栞 紐
 登場する文章(一部を除き)の殆どはシルバーバーチの霊訓から抜粋したものです。

 1   あなたとは何か                     31  神界
 2   なぜ生まれてきたのか       32  病気は自分で治せる         
 3 不幸の原因33  再生
 4 苦難の意味34  未熟な魂の死の直後
 5 人の役にたつ働き35  アカシックレコード
 6 宗教36  始まりも終わりもない旅…その始まり
 7 感謝は神へ37  天体の霊的構成
 8 霊的真理38  地球の未来
 9 霊媒の必要性39  自然災害
10  宇宙創造の目的40  邪と悪
11  地球浄化大作戦41  認知症発症のメカニズム
12  真理を知ったあなたへ42〝後なる者、先になること多し
13  神とは43  魂の永遠性
14  祈り44  動物の死後
15  心霊治療とは45  霊界人の仕事 
16  心霊治療家46
17  心霊治療家を目指して
47
18  愛とは48
19  死とは  (臨終の様子/小桜姫物語)49
20  死の瞬間  (A・J・デービス)
50
21  死後の生活
51
22  死産児の死後
52
23  自殺霊の苦しみ 
53
24  イエス・キリスト54
25  イエスの御言葉
55
26  因果律の法則56
27  五感57
28  地上で為すべきこと58  シルバーバーチの使命
29  幽界59  SBが地上へ戻る理由! 
30  霊界60  大 霊
                 

 


   
1 あなたとは何か  
  あなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使なのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分をいうのです。

すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊的な絆によって結ばれているという意味において真実〝同胞〟であり、人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であるということです。

 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みもたちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。

その身体に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。

人間にはこの世で果たすべき仕事があります。霊的知識を摂取し、それを活力として、霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。→暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることです。全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上においてたった一人でいいのです、元気づけてあげることができれば、この世であなたは存在の目的を果たしたことになります。

 霊の目をもって見る者は、民族・国家・気候・肌の色・宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つにつなぐ霊の絆をみて取ります。魂をより意義ある生活へ誘ってくれるもの、根本的に重要なのは、日常生活の生き方です。私たちが忠誠を捧げるのは、宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不滅の摂理であり、教義でもなく、書物でもなく、教会でもありません。

私たちの武器は真理と理性です。そして目指すのは人間として当然受け取るべきものを手にできずにいる人たちの生活に、豊かさと美しさをもたらしてあげることです。霊はすべての存在物を形成する基本的素材であるがゆえに永続性があります。


  1、人間は魂であり、死後も個性を持ち存在している。(死後個性存続)
  1、人間と霊界は密接な関係にある。(顕幽交信)
  1、霊界にも生活基盤があり、生活している。魂は永遠に進化向上。(霊界の存在)

  真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し永遠なる存在なのです。



   
2 なぜ生まれてきたのか     

 地上に生を享けるとき、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するためにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂みずからが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。

 あなた方人間は、あまりにも物質的観点からのみ人生を考えていることです。人間は霊であり、永遠に続くのです。霊に死はないのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。

☆人生には目的があります。人間には個的存在としての自由意志が与えられています。運命全体としての枠組みは出来ております。その枠組みの中であなたが計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第です。

時には、悲劇、無念、苦悩、病苦という形をとり無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。

 霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊のない所に生命はありません。物質は殻にすぎません。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することができるのは、あなたが霊であるからこそです。霊があなたの身体を動かしているのです。その生命の背後の力をあなた方は〝神〟と呼び、私は〝大霊〟と呼びます。


人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受できる資格を身につけるために、様々な体験を積むということです。体験を積めばそれ相当の教訓が身につきます。その体験とは、比較対照の中において悟っていくものです。

 光明がありがたく思えるのは暗闇の中で苦しめばこそです。真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験が無くてはなりません。人の役に立つ犠牲的生活によって魂が〝損〟をすることはありません。又、利己的生活によっていささかも〝得〟をすることもありません。

魂の進化の程度と悟りの指標はどれだけ〝ゲッセマネの園〟に生き、どれだけ〝変容の丘〟に達するかにあります。いずれにしても大切なことは人のために役立つことです。


 人間は永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部だということです。時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中で生きているように思えることがあります。しかし、その観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。

 霊性を悟ることは容易なことではありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは昇るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。

 あなた方が誕生するはるか以前から地球は存在し、あなた方が去ったのちも延々と存在し続けます。何億年の昔、まだ地上に何一つ生物の存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、人間が誰一人いない時からエネルギーをふんだんに放射し続け、そのお陰で石炭その他の、太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とすることができているのです。何と悠長な教訓でしょう。

 地上の人生はしょせんは一つの長い戦いであり、試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。



    
3 不幸の原因

 『人生には個人としての生活、家族としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応したり逆らったりしながら生きております。
 逆らえば暗黒と病気と混乱と破壊と悲劇と流血が生じ、順応した生活を送れば、叡智と理解力と真実と正義と公正と平和がもたらされます』

 摂理に順応した生き方=人の役に立つはたらきです。地上は学びの場、学校です。


 「地上の幾百万とも知れない人々が、今自分が住んでいる世界が唯一の世界だと思い込んでいます。こういう生活が人間生活だと思い込んで、せっせと物的財産を、いずれはあとに残していかねばならない地上的財宝をため込もうとしています」
 
☆──人間の大半が何の益にもならないものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。

☆宇宙には計画に沿った摂理(きまり)がある → 宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に辿っております。地球は地軸を中心に(※)自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、恒星も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も永遠の巡りを繰り返しています。色とりどりの小鳥が楽しそうにさえずり、木々は風にたおやかに靡き、かくして全生命が法則に従って生命活動を営んでおります。 
(※  自転速度1666km/h  公転時速10万キロ 秒速30Km/h)

 悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚な意味を持つものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるために、悲しみ、無念、病気、不幸など人間にとって教訓を学ぶための手段なのです。

☆ 確かに不幸はカルマの償いなのですが、これで一つカルマのクリアが済むのだ…と、喜びをもって過ごせれば苦痛が転じて幸いとなる。

 今日の地上の不幸は、その大半が自由意志による選択を誤ったことに起因しています。人生のあらゆる悲劇や不幸には、必ず埋め合わせの原理が働いていることを忘れてはなりません。

 不幸だと嘆き悲しんだ人生も死後の世界へ旅立てば己が計画したブループリントだったと気づきます。更に、地上では更なる苦痛の体験が魂の進化向上への必須条件と理解できます。それだけの苦痛を体験しなければ進化向上はあり得ないようです。神の計画された地球進化は遅々として進まず、荒療治が行われるのです。しかし、死は悲しみではないのですからこれを悟るには長い年月を要するようです。


 


    
4 苦難の意味

  
苦難は無くてはならぬものなのです。いったい霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安悦をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身についてしまえば楽に思えるでしょう。身につくまでは楽ではなかったのです。
 
真の目的→人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに厳然と立ち向い、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださること。(1-℘52)

 苦難から何かを学び取る努力をしてください。困難と取り組むことが旅する魂の本来の姿なのです。
 
困難に愚痴をこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、後でその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。

(1-℘134) 苦がすべてというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須条件なのです。

★★
人間の心情として、不幸や貧乏、病気、災害といったものがないことを希望しますが、それは今という刹那しか意識できない人間の狭い量見からでるわがままであって、過去、現在、未来の三世を見通した神の目から見れば、当人の成長にとってはそれが最上であり必須のものであるわけです。


 もし、悲しむことがないとすれば、一体何をもって喜びとすべきであろうか。   イエス・キリスト  


  大丈夫・・・地上では貧しく、恵まれなかったと嘆いたけど、その貧しさが魂の〝死後〟の豊かさとなって生きています




                                                                                   
5 人の役に立つ働き                                              
                                                                    
 人生において、自分が役に立つほど大きな喜びはありません。地上は闇ばかりで、数えきれない人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、朝、目を覚ますたびに今日はどうなるだろうかという不安と恐怖におののきながら生きている世の中にあって、たった一人でも心の平静を見出し、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせることができたら、あなたはこの世に生を享けた目的を達成したことになります。

 こうした仕事のために神の使節として遣わされ、地上の子等の魂を解放し、大自然の摂理の存在を証すための仕事をしている私たちは幸せと思わなくてはいけません。現実に何かの役に立った時、例えば無知を駆逐し、迷信を打破し、残酷を親切に置きかえ、虐待を憐憫に置きかえることができた時、あるいは協調と親善の生き方を身をもって示した時、その時初めて地上の全ての存在の間に真の平和が訪れます。

 道に迷ってあなた方のもとを訪ねてくる人々に安堵、健康、苦痛の緩和、慰め、指導、援助のいずれかを授けてあげる、その道具となることほど偉大な仕事はありません。無味乾燥な教義のお説教ばかりで霊力の一かけらもない教会、礼拝堂、集会、寺院よりもはるかに意義ある存在です。

 病める人、苦痛を抱えた人、身も心も霊も悶え苦しむ人、希望を失った人、寄る辺ない人、人生に疲れ切った人、迷える人、こうした人々にお説教は要りません。あなた方が真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立ちたいと望めば、その霊力があなた方を通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、マヒした関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうすることによって霊的真実に目覚めさせることになるでしょう。

 地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。

 その意味では〝お気の毒に…〟などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。こちらの世界は、この不公平や不正がきちんと償われる世界です。

 そうした叡智を身につけることは容易なことではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ、後に自分だけの懐かしい思い出の道標を残していきます。魂の巡礼の旅は孤独です。行けば行くほど孤独さを増していきます。
 
 
 人生の目的は、暗闇にいる人に光を見出させてあげ、苦しみに疲れた人に力を与え、悲しみの淵にいる人を慰め、病に苦しむ人を治し、無力な動物への虐待行為を阻止することができれば、それがたった一人の人間、一匹の動物であっても、その人の地上生活は十分価値があったことになります。

 私たちの仕事は必ず一個の人間から始めます。人類全体も個が集まって構成されているからです




   
6 宗教とは

 いったい宗教とは何なのでしょう。教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名乗ることでしょうか。真の宗教には儀式も祭礼も、美しい歌唱も詠唱も、きらびやかな装飾も、豪華な衣装も式服も不要です。

 宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人のためになる行いをすることです。人のために尽くすことが宗教の全てなのです。

 祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか無神論者、合理主義者、不可知論者と言った、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いケースがいくらでもあります。問題は何を信じるかではなく、これまで何をしてきたかです。

宗教とは『儀式を超えたところに確信があり』その核心は『他人のために自分を役立てること』、シルバーバーチは宗教とは互いに扶助し合うことに尽きると言う。その言葉の一つ一つがダイヤモンドの輝きに似たものがある。

 私たちにとってスピリチュアリズムは、宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信条とすべきものではありません。
 
 キリスト教の発生とて、当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし、仏教もそうです。そのほか、地上に誕生した宗教のすべてが最初はそうでした。それぞれの創始者が霊格によって、その時代の民衆の成長・発展・進化・慣習・鍛錬・理解力等の程度にふさわしいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。

 それがさらに、受け入れる用意のある者に受け継がれていきました。ところが残念なことに、そのささやかな真理が*人間的不純物の下に埋もれてしまいました。(*人間的不純物=世俗的信仰や神学的ドグマ・宗教的慣習・伝承的習俗など)

地上の宗教は人間的欲望というアカがこびりついて宗教としての本来の意義を失ってしまっている。そこでそのアカを洗い落とし、本来の神の摂理を改めて説き明かすのが自分たち霊団の使命だというのです。


  既成宗教に籍を置く者はいずれ、これまでに犯した過ちの全てに責任を取らねばならない日がやってまいります。摂理を免れる方法はありません。神の目はごまかせないのです。




  
7 感謝は神へ

  ある日の交霊会で
『私たち霊団の者は、功績もお礼も感謝も一切求めません。お役に立ちさえすればそれでよいのです。争いに代わって平和を見ることができれば、涙にぬれた顔に代わって、幸せな笑顔を見ることができれば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となっていただくことができれば、悲劇を失くすことができれば、意気消沈した魂に巣くう絶望感をぬぐい去ってあげることができれば、それだけで私たちは、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです』

 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い、神の愛があなた方の心を満たし給い、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを、切に祈ります。

 これに対してシルバーバーチへお礼を言おうとすると

 私に礼を言うのはやめてください。私は〝神の真理〟を地上界へお届けするための道具であることに喜びを感じているのです。自分がお役に立っていることを光栄に思っているのです。もしも私の努力が成功すれば、それは私がみずから課した使命が成功しているに過ぎない。私は代弁者(マウスピース)にすぎないのです感謝は私にチャンスを与えてくださった神へささげてください。

 とお礼は絶対に受け取りません。

──
 僭越ながら霊界の道具(心霊治療家)として地上で働いている霊媒ならば、治療後のお礼を地上の霊媒が頂くことはできないのです。理由は心霊治療は私(人間)がしているのではないからです。治療は霊界の doctor がなさるのです。人間は神の御力のお蔭で霊力の通路として働いているだけなのです。従って治療後のお礼は当然『感謝は神へなさってください』ということになるのです。

 心霊治療依頼の患者さんが完治には至らないとしても、以前より奇跡的なほど回復されるようになれば、また、症状がすっかり消えた場合など、患者さんの喜びもひとしおでしょう。しかし、ヒーラーは神へ祈ったり、手を患部にかざしたり、静かに瞑想したりして、肝心の治療は霊界の doctor がなさっております。治療家は何もしていない無力さを知るだけです。

 参考例「治療例」14  常識・非常識(お礼は神へ)も、参照してください。

 
 

    
8 霊的真理

 動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害を被ることはない。もう一つは
人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。

1-℘97)霊的真理は、これを日常生活に活用すれば不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利己主義、うぬぼれ等々を追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基づく平和を確立することでしょう。霊的真理を一つでも多く理解していくことが霊的身体を霊界からのエネルギーを受けやすい体質にしていきます。

 霊的真理を理解すれば、人類が抱える全ての問題を解くカギを手にしたことを意味する。

『一体自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのか! についての理解に必要な摂理と実在について』現段階の人類に理解できるレベルのカギを与えてくれる。

『真理は閉ざされた心には入ることができません』受け入れる用意のできた人の心にだけ居場所を見つけることができます。真理は、大霊と同じく、無限に存在します。このうちのどれだけを手にするかは、各自の受容能力によって決まります。

☆ 地上世界は暗黒に満ちております。人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めの一言、一片の真理を渇望している人々が大勢います。あなた方による援助を必要としています。そういう人々のために、あなた方は一刻を惜しんで真理普及のために努力すべきです。その霊的真理こそが
、その人たちにとって人生を立て直す盤石の土台となることでしょう。

 霊的真理の要は、人間は〝霊的存在〟なのです。地上へは死後の生活のために学びに来ているのです。やり直すチャンスはいくらでもあります

     〝地上を旅する者であれ、地上を住処とする勿れ〟 
 
 

   
9 霊媒・霊媒の必要性

 霊が地上に働きかけるには人間という道具が必要です。そこで、確実に霊波を受けとめてくれる霊能者を一人でも多く見出さねばなりません。難題であるわけです。霊力は無限です。しかるに霊能者の数には限りがあります。しかし〝師は弟子に応じて法を説く〟と言われるように、霊力も霊媒の受容力に応じたものしか授けられません。能力以上のものは受けられないのです。

霊力は人間側から勝手に操ることもできません。個人としてのあなた方にできることは、その霊力の流れる一個の場としてできるだけ純粋であるよう心がけ、できるだけ多くの霊力が顕現されるようにする──つまり人のために役立つようになることです。


《霊的能力について、能力はいろいろあっても、すべては同じ霊力の顕現したものである。
  それは森羅万象が一つの神の御業であるのと同じである。
  一人ひとりが他の人を益するために、霊力を賜っている。
  ある者は叡知を賜り、ある者は知識を賜っている。
  ある者には信仰の力が与えられ、ある者は病気治癒の力が与えられている。
  ある者には奇跡を起こす力が、ある者には予知能力が、そして又、ある者には霊を見分ける眼力が与えられている。
  言語能力に優れている者もいるし、翻訳する能力に長けている者もいる。
が、いずれも同じ霊力の働きなのである。》
 
 
 霊媒はやむにやまれぬ献身的精神に燃えなければなりません。その願望そのものが霊格を高めていくのです。霊的自覚を深める行為、恵まれない人々に何か役立つ仕事に携わることです。看板は何であっても構わない。宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。

 その御力が自分より恵まれぬ人々に施されるための通路となるよう心がけましょう。

 
 


   
10 宇宙創造の目的

 幾百年とも知れない歳月をかけて、あなたは下等な種から高等な種へと、媒体を徐々に発達させながら、泥の中から天空へ向けて一段一段、ゆっくりと進化してきたのです。その間すこしずつ動物性を捨てては霊性を発揮するという過程を続けてまいりました。

 今のあなたに宿っている身体がそこまで達するのに果たして何百万年かかったことでしょう。しかしまだ進化は終わっていないのです。そして他方において魂の方も進化させなければならないのですが、あなたはそれにこれから何百万年かけることになるでしょうか。

かつてあなたは猿でした。猿そのものだったという意味ではありません。猿という種を通じて顕現した時代もあったという意味です。それも大霊の機構の一部なのです。生命のあるところに大霊の息吹があります。それなくしては生命活動は存在しません。ただその息吹に段階的な差があるということです。発達と開発があり下等な段階から高等な段階へと変異があるということです。

   これまでもありとあらゆる生命現象を通じて顕現し、今なお顕現し続けております。現在人間という形で表現している意識も、かつては無生物や、植物、アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を辿って進化してきたのです。これからもその意識は進化と成長を続け発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。

大霊の一部である意識が千変万化の形態を通じて絶え間なく顕現していくことです。それに私はぜひ次の考えを付け加えたいと思います。それは、人間を創造の大事業と切り離す、あるいは縁のない存在として考えてはならないということです。

なぜなら、人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通じて働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

一つひとつの生命がそれなりの貢献をしています。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。

画家や音楽家や詩人だけが美の貢献をするのではありません。あらゆる生命が──そのつもりになれば──美をもたらすことができるのです」。


☆この地上に意識を持った生物が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日の如き組織体を具えるに至るのに何百万年もかかりました。その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年月がかかったことでしょう。

 


   
11 始まった地球浄化大作戦

 スピリチュアリズムというのは=暗黒時代に失われた人類の霊性を取り戻すための地球規模の大事業である。また、地球人類に降りかからんとしている苦難が余りに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭保を築かなければ、人類みずからが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れることになるからです。

 唯一これまでの啓示と異なるところは、入念な計画に従って組織的な努力が始められたということです。それが地球の年代で言えば十九世紀半ばのことでした。今度こそは何としても霊的知識を地球に根づかせ、いかなる勢力をもってしても妨げることができない態勢にしようということになったのです。


 《イムペレーターの霊言》
 『今夜は大勢の霊が活発に動いている。本日が記念すべき日であるからにほかならぬ。汝らが近代スピリチュアリズムと呼ぶところのものが勃興した。当初高級霊界より強力なる影響力が地球へ差し向けられ霊媒現象が開始された。

 かくして地球的雰囲気に縛り付けられた多くの霊を地球圏より解放し、新たなる生活へ蘇しめるための・・・橋が設けられた。このことを記念してわれらはこの日を祝うのである。スピリチュアリズムをわれわれはこれをむしろ〝霊界からの声〟と呼びたいところであるが、これは真理に飢えし魂の叫びに応えて授けられるべきものである。』


 A・J・デービスは1848年(フォックス家事件)の二年前に出版した本『1847年出版 Princiesples of Nature (大自然の摂理) には』霊界の活動がいよいよ地球へ向けて開始される。 と記されている。


1848・3/31つけメモには、《今朝の日の出ごろ、寝ている私の顔の上を温かい息が吹き抜けた。そして優しく、しかし力強い声で「友よ、いよいよ仕事が開始された。見よ、生きた証拠が生まれようとしている」と言った。いったい何のことだろうと、一人考えていた》。

 《フォックス家事件》
 1848・3/31 アメリカ  ニューヨーク州  ハイズヴィル事件  (妹マーガレット、姉キャサリン/愛称ケート)     行商人CR(チャールズ・ロズマ) 
 
叩音の絶えない家に入居したフォックス一家、やがてその音の主は5年前にこの家に宿泊し殺された行商人チャールズ・ロズマであることが分かり、顕界と幽界とが初めて大勢の人の前で交信できた日、スピリチュアリズム記念日とされている。 



 問「地球の人間より進化した人類が住む天体が他にありますか?」

 SB「あなた方よりはるかに進化した人類の住む天体はいくらでもあります。地球という惑星は広大な宇宙の中の無数の惑星の一つにすぎません。しかも地球より程度の低い惑星はたった一つしかありません」




   
12  真理を知ったあなたへ

 あなた方はいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。心の奥を平静に穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。

そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳を持つ者のみが神の御声を聞くことができるのです。

霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神のご加護があることを一片の疑いもなく信じることができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。

 知識を獲得した者は、それを他人のために使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕のために使用する義務があります。それが自分の魂の向上へつながるのです。他人への無関心、無頓着、無神経を無くし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。

魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです。

☆→ この地上に意識を持った生物が誕生するのに何百年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日のような組織体を具えるにいたるのに何百年もかかりました。その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかったことでしょう。

 全能なる神に身を捧げ神の道具として働きませんか! 地上に誕生した目的を果たしましょう。

 「来世の存在を確信せずして地上生活の本当の幸せはあり得ない」 スタッダート・ケネディ

(Big bang 138億年前、地球誕生46億年前、原人(ネアンデルタール人)30~20万年前、新人(ホモサピエンス)3万年前、縄文時代2~1万年前)   



   
13  神とは

  自然界のいずこを見渡してもそこには必ず意匠があり構図があります。小は原子から大は星雲に至るまで数学的正確さと、芸術的美しさをそなえた設計があります。デザインがあるからには、それを設計したデザイナーがいるに決まっています。それを神と呼ぶのです。

 神はあくまでも人間の想像を超えた存在であり、われわれはその片鱗を僅かに見出しているにすぎないのです。又、極大から極微まで無類の色と組織を持つ生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実。神の法則の全組織がいかに包括的で完全であるか、ただただ驚異というほかはない。
                                                
 
 アルファベットの寄せ集めによって哲学の大論文ができるわけがないのと同様に、宇宙が原子の偶然の集合によって出来あがったとは信じられない。


☆ 神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押し付けぬ。用意のできている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。

(不滅の真理℘199) 霊力とは=神
『霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さも色もなく、容積もなく、味も臭いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば、霊力というものはこの世に存在しないことになります。つまり実在とは五感で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。

 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし霊の力はそれよりも無限大に強烈です。

 あなたが生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動のすべて、存在の全ては、霊の力のお蔭です。物質界の全て、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活とを与えられているのです。

 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは、物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それは一時的に間借りしている宿にすぎません。
 
 霊の力は、あなた方が〝〟と呼んでいるもの、そのものなのです。かつては火の固まりであったものを生命あふれる緑の地球にしたのです。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の成長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが霊力なのです。その力は無限なのです。』

地上においても、大自然の内奥を洞察する力を持つ者には神の存在を明瞭に感得できます。

 イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。神はどこか遠く離れた近づき難い所におられるのではありません。あなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中にいるのです。自分の霊的成長と発達にとって必要な手段はすべて自分の中に宿しているということです。
それを引き出して使用することが、「この世に生まれてきたそもそもの目的なのです」


 神=悪魔
悪魔は存在しないのです。『世界心霊法典ⅰ霊訓 12節 後段』にイムペレーター霊が〝悪魔も閻魔〟も存在せぬ。悪魔などは、自ら創造せぬ限り恐れるに足らず。と述べております。




  
 14   祈り
 まず気持ちを落ち着かせ、受け身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。(1-℘14) 

 祈りは「人のために」という動機。自己の責任と義務を自覚した時に油然として湧き出るもの以外の祈りはすべて無視されるがよろしい。


     
 シルバーバーチの祈り
──太陽のかがやきはあなたの微笑

 ああ、大霊よ。あなたは全生命の背後の摂理にあらせられます。太陽のかがやきはあなたの微笑です。
 天より降りそそぐ雨滴はあなたの涙です。夜空にきらめく星はあなたの眼差しです。
 夜の帷はあなたのマントです。そして人を思いやる心はあなたの愛にほかなりません。
 あなたの霊は全存在に内在しております。森羅万象はあなたの霊の顕現にほかなりません。

 美しく咲き乱れる花となり、さえずる小鳥の声となって顕現しております。あなたへの思いを抱く者ならばあなたは誰にでも理解できるのでございます。

 ああ、大霊よ。全宇宙を法則によって知ろしめられるあなたは、無窮の過去より存在し、無窮の未来にわたって存在いたします。これまでにもあなたは霊の目をもって見る者に真実の姿を顕示され、愛を教え叡智を説き、理解し得る範囲においてご計画を披露してまいられました。

 地上天国を築かんと願う者たちの魂を鼓舞し、霊力が生み出す勇気をもってあなたの進化の仕事に協力するよう導かれました。又あなたの使者として私たちを地上へ遣わされ、地上の子等の魂を解放し、あなたがいかに身近な存在であるかを認識させるために、新たなる光明、新たなる知識、新たなる真理、新たなる叡智をもたらすべく、高揚と、慰安と、教化と、啓示の仕事を託されたのでした。

 願わくはこのサークルをあなたの霊力によって満たし、ここを聖殿としてあなたの真理の輝きを流入せしめ、地上の暗き場所を明るく照らし、平和と幸せと知識と叡智をもたらすことができますように。


 





15  心霊治療とは
 
 真の健康とは精神と肉体と霊とが三位一体となって調和よく働いている状態のことです。肉体に何らかの異常が生じるということは、まだ精神も霊も本来の姿になっていないということです。もし霊が健全で、精神も健全であれば、肉体も健全であるはずです。魂が健全であれば、身体も健全であり、魂が病めば身体も病みます。心霊治療は肉体そのものではなく病める魂を癒すことが最大の目的なのです。
 
 霊界からの援助は二重に行われます。真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療にあたっているとき、霊界からそのチャンスをうかがっているその道の専門家が自動的に引き寄せられます。次にその患者に受け入れる用意が出来ている時、霊的治癒エネルギーがふんだんに注ぎ込まれます。霊界からの治療は全てこの霊力によってなされます。 
 
霊力は患者の魂によって引き寄せられます。ですからその魂が霊力を受け入れない限り反応は生じません。霊力と魂を繋ぐものがないのです。 (1-p172 )

 ただし、治療は施療してみなければ結果は分かりません。又、この病によって己の生き方が過ちであったことに気付き反省し改心し、今後は「人の役に立つ働き」を決意し人が変わったような生活に徹した方やあるいは今後徹しようと決意した方は奇跡的に寛解する方もおられます。

ある方の治療は、実に詳しく治療内容まで見える場合がありますし、殆どの場合治療内容が分からず結果だけを患者より教えていただける場合もあります。いずれの場合も、見たもの感じたものはすべて治療依頼者に伝えることにしております。が、決して万能的能力は持ち合わせておりません。
  
 人生には個人としての生活、家族の一員としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応したり逆らったりしながら生きています。逆らえば、暗黒と病気、困難と混乱と破産、悲劇と流血が生じます。
 順応した生活を送れば、叡智と知識と理解力と、真実と正義と公正と平和がもたらされます。
  

 繰り返しますが、どんな優秀な治療家でも治せない患者がおられます。霊的真理などを受け入れる時期に到達していない。魂がそれを受けるに価する段階に到達していない方です。
 
──人間は霊(魂)なのです。魂は死なないのです。地上は死後の生活のための学びをしているのです。人間にとって死は悲しみではありませんよ・・・五感に縛られ病んだ身体を脱ぎ捨て大空を自由に飛び回れるようになったのです。喜ぶべき出来事なのです。──

 地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇跡的治癒は計画的なものであって、決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。
 
 


   
16 心霊治療家

 魂に霊的悟りをもたらせることこそ心霊治療の神髄です。身体的障害を取り除いてあげても、その患者が霊的に何の感動も覚えなかったらその治療は失敗したことになります。霊的自覚を促すことになったら成功したことになります。これが心霊治療の隠れた目的です。

治療を通じて霊的真理に目覚めさせることができたら、あなた方の地上生活は無駄でなかったことになります。霊力は無限です。尽きることがないのです。
通過する道具によって制限されるだけです。道具なしには霊力は地上に発現されません。
 
ですから道具となるべき霊能者は受容能力を少しでも広く深くする努力をしなければなりません。霊性を発展させなければなりません。霊性こそが霊力の分量を決することになるからです。霊力は無限で尽きることがないのです。

但し、霊的治療は魂がそれを受けるに価する段階に至るまでは何人といえども受けられません。いかに優れた治療家にも治せない患者がいる理由はそこにあります。

当ホームページ「治療例」No41 「本物の人のためになる働き」=心霊治療の凄さを体験した(患者談)。

(例えば単なる透視力は動物の超能力と同じで五感の延長にすぎません。目の前に存在するもの ─ 地上にせよ霊界にせよ─ しか見えません。これがサイキックです。これに背後霊の働きが加わり、その場に存在しないもの、あるいは高次元の世界のものを映像又はシンボルの形で見せられるようになれば、それがスピリチュアルです。──訳者)

 治療家は治療に際し、「まず気持ちを落ち着かせ、受け身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な治癒力が流れますようにと祈る

☆ ある種のテクニックを身につければ病気を自分で治し、体内の不純物を排出し、欠陥を矯正することができるようになります。自我の全ての側面──霊と精神と身体の調和を成就することができます。

かくして霊性が本来の優位を確保してゆくにしたがって霊的叡知、霊的理解、霊的平穏、霊的自信、霊的静寂が増し、不滅の霊力との真のつながりを自覚するようになります。
霊格が向上するほど生命活動が協調によって営まれていることを悟ります。


治療の成功不成功は魂の進化という要素によって支配されております。それが決定的要素となります。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具わらない限り絶対に治らないということです。身体は魂の僕です。主人ではありません。いいですか! あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。

ですが、喜んでください。 あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。あなた方も決して患者を断るようなことをしてはいけません。霊格が高いことを示す一番の証明は、人を選り好みしないということです。これが高級神霊界の鉄則なのです。   


☆中国の古い言葉に「聡明叡智、これを守るに愚をもってす」というのがありますが、バーバネルやテスター氏のように寡欲で謙虚であることが霊能者としての第一条件なのでしょう。


☆治療家は、自分が受けたものを伝達する機関にすぎません。その人を通って霊力が流れるということです。いわば〝通路〟であり、それも、内部へ向けてではなく外部へ向けて送る通路です。その人の資質・才能・能力がその人なりの形で顕現しますが、それが霊界との中継役、つまり霊媒としての資格となり、生命力と賦活力と持久力のあふれた健康エネルギーを地上へもたらす役目がはたせるのです。

その際、治療家自身の健康に欠陥があるということ自体は、治療能力の障害にはなりません。治療エネルギーは霊的なものであり、欠陥は身体的なものだからです。(不滅の真理℘241)
      
   
☆地上の人間が必死にある者(霊界人)の名を呼べばそれは必ずその者に届く。
 



   
 17 心霊治療家を目指して 
 
(1-℘161) 霊力の道具として役立つだけの資格を身につけるまでには、 トレーニングがいります。それは大変なことです。魂の最奥・最高の可能性まで動員させられる深刻な体験に耐えるだけの霊性を試されて初めて許されることです。そうして身につけたものこそ本物であり、それこそ霊の武器と言えます。

 その試練に耐えきれないようでは自分以外の魂を導く資格はありません。自ら学ぶまでは教える立場に立つことはできません。それは苦難の最中、苦悩の最中、他に頼る者とていない絶体絶命の窮地において身につけなければなりません。
 
 自らが地上において苦難の極み、悲哀のどん底を体験しなければなりません。自分自身の体験によって魂が感動した者でなければ人に法を説く資格はありません。霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。艱難辛苦──辛く、厳しく、苦しい体験の中で自ら学ばねばなりません。それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。

 心霊治療エネルギーの霊力が如何に強力で偉大であるかを理解することは難しいでしょう。治療家はひたすら人の役に立つことを心がける他にはないのです。あなたを通して働いている霊力はこの宇宙、想像を絶する広大な全大宇宙を創造した力の一部なのです。全ての惑星、全ての恒星を創造した力と同じエネルギーです。

 地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇跡的治療は計画的なものであって、決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。


    ≪浄化の言葉≫
 わが心(自分以外ならその人の名)に光をお与えください。
 光の天使たち、わが守護霊よ、私(その人の名)の心を一切の魔よりお守りください。
 私を正しくお導きください。
 いつも光と安らぎをお与えくださいましてありがとうございます。
 心より感謝申し上げます。

 

   
18 愛とは
  (SB霊訓Ⅰ一8章)
  愛は大きさを測ることができません。重さを測ることもできません。いかなる器具をもってしても分析することはできません。なのに愛は厳然として存在します。
宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。
 
宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。確かに愛の力は強烈です。(しかし霊の力はそれよりも無限大に強烈です)

生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。辿り着いた高級霊界からの遼遠の旅路の末に再び地上に舞い戻り、古くかつ新しい名言〝愛は死を乗り超える〟を改めて宣言することができるのも、この愛あればこそです。

 あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。

昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。日常の煩瑣(はんさ)な雑事の渦中にあって、時には僅かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。

 心に怖れを宿してはいけません。完全に拭い去らないといけません。誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。

なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事があるからです。霊がこの世へ携えて来た能力がこれからもその役目を果たしていきます。こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。それは決して裏切ることはありません。

 宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。

受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法を学ばねばなりません。それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落着きを身につけなければなりません。


 そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。

受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。


 宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。

愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。 




   
 19 死とは

 
あなた方にとって死は確かに恐るべきことでしょう。が私たち霊界の者にとっては、ある意味喜ぶべき出来事なのです。赤ちゃんが誕生すればあなた方は喜びますが、こちらでは泣き悲しんでいる人がいるのです。反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらでは大喜びでお迎えしています。
 
次に、これはあなたがたには真相を理解するのは困難ですが、宿命というものが宇宙の大機構の中で重大な要素を占めているのです。これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが、二つとも真実です。つまり運命づけられた一定の枠の中で自由意志が許されているわけです。

 人間が現在と過去とを区別するのは、地上という三次元の世界の特殊事情に起因するのであって、時間には本来過去も未来もないのです。三次元の障壁から脱して本来の時間に接した時、あなたにとって未来になることが今現在において知ることができます。もっとも、そうやって未来を予知することが当人にとってどういう意味を持つかは、これはまた別の問題です。
 
 肉体からシルバーコードが切断した時、死が訪れます。がしかし〝死〟とは変化であり、復活であり、低いものから高いものへの上昇です。死は地上生活の 労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。


 ☆ ☆
 浅野和三郎著(小桜姫物語)から

 その時はよくよく臨終が迫っておりまして、母の魂はその肉体から半分出たり入ったりしている最中でございました。人間の目には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起こる、あの悲惨な光景(ありさま)しか映りませぬが、私にはその他にいろいろに光景が見えるのでございます。

人間の霊魂というものは、全然肉体と同じような形態をして肉体から離れるのでございます。それは白っぽい、幾分ふわふわしたもので、普通は裸でございます。それが肉体の真上の空中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見良いものではございませぬ。
 初めて人間の臨終に出会った時はまあ・・何と変なものかしらと驚いてしまいました。

もう一つおかしいのは、肉体と幽体との間にひもが付いてる事で、一番太いのが腹と腹とをつなぐ白い紐で、それはちょうど小指くらいの太さでございます。頭のほうにももう一本見えますが、それは少し細いようで、ひもの切れた時が人間の死でございます。

 母の臨終の光景について、もう一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人達と同時に、こちらの世界の見舞者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約十人余り、何れも眼を泣き腫らして、永の別れを惜しんでおりましたが、それらの人たちの中で私が生前存じておりましたのはたった二人ほどで、他は見覚えのない人達ばかりでした。
 
 それからこちらの世界からの見舞者は、第一が、母より先きへ亡くなった父、続いて祖父、祖母、肉親の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、司配霊、産土の御使い、・・・いちいち数えたらよほどの数に上がったのでございましょう。
 
とにかく現世の見舞者よりはずっと賑やかでございました。第一、双方の気分がすっかり違います。一方は自分たちの仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切っておりますのに、他方は自分たちの仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、むしろ勇んでいるような、陽気な面持をしているのでございます。

 ☆ ☆
 霊的知識の備わった者は、物質の世界から出て霊の世界へ入るというだけで、適応が極めてスムーズです。目覚めると、そこには愛する人たちが出迎えてくれているのを知って、歓喜の情が湧いてきます。


 人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しいよろこび、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って喜んでいます。



    
20  死の瞬間    

 
   ( A・J・デービス 世界心霊法典 スピリチュアリズムの真髄)から 

「患者は60歳くらいの女性で、亡くなられる八か月前に私のところへ診察のために来られた。やがて死を迎えると確信して、そのための適当な時期を見計らって、主治医として彼女の家に泊まり込ませてもらった。

 もはや肉体器官は統一原理であるスピリットの要求に応じきれなくなってきた。が同時に各器官はスピリットが去り行こうとするのを阻止しようとしているかにみえる。すなわち筋肉組織は運動(モーション)の原素を保持しようとし、導管系統(血管・リンパ管等)は生命素(ライフ)を保持しようとし、神経系統は感覚(センセーション)を保持しようとし、脳組織は知性(インテリジェンス)を保持しようと懸命になる。

つまり肉体と霊体とが、友人同士のように互いに協力し合って、両者を永遠に引き裂こうとする力に必死の抵抗を試みるのである。その必死の葛藤が肉体上に例の痛ましい死のあがきとなって現れる。が私はそれが実際には決して苦痛でもなく不幸でもなく、ただ単にスピリットが肉体との共同作業を一つ一つ解消していく反応にすぎないことを知って、喜びと感謝の念の湧き出るのを感じた。

 やがて頭部が急に何やらきめ細かな、柔らかい、ふんわりとした発光性のものに包まれた。

脳は全身の電気と磁気、運動と生気と感覚の原素を、その無数の組織の中へと吸収し始めた。その結果、頭部が輝かんばかりに明るくなってきた。その明るさは他の身体部分が暗く、そして冷たくなっていくのに比例しているのを見てとった。

続いて驚くべき現象を見た。頭部を包む柔らかくてきめの細かい発光性の霊気の中に、もう一つの頭がくっきりとその形体を表し始めたのである。念のために言っておくが、こうした超常現象は霊能がなくては見ることはできない。

 肉眼には物質だけが映じ、霊的現象が見えるのは霊眼だけなのである。それが大自然の法則なのである。さて、その新しい頭の格好が一段とはっきりしてきた。形は小さいが、いかにも中身がギッシリ詰まった感じで、しかもまばゆいほど輝いているために、私はその中身まで透視することもできないし、じっと見つめていることすらできなくなった。

この霊的な頭部が肉体の頭部から姿を現して形体を整え始めると同時に、それら全体を包んでいる霊気が大きく変化し始め、いよいよその格好が出来上がって完全になるにつれて霊気は徐々に消えていった。このことから私は次のことを知った。

 すなわち肉体の頭部を包んだ柔らかでキメの細かい霊気というのは肉体から抽出されたエキスであってこれが頭部に集められ、それが宇宙の親和力の作用によって、霊的な頭をこしらえ上げるのだと。表現しようのない驚きと、天上的というでもいうべき畏敬の念をもって、私は眼前に展開するその調和のとれた神聖なる現象をじっと見つめていた。頭部に続いてやがて首、肩、胸、そして全身が、頭部の出現のときとまったく同じ要領で次々と出現し、きれいな形を整えていった。

そして、肉体にあった欠陥や奇形が、新しくできた霊的器官では完全に消えているのである。言い換えれば、肉体の完全なる発達を阻害していた霊的因縁が取り除かれ、束縛から解放された霊的器官がすべての創造物に共通した性向にしたがってその在るべき本来の姿に立ち返るのだ。

一方、患者である老婦人の最期を見守っている人々の肉眼に映っているのは、苦痛と苦悶の表情であった。しかしそれは苦痛でも苦悶でもない。霊的要素が手足や内臓から脳へ、そして霊体へと抜けていくときの”反応”にすぎないのであった。

 霊体を整え終えた霊は自分の亡骸の頭部のあたりに垂直に立った。これで六十有余年の長きに亙って続いた二つの身体の繋がりがいよいよ途切れるかと思われた次の瞬間、私の霊眼に霊体の足先と肉体の頭部とが一本の電機性のコードによって結ばれているのが映った。

 明るく輝き、生気に満ちている。これを見て私は思った。いわゆる「死」とは霊の誕生に他ならないのだと。次元の低い身体と生活様式から、一段と次元の高い身体と、それに似あった才能と幸福の可能性を秘めた世界への誕生なのだ、と。又思った。

母親の身体から赤ん坊が誕生する現象と、肉体から霊体が誕生する現象と全く同じなのだ。へその緒の関係まで同じなのだ、と。今私が見た電気性のコードがへその緒に相当するのである。

 コードはなおも二つの身体をしっかりとつないでいた。そして切れた。その切れる直前、私は思ってもみなかった興味深い現象を見た。コードの一部が肉体へ吸い込まれていったのである。吸い込まれた霊素は分解されて全身へ行き渡った。これは急激な腐敗を防ぐためであった。その意味で死体は、完全に腐敗が始まるまでは埋葬すべきではない。

たとえ見かけ上は(医学上の)死が確認されても、実際にはまだ電気性のコードによって霊体とつながっているからである。事実完全に死んだと思われていた人が数時間、あるいは数日後に生き返って、その間の霊界旅行の話をした例があるのである。

 かくして、しつこく霊との別れを拒んでいた肉体からついに分離した霊体の方へ眼をやると、さっそく霊界の外気から新しい霊的養分を吸収しようとする様子が見えた。

はじめは何やら難しそうにしていたが、間もなく楽に、そして気持ちよさそうに吸収するようになった。よく見ると霊体も肉体と同じ体形と内臓を具えている。いわば肉体をより健康に、そしてより美しくしたようなものだ。心臓も、胃も、肝臓も、肺も、そのほか、肉体に備わっていたもの全てが揃っている。

 何と素晴らしいことか、決して姿格好が地上時代とすっかり変わってしまったわけではない。

最も私は彼女の霊的感覚の反応具合を一つ一つ見たわけではない。ただ私がここで特記したいのは、彼女が自分の死の全過程を終始冷静に対処したこと、そしてまた、自分の死に際しての家族の者たちのとめどない嘆きと悲しみに巻き込まれずにいたことである。

一目見て彼女は家族の者には冷たい亡骸しか見えないことを知った。自分の死を悲しむのは、自分がこうして今生きている霊的事実を知らないからだ、と理解した。人間が身内や知人友人の死に際して嘆き悲しむのは、主として目の前に展開する表面上の死の現象から受ける感覚的な反応に起因しているのである。

 もしあなたが生命の灯の消えた、何の反応もしなくなった肉体から目を離し、霊眼でもって辺りを見ることができれば、あなたのすぐ目の前に同じその人がすっかり元気で、しかも一段と美しくなった姿で立っているのを見るであろう。だから本来「死」は霊界への第二の誕生として喜ぶものなのだ。然り。もしも霊が鈍重な肉体から抜け出て一段と高い幸せな境涯へ生まれ変わったことを嘆き悲しむのならば、地上の結婚を嘆き悲しんでも少しもおかしくないことになる。

 以上、私が霊視した死の現象が完了するのに要した時間はほぼ二時間半であった。

 もっともこれがすべての死、すなわち霊の誕生に要する時間ということではない。私は霊視の状態を変えずに、引き続き霊魂のその後の動きを追った。彼女は周りの霊的要素になれてくると、意志の力でその高い位置(亡骸の頭上)に直立した状態から床へ降りたって、病める肉体と共に数週間過ごしたその寝室のドアから出ていった。夏のことなので、すべてのドアが開け放ってあり、彼女は何の抵抗もなく出ていくことができた。

 寝室を出ると、隣の部屋を通って戸外へ出た。そして、その時初めて私は霊魂が我々人間が呼吸しているこの大気の中を歩くことができるのを見て、喜びと驚きに圧倒される思いであった。それほど霊体は精妙化されているのだ。彼女はまるで我々が地上を歩くように、いともたやすく大気中を歩き、そして小高い丘を登って行った。
 
家を出てから程なくして二人の霊が彼女を迎えた。そしてやさしくお互いを確かめ話を交わした後、三人は揃って地球のエーテル層を斜めに歩き出した。その様子があまりに自然で気さくなので、私にはそれが大気中の出来事であることが実感できなかった。

 あたかもいつも上る山腹でも歩いているみたいなのだ。私は三人の姿をずっと追い続けたが、ついに視界から消えた。次の瞬間私は普段の自分に戻っていた。戻ってみて驚いた。こちらは又なんという違いであろう。美しく若い霊姿とは打って変わって、生命の灯の消えた、冷え切った亡骸が家族の者に囲まれて横たわっている。まさしく蝶が置き去りにした毛虫の抜け殻であった。」                     (The Physician)


 死期を迎えた者がが横たわる部屋を静寂が支配するのは致し方あるまい。が、ついに霊魂が去り肉体が屍となったならば、その時こそ静かに喜び、やさしく歌い、心から祝福しよう。何となれば、地上で肉体が滅びるときは、天国に霊魂が誕生するときだからである」              (The Physician)


 ──このように死は決して恐ろしいものではないのです。死を喜びをもって迎えましょう

 
  
21 死後の生活
 
 霊界では同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしている。

地上のように比較対象というものがありません。程度の低い者と高い者とがいっしょに暮らすということがありません。地上では精神的並びに霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を合わせますが、こちらではそういうことはありません。同じレベルの霊同士の生活が営まれます。

 とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく、したがって影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解ができております。そうでなかったらその界層にはおれません。その界層に至るまでは光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。

 たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその〝全体像〟見ることができれば、地上では見られない美しさを鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです。内側には地上のような外側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。色調も無数にあります。そして物的感覚では理解できない霊的な実体感を有しております。

私たちは地球の引力の作用を受けません。また永遠の光が存在します。魂が開発されるにつれて、その程度にふさわしい美しさも開発されます。こちらは創造進化の世界です。そこに生活する者自らが創造していく世界です。
 
 例えば、大哲学者と仰がれた人が、その強烈な知性が却って災いして、死後、自分の知的想像力で造り上げた小さな宇宙の中で何百年、何千年と暮らしている例があると聞きます。これをマイヤースは〝知的牢獄〟と呼んでいます。各宗教の指導者やその強烈な信者にも当然同じことが言えます。

 その〝知的牢獄〟がどうして起こるのか詳しくは『シルバーバーチのスピリチュアルな法則/六章・完全なる因果律』(当ホームページ掲載)をお読みください。その主なる一部は下記に掲載しております。
                                                                          (シルバーバーチのスピリチュアルな法則℘132)
   ☆ ☆ ☆ 
 死後いずれは住まうことになっている霊的な世界がどうなっているかを理解するにあたって、心得ておくべきことを、シルバーバーチの言葉から引用しておくと────

『あなたは死後に赴く次の世界に今も立派に存在しているのです。バイブレーションの次元が違うに過ぎません。死ぬことで霊的存在になるのではありません。死んだからといって、あなたの霊格が一ミリたりとも増えるわけではありません。
 
 あなたは今この時点において立派に霊なのです。今この特殊な物的バイブレーションの階層における幽体のバイブレーションが、死後あなたが赴く階層を自動的に決めるのです。

 これまでの地上界の寿命を生きてきた、その生き方と、その結果として発達した意識レベルが、今のあなたの幽体がどの次元で機能しているかを決定付けます。死後に目覚める階層のバイブレーションについてもこの原則が当てはまります』

 その階層について、シルバーバーチはこう述べています────

 『互いに混ざり合っています。空間には充満している無線電信のバイブレーションと同じです。さまざまな波長があり、さまざまなバイブレーションがあります。が、その全てが同時に同じ空間を占めているのです。
 
 境界というものはありません。国境もありません。バイブレーションが異なるだけです。異なる階層、ないしは、異なる意識レベルで機能しているだけです
 
 では、意識レベルを上げて一段と高い界層の存在となるにはどうしたらよいか。そのカギは、シルバーバーチに言わせると〝人のために役立つことをすること〟に尽きるようです。

『こちらの世界では、各自の霊性の成長度にふさわしい階層、つまりは、環境との調和が最もしっくりくる階層に落ち着きます。知的・道徳的・霊的成長度が自動的にそこに落ち着かせるのです。他の階層との違いは、そこに住まう霊の質の違いです。

 霊的に高い次元にいる人ほど、質的に高いということです。他人への思いやりが強いほど、慈悲心が大きいほど、自己犠牲の意識が高いほど、地上界にあっても意識的に高い界層に生きていることになります』

 物理的に言えば、今支配している身体のバイブレーションのレベルが向上するにつれて見た目には物的でも質的に徐々に物質性が衰え、やがて消えてなくなり(死滅し)、次の進化の段階へと進みます。かくして精神(魂)の内部での意識が発達するにつれて大霊(神)に近づくことになるわけです。
 
地上生活を送っている間中も『皆さんは霊の世界の最高界から最低界までの全階層の影響を受ける状態にあります。が、実際に受けるのは各自が到達した霊性と同じ次元のものに限られます。邪悪な魂は邪悪なものを引き寄せます。高潔な魂は高潔なものを引き寄せます。それが摂理なのです』。

 ────
日常の行為の一つ、言葉の一つにも気を付けなくてはいけません。神経質になるのではなく、常に人の為を思いやる習慣を身につけることです。いつでも、どこでも親切の念を出し続ける習慣です。これは天界では大変重要なことで、それが衣服に明るさを、そして身体に光暉を与えるのです。
                                 (ベールの彼方の生活1-℘170)

 

   
22 死産児の死後                        ベールの彼方の生活1-℘144

 ここで生活している子供はみな死産児で、地球の空気を吸ったことのある子供とは性格上に非常な違いがある。僅かニ、三分しか呼吸したことのない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違うそれ故
死産児には死産児なりの特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の点では地上生活を少しでも体験した子供より速い。まだ子供でありながらこうした高い世界で生活できるのはそのためである。

2-℘191
こうした子供たちは原則として下層界にある〝子供の園〟には行かず、彼ら特有の成長条件を考慮して、この高い界層へ連れて来られる。これは彼らの本性に地臭が無いからであるが、同時に、少しでも地上体験を経たもの、あるいは苦難を味わった子供に比べて、体質が脆弱であるために、特殊な看護を必要とするからでもある。
 
 が、ただ美しく純粋であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身につけたら、今度は地球と関係した仕事に従事している方の手にあずけられ、その方の指導のもとに間接的ながら地上生活の体験を摂取することにある。
         (中略)
私にも実は一度死産児を生んだ経験があるのです。それに気が付くと同時に私の胸にその子に会いたいという気持ちがとめどもなく湧いてきました。〝あの子もきっとここに来ているに違いない〟そう思うや否や私の心の中に感激の渦が巻き起りしばし感涙にむせびました。

 「私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持ちが良く判るのです。私も感激の涙に浸ったものです。」死産児にも霊魂があるなどとは考えてもみませんでした。
          (中略)
 子供がこちらへ来るとまずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上のことを勉強させます。地上生活が長ければ長いほど、こちらでの地上の勉強は少なくて済みます。死産児には全然地上の体験が無いわけですが、地球の子供であることには変わりありませんから、やはり地球の子としての教育が必要です。つまり地上へ近づいて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。

 もちろん地上へ近づくにはそれなりの準備が必要です。また、いよいよ近づくときは守護に当たる方が付いております。死産児には地上の経験がまるでないので、地上生活を体験した子に比べて準備期間が長いようです。やはり地上生活が長いほど、またその生活に苦難が多ければ多いほど、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが速いようです。

 ともかく全てがうまく出来上がっております。
         (中略) ℘149
 しばらく行くと噴水があり、周りの池に流れ落ちていきます。やがて池の水はその都市を流れる大きな川につながり、無数の色彩と明るい輝きを放散しながら、下の平地へ滝となって落ちていきますが、その川のあちこちで子供たちが水浴びをして、しきりに自分の体に水をかけております。

 すると案内の方から、あの子供たちは死産児としてきたので体力が乏しく、あのような遊びによって生体電気を補給し体力を増強する必要があるというのです。でも案内の方が『別に何の不思議でもないでしょう。ご存知のように、私たちの身体は肉も血もないのにこうして肉体と同じように固くて実体があります。

又、現在の私たちの身体が地上時代よりはるかに正確に内部の魂の程度を反映していることもご存知のはずです。その点あの子供たちの大半がやっと成長し始めたばかりで、それを促進するための身体的栄養が要るのです。別に不思議ではないと思いますが・・・・・・』

 多くの人間がこちらへ来てみて地上とあまりによく似ていることに驚くはずです。

          詳しくは《死産児との面会》をお読みください。
 
 



    
 23 自殺霊の苦しみ
 死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃げたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分に付きまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出られないまま、何十年も何百年も苦しむ者がいる。


 2020・8/5 掲示板 雑記
 私の仕事仲間が亡くなったのはもう二十年も前のことだった。突っ張り根性丸出しだった。壁にぶちあたれば死ねばいい、それで一巻の終わりよ、それが彼の人生だった。死は彼にとってすべてお終いになるはずだった。とある昼下がり、突然、彼の自殺現場が見えた。部屋は彼の自室。

 死後、こう叫んだ『何だ、死んでないじゃないか』と、57年間の思い出の詰まった彼の部屋から妻と子供たちを残し暗闇の中へ逃げるように走り出て行った。それから何度か声をかけたが応えてくれなかった。


 SB霊訓(9)12章 自殺について二つの投書 から  ここでいう私とは「SB霊です」
《大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であると言ってよいと思います。果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。

 しかし、私がいつも言っているように、いちばん大切なのは動機です。何が動機で自殺したかということです。ままならぬ事情から逃れるための自殺は、今述べた通り、そう思惑どおりには行きません。が一方、時たまあるケースとして、動機が利己主義でなく利他主義に発している時、つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過しであったとしても、さきの憶病心から出た自殺とはまったく違ってきます。

 いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き変えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。

 だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。》


──☆
  地上であれ霊界であれ、苦しみの真っ最中の魂は自分が犯した罪の償いをしているのだから、その苦しみはやがて終わることが理解できます。永遠に苦しむことなどあり得ないのです。希望をもって明日へ向かえばやがて光明の灯りが必ず視えるのです。
 過ちを犯したら改めればいいのです。魂は永遠です。進化の旅も永遠に続きます。神の愛も永遠に私たちを導き決して一人ぼっちにさせないようです。




   
24 イエス・キリスト
 ほぼ二千年前にイエスは磔刑にされました。当時の司祭たちがイエスを憎んだからにすぎません。イエスを通して、霊力のほとばしりを見せつけられたからでした。まさに神の子にふさわしい人物だったからにほかなりません。このままでは自分たちの立場が危ないと思ったのです。

そのイエスは今、イースターとクリスマスとほぼ同じ時期に霊界で開かれる指導霊ばかりの会議を主催しているという。〝スピリチュアリズム〟の名のもとに進められている現代の啓示と人類の霊的覚醒事業の中心的指導霊が、かつて地上で〝ナザレのイエス〟と呼ばれた人物だということである。(詳しくは〝イエスの少年時代・イエスの青年時代・イエスの弟子たち〟)を参照されたい。
 

 そのイエスが死後、物質化現象でその姿を弟子たちに見せて死後の存在を立証して見せたあと、地上的なほこりを払い落して本来の所属界へと帰って行った。マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でイエスの死後に言及してこう述べている。

『ナザレ人イエスにとって中途の界層での生活は必要ではなかった。彼は一気に創造主と一体となった。彼は地上に生きながらすでに神だった──全宇宙をその意識、その愛に包摂するだけの霊力を具えていたのである』
 
 そのイエスが〝私はまた戻ってくる〟の予言どおりに、人類浄化の総指揮者として今その霊的影響力を全世界に行使しつつある。それが各種の霊界通信、奇跡的心霊治療、自由解放の運動となって表れているのである。(イエスの青年時代の巻頭を飾っている、近藤千雄氏の言葉)
 



   
25  イエスの御言葉

 「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。
 神はあなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中にいるのです。ということは自分の霊的成長と発達にとって必要な手段はすべて自分の中に宿しているということです。それを引き出して使用することが、この世に生まれてきたそもそもの目的なのです。

 「汝の敵を愛し、汝を憎む者に善を施し、汝を呪う者に祝福を与え、汝を辱める者のために祈れ

新約聖書の主役であるイエス・キリストは地上で開始した霊的革新の使命に今なお携わっていると確信している。そう信じて初めて(マタイ伝の最後にでている)
見よ! 私はこの世の終わりまで常にあなたたちとともにいる」というイエスの言葉の真実の意味が理解できる。

 〝蒔いた種は自分で刈り取らねばならない
 《活かすものは霊なり。肉体は益するところなし。我が語りし言葉は霊なり、生命なり『ヨハネ伝』(6・63)
 こうした言葉が教えているのは、全生命のエッセンスである霊が無ければ、私たちが現在体験している物的表現は存在しないということです。

   〝汝らも神なり、汝らすべてが神の子なり〟 (SBのスピリチュアルな法則℘194)
  〝父の家には住処多し〟 
(霊界には多くの類魂がある) 
     〝真理は求めるものには必ず与えられる〟
(求めるものには地上と同じく霊界でも与えられる)
 
 
 


  
26   因果律の法則
 
 原因があれば結果があり、両者を切り離すことはできません。その作用には情状酌量のお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。

あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分自身の手で自分の人生を書き綴っているのです。一たん書き記したものはもう二度と書き変えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。

それが地上生活中に出るか否かは分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです。

宇宙の絶対的な法則の働きによってその人間がそれまでに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。それだけの荷を拵えることができたのだから、それを取り除くこともできるのが道理のはずです。蒔いた種は己が刈り取るのです。
 
摂理は完璧です。ひたすら人のためを心掛けた生活を送っていれば、その人を通して大霊が働きます。あなたにもその可能性があり、全ての人に例外なく言えることです。

 つまりシルバーバーチの言う因果律は絶対的に本人自身のもので、それを他人が背負ったり断ち切ったりすることはできません。

 



     
27  五感 
 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえやむを得ないことです。しかし本当は身の回りの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機をうかがっております。

 忘れないでください。あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹を与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極小極大を問わず全存在に生命を与えたのとまったく同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進むことです。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます。

オリバー・ロッジ Sir Oliver Loge の著書に Phantom Walls (幻の壁)という随筆調の論文集の中に、幻の壁とはつまり肉体の五感を意味し、これが幻に過ぎない存在である。といっております。
 
この壁によって〝人間的煩悩〟に迷わされ、うぬぼれや見栄、肉欲に支配され、地上生活を失敗する霊がいくらでもいるのです。それは、肉体というやっかいな欲望の媒体に宿っていいるからでしょう。地上生活の困難の大部分は肉体の扱いにくさから生じている。しかし、肉体が我々ではない。少しの間、ホンのちょっとの間だけ使用する道具に過ぎないのである。

霊界人の目
 こちらの世界の明りは、内部まで貫通する作用があります。



    
28 地上で為すべきこと
  (SB霊訓 1-2章)
 「地上に生を享けるとき、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するためにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂みずからが選ぶのです。

ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。」
 
私たち人間は霊的存在で、地上へは学びのために生まれたのです。地上はその学びの学校です。地上は霊界ではありえない状態(魂の学びの異なる者同士が同じ次元で交わりつつ生きる世界)だから学べるのです。

地上では、地上に居ながら地上的価値観に捉われず「断捨離」の生活。地上生活の最低限の必需品があればいいのです。
余りあるものは貧しい人のために寄付したり恵んだり、人の役にたつ働きに徹し、今自分がしてほしいと思ったことを相手にしてあげる行為とか必要以外のものは貯めこまない。

地上で学んだ学問は学んでいない人を導くために学んだのです。人を卑下したり差別したり、自分を偉ぶったり自慢するために学んだのではありません。
 
多くの人が誤解している真理 「地上における知性的な者の役割」は是非お読みください。等々、人は必ずやがて地上を卒業し死後の生活が始まるのだと自覚をもって生活することです。

地上で唯物主義的生活に徹した人は、そのままの生活を幽界(低級界)でもするのです。淫乱だった人は死後も永い間同じ淫乱生活をします。それしか頭にないのです。同じように守銭奴は金を、利己主義者は相変わらず頑固な利己主義者です。死後の世界では魂はみな赤裸々になります。全てが知れてしまうのです。
 
 唯物思想は何としても撲滅しなければならない悪性の腫瘍です。これが人類を肉体的にも精神的にも霊的にも病的にしているのです。地上生活で最も大切なのは霊に関わることです。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生甲斐も得られません。

魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂の肥やしです。魂がその秘められた力を発揮するにはどういう肥やしを摂取すればいいかを知る必要があります。それが地上生活の全目的です。
 
☆この世に生きる目的は、霊的な顕現を制約するものを少しでも排除し、霊的資質が肉体を通してなるべく多く顕現すること。

 イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。神はどこか遠く離れた近づき難い所におられるのではありません。あなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中にいるのです。自分の霊的成長と発達にとって必要な手段はすべて自分の中に宿しているということです。それを引き出して使用することが、「この世に生まれてきたそもそもの目的なのです」
 
 
  
29  幽 界
 地上界の次の生活の場は、地上界の写しです。地上と非常によく似ています。死んだことに気づかない人間が大勢いるのはそのためです。こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念が生活と活動の表現のすべてに形態を与えます。

他界直後の世界は地表のすぐ近くにあり、ものの考え方が極めて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現もきわめて地上的で、考えることがすべて物的感覚によって行われます。


地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことで、波動の原理から言えば、相変わらず地上的波動から抜け出せない者がいて、地上生活から持ち越した感覚、感情のままで生活を続けている。その種の霊を〝地縛霊〟という。

人間が地上生活を終えてこちらへ来た当初は、地上にいた時とそっくりそのままであることを知らねばならない。いかなる宗教であれ、信仰厚き者はその宗教の教義に則った信仰と生活様式とをそのまま続けるのが常である。が、霊的成長とともに〝識別〟の意識が芽生え、一界一界と向上するうちに籾殻が一握りずつ捨て去られていく。その中でも旧態依然として抜けきらない者もいれば、さっさと先へ進みゆく者もある。
 そうして、その先へ進んだ者たちが後進の指導のために戻ってくることにもなる。
 
☆幽界以下の界層はいわゆる地獄界(暗黒界)と呼ばれる界層ですが、そこの住民は当たり前に人間の魂です。悪魔と呼ばれる存在がもしいたとしてもそれは人間の魂が悪魔と呼ばれているにすぎません。いわゆる悪魔は存在しないのです。真理を知ればいかなる問題も解決いたします。正しい宗教を知る上で霊的真理が明瞭に解決してくれます。

 地上で Animaru man 的生き方をした人は必ず幽界で再生するようである。

『当センターへ治療に訪れた 四才の女児の母親は東京生まれ葛飾育ちです。治療センターへ治療に訪れた際、私は沖縄出身ですか? と聞いてしまいました。すると皆さんからそう言われるそうです。しかも、第二次大戦中は沖縄に住み(前世)の名前も知っているそうです。この方は(前世)のパーソナリティーそのままの魂の再生と思われませんか?

シルバーバーチ霊のおっしゃる再生は、類魂の一部ダイヤモンドの一片の輝きを増すために再生する霊は、地上時代とは全くの別人であると説きます。類魂は霊界にあり、幽界で再生する魂は地上時代のままの魂であり、物的身体は別人であっても霊的魂は同一人物と思われます



ある儀式
 一人の霊が〝偏見〟つまり自分の特殊な考えと異なる人々へのひがみ根性からすっかり卒業して一段と広く充実した世界へと進んで行くことになったのを祝うものです(ベールの彼方の生活Ⅰ℘22)。(偏見も霊的無知も卒業しなければ魂の進化向上はないということ)。

地上と幽界との違い
 必見の図書としてお勧めなのが浅野和三郎著「新樹の通信」です。・・・新樹は父の命を受け幽界を散策するのですが、地上で有名だった(実業家他)人たちに大勢会いました。しかし何故このような人たちがこんな低い界層にいるのか分かりません・・・と述べております。

地獄界の一部
 性欲=肉体がなくとも精神の作用が増幅していく、その不満が耐えきれない苦痛・汚れた欲望が魂にしみこんでいるためただ性欲に満足を求める。
 性的倒錯者=不義を為す者はいよいよ不義を為し、不浄なる者はいよいよ不浄を為し、先鋭化した感覚がますます欲望をあらわにする。精神構造が造り上げた痴態のかぎりを延々と続ける…やがて、嫌悪感が伴う、更に淫蕩の嫌いな相手から逃げられないなど、数々の苦痛を体験しやっとその場を離れる決心をする。

本物の暗黒界
 地上はまだ善の中に悪が混じっている程度ですが、こちらの世界の暗黒界にいる者を取り巻く悪の影響力は地上に比して遥かに邪悪なのです。こちらへ来た邪悪な人間がうっかり暗黒界へ足を踏み入れようものなら、その途轍もなく恐ろしい世界から抜け出ることの大変さを思い知らされます。想像を超えた長い年月にわたって絶望と諦めの状態で過ごす霊が多い理由はそこにあります。




   
30  霊 界
 
霊界は光と闇といった対照がなく、したがって影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解ができております。そうでなかったらその界層にはおれません。その界層に至るまでは光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。

  
陰(地上的価値観・比較対象)のない心境に到達し霊性が向上しやっと霊界へ辿り着きます。ここで初めて類魂(インディビジュアリティ)へ没入するようです。従って幽界で地上圏へ再生した魂(Animal-man)は地上で顕したパーソナリティそのものなのです。
 

☆霊界の強者とは弱者に手を差し伸べる力があるという意味です。
☆霊界に存在するのは〝神の摂理〟のみです。
☆霊界は邪悪なものは存在しません。邪悪なものを生み出す原因が取り除かれているのです。
 
各自が霊的発達と成長と進化にとって適切かつ必要なことに心ゆくまで従事している。霊界には醜いものや暗いところや惨めなことが全くない所です。美しいもの、輝くようなものばかりです。るるの霊界通信の〝るる〟は死後2~3年しか経過していないのに既に霊界で仕事をしているようです。

☆ 又、霊界は(ベールの彼方の生活によれば)吾々が第一界から上層界へと進んでいくと、他の惑星の霊界と合流している界、つまりその界の中に地球以外の惑星の霊界が二つも三つも含まれている世界に到達する。さらに進むと、今度は他の恒星の霊界と合流している世界、つまり惑星間の規模を超えて、太陽系の規模つまり太陽の霊界が二つも三つも合流している世界に到達する、そこにはそれ相当に進化した存在、荘厳さと神々しさと偉力とを備えた高級神霊が存在し、下層霊界から末端の物質界に至るすべてに影響を及ぼしている。


霊の世界の組織について(古代霊は語る℘176)
 霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。こちらの世界には地上で言うような支配者はおりません。霊界の支配者は自然法則そのものなのです。また地上のように境界線によってどこかで区切られているのではありません。低い界から徐々に高い界へとつながっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて上へ上へと上昇してまいります。 

 
 

    
31   神界
 つまり地球の本体となると、いよいよもって筆を尽くすべき余地がない。強いて想像すれば、それは他の諸天体と合流同化し、玲瓏清浄、自在無碍、何もかも見通しのつく光明遍照の理想境とでもいうより外に途がないであろう。死んで霊界に入ったステッド(タイタニック号で溺死)なども次のように歎息している。

「私は生前こう考えていた。人間は死んだらすぐ神と直接交通を行い、自己のとるにも足らぬ利害得失の念などはきれいに振りすて、礼拝三昧、賛美歌三昧にひたるであろうと。そういった時代も究極においてはあるいは到達するかもしれない。

しかし、現在のわれわれはまだそれを距ること甚だ遠い。人間の地上生活はいわば一つの駅場、にすぎない。現在の私の幽界生活は第二の駅場である。我々はまだまだ不完全である。われわれはまだ個々の願望翌年を脱却しえない。われわれは依然として神に遠い。要するに宇宙は私の想像していたよりも遥かに広大無辺であり、その秩序整然たる万象の進展は真に驚嘆に値する・・・・・・」


☆霊の世界は一つです。しかしその表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側には必ず霊的表現があるのです。その無限の霊的世界が二重、三重に入り組みながら全体として一つにまとまっているのが宇宙なのです。あなた方が知っているのはそのうちのごく一部なのです。知らない世界がまだまだいくらでも存在します。
 


 
  
32 病気は自分で治せる

 あなた方には大霊が宿っていること、そしてそれを自覚し発現すれば、あらゆる物的なものに超然としていられるということです。「自覚し発現すれば」あらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかし、現実にはそれを活用している人間はほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国は人間の中にある」と明言しているのですが・・・・・・

法則と調和した生活を送っていれば病気も不快も苦痛も生じないでしょう。これらは自然法則との不調和の信号に他ならないからです。法を犯してその代償を払うか、法を守って健康を維持するかです。この世はすべて〝物
〟と〝金〟と考えているから法則からずれるのです。

──
 シルバー・バーチの話は常に煩悩の世界を超越した絶対の世界、永遠の生命を達観した立場から見た説であることを認識する必要があります。

SB霊がおっしゃる法則通りの生活はなかなかできませんが、せめてほんの少しでも自分より貧しい方たちへ心を寄せてあげるとか、寄付するとかの行為は死後へ旅立った際に自分の魂にも輝く要素があったのだと自覚なさるはずです。
 錆びたままの魂で死後に向かわないでいただきたい・・・・・・
 

  
 
33 再生
 霊的成長というのは実際に物事を体験し、それにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります。

 再生にあたり Animal-man (動物的生活を送った魂)は決まって再生するようである。
 この方は Animal-man ではないようであるが、〝先天性心臓血管病・ 四歳の女子の母親は沖縄(前世)の再生前世の名前も記憶在り〟などを考え合わせると、70数年前は沖縄に住んでいたとしか思えない。一旦類魂へ没入した魂ならば再生に際し前世の名前を告げることは不自然だからである。
 

☆ 別の例として、仮に不幸にして不具の肉体をもって地上に生まれたとすれば、それは前世において何らかの重大な過ちを犯し、それを償うには、そうした身体に宿るのが一番効果的であるという判断があったと解釈すべきである。

『たとえば白痴に生まれついた者は、それなりの知能で地上生活を実感し、それなりの地上的教訓を吸収することを余儀なくさせられる。地上で暴君とか残忍な宗教裁判官だった者は、白痴とか精神薄弱児として再生することがよくある。つまり他界後彼らは自分の犠牲者たちの苦しみをみて深く反省し、良心の呵責を感じるようになる。
 
時にはその呵責が余りに大きくて、精神的中枢が分裂することがある。そしてその状態のまま地上の肉体に生まれ変わる。言い換えれば地上時代の罪悪の記憶に追い回され、悪夢にうなされ、さらには犠牲者たちが自分に復讐しようとしているという妄想によって、それが一段と強烈になっていき、ついには精神的分裂症になったまま再生するのである。』(古代霊は語る℘79)

地上生活という巡礼の旅において、内在するためのチャンスはあらかじめ用意されているのです。そのチャンスを前にして、積極姿勢をとるか消極姿勢をとるか、滅私の態度にでるか利己主義に走るかは、あなた自身の判断によって決まります。ここで着目すべきことは

「いかなる真理も、それを受け入れる準備が魂に備わるまで、それを理解するだけの意識の開発、霊格の進化が無ければ決して悟ることはできない」と言っていることです。
  
  ☆ ──  ☆
人はみな魂の修行中なのです。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。だから助け合わねばならないのです。この世から〝陰〟を消滅させるには「人の役に立つ働き」こそ地上へ生まれた目的であり、宇宙創造の目的でもあるのです。




   
34 未熟な魂の死の直後
 
   ・・・植物人間の魂・・・
 家族愛がつよく信仰深いが真理からかけ離れた教義、ドグマ。その教えは人間の夾雑物で汚染された聖書。キリスト教に多くの教団があるのが不思議です。依頼者の患者が信仰しているかは分かりません。
 高齢の男性の治療依頼が参りました。遠隔治療により一旦元気になりましたが、二、三か月後意識不明となり、家族の要望で延命治療へ。

 食べ物は管で胃に流し、心臓は鼓動しているものの肉体だけの命は保ち続けています。二、三週間後、私は、患者の魂はどのような環境でどうしているのか霊視を試みました。するとそこは暗闇で、しかも無限で、無人で、空虚で、患者の心の想像した意念の世界でした。暗闇の世界から、男性は真理(死後の生)をご存知ないようです。

 私は、男性はこの闇のような世界でどのように動くのか観察いたしました。肉体からシルバーコードでつながっているだけです。そのために霊界へ旅立てないのです。地上の人間は家族愛だと言い訳しながら植物人間として肉体だけをこの世に縛り付けつなげているのです。

この男性がもし、死後の生をご存知なら、シルバーコードは自分でもしかしたら切断しているかもしれません。無知が生み出す光景だとおもいます。但し、私は死後の世界をのぞいた体験はあまりに少なく、植物状態の魂がみなこの方のような状態にあるかというのは分かりません。いずれにしても、正しい真理普及が進むよう願ってやみません。



  ・・・肉体にしがみつく魂・・・
 意識不明の方の、知り合いという方から遠隔治療依頼を受けた。

施療一日目=魂が幽体へ移動していく姿が見え、間もなく臨終を迎えるかも、と目を凝らした。しかし、地上界から去りがたく肉体にしがみつきイヤだ嫌だと駄々をこねているようすが窺える。見舞っている方々の目には顔が歪み痙攣しているかの様に映るかもしれない。

二日目=肉体は既に感覚なし。その肉体の傍に横になり起きろ起きろというも、肉体にその気配なし。それでも魂は肉体に添い寝する。余程地上に未練あるかのようです。 いろいろな現象を目にする度に霊的真理の必要性を強く感じる。

三日目=魂は肉体からやっと離れました。霊界での生活に早く順応できますよう・・・祈ります。

・・・このような未熟な魂のために死後三日は火葬にしない方が良いといっています・・・・・・




  
35   アカシックレコード (生命の書)

 アカシックレコード(英: akashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い …Wikipedia

高級霊団から使命を仰せつかったシルバーバーチが地上圏で活動するには霊媒を探し出すために霊界の記録簿を調べ、この霊(モーリス・バーバネル)に白羽の矢を当てた。それは霊媒がまだ母体に宿る前の話です。やがて母体に宿って自我を発現し始めた時からSBが影響力を行使し、今日まで続いている一体関係がその時から始まったのです。

そのほか、(1688~1772)のE・スウェーデンボルグや特にアメリカのA・J・デービス(1826~1910)はこのアカシックレコードを実際にのぞき宇宙の始まりの様子を伝えてきたのです。「世界心霊法典Ⅲスピリチュアリズムの神髄」に138億年前のビッグバンの様子を詳しく述べております。

《中でも第二部の 『大自然の啓示』 は三部作の中でも主要部を占めるもので、内容的にも破天荒と言ってよい要素を数多く含んでいる。大自然の機構を哲学的に解明せんとしたもので、物的宇宙の誕生から説き起こしてその形成過程を述べ、さらに物的宇宙創造のそもそもの目的と意識まで説き及んでいる。

 その中で太陽系の誕生にも触れ、特に太陽をはじめとする個々の惑星の形成過程を詳しく述べ、さらに太陽系全体を支配している原理と法則を説明している。続いて主題はわれわれの住む地球に移る。

 まず無生物が生物へと進化していく過程を説明し、続いてその生物の第一歩として海中に発生した単細胞の原生動物が徐々に進化して最後に人間となって行く様子を説明する。


 すでに述べた通り、このデービスの進化説はダーウィンやウォーレス、あるいはスペンサーなどより数年も早く説かれたものであり、しかもどの進化論よりも明確である。三人のうち心霊学者でもあったウォーレスの説は当然デービスの説と符節を合し、ダーウィンやスペンサーのそれとは根本的に異なっている。

 この第二部を読んで特に感心することは、学歴も学識もないはずのデービスが、この書の中では科学と哲学とに精通しているかの如く思えることである。

地球の生成の各段階を説明するに際しても地学の専門用語を正確に、しかも自信を持って使用し、他の分野に関することでも、まるで専門家のような印象を与えるのである。

生物学しかり。天文学しかり。同様に化学も物理学も完全にマスターしている。そのデービスが普段はほとんど無学に等しく、専門的知識に至ってはゼロに等しかったのである。》


《ではその第二部の劈頭(へきとう)に述べられているデービスの雄大な宇宙創成説を紹介してみよう。
  
 「天地いまだ分かれざる時、宇宙は人智も言語も絶した液状の火の海であった。その広さ、その高さ、その深さは、いかに想像の翼を広げたとて人間の理解力の届かぬことである。存在するのはただ果てしなく広がる液状の火の海、果てのないものは人智の範囲を超える。が事実、果てが無いのだ。その内容、本質も人智の理解を絶する。それは物質の原始形態なのである。

 それには個別的形態がない。全体が一つだからだ。個別の動きがない。永遠の動きの中に没入しているからだ。部分的存在が無い。全体が一つとなっているからだ。分子も存在しない。全体が一つの分子なのだ。太陽も存在しない。全体が永遠の太陽的存在だからだ。

 初めというものがない、従って終わりも無い。長さも無い、無限のうずを形成しているからだ。相対的な力というものが存在しない。それ自体があらゆる力のエッセンスだからだ。計り知れぬ底力を秘めた全能の力というべき存在なのである》


 ☆ ☆
もう一つの生命の書、「世界心霊法典ⅱ」永遠の大道 二部 二十一章 二つの世界の想念交流から

 前略
帰幽者の多くは新取の精神に富んでいるものだ。死後に初めて昔の恋人と再会した当座は暫く、『生命の書』から、肉体の苦痛を伴わずに味わえる過去の快楽の思い出を引き出して、それに耽っている。

が暫くする内に、大記憶の中に記載された過去の経歴の堆積や、その他諸々の記録に飽きてしまう。そこでわれわれは「時」の敷居を跨ぎ、果敢にも神の想像の中に入っていく。第三の主観状態で『生命の書』の未来の頁を読むのである。そこには曾て予言者や占者たちによって漠然と予言された、未だ地上には生起していない人間のドラマが展開されている。

わが子孫の者たちの放浪、われとわが血受け継ぎ、その印を額に印した者たちの運命を見る。こうして実際、未知の世界から姿を垣間見せた人類の未来───すべては神の想像から生まれるものだと私は言ったが───につくづくと眺め入ったとき、われわれは悲嘆に暮れてこの『生命の書』の巻を閉じるのである。

 最後になったが、こうして第三の主観状態で過去と同じく未来の頁までも読む力を与えられるのは、陳腐な言い方ではあるが、霊的に進化した、進んだ魂にのみに限るのである。死後の門を潜った魂たちの大半は心霊的に未発達な境涯に留まるのである。

     ☆ ☆
 如何ですか! 『もしも人間の個性が死後に存続しないとすれば、人生哲学は空虚な厭世思想しか有り得ず大宇宙の支配者は正常な人間の誰をも憤慨させる悪逆非道に対しての責任を免れないことになる。

 しかし残念ながら、魂の進化が進んでいなければ、 信じることはできず、唯物的価値観に拘って生きるしかありません。・・・・・・信じないはあなたの自由です。



   
 36  
始まりも終わりもない旅…その始まり!

①Big bang 138 億年前  
 「天地いまだ分かれざる時、宇宙は人智も言語も絶した液状の火の海であった。その広さ、その高さ、その深さは、いかに想像の翼を広げたとて人間の理解力の届かぬことである。存在するのはただ果てしなく広がる液状の火の海、果てのないものは人智の範囲を超える。が事実、果てが無いのだ。その内容、本質も人智の理解を絶する。それは物質の原始形態なのである。

 それには個別的形態がない。全体が一つだからだ。個別の動きがない。永遠の動きの中に没入しているからだ。部分的存在が無い。全体が一つとなっているからだ。分子も存在しない。全体が一つの分子なのだ。太陽も存在しない。全体が永遠の太陽的存在だからだ。

 初めというものがない、従って終わりも無い。長さも無い、無限のうずを形成しているからだ。相対的な力というものが存在しない。それ自体があらゆる力のエッセンスだからだ。計り知れぬ底力を秘めた全能の力というべき存在なのである。

 その全能の力こそ大宇宙の根源力すなわち〝神〟なのである。そして、それが永遠の〝動き〟となって発展したのがこの宇宙なのだ。まさに“〝物〟と〝動き〟こそ宇宙の根源的条件なのである。(Nature's Divine Revelations

 その液状の火の固まりが熱と光と電気とを次々に発しながら物的宇宙空間に広がり、やがて凝結して数知れぬ天体組織となったと言うのである。
                        (世界心霊法典ⅲ スピリチュアリズムの神髄℘39)

② (地球は46億年前) 
デービスによれば、吾々の太陽は大中心に近い順に数えて五番目の星雲に属していると言う。すると第六番目の星雲が物的宇宙の一番外側を回転している事になるが、その星雲はまだ十分凝結しきっておらず、一種の彗星のような状態にあると言う。

 さて続いてデービスは地球の属している小規模の太陽系の誕生について述べている。宇宙的規模の大型太陽系の誕生は今述べた通りであるが、実はわれわれの太陽系も似たような経緯を辿って出来ていったのである。すなわち、まず太陽が誕生した。が当時の太陽は現在一番遠くにある惑星が位置する範囲まで火焔の枝を伸ばしていた。それが時の経過と共に凝縮し冷却して今日の惑星となったと言う。
 

③(宇宙空間を漂っている天体のすべてに知的存在が生息している。どの天体も地質的構成は一つ一つ全く違う。生息している存在の有機的組成も違う。その一つ一つはその天体の創造主、つまり創造なさった神霊(天使)の影響を全てに受けるからです。「ベールの彼方の生活(一)念力による創造実験」を参照していただきたい)

④ 地上には、高級神霊の住む霊界(広義)はあったと思われる。が、人間はホモサピエンスを基準として考えれば6~5万年前頃から地上に住んだことになりその歴史は浅い。人間が住むようになって初めて霊界(死後の世界)が誕生したのです。やがて人間の魂たちも徐々に進化向上して幽界・霊界・神界が造られることになります。

 その幽界は唯物思想が抜けきれない魂たち、しかし、学びを深めてやがて物的思想から脱皮し、霊界へ辿り着き類魂に没入します。シルバーバーチのおっしゃる再生は類魂のダイヤモンドの輝きを増すために再生し、地上ではダイヤモンドの一部パーソナリティとして働き輝きを増して帰ることでしょう。

 一方で進化の遅れた「Animaru man」的だった人間の魂も誕生に際しブループリントを作成し生まれますがこのレベルの魂の進化は遅々としており幽界を永い年数をさ迷うことになります。やがて地獄界も作られ現在に至るのですが、人間の魂は簡単には進化しないようです。霊界の「生命の書」を読んだ霊は

『わが子孫の者たちの放浪、われとわが血受け継ぎ、その印を額に印した者たちの運命を見る。こうして実際、未知の世界から姿を垣間見せた人類の未来──すべては神の想像から生まれるものだと私は言ったが──につくづくと眺め入ったとき、われわれは悲嘆に暮れてこの『生命の書』の巻を閉じるのである。』


☆彡────
 このように人間は本来怠け者のようです。2020年の現在、スピリチュアリズムが大勢の人々に知れ渡ってもそれを実践する人は少ないはずです。なぜなら放蕩が楽で楽しいからです。地上人類が進化するためには神の計画に沿った〝大災害〟や〝疫病〟のような霊界側の荒療治が行われるでしょう。しかし、死は悲しみでないと言っています。その荒療治を上界から眺めいったとき、地上人類の歩みのそのお粗末さに〝悲嘆にくれる〟のではないでしょうか! 

 

    
37 
天体の霊的構成                                               ベールの彼方の生活1 6章℘222

 ご承知の如く、恒星にも惑星にも、その他物的なもの全てに〝霊体〟が備わっております。
 天体は〝創造界〟に属する高級神霊から出た意念が物的表現体として顕現したものです。全天体の一つ一つがその創造界から発せられた意念と霊的衝動の産物です。その創造の過程を見ていると、高級神霊が絶え間なく活動して、形成過程にある物質に霊的影響力と、その天体特有の言わば個性を吹き込んでおります。

かくして、例えば太陽系に属する天体は大きな統一的機構に順応してはいても、それぞれに異なった性格を持つことになる。そしてその性格は責任を委託された大天使(守護神)の性格に呼応します。
 
天文学者は地球を構成する成分の一部がたとえば火星とか木星とか、あるいは太陽にさえも発見されたという。それは事実であるが、その場合、あるいは組み合わせが同じであると考えたら間違いです。各天体が独自のものを持っております。ただそれが大きな統一体系としての動きに順応しているということです。

太陽系を構成する惑星について言えることは、そのままさらに大きな規模の天体関係についても当てはまります。つまり太陽系を一個の単位として考えた場合、他の太陽系とは構成要素の割合においても成分の組み合わせにおいても異なります。

各太陽系が他と異なる独自のものを有しております。さてそうなる原因(わけ)は各太陽系の守護神の個性的精神が反映するわけです。守護神の配下にさらに数多くの大天使が控え、守護神の計画的意図に沿って造化の大事業に携わっている。

とは言え、各天使にはその担当する分野において自由意志の行使が許されており、それが花とか樹木、動物、天体の表面の地理的形態といった細かい面にまで及ぶ。

千変万化の多様性はその造化の統制上の〝ゆとり〟から生まれます。一方、そのゆとりある個性の発揮にも一定の枠が設けられているために、造化の各部門、さらにはその部門の各分野にまで一つの統一性が行き亘るわけです。

 こうした神霊の監督のもとに、さらに幾つもの段階に分かれた霊格の低い無数の霊が造化に関わり、最下等の段階に至ると個性的存在とは言いかねるものまでいる。その段階においては吾々のように〝知性〟と同時にいわゆる自由意志による独自の〝判断力〟を所有する存在とは異なり〝感覚的存在〟とでも呼ぶべき没個性的生命の種属が融合しております。

──物語に出てくる妖精(フェアリー)とか小妖精(ピクシー)精霊(エレメンタル)といった類のことですか──

その通り。みな本当の話です。それに大ていは優しい心をしています。ですが進化の程度から言うと人類よりは遥かに低く、それで人霊とか、天使と呼ばれる程の高級霊ほどその存在が知られていないわけです。


☆彡────
さて、この後地球について述べられているのですが、興味のある方は当ホームページ掲載「ベールの彼方の生活1℘224」6章  見えざる宇宙の科学  をご覧になってください。

 

      
38  地球の未来
 
 これからも地上にはいくつもの大変動が生じます。崩壊もあれば隆盛もあります。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかもしれません。〝大変な時代になった・・・〟そうおっしゃるかも知れません。しかし、そうした変動の背後には地上世界の進化へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。

 地球はこれからもずっと地軸を中心に回転し続けます。太陽はこれからもずっと輝き続けます。すべての天体が定められたコースを運行し続けます。潮は満ち引きを繰り返し、春の後には夏が、夏の後には秋が、秋のあとには冬がめぐってきます。

それはその背後で支える力が無限であり誤まることが無いからです。これだけの大自然の見事なスペクタクル(壮観・美観)を目の前にしながらあなた方は、それと同じ霊力が地上世界のことでしくじりを犯すことがあり得ると思われますか。

 その霊力を顕現させる道具が存在するかぎり、人のために役立ちたいと願う男性あるいは女性がいて下さるかぎり、私たちは病気に苦しむ人を癒し、生命が墓地の向こうにも存在することを証明し、永遠の霊的実在の証を提供し続けます。


『数年前(2015年ごろ)、アセンション(ascension)次元上昇があった。エネルギーの渦が地球を洗い通り過ぎて行った。しかし、何も起らなかった。が地球の次元レベルが上がったのです。このレベルに人間が合わせねばならない。合わせなければ、様々な形で地球浄化作用が起きるでしょう。

 例=「土星には地球が誕生する何千年も前に有機的生命が発達していた。 従って進化の程度もそれだけ高い。 肉体的にも精神的にも土星人はすっかり完成されている。 幅の広い強力な知性によって支配されている為に、全ての面で思慮分別がいき届き、精神面の弱点も身体的な病も存在しない程に至っている。 土星人の頭部は非常に高く且つ長い。又、土星人は遥か離れた惑星の住民の生活ぶりが見えるそうです。』

────☆
 栞紐「35 アカシックレコード」や「37  自然災害」等も参照し地球という惑星に住む人間は大霊が計画されたブループリント「天災地変」に翻弄されることになります。




  
39 自然災害

───神は何の目的で自然災害と言う破壊をもたらすのでしょうか。

「人間の進化に拍車をかけるためです。精神的新生のためには破壊も必要です。新しく再生する毎に霊的浄化において新しい一歩を踏み出すのです。何ごとにつけ、その過程を正しく理解するためには、結果を見届けなくてはいけません。

人間はとかくわが身に置き代えて判断するために、苦しいことはみな災害と考えがちですが、新たな秩序をもたらすためには思い切った混乱を必要とする時があるのです。それまでの平穏無事の惰性では何世紀も要するような改革が二、三年で成就されることがあります」


───神は破壊の手段以外の何か別の手段をとることが出来ないのでしょうか。

「取っておられます。日常生活の中での善悪の判断を通じて進化を促すという方法です。ところがこの方法では人間はなかなか向上しません。そこでその高慢の鼻をへし折り、人間の弱さを思い知らせる必要が生じるのです」

───ですが、そうした災害による犠牲は、邪悪な人間だけでなく善良な人間も悲歎に暮れさせるだけではないでしょうか。

「人間は、地上を旅する間の出来事は、どうしてもその肉体の生存期間を尺度として捉えます。ところが死んで霊界に戻ってくると観点が大きく変わり、地上時代の出来事が実に些細なことであることに気付きます。地上の一世紀は永遠の時の中では一瞬の花火のようなものに思えます。そして、地上の時間にして何日、何ヵ月、何年にもわたる苦しみもどうということはないように思えてくるものです。

 どうかこの点を今後のあなたの生き方の参考にして頂きたい。霊こそ実在であり、すべてのものに優先し、すべてのものが消滅したあとも残りつづけます。その霊のあり方こそ神が何よりも気遣うものであり、肉体は地上を生き抜くための仮の媒体にすぎません。

 多くの尊い人命を奪う大災害におけるそうした犠牲者たちは、戦闘後の兵士のようなものです。軍服はボロボロに破れ、あるいは千切れ、あるいは無くなっているかも知れません。が、生命(いのち)は失っていない。その姿を見て将校は軍服のことよりも生命があったことを喜ぶものです。軍服が肉体であり生命が魂です」 

────人類の進歩は常にゆっくりとした進歩なのでしょうか

「時の勢いで必然的に生じる一定の速度の進歩がありますが、それがあまりに遅すぎると、思い切った転換を促すために、ときとして物理的ないしは精神的ショックを神が用意します」

 



    
40     邪と悪
 
 『権力の座にある者たちのわがままが原因となって生じる悪と邪、それと、人類の進化の未熟さゆえに生じる悪と邪とは、はっきり区別する必要があります。

 地上の邪と悪には、貧民街(スラム)ができるような社会体制の方が得をする者たち、儲けることしか考えない者たち、私腹を肥やすためには同胞がどうなろうと構わない者たちといった、現体制化の受益者層の存在が原因となって発生しているものが実に多いことを知らねばなりません。そうした卑劣な人種がのめり込んでしまった薄汚い社会環境があるということです。
 
 しかし、他方において忘れてならないのは、人間は無限の可能性を秘めていること、人生は常に暗闇から光明へ、下層から上層へ、弱小から強大へ向けての闘争であり、進化の道程を絶え間なく向上していくものであるということです。闘争もなく困難もなければ、霊にとって征服すべきものが何もないことになります。
 
 人間には神の無限の属性が宿されてはいますが、それが発揮されるのは、努力による開発を通してしかありません。その開発の過程は黄金の採取と同じです。粉砕し、精錬し、磨き上げなければなりません。地上にも、いつかは邪悪の要素が大幅に取り除かれる時が来るでしょう。
 
しかし、改善の可能性が無くなる段階は決してきません。なぜなら、人間は内的神性を自覚すればするほど、昨日の水準では満足できなくなり、明日の水準を一段高い所にセットするようになるものだからです』(不滅の真理℘188)

 
〝悪〟とは何か、地上生活の究極の目的は〝死〟の後の生活に備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて自動的に他人に対して寛大になり、憐れみを覚えるようになります。これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の〝我慢〟です。

人間は往々にして自分のしていることの意味が分からずに、まったくの無知から行為に出ていることがあるものです。そこがあなたの我慢のしどころです。それは悪を放任し黙認してしまうことではありません。それは我慢ではなく目の前の現実に目をつむることです。真の意味の寛大さには洞察力が伴います。そしていつでも援助の手を差し伸べる用意ができていなければなりません。




     
41 認知症発症のメカニズム

  認知症発症のメカニズムは、人間には多かれ少なかれ嫌な過去、思い出したくない出来事、他人を傷つけた青春の一ページ、子や親のために全てを犠牲にした過去等がある人たちは、その時機が走馬灯のごとく蘇ることがあります。

 これらを嫌な出来事と捉え、でも、そうせざるを得なかった。曳かれた絨毯の上を歩まされてきた自分がいたのです。治療体験から認知症発症のメカニズムといえるような治療例を紹介します。

 ある方にはそれが〝耐えがたき苦しみ〟となって己を傷つけ、痛め、その痛みを忘れようとすることが原因で起こる自分の心では認知したくない、過去のない事実として忘れたい心の状態を反映しているのが肉体なのです。


 認知症治療依頼によくある症状は〝妄想が酷い〟とあることです。当ホームページ掲載「治療例56」を最下段に載せました。患者の妄想はまさしく、過去の嫌な思い出なのです!・・・嫌な過去の一ページを忘れたいのですが、魂にインプットされた嫌な観念は強迫的に迫ってくるのです。その嫌な観念に大声で言い訳している状態が周りのご家族や治療依頼者側から見える患者の〝酷い妄想〟なのです。患者は逃げるからいけないのです。

 過去は創られてしまいました。消すことはできません。動機は何だったのでしょう! 悪いと知りつつ犯したのでしょうか! もし、そうだとしても悪かったらお詫びしかありません。その道しか選べなかったのですから。忠信からのお詫びができるなら認知症は癒えるかもしれません。以下は治療体験の症例です。


その一、常に夫から「夫に合わせられないことを指摘され続けた」、逆に「私だって自由に生きたい」という願望はありましたが、それを言葉に出すと夫からきつく言われ、不平不満が鬱積し続けた。

──今回の遠隔治療では、奥様の鬱積した不満が赤茶色に汚れて変色していた。汚れた赤茶色から奥様の心の苦しさが分かる。その苦しさをご主人に理解して頂くよう(治療依頼者に申しあげた)ご主人の理解を強く求めた。現在症状は〝まだら状態〟なので、改善は期待できると思います。


その二、10年ほどまえ御主人に先立たれ、やがて二人の息子も独立し現在は一人暮らし、数年前から認知症の症状ではじめる。数日前の治療依頼で見た(患者の心の中)は空白でした。趣味もなく、親しい友も居るでもなく、子供たちは寄り付かず、いつも一人、何のため夢中で子を育て努力してきたのか、孤独で、自分を問い詰める日々数年。

 そのうち気づいたことは誰も理解しないのなら、いやな過去を忘れよう、其れが一番いい・・・そう思ったのです。この人生は自分が招いたのだ。誰の性でもない、人に求めても仕方ない、今は過去から逃避・嫌なことは忘れよう──その自分が認知したくない過去が、認知症を発症したと言える。


その三、患者(女性68歳)、彼女の夢は定年後人の役に立ちたい、働きたいと願い、ただ一つの趣味(体操教室のコーチ)で多くの人を指導することでした。しかし、ご主人は定年後、常に自分と一緒にいてくれと要望、一切の外出を認めようとしません。

それでも頑張ってコーチをしていたのですが、あまりにご主人の願望が強くとうとうコーチを辞めてしまいます。それから間もなく(二年ほど)経過。

 私のもとへ治療にお出でになったときはすでに不平不満の〝欲求〟が破裂して修復不可能でした。まもなくお亡くなりになりましたが、いわゆる〝まだら〟状態の認知症は修復可能なのです。手遅れにならないうちに正しい認知症知識を習得して欲しいです。

 又、ある依頼者の方から、私の父は社会的にも重鎮され忘れたい過去があったとは認められない。という苦情が来ました。その夜、私は真剣にそういうこともあるのかな、と思いながら睡魔に落ちた。すると「私の未熟な時代が画面に現れ、この記憶は恥辱に満ちた過去、向き合わず忘れようと逃げてきた記憶でした。結果、夢の中で認識されない部分、忘れたい過去 → 認知症となったのです。」

私には、このような形で spirit Doctor  が必要なことを教えてくださるのです。但し、これを聞く患者、及び周りのご家族の皆さんがこの意見を受け入れることが可能なのか!  魂の進化が答えを出すのです。


 治療法=患者のすべてを受け入れ、そのままでいいんだよ・・・好きなように生きなさい。よく頑張ってきましたね…と心の負担を軽減すること。

酷い妄想=患者の心に嫌な過去「絶対忘れたい」一ページがあり、それが強迫観念となり自分に迫ってくる。その強迫観念に向かって大声であるいはブツブツ言い訳している状態が〝酷い妄想〟となって周りの人々には映り顕れている。


 認知症についてネットで調べてみました。様々な現れ方があるようです。
  アルツハイマー型認知症
  脳血管性認知症
  レビー小体型認知症
  前頭側頭型認知症(ピック病)




   
42 〝後なる者、先になること多し〟        ベールの彼方の生活Ⅲ℘46    「靴職人」

 靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。なんとか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払ったときは一銭も残っていなかった。こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内してくれたことだけで十分うれしく思った。

案内されたところも地上近くの界層の一つで、決して高い界層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。というのも、苦労と退屈と貧困との闘いの後だけに、そこに安らぎを見出し、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。

 ある日のこと──地上的に言えばのことであるが──彼の住まいのある通りへ一人の天使が訪れた。中をのぞくと彼は横になって一冊の本をどこということなく読んでいる。その本は彼がその家に案内されてここがあなたの家ですと言われて中に入った時からそこに置いてあったものである。天使が地上時代の彼の名前──何と言ったか忘れたが──を呼ぶと彼はむっくと起き上がった。

 「何を読んでおられるのかな?」と天使が聞いた。

 「別にたいしたものじゃありません。どうにかこうにか私にも理解できますが、明らかにこの界の者のための本ではなく、ずっと高い界のもののようです」と男は答えた。

 「何のことが書いてあるのであろう?」

 「高い地位、高度な仕事、唯一の父なる神のために整然として働く上層階の男女の大霊団のことなどについて述べてあります。その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとに暮らしていたようです。話しぶりがそれを物語っております。

しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、互いの愛情においても合理的理解力においても何一つ差別がなくなっております。目的と仕事と願望において一団となっております。こうした事実からこの本はこの界のものではなく、遥か上層界のものと判断するわけです。そのうえこの本には各霊団のリーダーのための教訓も述べられているようです。

というのは、政治家的性格や統率者的手腕、リーダーとしての叡知、等々についての記述もあるからです。それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかもしれませんけど…。一体なぜこんな本が私の家に置いてあったのか、よく判りません」

 そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴じられた自分の名前があるのに気付いたからである。戸惑いながら彼はこう言った。

 「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」

 「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。ということは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事にとりかからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」

 彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」

 そこで天使がこう語って聞かせた。

 「そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の一つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的手段です。あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。例えば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。

儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられたほどです。そのモットーが魂に沁み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。

その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘らず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。そのために割いた時間はローソクの灯りで取り戻した。そうしなければならないほど生活費に困っておられた。そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。というのも、こちらの世界には、私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしが利く利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っているものは暗く陰気に映ります。

 このほかにも、あなたの地上での行為とその経緯について述べようと思えばいろいろありますが、ここではそれを措いておきます。それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団が要るのです。霊団として組織され、すでに訓練も積んでおります。その使命は地上近くの界を訪れ、他界してくる霊を引き取ることです。

新参の一人一人についてよく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。もう何時でも出発の用意が出来ており、そのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します


 それを聞いて彼は跪き、額を天使の足元につけて涙を流した。そしてこう言った。「私にそれだけの資格があれば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。それに私はその一段の方々を知りませんし、私に従ってくれないでしょう」

 すると天使がこう説明した。「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時あなたはその肉体から抜け出て、いつもその界を訪れていたのです。

そうです。地上に居る時からそうしていたのです。その界においてあなたも彼らといっしょに訓練をなさっていたのです。まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。お会いになれば皆あなたのご存知の方ばかりのはずです。彼らもあなたをよく知っております。大天使も力になってくれるでしょうから、あなたも頑張らなくてはいけません」

 そう言い終わると天使は彼を従えて、その家を後にし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を超えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光暉を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。




    
43 魂の永遠性     
                                                                                          個人的存在の彼方  F・W・H・Myers
 人間の魂の死後存続が真実か否かが我々にとって他のいかなる問題も影が薄くなるほど切迫した最大のテーマであることに疑問の余地はない。そのテーマに思いを馳せれば馳せるほど、他の全ての問題が、まったく無意味に思えてくる。

というのも死後存続が事実であることによってはじめて宇宙人生が合理性を持つことになるからである。そうであってはじめて〝悪〟の問題に納得のいく解決がつく。それ以外に解決法はあり得ないからである。

 もしも人間の個性が死後に存続しないとすれば、人生哲学は空虚な厭世思想しか有り得ず大宇宙の支配者は正常な人間の誰をも憤慨させる悪逆非道に対しての責任を免れないことになる。



      
  44   動物の死後

 長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力というものを身につけたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部初めから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが神の息吹で目を醒ましたわけです。

 さて、そうして神が動物に霊性の息吹を吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことができるのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込むことができるはずです。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることができるのです。愛がすべてのカギです。

動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。又、愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。愛があればこそ進化するのです。
 
 動物は死後も生前のままの形体を維持するか否かは、その動物に対する飼主の愛一つにかかっている。愛が両者を強く結びつけるのです。もし飼主より先に他界した場合には、その主人が来るまで霊界の動物の専門家にお世話になりながら待っています。その他の動物たちは類魂の中へ没入します。
 



    
45 死後の世界の仕事               ベールの彼方の生活1-℘195 
 この〝常夏の国〟では私たちは死んでこちらへやってくる人とあとに残された人の双方の面倒を見るように努力しております。これは本当に切り離せない密接な関係にあります。と言うのも、こちらへ来た人は後に残した者のことで悩み、背後霊がちゃんと面倒を見てくれていることを知るまで進歩が阻害されるケースが多いのです。

 先週も私たちのもとに夫と幼い三人の子供を残して死亡した女性をお預かりしました。そして例によって是非地上に行って四人のその後の様子を見たいとせがむのです。余り、せがまれるので私たちは、やむを得ず婦人を地上へ案内しました。着いたときは夕方で、これから夕食が始まるところでした。ご主人は仕事から帰ってきたばかりで、これからお子さんに食事をさせて寝させようと忙しそうにしておりました。

いよいよ四人が感じの良い台所のテーブルを囲み、お父さんが長女にお祈りをさせています。その子はこう祈りました。〝私たちとお母さんのために食事を用意してくださったことをキリストの御名において神に感謝します〟と。

 その様子を見ていた婦人は思わずその子のところに近づき頭髪に手を当てて呼びかけましたが、何の反応もありません。当惑するのを見て私たちは婦人を、引きとめ少し待つように申しました。暫く沈黙が続きました。その間、父親と長女の脳裏に婦人のことが去来しています。すると長女の方が口を開いてこう言いました。──「お父さん、母さんは私たちが今こうしていることを知っているかしら? それからリズおばさんのことも。」

「さあ、良く判らないけど、きっと知っていると思うよ。この、二、三日、母さんがとても心配してるような、なんだか悲しい気持がしてならないからね。リズおばさんの念かも知れないけどね」

 「だったら私たちをリズおばさんのとこに預けないでちょうだい。○○夫人が赤ちゃんの面倒を見てくれるし、私だって学校から帰ったら家事のお手伝いをするわ、そしたらいかなくて済むでしょ。」

「行きたくないのだね?」
「私は行きたくないわ。赤ちゃんとシッシーは行くでしょうけど、私はイヤよ。」
「なるほど。父さんもよく考えておこう。だから心配しないで。みんなで何とかやっていけそうだね。」
「それに母さんだってあの世から助けてくれるわ。それに天子さまも。だって母さんはもう天子さまとお話しできるのでしょ? お願いしたらきっと助けてくれるわ。」

 父親はそれ以上何もしゃべりませんでした。が、私たちにはその心の中が見えます。そしてこんなことを考えているのが読み取れました─〝こんな小さな子供がそれほどの信仰をもっているからには自分もせめて同じくらいの信念は持つべきだ〟と。

それから次第に考えが固まり、とにかく今のままでやってみようと決心しました。もともと子供を手離すのは父親も本意ではなく、引き止めるための言い訳ならいくらでもあるじゃないか、と思ったのでした。

 こうした様子を見ただけで母親が慰めを得たとはとても言い切れません。が地上を後にしながら私たちはその婦人に、あの子の信仰が父親の信念によって増強されたら私たちが援助して行く上で強力な手掛かりとなりますよ、と言ってあげました。

 その後、家族が別れ別れにならぬように処置がとられ、その母親には、これから一心に向上を心がけ、早く家族の背後霊として働けるようになりなさい。とのお達しがありました。

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 このように霊界では恙なく向上できるような処置がとられ、霊界人の仕事は地上の人間のために働いているようです。霊界ではお金のために働くのではありません。人の役に立つ働きをすることに喜びを見出しているようです。


































  
57     心・精神・愛

  広辞苑でとは
・人間の精神作用のもととなるもの……精神は、心、意識、気構え、気力、理念といった意味を持つ。
・人間の精神作用そのもの
・知識・感情・意志の総体・・・・・・知識とは、認識によって得られた成果、あるいは人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。
・おもわく
・気持ち
・思いやり・情け・・・・・・仏教において慈悲とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きを言う。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫、慈しみ、(mercy)の気持ちを表現する場合に用いられる」
・赴き、趣向、意味、物の中心
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人間には…物的身体のほかにもう一つ、それを操作する思考力を備えた目に見えない霊的個性が存在する。目に見えている表面の奥に、評価し考察し、比較し反省し、分析し判断し、決断を下す精神が働いております。それは物的なものではありません。

 人間には情愛があり、友情があり、愛があり、同情心がありますが、これは本質的には反物質的なものです。愛を計算することはできません。動きを計ることも、目で見ることも舌で舐めることも鼻で嗅いでみることも耳で聞いてみることもできません。

 それでも厳然として存在し、英雄的行為と犠牲的行為へ駆り立てる最大の原動力となっております。精神とは何でしょうか。肉体を超えたものであることは明白ですから、では肉体が機能しなくなると同時に、その肉体を超えたものも機能しなくなると想像する根拠がどこにあるか?

  


     
58  シルバーバーチの使命

 シルバーバーチが地上に戻って霊的真理(スピリチュアリズム)を広めるよう神界から要請されたのは1800年後半でモーリス・バーバネルがまだ母体に宿っていない時でした。バーバネルが霊言能力を発揮し始めたのは18歳の時で、交霊会が始まったのが1920年でしたから、人間の想像を超えた遠大な計画と周到な準備のもとに推進されたのです。

 あなた方の世界は私にとって全く魅力のない世界でした。しかし、要請された仕事があったのです。

 何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類へ理解させることです。
一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かかな霊的〝宝〟、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡智の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

 神からの霊的遺産として当然味わうべき生命の優雅さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を座視するわけにはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。叡知も盗まれません。そうした貴重な真理はいったん身についたら永遠にあなたのものとなります」

人間は何らかの仕事をするためにこの地上に来ているのです。戦争に終止符を打ち、飢餓を食い止め、神の恩寵が世界中にふんだんに行きわたる時代を招来するための霊の道具であることを力説する。変わらぬ基本姿勢は「生命の大霊とその永遠不変の摂理」です。

☆シルバーバーチはアルファベットの二十六文字を操って輝くばかりの美しい言葉を生み出す能力の典型であり、名文家、文章の達人である。


   

 59   シルバーバーチが地上へ戻る理由は!

 人間の注意を霊的実在へと向けさせること。人間の霊的覚醒を促進させることにあります。

 霊の世界へ来た者がなぜ地上へ舞い戻ってくるのかご存知ですか。大多数の人間にとって死は有り難いことであり、自由になることであり、牢からの解放であるのに、なぜ戻ってくるのでしょうか。霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。地上の住民を脅かす老いと病と数々の煩悩に別れを告げたのです。

地上との間に横たわる測り知れない困難を克服してまで自ら志願して帰ってくるのは、あなた方へのがあるからです。素晴らしい光の世界から暗く重苦しい地上へ、一体誰が、だてや酔狂で降りてまいりましょう。あればこそ役に立ちたいと思うのです。霊界より地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが分かります。そんな地上を少しでも良くしたい少しでも美しくするために自分を役立てたいのです。そこで同じ願望を抱く地上人を求めるのです。肉体に閉じ込められた者には美しさの本当に姿を見ることができません。

霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方はご存知ない。そして、なお、死を恐れる。人間にとって死は恐怖の最たるもののようです。が実は人間は死んで初めて真に生きることになるのです。あなた方は立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。

霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際に行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。

✲SBは『霊界へ送り込まれる人間の中に、廃残者、堕落者、霊的生活への備えがまるでない、無知と恐怖と迷信と偏見に満ちた者ばかりなのです』、同胞である地上人類への愛に発しているから戻るのです。

しかし、こうして再び地上へ戻ってくるときの私の気持ちはいつも味気無さです。地上は光と生命が欠けています。うっとうしくて単調で、活力に欠けております。まるで弾力性を失ったクッションのようで、何もかもがだらしなく感じ、生き生きとした魂、愉快な精神の持ち主は極めて稀です。

 


    
60     大 霊                
                            
(シルバーバーチのスピリチュアルな法則℘191)
 「大霊は雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他、ありとあらゆる存在に──それがいかに極微であっても──必ず存在するように、あなた方にも存在します。大霊はあらゆるものに内在しています。あらゆるものが大霊なのです。魂は自分を自覚しているがゆえに大霊を知っております。

スズメは大霊であるがゆえに、大霊はスズメを知っていることになります。風にそよぐ木の葉にも大霊が宿っているがゆえに、その葉っぱも大霊といえるのです」


 太陽系の各天体は一定のスピードでそれぞれの軸を回転し続けておりますが、それを一秒の何分の一かにまで区切って計算してみれば、そこに気まぐれな偶然の入る余地はないほど正確であることが分かるはずです。

 かくして情報の出し入れをするための手段となっている電磁場の本質を知ることによって、シルバーバーチの「霊力は全生命を創造した力であり、それが自然界の力のあらゆる動きと変化をコントロールしているのです」という言葉の本当の意味が理解出来はじめたことになります。

 あまり想像をたくましくし過ぎてはいけませんが、物質体には例外なく電磁場があることが事実となると、地上の創造物であれば物質体の発達と維持のため、天体であればその回転とそこに生息する生命体の維持のために、不可欠の情報を提供するためのエネルギーの渦が受容体(感覚中枢)を中心として存在するはずです。

 かくして全宇宙を通して、極微と極大とを問わず、あらゆる組織体は宇宙的知性、シルバーバーチの言う大霊によって、コンピュータ的な方式で提供される情報を電磁場内で授かっていることになります。つまり宇宙の全機構にわたって物質界を形成し維持している、人間の「幽体」に相当するもの、それに、肉体への養分提供と生殖細胞をつかさどるエレメンタル(ダブル)に相当するものが存在するということです。

 これは動物界・植物界・鉱物にもあまねく広がっており、人類にはこの上に、今意識しているよりも一段バイブレーションの高い「精神」の磁場、霊的自我のはたらきの場がそなわっているいる訳です。シルバーバーチはこう言っています────

 「生命が人類において初めて個別化されるように、大霊も自然界のエネルギーとしてだけでなく意識をもった個的存在として顕現されることになります」

「ですから、あなた方は人間的存在として大霊の枠組みの中に組み込まれており、したがって大霊とつながっているのです。ということはあなたも大霊の不可欠の一部としての存在位置を占めているということです。そこに人間と下等動物との違いがあります。人間は個性を持った霊であり、大霊の一部なのです」

 イエスが言ったとされている《汝らも神なり、汝らすべてが神の子なり》(祈祷書)はその通りであることが分かります。一人ひとりが肉に宿った霊であり、霊的発達程度に応じた文だけ神の属性を発現しており、その分に応じた程度だけ宇宙の進化に貢献できることになります。その視点から言えば、地上の総合的な現状が人類の総合的な発達のレベルを示していることになります。
 
                 ──── 完 ────