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  霊的人類史は夜明けを迎える             スピリチュアリズムの原点に立ち帰れ     近藤千雄著  
 
                                          目   次
  まえがき
 序論 暗黒時代はまだ終わっていない

  ・一九八二年の魔女裁判
  ・世界中の超常現象研究家が結束
  ・近代の有名なポルターガイスト
 
  ≪スザノ事件≫ ≪ホロウェイ事件≫
  ≪セロン事件≫ ≪バーミンガム事件≫
 
  第三部 〝霊性の夜明け前〟  

   第一章  スピリチュアリズムの予兆    
       
(一)   エマニュエル・スウェーデンボルグ
    ・致命的だったキリスト教の影響
    ・〝新教会〟(ニューチャーチ)の偏向

(二)  A・J・デービス
     ・スウェーデン・ボルグが支配霊
     ・スピリチュアリズムの勃興を予言
    ・致命的欠陥
     ・霊媒と人格   


   第二章  スピリチュアリズムの勃興
(一)   ついに〝電話のベル〟は鳴った                   
    ・エプワース事件とハイズビル事件  
       ・フォックス夫妻の証言
       ・五十年後の立証
      付記
       ・〝電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが〟

(二) 現代の啓示──スピリチュアリズムの三大霊訓
①──インペレーター霊団の自動書記と霊言による霊訓
      ・大きかったスピーア博士の存在
       ・モーゼスは人類の代弁者
        ・危険をはらんだギリギリの選択
②──ザブディエル霊団の霊感書記による霊訓
        ・スピリチュアリズムのアニメーション
        ・二大特質
➂──シルバーバーチ霊団の霊言による霊訓
        ・大きかったハンネン・スワッファーの存在
        ・四つの思想上の特徴


 第三章 既成宗教界とスピリチュアリズム
(一) キリスト教会がとった態度
      ・英国国教会の「スピリチュアリズム調査委員会
            による〝多数意見報告書〟
        ・聖職権主義が〝真実〟をも葬る

(二)  大幅な修正を迫られる仏教の来世観
     ・天保の霊言実録 『幽顕問答』 が教えるもの
        ・天保十年丁亥八月廿
四日夕陰霊出現発端の事
     ・「無念のことありて割腹せし者の霊なり」
        ・「死後の世界は生前に考えおるものとはいたく
       異なるものぞ」
        ・「百里千里も一瞬の間にて行くべし」
        ・「儒仏の説くところを信ずるは、みなその道におも
        ねる者のすることにて・・・」
        ・霊の誓約書
        ・いったん霊界へ戻る
        ・火事騒ぎ
        ・「今は包み難ければ物語らん」
        ・災厄の原因と厄払い
        ・「いまだ墨痕の乾かざる四、五百年前の古筆を
        拝覧するとは・・・」
        ・御霊遷しの神事
        ・月いっぱいなるぞ
             付記

(三)   普遍的宗教としての神道に求められているもの
        ・脚下照顧
        ・いくら自国の遺産を誇ってみても
        ・もっとインターナショナルなものに
        ・スピリチュアリズムの原理に照らして総点検を


 もうすぐ人類史の二日目が始まる──あとがきに代えて

 シルバーバーチ記念〝サイキックフォーラム21〟
          発足のお知らせ
 
 
  第一部  霊性の〝昼〟の時代

第一章 神霊の実在を意識した古代人の生活
  ・神社にみる古代人の霊的感性
  ・卑弥呼は霊能力を持つ女王だった
  ・ インディアンの素朴な自然宗教
  ≪四つの教え≫
  ≪十二の戒め≫

第二章 高級霊の地上への降誕
  ・高級霊とは?
  ・イエスに至る超高級霊の系譜

第三章 地上時代のイエス
  ・バイブルの中のイエス
  ・バイブルの〝外典〟ならびに〝偽典〟の存在
  ・歴史上
最大の陰謀〟のあらまし
  ・霊界通信に見るイエスの実像

第四章 イエスは十字架上で死んでいなかった
  (一)アッピア街道で大工として短い余生を送ったと
する説  ・愛犬プルートーを従えて  ・ペテロとの再会

  (二)インドで伝道と治癒活動を続けたとする説
  ・セッセネ派との関わり合い  
    ・ダマスカスにいったん
身を隠す  
    ・イエスとマリアの墓

  (三) 〝目撃者〟と称するエッセネ派の長老の手記
    ・イエスもバプテスマのヨハネもエッセネ派に
      属していた
    ・大地震が二度起きる

  (四)その他の諸説
     付記

第五章 霊界へ戻ってからのイエス
    ・人間的努力と霊の援助  
    ・人類の地上降誕の目的
    ・イエスとキリスト教とは無関係   
    ・教会の原型は交霊
会だった  
    ・イエスは今も地上人類のために働いている
    ・イエス・キリストとブッダ・キリスト  
    ・神々による廟議
    ・地球的視野への意識改革
  第二部 霊性の〝夜〟の時代

  第一章 キリスト教徒への迫害
    ・イエスキリストという名前  
    ・暴君ネロに始まった迫害
    ・邪霊集団の暗躍   
    ・これからはお前たちの出番、闇の支配するときだ

  第二章 ローマ帝国とキリスト教
    ・邪霊集団が狂気を増幅する
    ・悲しむべき〝政略婚〟──キリスト教の国教化
    ・コンスタンチヌスの二つの顔

  第三章 人類の狂気──異端審問と魔女裁判
    ・〝しるしと不思議〟を忘れた身勝手な神学の罪悪
    ・〝聖なるもの全てが逃げ去った〟聖職者の堕落と  
         腐敗
 宗教は〝組織〟を持つと堕落する
    ・十字軍の暴虐  
    ・異端審判  
    ・魔女裁判(魔女狩り)
    ・ジャンヌ・ダルクの例  
    ・霊性の封殺
    ・スピリチュアリズムは〝霊性のルネッサンス〟       
     付記 

 


まえがき

 人間が地上に棲息するようになって二百万年余りになるという。ほぼ四七億年という気の遠くなるような地球の全歴史に比べれば、それこそ瞬きするほどの時間にも相当しないかも知れない。地球の誕生から現在までを仮に一日とすれば、人類が誕生してまだ一分も経っていない計算になる。

 こうした時間感覚でいくと、〝有史以来〟と呼ばれている数千年の歴史などは、たった一、二秒に過ぎないことになる。しかし一方、現実の時間感覚、つまり百年生きるのがやっとという人間の寿命を尺度として考えると、数千年という歴史は、やはり、長い。

 こうした時間感覚を述べたのは、これから本書で扱うほぼ三千年の歴史が、〝霊性〟の消長という視点から見ると、〝昼〟の時代と〝夜〟の時代とに分けられ、今こそ地球人類は、いみじくもイエス・キリストの処刑とともに始まった暗黒時代を終えて、第二日目の夜明けを目前にした、最も厳しい努力を迫られている時期───過去三千年が一日に相当し、現代という世紀末は霊的な夜明け前の漆黒の闇の中にある、ということが明らかとなってきたからである。

 それは何を根拠としているのか。ひと口で言えば〝スピリチュアリズム〟と呼ばれる、霊媒現象を基盤とした霊的思想による。そのスピリチュアリズムに関しては、拙訳 『コナン・ドイルの心霊学』 (新潮選書) や 『人生は霊的巡礼の旅』 (ハート出版) その他でその概略を紹介した。

本書でも第三部でさらに詳しく紹介するつもりであるが、その中核をなしている概念は、人間は今この時点においても立派に〝霊的存在〟であるということ、言い換えれば、死んでから霊になるのではないということである。そして、肉体が滅んだあとも幽界・霊界・神界と果てしない生命の旅が続く。

 そのことが、十九世紀後半から二十世紀前半にかけてのほぼ百年間に、多くの分野の学者・科学者・知識人による実験・研究によって立証されたのである。コナン・ドイルも言っているように、これはもう〝信仰〟ではなくて確固
たる〝事実〟であると言わねばならない。

 すべに彼岸へと旅立った先輩たちからのメッセージ、いわゆる霊界通信によると、われわれは今その生命の旅の途中で、何かの縁でこの地球という天体上でいっしょにトレーニングをしているのだという。地上生活をそう位置づけることによって、はじめて地上人生の意義が自覚されるというのがスピリチュアリズムの主張するところである。

 本書で私はスピリチュアリズムの淵源を遠く三千年有余年もさかのぼり、歴史的現実に即しながら、今日の人類が抱える問題を見つめ直してみたいと思う。

その歴史はローマ帝国とキリスト教との関わり合いの中で展開するが、読者にお願いしておきたいのは、それを日本と無縁の遠い西欧の問題としてではなく、根本的には人類史の第一日目に生じたグローバルな問題と受けとめていただきたい、ということである。

 その影響がこの世紀末に至って、今、地球人類全体に及んでいると私は見るのである。もはや自分の家の周りを掃除するだけでは済まされない事態に立ち至っている。先の中東湾岸戦争で世界中の人間がそれを思い知らされたばかりである。

 さらに、スピリチュアリズムが手にしている高等な霊界通信によって、地球神界ではそうした事態を早くから察知して、三千年も前からそれに対する手段を講じてきていることも分かってきた。

神道流の表現を用いれば、地球浄化の神勅が三千年も前に下されていたのである。それが今、スピリチュアリズムという名の思想活動となって顕現しているということである。

 その思想の
根幹は、先にも述べたように、われわれ人間は肉体をたずさえた霊的存在であり、神の分霊として各自がその霊性を発揮していくことが地上生活の目的であるということである。人生をそうした視野で捉えるようになった時にはじめて、この掛け替えのない緑の地球を大切にしなければ、という自覚が芽生えるのではなかろうか。

 少なくとも人類の先輩たちはそういう発想のもとに、後輩であるわれわれのために、顕と幽との間の幾多の障害を乗り越えて地上界とコンタクトし、警鐘を鳴らしてくれたのである。その趣旨を、本書を通して正しく伝えることができればと思っている。





    序論  暗黒時代はまだ終わっていない

 ・一九八二年の魔女裁判

 つい先頃、(一九九〇年)刊行され、映画化も企画されているというノンフィクション〝迷信〟superstitionは、キャロル・コンプトンという当時十八歳の英国人女性が〝魔女〟としてイタリアで裁判にかけられ、放火と殺人未遂で有罪の評決を受けた経緯を本人自ら綴ったもので、日本ではまったく話題にされていないが、欧米では超心理学者や超常現象研究家が連名でその理不尽な裁判に抗議し、キャロルの即時釈放を求める嘆願書を提出したほどで、今なお関心を持ち続けている学者が少なくない。

 あら筋を述べると、スコットランドに住むキャロルは、一九八二年、休暇旅行にきていたイタリア人青年と恋仲になり、帰国したその青年からイタリアに来るようにしきりに求められ、言語・習慣・気候の違いに不安を抱きながらも、結婚を夢見て一人で旅立った。

二人ともローマ・カトリック教徒で、とても信仰が厚かったことから、正式に結婚式を挙げるまでは同棲すまいと誓い合って、キャロルは結婚費用を貯めるために、二軒の家でベビーシッターとして働くことになった。

 そのことが思いも寄らなかった悲劇を生むことになる。働きはじめてわずか三週間の間に、五度の火事を含む異常現象、いわゆるポルターガイストが続発したしたのである。

壁から絵画が落下する。彫像やケーキスタンドが目の前で移動する。ガラスの花瓶がいきなり破裂する。水が一気に沸騰する、等々。

 そして五度目の火事では、キャロルが面倒を見ていた三歳の子供が煙に巻き込まれて危うく死にそうになったことから、その子の親がキャロルが故意にやったと訴えたために、警察に連行されてそのまま拘置される。

新聞があれこれと書き立てていくうちに、いつしかキャロルは〝魔女〟であるとの噂が出はじめる。頼りにしていた恋人もいつしか心が遠のき、よく掛っていた電話も途絶えてしまう。

 拘置中の取り調べも、前例のない事件だったことから検事の尋問と精神科医の診断などで長引き、実に十七か月もの拘留期間を経て一九八三年の十二月に裁判となり、放火と放火未遂罪で二年六カ月の懲役刑を言い渡される。が、拘留期間が長すぎたことを理由に、即時釈放される。

 殺到するマスコミを避けながら、大金を払うという英国の新聞社の記者とカメラマン、そして母親の四人で車でフランスへ逃れ、空路、故郷のスコットランドにようやく辿り着く。自著のまえがきで〟キャロルはこう述べている。


 《私はスコットランドに住む平凡な主婦であり、二児の母親です。
 二十七歳になった今、これまでひたすら夢見てきたもの、すなわり愛する夫と子供という〝自分自身のもの〟を手にしております。それが私の唯一の望みだったのであり、ひたすらそれのみを求めてまいりました。

 思い起こせば今からほぼ七年前、皮肉にもその平凡な望みが禍して、私は悪夢のような体験───今なお奇怪で説明不可能な恐怖の体験をさせられることになったのです。

 人は私のことを〝魔女〟扱いにしました。私のいた場所から遠くないところで物が何の原因もなしに落下する。冷たい水が沸騰しはじめる。火事が起きる。そうした現象をすべて私のせいにしました。一度は私がベビーシッターをしていた幼い女の子が危うく焼死しそうになりました。

 私はたちまちイタリアの報道機関のさらし者にされました。それまで優しく面倒を見てくれていた人たちからも悪者扱いにされました。そして、単なる状況証拠だけで投獄されて、一度の審理もないまま、言葉の通じない異国で十七か月間も拘留されました。そしてついに一九八三年十二月十五日に、放火と殺人未遂のかどで裁きを受けました。

殺人未遂は〝証拠不十分〟で却下されましたが、放火と放火未遂罪は有罪となりました。

 裁判所側が検察側の証人の言い分を全面的に信じたことは明らかです。でも私は、逮捕の時点でも、拘留中も、そして公判が終了するまで、一貫して全く身に覚えのないことであることを主張し続けました。

 もちろん今なお、私は無実を主張いたします。(中略)
 この本は、スティーブン・ヴォルク氏とジェラルド・コール氏との長期間にわたる対話の末に、私がまとめたものです。ヴォルク氏は映画化のためのシナリオを書いてくださり、コール氏は本書の執筆を手伝って下さいました。

 私の体験は、世界で最も近代的な国家においてさえも、今なお迷信というものが、悪魔的な威力を持つことがあることを警告していると言えるのではないでしょうか。(後略)》




  ・世界中の超常現象研究家が結束

 さて裁判が進行中に、このキャロルの弁護のために世界中の超心理学関係の専門家を動員する案を出したのは、キャロルの故郷のエアー出身のジャーナリスト、故アイリーン・ロス女史で、その訴えに賛同して、博士号を持つ石油会社の取締役で〝異常現象研究協会〟の創始者でもある H・ピンコット氏と超常現象研究家のG・L・プレイフレア氏の二人が、その訴えの輪を広げた。

 ピンコット博士は一九八二年十二月十八付の 〈サイキック・ニューズ〉 紙上で、
 「私は、この文明と科学技術の発達した時代に、これほど硬直した偏狭と無知と迷信の壁があることを知って、身の毛もよだつ思いがしております」
と語り、またプレイフェア氏は十二月十二日付の 〈ニューズ・オブ・ザ・ワールド〉紙上で、

 「キャロルは断じて犯罪人でも魔女でもありません。私のほかにも、いかなる犠牲を払ってでも彼女の弁護に立つ用意があると言明している研究家が大勢います」

と語った。その二人の呼び掛けに応じて 〝弁明書〟を寄せてきたのは、次の十三名だった。

・A・R・G・オーエン教授  トロント大学医学部、予防医学並びに生物統計学科。
・D・F・ローデン教授  アストン大学 (バーミンガム)数学部部長。
・ハンス・ベンダー教授  フライベルク大学、心理学並びに精神衛生の境界域研究所所長。
・アルフレッド・クランツ博士  フランスにおける精神医学の権威であり、法廷弁論のエキスパート。

・H・G・アンドラーデ博士  電気工学者。ブラジル精神衛生物理学研究所の創設者。

・J・ベロフ博士  エジンバラ大学、心理学上級講師。心霊研究会(SPR)前会長。
・A・J・エリソン教授  シティ大学(ロンドン)電気、電子工学部部長。

・J・B・ヘイステッド教授  バークベック大学(ロンドン)物理学部部長。
・A・E・ロイ教授  グラスゴー大学(スコットランド)天文学部部長。

・アーサー・ノース氏  北ロンドン・ポリテクニック上級講師。
・J・F・マックハーグ博士  顧問精神科医。ダンディ大学(スコットランド)名誉精神医学講師。
・A・O・ゴールド博士  ノッティンガム大学心理学上級講師。
・ジーン・ダーケンズ博士  エノ―州立大学(ベルギー)教育心理学科主任。
 
 
・近代の有名なポルターガイスト
 右の〝弁明者〟からの回答には証拠資料としていくつかの〝前例〟が挙げられている。その中から顕著なものをあげれば───


《スザノ事件》 (一九七〇年・ブラジル)
 サンパウロのスザノという小さな町の平凡な家庭で、確認できる原因はなにも見当たらないのに、計十六回も火災が発生しした。燃えたものはマットレス、ソファ、タンスの中の衣類、そしてそのタンスそのものなどだった。

このケースは、その火災のいくつかが市の警察署長と法廷関係の専門家が立ち会っていた。その目の前で発生したという点で特殊性を持っている。署長は事件発生後ただちにブラジルの超心理学の大家 H・G・アンドラーデ氏に詳しく報告している。


《ホロウェイ事件》 (一九七八年・ロンドン)
 夫婦二人きりで住まっている公営アパートで七回も原因不明の火災が発生し、そのつど消防車が出動した。燃えたものはセーター、食器用ふきん、積み重ねた新聞、それにベッドなどだった。現場で消火に当たった消防士の一人は「こんな火事は初めてです」といい、ホロウェイ市火災防止委員会の主任も、

 「原因は全く不明。どういう具合にして出火したかは、何ひとつ手がかりがつかめない」 と結論付けている。


《セロン事件》 (一九七九年・フランス)
 この事件はまさにギネスブックものである。ピネレー山脈の麓の小さな村セロンで、一九七九年の八月中だけで実に九十八回もの火事が発生している。それも二十人の警察官を含む大勢の村人や報道関係者が見ている前での出来事である。やはり出火原因は解明されていない。

 証人の一人は、ベッドや衣類の一部が小さく焦げてくるのが見え、やがて炎となって燃え上がったという。キャロルと同じように、二人の若者が拘置されて取り調べを受け、証人もおらず動機も不明のまま起訴されたが、すぐに釈放されている。


《バーミンガム事件》 (一九八〇年・イギリス)
 これはカッサンドラ・ウィッケンデンという名の三歳の女の子が寝室で煙に巻かれて窒息死した事件で、検死官による陪審の記録が残っている。検死官が別の寝室に捨てられていたタバコが出火の原因ではないかという曖昧な憶測発言をしたために、母親が激しい口調でこんな抗弁をしている。

 「飛んでもありません! あの部屋には一日中だれも入っておりません! なぜ信じようとなさらないのですか? そんな出火の仕方ではなかったのです!」

 この事件の特徴は、両親とも、出火の原因はある種の未知の力しか考えられないと主張し続けたことである。




     第一部  霊性〝昼〟の時代

 第一章 神霊の実在を意識した古代人の生活
 ・神社に見る古代人の霊的感性

 〝祭り〟は世界中どの民族にもある。がそのことを〝どの民族もお祭りが好きである〟と解釈すると、そこに〝祭り〟の意味にズレが生じるように思う。お祭りが好きだったのではなく、太古にあっては神をマツルことがその地域の行事だったのである。

 そのことは、かつては政治のことを〝まつりごと〟といったことに端的に表れている。ただ、祭り方が少しずつ形を変えながら受け継がれていくうちに、その意義が忘れられて、
次第に〝お祭り〟となっていったのである。

現代では〝お祭り〟という言葉に〝神を祀る〟という観念を読み取る人はすくないのではなかろうか。

 ちなみに辞書で〝まつる〟の項を調べてみると───
 《神仏をまつること。神仏・祖霊などに奉仕して慰撫・鎮魂したり感謝・祈願するための儀式・祭祀》 (小学館・日本国語大辞典)

とあり、現代人が〝お祭り〟という言葉から
連想しがちな、のどかで楽しい行事とは異なる、厳粛で真剣なイメージをほうふつさせる。

 むろん現代においても、その厳粛さが受け継がれている儀式はある。例えば天皇家に伝わる〝大嘗祭〟(ダイジョウサイ)がその最たるもので、平成元年に今生天皇の即位後に行われたときも、そのクライマックスともいうべき〝霊と語る〟場面は、テレビカメラによる撮影は許されなかった。

これは、その年に新たに収穫された穀物を、天皇
自ら祖神・天照大神を始め天地の八百萬の神々に差し上げる行事である。解説者による図解説明を見ていて私は、そのあまりの単純素朴さに、かりにテレビで放映されても、視聴者は 「なんだあんなものか」 といった印象を抱くにちがいないと思った。

 同じことが神社の形式にも言えるであろう。まず社殿の作りそのものが極めて簡素である。白木造りで、それは何の装飾も施されていない。その奥に祀られている御神体も、ただの玉だったり石だったり鏡だったりする。

辺りを取り囲むのは老松老杉(ロウショウロウサン)の木立で、少なくとも見た目には、キリスト教の大聖堂や仏教の大伽藍に見られるような、目を奪うようなきれいさは見られない。もしあちらを芸術的と評するのであれば、こちらは芸術性は見られないことになりそうである。

 が、霊的観点からみた時、つまり心霊と人間との念波の感応の場という観点からみた時、日本の神社ほど霊的原理に適ったものはないと言えるであろう。

鳥居をくぐることによって気持ちを引き締め、玉じゃりを踏みしめながら神殿に近づき、石(イワ)の階段(キザハシ)を上がるにつれて厳かさが次第に増し、御手洗(ミタラシ)で口をすすいで清浄な気持ちになって神殿を拝む。そのすべてが精神を統一させ、波動を高める上で無言の助けとなっているのである。

こうした祭祀の伝統の中に残されている古代日本人の霊的感性の高さと鋭さに感嘆の念を禁じ得ないのである。




 ・卑弥呼は霊能力を持つ女王だった

 その神社で執り行われる行事も、今日ではかなり形骸化してそれ本来の意義が見失われているように見受けられるが、その由来をたどると、実に霊的原理に適っていることに驚かされる。

 神主とはカミを祀る行事のヌシ、つまり司会者のことで、一般的にはサ二ワといい、〝審神者〟という漢字を当てている。これを字解すれば〝神を審(ツマビ)らかにする人〟という意味で、かつてはカミという用語に目に見えない存在のすべてに当てていたので、要は霊媒に憑かって語る霊の素性を判断する役目の者が、神社では神主と呼ばれるようになったのであろう。

 交霊界においてもサニワの能力と人格の高さが、低級霊や邪霊集団によるイタズラを防ぐと言われる。
霊媒の能力がいくら強力でも、霊媒現象においては霊媒は大なり小なり無意識状態に入るので、いわば無防備状態になり、いかなる素性の霊に操られるかわからない。そこでサニワの存在が大切となってくるのである。

 神社においてその霊媒に相当する役が巫女で、〝神子〟という文字を当てることもある。〝神和〟(カンナギ)と呼んだこともあるらしい。

つまり神殿で神楽を舞って神を和ませる役ということで、それが神憑りとなってお告げを述べることもした。大体において未婚の女性だった。
現代では女性と決まっているようであるが、霊媒的な役目はしていないように見受けられる。

 さて、女性霊媒として古い文献に出てくる有名な人物としては、かの卑弥呼がいる。最近発掘が完了した筑後川流域の吉野ケ里遺跡が邪馬台国論争に油を注ぎ、ヒロインの卑弥呼が劇画や漫画でさまざまな人物像に描かれている。が、スピリチュアリズム的に見れば〝霊媒能力を持った女王〟であって、祭政一致の原始的な社会形態の中心的人物だったといえると思う。

 その証拠となるのは有名な 『魏志倭人伝』 で、その中の一節にこう出ている。(安本美典著 『吉野ヶ里の証言』 による現代語訳)


 《その国はもと、また男子をもって王としていた。住(トド)まること七、八十年、倭国は乱れ、あい攻伐して年を歴(ヘ)る。すなわち、ともに一女子をたてて王となす。名付けて卑弥呼という。鬼道につかえ、よく衆を惑わす。年はすでに長大であるが、夫はいない。男弟があって佐(タス)けて国を治めている。王となって以来その姿を見た者は少ない。

婢(ハシタメ)千人をもって自らに侍(ハベ)らせている。ただ男子が一人あって飲食を給し、辞(コトバ)を伝え、居所に出入りしている。宮室(居所)・楼観(宮殿)・城柵を厳かに設け、つねに人がいて兵器をもち、守護している。》


 ここに言う〝鬼道〟とは、中国の影響を強く受けていた当時(三世紀)のことであるから、道徳的な呪術のことと察せられるが、スピリチュアリズム的に見れば霊媒現象のことで、さらに〝よく衆惑わす〟とは、目を
みはるような超常現象を見せて人々をびっくりさせたということであろう。

 また、姿を見た者はいない云々というのは、神聖なものとして宮室に控え、男子一人に身の回りの世話をさせ、儀式に際しては弟が神主の役をしたということであろう。千人もの下女がいたというから、よほどの勢力をもった武装国家だったことが想像される。




・インディアンの素朴な自然宗教

 
北沢図書出版から出版された拙訳 『レッドマンのこころ』  The Gospel of the Redman は 『動物記』 で有名なアーネスト・シートンがスピリチュアルの観点から、インディアンの伝統的精神文化───信仰・教育・戒律等───と、それがキリスト教徒である白人の侵略によって破壊されていった歴史を紹介したもので、比較的少ないページにぎっしりと中身の詰まった髙著である。

 これまでにもインディアンを扱った著書は少なくない。日本人が著わしたものも多いし、英米人が著わしたものはさらに多い。が、私がシートンの著書を是非訳したいと考えたのは、その観点が他の多くの著書にとかく見られがちな、滅びゆくインディアンに対する同情心と、侵略者である白人に対する反感や憤りからではなく、インディアンの純粋この上ない心と、霊的知識、そして自然と一体となった信仰が実にスピリチュアリズム的だからである。

 いつだったか、テレビ番組でアイヌ人の音楽家が、アイヌ語には〝自然〟という言葉がないが、それはアイヌ人の思想では人間も自然の一員であり対立的に捉えないからだと述べているのを聞いて、虚を突かれた思いをしたことがある。

 インディアンの思想もまさにそれで、NHKテレビ〝海外ドキュメンタリー〟『インディアンの悲劇』 の中でインディアンの一人が、

 「人間が大地を所有しているのではなく、大地が人間を所有しているのです。人間は大地の一部なのです。そうした考えを日々再確認すべきです」

と語っていた。もう一人のインディアンは、

 「大地から何かを受け取ったら何かを返すべきです。一方的に大地から奪う自己本位の姿勢は問題です。私たちが信じているのは宗教ではなく、〝生き方〟です。〝大いなる霊〟の存在を信じ、その摂理を信じる生き方です。周囲のすべてのものに宿る偉大なる霊と調和する、畏敬に満ちた深遠なる生き方です」

と語り、最後に、聡明そのものの容貌をした女性インディアンがこう締めくくった。

 「私の祖父が死ぬ前に大地の話をしてくれました。私たちの世代にこう言い残したのです───〝いつかは大地は泣くだろう。命乞いをして血の涙を流すだろう。大地を救うか死なせるかは、おまえ達の選択次第だ。大地が死ぬ時、人も死ぬ〟と。

 大地が破壊されて取り返しがつかなくなりつつある今こそ選択の時であり、自分や子供のためでなく、万物のための選択です」

 彼女はそう述べて、目をうるませていた。ここは環境問題を論ずる場ではないのでこれ以上深入りはしないが、〝賢人会議〟でいかなる対策を論じ合い、国連でいかなる議決をしても、その基盤としてこうした素朴な自然認識がないかぎり、効を奏さないであろう。さきの 『インディアンの悲劇』 でもう一人の賢者の風貌をしたインディアンが、さりげなくこう言っていた。

 『世界平和を叫ぶ前に、自分と仲間たちの平和を願うのです。その小さな平和から尊敬と愛の念が生まれ、仲間への敬意が生まれます』

 シートンの著書の第一章は、そうしたインディアンの素朴な思想と信仰を取りあげ、その冒頭に、代々語り継がれてきた 《四つの教え》 と 《十二の戒め》 が紹介されている。次の通りである。


 
《四つの教え》
 (一)唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造者であり支配者である。われわれはその分霊としての存在を有する。

 それは永遠の存在であり、形体をもたず、全知にして全能であり、言語で描写することのできない存在である。あらゆるものが大霊の中に存在し、大霊を通して活動する。われわれの崇拝心と忠誠心は、その大霊に向けなければならない。

 恵はすべて大霊より下される。ゆえに、敬虔なる気持ちで大霊を志向しなければならない。その恩恵に浴するためには、祈りと犠牲と思いやりのある生活を重ねることが必要である。大霊についての知識を得るためには、鍛錬と断食と寝ずの行を重ねる必要がある。その知識(サトリ)とともに導きが得られる。

 大霊は本質的には非人格的存在である。それが動物や小鳥、雲、雨、山河、人間あるいは動物に宿り、個性をもって顕現してるのが現実である。その大霊のもとに無数の個霊が控えている。


(二)地上に誕生した人間が第一に心掛けねばならないことは、人間として円満な資質を身につけることである。

 それは、人間を構成する器官とエネルギーを正常に発達させ、それを正しい手段で満足させることによって達せられる。すなわち、肉体的に、霊的に、そして人のために役立つ資質において、成人となることである。


(三)成人としての高度な資質を身につけたら、その資質を部族のために捧げないといけない。何よりもまず自分の家族の大黒柱となり、勇気ある保護者となり、親切で頼りがいのある隣人となり、家族とキャンプ、及び部族全体を外敵から守らねばならない。


(四)人間の魂は永遠に不滅である。
 いつこの世にやってきて、去ったあと、いずこへ行くかは、誰にもわからない。しかし、いよいよ死期が訪れたら、これから次の生活の場へ行くのだということを知っておくべきである。

 その世界にどういうことが待ち受けているかは確かめることはできない。が、恐怖心を抱いたり、やり残したことや為すべきでなかったことを後悔したり泣いたリしてはいけない。与えられたかぎりの才能と制約の中で最善を尽くしたという自覚、そしてその死後の環境は地上での所業で決まるという認識をもって、腹を決めることである。

〝死の歌〟を高らかに口ずさみながら、勝利の凱旋をする英雄のごとくに、死に赴くがよい。 (〝死の歌〟は死ぬ間際に自らうたう歌として、自分で拵えておく。


 《十二の戒め》
(一)神はただ一つ〝大霊〟がおわすのみと心得よ。
 永遠にして全知・全能であり形体をもたない。いついかなる時も、あらゆる存在の中に行きわたっている。

その大霊を畏敬せよ。が、同時に、他人がそれがどういう形で敬おうと、それを尊重せよ。なぜなら、すべての真理を手にしたものは一人としていないのであり、自分が敬虔なる気持ちで敬っているものを他人からとやかく言われる筋合いはないのと同様に、他人が聖なるものとしているものには敬意を払わなければならないからである。


(二)大霊を形あるもの、つまり目に見える存在として描いてはならない。


(三)言葉の信義を神聖に保つこと。
 いついかなる時でも、ウソをつくことは恥ずべきことである。大霊はいついかなる時でも遍在しているからである。大霊の名のもとに偽りの誓いをすることは、死にも値するからである。


(四)祝日を大切にし、インディアン・ダンスをきちんと習い、タブーには敬意を払い、部族の慣習を守ること。それが部族内における良き一員として、その恩恵に浴する道である。そうしたものは太古から伝えられてきた先輩たちに英知から生まれたものだからである。


(五)父と母、及びその父母を敬愛し、その言葉に従うこと。年令はすなわち英知であり、自分への厳しい躾は、終生、きっと力となり利益となるであろう。


(六)人を殺(アヤ)めてはならない。もしも部族の仲間を故意に殺した時は、それは死にも値する罪である。万が一誤って殺した時は、評議会にかけて、それ相当の償いが課せられるであろう。


(七)思考と行為において常に純潔であれ。結婚式の時の互いの誓いを忘れず、人に同じ誓いを破らせることがあってはならない。


(八)盗むべからず。


(九)必要以上の富を蓄えてはならない。
 部族の他の仲間に困っている人がいるのに、自分だけ大きな
蓄えを所有することは恥ずべきことである。同時にそれは、下劣な罪の最たるものである。

戦勝の結果にせよ、取引の結果にせよ、あるいは大霊から賜った才能のお陰にせよ、自分ならびに家族の生活にとって必要以上のものが手に入った時は、部族のものを集めて〝施しの会〟を開き、余分のものを、困っている人たちにその度合いに応じてわけてあげるべきである。とくに未亡人、孤児、身寄りのない人を優先すること。


(十)健康に有害な火酒類 (度の強いアルコール類) に手を出すべからず。体力を奪い、賢明なる者を愚かにし、洞察力を狂わせる
ものは、食べものであろうと飲みものであろうと、試してみることもならない。


(十一)つねに清潔を心がけるべし。身体のみならず住居の中も清潔に保たねばならない。毎朝の水浴を欠かさず、必要とあらば蒸し風呂で体調を整えよ。肉体は霊の聖なる殿堂だからである。


(十二)自分の生活を大切にし、それを完全なものとし、その中で生じるものを全て美化し、自分の力と美を誇りとせよ。

 生きているということに魂の奥底からの喜びを覚え、一日でも長生きして、部族のために役立つことを心がけよ。そして、いずれ訪れる死に備えて、堂々たる〝死の歌〟を用意せよ。


 これをお読みになれば、さきのインディアンの男女が語っているところがよく理解できるであろう。それは第三部で紹介するシルバーバーチと名のる古代霊の教えとそっくりである。同時に、日本の古神道、いわゆる〝かんながら〟の思想とも相通じるものがあることもお気づきと思う。

 実は太古の人間は、万物に霊が宿ると信じ、従って自分たちも自然の一部としてやはり霊を宿しており、肉体の死後も霊として永遠に存在し続けることを、当たり前のように信じていたのである。

もちろん民族によって洗練の度合いがあり、信仰の形態は異なっていたであろうが、基本的認識においてはほぼ同じだった。霊的にそう直感していたのである。

 ただ、それが時代と共に人間的な脚色がなされていったということである。そのことを物語るエピソードとして、シートン氏は〝まえがき〟で次のような興味ある話を紹介している。


《・・・・・・草稿が完了して間もなくのことであるが、ユダヤ教の博学な律法学者が訪ねてきた。そしてその草稿に目を通してから、驚いた口調で 「これはまさしくユダヤ教そのものではないですか」 と言った。

 それから何週間かして訪れた長老派教会の二人の牧師は 「これはまさに現代の長老派教会の教えそのものですよ」 と言った。

 さらにギリシャ正教の大司教は 「これは儀式典礼がないだけで、純粋のカトリック教ですよ」 と言った

 クェーカー教徒の一人は 「うちの教会で教えていることと同じ」 だと言い、ユニテリアン派の牧師は 「純粋のエマソン主義的ユニテリアン」 であると言い、最後に、つい先日のことであるが、フリーメーソンの一人が 「うちの教団の教え以外の何ものでもない」 と言った。

 こうしてみると、どうやらレッドマンの信仰は普遍的であり、基本的であり、根源的であり、本当の意味での宗教であると言えるであろう。となれば、当然それは、ドグマから脱け出て真実なるものを求めている求道(クドウ)者には、等しく受け入れ入れられるべきものであるに相違ない。・・・・・・》
 



第二章 高級霊の地上への降誕

  ・高級霊とは?
 〝純正〟の折り紙つきの霊界通信によれば、地球上のいずこの国においても、又いつの時代にあっても、したがってこの現代においても、〝導師〟というべき高級霊が自発的に、あるいは勅命を受けて、地上に誕生しているという。

 そういう人物は、必ずしも側から見てそれとわかる風采をしている
わけでもなければ、それらしい指導的地位にあるとも限らない。むしろ、どちらかというと身分の高い階級、由緒ある家柄、社会的地位の高い職業は避けるものだという。なぜか。霊性の進化という至上目的にとって、それがプラスどころか、マイナス要因にしかならないからである。

高級霊ともなると、その目的とするところは徹底して〝向上進化〟なのである。そして、その人の〝存在〟そのものが縁ある人々に、人知れず、霊的影響を及ぼしているという。

 これを逆の視点から見れば納得していただけるであろう。すなわち、もしも高級霊が好んで身分の高い階層、由緒正しい家柄に生を受け、、社会的地位の高い職業に就いてくれれば───そんなことが簡単にできるとすれば───社会は、そして世界は、もっともっと明るく住みよいところとなっているはずである。

なぜ
そうならないのか、なぜそうなるように配慮してくれないのか、という疑問は誰しもが抱くところであろう。

 国王や首相や大統領をはじめとして、閣僚のすべて、重要ポストのすべてに、叡智と決断力に富む高級霊が就いてくれれば、戦争も悲劇もない地上天国が今すぐにでも実現するはずである。それがそう理想どおりにいっていないところに、因果律の絶対的な公正の働きがあることを知らねばならない。

 人間の一人一人に遠い過去───霊的に言えば〝類魂〟(〝血縁〟の家族とは別の、〝魂〟の家族とも言うべき、同じ霊系に属する霊の集団のこと。グループソールとかアフィニティといったりする。)が代々こしらえてきたカルマ───があり、それが地上的環境条件を機縁として発現し、そして解消されていく、

その営みだけは絶対に避けて通れないように、家族単位、社会単位、国家単位で犯してきた罪過も、何らかの形で解消していかなければ
ならないらしい。ちなみに、パイパーという女性霊言霊媒を通じて一八九九年に次のような予言がなされ、そして見事に現実となっている。

 《来る
べき二十世紀には、このスピリチュアリズムが驚くほど多くの人々の理解を得ることになるでしょう。が、ここで私から一つの大切な事実を預言しておきます。必ずや現実となることを確信します。

すなわち、霊界から新しい啓示が届けられるに先立って、世界各地で恐ろしい戦乱が生じます。霊的視野を通して、霊界の同胞の存在を確信するには、前もって地上世界の浄化と清掃が必要なのです。完成へ向けての一過程として、敢えてそういう作用を必要とすることがあるのです。友よ、よくよ心されたい


 因果律の働きによって、どうしてもそうなるというのである。なぜか人知でははかり知ることができない、否、高級
霊でも知り得ないことがるという。素晴らしい指導者に有能な後継者がいなかったり、せっかく立派な後継者に恵まれたと思ったら早世したり暗殺されたりするのも、その裏に、童話的単純発想のようには行かないカルマの絡み合いがあるようである。

 そうした複雑なカルマの絡み合いの中での地上生活は、上流社会と下流社会、農業社会と工業社会、政治社会と経済社会とでは、表面的には大きな違いはあっても、霊性を磨くためのこやしとしての苦難という観点からすれば、本質的には同じである。

高級霊が、特殊な場合を除いて、平々凡々とした境涯に生をうけ、慎ましい人生を送る方を選ぶのはそのためである。見栄の張り合いや権力闘争などに明け暮れる人生の愚かさを悟っているのである。〝マイヤースの通信〟と呼ばれて親しまれている知的霊界通信の一つである Beyond Human Personality に次のような一節がある。

 《偉大なる霊が全く無名の人生を送ることがよくある。ホンの一握りの人たちを除いて、その存在は世界一般にはほとんど知られることがない。したがってその一握りの人たちがこの世を去ってしまえば、後にはもう、その人が存在した痕跡は何ひとつ残らない。生き方一つではスーパーヒーローとして崇められたかもしれない程の特性を秘めた、無私にして崇高なる努力の生涯を証言してくれる者は誰一人いない。

 そういう高級霊が平凡な労務者、事務員、漁師、農夫といった身分に生をうけることがよくあるのである。その生涯は、これとい
って目立った活動は見られない。

にもかかわらず、その実、所属する類魂によって直接のインスピレーションを受けながら、霊性の偉大さと崇高性が発揮されている。イエスが〝あの世では先なるものが後になり、後なる者が先になること多し〟と言ったのはそのことである。




  ・イエスに至る超高級霊の系譜

 もとより、カルマの絡み合いの中にも自由意思の行使が許される範囲がある。環境条件の展開は一定のワクがあっても、そのワク内での意識的生活は背後霊団とのタテの関係であり、外部から拘束されることがないから、それは当然推測されることである。もっとも、現段階の人類の大半は、その意識生活までもが物的次元に縛られ、

ただ食べて働いて寝るだけの生活に終始してるといっても過言ではなかろう。スピリチュアリズムが主張している〝意識改革〟というのは、そうした物的次元での生活からの脱却である。

 そこで、地球の
支配階層の神々が合議を重ねた末に、適切な高級霊を地上へ送り込み、歴史の流れの大転換を計ることがあるという。その際、超高級霊みずからその任を買って出て、言わば捨て身の冒険に出ることもあるらしい。

これをインペレーターは〝国籍離脱
〟にも似た行為と述べている。その意味は、たとえ高級霊といえども、肉体という最も低次元の波動の物的身体に宿ることによって、先在、つまり霊界での自分の身の上についての記憶がシャットアウトされて、結果的には何もかも白紙の形で一から地上人生を始めることになる。

すべてが〝初体験〟となるわけである。したがって、中には本来の使命を忘れ、肉体の煩悩や世俗的欲望に負けて、取り返しのつかない過ちを犯してしまう危険性をはらんでいるということで
ある。

 さて、そうした高級霊の地上への降誕は、各時代の必要性に応じて、各民族において太古から連綿として行われているという。日本の歴史の中にはそれと覚しき人材を探し求めるのも興味ある課題であろう。それを指摘する〝霊示〟があればと思って幾つかの資料を検討してみたが、残念ながら低級霊による大言壮語としか断じようのないものばかりであった。願わくば私の灯台もと暗しで、私の知らないところで立派な霊示が届けられていてほしいものである。

 そういうものとの出会いを楽しみにすることにして、少なくとも私が信頼している資料をもとに申せば、紀元年十二世紀ごろのメルキ
ゼデクに始まってイエスに至る系譜が、地球史上最大の流れ、言わば霊的大河の主流だったようである。

 メルキゼデクについては旧約聖書に〝いと高き神の祭司〟(創世記14・18) と出ているのみで、他に何一つ資料はない。たとえあっても果たして信が置けるかどうか疑問である。一つだけ確かなことは、その名のヘブル語 Malki-sedeq (英語綴りは Melchizedek) が〝わが王は正義なり〟意味しているということで、〝正義の王〟として崇められていたことを窺わせる。

また新約聖書の 「へブル人への手紙」 の中でイエスのことを〝メルキゼデクに等しい大祭司〟(5・10) と称えているところをみると、よほど傑出した王であり祭司であったことが推察される。

 さて、紀元前五世紀ごろの霊格者で
あり、たぶん、私の推測ではその霊的系譜に属する高級霊の一人で、十九世紀末にステイントン・モーゼスという牧師の自動書記能力を利用して Spirit Teachings (日本語訳 『モーゼスの霊訓』 太陽出版)を送ってきた。

インペレーターと名乗る霊によると、そのメルキゼデクは死後、モーゼの背後霊団の支配霊として指導に当たったという。モーゼについては多言を要しないであろう。日本では〝十戒〟の映画でよく知られている。

 インペレーターによると Moses という用語は元をたどればインドの大革命家であり説教者であった Manou からきており、それがエジプトで Manes となり、ギリシャへ渡って Minos となり、そしてヘブライ伝説で Moses となったという。 メルキゼデクと同じく固有名詞ではなく、一種の称号のようなものだった。

つまり〝人間〟Man を意味する普通名詞で、真理の開拓者を The Man と呼んだのである。現在でも最高に活躍した人物を The Man of the year と呼ぶのと同じである。

 同じくインペレーターによると、〝モーゼ五書〟を始めとして、旧約聖書で語られている話は伝説や口承の寄せ集めに過ぎず、ほとんどが事実とは掛け離れているという。となるとモーゼという人物についてわれわれは、シナイ山頂で〝十戒〟を授かった霊能者で、それをもとに祭政一致の政治(マツリゴト)
を行ったすぐれた人物、という程度の認識に止めておくのが無難のようである。

 しかし、それほどのモーゼでさえ〝霊〟に関する理解は平凡な人間と同じく、物体身体をそなえた今の自分こそ実在で、霊を実在として実感するところまでは至っていなかったという。

お経を読み上げお布施をいただくだけの職業としての僧侶、祝詞を仰々しく奏上しお祓いをするだけで、神や霊、罪穢れについては、神道の書物の中の存在としてしか理解していない神官と同じ程度と思えばよいであろうか。

 が、そのモーゼも、死後は本来の霊格を取り戻して、後継者エリヤの指導霊として末永く後世へ影響を及ぼしたという、そしてそのエリヤの背後霊として指導に当たったという。

旧約聖書をたどってみると、二人について史実とも伝説とも判じがたい話がいくつも述べられている。が、ほぼ三千年も過ぎた今となっては、その事実性をうんぬんするよりも、むしろこの中でも明らかに伝説にすぎないと思われる幼稚な話をもって、二人の活躍ぶりと人望の大きさを物語るものと受け止めておく程度にしておくのが無難なのではなかろうか。

 以上述べた高級霊の系譜は、主としてインペレーター霊による自動書記通信にそったものである。といっても、極めて断片的にしか述べられていないので、私の叙述も大ざっぱなものとなった。が、インペレーターも霊媒のモーゼスから 「メルキゼデクの前にも神の啓示をうけた者がいるか」 と問われて、こう答えている。


 《無論である。われわれは最後にイエスに至る流れの最初の人物としてメルキゼデクを持ち出したにすぎない。その流れの中でさえ名をあげることを控えた人物が大勢いる。すでに述べたように、その多くが神の啓示を受けていた。エノクがその一人であった。彼は霊格の鋭い人物であった。同じくノアがその一人であった。

もっとも、霊格は十分ではなかった。デボラも霊覚の鋭い人物であり、歴史の中で〝イスラエルの士師〟と呼ばれている行政官はすべて、霊感の所有者であるという特殊な資格をもって選ばれたのであった。

そのことについて詳しく述べる余裕はない。ユダヤの歴史に見られるその他の霊力の現われについては、こののち述べることもあろう。今は、まずその古い記録全般に視点を置き、さらにその中の霊的な流れの中からイエスにつながる系譜一つに絞っていることを承知された。》


 そうした〝事実〟や〝真実〟を人間に明かすか明かさないか、またいつ明かすかは、人間の理解の届かない霊的な事情があってのことのようである。それを暗示しているものが、同じ自動書記通信 Spirit Teachinggs に出ている。インペレーターの輩下での霊が、キリスト教会による記念行事───クリスマス・レント・イースター・グッドフライデー・エピファニー・アセンション・ペンテコステ───についてその本来の意義を詳しく解説したあと、次のように述べているのである。


《以上がキリスト教徒の祝日に秘められた霊的な意味である。われわれの最高指揮者であられる霊(インペレーター)がキリスト教的独善主義の壁を打ち崩し、迷信に新たな光を当てて下さったお蔭で、われわれが今こうしてすべての行事に秘められた真理の芽を披露することを許されたのである。人間的誤謬が取り除かれれば、それだけ多くの神の真理が明かされるのである。》





 第三章 地上時代のイエス

 ・バイブルの中のイエス
 イエス・キリストについて一般の人々が抱いているイメージは、新約聖書の中で語られているものがその全てであるといっても過言ではないであろう。

 処女マリアを母としてベツレヘムに生まれ、ヘロデ王による幼児虐殺の風聞を耳にした両親に連れられてエジプトへ逃れ、ナザレで幼少時代を過ごし、二十数年の空白の後に、三十歳になって祖国に帰って来て独自の真理を説いた。その説くところが当時の国教とも言うべきユダヤ教と対立するものであったために各地でユダヤ教の指導者と衝突し、論争となった。

 が、イエスは同時に〝しるしと不思議〟つまり目を奪うような心霊現象を起こしたり重病人を奇跡的に治したりするために、ローマの圧政に苦しめられていたユダヤの民衆は、イエスこそわが民族の救世主だと信じるようになり、その人気は高まる一方だった。

このままでは自分たちの地位や名誉、そして生活の基盤までが失われるのではないかと危惧したユダヤ教会は、当時のローマの総督ピラトに訴え、それを聞きいれたピラトは、渋々、イエスの処刑を許した。かくしてイエスは、ゴルゴダの丘で十字架にはりつけにされた。

 ところが、刑死後三日目に、その遺体が納められているはずの墓の石蓋が取り払われていて、遺体そのものも無くなっていた。しかも、そのすぐ後からイエスが次々と弟子たちの前に生前そのままの姿を現して、死後も生きている証を見せた。それがのちに〝復活〟の信仰を生み、イエスを信じたものは生身をもって昇天するとの親交が生まれた。 




 ・バイブルの
〝外典〟ならびに〝偽典〟の存在
 
 旧約聖書にも新約聖書にも〝外典〟とか〝偽典〟とされた文書がおびただしく存在する。旧約聖書の方はイエスと直接の関係はないので、ここでは除外することにして、そもそも新約聖書が今日のような二十七書によって構成されるに至ったのは四世紀末のことである。中心人物のイエスが処刑されてほぼ三百年も経っている。

 その間、イエスの〝しるしと不思議〟にまつわる話がきわめて簡略な形で綴られらたものが
各地域にいくつも存在していた。数にして百種類、ギリシャ語、ラテン語、コプト語、アルメニヤ語などで書かれていた。

 その記述には、当然、間違いもあれば誇大化されたものがあったであろう。書き写す際の間違いもあったであろう。

中には〝してはならない〟という否定文の否定語 (英語のnotに相当するもの) が脱落してしまって〝しなさい〟になったものもあったらしい。そうしたおびただしい数の書を四世紀初頭にカイザリアのユーセビウスという司教が〝認可さてた書〟〝問題のある書〟〝異端の書〟の三種類に分類した。

その後いくつかの紆余曲折をへて、四世紀末に現在の二十七書が、〝本物〟とされたということになっている。ところが、その後発掘された資料によって、その内容に大幅な改ざんがなされたことが判明している。

 西暦三二五年、小アジアのニケアにおいてローマ全土の司教による第一回宗教会議が三カ月余りにわたって開かれたが、時のローマ皇帝コンスタンチヌスの命令で、その会議の舞台裏で改ざん作業が進められていたらしい。

歴史上ではコンスタンチヌスはキリスト教を容認した寛大な皇帝として〝大帝〟(グレイト)と尊称されてるが、実際は、政策上の一手段として都合のいいキリスト教をでっち上げたにすぎなかったのである。

 その事実を示唆する資料の一部をまとめた書物が一八八六年に出版されている。History of the First Council of Nice by D. Dudley (第一回ニケア会議の真相) がそれで、私が入手したのが第七版であるところを見ると大変な反響があったはずであるが、なぜか日本では紹介されていない。





 ・〝歴史上
最大の陰謀〟のあらまし

 そのあらましはこうだった。帝政となってからのローマは、旧約聖書の 「ダニエル書」 の中でユダヤ人がローマ帝国は〝滅ぶべき第四の帝国〟と見なしていることから、ユダヤ人への偏見が根強く、特に原始キリスト教徒のユダヤ人を徹底的に迫害している。

紀元三年の暴君ネロに始まった迫害は暴虐をきわめ、〝狂気の獣性〟以外にその根拠を見いだせないほどのものだった。が、その他の
宗教にたいしては寛大で、コンスタンチヌスの治世下には、東洋のヒンズー教と西洋のドルイド教とが勢力を二分していた。


 その二派が共に自分の宗教の神の方が絶対であることを主張するようになり、何かと争いが生じるようになった。ヒンズー教はクリシュナ神を、ドルイド教はヘサス神を立てて譲らず、コンスタンチヌスも手を焼くようになった。

それに対処するために、コンスタンチヌスはまず、クリシュナとヘサスとを相殿(アイドノ)として併立させるか、それともどちらかが譲って一つの神のもとに統一しては、という考えを提案した。いかにも宗教とか信仰に縁のない人間のご都合主義から出た安直な考えで、そんなもので両者が納得するはずはなかった。

 そこでコンスタンチヌスが目をつけたのは、それまでの迫害つぐ迫害にもかかわらず根強くユダヤ人の間で受けつがれてきているイエスなる人物への信仰心だった。

そのイエスを神に祭り上げて、これをローマの国教とすることによって民意を収攪しようという考えを抱いた。その下心をもって三二五年五月にローマ全土の司教を小アジアの二ケアに招集したのである。

 ローマ領とはいえ、そんな辺ぴな属国を開催地としたことにも、その本当の目的を悟られまいとする深謀があった。

表向きの目的はギリシャの神学者アリウスの説を討議することになっており、ほぼ三百名の司教が出席したことになっている。そして、イエスは神ではないとするアリウスの主張が退けられて、イエスを神とすることに満場一致で決して、ここにイエスキリストなる架空の人物が誕生し、キリスト教がローマの国教として容認されたことになっている。

 ところが、実際はそうではなかった。出席者は実に二千人前後にものぼっていた。そして、そのうちコンスタンチヌス派が三百名で、残りは全部アリウス派だった。したがって採決を取った時は当然コンスタンチヌスの望む、イエスを神とするキリスト教案は否決された。これにコンスタンチヌスは激怒した。

そしてアリウス派が提出した反対声明文を皇帝派の者がその場で破り棄てた。そのことで議場は混乱に陥った。が数では到底勝てないと見たコンスタンチヌスはローマ兵を呼び入れて、アリウス派を強引に議場から連れ出し、全員の聖職権を剥奪し、アリウスを国外追放処分にした。

 あとに残った三百名の皇帝派が改めて採決し、かくして〝満場一致〟でイエスを救い主とするキリスト教が誕生した。

その論拠とすべきバイブルも、世界各地の神話・伝説から都合のいいものを借用して、それらしく書き改めていった。そして、さらにその上に次々と人工の教義をこしらえていった。贖罪説、最後の審判説、等々。ある聖書学者はこうしたニケア会議での一連の出来事を〝歴史上最大の陰謀〟とまで呼んでいる。

 その陰謀を、それから実に二百年後になって、アリウス説の後継者ユノミウスが嗅ぎつけた。

そしてその真相を公表し始めた。それに慌てたローマ教会は、当時すでに握っていた強大な権力で持って、その真相を記したユノミウスの全著作、さらには、そのユノミウスを告発しようとする動きに抵抗する者たちの著作まで、一片の痕跡も残らないまでに隠滅する工作に出た。そして一応その目的は成就され、真相は再び闇の中に葬られた。

 が、真実が永遠に葬り去られることはない。西ローマ帝国の滅亡後、その遺跡の中から唖然とさせる黒い陰謀を暴く物証が、古代史家の手によって発掘された。その問題の会議に出席した司教たちが書き残した記録や、その後お互いに交し合った手紙の中に、その事実が述べられていたのである。

もとよりそれは各自が後で思い出して書き記したものなので、細かい点、たとえば出席者の数などは一八〇〇名というものや二〇〇〇名とする者まであって、必ずしも一致していない。が、先に述べた会議の経緯そのものは紛れもない事実であることを証明するには十分であった。

 ダドレーの著書は十四章から成り、コンスタンチヌスが会議を招集するに至った原因と目的、そして会議の経過と結果とを整然と叙述しながら、それを裏付ける証拠資料を〝脚注〟の形で紹介している。その脚注が全体のほぼ半分を占めるほど豊富である。




 ・霊界通信に見るイエスの実像

 英国の女性霊媒ジェラルディン・カミンズによる霊界通信に 『クレオパスの書』 というのがある。

イエスと同時代の人物であるクレオパスは、今では地上と直接の交信ができないほどの高い波動の世界へ進化してしまったために、七人の〝書記〟を通して───七つのトランスで波動を変えながら───カミンズ女史の霊的能力を活用して、イエスの弟子たちの行状を生々しく伝えてきたものといわれている。

 それを解説する〝序文〟は聖書学者や司教、神学博士、心霊研究家等、実に二十数名によって共同で執筆されたもので、霊界通信の検討はかくあるべきという見本のようなものである。

 さて
イエスに関するナゾの一つに、その幼少時代と修業時代がある。布教活動を開始するまでの三十年近くを一体どこでどう過ごしたかが、まったく空白なのである。あからさまに言えば、イエスの実在の人物とする確たる証拠は何一つないというのが本当のところらしい。聖書
学者の中にはイエスを架空の人物と断定している人もいるほどである。

 が、われわれスピリチュアリズムの資料に幅広く親しんできた者には、実際の記録と同じ、あるいはそれ以上に信頼のおける、霊界からの通信がある。 『クレオパスの書』 (日本語訳 『イエスの弟子達』 潮文社) もその一つである。バイブルの 「使徒行伝
」 と 「ロマ書」 の欠落部分を見事に埋める形になっているといわれている。

が、その後、イエスの少年時代と青年時代に関する通信も届け
られている。文字どおり The Childhood of Jesus と The Manhood of Jesus の二冊である。 

その訳書が 『イエスの少年時代』  『イエスの成年時代』 のタイトルで潮文
社から出版されている。訳者で元牧師の山本貞彰氏は 『イエスの少年時代』 の 〝訳者あとがき〟で次のように述べておられる。


《イエスの伝記というものは、正確な意味で何一つ存在しないといってよい。新約聖書の中の福音書は、元来イエスの受難物語 (十字架上の死と復活) に重点を置かれて書かれたものであるから、イエスの重要な背後をなす 「生いたち記」 が完全に欠落していることになる。

カミンズは、彼女の偉大な霊能によって 「母マリアの背景」 と 「イエスの成育史」 というもっとも重要な部分を提供してくれたのである。

聖書にまったく見られない人物や出来事をも加えながら、イエスの少年
時代を中心に展開されている雄大なドラマは、読む者の魂をゆさぶり、救いに導く大切な霊的養分をふんだんに注入してくれる。多感な少年イエスが、あらゆる苦渋をなめさせられても、真の救いを求めて修行をつんでいく姿には、感涙相むせぶ場面が幾度もあり、読む者の魂を浄化してくれる不思議な力がこもっている。

 さて、本書は一体なにを言わんとしているのであろうか。イエスは最初期待していた神殿(ユダヤ教)には救いが無いことを知らされた。

ユダヤ教を代表する大祭司アンナスは、ローマの金権政治の犬になっており、ユダヤ教のラビ(教師)は徹底した教条主義で、少なくともイエスにとっては腹黒い偽善者であり、稀に見る善人として登場する老パリサイ人シケムでさえ、神殿という建造物にしがみついている臆病者であった。

結局イエスは、組織としての宗教や儀式的教条主義に救いが無いことを見抜いて、名も無い異国の浮浪者ヘリを真の指導者と仰いで山野において修行を続け、遂にアラビヤの 「流浪の部族」、もとをたださば皮肉なことに脱ユダヤの人々に兄弟として迎えられるのであった。では一体何が救いであったのだろうか。

学者の高邁な哲理でもなく、組織伝統的宗教団体でもなく、・・・・・・それは賢明なる読者にお委せすることにしよう。》


 そして 『イエスの成年時代』 の〝訳者あとがき〟で、それをこうまとめておられる。

《二年がかりでカミンズ女史のイエス伝を完訳できたことを嬉しく思う。上巻に当たる 『少年時代』 は、涙ぐみながら翻訳にあたり、今回の 『成年時代』 では、納得のできる解答が与えられた時に誰もが味わう理性的満足を得ながら進めてきた。やさしく言えば、「なるほど」 の連続であった。

もうひとつ、つっ込んで言わせてもらうならば、本書のイエスほど自然で、すなおに感じられる人物はいないということである。正統派が大事にしている新約聖書の中でのイエスは、実に不自然で不明な事柄が少なくない。どだい、数多くの断片をつぎはぎして作られたものであるから無理もないとは思うが、
鮮明なイエス像が浮かんでこない。

 まず第一に強調したいことは、今更言うまでもないことであるが、イエスの徹底した信仰と実践であるが、彼が絶対的に信頼していた神の本質は 「愛」 であるから、当然の帰結として人間性を無視する現象や、それを否定する状況を許すことはできなかった。

権力を笠に着たパリサイ人や律法学者がとった冷酷な態度や、自分さえよければという利己主義と闘い、あるいはまた、全く無防備なか弱い羊を餌食にしようとする狼とは、命がけでたたかうイエスであった。

この勇気はどこから生まれてきたのであろうか。神が愛であるということを心から信じていたからだと思う。彼は凶悪な泥棒の前や殺生
の場面において、 「肉体を滅ぼすものをおそれてはいない」 と語り 「いつでもこの世を去る準備はできている」 とも語っている。 『神を心から信じている』 という極めて単純なキー・ワードに注目してもらいたい。

「信仰」 と 「
愛の実践」 とは全くイコール (同等) なのである。このような信仰の原点を見事に伝えてくれた本書のイエスに改めて惚れなおしているところである。この点を欠いている現代の教会については、今更ふれる必要もあるまい。死んでいるものを批判しても始まらないからである。

 第二に考えさせられたことは、自分に与えられている使命を、長い時間をかけて追及していく真剣な態度である。

「もし私が預言者ならば・・・・・・」 というセリフが何度か語られている。心から愛していたアサフ (障害者) がローマ軍によって無残にも殺されてからのイエスは、ややニヒルになり、何もかも虚しくなり、一旦は隠遁修道会として名高いエッセネ派の生活を始める。

それでも彼はそこで満足が得られず、隠者として一生を終わることに本来の使命を感ずることができなかった。言い換えれば〝召命感〟が得られなかったからである。

ついに彼は故郷のナザレに帰り、叔母のマリヤ・クローパスとの会話から電撃的な閃きを得るので
あった。

それからのイエスの態度は一変した。神の愛の実践者として、非人間化による犠牲者たちを片っ端から救済し、非人間化を行使する権力者(体制)を徹底的に糾弾した。つまり目まぐるしい奇跡と論戦の連続であった。

 人間には誰にでも使命が与えられている。イエスのような霊覚者でさえ、真剣に追及している姿に心うたれるものがある。イエスが使命に関して終始考えていたことは、本書によれば、二者択一であった。一つは、洗礼者ヨハネやエッセネ派の指導者からも強力に勧められた道、即ち隠遁生活である。

瞑想によって常に神と交わり、世俗と縁を断つことである。他の一つは、世俗の中に入り、人々の間で神の愛を実践することである。結局は、人間が本来あるべき道を選択したのである。彼の選択は、私たちに言い尽くせない勇気と目標を与えてくれたのである。

 第三に、大変うれしく思ったことは、実践の原動力が何によって得られるかが明示されていることである。つまり神との合一のことである。イエスはこれなくしては前へ進まなかった。全く一人になって人けのない所に行き、霊的交わりをした。その状態を何と表現しようが問題ではない。とにかく神と霊的に交わるのである。

それによって莫大な霊力が与えられ、死人をも生き返らせる力となり、体制を論破するエネルギーとなる。その断片をアサフやヨハネがかいま見ている。そのこと一つを取り上げてみただけでも、今の組織的宗教の欠陥が分かるというものである。

イエスは手で作った神殿を嫌った。組織宗教は大きな建物を持ちたがる。イエスは腐敗しきった組織宗教の仰々しい儀式や意味不明の教義、そして豪華な祭服を糾弾した。

 皮肉にも、今の教会はイエスが嫌ったものを全部揃えてしまったのである
。本書のイエスがはっきり示していることは、『信仰は個人のもの』 『宗教は実践』 ということである。信仰と組織は全くなじむものではないと思われる。

信仰が集団となって生きる道は、エッセネ派のような隠遁修道会であろうと考えている。イエスが愛に満ちた奇跡を行っているのを見て、当時の宗教的指導者は、言うことにことかいて、ベルゼブル (悪魔の頭目) の力をかりてやっているのだと言った。

 あれから二千年たった今、再びイエスが現れたなら、今の教会の連中もパリサイ派と同じようなことを言ってイエスを非難するであろう。いみじくもシルバー
バーチ霊が、この点を明快に指摘していることをご存知の読者もおられることであろう。》


 シルバーバーチは〝今もしイエスが現れて教えを説いたら、まっ先に石を投げつけるのはキリスト教徒でしょう〟と言い、インペレーターも、〝今もしイエスが当時のありのままの教えを説いたならば、現代の知識人、博士、神学者、科学者と呼ばれる階層の者も、こぞってイエスを嫌い、あるいは迫害もしかねないであろう〟と述べている。

 右の『イエスの成年時代』 の巻頭を飾らせていただいた私の一文
『求道者としての極限を生きた〝人の子〟イエスの実像』 の中で、私はあらましをこう述べた。


 《本書のもつ意義については二つの視点があるように思う。一つは、従来のバイブルの記述を絶対としてそれのみに頼ってきたイエス像とその行跡を見直すという視点である。が、これについては山本氏が〝訳者あとがき〟でご専門の立場から述べておられるので駄弁は控えたい。

 もう一つの視点は、そうした通信霊が述べているイエス像とその行跡との比較という視点である。キリスト教の専門家でない私は、どうしてもそこに視点を置いて読むところとなった。

 私が、〝三大霊訓〟と称している 『モーゼスの霊訓』、 オーエンの 『ベールの彼方の生活』、そして 『シルバーバーチの霊訓』 が申し合せたように強調していることは、〝スピリチュアリズム〟の名のもとに進められている現代の啓示と人類の霊的覚醒事業の中心的指導霊が、
かつて地上で〝ナザレのイエス〟と呼ばれた人物だということである。

 これをすぐに〝同一人物〟とするのは早計である。一個の高級霊が幾段階もの〝波長低下〟の操作の末に母マリアの胎内に宿り、誕生後それが肉体機能の発達とともに本来の霊的資質を発揮して、そこに人間性をそなえた〝ナザレのイエス〟という地上
的人物像ができあがった。

その幼少時の〝生い立ちの記〟が前巻であり、いよいよ使命を自覚して当時のユダヤの既成宗教の誤りと、その既得権にあぐらをかいている霊職者の堕落ぶりを糾弾していく〝闘争の記〟が本巻である。

 こうした救世主的人物の生い立ちや霊的悟りへの道程はとかく超人化され、凡人とはどこか違う扱いをされがちであるが、〝十字架の使者〟と名のる通信霊の叙述するイエスの生涯は、どこの誰にでもあるような、いや、それ以上に人間臭い俗世的喧騒に満ちており、また苦難の連続だった。兄弟間のいさかい、親の無理解、律法学者やパリサイ人による怒りと軽蔑、同郷の者による白眼視・・・・・・最後は〝浮浪者〟扱いにされるまでに至っている。

 「イエスの成年
時代はこのようにして孤独の体験から始まった。イエスは故郷の人々に心を傾けて天の宝を与えようとしたのであるが、彼らはそれを拒絶したのである」

 という一文には、胸をしめつけられる思いがする。

 しかし、イエスはそうしたものをすべて魂のこやしとして霊性を発揮していき、愚鈍で気の利かない平凡な少年から、威厳あたりを払う風格を備えた青年へと成長していく。

そこには求道者としての極限を生き抜いた姿がほうふつとして蘇り、二千年後の今、こうした活字で読むだけでも、その意気込み、精神力、使命の忠誠心に圧倒される思いがする。シルバーバーチが、人間的産物である〝教義〟を捨ててイエスの生きざまそのものを模範とするようにならないかぎり、人類の霊的新生は望めない、と述べている言葉が思い出される。

 そのイエスが、死後、物質的現象でその姿を弟子たちに見せて死後の存在を立証して見せたあと、地上的なほこりを払い落して本来の所属界へ帰って行った。そして〝私はまた戻ってくる〟の預言
どおりに、今、人類浄化の大事業の総指揮者としてその霊的影響力を全世界へ行使しつつある。

それが各種の霊界通信、奇跡的な心霊治療、自由解放の運動となって現れているのである。》


 スピリチュアリズムが基盤としている驚異的な心霊現象は、本質的にはイエスが見せたのと同じものだったのである。イエスはそのうち自分よりもっと大きなことをする時代が来ると予言しているが、クルックス博士の実験室内での物質化現象を見れば、間違いなくイエスが見せたものよりも大きかったであろう。

 そうした現象をキリスト教では〝しるしと不思議〟signs and wonders と呼び、イエスは神の子だからこそ出来たのだと説くのであるが、そんな神懸かり的で曖昧なこじつけではなく、スピリチュアリズム的に明快な解釈を施してくれた人がいる。

G・M・エリオット氏である。英国国教会の司祭でありながら、心霊現象に関する豊かな知識と経験をもち、〝死後の存在〟の事実と〝霊的法則〟の存在の普及に努めた異色の宣教師だった。

当然のことながら保守的な教会組織から強い弾圧を受け、一時は説教を差し止められ、懲罰が課せられ、収入が断たれ、ついには破門されるという憂き目を経験した。

 そもそもエリオット氏がスピリチュアリズムに関心を抱くようになったきっかけは、エリオット夫人に優れた霊的能力があったことである。その異常能力を見てエリオット氏は、これがバイブルに言う、〝しるしと不思議〟だと考えるようになり、夫人と共に他の霊媒による交霊会にも出席して、死後存続について確たる信念を持つようになった。

そうした体験を通してバイブルの中のイエスの言動を全く新しい角度から理解するようになり、当時親交のあった〝フリート外の法王〟の異名をもつハンネン・スワッハーの強い要請を受けて、The Psychic Life of Jesus を出版した。それを山本貞彰氏が 『聖書(バイブル)の実像』 と題して訳しておられる。その〝訳者あとがき〟の中で山本氏はこう述べている。


《現代のクリスチャンの最大の欠陥は、〝イエスの死から昇天の過程〟が全然理解できていない点であろう。ここが人間として最も重要な〝知識〟なのである。

少しでも良心的な者なら、この過程の中に何かしら重要な秘密が隠されているのではないかと感じるはずでる。イエスは神だからそのくらいの
ことなら出来る、という程度の知識なのであれば情けない話である。この部分が分からないということは、失礼ではあるが、唯物主義者と何ら異なることはない。

本書の著者が情熱の限りを尽くして書き著して
いることは、イエスの復活と昇天にある。謙虚な読書なら、きっとこの部分が素直に受け止めることができるのではないかと思う。あの多弁なパウロでさえ 「死は変化にすぎない」 と〝コリント人への第一の手紙〟のなかで力説している。従って、死から霊の存在に変化するときの具体的な知識がなければ、絶対にこの部分は分からないはずである。

 すぐれた聖書学者なら、この部分が最もキリスト教にとって重要なところであるということを否定しない。しかし彼らも充分に理解できていないのが現状である。訳の解らない屁理屈を並べているからである。牧師の説教を聞けばすぐ分かる。聖書学者の二番煎じを聞かされるのがおちである。

霊的知識を持っていない学者や牧師が、どうして霊への変化の過程について語れるというのであろうか。この点に本書の著者がにがにがしい体験を味わっていることを書いている。 「信仰とは、もはや神を信じ神の与えたもうた霊力を信じることではなくなった。信仰とは教会の組織を信じ、人間が作った〝信仰箇条〟や聖職者・法王を信じることに変わってしまった

 本書を霊能者の立場から眺めてみることも有益であろう。心霊現象にまったく無関心な唯物主義者や、教会に属している信条クリスチャンとは、正反対な人々である。

心霊現象の知識がある人、霊的能力のある人というのは、えてして〝組織〟をつくりたがる傾向を持っている。組織は権力と金を生み出し、ついに教祖的存在となってしまう。著者が至るところで強調しているように、イエスは全く〝組織〟を作らなかった。霊覚者と言われる所以である。

 現代流の表現を用いるならば、イエスは心霊治療家を養成し、不治の病人と言われた人々の救済に全力を尽くしたといえる。心霊治療に当たっていたスタッフ (弟子) の生活費は、当然のことながら、完治した人々からの成功報酬によって賄われていたのである。取り過ぎもせず、足らないということもなかった。

組織としての宗教が今日堂々と行っている〝定額献金〟とか、〝冠婚葬祭〟によって得られるお布施の類などは、当時影も形もなかった。イエスは、終始、〝宣教と治療〟に専念していたのである。

まして立派な建物や儀式などは、思いもよらないことであったろう。もし仮に聖書の中に〝組織〟の匂いのする文章があるとすれば、完全に後世の改ざんである。

ある学者の研究によれば、聖書は、歴史上最大の〝詐欺的〟書物であるとさえ言われているのである。聖書の一字一句は神の
御言葉であって、全く誤りのないものであると信じ切っている方には大変ショックなことであろうが、教会の組織が生まれようとしていた四世紀の初期頃までは、イエスの実像が大がかりに変えられてしまったようである。

 ガリレオの名句と言われていると言葉 「それでも地球は動く」 も伝記作家の創作であったらしい。原本が後世の人々の手によって様々に改変される例は無数にあるのである。何はともあれ、霊能をだしにして多額の寄付や寄進を要請し、けばけばしい大伽藍を建立してきた宗教組織とイエスとは全く無関係であることを強調しておきたい。

イエスが教えてくれた〝霊能〟とはそれを必要としている人々のためにひそか用いられていること、それによって真の神を知らせるチャンネルにしていたこと、であった。この点を明確にしておけば、現代においても単なる霊能者と真の霊覚者の違いがはっきりすると思う。》





   第四章 イエスは十字架上で死んでいなかった?

 イエスが十字架上ではりつけにされている姿───それは悲愴感と残酷性と崇高さを覚えさせずにおかないものだが、あの時、実はイエスは十字架上で死んでおらず、奇跡的に生き返ってこっそりと国外へ逃亡したと聞かされると、どことなく複雑な気持ちになるのは私だけではなかろう。

しかもその逃亡先はローマだとするもの、インドだとするものほかに、この日本にきたとする説が根強く残っていることは、いったい何を物語るのであろうか。

逃亡先はともかくとして、イエスはあのまま死んでいなかったのではないかと想像させる何かが起きたはずで、それは一体何だったのかを考えるのも、一種のミステリーとして興味あることではないかと思うのである。

 これからそのうちの三つの説を紹介するに当たって、あらかじめ断っておきたいのは、仮にイエスがその後何年か生き延びていたことが事実だとしても、イエスという人物の存在にとって、それは実にささいなことだということである。それは、その後で述べる霊界でのイエスの本来の霊格と霊力のすごさを考えれば、容易に理解していただけることと思う。




(一)アッピア街道で大工として短い余生を送ったと
する説 

 ・愛犬プルートーを従えて 
 英国人の E・V・Reuter の著者 The Man From Afar (はるか彼方から来た人) によると、イエスは伝道活動の期間中ずっとプルートーという名の愛犬従えていて、そのプルートーが処刑直後に大きな意味を持つことになる。

即ちイエスをはりつけにした十字架が立てられた直後から一天にわかにかき曇り、稲妻が走り、大粒の雨が落ち始めた。慌てたローマ兵たちはイエスの息が絶えているかどうかを確かめるために、脇腹をやりで突いた。

すると鮮血が流れ落ちたが、イエスの体がピクリともしないので、もう死んでいるものとみて十字架から引き下ろして、マントを被せた。折から雨が激しくなってきたので、番兵たちはイエスの遺体をそのままにしてその場を去った。

ふつうならジャッカル(野生の犬)が死体を食い荒らすところだったが、愛犬のプルートーが片時もそばからはなれず、烈しい雨も幸いして、ジャッカルも近づけなかった。

 その夜は滝のような雨が降り続き、母親のマリアとマグダラのマリア、それに弟子のペテロとヨハネは、ラマダイスのヨセフの家でまんじりともしない悲しい夜を過ごした。そして雨が止むとすぐ、まだ暗いうちに遺体を確認しに出かけた。その日は安息日なので埋葬は行われないことを知ってのことだった。

 刑場へ来てみると、二人の盗っ人は十字架にはりつけにされたままなのに、真ん中のイエスの姿が見当たらない。更に近づいてみると、何かを覆っているマントのすぐそばにうずくまっていた犬が起き上って激しく吠えた。

が、マリアの姿を見るとすぐに大人しくなった。そこでもしやと思ってマントをめくってみると、まさしくイエスの遺体だった。あたりを見ると、ジャッカルの群れが遠巻きにしている。

 「危ないところだった。いっそのこと家へ連れて帰ろう」───大変な禁を犯すことになる行為ではあったが、そのときの事情ではそうせずにいられなかった。そしてヨセフの家で棺に安置してその遺体を見つめているうちに、唇と頬が赤みを帯びてきて、やがてイエスは息を吹き返した。手のひらと足の甲のクギの跡もきれいにふさがっている。奇跡が起きた───みんなそう思った。

 そう思うと、みんな、このままもう一度あの十字架にかけられるのは忍びなく思えた。ローマの統治下にあって、それは絶対に許されないことだった。もし見つかったら、さらに重い刑罰が科せられ、かくまったものも同罪になる。が、それを恐れる気持ちはもうなかった。さっそく逃亡のための変装に取りかかった。

 逃亡の途中で何度か芝居もどきのハラハラさせられる場面が展開するが、それは省略して、ローマの方角へ向けてイエスは、アッピア街道をただ一人落ちのびていった。

当然のことながら、体力は疲弊しきっていた。とくに一晩中雨に打たれて冷え切っていたために、すでに気管支炎を患っていた。が、ローマにほど近い村で大工の家を見つけて、雇ってくれるよう頼んだところ、その大工は老齢で一人暮らしだったせいもあって、喜んで雇ってくれた。やがてその大工が死に、イエスは一人で細々と暮らし、四十歳余りで他界している。




 ・ペテロとの再会
 その他界の少し前にペテロが、ローマからの帰り道で偶然そのイエスの家に水を貰いに立ち寄った時の話が、最後に語られている。

 イエスは白いあごひげをたくわえていたので、ペテロは最初、それが主イエスであるとは気がつかなかった。が、イエスの方はペテロであると分かっていた。そしてできることなら気づかれないままであった方がいいと思っていた。しかし

 「少し休んでいかれては?」

 という言葉を聞いて、その声の響きにペテロは、ふと、思いが昔に引き戻された。
その瞬間、すべてが蘇った。そして思わずひざまずこうとした。するとイエスはそれを制した。ペテロが、

 「先生、これは夢では?」というと、

 「夢ではない、ペテロ。私にはすぐ分かったが、気づかれなければ、そのままにしておこうと思っていたよ

 「先生、いったいこれはどういうことですか。わたしには何が何だかさっぱり分かりません」


 こうして二人は一晩中語り明かした。イエスは時おり苦しそうにセキ込んだ。物を取りに行く時の足取りも危うかった。

 翌朝、イエスはペテロとともに、一マイルほど同行し、いよいよ別れぎわにこう語ったという。

 「ジャイルスはいずれ手記を書くといっていたが、この事実は知らないはずだから、会って真実を伝えてやってほしい。そしてマグダラのマリアには、私が死んだら、まっ先に声を聞かせるといってやってくれ。どこにいようと同じことだ。私の命はもう長くないことは分かっている。呼吸が日に日に苦しくなってきた・・・・・・」

 そう言ってからペテロの頬に口づけをした。ペテロはアッピア街道を進みながら、何度も振り返ったが、そのたびにイエスは手を振っていた。そして、ついにそのイエスの姿も遠くかすんで見えなくなった。

 この書はタイトルからして小小説的であり、副題も A Flight into the Past as itmight have been となっていて、言ってみれば〝こうではなかったかという一試論〟というかたちをとっている。いくつかの資料をもとに、著者の想像力を混えて書いたもののようである。

その中で浮き彫りにされているイエス像は、宗教家というよりは社会革命家といったイメージが強い。ストーリーは実に面白くて、私は三度も読み返している。




  (二)インドで伝道と治癒活動を続けたとする説

 ドイツ人ジャーナリスト Horger Kersten の英語版の著者 Jesus Lived in India (イエスはインドで生きていた)によると、イエスの処刑は正午ごろに始まって、遺体が下ろされたのは三時頃だったという。

天変地異は起きていない。慣習どおりに遺体は布でくるまれて石棺に埋葬された。それから二日目にマリアたちが訪れると、その石蓋が取り払われていて、イエスの遺体は無くなっていた。

 そこまではバイブルの話どおりであるが、実はイエスの遺体が埋葬されたその夜のうちに、エッセネ派の者たちが忍び込んで運び出したという。スリラーもどきのプロットが展開する。そしてその後の筋は〝外典〟の一つである 『トマスの福音書』 ときわめてよく似ている点が興味ぶかい。

 


 ・セッセネ派との関わり合い

 話を進める前に、イエスの遺体を運び出したとされるエッセネ派について、簡単に説明しておきたい。

 今から半世紀ほど前の一九四七年に、アラブの遊牧民の一つであるベドウィン族の少年が死海に面した険しい岸壁で洞窟を見つけた。中に入ってみると細長い土製のつぼが数本ころがっていた。中のものを取り出してみると巻物が入っている。もしかしたら金になるかもしれないと思った少年は、それを持ち帰って古物商に売った。

それがさらに数人の商人を転々とするうちに、聖マルコ修道院の大主教 A・I・サミュエルの手に渡った。
巻き物を一目見て大主教は、それがとてつもなく貴重な資料であることを直感した。こうして俗にいう〝死海巻物〟正式には〝クムラン文書〟がキリスト教会を震撼させる大問題へ発展していった。

 まずヨルダンの古物管理局のハーデングとフランスの聖書考古学院のドゥ・ヴォ―神父の指揮のもとに組織的な発掘作業が進められ、蒐集された膨大な数の遺物を、英米仏の専門家を中心に組織された国際的研究機関によって、

復元と解読が行われた。その結果判明したことは専門的すぎるので、ここですべてを列記するわけにはいかないが、

その中にイエスの実像と直接結び付く発見として、従来の認識ではユダヤ教はサドカイ派とパリサイ派によって二分されていたというのが通説だったが、実はもう一つエッセネ派と呼ばれる宗団があって、ちょうどイエスが活動したころに一つの集団生活圏を築いていて、

イエスもどうやらそれに所属していたことがあるらしいという推測が、かなりの信憑性をもって語られるようになった。

 エッセネ派の全体としての印象は〝男性的戒律〟の宗団である。禁欲を第一とし、肉欲を禁じ、財産はすべて共有、他人への親切、特に年長者・貧者・見知らぬ人への思いやりを説いた。奴隷制度を排斥したのもエッセネ派が最初と言われる。学問的にはギリシャ哲学を重んじ、東洋の思想や教訓を積極的に取り入れていた。

 こう並べてみると、一つ一つは実に結構なことのようであるが、それがいちいち型にはめられた行為であり、しかも最大の問題として、現在の常識で言う〝結婚〟は許さず、原則として養子を向かえることにし、唯一、子孫を絶やさないという目的のためにのみ性行為を許し、子供が生まれれば、そこで妻の籍を除外したという。

 エッセネ派に関する文書の主な作者は三人で、その述べていることにいくつかの矛盾点があるが、それは時代の推移による戒律の変遷を物語っていると理解してもよいであろう。が、問題はこのエッセネ派とイエスとの関係である。

バイブルに出てくるイエスの教えの中にエッセネ派の教えときわめて類似したものが多く見られるところから、イエスもエッセネ派だったのではないかという推測がされているのであるが、右の〝女性蔑視〟と〝型にはまりすぎ〟の二点から考えて、イエスが居心地よく思ったとは考えられない。

 現に、霊界通信 『イエスの成年時代』 でも、確かにイエスはエッセネ派に所属していたこと自体は
事実であるが、ごく短期間だった。私の理解しているイエスは自主的判断力を重んじ、怖じけることのない積極的な生き方を奨励し、この世にありながら俗人となり下がらないための霊的自覚と節度を説いたのである。

その上イエスは、ケタ外れの霊的能力をそなえていた。言うなれば当時のスーパーヒーロー的存在だったと考えてよいであろう。だからこそ総督のピラトやユダヤ教の聖職者がイエスに対して嫉妬と恐怖を覚えたのだった。こうしたイエスの実像については、改めて取りあげることにして────




  ・ダマスカスにいったん
身を隠す 

 処刑直後にイエスの遺体を持ち去ったのは、こうしたエッセネ派の一味で、多分イエスが所属していた時分にイエスとともに修行をし、イエスがただの人間でないことを見抜いていた。かつての同志たちだった。

 イエスは、その運ばれて行く途中で覚醒する。そしていったんダマスカスに落着き、そこで追手の目を避けながら、体力の回復につとめた。

 さて、ペルシャに伝えられる話によると、やがてそのイエスのもとにトルコのニシビスの王から病気治療の依頼が届けられた。が、体力の回復が十分でなかったからか、他に理由があったのか定かではないが、取り敢えず弟子のトマスを行かせて、自分も必ず後からいくという手紙を持たせたという。が、約束通りイエスが訪れた時は、王の病はトマスによって癒されていたという。

 ニシビスを出てから北西への旅に出て、最後にインド北部のスリナガルで死亡するまで、イエスはいくつかの名前を使い分けながら、霊的真理の伝道と病気治療を行っているが、その根拠は、四世紀にシリアで書かれたといわれる〝外典〟の一つ 『トマス行伝』 と 『トマス福音書』 である。

イエスと最後まで共にしたのはこのトマスで、ほかに母親のマリアとその妹、それにマグダラのマリアの三人で、マリアの妹は、すでに紹介した霊界通信 『クレオパスの書』 のクレオパスの妻だったという。



 ・イエスとマリアの墓

 著者のドイツ人ジャーナリストはトマスの二つの書を克明に実地検証し、母マリアの墓(パキスタンのマリ) とイエスの墓の存在を確認して、その写真まで掲載している。最後にイエスが名のった名前は ユズ・アサフ Yuzu Asaf でスリナガルの中心地にあるロザバル Rozabal という建造物の中に葬られているという。

 ロザバルというのは〝予言者の墓〟という意味で、それがイエスであることの絶対的証拠として、考古学者がその墓を調査したところ、墓石に〝足型〟が彫ってあり、その甲のところに、はりつけの時のクギ穴と思われる大きな傷痕があることを発見した事実を挙げている。

その痕跡の様子から判断して、イエスは左足を右足の上に重ねて撃ち抜かれた、ということまで記している。インドのはりつけの刑がないことも、これをイエスであるとする根拠の一つにあげている。年令は記してないが、ストーリーをたどったかぎりでは、かなりの高齢だったことは間違いない。




 (三)〝目撃者〟と称するエッセネ派の長老の手記

 二十世紀になって間もないころ、古代史研究家のエルシー・モリス博士 Elsie L. Morris がロスアンゼルスにある図書館で古代イスラエルに関する資料を書写しているうちに〝エルサレムのエッセネ派の長老がアレキサンドリアの同志へ宛てた手紙〟と言うのが目に止まった。

 一読してその重大さに気づいた博士は、慎重に書き写してから、出版社を経営している B・F・オースチン氏のところへ持ち込んだ。そのオースチン氏も一読してただならぬ内容に
感動し、内容の解読とエッセネ派についてに一文、それにバイブルによる通説を添えて、 The Crucifixior of Jesus by an Eye-witness というタイトルで一九一九年に出版した。

私が入手したのはその復刻版である。Eye-witness というのは目撃者または生き証人ということで、書簡のタイトルの意味は〝目撃者が語るイエスのはりつけ〟ということになるが、目撃者の実名は記されていない。

現物はラテン語で書かれていて、それがドイツに持ち込まれてドイツ語に翻訳され、さらにスウェーデンに持ち込まれてスウェーデン語に訳され、そして右の書の出版のために三人の翻訳家によって英語に翻訳されている。

 それによると、これ又、前の二つの説とはガラリと筋書きが違う。 (一)ではイエスとエッセネ派との関わり合いは一言も述べられていない。徹底した革命家で、ローマの圧政からユダヤ民族を救うために民衆を煽動し、ひそかに武器まで用意している。親にも兄弟にも孝行している。

バイブルに出てくる〝しるしと不思議〟がなるほどと思わせる場面で出てきて、小説を読むように面白い。と言って決して芝居じみてもいない。そしていよいよ革命が実行される直前になって例のユダの裏切りがあって謀反は挫折し、イエスは逮捕されてゴルゴダの丘で (いったん) 処刑される。が、紹介した通りのいきさつで覚醒してアッピア街道を逃げ延び、そこで生涯を閉じる。

最初から最後まで〝これぞまさしく救世主(メシア)だ〟と思わせるほどの霊力と人格力をそなえた人間として描かれていて、エッセネ派との関わりは一切出てこない。

 これが (二) になると、直接の関わり合いは述べられていないが、処刑直後にエッセネ派の一味がひそかに遺体を持ち去っている。そしてその後も陰に陽に援助している。が、行動を共に
したのは母マリアとその妹、マグダラのマリア、それに弟子のトマスで、このストーリーの中でトマスはイエスの本質を最も深く理解した人物とされており、『トマス行伝』 では〝キリストの双子の弟〟という言い方までされている。そして二人して処刑前と同じように数々の〝しるしと不思議〟を行い、難病を癒している。

 著者は、イエスをほうふつさせる人物がインド各地に逗留した事実を証拠づける遺物や遺跡を紹介している。たとえばデリーの南一七五キロにある、今では廃墟となっている古代都市の寺院の一つの巨大なアーチ門に、

 「イエス曰く〝この世は橋である。渡るのはよいが、そこに安住してはならない〟と

 という刻文があるという。

 信頼できる霊界通信、たとえばシルバーバーチの霊言では、イエスは若き日にインドで修行していると述べているところから考えて、そうした遺物はもしかしたらその修行時代のものかもしれないと
いう推測も成り立つ。が、ともかく著者は、インドでマホメット教が猛威をふるうようになる以前に、イエスの教えが広まっていたことは間違いないとしている。



  ・イエスもバプテスマのヨハネもエッセネ派に属していた

 このように、 (一) は小説作法的であり、(二) は考証学的である。がこれから紹介するのは〝私はその場でこの目で見たのです〟と言う人物が、同じエッセネ派の同志へ宛てて書いたもので、その中でのイエスは熱心で有能なエッセネ派の修行者ということになっている。しかもパブテスマのヨハネ、すなわちイエスに洗礼を施したヨハネもエッセネ派の長老で、あの洗礼はエッセネ派への入門を許す儀式だったのだという。

 さて、この〝目撃者〟はイエスが十字架を担がされてよろめきながらゴルゴダの丘を歩いていく様子、それを見て女性たちが大声をあげて泣き叫ぶ様子、一方パリサイ人たちが遠巻きにしてあざけ笑っている様子などを克明に描写している。

そのあと、いよいよ十字架に両手足を縛りつけられてクギを打ち込まれるのであるが、
面白いことに、この目撃者が言うには、クギは両手に打ち込まれただけで、足には打ち込まれなかったというのである。

 「同志諸君、私はこの点を特筆しておきたい。風聞(ウワサ)では両手両足に打ち込まれたとされているからである」

 と述べて、足にクギを打ち込むのはローマのはりつけの慣習ではないと念を押している。


   
  ・大地震が二度起きる

(一) ではそのあと雷鳴とともに大洪水となるが、この目撃者が言うには、太陽が沈んでから大地震が二度発生したという。そしてローマ兵たちは、これはもしかしたら、やはりイエスは神の子で、それを処刑した天罰ではなかろうか、と不安になった。そんな時にバイブルでも登場するアリマタヤのヨセフとニコデモが現場に到着する。

そして、まさかこんなに早く処刑が執行されるとは、と、師の最期に間に合わなかったことを嘆き悲しむ。しかし、この二人がイエスの蘇生に大きな意味を持つことになる。ヨセフが金持ちだったことと、ニコデモが医学にも通じた教養人だったことがその要因である。

 二人は十字架上でうなだれて息絶えているイエスを見て、せめてこのあとローマ兵によって(当時の慣習で)手と脚を打ち砕かれることだけは免れさせてあげたいと思い、総督ピラトを買収してその許しを得ようと、ヨセフが走って行った。ピラトはよくそうやって金をとって許していたという。が、実際はそのことをたのんだ時は、ピラトは地震による恐怖におののき、自分がイエスの処刑を許したことを悔いていて、金は取らずにヨセフの頼みを聞いてやったという。

 ヨセフがそのことで奔走している間に、ローマの百人隊長がイエスの骨を砕きにやってきた。が、幸いこの目撃者はこの隊長と顔見知りだったので、イエスはもう間違いなく死んでいるから、そこまでやらないでほしいと頼んだ。その頼みは受け入れられたが、そこへピラトの使いの者がやってきて、隊長に、イエスは間違いなく死んだか、と尋ねた。

 「確かに死んでいる。だから骨は砕かなくてもよい」 と言うと、 「では確かめさせてもらう」 というなり、ヤリでイエスのヒップのところを突き刺した。すると血と体液が流れ出たが、イエスの身体がピクリともしないのを見て、その使いの者は納得して去っていった。

 その様子を見ていたニコデモは、本当に死んでいればあんなに出血はしないはずなのに、おまけに体液まで流れ出たのは、
イエスがまだ完全には死んでいない証拠と見た。そこで、戻ってきたヨセフと〝私〟に小さな声で 「先生はまだ生きていらっしゃる。体力を消耗しているだけだ。さっき、こういう時によく効く薬草を取ってきてある」と言った。

 三人は早速十字架にのぼり、縄をほどき、両手のクギを抜いて、ゆっくりと地面に下して横たえた。そこでニコデモが大急ぎでイエスの体全体に薬味と膏薬を塗りつけた。さらにその上から白い布でぐるぐる巻きにして、埋葬場所である洞窟の中へ運び込んだ。そして、その入り口を大きな石で塞いでおいて、中でアロエなどの薬草をいぶした。

 それがよく効いて、ニコデモが予測したとおり、イエスは蘇生する。そして逃亡という筋書きになるのであるが、その目撃者の話では、イエスは意識は取り戻したものの、体力の消耗が激しくて、エッセネ派の者にかくまわれながら各地を転々とするうちに、ついに生命が
尽き果て、処刑後六カ月ほどで死亡したという。そしてその遺体は死海のほとりに埋葬されたという。



   (四)その他の諸説

 以上、私は手元に原典があるものだけを選んで紹介したが、実際には、他にもいくつかの説がある。多分ご存知の方も多いと思われるものに、イエスは日本に渡来して青森県の戸来村で百十八歳で死んでいるとする説もある。

これは、〝竹内文書〟(タケノウチモンジョ)と呼ばれる日本の古史古伝の中の〝外典〟または〝偽典〟とされているものの中の一つに述べられている説で、その根底にはユダヤと日本が同一民族である───正確に言えば、二五〇〇年前にユダヤの一支族が流浪の旅の末に日本列島に住みついたとする説から出ている。

 参考までにあらましを紹介しておくと、イエスは双子の兄弟の兄で、弟はイスキリといい、それが身代わりとなって十字架上で死に、イエスは長い逃亡の旅の末に日本にたどりついたという。

イエスが双子であったというのが
事実かどうかは問わないとしても、私が全くおかしいと思うのは、イエスがこれ程までに騒がれるのは〝これぞ救世主か〟と騒がれるほどの人物だったからこそで、それが弟を身代わりにしておいて逃亡し、最後は日本にきて片田舎でひっそりと余生を送ったことが、さも日本にとって意味ありげに扱われていることである。本当かウソかの問題以前の、どうでもいい話ではなかろうか。

 そのほかにも、イエスは逃亡中にマグダラのマリアとの間に子供をもうけたという〝下衆の勘ぐり〟程度のものもある。

右のアレキサンドリアの〝目撃者〟もエルサレムとパレスチナで起きたイエスの処刑前後の事実に羽が生え尾ひれがついて、とんでもない話に発展していくのを放置して
おくに忍びず、その真実を書き残しておきたいと思ったというのである。と言って私は、この目撃者と称するエッセネ派長老の話が尽日と断定しているわけではない。

 事実の誤認はあるにしても、先に紹介した三つがそれなりに筋道が通っており、そうだったかも知れないと思わせるものを備えている。

が、互いに突き合わせてみると、たとえば (二) ではイエスの墓とされるものの石板に足型が彫られていて、それにはちゃんと処刑の時のクギの穴まで彫られているのに、 (三) の長老の話では、当時のローマの慣習として、はりつけの時は両手にしかクギを打ち込まない───足にも打ち込まれたという話が伝わっているようだが、それは断じて事実に反する。とまで言っていて、完全に矛盾している。

 また、(一)では処刑の時刻ごろから雷鳴をともなった大雨となり、それがイエスを救うきっかけとなるのであるが、 (三)では大地震が二度も起きて、それがイエスが助かるきっかけとなっている。一体どっちが本当なのだろうか。

 いずれにせよ、こうしたことが話題となるのは、〝死ぬ〟ということへの人間のこだわりが強いからではなかろうか。実際には自我にも個性にも〝死〟はないのである。

凡人が死を悲劇と受け止めるのは人情として当然のことであろうが、イエスほどの超高級霊ともなると、その使命は生死を超越している。次章でそのことを見てみたい。



 付記───平成三年五月十三日付けの朝日新聞に 「キリストの復活は失神後の意識回復」 と題する、次のような記事が出ている。

 「キリストの復活は失神後の意識回復」
 十字架上で受刑のため死亡、二日後に復活したことになっているイエス・キリストは死後復活したのではなく、気を失った後に、意識を回復した可能性が高い───との新説を英国の医学博士がロンドンの王立医大学内誌に発表した。

 定説への挑戦者は英雇用省の医学顧問を務めたこともある元医師の トレバー・ロイド・デービス氏(八二)夫妻。

二人は、 一、キリストは十字架上でショック状態となって血圧が下降、意識を失った、
      二、、イリストが血の気を失い、動かなくなったため、そばに居たものが死んだと間違えたことは疑いない────と主張。

 その根拠の一つとして二人は、十字架上での受刑死が通常三、四日かかるのに、キリストはわずか六時間後に死亡したとされていると指摘している。
                                                              (共同)



  第五章 霊界へ戻ってからのイエス

・人間的努力と霊の援助 

 以上、私は超高級霊の降誕の最後を飾る人物としてイエスの実像に、いくつかの角度から光を当ててみた。

 読者の中には、真実性を証明する証拠のない、しかも明らかに矛盾する説をなぜ紹介するのかという疑問を抱かれる方も方もいらっしゃるであろう。
 
また、霊界通信に興味をもたれる方からは、イエスがその後も生き延びた話はどの霊も語っていないではないか───何なら霊媒を通じてその点を確認すればよいではないか、という意見が聞こえてきそうである。

 が、その辺に私の霊界通信の受け止め方の違いがあることを知っていただきたい。私はこれまで〝三大霊訓〟と言われる英国の霊界通信ばかりを翻訳してきた。年代順に言えば 『モーゼスの霊訓』 が全三巻 (国書刊行会の文語体訳 『霊訓』 全一巻は絶版)、 『ベールの彼方の生活』 が全四巻、 そして 『シルバーバーチの霊訓』 が第一期十二巻と第二期三巻 (〝愛のシリーズ〟)、第三期三巻(翻訳中) を併せて二十五冊にもなる。

が、このことをもって私が霊界通信に夢中になっている人間のように想像されては困るのである。

 たしかに二十五冊というのは冊数としては多いかもしれないが、その霊的淵源は、かつて地上で〝ナザレのイエス〟と呼ばれた人物を中心とする地球浄化のための大霊団であって、その中の〝霊的真理の啓示〟を担当する三つの霊団から届けられたものなのである。同じ始源からのものが三人の霊媒を通して届けられたということである。

地上におけるスピリチュアリズムを一応十九世紀半ばからとして計算して、以来百五十年間に、日本のものも含めて〝啓示〟と呼ばれるもので私が入手できたかぎりのものを渉猟(ショウリョウ)してきて〝これこそは〟と確認できたもの、つまり純正かつ高等な本格的霊界通信 (計画性をもったもの) と言えるものは、その三つしかないという結論に達したのも、当然といえば至極当然の結果だったと言えるであろう。

 その判断方法はいろいろあるが、基本的には、全体として矛盾撞着がないこと、そして、ベストセラーにはならなくてもロングセラーを続けていること (順に、およそ一二〇年、七五年、六五年) といったことがあげられるが、そういうものとは別に読む者の魂の琴線に触れるものを持っていることが最大の特質と言えよう。

 逆の見方をすれば、そんなことはわざわざ霊から聞かされなくても、人間の知恵で充分に間に合いますと言いたくなるような内容のことを勿体ぶってのたまっているものは、まずもって高級霊からのものではないということである。

ある一定レベル以上の高級霊ともなると、地上世界を経綸している地球神庁の計画と意図をよく理解した上で行動するので、人間の努力の範囲に属することに干渉することは絶対にしないものである。シルバーバーチの霊言の中に、その点をはっきりと述べている一節がある。


《霊界から手を差しのべてよい範囲があり、出しゃばってはならない限界があり、しゃっべてはならない時があり、今こそ述べるべき時があり、それに加えて、その時々の環境条件による制約があります。

しかし、そのパターンは厳然としており、指導に当たるスピリットはすべからくそのパターンに従わなくてはなりません。前もってそういう取り決めがしてあるからです。

 私も、私よりはるかに霊格の高い霊団によって計画された枠の外に出ることは許されません。そもそも地上で成就すべきものと判断を下した、もしくは計画したのは、その高級霊団だからです。光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団───どうお呼びになっても結構です。要するに私たちが行う全仕事について進化せる高級霊の集団です。

 私にはもうすぐその方たちとお会いする喜びが待ち受けております、その時、まず私の方から
それまでの成果をご報告申し上げ、次に私がどの程度まで成功し、どの点で失敗しているかについて言い渡され、それによってそれから先の私のなすべきことを判断することになるのです。

その霊団の上にはさらに高級な霊団が控え
、その上にもまたさらに高級な霊団が控えており、連綿として事実上無限につながっているのです。》


 また別のところで、出席者か
ら 「イエスは本当にはりつけにされたのでしょうか」 という質問を受けてシルバーバーチは、

 「そんなことについて私の意見をご所望ですか。そんなことはどうでもいいことではないでしょうか」
といって返答を避け、そんなことを知っても霊的進化には何のプラスにもならないと諌めている。

 常識的に考えれば、もしも処刑されたのが事実ならば、「そうです」 と答えるだけで済むはずである。バイブルではそういうことになっているのである。それを、なぜか返答せずに、そんなことを知っても魂の成長のプラスにはならないなどと言うところを見ると、どうやら十字架上では死んでいなかったのではないかという推測をしたくなる。

が、多分、右の引用文をにある通り、その問題に深入りするのはシルバーバーチの領分ではなかったのであろう。

 こうしたシルバーバーチの態度は、人間的努力と霊による援助との兼ね合いについて非常に大切なことを教えてくれているように思う。守護霊を中心とする背後霊団と人間との関係、あるいは一国の守護神と国民との関係、さらには地球の守護神と地上人類全体との関係の基本にあるのは、あくまでも人間の霊的進化であり、そのために絶対条件として、自由意思の尊重が第一に考慮されねばならない。

ただの操り人形となってしまっては、安全第一は保証されても、そこに進化はありえない。そこで人間側の自由意思による判断と選択の権利を尊重しつつ、カルマの解消と霊的進化へ向けて霊的援助を与えてやらねばならない。

何でも簡単に解決してやっていては、それは例えば子供の宿題をぜんぶ親が教えてやるようなもので、本人のためにならないどころか、逆にマイナスの素地を作って行くことになるであろう。

 イエスの処刑後の真相についても、やはり人間の努力によって少しずつ解明していくべきであるというのが私の考えであり、また、いつかは必ず解明されるものと信じている。第一回ニケア会議の真相が十数世紀のちに解明されたように、イエスの死の真実を物語る資料もいつかはきっと発見されるであろう。

私が互いに食い違う説をあえて紹介したのも、今の段階では私の独断は控えるべきであるとの考えから発している。そうやって幾つもの説を検討していく作業の過程で得られるものからいろいろと教えられる。それが人間としての正しい有り方だと思うのである。



   
人類の地上降誕の目的

 霊の世界から物質の世界への誕生にはいくつかのタイプがある。鉱物・植物・動物として顕現してきた霊が、いよいよ自我意識をもって人間的身体を通して顕現できる段階まで進化した、言うなれば人間学校の新入生がその一つ。原始的生活を送っている人種に多く誕生しているとみてよいであろう。
 
 次に、そうした原始的な霊が二度三度と再生してくる場合で、一年生から二年生・三年生と進級していくのと同じように、そのつど霊性に応じた、身体と、能力に相応しい環境へと誕生してくる。前回は男性だったが今回は女性として生まれてくることもあり、その逆もあるようである。

 また、同じ再生でも、みずから求めて、一つの願望をたずさえてやってくる場合と、カルマの解消のために強制的に生まれ変わらされることもあるらしい。と言っても実際には摂理の働きによる一定の制約があり、その摂理の背後には〝向上進化〟という至上目的のための〝愛の配慮〟があると考えるべきであろう。

 さらには、かなりの霊格を身につけた高級霊が、霊力の不足を自覚して、その補強のために厳しい生活環境の中に生を受けることもある。霊格が高いからとい
って必ずしも霊力が強いとは限らない。厳しい環境と言ってもいろいろと考えられるが、世間から軽蔑されるような身の上であることもある。

その場合、脳を通じてその意識ではそうした身の上を嘆き世を怨むが、本当はみずから求めたものなのである。イエスが、霊界へ行けば地上で上だった者が下になり、下だった者が上になることがよくある、といった意味のことを言っているのはそのことであって、現在の身の上だけで霊格をうんぬんしてはならないという戒めである。

 さて、では一体イエスはいかなる目的をもって地上に生をうけたのであろうか。それに答えるには、〝ナザレの大工の息子〟として地上に生をうけた人物の先在 (誕生前の霊としての実像) は何だったのかについて述べておかねばならない。この問題になると、もはや人間的努力の範囲を超えて、信頼のおける霊界通信から霊的直観力によって読み取るほかはない。



・イエスとキリスト教とは無関係  

 私が〝イエス・キリスト〟という名前を知ったのは、高校三年の時に モーゼスの 『霊訓』 を浅野和三郎の抄訳で読んだ時であるが、そのときはキリスト教との関連におけるイエスという人物については何の認識もなかった。

それから間もなく明治学院大学の英文科へ進学することになるが、その大学を選んだのは当時の日本の大学で英米人教師が一番多いからという、極めて単純な理由からで、そこがプロテスタント系のキリスト教のミッション校であることなど、まるで知らなかった。

 だから、一年次から必修科目としての 「キリスト教概論」 の授業に出席したときは、世の中にこんなバカバカしいことを熱心に信じている人がいるのかと不思議に思ったことを覚えている。〝三位一体説〟や〝贖罪説〟を説き聞かされても、キリスト神だの聖霊だの原罪だのについて何の概念も抱いたことのない私には、それを知って一体どうなるのだ、と胸の中で反発を覚えたものである。

 が、そのことがモーゼスの 『霊訓』 の原書 Spirit Teachings を初めから読み通すきっかけともなった。ご承知の方も多いと思うが、著者のモーゼスは元牧師で、オックスフォード大学の神学部に学んだ秀才であり、将来を嘱望された人材だったが、三十歳ごろからの霊的能力が発現し、身近にかずかずの物理現象が起きるようになった。

そのうち、ふと〝書きたい〟衝動を覚えるようになり、紙と鉛筆を用意すると、自分の頭の中にあるものとは無関係のことが自動的に綴られるようになった。

 初めのうちは内容的にどうということもなかったので気にもかけなかったが、そのうちキリスト教の根幹にかかわる問題について、モーゼスの信仰と正面衝突する内容のものが綴られるようになり、それに反発を覚えたモーゼスが 「一体あなたは何者なのか」 という問いを綴ると、 「新しい啓示を届けに参った霊団の指揮者である」 と答え、 Imperator Servus Dei (神の僕インペレーター) と署名し、その頭に十字(クロス)を冠した。

 そこでモーゼスが、キリスト教の専売である十字を冠しながらその説くところがオーソドックスなキリスト教と違うのはどういうわけかと尋ねた。それに答えてインペレーターがキリスト教の間違いをこう綴った。


 《友よ、主イエス・キリストの教えとして今地上に流布しているものには、主の生涯と使命を表象するあの十字架にふさわしからぬものが少なからずあるという事実をまず述べておきたい。各派の狂信家は、字句にのみこだわって意味をおろそかにする傾向がある。執筆者一人ひとりの用語に拘泥し、その教えの全体の流れをおろそかにしてきた。

真理の探究と言いつつも、実はあらかじめ説を立て、それをこじつけて真理と銘うっているにすぎない。そなたたちの言う聖なる書(バイブル)の解説者をもって任ずる者が、その中から断片的な用語や文句を引用して勝手な解悦を施すために、いつしかその執筆者の意図しない意味をもつに至っている。

 又ある者は、いささかの真理探究心もなしに、ただ自説をたてるためにのみバイブルから用語や表現の特異性をいじくりまわすことに喜悦を覚える者、自説を立てそれをこじつけることをもって良しとする者たちによって、一つの体系が作り上げられていく。いずれもバイブルというテキストから一歩も踏み出せないことになる。》


 《正統派のキリスト者たちは、一人の神秘的人物───三位一体を構成する一人が、一握りの人間の心を捉え、彼らを通じて真理の全てを地上にもたらしたと説く。それが全真理であり、完全であり、永遠なる力を有するという。神の教えの全体系がそこにあり、一言一句たりとも削ることを許されず、一言一句たりとも付け加えることも許されない。

神が語った言葉そのものであり、神の御心と意志の直接の表現であり、顕在的にも潜在的にも全真理がその語句と言い回しの中に収められているという。》


 《かくして単なる用語と表現の上に、かの驚くべき教義と途方もない結論が打ち出されることになる。無理もないことかもしれない。彼らにとっては、その一言一句が人間的謬見(ビュウケン)に侵されていない聖なる啓示だからである。しかるに、その実彼らのしていることは、おのれに都合のよい文句のみを引用し、不都合なところは無視して勝手なドグマを打ち立てているにすぎない。》


 《同じことがすべての教派についても言えよう。各派がそれぞれの理想を打ち立て、それを立証するためにバイブルから都合のよい箇所のみを抜き出す。もとよりバイブルの全てをそのまま
受け入れることのできる者は皆無である。

何となれば、全てが同質のものとは言えぬからである。各自が己の主観にとって都合のよい箇所だけを取り出し、それを適当に組み合わせ、それをもって〝啓示〟と称する。他の箇所を抜き出した者の〝啓示〟と対照してみる時、そこに用語の曲解、原文の解説 (と彼らは言うが) と注釈、平易な意味の曖昧化がなされ、通信霊も説教者も意図していない意味に解釈されていることが明らかとなる。

かくして折角のインスピレーションが一教派のドグマのための方便と化し、バイブルはお好みの武器をとり出す重宝な兵器庫とされ、かくして神学は、誤った手前勝手な解釈によって都合よく裏づけされた、個人的見解となり果てたのである。

 そなたは、こうして組み立てられた独りよがりの神学に照らして、われわれの説くところがそれと異なると非難する。

確かに異なるであろう。われわれはそのような神学とは一切無縁なのである。それはあくまでも地上の神学であり、俗世のものである。その神の観念は卑俗かつ低級である。魂を堕落させ、神の啓示を標榜しつつ、その実、神を冒瀆している。そのような神学とは、われわれは何のかかわりも持たぬ。

矛盾するのは至極当然のことであり、むしろ、こちらより関わり合いを拒否する。その歪んだ教えを修正し、代って神と聖霊について、より真実の、より高尚な見解を述べることこそ、われわれの使命なのである。》


 これでお分かりの通り、イエスはその後発生したキリスト教とは何の関係もないのである。そもそも〝キリスト教〟などという言葉はイエスの口から出たことは一度もなかったし、組織とか集団を作ったこともない。各地で霊的真理を説き、たぶん人生相談にものり、不治の病で苦しんで
いる人々を癒して回っただけである。



 ・教会の原型は交霊
会だった  

 インペレーターという霊は、その後の通信で紀元前五世紀ごろに地上で活躍した霊能者であることが分かっているが、それよりさらに古い紀元前十世紀ごろ、つまりイエスより一千年も前に地上で生活したことがあるというシルバーバーチもキリスト教のドグマを〝人類にとっての呪い〟と極言するほどその害毒の深刻さを指摘している。

それは、三千年という長い歳月を地上と霊界で生きてきた者の目から見て、そうしたドグマを信じながら死んで霊界入りした者たちのその後の向上進化にとって、それが測り知れない障害となっている事実をつぶさに見て来ていることが主な理由であるが、もう一つ、このあとで扱う歴史に名高い〝暗黒時代〟が、そのドグマを根拠として生じたからである。

そのシルバーバーチがある日の交霊会で、司会者のハンネン・スワッファーとの間でこんな対話をかわしている。


スワッファー 「私の見る限りでは、今日の国教会はたしかに欠点もありますが、かつてよりは良くなっていると思います。英国民が進歩しただけ、教会も進歩しています


シルバーバーチ 「なるほど。でも、それはかなり苦しい評価ですね。というのは、今日の国教会は、私から見れば現在かかえている悪弊の多くとは無縁だった初期の教会の後継者たるべきものです。はるか遠くさかのぼって、イエスの時代のすぐ後に設立された教会を見ならう必要があります。

当時は、わずかな期間だけではありますが、真の意味で民衆をわが子のように世話しようとする気概がありました。それが霊の道具である霊媒を追い出した時から道を誤りはじめました」

スワッファー 「三二五年のことですか?」

シルバーバーチ 「もっと前です。三二五年に霊媒と聖職者との分離が決定的となったということです。霊媒を追い出そうとする動きは、それ以前からありました。が、霊力の最良の道具である霊媒を追い出すことによって霊力を失い、聖職者が運営するだけとなった教会は次第に尊敬を失いはじめます。

もともと聖職者は、神の道具である霊媒とともに仕事をする者として尊敬されていたのです。自分でも霊媒と同等の価値を自覚していたのです。その仕事は俗世の悩みごとの相談にのり、霊媒が天界からの御告げを述べるというふうに、民衆が二重の導き、つまり霊と聖職者の双方からの導きが得られるようにすることでした。

 ところが優越感への欲望が霊媒を追い出し、それといっしょに教会に帰属していた権威までもすべて追い出すことになりました。そのとき以来ずっと衰退の一途をたどることになったのです。

 私が指摘したいのは、大主教のテンプルは真摯な気持ちでいる───そのことに疑問の余地はない。しかし、側近の中にはリーダーへの忠誠心を尽くしておくにかぎるといった考えから、口実だけの忠誠を示しているにすぎない者がいることです。そういう連中は改革事業などには情熱を持ち合わせません。

改革者などと呼べる人種ではないのです。おのれの小さな安全さえ確保しておけば、それでいいのです。事を荒立てたくないのです。何であろうと命令にだけ従っておくにかぎると心得ている連中です。

 また一方には、教会が俗事に関わることを好ましく思わない連中もいます。さらに、戒律に背きたくない者、教わったことを忠実に守ることが何より安全と考える連中がいます。こうした様々な考えを持つ者が内部抗争のタネとなります。

一人の人間の〝それ行け〟の掛け声で全員が一斉に立ち上がるという具合にはまいりません。何らかの進展はあるかもしれません。しかし、意見の衝突が激しいことでしょう。》
 


・イエスは今も地上人類のために働いている

 別の日の交霊会で、ナザレのイエスは今どういう仕事に携わっているのかということが話題となった。それにシルバーバーチはちょっぴり皮肉もこめて、こう答えている。


 《誤解され、崇められ、今や神の座にまつり上げられてしまったイエス───そのイエスは今どこにおられると思いますか。カンタベリー大聖堂ではありません。セントポール寺院でもありません。ウェストミンスター寺院でもありません。実はそうした建造物がイエスを追い出してしまったのです。

イエスを近づき難い存在とし、人類の手の届かぬところに置いてしまったのです。神の座にまつりあげてしまったのです。単純な真理を、寓話と神話を土台とした教義の中に混ぜ合わせてしまい、イエスを手の届かぬ存在としてしまったのです。

 イエスは今なお人類のために働いておられます。それだけのことです。それを人間が (神学や儀式をこしらえて) ややこしくしてしまったのです。しかも今
こうして同じ真理を説く私たちのことを、キリスト教会の人たちは天使を装った悪の勢力であり、サタンの声であり、魔王のそそのかしであると決めつけております。

しかし、キリスト教の時代は過ぎ去りました。人類を完全に失望させました。人生に疲れ、絶望の淵にいる地上世界に役立つものを、何ひとつ持ち合わせておりません。》


 シルバーバーチによると、イエスは年二回、イースターとクリスマスに行われる指導霊ばかりの会議、つまり地球浄化のために組織されている世界各地の霊団の責任者が一堂に会する審議会を主宰しているという。その時期は交霊会も休暇となる。次に紹介するのは、ある年の休暇に入る直前の霊言である。


 《この機会は私にとって何よりの楽しみであり、心待ちにしているものです。このときの私は、わずかな時期ですが本来の自分に立ち帰り、本来の霊的資産の味を嚙みしめ、霊界の古くからの知己と交わり、永年の向上と進化と末に獲得した霊的洞察力によって実在を認識することのできる界層において、生命の実感を味わうことができるのです。

 自分だけ味わって、あなたがたに味わわせてあげなしというのではありません。味わわせてあげたくても、物質界に生きておられるあなた方───感覚がわずか五つに制限され、肉体という牢獄に閉じ込められて、そこから解放されたときの無情のよろこびをご存知ないあなた方───たった五本の鉄格子の間から人生をのぞいておられるあなた方には、本当の生命の実感を味わうことはできないのです。

霊が肉体から解き放たれて本来の自分に戻った時に、より大きな自分、より深い自我意識に宿る神の恩寵をどれほど味わえるものか、それは今のあなた方には想像できません。

 これより私はその本来の自分に帰り、幾世紀にもわたる知己と交わり、私が永い間その存在を知りつつも地上人類のために喜んで犠牲にしてきた〝生命の実感〟を味わいます。これまで大切に仕舞っておいたものをこの機会に味わえることを、私がうれしくないと言ったらウソになりましょう。

 この機会は私にとって数あるフェスティバルの中でも最大のものであり、あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる分野の担当者が大河をなして集結して一堂に会し、それまでの仕事の神勅(シンチョク)具合を報告し合います。

その雄大にして崇高なる雰囲気は、とても地上の言語では表現できません。人間がインスピレーションに触れて味わう最大級の感激も、そのフェスティバルで味わう私どもの実感にくらべれば、まるで無意味な、ささいな体験でしかありません。

 その中でも最大の感激は、再びあのナザレのイエスにお会いできることです。キリスト教の説くイエスではありません。偽り伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座に祭り上げられたイエスではありません。

人類のためをのみ思う偉大な人間的存在としてのイエスであり、その父、そしてわれわれの父でもある大霊のために献身する者すべてに、その偉大さを分かち合うことを願っておられるイエスです。》


 そのイエスが、死後、地球規模の大霊団を引き連れて〝地球浄化〟の神意を成就するために降下してくる様子はオーエンの
『ベールの彼方の生活』 の第四巻〝天界の政庁〟篇にでてくるが、その中で通信霊のアーネルが〝キリスト〟の概念について極めて意味深長なことを述べている。


 
・イエス・キリストとブッダ・キリスト 

 《地上の神学者は絶対神についてまでも、
その本性と属性とを事細かくあげつらい、しかも断片的に述べていますが、吾々よりさらに高い界層の天使ですら、絶対神はおろか、キリストについても、そういう畏れ多いことはいたしません。

 信仰だけは剥奪せずにおく方がよい人種がいるとはいえ、その種の人間からはキリストの名誉回復は望めません。それは、大胆不敵な人達、思い切って真実を直視し、驚きの体験をした人たちから生まれるのです。少なくとも偏見を混じえずに〝キリスト人間説〟を理解した人から生まれるのです。

 実は、私はこの問題を出すのに躊躇しておりました。キリスト教徒にとっては根幹にかかわる重大性をもっているとみられるからです。ほかならぬ〝救世主〟が不当とも思える扱われ方をするのを聞いて心を
痛める人が多いことでしょう。それだけに私は躊躇するのですが、それを敢えて申し上げるのも、やむにやまれぬ気持からです。

というのも、彼らのキリストに対する帰依の気持ちは、キリスト本来のものではない、単なる想像の産物にすぎないモヤのようなものから生まれているからです。

 いかに真摯であろうと、あくまでも想像的産物であることに変わりはなく、それを作り上げたキリスト教への帰依の心は、それだけ価値が薄められ、容積が大いに減らされることになります。その信仰の念もキリストに届くことは届きます。しかしその信仰心には〝恐怖心〟が混じっており、それが効果を弱めます。

それだけに願わくはキリストへの愛をもってその恐怖心を棄て去
り、たとえ些細な点において誤っていようと勇気をもってキリストの真実について考えようとする者を、キリストはいささかも不快に思われることはないとの確信が持てるまでに、キリストへの愛に燃えていただきたいのです。

 同じことを貴殿にも望みたいのです。そしてキリストはキリスト教徒が想像するよりはるかに大きい威厳を備えた方であると同時に、その完全なる愛も、人間の想像をはるかに超えたものであることを確信なさるがよろしい。》


───キリストは地上に数回にわたって降誕しておられるという説があります。たとえばクリシュナやブッダなどがそれだというのですが、本当でしょうか。

 《事実ではありません。そのことを詮索する前に、キリストと呼ばれている存在の本性と真実について理解すべきです。

 ガリラヤのイエスとして顕在し、そのイエスを通して〝父〟を顕現したキリストが、ブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの説は真実ではありません。またキリストという存在が唯一ではなく数多く存在するというのも真実ではありません。イエス・キリストは父の一つの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。

 人間も一人一人が創造主の異なれる側面の顕現です。が、すべての人間が共通したものを有しております。同じように、イエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有しております。

しかし顕現の大きさから言うとイエス・キリストの方が優ります。この二つの名前を持ち出したのは、たまたまそうしたまでのことで、他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、そのすべてに右に述べたことが当てはまります。

 貴殿が神の心を見いださんとして天界へ目を向けることは結構です。しかし、たとえばこのキリストの真相の問題で思案に余った時は、バイブルを開いて、その素朴な記録の中に兄貴として、また友人としての主イエスを見出されるがよろしい。その孤独な男らしさの中に、崇拝の対象とするに足る神性を見出されることでしょう。》



    
・神々による廟議
 右と同じ著書の、一九一九年二月二十六日の通信に、更に意味深長な事実が披露されている。


 ───その〝尊き大事業〟というのは何でしょうか。

 《それについてこれから述べようと思っていたところです。このテーマは、ここ何世紀かの出来事を理解していただく上で大切な意味をもっております。

 まず注目していただきたいのは、その大事業は、これまでお話した界層よりさらに高い境涯において、幾世紀も前からもくろまれていたということです。いつの世紀においても、その当初に神界において審議会が開かれると聞いております。まず過去が生み出す結果が計算されて披露されます。

遠い過去のことは簡潔な図表の形で改めて披露され、比較的新しい世紀のことは詳しく披露されます。前世紀までの二、三年のことは全項目が披露されます。それらが、その時点で地上で進行中の出来事の関連性において検討されます。

 それから同族惑星(※)の聴聞会を開き、さらに地球と同族惑星とをいっしょにした聴聞会を開きます。それから審議会が開かれ、来たるべき世紀に適用された場合に、他の天体の経綸当たっている天使群の行動と調和するような行動計画に関する結論が下されます。悠揚迫らぬ雰囲気の中で行われるとのことです。》

(※ 発達の程度においても進化の方向においても地球によく似通った惑星のこと──訳者)


───それらの審議会においてキリストはいかなる位置を占めておられるのでしょうか。

 《それらではなく、そのとき単数形で書いてください。審議会はたった一つだけです。が、会合は世紀ごとに催されます。出席者は絶対不動というわけではありませんが、変わるとしても二、三エオン (EON 地質学上の時代区分の最大期間で、億単位で数える──訳者) の間にわずかな変動があるだけです。創造会の神格の高い天使ばかりです。その主催霊がキリストというわけです。》


───どうも有り難うございました。私なりに分かったように思います。

 《それは結構なことです。そう聞いてうれしく思います。というのも、私はもとよりのこと、私より幾つかの上の界層の者でも、その審議会の実際の様子は象徴的にしか理解されていないのです。私も同じ手法で貴殿に伝え、貴殿はそれに満足しておられる。結構に思います。》



・地球的視野への意識改革を

 以上で〝物質界への霊力の奔流〟という観点から見て、それが最も豊かに、そして自由に流入した時期───これを私は 「人類史の〝昼〟の時代」 と呼ぶ。───が終わり、やがて黄昏(タソガレ)から闇の時代へと移行し、世界史に悪名高い〝暗黒時代〟始まるわけであるが、この第一部を閉じるに当たり、これから筆を進めていく内容について読者にあらかじめお断りしておきたいことがある。

 その一つは、私の観点はあくまでも人類の〝霊性〟の消長というところに置かれているということである。

どの歴史的事実にも、必ず裏と表とがあるもので、そのどちらに光を当てるかによって意義が違ってくる。卑近な例で
いえば、日本の鎖国時代は近代化を著しく遅らせ、島国根性を大きく醸成したことは確かであるが、他方において、日本的文化を純粋に温存させ花開かせた時代でもあった、という見方もできるであろう。

 ヨーロッパの暗黒時代がもたらしたものは何か、この命題について総合的な答えを出すとなると議論百出であろう。

本書を執筆するに当たって私も西洋史に関する書物を何冊か繙いてみたが、著者によって事実の述べ方に相違がみられるのみならず、同じ事実の捉え方述べ方にもニュアンスの違いが大きいことを知った。

 たとえば同じローマ皇帝とキリスト教との関係について述べたものでも、著者がただの歴史家である場合と、クリスチャンである場合とでは、かなりの違いが見られる。そこにやはり偏見が入るということであろう。

 そこで私の場合は、同じ歴史にスピリチュアリズムがもたらしてくれた霊的知識の光を当てながら、私独自の目によって見直してみたいと思う。

たとえば第一回ニケア会議においてコンスタンチヌス一派による大掛かりな陰謀があったことはシルバーバーチ霊が再三指摘しているが、一般の歴史書には、私が知る限り、その事実に触れたものは一冊もない。が、近代に至って紛れもなくそれを物語る資料が歴史家によって発掘され、それをまとめた本 『第一回ニケア会議の真相』 が発行されていることを知った私は、英国の古書店を通して、一年がかりでついに入手した。

通読してみて資料のすべてではないことが分かったが、たとえ断片的であっても、そうした新しい資料による検証によって歴史が書き変えられていくことは必然の成り行きであろう。

 もう一つは───これはとくに日本人の読者ということで私が懸念していることであるが───霊的奔流の主流がユダヤにあり、その後の西欧の暗黒時代を地球人類の霊性の封殺とする私の見解を、国粋主義的な方は快く思わないであろうし、反対に、日ユ道祖論者、つまりユダヤの一種族が流浪の末に日本列島にたどりついたのが日本民族であると信じている人たちは、快く思うかもしれないということである。

大方の人たちは、日本には西欧の暗黒時代とは無関係に〝かんながら〟という素晴らしい霊的遺産が豊富に存在すると自負するかもしれない。

 そうした問題に
ついて今ここでその是非を論じている余裕はない。私が申し上げたいのは、私にとっては国家の別、ないしは民族の違いは、基本的理解においては全く存在しないということである。そう述べる根拠は、ほかでもない、学術的霊界通信として名高い〝マイヤースの通信〟で明かされた〝類魂説〟にある。

 すなわち、人間には身体上の先祖、つまり血でつながった先輩とは別に、霊性でつながった先祖、いわば〝霊的家族〟の集団があって、そこでは国家や民族の別はなく、霊的親和性によって結ばれた生活が営まれている。

そして、今こうして自分が日本で生活しているように、他の類魂はユダヤ人として、フランス人として、イギリス人として、あるいはインド人として、もしかしたらどこなの難民として生活しているかも知れない。しかも、もしかしたら自分は、来世では南アフリカ人に生まれ変わるかも知れない。ロシア人になるか
も知れない。

 要するにわれわれ地上人類は、一つの大きな共同体であり、自分の霊的な家族がどこのどの国のご厄介になっているかも分からないのである。そう理解したときから醜い人種的偏見が消え、愚かしい仲違や戦争は止そうという気持ちが湧いてこないだろうか。自分の家の前だけを掃除するようなケチ臭い根性は捨てて、地球全体を住みよい環境にしようという考え方が出てこないだろうか。





   第二部 霊性の
〝夜〟の時代

  第一章 キリスト教徒への迫害

・イエス・キリストという名前 
 イエスなる人物が今日いうところのキリスト教の教祖でないことは、すでに述べた。

並はずれた霊的能力によって次々と〝しるしと不思議〟を演出しては霊的真理を説き、それが高潔な人格と相まって、イエスを慕うものが日毎に増えていった。その中から幾人かの弟子を選び、それらと行動をともにしたが、宗教としての〝組織〟はこしらえなかったし〝宗派〟を名のる看板を出したわけでもなかった。

第一、イエスは、生涯、定まった居所というものをもたなかった。インペレーターの次の一節は極めて大切である。

 《イエスの生涯の特質は、威厳と謙虚の合体であった。威厳さと平凡さの結合にあった。威厳さが発揮されたのは誕生時と死亡時、その他、ヨルダンにおいて霊がイエスを試し、その使節を神聖なものと認めたときなど、その生涯の節目にいくつかみられる。住民はイエスがその生誕から死に至るまでの尋常な人間でないことに気づいていた。

その生活が俗世間の社会的生活や家族関係によって束縛されるべき人物でないことを知っていた。と言っても、イエスをとりまく生活の和気あいあいたる雰囲気は、イエスにとって心地良いものであった。

それを住民はよく理解していた。聖書はそうしたイエスとの関わりについての叙述がきわめて不十分である。

 イエスの言葉と行為が住民に及ぼした影響に関する言及が乏しく、一方、いつの時代にもあるように、新しい真理に楯ついた当時の学者ならびに貴族階級の愚かしい誤解についての言及が余りに多すぎる。律法学者、為政者、パリサイ派、並びにサドカイ派の学者はこぞってイエスの敵にまわった。

今もしイエスが当時のありのままに教えを説いていたならば、現代の知識人、博士、神学者、科学者と呼ばれる階層の者も、こぞってイエスを嫌い、あるいは迫害もしかねないであろう。》


 イエスは常に庶民の
家に宿を取らせてもらい、病気治療をしても報酬はいっさい取らなかった。成功報酬として食事と衣料と宿を提供してもらうという形をとった。そうしたイエスの生活態度を見て人々は、旧約聖書に言う救世主(メシア)というのは、もしかしたらこの人ではないかと思うようになった。

 が、一方、日ごとに募っていくイエスの人気を見て、当時の国教だったユダヤ教の指導者たちは自分たちの身の上に不安を抱くようになり、時のローマ総督ピラトに訴えて、イエスを亡きものにしてしまった。

 ところが墓に、葬られているはずのイエスの遺体が消えていたことから、あの方はやはりユダヤ民族の救い主だったのだ・・・・・・肉体を持ったまま昇天された・・・・・・またいつか救いに戻ってこられるはずだ・・・・・・との信仰がひろまり、有志の間でイエスの〝しるしと不思議〟や〝教え〟を書き残す作業が進められた。

シルバーバーチによると、それは至って簡単なもので、今もバチカン宮殿に仕舞い込まれていて、今日までの二千年近く、一度も公開されたことがないという。そして三二五年
のニケア会議の期間中にそれを大々的な書き改めと書き加えがなされ、それが今日の新約聖書となったという。

 それはともかくとして、ユダヤ庶民のスーパーヒーローに悲劇的な最期と復活のうわさは、やはりイエスさまは〝救世主〟(クリストス)だという信仰を増幅させ、Jesus, the Christ (語源がギリシャ語の Christos )という呼び方をするようになった。

その時点では〝キリスト〟というのは尊称にすぎなかったのであるが、それがいつしかイエス・キリストという固有名詞となっていった。そういうイエス崇拝の信仰宗団を〝キリスト教徒〟と呼ぶのも、その時点としては適当ではないのであるが、便宜上そう呼ばせていただくことにする。




 ・暴君ネロに始まった迫害

 初期のキリスト教徒の歴史は、迫害への抵抗の歴史であったといってよい。ローマは諸国を制圧して属州と
し、イエスの時代のユダヤもローマの支配下にあったが、大体において宗教というものに対するローマ帝国の態度は寛大だった。私はそれは、たぶん軍事大国の皇帝として、宗教とか信仰というものを理解する感性が欠けていたからであろうと見ている。

 キリスト教を公認してローマの国教としたコンスタンチヌスにしても、その動機はいたって身勝手で、かつ幼稚なもので、敬虔なる宗教心などカケラもなかった。それに関しては後で述べるとして、歴代のローマ皇帝は、西暦一五〇年ごろまでキリスト教徒への残虐きわまる迫害に始まって、一〇〇〇年ごろまで続いたローマ教会による知的弾圧、いわゆる暗黒時代、さらに十二世紀ごろから猛威をふるった〝魔女狩り〟という狂気の歴史に関わってきている。

 迫害の最初の引き金となったのは西暦六四年のローマの大火だった。九日間にわたって燃え続け、ローマの大半を焼き尽くした。大帝国ローマの大失態の責任が自分にかかってくるのを恐れたネロは、その原因をキリスト教徒による放火であると決めつけて、おびただしい数のキリスト教徒を処刑した。というのが、タキトゥスという歴史家の著書『年代記』 の説である。


 《そこでまず、信仰を告白していた者が審問され、ついでその者らの情報に基づき実におびただしい人が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪と結びつけられたのである。彼らは殺されるとき、なぶりものにされた。すなわち、野獣の毛皮をかぶされ、犬に噛み裂かれて倒れる。》 (国原吉之助訳)


 この中に〝人類敵視〟の罪というのが理解出来ないが、そういう曖昧な理由をこじつけたところに、すでにユダヤ教ナザレ派の信仰活動にローマが手を焼いていたことを窺い知ることができる。

『エンサイクロペディア・アメリカーナ』 によると、放火の犯人は実はネロ自身で、帝国議会はその責任の代償として、ローマ市を前よりさらに壮大な都市に立て直すこと、もう一つ、キリスト教徒を放火犯に仕立てて、徹底的に弾圧を加えることをネロに要求したという。




 ・邪霊集団の暗躍   

 ネロという人物はそれ以前の所業にも病的なところが見られる。母親と妻と、それに息子の家庭教師として雇ったローマの哲学者セネカまでを、死に追いやっている。まさに暴君の名にふさわしい皇帝だったが、その後継者たちも、ネロほどにはなかったにしても、キリスト教徒の迫害と弾圧を行っている。

 私は本書を執筆するに当たって、関係書を十冊ばかり読んだ。参考までに主なものをあげれば、新田一郎著 『キリスト教とローマ皇帝』 (教育社歴史新書)、
鈴木宣明著 『ローマ教皇史』 (同右)、 橋口倫介著 『十字軍』 (同右)、  浜林正夫・井上正美共著 『魔女狩り』 (同右)、 森島恒雄著 『魔女狩り』 (岩波新書)、 そして上田和夫著 『ユダヤ人』 (講談社現代新書) である。

 とくに最後にあげた 『ユダヤ人』 は、右のネロに始まったユダヤ人キリスト教徒の迫害、中世における十字軍の虐殺行為、近代ではナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺、ユダヤ人であるがゆえの差別といった。ユダヤ民族に対する一連の行為の原因は何なのかという問いに対する回答を見出したくて読んだのであるが、著者自身もその理由を見いだすことはできないと述べている。

 そこで、人生百般に共通して言えることとして、私が本書で主張し続けているように、人間の霊的要素の存在を無視しては何一つ解決しないことを、ここで改めて指摘したい。

 人類はこの地球上にあって、いつも目にしている動物や植物や小鳥、魚類などとともに生命活動を営み、しかもその頂点に立っているつもりでいるが、実際には目に見えない霊的存在───自然界では精霊、人間界では他界した人霊───による働きかけが大きく左右しているということである。

 自然界の造化にいそしむ精霊は知的存在ではなく、上層界のデーバと呼ばれる高級自然霊の指示によって働いている、個性も自由意思も持たない存在である。したがって悪いこともしない。もっとも、わずかながら知性の発達した種類もいて、それが時折イタズラ半分に悪ふざけをすることはあるらしい。

たとえば田舎道で散々歩き続けたつもりだったのに、正気に返って見たら同じ場所をぐるグルまわっていたという話が時たま聞かされるが、あれはタヌキの仕業ではなくて、聖霊の一種がやるのである。タヌキの出そうな場所でそういう体験をしたところから、タヌキが犯人にされたのであろう。

 また、死肉をあさるハゲワシのように、人間の死体から出る死臭をあさりに来る種類のものもいる、未開民族の葬儀の風習を見ると、禁じられていることがいろいろある中に、必ずしも迷信ではなく、死者の霊による祟りのほかに、その死者のまわりに集まるさまざまな精霊による禍から逃れるためと思われるものが、数多く見受けられる。

各種の霊界通信が異口同音に述べていることの一つに、死体は埋葬よりも火葬の方がよいというのがある。死体に限らず〝もの〟が腐敗すると必ずウジ虫のようなものがわくように、目に見えない世界でも、死体を放置しておくとそういう薄気味悪い聖霊が発生するのである。

地球上で火葬が徹底すれば、そういうウジ虫のような聖霊は地上から姿を消すはずである。


 いずれにしても、その種の存在は、たとえ目に見えなくても普段は人間界
とほとんど関わりはないので、まず気にかける必要はないが、日本では〝地鎮祭〟というのが行なわれる。基本的にはその土地に生息する精霊への挨拶と考えればよい。日本人の先祖が考え出した、世界に誇ってよい実に気の利いた風習で、ぜひとも守り続けるべきものの一つであろう。最も神主や施主がその本来の意義を理解していなければ何にもならないが・・・・・・

 それよりもはるかに規模が大きく、かつ深刻で、油断のならないものに、かつて地上で生活者で、非業の死を遂げたり、無念残念の思いの中で他界したり、たとえ罪科は明白であったにしても、処刑されて霊界入りした者たちが、同じ怨恨のもとに結集して地上界へ〝お礼参り〟を企んでいる霊の集団の存在がある。
 



        
・〝これからはお前たちの出番、闇の支配するときだ〟

 「ルカ伝」 によると、イエスを捕えにきた者たちに向かってイエスは、そう言ったという。私の推察では、この時イエスは、その連中の背後に邪霊集団の存在を霊視していた筈である。憎たらしい笑みを浮かべて、してやったりと計略の成就に満足してたことであろう。

イエスは、霊性がふんだんに流入した〝昼〟の時代も自分の捕縛と処刑をもって幕を閉じ、急速に〝夜〟の時代へと入っていくことを察知していたと私は確信する。

 私は今〝イエスは察知していた〟と簡単に述べたが、たとえ高級霊といえども、肉体に宿ったあともなお先在時代の知識を思い出すということは、至難のことなのである。それを理解していだたくために、少し話はそれるが、次のような事実を紹介しておきたい。


 英国の物理学者で心霊学者でもあったオリバー・ロッジが言っているように、霊と物質とが結合するということは一種の異常現象であり、奇跡と言ってもよいほど大変なことなのである。

その最初、つまりこの地球上に初めて霊が身体をまとって棲息するようになった時の具体的なプロセスは興味ある課題であり、いずれ機が熟せば稿を改めて世に問うてみたいと考えているが、現在では女性の子宮をキャビネットとして、十カ月をかけて地上環境に適応できるだけの抵抗力を身につけて大気中へ出産してくるというパターンが定着している。

 その十カ月間の母胎内における霊と
物質との関係も今後の研究に俟たれる興味ある課題であるが、霊が肉体に宿るという言い方をした場合、大ていの人が、まるで肉体というカプセルの中にでも入りこむような、簡単なプロセスを思い浮かべられるのではなかろうか。

 しかし、霊と物質とは宇宙における両極端の波動をもった存在であり、それが結びつくためには、霊の側が波動を物質の次元に近づける、つまり波動の調整が必要であり、それも幾段階かのプロセスがあるという。

その結果、先在時代および前世での体験の記憶などは意識できなくなるのが普通で、シルバーバーチなどは、地球の大気圏に近づくだけでも息苦しくなる───霊的波動が鈍って意識がもうろうとしてくるいう。例えてみれば、われわれが水中深くもぐるのと同じ状態を想像すればよいのであろう。

 大気圏に近づくだけでその状態であるから、もしもシルバーバーチが直接バーバネルの身体に宿ったら、本来の所属界のことが意識できなくなるであろう。それでは意味がないので、例のインディアンを中継役として使用した。

あのインディアンはいわば霊界の霊媒である。おなじみの肖像画はその霊媒のものであって、シルバーバーチ本人ではない。ただし、完全に一体となって仕事をしているので、あたかも自分がそのインディアンと同人物であるような言い方をしているだけである。

 さて、これまでにも何度も述べているように、イエスは地球神庁の最高位の高級霊の一柱が肉体に宿ったもので、これは悠久の地球の歴史にあっても空前絶後のことで会ったろうと思われる。モーゼスの 『霊訓』 の続編である More Spirit teachings (拙訳) 『インペレーターの霊訓』 (潮文社) の中でインペレーターが霊言でこう述べている。


 《キリストが所有していた強大な霊力はとうてい皆さんには理解できません。完全な自己滅却が、人間界にあってなお神のごとき生活を可能にならしめました。その奇跡は天使の背後霊団によって演出されました。そしてその思想は、一つの気高い目的に集中しておりました。すなわち人類の福祉への献身です。

 キリストは悠久の先在を有する高級霊の一柱が宿ったものであり、その高い界層においてもなお高い位にありました。人類の更生のための大事業はすべて、そのキリストを淵源としております。その聖なる影響力は、地上のいかなる暗き場所をも啓発しております。これ以後も、人類の霊的受容力が開発されるにしたがって、その影響力がますます広がっていくことでしょう。

 われわれは、そのキリストの御名のもとに参ります。そのキリストの霊力のお蔭をもって語ります。そしてそのキリストの祝福をみなさんにおあずけしてまいります。その上に安らぎを、安らぎを、安らぎを・・・・・・。》


 この事実から次の二つのことが推察される。一つは、地球の霊的サイクルの一日がそろそろ黄昏を迎え、これから〝夜〟の時代に入っていくのは避け難い摂理であるとしても、その闇の中に予見されている惨状は、まかり間違えば地上環境を完全な破壊へと追いやりかねないほど危険的なものであり、これに対処するには、最高責任者であるイエスみずからが降誕して霊性を注入し、かつその三十年に及ぶ物的体験によって霊力を強固なものにする必要があったということである。そう結論づける根拠として、モーゼスの 『霊訓』 に次のような一節がある。


 《さて、救世主イエスは神の使命を帯びて至福の天界における霊的生活より地上界へと降りられた。至純なる霊が一個の人体に宿り、ベツレヘムの飼い葉おけの中にて誕生した。ありとあらゆる不完全さと煩悩をそなえ、進歩のために唯一の手段である悲しみと誘惑と試練とから逃れられない、一個の人間となられたのである。

 そこに進歩の唯一の手段としての、霊から物質への降誕の一つの典型を読み取ってもらいたい。悠久の過去から存在し続けて、必要かつ十分な発達をとげた霊が、他の手段では絶対に得られない、進化に不可欠の葛藤と試練とを求めて、いよいよ物質的身体による生活の場に降りたということである。

 かくして人類の境涯へと誕生したイエスは、たちまちにして〝この世の君〟悪魔(サタン)による迫害に身をさらされた。時の権力者たちは一斉にイエスに敵対し、神の子であることの証を要求した。そして挙句の果てに、はりつけに処する命令を下した。イエスの説くところが彼らの主張するところと相容れなかったからである。》

 さらに言う。


 《救世主の為せる仕事が地上生活の期間にのみ限られていると思うのは間違いである。イエスに場合に見られるごとく、真の影響は、その死後の余波にある場合がよくある。イエスの仕事はその三年間をもって開始されたのであり、そして今なお続いているのである。》


 推察されるもう一つのことは、イエスほどの高級霊が地上へ降りたことを知って、暗黒界の大軍が総力をあげて、イエスを通して行われる霊界からの働きかけを阻止しようと躍起になったことである。つまり高級霊の大軍と低級霊の大軍との間で熾烈な戦いがあったはずだという見方である。

 私見によれば、ユダヤ民族のその後の受難の歴史は、イエスという、地上に降誕した霊の中でも最高級の〝光の天使〟がユダヤ人として生をうけたという事実に対して、闇の勢力がユダヤ民族に嫉妬と反感を抱いたことに原因があるのではないかと考えている。言うなれば〝とばっちり〟である。

 それにしては二千年も続くのは酷
すぎると思われるかもしれないが、それは一日を二十四時間、一年を三六五日として数える地上的時間感覚から生まれるもので、宇宙的時間間隔からすれば、地球は今やっと一日を終えようとしているところであるというのが私の見解である。たった一日である。その一日の半分における出来事で、ユダヤ民族を〝悲劇の民〟と見なすべきではないと考えるのであるが、いかがであろうか。




        
  第二章 ローマ帝国とキリスト教
  ・邪霊集団が狂気を増幅する

 キリスト教徒への迫害は、ネロ以降も続いた。その後の迫害の特徴と言えば、ローマの市民によるリンチ、虐殺といった形のものまで生じたことである。

こうした現象の背景には、蛮人の侵入、ペストの流行、飢饉、ティベル川の氾濫といった社会不安が生み出す狂気の群集心理が働いていることは事実であるが、さらにそのもっと奥には、そうした狂気を増幅させる邪霊集団のそそのかしがあったというのが、数々の霊界通信を読んできて得た私の推察である。

 このあとで取り上げる十字軍の暴虐にせよ、魔女狩りの凄惨さにせよ、ただ人間どうしの関係だけであれば、目を被いたくなるような酷さにまでは発展しないはずである。そうなる前に〝良心〟がストップをかけるものである。その良心をマヒさせる見えざる力が働くところに怖さがある。

 そうした邪霊集団の存在を正しく認識して、彼らにつけ入るスキを与えないようにする、あるいは、そういうスキを与える環境を未然に防ぐことが一般のわれわれの日常生活においても大切なのである。邪霊と人間との関係は、病原菌と人体との関係と同じと
思えばよい。病原菌は至るところにウヨウヨしている。

目に見えないから平気でいられるだけで、実際に見えたら気味が悪くて一日も生活できなくなるであろう。そんな環境の中でも健康が維持できているのは、それにつけ入るスキを与えない、言い換えれば肉体をむしばませる条件を与えないだけの抵抗力があるからであることは既に常識である。

邪霊との関係も同じで、こちらが健全な心の環境さえ保っていれば、少しも怖くないのである。

 今、世界中で地球の環境破壊が問題化しているが、そうした問題にかまけて忘れてならないものに、心の環境破壊の問題がある。その問題は人間にとって最も大切な問題として、あとがきでも取り上げたいと考えている。



 ・悲しむべき〝政略婚〟──キリスト教の国教化

 話を戻して、キリスト教徒に対するローマ帝国の迫害は、四世紀初頭のディオクレティアヌスの治世下における大迫害でピークを迎え、その後継者のガレリウスによる〝迫害勅令〟の撤回をもって、一応の終止符が打たれる。

そして、一転してコンスタンチヌスによる、キリスト教の国教化へと向かうのであるが、このコンスタンチヌス大帝のキリスト教への改宗が歴史家にとって不可解きわまる出来事であると同時に、キリスト教にとっては迫害以上に大きな不幸の始まりであったと言えよう。

 これを機にキリスト教は、ローマ帝国の政略の〝錦の御旗〟として、権力の拡大と富の蓄積という、およそ宗教とは無縁であるはずの目的のための手段とされていくことになった。

その辺のいきさつの問題点をイエズス会司祭の鈴木宣明氏は 『ローマ教皇史』 の中で次のように述べている。


 《コンスタンチヌス大帝自身の宗教性はどうであったか。これまで多くの論争がなされてきた。彼のキリスト教への改心は純粋に精神的・宗教的動機からではなかったであろう。

彼はその言葉によれば、迫害時代におけるキリスト教徒の勇気と信念に深い印象を感じていた。しかしキリスト教精神が普遍的であることが、何よりもローマ帝国の世界的支配を求める皇帝の心を魅きつけたと言える。彼は全キリスト教信仰共同体の基礎の上に新しい帝国を実現しようとした。

彼が初めてキリスト教を大きくしたのではなく、彼が迫害の中におけるキリスト教の偉大な内的生命力に深く印象づけられた信仰の自由を承認し、そしてキリスト教を採用したのである。

 特に彼は福音から知ったキリストの姿に魅了されて、キリストにおける世界の救済そして死から復活への真理、永遠の生命への道を説くキリスト教的福音の新しい思想に心奪われた。しかしまた、

福音の倫理的実践の道が彼をキリスト教へと導き入れた。彼の深遠かつ遠大な政治的感覚は、帝国の不滅な確立と新しい国家秩序のために、キリスト教の信仰と倫理を活かす意義を認識したのである。しかしそこには危険な可能性が潜んでいた。教会は国家との緊密な関係を結び、国家の奉仕的道具になる危険にさらされていった。》




 ・コンスタンチヌスの二つの顔
 
 そのキリスト教の国教化を決定した三二五年の第一回ニケア会議の目的と経過と結果については、その真相のあらましをすでに述べた。その資料つの一つである 『第一回ニケア会議の真相』 の著者 D・ダドレーは、その〝序論〟の中でいくつかの不審な点を挙げている。それを簡略に箇条書きにすると───


一、あれだけの重要なキリスト教の会議でありながら、バイブルの朗読の儀式が行われた形跡がない。

一、バイブルの内容の解釈が現代とはだいぶ違う。

一、司教たちは、キリスト教がローマの国教とされると、にわかに自分で書物を書いてはそれを使徒や殉教者の名前をつけることをやっている。その一つが〝へブル人への手紙〟で、パウロのものとされているが、第一級の評論家でまとものそれを信じている者はいない。

一、〝ヨハネ黙示録〟みきわめて疑問の多い書である。四つの〝福音書〟にも、おかしな部分がいっぱいある。たとえば、〝ヨハネ福音書〟の冒頭は〝初めにことばありき〟となっていて、〝ことば〟にギリシャ語の〝ロゴス〟を使っているが、教育らしい教育を受けていないガリヤラのヨハネが、ギリシャの大哲学者プラトンの用語をそのまま用いるだろうか。

 こうした疑問を投げかけたあと、ダドレーは〝結局ニケア会議はクリスチャンに信仰の型を押し付ける典型をこしらえてしまった。出席した司教たちは、キリストと、キリストの復活への信仰をもってキリスト教の基本的教義であると考えるようになったのだと思う〟と述べている。

 以上のダドレーの一連の説は正鵠を得ていると思う。イエスと同時代、さらにはそれ以前に生を受けた霊の証言によっても、バイブルが大幅に改ざんされていること、〝三位一体〟とか〝贖罪〟とか〝永遠の火刑〟といった説はぜんぶ他の宗教や神話・伝説からの借り物であって、イエスはそんなことは一言も述べていないことが明らかとなっている。またスピリチュアリズムの観点から見ても、みな有り得ないことばかりなのである。

 こうしてキリスト教が大きく方向を誤り、宗教としての存在意義を失って、政治的野望の手段となり下がっていった出発点がこのニケア会議であったことを考えると、これを発案し、主宰し、強引にキリスト教を国教としたコンスタンチヌスには、〝大帝〟という称号から受ける輝かしい
皇帝像とはまったく異なる。もう一つの顔があったであろうことは容易に想像できる。

 その点もダドレーはきちんと押さえている。『コンスタンチヌスの生涯』 と題して、いくつかの歴史家の文章を引用しながら、その〝もう一つの顔〟を浮き彫りにしている。その中から主だったものを紹介すると───

 近世の歴史家 E・ギボンによると、コンスタンチヌスは自分の下臣たちには甘く、敵対者には恐怖をもって圧してきた英雄だったが、相次ぐ征服と、それによる富の蓄積によって次第に残忍性と放蕩性を増し、晩年は、そのために下臣の者からも尊敬を失っていたという。

 コンスタンチヌスは二度結婚している。最初の妻は平凡な家庭の出で、クリスパスという男子を生んでいる。ユーセビウスによるとクリスパスは〝勇敢で敬虔〟な息子だったという。十七歳の時を初陣として、数々の先頭に出陣、宮廷内でも軍内部でも人民の間でも、なかなかの尊敬を受けていた。

ギボンによれば、その人気の高まりに父親のコンスタンチヌスは王の座に危険を
感じるようになった。そこで息子を囚人同様に宮廷内に幽閉し、中傷のうわさを流させた。

さらには皇帝たる自分とローマ政府への陰謀を企んでいるとの容疑を側近の者にほのめかし、息子の寵臣を買収して密告者に仕立てた。その上でついに息子の逮捕と処刑を命じた。その時、コンスタンチヌスの実の妹コンスタンチアの一人息子も、共謀の罪で処刑されている。

わずか十二才だったという。母親の祈りと涙の嘆願にも冷酷だった。その心痛で母親も間もなく他界したという。


 フィロストルギウスによると、コンスタンチヌスは結局二人の妻の両方とも殺しており、後継者の三人の息子はみな不義密通の子だったという。

 こうした事実は、皇帝の側近の一人であったユーセビウスの著書 『コンスタンチヌス伝』 には一切述べられていない。ダドレーは 『コンスタンチヌスの生涯』 の最後を、あらまし次のように結んでいる。


 《コンスタンチヌスは、知性の深さと洞察力においては〝大帝〟と呼ぶにふさわし人物ではなく、ただ抜け目がなく、機を見るに敏で、何事につけエネルギッシュで、その上際限のない野心に駆られて行動したからこそ、何よりも偉大な人物でも克服できなかったであろうほどの困難をしのいでいったまでのことである。

 彼は自然科学については基本的原理すら知らなかった。そこから生まれる軽信性と迷信性が、唯一、彼の邪悪な性向を抑制する働きをしていた。が、ある時期から〝国の王〟たる自分と〝天の王〟たる神とを同等に考えるようになり、勝手に法律をこしらえ、好きなように臣下を殺し、敵に対しては剣でも火でも使って徹底的に報復してよいと思いこむようになった。そして、勝てばそれは神が許したことの証である───正しくなかったらその行為を許されなかったはずだ、という都合のよい議論で押し通
した。


 司教たちも彼におもねて、勝手な教えを説いた。たとえば、神は一人息子のイエスを人類の贖い主として地上へ送り十字架にかけられた。だから、国王たる者は国のためであればわが子を犠牲にしてもよろしいのです、と。こんな気狂いじみた教えを真にうけてコンスタンチヌスには、その極悪性を感じぬまま、数々の血なまぐさい犯罪を重ねていった。その性格と行為とが、彼みずからでっち上げたキリスト教に暗い影を落とすことになる。》


 ダドレーはそのあとで、英国の治世を代表するジョン・スチュアート・ミルの 『自由論』 から次の一節を抜粋している。

 《ローマ皇帝の中で最初のクリスチャンとなったのがマーカス・アウレリウスでなくコンスタンチヌスだったことは、全歴の中で最大の悲劇の一つである。

もしもキリスト教がローマの国教とされたのがコンスタンチヌスの治世下ではなくマーカス・アウレリウスの治世下であったなら、全世界のキリスト教がどれほど違ったものとなっていただろうと思うと、胸の痛む思いがする。》





2-3
  第三章 人類の狂気──異端審問と魔女裁判

   前章までは、被征服国のユダヤ民族と、ユダヤ人霊覚者イエスの信奉者たちの集団を、ネロに始まる歴代の皇帝が迫害し続けた歴史をたどり、それがコンスタンチヌス大帝の時代に、一転してイエスをキリスト神の御子とする〝キリスト教〟がでっち上げられ、それがローマの国教とされるに至ったいきさつをのべた。

伝統的宗教というものを絶対視し、霊的真理の真実性に疑問を抱かない人、あるいは懐疑的になること自体が罪であると教えこまれている人は、こうしたコンスタンチヌスの行為を寛容精神の典型として賞賛こそすれ、西欧の暗黒時代の不吉な予兆と見なす意見には到底同意できないことであろう。

 しかし、本章が取り上げる異端審問と魔女裁判という、〝人類の狂気〟とも言うべき悪逆無道がほかならぬローマ・カトリック教とプロテスタント双方の聖職者によって行われたという歴史的事実を一切の偏見なしに直視すれば、それを生み出した数世紀間のキリスト教に不健全なものがあったと断ずるのが妥当ではなかろうか。それを私は二つの要素に分けて見てみたい。




 
〝しるしと不思議〟を忘れた身勝手な神学の罪悪

 イエスを絶対神キリストの唯一の御子とする説は、キリスト教かローマの国教となってから言われ始めたもので、イエス自身はそんなことは言っていない。ましてや、自分が十字架上で流す血によって自分を信じる者の罪が贖われるなどとは、冗談にも言っていない。後世の神学者がそういう教義をこしらえたのである。これを〝ドグマ〟(独断的教義)という。モーゼスの 『霊訓』 に次のような一節がある。

 《われわれから見て許せないのは、神を見下げ果てた存在──わが子の死によって機嫌を取らねばならないような残忍非情な暴君に仕立て上げた幼稚きわまる言説である。

 もしも神が人間と縁のない存在であり、すべてを人間の勝手にまかせているのであれば、神が罪深き人間のためにわが子に大権を委ねて地上へ派遣した事実を否定することが、永遠の火刑もやむを得ない大罪とされても致し方ないかもしれない。キリスト教会のある教派はイエスの贖罪について絶対的な不謬性を主張し、それを受け入れない者は、生きては迫害、死しては永遠の恥辱と苦痛の刑に処せられると説く。それはそなたたちのキリスト教会においても比較的新しい説である。

 が、すべてのドグマはこうして作られてきた。かくして、人間の理性のみでは界の啓示と人間のこじつけとを見分けることが困難、いや、不可能となる。同時にまた、その夾雑物を取り除かんとする勇気ある者が攻撃の的とされる。いつの時代にもそうであった。》


 バイブルにいう〝しるしと不思議〟というのは、人間知識と能力を超えた〝霊力〟の実在を見せつけたものであり、言うなれば、死後の世界の実在の証拠だった。スピリチュアリズムにおける心霊現象と同じである。

そしてイエスは、その死後の世界での幸せをもたらすのは、地位や名誉や財産ではなく人のために役立つことをすることだと説いた
。神学のようなややこしい条件は述べていない。〝自分が他人からしてほしいと思うことを他人にも同じようにしてあげなさい〟という、マタイ伝に出てくる黄金律である。

 ローマの帝国とキリスト教との関わり合いをたどってみて私が痛切に思うことは、その歴史が不幸へ、悲劇へ、暗黒へと向かって行った最大の原因は、いま述べた〝しるしと不思議〟の神意を理解せず、自分に都合のよい教義、

いわゆるドグマをこしらえて、それを権力の拡大のための道具とし、イエスの説いた黄金律などクソ食らえといった風潮で押し通していったところにある。それがやがて〝聖職〟という美名もとでの、およそ宗教とは正反対の悪徳の温床と
なって行く。それが私の指摘する二つの要素のうちの一つである。



  ・〝聖なるもの全てが逃げ去った〟聖職者の堕落と腐敗

 コンスタンチヌスの治世下でキリスト教を国教としたローマ帝国は、その後コンスタンチヌスがビザンチンのコンスタンチノープルに移り住むようになったことがきっかけで、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分けられる。それは同時に一〇五四年の東西両教会の大分裂へ向けての、教義上の下らぬ兄弟ゲンカの始まりでもあった。インペレーターも烈しい口調で次のように述べている。


  《
地上の全ての民族に、それ相当の真理の光が授けられている。それをそれぞれの民族なりに最高の形で受け取り、それなりに立派に育て上げられたものもあれば、歪められてしまったものもある。

いずれにせよ、結局はその民族の必要性に応じて変形されてきた。ゆえに、地上のいかなる民族といえども、真理の独
占に誇り、あるいはそれを他民族に押し付けんとする無益な努力が許される道理はない。

地球が存在してきたかぎりにおいて、すべての宗教は───バラモ
ン教もマホメット教もユダヤ教もキリスト教も───それ独自の特異な真理を授かってきたのであり、ただ、勝手にそれを真理の全てであると思い込んで、わが宗教こそ神の遺産の相続者であると自負したにすぎない。

 その過ちをもっと顕著に示しているのが、ほかならぬ
キリスト教である。教会こそ神の真理の独占者であると思い込み、地上全土にそのランプの光を持ち歩かねばならぬと信じていながら、その実、教会内部において対立する宗派が最も多いのがキリスト教であるという事実が、それを何よりも雄弁に物語っていよう。

教会内の分裂、その支離滅裂の教義、互いに神の愛を独占せんとして罵りあう狂気の沙汰の抗争、こうしたことはキリスト教こそ神の真理の独占者であるという愚かな自負に対する、絶好の回答である。

 それにしても、何という醜態であろうか! 本来ならば神の本性を明らかにし、そうすることによって神の愛を少しでも魂に吹き込むべき神学であるものを・・・・・・ああ、それが事もあろうに宗派と分裂の戦場と化し、児戯に類する偏見と見苦しい感情をむき出しにする不毛の土地と化し、神についての無知をもっともあらわにさらけ出し、

神の本質と働きについて激しく非難し合う、わびしい荒地と化してしまうとは! 神学! これはもはやそなたたちキリスト者の間でさえ侮辱をもって語られるに至っているではないか。神についての無知の証ともいうべき退屈きわまる神学書は、見苦しい悪口雑言、キリスト者として最もあるまじき憎悪、厚顔無恥の虚言の固まりである。


 神学! 聖なる本能のすべてをかき消し、敵に向けるべき攻撃の手を同志に向け、聖者の中の聖者とも言うべき霊格者を火刑に処し、拷問にかけ、八つ裂きにし、礼遇すべきであった人々を流刑に処
し、あるいは追放し、人間として最高の本能を堕落させ、自然の情緒をかき消すことを正当化するための口実としてきたではないか。

何たる悲しきことであることか。そこは今なお人間として最低の悪感情が大手を振って歩く世界であり、その世界から一歩でも出ようとする者を押し止めんとする。

 「退(サ)がれ、退がれ! 神学のある所に理性の入る余地などあるものか!」 これが神学者の態度である。真摯な人間を赤面させる人間的煩悩のほとんどすべてがそこにあり、自由な思索は息切れし、人間はあたかも理性なき操り人形と化している。

本来ならば神のために使用すべき叡智を、その様な愚劣な目的のために堕落させてきたのである。》


 そうした宗派間の抗争とは別に、その抗争の土俵となっていたキリスト教会全体が、いつしか政治権力まで握っていたという事実を忘れてはならないであろう。森島恒雄著 『魔女狩り』 によると、法王権が最高度に伸びた時代の法王インノケンティウス三世は

 「聖職者の権力が世俗の権力にまさるのは、あたかも霊魂が肉体にまさるのにもひとしい・・・・・・キリストの代理である法王は、なにびとをも裁き、かつ、なにびとにも裁かれない」

と宣言したという。コンスタンチヌスが得意の絶頂期にそう考えて、邪魔になった親族や下臣を虫けらのように死に追いやった事実を思い思い起こすべきである。

 ある司教は 「王族の権力は教会に由来する。ゆえに王候は聖職者の下僕である
」 と言った。またある司教は 「最下位の聖職者といえども王にまさる。諸侯とその人民は、聖職者の下臣である。それは輝く太陽に対する月にひとしい」 とも言っている。

 私には、これは権力を手中にした者がいつしか陥っていくおごりのパターンとしか思えないが、森島氏は、この優越感は彼らの独自な崇高な使命感で裏づけされていた。と好意的である。つまりキリストが啓示した真理を教え、救いの恩寵をわかち与えて、すべての子羊を永遠の 「神の国」 へ導いてゆく牧羊
者───その牧師の至高の使命を果たしたうる者は聖職者以外にはいないのではないかという使命感があったという。

 「ところが・・・・・・」 と森島氏も次のような、信じられないほどの聖職者の腐敗ぶりを述べている。

 「その聖職者たちは、そのころ、腐敗と堕落の底におちこんでいた。免罪符の売買は常識となり、霊魂の救済は金銭的取引によって行われ、聖餐礼、死者のための祈り、臨終の喜捨、その他あらゆる儀式礼展はその本質を失って形骸化した。聖職売買は普通のことであり、聖職者は情婦をもち、ざんげ室は女をたらしこむ密室であり、尼僧院は赤線区域となっていた。・・・・・・」

 私は、例によって、こうした退廃的堕落の背後に、霊界の暗黒集団、地上的快楽への妄想をいまだに断ち切ることができない低級霊が存在し、それが良識による判断の限界を超えた痴態へと発展させていったと見ている。

 それは現代でも同じことである。私が〝三大霊訓〟と呼んでいるモーゼスの 『霊訓』、 オーエンの 『ベールの彼方の生活』、 『シルバーバーチの霊訓』 の中でも特にしつこい邪霊集団の暗躍を最適して警戒を呼びかけているのは、 『霊訓』 のインペレーター霊である。現代にもそのまま通じるものがあるので、煩をいとわず、いくつか抜粋してみよう。


 《今まさに新しい真理の普及のために、特別の努力がなされつつある。神の使徒による働きかけである。それが敵対者の大軍によるかつてない抵抗に遭遇している。世界の歴史は常に善と悪との闘争の物語であった。片や、神と善、片や、無知と悪徳と邪悪───霊的邪悪・精神的邪悪・物的邪悪───である。

そこで時として───今がまさにその一つの時期であるが───尋常ならざる努力がはらわれることがある。神の使徒が一段と勢力を強めて結集し、人間を動かし、知識を広める。恐るべきは真理からの逃亡者であり、生半可者であり、日和見主義である。こうした人種に惑わされてはならぬ。が、神の真理ゆえに迷うことがあってもならぬ。



───解ります。しかし何をもって神の真理とするか、この判断に迷う者はどうすればよいのでしょう? 真剣に求めて、なお見出せぬ者が多いのです。


 《切に求める者にして、最後まで見出せぬ者はいない。その道程の長く久しい者はいるであろう。さよう、地上を去り高き界へ至ってようやく見出す者もいるかも知れぬ。神はすべてのものを試される。そして相応しい者にのみ真理を授けられる。一歩進むにも、それ相当の備えがなされねばならぬ。それが進歩の鉄則である。適正あっての前進である。忍耐の必要なるゆえんである。》


───それは解るのですが、内部の意見の衝突、証拠を納得してもらえないこと、偏見、その他もろもろの要因からくる障害はどうしようもないように思えます。


 《そなたにそう思えるというに過ぎぬ。一体、何ゆえに神の仕事に抵抗しようとするのであろうか。もろもろの障害とな? われらが過去に遭遇した障害に比べれば、そなたたちの障害など、物の数ではないことをそなたは知らぬ。

かのローマ帝政の末期、放蕩と肉欲と卑俗と悪徳とに浸りきった地域から聖なるもの全てが恐れをなして逃げ去った、あの暗黒の時代にもしもそなたが生をうけておれば、悪が結集した時の恐ろしさを思い知らされたであろう。

 その非情さは絶望のそれであり、その陰気さは墓場のそれであった。肉欲ただの肉欲のみであった。天使はその光景を見るに忍びず逃げ去り、その喘ぎを和らげてやることなど、とても及びもつかなかった。

実はあるのはただの不信のみ。否、それよりさらに悪かった。世をあげてわれらを侮蔑し、われらの行為をさげすみ、すべての徳を嘲笑い、神を愚弄し、永遠の生命をののしり、ただ食べて飲んで放蕩三昧の日を送るのみであった。

まさしく堕落しきった動物同然の生活であった。さほどの悪の巣窟さえ、神と使者は見事に掃き清められたものを! ああ、そなたはわずかな障害を前にして、それを〝どうしようもない〟と嘆くとは! 》





 ・宗教は〝組織〟を持つと堕落する

 〝カトリック〟という用語はギリシャ語の Katolikos`現代英語の general ないし universal に相当する用語から来たもので、一般的ないし普遍的といった意味をもつ。

つまりローマ・カトリック教というのは、地上人類のすべてが帰依すべき宗教ということになる。当時のローマ帝国の支配力のすごさと思い上がりを物語っているが、その教会の主権者である教皇(法王)の権力が皇帝のそれをしのぐに至った時、教会の機構も次第にローマ政府と同じものになっていった。いわゆる聖職位階制組織(ヒエラルヒー)である。 

宗教上の儀式はもとより、法律、財政、学問、芸術等々に、あらゆる面がローマ教会の統治政策によって支配されるようになった。中世の封建制度は、取りもなおさずローマ・カトリック教会の支配機構にほかならなかった。

 が、ごく素直に考えてみて、神学という人工の虚構の上にあぐらをかいた組織が健全なものを生み出すはずはない。先に述べた聖職者の堕落という内部の腐敗はその産物の一つであるが、外的な産物として、そうした封建制度への不満を原動力とした宗教改革の機運が生まれてきた。十世紀から十一世紀のことだった。

 教義をいかに飾り立て、儀式をいかに厳かなものにし、法衣をいかにきらびやかなものに仕立てようと、霊性というものを忘れ、あるいは誤解している司教や神学者たちが目指していたとものは、聖ではなく俗、つまりはいかにして人民から税金と財産を吸い上げるかということでしかなかった。

『ローマ帝国興亡史』 という大著を著した十八世紀の歴史家エドワード・ギボンによれば、キリスト教は、一方では忍耐と無気力の教えをうまく説き、他方では有能な人材を司教職修道院に引き入れつつ国家の中の国家を作り、帝国の旺盛な活力を吸い取ったという。

 また、十九世紀のフランスの歴史家エルネスト・ルナンの言葉によると、キリスト教はまさに〝吸血鬼〟のように古代社会の活力を吸い取り、無気力を呼び込んだ、という。しかし、私の観方を言わせていただけば、そもそも宗教というものは〝組織〟をもった時から堕落が始まるものなのである。

 日本でも大小さまざまな宗教が生まれては滅んでいっている。中には現代まで残っているものもあるが、それは宗教という名前が引き継がれてきたというにすぎず、中身は次第に変わってきている。いずれの教祖も、最初は何らかの霊的能力をもち、イエスと同じ〝しるしと不思議〟をみせることで大勢の人の心を
引き付けた。

その当初
においては純粋に霊的なものに魂の目を開かされた者のみが帰依し、教祖も信者も宗教という名にふさわしい生活を心掛けていた。しかし、その後の〝発展〟の仕方に二つのパターンがあるように思う。

 
  一つは、その教祖みずからが慢心することから始まる。自分は途方もない大神ないしは高級霊の生まれ代わりと思うようになる。信者たちにそう宣言し、信者たちもそう信じる。すると必ず野心が顔をのぞかせる。教祖さまにお目どおりするだけでも法外な金銭を取るようになる。

かつては一銭も取らず、慈悲心と奉仕的精神から病気治療を行っていたのが、今ではたとえ治らなくても大金を出させる。その段階ではすでに高級霊団から見放されているから、治るはずはないのである。

 ところが信者の真理とは妙なもので、いったん信じ切ると、法外な金をとられながら少しもよくならなくても、それを不審に思わなくなってしまう。莫大な金をかけて作り上げた金ぴかの祭壇や、教祖の厳かそうな衣装に目がくらんでいるからでもあろう。

 もう一つは、最後まで霊的自覚を失うことのなかった霊能者が他界した後から始まるパターンである。それまでは帰依者による真心のこもった布施や喜捨によって賄われていた生活費が、その霊能者の他界と共に断たれることになる。そのことに不安と危惧の念を抱いた家族や側近の者が、信者をつなぎとめておく手段を講じることを始める。

〝しるしと不思議〟を見せる人はもういない。そこでそれに代わる方策を考えださないといけない。そこから〝営業〟が始まるのである。その時点では、もはや霊性はカケラもなくなっている。

 この後者のパターンを途方もなく大きなものにしたのがキリスト教だったというのが私の見方である。イエスは奇跡的な病気治療をしても、金銭はいっさい取らなかった。生活費はそうして治してもらった人たちによる喜捨によって賄われていた。

うわさを聞いて生地ガリラヤはもとより、シリヤ、ガラテヤ、エルサレム、ユダ、ヨルダンの向こうからも、続々と群衆が集まってきた。その時もしイエスが慢心を起こして自分が教祖さまにおさまり、大金をとっていれば、大堂伽藍をこしらえるのも容易だったはずである。

もしかしたら、そうやって〝ナザレ教〟でもこしらえていた方が、ローマ帝国の国教として歪められた形でのキリスト教となるよりは、世界人類にとって幸いだったかもしれないという見方も出来ないことはない。

 しかしそれは、イエスという地上人類として空前
絶後の高級霊に対して、不謹慎な見方というべきであろう。およそそういう俗気とは縁のない人物だったからである。




 ・十字軍の暴虐  

 さて、話を戻して、ローマ・カトリック教という大組織となってしまった宗教的支配態勢に対する不満は、先ず南フランスから起きた。

 革新家たちはローマ教会の形骸化した儀式典礼を拒否した。イエスによる贖罪説、幼児の洗礼などの教理を否定した。教会堂は不要であり、祈るのに場所は問わない───教会堂であろうと酒場であろうと馬小屋の中であろうとかまわない。神の教会は建造物の中ではなく信徒の交わりの中にある・・・・・・彼らはそう主張した。

十字架さえも、キリストを虐殺した道具であり、焼き捨てるべきだと主張した。そして教会維持税の納入を拒否するようになった。

 彼らは禁欲と使途的清貧の手本を身をもって示しながら、接心に福音を説いてまわった。それに共鳴する者の数も急速にふくれ上がり、その勢いは南フランスからドイツ、ボヘミヤ、北イタリア、スペインへと広がっていった。

 ローマ教会は、彼らを〝異端者〟と呼び、〝正統派〟のカトリック教に改宗させようとして、いくつかの手を打った。がことごとく失敗し、その勢力のものすごさに脅威さえ抱くようになった法王インノケンティウス三世は、〝改宗〟ではなく、〝異端討伐〟のための軍隊を結成した。以降、断続的に二十年にもわたって凄惨をきわめた思想弾圧のための戦いは、こうして始まった。歴史に有名な〝十字軍〟である。


 本稿を執筆するにあたって私は、この十字軍の歴史をいくつかの角度から読んでみた。その中で十字軍そのものを専門に扱ったものとして橋口倫介著 『十字軍』 が当然のことながら〝詳しい〟内容になっている。が、正直言って、ただの歴史の本、という印象を拭い切れないまま読み終えた。歴史家の書としてはそれでいいのであろう。

むしろ著者の個人的
見解はさしはさむべきではないかも知れない。しかし、これほどまでに残虐をきわめた、ただの暴徒と変わらない伝統的なキリスト教徒の行為の数々を 「光輝ある足跡を歴史の上に残した」 と称賛しているのをみて私は、多分この著者はクリスチャンだろうと推察した。そこにやはり偏見がある。

 その点 『魔女狩り』 の森島恒雄氏は、異端審問が魔女裁判へと移行していった過程を捉えて、 「異端審問の歴史・制度。性格が、本質的にはすべて〝魔女裁判〟の中に集約されている、という重要なことに気付いた」(あとがき)と述べている。

さらに同じ〝あとがき〟の終りで 『科学と宗教との闘争』 の著者 A・D・ホワイトのことに言及し、敬虔誠実なキリスト教徒だったホワイトが、科学は宗教の敵ではなくむしろ宗教を高めるものであり、科学の敵は宗教ではなく神学的ドグマであることを繰り返し強調している、と述べている。

 ここで、くどいようであるが改めて私の観点を述べさせていただくが、コンスタンチヌスがキリスト教を国教と定めて以来、〝神学者〟と称する霊的体験など何もない、したがって、〝しるしと不思議〟の意味がまるで理解できていない司教たちによって、〝三位一体〟とか〝贖罪〟といった教義が勝手にこしらえられていったことが、その後のキリスト教の政策を大きく誤らせ、暗黒時代を招くことになったのである。

 こしらえられたと
いう事実は、そうした教説の採決をめぐって愚かしい論争が繰り返されていることからも明らかである。〝教皇不謬説〟などと言った実に都合のよい教説もこしらえている。その〝絶対に間違いを犯すことのない〟法王が、ガリレオを異端審問の末に獄中死させている。

そしてつい先般、その死から三百五十年もたってから、現法王ヨハネ・パウロ二世が、あれは間違いだったという〝公式の声明〟を勿体ぶって出している。何という硬直した世界であろうか。

 ほぼ二十年に
及んだ十字軍による虐殺と掠奪の数々は、正常な良識をもつ人間の想像を絶するもので、まさに悪魔的だった。その具体例をあげることは、ここでは控える。むごすぎるからではない。これからまだまだ恐ろしい残虐行為が教会の手によって、しかも神の名においてなされることになるからである。



 ・異端審判  

 二十年にも及んだ陥落と奪回の繰り返しの戦闘の末に、さしもの革新派は全滅した。ローマ教会による異端撲滅のための十字軍は一応その目的を達成した。が、その間の幾度もの教会の危機的状態の体験から、時の法王グレゴリウス九世は次のような異端者対策をまとめた。 『魔女狩り』(森島恒雄著)から抜粋させていただく。


 《異端者を向こうにまわして神学論争をたたかわすに十分な学識をもち、しかも異端者に非難されることのない高潔な人格をそなえ、なによりも、異端の防止と撲滅に宗教的熱意を持つという、この三拍子そろった適格者を選び出し、それに強力にして広範な権限を与え、管轄上の地域的制約を受けることなくどこの司教をも支配下に置き、もっぱら異端撲滅だけに専念することのできるような、そういう 「専門的な」 異端撲滅の恒久的な組織をつくること、であった。

 残虐と不正と貪欲と欺瞞と衒学(ゲンガク)───あらゆる悪徳を駆使して、良心と思想の自由を圧しつぶし、幾万、幾十万、ことによると幾百万の人間を虐殺して、中世史に陰惨な影を投げる 「異端審問」 の制度は、この構想の実現であったのである。》



 ・魔女裁判(魔女狩り)

 十一、二世紀のキリスト教会にはもはや〝霊性〟といえるものはカケラも無くなっていた。それを何よりはっきりと証明しているのは、その時代を代表する大神学者トマス・アクィナスが大著 『神学大全』 の中で 「教会は異端者を死の危機から救う必要はない
」 と述べていることである。この言葉の中に、アクィナスがどう弁明しようと許すことのできない、理性を失った悪魔性を見る思いがする。

 当時のキリスト教会は、邪悪性に快感を覚える病的精神状態に陥った低級霊集団のとりこになっていたと私は見る。〝異端狩り〟という当面の目標を達成した教会はこんどは〝魔女〟という、わけの分からないものを粛清の口実として、政策上の〝邪魔者〟を片っぱしから処刑していった。魔女といっても女ばかりとは限らない。男性もいたのである。

 英語では witchで、英和辞典でも
みな〝魔女〟〝魔法使い〟〝鬼ばば〟等々、みな女性として訳出してある。これは明らかに間違いである。もしかしたら魔女狩りの歴史用語に影響されているのかも知れないが、といって〝霊媒〟や〝霊能者〟でもないので、私もここでは混乱を避ける意味で〝魔女〟という用語を用いることにする。

 さて、政略上の〝邪魔者〟として粛清した例としては、歴代法王の中でも最も残忍にして陰湿、野心と貪欲と偽善と迷信、その他ありとあらゆる悪徳の上に、当代髄一の〝神学的博識〟を備えていたというヨハネス二十二世が、法王選挙をめぐって自分と対立した側の者数名を、即位後まもなく 「悪魔の力をかりて未来を占い、人を病気にし、死亡させた」 と言い、魔女的行為を拷問によって自白させ、処刑したという。(『魔女狩り』)

 当時の有名な
例としてはジャンヌ・ダルクの事件があるが、これは次の項で扱うことにして、その後、例によって天変地異や疫病の流行による社会不安真理が、そのすべてを魔女のせいにされるようになり、密告、うわさなどによって、まったく何の根拠もない、ごく普通の善男善女が片っぱしから逮捕され、裁判にかけられ、

拷問の末に処刑されるようになった。参考させていただいたもう一冊の 『魔女狩り』(浜林正人・井上正美共著)の〝序章〟冒頭を転載させていただく。


 《人類はときどき狂気におちいることがある。しかも集団的に───。いちばんひどい例は、戦争の時である。戦争は一旦始まってしまうと、際限なくエスカレートしてゆき、敵を殺すだけでなく、味方の中でも戦争に非協力なものを殺しはじめる。殺し方もしだいに残忍になり、ふだんはふつうの市民として平和に暮らしている人々が、

どうしてあんなにひどいことをしたのかと思うようなことを、平気でやってのける。日本軍の南京大虐殺そうであったし、ナチスのユダヤ人虐殺がそうであった。

 しかし、戦争のとき以外にも、集団的狂気としか思えないような残虐行為が起こることがある。十六世紀から十七世紀にかけて、主として北西ヨーロッパで吹き荒れた 「魔女狩り」 の嵐は、その一つの典型例であろう。

罪のない老婆が魔女という疑いをかけられ、ロープでつるし上げられたり、爪をはがされる、まんりきで骨が砕けるまでしめつけられる。焼きゴテをあてられる、熱した鉄の靴をはかされ、ハンマーで足をたたき潰されるなど、考えてみただけでもゾッとするような拷問を受け、あげくの果てには火あぶりになったり、四頭の馬に手足をそれぞれ一本づつしばりつけられて四つ裂きにされるというような極刑に処せられたのだった。こうして殺されていった魔女の数は総数は数万とも数十万に達するともいう。

 ふつうの人間の感覚でいえば、それは目をおおいたくなるような光景であった。人間のなかにはこういう残虐性がほんらいひそんでいるものなのであろうか。私はそうは考えたくない。しかしこれは疑うことが許さない歴史的事実なのである。したがってこの歴史的事実はそれとして解明されなければならない。

いったい人びとは何におびえて罪もない老婆をとらえ、死に追いやったのか。しかも、ルネサンスと宗教改革という近代ヨーロッパの夜明けを告げる大きな思想運動がまさにまさに高まりつつあった時代に、こういう暗黒の悲劇がくりひろげられたのはなぜなのか。どこで、どのようにして、魔女の血は流されたのか。

そしてこの悲劇に終止符をうつことができたのは、どういう力によるのか。こういう問題の解明は、やはり歴史家の仕事の一つであろう。人類の狂気をくり返させないためにも、歴史の暗黒面の解明を忘れてはならないのである。》




 ・ジャンヌ・ダルクの例  

 さきに私は、〝魔女〟という用語のあいまいさを指摘したが、〝悪魔〟との関係は勝手な言いがかりであるとしても、逮捕され処刑された人々の中に霊的ないし霊媒的能力をそなえていた者が相当数いたであろうことは、想像に難くない。〝オルレアンの少女〟こと、フランスのジャンヌ・ダルクは明らかに霊聴力を持っていた。

 イギリスとフランスによる百年戦争さ中、十二才だったジャンヌは聖霊がよく遊びに来るといわれる森の中で〝天使〟の声を聞いた。最初は、まわりに誰もいないのでびっくりしたが、そのうち同じ声が繰り返し聞こえるようになった。その内容は、今南部に逃げているシャルルこそ正統のフランスの王たる人物だ。シャルルはきっとオルレアンを奪回することができる、ということだった。同じことが何度も聞こえるのでジャンヌはついにシャルルに直訴することを決意した。十六才の時だった。

 その少女が何者であるかが分からない司教たちは、訴えてきたジャンヌの取り調べに三週間を費やした。が、ついのその霊示を神の声と信じて、シャルルの軍隊の指揮を命じた。そして霊示どおりにオルレアンを奪回し、シャルルはシャルル七世として王位についた。

 ジャンヌ・ダルクは〝オルレアンの少女〟として大変な称賛をうけた。が、その帰途に悲劇が待っていた。シャルルの軍隊の中にイギリス軍と通じ合っていた連中がいて、ジャンヌを拉致して、イギリスへ王の人質として〝売った〟のである。

 無能なシャルル七世は、その後ジャンヌを救うための手段を講じることなく、成り行きまかせだった。英国軍はジャンヌ・ダルクは魔女だったと決めつけ、オルレアンの奪回に成功したのは〝妖術〟のせいであるという訴状のもとに異端審問にかけた。ジャンヌ十九才の娘ざ
かりだった。 (以上 The book of Knowledge から)

 当時の審問の内容がいかに支離滅裂なものであったかを知っていただくために、ジャンヌ・ダルクの場合の質問の幾つかを紹介してみよう。

 「大天使ミカエルには頭髪はあったか」
  「おまえはミカエルと聖カトリーヌに接吻したのか」
 「おふたりを抱擁したとき、暖かく感じたか」
  「おまえのどの部分を抱いたのか、上の方か下の方か」

 こうした愚劣きわまる尋問が、十六回も開かれた審問で、次々と出されたのである。そしてついに〝妖術者〟〝迷信者〟〝悪魔の祈祷師〟等々の罪状によって火刑に処せられた。しかもその火刑の途中で、燃える薪束をかき分けて、衣類の焼け落ちたジャンヌの下半身を立会人の聖職者たちにさらしてみせたという。 (森島恒雄著 『魔女狩り』)



 ・霊性の封殺

 ここまで来ると、もはや評すべき言葉を知らない。しかし、こうした例が示すように、中世ヨーロッパの魔女狩りによって霊能力をもった者が徹底的に根絶やしにされたのである。心霊治療家の M・H・テスターは Learning to Love (拙訳 『現代人の処方箋』 潮文社の中で次のように述べている)


 《私は、今日の地上世界が抱えるさまざまな問題の根本原因の一つに、キリスト教会がほぼ一千年にわたって霊的・思想的・科学的に成長を止められたことにあると確信している。

 〝暗黒時代〟と呼ばれているその期間に、、イリスと教会はまるでマフィアのように、当時の人間の精神、想像力、霊的ならびに心霊的生活、そして物質文化の発達を徹底的に牛耳った。

 心霊能力を持つ者は片っぱしから火あぶりの刑に処せられたり拷問を受けたりした。かくして遺伝的要素の大きい心霊能力が事実上根絶やしにされてしまった。思想上でも、キリスト教の正式教義以外はすべて禁じられた。

 科学は魔術と同類に扱われて、何でもかでも容赦なく否定された。西洋文明は完全にキリスト教会の鉄のごとき掌中に収められ、そして息の根を止められてしまった。

 その目的な何だったのか。それはほかでもない、その絶対的な締めつけの体制を脅かすことになりかねない教育、知識、権威、あるいは能力を持たせないようにすることにあったのである。

 かくして西洋世界は一千年にもわたって進歩と科学的研究と心霊的発達と霊的進化の機会を失ってしまったのである、他のいかなる原因にもまして、このキリストという宗教が、悲劇と戦争と死者と苦しみと不安と無知を生み出してきたのである。今こそ、それを認識すべき時期がきている。》



 ・スピリチュアリズムは〝霊性のルネッサンス〟  

 こうした語調でテスターはキリスト教の罪悪を徹底的に検証している。それは決して単なるアラ探しではない。

そうせずにいら心霊治療家としての深刻な理由があるのである。欧米のキリスト教の患者を数多く治療してきた経験から、器質的なものにせよ心身症的なものにせよ、その病的状態を誘発した根本原因として、キリスト教的ドグマから生じる罪悪への恐怖心があるというのである。

良心の呵責とは本質的に異なるもので、罪ではないものを罪ではないかと思い込む、その不安と恐怖の積み重ねが精神を歪め、ひいては肉体までも冒してしまったケースが信じられないほど多いとテスター氏は言う。それほどまでにキリスト教神学は、西欧人の霊性を抑圧してきたということである。

 ここで念のために申し添えるが、テスターの診断をキリスト教団に限ったことと考えてはならない。それだけのことであれば私は敢えて議題として持ち出すことはしない。歴史に関心をお持ちの方ならば、こうしてみてきたローマ帝国と見リスト教徒の関わりの中で非人間的行為──迫害・抑圧・搾取・虐殺等々──は、スケールこそ違え、世界各民族において続けられてきたことをご存知であろう。そして今なお〝虐殺〟を報じるニュースが絶えない。

 また、第一次世界大戦は火薬というものを使用した最初の大量殺戮行為であり、第二次大戦ではそれに原子爆弾が加わって、わずか数年間で数百万人の人命を奪った。

しかも今日では各種の核兵器の量産によって、一瞬のうちに敵も味方ももろとに、否、敵でも味方でもない他の民族も巻き添えにして、地上人類という〝種〟を根絶してしまう危険性すら抱える事態に至っている。

 実は、人類がいずれこうした
事態に立ち至るであろうことは、地球神庁ではイエスの降誕以前から予測していた。

さらに私の大胆な推察をもう一度述べさせていただけば、イエスの地上への降誕は、地上世界の霊性回復の運動すなわちスピリチュアリズムの推進にそなえて、最高責任者としての霊力の強化という目的があったものと信じている。 『インペレーターの霊訓』 の中に次のような〝霊言〟がある。


 《苦難の時代が近づいております。いつの時代にも、真理が顔を出せば必ずそれを目の敵(カタキ)にする反抗勢力が結集するものです。平和が乱されることを嘆く者がいるのも無理からぬことですが、真実を虚偽との戦いの中に、神の真理の火花を打ち出す好機を見いだす才覚のある者には、混乱もまた喜ぶべき理由が無きにしもあらずなのです。

 戦争と激動を覚悟しなければなりません。苦難と混乱を覚悟しなければなりません。そしてまた、キリストの再臨を地上への再生と信じる者が引き起こすであろう抵抗も、大いに覚悟しなければなりません。今、〝キリスト的〟と呼ばれる時代が終焉を迎えております。

キリストは霊として、また霊力として地上へ戻り、人類の魂を解放するための新しい啓示をもたらしつつあります。

 それを受ける霊媒が背信あるいは不信心ではなかろうかと恐れることは、実は、これより良い種子が蒔かれていく休閑地のようなものです。迷信的教義によってがんじがらめにされた精神の方が、何の先入観もない精神よりはるかに有害です。信仰をもたない者が多いことを恐れることはありません。

新しい真理が注ぎ込まれるためには、先ず無垢な受容性がなければなりません。

 キリストの生涯には当時のエルサレム、キリストが涙を流して嘆かれたという都市ではなく、現代の都会にも当てはまる予言めいた言葉があることに気づかれるでしょう。ご自身が生きた時代だけでなく、みなさんの時代をも見通しておられたのです。エルサレムへの嘆きは、そのまま皆さんが運命を共にしている人々にも向けられてよいものです。

今や金銭が神の座を占めております。まん延する贅沢と怠惰の中に、堕落の要因があります。

 どうか、これから始まる最後の闘争にそなえてください。それは善と悪との闘い、信仰心と猜疑心との闘い、〝法と秩序〟対〝無法と放縦〟の闘いです。キリストが予言した嘆かわしい不幸の時代となるでしょう。それが暗黒の勢力、つまり悪魔のしわざとされるでしょう。〝聖霊を汚す〟罪が横行することでしょう。

そうした中にあって確固たる信念を失わずにいる者は幸いです。煩悩に負けて堕落していく者が多いのです。なかんずく、いったん霊的
光明を見ながらそれを拒絶した者は、この地上においても、来たるべき霊の世界においても、救いはありません。

 今まさに、キリストの再臨の予言が現実となりつつあります。キリストは〝助け主が訪れる〟と述べておりますが、〝助け主〟とはキリストの霊による影響力のことです。それが今、現実に成就されつつあります。地上を去って至福の境涯へたどり着いた霊が、いまふたたび地上圏へと戻ってきて活躍しております。
 
その余波は最初は不協和音の増幅、邪霊集団による活発な反抗活動、既成権力の狼狽という形で現れます。霊力の流入は反抗勢力を活気づけ、また新しい真理の到来に必ず伴うところの頑迷と偏狭が、なりふりかまわずムキ出しにされます。

 われわれは今、二つの敵対勢力の真っ只中におります。片や光明より暗黒を好む邪霊集団であり、片や進歩的なものをすべて毛嫌いする退嬰的な人間です。人間界の日常の出来事がどのように霊によって支配されているかについての知識を世間一般に得心させることに、われわれはほぼ絶望的となっております。その働きかけが五感に反応せず、また霊の動きが目に映じないために、そうした概念を捉えることができないのです。

 来るべき時代を担う世代が、外見からは理解出来ない方法でその働きかけを受けつつあります。地上各地に霊的影響力の中枢が形成されつつあります。他方、人間の霊性の衰退と邪霊集団のばっこが、われわれにとって悩みのタネを次々ともたらしております。

人間界において善なるものが進歩することに反抗的態度をつのらせている霊たちです。が、いずれは霊力のほとばしりが地上のすみずみまで浸透して、そうした勢力を内紛状態へと追いやり、受け入れ準備の整っている魂が渇望している真理のメッセージを届けることになるでしょう。

 真摯な魂による祈願は、神の霊力のほとばしりを求め、信仰厚き魂が真理のために結束してくれることを求めるものであらねばなりません。常に未来に目をやり、決して絶望してはなりません。敵対する勢力のすべてが結束しても、味方となってくれる神の勢力の方がはるかに大きいのです。》



付記───本章で私が概説したキリスト教会による陰惨きわまる所業について疑念を抱かれる方、反論されたい方、あるいはもっと詳しく知りたい方は、私が本書を書き上げたあとに発表された 『教皇庁の闇の奥』 (遠藤利国訳──リブロポート)
をひとまずお読みいただきたい。一〇〇〇ページになんなんとする大著で、実を言うと、私はまだ最後まで読み終えていない。分厚すぎるからではない──読みかけてはその陰惨さに嫌気がさして閉じてしまうのである。





   第三部 〝霊性の夜明け前〟  

   第一章  スピリチュアリズムの予兆  
 本書のメーンテーマは、人類史における〝霊性〟の消長の過程を、主としてイエスとローマ帝国とキリスト教の絡み合いの中に見ることである。

霊性を失った時の人間は、獣性とかわらぬ恐ろしい残忍性をむき出しにすることがある。その最たるものを前節の最後で〝魔女狩り〟の中に見たのであるが、その実態は私が紹介したものよりはるかに残虐で陰惨なものだった。

が、いたずらにその残虐性をさらしものにすることは無意味であるし、本書のテーマからそれることにもなるので、そのありのままを知りたい方は、私が紹介した書物をお読みいただきたい。

 さて、さしもの狂気も十七世紀後半には下火となり、
十八世紀末で完全に見られなくなるのであるが、その頃から、あたかもパブテスマのヨハネが新しい真理の伝道者の出現を予告したように、スピリチュアリズムの勃興の間近いことを予告する〝しるしと不思議〟が見られるようになってきた。

  
       

  (一)   エマニュエル・スウェーデンボルグ 

  霊に身をまかせてしまうタイプの霊能者、たとえば自動書記とか霊言を専門とする霊媒の場合にせよ、通常意識のまま霊視力や霊聴力を働かせたりインスピレーションを受けたりするタイプの霊能者にせよ、その仕事が生まれついた生活環境から受ける影響───なかんずく宗教的信仰───や常識的通念というものによって大なり小なり左右されることは、人間の宿命といってよい。

 その中でもわれわれが意外と気づいていないものの一つに、ことばの影響がある。生まれついた国の言葉は、生涯にわたってその人間の精神的生活に影響を及ぼすと言ってよいほどの拘束力をもっている。

たとえば英語の water を〝水〟と訳すのは、厳密にいうと間違いである。同じく水でも、欧米人と日本人とでは頭に浮かべる概念が違うからである。これが〝カミ〟の観念になると世界の民族によってことごとく違うし、もしかしたら人間一人ひとりでも違っているかも知れない。

 しかも、ここで一番大切なのは、地上の言語はあくまでも時間と空間にしばられた物的時限での伝達手段に過ぎず、したがって物質を超越し時空も超えた存在を言葉で表現することは不可能である以上、地上のいかなる民族のカミの観念も完全では有り得ないということである。

 さて、以上のような前置きをしたのは、十七世紀後半から十八世紀にかけて活躍した霊能者のスウェーデンボルグが、霊的能力も含めてあらゆる面で天才的な才能に恵まれ、数々の大きな業績を残しながら、残念なことに、その霊的産物にはキリスト教的偏向が見られると同時に、彼の信奉者がそれをさらに増幅する方向へもっていってしまった事実を指摘するためである。



    ・致命的だったキリスト教の影響

 スウェーデンボルグは冶金学・採鉱学・工兵学・天文学・物理学・動物学・解剖学・財政学・経済学という数々の分野で〝権威〟とうたわれるほど造詣が深かったが、同時に司教だった父親の影響で〝母乳とともに神学を吸い込み〟(コナン・ドイル)、長じては熱心な聖書研究家でもあった。

 彼は、バイブルは〝神の作品〟であると信じていた。ただしバイブルの言葉には表面とは違う意味があると主張し、さらに、その本当の意味を自分は天使から教わっている───それができるのはこの自分一人である、と信じていた。

 コナン・ドイルは、スウェーデンボルグが〝自分は絶対だ〟と思いこんだことによる影響に比べれば、ローマ教皇の〝不謬説〟などは取るに足らないと言い、その理由は教皇の場合は特殊な議題で枢機卿を前にして評決を下すときだけ〝間違いを犯さない〟のに対して、スウェーデン・ボルグの場合は、自分が霊界へ行って見聞きしてきたものは何一つ間違っていないというのであるから、それを読むものへの影響が大きいというのである。

 スウェーデンボルグを高く評価している W・H・エバンズでさえ、A New Heaven (拙訳 『これが死後の世界だ』 潮文社) の中で、彼の思想には、〝暴君的〟といえるほどのキリスト教の影響があると言い、特に黙示録の影響が顕著であると述べている。しかし一方スウェーデンボルグは、〝三位一体説〟や〝贖罪説〟といった神学上のドグマは否定している。性の問題でもパウロのような禁欲説は説いていない。悪の根源は利己主義にあると
説き、この世は魂の精錬所であり、物的なものによって霊的なものが磨かれるのだという。

 そういった点だけをピックアップしてみたかぎりではスピリチュアリズムと相通じるものがあるが、彼の膨大な量のラテン語の著作を読んだ者は、十人が十人通りの、百人が百人通りの新しい宗教をその中に見いだすのではないかと思われるほど、内容が混沌としているとコナン・ドイルは言う。



    ・〝新教会〟(ニューチャーチ)の偏向

 それに加えてスウェーデンボルグにとって不幸だったのは───ここが有目的的スピリチュアリズムと違うところであるが───彼の信奉者によって結成された新教会 The New Church という集団が一種の新興宗教のように、スウェーデンボルグを絶対的な師にまつり上げ、折角の新しい潮流を逆流させてしまったことである。

 このあとで紹介する A・J・デービスもスピリチュアリズム勃興前の霊能者であるが、デービスの場合、スピリチュアリズムが勃興するや、いちはやく賛同して陰に陽に支援したのとは対照的に、ニューチャーチはなぜかスピリチュアリズムと異なる側面ばかりを強調し、相通じる側面はことごとく無視する態度に出た。ためにスピリチュアリズムとの間に無用の敵対関係が生じてしまった。

 この点についてコナン・ドイルは、霊的原理に照らせばスウェーデンボルグの著作の中には素晴らしい教説が沢山あり、近代の第一級の霊能者として、どこのスピリチュアリスト・チャーチにもその肖像画を飾ってもよいほどの人物なのに、ニューチャーチは、小異を捨てて大同につき共通の大義のために手をつなぎ合う洞察力に欠けていた、と断じている。

 私見を述べれば、スウェーデンボルグ個人としては学者としても霊能者としても才能にあふれる第一級の人物だったのかも知れないが、スピリチュアリズムという地球規模の霊的事業の計画の中には組み込まれていなかったことを物語っていると思う。

 マイヤースの〝類魂説〟の中で述べられていることであるが、類魂の系譜の中で、ある特殊な一面、例えば音楽的才能ばかりが繰り返し顕現し続けると、モーツアルトやシューベルトのような天才が出現するという。

それと同じことが霊能者にも言える。長い歴史の中には霊的才能の天才が数多く輩出している。しかし当人にとっては必ずしも霊的仕事が使命ではないこともあり得るわけである。

 何度も言うように、地上生活は不自由な部的環境の中で苦しみつつ努力するところに意義があるのであって、霊的仕事にたずさわることばかりが偉いわけではないし、高尚いうわけでもない。そういう人生を使命として生まれてくる高級霊もいるが、むしろ無名な平凡な人生の中で、霊界での飛躍的な進化にそなえて研鑽を積んでいる高級霊もいる───数からすればその方がはるかに多いのである。

 ところが、人間は〝しるしと不思議〟の、本来の意義を理解せずに、目を奪うような能力や現象に心まで奪われて、その
霊能者自身を崇めるようになり、その人の教え以外にも目もくれないようになっていく。スウェーデンボルグが不幸だと言ったのは、そういう取り巻き連中によって心ならずも垣根をこしらえられてしまったからである。

 ドイルによると、スウェーデンボルグは生涯かなり重度の吃音障害者だったために、思うことを存分に言って聞かせることができなかったのだという。それもたしかに不孝な条件の一つだったことは間違いないが、最大の不幸は、側近に優れた人物がいなかったことにあると私は見ている。



                         
   (二)  A・J・デービス

 〝育ち〟の点でスウェーデンボルグときわめて対照的なのが米国の霊能者アンドリュー・ジャクソン・デービスである。スウェーデンボルグが司教の家に生まれ、当時としては第一級の高等教育を受け、しかも学問的才能に恵まれていたために、十指で数えられるぼどの分野で〝権威〟とうたわれるほどの業績を残し、

そのうえさらに霊的能力を発揮して膨大な
著作を残したのに対し、デービスは、その日の食事にも事欠くほどの貧しい家庭に生まれ、学校へも通えず、十六才になるまでに読んだ本はたった一冊だけだったというほど、学問とは縁遠い環境の中で育っている。



   ・スウェーデンボルグが支配霊

 ところが面白いことに、そのデービスの中心的指導霊が、ほかならぬスウェーデンボルグだった。自叙伝の The Magic Staff (魔法の杖) によると、一八四四年三月六日、十七才のある日、半入神状態で外へ連れだされて、そのまま四〇マイルも離れた山の方角へわけもわからず急がされた。

山中で我に帰ってみると、目の前に二人の品のいい男性がいて、一人から医学について、もう一人からは道徳について懇切な講義を受けた。それが一晩中続いた。のちにデービスは、前者は紀元二世紀のギリシャの医学者ガレンで、後者はスウェーデンボルグだったことを知ったという。(ちなみに、ガレンはその後、前出の治療家 M・H・テスターの中心的指導霊となってる。)

 確かに彼は、当時彼は人体を透視して、病状を的確に述べていた。それも目の前にいる患者だけでなく、遠隔地にいる人でも同じことだったという。

 スウェーデンボルグの影響は入神講演に良く表れている。デービスは入神講演が得意で、のちに The Great Harmonia (大いなる調和) と題する全四巻の大著となって出版されているが、その講演に立ち会ったことのある 二ユーヨーク大学のヘブライ語教授ジョージ・ブッシュ氏は次のように述べている。


 《私はデービス氏がその入神講演の中でヘブライ語を正確に引用し、また、地理学上の知識も、たとえ何年間も勉強したとしても、あの年齢であれだけ知っているのは驚異と言えるほどのものを披露するのを聞いている。

歴史ならびに聖書関係の考古学、神話、言語の起原と共通性、地球上の各民族における文明の発達、等々に関する難解な質問に対して見事に答えている。その見事さは、キリスト教世界の図書館のすべてに通える特典を有する当代髄一の学者であっても名誉なことと言えるほどのものだった。

 仮にあれだけの知識を、彼が靴みがきを止めてからの二年間でなく、生涯をかけて必死に勉強した末に獲得したものだったとしても、地上のかつてのどの天才も敵わないほどのものであるが、彼はそれまで、ただの一ページも読んだことがないというのである。以上の事実を私は厳粛なる気持ちで証言する。》

 

  ・スピリチュアリズムの勃興を予言

 彼の思想は〝調和哲学〟の名称で広まり、詩人のロングフェロー、哲学者のエマソン、天文学者のローエル、その他、多くの知識人に大きな影響を及ぼし、同時にスピリチュアリズムにも貴重な貢献をしている。その頃はすでにハイズビル事件を皮切りに心霊現象への関心が沸騰していて、デービスもそれを新しい時代の幕開けとして歓迎していた。

 一八四八年、すなわちハイズビル事件の前年に出版された Principles of Netur (大自然の原理) の中に次のような一節がある。


 《肉体に宿っている霊 (人間) が高級界の霊と交信している───この場合も人間の方は無意識であって、そのことに気づいていない───ということは事実である。そして
この事実が、間もなく、生きた証拠の形で地上に演出されるようになるであろう。地上世界はその時代の到来を、歓呼の声をもって迎えることであろう。内部の霊性が開発され、今すでに火星や木星や土星では当たり前とされている霊的交流が、地上に確立されるであろう。》


 これは、言い変えれば、〝しるしと不思議〟が演出され、それが学問的に立証されるようになることを意味するもので、人間の霊性と霊の世界の実在、そして霊の威力を認識させるための手段だった。

つまり二千年前にイエスがユダヤの民族に身をもって範を示したものを、今度は世界規模で、しかも科学的実証つきで示そうというものだった。

 しかし、五感中心の生活を営んでいる人間はとかく現象的なものに興味が偏り、実験会を催しては面白がるばかりで、肝心の教訓的側面をおろそかにしがちである。心霊現象の話題が英国へ飛び火して第一級の学者や文化人の理解を得て、一段と高度な発達を遂げはじめた頃、米国では相も変わらず現象面ばかりが関心の中心で、おまけにトリックによる詐欺事件まで横行し始めた。そうした傾向に対してまっ先に、そして最も厳しい批判を浴びせたのがデービスだった。
 

   致命的欠陥
 デービスは一八二六年に生まれ、一九一〇年に八十四才で他界している。その間の著作は厖大なものにのぼるが、最近その復刻版が出はじめている。良さが再認識されている証拠であろう。私もそのほとんどを入手している。

それ以前にも、前出のエバンズの A New Heaven や J・C・レナードの The Higher Spiritualism に引用されてデービスの文章を訳しているので、その良さは十分に認識している。また、デービスの著書を全訳してほしいという要望も私のもとに寄せられている。が、なぜかその気になれないまま今日に至っている。

 それが、このたびコナン・ドイルの History of Spiritualism を読んでみて、その原因として納得のいくものを発見した。ドイルはデービスを高く評価しながらも、次のようなことを述べている。


 《・・・・・・しかし、彼の著作のかなりの部分に意味不明の箇所があり、非常に読みづらいことは認めねばなるまい。それは、彼がやたらに長たらしい単語を用いるからで、時には自分で単語をこしらえているところもある。それが品位を損ねているのである。》

 言語に過敏なタイプの私には、その辺が鼻もちならなかったのである。なぜそうなったのか───これは実は、意外に大切なことを示唆してくれていると思われるので、私見を述べてみたい。

 霊媒現象というのは基本的には霊媒が自己を滅却することによって発生するのであり、したがって霊媒は受動的な立場にあり、使用される道具にすぎない。その点の認識は普遍的なものであるが、そこから先、つまりだから霊媒は無学文盲の方がよいのかという点に関して、意見が大きく二つに分かれる。

その通り、霊媒は何も知らない方がよいという意見と、いや、なるべく教養を積み、幅広い知識を蓄えておく方がよいという意見である。


   ・霊媒と人格  
 これは霊能の種類によって答えが違ってくる問題で、たとえば、ただの物理現象の霊媒であれば、体質的にエクトプラズムを多量に持っていることが第一条件であって、教養も人格もさして関係はない。

 日本におけるスピリチュアリズムの草分け的存在である浅野和三郎氏の未亡人・多慶子夫人には、亡くなられる直前まで、何度か横浜のお宅へお邪魔して思い出を伺ったことがあるが、その中で、浅野氏が何人かの物理霊媒を使って実験していた頃の話として、帰宅して晩酌をなさりながら、霊媒たちの品性が悪くて不快な思いをさせられることをグチっておられた話をされた。「嫌なヤツらだ!」 と憤慨されたこともあるという。

その程度の人間でも物理霊媒は務まるということである。だからこそ浅野氏は我慢して養成にあたったのであろう。

 しかし
一方、主観的霊能、なかんずく霊言と自動書記となると、霊媒の人格と教養が圧倒的な影響を及ぼす。その人格と教養の程度が霊的波動を決し、その波動の程度が、伝達される霊的メッセージの内容の程度を決するのである。つまり霊媒の霊的理解力が、その霊媒を通して伝えられる霊示の高さを決定づけるということである。

したがって当然、教養とか知識と言っても、ただの〝生き字引き〟ではなく、その人の精神的な血となり肉となっていなければならない。

 さきほど、ヘブライ語の教授がデービスの講演の中のヘブライ語やキリスト教関係の知識に驚いた話を紹介したが、単なる知識の披露だけで感心するのは禁物である。

その程度のことは低級霊でも出来る。むしろそれが、低級霊が歴史上の人物の名を騙って出る際に、それらしく見せるために使う手もあるのである。つまり知識をひけらかすことによって感心させ信用させるのである。

 が、それが高級霊による崇高な内容の通信となると、たとえてみれば名演奏家と楽器との関係と同じで、楽器が名器であるほど魂をゆさぶる名演奏ができるし、普段の手入れと調律が必要だし、演奏会場の雰囲気も大切になってくる。高等な霊界通信を受ける霊媒は、教養と同時に人格も問われることになるゆえんである。

 こうしてスウェーデンボルグとデービスを比較対照した時、潜在意識というものがプラス方向にもマイナス方向にも大きく作用するものであることを改めて思い知らされる。

スウェーデンボルグの場合は、幼児期のキリスト教信仰と長じてからの聖書研究が霊的啓示を色濃く着色しているところが窺われるし、一方デービスの方は、あまりに無教養であったことが崇高な内容の通信の伝達に際して障害となり、その不足を補おうとする潜在意識の働きが気取った文章となって表れた、と私は見ている。

高等なことを言っているようで、どこか気負いのようなものがあって、ことばが空回りしている感じがするのである。

 しかし、そうした点を割り引いても、全体としてみて二人とも稀にみる天才的霊能者であったことは間違いない事実で、本格的なスピリチュアリズムとの活動が開始される直前の予兆だったとみるのが妥当であろう。
 




   第二章  スピリチュアリズムの勃興
(一)  ついに〝電話のベル〟は鳴った                       
 
 前章ではハイズビル事件を前にして出現した二人の霊能者を紹介した。スウェーデンボルグもデービスも、その霊能だけを見るかぎり間違いなく天才と言えるタイプだった。が、二人が残した啓示ないし霊界通信を見ると、その後スピリチュアリズムの潮流に乗って輩出した数多くの霊能者を通して得られたものに比べて、取り立てて瞠目すべきものはない。

 その二人を敢えて紹介したのは、確かにその後のスピリチュアリズムの産物に比べて大したことはないとはいうものの、それまでの暗黒時代の硬直した神学的教説に比べるとき、そこに時代的背景の大きな変化を読み取ることができることを指摘したかったからである。

 もっとも、それに加えてもう一つ、二人は天才であっただけに、凡人が努力してもかなえられないものを、いとも簡単にやってのけた。が、天才であるがゆえの欠陥もさらけ出していることを、日本における二人のフアンへの警告もこめて指摘しておきたかったからでもある。


   ・エプワース事件とハイズビル事件

 それからほどなくしてハイズビル事件が話題を呼び、欧米の第一級の学者や文化人が霊媒現象の真理解明に乗り出し、ついのその原因を死者の霊とする〝霊魂説〟が打ち出されるに至った。そのいきさつは 『コナン・ドイルの心霊学』 (新潮社)でセンセーショナルな写真とともに紹介した。

 が、実は、それ以前にも、現象そのものはハイズビル現象よりも激しく、かつ長期間にわたったものがいくつかあった。たとえば〝エプワース事件〟というのがその一つである。これはメソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーの父親で同じく牧師だったサミュエル・ウェスタ―の家族が住んでいたエプワースの牧師館で起きた怪奇現象で、一七一六年十二月に始まって翌年の夏ごろまで断続的に発生している。

 主として叩音現象だったが、子供がベッドもろとも浮揚したことも何度かあった。ウェスレー氏が話しかけても、小鳥のさえずりかネズミの鳴き声のようなものが返ってくるだけだったという。当時としては大変な話題をさらいながら、科学者の関心を呼ぶこともなく、ただの怪奇現象として記録にとどめられているだけである。

 ということは、それが偶発的なものにすぎなかった───目的も計画性もなかったということを意味している。その点、ハイズビル事件はその後の経過を見て明らかなように、さきに紹介したデービスの予言と、もう一つ、現象が発生したのと同じ日のデービスのメモにも、それが計画的だったことを物語るものが見られる。一八四八年三月三十一日付けのメモに次のように記されている。


 《けさ日の出ごろ、寝ている私の顔の上を暖かい息が吹き抜けた。そして優しく、しかし力強い声で 「友よ、いよいよ仕事が開始された。見よ、生きた証拠が生まれようとしている」 と言った。いったい何のことだろうと、一人考えていた。》


 この〝声〟は多分スウェーデンボルグであろう。この簡単な文章を読んだだけで、霊界において用意万端整い、ちょうど宇宙ロケットの発射の点火のように、最前線の指導者のゴーサインが出された様子がほうふつとしてくる。

 私はあっさりと〝仕事〟という訳語にとどめたが、原文では the good work となっている。good はここでは〝意義ぶかい〟といった意味で用いてあると思われるが、それよりも、定冠詞の the が用いられていることの方が重要であろう。すでに定まっていることを意味するもので、霊界ではいつそれが
開始されるのか、大変な話題になっていた筈である。

 といって、現象そのものは他愛もないものだった。すでに何度か紹介したが、改めて簡略に説明しておくと、現象の主なものはエプワース事件と同じく〝叩音〟でそれも幾種類かあり、稀には家中に響きわたるほどの轟音もあったらしい。それが妙なことに、二人の娘(当時十四才と十一才)のいるところにかぎって発生した。

怖がった二人が両親の寝室に逃げ込むと、その部屋で轟音がして、その響きでベッドが揺れるほどだったという。

 そんな現象が前年の暮れから発生し始めたのであるが、明くる年の一八四八年三月三十一日が記念すべき日とされているのは、
その日に妹のケートが勇気を出してその音のする方向へ向かって 「私のする通りにしてごらん」 と言って指先を鳴らしたところ、それに呼応して、鳴らした回数だけ音がした。

自分の年齢を尋ねると、きちんと十一回音がした。それがきっかけで霊との〝交信〟が始まったからである。

 これをコナン・ドイルは、大西洋の海底ケーブルが敷設されて最初に交信したテストエンジニアどうしの対話にたとえて、そのとき交わされた言葉は月並みなものだったが、その後、同じケーブルを使って本格的に重大な対話がなされるようになったと言い、ハイズビルの名もない一軒家で起きた
一人の少女と目に見えない一人の死者の霊との交信が、その後、数多くの高級霊が崇高なメッセージを送ってくる端緒を開いたのだと結んでいる。 (『スピリチュアリズムとの歴史』)

 もっとも、この霊界からの計画的な働きかけの最初の舞台となったフォックス家にとって、それは大変迷惑な話だったことであろう。〝証人〟として近所の人々を呼び交信の様子をいっしょに確認してもらい、それがさらに話題を呼んで、翌日には二百名を超す野次馬が押しかけ、その中には心ない人も大勢いて、好き勝手な憶測をし合った。

当然のことながら〝悪魔〟の仕わざだと息まく暴徒まで現れる始末で、フォックス夫人はその心労で、わずか一週間で髪が真っ白になったという。



   ・フォックス夫妻の証言

 しかし一方では、その現象を本格的に調査しようという動きも出てきて、二人の姉妹を使って実験が行われるようになった。これが心霊実験会の始まりである。調査委員会が結成されてフォックス夫妻への聴聞会まで開かれている。夫人の証言は長文のもので、事件当日の様子を克明に述べているが、その最初の一節に夫人の正直な戸惑いの心境が窺われるので訳出しておく。


 《・・・・・・私は幽霊屋敷とか超自然現象とかを信じているわけでありません。この度のことで大騒ぎを起こしてしまったことをもうしわけなく思っております。それは私たち一家にとっても大変迷惑なことでございます。この家に移り住んだことが私どもの不運だったのでございます。

 しかし真実は知っていただかねばなりません。そのための証言は喜んでいたしますし、ぜひさせていただきたいのです。ラップの原因は私には説明できません。が、私が確信して言えることは、そのラップが今申し上げた通りに、繰り返し聞こえたということです。今朝(四月四日)も又聞いております。子供たちも聞いております。

 私は以上の陳述が改めて朗読されるのを聞いて、その内容に間違いないことを保証し、必要とあらば、喜んで宣誓することを確約します。》


 当日はフォックス氏も主席していて、夫人の証言が読み上げられるのを聞いたあと、次のような声明文を書いている。


 《私は妻マーガレット・フォックスによる右の証言を聞き、さらに目を通してみて、その内容の詳細な点に至るまで真実であることを証言します。妻が語ったラップは私も聞いております。われわれからの質問に対して、妻が述べている通りの返事が返ってまいりました。

妻が述べた質問以外にも実にさまざまな質問をしておりますが、やはり的確な返事がラップで返ってきました。同じ質問を繰り返してみたこともありますが、同じ返事が返って参りました。そこには何一つ矛盾は見出させませんでした。

 そのラップの原因については、少なくとも自然な手段は思い当たりません。何かが、あるいは何者かがどこかに潜んでいて出しているのではないかと思い、家中のあらゆる場所を何度も捜査してみました。が、その謎の解明につながるものは、何ひとつ発見できませんでした。

 それがどれほど混乱と不安を生み出したか知れません。これまでに何百人という方が私の家を訪れています。そおために日常の仕事が手につきません。一日も早く、自然現象であれ超自然現象であれ、とにかくその原因が解明されることを期待しております。

 地下室の発掘も、水が引き次第、再開されることでしょう。それによって、そこに埋められたとされる人体の痕跡があるかどうかの確認が得られることでしょう。もし発見されれば、その原因は超自然的なもの以外には有り得ないとの確信が得られるものと信じます。》



   ・五十年後の立証
 右の声明文の中の〝地下室の発掘〟というのは、その家の地下室に通信霊の死体が埋められているという事実の証拠固めのために行われたものであるが、発掘を開始して間もなく大量の水が出て、一時中断されていた。

それが再会されたのは夏のことで、深さ五フィートのところで厚板が出てきた。さらに掘り進むと、今度は木炭と石炭が出土し、その下から人間の髪と骨の一部が出てきた。そして医学の専門家による検査でもそれが人間のものであることが確かめられた。が、それ以上のものが発見されず、ついに作業は打ち切られた。

 問題の骸骨がそっくり発見されたのは、実にそれから五十年後の一九〇四年のことで、心霊とは何の関係もない Boston Journal という新聞にそのニュースが掲載された。


 《ロチェスター発、一九〇四年十一月二十二日。一八四八年にフォックス姉妹が聞いたというラップの発信者とされる人物の骸骨が同家の地下室の壁と壁の間から発見された。これで、二人の少女は霊との交信に関する誠実さにつきまとっていた疑惑を完全に打ち消すことができた。

 フォックス姉妹はある男性の死者の霊と交信したと言い、その男性は殺害されて地下に埋められたと主張したことになっていた。そこでその地下室が何度か掘り返されたのであるが、その遺体が見つからず、二人の話の裏づけ証拠が得られずにいた。

 その遺体を発見したのは、今では〝お化け屋敷〟と呼ばれている、その二人の少女が住んでいたハイズビルの家の地下室で遊んでいた小学生たちだった。その家の現在の所有者でハイズビルの名士でもあるウィリアム・クライド氏は、子供たちの通報で調査したところ、地下室の崩れた壁の下からほぼ完全な白骨死体が発見された。

(中略) これによって一八四八年の四月十一日に署名された母親マーガレット・フォックス夫人の宣誓書が、事実上、裏づけされたわけである。》


 それが問題の行商人のものであることを証明するものとして、遺体のそばから、当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたというブリキ缶が発見されている。その現物は今も、米国のスピリチュアリズムの本拠地となっているリリー・デール(ニューヨーク) に、フォックス家の屋敷とともに保存されていると
いう。

 では、最初に出土していた頭髪と骨の一部
との関連はどうなるのか───こうした問題になるとシャーロック・ホームズの親であるコナン・ドイルの独壇場で、最初死体を厚板に載せて運び、石炭と木炭をかけて埋めたが、不安になってもう一度掘り起こし、人目につかない壁の下に埋め直したのだと推理している。薄暗い中での作業だったために、骨と髪の一部が残ったことに気づかなかったというわけである。


 付記───平成四年六月下旬に私は、米国のナイアガラ瀑布の近くにあるリリー・デールという、自然環境に恵まれたスピリチュアリストのキャンプ地を訪れた。ここで毎年九月までいろいろな霊的行事が行われるのであるが、私が訪れた時はこれから参加者が続々と集まってくるという時期で、まだ本格的なにぎやかさは見られなかった。

 もっとも、私がそこを訪れた最大の目的は、霊的行事に参加することよりも、フォックス家の家族が住んでいた例の家屋がそっくりリリー・デールに運ばれて、他のいくつかの資料とともに展示してあるとの話だったので、それをこの目で確かめることにあったのであるが、その家屋は数年前に火事で焼失したとのことで、その跡地にはご覧の通りの銅板の記念碑が残っているだけだった。それらはこう綴られていた。

 《フォックス家を記念して───
 フォックス家はマーガレットが十一才、ケートが九才の時にこの家に住んでいて、一八四八年三月三十一日、人類史上はじめて人間個性の死後存続の証拠を霊界から受け取った。そしてそれがスピリチュアリズムの発端となった。

 この家屋は一九一六年五月にベンジャミン・F・バートレットによって買い取られ、ハイズビルからここに運ばれてきたものである。


 なお〝ハイズビル〟という地名であるが、これを最初に日本語に置き換えた人がそう呼び、いつしかその呼び方が定着しているので私もそれに倣ってきたのであるが、今回の旅行で近隣の人々や図書館の人に尋ねても一様に〝ハイデスビル〟と呼び、ウィン・カウンティという小さな〝郡〟の中のごく一部の地域をさす〝字〟(アザ)のようなものだとの話で、確かにどの地図にも載っていなかった。

 そこから西へ二十五キロのところにロチェスター市がある。私が印象深く思ったのはそのロチェスターが想像以上にあか抜けのした英国風の落ち着いた中都市だったことで、フォックス家事件が世界の話題をさらった時、そこを訪れた学者や知識人たちは多分このロチェスターに宿をとったであろうと、一軒のコーヒーショップで一服しながら想像したことだった。



  ・〝電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが・・・・・・〟

 以上、私はフォックス家に起きた心霊現象、俗にいうハイズビル事件について、これまでに公表されていなかった資料を紹介した。事件が〝一件落着〟するまでに半世紀もかかっているわけであるが、実はスピリチュアリズムの観点から見るかぎり、ハイズビル事件の目的はとっくに果たされていた。

というのは、すでの嫁いでいた長女も含めたフォックス三姉妹のような霊媒的素質を持った人材がその後ぞくぞくと輩出して、学者や文人、法曹界などの第一線の人々によって真剣に調査されるようになり、〝霊魂説〟がほぼ固まりつつあったのである。

 やがてその潮流は英国へ移り、ウィリアム・クルックスやオリバー・ロッジなど世界的にも著名な学者による調査の洗礼を受け、ここでも〝霊魂説〟は動かし難いものとなった。

しかし同時に、心ある人々には、心霊現象が死者の霊によって起こされているのはよいとして、ではその死者たちの霊はその後どういう生活を営んで
いるのか、その世界と地上世界とはどういう具合につながっているのか、神は存在するのか、生命は本当に永遠なのか、といった宗教的問題の核心へ関心を向けるようになった。

 それに呼応するかのように、十九世紀末にはモーゼスの 『霊訓』 が出版され、二十世紀初頭にはオーエンの 『ベールの彼方の生活』 が出版され、同じ頃からモーリス・バーバネルの口を借りてシルバーバーチが語りはじめている。

 三千有余年にわたって受け継がれてきた霊的潮流が、途中いくつかの暗黒の危機を乗り越えて、この世紀末に至ってようやく〝霊的真理〟という、今の人類に最も必要なものを〝事実〟という土台に乗せて、地上へ届けてくれたのである。これからその〝三大霊訓〟の梗概をまとめてみたいと思うのであるが、その前にコナン・ドイルの 『新しき啓示』 から次の一節を紹介して参考に供したい。

 《・・・・・・しかし幸か不幸か、大戦が勃発した。戦争は〝生〟を真剣に見つめさせ、一体何のために生きているのかを改めて考えさせることになった。

苦悩する世界の中にあって、毎日のように夢多き青春が満たされないうちに次々と
散っていく若者の戦死の報に接し、またその魂が一体いずこへ赴くかについて明確な概念もないまま嘆き悲しむ妻や母親たちの姿を見て、突如、私はそれまで自分がだらしなく引きずってきた問題は実は、物質科学が知らずにいるエネルギーが存在するかしないかといった吞ん気なものではなく、この世とあの世との壁を突き崩し、この未曽有の苦難の時代に人類に用意された霊界からの希望と導きの呼びかけなのだという考えが閃いた。これは大変なことなのだと気づいたのである。

 そう思った時、客観的現象そのものへの興味が薄れ、それが事実であることさえ確信すれば、そこで現象の用事は済んだのだと確信した。それよりも、それが示唆している宗教的側面の方がはるかに大切なのだと思うようになった。

電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もない重大な知らせの到来を告げてくれることがある。

心霊現象は、目を見張るようなものであっても些細なものであっても、電話のベルにすぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象であるが、それが人類にこう呼びかけていたのだ───〝目を覚ましなさい! 出番にそなえなさい! よく見よ。これが〝しるし〟なのです。それが霊からのメッセージへと導いてくれるのです〟と。

 本当に大切なのはその〝しるし〟ではなく、そのあとに来るメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである。それが果たしていつのことか、どの程度のものがどの程度の鮮明度をもってもたらさせるのかは、誰にも分からなかった。

が、大切なのは、現象そのものの真実性はまじめに取り組んだ者には一点の疑念の余地もないまでに証明されているが、実はそれ自体は重要ではなく、その現象が示唆するものがそれまでの人生観を根底から覆し、生命の死後存続という宗教上の課題をもはや〝信仰〟の分野のものではなく、確固たる〝客観的事実〟としてしまうに違いないということである。



     
 (二) 現代の啓示──スピリチュアリズムの三大霊訓
①──インペレーター霊団の自動書記と霊言による霊訓

  ・大きかったスピーア博士の存在

 霊媒のウィリアム・ステイントン・モーゼスは、オックスフォード大学でキリスト教神学を学んだあと、牧師としてマン島に赴任した。若いながらも知性と人間性を兼備した有能な青年牧師として、大変な期待と尊敬を受けていたが、一八六五年、三十才の時に重病を患い、翌年回復して英国本土に赴任してもすぐまた病気が再発したために、牧師職を断念して療養に専念することになった。


 その療養のために世話になった医師のスタンホープ・スピーア博士の奥さんがスピリチュアリズムに大変熱心で、交霊会へ連れて行ったり霊媒を読んで自宅で交霊会を催したりした。

モーゼ氏自身は、牧師はやめても相変わらずキリスト教信者だったために、そのことをあまり快く思わなかったらしい。ところが間もなくモーゼス自身のまわりにさまざまな物理現象が発生し始める。


 テーブルの浮揚、人体(モーゼス自身)の浮揚、物品引寄、香気の発生、楽器を置いていない部屋での楽器演奏、手先などの物質化現象などであるが、やがて自動書記が出はじめる。

最初の頃は取りとめのない内容のものばかりだったが、一八七三年から出はじめたインペレーターと名のる霊からの通信内容が、それまでモーゼスが絶対的に信仰してたキリスト教の教義内容と表面衝突するようになり、戸惑いと不満をぶちまけたモーゼスの質問に対してインペレーターが忍耐強く、克明に、そして丁寧に、しかし時にはりつけるような語気をもって教え諭すという形での霊信が、一八八〇年までつづいた。


 『霊訓』 に収められたのは、そのほぼ十年間に書かれた膨大な量の通信のホンの一部である。それ以外にモーゼスの死後スピーア夫人がまとめた続篇 『インペレーターの霊訓』 があり、これには霊言も収められている。

いずれも主としてインペレーターと名のる最高指導霊が、モーゼスの霊的革新の目的にそって啓示した通信を再録してあるが、通信の本来の目的は言うまでもなくキリスト教神学の間違いを指摘し、それに代わる新しい霊的真理を届けるということにあり、私の推測では多分、右の二冊の書物となって世界十数か国で読まれることになることまで計算に入れていたのではないかと思われるフシがある。


 続篇の中でインペレーターが次のようなことを言っている。 「イエスが神であるとの概念が生まれたのは死後かなりたってからのことでした。そしてそのことはイエスご自身にとって大変迷惑なことでした」

 これはニケア会議でのキリスト教のでっち上げを示唆しているのであるが、私は、他のいくつかの霊界通信を参考にしたうえでの結論として、どうやら地球圏の上層界においては、ニケア会議後ほどなく到来する〝暗黒時代〟を予測し、その反動として生じるかずかずの不幸な出来事に対処する手段を講じた。

それが近代スピリチュアリズムであるとみている。そのスピリチュアリズムの数ある部門の一つである〝新しい啓示〟の一つがこのモーゼスの自動書記と霊言による通信だったのである。

 その不幸な出来事〟は第二部の第三章で紹介した。まさに血も凍るような時代だった。インペレーター霊も、このあと➂で紹介するシルバーバーチ霊も、キリスト教を〝呪うべき宗教〟とか 〝人類の呪い〟とまで表現してその悪業を厳しく批判しているが、それは、そうした悪行が因果律によって生み出す必然の結果としての悪影響が由々しきものだったからでもある。

歴史では暗黒時代は西暦一〇〇〇年ころまでとされているが、実質的には十六世紀のルネサンス末期まで続き、その余波は更に現代にまで及んでいると私は見ている。〝序論〟でそれを端的に紹介した。

 霊性を何よりも重んずべき宗教が、その霊性を封殺することによって権力組織を構築し維持せんとしたことは狂気の沙汰としか言いようがないが、インペレーターが繰り返し警告している邪霊集団の存在を考慮すれば、それも納得がいく。彼らの
暗躍を許すスキを与えてしまったということであるが、その要因の最大のものは、霊性が封殺されて、知性とのバランスが崩れたことにある。


  ・モーゼスは人類の代弁者

 さきに私は、地球圏の上層部においてこうした事態に対処するための方策が検討されたと述べたのは、そうした知性と霊性のアンバランスを是正するための方策が検討されたと言い変えてもよいもので、まず幽界の上層部から浄化活動が開始された。

というのは、人間の発する悪想念は、ちょうど排気ガスが大気を汚染しフロンガスがオゾン層を破壊するように、地球の霊的大気圏を汚染しているのである。それを浄化することから始めて、一八四八年に至ってようやく地上界に直接働きかけるところまで来た。それがハイズビル事件だったのである。

 このように、スピリチュアリズムという名称での地球浄化活動は、イエスの死後まもなく開始され、それが物質界に及んだのが十九世紀半ばだった。その時代はすでに〝科学時代〟に入っており、欧米の第一級の科学者が心霊現象の研究に熱中した。

これを英国の博物学者アルフレッド・ウォーレスが〝近代スピリチュアリズム〟と呼んだ。言うなれば科学的基盤をもったスピリチュアリズムということである。

 インペレーター霊団はそうした時期に出現した。私の推察では、霊媒とされたモーゼスは、地上へ降誕する前の〝先在〟の時期にインペレーターを始めその支配下の主なメンバーと打ち合わせが出来ていたはずである。しかし、いよいよ肉体に宿ってしまうと、少なくとの能を中枢とする意識にはそのことが蘇ってこない。

それが結果的にはモーゼスを徹頭徹尾キリスト教の保護者としての立場を固辞させることになった。が、そこにこそ意義があったと私は見るのである。

 つまりモーゼスをキリスト教の代弁者としての立場に立たせ、呪うべき暗黒時代の産物であるキリスト教神学の誤りと過ちを説き聞かせた。それに対しモーゼスは、当然のことながら激しく抗弁し、スピリチュアリズムを批判し、かつ嫌悪感をあらわにした。それを受けて立ったインペレーターが懇切丁寧に真実の霊的教義を説いて聞かせた。

 その内容は理路整然として知性と良識にあふれており、霊界側では用意周到な準備がなされていたことを窺わせる。が、それでもなおモーゼスは、それをあくまでもキリスト教的観点からしか見ようとしなかった。

あまりのしつこさに一時はそう引き上げの警告まで出すにいたるが、折よく(?)そのさなかに他界した友人のとりなしによって事無きを
得る、といったドラマチックな展開を見せる。
 

   ・危険をはらんだギリギリの選択

 そうした魂と魂の真剣勝負───霊界通信によく有りがちな、唯々諾々(イイダクダク)として霊の言うことなら何でも聞きいれてしまう態度とは違う熾烈なぶつかり合いが、モーゼスの霊界通信の最大の特徴であり、読む者をして、ひとりキリスト教に限らず、宗教的教義の功罪についての認識を改めさせずにはおかない。

 しかしそれは、一つ間違えば取り返しのつかない悲劇に終わる危険と背中合わせの、ギリギリの選択だったのである。その大冒険の地上の主役として選ばれたモーゼスは、余ほど霊格の高い霊の降誕だったはずである。

 現今の既成宗教の堕落と逸脱ぶりは、常識をモノサシとして見ても度が過ぎていることは、誰の目にも明らかである。宗教は組織化するときまって堕落する。組織化がすなわち堕落というわけではない。宗教の本来の使命は霊的損里の普及にあるのに、肝心のその霊的真理をおろそかにして、営利追求と権力の座の奪い合いに明け暮れているところに堕落の要因があると私は見ている。

 人類は、この地上に誕生してからまだ日が浅い。青二歳といってもよい程度の成長度であろう。UFOでやってくる宇宙人とは数千年の差があるといわれている。その若さゆえに犯してきた数々の過ちや愚行のツケが、今、地球環境の破壊という形で回ってきている。メルキセデクに始まった高級神霊の降誕という形での霊力の流入はイエスをもって終了し、今、スピリチュアリズムという名のもとに、霊界からの働きかけとなって展開している。

 そうした中にあって、皮肉にもイエス・キリストの名のもとにこの地上に呪うべき害毒を残したキリスト教を俎上にのせて、地上という物質界に身を置く人間としての正しい生き方を説いたインペレーター霊団による啓示は、キリスト教関係者にとどまらず、広く宗教界ならびに一般庶民にとって、計り知れない意義を持つものと信じる。



       
②──ザブディエル霊団の霊感書記による霊訓

 オーエンの 『ベールの彼方の生活』 は一九一三年から始まった本格的な霊界通信を、四つの時期に分けてまとめたものである。 「推薦の言葉」 を寄せたノースクリッフ卿が社主をつとめる 〈ウィークリー・ディスパッチ〉 紙上に連載され、終了と同時に四冊の単行本となって発行されたのであるが、これとは別に,オーエンの死後残された霊界通信の中から断片的に編集されたものが二編あり、それが一冊にまとめられて第五巻として発行されている。

誰が編纂したのか、その氏名は記されていない。それはよいとしても、内容的には前四冊のような一貫した流れがなく、ただの寄せ集めにすぎないので、私はこの一冊だけは訳していない。

 通信全体の内容をたどってみると、第一巻は、オーエンの実の母親からの通信が大半を占め、その母親らしさと女性らしさとが内容と文体によく表れていて、言ってみれば情緒的な感じが強い。が、その合間をぬってアストリエルと名のる男性の霊からの通信が綴られ、それが一つの章にまとめられている。

地上で学校長をしていたというだけあって、内容がきわめて学問的で高度なものとなっている。が、それも第二巻以後の深遠な内容の通信を送るための肩慣らし程度のものであったらしい。

 第二巻を担当したザブディエルと名乗る霊は、オーエンの守護霊であると同時に、その通信のために結成された霊団の最高指導者でもある。しかし、地上時代の身元については何の手掛かりもない。

高級霊になると滅多に身元を明かさないものであるが、それは一つには、こうした地上人類の啓発のための霊団の最高指導者の任を命ぜられるほどの霊になると、歴史的にも古代に属する場合が多く、たとえ歴史にその名をとどめていても、伝説や神話がまとわりついて信頼できない、ということが考えられる。

さらには、これほどの霊にとっては、地上の人間による〝評判〟など、どうでもよいことであろう。このザブディエル霊の通信の内容はいかにも高級霊らしい厳粛な教訓となっている。

 第三巻と第四巻では、アーネルと名のる、ザブディエルと同じ霊格をそなえた霊が深遠な霊界の秘密を披露する。とくにイエス・キリストの神性に関する教説は他のいかなる霊界通信にも見られなかった深遠なもので、キリストを説いてしかもキリストを超越した、人類にとって普遍的な意義をもつ内容となっている。まさに本通信の圧巻である。



   ・スピリチュアリズムのアニメーション

 スピリチュアリズムとの出会いによってキリスト教の牧師職を潔く辞した山本貞彰氏は、第三巻の書評 (〈心霊研究〉 九月号、一九八六年) で、〝モーゼスの 『霊訓』 がスピリチュアリズムのバイブルとするなら、オーエンの 『ベールの彼方の生活』 はスピリチュアリズムのアニメーションである〟と、実にうまい表現をしておられる。

そして第四巻の書評 (同一九八七年五月号) でこう述べておられる。

 《一九〇九年、六十三才で帰幽した母親が、愛情から、英国国教会の牧師をしていた大事な息子を正しい心霊の道に導こうとして熱心に語りかけたことが契機となって、多くの高級霊が惜しみない協力の手をさしのべ、ついに第十界の高みにまで揚げられたアーネル霊から霊的宇宙に関する壮大なパノラマが送られてきた。古今稀なる重厚な霊界通信である。

 アーネル霊は、ルネッサンス期に、イタリヤのフローレンスで音楽と絵画を教えていた人で、かなり迫害されていたようである。霊自身の自己紹介を引用してみよう。

「しかし正直なところ、私は神の愛について当時の人たちには許しがたい広い視野から説いていました。それが私に災いをもたらすということになりました。殺されこそしませんでしたが、悪しざまに言われ、大いに孤独を味わわされました。当時はまさに冬の時代でした」

 詩聖ダンテが有名な 『神曲』 を、まさに冬の時代を救おうとして、一三〇〇年ごろから地獄篇の 「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、私はまっすぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」 という冒頭の句を書き始めたという古事を思わせる時代である。

ローマ法王と国王が権力の座を掌中に握ろうとして醜い争いに明け暮れていた時代である。アーネル霊が 「冬の時代」 と表現したのは、まことに適切な言葉であると感心している。

 さて、この第四巻の柱は、なんといっても、「地球浄化」 という神の大事業の企画、立案、実施という壮大な通信内容であろう。

 尊い大神の大事業は、当初神界において審議会が開かれる。それは何億年も前にさかのぼり、創造界の神格の高い天使たちによって行動計画がたてられる。その主宰霊がキリストであるという。キリストは無数の廷臣を引き連れて遥か高い天界から下がってこられ、再び地上へ向かわれる。

このときこの大事業に勇躍志願したアーネル霊が最初に手がけた仕事は、下層界の浄化作業であった。何しろ地球全域はスピリットにびっしり取り囲まれ、さらに彼らの背後には天界の上層界にまで幾重にも大軍がおびただしく控えているという。その数は無数であり、その一人一人が地上のいかなる威力ある者よりもはるかに強い力を持っているというから、なんとすさまじい光景ではないか。

 キリストの軍勢が勢揃いし、地球浄化のために最高位にあられるキリスト自らが大軍の中を切り込んでいかれる。汚れなき至純のキリストにとって地上の悪は見下すだに戦りつを覚えずにはおれないものであったが、自ら担われた使命に尻込みされることはなかった。その姿はまさにリーダーであったという。(中略)

 この書評を書いている私も、かつて住みなれた家を放棄した。さまよえる子羊の一頭であった。英国国教会という小さくない家の中に安住している方がはるかに楽である筈なのに、決して心に平安と霊的慰めは与えられなかった。

今にして思えばアーネル霊が示してくれた、ごく当たり前の指針こそが、私にとってどんなに大きな救いとなったか測り知れないものがあった。すべてを捨てて家なき子になってみて、初めて心にしみいる喜びの福音とは、自然の法則に即した単純な指針に徹することにあったのだ。

この辺の消息を、ぜひまじめなクリスチャンに知らせたいと念願している。この部分は、キリスト教だけに止まらず、世界に存在するすべての既成宗教に対する霊界からの警鐘であり、浄化の大事業が、強く激しくおし進められていることを実感するものである。》



  ・二大特質
 そして本通信全体の特質として、山本氏は次の二つを指摘しておられる。
 
 《その第一は、「キリスト論」 Christology に大修正が加えられる拠点になることである。神学上のすべての組み立ては、その者がどんなキリスト論を持っているかにかかっている。つまりキリストをどう観ているかである。

既成宗教の枠内で組み立てられたキリスト論は、アーネル霊もふれているように、一冊のバイブルにのみ縛られているので、非常に陳腐なものになっている。少なくとも、真面目に求道する者のこころには訴えるものを持っていない。むしろ素朴な信仰すら奪ってしまうことが少なくない。

聖書では真意をつかむことが出来ない多くの部分を本通信が補い、明確な肉付けをしてくれているだけでも、実に革命的な信仰上の転換、言い換えれば生き生きとした信仰へと導かれるであろう。

 第二には、我が国におけるスピリチュアリズムの進むべき道について、本書は良き羅針盤のひとつとなることは必定である。キリストという文字がやたらに多く使われていても、その通信内容は結局、自然法則に適った生き方、およびその宇宙間を与えてくれる、いわば 「虎の巻」 のようなものであると思う。

しかも、あちこちに豊富な例え話や寓話が挿入されていて楽しく読める。我が国固有の文化的環境や伝統も、つきつめれば自然の法則によって培われてきたものであるから、ことさら超常現象に大騒ぎをしなくても、日常生活の中にスピリットの働きを感じとれるものである。楽しい胸騒ぎや、小さく呼吸が合った時の幸福感などを・・・・・・。

その時に本通信は個々の日常生活に深い意味を与え、励みを添えてくれるのである。ささたる日常の出来事について本通信の 「虎の巻」 から意味を探り、喜びと希望を見いだし、力強い一日を送れれば、それこそ本来のスピリチュアリズムの正道に沿った人生となることであろう。》



       
➂──シルバーバーチ霊団の霊言による霊訓

 シルバーバーチというのは、今からほぼ三千年前、イエス・キリストよりも一千年も前にこの地球上で生活したことのある霊、ということ以外は、地上時代の姓名も地位も民族も国家もわかっていない。本人が最後まで明かさなかったのである。せめて姓名だけでもとお願いしても、

 「それを知ってどうしようというのですか? もしも歴史上の有名人だったら有り難がり、どこの馬の骨だかわからない人物だったらサヨナラをなさるおつもりですか?」

といった皮肉っぽい返事が返ってくるだけだった。毎週一回の割で五十余りも続いた交霊会で同じ質問が何度出されたか知れないが、

 「いずれ明かす日も来るでしょうが、わたし個人のことよりは、わたしが語る内容の方が大切です」

というのがせめてものまともな返事で、人間が地上時代の名声や地位や階級などにこだわるのを〝悪趣味〟として、警告をこめた返事をするのが常だった。

バーバネルが十八歳の時だった。当時バーバネルは、文人や芸術家による社交クラブの幹事をしていた。ある日そのクラブの例会で講演をした人の口からスピリチュアリズムという言葉を聞いて関心をもった。すると間もなくその人がブロースタインという霊媒によるホームサークルに招待してくれた。

 行ってみると、その霊媒の口をついて、いろいろな国籍の言葉が出た。それが死者の霊だと聞かされた時、バーバネルはバカバカしくなり失笑した。何の証拠もないし、言っていることも下らないことばかりだったからである。

ところが、二度目に出席したとき、会の途中でうっかりうたた寝をしてしまった。目が覚めて、あわてて失礼を詫びたところ、実は寝ていたのではなく、自分の口を使ってあるインディアンがしゃべったと聞かされた。それがシルバーバーチだった。

 いきなり入神現象を体験させられたバーバネルは、しかし、霊媒になる考えは毛頭なく、実業家として身をたてようとしていた。交霊会も不定期に催され、聞く人も二、三の友人や知人に限られ、しかもシルバーバーチはバーバネル
の支配の仕方が思うようにいかず、英語も、その後のあの流暢なものに比べると、同じ霊とは信じられないくらいひどいものだったという。



   ・大きかったハンネン・スワッファーの存在

 しかし、それも回を追って急速に改善され、どうにかシルバーバーチという一個の霊の個性が明確になった頃に、演劇評論家で〝フリート街の法王〟(フリート街は英国の新聞界の代名詞)の異名をもつハンネン・スワッファ―がその会に出席した。スワッファーはバーバネルの親友だったが二十歳も年上で、英国ジャーナリズム界きっての大物の地位を築いていた。

 その彼もバーバネルに劣らず頑固でヘソ曲がりの毒舌家だったが、一九二四年、四十五才の時に出席したデニス・ブラッドレーが司会をする交霊会で、英国新聞界の大物で大先輩のノースクリッフ卿が出現して語りかけ、その内容が自分と卿の二人しか知らないことだったのでいっぺんに参ってしまい、スピリチュアリズムへの関心を深めていった。

 そうした体験をへてバーバネルの交霊会に出席したスワッファーは、シルバーバーチの霊言にただならぬ質の高さを直観し、自宅で毎週金曜日の夜に開催することにし、名称も〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟とした。

そしてそこからさらにスワッファーの存在意義を物語る働きをする。 「こんなに素晴らしいものを、こんな一握りのものが聞くだけでは勿体ないではないか」 と言い出し。ぜひとも心霊新聞〈サイキック・ニューズ〉 に連載するようにバーバネルに進言した。

 しかし、自分がその心霊紙の主筆であり社長でもあることから、バーバネルは 「そんなことをしたら私の魂胆が疑われる」 といって断った。が、会を重ねるますますシルバーバーチの魅力に取りつかれていくスワッファーは、重ねてバーバネルに公表を迫った。

二人は親友でもあったせいで、それを断るバーバネルとの間で口ゲンカに
も似た烈しいやり取りでがあったようであるが、バーバネルもついに折れて、〝自分がシルバーバーチの霊媒であることを内密にするなら〟という条件のもとで、いよいよ連載が始まったのだった。一九二〇年に語りはじめてから実に十数年後のことだった。

 正確な日付は分からないが、〝シルバーバーチはほぼ半世紀にわたって語り続けた〟という時、それは、ハンネン・スワッファー・ホームサークルが結成されて、その霊言が 〈サイキック・ニューズ〉 に連載されだしてからのことで、一九二〇年の最初の入神体験から数えれば、実に六十年となる。

その期間の長さからいっても、霊言の質の高さからいっても、まさに〝人類史上空前絶後〟といっても過言ではない。

 その霊言をまとめた最初の霊言集が出版されたのは一九三八年であるが、その時もまだ、霊媒がバーバネルであることが内密にされていた。知っていたのはレギラーメンバーと招待客だけで、そのゲストにも〝箝口令〟が出されるほど厳重に秘されていた。しかしそんな状態がいつまでも続けられるはずはない。

「シルバーバーチの霊媒はいったい誰なのだ?」 という読者からの問い合わせが日ましに寄せられるようになりバーバーネルもことの重大さを悟って、ついに一九五九年に
〝シルバーバーチの霊媒は誰なのか───実はこの私である〟という劇的な一文を掲載したのだった。



  ・四つの思想上の特徴

 こうした二つのいきさつ、つまり〝公表〟に関して二人が口論までしながら十数年も経過したことと、霊媒がバーバネルであることを四十年ちかくも〝内密〟にしたと言う事実を見て、誰しも疑問に思うのは、なぜシルバーバーチはそうした問題に口を挟まなかったのかということではなかろうか。

 実を言うと、そこにこそシルバーバーチの思想上の特徴の一つが如実に出ているのである。すなわちシルバーバーチによると、人間界の問題はあくまでも人間どうしで知恵を出し合って解決すべきであって、そこに霊界からの強制があってはならないというのである。

常識的に考えれば、シルバーバーチが一言〝早く公表しなさい〟といってもよかったはずである。しかしそこには、一人間としてのバーバネルの自由意思があり、本人がこうしたいというのであれば、余ほどの間違ったことでないかぎり、忠告や警告はしないというのが、高級霊に共通した態度なのである。

 シルバーバーチはよく 「あなたの理性が承服しないものは、どうぞ遠慮なく拒否なさってください」 と述べている。それも同じ考えからで、それは例えば守護霊と人間との関係についても言える。

 守護霊(英語ではガーディアン) という用語には、日本でも英語でも〝守る〟という意味があるところから、この文字だけを見た人は〝何でもかでも守ってくれる霊〟と受け止めて、その考えで現実を振り返って、〝おかしいではないか、少しも守ってくれないではないか〟という。が、

守るといっても、母親がヨチヨチ歩きの子供を〝ケガをしないように〟と、付いてまわるのとは次元が違う。母子の関係は同じ平面上のことであるが、守護霊と人間とは〝波動の原理〟で結ばれており、波長が合い、守護霊の監視下にある限りは心配ないが、つい邪な考えを抱いたリ、憎しみや自己顕示欲が強くなってくると、それを機に、邪霊・悪霊といった低級霊に操られることになる。

 次にあげられるシルバーバーチの教えの特徴は〝苦労に感謝しなさい〟ということである。苦労こそ魂の肥やしであると
いう考えのもとに、人間生活ならではのさまざまな悩みごとや難問と正面から取り組み、自分の力で解決していきなさい、というのである。そこには〝ご利益〟的な要素はみじんもない。

「わたしの説く真理を信じても、それで人生の苦労が無くなるわけではありません」 とまで言っている。

 たいていの宗教が〝うちの神さまを信じたら病気も悩みも苦労もすべて無くなります〟と宣伝する中で、シルバーバーチはその逆を言うのである。なぜか、それは、地上という世界が魂のトレーニングセンターのようなところだからである。せっかく鍛えにきたのに、何の苦労もなく、のんびりと過ごしたのでは意味がない。

シルバーバーチの霊訓が〝大人の訓え〟といわれるゆえんはそこにある。甘ったれは許されないということである。

 次に挙げられるのは、〝サービスこそ宗教〟という教えである。日本語でサービスというと、オマケと
か待遇のよさとといった安っぽい意味合いが感じられるが、英語の service の本来の意味は〝人のために自分を役立てること〟ということである。どんなに小さな行為でもよい。人を喜ばせる行為、人のためになる行為こそ、一宗一派の教義を信じて宗教的行事に参加することより、はるかに霊的な宗教的行為であるというのである。

 最後に挙げる特徴は〝因果律〟を宇宙・人生の根本原理としていることである。〝自分で蒔いたタネは自分で刈り取る〟というのはずいぶん言い古された諺であるが、〝やはり真実です〟とシルバーバーチは言う。善因善果、悪因悪果、因果応報などとも言うが、これに関して注目すべきことは、シルバーバーチはその因果律をただ歯車のように巡るのではなくて、〝魂の向上進化〟を目的としている点である。

 これはスピリチュアリズムの特徴といってよい、きわめて大切な原理である。右に挙げた三つの特徴も実はみな、この
〝向上進化〟という目的があればこそ生きてくるのであり、人生問題のすべてがそこに帰着する。たとえば善悪の問題でも、伝統的宗教の教えや古くからの生活慣習を基準にして判断するのではなく、
当人の魂の向上にとってプラスになるかマイナスになるかで判断すべきであるというのである。

 われわれ地上の人間は、どう長生きしたところで七、八十年か、せいぜい百年程度であるが、シルバーバーチは死後三千年にわたる生活の末に、今この地球という故郷に戻ってきて、その間に学んだ宇宙の摂理と、地上生活を有意義に送るための英知をわれわれ後輩に語ってくれた。

それが、こうした何でないようで実は深い英知に裏うちされた教えばかりなのである。それを事実上六十年間もくり返し説いてきた。しかもその間に矛盾撞着も見られなかったという事実は、まさに人類史上空前絶後というべきであろう。




       3-3-1
 第三章 既成宗教界とスピリチュアリズム
(一) キリスト教会がとった態度

 さて、前章で紹介したスピリチュアリズムの勃興を宗教界はどう受け止めたであろうか。それを英国国教会を例として見てみたい。

 六十年間にわたってシルバーバーチの霊媒をつとめたモーリス・バーバネルは、普段は」(サイキック・ニューズ) という、欧米で十万の発行部数を誇る心霊新聞 (週間) の主筆だった。私は大学を出て間もない昭和三十五年ころから、翻訳、転載の
許可をもらう手紙を出したのをきっかけに、バーバネル氏と、一九八一年七月に氏が他界する直前間まで親しく文通をかわし、その亡くなる年の一月にはロンドンで念願の面会を果たした。

 体格的には英国人男性としては小柄な方であるが、怖じけることを知らないその不屈の精神力は、自己顕示を極度に嫌う性格と、不思議なコントラストを見せていた。

 そのバーバーネルの代表的著作に The
is is spiritualism (『これが心霊の世界だ』 潮文社) がある。 その中に「キリスト教会による弾圧」 と題する章があり、スピリチュアリズムをめぐっての国教会内部の意見の衝突と、極秘文書の入手にいきさつ、およびその内容が述べられている。概略を紹介すると───



・英国国教会の 「スピリチュアリズム調査委員会」 による〝多数意見報告書〟

 一九三七年のことであるが、みずからも心霊的体験を持つエリオット牧師と神学博士のアンダーヒルが、当時のヨーク大主教のテンプルに会い、
これほどまでスピリチュアリズムが話題にのぼるようになった以上、国教会も本格的に調査研究して、態度を明らかにすべきではないかと進言した。

 テンプルはカンタベリ大主教のラングと協議し、その進言を聞きいれて、さっそく十名から成る〝スピリチュアリズム調査委員会〟を発足させた。そして二年後にその結果を報告することを約束した。内心では二人とも、どうせ否定的結論が出るとタカをくくっていたかも知れないが、ともかくそこまでは見上げた態度だった。

ところが約束の二年が過ぎてから、調査結果の〝報告書〟(レポート)をめぐって宗教的偏見がむき出しになりはじめる。ラングの命令でそのレポートが発禁処分にされたのである。

 この時点からバーバネルを中心とするサイキック・ニューズ社のスタッフが活動を開始する。スタッフはレポートの公開を拒むのは、明らかにその内容が心霊現象の真実を肯定するものになっているからだという推察のもとに、それに参加した委員会のメンバーと接触を求める。そしてついに、全部ではないがレポートの大部分───肯定派七人による〝多数意見報告書〟───を入手し、それをバーバネルの責任のもとにサイキック・ニューズ紙に掲載した。

 案の定、それは英国内外に大変な反響を呼んだ。蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、堪りかねたラング大主教は、張本人であるバーバネルを激しく非難する一方、国教会とスピリチュアリズムとの同盟を求める会の会長であるストバート女史に、何とか騒ぎを静めてほしいと頼むほどだった。



  
・聖職権主義が〝真実〟をも葬る

 が、レポートは絶対公表すべきであるという意見が、足もとの国教会内部からも次々と出はじめ、「この調査委員会による結論の公表を禁止させた〝主教連中〟による心ない非難や禁止令、それに何かというとすぐに〝極秘〟を決めこむ態度こそ、国教会という公的機関の生命をむしばむ害毒の温床となってきた了見の狭い、聖職権主義をよく反映している」 といった厳しいものまであった。

が、国教会首脳は頑として公表を拒否し続けた。バーバネルは右の著書の中でこう述べている。(抄訳)


 《宗教についてまったく偏見のない人間はいないし、自分の宗教を弁護しない人間もまずいない。大方の人間にとっての宗教は、成人後、つまり後年になって余ほどの精神的体験ないし霊的体験でもないかぎり、子供時代植えつけられたものが基盤になっているものである。

 そうした固定観念は年をとるほど棄てにくくなるものである。それは、とくに聖職者において著しい。エジンバラの神学者ジョン・ラモンド師は晩年になってようやくスピリチュアリズムの真実性を認めた人であるが、師にとっては内省を迫られる大問題だったようで、突き刺すような激しい眼差しで私を見つめながら、こう語った。

 「スピリチュアリズムに心をゆだねるということは、〝信仰深きお歴々〟から白い目で見られる。本当に辛い思いの決断でした」

 宗教家がスピリチュアリズムに接した時の態度は、ちょうど医師が心霊治療に接した時の態度によく似ている。大学で学んだことの全てと矛盾するのである。交霊会で起きる現象はどうしても神学とは相容れない。正統派観念に固執しているので、それ以外のものに接すると、忠誠心を試されているように感じるのかも知れない。

したがって実験会で起きることが実は自分が帰依しているバイブルの奇跡と全く同じものなのに、それを〝新たなる啓示〟認めることが出来なくて、あながち驚くには当たらない。

 その仕事柄、聖職者は当然、霊的なことについて専門家であってしかるべきなのに、死後の生命についての無知は、あきれ返るほどである。彼らは毎日のように死への心構えを信者に説き、愛する者を失った人々に慰めの言葉をかけているはずなのである。なのに何故この有様なのか。

やはり最初に植えつけられた正統派的教義に基づく神学的概念が、死後の生命についての新たな理解を妨げているのである。

 実は、英国国教会は二年間にわたって正式にスピリチュアリズムを調査・研究しているのである。が、その報告書が上層部から発表を禁じられたのである。それを私がすっぱ抜き、心霊紙上に公表したのだが、もしそうしなかったら、そのまま永遠に埋もれていたことであろう。

 そもそも国教会が〝スピリチュアリズム調査委員会〟を設置したのは一九三七年のことで、それから二年間にわたって霊媒を使った組織的な研究を行ったのちに、その結論を出した。

十名のうち最も影響力もつ七名が〝多数意見報告書〟に署名し、残りの三名───うち一人は主教夫人、もう一人は主教秘書───は〝中立〟の少数意見に署名した。多数意見は全体としてスピリチュアリズムを肯定するものだった。

 報告書の内容を新聞に公表したことで私はカンタベリ大司教から非難
された。たしかに、その話題を英国の新聞が大々的に取り上げたために、大主教はある有名なスピリチュアリストに騒ぎを鎮めてくれるように協力を求めたほどである。

 その後テンプルがカンタベリ大主教に任命されたとき、私は書簡でぜひ委員会報告を公表するように何度もお願いした。そのやり取りは長期間に及んだが、最後まで平行線をたどり続けた。社会正義の改革運動では同じ聖職者の中でも一頭地を抜いている人物が、宗教問題では頑として旧態を守ろうとする。

 現実的問題では恐れることを知らない勇気ある意見を出す人物から届けられる書簡が、ことごとく〝極秘〟か〝禁〟の印を押さねばならないとは、一体どういうことだろうか。

 私の持論は、宗教問題に限らず、人間生活の全てにおいて、伝統的な物の考え方が新しい考え方の妨げになるということである。古い観念が新しい観念の入る余地を与えないのである。いかなる宗派の信者にとっても、スピリチュアリズム思想を受け入れる上で、その宗派そのものが邪魔をするのである。




             
(二)  大幅な修正を迫られる仏教の来世観
    ・天保の霊言実録 『幽顕問答』 が教えるもの

 今からほぼ百五十年前の天保十年といえば西暦では一八四〇年にあたり、スウェーデンボルグやデービスなどの天才的霊能者が輩出してスピリチュアリズムの地ならしをしていた頃であるが、日本でも、筑前(福岡県) の酒造家で庄屋の若主人に、数百年前に割腹自殺した加賀の武士が憑依して石碑の建立を嘆願すると同時に、その数百年間に見聞きした死後の世界の真相を語って仏教の迷妄を諭すという現象が突発している。

 第一部の第一章で説いたように、霊が人間界に働きかけるということは、善きにつけ悪しきにつけ、太古からよくあることで、それが学者の手によって科学的に、そして総合的に調査・研究がなされて普遍的な霊的原理・法則が導き出されたのが、十九世紀半ばから始まった。一連のスピリチュアリズムの活動だった。

 が、〝記録する〟ということが余り行われなかった太古は
もとよりであるが、日本人は物事を分析的に捉えることを好まない民族的性向からか、文字の発達した中世から近代に至っても、霊的現象に関して今日というところの報道形式(レポート)客観的な記録は皆無に近いようである。

それとは対照的に西洋では五〇〇件にものぼる霊的現象の記録があって、一番古いものは西暦五三〇年にさかのぼるという。 (Poltergeists, by A.Gauld & A.D.Corne 11, 1979)

 その点この憑霊現象は、図らずもさにわの役をするようになった神官の宮崎大門が〝これはただならぬことと〟と直観して、出現した加賀の武士の語ったことを逐一メモし、それを毛筆で清書して残してくれた。 『幽顕問答』 と題し、今でも福岡県立図書館に保管されている。

私は一九八八年にそれをコピーさせていただいたもの(A3版の和紙四十一枚
)をもとに現代風にアレンジして、スピリチュアリズムの観点から解説を施し 『古武士霊は語る』 (潮文社) と題して上梓した。

 執筆する前に私が調査したところ、その酒造家は、生業は変わっても今なお子孫の方が存在することが分かったので、直接お訪ねして事実を公表することについての了解を求めた。

〝序論〟で紹介したキャロル・コンプトンが世間の無知ゆえに冷たい目で見られたのと同じで、始め当家の方たちは 「むかし何やら薄気味わるいことが起きたらしい」 という気持ちから、それを世間に知られたくないという態度だったが、私が霊的な話をして少しも気味の悪いものではないことを証明すると、わりに素直に理解してくれて、性だけは秘すという条件のもとで、公表を許して下さった。

 こうした経緯を見ても、正しい霊的知識がいかに大切であるかを痛感せずにはいられない。

 さて本題に入るとして
、この酒造家は代々不吉な話のつきまとう家で、なぜか七月四日に急死する者や急病にかかる者が多く、また屋敷内で化け物が出没するとのうわさが絶えなかった。そこで主人の伝四郎は、屋敷そのもの(家相・方角・位置など) が凶なのだろうとの考えから、別の土地に家を新築し、元の屋敷を取り壊して、その跡地に観音堂を建立し、それを〝普門庵〟(フモンアン)と名づけて、御霊鎮めの場とした。

今もそのまま残っていて、私も参らせていただいたが、三、四十体はあろうかと思われる大小さまざまな観音像がきれいに祀られていた。

 しかし、原因は屋敷ではなく〝霊〟だったことが間もなく判明する。若主人の市次郎 (妻帯していて多分二十代後半と推定される
)が七月四日にこの普門庵に参った時に全身に寒気を催し震えが止まらなくなった。

やっとのことで家に帰って床に伏し、いろいろと薬石を試みてもらったが、一向に良くならず、むしろ病勢は強まる一方で、一カ月も経ったころは身体は餓鬼のようにやせ衰え、さらには、うわごとまで言うようになった。八月二十二日には 「三部経をあげてくれ!」 と言うので、ともかくも言う通りにしてやっている。

 とろころが二十四日になると、今度は妙な身振りや手まねを始めた。それを見て家族の者は、これはいよいよ発狂したかキツネでも憑いたのではないかと考えて、近郷の神道の修法家で老松(オイマツ)天神の宮司・宮崎大門に払ってもらうことにした。



   ・〝天保十年丁亥八月廿
四日夕陰霊出現発端の事〟
 これが 『幽顕問答』 の冒頭の見出しである。依頼を受けて訪れた大門がまず祝詞奏上から始めると、驚いたことに、奏上が始まるとすぐに、臥していた重病人の市次郎がむっくと起き上り、床の上に正座し、両手を両膝の上に礼儀正しく置いて、いかにも神妙な態度でそれに聞き入っている。

 やがて大門が〝十種(トグサ)の神宝(カンダカラ)〟の古語を誦(ショウ)じながら白羽の矢で病人の肉身を刺す修法をしたが、市次郎は身じろぎもしない。

 続いて 「八握(ヤッカ)の剣!」 と唱えつつその矢を胸元近くまで刺す仕草をしたときは一瞬のけぞったが、すぐまた姿勢を正して端座しなおした。

 大門は長剣を抜き払って真っ向から切りつける仕草をしたが、これを恐れるどころか、反対にしっかりと座り直して、傍らのキセルと火入れを左右の手で握りしめ、その長剣の切っ先を鋭い眼差しで睨みつけて、大門が右に振れば右へ、左へ振れば左へと顔を振ってその切っ先から目を離さず、瞬き一つしない。その時の様子を大門は

 《一騎当千ノ物部(モノノフ) 百万の剛敵ヲモ挫ク軍師大将ノ器モ如此
(カクノゴトク)ハアルマシト思フ斗也(ハカリ)状(コノサマ)ヲ見レハ鬼神ヲ欺ク勇士モ争力慟セサラン。》 (ふりがな近藤)と述べ、さらに傍注として、

 《時ノ趣ハ中々短筆ニテハ書取リカタシ  其ノ座に居合セタル三、四十人ノ人々見テ能ク知ル処ナリ   面色皆青サメ身ノ毛モヨタチ
シト後二言へリ。》

 とある。

 しかし、最後に大門が刀を高く振りかざして、声高(コワダカ)に呪文を唱えてから、
  「エイヤ、オー!」

 の掛け声とともに振り下ろす仕草をした時は、握っていたキセルと火入れを放りだして飛びじさり、謹んで平伏した。その時、二か月近くも伸び放題だった乱髪がバラバラと垂れ下がって顔を隠したので、その凄さは筆舌に尽くし難いものだったという。

 さて、大門はいったん刀をサヤに収めてから、それを市次郎の弟の信太郎に持たせて奥の間に退がり、そこから市次郎の様子を窺っていた。すると平伏していた市次郎がやおら頭を上げると、なぜか信太郎が持っている刀の方へ目をやり、何やら意味ありげな目付きで見上げ、そして見下してから、〝それをおぬしの膝の上に置け〟と言わんばかりの目くばせをした。

 先ほどから兄のものすごい形相に恐れおののいていた信太郎は、その目くばせをくらって縮み上がってしまい。席を立って逃げようとする。すると側にいた父親の伝四郎が大声でこう一喝した。(漢字・仮名
づかいなどは修正。以下同じ)。

 「そこを動くな! 恐れるでない! ワシをはじめ大勢の者が控えおるぞ!」
 さらにその余勢を駆って伝四郎は、こんどは市次郎の方を向き、鋭い目つきでこう言い放った。

 「お前なんかは怖くもなんともないぞ! この上は有難き神法〝蟇目(ヒキメ)の矢〟にかけて打ち払ってもらう故に、そう覚悟いたせ!

 そう言い放ってから大門のところへ行き、こうまで加持をしていただいてもなお正体を現さぬ以上は、ぜひとも蟇目の矢、鳴弦の御法にて打ち払っていただきたいとお願いする。

 それを受けて大門は、同席していた吉富養貞という漢方医のところへ行って蟇目・鳴弦の法の威力を説いて聞かせてやってほしいと頼んで、自分はまた奥に引っ込んだ。なぜ大門が自分から伝えずに吉富氏に言わせたかについては、傍注で大門自身こう釈明している。

 《このあとの数か条はみな医師吉富氏を間において言い継がせたものである。先方が述べているのを聞きながら次の問うべき内容を考えるためである。この種の問題では直接談判ではとかく誤ることがあることは、こうした場面に何度も出合って心得たことである。ただし、記録そのものは、煩わしさを省くために直談のように書いておく。



   ・「無念のことありて割腹せし者の霊なり」
 大門の作戦は的中した。吉富氏の説明が終わるや否や、市次郎は被っていた布団を押しのけて正座し、両手を膝に置いて一礼し、ついに口を開いてこう述べた。

 「これほどまでに懇(ネンゴ)ろに正しき道筋をたてて申される上は、もはや何をか包み隠さん。そこもとのご疑念はもっともなれど、余は怪物でも野狐の類でもござらぬ。元は加賀の国の武士にて、故あって父とともにこの地に至り、無念のことありて割腹せし者の霊なり。これまで当家に祟りしが、今だ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」

大門 「何の目的あってこの地に来り、いかなる無念のことありしか。また、いずこへ行くために来るか。この家にはいかなる縁ありしか。父も同じくこの地にて死にたるや」

 「余は父を慕いてはるばるこの地に来りし者なるが、父はこの地にて船を雇い、単身、肥前国(佐賀県) 唐津へ赴きたり、別れに際し父は余に向かい〝汝は是非ともこのまま本国(加賀)へ帰れ。一歩たりとも余についてくることはならぬ〟と言い放てり。この事には深き分けありて今あからさまには告げ難し。

さらに余が乗船を乞うても、父はさらに許さず、〝どうしても帰国せぬとならば、もはや吾が子にあらず〟と申せり。かくまで厳しく言われては子たる身の腸(ハラワタ)に徹して、その言に従うことなれり、さりとて本国へは帰り難き仔細あり、父が出船せしのち、取り残されたるわが身は一人思い巡らせど、義につまりて理に逼(セマ)りて、ついに切腹して相果て、以来数百年の間ただ無念の月日を送りたり、和が
死骸は切腹したるまま土中に埋められ、人知れず朽ち果てたり・・・・・・」

 そう述べた時には目に涙を浮かべ、世にも悲しげな表情だったという。〝国元へ帰り難き仔細〟については後で改めて詳しく物語る場面が出るが、ここでかいつまんで説明しておくと、この武士の家は加賀でも相当な誉れ高い家柄だったらしく、殿から三振りの刀を下賜されたほどだった。

ところがお家騒動があって父親が濡れ衣を着せられ、殿からお咎めを受けて国外追放処分となった。

 その出国に際して当時十七歳だったその武士もぜひお伴をさせてほしいと願ったが、おまえはたった一人の男児なのだから居残って家を再興してくれと頼み、母親にもそのその旨をしっかりと言い含めて、一人出立した。が、その後も父を慕う思いを抑え切れず、母親の再三にわたる制止を振り切って、伝統の家宝を携えて出国し、諸国を訪ね歩いて、実に六年ぶりに父と再会したのだった。


大門 「その無念はさることながら、何故にまた、かくもながいあいだ当家にのみ祟りをなすや。他家に祟られしことおありか」

 「当家には故あって祟るなり、他家にも祟りしことはあるものの、ただ病気に罹らせるまでのことにて、かくのごとく言語を発したることは一度もござらぬ。これまで当家に尋常ならざることの頻発したるは、余が遺骸の埋もれたる場所より通い来て為せる業にして、同じ災厄が代々起こりし
ものも、みな余の所為でござった。

早くそれと気づいて祀ってくれなば有難かりしものを、気づいてくれる者のなかりしが無念でなりませぬ。

 四年前に当家の祖父も余の遺骸の上にて大病に罹り、 この度この市次郎も余の遺骸の上を踏みし故に、余は瘧(ギャク)(熱病) となりてその身に憑けり、二十三日の早朝に余の鎮まる場所に気づいて砂を掘り、浜に棄てしはもってのほかなり。ために余は行き場所を失いたり」


大門 「何の為にそれほどまで人を悩ましむるや」

 「一つの願望あり。その事を果たさんとてなり」


大門 「一つの願望とは何のことぞや。切腹したる時は何歳なりしや。姓名は何と名のられしぞ」

 「余の願望は一基の石碑を建てていただく事それのみにして、その一事さえ叶えてくださらば今夕にも当家を立ち退く所存なり。その一念を抱きつつ時と人とを得ぬまま、ついに数百年の歳月を経て、今ようやくその機に臨むことを得たり。割腹したるは二十二歳の七月四日。次の姓名の一儀に至りては、何分にも今さらあからさまに明かし難し」


大門 「姓名を名のらずして石碑の一儀をたやすく受け合うわけにはまいらぬ。性も名もなしに敢えてその事を為すは道にあらず。よってそこもとの望みは承諾できぬ


吉富 「宮崎氏の申せしごとく、その方の姓名を名のらずば人の疑いは晴れまい。しからばその願いも成り難し」

 「武士たる者、故ありて密かに国を退きては、姓名を明かさぬが道なり、さりながら、名のらずしてはその一儀受け合い難しとの御意、一応もっともなり、受け合わずばこれまで悩ませし事、みなその甲斐なし。されど、石碑建立の一儀を叶えてくださらば、さきに申せしごとく即刻引き上げ、市次郎も平癒に及び、以後は人を悩まさず。

また当家への祟りも止むべし。祟りを止め人平癒さえすれば、明かし難き姓名を明かさでもよろしきにあらずや。かくまでも懇ろに取り計らっていただくからには、申してよき事ならば何故に包み隠しましょうぞ。武士道に外ればこそ包むなり」


大門 「そこもとの申す筋合いは一応もっともなれど、姓名を刻まぬ石碑を建立するは神道の方式に敵わず。よってそれに背きてまで石碑を建つくわけには参らぬ」

 「是非にも姓名を明かさざれば受け合いぬとのことか・・・・・・  今となりては如何にせん。姓名を偽るはいと易けれど、わが本意にあらず。実名を明かさではまた道にあらず。君に仕えし姓名を私事の願いのために明さではならざる身となり果てたるは、さても吾が身ながらも口惜しき次第なり。

打ち明けざれば願望ならず。願望ならざれば、ここまで人を悩ましたることみな徒労となるなり・・・・・・」

そう言って大きく溜息する。ここで吉富氏が畳み掛けるように是非とも名のってほしいと述べると、武士はいかにも大名が平民に向かって述べる風情(フゼイ)でこう述べた。


 「その方に一つ頼みがある。先刻の長剣、身にしみじみ忘れ難し。今一度あれなる人(大門)のご加持にあずかりたし。その方、ご苦労であるが、頼んでみてはくれぬか」

吉富 「いかなる剣なればこそそれほどまで慕われるや」

 「別段のわけありて申すにはあらず。ただただ尊く思うままにお頼み申すなり・・・・・・

と言ったあと、一人ごとごとのように

 「さてさて、あの三振りの中の一振りが廻りめぐりて、いかにして・・・・・・」
となにやら感動を禁じ得ない態度を示しながら俯いた。


大門 「今一度かの長剣にてご加持にあずかりたいとの件、かつまた、石塔を建立して祀りくれよとの件、さきにも申せし如く、その方の姓名を明らかに名のることなくしては軽々しく受け合うわけには参らぬ。包みなく明かされよ。右の二件の頼みと姓名の惜しさとは、替え難しの心底か」

吉富 「これほど懇ろに申してもなお隠されるとは、いかなる理由ありてのことぞ。かくまで包むとあらば、もはやそこもとの願望は叶えられぬものと心得られよ。姓名無き者の願望は受け難しとの大門君の言葉は、もっともの儀にあらずや」

 「さきにも言を尽くせしごとく、故ありて国を逃れし武士は国内のことは深く包むが法なりと言えるはご承知のはず。姓名・氏素性もまた同じことなり。

 吾割腹を遂げ、無念に果てしのみか、その遺骸は砂をかぶりたるまま数百年間そのままにして人並みならざれば、その間一日として苦痛を忘るる間なし。幾度かこの家の者ならびに他家のものに知らしめんとしたけれど、だれ一人として悟る者なし。されば、身体頑健と思いて憑けば、弱体にして死せし者もあり。己の苦悩を逃れんとして人を悩ますとは、さてさて拙き定めの身の上なり・・・・・・」

 そう述べて目に涙を浮かべ、しばし俯いていたが、内心ついに観念したとみえ、やがて、

 「紙と硯とを貸せよ」
と言い、それを受け取ると静かに墨をすり、紙面に 〈泉 熊太郎〉 と書いた。それを手に持って、

 「石碑は高さ、一尺二寸にして、表面には〝七月四日〟と書けばよろし。この姓名は決して世に漏らすまじきぞ」
と言い、改めて筆を執って石碑の形まで記し、さらに 〈七月四日〉 と書き添えた。

 〈泉 熊太郎〉 の書は本人の意向を組んで大門は公開していない。どこかへ仕舞い込んだか、いっそ破棄してしまったか、その辺は定かではないが、〝七月四日〟と、最初に所望されて書き残した〝楽〟の字などは大門が透写して残してくれていた。ここに紹介したのはそれを再生したもので、実物は郷土史家に貸し出しているうちに行方不明になったと、生松天神の現宮司の母堂から聞いている。



   ・「死後の世界は生前に考えおるものとはいたく異なるものぞ」
 大門は熊太郎の達筆の書を見て、これを身元の割り出しの糸口にしようと考える。


大門 「そこもとはこれほど見事なる書をものする武士ならば、定めし文字を多く知りおることであろう。この用紙に貴家が仕えていた当時の国主の禄高、家老、中老の姓名、および領内の郡村名を記されよ


 「前にも申せし如く、密かに国を出たる武士は国内のことは包むが武士道なりとの意を聞き分けなきや。吾れ、武士道を破りてまで私願を遂げて悦ぶがごとき性質(タチ)にあらず。

姓名を名のるのさえ祖先に対しまた君主に対して申し訳なき次第なれど、さりとて願い叶わざれば再び人を悩まし、余の苦悩の止む時なきが辛かればこそ、まげて姓名の
みは記したり、然るに、なお斯くも追求の手をゆるめぬところを見るに、貴殿らは余の申すことに疑念をはさんでおるものと察せられる。

 よく聞かれよ。およそ天地の間にはこの種のことは必ずあるものにて、人間のみならず、時として山川にすむもの、また大樹・大石の非情物だに人に影響を及ぼすものなり。されど、人これを疑う。今この疑いを解かざるかぎりは、余の願望を遂げるは困難と見ゆる。さらば、いざ何なりと聞かれよ。国主に関らぬかぎりは何なりとお答えいたすであろう」

大門 「さらば、そこもとの主君に関わりなき、郡があるであろう。一郡でも五郡でもよい、告げられよ」

  「我が本国の郡とな?  グンとは何ごとにや」

 ここで吉富氏が指先で畳の上に 〈郡〉 の字を書きはじめると、未だ書き終わらぬうちに、
 「コオリのことか・・・・・・日ごろ聞き慣れませナンダ」
と述べ、さらに言葉を継いで、

 「吾が本国には四郡あるのみにて五郡なきことは知りおるはず。たとえ知らぬが故に問わるとて、うかつに明かしてなるものぞ。みな君父(クンプ)の領内なるものを・・・・・・。されど、それほど地名を知りたくば五つ六つ書くべし」

 そう言って 〈榎木村〉 〈榎木原〉 〈篠原〉 〈原江〉 などの地名をかいた。

 地名を書いた後熊太郎はさらに言葉を継いで

 「かかることども、たとえ百千書いたとて、疑念の解けざる時は吾が願いは成就してもらわざれば、徒事(アダゴト)となるなり。また村名・山名・江名(川の名)など書き並べたりとも、遠国のことなれば吾れ一人知り
しのみにて、疑念を晴らす証とはなり難し」


大門 「そこもとの申すこと、もっともなり。さらば別のこと問うことと致す。先に石碑の図を書き、正面には〝七月四日〟とのみ記せよとの望みなれど、同月同日に死したる者はあまたあれば、その年号も書き添えられよ。何と言い子ぞ」

 「年号を記さば直ちに君父(クンプ)のことは知れるものなり、記してよきことならば何故に包み隠そうぞ。道に違い義を失うことは、いかに問わるるとて告げるわけには参らぬ」

大門 「七月四日とのみ記して建立すれば、もし当家が転居することあらば、粗末にされることは必定。仮にさようなことにならずとも、何人の墓であるか不明なれば、おのずから粗略になるのが道理。その折には魂はいずこへ行き、いずこに鎮まるぞ」

 「吾れ、天地とともに、記念してもらいし所に鎮まる心底なり」

大門 「単に月日のみ記しておかば、いずれ粗末に扱われるは必定なれど、それが望みとあらば致し方もなし」

 そう冷ややかに言い放たれて、武士はしばし俯いて考え込み、やがて、
 「何とか別に致し方は無きものか・・・・・・」
と独り言のようにつぶやいた。

大門 「国主の名、切腹当時の年号、本国内のことどもを、そこもとが言を左右にあくまでも秘密にせんとすることこそ不信なり。ぜひとも書かれよ。悪しくは計らわぬ


 この言葉に憤まんを抑え切れなくなった武士は、開き直った態度で、いかにも武士らしい啖呵を切った。

 「かくまで道理を述べてもなお聞き分けなきや! 義を失い武士道に背きてまで願望を遂げたりとて、何をかせん。武士たる身の、書きまじきことを書きて私願を遂げんよりは、義を完うして弓矢の神法にかかりて煙とならんこそ本望なり。イザ、御弓矢の行事をなされよ!

 さてさて無念を抱きて果てし身は、どこまで口惜しきものなるかな。正しき道理を説けども、人の疑いを晴らすよしもなし!」

 激しい口調でそう述べてしばし黙然としていたが、今度は語気を転じて、平静にこう述べた。

 「およそ幽界より顕界に言語を通ずるは、尋常なる霊の為しうるところにあらず。吾れ、数百年の苦痛に耐え難ければこそ、かくは人に憑りて頼むなり。いよいよ吾が望みの遂げ難しとならば、市次郎の死することは必定なり。もし吾が望み叶いし時は、四、五日のうちに病は平癒せしむべし。

 病気の平癒を証拠に石碑の建立を頼むことは叶わぬものか。もしそれをご承諾あらば、吾れは幽界に帰りて石碑の建立される日を待つべし。顕世にて一代を閲する間も幽界にては一瞬の間と思われるものなれど、その苦しみは人に祟りもすべきほどのものなるぞ」

大門 「武士なるものの大義を失いて私願を遂げんよりは弓矢の神法にかかりてんとは、武士たる道を守るの言葉にも思わるる故に、かかる忠言・義心をいたずらに捨てるも、また吾が本意にあらず。全くもって武士の霊たることの証なり、さらば、これより幽界の摂理につきて数か条を聞くべし。吾が問いに一つ一つ答えよ


 「その前に一言申し置くべきことあり。

 顕界の事情をみだりに幽界へ漏らすわけには参らぬごとく、幽界にも顕界に漏らすわけには参らぬ秘密があるものなり。死後の世界は生前に考えておるものとはいたく異なるものぞ。そのことは、おのおの方も死すればたちまちのうちに悟るべし。

 余は幽界の者なれど、かくの如く人体に憑りおり間は、幽界のこと、いと微かなり、それと同じく、人体を離れて帰幽せば、人間界のことはすこぶる微かにして、心を込めしこと以外は明らかには知り難きものなり。人間界に漏らし難き幽界の秘密、及び人間が知りて却って害あることは申すまじきゆえ、そのつもりで問われよ」

 そう述べて威儀を正して問いを待っている姿を大門は〝豪傑の武士一人座敷ニ居タル心地セリ  大病人トハ少シモ見ヘス〟と傍注で述べている。当家の者が茶を差し出すときも思わず平伏してしまい、父親の伝四郎も、ふだん息子に使っていたぞんざいな言葉が出なかったという。



   ・「百里千里も一瞬の間にて行くべし」
大門 「割腹してのち、そこもとは常に墓所にのみ鎮まりたるか」

 「多くの場合、墓所のみに居たり。切腹のみぎりは一応本国(加賀)へ帰りたれど、頼りとすべき地もなく、ただ帰りたく思う心切なるが故に、すぐに墓所に帰りたり」

大門 「本国へ帰らるるには如何にして行かれしぞ」

 「行く時の形を問わるるならば、そは、いかに説くとて生者には理解し難し、いずれ死せばたちまちその理法を悟るべし。正者に理解せざることは言うも益なし。百里千里も一瞬の間にて行くべし」

大門 「しからば、そこもとは数百年の間この地に住めるなり。これより当時のことを詳しく聞かん」

 「死して霊となりたる者は顕世のことは知らぬものなり。霊は人間界のことにはかかわらぬが掟なり。ただし、生存中に心を残し思いを込めたる事は、死してのちもよく知ることができ、またよく知れるが故に苦痛が絶えざるなり。およそ霊は人間界の成り行きは知らぬが常なり。されば余も詳しきことは知らず。ただ人体に憑きてその耳目を借りおる間は、すべてを知り得るものぞ。

 さて余のごとく人の体を借りるに当たりて、それを病ましむるは何故というに、人の魂は太く盛んなるが故に、これを病ましめざれば余の宿るべき場所のなければなり。気の毒なれど余は、市次郎を苦しめてその魂を脇へ押しやり、その空所に余の魂を満たしぬ



大門 「さらば人間界において弔祭(供養・祭礼)など催すも、幽界には通ぜぬことにならずや」

 「なかなか然らず。考えてもみられよ。神を祀り魂を供養するは、たとえ人間界の催しとは申せ、そはみな幽界に関わることにあらずや。故に、祭祀は神にも通じ霊にも通ずるものなり。金銭のやり取り、婚姻等の俗事は穢わしければ、神霊はこれを見聞きするを避くるなり。霊となりては衣食ともに不要なるが故に欲しきものもなく、ただ苦を厭い楽しみを思うのみなり。

 さて祭事を行うに当たり、人々俗事を忘れて親しく楽しむ心は幽界に通じ、祀られし
神霊もこれに感応して喜ぶ。喜べは自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祭りを行いたる者も幸福を受くるものにて、人間界より誠を尽くせば、その誠よく神霊に通ずるものなり」


  ・「儒仏の説くところを信ずるは、
みなその道におもねる者のすることにて・・・」
大門 「帰幽せる霊はみな、各自の墓所にのみ居るものか」

 「常に墓に鎮まりたるは余の如く無念を抱きて相果てし輩か、あるいは最初よりその墓に永く鎮まらんと思いを定めたる類にして、その数、いと少なし。多くの霊の赴く先は、霊の世界のことゆえ言葉にては告げ難し」

大門 「墓所に居らざる霊はいずこにて供養を受くるや。彼らもその供養の場を訪ねるものか」

 「地上にて幾百年も引き続きて行い来れる祭りごとは、幽界にても大体そのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くことあり。なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し、祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。

 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に別れてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に別れて百カ所に到るべし。

 もっとも、余の如き者の霊(地縛霊)は一つに凝り固まりて、その自由は得難し


大門 「墓所に居らざる霊はいずこに居るものか、おおよそにしても承りたし」

 「霊の赴く先はそこここに多くあれど、そは現界に生を営む者の知らで済むことなり。ただ、死後各自の落着くところはあるものと心得おればよし。死したる後は生ける人間の考えおることとは大いに異なるものにて、生ける者の理解の及ぼぬものなり、理解の及ばぬことを言うは徒労なり、死すればたちまちに知れるものぞ」

大門 「その儀。一応もっともなれど、仏教にては死後行くべき場所を人に知らしめて安心せしむるを主眼とし、儒教もまたこれを説く。さらば今この機会にその真実を世に知らしむるの必要、無きにしもあらず。儒仏の唱うるところ、いずれが実説なりや


 「儒仏の説くところを信ずるは、みなその道におもねる者のすることにて、要するにその門に入りたる者を治むるための説にすぎず。死後、人間の赴く先は地上にありて空中にあらず。もっとも空中にもあれど、そこは死後ただちに赴くべきところにあらず。他界直後の霊の赴く場所が大地のいずこならんは、いまあからさまには告げ難し」

大門 「極楽浄土につきて仏説の当否は如何」

 「(微笑しつつ頭を左右に振り、しばらくしてから) 極楽説は人の心を安ぜんがための手段方便にすぎず。生前いかなる説を信じて死すとも、死後の実相とは甚だしく違うものにて、死後のことは死後に知らばよし。人の世にあるうちは世の掟を守り、死後のことは世話を焼くには及ばぬことなり」

大門 「貴殿の返答は、極楽は存在せぬとの意と思われる。ならば、何故にそこもとは、去る二十二日に〝三部経を上げてくれ〟と言いしぞ。三部経は極楽を説けるものにあらずや」

 「敢えて経が望ましと言うにはあらず。吾が父のために読ましめたるにて、心ばかりの父への供養なり。供養は経にかぎらず、ただ父のためを思いて誠を尽くせば、おのずから通ず理なり。石を集め火を焚きても、霊はその気を受けて喜ぶものなり。元来、経は空を説けるものにて、毒にも薬にもならず、ただ僧侶に読ましめて誠を尽くすなり。そは誠を尽くすための手段なり」

大門 「およそ墓所に鎮まる霊はいと穢わしきものなり。しかるに、当家の神棚には尊き神々を奉祭してあるものを、そこもとの如き墓所に鎮まる霊が憚ることなくここへ来るとは、如何なる故にぞ」

 「新しき墓にて腐肉の臭気ある所に鎮まる霊は穢れあれど、余のごとく数百年を閲する者は、その骨肉すでに大元の気となりて穢れなく、霊も清浄なり。吾が輩はただ人並みならぬ苦痛あるのみにて、清浄なる点は普通の霊と異なるところなし。故に、かくのごとく神棚の下にも居らるるなり。

ただし、悪行のために果てたる無念の霊は神棚の前には到り難し。余も、みだりに他家へ行くことはならねども、当家には因縁ありて、かくは来るなり」

大門 「それがしは知らぬことなれど、今夕当家に来りて聞けば二十二日の夕べにそこもとが、その夕べに限りて墓所に居り難き旨を述べられたとのことであるが、そはいかなる理由(ワケ)ありてのことか」

 「二十二日は郷祭なるが故に古き神霊御来臨遊ばされ、家々にて豊かなる清浄の気を受け入るなり。されば余の如き無念に凝り固まる新しき霊は遠慮するが掟なり。このことには深き理(コトワリ)あれど、人間に聞かせても益なし」

大門 「ゴウサイとは何のことぞ」

 「一郷(ヒトサト)の祭りなり」 


大門 「霊が幽界の居所より墓地に来ることは易きものか」

 「(同じ内容の質問にいささかムッとして声高に) 来(キタ)らんと思えばいつでも来られる!」

大門 「彼岸盆会(ボンエ)には世俗みな霊を祀る慣わしなるが、かかる折には実際に来臨するものか」

 「彼岸盆会は世俗おしなべて霊を祭る時と定めてあれば、霊界にても祀りを受くべき時と直感し、また死せる人も盆会には必ず来るものと思い込みて死せるが故に、必ず現れてくるなㇼ。

 されど、余の如く無念にして相果て、死して祀られざる者は、盆会などには臨み難し。
 ああ、生前武士たる身にてありながら、人体に憑きて怪しまれつつ石碑の建立を相願い、忌日の祭りを頼むとは、さてさて口惜しき限りなり。この胸中、推し量り給われよ」

大門 「菅原道実、藤原広嗣、橘逸勢、早良親王等、いずれも高貴な方であるが、現世に祟り給いし故に神を祀られしと史実にあり。儒者はこれを信ぜず、世の禍はみな自然の為すところとす。いずれが真実なりや」

 「いかに高貴な人と言えども、無念骨髄に徹して死せむには、世に祟りを為すこと必定なり。世に知らせて無念を晴らさんがためなり。余がかくのごとく市次郎の体を苦しめるのも、その口を借りて積年の願いを漏らさんと思うが故なり。顕界にて受けたる無念は顕界より解きて貰わねば晴るることなし



 右に挙げられた〝高貴な方〟が祟りをなしたというのは、たまたまその死の直後から疫病や天災が相次いだことからそう信じられるようになったことで、個人の霊の怨念がそんな大規模な災厄をもたらすとは信じられないが、その人物との縁の深い人たちには何らかの影響を及ぼすであろうことは十分考えられることである。

 私が翻訳してきた西洋の高等な霊界通信が異口同音に戒めているのは死刑制度で、刑死した霊の復讐心が次の犯罪を誘発していると説いている。こうしたところにも正しい霊的知識の普及の必要性が
ある。地上からは抹殺できても、宇宙からその存在を消してしまうことはできないし、またその権利は人間にも国家にもないのである。


   ・霊の誓約書
 さて以上私は、紙面の都合もあるので、大して意味のない問答、あるいは時代的思想(階級制度・男尊女卑等) に偏った箇所は省きながら紹介してきた。

 が、ここまで来れば、読者も、まさかこれが市次郎の潜在意識ではないかといった疑念は差しはさまないであろう。大門も初めのうちは、もしかしたらキツネか何かの動物霊の仕業かも知れない、用心の上にも用心をしながら返答の様子に注目していた。が、前段のあたりで〝これはまさしく武士の霊なり〟との確信を固めた、と傍注で述べている。

 ところが、市次郎の看病をずっと続けてきた長吉という相撲取りだけは、当初から〝四足の類の仕業〟と決めつけて、問答の合間を見ては大門にそう耳打ちしていたらしいのである。そのことをずっと不快に思っていた武士が、前段の問答の切れ目を見て、長吉を睨みつけて、憤まんやる方ない口調でこう言い放った。


 「長吉! 汝はよくもこの吾れを〝四足の類と〟と申したな! 今も言う通り、高貴の人の霊とても無念に死しては時には人を悩ますこともあるものぞ。よく覚えておいて以後つつしめ!」

大門 「そこもとの腹立ちもさることながら、たとい神にもあれ何にもあれ、目の前で人を苦しめる様を見て悪魔なりキツネなりと言いたりとて、何の無法があるべきぞ。大切な御国人を悩ますとは、吾が見るところも長吉と同じじゃ!」


 「今、吾れ、ふと誤れり。何卒吾が願いだけは聞き届けてくだされ」

大門 「過ちを悔い、善を慕う心はすなわち神なれば、吾れ、そこもとの望みのままに御剣(ギョケン)加持を行いて信ぜよう。これを限りに当家を退散し、
以後、人を悩ますこと勿れ。石碑建てて進ずべく、忌日には祭礼を行い、また諡号(シゴウ)(おくり名)を授くべし」

 これを聞いて武士は嬉しさを隠しきれない風情で───
 「吾が年来の願望ようやく叶い、諡号(シゴウ)をも授からば、今後人を悩ますことをせぬばかりか、当家を守護し、また諸人をも救うべし」

大門 「かく誓いしのちに、もしそこもとが重ねて人を悩ますことあらば、その時には容赦せぬぞ! 骨を掘り糞壺に入れて恥をかかせん!」

 「武士に二言はござらん!」

大門 「しからば念のために右の旨を記せる一通の証文を書かれよ」
 「証文とな? それには及ぶまじ」

大門 「いや、すでに姓名を書きたる上は、定めし文字を知りおることであろう。ぜひとも書かれよ」
 「さほどまで申される上は致し方なし。ともかく案文を示されよ」

大門 「案文もそこもと自ら認(シタタ)められよ」
 「これに武士はうなずいて無言のまま筆をとり、古風な書体ですらすらと認めた。原文はタテニ十センチ、ヨコ十六センチで、大門が敷き写しにしたものが残されている。

 これを平たく現代風に書き直せば
 《この度、宮崎大門氏は御剣(ギョケン)をもって私が立ち退くように苦心してくださいました。天保十年八月二十四日の夜に御剣加持をしていただき、幸せこの上なく、同夕にこの家を立ち退き、以後この家に限らず、人を悩ますようなことは、きっと慎みます。》

 というところであろう。
 描き終えると 「これにてよろしきや」 と言いながら大門に差し出した。読み終えた大門が 「よろしかろう」 問いって返すと、武士はこれを燭台の火で焼き捨て、改めて清書したという。



  ・いったん霊界へ戻る

 さて、これで武士の宿願だった石碑の建立の条件が整い、続いて、ではどこに建立すべきかの問題が持ち上がった。本人は清浄な地であればどこでもよいとはいうものの、いずこにも地主のあることなので、その土地一帯の産土神社の宮司・山本参河(ミカワ)を呼んで相談しようということになった。そう話がまとまったところで、吉富養貞が武士に向かって、

 「これほど問答が長引いては退屈でもござろう。 しばし休息されては如何?」
 と医者らしい気遣いを述べると、武士も、

 「吾が輩は宿願の叶う祈りにて、嬉しく、憩うには及ばねど、市次郎の体は長らく苦しめたれば長座はよろしからず。神職の来るまでしばらく同人に一睡させたし。神職の来る時、もし引き合わせあらば起こさるべし、又、御剣加持の時は必ず起こさるべし。これを限りに立ち退くべし。さらば、ご免!」

そう述べて、一礼して夜具の中に入った。入ると同時に市次郎の体から離れたのであろう。夜具の中の市次郎はまさに大病人で、武士の面影はどこにもなく、ただただ眠り込むのだった。
 
 依頼を受けて来着した山本氏は白衣に縞の袴を着用し、病人の上座に席をとった。むろん、これまでの経緯については何一つ知らない。そこで大門と伝四郎の二人でそれまでの経緯を話して聞かせ、その石碑をどこに設置すべきかでご意見を賜りたいのだといわれて山本氏は、すぐには合点がいかず呆然として無言だった。そこで大門が

 「貴殿のご不信はもっともなれど、拙者の調べによれば、これがまさしく一人の武士の霊なることはもはや一点の疑いもござらぬ。それゆえ石碑建立の議も承諾いたしたり。ただし、貴殿を始め一座の方にいささかなりとも疑いあれば、腑に落ちるまで直接その霊に問われて結構でござる」

と言うと、三、四十人の一座の者たちも口々に、
 「誠に恐れ入った霊魂でござる。一点の疑念もなし」
と言うのだった。

 ところが、さきの長吉だけは相変わらず不信の念が消えない。そこで三点ばかり不審な点を並べると、大門も言われてみればもっともな話だということで、いっときして再び市次郎に憑ってきた武士にその点を質すと、

 「察するところ余の一睡の間に傍(カタワ)らより入れ知恵せし者あるべし。さらば今そこもとに答うるの要はあるまじ、入れ知恵したる当人を出されよ。直接語り聞かすべし」

と図星をさされて大門も二言なく、長吉を差し招いて、ここに来て委細を承れ、とすすめた。

 傍注によると、そう述べた時の態度は威ありて孟からず、まことに敬意を払うべき人物に見えたということである。長吉もその堂々たる雰囲気に押されて、しばらくモジモジしていたが、早くせんかと促させて、ようやく市次郎の枕元までにじり寄り、神妙に 「ここにてお話を承ります」 と言った。すると武士がこう諭した。

 「されば長吉、汝の疑いは一応もっともなれど、ちと肚を大きく、耳を澄ましてよく聞けよ。前にも言えることごとく、およそ山川に年ふりたる禽獣虫魚、また大樹巨石の霊など、みな人を悩ます力あり。また生霊と言う生者の一念、恨みのある者の体に憑き、その者を悩ますこともあり。また死せし時の一念、現世に残りて人を悩ますこともあり。

 余は死ぬる時の無念やる方なく、その上死骸を打ち棄てられ、標(シルシ)の石さえ建てられざる事の悔しさに、かくして市次郎の体を悩ましめるなㇼ。体を悩ましめざればこの身体をかり難く、市次郎のあるべきところに吾が魂を宿し、その耳、その目、その口など借りるがゆえに、かくのごとく吾が思いを人にも告げ得るなり。

  されど、余が邪気と疑われ、野ギツネと思われるも無理なき次第にて、さきの大門君の詰問の間に汝に怒りは余の誤りとなりと認めたるは、汝も知りおるであろう。

汝は人を悩ます野ギツネばかりと思いおるがゆえに疑念が解けざるぞ。考えてもみよ。野ギツネが石碑の建立を望むものか。また野ギツネならば、神法を持て加持を受けて退かずということがあるべきか。

 今もし汝の疑いに余が野ギツネなりと断定されるに及べば、数百年の願望成就せざるのみか、これ以降も当家をはじめ諸人を悩まし、今のごとく悪鬼となりて取る憑くであろう。世の為、人の為、当家の為、そして余の為と思い、これまでの経緯をよくよく慮(オモンバカ)りで、余の正体を見届けてくれよ」

 山本宮司は事の経緯を知らなかったにもかかわらず、この武士の話だけですっかり感動してしまい、上座に居ずらかったと、後で述べたそうである。

 このあと武士と長吉との間で珍問答が交わされ、長吉の他愛ない質問に武士は思わずプッと吹き出したりする場面もあるが、内容的には大した意味もないので省く。

 それよりも一座の者にとって気掛かりなのは市次郎の身体の法で、 「長吉が余計なことを聞くからこんなことになるのだ」 と口々に罵るので、長吉も恐縮して畳に頭を擦りつけて詫びた。すると武士がいかにも下々の者に向っか述べる風情で

 「この男、愚痴(愚か者)にてあれど、長々と市次郎を親切に看病せしは奇特なれば、病気平癒の後は、この度のこと、とくと市次郎に聞かせられたい。当人も定めし歓ぶでござろう」
などと述べている。

 そのあと山本氏が上座から下がり、武士の方へ向きを変えて、一礼して質問した。

 「拙者は当地の産土神社の神職、山本参河と申す者でござるが、承れば貴下は、加賀の住人、泉氏の御霊とのことにて、ゆくゆくは社地に鎮まりたきご希望の由、いかにも理あるお頼みでござる。市次郎の体よりお離れなさるのでれば、及ばずながらも拙者、ともかくも計らいもうすでござろう」
 
 「ご来駕の段、ご苦労にござる。拙者の身の上をお耳に達し、まことに面目次第もござらぬ。市次郎の身体より立ち退くことはいさら申すまでもござらねどただ社地に鎮まる事はひとえに頼み奉る。もっとも公に持ち出すことには憚りあれば、人知れず内密にして計られたし」

 このあと山本氏と大門との間でいろいろと案が出され、それについて一つ一つ武士に 「いかがであろうか」 と訊ねるといった調子で話が進められた。が、結局は、事を急いでお上からお咎められては元も子もないので、あとは二人に任せてほしいということになった。すると武士は、

 「三年にても四年に手も待つべし、かくて吾を神と斎(イツ)き、七月四日を祭日と定めくださらば、以後は当家を守護すべし。その儀重ねがさねお頼み申す。それはさておき、先刻お頼みした御剣加持をしてくだされよ」

大門 「折角のお頼み、承知いたした。さきほどは怪しき物と思いしゆえ切りつけたれど、もはやその儀は無用なり。さらば御免」

と述べて支度に取り掛かると、武士も、
 「辱(カタジケノ)うござる」

と述べて両手を膝の上に置き、鎮(シズ)んで待っていた。そして御剣加持が終わると一礼してこう述べた。

 「さてさて、おのおの方にはいたくご苦労を掛けたり。先刻約せし通り、七月四日を祭りくださらば、余いかでか悪しう酬いましょうぞ。市次郎も今日限りに日を追って平癒し、かくて七年の後には当家には吉事あるべし。それを見て余が霊界より悦びて守護しおる証とし、また神となりし徴と知られよ。

 イザ出立せむ。おのおの方、門口までお送りくだされよ」

そう述べて席を立ち、ヌサヌサと歩いていく様子は血気さかりの若侍が颯爽と出で立つようで、とても大病人の市次郎には見えなかったという。居合わせた者たちもゾロゾロと門まで付いて出た。武士は門前で立ち止まり、墓地の方を向いてこう述べた。

 「余この身体を離るる時、市次郎が倒れるやも知れぬゆえ、おのおの方にて彼を助けてもらいたし」

 そこで何人かの者が側に寄り添い、山本、大門の両神職が神送りの秘文を唱え、祓いの言葉を奏上しているうちに、果たして市次郎は左へ倒れかかった。それを抱きかかえて家へ運び入れて寝かせると、こんどは打って変わって重病人で、吉富氏が羽毛で唇に薬を塗ってやるとスヤスヤと寝入ったという。


   ・火事騒ぎ
 さて、市次郎の話はこれでともかくも一段落して、家族の者はもとより関係者一同はほっと胸をなでおろした。

 あくる日の二十五日は宮崎大門は近くの漁村の施行を頼まれて出張した。それを終えて帰宅したのが二十九日で、さっそく市次郎を見舞ってみると、市次郎は布団の上に起き上がってはいたものの、元気そうになく、大門が

 「どうじゃ、七月四日以降のことを覚えておるか」
と尋ねると、市次郎は弱々しい声で

 「七月四日、祖父の墓に詣でた時に全身に悪寒を感じ、頭痛がして気分が悪く、甚だ苦しかったことまでは記憶しておりますが、帰宅後のことは一切知りません。ただ夢の中で、大きな楼閣があって、その広い庭の中の美しいところに公卿と覚しき人々があちらこちら逍遥(ショウヨウ)している姿を見ました。その夢が覚めると同時にわれに帰りました」

と答えた。月も変わり、日を追って快方に向かっていたものの、相変わらず節々が痛み手足の自由が利かないのが口惜しくてならず、自分の無意識の間の出来事をつぶさに聞かされて

 「かくまでわれを悩ますとは一体如何なる武士の霊か」 とか
 「人も多いというに、われに何の過失があるというのか」 とか
 「全快の上は墓を掘り返して恥をかかしてくれる!」

と言った憤まんの言葉を漏らしたという。

 そんな折、その家に火事が発生した。半鐘が鳴り響き、村中から大勢の人が駆けつけた。その中に燐家の兵吉と言う者がいて、役宅 (庄屋の事務所) の方を案じて走ってみると、病臥しているはずの市次郎が、神棚の下に正座して物凄い形相で火焔の方を睨みつけている。変だとは思いながらも、火事のまっ最中なので、そのまま戻って火消しを手伝った。

 そのうち火事は不思議と大したことにならず鎮火した。が、その頃から市次郎の頭痛が激しく、鎮火後からずっと横になったままなので、またしても大門に加持を頼むことにした。

 伝四郎から依頼を受けた大門はさっそく前回と同じ加持を行ったが、市次郎はただこんこんと眠り続けるのみで、その日は別段変わったこともなく終わった。

 翌月も大門と山本氏と医者の吉富養貞が来た。吉富氏は診察の後、
 「脈拍は甚だ悪しきが、霊が再び憑くはずもなければ、この度は何が原因かさっぱり分からぬ」

と不審げに言った。ではもう一度祈禱してみましょうということで大門と山本氏が市次郎の側に寄り、父親の伝四郎も部屋に入ってきた。その時である。市次郎がまたもや威勢よく起き上ってこう言い放った。

 「伝四郎、養貞、杜氏(酒造りの職人)の三人、ここへ来よ!」
 これはまた何かあるぞと、家中が色めき立った。すると、見た目には市次郎であるが、いかにも武士らしい口調で次のように諭した。

 「この度の当家の火難は七、八日前よりその兆し現われ、幽界の方にはよく知れわたり、故に、たびたびその兆しを示して知らしめんとしたけれど、一人としてこれを悟らず。そのうち火焔の兆候ますます盛んになるをもって急ぎ守護せんとすれど、吾が魂を寄する所なきをもって、またまた市次郎の身体に憑き、今日、火災の起こる少し前より念力を凝らして、ようやくにして消し止めたり。

 先日、余が市次郎の身体を借りていろいろと幽冥の秘事を説き明かしたれば、少しはその道理を悟りたるかと思えるに、毫もさるところなく、却って幽規を犯して変を招けり。

 夏の頃より積み置きし不浄の土も忌まず、これを用いて新竈(カマド)を築き、浄めの式も行わずして火を焚くとはあまりにも不法なり。世に水火ほど清浄なるものはなし。ことに井水と竈と火とは最も清らかなるものにて甚だ尊く、このに酒造家は火と水を用いること、他に数十倍す。何をもってその恩に酬ゆるぞや。

 なべて神霊は清きを愛す。これに従うは人たるの務めなり。しかるに不浄の土をもって竈を築くは、これ、人みずから災いを招くものにして、神明それを下すにあらざるなり。知らざること是非もなけれど、すでに土に不浄の入りたるを知りつつこれを用いたるは不届きなり。さきの日、余が教えおきしにもかかわらず、今かくの如し。

これ下世話にいう〝喉元過ぎて熱さ忘るる〟の類ならずや。

 およそ火災・洪水の類は即座に来るものにあらず。幽の方にしかるべき理(コトワリ)ありて顕に起きるなり。このことの原理は余の如き凡霊のよく知りうるかぎりにあらねど、火災起こらんとする兆しある時は、あらかじめこれを知ることを得。いやしくも古法によりて竈を清めおけば、たとえ火難の生ずる時の至も、時運の荒びに誘わるることなし。

 
この旨よくよく弁(ワキマ)えて、今後を慎み、家運の長久を図るべし」
そう言い終わった時、吉富氏が大門のところへ行って

 「先月の霊か、あるいは別の邪気か、そして何故に憑きしかをお見分け下され。先月の霊は立ち退いてのちは二度と悩まさぬとの一通 (誓約書) もあれば、それとも思えませぬが、ともかくお見分け下され」

と言うと、山本氏も、
 「先月市次郎の身体に加賀の武士が再び憑いたのでは・・・・・・」
と言った。その時である。霊が

 「ご免!」
と大きく言ってから、前に結んでいた帯を後ろへまわし、両人に一礼したので、両人も答礼した。すると霊がこう語り始めた。

 「それがしは、いかにも先月二十四日の夜当家の一子の身体を立ち退きたる霊なり」

山本 「何のために立ち帰りしぞ」
大門 「先月の一通に再び人を悩ますまじきと書きたるに・・・・・・」
山本 「武士に二言なしと承りたる大門氏への一通、いかに申し開かれるや」

 「その儀は先刻主人と養貞に申したり、七、八日前より当家に大難の運にさらさるる兆しあるを見るに忍びず、家の東西を徘徊してその徴を示せど、一人としてこれを悟り得るものなし、余、見るに見かねて霊気をよせるところなく、やむを得ず再び病後の市次郎の身体を借り、守護して、かろうじて火難を救えリ。

 先夜当家を守り七年の内には吉事を見せんと約せしに、かかる火難ありては却ってこれが為に辛うじて願いおきたる石碑の一事も無にならんこと必定なり。かく思いて万やむを得ず宿りたるにて、以前のごとく身体を悩まさんが為あらず。二度と宿るまじと約したが虚言と言うのであれば、火難を消したる一事をもって、この過ちをお見逃し願いたし。

 それのみにあらず。今まで数百年のあいだ墓所にのみ居りたれど、先夜尊き神法に与り、神号をこうむり、邪を転じて正に帰するを得たれば、墓がいたって穢らわしくて、エイレマセヌ」

山本 「エイレマセヌとは如何なる義か。墓地に何物かがありて入り難しということか」

 この時、たまたま居合わせた燐家の兵吉が商用で加賀へ行ったことがあり、
 「上方にては〝エイレマセヌ〟とは〝居られぬ〟ということです」
と説明した。すると武士が

 「そうさ、むさくて〝エデキヌさ〟」
と、お国訛りまる出しで言い添えてから、さらにこう述べた。

 「今一つ、おのおの方に申し入れたき義あり。先月当家を立ち退きし時、公の許しあるまで三年にても四年にても待つべしと約せしが、いよいよ幽界へ帰りてみれば、余の霊格いつの間にか向上して、墓はもちろん、その辺りの土地すべてに穢れを感じていたたまれず、やむなく樹上などのあるも、ただただ旅心地にして安ずることなし。願わくば寸尺の浄地を与え給え。その儀、改めて乞うものなり」

大門 「その儀ならば、石碑建立のときまで浄地に鎮めるように取り計らって進ぜむ。上代には櫛ある刀を霊代(ミタマシロ)とせし例などあるが、暫時の宿としていずれがよろしきや」

 「ともかくも修法どおりになし給え。その法に従いて遷り申さん」

山本 「白木の箱に霊璽(レイジ)を置きて、それに鎮むる法もあり」
大門 「されど、血気盛んなれば魂も太かるべし。小さき箱にては如何ならむ。八寸の箱にて鎮まる得るや」

 「十分でき申すなり。修法に従えば一寸の箱にも鎮まるものなり。かかる事は顕世にある者の耳には入り難ければ、詳しくにべても益なし。その道の法の通りに従うべし」 




   ・「今は包み難ければ物語らん」
 これで、ともかく霊箱ができ次第それに遷ってもらうことになったわけであるが、そうなると、もう二度とこうして語り合うこともできなくなるであろうから、霊をしばらく引き留めておいて、いろいろ聞き出そうではないかと言うことになった。まず吉富氏が大門に

 「貴君の御剣のことを〝三振りのうちの一振りなるが・・・・・・〟と小声で言いし訳を聞き給え
と言うと、山本氏も

 「その〝三振り〟というのは如何なる意味であろうか
と言う。すると大門が  「良いところに気づいてくれた」 と言って、さっそく新たな問答に入った。


大門 「先月、拙者が振りかざせし剣をそこもとは〝三振りの中の一振り〟と言い、またそれを念入りに拝見されし様子は、いかにも故ありげに思われたるが、何か訳ありのことか

 「ただただ尊きあまりに拝見せしまでにて、別に仔細はござらぬ」

大門 「先夕そこもとは余がもちたる刀に心をとめ、かつ二度も〝三振り〟との言葉を用いて慕わしげに見えたり。さまで一念の残りたる刀を拙者が愛藏するわけには参らぬ。いかなる不吉の三振りなるも知らずに家に永く留め置くこと、潔しとせず。そこもとの石碑の下に埋めて進ぜむ


山本 「その通りにてはござらぬか。さほどまで念のかかりたる刀は秘蔵するに及ばず。早く塔の下に埋めるべきなり」

 そう言われてもなお黙していたが、ややあって

 「水を呉れよ」
と言う。作次郎と言う男が水を汲んで差し出すと、武士はそれを飲み干してから、しばしの間、胸をさすったり横腹を押さえたりしたあと、こう言った。

 「その刀はその刀と、ご承知あればそれでよし」

大門 「聞かねば聞かぬほど気がかりになるものなり。さまで申しかねるところを見れば、さぞかし不吉なる刀でござろう」

 「一をいえば二を言うに至るゆえに包み隠したれど、かく重ねて問われるに及びては如何にせむ。その刀は決して不吉の刀ではござらぬ。余が本国にて上様より賜りたる三振りの中の一振りなり。今その賜りし謂われは軽々しく申すべきことにあらず。口外いたし難きところ名の何とぞお察しあれ」

大門 「〝廻りめぐりて〟と言われしは、加賀の国に残し置きたる刀が廻りめぐりて余の家にきたとの意味なるか

 「さにあらず。今は包み難ければ物語らむ。余十七歳の国内に騒動起こりしがその折、父は無実の罪に沈み、ついに上様のお咎めを受けて国を逃れたり、出国のみぎり父が母に申し置かれしは、余はただ一人の男子なれば、必ず泉家を再興させよ。上様より下賜(カシ)のこの一振りは家宝として大切に余に伝えさせよとのことであった。

 しかるに余は父のお供申したく、その旨を母に願うこと度々に及べども、母はその都度たって引き留め、親一人を思いて代々の祖先の家を滅ぼすことがあってはならぬ。真実われを思う心厚きならば、国にありて家を再興せよ。たとえ後より来るとも言葉は交わさじとの父の遺言なるぞよ。必ず出国無用なりと、それはそれはきつく引き留められましてござる」

 そう述べて武士はハラハラと涙を流し、それを見ていた一座の者も思わず貰い泣きして、しばし涙にむせんだという。大門も余ほど感動したとみえて、傍注でこう述べている。


 《カカル事アリノママニハ如何ニモ短筆拙文ニテハ書キトリカタシ 書ハ意ヲ尽クサストハ宣(むべ)ナルカナ。 コノ人ノ義心ノ有ヲ以テ又ソノ父ノ義心 思イヤルル也。》

大門 「して、そこもとは十七歳のみぎりに国元を出て、いずこにて父君に面会なされしぞ」

 「されば余は、母が引き止むるを聞き入れず、伝家の一刀を携えて国元を出て、諸国を廻りめぐりて六年ぶりに芸州 (広島県) にて父に行き逢いたり。

 そのとき父は余を見て大いに怒り、母に言い置きしことは伝え聞きしはず。汝が母の命に背きて家出せしは、取りも直さず吾が命に背きしなる。汝はただ一人の男児なれば、汝を措いて他に家を継ぐ者なし。一刻も早く帰りて母と共に家を再興せよ。吾は濡れ衣の渇くまでは死すとも帰り難き身なり。よく聞き分けられよ、父として子を思わぬ者があろうや。されど汝が吾の跡を慕うは孝にして真の孝にあらず、と理を立てて責められては、跡については行かれませんナンダ・・・・・・


と、またもや涙ながらに語った。

吉富 「して、そこもとは強いてお供なされしや」

 「イヤ、父はその夜ひそかに船にてその浜を離れ、ついに行き方知れずになりたり。聞けば九州小倉行きの船に便乗されしとのことなれば、余も船を雇いて小倉まで行き着けり。されど父はまだ小倉には来たりまさず、余はそれより九十余日小倉に滞留せり。

 その後ようやくにして父が着きたれば言葉を尽くして随行を願えども、父は一言も返事さえ為し給わず。程なく肥後の唐津へ向けて急がるるにより、余も後より追い慕いたり・・・・・・」

大門 「小倉よりこの地まで何というところを通られしぞ」

 「小倉よりこの地まで数カ所通行したれど、覚えんと思わざれば一々は覚えず、心にとめぬところは忘れたり。今もなお覚ゆるは小夜(コヤ)という土地の川辺を通行せしことにて、そこは家居も多く、近くの田圃のここかしこに三軒五軒の民家ありたり。また、ひとしお目に止まりしは博多の津(ミナト)なり。旅船多く集まり、軒数も多く、勝れてよき所なりし」



   ・災厄の原因と厄払い

山本 「お話中なれど、実は先刻藤家に火難の気運到れる由を聞きて、当家の主人より吾らにお頼みあれば、吾れらにて家運隆盛の祈祷を修せしが、かかる修法によりて火難の凶運消失するものでござろうか。災難はいかにせば免るべきものか、ご存じあらばお知らせくだされ」

 「貴殿方の御祈禱にてその凶運は必ず免るべきにござるべし」

山本 「余などによる祈禱にて災厄を免るるとの証拠やいかに」

 「証拠という義にはあらざれど、先月それがしに神法加持など致されしにより、数百年宿りし吾が墓地、にわかに穢わしくなりて甚だ住み難くなりたるを思えば、その神法には邪気を転じて正に帰する威力あるは間違いなかるべし。一家の凶運もこれにて消失すべしと申すなり。その上、今は主人をはじめ家内の者どもみな心を改め、俗事にかまけて大本の道理を忘れぬ心底に帰りおれば、丹精こめし祈祷によりて開運間違いなかるべし」

山本 「この度の火難はつまりは人間の不手際によるものか、それとも天罰か、邪神の所為か、はたまた竈(ソウ)神の怒りか、お教えあれば祈念に際しても心得るべし」

 「世の災禍は人間の不手際によるものも多けれど、中にはそれが神明の怒り、邪神の荒びを伴いて起こる場合もあり。また如何なる原因とも知られずして自然に発生するものもなきにしもあらず。あるいは竈神を粗末にして怒りを買うこともあれば、粗末にしたとて何の祟りもなき時もありぬべし」

山本 「さらばこの度の事は竈の神のお怒りでござろうか」

 「竈神の荒びと言えば言われざるにもあらず。邪神は好みて人を害し、神明つとめて邪神を除き給う。すなわち竈神の司り給う竈に不浄を集め無法を働くことは、これ邪神の望むところにして神明の嫌うところなれば、凶事はその辺より起こるなり。

 ご両所 (宮崎・山本) より当家の者に篤とこの道理を教え給われよ。誰しも家業の忙しき時は天地の道理、大本の摂理に悖(モト)りて物事を粗略にし、穢れを招き易きものなれば、よくよく注意の肝要なること、導きありて然るべきことなり」

 このあと地理と所持品についての穿さくがあってから、
 「すでに吾れを神霊として祀りくださることになりたる上は、これまで余に対して無法を働きたることども、などて怨みとせむ。今さらあげつらうも甲斐あらず。太刀は貴家にて伝えくださらば幽界にありていかばかりか悦ばむ。また当家の者が余を神として怠りなく祀りくれなば、余もつとめて家運を守護すべし」

吉富 「貴殿すでに神霊となられし上は、祈願すれば何事も成就なさしめ給うこと必定でござろう」

 「人民の祈願は余のごとき凡霊の力にて成就するところにあらず。朝廷(オカミ)より春秋恒例の祭祀をなし給う神社の神々の与え給うことなり。余はこれまで当家に障りをなしたる罪深き霊なるに、神と祀られしにより、その報いとして当家を守護するまでにて、広く世の人々の祈願を受くることなど思いも寄らず。

 四季の順環、五穀の豊穣、万民の安寧などの大事は量り難き道理あるものにて、世に吉事凶事(ヨコトマガゴト)のある摂理は、今御身達に述べたりとて耳に入らざるべし。されば今後もし余に向かいて祈願する者あらば、ご両人より是非ともお止めくだされ」



   ・「いまだ墨痕の乾かざる四、五百年前の古筆を拝覧するとは・・・」
大門 「そこもとの在世中の年号のことは極秘になされたき意向をくみて尋ねるることを控えるが、当時の都は大和なるや山城なるや、はたまた近江なるや


 「すでに山城に定まりし後なり。延歴 (七八二~八〇六) よりははるかに隔ちたり」

吉富 「ご当代になりて後か」
 「ご当代?」

吉富 「家康公ご治世の後か」
 「家康公? さようなことはいまだ聞き申さず」

吉富 「頼朝公前後か」
 「そのことはこれ以上お尋ねくださるな。年号と父君のことは決して語らずと、先夕申せしにあらずや」

大門 「ときに、先月出現の際の御筆を拝するに、なかなか凡筆にあらず。余が所持する例の書きもの(誓約書)一通と、石碑に刻むべき文字(七月四日)、それに加賀の地名と貴殿の御姓名等であるが、これらは他人には秘すべきものなれば、ここで他人に見せられる文字を数文字お書きくださらぬか」

そう言い終わらぬうちに伝四郎が墨を摺って揮毫の用意をした。大門が筆を取り上げて
 「是非とも願いたい、是非とも」
と迫る。その時、霊の鎮まるべき白木の箱ができたので見てほしい、と連絡が届いたので、山本氏が座を立って大工の家へ向かった。

 大門のたつての要求に武士は、
 「亡霊が何の必要ありて顕界に筆蹟を残すべきぞ。目出たくも面白くもなきことなれば、止めに致さるべし。先月は書かざればご疑念の晴れざれば、止むなく書きたり、かの書きものはこのことを明らかにせんがために書きもしたれ、今さら望まれて書くは実に愚かしきことなり」

吉富 「そこもとの御剣が遠く隔ちたる宮崎家に伝わり、かつその御剣にて加持を受け、さらにその人より神号(高峰大神)を授けられるるとは、よくよく深き縁あることにて、その人に一字なりともお伝えになれば、一層御剣を大切に致されるはず。〝剣を大切にせよ〟とでも書き記し給え」

大門 「〝剣〟の一字なりとも書き給え。そのほか何なりとご髄意に筆を染められよ」
 「いやはや、理責めの強(キツ)いことよ。さらば・・・・・・」

と言って筆をとり、その筆先を熟視して、脱け出た一本の毛を引き抜いて脇へ置き、手を拭ってから 〈楽〉 の字を書いた。

 折から山本氏が帰ってきて、その書を見て感嘆し
 「さても見事な出来でござる」
 
と言い、居合わせた人たちも 「まことに珍しきことでござる」 と言い合ったという。



   ・御霊遷(ミタマウツ)しの神事
 ひとしきりして山本氏が言う。
 「さて、箱もすでに出来上がり、海水にて洗い清めおきたり。追々遷り給い」

 「まことにご苦労に存ずる。用意万端整いなば、即刻遷り申すべし


吉富 「いよいよ離れられる段になりては、いささか名残惜しき心地せり。今少しお尋ねしき儀がござるが・・・・・・」

大門 「箱もできたればこれより神事を取り行うことと致すが、その前に先夕聞き落とせることをお尋ねしたい。
 帰幽すれば霊は上下ともいっしょに集まりて、そのまま万代までも同じ状態のままなるや、それとも時とともに変化するものなるや。そもそも霊には一人形体がそなわれるものか」

 「先月も申せしごとく、幽界のことはあからさまに顕世に漏らし難き事情あり。聞かせて益なく、語りても耳には入るものにあらず。耳に届かざることは聞きて却って疑心を誘い、害となるべし」

大門 「余は幽冥のことどもを疑う輩のために聞くにあらず。余自身、実相を聞き天地の真理を知る一助と思えばこそ聞くものなり。たとえ聞きて耳に届かざることありても、それはそれで止むを得ぬこと。右の件につきて一応お聞かせられよ」

 「さらば一言語りおくべし。尋常に帰幽せし霊は同気の者にかぎりて一所に集まりおれど、そはただ居所が同じというまでにて、多くの霊が一つになるにはあらず。志の同じものは幾人にても集合して一つになることあれど、そは一時のことにて、万代までも一つになるにはあらず。

霊の形は顕世と同じく折りにふれて少しは変わることもあり。また中には主宰の神のお計らいにて再び顕世に生まれてくる者もあり。それらのことは長く霊界におれば次第に明らかになるものなれど、奥深きことは拙者がごとき凡霊の遠く及ばざること甚だ多し。

 顕世にありし時、忠孝その他善事を務め、誠実に心を尽しながら報われずして帰幽せる者は、霊界にて報われて魂は太くかつ徳高くなり、現世にてその報いを受けたる者は、帰幽後は人並みの扱いを受くるに過ぎず。

 さらに又、帰幽後に新たに功を立てて高くなる霊もあれば、現世にては
善人なりしが、帰幽後に怒り(憎悪)を抱きて卑しき霊となる者もあり」

ここまで語った時に作次郎が平木の箱を持って入り、一方杜氏頭が注連縄(シメナワ)を海水で清めて持ち帰ったりして周囲が慌ただしくなって、話がいったん途切れる。箱を机上に置き、それに注連縄を張り終わると、武士は訓戒の言葉をこう締めくくった。

 「先月も申したるごとく、在世中に見たることは死後もよく覚えおれど、死して後の現世のことは、よくよく意念を集中させざれば明らかには知り難きものなり。

 霊の世界も現世と同じごとくに認知せらるるものなり。これを思えば、貴殿のごとく霊のことに心を止められれば、死後の事情も知らるることもあるべし。

 死して後は現世のことを知りえても一向に益なし。これを思えば、現世にあるものがみだりに死後のことを知りても為にはならざるべし。されば諸宗が説ける俗説に惑わさるるべからず」


 そう言い終わったところに三方(サンポウ)に神酒(ミキ)と肴(サカナ)が供えられて、いよいよ御霊遷(ミタマウツ)し儀式の用意が整った。山本氏からその旨を告げられると、武士は威儀を正し、三尺ばかり退がって一礼した。左右には宮崎、山本両宮司が祭服を着用して座し、三、四十人に上る人たちも四方に席をとった。

 数百年の宿願の成就を目前にして武士はさすがに感無量で、霊箱を深々と伏し拝み、涙を流しながらその内部をしげしげと見つめ、やがて袖で涙を拭ってから、こう述べた。

 「さてさて時を得て願望成就し、悦ばしきこと、これに過ぐるものはござらぬ」

大門 「心の残すことあらば何なりと申し置かれよ。ともかくも計らい申さむ」
 「それがし、心の残ること更になし」

作次郎 「こののち当家に凶事の兆しあらば、申し置きくだされ」

 「当家に代々不吉なること生じたれど、そは吾が怒りに触れてのことなり。今はかく悦ばしくだされば、以後さる類のことは無かるべし。もとより少々の不幸災厄を免れざるは世の常なれば、深く思い煩うには及ぶまじ。もし凶事の兆しある時は、それがし守護して鎮めん」

伝四郎 「毎年七月四日には宮崎・山本ご両人のご苦労を願い、一家近隣の者ども集まりて祭りを催すであろう」

 「有り難き幸せ、何とぞ御法どおりに致して下され。また、申すまでもなけれど、吾が霊の鎮まる場所設定の件は、何とぞ世間に包み、とくに公のご厄介にならぬようお取り計らいくだされ」

そう述べてから手を合わせ、箱に向かって拝伏した時、これが人情というものであろうか。現象が突発した当初は気味悪がっていた一座の者たちも、今やすっかり泉熊太郎なる武士に心情が移っていたのであろう。名残惜しさの余りすすり泣く声が部屋中から聞こえたという。

 そこで灯火を消し、御霊返しの儀式を行い、最後に、宮崎・山本両神職が柏手を打つと、市次郎の身体が左の方へゆっくりと転がる音がした。霊が離れたのである。

 そこで点灯し、うずくまっている市次郎を家の者が介抱する一方、大門が箱の鉤を締めてから門外へ運び出し、仮の一所に安置した。」



   ・「月いっぱいなるぞ」

 明くる十三日に大門が見舞いに訪れてみると、市次郎は再び立派な大病人となっていた。気分はどうかとの問いに市次郎は、
 「先月の末、私の病気は平癒に向かっておりましたのに、家族の者の話によりますと一昨日より例の武士が再び憑りついたそうで、手も足も痛実が激しくて・・・・・・」

と顔をしかめながら語り、さらに言葉を継いで、

 「いったい人も多いのに、なぜこの私を苦しめるのでしょう。聞けばあなたがたは彼を神と祀ると申されたそうですが、私はさような気持には毛頭なれませぬ。むしろ、この病気が治り次第、腹いせにそいつの墓を掘り起こして、うっぷんを晴らしてやりたいくらいです」

と歯がみをしながら悔しがるのだった。
 そこで同席していた山本氏が宥めるつもりで火難の話を持ち出し、その身代わりとなった思えばよいではないかと言うと

 「火難は来る時には来るわい!」
と言って怒りをぶちまけ、ありたけの罵りの言葉を吐くのだった。

 宮崎氏は七ツごろ (夕方三時~五時) には帰宅し、前日の問答のメモをとり出して、徹夜で草稿を整理している。

 明くる十四日になって使者が来て、市次郎の容体が甚だよろしくないので加持をお願いしたいとのことだった、生松神社と市次郎の家とは入り江をはさんで向かい合う位置にあり、さっそく伝馬船で急行して修法を行ってみたが、別に怪しい様子もなく、病勢が募る一方だった。

 宮崎氏は翌日十五日から十八日にかけて神事で東方西走し、帰宅したのは夜だった。その翌日の十九日の朝、伝四郎が一巻(ヒトマ)きの書を懐に入れて訪れ、ここ四、五日の間の市次郎の様子が認められていると言って手渡した。見るとそれは吉富養貞からのもので、その最後のところに実にドラマチックな現象が述べられていた。それを大門は

 《九月十七日市次郎カ病気ヲ神霊顕シテ平癒ナサシメラル事。》
と題して紹介している。以下がそれである。

 《ここ両日は病人の痛み、ことに強し。よりて桜井の医師美和氏をも招きて五、六人の医師と種々心尽せど、その験(シルシ)なし。

 十七日の祝には看病人も皆疲れ果て、前後不覚に眠り、病人の市次郎一人つくねんとして心細きこと限りなく、いずれこの度の病はとても治るまじきと観念し、腸(ハラワタ)を絞りてありたるに、ふとそのまま眠気づきウトウトなりし時、何処(イズク)よりともなく、いと涼やかなる声にて、
 〝市次郎、起きよ、起きよ〟
 
という声聞こゆ。

 誰なるかなと思いて臥したるまま後ろを見れば、年令二十歳あまりにして色白く、髪は総髪にして眼光鋭く、身には黒羽二重(クロハブタエ)の袷(アワセ)のようなもの一枚着したる。人品卑しからぬ一人の武士、佇(タタズ)みいたり。

 市次郎、別に怪しとも思わず、
 「そこもとは何人や」

 と問うに、首を打ち振りて返事はなし。よりて市次郎は床の上に起き上がり、右の武士に向かいて座れば、
 「月いっぱいなるぞ」

 との言葉なり。

 やがて件の武士、市次郎の背後にまわり、乱れたる市次郎の髪を掻き上げ、頭から肩先、そして腰まで段々に揉み上げつつ撫でてくれる心地良さ。総身おのずと汗ばみて、ついうつらうつらとする程に、またも
 「起きよ」

と言う。目を開きて見れば、その人、行灯の火にて煙草を吸いおりしが、つと立ちて、この度は前の方へ廻りて、胸より腹、そして両腋下まで撫で和らげることやや久しく、市次郎いよいよ心地よきまま、ふとその人の背部を見るに、そこには①形の紋所つきたり。その人

 「永らくの間汝を悩ましたるは甚だ気の毒なり。されど、これにて身体は本復すべし」

と述べると同時に、たちまち煙のごとく消え失せたり。

 ここに市次郎、今見し姿が人間にてはなかりしことを始めて悟り、余りに恐ろしくありしかば、妻を喚び起こして、薬を暖めさせて飲みたるところ、世はほのぼのと明け渡りぬ。

 翌十八日の夜、市次郎は父伝四郎、医師吉富を呼びて、夜中に起こリしことをつぶさに語る。

 その朝より心地甚だ穏やかなり。同人は頭痛が持病にて、八月以来これのみは止まざりしに、今朝は洗い上げたるように気分よろしいという。養貞脈を見るに、病ほとんど平癒しおれり。
                                                               吉富養貞
  宮崎大門雅君玉机。》

 その後市次郎は日を追って元気になり、九月二十九日には完全に平常に復した。そして十月一日には産土神社にお参りし、四日には僕一人を連れて宮崎氏のもとにお礼に参上している。その折、宮崎氏が例の 〈楽〉 の字を見せると

 「すっかり元気になりましたゆえ一昨日は父の留守中に私が触れ状を写そうとしたのですが、まだ手が震えて思うように書けませんでした。これは病中の私の手を借りられたとはいえ、さてもさても見事なものでござる


と言って感心し、しばらく宮崎氏と酒を交わしながら話が弾んだということである。

 開けて天保十一年六月に石工に命じて石碑を建立し、表面に宮崎氏の書になる 〈高峰大神〉 を、その上に市次郎が見たという紋所①を、向かって右側には武士直筆の 〈七月四日〉 を、台石には吉富氏の筆になる年号と銘を刻み込み、同年七月四日に落成式をあげたという。



    付記(一) ───年号が〝平成〟に変わる前年の五月に私が現地を訪れた時、今は雑貨店を営んでいるという当家への道を尋ねた人から 「この道をまっすぐ行ったところです」 と言われて歩いて行くうちに、突如として左側に写真でご覧の通りの祠が目に入った。

 瞬間、私は 「これだ」 と思って石段を上がり、表面の 〈高峰大神〉 と右側の 〈七月四日〉 の文字を確認してから、手を合わせてこの度の奇しきご縁を報告し、この事実を公表することのお許しを請うた。

 それから写真に撮らせていただくことの失礼を詫びてから、少し下がって良い位置を探していると、下を通り掛かった婦人が駆け上がってきて 「折角ならきれいにしてあげましょうね」 と言って、垂れ布をきれいに揃えてくれた。その様子がいかにも人間の襟元を整えるのにも似ていて、実にほほえましく感じた。
 
 その方はいつもササキを枯れないように取り替えてあげているとのことで、今でも七月四日には近所の人たちも加わって、ささやかなお祭りをしているとのことだった。百五十年の間欠かすことなく斎(イワ)われて、泉熊太郎の霊もさぞかしお喜びであろうと拝察した次第である。



 付記(二) ───平成四年十月に英国のサイキック・ニューズ紙の新編集長ティム・ヘイ氏から、この 『幽顕問答』のあらましを記事にしてくれないかとの依頼を受け、さっそくタイプで打って送ったところ、 「これは面白い。ただの記事では勿体ないから、一冊の本にしてはどうか」 といった主旨の手紙が届いた。

 私にとって英文での著書は初めてなので自信はなかったが、ともかく A Samurai Speaks (サムライは語る)のタイトルで書き送ったところ、 「すばらしい出来なので、知人が出版部長をしているリージェンシー・プレスに送った」 との手紙が届いた。その理由としてサイキック・ニューズを出すのが精一杯で、単行本を出す余裕はないから、ということだった。

 それが今年(平成五年)の二月のことで、三月にはその部長ジョン・ソープ氏から 「ぜひウチから出させてほしい」と要請があり、四月に出版契約を交わし、この十一月についに出版された。ロンドンとニューヨークで売り出されているとのことである。こうした事実から考えて、このサムライの物語は人種を超えて、何か訴えるものを持っているようである。



          
(三)   普遍的宗教としての神道に求められているもの
   ・脚下照顧

 本書の中心的テーマとして取り上げた暗黒時代の影響は、ローマが〝すべての道はローマに通じる〟と言われたほど強大な軍事大国だったからこそ、世界史を彩るほどのスケールの大きいものとなったのであるが、第二次大戦のように、こちらかは仕掛けない限りはストレートに外的影響力を受けることのなかった日本の宗教界の歴史も、単一民族と言われていながらやはり複雑な要素をはらんだ消長の道をたどっている。

 古代においては〝かんながら〟と呼ばれる原神道の系譜があった。が、これも所詮は権力者ないしは為政者が引き継いできたものが残ったのであって、各地に点在していた豪族や渡来人の集落には、それ独自の信仰形態があったはずであるから、渡来民族を吸収同化して単一民族になるまでの過程は大変だったはずである。

 卑弥呼が女王となったころは、ローマ帝国がキリスト教を国教とした時代にほぼ相当する。 「魏志倭人伝」 によれば、当時の日本も戦乱に次ぐ戦乱の時代で、卑弥呼は中国から援軍を求めたりしながら必死に凌いだが、そのうち肝心の霊能力が衰え、予言の的中率も落ちると、殺されたという。(かつては〝死んだ〟と解読されていたのが、最近では〝殺された〟と言う説が有力になってきたという。

 その後、〝かんながら〟が仏教徒との絡み合いの中でどう受け継がれてきたかについては、戦後の自由化の波に乗って〝タブー〟が取り除かれたことも手伝って、多くの新真実が明らかにされつつあり、誌上討論も活発に行われるようになってきた。どうやらこの小さな島国の宗教界も、キリスト教ほどのスケールはないが、内乱に次ぐ内乱に明け暮れていたようである。

 ただの武力衝突もあったし、権力の奪い合いによる陰湿なものもあった。宗閥間の意地の張り合いという、匹夫にも劣る下らぬものに由来するものもあったようである。少なくともわたしが日本史を概観したかぎりでは、本書で浮き彫りにしたキリスト教の所業を、神道系・仏教系の別を問わず、どの宗教も嗤(ワラ)って見過ごすわけにはいくまいと思うのである。


   ・〝いくら自国の遺産を誇ってみても・・・・・・〟

 三十年以上も英語の教育と翻訳に携わってきた私が、日本人と英語国民との違いが端的に出ていると思う表現に〝われわれ日本人は・・・・・・〟というのがある。気をつけてみると無意識のうちにそう言っている。英語国民が〝われわれイギリス人は〟とか〝われわれアメリカ人は〟という言い方をすることは、まずない。〝私は・・・・・・〟である。

 その〝われわれ日本人〟わびとさびの文化、やまことばの神秘性(言霊=コトダマ)
、そしてかんながらの思想の単純にして深遠な自然性を誇り、外国人に対して〝あなた方には理解できないでしょう〟といった態度をとるのをよく見かける。が、それらは太古の日本人の誰かを通して霊界から届けられたインスピレーションによる産物であって、それをそのまま今日のわれわれ日本人が自慢すべきものではないと私は考える。

 私が高校生に使用している英文教材の中に、ある英国人が
 「いくら自国の遺産を誇ってみても、現代の者がそれを引き継ぐための何らかの努力をしなければ、それは何の意味もない」

と述べている文章がある。神道は、その淵源をさかのぼれば素晴らしいものであったかもしれないが、少なくとも今日見られる組織体制の中には本来の霊性が見られず、ほとんど形骸化しているように見受けられるのである。

 現代の神職の中に霊の実在を現実性をもって認識し、そして説いている人は、皆無とは言わないまでも、きわめて稀ではなかろうか。私が存じ上げている神職の中にそう言う稀な方が何人かおられるが、その方たちが口を揃えて、同じ神職仲間の堕落ぶりを嘆いておられるのである。

〝葬式仏教〟と並んで〝お祓い神道〟などと陰口をたたかれるゆえんはその辺りにあるのではなかろうか。




   ・もっとインターナショナルなものに

 昭和八年に初版が出た J・W・T・メーソン著 『神ながらの道』 (今岡信一良訳・平成元年復刻・たま出版) は、米国人ジャーナリストで自ら神道家(シントウイスト)をもって任じるメーソン氏の快著である。外国人と言う第三者の立場から客観的に見られる、メリットもあるであろうが、その観点の特異性と理解の深さは、驚嘆に値するものがある。

その序文の最後でメーソン氏は、日本民族の精神的構造の欠陥を喝破して、こう述べている。

 《神道を理解することなくして日本を理解することは不可能だと日本人は言う。西洋人としてはその通りである。しかしそれ以上に、日本人自身にとってもその通りである。日本人は直観的に神道を理解するけれども、さらに自覚的に理解するにいたるまでは、日本人は西洋人から理解されることを期待できない。

まさに発現しようとしている新世界情勢においては、各国民は自己を他国民に理解してもらう方法を知らなければならない。それができない国民は取り残されてしまう。

 日本人は遺憾ながら自己を説明する能力が欠けている。東洋における偉大な国家の将来の福祉のために、その国民は自己の文化を〝より〟客観的に理解することを学ばねばならない。神道は日本の世界文化に対する大きな貢献の源泉になり得るかもしれないのに、日本はまだその貢献の方法を知らない。

 神道は世界に対してメッセージを持っている。そしてこのメッセージを普及する使命は日本が負うべきものである。そのためには、神道を日本国民自身の間に、もっと現実的なものにしなければならない。

私は日本の人たちがその肩の上にかつがれているこの責任にめざめることを切望する。神道は人民のものである。いかにしてその感化力を増進すべきかは人民の解決すべき問題である。》

 メーソン氏の期待を込めた厳しい指摘に対応するには、まず何より神職にある人たちが、霊の実在ということについて、もっと現実的な理解───神秘的ものとしてではなく、リアルな事実としての認識を持つことが必要であろう。

 それにはコナン・ドイルも述べているように、信頼のおける西洋の霊界通信に親しむ必要があろう。敢えて西洋のと断ったのは、日本で入手されている神示、霊示、お告げの類は、霊言としては純正なものかもしれないが、私には余りに神懸り的で、天上的で、現実の世界から懸け離れているきらいがあるように思えるのである。

 それが神道の神道たるゆえんであるとおっしゃりたい方もいるであろう。が、これからの時代は、もう、そんな言い訳では済まされなくなって来つつあることは、他の分野の国際化の波を見ても明白である。

メーソン氏も 「もっと現実的なものに」 と述べているが、私が言いたいのは、それとは別に、現実界に直結した霊界の事情を知って、それを具体的に説くという努力も必要だということである。いずれはみんなその世界へ行くである。しかも、すぐに神になるのではないのだ。

 ここに紹介したのは死後の世界のイラストレーションである。コナン・ドイルが一九三〇年に他界したあと、地上時代の霊的知識の確認のために調査し、また先輩霊から教わったものを基にしてまとめて、地上の人間に理解しやすい形で送り届けてくれたものである。

 この図の通りにバームクーヘンのように層を成しているわけではない。死後、意識の開発と向上とともに、こうした幾つものレベルの意識の世界を旅しながら、地上では想像もつかない千変万化の生活形態を体験しつつ、永遠の時を経て超越界へ突入するということらしい。が、そんな超越界だの神界だののことは、泉熊太郎のせりふを借りれば 「人間が世話を焼くには及ばぬこと」 であろう。

 それよりも、ごく平均的な人間が赴くサマーランド、そして少し気の利いた人間が赴くという霊界あたりまでのことは知っておく必要があるであろう。そもそも泉熊太郎が死後数百年もの間、切腹して果てた土地をうろつきまわったのも、日本の武士道という限られた一時代の地上的観念に囚われたからで、マイヤースの言う〝観念の牢獄〟から抜け出せなかったのである。

 メーソン氏は第十章 「神道の世界的普遍性」 の中でこう指摘している。


 《神道は、現実生活から隔離したものではない。なぜなら、それは創造的活動と自己発展と普遍的神霊観とによって、生存に対する直観的反応力を日本に与えてきたからである。しかし、人生の闘争場面にあって、慰安と助力とを求める人心に、神道が応じなかったのは本当である。

神道はいまだかつて日本人の心の自覚的表面に達せず、また自覚意識の疑問に解決を与えるように解釈されてこなかったから、あたかも森の中に孤立して存在するように見える。》  


 神社が森の中にあるのはよいが、その神社で手を合わせて拝むだけが神と人間との関係(ツナガリ)であってはならないと私は言いたいのである。




   ・スピリチュアリズムの原理に照らして総点検を

 前節でわたしはかんながらの思想を誇るのはよいが、自分がそれを立派に理解しているかの錯覚を持つことの間違いを、わび・さび・ことだまを引き合いに出して指摘した。

つまり、家伝の宝物を床の間に飾って客に披露するような調子で外国人に自慢しても、現代の日本人自らがその真髄を理解する努力を怠っては何の意味もない、ということが言いたかったのであるが、それに関連してもう一つ付け加えたいのは、わび・さび・ことだまといったものが外国人、特に西洋人には理解できないかに思うこと自体が大きな間違いだということを、私自身、三十年以上にわたる英語の仕事と英語国民との接触を通じて直観しているということである。

 日本語ではわび・さび・ことだまという言葉で客観的に表現されているだけのことであって、感性の鋭い人なら世界のどの民族の人でも、客観的に理解しているのだということを、何度か痛感させられている。ただ言語で言い表すことができずにいるだけのことなのである。

 それと同じで、本書の冒頭から指摘しているように、本質的には霊的存在である人類は、一人の例外もなく霊的感性を秘めているのであるから、森羅万象の背後に控えている霊性を直観する可能性を持っているのである。古代のレッド・オンディアンの生活には〝宗教〟とか〝信仰〟という用語すら不要なほど自然にそれがにじみ出ていたようである。それをシートンの著書から明確に読み取ることができる。

 が、私見を述べさせていただけば、日本のかんながらの伝統は、そうした人類の先天的な宗教性の自然な発露として、地上の他のいかなる宗教にも類を見ない、理想的な形態だと考える。これはもはや形式が必要か否かの問題を超越したものであって、霊性の進化が生み出す自然な産物とみるべきであろう。

 しかし、基本的にはそう言えても、現実問題としてかんながらも長い年月のうちに無用の夾雑物がこびりついてしまたように見受けられる。本来は無縁であるはずのものに利用されてきた嫌いもある。そして他方では、さきにも指摘したように、肝心の霊的感性がマヒして、その本質が次第に形骸化する過程をたどってきた。

 が、三十年余りもスピリチュアリズムを研究し、その観点から世界の宗教を客観的に観察してきて、日本のかんながらの思想ほど霊的に自然で、しかも奥深いものを秘めているものは他には見いだせないというのが、私の正直な結論である。

〝客観的に〟と断ったのは、特定の信仰の熱心な信者になってしまえば、それが世界で唯一絶対のものに思えてくるものだからである。それではいけない。昨年(平成三年)十月に放送された NHK の〝プライム10〟の 「引き裂かれる恋人たち」 で、同じキリスト教の中での宗派の違いゆえの悲劇を扱っていたが、客観的に見てこれほど愚かしい悲劇はない。が、そうした愚かしい悲劇を生み出すというところに、もともと霊性をもちあわせないキリスト教の非自然性があると私は見ている。

 西洋人には、日本の家庭に神棚と仏壇があることや、正月に、頑ななクリスチャンは別として、仏教のあらゆる宗派の信者も含めた全国民が神社に参拝するのが不思議に思えるらしい。が、そこにこそ神道の自然さと寛容性があるのである。最近ではたぶんクリスチャンであるはずの外国人が神社に詣でている姿がテレビに映っているのを見かけるが、少しも違和感はない。

 かんながらが果たして日本民族のオリジナルなものなのか、それとも太古において渡来人によって持ち込まれたものが根づいたものなのか、その辺のことは日本民族の起源と同じく、まだ判然としない要素が多い。が、それはどちらであっても構わない。

現実に日本に太古から存在し、そして見事な形で受け継がれて来ているのだ。その事実そのものは厳然としている。それは一つには、日本が小さな島国であったことが大きく幸いしているのであろう。

 しかし、先ほどから繰り返しにべているように、それを床の間に飾って人に自慢している時代ではなくなりつつあるのだ。世界へ向けてその真髄を輸出して、宗教の本質並びに宗教的儀式の正しい有り方の模範として参考に供することが、これからの神道に求められていることの一つであると私は考える。

真髄を理解した上での儀式は、絶対に必要であろう。霊界でも儀式はある。あるどころか、地上の人間には創造の及ばないほど厳粛で大規模な儀式が行われると聞いている。さもありなんと思う。

 が、そのためには何よりもまず、日本の神道関係者みずからに、霊的原理と死後の世界の実相について理解が求められるであろう。その霊的知識をもとにして、たとえば 「古事記」 などを読み直せば、かつてのようにそれを地上での英雄伝説などという幼稚な捉え方ではなく、神界における創造活動の実話としてとらえることができるのであろう。

 ぐずぐずしていると外国の霊能者に先を越されてしまうかも知れない。英国の霊視能力者ジェフリー・ホドソンなどは、二十世紀初頭からすでに、竜神とか太陽神 (天照大神) の存在とその働きについての、きわめて高級な霊視記録を残している。

 またマイヤースが送ってきた有名な自動書記通信 『個人的存在の彼方』 では
 「かつて神話で火の中に生息したと伝えられているサマランダーと似ていないでもない」
とか
 「彼らはさまざまな形体を取る。時には大蛇の姿になり、時には、龍の姿になることもある」
などという表現がみられる。抄訳を出された浅野和三郎氏も 「評釈」 の中で 「西洋の心霊かもとうとうここまで突っ込んだことを述べるかと思うと、実に感慨無量ではないか!」 と述べている。

 ではその浅野氏の訳によるジェフリー・ホドソンの 『天使来』 The Coming of the Angels から一節を紹介して、本書の終わりとしたい。

 《天使たちは太陽と全組織の大中心、一切の生命の大本源と考える。ただし、天使たちが太陽について抱く神秘的な意義は、一般の人には十分に分かっていない。太陽は実に最高級の天使たちの大本営であり、それより以下のすべての天使、すべての自然霊にとって、実に憧憬・渇仰の中心なのである。一切の活力、一切の指導方針はみなそこから付与される。

 むろん最高級の天使においては、全組織の中に遍在する霊気と合流・融合してしまっているから、外部的に具象化した神の姿を特別に崇拝することはしない。彼らは万有に宿れる神と合一し、彼らにとって神は随所に存在するのである。要するに神とは力・光・生命及び意識の没人格的大中心なのである。

 しかし、それは最高の理想の境地であって、その域に到達することは、わずかに少数の天使たちにのみ可能である。ふつうの天使たちはみな、太陽を崇拝の中心とするのである。

これがため彼らは、時として地上界を遠く離れた天空に留まり、各自の神格に応じて、秩序整然たる幾重もの円を描いて、感謝と祈願の誠を捧げる。円の層は一段、また一段と次第に高く重なり、末は渺茫(ビョウボウ)として無形の世界へと消える。

 天使たちの身体はいずれも光り輝いているので、かくして造られた集団は、婉然(エンゼン)、生きた光の盃である。

すべての心は愛と絶賛とに満ち、すべての眼は生命の本源たる日の大神に差し向けられ、それが渾然融合して、ここに清き尊き力の凝体ができ上がる。その中から奔流のような凄まじさをもって迸(ホトバシ)りでる光の流れは、上へ上へと上昇して太陽神の御胸に達する。

 俄然として虚空にいみじき音楽が起きる。礼拝者たちの胸の高鳴りが加わるにつれて音楽もまた強さをまし、ここに歓天喜地の、光と音との、世にも妙なる世界ができあがる。それにつられて天使たちも、日頃住みなれた領域よりはるかに高き境涯に進み上りて、太陽神の荘厳無比の御姿を目のあたりに排するのである。

 かくて全てが髄喜渇仰の最高潮に達した瞬間に、大神の御答えが初めて下される。それは黄金の光の洪水となって、全ての天使の魂にひしひしと沁み込む。前後左右、天上天下、あたりはただ澎湃(ホウハイ)たる光の海。

そしてその真っ只中に、いちだんと清く、強く、そして美しき、日の大神の御姿が浮かぶ。むろん、その御姿は見る者の霊格のよってそれぞれ異なる。いかなる者も自己の器量だけしか拝むことができないのである
》 (漢字・かな一部修正)


        
  
 もうすぐ人類史の二日目が始まる──あとがきに代えて

 一日に昼と夜があるごとく、また潮に満ち引きがあるごとく、霊性にも強く発現する時期と勢いが衰える時期とがある。これはサイクルという大自然の根本的な営みの一つのパターンであって、意図的に操作されているのではない。

そのサイクルの中のどの時期に生をうけるかによって、各自が受ける霊的影響の度合いが違ってくるということである。それは、たとえば日光の強弱にも似ていよう。朝方と真昼と夕方とでは日光の強さが違う。夜にはゼロになる。

では真昼がいちばん良いかというと、そうばかりとも言えない。夜という休息の時期があってこそ、昼間の活動のエネルギーが蓄えられる。日光が大切といっても、度が過ぎては害となることは周知のとおりである。反対に日光が不足しても健康に害を来す。

 霊的影響力もそれと全く同じである。本来は霊的存在でありながら、物的身体を機関として生活しているのが現在のわれわれである。現段階では地上人類の大半が自分の霊性に気づかず、物的身体こそ自分であると思い込んで生きているが、どう思い込もうと霊的存在であることは、スピリチュアリズムによってもはや決定的事実となった。

 が、そう認識して霊的自覚が強まってきたときに注意しなければならないのは、霊的なことに関心が偏って物的側面をおろそかにしてしまうことである。言わば日光浴の度が過ぎるようなもので、生活全体、ないしは一生涯を尺度としてみた時に、決して健全とは言えない。物的側面への配慮をおろそかにしては、物的生活の場である地上へ降誕してきた意味がなくなるのである。

 本書で私は、過去三千年の人類史をまる一日として捉え、イエスの処刑をもって昼の時代が終わり、やがて中世の暗黒時代へと入っていった過程をたどってみた。が、これをもって、夜の時代には必ずや不幸や悲劇や残忍性が出るかに受け取ってはならない。安らかな休息の時期である場合もあるはずである。

同じく、昼の時代だからといって、すべての人々が霊性の恩恵を受けるとも限らない。昼寝をむさぼっている人間もいる。

 これまでの二千年の歴史が霊性を封殺する行為の連続だったのは、一つには人類がまだ未熟で元気な青二才だからであり、もう一つには、邪霊集団の暗躍を許してしまったからでもある。知性と霊性のアンバランスから生じるスキをねらって、死後の下層界にたむろする地縛霊の集団が好き放題のことをやったということである。

 といっても、あくまでも人間を媒介として働きかけたのであるから、人間の自覚さえしっかりしていれば防ぐことができたはずのものである。

高等な霊界通信が口を揃えて人類の意識改革を求める理由はそこにある。罪悪を増幅する要素は霊界にあるのであるから、それを未然に防ぐ、あるいは大事に至らせなくするためのチェック機能を、各自がそなえることである。

 今、地球環境の保全が叫ばれているが、環境破壊を生む根本的要素は何かといえば、人間の無知に帰着する。

たとえば無臭・無害で理想のガスと思われたフロンガスが、まさかオゾン層を破壊し、地上の生命の維持そのものまで脅かすものであるとは、考えも及ばないことだった。もとよりこれは誰一人咎められる性質の失策ではない。咎められるべきは、自然環境にどういう影響を及ぼすかを考えずに、目先の目的と営利にとらわれて、あとは野となれ山となれ式にやってしまう、浅ましい根性である。

 医学における動物実験なども、私の目には、かつての虐殺行為を医学の名のもとにやっているのと同じに見える。動物にも霊が宿っているからである。その動物が、一九八八年度の統計によると、実に八〇〇万匹も殺されているという。(日本実験動物学会表)

 そういう根性を生み出す土壌は何かといえば、本書で私が指摘した大自然の霊性を忘れた病的精神構造である。

そう言う根性を生み出すほど心の環境が病的になってしまったともろにある。地球環境の破壊の前に心の環境破壊があったということである。

 その心の病的状態をシルバーバーチは、悪性の癌にたとえて次のように述べている。

質問 「いま地球全体に差し迫っているといわれる天災を未然に防ぐには、われわれはどうしたらよいのでしょうか」

シルバーバーチ 「この地球という天体について悲観的になるのはお止めなさい。人間の力の及ぶところではないからです。すでに申し上げた通り、人間のすることにはおのずから限界というものがあります。地球を丸ごと爆破することは人間にはできません。

 地上世界にトラブルと困難と災難が絶えないのは、相も変わらず食欲と我欲と嫉妬心によって動かされているからです。一口で言えば物質第一主義のせいです。それはまさしくガンです。人類の精神構造の中枢部に深く食い込んでおります。悪性のガンです。悪性の細胞が急速に、そして一時も休む時なく増殖を続けております。

そのガン細胞を人間自らの努力で取り除かないといけません。あなた方(サークルのメンバー)のような霊的原理に気づいた人が意識を改め生き方を改めることによって、人がそれを見習うようになり、それがガンを治療することになります。

 あなた方はこうして神の光を少しでも受ける栄誉に浴した以上は、人類の未来について楽観的でなくてはいけません。取り越し苦労はいけません。常に希望に胸をふくらませることです。それがあなたがたのまわりに自信にあふれた光輝を漂わせ、辺りの人に生き方のヒントを与えることになります。

人に先んじて素晴らしい宝を手にした以上は、人の手本になるような生き方をしなくていけません


質問 「この地球世界へひきも切らず霊が誕生して来ますが、なぜでしょうか。なぜ地上へ来たがるのでしょうか」

シルバーバーチ 「それは、地球が霊の資質を磨く上で格好のトレーニングの場だからです。もしも神の機構の中で地球が存在意義をもたないとしたら、始めから地球は存在していないはずです。小学校が子供大して果たしているのと同じ役割を地球が果たしているのです。死後の生活にとって必須のことを身につけさせてくれるのくれるのです。

 地球は霊の鍛錬の場です。はがねが叩き上げられるのです。原鉱が砕かれて、黄金が姿を見せるのです。地球は神の機構の中にあって、掛け代えのない役割を果たしております」

 その地球上での人類史の一日が終わって、もうすぐ二日目が明けようとしているという。その二日目には自分はもう地球にはいないかも知れない。霊の世界にいるかもしれない。しかし、イエスを最高指導者として地球圏の大霊団が地球浄化の大事業に乗り出した動機は何であったかを考えていただきたい。

緑を基調とした環境を特質とする地球は、右のシルバーバーチの言葉にもある通り、太陽系にあって、他の天体では果たせない存在意義を与えられているのだ。

 地球浄化の大事業が高級霊界からの指示によるとはいえ、直接活動するのはわれわれ人間なのである。最終的には人間の自由意思にかかっているのである。私が披歴したスピリチュアリズムの思想にふれて真実を見出した思いをされた方は、地上よりはるかに活気と生きがいに満ちた次の段階の生活にそなえて、今すぐから意識の改革に取りかかっていただきたい。事の性質上、自然にそうなるはずのものなのである。

 その時から背後霊団の新たな働きかけが始まるであろう。それがささやかながら、地球の浄化に貢献するゆえんでもあると私は信じている。     
                                                                   近藤千雄




   シルバーバーチ記念〝サイキックフォーラム21〟発足のお知らせ
 
 本文でも紹介した古代霊シルバーバーチの教えは世界各地で熱烈なファンを生みつつありますが、我が国でもこのたび、多くの方のご要望にお応えして、その教えを基本としたフォーラム(研修の広場)を結成することになりました。

  主な目的は、
 ①一般会員を対象とした勉強会
 ②本格的なホームサークル結成の支援
 ➂治療家養成のセミナー及びクリニックの開設(なおセミナーはすでに開始しています)
 ④海外および国内の情報を提供する〝サイキック・ニューズ〟紙の刊行
   となっています。
   会員制となっていますので、詳しいことは事務局へお尋ねください。
 
    問い合わせ先
    〒108 東京都港区高輪1‐5‐19‐605
    シルバーバーチ記念サイキックフォーラム21事務局
     TEL 03‐3440‐2192    Fax 03-3440-2294
       
 
 



 
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