行われていたのである。その生と死を主役とするドラマに比べると、大劇場における人工のドラマも影が薄くなる。そのレナード夫人がはじめてトランス現象を体験したのは、奇妙なことに、レパトリ劇団(注13)の一員として各地を回っている時にロンドン、パレイディアム劇場 London palladium の舞台の下で友人二人と実験をしていた時であった。それについては後に詳しく述べよう。

 そのレナード夫人がその名を世界に知られるようになったのは、英国が誇る世界的物理学者オリバー・ロッジ卿 Sir Oliver Lodge が彼女のことを激賞したからであった。ロッジ卿はじはじめ匿名でレナード夫人の実験会に出席していたが、第一次大戦で失った息子のレーモンドからの通信を受け、それが紛れもなく本人のものであることを確信するに及んで、その証拠を「レーモンド」ほか二、三冊の書物にまとめて公表したのだった。

 さてレナード夫人に会ってみると少しも気取らない控え目な女性なので、まさかこの人が世界的な入神霊媒であるとは信じ難いほどである。霊能は小さい頃、誰にも見えないものが見えることから始まった。朝目を覚まして着替えをしている時や子供部屋で朝食をとっている時などに、突如として眼前に美しい景色が展開することが毎日のように起きるのだった。どっちの方角を見ても、壁もドアも天井も消え失せて、かわってなだらかな坂、美しい土手や樹木、さまざまな形をしたきれいな花の咲き乱れる谷のある景色が展開する。それが何マイルも遠くまで続いているのである。

 幼い彼女にはなぜだか分からないが、その景色は肉眼で見える周りの景色より遠くまで広がって見えるのである。難しい理屈はヌキにして、幼いながら彼女はそれがこの世のものでないものを見ているということを感じていた。そして普通の肉眼で見ている景色や人間と比べたら、その光景の中の景色や人間がいかにきれいであったかを今でも思い出すことが出来るという。

 そんなある朝のことである。その日は父親がスコットランドへ主張する日なので、子供部屋でなく下へ降りてみんなで朝食をとることを許された。うれしいので目が覚めるとすぐに跳び起きて部屋着に着がえ、まだ半分目が明かないままテーブルについて正面の壁にその睡い目をやった。すると彼女が〝幸福の谷〟と呼んでいる光景が展開し始めた。普段は口にしないのだが、その朝はつい気軽に父親に言ってしまった。「けさの景色は特別に美しいとこなのね。」

 「どこのことかね」父親が聞き返した。彼女は壁を指さした。その壁には二丁の銃が掛けてある以外は何もない。「お前は一体何のことを言ってるのかね」父親にそう聞かれて彼女は正直にありのままを説明した。さあ大変である。周りの家族はみんな慌て、心配し、そして悩んだ。

 最初はみんな「それはお前の作り話だろう。そうだろう?」と言って見たが、彼女は「でも本当に見えるんだもの」と言い張る。そしてその光景を細かく、あまりに細かく説明するので、これは何か意味があるのだろうと結論せざるを得なかった。が、それが何であれ、ふつうでないことには間違いない。父親は二度とそんなものを見るんじゃないョと強く言いつけた。

 子供というのは心霊能力をごく自然に発揮していることがあるものである。が残念なことに親はそれを病気ではないかと思って抑え込んでしまうのである。がレナード夫人の場合は父親のきつい言いつけにもかかわらず同じ光景を見続けた。そしてその光景の中に出現する人物と親しくなっていった。

 少し大きくなってから、演劇好きの彼女は両親の驚きをよそに役者になる道を選んで、あるレパトリ劇団に加わって各地をまわった。

 ある町で公開交霊会(デモンストレーション)の広告を見てのぞいてみた。その時は大して興味を覚えなかったが、なぜかもう一度行って見たくなって出席した所、今度は主催者の霊視家から指名されて、いとこからのメッセージを貰った。霊視家が描写したいとこの容姿は確かにその通りだった。そのことを家に帰ってから母親に告げると、喜んでくれると思っていたのとは逆に、きつく誡められ、二度とそんな話を口にするものではありませんよと言われた。彼女は、その従兄弟からのメッセージに自分が将来やることになっている特殊な仕事を予言してくれているところがあると言って見たが、母親は二度とスピリチュアリズムと係り合ってはいけませんと、相手にしてくれなかった。

 そのいとこからのメッセージにはまた彼女の結婚相手についての予言も入っていた。ただその相手の男性の容貌があまりにもグロテスクなので、とても信じたくなかった。ところがある劇場で自分の出番が近づいたので階段を駆け上がっていた時、小道具を入れたカゴに足を引っかけてつんのめり、同じ階段を降りかかっていたプロデュサーの両腕に抱きかかえられる恰好になってしまった。彼も同じ出し物に出演していたのであるが、その役柄の衣装とメーキャップが霊視家の説明どおりだったのである。彼は、いきなり自分の腕に抱えられたレナードにキスをした。そして彼女もお返しのキスをした。そして二人は予言通り結婚することになり、その後ご主人が背中のキズがもとで他界するまで、実にしあわせな夫婦生活を送った。

 話は戻って、そうした地方巡業のせわしい生活の合間を見つけて、レナード夫人は二人の友と三人でテーブル現象の実験を一生懸命やっていた。数えて二十六回までは何の現象も起きなかったが、二十七回目になってようやくテーブルが動き出し、その脚が床をコツコツと叩いて通信を送ってきた。符号に合わせてみるとフィーダ Feda と名乗る女性のスピリットからの通信で、レナードはそのうち入神霊媒になると告げてきた。レナード夫人はトランスは嫌いだった。がフィーダはその方が一ばんいい結果が得られると説明した。ついでに言えば、フィーダはレナード夫人の先祖霊の一人だと言っている。

 さて話はいよいよ最初に述べたロンドン・パレイディアムでの話になる。化粧室はごった返していた。三人は実験する静かな場所がなくて困っていた。 ある夜、もう実験会をやれる見込みはないとあきらめながら劇場のまわりをうろついていると、ステージから下へ降りる狭い階段があるのを見つけた。勝手に降りてはいけないのだが、みんなで降りてみた。

 降りてみるとそこは劇場の設備──暖房や照明などのエンジンや機械類が置いてある広い部屋だった。人影はない。これはいい部屋だと三人は思った。壁が厚いので低いエンジンの音以外はほとんど耳に入らない。隅にこぎれいな場所があった。上の騒音のことを思うと、そこは平和な避難所のようだった。運良く主張から帰ったばかりのご主人に頼んでテーブルと三つの椅子を用意してもらった。見つかったら最後とばかり、それをこっそりと運び入れた。

 それからというもの、彼女たち三人は毎晩のように、ステージに用のない九時から十時までそこで実験会を開いた。成果は上々で楽しかった。フィーダが通信を送ってくるのであるが、そのたびに、そのうちレナードを入神させると言ってきた。がそういう現象は一向に起きなかった。友人のアグネスとネリー、それにご主人は諦めずにやるように励ましてくれるのだが、レナード自身はいい加減いやになりイライラするようになった。

 ついでに言っておくと、その劇場は新しく建ったばかりで、その劇場を所有する会社の社長であるウォルター・ギボンズ卿 Sir Walter Gibbons が建てたものである。三人はギボンズ卿のことは何も知らないし、今回の上演のために来るまでは会ったこともなかった。

 ある夜のこと、いつものようにレナード夫人はややマンネリ気味になってきた実験会を開いた。するとフィーダがこれからはテーブルでの通信は止めてレナードを入神させることに集中すると言ってきた。その直後のことである。最近顔を知ったばかりのギボンズ卿がそのエンジンルームへ降りて来たのである。そしてうしろ手を組んだまま部屋を行ったり来たりして物思いに耽っている。三人は薄暗い隅にいるところを見つかりはしないかと冷や冷やしながら押し黙っていた。そのうち卿の目がたまたま三人の方を向いた。ところが以外にも卿は何も言わないで、三人から十五、六メートル離れた所を相変わらず物思いに耽った様子で行ったり来たりしていた。

 「いつになったら行ってくれるんだろう。」
 彼女たちは気が気でなかった。ところが、そうして待っているうちにレナード夫人は異常なほどの眠気を催し始めた。そして自分の霊能に以前にも増して自身がなくなってきた。眠いような疲れたような感じが増してきた。

 「今夜はいつもより暗いのね。私とっても眠いの。ちょっとぐらい寝ても上の人たちには分からないでしょう?」けだるそうにそう言いながら、ついに寝入ってしまった。やがて目を覚ました時は、自分が何時間も寝たのか、それとも何分しか寝てないのか分からないほどだった。

 が目を覚ました時の二人の様子は忘れようにも忘れられないほど脳裏に焼き付いているという。アグネスとネリーが彼女の両腕を握り、ひどく興奮した様子で、しかも涙が二人の頬をつたっている。

 「一体どうしたというの?」彼女が聞くと
 「大変よ! フィーダがあなたに乗り移って私たちの親戚からのメッセージを伝えてくれたのよ。ネリーのお母さんも通信を送って来たわ!すばらしかったわ!」

 こうして始まった入神談話で、フィーダは一九一四年の春に世界に大変な悲劇が起きること、そしてレナードを通じて多くの人々の力になりたいと告げてきた。レナード自身は霊媒を職業とする考えには賛成でなかったが、彼女を取りまく事情がその道へと引きずり込んでいった。そして予言どおり第一次世界大戦が勃発し、無数の人々に悲劇をもたらした。

 霊媒としての資質に恵まれていたレナード夫人はその後急速に名声を高めていった。他の生活面を一切犠牲にした五十年に及ぶ霊媒の仕事を通じて世界的霊媒として知られるようになった。スピリチュアリズムを信じない人、あるいは懐疑的な心霊研究家も、夫人の誠実さと霊媒現象への一途な献身ぶりに称賛を惜しまなかった。

 困難に直面してレナード夫人の霊能にすがった数人の人の中の一人で、のちに夫人の交霊会のレギラーメンバーとなった人に、例の劇場のオーナーのギボンズ卿がいる。後に親しくなってからレナード夫人がパレイディアム劇場のステージの下のエンジンルームで初めて会った時の話を持ち出すと大いに笑ったそうである。 

 フィーダが大戦を予言し、レナード夫人の入神談話を通じて多くの人々を救ってあげたいと述べたその願いが、半世紀以上にもわたる長い献身的仕事によって実現された。それはフィーダとレナード夫人の顕幽にまたがる宿命的な共同事業の成果であった。レナード夫人の交霊会で見られる大きな特徴は、フィーダが霊界のスピリットのメッセージを取り次ぐ時、一度そのメッセージをくり返して確かめるその声がよく聞こえたことである。

 子供の頃、霊界の光景をしばしば見ていたレナード夫人に、結婚後一つだけ実に奇妙な体験がある。これはいわゆる幽体離脱現象であるが、ただ単に肉体から出て旅行してきたというだけでないところに興味がある。

 ある夜、肉体から出てベッドの中で苦しんでいるある男性の部屋へ入って行った。そして自分でも何故だか分からないのであるが、その人に治療を施した。それから帰ろうとして部屋を出かかったところで激しいセキの発作に襲われた。と、次の瞬間、目が覚めた。見るとご主人がその発作を耳にして心配そうに夫人を見守っていたのでギョッとしたという。

 ベッドに横になったまま今の幽体離脱のことを思い出していると、そのベッドで苦しんでいた男性が、かの有名な作家の コナン・ドイル卿であることに気がついた。少し躊躇したが、彼女はその夜の体験をドイル卿に書いて送った。するとそれに対して電報で「すぐ来てほしい」と言ってきた。さっそく行って見るとドイル卿はこんなことを語った。あの夜は自分は体調が非常に悪かった。部屋のドアは開いており、そこへ一人の女性が入ってきた。そして自分に近づいて治療を施してくれた。「それからその女性は帰りかけた時に激しいセキの発作に襲われました」と。

 肉親を失った数えきれないほどの人々に慰めを与えてきたレナード夫人自身にも同じ悲しみが訪れた。長い間殉教者のように病苦に耐えてきた夫君がついにこの世を去った。が夫人は悲しまなかった。なぜなら
夫君にとっては死こそ苦しみからの解放だったからである。

 それから夫人としては珍しいことをしている。自分自身のための交霊会を開いたのである。夫からのメッセージを聞きたいと思い、姪を呼んで入神中の自分がしゃべることを書きとらせた。案の定、夫から愛情のこもったメッセージが送られてきた。新しい生活の様子や再会した親戚のことを語り、最後を愛の言葉で結んでいた。

 レナード夫人が私にこんなことを語ってくれた。
 「夫の死によって私は随分多くのことを学ばされました。というのは、死後の新しい冒険をこと細かに話してくれたからです」

 その夫のメッセージで余生を霊媒の仕事に捧げる決意を固めたという。最後に夫人の得た霊界通信の要約ともいうべき言葉を引用しておこう。

 「私が長年にわたって得た数えきれないほどのメッセージの中で、それを受けた人の性格を高め、心を豊かにしない言葉はただの一語もありません。」


      ヘレン・ヒューズ   Mrs.  Helen  Hughes  
 ヒューズ女史も子どもの頃から心霊体験があった。いつも〝物が見える〟と言うので、メソジスト派の信者であった両親は「この子は少しおかしいのではないか」ひそかに心配していた。父親はガラス細工の仕上げ工で、ヘレンは七人の子供の一番上であった。

 ヘレンが目に見えない遊び友達の話をしたり、とくにその子たちが玄関から入って来て裏口から出て行くところを語った時などは〝バカげた空想〟もいい加減にしなさいと叱られたものだった。

 しかし、いくら叱られても自分ではやっぱり見えるし声も聞こえることを確信していた。と言うのは実際にその子たちといっしょに遊んでいたからである。学校でも先生から同じようなことで叱られていた。最も、ほかの生徒にもヘレンと同じものを見た人が大勢いたらしい。

 それはヘレンが十一歳の時のことだった。校舎の入り口を入りかけた時、教室の中の窓際に一人の生徒の姿が見える。生徒たちはみんなこれから教室に入るところで、まだ中にいるはずはない。ヘレンは十二、三人いた友だちに「あれ見て!」とその窓の方を指さした。すると不思議に全員にその姿が見えるのである。多分うっかりカギをかけられて出られなかったんだろう、ということに話が落着した。

 そこへ先生が近づいて来て何を騒いでいるのですかと聞いた。みんな窓の方を指さして教室の中に生徒が一人いると言った。ところがその時はもう姿はなかった。本当にいたんです。とみんなで説明しても先生は聞き入れてくれなかった。そしてヘレンが悪ふざけの〝主犯〟にされて〝幽霊を見た罰〟として、その姿が見えたという窓際に立たされたのだった。

 この話には面白い後日談がある。何年かしてヘレンも結婚してシェパード姓ヒューズ姓になってからのことであるが、すぐれた霊媒として各地で活躍していた時、グラスゴーでのデモンストレーションで一人の女性がヘレンに歩み寄って成功の讃辞を述べた。その女性こそヘレンを罰として窓際に立たせた先生その人だった。ちょっぴり後悔の情を見せながら斯う言った。「まあ、ヘレン・シェパードさん、この大成功があの幽霊さわぎから始まったなんて夢見たいですわね。」

 さて話は再び子供時代に戻って、その幽霊さわぎから三年ばかり経った頃また不思議な体験をした。友だちと通りで遊んでいた時、ふと空を見上げると〝熱病が流行っている〟という文字がはっきりと見えた。この時は友だちの誰一人として見える者がいなかった。帰ってからそのことを母親に聞かせると、またそんなことを言う、と言って叱られた。が三週間後にヘレンは熱病にかかっている。

 その後学校を出てから仕立屋に奉公に出るようになってからも、相変わらず物が見えたり聞こえたりした。そして十八歳という若さで鉱夫トーマス・ヒューズと結婚した。働く婦人としての義務と、もうすぐ四つになる子を頭とする三人の子供の出産と育児に、さすがの異常現象も奥へ追いやられたかに見えた。三人目の子を産んでからは背骨に痛みを訴えるようになり、やがて回復不能の重病患者になってしまった。

 それからヘレンにとって悲惨な暗い時代が続く。痛みに加えて、再び心霊現象が起きるようになり、自分で自分の精神を異常ではないかと疑うようになった。彼女が素晴らしい霊能を秘めた未完成の霊媒であり大きな使命を持っていることを指摘してくれる人がまわりにいなかったのである。次の体験はその使命を物語っている。

 病状がいよいよ悪化して、もはや死を待つばかりの状態になった。親戚の者や友人が別れを告げに集まった。ところが死の床に横たわる病身とはうってかわってヘレン自身は目も眩まんばかりの色とりどりの美しい花園の中を歩いていた。驚いたことに、とっくに死んだはずの中年の婦人に出会った。再会できたうれしさに長々と話がはずんだ。その時ふとこれまでの惨めな身の上とは裏腹になにか新しい活力が湧いてくるような意識がした。それからのことをこう語っている。

 「その何分かの会話のあと、ふと、その言いようのないほど美しい花園の中でもひときは美しい花が目に入ったので、思わずその花に近づいたのです。すると〝まだだ。お前にはまだ為すべき仕事がある〟と言う声に遮られました。」

 目を覚ますと親戚の者や友人たちが心配そうにのぞき込んでいる。今見た光景に感動したヘレンは「私は絶対に死にませんョ」と言った。みんな口では「そうとも、死ぬものですか」と言いながら、内心では「まずダメだろう」と観念していた。が、確かに死ぬことはなかったが、それですぐ回復に向かってはくれなかった。それから二年もの間歩くことが出来ず、車イスを使わねばならなかった。

 絶望と痛みに耐えながら横になっていると、再び死んだはずの人たちの声が聞こえ始め、次にはその姿まで見掛けるようになった。彼女は怖くなり、長い闘病生活で正気を失いつつあるのではないかと心配した。多くの医者に連れて行ってもらったが何の救いにもならなかった。

 そのうちその〝声〟が「起き上がって歩け」と命令するようになった。当時はとても歩ける状態ではなかった。が何とかして立ち上がって見たそして足を床の上に置いて見ると、すっかりマヒしていると思い込んでいた足にまだ生命が通っていることが分った。〝声〟が頑張れと励ます。その頃から彼女の健康は薄皮を剥ぐように快方に向かい始めた。

 医者が往診に来た時ヘレンはその〝声〟の話をして見た。すると精神に少し異常を来したかも知れないと思った医者は、どこか遠くへ休養に行ってはどうかとすすめた。が彼女は〝声〟にますます自信を深め、心を鼓舞されつつあった。人生の曲がり角はもう回り切ったと感じていた。はじめ杖を頼りにゆっくりと歩いていたが、やがて杖をかなぐり捨てた。健康は日増しに回復し〝声〟は強く大きくなり、しかもより頻繁になって行った。

 その頃から新たな現象が加わるようになり戸惑うことがあった。壁を叩く音がしたり、ベッドが揺さぶられたりした。そのうち一人の見知らぬ女性が規則正しく姿を見せ、その容貌をはっきりと認めることはできるのだが一言もしゃべらない。ドアから入って来て又出て行くのであるが、時には忽然と消えることもある。そんなことが何カ月も続いたが、ヘレンには理屈はともかくとして、それがこの世の人でないことだけは分かっていた。

 ついに彼女は、そんな眠れない夜から逃れるにはその幽霊屋敷を出るしかないと決意し、他の家を探しに夫と連れ立って炭鉱事務所を訪れた。まず彼女がいきさつを話すと、一笑に付されると思いきや、逆にそこの役人は大いに理解を示してくれた。ヘレンが「どうか私を気狂いと思わないでください」と言うと、理解のある笑顔で「あなたは気狂いなんかじゃありませんョ」と言ってくれた。この役人がヘレンの悩みに真の理解を示した最初の人だった。

 役人はヒューズ氏に向かってこう言った。「奥さんの小指にはほかの人の身体全体よりも多くのものが詰まってますよ。(注14)

 ヘレンは後にその役人は奥さんがスピリチュアリストだったから理解してくれたことを知った。が、その時は、残念ながらその役人はスピリチュアリズムについては一言も触れなかった。そして別の家をという要求を聞き入れてドードンと言う所の家を紹介してくれたに留まった。

 もしもヘレンが新しい家なら異常現象も起きないと考えていたとしたら、それは大きな見当違いだった。なくなるどころか、ますます頻繫になったのである。が移転によって一つだけ予期しなかった重要なことが生じた。それは夫のトーマスも〝物を見る〟ようになったことであった。お陰で何か月もの間ヘレンに出現した見知らぬ女性を自分でも見ることになって、真面目に取り合ってくれなかった夫も信じるようになった。

 さて、運命がついにその奥の手を出す時が来た。それは、見かけは冴えないが心霊的知識を持った一人の男が立ち寄ったことに始まる。

 心霊現象に悩まされた夜が明けた早朝のことである。ドアをノックする音がした。外で道路工事をしていた男が紅茶を温めさせてくれないかと言うのである。どうぞと言ってヘレンは招じ入れた。

 男を見るとヘレンはなぜか夜中の不思議な現象を打明けたい衝動にかられた。そこで長々としゃべった。死者の声が聞こえたリ姿が見えたり、一人の女性が毎晩のようにただ訪れては帰っていくので、この調子では頭が変になってしまうのではないかと心配だと語った。

 男はヘレンの話を親身になって聞いた後、ダーラム州訛り丸出しでこう言った。

 「それはそれは奥さん、あんたはこの町一番の果報者ですな。奥さんを毎晩訪ねて来る女性は奥さんを救いにやって来るんです。奥さんはそのうち偉い霊媒になります。」

 そして、今度その女性が出てきたら話しかけてみることですと言った。ヘレンは一度も話しかけたことはなかった。その男はスピリチュアリストだったのである。彼は手短にヘレンの現象を解説し、その目的を説明した。「奥さんはふつうの五感とは別の感覚を使っているだけです。超能力というやつですな。千里眼と呼ぶ人もいます。」

 彼がそういった時、ヘレンはある体験を思い出していた。何年か前にシーハムと言う港のカフェで手伝っていた時、ノルウェー人の船員がヘレンを見て「ねえさん、あんたは天使とおしゃべりができるね。お母さんのマーガレットがあんたとあんたの家族を見守っていると、言っていますョ。」

 母親の名前がマーガレットだということはその通りだし、それをその船員が知っているのは変だとは思ったが、船員の言っていることの本当に意味はその時は分からなかった。今道路工夫が懇切丁寧に、しかも論理的に説明してくれたおかげで、ヘレンはいよいよ人生の曲がり角に来たことを悟った。

 それから六カ月、その男は毎日のように訪ねて来てヘレンを何とか励ました。そして最後にスピリチュアリスト教会へ行って見るよう勧めた。行って見ると霊視家からメッセージを授かった。その人はまったく知らない人であったが、ヘレンのそれまでの体験を全部言い当てて、そのうちあなたも立派な霊媒になりますと言った。
 それはやがて見事に実現することとなった。

 (注13) 一定の出し物を上演するレパトリ劇場 Repertory  Theatre 専属の劇団
 (注14) 知恵とか才能が豊かであることの西洋的表現。

                                           
     第十章  木石は語る  
             ─サイコメトリ現象

 サイコメトリと言いう現象は木石にも記憶があることを物語っている。つまり生命のない物体が自分の経歴を物語り、その所有者を始めとして、それに係わりのあった環境や人間群像の秘密をあばくことがある、ということである。

 Psychometry(サイコメトリ)と言う用語はギリシャ語で〝魂の測定〟を 意味する。その測定の仕方、つまり物の歴史を読み取る能力の働き方については二つの説がある。

 一つは、これは霊媒能力ではない──つまり背後霊の援助によって行われるのではなく、能力者自身の能力だけで物体の放射物や反応から情報を得ているという説。もう一つは、結果からみて背後霊や、その物体と係わりのあるスピリットからの情報を得ていることが明らかなので、、これは霊媒現象であるという説。私は双方とも考えられるし、時として双方がオーバーラップする場合があると考えている。

 生命のない物体から出ている放射物は人間のオーラのようなものだと思えばよい。すぐれた霊視家にとってはオーラがその人間の個性、性格、健康、性癖、野心、それに知的ならびに霊的成長度の正直な指標であると同時に、サイコメトリでは物体からにじみ出る放射物が手掛かりとなる。

 一見固いように見える物体もその実質は一連の波長、放射線ないしバイブレーションの状態であるということが科学でもすでに一般的である。従ってわれわれが所持している物体は常に我々のオーラに浸っているわけで、その放射物をいっぱい吸収している。それで、サイコメトリストが一つの物体を手にすると、その歴史とそれに係わったさまざまな人間模様が感知されるわけである。一ばん新しい所有者の印象がやはり一番強い。もっともこれにも例外がある。その物体にまつわる大きな悲劇やドラマチックな出来事はやはり一番強烈な印象を残している。

 サイコメトリはスピリチュアリストの集会でしばしば披露されている。要領を説明すると、係の者が同じ番号を印した二枚一組のカードを何組か持って座席をまわる。希望の人はカードの一枚を品物に貼り付け、もう一枚を所持しておく。品物と品物が触れ合うと放射物が乱れるので、他の物体とぶつからないように小さく仕切った盆のようなものの中のマスの中に入れる。それをサイコメトリストのところへ持ち帰ると、一つ一つ手にして、まず番号を読み上げてから測定に入る。

 エステル・ロバーツ女史の測定はその内容の細かさ、奥の深さが驚異的なことで有名である。いくつか例を紹介してみよう。

 〇指輪の例
 指輪を手にしたロバーツ女史はすぐ、これは非常に古いものですと言った。すると所有主は、古いものではなくて最近ロンドンのイスリントンのちっぽけな小間物店で何となく買ったものだという。しかしロバーツ女史は少しも動揺した様子も見せず、いえ、これは確かに価値の高い指輪で、そう言う小さい店の手にわたるまでに専門家の鑑定を受けるべきでしたと言う。

 さらに、指輪に石をはめ込んだのはまだ新しいことだが石そのものはとても古いものだという。そして自分の言うことに間違いないからぜひ鑑定してもらうようすすめた。所有主はテストケースとしてそれを大英博物館に持って行って鑑定してもらったところロバーツ女史の言った通りだった。早速ロバーツ女史はこう書き送った。

 「スカラベの指輪についてあなたは本当に素晴らしい測定をしてくださいました。あの日私は、この指輪がいつのものかを大英博物館で鑑定してもらってご返事すると約束しました。ご記憶と思いますが、私はてっきり新しいものと思っていたのですが、鑑定の結果は、金の嵌(は)め込みは新しいが石は新しいものではなく(古代エジプトの)〝中王国時代〟のもので、紀元前一七〇〇年から一八〇〇年頃のものということです。当時は数多く同じものが作られましたが、ほとんどミイラと共に埋められました。台に刻まれている象形文字はハスの花です。当時は何か秘密の意味があったそうです。指輪は純粋のスカラベ石でした。

 あなたがミイラが見えるとおっしゃったのには驚きました。エジプト館であなたの説明された通りの写真を何枚か見たからです。年代もさっき述べた頃のもので、顔の横に髪を丸めている様子などは、あなたの説明のままでした。思うに、もしも、これが王のものであったら、自分の名前を台に刻み込んだはずですから、やはり所有主は多分あなたのおっしゃる通り聖職者でしょう。

 私が知りたいのは一体なぜそれほどのものがイスリントンの小さな店に渡ったかということです。」

 〇小石の例
 平らな石を手にしたロバーツ女史はすぐさまこう言った。
 「この石の持ち主の方はこの石のいわれをご存知のはずです。これは遠いところから来たものです。かつては修道院か寺院の一部でした。とても古い石です。死の感触があります。足で踏み殺すなど、数々の流血を見てきました。一人ではない。もっと大勢の人が災いを受けています。違いますか。」

 持ち主は仰る通りだが、ただそれは古い城の一部だと言った。「石造物から取り出しましたね」と女史が聞くと「その通りです、私が壁の中央部あたりから取り出しました」と持ち主が答えた。女史が言う。

 「もともと壁の一ばん上にアーチ道がついていました。この石を取り出した城は何百年も昔のものです。そこで多くの戦闘が繰り返されました。鎧や兜が見えます。壁に割目が見えます。こんどは、その壁が大砲で撃ち砕かれています。地面に戦死者が横たわって居ます。近くに大きな川が流れているはずです。」ここでちょっと間を置いてから

 「あなたはもう一つ石をお持ちではありませんか」と聞く。
 「恐れ入りました。もう一つ持っております。」

 女史はその二つの石はもともといっしょに保管されていたものだと言い、手にした石のバイブレーションによってもう一つの石の話をつないでいった。まず初めに修道院か礼拝堂の印象を受けた。そして「これは別の地方の古い礼拝堂の一部です。一時期その城に王室の人たちが滞在しています。この石のあった場所の近くに覗き穴に使われた胸壁の隙間があり、そこから矢も放たれました。


 持ち主は興奮気味に「これはルーウェリン王子の生誕地として有名な北部ウェールズの王城から取って来ました」と答えた。


 〇腕時計の例
 腕時計を手にして、これは何か良くないことと係わりがありました、と述べる。さらにこれを所持していた複数の人間のうち一人はすでに他界している。最初は男の人が所有、次に女性、そして最後に又男性が所有したと言う。「それ以来ずいぶん長い間使われていませんね。素晴らしい性格を感じます。現在の所有者はとても忍耐強い人で、これまで二度大きなショッキングな体験をされています。どなたのですか。」

 「私のものです。今おっしゃったことは全部正確です」と客席の一人が答えた。
 「かつてこれを使用した一人が大きな悲劇に会っていることを御存じですか。」
 「存じてます。」
 「その方がある人のために法廷に出て決定的な証言をしたこともご存知ですか。」
 「法廷に出たことがあることは知っております。」

 「一人の使用者が大変な事故に会っております。この時計はすでに八五年から九十年も昔のものです。今使用している少年をご存知ですか。」
 「存じてます。」
 「細いくさりに付けて首飾りにしていた女性をご存知ですか。」
 「もちろんです。私がその方に差し上げたのです。」
 「この時計は色柄のハンカチで包まれて切り出しナイフのそばに置かれておりましたが、ご存知ですか。」

 「はい、承知してます。」
 「この時計に付いていたコインはどうしましたか。」
 「私が持っております。この細いクサリに付けております。」

 それからロバーツ女史は、この時計がこの方の手に渡ってからガラスが割れたので新しく入れ替えたこと、一度行方が分からなくなり、あとで本の間に挟まれていたのが見つかったことを指摘し、「それ以前は分厚い正方形の本の間に入れられておりました。その本の表紙は赤です」と言った。

 持ち主は「おっしゃったことにいささかの間違いもございません」と答えた。

 さてサイコメトリは持ち主が遠距離にいてもかまわない。たとえばすでに他界した人が使用したり身につけたりしたものを霊媒に送ると、それを手がかりに霊界のかつての所有者と連絡を取って情報を得てくれる。これには明らかに霊視能力が加わっており、何かと引き合いに出される例のテレパシー説の入る余地はない。

 これまで私は代理で交霊会に出ることは絶対にお断りしてきたのであるが、これから紹介するベリー夫人 Mrs. R. Berry の場合だけは例外であった。なぜ引き受けたかは次の彼女からの手紙をお読みいただけば理解していただけると思う。ベリー夫人と私とは赤の他人である。

 「私は二十四歳で未亡人となった女です。わずか八カ月の幸福な結婚生活のあと愛する夫が他界しました。今私は霊界の夫について何か知りたくてたまりません。何か聞くことが出来れば、この死ぬほどの悲しい思いも救われると思うのです。どうかお助け下さい。私は寂しくてたまらないのです。一言でも彼と話をすることが出来れば、あるいは彼からのメッセージを受け取ることが出来れば、どんなにか救われることでしょう。私は夫を心から愛しておりました。夫は二カ月前に二十六歳で死にました。」

 さらに手紙には夫が仕事がマイクロメータを使っていたこと、それが仕事が終わる一時間前に故障をしたことを述べ、最後に〝悲しみに暮れつつ〟と結んであった。

 あまりの気の毒さに心を動かされた私は「そのマイクロメータを送ってみて下さいそれを手掛かりに何とかやってみましょう」と書き送った。但し、「これはあくまでも実験です。絶対的保証はできません」と書き添えておいた。二、三日後にそのマイクロメータが他の〝寄せ集め〟といっしょに送られてきた。

 私はそれを持ってロバーツ女史の交霊会に出た。何の説明もしなかったし、依頼主であるベリー未亡人の書かれた事情を示唆するような言葉は一切出さなかった。ただ一言、この品物を測定していただくことで一人の女性が救われますとだけ述べておいた。ロバーツ女史は早速測定して印象を細かく述べた。それをメモして私の代理人がペリー夫人のお宅を訪れた。断っておくが、ペリー夫人はロバーツ女史と一面識もないし、手紙を交わしたこともない。

 さて代理人がロバーツ女史の測定結果を読み終えると、ベリー夫人は満足してこう述べた。
 夫人はご主人と同じ会社に勤めていたが、ある日ご主人が「まずいことになったよ。マイク(ロメータ)をこわしちゃったんだ」という。そのマイクロメータはその会社に勤めた時からずっと使っていたものだった。奥さんが慰めようとしたがダメだった。やがて頭痛を訴えるようになった。そしてその日の正午ごろ急に容体が悪くなり医者が呼ばれた。そしてすぐに病院へ運ばれ〝脳脊髄炎〟と診断された。そして〝マイク〟をこわしてわずか三日で、あっけなく他界した。大切なものを壊したという気持ちがあまりに強くて、わずか三日間の闘病生活のあいだもそれを修理しようとしていたという。

 ロバーツ女史はそのマイクロメータを手にするとすぐ一人の若者を霊視し、その若者がこの機械を使用していて、それとその若者の死とに何か関係があることを察知してこう言った。

 「この男の人は何だかうろたえていて、死んだことを後悔しています。まだやらなければならないことが沢山あるので、どうしても死にたくなかった、という気持ちです。成仏できずにいます。ホンのわずかな期間しか結婚生活を送っていないとおっしゃってます。」

 ベリー夫人は私への手紙で結婚して八カ月しか経っていないと述べているが、そのことは一切ロバーツ女史には言っていない。

 マイクロメータと共に送られてきた他の品物についてロバーツ女史は「この小さな箱の中には奥さんが結婚式の日に付けられたカーネーションが入っております」と述べたが、そのことを聞かされたベリー夫人はその通りだと言い、その他のことについても間違いないと言った。

 さらにロバーツ夫人は「この方はしきりに手を頭へ持って行きますね。亡くなる前にケガをされた印象を受けます」と述べたが、奥さんはその通りだと言い、熱がひどくて頭痛がするので、しきりに手を頭へ持って行ったという。そして悶え苦しむのでベッドから何回も転がり落ちて、手や顔に傷を負ったという。

 ロバーツ女史は又名前を幾つか挙げた。「ジョン。これはジャックと呼んだかもしれません。リリーまたはネリー。ジム、トム。それにR・Bと言うイニシャル。」R・Bは奥さんの Rachael Berry であり、トムは奥さんの父親で、二人は非常に仲が良かったという。ジムとリリーはなくなったご主人の友達で、ご主人の犬をその後世話をしているという。ジョンはご主人のあとを追いかけるように死んだ親友で、ご主人の墓の隣に埋葬されているという。

 最後に私の代理人が「この若者はまだ感情が乱れているので自分の思いを告げることが出来ません。まだまだ地上にいたかったという気持ちがとても強いです」というロバーツ女史の言葉を告げると、奥さんはすっかり得心がいった様子だった。奥さんから見れば、夫について予想していたよりはるかに多くのことが分ったという心境だったらしい。というのは、ご主人はローマカトリック教徒で、スピリチュアリズムのことは嫌っていたからである。

   
 第十一章 霊の肖像画

 フランク・リーア氏 Frank Leah のスタジオでは毎日のように死者がポーズをとっている。すでに三十年もの間リーア氏は霊視能力と画才を駆使して何千人ものスピリットの肖像画を描いてきたのである。中には子供の霊もいる。ごくわずかな例を除いて、ほとんど全部が親戚や友人によって当人に間違いないことが確認されており、いつまでも保存のきく貴重な死後存続の証拠となっている。

 死者を描く時はなぜかその人間の死際のいわば地上最後の雰囲気が再現され、リーア氏も否応なしにその中に巻き込まれる。その意味でリーア氏自身、自分が画いた肖像画の枚数分だけ死を体験したことになる。

 リーア氏には生まれつき霊視能力があった。生まれつきの霊能者がみなそうであるように、氏も子供の頃は他の人に見えないものが自分にだけ見えることで子供心を痛めた。初めのうちは誰だか分からずに戸惑い、やがてどうやら死んだ人たちらしいと感じ始めた。

 成人してからはジャーナリストと漫画家を暫く続けたが、そのうちその画才と霊視能力とを結合させることを思いついた。そして始めの頃はスピリチュアリストの協会などを通じて予約を取った人だけを匿名で招いた。

 今では電話で申し込みを受け付ける。早い時はすぐにその依頼者の肉親の人とか友人とかの顔が見え、そのスケッチに入る。もちろん依頼者とは一面識もない。が、描きながらスピリットに関する情報を次々と述べていく。そうやって、依頼者が訪ねてくるまでにはすでに確認の材料が充分揃っていることがしばしばである。

 それから依頼者が来る。多くの場合、来た時はすでにスケッチが出来上がっているが、それからスピリットを見ながら色調に筆を入れ、立派な肖像を描き上げる。たいていの場合、比較のための写真を持参してもらう。

 依頼の電話が前もってわかる時もある。目の前にスピリットの顔が現れて目を覚まし、霊聴でそのスピリットと会話を交わし、生前の名前や地上に戻って来た理由などの情報を得る、ということがある。

 この種の仕事で困ることは、そのスピリットの死の床の痛みや苦しみといった、地上生活最後の状態を霊能者自身も体験させられるということである。なぜかは充分に解明されていないが、多分ある磁力の作用によると思われるが、スピリットが始めて地上に戻ってきた時は地上を去った時の最後の状態が再現されるのである。

 時には自分の身元を証明するために十年前とか、二十年前、三十年前、あるいは四十年も前の大きな出来事を再現して見せることもある。実に細かいことまで再現される。ある女性霊の場合などは、ビクトリア女王の前に参列した時のドレスを着て出てきた。リーア氏の目には参列者でぎっしり詰まった王宮の全光景が映ったという。

 リーア氏の目に映る霊姿は、他の霊能者の場合と同様、少しも気味の悪さとか幽霊のような感じはないという。幻のようにぼんやりと透けて見えることもなく、幽霊話に出て来る霊とはおよそ似てなくて、しっかりした実体が感じられ、むしろ地上の人間より生き生きとして生命力が感じられるという。リーア氏はポーズを取ってくれているスピリットのまわりを、ちょうど画家がモデルのまわりを歩くように歩き回るのである。歩き回りながら形やプロポーション、その他の特徴をノートに取っていく。

 強烈な個性の持ち主の場合は、その個性を一時的に表情に表してもらい、それを知る人がすぐにそれと分かるように肖像画に表現する。顔のシワの一本一本、目や髪の色は勿論のこと、ホクロだとか歯の欠けたところなど、証拠になる特徴を細かく見て取ることが出来る。一方、スピリットの方も自分を早く確認してもらうための材料として、自分の身の上話をしたり、変わった呼び名、住んでいた町や国の名、職業等についての情報を提供する。

 そうした作業をリーア氏は別に入神状態でやるわけではない。至って普通の状態である。異常な特徴と言えば、肖像画を仕上げるその速さである。わずか数秒で完全な肖像画を仕上げたこともある。正常なスピリットの場合三十秒と言うのはザラで、平均しても三分から五分である。大きさはいつも等身大で、スタジオの中はデーライト(昼光)である。

 リーア氏はスケッチから油絵を描くことがある。その色の使い方、特に目の表情などは明らかに霊視能で実物を見ていることが分る。行ったこともない外国の地図を描いたものも多い。家々の並び具合や環境の様子が実に細かく書き込まれている。また、あまり数は多くないが、スピリットの胸像を彫ったこともある。これにも霊視家としての的確な能力がよく出ている。

 氏の仕事がスピリットの協力を得ないと出来ない仕事であることを依頼者に分かってもらうのに苦労することがある。ある富豪の未亡人が、亡くなったご主人の肖像画を油絵で描いてほしいといって六百ギニーをだした。リーア氏としては有難い話なのだが、肝心のご主人が出たがらないのである。出てリーア氏と話をするのはいいが肖像画はご免だという。スピリットにはこちらから一方的に命令するわけにはいかないのである。

 出現するスピリットは国際色豊かである。ペルシャ人が出たことがある。ペルシャ語で名を名のり、マホメットの信者であることを示すためにメッカの話を持ち出した。さらにバクダッドの近くにあるキエベレと言う町の名を言い、自分の遺体がそこに埋葬されているという。普段の容姿を見せた後に、今度は死ぬ直前の病床での容貌を再現して見せた。頭には氷嚢が置かれていたと言った。

 私のすすめで、ある夫婦が、六つで他界した女の子の肖像を描いてもらって大変な慰めを得たことがある。その子は血液の癌と言われる白血病で死んだシャーリー・ウッズという子で、その子を失った両親の悲しみといったらなかった。私は気の毒に思ってウッズ夫人に匿名でリーア氏に電話でお願いして見るようすすめた。

 電話を受けたリーア氏は夫人の要請を聞く前に「お子さんの肖像画ですね」と言った。そしてシャーリーちゃんの性格、容貌、髪、肌色を言い当てた。リーア氏が全部言い終わらないうちからウッズ夫人は、リーア氏が紛れもなくわが子を見ていると確信していた。

 あとでスタジオを訪ねて、そこに描かれているシャーリーちゃんの肖像画を見て夫人は、そのそっくりさに言いようのないほどよろこばれた。これには比べる写真はなかった。というのは六才の時の写真が撮ってなかったのである。これは例外的なケースに属する。

 ウッズ夫人はさっそく電話でご主人も来るように言った。やがてやって来たご主人もその出来映えに眼を見張った。リーア氏は二人の前でもう一枚の肖像画を描いて見せた。その二枚目にはさらに細かいシャーリーちゃんの特徴が加えられていた。両方とも格子模様のドレスを着ていたが、あとで夫人からその実物を見せていただいた。

 こうしたリーア夫人の肖像画は本にまでなって出版されている。肖像画といっしょに比較のための写真も添えられている。氏の人気のほどを物語っているといえよう。

 これほどまで死者と交わっているリーア氏なのだが、その太い笑い声には愛嬌が感じられる。本人に言わせると、本当は修道僧の生活を送りたかったそうである。最も今の仕事が必要とする孤独の状態は修道僧のそれに一番近いのではないだろうか。霊能に駆り立てられ、悲しみの人に慰めを与えるその使命が、冥想の生活を不可能にしているのだが・・・・・・

 仕事で使い果たす霊的エネルギーを補給するためにリーア氏は時おり人気のない河口などに〝隠棲〟して、心ゆくまで描きたいものを描く。そしてすっかり気分を一心すると再びロンドンに戻ってくる。そして依頼の電話を待つ。

 その電話は氏にとっては死という深い淵にかける愛の掛け橋なのだ。

 
  第十二章 霊の贈物  
            ─物品引寄現象

 私はこれまでずいぶん多くの品物を霊界から贈ってもらっている。そうした物品を引き寄せる現象を、フランス語の〝持って来る〟という意味の apporter から apports と呼んでいる。交霊会に出たことのない方に私がアポーツのコレクションをお見せすると、エチケットを心得た方は口にこそ出さないが、その表情に懐疑の念がありありと窺える。一方、遠慮のない方はズバリ不信を表明なさるが、私は一向に驚かない。

 ある物体が時間と空間を無視して遠いところから一気に運ばれてくるという超常現象を実際に目撃していなければ、恐らく私自身も信じられないところであろう。が私は今実際の事実をありのまま述べているのである。体験した本人が述べるのであるから、まるで体験のない方の顔色を窺っているわけにはいかないのである。私のコレクションの中には実際に私の両手の間から〝生れ出た〟ものが幾つかある。その驚異的事実を二人の霊媒を例にして紹介してみよう。

 二人の霊媒の司配霊はアポーツの実験会を別に大変なことと考えていない。会の進行具合を見ていると、何となくパーティでもやっているような雰囲気なのである。現にキャサリン・バーケル Mrs. Kathleen Barkel の司配霊ホワイトホーク White Hawk は会のことを〝パーティ〟と呼んでいるのである。そして前もって招待状を下さり、会場へ入ると軽食が出て、帰る時はプレゼントがつく。

 面白いことにバーケル女史がそろそろアポーツの交霊会があるなと察知する唯一の兆候は、体がムクムクと太ってくることである。そうして交霊会が終わると元のサイズに戻っている。断定的なことは言い難いが、物品が原子に分解されて空中を運ばれ、再び元に戻される時に使われるエクトプラズムが、何らかの形で女史の身体に蓄えられるのだと思う。

 何マイルも遠くから一気に運ばれ、しかも壁だの煉瓦だのモルタルだのを貫通して部屋の中まで運び込むには、まず原子に分解しなければならないであろう。司配霊に聞くと絶対に〝盗んで〟来るのではないと断言する。紛失した品物ですでに所有者が他界しているものとか、地中や海底に何十年何百年と埋もれていたものだという。

 引き寄せられた品物に霊側の細かい細工のあとが見られることもしばしばある。私が頂いたものや、他の人が受け取ったものを見ると実に品質が多様である。オパールのような準宝石類もあれば銀にサファイヤを嵌め込んだもの、九カラットの金にひすいを嵌め込んだ耳飾り、金のロケット、三個のオパールと四個のダイヤを嵌め込んだ金の指輪等々である。

 交霊会の出席者の数は実験の成否には関係なさそうである。私の他に十二人の時もあれば五十人という大勢の時もあった。一晩のうちに出たアポーツの数も十二個からニ十個までさまざまである。一番大きなものはミイラ褐色のビーズで出来た首飾りであった。

 バーケル女史の実験会の特色は白色光が何の障害にもならないことである。但し、いよいよアポーツが出現した時は一時的に光を遮らねばならない。最も七月に行った実験会ではブラインドを下ろしてもなおかなりの光が外から射しこんでいて、アポーツの出現する様子が全部見えたこともある。またある時はルビー色のランプの光のもとで行ったが、その明るさは私がメモを取っている字がはっきり見えるほどだった。

 私が初めてバーケル女史の会に出席した時、ご主人がどうぞ部屋中を点検なさってくださいという。折角の行為なので言われるまま点検して回ったが何の仕掛けもなかった。いよいよホワイトホークが女史を司配してから、こんどは女性の一人に霊媒の身体を点検するようにとの要請があった。女性はすぐそれに応じた。

 それ以来私はホワイトホークにはいつも好感を抱いている。彼なりの個性をもっていて、霊媒の二重人格の一つなどでは絶対ない。快活で親しみ深く、ウィットに富み、その機智縦横の話しぶりは彼一流のユーモアを生み出す。霊媒のバーケル女史のことをいつも〝私のコート〟などと呼び、出てくるアポーツがどんなに立派な品物であってもみな〝石ころ〟と呼ぶ。彼に言わせるとアポーツ現象をお見せするのは科学的テストのためではなく、疑っている人間の度肝を抜くためでもなく、信じてくれる同志を喜ばせたいからだという。

 さて、アポーツの出現は実に心踊る一瞬である。まず入神したバーケル女史が立ち上がって右手を高く上に伸ばしたまま部屋の中を歩いて回る。次にホワイトホークが列席者の中から一人ないし二人を指名して〝手伝う〟ように言う。私も何回か手伝わされたことがある。それは一方の手を霊媒の手首のところにやり、もう一方の手を腕のところに置く。その恰好でいっしょに部屋中を歩く。その間霊媒のあいた手は空中でしきりに物を掴む仕草をくり返している。そのうち突然うれしそうに〝来た来た〟と叫ぶ。

 それから霊媒の手を私の両手の間に入れ、もう三、四人の人に来るように言う。そしてその一人一人が一方の手を私の手の上に、もう一方を私の手の下に当てがう。これはホワイトホークの説明によると物品が原子状態から元の形に戻るようにしているのだという。やがて手を引いてよろしい、但し握りしめたままの状態でいなさい、と言われる。しばらくして何か出ましたかと聞く。私は「何の感触もありません」と答える。

 その直後に何やら両手のてのひらの間に熱を感じた。そしてそれがゆっくりと固くなっていった。「ずっとそのままにして居なさい。両手を離してはいけません」とホワイトホークが言う。私は両手を握りしめたまま自分の席に戻る。その手のひらの中の物体がだんだん冷えて来る。そんなやり方で出席者全員が数分ごとに〝何か〟を両手に包んだままの格好で席に戻る。全員が終わると両手を広げてみる。その時の私のアポーツはアメジストだった。

 「一体どうやってこうしたものをここまで運ぶんですか」と私が聞いたところ、ホワイトホークは「〝石ころ〟が分解するまで原子の振動速度を高め、分解した状態でここへ運び込んで、今度はそれが固くなるまで振動速度を下げていく。そう説明するほかありません」という返事だった。

 別の機会にどうやって振動速度を上げたリ下げたりするのか聞き出そうとしたが、何度聞いても教えてくれなかった。多分四次元の出来事は三次元の人間の理解を超えたものがあるのであろう。また片手を空中高く伸ばして行うあの仕草についての説明を求めてみた。すると

 「実はこのアポーツ現象ではいたずらっぽい子供のスピリットが何人か手伝ってくれているのです。子供達はせっかくの〝石ころ〟を人間に渡したがらないことがあるので、あんな仕草をして気をそらすのです。霊媒をコントロールしている時の私は四次元の世界から出て三次元の世界に居るわけで、その子供たちから見れば、私は言わば鳥かごの中に入っているのと同じです。そこで私はうまく連中を騙して石ころをこっちへ寄こしてもらう必要があるわけです。」

 そう語って、さらにこのアポーツの出現には土と火と水と空気の四元素を一時的に使いこなさなくてはならないとも言った。

 次はエステルロバーツ女史の場合であるが、司配霊のレッドクラウドもアポーツ実験会のことをパーティのように演出する。私が最後に出席した実験会は記念すべき晩に晩となった。それは女史の娘婿のケネス・エビット Kenneth Evitt による〝挑戦
〟を見事にかわした実験だったからである。その二、三日前にケネスは冗談半分に、まだ一度もアポーツを貰ったことがないんだ、と不満を漏らしていた。これがレッドクラウドに興味を起こさせたらしい。というのは、レッドクラウドがニコニコ笑っていますよとロバーツ女史が言ったのである。現にそれからレッドクラウドは〝突拍子でもないものでなければ〟引き寄せてみせようと言ってきた。そこでケネスは
 
 「ではエジプトから何か引寄せてみてくれますか」と、いかにも挑戦的な口調で言った。それに対して女史は、レッドクラウドが
 「用心した方がいい。黄金虫を持ってくるかも知れんぞ」と言っていると告げた。するとケネス曰く─
 「結構。生きた黄金虫でなければね。」

 その晩の〝パーティ〟は五十人もの出席者がおり二時間も続いた。そして全員が何らかのプレゼントを貰った。しかも欠席者にも送られた。終わってから私が数えてみたら実に六十二個あった。

 レッドクラウドのやり方はホワイトホークとは少し違っていた。部屋を暗くし、ホンのうっすらとした明かりが一つ窓から差し込む程度だった。蛍光塗料を塗ったメガホンが部屋の中央に置かれてあり、霊媒が入神するとレッドクラウドがそれを使ってしゃべった。ホワイトホークと似て良く冗談を言い、ウイットに富んだ雰囲気がみなぎる。
 
 メガホンはブリキで出来ており、アポーツはそのメガホンの中から出て来た。細い口の方から出てくるものもあれば、広い方から出てくるものもあった。メガホンがぐるぐる回転し、列席者の頭上を旋回し始めると、やがてその中でガラガラと音がし始める。個体に戻った時と思われる。

 一つ不思議でならなかったのは、細い口から出て来たのを私が計って見たらメガホンの口の直系より大きいのである。

 アポーツが来た時はホワイトホークと同じように「来た」と言う。そういった時はすでに物質化してメガホンから出せる状態になったことを意味している。誰宛のものかはレッドクラウドが指名する。指名された人はメガホンの下に両手を広げて待っていると、ガラガラと音がしてポロッと落ちて来る。

 実験会は始まった時からパーティのような雰囲気だった。ロバーツ女史の夫君チャールズはいくつか自慢のコレクションを持っていて、それを柔皮にくるみ、コートの内側に付けたボタン付きポケットに仕舞い込んでいた。そこでレッドクラウドが「例のコレクションはちゃんとありますか」とチャールズに尋ねた。「ええ、この通り」と上着の少しふくらんだところをポンと叩きながら得意げに言った。

 「実はもう二つほどあなたへのものがあるんです。いらっしゃい」とレッドクラウドが言うのでメガホンのところへ行くと、ガラガラと音がして二つ出て来た。見ると会の前にちゃんとポケットに仕舞い込んだはずのものだった。

 さて次から次へと引き寄せられて、ケネスはいつになったら自分の番かと、じりじりしながら待っていた。一時間ほど経た頃、聞きなれない、波が砕けたあとのような音がメガホンの中でした。レッドクラウドがケネスの奥さんのアイリスにメガホンのところへ来て旦那に代わって受け取りなさいという。そして「もっとも神聖視されている実に美しい黄金虫だ」という。まだ十分に物質化しきっていないから大事に扱うように、あまり強く押さえないように、と言う。

 私は好奇心にかられてレッドクラウドにどこから引き寄せたのか尋ねた。すると〝アビュドス〟と言う返事である。聞き慣れない地名なので綴りを教えてほしいというと A-B-Y-D-O-S と一字一字教えてくれた。

 その晩のクライマックスは、十二個の品が一度にメガホンから流れ出た時だった。後で私はケネスが貰った黄金虫を細かく調べさせてもらった。金の縁取りのある見事な標本だった。その日のアポーツの中には仏像が二体、じゅず数個、その他サファイヤ、エメラルド、ルビー、アメジスト、トルコ石、縞めのう、トパーズ、オパール等の貴金属類が山とあった。

 その後ケネスに会った時、うれしい後日談を語ってくれた。好奇心に駆られた彼は大英博物館のエジプト古美術館へ足を運んだ。そして専門家にその黄金虫を見せたところ、それは本物で、ふつうアビュドスで見かけるタイプの立派な標本だと聞かされたそうである。


 珍しいアポーツの話を付け加えて置こう。これは、他界したコナン・ドイルが自分の身元を家族に証明するために行ったもので、これで家族も決定的なダメを押される形となった特異なケースである。

 霊媒はスコットランド人のケアード・ミラー女史 Mrs. Caird Miller で、教養と知性を兼ね具えた、しかもスコットランド人らしく実に用心深い性格の持ち主である。

 コナン・ドイルが他界して間もないころからミラー夫人のまわりに一連の不思議な出来事が起きるようになった。女史はその時までスピリチュアリズムについては何一つ知識を持ち合わせていなかった。ついでに言うと、少しあとになっての話になるが、霊媒能力を発揮するようになってからも、ある商社の社長を続け、その商才に何の支障もなかった。

 さて、二度も夫を亡くしている女史なのだが、ある日見知らぬ人から話しかけられるまで心霊的なことには一切興味がなかった。ウェストエンド(ロンドン中央部西よりの地区)にある大きな店のティールームに腰かけていると、同じテーブルの女性がなんだか女史に話しかけそうな態度を示した。生まれつき慎み深い女史は見知らぬ人からいきなり話しかけられることに反発を感じるのだが、ついにその女性は「私は実はスピリチュアリストなんですが、今朝私はあなたのお姿を霊視いたしました」と言った。

 うろたえながら、この人はきっと変人だと思い込んだ。ところがその女性はさらに、このティールームにも一人の霊姿が見えますと言ってその容姿を説明した。それを聞いてミラー女史は思わず緊張した。というのは、それはまさしくつい最近他界したご主人そっくりだったからである。

 そのことで好奇心に火をつけられた女史は、それ以来徹底的なスピリチュアリズムの勉強に入った。そのうち自分にも霊能があることを発見した。紛れもない人物からの声が話しかけてきて確実な情報を提供してくるのである。女史自身まったく知らないことに関するものもあり、調査してみるとその通りだったということがしばしばあった。

 そのうちコナン・ドイルが死亡して一ヶ月ほど経った頃、はっきりとした声で
 「私はアーサー・コナン・ドイルです。あなたに私の家族との連絡を取っていただいてメッセージを届けていただきたいのですが」と言ってきた。

 女史は驚いた。というのは大作家コナン・ドイルには一度も会ったことがないからである。ドイルの奥さんのことも知らないし、家族の誰一人として面識のある人がいない。控えめな性格なので女史はよほどの理由でもない限り奥さんに近づく気になれない。

 「何かあなたの身元を証明するものを教えてください」女史はそう頼んだ。すると家族全員の名前のイニシャルを教えてくれた。確認してみるとぜんぶ正しかった。

 それでも躊躇した女史は、その次にドイルが出た時「奥さんはどこに住んでおられるのですか」と尋ねたそれに対してドイルは電話番号を教え、これは電話帳には載っていないこと、ニューフォレストにあるドイル家の別荘の番号だと説明した。

 これは一つのテストケースであった。慎重を期したミラー女史は、奥さんに電話を入れる前にその番号が正確かどうかを確かめようと思い、電話局に訪ねた。ところがそういう情報を詮索することは当局は許されておりませんと言う返事だった。

 はたと困り一時躊躇したが、思い切って交換手にその番号をつないでほしいと申し込んだ。番号は正確だった。すぐに奥さんが出た。さっそく女史は最近の一連の体験を語ったが、奥さんも、そして二人の息子さんも、最近コナン・ドイルからのメッセージだというのが頻繁に寄せられてくるけど、ちゃんとした確実な証拠がない限り父からのものと信じるわけにはいきませんと言う返事であった。もっともな話であった。

 ミラー女史の試みは挫折した。声の指示通りに実行し、そして失敗した。もう二度と心霊とは係わり合うまいと決心した。ところがドイルの方はひるまなかった。二、三日してまた同じ声がして、失敗したことは承知しているが何としてもあなたを通じて証明して見せる決意だという。そして『済まないがディーン夫人  Mrs. Deane のところへ行って実験会を開いてほしい。写真に出るつもりだから』と言う。

 ディーン夫人は心霊写真専門の霊媒である。ミラー女史は言われるままディーン夫人を訪ねて匿名で、しかも何の目的かも言わずに実験して貰った。現像してプリントしてみるとミラー夫人の頭の上あたりに確かにドイルの顔が写っている。夫人はさっそくそれをドイル未亡人に見せると、紛れもなくドイルの顔であることは認めたが、何かもっと確かな照明が欲しい、証拠としてはまだ不十分だと言う。

 ミラー夫人はもうこれが限界だと考えた。ところがドイルはその〝もっと確かな証拠〟を提供してきた。二、三日後の事である。ロンドンの自宅で目を覚ましたミラー夫人はちょっと別の部屋へ行って再びベッドに戻った。見ると枕の上にキーが置いてある。驚いて手に取って見たが、どのドアのキーでもない。どうしてこんなものがここにあるのか、まったくのミスタリーだった。

 不思議に思いながら突っ立っていると聞き慣れたドイルの声がした。
 「それは私のキーだ。クローバローにある私の書斎のドアのキーで、その書斎はずっと閉じられたままです。息子のデニスを呼んで下さい」と。

 もし本当ならこれこそ文句のない証拠になる。ミラー夫人は早速サセックス州のドイル家に電話を入れ息子のデニスにそのことを告げた。
 事の重大さを悟ったデニスはすぐさま車に飛び乗りロンドンへ向かった。ミラー家に到着すると、デニスはそのキーを受け取り、すぐさまクローバローへ引き返した。

 しばらくしてデニスから電話がかかった。間違いなく父の書斎のキーだという。結局コナン・ドイルが四十マイルの距離をアポーツで運んだのだった。これでドイル夫人も完全に得心がいった。
 それ以来ミラー夫人はドイル家の専属霊媒として定期的にドイル卿のメッセージを取り次いだ。

  (注15)エジプト中部、ナイル河畔にあった古都。古代エジプト王の墓や寺院が多い。

    
   第十三章 霊が写る 
          ──心霊写真現象

 心霊写真が徹底した厳しい条件下で成功すると、肖像画と同じように、永久に保存のきく死後存続の証拠としての価値を発揮する。

 もしもあなたの愛する人が心霊写真に写って、それがどう考えても詐術なんかではないということが明らかになれば、あなたは大切な思い出の宝を手にしたことになる。詐術ではないかと疑うこと自体は決して悪いことではない。死者の顔が写真に写るなどと言うことは大変な事件であるから、それを事実として得心する前に徹底した用心をするのは当たり前のことである。

 考えてみると、心霊写真で詐術をやろうと思えば、よくよく手の込んだ秘密の手口が要求される。まず霊媒、と言うよりは詐術師はこれから心霊写真を依頼に来る人をあらかじめ知っておく必要がある。次にその人の家族のアルバムを何とかして手に入れて、その中から適当なのを気づかれないように抜き取らねばならない。それがダメなら、その死者が住んでいた町へ行って写真屋と言う写真屋を洗って二十年前とか五十年前とかの古い写真を入手しておく必要がある。

 こうしたことをもし実際にやったらすぐにバレてしまうはずである。人の家にこっそり忍び込んでアルバムを失敬する何ぞ、とてもできるものではない。また写真屋へ行って古い写真をゴソゴソ探していたらすぐに怪しまれるに決まっている。事件でも発生して、ある人物が捜査線上に浮かぶとレポーターが大挙してその家族や写真屋に押し掛けるが、そんな時は何の目的かは家族も写真屋も承知している。

 さて、ジョン・マイヤース John Myers がある霊媒から心霊写真の霊能を持っていると言われてスピリチュアリズムに興味を持つに至った時は、ビクトリアで歯科医院を営んでいた。さっそく二、三の友人と数人のスピリチュアリストとでサークルを結成し、霊能開発を始めた。が奥さんは全面的には賛成しなかった。と言うのは、ご主人同様ユダヤ教を信仰しており、まして父親がその指導者格の地位にあったので、その信仰はご主人より熱心だった。私が初めてお会いした時、奥さんはこんなことをしていいのでしょうかと真剣に私に尋ねたものである。

 さて私は私なりの厳しい条件下でマイヤースをテストし、その霊能が本物であるとの確信を得た。その後推理作家として有名だったエドガー・ウォーレス Edgar Wallace が出現し、あの切れ者が地上時代に見せたいかなる構想(ブロット)にもまさる見事な展開を見せてくれた。地上を去って今度はあの世から見事なドラマを送って来てくれたわけである。

 そのストーリーは、ウェールズの一女性から、自動書記で得たという通信が私のもとに届けられたことから始まる。添えてあった手書きの手紙でその女性は、この自動書記はエドガー・ウォーレスが死とともに始まった自分の霊界生活を綴ったものだと説明してあった。通信を見ると前書きのところに〝古き友ハンネン・スワッファーに贈る〟と記してあるのが目にとまった。

 その日はたまたまそのスワッファーと会う約束になっており、その時刻も迫っていたので、私は通信を読まずにそのまま携えてスワッファーの家を訪ねた。着くとすぐ私はそれを差し出してどう思うかと聞いた。内心私はこの皮肉屋のベテランジャーナリストはきっとそれをポイと突き返すのではないかと思っていたが、案に相違して彼は長々と時間をかけてじっくり読み耽った。そしておもむろにこう言った。

 「これがエドガー・ウォーレスからのものかどうかは断言できないが、観察眼のある腕利きのレポーターが書いたものであることは間違いない。」

 ここで一つのジレンマが生じた。というのは、もしも本物であれば、それを公表すると大変な反響が出るであろう。が万一間違いだと分かればとんでもないことになる。私はその事態を考慮して一つの策を考えた。

 次のロバーツ女史の交霊会に出席した時、私はそのことをレッドクラウドに話し、一つ手を貸していただけないものかとお願いした。するとレッドクラウドは「私がウォーレスに会ってみるから、それまでは自動書記通信のことは内証にしておくように」ということであった。そして二週間後の次の交霊会でレッドクラウドは、ウォーレスに会ったらあの通信は自分が書いたと言ってると告げてくれた。

 そこで私はその通信を「私の死後の生活──エドガー・ウォーレス」と題して心霊週刊誌に連載した。予想通りの大反響があった。ウォーレスの遺族はその公表を喜ばなかったし、ウォーレスの秘書だったボブ・カーチス Bob Curtis は、文体が先生のものと全然似ていないといって非難した。

 そうした反響の真っ只中で私は一人のレポーターを雇うことにした。英国ジャーナリスト連盟に電話して、次の就職申込者はウチへ回してほしいと依頼した。やがてやって来たのはオースチン A. W. Austen という若者であった。彼は正直にスピリチュアリズムは信じていないと言い、宗教的には不可知論者だと言った。

 彼のこれまでの心霊体験といえば北部ロンドンの地方新聞に勤めていた頃に一、二度スピリチュアリストの集会に出たことくらいであった。私は採用することに決め、君の仕事は交霊会や集会での出来事を正確に報告してくれるだけでいい、と言っておいた。

 彼の最初の仕事はマイヤースの心霊写真実験会だった。私は彼に、どういう条件を満たせばマイヤースの霊能が本物であると言えるのか、その条件を書き出させた。私がそれに目を通してオーケーを出した。オースチンは自分でカメラ店を選んで感光板を買い求め、擦り替えられないように印を付け、スライドに入れた。後にそれはマイヤースのカメラにセットされた。

 マイヤースはカメラには全然手を触れなかった。彼はただカメラの置かれた部屋にいただけである。彼には霊視能力もあり、その日は有名なユダヤ人作家のイズリアル・ザングウィル Israel  Zangwill  が来ていると言っていたが、焼き付けてみると、そのうちの一枚に確かに ザングウィルの顔が写っていた。

 その写真を公表したところ面白い手紙が届けられた。フリート街のある写真代理店から〝写真使用料〟を請求してきたのである。その言い分は、例の写真は当社が版権を所有しているザングウィルの写真そのものの転載ではないが、よく似ている、というものであった。

 その代理店から派遣されて来た二人の写真家に私は、この写真は厳しい条件下で心霊的に撮ったものであって、したがってもし使用料を支払ったら、それは真正の心霊写真でなく詐術で作成したことになってしまうと説明し、もしもあくまで疑うのであれば、二人でマイヤースの実験会に出席してみてはどうかとすすめた。二人のプロ写真家は非常に乗り気になり、彼らなりの条件を要求した。マイヤースは快くそれに応じた。

 条件と言うのは、感光板は自分たちで用意し、スライドに入れる時に自分たちの名前のイニシャルを印し、自分たちでカメラにセットし、シャッターを切る時には二人が立会い、現像と焼付は自分たちが行う。またマイヤースは一切道具に手を触れないこと、マイヤースの役目はシャッターを切る時に知らせてくれるだけ、という厳しいものだった。

 注文通りに事が運ばれた。ところが感光板をスライドに入れる際に一人がイニシャルを入れると同時に先の尖った道具で秘密のマークを刻み込んだ。これは感光板の擦り替えがないかどうかを確かめる為であったが、そんなことをすることは霊媒も私も聞いていなかった。

 いよいよシャッターを切る段階になって、マイヤースがエドガー・ウォーレスの姿が見えますと言い、こんなことを言っていますという。

 「どんな写真が出ても、地上に存在する私のどの写真にも似てないでしょう。」これは明らかに例のザングウィールのケースを意識しての発言だった。

 さて、現像と焼付を終わってみると、その中の一枚に粉う方ないウォーレスの顔が写っていた。これは一度も撮ったことのない角度からの写真で、もしもその真実性を疑うとすれば、そう疑う人は次の問いに答えられなくてはならない。すなわち〝複製のために使う写真がこの世に一枚もないのに、霊媒はウォーレスのの写真をどうやって作成したか〟ということである。

 さすがの二人の写真家もすべての条件が完全に満たされたことを認め「感光板の擦り替えは絶対になかった」と書いて署名した。感光板をスライドに入れる時に記したイニシャルと秘密のマークもウォーレスの写真のネガにくっきりと出ていた。

 スピリチュアリズムの現象でスピリットを或ることを証明しようとする場合、よくピクチャーパズルのような方法をとることがある。つまりいろんな出来事を組み合わせていくと全体で一つにまとまった話になるというもので、このウォーレスの場合がまさにその好例だった。

 右の写真の実験があってから二、三日してロバーツ女史の交霊会に出席するとレッドクラウドが私に、メガホンを預かっておいてほしいと言う。私は驚いて、何故そんな事をするのかと尋ねた。すると、エドガー・ウォーレスが来ていてしきりに話したがるのだが、まだ要領が分ってないし、前もって打ち合わせもしてなかったので、万一のことがあると霊媒に危害が及ぶので止めさせることにしたのだということだった。

 が次の交霊会ではウォーレスは立派に話せるようになっていた。彼はマイヤースの実験に出て感光板にうまく自分の影像を焼き付けることに成功したことを認めた。また、私が、あなたのかつての秘書はそのことを否定しているが・・・・・・と言うと、「いい加減に目を覚ますようにカーチスに言っていただきたい」と言い、自分の方でもカーチスに真剣に考えさせるものを用意していると付け加えた。

 それが二、三週間後に現実となった。カーチスはウォーレスの秘密を十五年間勤めたのち、同じく推理作家のシドニー・ホーラー Sydney  Horler の秘書をしていた。そのホーラーからカーチスのもとにディクタホンのレコード数枚が送られてきた。それをカーチスが文字に転写するわけであるが、そのうちの最初の一枚を聞こうと回転盤に乗せた時カーチスは「椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。そのレコードから紛う方ないウォーレスの声が出て来た」のである。その声はこう述べた。

 「このレコードは私が使う。私の本─私の小説を書くために。」

 一体ウォーレスの声がどうしてそのレコードに録音されたのだろうか。もちろん常識的な説明ではその謎は解けない。考えられることの一つは、かつてそのレコードをウォーレスが使ったことがあって、それが完全に消されていなかったというケースであるが、それならばホーラーの声とだぶって居る筈で、ウォーレスの声だけが明瞭に聞こえるはずはない。が実際はその声は実に明瞭で、その声が終わってからホーラーの声が出て来ている。

 カーチスはそれを持ってディクタホンの会社を訪ねた。その説明を受けた専門家の一人がそれをはじめから聞き返すと、やはり最初にウォーレスの声が聞こえ、その後からホーラーがそれより低い声で「翌日の早朝になってようやくブレンデルは・・・・・・」と語り始める。小説の出だしの部分である。

 始めの声がウォーレスのものだというカーチスの確信は揺るがなかった。そこで強力な拡大鏡でレコードを検査することになった。その結果分かったことは、ウォーレスの声からホーラーの声に移る部分に何の断絶もないということだった。「同じレコードに二人の人間が録音してワックスの上に何の断絶も出ないようにすることは不可能です」とその専門家は語った。

 さらにその専門家は、最初に述べた消し方が不十分だった場合を一応実験して確かめようということになり、使用済みのレコードの一部を削り取ってみた。検査してみると明らかに盛り上がった筋が出来ている。問題のレコードにはそれがない。これで決まった。

 ウォーレスは約束を果たしたわけである。
その後の交霊会でウォーレスは「あれはボブ(カーチス)に少し考えさせてやろうと思ってやったことです」と語った。

 それから数カ月が過ぎて、ウォーレスにまつわる話をすっかり忘れていた頃のことである。いつものようにロバーツ女史の交霊会に出席していると、レッドクラウドが「ポースコールのホプキン行ってきましたよ」と言って
私を驚かせた。

 「何をしにですか」私がとぼけて聞くと、レッドクラウドはいたずらっぽくくすくす笑いながら「その後ウォーレスから通信が来てないかと思ってね」と言う。

 実は私が例の「私の死後の生活─エドガー・ウォーレス」を公表した時、私は報道陣が詰めかけて迷惑をかけてはいけないと思い、ホプキンと言う霊媒の名前もポースコールと言う地名も公表しなかった。レッドクラウドがその両方ともちゃんと知っていたという事実は、エドガー・ウォーレスにまつわる一連のドラマに相応しい後日談となった。

 (注16)録音と再生ができる速記用口述録音機。
 

   
   第十四章 〝不治〟を癒す(一) 
                ─心霊治療 その(一)
 心霊治療の心霊治療たるゆえんは、ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった〝不治の病〟が完治し、しかも二度と再発しないということでなければならない。

 ロンドンのペギー・パリッシュ夫人 Mrs.  Peggy  Parish は六カ月の余命と診断された癌が心霊治療で全治して以来はや三十年近くになるが、検査をしても癌の兆候は一切ない。こうしたケースは何千何万と数えることが出来る。

 パリッシュ夫人は心霊治療で全治する前に一度手術を受けていた。その後の検査の結果悪性腫瘍の度が進んでいるので再手術の必要を言い渡され、その準備のために自宅に帰って来た。

 ご主人は、まだスピリチュアリズムに関心のなかった頃に一度ある霊媒から、あなたには治病能力がありますと言われ、奥さんを治せますとまで言われていた。そう言われて見ると、入院中の奥さんを見舞う度に「あなたがそばにいると楽になります」と奥さんが言っていた。がパリッシュ氏はそれを気のせいだと考えていた。

 が再手術をするために奥さんが戻って来たのを機会に、氏はその霊媒のところへ行って、どうやればいいのかを聞いた。霊媒は手の当て方などを細かく指導した。帰って実際にやって見ると、これが実によく効いて再手術の必要がなくなった。以来三十年、手術は受けていない。

 この奇蹟的な出来事に目を覚まされたパリッシュ氏は、それまでの儲かる仕事を棄てて、生涯を心霊治療に捧げることになる。今はすでにこの世の人ではないが、功績を記念して建てられた治療所でその奇蹟の生き証人である奥さんが治療の仕事を続けておられる。

 数ある霊的な仕事の中でも心霊治療が一ばん人に恩恵を与える仕事と言える。心霊治療かも一種の霊媒であって、その霊媒を一つの通路として霊界の治療家が霊的なエネルギーを患者に送り込むのである。

 これを霊癒と言ったり心霊治療と言ったり信仰治療と呼んだり、時には神癒などと呼ばれたりしているが、その治癒エネルギーのもとは一つである。私はその他の治療法を貶すつもりは毛頭ない。神の力を受ける方法は無限にあるはずで、その無限のエネルギーを独り占めにできる人間は一人もいない。まして特定の場所にだけ集中させるように神に命ずることなどできるわけがないのである。
℘192  
 心霊治療がいかなる形式をとるにせよ、霊媒と言う道具がその治癒エネルギーを受け入れられるよう波長を調節することが霊媒現象というのは霊媒と背後霊との共同作業なのである。心霊治療の場合は、その背後霊もかつて地上で医学を修め、死後さらに勉強して地上に戻って来たという人が少なくない。

 心霊治療の基本理念は症状を取り除くのではなく、その根本原因を取り除くことにある。現代医学も病気の大半が精神的なものに起因しているという認識に到達している。単純な例を挙げれば、心の悩みが潰瘍を惹き起こす。緊張、恐怖心、挫折感、怒り、妬み、憎しみ─こうしたものが身体に影響を及ぼす。こうした心身症的病気に対して単にその身体的症状を取り除くだけでは永続的効果は期待できない。たとえば潰瘍を切り取っても患者の心の悩みが続けば再び別の潰瘍ができる。

 心霊治療家を通じて注入される霊的エネルギーは二つの方法で作用する。一つは身体が持っている自然治癒力を刺激する場合、もう一つは生命力と同質のものを運び込んで病気の根本原因を取り除いてしまう場合である。人間の身体には自分で治癒する機能が具わっている。ところが右に挙げたような精神的原因がいつまでも続くと、その内部の自然治癒機能が邪魔されて働かなくなる。

 心霊治療家がよく信仰治療家と呼ばれることがある。ハリー・エドワーズ氏 Harry  Edwards もその一人であるが、これは間違っている。治療家を信頼する心が治療効果を助けることは確かだが、毎日平均ニ十通もの治療依頼が届いているエドワーズ氏の場合、その大半に遠隔治療(注17)を施している。海や大陸を隔てた外国からの依頼が多いからである。そうしてその患者の大半が自分のために家族の者や友人などが内証で申し込んでくれていることを知らないのであるから、信仰や信念の要素の入る余地はない。ましてエドワーズ氏は何千何万もの子供を治療しているが、幼い子供には信仰心はないはずである。
  
 エドワーズ氏がまとめた治病結果の統計を見ると、効果があったというのが80パーセント、完治したというのが30パーセントである。この数字は、エドワーズ氏を頼ってくる人がさんざん病院を回った挙句の人ばかりであることを考慮すると驚異的と言わざるを得ない。

 この治病結果、中でも遠隔治療の成果を見ると霊界の治療団の働きを想定せざるを得ない。患者が治療家に書いた申し込みの手紙が一つの手掛かりとなって治療家との間に霊的なつながりができるのである。そう考えればレーダーやラジオ、テレビなどと同じで、何ら驚くに当たらないであろう。

 ラジオやテレビは今でこそ当たり前のように思われているが、そんなものを百年前に予言していたら恐らく気狂い扱いされたことであろう。今どき音が部屋を横切る速度よりも光が地球を一回りする方が早いという事実を誰も疑わないのと同じように、治療家から患者へ霊的な治癒エネルギーが届くということを信じるのは、さほど困難ではないはずである。

 エドワーズ氏自身、幽体で各患者を治療して回った記憶を持っていて、患者の家の環境や部屋の配置などを述べることが出来る。また患者の方でもエドワーズ氏の姿や、一緒に治療に当たっている複数のスピリットを見掛けたという人が大勢いる。

 氏に言わせると、心霊治療は治病能力もさることながら慈愛と人間愛と、何とかして救ってあげたいという気持ちがなければならないという。すべての治療家がそうなのだが、エドワーズ氏の場合も患者の苦しみを直接的に洞察するので、自然に同情心が湧いて来るのである。

 氏は長い間辛酸と貧乏を体験した人である。結婚した頃は貧乏のドン底で、結婚指輪を買うために借金したほどである。氏は又、ビジネスに携わった頃よくトラブルを起こし、裁判所の命令書を携えた執行史がよく訪れたらしいが、その執行史とはその後良い友人となったという。

 治療家は又極度の忍耐力を必要とする。と言うのは患者というものは自分の痛みや不自由さについて、こと細かく説明したがるものだからである。エドワーズ氏はこれまで何千何万と言う苦痛の話を聞かされてきたが、決して同情心を失わない。今自分が治療している人に全身全霊打ち込むという姿勢が天性的に具わっているのである。

 氏は又、自分の治療所だけでなく、大きなホールでの公開治療を各地で開いている。そして何千と言う観客が見ている前で〝有り得ないこと〟をやって見せる。整骨やカイロプラクチック(脊柱調整療法)のような操作は一切用いない。氏はそうした療法の講習を受けていない。にもかかわらず、動かなくなってしまった手足をいとも簡単に自由にしてしまう。それも全然痛みを与えずに、である。

 心霊治療を始めた頃エドワーズ氏は人体の構造やメカニズム
について一片の知識もなかった。ために患者が口にする病気や痛みの意味を医学事典で調べなければなくてはならないほどだった。今では人体の構造と機能、そして人体を苦しめるあらゆる病については一流のエキスパートであると私は確信している。

 長年にわたる背後霊との共同作業の経験で氏は患者一人一人の病状に応じて治癒エネルギーの操作の要領を確実に心得ていて、ここという決定的瞬間を目を閉じたまま待ち受ける。その瞬間が来ると、もう、動かなかった手足が動き、曲がっていた背骨が真っ直になり、短くなっていた片方の足がもう一方と同じ長さになっている。

 それを暗示だとか病的興奮、あるいは集団催眠現象のせいにする人がいる。こうしたナンセンスな説を唱える人は決まってエドワーズ氏が治療しているところを実際に見たことのない人と相場が決まっている。実際に見ればわかることだが、公開治療会では宗教的興奮もないし病的興奮もないし、感情的爆発もない。照明をわざと暗くするわけでもないし、スポットライトで演出するわけでもない。

 但し、そう言う機会に治療する病気の種類は当然、見た目に効果がわかるようなものに限られる。潰瘍が消えたと言っても、それをどうやって証明できよう。また専門の医師の立会いを歓迎し、治療の前と後にチェックして、例えば背骨の湾曲が治療後どの程度伸びたかを診断してもらって公表する。私は何ら効果がなかったという報告を一度も聞いたことがない。

 さて医学界はこうした〝不治の病い〟が心霊治療によって治るという事実を公式には認めていない。が自分に治せない患者をエドワーズ氏のところへ回す医師は大勢いる。自分の身内、友人、外来患者、時には本人自身が申し込むこともある。

 そうした医師が、自分に治せなかった病気が見事に治るのを見て驚いたその正直な心境を述べた手紙を、私は数多く読ませていただいた。医師の世界のエチケットとして、その名前を公表するわけにはいかないが、その中には、高名な専門医や外科医が何人もいる。彼らの行為は実は〝危険〟を冒しても行為なのである。というのは、英国医師会はそうした行為に対して懲戒処分をとる態度を表明しているのである。実際、医師は万一そうした事実が明らかになれば、医師の登録名簿から抹消されることになっているのである。

 実は英国王室にはエドワーズ氏の治療を受けた人が六人もいるのであるが、それでも尚医学界はエドワーズという〝無登録〟の開業医を好意的観察するに至っていない。しかし結局わが王室には最高の腕を持つ医師がついているということであるから、結構な話ではないか。

 治療に際してエドワーズ氏はその病気の原因と、どこに治癒エネルギーを施すべきかについて霊医から〝内なる診断〟を受ける。かりに足を痛めているとすれば、その原因が足そのものにあるのか、背骨にあるのか、それとも頭部にあるのか、といった点が自然に〝わかる〟のである。そして氏が手をその個所にあてると治癒エネルギーが流れ込む。力は加えない。治療が終わると仕事が終わった。という幸福感を覚えるという。初めのうちは霊医に全てを任せる心境になるよう努力した。というのは、果たして治療が施されたのか、うまくいったのか、その辺がよくわからなかったのである。

 治療によって疲労を覚えることはめったにないという。たとえ一時間半にわたっても疲れないし、むしろさわやかな気分になるという。治療中の気分を氏は〝無上のよろこび〟〝無心の楽しみ〟と表現し、この世的なものからは味わえない精神的高揚を覚えるという。

 エドワーズ氏の場合、患者の病状だけで人間的即断を下すことは禁物である。ある時、完全に目の不自由な人が訪れた。見たところ眼球が完全に原形を失っている。虹彩はないし瞳孔もない。ただ、よどんだ縞模様のかたまりがあるだけである。氏は一見して〝これはダメだ
〟と思った。ところがその時氏の身体を通って治癒エネルギーが湧いて出るのを感じた。それからほんの二、三分もすると、生まれた時から光を見たことのないその目にうっすらと明かりが見え始めた。その後色彩が見えるようになり、それから三か月後に列車に乗っていた時に電信柱が見えたという知らせが届いた。

 ここでエドワーズ氏に協力した医師の名前を一人だけ公表しよう。すでに他界した人だから〝登録名簿から抹消
される危険もなかろう。その人はマーガレット・ビビアン Dr.  Margaret  Vivan  という女医で、長年ハンプシャー州のサウスボーンで市立病院を経営していた。

ある時私のすすめで、ビビアン博士自身にも、そしてほかの医者にもどうしても治せない患者四人に遠隔治療を施してくださるようエドワーズ氏に申し込んだ。患者自身には知らせなかった。

 最初の患者は毛瘡(もうそう)という厄介な皮膚病で、二年近くロンドン市内の皮膚科の専門医の治療を受けたが、時おり好転の兆しが見えることはあっても、顔のただれは一向に治らず、少しずつ広がって行った。それが遠隔治療を始めた頃から徐々に回復しはじめ、ついに完全に治癒した。

 二人目は女性で、全身の体力が徐々に衰えていき、どんな治療を施しても悪化する一方で、次第に歩けなくなり、ついには食事も出来なくなった。エドワーズ氏の治療を受けたのは秋も終わりの頃だったが、それから数週間は目立った変化はなかった。それからクリスマスの日になって突然好転しはじめ、七面鳥の大ご馳走とデザートのプラムプリンを平らげて、見ている友人を驚かせたという。その後、着実に体力を回復し、ビビアン博士が診察した時は〝上々の健康体〟であった。

 三人目は頑固な皮膚潰瘍で、それに静脈流が絡んでなかなか治らない。この患者も始めの二、三カ月は目だった兆候は見られなかったが、それから急速に回復した。

 最後の患者は静脈瘤を長く患っていて「両足がひどく腫れていました。ちょっと肌に触れただけで三番目の患者と同じ無痛性の潰瘍を併発するほどでした」とビビアン博士は言う。それが遠隔治療によりまず腫れがひき、やがて完治した。そしてその女性患者は「十年若返った気分です」と語ったという。

 エドワーズ氏は英国国教会にも心霊治療に対する理解を求めたことがある。が国教会が氏をまともに相手にするとはまず思えない。

 氏が国教会の調査委員会から要請を受けて提出した〝不治の病い〟の完全治癒例も、その委員会の報告書への掲載を禁じられた。にもかかわらずエドワーズ氏を頼ってくる聖職者は実に多い。サセックス州ホープにある国教会で司祭と共に祭壇の前で合同治療を行ったこともある。会衆派教会で公開治療を催したことも一再ではない。しかもそこの牧師の中で治癒能力を持っている一人を指導し、その牧師がさらに潜在的に治病能力を持っている同僚を指導している。

 もともと宗教心の強いエドワーズ氏は、元来心霊治療はどこででも施せるものであるべきで、なかんずく〝病める者を癒せ〟と言ったイエス・キリストへの忠誠を誓っている教会において施すのは当然であるという認識を持っている。しかし、イヤだという医者や牧師と協力するわけにもいくまい。氏は医師でもなければ牧師でもない。それでいて氏は神の能力を授かった偉大なる治療家である。

 その能力を駆使して彼は〝心霊治療の奇蹟〟を次々と成就している。そしてそれを決して自分のせいにしない。エドワーズ氏のことをむしろこう言えばよかろうか。すなわち彼は〝不治〟を言い渡された人が最後の拠り所として縋る、より高級な〝神の御手〟である、と。

  (注17) 自宅や病院にいる患者に距離を隔てたまま治療する。不在治療とも言う。
 
 
  第十五章 〝不治〟を癒す(二) 
         ─心霊治療 その(二)

 ここ三十年余り、スコットランドの専門医や医師は、グラスゴーの一主婦に診断を求めるのが当たり前になっている。その主婦とはマーガレット・ライアン Margaret  Lyon と言い、人からは「目をつむったままでX線診断の出来る女性(ひと)」と呼ばれている。その超能力的診断は実はライアン夫人がするのではなく入神した夫人を通じて働く日本人女医である。

 またライアン夫人の超能力のお蔭でスコットランド教会のほぼ百人近い牧師たちが心霊治療を施すようになっている。長老格の一人がライアン夫人の指導で潜在能力を開発し、その牧師の指導で多くの牧師たちが開発したということであるが、これについては後で詳しく述べよう。ただ現在の牧師治療家たちの大半はそうした経緯を知らない。

 さて、その三十年間でライアン夫人の診断が間違っていたという例は一例もない。もっとも、医師の診断と真っ向から対立することが時としてある。考えても見るがよい。患者がれっきとした医者である場合があり、その人たちはすでに専門医の診断を受け、それを最高のものと思い込んでいる。それが覆されるのであるから、夫人との間に議論が生じる。そして最終的にはモルモットによる実験か、血液検査か、X線写真ということになるが、夫人はいつも絶対的自信に満ちている。

 そんな次第であるから、夫人のところを訪ねて来る患者(いつも予約でいっぱいである)があれこれ自分の病歴を述べる必要がない。夫人の方からどこが悪くて何が原因であるかを詳しく説明してくれる。その原因が本人の忘れてしまっている遠い昔の出来事から来ていることもある。

 そもそもライアン夫人がこの道に入ったキッカケは家族の不幸にあった。二歳にもならない男の子が原因不明の病気になった。医師も専門医もわからんという。いよいよ絶望のドン底に落ちかけていたころ一人の友人から心霊治療家に頼んでみたらとすすめられた。そしてニコルソン J. Nicholson という船大工を本職とする心霊治療家を紹介された。

 最後の頼みと、夫人は子供を連れてニコルソン氏を訪ねた。するとニコルソンは病状について一言も質問せず、入神状態で頭部を診察した。そして脳が寄生虫に冒されていて、機の毒だが手遅れだと述べた。

 その翌日子供は昏睡状態に陥った。病院に運び込まれたが、それから三週間後に死亡した。検視の結果は「牛型結核菌性髄膜炎」であった。ニコルソン氏の診断は当たっていた。

 この悲しい体験からライアン夫人は、心霊治療がもし間に合えばどれほど多くの人が助かることだろうと悟った。そして自分と同じ悲しい思いをすることになるかもしれない世の母親たちを救ってあげるために役立ちたいと祈るようになった。そのうち、ある霊能者から潜在的にではあるが治病能力があると言われた夫人は、何とかしてそれを開発しようと決意した。

 それから週一回、霊能開発のサークルに出席し、三年間一生懸命にやって見た。が何の兆候もない。やはり自分は治療家に成る人間ではないのかと諦めかけていた。そして、これで最後にしようと思って出席した席で夫人はつい居眠りをしてしまった。ふと目を覚まして「すみません。みっともないところをお見せして・・・・・・」と詫びた。すると驚いたことに他の研修生から「あなたは寝ていたんじゃない。日本人の女医があなたの口を借りてしゃべった」というのである。

 その女医は  Kahesdee(注18)と名のり「私は仕える」という意味だと言う。さらにこの霊媒との協力で病に苦しむ人が大勢救われる。専門は結核だと述べたという。ライアン夫人の息子が結核で死んでいることと考え合わせると意味がありそうだった。

 これまでの三十年間に見せた K 霊の医学知識は実に多方面にわたる。医者が使う専門語も知っているし最新の治療学にも通じている。話し方が実に穏やかであるが、その仕事ぶりはいかにも自信にあふれ、見る者に強烈な印象を与える。ユーモアのセンスも、ふざけた調子のものではなく上品である。そして治療しながら終始楽しそうにおしゃべりをする。ある時私にこんな風に言った。

 「私はあなたがこれまでにお会いになった一番のおしゃべり幽霊じゃないかしら。」K 霊一流のユーモアである。

 その K 霊がライアン夫人を司配すると、夫人の顔つきや目つき、全体の姿勢までが東洋人的雰囲気になることを多くの人が証言している。 K 霊は地上時代のことを私にかなり詳しく語ってくれた。

 「私はストーニーハースト・カレッジ Stoney hurst  College に通った一日本人僧侶から手ほどきを受けました」と言う。日本が朝鮮を侵略した一八九五年には王宮の侍医をしていて、侵略者たちが王宮を焼き払い、女王を始め王宮の家族全員を生き埋めにしたという。 K霊はその時さらし者にされて二十三歳の若さで他界した。

 女王は新しい衛生学を移入することに熱心で、医学を広めることが迷信をなくす最善の方法と考えていたという。K霊は他界後も、あまりに短かった地上での医者としての仕事を何とか続けたいと思い、ライアン夫人に生まれた時から付きっきりだった。二歳の子供の死という魂を抉るような大きな体験も、K霊から見れば、その心霊治療という使命の足固めとして是非とも必要だったという。

 さて K霊という霊医の存在をどうやって証明するかの問題であるが、ライアン夫人にしてみればしばしばその姿を霊視しているし、容姿を細かく述べることもできる。が、信じようとしない人間がそれは想像の産物に過ぎないと言えばそれまでである。がそれが幻影でないことを証明する事実がある。

 ある時夫人がロンドンに出た時、第十一章で紹介した肖像画のフランク・リーア氏に電話を入れた。二人は一度も会ったこともないし文通を交わしたこともない。夫人は名前を言わなかった。ところがリーア氏は即座に日本人の霊医の姿が見えると言い、それが女性であることを特に強調し、容姿も述べたが、それは不断夫人が霊視している K霊そのものだった。それからリーア氏のスタジオを訪ねてみると、電話で述べた通りの容貌の女性が見事に描かれていた。その肖像画は夫人の治療室の飾りの中でも最高のものである。

 さて私は、またしても医学界のエチケットから名前を公表できないある開業医に登場してもらわねばならない。ライアン夫人がこれまでに治療して上げた医師、医師の身内の人、さらにはその医師がさじを投げた患者の数はもはや数えきれないほどであるが、これから紹介する開業医も結核と診断され、悪化する一方なので母親の説得に負けてライアン夫人の世話になることになった。母親がスピリチュアリストで、病状を見るにみかねたのであった。しかもわざわざライアン夫人に自宅まで来て貰ったのである。

 さて夫人を通じて K霊は専門医の診断を否定し、左肺の敗血性膿傷と診断した。そして専門医は排膿するように言っているがそれはいけないと言い、心霊治療で絶対治ると断言した。がその医師は専門医の診断をタテに K霊に反論した。

 K霊は言った。「議論は唾液の病理学的検査の後にしましょう。」その検査は二十四時間後に行われ、結果は「非結核性」であった。これで第一ランドはまず K霊の勝ちであった。がその時点でも医師は結核の心配を捨てきれず、潜伏性結核かもしれないと考えた。K霊は、そうまでおっしゃるならと、今度はモルモットによるテストを提案した。この種の病気ではそれが決定的診断と考えられている。テストの結果は六週間たってもモルモットは死なず元気だった。K霊は第二ラウンドも勝った。そしてそれが最終ラウンドとなった。

 この話には副産物がついている。時として意外なことから死後の証明が為されるものであることを物語っていて興味深い。それは、K霊が開業医を診察したその時その開業医の父親がそばにいることを告げ、父親であることの証拠として黄色い液体の入った皮下注射器を手にしていると言った。「ワクチンを専門に研究されたのですか」と尋ねると医師は「そうです」と答え、父の容姿も K霊の言う通りだと述べた。

 その父親は息子がいい先生の手にあずけられていることをよろこんでいると述べ、このことをロンドンの妻にも知らせるつもりだと付け加えた。そして最後に「私が今言ったことを確かめるために時刻をチェックしておくように」と言った。医師が時計を見ると六時四十五分だった。以上はすべてグラスゴーでの話である。

 一方ロンドンの母親はライアン夫人のところへ行くようすすめはしたが、息子がすでに心霊治療を受けていることは知らなかった。その日は日曜日で、息子のことを心配しながら、どこかスピリチュアリストの交霊会で慰めになる話でも得られないものかと願いながら、一番近くの教会へ行って見た。

 そこではリリアン・ベイリー Mrs.  Lilian Bailey がたまたま霊視による公開交霊会を催していた。そして真っ先にその母親にメッセージが届けられた。ベイリー女史はご主人が出ていると言い、皮下注射器を手にしているという。そして息子に言ったのとほぼ同じ言葉を一語一語くり返した。時刻は六時四十五分だった。そして二通の手紙が相交叉して届けられた。一通は息子が母親に宛ててグラスゴーでの出来事を知らせ、もう一通は母親が息子に宛ててロンドンでの出来ごとを知らせたものだった。

 もう一人の医師──これまた名前を公表できないのだが──がこんな証言をしている。
 「私は前もって複数の男女の胆石のⅩ線写真を見ておいて、その患者がライアン夫人の治療を受けた後再びX線写真を撮ってみましたが、石は消えておりました。」

 皮肉なことにスコットランド教会の心霊治療調査委員会報告には、当教会の牧師が治療を施す時は医師との協力を絶対条件とする、とある。私が皮肉と言ったのは、スコットランド教会の心霊治療も基本的にはマーガレット夫人がやっているのであって、それを牧師たちが援助しているに過ぎないからである。

 さて始めのところで、先駆的活躍をした長老格の牧師のことを述べたが、その牧師の名はカメロン・ぺディ J.  Cameron  Peddie と言い、グラスゴーのスラム街であるゴーバルズ地区のど真ん中に位置する教会に所属していた。ある時ライアン夫人の治療法を耳にしたペディ師は結合組織炎に悩まされていた奥さんを連れてライアン夫人を訪ねた。そうして、見ているその場で回復の兆候が現れ、いっぺんに全快した。次に夫妻はゼンソクと皮膚病で苦しむ息子を連れてきた。それが全快したことは、その後英国海兵隊予備志願兵に甲種合格したことで証明された。
(波長の訓練)                  
 そんな体験からペディ師は或時 K霊に「私にも治療できるでしょうか」と尋ねた。 K霊は「静かに精神統一をして治療エネルギーに波長を合わせるよう訓練してごらんなさい」と言った。

 言われた通りに練習していると徐々に霊能が出はじめた。奥さんといっしょにライアン夫人が治療するところを何度も見に来た。また夫人の方も、ペディ師の教区内の患者のところへ行く時はペディ師を連れていくよう配慮した。ペディ師が患者をライアン夫人のところへ連れてくることもあった。かくして夫人は自分の治療所とペディ師の自宅で夫妻の治病能力の開発を援助した。ペディ夫人の方は八年間にもわたって週一回のサークルでの研修に参加した。進歩が著しいのでライアン夫人の方から患者を回すこともよくあった。一方ペディ師の方は年一回開かれる全快者による証言の会でライアン夫人とともに壇上に上がった。

 心霊能力には明らかに伝道的ともいうべき性質があるようである。一人の霊能者がいると潜在的能力を持つ人間に刺激を与えてそれを開発して行く。ライアン夫人がペディ師の治病能力に火をつけると、今度はペディ師が同僚の牧師たちの治病能力を誘発した。今ではスコットランドには百人近い牧師が心霊治療を施せるまでになっている。

 そのうちの一人でグラスゴー長老会管轄区の指導者格の一人でもあるスミス師 the  Rev. S.Smith は最初義理の母親をライアン夫人のところへ連れてきた。見事に治ったので、次から次へと患者を連れてくるようになった。そのうち K霊が「あなたにも治療ができます。但し、あせらずに練習してください」と言った。スミス師はその言に従った。

 そんなことがあって、ついにライアン夫人──本当はK霊と言うべきか──に大勝利の日が訪れた。スミス師の招待でスコットランド教会の牧師を相手に心霊治療の講演をし、さらに公開治療をやって見せたのである。一九五一年のことであった。

 百人以上の牧師が出席し、中にはすでに目覚ましい治療活動をしている人も大勢いた。ライアン夫人は会に先立ってスミス師から質問の集中砲火を浴びるかも知れませんよと警告されていた。スミス師が司会し、夫人の左にペディ師が着席していた。

 初めにライアン夫人による前置きがあってから、夫人が入神して K霊がでた。初め非常におごそかな口調で神の加護を祈った。そして「私は今、これから行うドラマチックな実演に神の加護を求めました。なぜかと言えば、この会場にはまだ私を疑っておられる方がいらっしゃるからです」と言い、また、会場の中に、夫人の知らない人で爆破か爆発かによって耳が聞こえなくなった方がおられるはずだと述べた。

 すると三十代の女性が(付き添いの友人からK霊の言っていることを教えてもらって)手を挙げて、それは自分のことではないかと思うと言った。そして「でも私を治療するのは不可能です。一九四三年にロンドンで看護婦をしていた時に病院の近くで地雷が爆発して、それ以来ずっと耳が聞こえません。全くのつんぼなんです。電話の鳴る音も聞こえません」と述べた。

 するとK霊が言った。「私は今日、医学を笑いものにするつもりでここへ来たのではありません。また医学にはアレができるとかコレは出来ないとかを言いに来たのでもありません。私はただ霊的な治病能力を証明しに来たのです。その方をこのイスへお連れ下さい。」

 元看護婦だったという女性が壇上へ上がり、客席の方を向いて腰かけた。入神したライアン夫人がその後ろに立ち、ペディ師が時計を手にして治療時間を測定した。

 やがて K霊がその婦人に「付き添いの方に話しかけてごらんなさい」と言う。すると夫人は「今あなたは大声で言われました?」と尋ねた。「いいえ、あなたはもう聞こえるではありませんか」とK霊が言った。

 会場の人々には、そのやり取りが読唇術によるものでないことは明瞭だった。なぜならライアン夫人は夫人の後ろにいたからである。ペディ師が「わずか五分でした」というと、K霊が「一瞬のうちに治ることもあります」と答えた。

 場内は水を打ったように静まり返った。あまりのドラマチックな治療に圧倒されてしまったのである。「何かご質問は」とK霊が言うと、婦人の付き添いが「これほどの偉大な力の前に何の質問もいりません」と言う。すると当の婦人が「なぜ皆さんは黙ってらっしゃるんですか。奇蹟の時代はまだ過ぎ去ってはいないのですね」と言った。

 その後その婦人は再び看護婦の仕事に戻ったとい
う。
 
  (注18) この綴りをどう読んでも「私は仕える」という意味の日本語にはならない。後で述べるように、この霊は十九世紀後半に朝鮮に育ち朝鮮王宮の侍医をしていたというから、朝鮮人名かとも思われるが確かなことは分からない。以下K霊と略す。
 
 
   第十六章 引力が消える? 
             ─物体浮揚現象

 物理学的に見て〝絶対不可能〟なことをやって見せるのが物理的心霊現象である。テーブルがひとりでに浮揚する。メガホンが宙に浮いたままになる。一見あたかも引力が消えたかに思える。が実はそれなりの法則が働いているにすぎない。自然法則の働きが停止するなどと言うことは絶対に有り得ない。従ってこの世に〝奇蹟〟というものは起こり得ないのである。今述べたような〝絶対不可能〟なはずの現象が実験室で起きるのは、人間が五感で確認できる証明を求めるその欲求に応じて、霊界の技術者たちが計画的に演出しているからにほかならない。

 前に紹介したクロフォード博士による実験で、テーブルが浮揚しているのを写真に撮るのに成功している。霊媒の身体から出て来たエクトプラズムがまず棒状になり、それがつっかえ棒のようにテーブルを支えて持ち上げる。博士は決定的とも言える一連の興味深い実験を行い、その結果テーブルを持ち上げるのに必要な重力は霊媒が失った重量とほぼ一致することを証明した。

 テーブルが完全に床から浮上する現象は私は何度か見ている。私がテストしたシュエフィールド市のある物理霊媒の場合は、かならずテーブル浮遊現象があった。まず霊媒がテーブルの上を強くこすってから、その表面から九インチほど上のあたりに両手を広げる。すると、テーブルがその手のひらのところまで浮上する。他には誰も手を触れていない。

 かつてウェールズで炭鉱夫をしていたというジャック・ウェーバー Jack  Webber の場合は重いテーブルが浮上するのがしばしば見られた。それを赤外線写真に多数収めてある。叉私自身も赤外線写真でエクトプラズムがウェバーの身体からにじみ出て来て一本ないし二本のメガホンを握るところを撮っている。それによってスピリットがメガホンを操作するカラクリが明らかとなった。

 物理的心霊現象実験会(物理実験会)のカギはその現象を演出するスピリットたちの協力を得ることにある。それさえ得られれば、それはスピリット側が人間側を信頼しているということであり、成功のための舞台装置がセットされたことを意味する。スピリットの存在を信じ、スピリットに対して理解を示す研究家による実験会の方が、猜疑心で固まった温かみのない研究家による実験会よりうまくいくのは、そこに信頼感と言う人間的要素があるからである。

 冷酷な研究家は霊媒を詐欺師と見なして、それを暴いてやろうとしているのであるから、その態度が現象をつまらないものにしてしまう。霊媒に対して人間味のある態度をとろうとしないことが、いわゆる心霊研究家を袋小路に追い込んでしまう大きな理由なのである。

 霊媒現象は感受性を生命とする。普通の人間なら何とも感じないで平気でいられるようなことであっても、霊能者は大きく影響される。〝さあ証明して見せろ〟式の態度では、たとえそれが真剣であっても。結局は求めんとする現象は出てこない。

 科学的研究というのを同一条件下で同一結果を何度でも再現できるという意味だとするならば、物理実験でそれを求めるのは事実上不可能なことである。その理由は他でもない。一番大切な要素が霊媒と言う人間であり、極度に感受性の強い存在だからである。しかしまったく同一条件下ではないが、ほぼ似通った条件下で、比較対象の資料となる結果を繰り返し再現することは可能であり、私自身もそれを観察している。

 例えばジャック・ウェバーの実験会では、ウェバーの両手両足を椅子に縛り付け、その結び目をさらに糸で結んでおいたのに、瞬時のうちに上着が脱がされ再び元に戻されるという現象が起きた。私が背後霊に写真を撮らせてほしいと言うと、赤外線写真を使用し、フラッシュは霊媒を通じて合図があった時という条件で許してくれた。

 この赤外線写真の使用は物理実験にとって大変な恩恵であった。と言うのは白色光の場合、背後霊がそれに同意しそれなりの準備をしてからでないと霊媒に危害が及ぶことが、それまでの経験で明らかとなっているからである。うっかり無断でフラッシュをたいたために健康を害してしまった霊媒が少なくないことはすでに述べた通りである。

 そうした写真撮影のための実験に際してはウェバーはイスにしっかり縛りつけられた。両腕は肘かけに、両足はイスの脚に縛り付ける。こうした場合、奇術ではどこかにゆるみを持たせるように細工し、あとでそれを利用して抜け出るということをやることを私もよく知っているので、ウェバーの時には絶対にそれがないよう細心の注意を払った。さらに写真撮影によって始めと終わりとで結び目に何の変化もないことを確かめることにした。

 さてウェバーを椅子に縛り付けると、そのロープの結び目に黒い木綿糸を巻き付けた。結び目に少しでも力が加わるとそれが切れるようにしたわけである。さらにその木綿糸を上着の一つのボタンに巻き付け、ボタン穴を通して結んでおいた。これも霊媒が身動きしたら切れることをねらったものである。が実験が終了してから調べて見ると結び目も木綿糸もそのままだった。

 上衣がいったん脱がされて再び元に戻るまでわずか十四秒だった。写真撮影している最中に司配霊が白色電灯をつけることを許してくれた。おかげで上着が脱がされシャツ姿になっている霊媒をはっきり確かめることが出来た。始まってから八秒くらいたってからのことだった。それから二秒後の三枚目の写真には上着が戻るところが写っている。身体に寄りかかっているところで、ソデが一部分だけ入りかかっている。上着の前の部分は半透明の状態のようだった。と言うのは下のチョッキのボタンが上着を通して見えているからである。四枚目は上着が完全に元に戻った状態を示している。

 列席者が何一つ手を貸していないことは明白である。誰かが少しでも手を貸して脱がそうとすればロープが乱れるか、木綿糸が切れたはずである。最もそんな推測をするよりも、とにかく列席者は全員左右の手をつなぎ合っていたのである。

 私は決してこの種の現象が死後の存続を証明していると主張するつもりはない。私が主張しいたのは、これが超物理的法則の存在とこの世のものではない知的生命の存在を物語っているということである。つまりこの三次元世界とは異なる別の次元の存在が推定されるのである。現象の性質を検討してみると、それを演出している者には理知的思考力が具わっている。

 聖パウロは霊的なものは霊的に識別しなければならないと言ったが、この格言は〝この目に見せろ〟と要求する懐疑的人間に当てはめるわけにはいかない。その点、物理実験会における現象は霊的なことを物理的に識別させようとするのであるから、まさにお誂(あつら)え向きと言うべきである。

 〝絶対不可能なこと〟を写真で証明してくれた人にアメリカ人の例のマージャリーがいる。その一つに〝心霊史上最大の証拠物件〟とされているものがある。物体が物体を貫通するというものである。この現象は当時米国 S P R の会長で、十字通信の実験でも紹介したウィリアム・バットン氏の発案によるもので、秀れた法律家でもあるバットン氏は、その法律家的考えから、確実な科学的証拠となるものを得なくてはならないと苦心しているうちに、ふといい考えを思いついた。それをマジャリーの弟で今では司配霊として働いているウォルターに打ち明けた。

 それは、二つの木製のリンクを交差させることだった。これは物理学的には不可能なことで、もしこれに成功すれば、超常的な力の働きによるという以外は説明できないので、これこそ永久的価値のある証拠になると考えた。ウォルターはやって見ましょうと約束した。そして次の実験会に二個の木製のリングが用意された。そしてウィルターはこれをわずか二、三分で交差させてしまった。バットン氏は大喜びで、もう一度やって見てほしいと頼んだ。ウォルターはそれも簡単にやってみせた。

 喜んだ列席者たちはその事実をオリバー・ロッジに報告した。するとロッジはもっと厳しい条件で下でやるべきだと助言した。というのは、二つのリングが同じ木質のものであれば、うるさい学者は、始めから交叉させた状態で彫ったのだろうと疑う可能性があるというのである。ロッジは自分がリングを用意しようと提案し、一つはチーク材、もう一つは固い松でこしらえたものを用意した。そしてそれを前もって写真に撮ってからボストンへ送った。

 さてそれを次の実験会に持ち込んで、ウォルターに交叉できるかと言うと、あっさり交差させてしまった。その〝心霊史上最大の証拠物件〟ガラスケースに保管された。そのあと、列席者が幾組かの木質の異なるリングを持参して見たがすべて交叉させている。

 それから奇妙な現象が連続して起きた。それがウォルターの悪戯なのかどうかは分からないが、どうもリングで遊んでいるように思えてならなかった。たとえばリングの一部分が食いちぎられたみたいになっていたり、テーブルの上にのこくずが落ちていたり、片方が行方不明になったりした。さらにリングが壊されたり、交叉していたものが離されていたりした。そしてついにガラスケースに保管してあるものだけが残った。

 ところがハンネン・スワッファがマージャリー邸を訪れた時、バットン氏が自慢のそのリングを持ち出してみたところ、片方のリングが壊れていた。バットン氏はこんなことはふつうでは考えられないと主張し、このことがあってから〝挫折の法則〟というのがあるようだと言い出した。「ウォルターはこの決定的証明を繰り返し証明してくれたのに何かがそれを奪い去ってしまう。どうもわからん」と言うのだが、〝挫折の法則〟などというものがあるかどうか、私は知らない。


    第十七章 驚異中の驚異  
              ─霊の物質化現象

 物質化現象は数ある心霊現象の中でも最も驚異的であり、そうめったやたらに見られるものではない。スピリットが生前の姿を物質化して見せるわけであるが、頭のてっぺんから足の先まで完全に物質化する場合と、ウォルターの指紋のようにその時の目的を達成するために必要な部分だけを物質化する場合とがある。完全物質化現象の場合、心臓は鼓動し、肺で呼吸し、手で触ってもしっかりとして固く、そして温かく、脈も打っており、血液またはそれに類するものが流れており、しゃべり、そして歩く、意識を持った存在である。

 ルイザ・ボルト Mrs. Louisa Bolt は年に一回しか実験会を開かなかった人である。生まれつき頑健でなく、そのほっそりとして弱々しい身体はとても物質化現象専門の霊媒とは思えない。が私がこれまでに見た中で最も驚異的な現象はボルト夫人の実験会においてであった。これから紹介する実験会はいつになっても私の記憶から消えない。それは、私との間に交わした約束をスピリットが見事に果たしてくれたからである。実験会に先立つこと数か月前にあるスピリットが私に、いつか物質化して出てサインして見せますと約束していた。それを私の目の前で果たしてくれたのである。

 その日、実験会が始まって二、三分すると、この種の物理実験につきものの冷たい霊気が漂うのを同席した他の四人の列席者と共に感じた。霊界の技術者が物質化に必要な霊的エネルギーを凝縮してキャビネットの中に蓄える操作をする、その過程の一環として冷風が生じるのだと聞かされた。温度が下がるのが明確に感じられた。

 やがてキャビネットの中から小さい白い手が現れた。これは現象を担当しているエセルという女性司配霊のものだという。続いてそのエセルの優しい声がして「私の顔が見えますか」と言うかと思うと、キャビネットの前に、目も眩まんばかりの白く美しい姿が現れた。その時、以前にもしばしば目撃したことだが、部屋の証明は赤色光を使っているのにエクトプラズムで出来た衣服が雪のように白く見えた。赤色光を反射していないのである。

 エセルは自分の美しい容貌を見せようとする。こう言っては何だが、霊媒のボルト夫人とは全然似ていない。ボルト夫人も美しい方であるが、それがエセルとは比べ物にならないことは夫人自身が真っ先に認めるところであろう。

 エセルは進み出て、われわれ列席者の一人一人と握手をした。柔らかく、そして温かい手だった。どこをどう見ても完全な生身の人間であった。私と握手した時、エセルは腕のあたりの(エクトプラズムの)
が私の肌に接触するのを敢えて差し止めようとはしなかった。私が手に取ってみてもいいかと聞くと、どうぞと言う。そこで手にとってしげしげと見たのであるが、それはいかなる絹よりもはるかに柔らかい、紗のようなキメをしており、感触はクモの巣にでも触っているみたいだった。

 列席者の中にケイラードと言う夫人がいて、亡くなられたご主人のビンセント・ケイラード卿 Vincent  Caillard  が物質化する予定になっていた。ケイラード卿と言えば英国工業連盟の会長をしていた著名な実業家であった。私は生前に直接お会いしたことはないが、ロバーツ女史やこのボルト夫人の交霊会で声だけは耳にしていた。それでキャビネットから聞こえるビンセント卿の声はすぐそれと知れたのであるが、何といっても一ばんの証言者は奥さんであった。キャビネットの中から奥さんにこんなことを言った。

 「せい一杯やってるところだ。興奮気味のせいか、どうも難しい。もうすぐ出る。光に耐えられるよう、もう少し力を蓄えさせてほしい。」このセリフを聞いていると、霊界の技術者がいろいろと面倒を見てくれるだけでなく、物質化する本人も相当努力がいることが分る。

 続いてビンセント卿は私の名前を呼んで「今日はお約束を果たしますよ」という。そしてすぐそのあと、今度は奥さんに「すっかり準備が整った。十二分だ」と言ってから、「神よ、力を授け給え」と真剣に祈る声がした。

 やがてキャビネットからビンセント卿が出て来て(キャビネットの)カーテンの前に立った。支配霊のエセルより数インチほど背が高い。六フィートもあったろうか。容貌は口ヒゲまで完全に物質化していた。まず奥さんを生前使っていたニックネームで呼んでから、キャビネットの脇にあるバラの花のところへ歩を進めた。奥さんが持ってきたもので、鉢に入れてテーブルの上に置いてあった。「私への花だ」うれしそうに大きな声でそう言ってから、きれいに物質化した手で鉢から二本取り出して奥さんにここまで来なさいと言う。奥さんが近寄るとその花を手渡し「こうしたことも、これが最後だ」と言ってから、まず奥さんの手を取り、それから全身を抱きしめた。

 ケイラード夫人はかつてローマカトリックの教会員として活躍していた時にご主人を失い、その悲しみからスピリチュアリズムに入った。ご主人が立派に生きているという証拠はその後数多くの霊媒と各種の現象を通じて積み重ねられていった。が物質化して出て来たのはこの時が初めてで、以前からの約束を果たすためであった。

 抱き合った二人がその場で繰り広げたシーンは、私など第三者がいては悪いような気さえするほどだった。他界した夫とこの世の妻とが再開した、正に最高最大の人間的ドラマというべきで、二人の情は最高潮に達していた。物質化したビンセント卿は夫人に何度も口づけをし、その合間合間に愛と励ましの言葉をささやいていた。

 この再開の日が遠くないことはそれまでの交霊会で奥さんに予告してあったが、その日も又同じことを言った。それは五か月後に奥さんの他界という形で実現したのだった。

 話は戻って、その抱擁が終わって奥さんが席に戻ると、ビンセント卿は私たち一人一人と握手を交わした。司配霊のエセルと少しも変わらない、本物の手のようだった。それは、握手をした時に卿がもう一方の手で私の手の甲をピシャリと叩いたことで如実に感じられた。正に男の手だった。実験会の始めに握手を交わしたエセルの手よりはるかにごつかった。

 やがて卿は〝エネルギーの補給〟のために一たんキャビネットに戻らなくてはならなくなったと言い、キャビネットに入った。再び出てくると、奥さんが付けている腕時計に目がとまった。それは奥さんが卿のために特別に作らせたもので、少し出っ張ったボタンを押すと、まず何時、次に何分、とチャイムが鳴って知らせる仕掛けになっており、暗がりでも時刻が分かるようになっていた。

 「見て、あなたの時計よ」奥さんがそう言って腕を差し出すと、ビンセント卿の手がボタンを押した。するとチャイムが時刻を告げた。

 次に卿は私に、サインをするからノートを貸しなさいと言う。サインをする約束は以前の交霊会でしてあった。私は交霊会でノートをとる時はいつも点字用ノートを使用していた。線が浮き上がっているので暗がりで書くのに便利なのである。

 私はキャビネットの方へ進み出てノートを差し出した。が書き始めると、どうも隆起があって書きにくいとこぼし、普通の用紙がいいと言うので私がそれを渡すと、奥さんが鉛筆を手渡した。そうして私がノートを手で支え、その上に用紙を置いた。書く前に卿は「今おぼろげに、いずれそのうち差し向かいで」と言った。

 それからついにサインをした。「これで約束を果たしましたぞ」と言うので、「たしかに」と私は答えた。それから、キャビネットから客席の方へずっと進み出て、完全に物質化したその姿を披露した。そして「すばらしい再会でした」と言った。

 これで終わったわけではなかった。私は前に出てボルト夫人のもう一人の背後霊で黒人の少女のアイビーに会うようにと言われた。アイビーのところへ行くとオモチャのピアノを見せて、これを弾きたいから持っていてほしいと言う。私が持って立ち、言われるようにした。アイビーの背は私が膝立ちの姿勢と同じ高さだった。見ると黒い顔、白い歯、分厚い唇、ピンク色の舌がはっきりと見えた。

 これで三人の物質化像が一つの実験会に出現したことになる。三人三様で、しかもくっきりとした像だった。

 エステル・ロバーツ女史の司配霊が非常に印象的なデモンストレーションを見せてくれたことがある。女史の実験会で物質化現象が起きるのは珍しいことである。

 司配霊のレッド・クラウドが蛍光塗料を塗った二個の飾り額と赤色の懐中電灯を用意するようにと言うので、部屋の隅をカーテンで仕切って即席のキャビネットを拵え、その中に用意した飾り額と懐中電灯を置いた。

 又しても私がキャビネットの中と部屋中を点検するよう要請された。要請に応じて一応点検して回ったが何一つ変わったところはなかった。点検が済むとロバーツ女史がキャビネットの中に入って早速入神した。入神するとすぐ物理現象が起き始めた。二つの飾り額がキャビネットの中からふわりと出て来てカーテンの前を横切った。そして蛍光塗料でほのかに輝くその二つの飾り額の間に人間の顔のシルエットが見えてきた。その口あたりからレッド・クラウドの声がした。数えきれないほど耳にしている声なので間違うはずはない。

 その声がこちらに来なさいと言うのでキャビネットから二、三フィートのところまで近づいた。すると「手を出しなさい」と言いながら自分の手を差し出した。私も手を出して握手をしたが、その手はロバーツ女史の手でないことは疑いなかった。女史の手はほっそりとして女らしい手であった。私が握ったのはごつくて男性的だった。

 「髪に触りなさい」とレッド・クラウドが言うので手で触ってみると、それは長くて絹のような感じで、肩のあたりまで下がっていた。これは大切なことだった。というのは霊媒の髪は短くて固くてちぢれていて、すぐにカサカサになり易い性質だったからである。

 私は少なくとも六回は自分の席を離れて物質化したレッド・クラウドのそばに立った。そうして、そのうち二度は懐中電灯を顔に当ててはっきりとその容貌を確かめた。表情豊かな目をした、中々形の整った顔で、背はロバーツ女史より数インチは高いと判断した。


 最後に米国での体験を紹介しよう。米国を講演旅行していた時に、ペンシルべニアで物理実験に招待された。その時も霊媒と物質化像の双方を同時に見ることが出来た。双方を手で触ってみることによって、それが私の幻覚でないことを確かめた。

 霊媒はエセル・ポストパリッシュ Mrs.  Ethel  Post-Parrish で、私にとっては女史の実験会に出るのは初めてなので、前もって部屋とキャビネットを点検することを許された。キャビネットは部屋の隅をカーテンで仕切っただけの普通のものだった。現象が本物かどうかは現象を見ればわかることなのだが、一応、霊媒を得心させる意味もあって細かく点検した。

 部屋は奥行きがほぼ四十フィートもあり、中々いい赤色光で照明してあった。物質化像は全部で数人は出た。そして部屋の端から端まで歩いた。中でも特に目立ったのはシルバーベルという名のインディアンの少女だった。霊媒の司配霊で、主として物質化現象を担当しているとのことだった。シルバーベルは得意気に額に輝いている星印を見せ、長く編んだ黒いおさげ髪をこれご覧と言わんばかりに見せびらかした。その髪は色も性質も霊媒のものとは全く違っていた。

 私は部屋の一ばん端にいたのであるが、シルバーベルはそこまで歩いて来た。そして私の手を取ってキャビネットのところまで連れて行った。それからキャビネットの中に招き入れて、霊媒がちゃんとそこにいることを確かめさせた。確かに私はそこにポストバリッシュ夫人を認めたばかりでなく、シルバーベルが夫人の髪から足の先まで触ってみるように私に言う。その間シルバーベルはキャビネットの外にいた。結局私がいた位置は霊媒と物質化像の中間であり、双方を同時に見とどけ、同時に触って見ることが出来たわけである。

 私が確認を終わると、シルバーベルは再び私の手を取って席まで案内してくれたのだった。
 


   第十八章 超常現象が意味するもの

 以上、私は人間の死後存続の証拠の数々を紹介してきた。少なくとも私自身はこれはもはや疑う余地のない確たる事実であると考える。 つまり人間は死後も記憶と友情と情緒と愛を持ち続け、条件さえ揃えば、地上に残した愛する者たちを指導することが出来るということである。それを証明するありとあらゆる種類の証拠が披露されたと私は考える。要するに人間は、他の誰とも異なる特徴と個性と性癖を具えた一個の人間として死後も生き続けると言うのである。

 但し、証明されたのは、死後も意識をもって生き続けるということだけであることに注意しなければならない。問題の性質上、それから先のこと、つまり生命が永遠かどうかまではわからない。それを証明する手段がないのである。紹介したような現象から論理的に導き出されることは、死後にも生命があり、死によって突如として生命が消えて失くなるのではないということだけである。ただ、交霊会などで人間に働きかけてくるスピリットの中には、死後間もない人間よりはるかに秀れた高級なスピリットがいるという証拠がある以上、死後に向上進化の法則があると推測しても決して間違ってはいないと思う。

 スピリットたちが語るところによれば、死後の進化とは人間的な煩悩を少しづつ洗い落とし、魂の内部に宿る神性を開発していく過程だと言う。またその過程は完成へ向けての永遠の営みであるという。一つの目標まで到達すると次の目標が見えて来る。そこに、知性的にも霊性的にも終局というものがない。知れば知るほど、さらに知らねばならないものを自覚する。知識に限界がないのである。

 読者はこうした説を単なるスペキュレーション(思考)の産物と思われるかもしれない。が、その説はすべて、死後存続についてこれまで紹介した通りの徹底した証拠を見せてくれた高級スピリットから得た通信(メッセージ)にその根拠を置いているのである。

 では動物はどうなるのだろうか。人間と同様、人間に可愛がられた動物が死後その姿を見せた例は沢山ある。特に犬と猫の死後存続の証拠が一番多い。時には、特別大事にされた馬とか猿、鳥などの例もある。私自身飼っていた動物が死後も生きている証拠があるので、あの世できっと会えることを確信している。今も我が家のあたりで暮らしている証拠をたびたび見ている。人間とともに暮らした動物たちが死後もそのつながりを維持できるということはうれしいことである。動物なしでは生きていけないほど可愛がっている人々にとって、もしも動物に死後の生命がないとしたら、天国もその人々にとっては天国でなくなるであろう。

 死後に生き続けるのは個的意識を持つ存在である。動物を可愛がっている人は、その動物にも人間との接触の結果として個的な意識を持つようになることを知っている。どうも人間と動物との係わりあいによって動物の方が、それまでもち合わせなかった個性をもつようになるようである。あるいは潜在していた個性を刺激するということなのかも知れない。つまり、その両者の愛情関係によって、犬や猫に〝人間らしさ〟が出てくるのである。そうした関係は、もしかしたら、宇宙生命の進化の過程における人間の役割の一つなのかもしれない。

 実はその〝人間らしさ
こそが動物の死後存続の重要な要素となっているのである。つまり人間に愛されて個的意識をもつようになったペットが存続し、その他の動物が死後個的存在を失ってしまうその違いの原因は、その〝人間らしさ〟にある。適当な用語がないので後者を仮に〝下等動物〟と呼ぶとすれば、そうした下等動物はペットがはっきりとした人間的意識に近いものを持って死後も姿を見せるのにひきかえ、どうやら一つのグループ存在として存続しているようである。

 だからといってペット類が死後人間と同じ進化の過程を辿るのではない。少なくともスピリットからの通信はそうは言っていない。つまり人間のように個性を完成させていく過程をいつまでも続けるのではない。動物愛好家は残念がるかも知れないが、その最後の別れの時は何百年何千年も先のことであるらしいから、そう残念がる必要もないであろう。最も霊界には地上的な時間は存在しない。右の数字は地上の年数でおよその観念を伝えたに過ぎない。

 進化について語る上で再生問題を抜きにすることはできないので、私なりの意見を述べておきたい。これはスピリチュアリストの間でも異論の多い問題で、だからといってこの問題を避けて通るわけにはいかない。

 大きく分けて〝再生はある〟と〝再生はない〟の二派に分かれる(注18)。面白いことに霊界のスピリットの間でも同じように意見が真っ二つに分かれており、否定派はそう言う事実を実際に見たことがないと言い、肯定派は実際に再生していると主張する。私には両者ともそれなりの理屈があるように思える。

 肯定派の泣きどころは、自分は誰それの再生だと言っても、一点の疑惑がないまで其の前世を証明するものがないという点である。証拠はこれだと言って出されたものを私は全部目を通してみたが、どれ一つとして反論の余地のないものは見当たらなかった。他の解釈が可能なものばかりなのである。そのもっとも単純なものとしては、これまでに何度も出て来た司配霊という解釈がある。交霊実験会では必ず司配霊が出て来る。再生の証拠と言われているものでも、実際には無意識のうちに背後霊に司配されているという説明も出来るわけである。

 司配の仕方にも、本人もそれと気づかないインスピレーション
式のものから、一時期、ないし半永久的(死ぬまで)の憑依現象まで、いくつもの段階がある(注19)。前にも紹介した友人のカール・ウィックランド博士は奥さんの霊媒能力を利用して精神病者に憑依しているスピリットを取り除くことによって治療する方法を三十四年間も続け、それを一冊の本 Thirty  Years  Among the Deadにまとめている。

 次に自国または外国で、たしかここには一度来たことがあるようだが・・・といった回想は多くの人が体験しているが、初めて来た場所の記憶があると言うだけでは、前世でそこに住んでいたという証拠にはならない。脳がそれを認識する前に心が意識したのだという心理学的解釈でも説明がつく。もう一つの解釈は、幽体離脱による体験である。幽体離脱現象は実際にあることであり、その間にその土地を訪問していたということも充分考えられることである。

 再生を肯定する人が実は自分の現在置かれている境涯に対する不満を紛らわすためにそう信じている場合が多いことは、残念ながら事実である。つまり前世ではローマの剣士であったとか、エジプトの王妃であったと信じることによって自我の満足を得るのである。

 しかし特殊なケースとして、自発的に再生してくる者がいることは私は信じたい。〝カルマ〟の法則による否応なしの再生ではない。この法則はもともとこの世の不公平や不正の存在理由として、またいわゆる因果応報の働きを効果的に説明する手段として考え出されたものである。私が得心がいかないのは、前世でおろそかにしたことをこの世で償うために再生するとしても、人体に宿ったあと、何の目的で生まれて来たのか意識できないようでは、果たして再生の意味があるのだろうかという点である。また、前世で極貧の生活を送った人が大富豪の家に生まれることによって、一体どういう具合に霊的な問題が解決されるのか、私にはわからない。

 また私は天才とか神童とかを再生説で片付けることには賛成できない。人間というものは遺伝的な特質の外に未知のX(エックス)─霊的要素をもって生まれてくる。そのXは両親の産物でもないし先祖の産物でもない。両親から授かった身体に宿りそれを動かす神的霊性である。神聖であるから無限の要素を秘めている。霊的な尺度で見れば子供の方が両親よりも、祖父母よりも、あるいは曽祖父母よりも上かもしれないし、あるいは下かもしれない。

 思うに、天才とか神童とか言われている人間は、これから人類が達成していく進化の先ぶれであることが十分考えられる。同時に又次の例のように簡単に説明のつくものもある。

 私の友人のフロリゼル・フォン・ロイター Florizer  von.Reuter はいわゆる音楽の神童で、そのバイオリンの技はヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こした。わずか十歳になるまでに全ヨーロッパの国王と女王の前で演奏したほどの天才であったが、彼には実に興味深い心霊的な逸話が残っている。

 フロリゼルの両親は彼が生まれる二、三カ月前に離婚していた。母親は生まれくる子に夢を託し、父親とは全く異なった特質を持つ子が生まれてくることを祈った。その母親が理想としたのは、かの有名なバイオリンの名手パガニーニだった。そう決めた母親はフロリゼルがお腹にいる時から、どうかパガニーニの霊がこの子を司配し霊気を吹き込んで下さいと、一心にそして熱烈に祈った。その祈りが届いたのであろうか。フロリゼルが天才バイオリストになれたのは母親の祈った通りパガニーニが司配したからであろうか。

 後年になって母親とフロリゼルがスピリチュアリズムに興味をもつようになってから何度か交霊会に出席するようになったが、何人もの霊媒が、右の話を知らないのに、パガニーニが出ていますと告げている。

 私はスピリチュアリズムによって人生の問題のすべてが解決するなどと言うつもりはない。がスピリチュアリズムによって解決する問題は確かにある。死後の存続という事実を証明したことで、人間が霊的生得権と霊的宿命を持った霊的存在であることが証明された。つまり人間は身体をもった霊的存在であって、霊をもった肉体的存在ではないということである。この両者の間には大変な違いがある。

 人間は確かに生涯を通して肉体をもって自己を表現しているが、その肉体が自分なのではない。その証拠に、「私の身体の調子が悪い」という意味で「私はどうも調子が悪い」などと言う。従って、こんなことを言ってはおかしいが、健康について聞かれた時の返事は「私はリュウマチで困ってるんです」ではなくて「私は健康なんですが私の左肩がリュウマチなんです」とでも言うのが正しいのである。

 鏡で見る姿はあなた自身ではない。出産証明書は本当のあなたを証明しているのではない。あなたの身体的存在を認識するための名前を記録しているに過ぎない。

 幾多の自然界の秘密をあばき、海底を探り、宇宙へ飛び出し、実質的には地球のすみずみまで知り尽くし、一発の爆弾で広大な土地を破壊することの出来る人間、創造の頂点、万物の霊長とまで言われている人間、その人間が未だに自分自身を知らずにいる。人間の手になる素晴らしく且つ恐ろしい発明発見は、のどかさと平和と静けさをもたらすどころか、恐怖と不安を増すばかりである。

 人間は以前より一層未来に不安を抱いている。物質的には確かに裕福になったが、霊的には破産に瀕している。地球についての知識は大変なものだが、自分自身については恐ろしいほど無知である。古い言葉に「汝自らを知れ」とあるが、人間はまだ自分自身を知るに至っていない。

 原子力の発見で人間は史上最大のクエスチョンマークを背負うことになった。一方で素晴らしい恩恵をもたらしてくれることを望みながら、他方では、反対に何百万もの人間が一度に滅びる大悲劇を生むかもしれないという恐怖におののいている。正に断崖絶壁を危なっかしい足取りでヨタヨタと歩いている感じがする。
 
 何故こうした問題が出るのかといえば、科学の進歩が人間の霊的成長を追い越したからに他ならない。人間が科学の生み出す力に対応しきれる段階まで霊的に成長しきっていないということである。

 その科学上の発見はとてつもなく恐ろしいものもあれば、実に驚異的なものもあるが、それほどのものを生み出した人間が、いまだに生命の神秘を捉え切れずにいる。生命あるものは顕微鏡的な極微なものすら造れない。原子爆弾を造れるとは科学者も大したものとは思うものの、その科学者はノミ一匹造れないではないか。

 さて、生きている人間と死んだ人間とはどこがどう違うのだろうか。見た目にはまったく同じである。が、ついさっきまで鼓動していた心臓はなぜ止まったのか、なぜ脈を打たなくなったのか。なぜ呼吸しなくなったのか、なぜ四肢が硬直してくるのか。

 ほかでもない。身体を動かしていた何ものかがいなくなったからである。活力の根源がなくなったのである。その動力なしには身体とその器官は動かないのである。その非物質性の動力が霊であり、全生命のエッセンスなのである。言語を超越したものを言語で定義することは不可能である。霊とは生命の原素そのものと言っておこう。

 心霊的証拠によって、人間が死後も個的存在として生き続けることが明らかとなった。死によって霊性が賦与されるのではない。肉体は分解して土と化す。言いかえれば、もはや目に見えない各種の元素に還元してしまう。活力を賦与していた霊が、次の目的のためにどこかへいってしまったからである。

 肉は霊に劣り、霊は肉に優る。肉は従者であり霊が主人である。肉体は単なる機械であり、霊こそその人そのものなのだ。考えてもみるがよい。せいぜい七十年、八十年、あるいは九十年の限られた存在期間しかないものが、それに生命を賦与し、それが土と化したのちもなお生き続けるものに優るはずがないのである。

 われわれ地上の人間は地上の出来事を支配する物理的法則をすでに数多く手にした。一方、心霊実験によって霊媒を媒体として発生する現象を支配する心霊的法則があることを知った。そうなると、霊的世界を支配する霊的法則があるはずだと想定しても間違いではない。この論理をさらに進めると、その法則によって動いている全大宇宙を支配する無限大の知性の存在を仮定せずにはいられない。有限なる存在に無限なる存在は所詮理解できない。がこの大宇宙機構の創造者として無限大のスピリットの概念がどうしても生まれてくる。

 それがスピリチュアリズムでいうところの神である。神格化された人間ではない。一部族の神でもない。まして人間の姿恰好をした神ではない。すべての民族、すべての創造物、果てしない宇宙のすべてを支配する神であり、いかなる宗教や国家の専有物でもない。どこかの宗教の神のように、えこひいきしたり、怒ったり、妬んだり、復讐したりの、そんな人間的煩悩を具えた神ではない。

 「神は人間を自分に似せて作り給うた」という。そう思い込んで以来、人間はその恩を返すべく神に媚びてお世辞ばかり言ってきた。似せて作ったのは身体のことを言っているのではない。霊性のことを言っているのである。神と人間とは霊的につながっていることを言っているのである。今も、そして死後も、人間は永遠に神の統体としての一部(注20)なのである。神の一分子が物質に宿り、生命を賦与したからこそこの世に生まれてきたのである。そして次のステージのために各種の体験を積みながら霊を鍛えて身支度をしているのである。

 いついかなる時も人類は神と結ばれている。その霊的関係は誕生、生、死、そして死後と、一貫して続く現実である。切ろうにも切れない永遠のつながりである。その関係があるからこそ〝人間は小型の神〟という表現が成り立つわけである。その内部に宿された神性をどこまで発揮できるかは本人の自由意志に任せられている。潜在的には無限の可能性を秘めていることは間違いない。イエスが「天国は汝の内にある」と言ったのはそのことを言ったのだと私は信じている。もちろんこれには「地獄もまた汝の内にある」と付け加えねばなるまい。

 人間は自分の行いによって運命を築き、あるいは傷つけ、自分自身の天国を拵え、あるいは地獄を拵えている。霊的進化は自分が決定する。それには国家も生まれた場所も地位も財産も職業も関係ない。因果律という自然法則が働くのである。人間は自分というものを自分の行為によって自分で拵えている。人格の向上、これは実質的には霊的成長のことなのだが、その機会はすべての人間に訪れる。

 善行を施すのに特別に有利な立場というものは無い。自我を棄て、人を思いやり、慈しみそして親切にしてあげる心は、金持ちだから貧乏だからということとは関係ない。人格的ないし霊的向上に関する限り、人間は自分が蒔いた分だけ刈り取るのである。強欲な人間が聖人になれるわけはない。強欲から聖なる心は生まれないからである。

 従って人間は死ぬ時までに成就した霊的人格を携えて霊界の生活に入る。このことに例外はあり得ない。いかなる口実もごまかしも利かない。自然法則は枉(まげ)られないのである。いかに霊格が高そうなふりをして見ても通用しない。

 霊界の尺度は地上とまったく異なるので地上的基準は通用しない。地上では本当の自我を発揮するチャンスが滅多にないので、実際とは違う人間を装うことも可能である。本性を隠すことが出来るわけである。が死はすべてのマスクを剥ぎ取り、本性が白日のもとにさらされる。

 因果の理法、つまり因果応報の原理は、死の床でいかに後悔しても、いかなる経を唱えても、いかに聖なる儀式を行ってみても、またそれらをいかに熱烈に誠意を込めてやったとしても変えられるものではない。牧師と言えども僧侶と言えども宗教学者といえども、その法則の働きを変える力を持つ者はいない。

 「神はごまかせない」
のである。聖職者の肩書のあるなしも関係ない。肝心なのは生きてきた人生だけである。聖典と銘打たれている書物からの言葉をいくら繰り返しても宇宙の法則は変えられない。教会や礼拝堂、寺院、あるいは教会堂などにいくら真面目に通っても何の効果もない。何百万あるいは何億という人々が宗教と思っているものでも、それをただ信じるだけでは何の価値もない。それを信じることによってその人がよりよき人生へ鼓舞されてはじめて価値を発揮するのである。従って、あくまで個人的な、現実に即した日常の実践であらねばならない。自分のすることに自分自身が責任を取らねばならない。

 死によって罪深き人が聖人に変わることもないし、うすのろが聖賢に変わることもないし、愚か者が哲人になるわけでもない。

 人間は本来霊的存在であるという、この、実験会の証拠から導き出される自覚は、究極的には地上の人生の観方を一変させてしまうほどの驚異的事実と言えよう。人類はこの宇宙間で置かれた己の位置と生きる目的とを理解することによって、そこに新しい価値感覚を見出すことになるであろう。

 地上の何億もの人間が空虚な生活を送っている。生きる目的を知らぬが故に、いたずらに影を追い幻を求めている。実質的に彼らの全意識は肉体に焦点が置かれている。そして永遠の実在である霊的自我をほぼ完全になおざりにしている。物質にそそがれているその努力とエネルギーの何分の一かでもいいから、内在する神性の開発に振り向けてくれれば、地上はずっと住みよい場所になるであろう。暗闇の生活を送っている何百万もの人間が霊的な光の中で暮らすことになるであろう。

 が現実は、大半の人間が死後の生活に対して何の身支度もしないまま死んで行く。どんな環境が待ち受けているかも知らずに死んでいく。その環境に適応できずに迷い続ける無数の霊魂の存在を想像するとゾッとする。彼らは地上と言う学校の落第生なのだ。

 自分が霊的存在であるという自覚が目覚めると、その時から物事の価値観が一新され、人生の視野が一変する。いかなるキズも真の自分を痛め続けるものではないと知れば恐怖心も悩みも消える。さらに常に神と共にあるという意識は、必然的に、内なる神性を磨くことによって弱った時には力を、危機にあっては導きを、困難の中にあっては援助を授かるのだという信念を生む。

 それは更に、教訓というものが陽の当たる場所と同時に日陰にもあること。楽しさの中だけでなく苦しみの中にもあること、よろこびの中だけでなく悲しみの中にもあること、平和の時だけでなく嵐の中にもあることを悟らせる。一つ一つの経験がそれなりの教訓をもたらし、永遠の財産である霊格を高めていく。

 今や人類の最大の敵は唯物主義である。あらゆる階層、あらゆる国家を蝕む悪性のガンである。死後の存続と、その事実から割出されるもろもろの意味合いを理解すれば、唯物主義的考えに陥ることは決してない。スピリチュアリズムと唯物主義とは全く対照的な考えである。利己的な人間は結局は自分の利己主義の代償を支払わされるとスピリチュアリズムは説く。権力と富への欲望が、その獲得のためにどんな苦しい思いをさせられても、いつの時代にも無くならないのは、それによる霊的な報いを知らないからにほかならない。

 権力や富は確かにおべっかと敬意をもたらしてくれる。がそれも束の間の話である。死んでしまえば独裁者も守銭奴も大食漢も大富豪も、その欲望にピリオドが打たれる。善行それ自体が報酬であるように、利己主義はそれ自身がそれ相当の罰をもたらす。

 スピリチュアリズムの知識が広まれば、やがて個人的対立も国内の対立も国際的敵対関係もなくなり、それに代わって協力精神と相手の立場を思いやる心が芽生えるであろう。神から授かった神性を有するが故に、霊的自由こそ人間の絶対に奪うことの出来ない権利であるという認識がうまれよう。人間生活を傷つけ、霊の成長を妨げる不浄なるもの無用なるものが完全に取り除かれることであろう。なぜなら、魂は自由であらねばならないと同時に、魂の宿であるところの肉体は、輝く宝石がそれに相応しい小箱を必要とするように、魂の成長に相応しい環境を必要とするからである。

 人間関係のすべてが、(物的生活の必需品ではなく)霊的必要性を考慮する方向で変わっていくであろう。肌の色、信条、人種、言語、国家の違いも、人間の霊性の認識によって何の意味も持たなくなるであろう。程度こそ違え、本質的にはまったく同じ質の霊が世界のすべての人間に宿っている。この永遠に消えることのない神とのつながりは、血縁関係よりはるかに強い。血族関係は死と共に消えるが、霊的関係は永遠に続く。

 理屈は簡単である。神は全人類をたった一つの霊で創造したのである。好むと好まざるにかかわらず、人喰い人種もニグロもアメリカインディアンもアボリジンも、そのほかありとあらゆる人種の人間が、肌の色の何たるかを問わず、みな霊的に身内であり友人なのである。神の家族の一員であり、神の子なのである。これこそ正に霊的国際連盟というべきである。

 そこには肉体的違いを超えた永遠の真実がある。たとえ殺し合っても相変わらずその霊的関係は存在するし、自分自身への義務も他人への義務もなくなるわけではない、戦争で死んだ人間は宇宙から消えてしまったわけではない。霊的存在として相変わらず生き続けている。かくして戦争は何ひとつ問題の解決にはならないことが分る。相手を別の次元の世界へ送り込むだけの話である。

  人間が自己の霊的潜在能力を自覚すれば、人生に豊かさと威厳と輝きと気品が出るであろうし、一方国政を与る者や高い地位にある者が霊的真理を理解すれば、新しい秩序が生まれてこよう。そうすれば、かつての改革者や先駆者、殉教者たちが抱いた夢が実現し、地上天国が生きた現実となろう。人は隣人とともに、そして何よりも自分自身に目覚めて、平和な生活を送るであろう。
 その時こそ霊の力の荘厳さが発揮される時なのである。

(注18)細かく分ければ再生を肯定する説にも〝部分的再生説〟〝全部的再生説〟〝創造的再生説〟の三つがある。
(注19)一時的なもので正常なものが霊媒による入神状態であり、異状ないし病的なものに殺人とか自殺がある。半永久的なものというのは主として精神異常者に見られる。
(注20)それ一つ欠いても統体ではなくなる、つまり完全でなくなるという、不可欠の存在。

  
  第十九章 宗教界による弾圧

 一人の人間が宗教をもつという場合、それがどの宗教になるかは、普通その人間がどの国に生をうけるかによって決まる。例えば英国国教会の教義を熱烈に弁護する人間も、もしインドに生まれていれば、同じ熱心さでヒンズー教を弁護するであろう。

 宗教について全く偏見のない人間はいないし、自分の宗教を弁護しない人間もまずいないであろう。大方の人間にとっての宗教は、成人後によほどの精神的ないしは霊的体験でもない限り、子供時代に植えつけられたものが基盤になっているものだ。

 子供は教えられたものを疑うことなく受け入れていく。弾力性と融通性に富む精神は、大人が真剣に説いたことを真理として、文字通りに受け入れてしまう。それが時と共に潜在意識の中に組み込まれていき、何時しかその教義が反射的に働くようになる。後年に至っても、よほど異質の体験でもない限り、宗教についての疑問にたいしては子供の時に定着したその教義が、ほとんど機械的に反復されるだけである。

 そうした固定観念は年を取るほど捨てにくくなるものである。その傾向は聖職者において著しい。エディンバラの神学者ジョン・ラモンド師 Rev.  John  Lamond は晩年になってようやくスピリチュアリズムの真実性を認めた人であるが、師にとっては厳しい反省を迫られる大問題だったようで、突きさすような鋭い眼差しで私を見つめながらこう語った。

 「スピリチュアリズムに身を委ねるということは<信仰深きお歴々>から白い目で見られる、本当に辛い思いの中での決断でした」

 宗教家がスピリチュアリズム思想に接した時の態度は、医学者が心霊治療に接した時の態度によく似ている。大学で学んだことと何もかもが矛盾するために戸惑うのである。交霊会で起きる現象はどうしても神学と相入れない。正統派的観点に固執しているので、それ以外のものに接すると、忠誠心を試されているように感じるのかも知れない。

 したがって、交霊会で起きることが実は自分が帰依しているバイブルの奇跡とまったく同質のものなのに、それを〝新たなる啓示〟として認めることが出来なくても、あながち驚くにはあたらない。

 思うに、聖職者は、自分で気付いているかどうかは別として、それまでに受けた神学上の教育によって、スピリチュアリズムに対して潜在意識的に嫌悪感を抱いているらしいのである。したがって、聖職者に対して感情的にならずにスピリチュアリズムを検討してくれることを望むのは、どだい無理な話である。

 例外はある。聖職にありながらスピリチュアリズムの擁護者として、あるいは闘士として活躍した人がいたし、今でもいる。そういう人は自分自身が霊能者であるとか、結婚した相手の家族に霊能者がいたとか、あるいは個人的なことが原因で死後の生命の証拠が欲しくて真剣に取り組み、それを見事に手にした、といったケースである。

 私がひじょうに驚いたのは、ある大聖堂参事会員が「死後の生命を証明して見せてくれたら百ポンドあげる用意がある」と私に言ったことである。私は言った──
 「あなたは大聖堂参事会員でいらっしゃる。死後に生命があることは当然信じておられるはずですから、証拠などいらないでしょう」
 すると彼いわく──
 「勿論かつては信じていましたが、今ではあまり自信がないのです。妻を亡くしてからは、わかる者なら知りたいものだと思っているのですが・・・・・・」

 仕事がら聖職者は、当然、霊的なことについては専門家であってしかるべきなのに、死後の生命についての彼らの無知はあきれるほどである。彼らは毎日のように死への心構えを信者に説き、愛する者を失った人々に慰めの言葉を掛けているはずである。なのに、なぜこの有様なのか。やはり、最初に植えつけられた神学的観念が、死後存続についての新たな理解を妨げているのである。

 実は英国国教会は二年間にわたってスピリチュアリズムを本格的に調査・研究しているのである。が、その報告者が上層部から発表を禁じられたのである。それをこの私がすっぱ抜き、心霊史上に発表したのだが、もしそうしなかったら、そのまま永遠に埋もれていたであろう。私は、もしもその報告書の内容がスピリチュアリズムにいとって不利なものであったなら、決してランベス宮(カンタベリー大主教の官舎)の整理棚にしまって置くことはないはずだと主張し続けたのである。

 実は国教会内で構成されたスピリチュアリズム調査委員会がまだ調査中で、報告書が作成されていない段階でのことであったが、スウェーデンのルーテル派の牧師リリェブラード氏 Rev.  M.  Liljeblad が、大司教のラング神学博士 Dr. C. G. Lang に、英国国教会のスピリチュアリズムに対する態度についての報告を求めた。

 私はその後、直接リリェブラード師をスェーデンのご自宅に訪ねて、ラング大司教からの返書を見せていただいた。それにはこうあった。

 「スピリチュアリズムの思想も現象も、英国国教会においては許しもしないし奨励もしません」云々・・・・・・

 ついでに言うと、このラング博士が言外に見せているスピリチュアリズムへの敵意はその後も続いた。それは、心霊治療に関する大主教付調査委員会の報告者の中でハリー・エドワーズ氏が提出した治療例を発禁処分にしたばかりか、スピリチュアリズムを無意味なものとして故意に印象づける態度に出ていることからも明瞭にうかがえる。

 そもそも国教会がスピリチュアリズム調査委員会を設置したのは一九三七年のことで、国教会きっての大物であるテンプル神学博士 Dr.  William Temple がヨーク大主教(注21)であった時のことである。当時ロチェスターの参事会員で、後に主教となったアンダーヒル神学博士 Dr.  Francis Underhill と、心霊体験の豊富なロンドンの牧師エリオット氏 Rev.  M.  Elliott の二人がテンプル大主教に、そろそろ国教会もスピリチュアリズムを本格的に調査・研究すべき時期に来ている、と強く申し入れたところ、よかろう、ということになった。

 これは実に見上げた態度だった。そのわずか三年前にはテンプル大主教が、グラスゴーでの講演で「人間の死後存続を実験・研究によって証明することは絶対に望ましくない」と断言したばかりであり、それが大主教の長年の持論だった。それを一応さしおいてラング大主教と協議し、ついに十名から成る専門の委員会を結成したのだった。

 それから二年間にわたって霊媒を使った組織的な研究を行った後に、結論をだした。委員十名の内大きい影響力を持つ七名がそろって多数意見に署名し、残りの三名──うち一人は主教夫人、もう一人は主教秘書──は中立の少数意見に署名した。

 多数意見は全体としてスピリチュアリズムを肯定している。私の目の前にそのテキスト(注22)がある。署名を見ると前出のアンダーヒル博士の他にマシューズ博士 Dr. W. R. Mathews(セントポール大聖堂参事会員)、
ロンドンの法学院院長で参事会員のアンソン博士 Dr. W. R. Anson` オックスフォード大学教授で参事会員のノロス W. G. Nolloth` 著名な心理学者のブラウン博士 Dr. W. Brown` それに勅選バリスターのサンドランズ氏 P. E. Sandlands などの名前が載っている。

 報告書の内容をサイキックニューズ紙に公表したことで私は、ラング大司教から激しく非難された。確かに英国の新聞はその話題を大々的に取り上げたために、大主教はある有力なスピリチュアリストに頼んで、何とか騒ぎを鎮めてくれるよう協力を求めた。その人は国教会とスピリチュアリズムとの同盟を求める、一種の信心会の会長ストバード女史 St. Clair Stobart であった。

 が、マシューズ博士は報告書の発禁に公然と反対した。レンドール参事会員 G. H. Rendall も同じ意見で、次のような激しいことを述べた。

 「この調査委員会による結論の公表を禁止させた<主教連中>による心ない非難や禁止令や何かというと<極秘>を決め込む態度こそ、国教会という公的機関の生命をむしばむ害毒の温床となってきた。量見の狭い聖職権主義をよく反映している。こうした態度が生む怒りの程度と重さを真に理解している者はほとんどいない。自由な討議の禁止はいらだちを生むだけに留まらない。それは<聖職権主義こそ敵なり>というスローガンを潤色し、言い逃れの口実を与えることになるのだ」

 その後テンプル博士がカンタベリー大主教に選任された時、私は書簡で、ぜひ委員会報告を正式に公表するよう、何度もお願いした。書簡のやり取りは長期に及んだが、ついに平行線をたどるばかりだった。社会正義の改革運動では同じ聖職者仲間から一頭地を抜いている人物が、宗教問題では頑として旧態を守ろうとする。現実の問題では怖れることを知らない勇気ある人物から届けられる書簡が、ことごとく<極秘>か<禁>の印を押さねばならないとは一体どういうことだろうか。

 私は、報告書を公表することこそ、国教会は真理に目をつむって言い逃れと抑圧の道を選んだという非難を打ち消すゆえんではないかと迫った。しかし、動ずることを知らないテンプル博士は、報告書を公表しないよう働きかけた張本人が自分自身であることまで仄めかした。

 ここで不思議でならないのは、その書簡のやりとりの二年前には、テンプル博士自身がデイリー・ヘラルド紙 Daily Herald の記事の中で「今日のもっとも重要な疑問は、果たして神は実在するのか、また、はたして人間は肉体の死後も生きているのか、ということである」と述べていることである。その彼が、二年後にはこうして死後存続の証拠をひた隠しにしようとする。この、かつてのヨーク大主教、のちのカンタベリー大主教にとっては、その職務への忠誠の方が死後存続という真実への忠誠のほうよりも大事ということなのだろうか。

 私の持論は、宗教問題に限らず、人間生活のすべてにおいて、伝統的なものの考え方というものが新しい考え方の妨げになるということである。その固定観念が新しい観念の入る余地を与えないのである。いかなる宗派の信者にとっても、スピリチュアリズム思想を受け入れる上で、その宗教そのものが邪魔をするのである。

 さて、委員会のメンバーのうちの少なくとも一人が報告書をランベス宮の整理棚に仕舞い込まれたままにして置くことを由々しいことと思ってくれたお陰で、私はその報告書の主要部分を公表することが出来た。そしてその後、多数意見の大部分がそっくり公表された──国教会によってではない。スピリチュアリストによってである。その内容は、スピリチュアリズムはキリスト教と真っ向から対立するものと考えている人々に対する完璧な回答となっている。一部を紹介しよう。

 《きわめて重大な事としてよく指摘されるのは、スピリチュアリズムが多くの点において信心深い人々が抱いている高度な信仰の数々を再確認していること、さらには、そうした信心深い人々にとってもすでに意義を失ってしまった教義の真実性に新たな確認を与えていることである》

 次の部分はさらに意味深長である。
 《他界した友人がすぐ近くにいて、
霊界でも成長し続けており、その後も自分たちに関心を抱き続けてくれているという認識は、それを実際に体験した者にとっては、<聖霊との交わり>の信仰に新たな即効性と価値を与えてくれる以外の何ものでもないことは、確かに真実である》

 さらに言う──
 《確かに、福音書に記されている奇跡的諸現象と、スピリチュアリズムにおける実験によって確かめられた現代の心霊現象との間に実に明瞭な類似点があることは事実である。したがって、もしもわれわれが後者を科学的論述と証明が出来ないという理由で疑問視しなければならないと主張するのであれば、聖書の奇跡も、キリストの復活そのものも、同じく科学的証明が出来ないものであることを付記しなければならなくなる》

 国教会内部には、この報告書でもなお死者の霊の存在についての言及が慎重すぎるという批判があるほどである。

 多数意見は、最後のところで国教会が常にスピリチュアリストとの連絡を密にすることが大切であることを述べている。その意味でも、国教会が報告書の全文を正式に公表しないのは、国教会自身にとっても残念なことと言わざるを得ない。真理が真実の宗教を傷つけるはずはないのである。次の一文は本章を締めくくるのに最もふさわしいと考える。

 「わが国教会の最大の過ちは、神は紀元六六年まで世界の一地域、すなわちパレスチナにのみ働きかけ、それ以後は他のいかなる土地にいかなる働きかけもしていないという信仰をつくりあげてしまったことである」

 これはテンプル博士が自ら述べていることである。キリスト教の間違いを正直に批判したものであるが、委員会の調査によって神の啓示が現代に至ってもなお続いているという証拠を目の前にした時、彼は、その事実を英国国教会一般会員、ひいては世界中の人々に<極秘>にして置く方へ加担したのだった。

 (注21) 英国国教会はカンタベリーとヨークの二大教区に分かれていて、カンタベリーの方が上位。
    (注22) The Majority Report of the Church of England 

   
        第二十章 これがスピリチュアリズムだ

 霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人間には何時でも授けられるよう霊界で配慮されていると私は信じている。宗教成立の過程はいわば霊と物質との相互作用である。過去幾十世紀にもわたって霊力は絶え間なくこの世に働きかけ、受け入れる用意のある者、それを必要とする者には必要なだけ授けられてきた。バイブルは他の多くの聖典と同様、その霊の働きかけの一つの証である。その中の登場人物を予言者と呼ぼうと霊覚者と呼ぼうと、あるいは霊媒と呼ぼうと、それはどうでもよいことである。要するに彼らは高級な霊の力がこの世に働きかけた、その人間的通路だったわけで、彼等のまわりに起きた不思議なことや驚異的な現象が奇蹟だと言って騒がれたわけである。

 天の啓示は必ずその時代と土地に相応しいものが授けられた。が、いつの時代にも、時代の正統派をもって任ずる者たちによる反対に遭った。彼らは自分たちの宗教の儀文、教義、ドグマ、信条、儀式、慣行を守ろうとし、それが高級界からの新しい啓示の障害となった。新しい啓示は偉大なる霊能者に授けられるのが常で、その霊能者は衆目の前で心霊現象を見せることによって、まず民衆の注目をひいた。それからその現象の意味するもの、世界のすべての宗教の基本たるべき倫理的原理を説いた。

 やがて、そのリーダーが死ぬ。そして運動の硬直化が始まる。啓示が忘れ去られ、埋没し、仰々しい建造物の下敷きとなって行く。「霊は活かす」がしばし「儀文は殺す」にとって代わられる(注23)。かくして再び別の人物を通じて啓示を授ける必要性が生じ、この繰り返しが何度も何度も続けられた。霊的真理をもってする以外に人生の意味を理解することは出来ないからである。

 事は至って簡単なのである。世界のどこで何が起きても、それは自然法則の働きの結果でしかない。その自然法則を変えようとしたり阻止しようとしたり、無きものにしようとすることは、取りも直さず、それを支配している霊的存在を無視することである。もしも自然法則がそんなことで簡単に操られるとしたら、神は全知でもなく全能でもないことになろう。

 神の法則には過去も現在も未来もない。いつの時代も同じである。パレスチナを聖地などと呼ぶが、イギリスが聖地でないのと同様、そこだけが特別に聖なる土地であるわけではない。他の年に比べて特に神の御恵みを受けた年があるわけでもない。現在のパレスチナには二千年前の霊力の働きの証拠は見当たらない。聖地パレスチナのお蔭で霊現象が起きているのではない。今日のパレスチナを見るがよい。「霊的しるしと奇蹟
(使徒行伝のかわりに今や戦争の暗雲に被われている。ユダヤ人とアラブ人の間の紛争は主として宗教的イデオロギーの違いに起因している。

 同じことがインドのヒンズー教徒とイスラム教徒の間の分裂にもいえる。彼らは教義上の差異から分裂し、それが原因で〝聖戦〟が起きている。戦争にははたして聖なる闘いがあるのだろうか。

 神学がインスピレーションに取って代わる時、そこに生まれるのは不毛と兄弟ゲンカでしかない。霊は人類共通の要素であるが故に全てを一体化させる。神学は一宗教の専有物であり、それ独自の律法に基く信仰であるが故に、他の宗派との間の闘争のタネとなり、憎しみさえ生む。人間の気ままな考えから生み出された神学が、果たして霊的根源から湧き出るインスピレーションと同一次元で論じられるだろうか。

 近代スピリチュアリズムの勃興を、私はすべての宗教、すべての民族を一体化しようとする霊界の大計画の一端のあらわれと観ている。その証拠に、スピリチュアリズム的に観ればユダヤ教の霊とかプロテスタントの霊、ローマカトリックの霊、パブテストの霊、あるいはヒンズー教の霊などと言ったものは存在しないのである。

 死んで肉体を捨てると同時に迷いから覚めて、自分が霊的にはどの民族にもどの国家にもどの宗教にも属さないことを悟る。そして死後にも生命があるとの自覚が芽生え、何もかも地上で考えていたことと違うことを知ると、本能的に、わが愛する者たち、地上に残した者たち、自分と同じように何も知らずに明け暮れている者たちに、是非ともこの霊的真理を教えてやりたいと思い始める。

 そうした霊からの通信がここ百年余りの間に各種の霊媒現象を通じて送られてきた。まず自分の身元を証明することから始める。誰からの通信であるかを確認させる為である。身元が証明されると、新しい霊界の状況と地上とのつながりについて述べる。こうした要領で、愛のつながりが死の淵のかけ橋となって、近代スピリチュアリズムは無数の人々に新たな啓示を与えてきた。

 こうしたことが、暖炉を祭壇にしつらえた何の変哲もない家庭、それも何百万という家庭で起きている。別に仰々しい宗教的御殿などは要らない。大聖堂もいらない。ステンドグラスの窓もいらない。法衣もいらない。聖像や聖画を飾る必要もない。聖遺物なども置く必要はない。私は別にそういったものを軽蔑するつもりも騙すつもりもない。そう言ったものを身のまわりに置いたり飾ったりすることで美しさや心の平静、また多くの場合、信仰の証を見出す美的ないし情緒的欲求が人間にあることは私も知っている。ただ、いかに敬意を払うとしても、それは真の宗教とは何の係わりもないことだと言っているのである。

 神を賛美することも、礼拝することも、神に祈ることも、それなりにある程度心の欲求を満たしてくれるかもしれない。がそれによって少しでも神に近づけるわけではないし、霊性の自覚が生まれるわけでもない。

 私の観るところでは、霊界の意図は過去一世紀にわたってごく平凡な男女に霊的真理の証を授けることにあったし、今もなおそうであると考える。近代スピリチュアリズムの波がちょうど科学が人間をとりこにし始めた時期と一致したことを私は決して偶然ではないと観ている。ビクトリア女王時代は科学と宗教の絶え間ない闘争の時代であり、常に宗教が敗者であった。科学は物的証明の出来ないものは絶対に受け入れようとしなかった。宗教はただ信仰心と希望と信念に訴えようとするから勝ち目はない。勝ち誇った科学はますます唯物主義に傾いていった。五感で認識できないものは認めようとしなくなっていった。

 ところが現在はどうであろう。皮肉にも現代科学はどうしても非物質的分野に足を踏み入れざるを得なくなり、物質の根源はいかなる器械も捉え得ないほどの極微の世界にあると主張し始めている。それほど極微でありながら、原子には地球上に恐怖と破壊をもたらすほど強烈なエネルギーが秘められている。

 科学を無視した宗教は軽信と迷信を助長し、聖職者には魔力があるかに信じ込ませ、また多くの国で、宗教的独裁主義を助長する無知を生んだ。信者は疑うことは悪である、師が禁じた書物を読むと永遠の生命が授からなくなる、などと教え込まれた。

 科学を知らない宗教は信者を〝聖なる〟戦争に駆り立て、異教徒は、ここで死ねば魂が救われるのだという口実のもとに、次々と異端審問所と言う名の拷問室へ送り込まれた。

 又科学を無視した宗教は無限なる神が小さな一個の教会の占有物であるとか、一冊の本に無限の真理が盛り込まれているとか、あるいは又、神が特別に寵愛する選ばれた民がいるなどという愚かきわまる考えを生み、それが今なお続いている。さらには信仰は実践に優先する──つまり科学的教義を受け入れさえすれば魂は救われるのだと説き続けた。

 科学性のない宗教は又、選ばれし者だけが許される黄金色に輝く天国などと言う滑稽きわまる世界を想像し、あまつさえ、裁かれし者たちのための火炎地獄まで想像した。

 科学を知らない宗教はまた信仰に凝り固まった人間、他を認めることの出来ない人間、そして恐怖心をもてあそんで人を説き伏せようとする人間を生んだ。スピリチュアリズムの宗教的教訓がラジオやBBCテレビは勿論のこと、他のいかなる民間放送でも取り上げてくれる可能性はない。同じことがユニテリアン派(注24)にもクリスチャン・サイエンス(注25)にも言える。

 反対に宗教性を欠いた科学は一体何を成就したであろうか。核分裂の研究はついに人類を運命の岐路に立たせるに至った。科学は確かに多くの恩恵をもたらしてくれた。その発見や発明が人間の心を豊かにし、肉体も何かとラクが出来るようになった。

 通信がスピードアップされた。世界が小さくなった。余暇が増えた。もっともその余暇の使い方はヘタだが・・・。どこへ行くにも時間が短縮された。もっとも短縮されただけの時間の使い方もこれまたヘタだが…。平均年齢も伸びた。多くの病気を地球上から駆逐した。もっとも、新しい病気も出て来た。それは複雑な文明が原因であることは疑いない。食料も何倍にも増えた。が止まることを知らない人口の増加のため相変わらず各地で飢餓が発生している。

 倫理的ないし道徳的配慮を欠いた、宗教を知らない科学は、原子爆弾というものを拵えてくれた。自分たちの拵えたものをどう使うかは科学のあずかり知らぬことだ──科学者たちはこれまでそう弁解してきた。がもうそんな言い訳は通用しない。その影響があまりに大きく、あまりに恐ろしいからだ。唯物主義からスタートした科学も、今や物質の有形性についての考えを棄てざるを得なくなってきた。物質とは形のあるものという考えは一種の錯覚である。

 ここで思い出すのは、二十五年前ある霊媒現象の重要証人として出席したオリバー・ロッジが、この世は幻影であり霊界こそ実在界であると断言したことである。当時その答弁は軽蔑をもって迎えられたものである。が今や科学がその半分の真実性を証明してくれている。物が形あるものと思うことは錯覚であるということである。残り半分、つまり霊界こそ実在であるということも、やがて機が熟せば証明されるであろう。

 こうしたことがスピリチュアリズムとどういう関係をもつのであろうか。私はスピリチュアリズムこそ科学と宗教が手を結び協力し合っていくかけ橋であると信じる。言って見れば宗教的科学であると同時に科学的宗教なのである。死後の存続は科学的に証明できる。そして、その意味するところは極めて宗教的である。科学と宗教とが手を結べば──これまでそうあらねばならなかったのだが──人間の進化に驚異的な一歩を印すことになろう。

 スピリチュアリズムは本質的にはいかなる神学とも無関係である。係わりがあるのは真実の宗教、すなわち、すべての人間同士の霊的つながりと、人間に生命を賦与してくれた神とのつながりを如実に悟らしめる霊的事実を提供してくれる宗教である。科学は、霊的実在の証拠を基盤として人類向上のため、そしてまた、肉体だけでなく神性を秘めた統体としての人間全体が存分に発達できる環境を提供すべく活躍してくれることであろう。宗教はその科学の協力を得て、人間のすべてがより優れた啓示とインスピレーションを受けられるよう、霊性の開発という本来の機能を果たすであろう。

 斯くして人間は、自分とは一体何者なのか、何のために地上にいるのか、どういう人間になればよいのかといったことを十分に理解することによって、自分で自分を救うことが出来るようになる。その救いは霊的新生にある。すなわち自分が霊的宿命を背負った霊的存在であることを認識することにある。これこそ今日絶望の淵にあえぐ無数の人間にとっての大いなる希望である。戦争で疲弊し、心はひねくれ、疑い深く、そして迷い続ける人間は、そうした現代的病弊に処方した哲学と宗教とを求めている。

 現代人は古い信仰に完全に背を向けてしまった。すでに打破されたと見做している。型にはまった教えや伝統的教義では最早大多数の人間にアピールすることはできない。

 聖書では現代人の疑問に答え切れない。矛盾、危機、難問に絶え間なく悩まされるこの人生を導くのに、紋切り型の説教の繰り返しでは用をなさない、第一、聖職にあるものみずからが心ひそかに無力を感じている。明日は一体どうなるのかという恐怖におののきながら、現代人は当てもなく、あたかもコルクのように大海原を波に弄ばれながら、さ迷い続けている。しかも、その混沌たる視野の向こうには死の謎が待ち受けている。科学は自分たちを裏切った。と彼らは言う。宗教にも裏切られた。哲学は思索はしてくれるが、解決は与えてくれない。

 それをスピリチュアリズムは教えてくれる。神は常に神の証人を用意してくれていることをスピリチュアリズムは教えている。無知と迷信を追い払うべく、証拠つきの霊的知識を授けてくれる。生にも死にも、恐れることは何一つないことを教えている。死ぬことのない人間がなぜ闇の中に生きる必要があろう。霊的真理の光が生きる道を照らしてくれる。死んでも何一つ後悔することはない。なぜなら地上生活が無駄でなかったことを知るからだ。

 之こそが、かつてもそうだったのだが、〝しるしと奇蹟〟を伴った現代の啓示である。いやしくも理性を具えた人間ならば、人から説教されずとも自分自ら判断し得心のいく真理である。
 それがスピリチュアリズムなのである。

 (注23)「そは儀文は殺し霊は活かせばなり」(コリント書)から。
 (注24)Unitarian  三位一体説を拝し神が唯一の実在であるとの教説に立脚し、各教会に完全な自立権を与えているプロテスタントの一派。
 (注25)Christian science 英国人エディ Mary Baker Eddy が創始したキリスト教の一派で信仰による病気治療を特徴とする。
 

 
   
    霊媒としてのモーリス・バーバネル 
              
─あとがきに代えて─訳者
 本書を訳し終えて私は一つの感銘を覚えた。内容の素晴らしさではない。叙述の巧みさでもない。文章の簡潔さでもない。内容は確かに類書を寄せ付けないものを持っている。叙述も実にうまい、文章の簡潔さはいかにもジャーナリストらしい。

 私が感銘を受けたのはそうした本書に盛られたものについてではない。逆説的な言い方になるが、氏がついに本書で言及しなかったことについて感心したのである。それは氏自身が超一流の霊言霊媒であるということである。

 氏は前書きの中で自分とスピリチュアリズムとの廻り合いについて語っているが、それから後のことについては最後まで触れずに終わった。自己宣伝をしたがらない氏の、生涯一貫して取り続けた謙虚な態度がそうさせたのであろうが、英米を中心とするスピリチュアリズムを語る上で霊媒モーリス・バーバネルの存在を抜きにしては、正に画竜点睛を欠く憾(うら)みがある。

イギリスでは氏のことをミスター・スピリチュアリズムと呼ぶほどである。その意味で私はこの場を借りて是非とも霊媒としての氏を紹介したいと思う。

 本文の心霊治療その(二)でマーガレット・ライアンが治病能力の開発のサークルで修業中にうっかり居眠りをしてしまった話が紹介されている。それは実はお眠りではなくて入神したのであり、女史の口を借りて日本人女性の司配霊 K がしゃべったのであるが、これとまったく同じ体験をバーバネル氏も体験している。

 氏の司
配霊は北米のインディアンだった人物で、シルバーバーチと名のった。もちろん仮の呼び名である。以来、一九八一年七月にバーバネル氏が七十九歳で他界するまでの五十有余年にわたって、シルバーバーチは入神したバーバネル氏を通じて透徹した霊的真理を説き、その霊言は全十冊のシリーズとなって出版されている。

 シルバーバーチが語る霊言は実はインディアン霊その人の言葉ではなくシルバーバーチ霊団という、とてつもなく次元の高いスピリットの集団があり、その中の最高級霊が思想を発し、それが段々に下層界へ中継されながら最終的にそのインディアン霊がキャッチしてバーバネル氏の口を使ってしゃべる、という仕組みになっている。シルバーバーチと名のるインディアンは言わば霊界の霊媒なのである。

 私はその霊言の基本理念をつたえる部分を、ホンの一部ではあるが紹介して参考に供したいと思う。

 「人間の宗教の歴史を振り返ってみるとよい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の坐に祭り上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私どもの霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした指導者が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が地上で偉い人であっても卑しい乞食であったとしても、そんなことはどうでもいいことでしょう。

 といって、私どもは別に事新しいものを説こうというのではありません。優れた霊覚者たちが何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにしてきたために私どもが改めて説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。

 人類は自分の過った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・・・・神は地上に充分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の暖かい光にも浴せず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が多すぎます。欠乏の度合いがひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。

 物質界全体を不満の暗雲が被っています。その暗雲を払いのけ、暖かい太陽の射す日がくるか来ないかは人間の自由意志一つにかかっているのです。

 私はすぐそこ迄来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんが為に、他の大勢の同志と共に、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。

 物質界に降りてくるのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、鬱陶しく手単調で、生命力に欠けています。譬えてみれば弾力性を失ったヨレヨレの古座布団のような感じで、何もかもだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きる喜びに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

 私が常住している世界は光と色彩に溢れ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きる喜びに溢れ、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。
 
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差し上げることが出来たら、これにすぎる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことが出来れば、こうして地上に降りてきた努力の一端が報われたことになりましょう。

 私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩代わりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです。

 私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。艱難に真っ向から立ち向い、これを征服し、一段と強い人間に成長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです。」

 次にシルバーバーチが霊言を語っている時、当のバーバネル氏はどうなっているのか、その辺を本人は次のように語っている。

 「はじめの頃は身体の二、三フィート離れた所に立っていたり、あるいは身体の上の方に宙ぶらりんの格好のままで、自分の口から出る言葉を一語一語聞き取ることが出来た。シルバーバーチは英語が段々上手になり、始めの頃の太いしわがれ声も次第にきれいな声──私より低いが気持ちのよい声に変わっていった。
 
 ほかの霊媒の場合はどうか知らないが、私自身にとって入神はいわば〝心地よい降服〟である。まず気持ちを落ち着かせ、受け身的な心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高の純粋な通信が得られます様にと祈る。すると一種名状しがたい温みを覚える。普段でも時おり感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。

 温かいと言っても体温計ではかる温度とは違う。計って見ても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そしていびきに似たものになる。と同時に意識が薄らいでいき、まわりのことが分らなくなり、柔らかい毛布に包まれたみたいな感じになる。そしてついに〝私〟が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか、私自身にも分らない。

 聞くところによると、入神とはシルバー・バーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバー・バーチが私の潜在意識を支配している状態とのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は部屋がどんなに暖かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流した後のような感じが残っていることがあるからである。

 トランス状態がいくら長びいても、目覚めた時はさっぱりとした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水をいただいてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。
 
 忙しい毎日であるから、仕事が終わるといきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日にどんな変わったことがあっても、入神には何の影響もないよううである。あまり疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると何時もと変わらぬ出来だったことを知らされて驚くことがある。

 バーバネル氏はこの入神霊媒としての仕事を若い時は週一回、晩年は月一回の割で半世紀にわたって続ける傍ら、心霊週刊誌 Psychic News と月刊誌 Two Worlds の主筆をつとめ、その合間をぬって各地の交霊実験会に出席しては克明にメモを取り、それを資料として本書を書き上げたのであった。氏の生涯を見ると正にスピリチュアリズムのために生まれスピリチュアリズムのために生きた人だった。ミスター・スピリチュアリズムとは至言である。

 私が一九八一年一月五日に氏をロンドンの中心に位置するサイキックニューズ社に訪ねた時、いかにも忙しそうな雰囲気を感じ取った。にもかかわらず、いささかも礼を失することもなく、不愉快な思いをさせることもなく、いかにも英国紳士らしい態度に終始した。

 七十九歳という年輪がそうさせたと言ってしまえばそれまでだが、直接ハダで感じた氏の印象は、やはり、スピリチュアリズムという霊的思想を完全に我がものとし、それを生活の中で体現してきた、真の意味での人格者という印象であった。

 氏とは私が英国を離れる前日にもう一度お会いしたのであるが、驚いたことに、それから半年後の七月、心不全で突如他界された。

 わずか半年前にお会いしたあの元気そうなバーバネル氏が・・・・・・と私はとても信じられない気持ちであったが、その感慨が薄れると共に、こんどは、よくもこの世でお逢いできたものだと、その稀代の大人物にお逢いできた自分の幸運にしみじみと感じたものである。

 氏自ら本書で説き明かしてくれたように、氏は死後もシルバー・バーチ霊団の一員として、さまざまな形で霊的真理の普及のために活躍している事であろう。私が本書を翻訳することになったのも、もしかしたらバーバネル氏の働きかけによるかも知れない。と考えている。

 今、日本ではあまりにもいい加減な心霊思想が流行している。一種のブームの観すらある。霊的なものを好む日本民族らしい現象ともいえるが、同時に日本民族らしくそれがあまりに非科学的、非論理的であり、無節操であり、基本的理念に欠けているように見受けられる。

 物的なものに法則があるように霊的なものにもちゃんとした理法がある。それを知らずに無節操に摩訶不思議なものばかりに夢中になっていると、その超常現象と日常生活とをつなぐ基本的理念を捉え切れないまま、単なる遊び事に終わってしまう。それだけならまだいいが、いわゆる悪霊に手玉に取られてとんでもない不幸や災害を招きかねないのである。

 が、これは必ずしも日本に限られた話ではない。英国も御多分に洩れない。バーバネル氏が本書を「これがスピリチュアリズムだ」と銘うったことにはそういう背景がある。スピリチュアリズムの真の意味を見失っている人が多いことに対する警告と受け止めるべきである。

 私は本書によって一人でも多くの人が古来〝奇蹟〟といわれ〝不思議な現象〟と呼ばれて来た、いわゆる心霊現象や超能力の本来の意義を正しく理解し、人間の死後存続という、コペルニクス以来の破天荒の事実に目覚められんことを祈る次第である。


 新装版の発行にあたって

 このたび本書が装丁を改めて増刷されるのを機に、誤植と誤訳の訂正を施すとともに、初版の際に割愛した一章(本文では第十九章)を付加していただくことにした。
 この機に「完訳」の形で上梓できることを訳者としてうれしく思う。

     平成七年七月                            近藤 千雄